2024年1月31日水曜日

自由意志が運命を誘い生きる意味に出会う自由とは何だ

 意志とはカントによれば成すべきことを定めて実行する能力だ.そして、自由な意志の最適化された社会が目的の王国ということになる。そこは誰もが自由に成すべきことを定めて実行している社会である。さて、マルクス・ガブリエルによれば運命とは必然でなく自由である、そして、運命に近づいていると感じる時人は自分の人生の意味を知るのだと、これらを合わせて考えると自由意志こそが人生の意味を知る手掛かりであるということになる。自由とは世人によって成すべきことを定めるのではなく本来的な生き方(ハイデガー)をしていることでもある。人生の意味とはその人の本来的な生き方にあるのだアリストテレスが言うより良い生き方とは本来的な生き方であろう、その目的は幸福だけど、そこに至るのに必要なのが枢要徳である。人は枢要徳を身に着ける自由意志の旅路によって本来的な生き方という運命に出会い人生の意味に到達し幸福になるのであると、哲学者の言葉を紡ぐとそういうことになるのかもしれない




2024年1月30日火曜日

対話の場で学んだこと対話という身体知修慧。

対話とは建設的相互作用によって、知識を生成する学び合いの行為である、今日、武力衝突が発生すると声高に言われるのが対話の重要性であることを観れば対話は学び合いというだけでなく人類の叡智であることが良くわかる、しかし、対話には、対話に臨む姿勢が求められる、この姿勢は、スキージャンプの飛形のように身体知なのである、対話の仕方を聞いて知ることも出来るが対話に臨むには身体知化されている必要がある、対話は智慧だが間違いなく修慧なのである。そして、この修慧を身に着けた者は対面のコミュニケーションでなくチャットでも、その知恵を発揮することが出来る。私はかつて自画持参というコミュニケーションデザインの実験場でガチャトークという対話に良く参加し 対話と言う目的から多くを学ぶことが出来た。対話とは自分に心地よいコミュニケーション(発話は心地よいコミュニケーションの代表だ)を行う事では無いし、常に傾聴によって相手を受容するカウンセリングでもない。他者と言う状況のリソースを使って、相互に、創発を連鎖し合うスレービング原理下にある大域的なアトラクターなのである(これが建設的相互作用)故に相手の発話だけでなく創発の様子も認知される対象なのだそれ故、対話は身体知であり修慧なのである。

哲学は想慧

2024年1月29日月曜日

未来の扉を開く2つの気づき

 気づきにも真理に近づく仏の智慧悟りに近い気づきと気配を察したりなんか違うぞと感じる気づきがある。悟りに至る気づきは思索の中で発生するメタ認知的変化創発であり感じる気づきは知覚が認知される過程での危機察知における身体的認知的変化でより本能的な気づきだ。しかしいずれにせよ気づくと言う認知的変化は大域的アトラクターとしてミクロの秩序(経験のリソースや状況のリソースによる認知的変化)を巻き込んで未来を創造していくので非常に重要なことなのである。危険を察知した場合には身体は危険回避に向けて速やかに備えなければならないし、メタ認知的変化は認知の世界の意味を一変させてしまうインパクトで未知の未来の世界を描き出す力がある。

悟りの気づき、感じる気づきいずれも未来に大きな変化をもたらすことなのである



2024年1月28日日曜日

あなたらしさを学際的に考える

 その人らしさとか自分らしさって何だろういくつかの視点で考えられそう

生物学的には動的平衡:緩やかに入れ替わり朝起きたらいきなり顔が変わっているなんてことはない平衡性

社会学的には戸籍といった記号性

心理学的には性格などの特性

認知科学的には、経験や学習結果の記憶といった認知リソース蓄積性


経済学的には購買等の履歴等の足跡性

経営学的には社員という資源的帰属性

神学的には神は誰かという絶対神性

統計学的にはn=1の縮約性(らしさなんて縮約だぜ)

物理学的には不明性(シュレーディンガーの猫で考えて)

数学的には数字性

哲学的には思索性

ここまでで、その人らしさとは、平衡性、記号性特性、蓄積性、足跡性、帰属性、神性、縮約性不明性、数字性、思索性など10個挙げられたけれども

これ、いくらでも展開できるだからあなたらしさもわたしらしさも、無限だと考えるか、そんおんなもの空であると考えるか、

無限の自分は無敵の自分?



2024年1月27日土曜日

創発の定義をchatGPTで検証してみた

 創発の定義検証


創発とは多様で複雑なネットワークで発生する自己組織化する散逸構造であり、社会現象や自然現象にとどまらず、心や意識、感情認知想像性なども創発であると考えられている

この定義をchatGPTで検証してみた


創発(emergence)は、多様で複雑なネットワークやシステム内で、個々の構成要素が相互作用し、新たなパターンや特性が現れる現象を指します。これは、システム全体の特性が個々の要素の単純な相互作用から派生し、予測可能でないものとなる性質が含まれます。


創発は自己組織化する散逸構造であるとされます。自己組織化は、システム内の要素が相互作用する中で、特定の秩序や構造が形成され、それがシステム全体に影響を与える過程を指します。散逸構造は、エネルギーや情報の流れがシステム内で最適な状態に向かって変化する構造を指し、これが創発の基盤となります。


創発の範囲は、社会現象や自然現象にとどまらず、心や意識、感情、認知、想像性なども含まれるとされています。これは、これらの要素が複雑な相互作用や組み合わせによって新たな特性や振る舞いが生じることを指しています。たとえば、個々の神経細胞の相互作用によって意識が生じるなど、複雑なネットワークが新しい性質を生み出すプロセスが創発と呼ばれることがあります。


この定義は、系統論や複雑系科学の観点から、異なる要素が相互に作用し合って新しい構造や振る舞いが生まれる現象を包括的に捉えています。創発は予測が難しく、個々の要素の単純な相互作用からは予測できない新奇な特性が生まれるとされており、その理解と解明はまだ進行中の研究分野の一つです。

定義は正しいようである。




2024年1月26日金曜日

記憶を知れば未来が見える

NHKヒューマニエンス「記憶」レビュー

とても良い内容だったので核心的な部分を描き起こしてみた。

「記憶は残っている」 

昔はね、そんな風に考えられてなかったんだけど、最近どうもね、忘れた記憶。でもその記憶の痕跡、細胞ね、さっき見た星座みたいなやつ。はい。あれが残っているらしいってのはわかってきたんですよ。 

