2018年2月27日火曜日

僕たちの時代が掘り起こされる意味

昔、サッカーボールといえば、白と黒のパッチワークみたいなものだった。

でも、今、サッカーの試合でそのデザインを見ることはほとんど無い。

あの白と黒は「僕たちの時代」のサッカーを象徴しているのだろう。

先日、ショッピングセンターで愛犬のおもちゃを選んでいた時、目に入ったのは「僕たちの時代」のサッカーボールを模したおもちゃだったけど、ひょっとしたら、企画製作した人も、購入者も皆、「僕たちの世代」なのかもしれない。

平野ノラさんがバブル時代を題材にし、高校生のダンス部が荻野目洋子さんの歌ででバブリーダンスを踊る。

「僕たちの時代」はいま、笑われる。

でも、笑うことで人は幸せになれるのだから、「僕たちの時代」はきっと誰かの役に立っているのだろう。

で、ね。サッカーボールが白黒パッチなのも、携帯電話がショルダーででかいのも、洋服が肩パットで怒り肩になっているのも「僕たちの時代」においては結果だよね。

一方、若い世代は「僕たちの時代」を新たな経験とし、格好いいダンスと組み合わせて新しい意味を与えてくれていることに、僕は感動すら覚える。

「僕たちの時代」が笑い飛ばされるのでなく、笑いを通じて掘り起こさている意味をちゃんと考えて見たくなった。


サッカーといえばこれ

2018年2月26日月曜日

インスタ映え してたのかしらん・・・

「インスタ萎え」と書いた筆が乾かないうちに今度は「インスタ映え」と書いて良いものやら・・・

僕のうちの犬はよく飛ぶ。

狭い家の中でもガンガン飛んでいて、だから、飛んでいる写真が多い。

幼いうちからよく飛ぶ子だとは思ったけど、大きくなってきてもあまり変わらないことにいささかびっくりした。

で、ね。もっとびっくりしたのは、飛ぶ犬は格好がいいのだ。

犬だけじゃないけど、4本の足が全て宙に浮く姿は、うまくできたラテアートのように見事で感動的ですらある。

さて、撮った写真をドコノコという動物のSNSにアップしたら、そのサイトがインスタに写真を再投稿したらしい。

僕はインスタのアカウントを持っているけど、インスタは若い人がおしゃれな食べ物シェアするステレオタイプ的先入観もあって家犬の写真を投稿することはほとんど無い。

図らずしも、家犬は5000人以上のフォロワーが居るインスタのアカウントに登場したわけだけど、あっという間に500以上❤️がついたのには驚いた。
ドコノコでも100ちょいだからね。

