2020年8月14日金曜日

ブログを分析してわかったこと 続編

 昨日に続いて、パーソナリティアセスメントの結果がある他の月についても分析を行ってみた。

ちょっと前だけど2014年9月と2015年9月だ。


分析結果の共起ネットワーク図(言葉の出現頻度と関連性)を見れば一目瞭然、まったく違っている。

2014年9月は、「考える」とか「感じる」が大きいけど、それ以外はあまり大きさが違わない。


つまり、色々なこと、関連性薄く「考える」時だったのだろう。


「感じる」はエモーショナルな状態が続いていたことを表しているけど、ネットワークでは端に位置している。


論理的な結論というより、感覚的に仕事を捉えていたのかもしれないね。


それ以外では「環境」がキーワードに思える。



一方、2015年9月に見つめていたのは「人」「仕事」「自分」だ。

ネットワークも長く繋がっている。

「仕事」における役割、「社会」における自分の役割を潜在的に考えていたのかもしれない。

昨日の2期間は、「自分に向き合う」「本質を考える」だったけど、今日の2期間は「色々考え、感じる」「役割を果たす」と違う自分に気づくことが出来たように思う。


昨日も今日も、共起ネットワーク図を見てぱっと気づいたことを考えたのだけど、ちゃんと考察するともっと気づきや発見がありそうだね。

2020年8月13日木曜日

ブログを分析してわかったこと

 僕は思うところがあって、2019年11月と2020年6月のブログを簡単に分析してみた。

12月と7月に実施したパーソナリティアセスメントの結果に面白い変化が出ていたので、実施前のブログに何か兆しが出ているのではないかと思ったのだ。

結論としては、まあ、しっかり違いが出ていました。

まずは、2019年11月だけど、「自分」「リーダーシップ」が目につく。

僕は潜在的に、リーダーシップの姿と自分についての問いを1か月間考えていたのかもしれない。



そして、2020年6月だけど、「意味」「自由」が大きく、新型コロナウイルスが一角を占めている。

人生の意味とか、自由意志など、かなりNHKで放送したマルクス・ガブリエルの影響を受けて哲学的に本質の思索をしていたのだろう。

新型コロナウイルスはこの時節柄だろうけど、社会を考える契機になっているようだ。

おかれた状況で自分に向き合う、人生の本質を考える、それがアセスメントに影響を及ぼすほど強く、深かったのかもしれないね。

2020年8月12日水曜日

複雑な問題を複雑なまま向き合うのか単純化して向き合うのか

僕たちの世界は複雑だ。


新型コロナウイルスの問題にしても、健康と経済が天秤にかけられている。


またワクチンの開発もロシアのフライング含め思惑で混沌としている。


解の領域を得るためには条件を決める必要があるのだけど問題の解決は新たな問題の発生だ。


つまり、何らかの解を得ようとすると新たな問題を生じる、これが僕たちの生きている世界である。


まあ、そうやってつぎからつぎへと問題を解決していけば良いのかもしれなけど、それって時に虚しくなるよね。 


だから、僕は複雑な問題を複雑なまま受け止める人間性を身に着けたいと思うのだよね。



複雑?単純?


2020年8月11日火曜日

方舟かそれとも泥舟か

 僕は人材業界で仕事をしているのだけど、友人に船乗りになるはずだった人や父親が船乗りだった人がいる。

そういう人は少なくないのかもしれないけど、僕はそれに意味を感じている。


そこで今日のテーマは舟だ。


さて、舟をテーマにした映画は少なくない。


タイタニック、ポセイドンアドベンチャーは当然のこと、ジョーズなども舟が果たす役割が大きい。


我が家のテレビに接続しているHDDに記録された映画は生存競争が激しいのだけど、ゼログラビティ、インターステラ、オデッセイに加えて、メッセンジャー2016、パッセンジャー2016なども生き残っている。