えー、ということは。えー、本当に忘れていると思ってるだけで、思い出すことができないだけっていうケースが結構多いんですよ。

「記憶違いは「変化への対応力」

そうですね。つまり、危険な場所はいつも、えっと、 ある時は例えば、ほら、危険な場所だったけど、次に行ったらそこは餌があって、そう、いい場所かもしれない。記憶を書き換えないといけないでしょ。はい。で、そういうことはしょっちゅう起こるわけですよ。で、そういう能力を獲得した生物が進化的に生き残ってきてる。

記憶違いがあれば変化にも対応しやすくなるっていうことも言える。

「記憶こそがその人らしさ」

我々のアイデンティティにも関わってくるんじゃないかなっていう風に思います。
あの昨日の自分と今日の自分で、なんで同じ自分なのかって考えたら、記憶が一緒だからなのですね。

だから記憶そのものがその人らしさに繋がってるってことですね。

「脳の中では過去も未来もいっしょ」

脳にとっては過去の未来もないんだ。過去の出来事を思い出して喋ってる時の脳のその活動パターンと、 えーこれから先のことを想像している時のえー脳の活動パターンを見比べてみた時に、本当に全く区別がないぐらい似ていて。






2024年1月25日木曜日

社会の問題を解決せよというゲームのアーキテクチュア。

かつて 社会のモンダイ→ゲーム←デザインという記事でゲーミフィケーションを用いた社会課題の解決について書いたことがある。久しぶりに読み返して気づきもあったのでもう一度引用しながら書いてみよう。記事はワークショップに参加して書いたものであるが

全てのゲームに共通するのは

”プレイヤーはゲームからモンダイを解決せよ命令される” というゲームの核心ルールを知り、ゲームとは「モンダイ」への挑戦、そして、ゲームに関わるプレイヤーと制作者の立場の違い、などを学びゲームデザインを考えるワークがありました。

そして、ゲームが提示するモンダイには、「解決できることが保証されている」かつ「モンダイと共に解決手段を与える」でも「必勝、楽勝でもつまらない」そして「失敗する可能性が欲しい」「選択のジレンマがあればよい」などなど共通点を学びました。

実際にある嵌るゲームを題材に

1.モンダイが明確

2.解決手段が手軽

3.行動への反応が明確で達成感がある

4.常にモンダイの状態が変化し続ける

5.常にもっと速度は上がるはずだと思う

6.常にアイテム購入は苦しい(ジレンマ)

といった特徴によって自然とゲームに引き込まれる、実はかなりデザインされたものであることがよくわかりました。

一さて方で社会の問題にこんなデザインは施されていません

そもそも社会の問題は表象的なモンダイから真のモンダイ、モンダイの二重性に至るものがほとんどです。まずは問題が不明確で複雑です。解決手段も手軽にはありません、社会問題は複雑で多様な関係性から創発するものであると考えると意図不在、還元不能なので解決手段はそもそも無いのかもしれないのです。

表象的な問題解決だけでは真の問題解決はできないのです

”社会のモンダイを考えることは人々の幸福について考える事になる”。それはアリストテレスが言うように幸福とは最終(究極)目的だからなのです。

ます。「 幸福 に なる」 という 最終 目的 は、 その 手前 に ある すべて の 行為 に対し、 常に 意味 を 与え 続ける 機能 が ある。 そういう 意味 で「 究極 目的」 だ と アリストテレス は 言っ て いる の です。K 100分 de 名著 アリストテレス『ニコマコス倫理学』 2022年 5月 [雑誌] (NHKテキスト) (p.45). NHK出版. Kindle 版. 

故に社会問題の解決において生じる人々の幸福についての智慧(聞慧聞いたり・想慧考えたり・修慧行うこと)には常に意味があるのです。

だから表象部分であっても一部でも構わないのでデザインを施し問題の解決に取り組むことに大きな意味があるのです。

そして部分解決を前提として。ゲームという問題解決のデザインを用いる(ゲーミフィケーションする)のであれば、以下の要素を上手く配することが必要になるのである。

モンダイが明確であること

プレイヤーが何かしたくなるようにしむける

試行錯誤が楽しめる(ゲームらしさの部分)

必勝法が存在しない(正解がわかったら作業)

遊ぶたびに違う状況がうまれる(何回やっても面白い)

最後まで決着がわからずハラハラする

しかし解決に向けて手応えが感じられる

それまでの結果が累積して行く(達成感をいっそう感じられる)

未解決感がいつも残っている(プレイヤーが嵌る)



2024年1月24日水曜日

過去を想うことは未来を想うことである

 昨日、NHKのヒューマニエンスは「記憶」がテーマだったが。過去を思い出す脳の働きと未来を想う脳の働きが実は同じであるという報告がされていた。これはとても重要な知見である。生き物は限られた肉体的リソースを上手に使いまわして、環境変化に適応していることはよく知られている。例えば閃きといった脳の偶有性は、危機察知能力の使いまわしであると考えられているが、同様に未来も記憶の使いまわしから生まれるというのは驚きの事実であるが決して突飛な話では無く感じる生き物の智慧(この場合の智慧は無意識なので修慧ですね。)ってすごいですね。


2024年1月23日火曜日

好きなことに夢中になるためには?chatgPTとの対話

夢中になれることがあるだけで人は生きていけるのかも知れないでも、好きなことはあっても、夢中にまではなれないことが多いのではないだろうか、そこで、夢中になる価値と、好きを夢中にする方法をchatGPTと対話してみた。


 夢中になることは、個人が自分の興味や情熱を追求する瞬間です。この経験は達成感や充実感をもたらし、成功体験を通じて自己肯定感が育まれることがあります。自分の能力を発揮し、課題に取り組む中で成長を感じることが、自信を高める一因となります。

「好き」と「夢中」は関連していますが、微妙な違いがあります。好きなことは興味や好意を抱くことを指し、広い範囲にわたります。一方で、「夢中」になると、その活動や対象に没頭し、時間を忘れてしまうほどの集中を意味します。夢中になることは、強い情熱や没頭感を伴い、一時的には好きなこと以上の深い関与を示します。

好きなことに夢中になるためには、以下の方法が役立つかもしれません:

1. **目標を設定する:** 具体的で達成可能な目標を設定し、それに向かって努力することで、モチベーションが高まります。

2. **時間を確保する:** 好きな活動に時間を割くことが重要です。日常のスケジュールに組み込んで、定期的にその時間を確保しましょう。

3. **専念する:** その活動に集中することが大切です。他のことに気を散らさず、意識的に取り組みましょう。

4. **成功体験を積む:** 小さな成功体験が自信を生み出します。段階的に進み、達成感を味わうことが夢中になる助けになります。

5. **周りのサポートを受ける:** 友達や家族にその活動を共有し、励ましやアドバイスをもらうことで、モチベーションを維持しやすくなります。

6. **新しい側面を見つける:** 活動の中で新しい側面や興味深い要素を見つけることで、新しい刺激を得て夢中になりやすくなります。

そもそも夢中になれない人って目標が持てないのではないか?

