2023年8月31日木曜日

かがやきの取り戻し方

 かがやいていた自分を取り戻したい。

病室でテレビを見ていたらトランスジャパンアルプスレースと言うすごいレースの模様を放送していた。

その中の参加者の話がとても心に刺さった、銀行員のその方は、融資で優秀な実績を上げていると自己評価していたが39歳でまさかの左遷、

自分の人生を見つめ直す中でかつて中学時代陸上で期待され頑張りかがやいていた自分を思い出したそう、

しかし、高校では挫折し、そこからは大学進学、就職と全て言い訳にしたような選択をしてきたことに気づき、

もう一度あの輝いていた頃の自分に戻りたいとトレーニングを積んでレースに参加することを決めたのだそうで、その話だけでも強い共感と感銘を受けていた

そんな彼は天候が悪化してハードなレースが超ハードなレースになる中、睡眠不足で幻覚まで見始めている他の参加者に手を差し伸べて無事にテント場まで連れて行ったのだ。

凄いよね〜きっと失ったかがやきを取り戻したいと言う心の叫びが彼を救うだけでなく他の人まで救うことになったのだね。

結局台風の荒天でレースは中止になったけど番組の最後で出勤途中街中でインタビューを受けていた彼の顔は誠に晴々としていた。

ああ、この左遷された銀行員の方はかがやきを取り戻したのだなぁ

かがやきとは心の中の光なんだなぁと感じさせてくれましたほんとうに素晴らしきかな人生は


2023年8月30日水曜日

AIと意識の問題いよいよ

AIは意識を持っているのか/持つのか、AI研究者と意識研究者たちが共同研究した結果https://aiboom.net/archives/54645


2023年8月28日月曜日

創発する感情

感情と言う創発

喜怒哀楽好き嫌いといった感情も思考であるという説がある。思考とは何かという難しい問いもあるけれど。考えるということは答えを出す行為であると言う人も居るそれはつまり認知的変化(創発)であるということだ。さて僕たちは感情によって行為行動を引き出しているのだから。感情も認知的変化の一種であると考えて良いのではないだろうか。






2023年8月27日日曜日

成功の秘訣は圧倒的不利が生み出す根性論?グリッドと認知的負荷のマリアージュ?

先日終わった高校野球も丸刈りでなく長髪とか自分で考えて笑顔でプレーするといったムードが溢れていた。かつては、根性と気合とか精神性が王道だったことを考えれば大きな変化を感じた。一方で ペンシルバニア大学教授のアンジェラ・リー・ダックワースが、シカゴ調査した結果、グリットを持つ学生は退学せずに卒業していく確率が高いことがわかりました。アンジェラは、「才能やIQ(知能指数)や学歴ではなく、個人のやり抜く力こそが、社会的に成功を収める最も重要な要素である」と唱えています。一時ブームになったグリッドである。

アンジェラ・リー・ダックワースの概念

GRIT(グリット)はGuts(闘志)、Resilience(粘り強さ)、Initiative(自発)、Tenacity(執念)の4つの頭文字をとった言葉で、「やり抜く力」のことを意味します。グリットを提唱した

この概念を見ているととなんだか精神論の世界にいるようだ、闘志、執念、粘り強さ自発性だものね。日本社会に根付いていた精神論は太平洋戦争の敗戦とともに大きな転機を迎えた。フラットで平等で多様性という個性を尊重しようということになり、戦争に邁進した集団的精神論が否定されたわけだね、

そうしたらこんな研究結果もあるらしい、認知的負荷(頑張れる状況)がモチベーションの根源になるというものだ。

この2つの研究成果を統合すると頑張れる状況がグリットを引き出すということになる。

この研究成果で言えば圧倒的不利という戦争の状況がモチベーションになっていたということになるのかもしれない

認知的負荷

努力を惜しまないわけ】認知要求や自己制御力の高い人は、安易な道を選んで楽をするより、あえて困難に挑戦する傾向があります。モチベーションの根源は、報酬や見返りではなく、認知負荷なのだそうです(つまり頑張れる状況が好き?)。今朝の『プロスワン』誌より



2023年8月26日土曜日

自分とは何だ?パラパラ漫画の自分と「いまここ」の自分。が織りなす自分

 僕たちが思っている自分というのは実は1つじゃない。

そういうのを自己の多義性というのだけれど、表の顔裏の顔とかっていうことじゃなく、いままさにここにある肉体としての自分感覚これが身体的自己という自己認知である、そして、過去から未来へと続くパラパラ漫画のような人生の主人公である自分感覚これが物語的自己という自己認知だ。

そして、僕達が作り出している自分と言う知識はこういった複数の自己認知が、協調し競合し合いながら生成と消滅を繰り返しながら作り出されているのだ。

だから誰もが自分とは何者なのか思い悩むことになるし本当の自分を探したくなるのだ、いろんな自分が居るという感覚が強くなりすぎると、多重人格とかといった統合失調と呼ばれる適応障害になりかねない。しかし統合失調でない限り自分は一人だ。いまここの自分はとても不安定だ、二本足で立つということはととても不安定なことだからね、強い風が吹けばぱたんと倒れかねないだからいまここという身体的自己は常に不安に晒されている、そしてそれゆえ本当の自分を探すのだ安定不変で強風でも転倒しない自分をね。物語り的自己とはいくつもの台風も地震も困難も乗り越えて生きてきた自分という自信である。だから自分のパラパラ漫画を知ることには大きな意味があるのだ.



2023年8月25日金曜日

伝える力とは

 劇作家であり演出家平田オリザ氏の「わかりあえないことコミュニケーションの能力とは(講談社)」、は芸術の分野からコミュニケーションとは何かを考察した名著である。

僕たちが当たり前に考えている素朴理論も、状況設定を変えればいかに難しいことなのかが見えてきて、前提(素朴理論)を疑わなくてはならないことを教えてくれる。

コミュニケーションとは何かを伝え合う行為であるがその前提は伝わるという仮定のもとになりたっている、でもそれは本当なのか、そもそも、わかりあえない者同士で伝え合うことは出来ないという前提にたつべきだという氏の指摘はもっともであるではわかりあうとはどういうことなのだろうか、

他者を理解するという行為は生命と場所―創造する生命の原理 単行本 – 1999/3/1清水 博東大名誉教授の考察を借用すれば、他者を自分の内部に創り出す場に置くことであろう、

要するに環境に存在する自分とは異なる人格の存在を、自分の内部に取り込み、存在させる(自分の一部とする)ことになるのかもしれない。

そう考えると、非常に難しいことであることが感じられてくるかもしれない。そこでわかりあうことの大切さ、困難さ、意味が見えてくるのだ。

さて、自分の一部とするということを複雑系認知科学的に記述すると、他者を創発を引き起こす、認知リソース化するということになるだろう。

つまり、他者に認知的変化という気づきを引き起こすことが出来た瞬間こそが伝わったことの証なのである、「伝わる」の主語は常に受け手である、受け手に気づきという形で認知的変化という知識生成がおこせれば「伝える」側の意図は成就したことになるのである。さて、この「伝える」「伝わる」という現象の連鎖は、言語によるコミュニケーションに限った話ではない、そこで、冒頭の演出家平田オリザ氏の芸術という観点からの考察が理解しやすいのである。

さて、演劇以外にも伝えることを目的とした表現は多々ある、そのひとつがエッセイや小説という文章である。面白いエッセイを読んでいるとどんどん引き込まれていくことが実感できるそれらは心の中にある、認知リソースを時に共鳴し、時に驚きと衝撃で撹拌して、認知リソースの一部と化していく、不幸、苦労、困難、といったケースもあれば、幸福、達成、実現といったケースも有る、喪失もあれば創造もある、記述を通して他者の認知リソースを取り込むのである。さて、これらを通して伝える力とは何かを考えるとそれは自分の認知リソースを他者の認知リソースにする行為であるということになる、当然相手あっての話だから、届かないこともある。しかし、伝える相手のことを尊重し、わかりあうまえにまず相手のことをわかろうとする姿勢まずは心で心を想うことが伝える力の第一歩であるようだ。



