昨日占いいについて少し触れたので今日も占いネタで、私は昔ある某有名ポータルサイトから依頼されたお仕事でそのサイトに登録されているそれこそ星の数ほどもある占いコンテンツのマッチングコンテンツを作ったことがあった。
いくつかの質問に答えていくとお勧めの占いがリコメンドされますというありがちなものだ。
占いコンテンツは人気があってどんどん増えるのだけど、多すぎて、辿り着けていないというのがポータル運営者の仮説だった。
こういう、現象って占いだけじゃないよね。今日のECサイトだと、協調フィルタリングとか同時購買履歴といった手法でリコメンドを出す(要するに他の人はこれを買っていますぜ)と解決するやつだ、
でも自分は他の人とは違うんだと言うことを自認している人(僕のような変人)にはあまり意味が無い。
そういえば最近は選挙の際に、政党とマッチングするサービスもあったけどあれなんかは余計なお世話の筆頭だ。
協調フィルタリングとかは行動履歴から好みの似た利用者を探してそれらの人の購入品をお勧めするというもので、自分なりのこだわりがある人にとっては余計なお世話以外のなにものでもない。
例えば近所の蕎麦屋で天ぷらそば食べたらあなたのマッチングしている政党は自民党ですみたいにいわれたら吐き気がするじゃないですか。
けれども、機能や価格で探している時は手間が省けて有難い。
一方僕がかつて作ったのはコンテンツベースフィルタリングというやつで、コンテンツの情報化が必須なのだ。
だから占いコンテンツの分類で苦労した記憶がある。
そのポータルの狙いは埋もれてしまうコンテンツに日の光を当てたいというものだったから、誰もが利用する人気コンテンツがリコメンドされてしまうのは違ったのだ。
でも今思うにこのコンセプトは極めて重要だね
埋もれている価値を見えるようにする、実は埋もれさせてしまっている、多くの人の行動をベースにせずに、こういう役目はレビュアーと呼ばれる人が担うことが多いのだけれでも、事業者もそれを逆手にとってステルスマーケティングを行うから、好レビューほど怪しいものはなくなる。アマゾンのレビューなんておかしなものばかりだものね。
知り合いが出版したらサービスブックレビューを書くなんてざらだ。でもそんなの信じても本当に自分が欲しかったものに出会えるとは限らない。
ビッグデータから導かれる答えは多くの人がそうだからきっと正解に違いないという尤もらしいという論理だ。
推定統計で用いられる最尤法の概念が近そうなのでここでは最尤主義と呼んでおこう。
しかし、人は誰でも、自分は他人と異なる特別な自分でありたいと願っているし。
経済の原則も価値は差異に宿っているとされる。
違いのある多様性を受入れなくちゃいけないよね、というのも最近の風潮だからそもそも、社会とは最尤主義の圧力に晒されているものなのかもしれない。
その素地があるから、ビッグデータサイエンスやAIが生み出され一気に浸透するのであろう。
一方で、こと自分で考えれば、自己とは現実的存在であっては尤もらしい存在じゃない。
多層が重層的に織りなす固有性の高い複雑な存在である。
多層な自己には層間のミッシングリンクがあるため、自己とは常に解明不能な謎の存在なのである。だから最強の本当の自分理論が出現するのだ。
私たちの脳はこの多層を創発のリソース化して認知的変化(気づきを)を即時的断続的に生成する。これが意識とか心というの誰にでも宿る謎なのである。(フリーマン理論による)
AI時代の到来は最尤主義をより加速することは疑いようが無い。最尤主義社会の到来である。一方でAIの登場がもたらしたのは多層な自己のミッシングリンクという、人間の謎の深化である。本当の自分がより謎になったのだ。