適応障害(Adjustment Disorder)は、通常、特定のストレス要因や変化に対する適応が難しくなり、それによって日常生活に支障が生じる状態を指します。この状態では、適切な目標を立てることや未来に対する計画を立てることが難しくなることがあります。

適応障害は一般的に一時的な状態であり、適切なサポートや治療を受けることで改善されることが期待されます。心理療法やカウンセリングなどが有益であり、専門家と協力することで目標を再設定し、適応力を向上させることが可能です。

どうやら目標を持てない心理状態にはいくつか原因がありそうだ。

特定のストレス要因は個人によって異なりますが、適応障害の例として挙げられるものには次のようなものがあります:

1. **人間関係の変化:** 離婚、別れ、友情の喪失などの人間関係の変化がストレスとなることがあります。

2. **仕事関連のストレス:** 転職、昇進、失業など仕事に関する大きな変化が適応障害を引き起こすことがあります。

3. **健康問題:** 自分や家族の健康に関連する問題や疾患が発生すると、それに対処することがストレスとなります。

4. **喪失と l l別:** 死別や重要なものを失うことは、非常に強いストレスを引き起こす可能性があります。

5. **環境の変化:** 引っ越しや環境の大きな変化がストレスの原因となることがあります。

これらの要因が適応障害を引き起こす場合、個人は通常、それに適応しにくくなり、心理的な不調が現れることがあります。




2024年1月22日月曜日

問う自由と適応について

 心が身体と言うマルチモーダルの表象だとしたら自由とは何だろう自由とは答えでなく問いである。社会に適応することとは、正しい問いを立てて答えを導くことでは無いだろうか、不適応を起こしている人はそもそも問いの立て方が間違っているように見受けられる




2024年1月21日日曜日

さみしい夜にはペンを持て。あの時最高だったよなって必ずそう思う日が来るから。

 



大ヒットした「嫌われる勇気」の共著者である古賀史健さんの素敵な装丁の新著「さみしい夜にはペンを持て」はなかなかユニークな内容ながら大切なことを気づかせてくれる本であり、評判が良いのも頷ける内容だ。私には少し読むのに少し時間がかかった本だけれどエピローグに書かれた一文はとても心に響いた。「ぼくは変わりたかったわけじゃない。ぼくはぼくのままのぼくをを好きになりたかった。そして日記を続けることで少しだけそれができている気がする。ぼくが日記を書き続けているのは続きが読みたいからだ」そもそも好きなことを見つけるのは難しいだからありのままの自分を好きになることは簡単なことじゃ無いのだ。あのイチロー選手はこうも言う。


彼ら伝えなかったですけど、そもそも好きなことが見つからないっていう人が多いんですよ。世の中に。大人になったって結局好きなことを見つけられずに、『自分は何をやりたかったんだろう』とか、『俺の好きなものって何なんだろう』って思っている人がほとんどですよ。でも彼らは、いま野球っていう確実に自分が好きだと思えたものに出会って、それを続けている。そこで過ごす2年半がどれだけ尊い時間なのかは、将来、気が付くわけですよ。今やっていることが好きだけど、苦しいことも多いしなかなか成果としても感じられないからね。幸せだと思えないかもしれないけど、あの時最高だったよなって必ずそう思う日が来る。必ずその日が来ます。だとしたら、やらないわけにはいかないよね。それを大人が教えてあげて欲しい。


ぼくのままのぼくをを好きになるためはまずはありのままの自分を観るのが一番だ日記を書いて読み直すのはその方法の一つであると言うことを筆者は言いたかったのでは無いだろうか。書くと言うことは自己受容の一助となる。だからさみしい夜にはペンを持てと促すのだ。ありのままの自分が好きになればさみしいと感じることもきっと少なくなるに違いない。

全ての問題は心が作り出す幻想である。(エリックハルトトール)のだから。ね。



2024年1月20日土曜日

過去を未来の重しにしてはならない。

 五蘊皆空。五蘊の「色」と「受」は認知科学で言えば身体的自己である。心身二元論的に言うなら五蘊の「想」「行」「織」は心に該当するのだろう。しかし自己所有感のある心身において身体的自己に対するのは所有感操作感のある心身に対して不可逆的な自分の時間的存在感覚、物語的自己である、しかしながらそれは所有感というよりは実治損的付帯感である。身体的自己には随意性操作性があって可動範囲内で想ったように動かすことが出来る一方で物語的自己は経験の積み重ねによる形成される自己であって未来に対しては随意性があるものの、過去に対しては受容するしかない。この、変えることの出来ない過去は時に、心の重しとなって未来への一歩への重しとなる。背中に背負ったリュックの中には自然と過去が溜まっていく。しかし、リュックの中の過去が、重しではなく未来への備えだとしたらどうであろうか、リュックは未来への重荷ではなく、未来の可能性を拓く装備になるのである。実は上手に生きている人は、背負ったリュック一杯の過去を重荷ではなく未来への装備にしている。だから過去の経験がまだ見ぬ未来にどう役立つかを考えるのだ、そもそも五蘊皆空過去がいっぱい詰まっていて重荷だと思っていたリュックの中は実は空なのである。重荷も実は心が作り出す幻想なのだ。物語的自己の未来は真っ白で無限の可能性が詰まっている。宇宙空間を満たしていると言われる謎のダークマターが宇宙の母だとすれば、ダークマターの余白は、未来の子供、可能性そのものである。



2024年1月19日金曜日

智慧の三種

智慧と申しましても、これに三種あるといっております。聞慧と思慧と修慧との三慧がそれです。すなわち第一に聞慧というのは、耳から聞いた智慧です。きき噛りの智慧です。智慧には違いありませんが、ほんとうの智慧とはいえません。次に思慧とは、思い考えた智慧です。そのいわゆる哲学することによって得た智慧が、この思慧に当たると思います。だから思慧は哲学の領分です。次に修慧とは、実践によって把握せられた智慧です。自ら行ずることによって得た智慧です。したがってそれは宗教の領分です。語るよりも歩むというのがそれです。だから三慧のうちで、この修慧がいちばんほんとうの智慧です。

TakagamiKakusyo,Niche,MikiKiyoshi,AkutagawaRyunosuke,KurataHyakuzo,Dostoevski,ArishimaTakeo,NatsumeSoseki. IkikatawoKangaeruHon (Japanese Edition) (p.28). KotenKyoyoBunko. Kindle 版. 