ちなみにドコノコのインスタはフェイスブックとも連携しているようで、そちらの「いいね」は50くらいだった。

だいぶ前に、同じ投稿でもインスタの方が「いいね」が多いと書いている人がいたけど、どうやらその通りであるらしい。


飛んで、飛んで、飛んで♪




2018年2月25日日曜日

インスタ萎え してきたなぁ

今日は東京マラソン。

僕の住む街は、マラソンのコースとなることもあって、多くの人出がある。

若者も年寄りも沿道に集まり、走る選手を応援するのが習わしだ。

そんな中、丁度、先頭集団が通り過ぎるタイミングに少し嫌な光景を見ることなる。

応援に駆けつけた人たちがまさに見ようと身を乗り出した瞬間、大会関係者の一人が立入制限のコーンを歩道側に押し下げたのだ。

ちょっと感じが悪い。

コーンの近くで見たり、写真や動画を撮っていた人たちは、誰も文句も言わず下がっていたけど、先頭が通る瞬間にやることじゃないと僕は心の中で思っていた。

昨日、丸の内で僕は家人と食事をした後、東京マラソン関連イベントに登場した芸能人にカメラを向けると、係員が「写真は禁止です」と声を掛けてきた。

すぐに従ったものの、目の前では、プロの撮影担当ではないイベント関係者がカメラで写真を撮っていて、これも後味が悪かった。

写真を撮るのは難しい。

被写体を上手に撮ることだけじゃなく、撮って良いのか悪いのかよくわからないことが多いからだ。

それは、撮影場所然り、被写体然り。

インスタグラムなどによって写真がソーシャルにシェアされる新しい世界に抗うのか、積極的に受け入れるのかはっきりしていないことが多い。

どんどん撮ってシェアしてください、などと言ったイベントにも少なからず出くわすからだ。

写真のシェアは楽しいけど、なんだか気疲れしてしまう。


この後、日本新!









身も蓋もない話

身も蓋もない言い方だが、レベルの高い人同士でないと成立しない信頼感や協力関係というのは確かに存在する。優秀な人の少数精鋭になったネットフリックスは、一部の「できない人」に足を引っ張られることなく、卓越した人材同士が信頼し合い、能力を余すところなく発揮できる場になっていたのである。

「仕事ができない人」を全員クビにした会社で起きた驚きの結果 より一部転載


僕はいろいろなクリップをエバーノートで整理している。

全部で2000件のクリップ、メモがあるのだけど、その中に「信頼」という言葉が出てくるのは1割、200件もある。

英語の論文もクリップしているので、reliability を混ぜたらもっと多いだろう。

それだけ「信頼」は多く場面で重要しされかつ課題にもなっている。

さて、「信頼」は「信用」と違って、頼る行為だ。

つまり「委ねる」概念も含まれる。

また、とてもプライベートな関係性でもある。

で、ね。冒頭の一文にあるように、信頼関係を持っている人は誰でも「身も蓋もない事実」を知っているよね。


身と蓋

2018年2月24日土曜日

メンバーの潜在意識から見た、望まれる3つのリーダー像

メンバーはどんなリーダーを望んでいるのだろうか。

データから、メンバーの特性をベースにリーダーに期待することを見ていくと以下の3つのリーダー像が浮かび上がってきた。

1.限界を知りその先を拓くために力を注ぐリーダー
2.チームワークをモチベーションにビジョンを語るリーダー
3.人をうまく使い上手に世渡りして果実を最大化しようとするリーダー

目的に向かって物事を極める志向のメンバーは1を、目的より仲間を大切にするメンバーは2を、何事も効率を優先するメンバーは3を望ましいリーダー像とする傾向があるのだ。

もちろん、メンバーそれぞれの中には、目的、仲間、効率が混在しているので3つのリーダー像がはっきりと別れる訳ではない。

そして、あくまでも「傾向」である。

で、ね。これからのリーダーは場面や相手に応じて、自分のリーダー像をコントロールし、自分のリーダー像を単純化、固定化してはいけないよね。

なぜなら、組織は、多様性と不確実性と予測不能性が確実に増していくからね。


いろいろやる

2018年2月23日金曜日

人間の資源を何に使うのか、考えてみよう

僕は一年に一回、大腸内視鏡の検査を受けている。

この検査を受けるには、前々日あたりから食事に配慮が必要であり、また、検査当日も薬を飲んで検査に備えるのだ。

だから、検査の日取りを決めると、次にその方法に突いてのレクチャーがある。

僕はもう何回も受けているので方法が変わらない限り説明を聞く必要がない。

この、説明を聞く必要が「コミュニケーションコスト」そのものだ。

僕は、検査されることに熟達したので「コミュニケーションコスト」は「0」。

でも、初めて検査を受ける人は、丁寧な説明と質疑が必要になる。

その場合のコミュニケーションコストは100(100点満点として)だよね。

で、ね。世の中、常にコミュニケーションコストが100だったら全く回って行かないと思うよね。

想像しただけでうんざりしてくる。

だから、社会性を高める為にはコミュニケーションコストを下げる努力が求められる。

そう考えると「1を聴いて10を知る」のは理想だ。

結局、コミュニケーションコストが下がるとその分、知恵を生み出せるので自然淘汰では有利である。

もちろん、コミュニケーションには人間関係を維持することにも重要な役目があるので単純にコストで考えちゃいけないけど、有限な人間の能力をどう使うのか、ちゃんと考えなくちゃいけないよね。


コストは?