2023年8月24日木曜日

イノベーションから見る優勝と優勝の間にある数しれない努力の意味。

 後輩の奮闘で熱く燃えた昨日、なんと107年ぶりの優勝頂点だそう、脳サバとうちゃん在学中には野球部在部の親友もいたけど、その親友が優勝決定後自分たちの頃が頂点と頂点に挟まれた底だったんじゃないかと呟いていた、。

面白い発想だなと思った。

なんだかイノベーションの理論であるU理論みたいだね。いみじくも優勝監督は、高校野球のあり方を変えるのが自分たちのミッションだとまで語っているのが印象的であった。

それでも、閉会式は日の丸に君が代で脱帽だったね。確かに笑顔自主性長髪という多様性はこれまでの高校野球にあった画一的な印象は大きく変化したように思える。

イノベーションとはまさしく認知的変化である。

いままでも、数多くのゆらぎがあったけど、それらはすべて、大きなうねりに飲み込まれていた、それが今回は優勝というおおきなうねりになることで、大きく全体が揺らぐというわけだ、丁度太平洋の大海原を渡る波のようだね。

そして波の間には底がある。底は深く目立たないけれど次に来る大波の準備期間であって無ではない。

107年の間に底があったからこそ大波が来たのだとも言えるのかもしれない。

私達の脳にもデフォルト・モード・ネットワークという状態があって、意識としてはぼーっとしている状態だけれども、

脳の中ではネットワークの再構成など非常に活発に活動している大切な状態があると言われているこれはまさに気づきと気づきの間にある無意識、底の意味である。

気づきというのはそういった脳のネットワーク活動で、ある瞬間にしきい値をこえると脳全体が巻き込まれる大域的アトラクターを作り出す瞬間の出来事なのである。

気づきとは脳の中の優勝なのだ、だから僕たちは優勝を見ると興奮するのかもしれない。

波の間にある底。



2023年8月23日水曜日

子供のような無垢の心

 昨日は子供の好奇心大人の好奇心というお題で考え、はじめたものの、中途半端に終ってしまった、

中途半端ながら子供の好奇心は表層的で大人の好奇心は深層的なのではないかという一応の結論には至った。

その違いから僕たちは人物に対する子供と大人という概念を形成するのだがその実例がIQと言われる知能指数ではばいだろうか。

同じ年齢集団の偏差から知能の優劣レベルを判定するものだがこれまで何回も引用したように認知科学的には能力とは類推で生み出された虚構の概念である

だから知能指数というのもが、何を言わんとするものなのか実は極めて不思議なものなのである、

実態はIQ測定用に準備されたテストという特殊な状況においてにどう答えたかを統計的に比較したものなのである。

一方で追跡調査も行ったアメリカの研究ではIQの高さと社会的成功の間に相関は見られなかったという結論も出ている。学力や知能指数など測れる認知能力ではなく性格など非認知能力の方が社会的成功には重要だという幼児教育推進派が大好きな結論である、

そして好奇心は非認知能力の方に分類されているようだ性格ビッグ5理論の開放性あたり。しかし性格特性ということになると年齢差とは言い難くなってくる、見分けとしては子供っぽい性格、大人っぽい性格ということはあるが好奇心だけではなくもっと統合的な人格だ。

さてどんなことに興味関心を持つかは置かれた環境によるところが大きい。

これまた知育玩具メーカーが喜びそうな結論だ。

しかし好奇心が環境によって左右されるのことは認知科学的にも間違いないだろう。

だから子供の育成環境が子供の好奇心を呼び起こすのだ、好奇心とは心であり、教育の成果じゃなく本能が生得的に創発するものであるゆえに、極めて環境依存性が高いのと考えられる。

子供と大人の違いで言えば子供は自らの環境を自律的に選ぶことが出来ないが大人は選ぶことが出来るその差が好奇心の違いとなって現れるのかもしれない、だから大人であっても子供と同じような環境に身を置けば子供と同じような好奇心を持てるのかもしれないね、そういえば一時、グーグルのオフィスがよく紹介されていたけれど、原色を多用した子供っぽい装飾がされていたように記憶している。子供のような無垢な心で仕事をして欲しかったのかもしれないね。






2023年8月22日火曜日

子供の好奇心大人の好奇心

 認知科学の領域で考えれば好奇心とは生き物が認知の世界を開く本能である、理由や理屈は無くて認知的変化を創発する「らしく生きる」ために、身体性という備え持った機能を使って環境に接近する生きる行為そのものだと言えるであろう。さてこの好奇心生き物の形態が変われば当然表象も異なる、胃にの好奇心は嗅覚が強いけれど人間の好奇心は視覚や触覚が強いといったように異なるのだ、では、子供と大人ではどうちがうのだろうか 。少し考えてみよう

その前に子供とは何か大人とは何かを定義する必要がありそうだ、「大人とは委縮した子供である」という名言もあるのだけれど、もう少し生物学的な定義の方が良さそうに思える、きっと医学的には明確だろうと検索してみたら医療法施行規則第十六条第一項第四号に規定する「小児」とは通常小児科において診療を受ける者をいうのであって、具体的に何歳から何歳までと限定することは困難である。というにべもない結果が出てしまった。くすん。であれば困ったときのchatGPTである聞いてみたところ「子供」とは、次のことを言う。 

- 自分がもうけた子¹。

- 親がもうけた子²。

- 親と一対になる子。

- 親に対する子。

- 幼い者¹²。

- 年齢のいかない者²。

- 小・中学生を含めることもある。

- 考え方によっては、胎児も出生前発育をしている生命として子供に含める場合もある³。


また、親子や権威を持つ人物との相対的関係を表したり、氏族・民族または宗教内での関係を示す場合にも使われる。何らかの概念との関係を示すためにも使われ、「自然児」や「1960年代の子供」のように特定の時や場所または環境等の状況を受けている人の集団を指して用いられることもある⁴。

思慮や行動などが幼く足りない者のことも指して使われる用語でもあり²、幼稚さや要領・主体性の無さを表す言葉として「子供っぽい」「子供らしい」「子供の使い」等の慣用句もある⁵。

なお、子供という単語は人間以外の動物にも使われたり、生物に限らない、大きいものと小さいものが組みになっている状態を指して「子持ち」という表現にも使われる。

I hope that helps! Let me know if you have any other questions. 😊

ソース: Bing との会話 2023/8/22

(1) 子供 - Wikipedia. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%90%E4%BE%9B.

(2) 児童の権利に関する条約:文部科学省. https://www.mext.go.jp/a_menu/kokusai/jidou/main4_a9.htm.

(3) 乳児・幼児とは?何歳から?新生児や児童との違いや定義は .... https://192abc.com/42470.

(4) 幼児は何歳から何歳まで? 小児の定義や保育園や幼稚園の幼児 .... https://hugkum.sho.jp/272201.

(5) 【児童の定義】何歳まで?18歳未満? 20歳未満? - 社会福祉 .... https://sw.self-sufficiency.jp/definition-of-child/.


とこれもまたなんだかピンボケである。要するに僕たちは子供と大人という極めて曖昧でぼんやりした境界線を引いて都合よく生きているのである。

例えば、心身の発育の途上にある者を子供として、心身が成熟した者を大人としたらどうだろう。親との対比で言えば何歳になっても子供は子供ということになるけれど行為行動の社会的責任から考えれば成人は子供とは言えない。さて、本題の子供の好奇心大人の好奇心に入る前にものすごく長くなってしまった、不思議なことは僕たちはそれほど悩むことなく子供と大人を見極めている。この観察した対象者が子供か大人かという瞬間的な判断も実は認知的変化という知識の生成なのだ、そこにはもちろん、興味の持ち方も含まれる。好奇心の在り様もみて他の認知リソースと競合させながら対象の子供大人の知識を生成しているのだ。子供っぽい興味関心といえば、ごっこ遊びの対象への好奇心であろう、だから身体的大人でもコスプレや戦隊ものに興味関心を持つ人はどこか子供っぽく感じる。一方で宇宙にしろ物理にしろ生物にしろ、万物の真理への好奇心と探求心は大人っぽく感じるかもしれない

つまり表層的な好奇心と深層的好奇心の違いが子供と大人を見分ける知識生成に寄与しているのかもしれない。この問い前段があまりにも長くなってしまったので明日も考えてみたいと思う。to be continue...