この考えは、認知科学の知見にも通じている。聞慧は情報として保持された知識であり、高次脳機能で言えば記憶が担うものだ、思慧はリフレクションにおいて得られる本質への気づきに該当するより深く考えることで、生成される知識である。高次脳機能の、注意が大きな役割を果たす。修慧は身体化された知識である。さて、私達が行ずるためには、目的を定めて算段を組んで行動することになる。その一連のプロセス自体が知識となって身体化されいかなる状況においても引き出すことができる高度な知識が身についたことになるのだ。脳の基本的な機能が記憶注意遂行という3つで構成されているのは偶然では無いのだ私達はこの3つの機能を組み合わせる三つの機能の包摂コレクションで三種智慧を駆使してので困難を打開して文明を築いてきたのだ。




2024年1月18日木曜日

データサイエンティストとは本来的な生き方なのか考えてしまう恐らく労作のスキルチェックリスト。

 誰もがデータサイエンティストに!? データ分析の道しるべ「スキルチェックリスト」の活用法

という記事を読んだ、スキルチェックリストも観ることが出来た。チェックリストを観て労作であることはすぐにわかった。相当な時間をつぎ込んで作ったものに違いない一方で個人的な感想としては、このチェックリストは本来的な生き方の手助けにはなりそうもないなというものであった。データサイエンティストを必要とする。産業組織の都合が山盛りだからだ、まあ、そういう企業に就職したい人にとっては確かにスキルアップの道しるべになるかもしれないしかしそれとは異なる企業での活躍を望む人、マルチステージ化する人生をより良く生きていこうと思ひとにとってはもっと他の学習が必要に思えて仕方ない。特に、スキルは、身体知として、状況のリソースによって発揮されるものだから、情報ではなく身体化された知識なのである。このてんこ盛りのスキルを身に着けるにはどれだけの実践が必要なのか、それよりももっとより良い人生を送るための必要な実践があるのではないだろうか。なにか根本的に間違ってはいないだろうか、記事に登場する人たちは、データサイエンティストの価値を向上させたいという想いがあることはよくわかるが、だからといっとぇ一億総データサイエンティストというのはあまりにも偏った想いなのではないだろうか。故に間違った労力に思えてしまったのである。データサイエンティストじゃなくたって、いくらでもデータサイエンスは出来るのだからね、結局山のように困難なチェック項目を並べることでプレゼンスを高めたいようにしか思えないのだが如何だろうか。調理師じゃなくても、そもそも健常者じゃなくてもレシピが無くても料理は出来るということである。




2024年1月17日水曜日

個別最適化への険しい道

 カントはすべての自由意志が最適化された状態を目的の王国と呼んだそうだ。

この場合の自由意志とはなすべきことを定めて成し遂げる力のことを指す。

目的の王国では全ての自由意志が最適化され他者の自由意思を侵害することなく共存できている理想的な状態である。

最適化とはそこにあるミクロの要素それぞれが最も効率的効果的に無駄なく相反せずマクロ(全体)を構成している状態である。この世界は多様で複雑な繋がりで成り立っているから最適化というのは、概念的理想であって、実現可能性は極めて低いのである。部分最適化は可能であるけれど、まあ、すべてのトレードオフを排することは現実的ではないから現実世界での全体最適化は最も効果的効率的な状態を指していると考えたほうがいいだろう。カントの目的の王国もミクロの秩序とマクロの秩序が同時に併存している状態だとすれば現実味が帯びてくる。個別最適化とは、ミクロの秩序を主語にした併存であり、全体最適化は、マクロの秩序を主語にした併存である。個別最適化の集まりが全体最適になるわけじゃ無いのだ。さて複雑系科学では、このミクロの秩序とマクロの秩序の自然発生的関連性をスレービング原理と呼んでいる

スレービング(隷従化)原理とそこで説明される自己組織化のメカニズムとは,ミクロなゆらぎによる相互作用の中で,マクロな拘束条件にたまたま適合したものが,マクロな秩序パラメータ(order parameter)として,他のミクロな動きを次々と引き込み,マクロレベルの秩序を出現させる,というものである。

この現象を鑑みると個別最適化とは個の最適化(個のゆらぎの相互作用)の中で全体最適に叶うものが全体の秩序として出現し、他のミクロの動きを次々と引き込んでいく一連のプロセスを経るものであると考えられるのではないだろうか。





2024年1月16日火曜日

いまここにいる自分

 今ここの自分には2種類ある、手足があって自分が所有するの身体だと感じる身体的自己と過去から様々な経験を積んでここに至る物語的自己である。いずれも他者が代わりに所有することは出来ない先駆である。自己の特徴は、所有感と連続的同一感である。しかしこれは心が作り出しているものでもある。脳疾患や精神疾患(身体の欠損感覚や多重人格、解離性人格障害など)によってこれら2つの感覚は損なわれることが知られている。要するにいまここにいる自分は心が作り出す像であって、実像なのか虚像なのか常に揺らいでいるのである。故に、自己像に過度に執着する必要も、嫌悪する必要も無いのだ。いまここにいる自分はたまたまここにいるだけかもしれないし、ここにいるじぶんこそが自分であると受容し承認してあげるべき存在なのかも知れない。要するにいまここにいる自分とは、揺らいでいる認知が必要な存在である、ということなのだ。


2024年1月15日月曜日

問いに宿る魔力

 私が入院して回復期リハビリに取り組んでいた時担当してくれた理学療法士さんは。療法士の仕事は仮説介入検証の繰り返しだと実習に来ていた学生に指導していた、そしてなぜその仮説をを持ったのか、なぜ、その介入を行ったのか、問を起こすことの大切さを伝えていた、もちろんその問いや仮説の説明にはちゃんとした根拠も求められるのだが、患者をひと目見てどのような問いを起こせるかが肝心なのだけど、その言葉の意味がわかるのは10年後だろうとも伝えていた。良い問いが起こせるようになるには、十分な実践による経験が必要だという話はとても強く心に残った、同様に問いに関して強く心に残っているのは大村はまさんの愚問は頭を悪くするというものだ、今日久しぶりに大村はまさんの名前を聞いて蘇った。仮説ドリブンデータドリブンに陥るとチェリーピッキングという確証バイアスが働きやすくなることも知られていて問いを起こすということはは実は用心すべきことなのである、問いは頭を悪くしたりとてつもなく良くしたり物事を都合よく観る力物事の本質を見抜く力も宿っているのだからね。どうやら問いを起こす人は問いの魔力に心を配る必要がありそうだ。