2018年2月22日木曜日

「ちゃんと伝えたのに抜ける人」はこれからはすごい人なのだ

AIが進化すると多くの仕事が無くなると予想されている。

人間はAIに計算能力も記憶能力も太刀打ちできないからね。

じゃあ、人間はどうしたら良いのよ?となるわけだけど、答えは身近なところにあるのだ。

AIに出来ないことを考えれば良い。

例えば、AIは「飽きる」ことが出来ない。

地道に間違いなく、しかも高速に計算をするけど、「面白くない」と言って計算を放棄することは出来ない。

また、アクシデントを除いてど忘れすることも出来ない。

スマホによって同じ入力をしたデータが変わってしまうことも出来ない。

ちゃんと伝えたのに伝わっていない、なんてあり得ないのだ。

僕たちは、飽きたり、ど忘れしたり、勝手に思い違いをしたりする。

これからの時代、それがより僕たちの強みになる。

シンギュラリティが来て、相転移が起こると、僕たちの強みも相転移を起こすのだ。


相転移した世界





2018年2月21日水曜日

「インスタ映え」というキャッチワード

昨年の流行語大賞となった「インスタ映え」。

もはや、流行というより生活に定着した印象もあるよね。

例えば会社近くのお店では、ランチメニューを写真入りで並べているけど、「インスタ映えする!」とわざわざポップをつけていた。

ポイントは、食べ物を紹介するのに、「味覚」ではなく「視覚」だということかもしれないね。

それも、本人の「視覚」ではなく、友人や不特定多数の「視覚」だ。

そもそも、「味覚」って案外いい加減だったりするし、人間か取得する情報の多くは視覚情報なので、味を訴求するより効果が高いのだろう。

そして、一人より、複数の「視覚情報」である方が情報量は飛躍的に増す。

何が言いたいのかというと、「インスタ映え」とはネットワークを流通する情報量の多さを指し示すのだろう。

量的な指標にはならないけど、言語イメージとしては「視聴率」と一緒なのかもしれないね。


どうでつか?インスタばえ、ちてまつか?





2018年2月20日火曜日

真の変革者とは

仕事柄、色々な人材像を考えることが多い。

多くは、今、企業で求められている「人」の像だ。

その中の一つに「変革」というテーマがある。

文字通りで行けば、「仕事や組織を変える」ことであり、それを具現化する人材だよね。

さて、「変革」は結果だから「変革」するまでやり続ける必要がある。

これは継続する力、その中でもめげずにやり続ける力が必須だ。

じゃあ、どんな人がめげずにやり続けるのか、というとこれが一様ではない。

どんな苦難でも前向きに意味を捉えて歩を進める人もいれば、とにかく難しいことにチャレンジし達成することにやりがいを感じる人もいる。

前者は苦手なことにも向き合う態度、後者は強みが生かされる適性だ。

もちろん、これ以外のパターンもある。

論理的な視点から現状を変えるにはロジカルさの能力が欠かせない。

何をどう変革するのかによっても態度なのか適性なのか能力なのか異なってくるよね。

で、ね。変革に必要なのは、今までと違う新しいことを生み出し形にする習慣だと思うね。

「生み出し形にする」ところは、態度であっても、適性であっても、能力であっても、それらの組み合わせであっても良い。

実際、変革者には、自らの感性を譲らない人も超ポジティブな人もすごい天才も居る。

共通点は変革したこと、だ。

でも組織における人材像として考えれば、ある企業で生存可能(好まれる)な変革者は限られるのでしょう。


変革者たち







2018年2月18日日曜日

「聞く」 なぜ? そして何のため?