2023年8月21日月曜日

認知科学的無知の知とは。

 

夢に向かって努力している人へ。ソクラテスの名言「真の知恵とは…」英語&和訳という記事があった

件の名言とは、

“The only true wisdom is in knowing you know nothing.”

真の知恵とは無知の自覚である」Socrates(ソクラテス)
ということで、日本であれば無知の知と言われることが多いだろう。
知ったかぶりの己惚れより知らない事があると自覚する人の方が優れているもしくは、知らないことは知らないと考えられる謙虚さは大事だといった教訓なのであるが、
認知科学で考えれば無知の知はメタ認知の重要性を説く言葉であると考えられる。メタ認知とは、認知自体を認知する機能である。井の中の蛙が大海を知ることと言うと少しわかりやすいかもしれない。こういった、部分を通じて全体があることを類推する機能がどうやら生物には備わっているようだ、この機能、下手をすると、部分を知れば全体が分かったような気になって誤ってしまう、要素還元主義がそれだ、しかし、生物は常に環境に対して開かれた存在である。それによって、新たなエサの探索や繁殖地の拡大を行っている、
ここ数年世界を苦しめたコロナウイルスだって、飽くことなき流行拡大となったのは、そこに世界が存在していることを知っているからだとも考えられる。
私たち人間は思考を概念化して共有するという特殊な社会性機能を保有している故に、類推したメタ認知を認知リソースとして無知の知としてメタ認知知識を共有することが出来る。
それでも、全ての認知リソースを共有することは出来ない。
私たちの周囲には常に無限の環境リソースが広がっているのだ。
今後私たちは例えAIで脳を拡張しても、無限の環境リソースを自らの認知リソースとして保有することは出来ない、
ゆえに常に未知の環境リソースに出くわす可能性があるのだ.
認知科学的無知の知とは、未知の未知の認知リソースが常に新たな創発を引き起こす可能性に溢れている状況にあるのだという万物流転予測不能の教えということになるのだろう。



2023年8月20日日曜日

問題解決症候群のもう一つの顔、足りていないのは正解の無い問題解決に必要な条件設定リソースの創発

 アフォードする世界とゲームの中のディレクション

取手がある扉が目の前にあれば僕たちは扉を開くと言う行動が誘発される状況のリソースが認知的変化を促すのである。

包装された包みがあれば包装を開いて包みの中身を確認しようとする。環境は常に私たちに次の行動を指し示しているのだその最たるものがゲームである。ゲームは常に問題を解決せよと指し示す。もちろんどのような手順や方法によってかはゲームごとに異なるゲームが指し示すのはルールに則って問題を解決せよと言う定言命法である。アフォードが環境が引き出す行動だとするとルールとは場を支配する拘束条件である。だから私たちは常に環境の中にあって拘束条件に即して問題解決に取り組むのである。いくら包みの中身が知りたくても親が開いてはいけないと言いつけたら包みを開くことは出来ない。開きたくても、開けても、開かないと言う解に至るのである、拘束条件は誰かが決めてくれるとは限らない拘束条件の無い問題は世の中に数多とある。要するに不良設定問題と言われる答えの出せない問題である。不良設定問題で答えを出すためには拘束条件を与えて良設定問題にするしかない。この拘束条件の生成も認知的変化によって生成する知識である。正解の無い問題に答えを出すためにはこの認知的変化(創発)が必須なのである。





2023年8月19日土曜日

逆風下で絶え絶えの阿吽の呼吸、BYOの時代、多様性におけるの相互理解は労使双方の責任だ

協働においてコミュニケーションのコストは非常に大きい。要するに話してもわからない、通じあえないことが非常に多いのだ、一方で組織内おけるコミュニケーションは、即時的なもの(指示命令)、代謝的なもの(ムード雰囲気)、世代継承的なもの(理念価値観)が多重層的に存在している。そしてコミュニケーションの担い手であるエージェントもそのバックグラウンド含めて極めて多様である。協働では重層的なコミュニケーションを多様なエージェント間で成立させるためには膨大なコストが必要になるのだ。この協働におけるコミュニケーションの規模とコストのトレードオフ関係を解決するのが阿吽の呼吸である、

コストを極力省いても阿吽の呼吸とはコミュニケーションコストを極力省いても成立するコミュニケーションである。阿吽の呼吸が成立するためにはハイコンテクストであることが重要だ

ハイコンテクストとはコミュニケーションの前提が共有されている言わずとも通じる状態を指す、わかりあえないという前提から始まるローコンテクストととは大きく異なる。

そのためには多様性よりも画一性の方が有利だ。

同じ認知リソースを保有していれば同じような知識を創発しやすくなるからだとハイコンテクストであることが知られているのは、徒弟制度や伝統芸能などの世界である、技能の結果を習得するのでなく、技能が生み出される前提の習得(原因模倣)を通じて、ハイコンテクスト化が進むのである。そして同じように考え同じように技を使うことでパフォーマンスの質を維持継承していくのだ、

多様性によって、イノベーションを創発するようなことはおきないけれど革新が必要とされない世界においてはかえってハイコンテクストによる阿吽の呼吸の方がメリットが大きいのである。だから産業組織は画一性の世界へ驀進したのだ。でも、最近は、価値観の多様性という全世界的なジェットストリームによって、阿吽の呼吸は逆風に晒されているようだ。

経済においてはコストは受益者が負担するのが原則だ。協働における受益者は経営者なのか構成員なのか、評価が難しい問題であるが、個人事業主になってみると、協働の有難さが身に染む建設的相互作用による知の創発の成果は基本個人に帰属するモノである。その人のリソースになるわけだからね。組織の経営者は生産性の向上と言う2次成果の果実を得ていると言えるだろう。転職によって、組織は成果を失うわけだからね。創発した認知リソースはポータブルBYO(BringYourown)だからである。もちろん2次成果を得ている経営者にも責任の一端はある

となると、コミュニケーションコストは協働のエージェント組織構成員と経営者の双方が負担すべきものということになる。故に他者を理解し自分を理解させる責任はメンバー当人と経営者にあるのだ。

画一的?の図(笑)





2023年8月18日金曜日

ソフトウエアの開発者に足りていない老いのたわごと不具合を起こしうるという認知リソース。

 バグのないソフトウエアは作れないと言われる、

正確にはソフトウエアにバグが無いことは証明できないというものだが、

この説明自体は不完全性定理とか嘘つきのパラドクスと呼ばれ非常にわかりにくいものだけど、

要は自己言及によって矛盾が生じるという論理的な理由によるものだ、

そしてソフトウエアに関しては更に、プログラマーが作成するイメージする動作にバグが無いことを証明出来ないという問題と、それゆえに作成されたソフトウエアもバグが無いことを証明出来ないという理屈が加わるのだ、

作ることが出来るというイメージは持てていても、作るもののイメージが正しいかどうかはわからない。ということで、ソフトウエアエンジニアと会話していると、この噛み合わない議論によく出くわす、「どうしたいのですか?」「こうしたい。」「こうですね?」「いやそうじゃなくて・・・」みたいな会話プロトコルはもう定番だろう。

マイナンバーカードをとってみればよくわかるだろう、国民誰もを管理するIDを作って社会保障や徴税など様々な社会システムをそれに紐づけして、効率的効果的な運用を行うというイメージをソフトウエアにするためには、利用者の心理、動機や運用者の行為まで含めてすべてのシステムが完璧にイメージされている必要がある、このイメージを記述する作業を要件定義とか言うけれど、要件がすべて定義されていることを証明することは出来ないのだ。

子供のマイナンバーの口座を親の口座にするという行為は、動機(子供のお金は親が管理したい)も背景(銀行口座の開設はやたら面倒)もはっきりしているけれど、実際には、本人口座を確認するプロセスは実装されていなかった。