2024年1月14日日曜日

人生の点と線

 点と線は、推理小説家松本清張の代表作である。電車のダイヤグラムを巧みに使ったアリバイとそれを見抜く事件捜査の駆け引きを見事に描いた至宝の文学である。点と線では、列車の停車と運行が表象されているが人生もよくよく考えてみれば、点と線なのだ、むしろ連続した点が線に見えると言った方が言い得ているのかもしれない。しかし、不可逆的な時間の流れの中に点となる特異な瞬間を見出した方が人生に意味を感じられるかもしれない、人生の意味とは

人生の意味は運命を探すことだと思います運命の感覚を失ったときに人生の意味を見出だせなくなくなる本来やるべきでないことをやっていると感じたときもそうです

人生の意味は自分自身に近づいたときわかります自分は何者かを理解したときです

マルクス・ガブリエル

本来的に生きていると、運命と感じられるものに必ず出会うと言っても過言ではないだろう。

ハイデッガーは現存在は自分出は無いもの世人に支配され非本来的に生きていると述べているそして本来的に生きる事を先駆と呼びです。

 私 たち が 先駆 できる ため には、 そこ に 必ず 伴う 不安 に対して、 何らかの 特別 な 態度 を 取る 必要 が あり ます。 それ は いったい 何 なの でしょ う か。 その 鍵 として ハイデガー が 示す のが、 第二 の キーワード で ある、「 良心 の 呼び声」 です。

世人 に 支配 さ れ て いる とき、 現存在 は、 世間 で ま ことし やかに 語ら れる「 当たり前」 を「 これ だけが 唯一 の 答え だ」 と 信じ込ん で い ます。 しかし、「 良心 の 呼び声」 は そうした「 私」 に 揺さぶり を かけ、 その 答え が 唯一 の もの では ない という こと を、「 私」 に 示し ます。「 私 は、 これ まで この 生き方 だけが 唯一 の 正解 だ と 思っ て い た。 でも、 本当は 違っ た 生き方 が でき た の かも しれ ない。 別 の 人生 も あり え た の かも しれ ない」。 そう「 私」 に 気づか せる の です。

日本放送協会; NHK出版. NHK 100分 de 名著 ハイデガー『存在と時間』 2022年 4月 [雑誌] (NHKテキスト) (p.73). NHK出版. Kindle 版. 

「私」に揺さぶりをかけるという「学びほぐし」こそが本来的に生きる先駆であることなのだ

人生の点と線を知り「学びほぐし」ていくことそれが、運命に出会い人生の意味を知ることなのです。




2024年1月13日土曜日

 人はデータの羅列ではない

 そんなことわかりきっているじゃないかといいつつも、データ唯物論が幅を効かせているのが現代だ。例えば、血液検査をすればとてつもなく多くのデータが出力される。でも、名前を伏せてこれが誰のものかとなったとき当てられる人はいるだろうか、犯罪の捜査で使われるDNAだって、照合する本人のデータがなければ無意味である。人に関するデータはあくまでも人の従属物なのに、持ち主から切り離して使われることがあまりにも多くはないだろうか、NYタイムスがOPENAIやマイクロソフトをただ乗りだと提訴したが、NYタイムスの記事だって、元の持ち主から切り取ったものではないか。新聞社が記事の当事者に売上の一部を還元しているという話は聞いたことが無い。だからnyタイムスの主張は正しくは私たちのただ乗りにただ乗りしているということになる。いずれにしても数値であっても記述であっても、実体から切り離されたデータは実体では無いにもかかわらずデータが人のエイリアスであるとして利用するケースが多いように思われる。本来はもっと瑞々しい人の在り様に心を向けるべきなのであるが。


2024年1月12日金曜日

鯛めし グッドジョブ

 上出来は人生を救う。脳卒中サバイバーはいま生活期リハビリの真っ最中でADLと呼ばれる日常生活行動を絶賛改善中である料理はその取組の一部なのだけれども、作って楽しく、食べて楽しいリハビリである。回復期リハビリの時は作業療法士さんのサポートのもとで行ったが自宅に戻っての生活期リハビリでは、STさんのサポートは期待出来ない。とは言っても買い物には行けないから妻のサポートは必須である。リハビリは日常の困難を乗り越える力を身につける学習であるが、常に他者のサポートが必要なのだ。

さて、これまで約30回ほど料理に挑戦してきた、左半身の片麻痺がある筆者はまず、調理中長時間立位を保ちバランスを崩さず冷蔵庫から食材を出したり入れたり、といった体位の変化にも耐えるといった身体性を身につけることと動かない左手でどう調理するのかが身体的課題であるが、料理は、ゴールから逆算して必要な素材を思い出したり調べたり考えること(記憶と集中)から始まり調理の手順を考え(遂行)るという高次脳機能(脳のリハビリも兼ねているのである。

さて前置きが長かったが今回の料理はこれまでの、洋食路線から和食路線に変更して、内臓にも血液にも優しいかつ、新年めでたいということで、なんと鯛めしに挑戦したのである。ここ最近リゾット〜パエリアからはじまったお米を炊く料理ということで最近挑戦したたこ飯があまり上手く炊けなかったという反省も含めてリベンジなのである。蛸の敵を鯛で討つ作戦の結果やいかに・・・美味しく炊けてグッドジョブでリハビリもバッチリでした。唯一のバッドジョブは調理じゃなくて動画撮影(電池切れ)でした。炊飯と蒸らし終わったときの感動の蓋開けが撮れていないです。



2024年1月11日木曜日

キラキラした人は人を育てる2つの理由

 キラキラした人を観ていると人は育つ、丁度日当たりが良いと植物が育つのと同じだ。思い当たる理由は2つ、1つは感情の伝染である。幸福感が伝播することはよく知られている、幸福感は脳の中でドーパミンというご褒美が出るだからキラキラした人を観ると報酬が得られる要するにパブロフの犬で知られるオペランド条件付き学習が起るのだ、もう一つの理由は観察学習である。社会性脳と呼ばれる大脳新皮質を使った思考的学習と異なり、観察学習は、蛸にも備わっていると言われるマルチモーダルで極めてプリミティブで強力な学習なのだ。それ故キラキラした人を観るということは、強化された強力な学習行為なのである。幸福感の伝播が観察学習という本能的な学習に報酬という学習を強化する作用をもたらし極めて高い学習効果を発揮するのだ、