僕はオリンピックを見ないけど、昨日の羽生、宇野の金銀メダルは見ざるを得ない。

だって、テレビをつけていれば必ず出てくるからね。

さて、今朝、あるテレビを見ていたら、羽生選手、宇野選手が生出演するシーンがあった。

アナウンサーと解説者が両名を迎えたのだけど、アナウンサーの聞く力に多いな疑問を感じざるを得なかった。

「聞く」行為とは、相手に参与し相手から話を引き出すこと、であり、自分のことは話さない、行うのは「問う」ことである。

背景知として、事前に相手の略歴、現在の状況などの情報得て、相手にさらに深く興味を持つことが求められる。

で、ね。今日のアナウンサーは自分の喜びを多く語ってしまった。

「聞く」行為ができなかったのだ。

おそらく、興奮して舞い上がっていたのだろうけど、喜びを多くを語りながら「問う」ていないことに気づいたのか、あらんことか、質問の振り先が解説者という不手際まで重ねていた。

僕も上手く聞けていない時、話すぎている時の振り先は、相手よりも身内になる方が多い。

「しまった、助けて!」という潜在意識があるのだろう。

皆がどう感じたかはわからないけど、職業アナウンサーとしては、出直しレベルだと思う。

で、ね。「聞く」という行為はセルフマネジメントでもあるよね。

そして、傾聴(Active Lisetning)とは想いのままに生きるのことより豊かに生きるための知恵ってことなのだ、と思うよ。


聴いてる?


2018年2月17日土曜日

仕事は引き算? 何が仕事を増やしていく

「写真は引き算」と言われる。

余計なものを取り除くことで主題を浮かび上がらせ見る人の印象に強く刻むのだ。

リアルな空間に対する人の認知能力は、余計な情報を勝手に削除するのだけど、平面に描き出されたものはそうもいかないのだろう。

さて、仕事をしていると、なんだかんだいろんな仕事も増えていくことに気づくよね。

もちろん増える理由はあるのだけど、写真で言えば、心が動かなくなる図式だ。

法規制など外的な要因もあるけど、増える理由の多くは仕事を行う内部的な要因だろう。

例えば、管理のための資料などがそれだ。

また、管理のためにデータを入力することでも仕事は増えて行く。

管理のために人を配すれば仕事が増えるだけでなく人も必要になる。

このようにして出来上がるのは、印象に残る主題でなく、ドン・キホーテの圧縮陳列みたいな仕事の風景だよね。

多くの場合、より良くするための仕事が増えるわけだけど、仕事を増やすにあたってより良くするのだという信念がないと増えて行く仕事に不安も増していく。

で、ね。その不安がまた仕事を増やすのだよね。


増えていく









人間が丸くなるってどういうこと?

僕たちの脳は問題を認識するうえで閾値を持っているよね。

そして人によってこの閾値は異なる。

ある人は「これは問題だ」というけど、他の人は「え?何で?」と感じるわけだ。

問題と考えるのは脳の働きだけど、その脳自体が閾値を持って活動しているからかもしれない。

でも、この人によって問題と捉えるレベルが異なることは色々な面で新たな問題を生み出す。

僕たちは問題自体を問題と捉えるメタ思考を行うからね。

さて、ある人が問題だと考えるけど僕がそう思わないときはどうすれば良いのだろうか。

「それって問題?」とか「何が問題なの?」と問いかけるのが一番シンプルだけど、一方で、問われた人にとってはその「問い」自体が新たな問題になるわけ。

で、ね。新たな問題を生み出さないよう、そこに問題があることにしてあげたりするのだけど、それは僕にとって新たな問題を生むことになるよね。

結局、自分自身の問題を最後に解決することが一番丸く収まる。

丸くなるってそういうことなのかしらん。


丸

2018年2月16日金曜日

「習慣」って何だろう その作り方と本当の「習慣」とは

Be careful of your thoughts, for your thoughts become your words;
Be careful of your words, for your words become your deeds;
Be careful of your deeds, for your deeds become your habits;
Be careful of your habits; for your habits become your character;
Be careful of your character, for your character becomes your destiny.