だから、開発されるソフトウエアも当然不十分なものになる。のだ、

だから、論理的に考えても銀行のシステムだって、マイナンバーカードのシステムだってバグがあって当然なのだ。

でも、ソフトウエア開発を受託する会社もサービスを運用する会社も、不具合がありますとは決して言わない(言えない)、嘘に嘘を重ねるようなことをして欺くわけである。

でも、取り繕った嘘は必ずバレる、その最悪のケースがプログラムのバグによるシステム障害という不具合である、論理を超越したセールスの理論がそこにあるわけで、実はそういう認知リソースは実務の中でしか蓄積出来ない。逆に言えば、実務者は実は誰でも知っていることだったりする。しかし、世の中、ノウハウと呼ばれるリソースばかりを獲得蓄積するように訓練しようとするから、実務者は誰でも保有しているはずのリソースが足りていないのだ、

だからソフトウエアの開発者って不思議に思うほど自信満々なんだよね。イメージを伝えると即座に出来ますよと答える。まるで、世界には複雑さなど存在しないかのようにね、

でも、出来たものは何かが違うし思ったようにことが進まない、出来ると、いうのはあくまでDo My BESTの範疇なのである。

そんなこと幾度も経験している者はおせっかいにも一言添えたくなるのだけど、鬱陶しいたわごとと応じられて、そこに建設的な相互作用は生まれないのである。




2023年8月17日木曜日

問題解決型学習の真髄建設的相互作用による知の創発と解きほぐしが生み出す果実

 問題解決型学習とは平たく定義すれば皆の問題を皆で解決する際に皆の中でおこる認知的変化(学習)である。

ポイントは皆の問題であること、そして皆で解決に取り組むことである。

認知科学でいう認知的変化とは個人が保有する認知リソース(経験リソースなど)がときに競合し時に協調しながら蓄積されていくものであるが、これが、複数の人間となれば当然認知リソースの量も飛躍的に増加する。

この、多様で膨大な認知リソースが競合(衝突)したり協調(共鳴)したりしながら、時に自動化され無意識化された認知的変化(信念)さえも、揺さぶり多様で複雑な社会的関係から創発した問題に解を与えるのだ。

この認知的リソースの交換を通じて認知的変化を生む行為は「建設的相互作用」と呼ばれ、一般的には対話において生じると考えられている、

また、自動化された認知的変化の揺さぶりと書き換えはアンラーニングその中でも解きほぐしと呼ばれるものであろう、

対話では、傾聴と受容という作法があるが集団での建設的相互作用も同様で。

グーグルが論述した心理的安全性はまさに、この作法に該当するものであると考えられる。

あと、他人と過去は変えられない。変えられるのは自分と未来であるという認知リソースも重要な役割を果たしていると考えられる、

自分の信念(自動思考)に執着、固執してしまえば建設的な相互作用は阻害されてしまう。

つまり問題解決は固執によって阻まれてしまうのだ。

さて、集団での建設的相互作用は、学びの共同体という言われ方をすることもある、ゆえに問題解決型学習は学びの共同体と極めて相性が良いのだ。

故に研修でグループワークが積極的に組込まれるのはそのためである。

認知的変化だけでなく解きほぐしも同時に進行するから認知リソース(経験リソース)の獲得と新たな信念のオーバーライト(上書き)に好都合なのだ。

例えば「チームワーク、フォア・ザ・チームといったものも獲得される認知リソースという信念である。

さて集団による建設的相互作用は組織という協働の形態に昇華して生産性の向上という果実を産業社会にもたらした。

日本ではこの集団による建設的相互作用は日本的経営(終身雇用、年功序列、企業別労働組合という新たな社会秩序を創発し従業員の組織への帰属(隷属)という同調圧力を生み出したのである。就職協定やそれに伴う就活もその名残りである




2023年8月16日水曜日

不自由な自由研究?いや自由意志の最適化こそが自由である。

 夏休みと言えば自由研究だ、自由研究とは自由意志に則って物事の真因を探る取り組みであるはず、つまり自らやるべき事を決めて実行遂行してその目標を達成するのだ。こう書くと自由研究はとても難易度が高いことがわかる。まず、やるべき事とは何かを決めなくてはならない。自分がやりたい事、自分ができる事、先生から褒められる事、友達が驚くような事、その中の何をやるべき事とするのか論理的批判的もしくは統合的に思考しなければならない。全てを満たす答えに出会えれば良いがそんな簡単に答えがあるものでもないやりたいとできるだって大きくすれ違うのが世の常だ。そんな事を考えていたら起業も同じだなと気づいた。事業構想大学や起業コンテストだったら先生から褒められると言う観点があるかもしれないけれど、基本起業では先生じゃなく顧客と言う市場から褒められることを考えるのだ。自由研究では目のつけどころと勤勉な丁寧な取り組みが評価対象だが起業では目のつけどころと収益性がポイントだ。不自由な自由研究とは自由意志が侵害されているやるべきことが決まらないもしくは実行する機能が足りないものである。さて、何をやるべきかは何をやってきたのかが大きなヒントになる

過去の決断はその結果も自己検証できるからである。経験は何よりも雄弁に語るよね。

でもそういった経験を無視するのも自由だ、自由に制約があったら不自由だものね。

やりたいことをやる、それが真の自由研究だぜ。そしてぼくらは皆自由だ、もちろん他人の自由を侵害してはいけない。自由意志とは全ての人の自由意志の最適化である。カント先生良いこと言うよね。





2023年8月15日火曜日

誰でも持ってる4つの窓と4つの技「世界を開け4つの窓と世界を開く4つの技」

 僕たちは皆世界を開く4つの窓と世界を開く4つの技を持っている。窓は持っているのだから開けばよい。簡単だ、一方その開きかたである技は磨く必要がある、だから技なのだ。別に技を使わなくても窓は開けるし人によっては生まれた時すでに全開になっている人も居る、まずは誰でも持っている4つの窓から説明しよう第1の窓は以前ブログにも書いたけれど、好奇心の窓である、子供の得意技で、子供は誰でも全開だ。第2の窓はこれも前にブログに書いたけれど遊びの窓である、子供が成長する段階で全開にする窓だ、青年の得意技とも言えるだろう。第3の窓は昆虫の窓、昆虫が得意とする技で、社会を作って協働を行う窓であるブログにはこう書いている、第4の窓は植物の窓、植物が得意とする技で置かれた場所で咲く窓でやはりブログに書いている。これら4つの窓はそれぞれ開け方が違う。

この開け方も誰もが持っているのだけれども、磨くことで窓をより大きく開くことが可能になる。好奇心の窓を開く技は気づきである、あ、っそうかと閃くことで技は磨かれる。遊びの窓を開く技は遊ぶことである、そうたくさん遊ぶことで磨かれる技だ昆虫の窓を開く技はチームワークだ、他者とともに何かに取り組むことで磨かれる技である、そして4つめ植物の窓を開く技は模倣だ、窓をどう開けば良いかは他者(先達)が教えてくれているからしっかりとその心まで模倣することで磨かれる技である。

少し難しい言葉で4つの技の磨き方を説明すると、構成学習、経験学習、問題解決型学習、観察学習ということになる。そう、誰もが持っているこれらの技は学習という認知的変化によって更に磨かれるのだ、AIだってそうでしょ?もっともAIは認知的変化を起こさない(シミュレーションはさせられる)


好奇心の窓
気づきの技


遊びの窓
遊びの技

昆虫の窓
群れの技


植物の窓

模倣の技

2023年8月14日月曜日

デカルトの呪縛?Ghost in the machine(機械の中の幽霊)という難問

創発を理解することは容易くないそれは私達の信念が素朴理論によって固められているからなのかもしれない、それは全体は部分から構成されるというデカルトの要素還元主義と、私達は機械のような身体と魂によって出来ていると考えるやはりデカルトの心身二元論である。