日当たりと同じ。


2024年1月10日水曜日

認知科学的リハビリテーション上達の考察

 2021年6月に脳卒中を罹患し左半身の片麻痺になって以来、リハビリで歩行訓練を続けているその中で、歩行速度を測っているのだけれども、なかなか我ながら面白い結果となってきた。上達(歩行速度向上)の変遷が認知科学の知見通りなのだ。上達にはゆらぎがあって、上達、停滞、後退そしてブレークスルーが交互に訪れるのであり、一方的右肩上がりに歩行速度が上がるわけではないのだ、歩行速度の鍵はマクロ化並行化(3ピッチ歩行から2ピッチ歩行への移行)と、足装具のアップデートであった。要するに1,2,3、1,2,3のリズムから1,2,1,2に変えて1で、左足の振り出しと右手杖の運びを並行化するのだ、しかしこの変更では歩行速度は上がるものの速度があがることでバランスが悪くなるという問題をはらんでいて壁にぶちあたっていた。2のタイミングで踏み込む右足の歩幅が大きく出来なかったのだ、そこで、足首が可動する装具にアップデートしたところ、右足を踏み込むときの支えが良くなり歩幅を大きくしても、バランスが崩れることが少なくなった。



2024年1月9日火曜日

大谷選手の活躍を支える非認知能力開発

 大谷選手が称賛されるのはその恵まれた体格故の豪快なプレーだけでなくその誠実な人柄である。その誠実さは野球に対する真摯な姿勢にも通じている体格x人柄が大谷選手の活躍を支えていることは誰もが認めることだろう。その人柄は、どう作り上げられたのか、数多い大谷本を読めばわかる。まずは、末っ子の甘ったれた正確で生まれた大谷翔平選手、誠実真摯な人柄は生まれ持ったものでないことは明白だ、野球に対する真摯な態度は、お父さんと結んだ3つの約束「大きな声を出して元気にプレーする」「キャッチボールを一生懸命に練習する「一生懸命走る」とそれを、父親との交換野球ノートという形で、日々振り返り習慣化することで形成されたものである、さらに、両親が自分の行動は自分で決めさせることで、自分の行動に対する納得と責任を持つようになったとのことである。慶應の中室牧子教授が言う非認知能力の

自己認識、意欲、忍耐力、自制心などはまさにこの子供の頃の習慣から形成されているものであろう。そしてあの有名な高校時代の目標管理シートだ。目標管理という手法によって、メタ認知ストラテジー、社会適応性、回復力と対処能力、創造性など自立の力を身に着けている。

高校までにマインドセットをしっかり行って、高校時代に困難を乗り越える力にステップアップしたのだ、自立とは、目標を定めて困難を乗り越えることで、そのためには自己肯定感と社会性とソーシャルサポートが必要なのだが、自己肯定感はまさにマインドセットによって醸成される。誰にでもできることをしっかりとやることで誰でもマインドセットを持つことができる(マグジー・ボーグス)、出来ないことに挑んで挫折してマインドセットに失敗すると、自己肯定感を持てずにその後の成長にも負の影響を与えてしまう。大谷選手の父親の教えはまさに非認知能力の開発に的確であったのだ。

このマインドセットとその後の自立、社会での活躍はスポーツ選手に限った話ではない。ノーベル賞受賞の山中伸弥博士も関連書籍で成長の物語を読むにまったく同様なのである。




2024年1月8日月曜日

非認知能力のミルフィーユが人生をキラキラ輝かせる。

 以前、非認知能力って何だ?奇妙奇天烈なアブダクション。という記事を書いたが

経済学では、学力テストや IQ テストで測ることができるものを「認知能力」、性格的な特徴や人格を「非認知能力」と呼び、分析の対象にしています。

日本では、認知能力が将来の学歴や就業、所得との関連が強いと考えられているので、“偏差値”で計測される学力が重視される傾向があります。一方経済学は、認知能力が、学校を卒業した後の人生の成功のほんの一部しか説明できないことを明らかにしてきました。例えば、個人の学力テストの成績の変動は、個人の賃金の変動の17%しか説明することができないと主張する研究があります。つまり、経済学者の探求は、将来の成果を説明できる、認知能力以外の「何か」を突き止めようとしたところから始まり、それを一言で言い表そうとして「非認知能力」という言葉が生まれたのではないかと考えられます。ということである。慶應義塾大学 中室牧子氏実際筆者は、網羅性の高い性格特性項目で企業で活躍する人材の分析を数万人数百に件に渡り行ってきたが、かなり説明率が高かった。非認知能力というネーミングはちょっとセンス悪いと思うのだけれども、その言わんとしていることは極めて正しいのだ、実際、多くの企業が採用時にあまり学力テストの結果を用いていない。仕事での活躍は学力じゃないことは産業界ではよく知られた事実なのだ。さて、非認知能力は先天的なものではなく後天的なものである、大谷翔平選手、山中伸弥教授などを見ればよくわかる、後天的すなわち学習や習慣によって獲得されるものなのである。しかし、学力で測られる学習とは異なり、座学ではなく経験によって身体知として獲得されるものである、経験と学習の関係で言えばコルブの経験学習が有名であるが、学習には、タコも備えている生き物の本能的な知性、観察学習も非常に有効である、要するに、非認知能力は座学ではなく、経験学習、観察学習によって、身体知化されるものなのであるが、それらのさらに上位にあるのが、アンラーニング(学習棄却ではなく学びほぐし)である。身体知化された知識を学びほぐし(解体)しながら新しいものに変化(熟成)させていく過程である。非認知能力はこうして、ミルフィーユのように多層化することで包摂的に未知の困難な状況においても、それをを乗り越える知識を創発していくのである。




2024年1月7日日曜日

二重の安全策が機能しない理由

 認知的変化がミスを生む

私達は動的に様々な認知リソースを用いて知識を生成している判断の元となった知識生成の仕組みを考えよう何故ならミスの結果は重大だけれども当事者知識の生成に欠陥があるわけじゃないからだ。。彼らの犯した判断ミスは誰にでも起きるものである。認知の歪み確証バイアス(誤認)だと考えることも出来るが、認知リソースの揺らぎだと考えるべきだろう。今後事故原因はしっかりと解明されるだろうから素人考えで安易に述べるべきではないが。なぜ事故を招く知識が生成されたのか少し考えてみたい、結論的には関連情報に誘引されたリソースが強く働き、その結果滑走路進入反応が誘発されるのではないかと言うことである。今回の海保機機長にとっての関連情報は能登半島地震である。複数のリソースが機長と管制官の中に存在し、これらが課題状況の与える情報との関連で、機能したり、しなかったりするというわけである機長には離陸のリソースと待機のリソースが併存していたが離陸のリソースが誘発される結果となったことは明らかである。管制官には海保機待機のリソースと誤進入のリソースが併存していたものの何らかの関連情報がに誘引されて海保機待機のリソースが誘発されていて、誤進入警告表示を見逃したのかもしれない。恐らく海保機機長も管制官も自分は間違っていないと心底思っていたのではないか。誰にでもある複数の認知リソースの揺らぎとリソースを誘引すると関連情報の構造は知の生成の中にあるミッシングリンクが解き明かされるのを待つ必要があるかもしれないがそれは今後の事故防止の大きな一歩になる様に思える。