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。

性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。 

マザー・テレサ


まずは思考を変え、納得したうえで、行動を変える。そのサイクルを繰り返すうちに、頭で考えなくても無意識に行動できるようになる。それが「習慣化」された状態だ。

では、続けたい行動は、どれくらいの時間続けたら、それをすることが当たり前な「習慣」に変わるのかだろうか。それをまとめた記事によると以下の通りである。

「1ヶ月」続ければ習慣になります
読書 出典:img2.blogs.yahoo.co.jp
整理整頓 出典:blog-imgs-19.fc2.com
日記 出典stardustsdiary.blog.fc2.com
行動は「1ヶ月」続ければ習慣になります(行動習慣)
その他の行動習慣:勉強、家計簿など

 「3ヶ月」続ければ習慣になります
筋トレ 出典:www.nst21.com
ダイエット 出典:aieps.blog92.fc2.com
早起き 出典:minkabu.jp
身体の慣れが必要な行動は「3ヶ月」続ければ習慣になります(身体習慣)
その他の身体習慣:ジョギング、禁煙など

 「6ヶ月」続ければ習慣になります
プラス思考 出典:www.amazon.co.jp
論理思考 出典:www.amazon.co.jp
ものの考え方や思考法は「6ヶ月」意識して続ければ習慣になります(思考習慣)

まとめ
 習慣化にかかる時間
○行動習慣:1ヶ月
読書、日記、整理整頓、勉強、家計簿など
○身体習慣:3ヶ月
ダイエット、運動、早起き、禁煙、筋トレなど
○思考習慣:6ヶ月
プラス思考、論理的思考など


さて、僕は、習慣とはいつでも軽く心地よい気持ちで起こせる行動のことだと思う。

つまり、心的な抵抗感なしに行動が起きることだ。

だから、毎日続いていることが重要かというとそうでもないと感じる。

で、ね。例え毎日続いていてもなぜこんなことをしなくてはならないのかと感じることは習慣になっていないから、どこかで終わりを迎えるよね。


毎日軽やか



2018年2月15日木曜日

大学生って・・・なに?

「大学」に関する記事を2つほどピックアップした。

「大学って必要?」浪人までした女子大生に我慢の日々

勝間和代「奨学金返せず親子で自己破産」に苦言 「誰にでも奨学金を出すシステムが間違っている」「仕組みそのものが破綻」

大学に入ったけど面白くなくて我慢している、と言う記事。

まあ、本音なのだろうけどそう感じる人はおそらく入学した時のまま、卒業するのではないかな。

やはり受け身で環境のせいにしている印象が強いです。

この人は親からお金を貰っているから就職後に返済は無いかもしれないけど、奨学金を借りていると返済が待っている。

高い学費は、就職後に返済できる金額じゃ無いというのが勝間さんの論だね。


じゃあ、何で大学生になるのだろうか?

板書が下手で話も分かりにくい。

師を越えようと学ぶのでなく食レポの評価よろしく見下すこの感覚では、大学は永遠に面白く感じられないだろうし、そんな面白く無いことに耐えても学費を返せる就職口も無いから、もっと面白く無いかもしれない。