創発の概念は,17 世紀に René Descartesによって提唱された要素還元主義の考え方では説明で きなかった問題を説明可能にしている.例えば,要素還元主義 の考えに従った場合,動物は自動機械のよう に説明することが可能であるが,現実に存在する動物の行動, 多様な機能の発現,群れなどに見られる秩序および動物の進化 などは説明することができなかった.このような生命システム に見られる創発とは,「自律的にふるまう個体(要素)間および環 境との間の局所的な相互作用が大域的な秩序を発現し(ボトム アップ),他方,そのように生じた秩序が個体のふるまいを拘束 する(トップダウン)という動的過程により,新しい機能,形 質,行動が獲得されること」と定義されている創発デザインと最適デザイン,その概念(佐藤・松岡)

要素還元主義は要素を支配する原理は全体も支配していると考える、社会は人という要素から構成されるのであれば、社会は人の道理に沿ったものでなければならない、しかし現実社会で起きている出来事は複雑で説明不能なものばかりだ、協働の高度な形態である組織もしかりだ。

もちろん人の行動原理が通用する組織もあるが、組織の多様性や固有の発展プロセスは要素還元主義では説明出来ない。要素に還元出来ないこれは還元不能という創発の定義に合致するあとは意図不在で、要素間の関係性のゆらぎがあれば社会も組織も創発の概念で説明出来ることになる。しかし、私達は何者にも何事にも意味を見つけたがる(因果で捉える)信念を持っているため、意図不在・還元不能な現象というものを受け入れることが苦手なのだ、だから脳の中にはホモンクルスという小人が居ると考えたりデカルトの心身二元論を自然に受け入れるのだ一方、人工知能や人工生命の研究でRyle は『The concept of mind』(Ryle, 1949) の中でとデカルトの心身二元論では「機械の中の幽霊 (Ghost in the machine)」 という言葉を用いて批判した.身体を機械のように 捉えると,人間の心的機能の発現を説明するために つかみ所のない幽霊が存在するとしなければなら ない.Ryle は,これを避けるためには,身体と心 を異質な立場にあると解釈する人間観を脱し,身体 やそれを通じておこなわれる行為こそが心の働くあ りさまそのものであると捉えるべきことを議論して いる(鳴海,2019)




2023年8月13日日曜日

ナイニス カリテロ アンスロポ アポトンバテラス改めて父親を意識してみる

  ナイニス カリテロ アンスロポ アポトンバテラス 何かのおまじないのように聞こえる(見える)がこれはギリシャ語Να γίνεις καλλίτερο άνθρωπο από τον πατέρα σου.を音にしたものだ、意味は君が君の父よりよい人間になりますように」である。

これ、アメリカのドラマの中で出てくるのだけれど、なんだかちょっと音が違っていた気もする、まあだいたい意味が合っていればいいだろう(雑ね)、それは父親と息子の複雑な関係を描いた未来派刑事ドラマ?(なんのこっちゃねん???)なのであるが、息子にとって父親は常に気になる存在である。自分の息子にとって自分はよい父親であったかと言えばまったく駄目な親だったけれど、子供には僕なんか気にせず、気になるなら反面教師にして ナイニス カリテロ アンスロポ アポトンバテラスなのである。さて、最近、小説教室の課題で父のことを小説に書いた。彼の若い頃、そして父としてのエピソードを思い出し出し書いたのだけれども、改めて父親がどんなひとだったのか、思いを馳せた

。とにかく優しくて穏やかな人だったのだけれども、生き抜くことに腹を括った人でもあった。潰れた会社を立て直し、ビルまで建てて自分の城(自社ビル)まで築いた、築いた城を後継に指名した兄は、結局潰して手放すことになってしまい、彼の業績は何も残らなかった。でも僕の記憶に残っている父は挑戦心があり、前向きで、社交的(商売上手で信頼される)だった、一方何かに深く打ち込んで探究したり奇抜な発想で人と違うことをするといった独自性は高くなかった、息子の僕は、好奇心強く探求心があるのは僕の父とちょっと異なる。挑戦心があるところは似ている。社交的(商売上手で取引先から信頼されている)なところは敵わないところかもしれない。こうやって比較すると父よりよい人間になるためには何が足りないのかわかってくる、別に父親を越えなくてはならないわけではないけど、やはり常に気になる存在だし、この年齢になっても、自分の城を築けていない僕にとっては憧れの存在だ。

似てる?似てない?




2023年8月12日土曜日

創発する学習の仕組みとそのデザインについての一連の考察。

このブログは創発がテーマであるが、その中でも最近のテーマは心という創発する学習の仕組みとその結果とデザインについての考察である。以下、記事を整理して見出しをつけてみた。

心に学ぶ、心を学ぶ

好奇心に学ぶ、遊びに学ぶ

さあ好奇心の窓を開き探求と創造性の空気を胸いっぱい吸い込もう

「遊び」はなぜ「学び」が溢れているのか。遊びながら知識を生み出すハイパフォーマー。事例クレクレ君にハ...

師から学ぶということ、心を学ぶということ。

うざい師に学ぶ

youtubeやDXでは心は学べないうざいからこそ心が学べる。うざさというslaving効果。

心 で 心 を 思う未来と言う果実の種。

先達の心得に学ぶ

最強理論も越えていく飽くことなき商いの心得。

問いから学ぶ

問いに呼応する学習という認知的変化(創発)、愚問はAIすら愚かにするというシミュレーション実証。

本当の自分に出会うためのメタ認知と嘘の自分。

本当の自分という最強理論

たった3問3秒で出来る核心的自己(肯定感効力感自信)理解診断。

本当の自分理論が抗う気になる?好きになる?そして癖になり?やがて別れるという諸行無常理論。では、メタ...

好きと得意の違い。好きと得意から自分の知性知ろう。知性という創発(知識の生成)によるメタ認知と自己肯...


心の学びと組織

組織に足りないのは労働力ではなく認知リソースマネジメントである。多くの経営者はそのことがわかっていな...

押し付けの計画や戦略が組織を崩壊させる

ポストインダストリアルソサエティの協働とプロフェッショナリズム。


心が綻びた組織の末路

ビッグモーター問題は組織において自己組織化(創発)する負の価値の典型である。LINEやチャットが加速...

ビッグモーターという社会問題

介護の現場の介入事情。フルスペック思考を排してリソース思考で創発を促そう。

創発におけるメタ認知の重要性を高次脳機能から考える

メタ認知と創発する心の理論

不器用な生き物は居ない高倉健とアリストテレス。

AIが心を持つ日。

知恵と心の表裏同体心が弾めば知識も弾む心を整えれば知識も整う

大域的アトラクターという気づきとシュレーディンガーの猫カフェオーナー




2023年8月11日金曜日

心 で 心 を 思う未来と言う果実の種。

  心 で 心 を 思う―― 他人 の 心 を 了解 する こと から 始まる 新しい 社会 を 目指し て

ソニーコンピュータサイエンス研究所.の桜田 一 洋氏は好奇心が未来をつくる――ソニーCSL研究員が妄想する人類のこれから (Kindle の位置No.160-161). 祥伝社. Kindle 版. の中でそう述べているこの本は高い専門性を極めた研究者が自らの好奇心から未来の社会を描くと言う素晴らしい内容なのだけれども。その中でも桜田氏は心というテーマに着目されている。昨日ブログで、徒弟制度における創発的な学習について書いたけれども。フリーマン理論によれば心自体が創発であるから、創発的な学習とはまさに弟子が心で師の心に触れる行為なのである。いや、心には直接触ることは出来ないからまさに創発的な学習とは心で心を想うことなのだ。桜田氏の論述は素晴らしいので是非この本を一読されることをお勧めするがせっかくなのでここにその一節を載せておこう。

私 は 研究 者 として 苦しん で 結果 が 出 ない とき に、 逃げ ず に 本質 に 向き合い ます。 失敗 を 繰り返す 中 で、 もの を 変え て いく のは 容易 では あり ませ ん。 その とき に 私 を 救っ た のは、 自分 に対する 批判 精神 です。 人 を 批判 し ても 絶対 に 変わら ない。 自分 が 変わる 以外 に 変わり よう が ない。 そう 考え た の です。   その 発想 から、 競争・合理性・効率 では なく、 心 と 身体、 人 と 人、人 と 自然 に「 協 応」 する 概念 に 基づい た「 幸せ な 均衡」 から なる 世界 の 構築 を 目指す よう になり まし た。

ソニーコンピュータサイエンス研究所. 好奇心が未来をつくる――ソニーCSL研究員が妄想する人類のこれから (Kindle の位置No.2763-2764). 祥伝社. Kindle 版. 