もしかしたら離発着の管制と操縦は関連情報に誘引されない人工知能に任せるべきなのかもしれない。しかし人工知能が汎用化され人間の知の生成を実装すると同じ問題が起きるかもしれないから人工無能の方がいいかもしれないね。着陸機がいる状態では、滑走路進入操作自体が出来なくなるといったような、排他処理はそれほど難しくないはずだ。



2024年1月6日土曜日

リーダーシップの3要素と4つの枢要徳

 リーダーシップの3要素は誰でも覚えることが出来る優れものだ1目標設定(共有)、2率先垂範、3同僚支援、2000年前の哲学者アリストテレスはよりよく生きるためには、性格(人格)が重要であることを見出している、その性格(というより人格)のなか でも特に重要だと考えたのが4つの性格であり、それをアトレー(徳)と呼んだ今日では枢要徳と呼ばれる重要な4つの性格は賢慮(良し悪しを判断すること)、勇気(困難に立ち向かうこと)、正義(他人やコミュニティを大切にすること)、節制(欲望を制御すること)である。性格とは、異なる状況においても再現される一貫性であるから、おかれた状況や役割にかかわらずこれら4つの徳を発揮できれば人はより良く生きる事が出来るということを人々を観察し見抜いたのである。2000年前の考えといえ、人間が自然の一部にあって、社会を形成して生きる生き物であることは2000年前と何ら変わらないので、今日でも全くつうようするのである。この枢要徳、を備えたリーダーシップと備えていないリーダーシップを考えてみると日本の政治や企業経営の問題が良く見えてくる。今問題になっていパーティー券の裏金問題、自民党及び自民党を構成する派閥には賢慮と正義、節制が欠けているのは明白だ。少し前に世を騒がせていたビッグモーター事件やジャーニーズの性加害問題もまったく同様である。アリストテレスの更に重要な提言は人格は生まれ持っているものでは無く、日常的な行動や習慣の中で形成されるものつまり、学習によって獲得できる後天的なものであると言う指摘だ、つまり、より良く生きる機会は誰にでも平等なのだ、だから、このリーダーシップの3要素と枢要徳の4要素合わせて7つは誰でも覚えておいて、いつでも思い出せるようにしておいた方がいい。リーダーと言う役割に関わらず、自分自身のリーダーであるたみにね、人間の短期記憶のバッファ(ワーキングメモリー)は数字で8つまでといわれているから7つは覚えられるのである。だから電話番号を覚えるように目標共有、率先垂範、同僚支援かつ、賢慮、勇気、正義、節制と覚えておこう、それは、あなたがあなたらしく本来的に生きることにつながっているのだから。





2024年1月5日金曜日

人の変化は他人を感化する

 観察者効果と呼ばれる科学現象がある。観察するという行為が観察される現象に与える変化を指す。科学でなくても私達は日常生活おいて環境から認知リソースを受け取り認知的変化を通じて環境に変化を及ぼす。よく知られているのは幸福は伝播すること悲しみの感情も伝わる。

ネットワークではインフルエンサーと呼ばれるけれども、そんなビジネスライクに考えなくても、人は常に人から影響され人に影響を与えているのだ。



2024年1月4日木曜日

 経験はなぜ自信を呼ぶのか。

 私たちは智慧を生む時に様々な認知リソースを用いている。経験のリソースは智慧を生む重要なリソースなのである。自信とは、自らの力目標を達成できるという信念であるが、その信念とは智慧の表象なのである。身体化された智慧や過去に目標を達成できたという認知的智慧が信念という形で結実し自信となるのであ。それ故、多様な経験は幅広い自信の源になる。一方で本来的な生き方によって齎される自分らしさへの自信という自己肯定感も自信にとっては大きな意味を持つ、世人に支配された生き方では心のどこかに本来的でないことに対する不安がつきまとい、自信が持てない場合が生じやすい。

纏めると以下のようになる。

自信とは経験と状況のリソースによって創発する智慧の表象である

本来的な生き方による経験と状況のリソースは、自分らしさという知恵の創発により自己肯定感を生む

この自己肯定感と、目標を達成できるという信念の創発が相まって自信を生むのである。

それ故、自信がある人とは

1多様の困難な経験を積んでいる

2本来的に生きている。

のいずれかもしくは両方を備えているのである。




2024年1月3日水曜日

人はなぜミスをするのか。

 新年を迎えて早々、能登で大きな地震があり大きな被害が出ている地震は自然災害である一方、東京の羽田空港では、北陸の地震の災害支援に向かおうとしていた海上保安庁の飛行機と日本航空の飛行機が滑走路上で衝突して炎上すると言う大事故が発生した、原因はまだ不明ながらこちらは恐らく人為的ミスである。自然災害は、誰もが仕方ないと思えるが、人為的ミスに関しては誰もが何故を問うことになる。ミスを導いた不適切な知識の生成がどう起きたのかはこれからの自過去原因の究明の中で明らかにされるだろうけど、意図的に衝突させたのでなければ、不適切な行為の背景となった知識生成があったことは間違いないだろう、知識はマルチモーダルに経験のリソース、状況のリソースなどによって構成される創発現象だから本当の理由を解明することは困難かもしれない。自然災害でも人為的ミスでも、多くの命が失われた。その痛みの経験が新たな知識を生んで、次の災害、事故での犠牲者が一人でも減ることをただ祈るのみだ。

まだ鳥ならば・・・


2024年1月2日火曜日

日本の心ゴーストインボディ倫理とは心を感じるものとの間に結ばれている絆である。

 年末にかけて、2023年の流行りものとしておにぎりがテレビでよく取り上げられていた、どうやら寿司の次はおにぎりと言うのは海外でも、広まりをみせているらしい海外でおにぎりといったら、小林聡美さん主演の映画かもめ食堂を忘れるわけにはいかないだろう、映画の中で、おにぎりは、日本のソウルフードと紹介される、さて、年末年始、伝統的な風習を通して、日本の心に多く触れる機会がある、では日本人の心とはなになのかと問われて明快に答えられる人はいないだろうそういう時はchat GPTに聞いてみよう

