グーグルのラズロ・ボック人事部門担当上級副社長の
「グーグルの5つの採用基準」という話がネット上に出ていました。ポイントとして取り上げたいのは以下の点です。
「すべての職務について第一に重視するのは、学ぶ力」
「何らかの問題に遭遇したとき、リードするために適切なタイミングで立ち上がるか否か」
「この環境内でリーダーとして効果的であるためには、自ら権限を手放す意思を持つ」
「謙虚さと主体性。問題解決に向けて努力するためには、「責任感と主体性を持つリーダーになること」が必要。そして謙虚さは、他者のよりよい発想を取り入れるために身を引くこと」
ボック氏は、知能指数や大学の成績評価GPAでなく、学ぶ力や問題解決におけるリーダーシップの在り方に言及しているのですが、メンバーの学習能力と問題解決力は組織運営をしてると常に直面する主題です。
まずは学習能力に関してですが、大学の成績に関しては、大学の入試を脳科学者茂木氏のツイートで考えさせられました。
茂木健一郎 @kenichiromogi (連続ツイート1189回「ぶっつぶせ、偏差値入試!」より)
”大学入試もそう。ある人が、入試のために奈良の興福寺の境内のどこになんという建物があるかとか覚えたとか言っていた。意味わからない。ペーパーテストの単一基準による偏差値入試は、自由な能力の開発を妨げる点において逸失機会凄まじく、日本の国益から見て巨大な損失と断ぜざるを得ぬ。”
茂木氏は偏差値入試が機会損失を生み国益に巨大な損失を与えていると述べています。
人間は、外的足場に頼ること(ボルタリングを思い浮かべてください)で有限な脳の資源を、より高次なアウトプットを行うために開放すること(ボルタリングでは支えを作って、自由な手や足を確保します)が出来ます。そして、活用頻度の低い情報で脳を占有するということ(開放した手に買い物をぶら下げる行為)は、間違いなく大きな機会損失ですから、茂木さんの主張には説得力があります。
私は、学習能力の正体とは、この「脳資源を活用すること」と考えています。それは、脳の活動と、その活動をより効果的にするために外的足場に依存することを意味しています。
もう少し、わかりやすくすると、学習能力とは「小さな脳がより大きな仕事を遂行すること」です。
さて、批評の対象となった偏差値入試ですが、偏差値とは何でしょうか。
偏差値は以下の数式で計算されます。(
Wikipediaより)

ただし、

つまり、ある項目で、自分の得点とその項目の平均点の差分を、その項目の得点のちらばり具合で割ることで異なる他の項目と同じ基準で比較するすることが出来るようにするものです。
簡単に言ってしまえば平均との差を表しています。ですから、「偏差値が高い」とは、平均よりも高い数値であることを指し、ある角度では特定の課題に対して「より大きな仕事」を遂行したと言えます。
しかし、学校教育における課題と、社会における課題には大きな違いがあります。学校教育における課題は、人の「脳」単体の機能を中心に扱われるのに対して、社会における課題は、人の「脳」とその外部環境の接続性、連携性において扱われます。
ボック氏が言う「学ぶ力」とは、まさに社会における課題に対して「小さな脳がより大きな仕事を遂行すること」であり、その行為が問題を解決するのが「問題解決力」なのでしょう。
ここに問題の本質が見えて来ます。
偏差値が悪いわけではありません。偏差値とは、平均より高い(大きい)、低い(小さい)を可視化する指標でしかないわけです。そして、「学習能力」「問題解決力」は脳が向きあう「仕事」を遂行することです。
となると、「仕事」の定義に本質があることになります。
ボック氏は、「問題解決力」として「より効果的であるために自ら権限を手放すリーダーシップ」を挙げました。それは、能力の発揮です。この良い事例があります。
宇宙飛行士界に見る、30代から「伸びる人」に出てくる油井亀美也飛行士の選抜面接時のエピソードです。宇宙飛行士の選抜は過酷で、わざとトラブルを発生させてその対応を見るそうです。以下、記事の一部を転載します。
”「見ていた審査員はうなりました。状況が変わったときの対処能力、問題点の整理。油井さんは自衛隊出身で、しかも部下を指揮する幹部自衛官でした。優先順位づけを徹底されてきた経験を駆使したのでしょう。でも、そのままリーダーシップは執らずに、あえて補佐役に徹した。その『ポジショニング』が絶妙だった」
就職試験ではとにかく目立ちたいと、自分の手柄をアピールしがちだ。だがその誘惑に負けないバランス感覚を、審査員はきちんと見ていたのである。”
宇宙飛行という「仕事」の定義がここに見えてきます。
まとめます。
これまでは「仕事」とは、徐々に大きくなるものと考えられていたのだと思います。それは中学、高校、大学、就職、管理職、役員、定年引退といった階段(階層)を登ることを意味します。そして偏差値の基準となる平均値は、各階ごとにあったのです。
ところが、より大きな「仕事」に対して学習能力を発揮し、社会にとって複雑で難易度の高い問題を解決することが求められようになって、階段(階層)の構造が多くの領域で崩壊したと言えるでしょう。
結果、「平均」という基準は階層内固有の基準に相対化し、階段の絶対的指標であった「偏差値」が採用基準において指標性を失い、国益における機会損失と認識されるに至っているわけです。
小さな脳がより大きな仕事を遂行し、社会を取り巻く複雑で突然出現する大きな問題や課題を解決することに対して、偏差値(学力に関わらず)は説明率が低く、まったくの役不足にあるのだと思う次第です。
長くなってしまった・・・