桜田氏の主張がどう生まれて来たのかその本質はどこにあるのかは、本を読んで理解を進めるべきと考えるので。ここではこの一節に触れるだけにしておこうと思う。さて、桜田氏は本の中で

  ただ、 問題 が ない わけ では あり ませ ん。 機械論 は 近似 なのに、 それ を 真実 だ と 思い込む という 問題 が、 今 の 自然科学 や 社会問題 の 根本 に ある。ソニーコンピュータサイエンス研究所. 好奇心が未来をつくる――ソニーCSL研究員が妄想する人類のこれから (Kindle の位置No.2814-2815). 祥伝社. Kindle 版. とも述べています。そして 機械論 の 生命科学 と 複雑系 の 生命科学 は、 まったく 通約 し て い ない という こと になり ます。ソニーコンピュータサイエンス研究所. 好奇心が未来をつくる――ソニーCSL研究員が妄想する人類のこれから (Kindle の位置No.2817-2818). 祥伝社. Kindle 版. と重要な指摘をされるのです。人を機能の集合体と捉える機能主義では、心の所在も、創発する心も理解することは出来ません。心は機能じゃ無いからです。でも、私たちが、協働における生産性向上の拠り所としている知識生成も、社会を変える発見や発明も全て、創発という心の働きがもたらす果実なのです。私たちの未来という果実も、一人一人の心という種から芽吹いてやがて実った姿なのです。だからより良い未来と言う美味しい果実を収穫するためには、まずは心という種を蒔いて育てていかなければならないのです。好奇心も、弟子にとっての師の心もその未来の果実のための種なのである。






2023年8月10日木曜日

youtubeやDXでは心は学べないうざいからこそ心が学べる。うざさというslaving効果。

 師の教えから学ぶ態度の大切さ。徒弟制度では師匠は弟子に極めて曖昧で抽象的な評価を与える、弟子は師匠の作り出す世界へと潜入しようとするが、はじめはうまくいかない。そこで自分の中のリソース、状況の提供する曖昧なリソースを揺らぎながら探索し、新たな目標を生成するという創発的な学習が行われていると思われる鈴木宏昭. 私たちはどう学んでいるのか 創発から見る認知の変化 (Japanese Edition) (p.164). Kindle 版.。一見不親切で気まぐれに見える教えが創発的な学習を誘発(スレービング)するのだ。 この話を読んだとき、私がかつて、回復期の病院でリハビリを担当してくれた理学療法士の話を思い出していた、その理学療法士が師事した指導者は事細かに教えてはくれなかったのだそうだ、しかし、同じ理学療法室で別々に師匠自らもリハビリを行いながら指導を行っている弟子の理学療法士の一挙手一投足を観察していて当日のリハビリが終わったあとに、あのときなぜあの介入を行ったのかとその判断や理由などを事細かにすべてヒアリングされたのだそうだ。なるひほど、指導者は徹底した観察と問いを通じてあるべき姿を創発的に学習させていたのである。素晴らしい指導だなと思った、しかし、訳あってその話を現在維持期リハビリで訪問してくれている理学療法士さんに話したところ、「それはうざいですね」と言う反応が帰ってきて結構驚いた、先生をうざいと感じること自体は今の時代、決して物珍しいことでもないだろう、金八先生以降であればむしろ教師=うざい存在がデフォルトなのかもしれない。しかし、先程の、理学療法士さんのことでいえばうざいと思った瞬間に創発的な学習は起きない。、師匠をうざいと感じたら徒弟制度は成立しない、もちろんハラスメントを良しとするわけではないけれど、理不尽や不条理が、師匠の技を形だけでなくその心「型」まで伝承する学びを自発させることを忘れてはならない。うざいと思う人に最適なのはyoutube とかを見て形だけの模倣である。これは最近流行りのDXでも同じだろう、そうした効率第一の機能主義、は創発的な学習を阻害する、そう、心が学べなくなるのだ。創発とは還元不能意図不在な自然現象だから創発的な学習を意図することは出来ない。しかし創発を誘発、触媒するslavingという作用があろことは知られている。師匠のうざさとはまさに創発的学習のスレービングなのである。




2023年8月9日水曜日

たった3問3秒で出来る核心的自己(肯定感効力感自信)理解診断。

 似ているけどちょっと違ってわかりにくい心理用語がある。自己肯定感と自己効力感と自信などはそれだ。全部自がつくから自分のことだという察しはつくけど自分のなんなのさということである。この3つのちがいを簡単に識別して自己理解する問いがあるあなたは自分の事が好きですか?どんな困難でも乗り越えられると思いますか、時に、ああ、いま無理、と感じますか自己効力感と自信はかなり近いニュアンスなのだけど、効力感は予期の概念が含まれるので少しだけ未来志向なのだ。さてもっともシンプルにすれば、あなたは自分が好き?やれそう?いけてる?ということになる共通してるのは全て感覚だということ感じ方に正解不正解はないから、今日は暑いなぁと感じるように。俺自分大好きとか、絶対やったるぞ。いけてるわ俺、とか感じるか否かである、否の場合は、自分が大っ嫌い、絶対無理ゲー、おれあかんわとなる。

診断風に書くと

以下3問に全てフィーリング(直感)でお答えください。他人が何を言おうと関係ありません無視してください。根拠(説明責任)も要りません。

問1)自分の事が好き□⇔自分のことが嫌い□

問2)いつかは出来るようになる□⇔自分にはずっと無理□

問3)やっっちゃう□⇔やめておく□

ということになる、ほ~らちょっとずつ違うでしょ?

診断結果問1自己肯定感高い⇔低い

問2自己効力感高い⇔低い

問3自信ある⇔ない

となる。3秒で答えられるので、毎朝やって今日の自分を理解しよう

でもこの3つ実は何をするにおいても核心的な自己概念なのである。



2023年8月8日火曜日

組織に足りないのは労働力ではなく認知リソースマネジメントである。多くの経営者はそのことがわかっていないのかもしれない。人材不足は認知リソースマネジメントの欠陥が原因だ。

 経営のリソースはヒト・モノ・カネと言われる。産業社会において技術的進歩と肩を並べて生産性の向上に寄与したのは組織という高度な協働の形態であるので、ここに組織のあり方が重要な経営課題となり資源としての人の重要性が浮かび上がってくるくるのである。

この重要課題の本質を理解するためには協働が生産性を向上させる仕組みを理解する必要がある。協働が生産性を上げるのは建設的な相互作用により課題を解決する高次元な知識が創発されるからである。

人材開発、組織開発言語で言うならばチームワーク、チームビルディングということになるのだろう。最近流行ったのはすでにトップランナーをピークオフしているグーグルへの太い物に巻かれろのGAFA信仰、心理的安全性である(もはや宗教に近い)。建設的な相互作用には心理的安全性が大事だというやつだよね。でもこれって結局はデータエビデンス主義のグーグルには心の働き、複雑な認知的変化(創発)という知識の生成が解き明かせなかったという実証なのである。

さて。それらが相互作用に注目するものであるが、認知科学で知識が創発する仕組みを考えれば、認知リソースの多様性、競合や葛藤協調のプロセスを忘れてはならない。しかし人は類似性同質性に心地よさを感じてしまうため認知リソースは画一化する方向を志向する。組織は同じように考える人を正当な参加者として迎い入れ、異なる、発想や思考を相互に排斥しようと働く。そういう画一化信仰に陥り認知リソースへのメタ認知を欠いた組織の末路は悲惨だ。破綻する企業のほぼ全てがこのパターンに陥っているとも言えるだろう一方認知リソース不足を人海戦術で補おうと考える企業は常に人材不足という悪循環に陥ることになる。要員は足りているのに常に人手不足で、人材採用と離職が常態化することになる。