「日本の心」は、文化や歴史、価値観、伝統など多岐にわたる要素が組み合わさって形成される概念です。言葉や概念の解釈は主観的であり、異なる人々が異なる見解を持つ可能性がありますが、一般的に以下のような特徴が「日本の心」に関連しているとされています:

1. **和 (Wa):** 和は調和や平和を表す概念であり、日本の文化や社会において重要な価値観とされています。人々が協力し合い、調和を保つことが重要視されています。

2. **敬意と礼儀正しさ:** 礼儀正しさや他者への敬意が、日本の社会において重要視されています。相手を尊重し、謙虚であることが美徳とされています。

3. **季節感:** 季節の変化や自然の美しさが日本の文化に深く根付いており、季節感を大切にする考え方があります。これは芸術や文学、料理など様々な側面で表れています。

4. **美意識と精緻な工芸:** 日本の伝統的な美意識は、茶道や芸術、庭園など様々な形で表れています。また、伝統的な工芸品や建築物なども、繊細で美しいデザインが特徴です。

5. **忍耐と我慢:** 困難な状況に対しても忍耐強く、我慢強い態度が重要視されています。これは、武士道や禅の影響も受けたものと言えます。

ただし、これらの要素は抽象的な概念であり、個々の人の経験や見解によって異なる解釈が生まれることもあります。日本の文化や心は多様であり、時代とともに変化しています。

卒なく答えるよね~さすがAIである、中学生の冬休みの宿題の小論文ならもうこれで100点だ。

ついでに心はどこにあるのかも聞いてみた

「心」は、一般的には身体の中にあるとされていますが、その理解や定義は異なる学問や文化によって異なります。以下はいくつかの視点からの説明です:

1. **生理学的な視点:** 生理学的な視点では、心臓が血液を体中に送り、生命を維持する器官とされます。心臓は体内で重要なポンプのような役割を果たしており、これによって酸素や栄養が全身に供給されます。しかし、これは一般的に言われる「心」が指すものとは異なります。

2. **心理学的な視点:** 心理学的な視点では、「心」は意識、感情、思考、意志などの心の働きを指す概念です。この視点では、「心」は脳の働きと関連しており、個体の思考や感情の源とされます。

3. **文化や宗教的な視点:** 一部の文化や宗教では、「心」は身体の中にあるだけでなく、精神や魂とも結びついて考えられています。これらの文脈では、「心」は物質的な存在だけでなく、非物質的な次元にも関連づけられることがあります。

総じて、「心」は多面的で複雑な概念であり、異なる学問領域や文化において異なる解釈が存在します。物理的な器官としての心臓と、心理的な意味での心とは異なるものであることに留意する必要があります。

どうもchat GPTにもわからないらしい。

デカルトは心身二元論で明確に心と身体を分離してしまったが、それ以来間違った、「心」観が世を席巻してしまった。心は身体の中の幽霊になってしまったのだ。でも、それは、デカルトが悪いわけでは無い、何故なら、仏像に魂を入れる抜くといった儀礼は日本でも古くから行われているが類似の行為は恐らく世界中にある。心や魂という概念は人間の知能が共通に生むアブダクションなのであろう。知や知能のなせる業だとしたら、タコにも心や魂という概念があるのかもしれないし、タコよりも高度だと考えられる脊椎動物には心や魂があると考えた方が良いのかもしれない。倫理的であるという事は、他者の心を自分の心で想う事であるから私たちが心を感じるものとの間には倫理が成り立つのである。

おにぎりを日本のソウルフードだと言う小林聡美さんを想えばそこに日本人の心が在るのだ。ちょっとおにぎりが食べたくなった(笑)



2024年1月1日月曜日

私にとっての2023年、仕事とは何だ。

 2024 年あけましておめでとうございます。今年の抱負の前にまずは

2023振り返りから。

2023年は2019年末から始まったコロナ禍が私の中でも終わりを迎えた1年であった。コロナで在宅が始まり、毎日のリズムが変わり生活が変わって、2021年に脳卒中になり、長期のリハビリ入院と離職という大転換を経て、最後に、コロナに感染してまた入院となりコロナの治療が無事に終わって新しい装具も作って新たな仕事もしながら年末を迎えている。人生を振り返ったら記念の年になったに違いない。

2023年の元旦は僕の定義では仕事とはと、仕事について考えることから始まった、脳卒中のリハビリからいかに復職するかということが念頭にあるのテーマだった、後半にかけて実際に仕事をするなかで仕事の信念も協働と自立から先憂後楽へと、転換した。損得考えず、目の前の仕事に尽力する。しかし脳卒中サバイバーの障害者であることには変わりなく、脳卒中の再発を防ぐことがいちばん大事なことである。出来ないことにストレスを抱えるのでなく、再発を防ぎながら、出来る事で120%生きること、それこそがいまここにある自立だ。昔のようにストレスを抱えながら稼ぐというスタイルではない。

年初は「仕事とはみんなの問題をみんなで解決することである。
そして自分の問題を自分で解決するのは自立である。
そこには当然上手く行く人も居れば上手く行かない人も居る。
こういった結果論的事実が仕事における得手不得手という捉え方生み出しそれはジョブマッチングやさらに飛躍するとキャリアにおける天職という概念まで生み出すことになる。
しかし考えてみれば世の中にあるみんなの問題は無尽蔵だ。みんなでの解決も無尽蔵にある、だから唯一の天職なんてありえないのだ。誰とするかによってなにをするのかも変わってしまうのだから」。と、何を誰と成すかを考えて迎えた2023年であった。

一方、年末には、先憂後楽「見返り を 求め ず、 まず 相手 に 与える こと。 その 結果 として 自分 も 一定 の 成果 を 得る。(山田 昭男. 山田昭男の仕事も人生も面白くなる働き方バイブル (Kindle の位置No.130-132). 東洋経済新報社. Kindle 版.) それ が 私(山田昭男さん) の 考える「 仕事 の 原点」 だ。 中国 の 言葉「 先憂後楽」 は まさに そういう 意味。という信念に強く共感している自分がいる幸い、これまでのキャリアによって積み重ねた、必要とする人に与えられるものもあるのかもしれない。2024年はそれを自分の在り方として仕事をしていこうと考えている。出来ることを先憂後楽で120%やっていけば成果も得られるかもしれない。それが2024年の抱負である。