で、ね。じゃあ当人はどうするか、だよね。

我慢すること無しに大学生活でもいいし、大学ではない生活でもいいから前向きなれる面白さを見つけて打ち込めば良いと思うよ。


光明を



2018年2月14日水曜日

走る、走る、俺たち

僕の犬はジャックラッセルテリアという活発な犬種だ。

生後1年とちょっとということもあり、ただいま育ち盛り、元気一杯です。

彼はワクチンによる抗体がなかなかつかなかったこともあり、外を散歩出来るようになったのは、生後半年過ぎてからとかなり遅めの散歩デビューとなった。

そのせいもあってか、実はあまり散歩が好きでない。

そこで、散歩と言うより調教を意識した正しく歩くトレーニングだと思って毎日「散歩」しているのだけど、その効果で最近はよく「散歩」出来るようになった。

そんな彼は以前から家に向かって帰ると走り出すところがある。

付き合って僕も50mくらい一緒に走るのだけど、これがまた良い運動だ。

さて、数年前、僕は健康のために毎日走っていた時期がある。

と言っても、30分くらいジョギングよりちょい早い程度のスピード、約6kmほどの距離だった。

走る習慣が身についてくるとだんだん、走ることが楽しくなり、しばらく続いたのだけど、新しいランニングシューズの入手とともに僕のランニングブームは去ってしまった。

今となってはなぜ去ったのか、その理由もよく覚えていない。


僕はランニング人口に入っていないので関係ないけど日経グッディの「有森裕子 ランニングブームの「曲がり角」を考える」によるとここ数年ランニング人口は減っているらしい。

でも一方で、僕の友人は長年参加している大会に応募が殺到して参加できなかったそうだから、一部の熱狂的なランナーは増え、ランニング人口の構造も変わってきているのだろう。


僕は愛犬と走っていて、やはり走れることは素晴らしいと感じている。

正月に尻餅で尾てい骨をしこたま打って半べそかいて犬と走った時は、心底、全力で走れる素晴らしさを知った気がした。

「走る」行動は、肉体的なことのようだけど、実は心理的な面が大きく影響しているのだろう。

肉体が走れなくても心が走っている人も沢山の居るに違いない。

で、ね。肉体的に走れなくなった時こそ、自分の「心」に問いを起こすタイミングなのかもしれないね。


ひーっ・・・



2018年2月12日月曜日

あなたは長期で張りますか?短期で張りますか?

このところやたら転職サイトの宣伝が多い。

有効求人倍率が高止まりしていて景気に支えられた企業の雇用意欲が強いのが強く影響しているのだろう。

さて、転職サイトのコピーは、大概、「転職するとより良くなるよ」と言った感じだよね。

でも、実際にそうだろうか?

30代半ばまでは、転職により給料が上がり易いけど、それ以降は、転職により給料が下がると言われている。

つまり、多くの場合、職場や仕事への熟達が人材の価値となっている。

もちろん、真のハイパフォーマーはこの限りではない。

しかし、多くの人にとって、職場、仕事への適応、熟達はパフォーマンスを支えているのだ。

そして、30代半ば以降は、経営にコミットメントするか否かが問われるタイミングでもある。

さて、キャリアを戦略で考えるとしたら30代半ばまでは短期で張り、それ以降は長期で張るのが良いように思えるけど、いきなり新しい組織で熟達できるものでものない。

結局、形成された「転職」コンピテンシーがキャリアの中で発揮され続けるのだ。

それでもキャリアを戦略でなく生き様と考えれば何ら問題はない。

自分の生き様を貫けば良いのだ。


春が来た



2018年2月11日日曜日

相撲協会と貴乃花親方の件を組織論で考えてみた

相撲協会と貴乃花親方の一件を組織論とコミュニティ論から考えて見よう。

日本的経営の特色が、終身雇用、年功序列、組織内労働組合(労使協調)と言われた1970〜80年代に比べ、その色彩は弱まっているものの日本における伝統的企業の多くは現在でもこの特色を持っている。

相撲協会もそんな組織に思える。

つまり、相撲の世界で精進し長く頑張った者ほど組織において優位な立場に就くことができる。

つまり、長期の帰属と組織への同調が組織を維持する構造だ。

一方、今回の貴乃花親方の言動からは、離反的帰属、否定求心力、破壊的平等主義が見られるだろう。

長期の帰属がある一方で、組織への同調が無い状態だ。

組織を維持する流れを否定し変革を起こしたいのだろう。

しかし、そこには破壊的イノベーション(C.クリステンセン 1997)とは異なる組織への強い依存志向(現状とそれを否定することで存在し得る共存性)があると思われる。