2023年8月7日月曜日

「遊び」はなぜ「学び」が溢れているのか。遊びながら知識を生み出すハイパフォーマー。事例クレクレ君にハイパフォーマーは居ない事実。

私はこのブログで何回となく「遊び」について書いているその時引用するのはいつも

 「遊びは、その活動そのものに内在する報酬を求める以外に、どんな動機によっても動機づけられない。」(M・J・エリス)という定義である。フリーマン理論を用いて脳科学的に推察するならば脳の辺縁系で発生する大域的アトラクターのうち報酬系側坐核を経て前頭前皮質に至る神経回路を強く刺激するものということになるのかもしれないこの脳の報酬系は依存にも関わっているとされるので遊びはなかなか止めることが出来ないのも道理だ。そもそも報酬系は辺縁系由来なのだから、遊びには気づきや発見が満ち溢れている事実にも納得がいく。スーパーマリオにしろゼルダの伝説にしろ、ファイナルファンタジーにしろゲームに熱中する、子供たちは、ゲームの中で本当に多くの発見をするよね、むしろ、ヒットするゲームは必ず上手くゲームの中に秘密を隠して発見させるようにデザインされている。ゲームが内在する「問題を解決せよ」という定言命法を通じて、自らに報酬を与えながら、没頭、熱中時には依存していく構造がそこにあるのだ。脳の中で明滅する大域的アトラクターという「気づき」は認知的変化即ち「知識の生成」つまり「学び」である。こうのように、「遊び」「没頭」「気づく」「学ぶ」という連鎖は切り離すことが出来ないものなのだ。さて、この事を踏まえて世の中を眺めるとハイパフォーマーと呼ばれる人ほど遊び上手なことに気づけるだろう。ハイパフォーマーは遊びながら学んでいる(知識を生産している)のだ。一方で、知識は与えられるものであるという素朴理論に染まっている知識の消費者・事例クレクレ君ほど、「遊び」(「学び」)が苦手だとも言えるのではないだろうか。

模倣も大切な学びの遊び。



2023年8月6日日曜日

天ぷらそば食べたら自民党支持者?AIの進化が加速する最尤主義社会と創発する本当の自分と言う永遠の謎。

 昨日占いいについて少し触れたので今日も占いネタで、私は昔ある某有名ポータルサイトから依頼されたお仕事でそのサイトに登録されているそれこそ星の数ほどもある占いコンテンツのマッチングコンテンツを作ったことがあった。

いくつかの質問に答えていくとお勧めの占いがリコメンドされますというありがちなものだ。

占いコンテンツは人気があってどんどん増えるのだけど、多すぎて、辿り着けていないというのがポータル運営者の仮説だった。

こういう、現象って占いだけじゃないよね。今日のECサイトだと、協調フィルタリングとか同時購買履歴といった手法でリコメンドを出す(要するに他の人はこれを買っていますぜ)と解決するやつだ、

でも自分は他の人とは違うんだと言うことを自認している人(僕のような変人)にはあまり意味が無い。

そういえば最近は選挙の際に、政党とマッチングするサービスもあったけどあれなんかは余計なお世話の筆頭だ。

協調フィルタリングとかは行動履歴から好みの似た利用者を探してそれらの人の購入品をお勧めするというもので、自分なりのこだわりがある人にとっては余計なお世話以外のなにものでもない。

例えば近所の蕎麦屋で天ぷらそば食べたらあなたのマッチングしている政党は自民党ですみたいにいわれたら吐き気がするじゃないですか。

けれども、機能や価格で探している時は手間が省けて有難い。

一方僕がかつて作ったのはコンテンツベースフィルタリングというやつで、コンテンツの情報化が必須なのだ。

だから占いコンテンツの分類で苦労した記憶がある。

そのポータルの狙いは埋もれてしまうコンテンツに日の光を当てたいというものだったから、誰もが利用する人気コンテンツがリコメンドされてしまうのは違ったのだ。

でも今思うにこのコンセプトは極めて重要だね

埋もれている価値を見えるようにする、実は埋もれさせてしまっている、多くの人の行動をベースにせずに、こういう役目はレビュアーと呼ばれる人が担うことが多いのだけれでも、事業者もそれを逆手にとってステルスマーケティングを行うから、好レビューほど怪しいものはなくなる。アマゾンのレビューなんておかしなものばかりだものね。

知り合いが出版したらサービスブックレビューを書くなんてざらだ。でもそんなの信じても本当に自分が欲しかったものに出会えるとは限らない。

ビッグデータから導かれる答えは多くの人がそうだからきっと正解に違いないという尤もらしいという論理だ。

推定統計で用いられる最尤法の概念が近そうなのでここでは最尤主義と呼んでおこう。

しかし、人は誰でも、自分は他人と異なる特別な自分でありたいと願っているし。

経済の原則も価値は差異に宿っているとされる。

違いのある多様性を受入れなくちゃいけないよね、というのも最近の風潮だからそもそも、社会とは最尤主義の圧力に晒されているものなのかもしれない。

その素地があるから、ビッグデータサイエンスやAIが生み出され一気に浸透するのであろう。

一方で、こと自分で考えれば、自己とは現実的存在であっては尤もらしい存在じゃない。

多層が重層的に織りなす固有性の高い複雑な存在である。

多層な自己には層間のミッシングリンクがあるため、自己とは常に解明不能な謎の存在なのである。だから最強の本当の自分理論が出現するのだ。

私たちの脳はこの多層を創発のリソース化して認知的変化(気づきを)を即時的断続的に生成する。これが意識とか心というの誰にでも宿る謎なのである。(フリーマン理論による)

AI時代の到来は最尤主義をより加速することは疑いようが無い。最尤主義社会の到来である。一方でAIの登場がもたらしたのは多層な自己のミッシングリンクという、人間の謎の深化である。本当の自分がより謎になったのだ。




2023年8月5日土曜日

認知科学的占星術生年月日のひ・み・つ。

 識別性があってまず基本的に忘れず正しく答えられる照合可能なユニークな数字本人確認で問われる生年月日はそういうことだ。まあ、ネットの技術で言えば暗号鍵っていうことだよね。でも、占いでは生年月日出生時間は、その人が生まれ出た瞬間の星の並びが及ぼす決定的な影響ということになる。かなり運命論的な考え方だ。しかし認知科学ではその人の認知に影響を与えるのは状況のリソースと経験のリソースということになり、認知的変化は運命じゃなく創発(還元不能意図不在な現象)である、だから、生年月日は状況リソースであると言えなくもないけれど創発を否定するような運命論にはやはり賛同できない。しかし。こと人間関係に限れば、同じ暗号鍵をもつ者同士の出会いという状況は運命的な心象を創発することは間違いない、生年月日には間違いなく類似性の吸引効果があるのだ。同じ生年月日の人にはそうでな人に比べてより惹きつけられるのだ、同じような効果は、出身地(同郷)や卒業校(同窓)でも確認される。自分と似ているというメタ認知が他者の人格を肯定的に類推する、そう確証バイアスでしかないのだけれども、誰にでもあてはまりやすいバーナム効果もある拭い去りがた認知現象なのである。要するに、認知科学でみれば占星術の論拠を支持することは出来ないけれども、現象面からは否定できない現実のメタ認知リソースなのである。人の心を創発させる便利な暗号鍵。生年月日こそが真のマイナンバーなのかもしれない。

