師の教えから学ぶ態度の大切さ。徒弟制度では師匠は弟子に極めて曖昧で抽象的な評価を与える、弟子は師匠の作り出す世界へと潜入しようとするが、はじめはうまくいかない。そこで自分の中のリソース、状況の提供する曖昧なリソースを揺らぎながら探索し、新たな目標を生成するという創発的な学習が行われていると思われる鈴木宏昭. 私たちはどう学んでいるのか 創発から見る認知の変化 (Japanese Edition) (p.164). Kindle 版.。一見不親切で気まぐれに見える教えが創発的な学習を誘発(スレービング)するのだ。 この話を読んだとき、私がかつて、回復期の病院でリハビリを担当してくれた理学療法士の話を思い出していた、その理学療法士が師事した指導者は事細かに教えてはくれなかったのだそうだ、しかし、同じ理学療法室で別々に師匠自らもリハビリを行いながら指導を行っている弟子の理学療法士の一挙手一投足を観察していて当日のリハビリが終わったあとに、あのときなぜあの介入を行ったのかとその判断や理由などを事細かにすべてヒアリングされたのだそうだ。なるひほど、指導者は徹底した観察と問いを通じてあるべき姿を創発的に学習させていたのである。素晴らしい指導だなと思った、しかし、訳あってその話を現在維持期リハビリで訪問してくれている理学療法士さんに話したところ、「それはうざいですね」と言う反応が帰ってきて結構驚いた、先生をうざいと感じること自体は今の時代、決して物珍しいことでもないだろう、金八先生以降であればむしろ教師=うざい存在がデフォルトなのかもしれない。しかし、先程の、理学療法士さんのことでいえばうざいと思った瞬間に創発的な学習は起きない。、師匠をうざいと感じたら徒弟制度は成立しない、もちろんハラスメントを良しとするわけではないけれど、理不尽や不条理が、師匠の技を形だけでなくその心「型」まで伝承する学びを自発させることを忘れてはならない。うざいと思う人に最適なのはyoutube とかを見て形だけの模倣である。これは最近流行りのDXでも同じだろう、そうした効率第一の機能主義、は創発的な学習を阻害する、そう、心が学べなくなるのだ。創発とは還元不能意図不在な自然現象だから創発的な学習を意図することは出来ない。しかし創発を誘発、触媒するslavingという作用があろことは知られている。師匠のうざさとはまさに創発的学習のスレービングなのである。
