アリストテレス・枢要徳と言う性格。
性格とは異なった状況においても再現される予測可能な一貫した傾向性である。それは人の特徴として認知されるものだから特性とも呼ばれる、アリストテレスは誰もが否定し得ない幸福と言う目的の実現のために必要な性格を徳と呼びその中でも特に重要な徳を枢要徳と呼んだ。
賢慮、勇気、正義、節制の4つだ。
さて人の観察可能な一貫性とは行為である。
心という内なる創発は外から見えない。私たちの観察され得る一貫性のある行為は、しなやかに生きるうえで、自動化、平行化されて身体化されている無意識の行為だ。
知らず知らずのうちに身に備えてしまっているものである
心が先か行為が先かという自由意志の議論は尽きていないのだけれども、生き物は上手に生きられるように作られているのも事実である。ダーウィンはそれを適者生存と言った。
不器用な高倉健は実は居ない。
「自分は不器用ですから」という名台詞を遺した高倉健さんであるがその台詞を地で行くような生き物は実は無いのだ。生きると言うこと自体が状況のリソースと経験のリソースを統合して知識を生成(創発)し続けるという極めて器用なことなのである
さてこの器用さは無意識に発揮されるものであって、
すでに身に備えてしまったものを引き受けながらも、枢要徳を発揮できるように日々を過ごすべきだというのがアリストテレスの教えなのである。
幸福と言ういう人生の究極目的のためには4つの器用さが大切だと読み替えるとわかりやすいかもしれない。
高倉健さんが言う不器用とは、この4つのうちのいずれか上手く使えおらず、幸福には程遠いい状態を卑下自虐しているのである。
人生の究極目的幸福に向かってより良く生きるためには、自分の今を受入れながら少しづつでも器用さを身に着け無意識化していく(器用化する)ことが重要なのだ。
確かに、人類全体の幸福を考えたらこの地球が持続可能な状況に適応し、戦争(核兵器)や飢餓や貧困、疫病が無い状況に至るには、賢慮、勇気、正義、節制が欠かせない、コロナパンデミックやプーチンのウクライナ侵攻は、アリストテレスから2千年以上経っても、僕達がまだ、枢要徳に足りていないことを明らかにしている。