運命の人になっとるorz・・・がっくし。


2023年8月4日金曜日

押し付けの計画や戦略が組織を崩壊させる

 組織は産業社会のおいて生産の向上という果実を生み出す協働形態の高度な表象であると論説したのは、故青沼吉松教授であるが、複雑系科学から見れば組織とは、多様性と多様な要因によって自己組織化する散逸構造である。つまり、つねに、散逸するプロセスの中にあるのだ、機能主義、構成主義に陥った組織は優秀なビジネスモデル、つまり、環境からの持続的な経営資源の流入が無くなればアトラクターを失い散逸つまり組織崩壊していくのは自然の摂理なのである、経営資源の流入とは顧客の支持であり、組織構成員の共感である。利益第一主義になれば顧客は支持しなくなるし、経営計画を押し付ければ構成員の共感は失われる。コンプライアンスを踏み外し顧客、構成員双方から見放された組織の散逸は悲惨であり無惨だ。組織を持続する高度な協働形態に押し上げるのは顧客と構成員であって経営陣の経営計画や戦略では無いのだ。もちろん、経営計画や経営戦略が、しっかりと顧客と構成員を巻き込むものになっていれば別であるが。その見極めは案外簡単で、離反や離脱が表象化した時には時すでに遅しなのである。その仮説に則れば今後恐らくジャニーズもビッグモーターも立憲民主党も遠くない将来に散逸していく組織なのだろう、巻き込むリソースが無くなればアトラクターは持続不可能なのはごく自然な現象なのだから。




2023年8月3日木曜日

本当の自分理論が抗う気になる?好きになる?そして癖になり?やがて別れるという諸行無常理論。では、メタ認知は本当(最強かつ永遠である)の自分という妄想をなぜ生むのか。

 物事には全て順番がある。何事も何者も混沌(無明)から生まれてそして死んでいく(老死)ものだ、有名な平家物語の冒頭祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。には実はプロローグもエピローグもあるのだ、最初は祇園精舎も沙羅双樹も盛者も存在しない、在るのはそれらが入り混じった混沌である、その中から、鐘堂が出来、草木が芽吹き強者が誕生し、鐘が鳴り 沙羅双樹の花が咲き、盛者となって、やがてそれらは春の夜の夢の如く消え去るのである。逆は無い。

マーケティングにはAIDOMAの法則と言う有名なのがあるけれどそれはA:Attention(注意)I:Interest(興味)D:Desire(欲求)M:Memory(記憶)A:Action(行動)と購買に至るには認知段階、感情段階、行動段階といったステップがあって、いきなり行動があるわけじゃ無いよ。という知恵だ、

もっと身近に言い換えれば誰もが気になり好きになりそして癖になりやがて別れる。という段階を踏むのだ。知覚と言う認知リソースは脳の中で大域的アトラクター(心)を生成する。心が感情(好き嫌い)を生み、感情は愛(執着)となって性格になり目的や目標を成すがそれらは新たな知覚という認知リソースによって揺らぎ泡沫のごとく消え去る。仏教ではこれを十二因縁という因果法則で説いている。

だから、何事も知る前に好き嫌いは無いし、生まれる前から性格が決まっていることも無いのだ。生まれた瞬間に自己認知を行いキャリアビジョンが決まっていたのはお釈迦様だけなのである。ところが、人は何故か、何事も成功(失敗)とか幸福(不幸)とか、ゴールから逆算する。例えば失敗したくないから結婚しないとかもそうだし、成功のためには学が必要だとかね。苦労するからマネージャーにはなりたくないとかもそうだ。全てが諸行無常なのだけれども、そんな当たり前の自然の摂理自体をなぜか忌み嫌う心(感情)というのも人にはあって、諸行無常じゃない、架空の本当の自分に強い執着を見せたりする。メタ認知が生み出す妄想であると言ってしまえばそれまでなのだけれども、実は、この本当の自分理論は自己肯定感に密接に絡み合っている。本当の自分が好きなのだ。だから本当の自分は自然の摂理に反していなければならない。だから何事も知覚するまえから好き嫌い、良し悪しが決まっていなくてはならないと思うのだ。自己肯定感は困難を乗り越えるうえで必須となる認知リソースだ。だから現実の困難な状況に遭遇する時に備えて私たちは本当の自分理論で自己肯定感を実装しているのだ。



2023年8月2日水曜日

AIの時代の人間のありかた。chat GPTに問われたらあなたはどう答えるのですか?

 協働という創発の力によるプロフェッショナリズムの融合とその結果

私の師匠の故青沼吉松教授は著作組織と人間のはしがきに以下のように明快かつ大胆に、人間が組織化することと人間のプロフェッショナ化による産業社会の可能性について、論述していた今日、AIとネットワークによって脳が拡張され協働のあり方が大きな変節点を迎えるにあたりこの、師匠の言葉をアップデートする必要が出てきているのかもしれない。

以下はしがきより抜粋した。

工業化は近代文化の物質的側面を示す用語として受け取りことが出来る

生産性向上という果実をもたらす産業技術の高度化を、それは意味しているこのような工業化を可能にした条件として人間の協働形態における発展があげられなくてはならない。ここに組織の問題が出てくる。組織は協働の高度化された形態であるということが出来る。工業化や組織化を推進することができた人間能力に着目するとプロフェッショナリズムという問題にぶつかる。そして、この問題を突き詰めると人間のあり方についての反省が迫られるようである。

工業化の先進国たるイギリスにおいて、その初期には科学的研究と産業的実践は交わらない並行線上をたどっていた。アダム・スミスが高等教育を非生産性としたときこの事情が物語られていたのである。当時科学はいまだ未熟であったのでその実用化に踏み出すまでに至っていなかったし。産業は科学を吸収しうるまでに発達していなかった。したがってその後科学と産業が発展してくるにつれて、両者の交流がしだいに目立ったものとなってくる。産業が科学的知識の応用分野になると、正規の高等教育を受けたひとびとが推進主体として注目される。かくて教育の生産性重要性が協調され教育投資論が登場係するに至る

産業におけるプロフェッショナルとは、科学的知識を用いながら産業に従事している人をさす、このなかで目立っているのは自然科学的知識を手がかりとする技師であり。社会科学的知識にもとづくプロフェッショナルの影はうすい。しかしながら企業組織が拡大しかつ複雑なものになってくるとそこでのオーガナイザーの役割はアマチュアの手に負えなくなってくる。さらに大企業をめぐる諸利害の対立を調整するのに高度な知識が必要になるこれらの問題に対処するために要求されるのは、社会についての科学的知識であるプロフェッショナリズムは技術的な側面だけではなく。経済的なそれへも導入されなくてはならない。大量生産時代を切り開いたのは技術力というよりもむしろ組織力であるといった議論も出ている、これを肯定すれば社会科学的知識によるプロフェッショナルにもっと注目しなくてはならないということになる

因みに師匠は、プロフェッショナルとは、線形に熟達する人ではなく、自己の信念をも解きほぐして更新出来る人であると述べていた、




2023年8月1日火曜日

ポストインダストリアルソサエティの協働とプロフェッショナリズム。

 自分は脱工業化社会から高度情報化社会をまさに経験してきた世代であるが、その間に組織はどう変わったのかを一度ちゃんと振り返ってみたくなった。高度情報化社会以前要するに1995年以前の組織は現地現物が大前提であった。組織とは、場を共有して協働するものという前提で成り立っていた。プロフェッショナルとは単一キャリアで職能を極める人を指していた。それが高度情報社会の到来とともに、記憶、遂行、疎通といった脳の機能の拡張に合わせるように人の多能工化とキャリアの多様化が進行し長年固定化することで高い生産性を生み出してきた協働(その最たるものが日本的経営と言われた、年功序列、終身雇用、組織別労働組合であったわけだが)が一気に流動化したのである。仕事は、いつも同じ場所で、同じ面子とするものから、色々な場所で、色々な面子とするもの、予測不能で複雑なものになった、その結果、プロフェッショナルとは、単一キャリアで職能を極める人ではなく、どのような場においても、有する専門性を的確最適な知恵を発揮し遂行する適応力の高いハイパフォーマーを指すようになったのである。もちろん全ての組織が一気に変わったわけではないが今日転職や離職の悩みを抱えない職場は無いほど労働の流動化が進み、労働も(繰り返しによる)自動化並行化による熟達から拡張(認知リソース蓄積)と適応(創発的学習)へと、協働とプロフェッショナリズムは脱工業化以降大きな変化を遂げたのである。