これらは皆、舟が物語の中心にある。


じゃあ、舟って何だ?と考えると、「その外では生きていけない運命を共にすべき箱物」だよね。


箱物というとあまりイメージがよくないから、内と外を隔てる殻と言い換えても良い。


また船長は最後に船を降りるものだと言われ(韓国のセウル号事件では最初に降りたらしいけど・・・)、舟には原始的な「倫理」がある。


あるべき姿を有する殻。


そこにあるのは、生存、運命、倫理。


要するに舟とは「社会」の本質そのものなのかもしれないね。


この3つ、方舟には備わっていて、泥舟には備わっていないから、案外、良いところを突いていそうだ。


で、ね。僕は「舟とはこの生存、運命、倫理を統合する表象である」と定義してみようと思うのだよね。



屋形船






2020年8月10日月曜日

ラフマニノフを聴きながら才能と自由と社会を考える

 僕は先日、久しぶりにテレビで放送されていた映画「シャイン 」を観た。


この映画は、実存するピアニスト、デビッド・ヘルフゴッドを描いている。


映画だから当然、脚本、脚色があるのだろうけど、「才能のある主人公の音楽と父親」という関係性は興味深い。


実はこの関係性、今、NHKで放送されている連ドラ「エール」でも描かれている。


いずれも、音楽に関しては高い才能を持っているけど社会との関わりがあまり得意でない子供が父親との関わりを通じて成長し才能を開花させる、というストーリーである。


父親は、社会性の低い子供を導く(従わせたり後押ししたり)役割で、「シャイン 」では強圧、衝突、葛藤、苦悩が、「エール」では応援、支援、自信が主題である。


そして、音楽との出会い、きっかけはいずれも父親が作っているのだけど、そもそも父親自身も社会性があまり高くなく苦労しているのだ。


さて、「シャイン 」にしても「エール」にしても、僕たちがそのストーリーを自然に受け入れていることに気づかされる。


つまり、「社会が苦手な子供の特別な才能を不器用な父親が結果として開花させる」という筋書き、僕たちの世界では歓迎されることなのかもしれない。(もっとも、「咲くは花、己が力 咲かせるは、暖かき春の風」であって開花しているのは本人の力であることを間違ってはいけないのだろう。)


僕たちには何らかの得意なことがあり、そして自分がなすことを定めて実行する自由がある。


しかし、そこには「社会との折り合い」が必要で、誰もがそうやって暮らしている。


音楽と父親が映画やドラマで描かれるのは「才能と自由と社会」の象徴の1つだからなのかもしれないね。

枠の中の才能






2020年8月9日日曜日

僕たちの「勘違い」世界

僕たちは二元論的世界か、独善的自己世界を世界だと勘違いしている。

犬には犬の世界があるのに擬人化するし、組織は作り上げるのでなく自然に組織になるのが世の摂理だ。

こだわるのか割り切るのか、そんな単純なことではないし、わかりやすさも複雑さも物の見方でしかない。

学び成長するチャンスはどこにでも転がっているのにそれを活かさない方を無意識に選んでいるからわざわざ学びを考えなくてなならない。

そう、先週の僕の1週間は「勘違い」がテーマだったらしい。

ひょっとしたらこの世界自体が「勘違い」なのかもしれないよ。


(月)ワン・ダフル ライフ

そこまで思ってハッとしたのは、これ、きっと人と犬のことだけじゃなく、人と人でも同じことが言えるのではないかな。

(火)自己組織化しない組織

そもそも、自己組織化しない組織はあるのだろうか?

(水)本質探究と機会最大化を選択する意志

そこで僕たちに与えられているのは、本質に挑むか、はたまた機会を活かすか、もしくはその両方か、それとも両方とも無しのケサラセラでいくのか、の意志を選択する機会なのだろう。

(木)表現は「わかりやすさ」か「想像力」か

で、ね。「よいものをより安く」は「想像力」と「わかりやすさ」を包括している教訓なのかもしれないね。

(金)学びのチャンス

僕は学びの成果を眺めながらそんなことを考えていた。

(土)新型コロナウイルス禍で明らかになった採用コストの本当

その点から、新しい方法を導入しながらしっかりと質(採用人材だけでな組織構成員の)もコントロールできている必要があるよね。

気づいていないだけ

2020年8月8日土曜日

新型コロナウイルス禍で明らかになった採用コストの本当

 夕飯を終えて「マイ・インターン(The intern)」という映画を観ている。

とある会社が高齢者のインターンを募集していて・・・という内容なのだけど、応募は履歴書ではなく自己紹介ビデオを撮ってyoutubeにアップロードするというもの。

これ2015年の映画なのだけど、今の日本の65歳以上でこの方法で応募出来る人はどのくらいいるだろうか。

今回の新型コロナウイルス感染問題で、来春の新卒採用面接は多くの企業でオンライン面接になった。

きっと、この問題が起きていなければ、これまで通りの面接が行われていたことだろう。

僕が聞いた限りでは、面接場所の確保とか交通費や時間調整などコストが大幅に削減出来ているらしい。

つまり、生産性が上がったのだ。

もちろん、直接面接で確かめたいことが出来ないなど不自由もあるけど、「(例えコロナが終息しても)元には戻らないでしょう」との声を鑑みるに十分、メリットがあるわけだね。

では、何故、コロナが無ければ一気に普及しなかったのだろうか。


3つの理由があると思う。

1)基本的にこれまでのやり方を踏襲するという消極性

2)新しい方法に対する上司の理解不足

3)リテラシーの欠如


言い換えると予定調和、外圧を回避する姿勢、非創造的な態度、これら生産性を下げる意識と行動だ。

採用を行う人事部門は会社の中で最も保守的だとも言われるので、突飛なことはやるべきじゃないのかもしれないけど、事業の観点からは部門の生産性を上げなくてよいということは無いだろう。

ただ、人に関しては、採用コストが低くても、その後の育成コストやマネジメントコスト、離職に連なるコストなどが高くなってしまえば意味がなく、トータルで考えるべきものだ。

その点から、新しい方法を導入しながらしっかりと質(採用人材だけでな組織構成員の)もコントロールできている必要があるよね。

ちゃんと見るにゃ