謎掛けみたいなタイトルですが、最近感じるのは、仕事が忙しくて一杯一杯のときに何か価値的なものをアウトプットしようとしても非常に困難であるということです。もちろん、アウトプットの量は忙しさと比例して多くなりますし、仕事としての出来が悪い訳ではありません。
そこで、ここでいう価値的なものとは何かを考えるにあたって仕事が忙しくて一杯になっている状態をもう少し考えてみると、それは、仕事と自分のセットアップが密に成されて一体化されている様子であることがわかります。
つまり、超日常的に動き、考え、アウトプットしている状態です。この状態が固着してくると、思考も行動もアウトプットも超合理的になってきて、「自らの世界」に閉じ込められていきます。
人は、自分らしさとは異なる、「自らの世界」の無い(学生)生活から、社会に出て「自らの世界」を構築する(社会人)生活に相転移する際、「社会性の学習」というプロセスを経ます。会社組織だけでなく、社会そのものへの適応も行われる大切なプロセスです。
多くの人が一旦、適応が一段落する30代半ばからは仕事のキャリア、人生のキャリアにおいて新たに山登りが始まります。そこに待ち構えているのが、「自らの世界」への固着です。これは、会社や仕事や職能の固定化というでなく、仕事や人生を含めた「自らの世界」のことです。転職をしたとしても同じ職種や業種を選択している限りは「自らの世界」を固着しているのです。
つい先日、1970年頃にヒットした「パピヨン」という映画を観ました。
パピヨンと呼ばれる主人公が無実の罪で囚われ、本国から遠く離れた領地の刑務所において、脱走と独房を行き来する人間の物語です。
パピヨンは、刑務所という他者に閉じ込められていますが、物語に登場するドガは自ら刑務所に閉じ込められる道を選びます。でも、両者の間に刑務所に閉じ込められている事実の相違はありません。
パピヨンが魅力的なのは、何年も独房に閉じ込められて生きる希望を失うところまで追い込まれながら、それを変えようとする心を失わなかった、つまり「空っぽ」にならなかったことです。ただ、「心地悪い場所だから逃げたい(=心地よければ居座る)」と考えてしまったら気づくべき本質を見失うのだと思います。
キャリア(人生、仕事)の中で、忙しさで閉じ込められたとき、そこで「自分の世界」に固着せず、変えようとすることが、30代後半からの大切なテーマなのでしょう。
もちろん、「自分の世界」無しでは、変えることはできないので有ることが前提です。
「自分の世界」という空っぽ