また、破壊的イノベーションを司る組織には、新たな目的に向けて革新的求心力、高速組織学習(棄却と学習)、統合的疎通が働くけど、今回の貴乃花親方の言動からそのような動きは感じられない。

では持続的イノベーションかと言うとそれも違うだろう。
事業よりも自組織を攻撃する目的が強くより良い価値は生み出されていないからだ。

つまり、今回の一件を組織論で捉えると組織体質の変革ではなく、個人的な義憤の域を出ていない。

故に、協会が組織運営の基礎であるアカウンタビリティ(説明責任)に則り、コンプライアンスとガバナンスを適正に運用すれば、貴乃花親方に立つ瀬はない。(実際に、そうなっている)

パワハラ、傷害事件を起こした当人への協会の対応は行われその責任を負わせている。

今日、いかなる組織も社会的存在として、社会の公器である以上、アカウンタビリティを果たさずに済む組織は無い。


では、コミュニティ論で捉えるとどうなるだろう。

ある種、「相撲」の世界は「縁」が強く働いているから、産業組織と捉えるよりも、コミュニティ的色彩が強いと思われる。

貴乃花親方は地縁、血縁にある慣習や掟に挑む者だ。

そこにはコンプライアンスやガバナンスによるアカウンタビリティは無い。

コミュニティ内部で起きた問題は固有の方法で解決される。

自らの鍛錬で横綱の地位を勝ち取った貴乃花親方にとって見れば、強い信念と意志があれば慣習や掟も変えられると思ったのかもしれない。

今回の一件は、自分が属する集まりを組織と捉えているのか、コミュニティと捉えているのかのズレにより生じているように思える。

このズレ、実は日本社会のいたるところにあるのではないだろうか。

雇用契約云々の前に、「組織で働くこと」への無理解がとても多いなぁと感じることが少なくないからね。


&










2018年2月10日土曜日

僕はオリンピックを見ない

スポーツと政治。

建前でスポーツは政治と無縁だけど、現実はありとあらゆる場面で強く結びついている。

ドーピングだってそうだし、今回のやつもベタベタに政治利用されている。

スポーツを心技体の純粋な鍛錬と考えれば、純粋さを利用しているに過ぎない。

元々、オリンピックはずっと国威掲揚と内政から目を逸らす目的に使われてきた歴史がある。

一方、利用される事でスポーツが優位な立場を得ようとしているのも見え見えだよね。

以前、ボイコット問題で選手が涙を流していたことがあったけど、あれはあまりに無知だ。

そしてさらに金メダルで国民栄誉賞とかもう、共犯者以外の何者でもないでしょ?

で、ね。僕はそんな共犯者になりたくないから見ないのだよね、オリンピック。


裏とか裏の裏を考えてしまうのはうんとつまらなし、生きている人をレジェンドとか言うマスコミは訳がわからない。


裏がある






2018年2月9日金曜日

「育てる」のは誰の役目?

育児にしても、人材育成にしても対象者を育てる関わりは必須だ。

その時問われるのは誰が「育てる」のか、ということだね。

親業とか人材育成担当者ではそれは役割を持った人の「役目」ということになる。

自分が育てたいと思う人が役割を買って出ることもあるだろうし、仕方なく役割を引き受ける人もいるだろう。

社会から「育てるのが当然」と決め込まれてしまっていることもある。

で、ね。理想的には「育てる」関わりが上手い人が良いのだろうけど、反面教師のケースもあるから、一概にどれが良いとも言えないよね。

人を「育てる」関わりはとても大切なことで、僕はある成長段階を越える必要があると考えている。

その成長段階とは「自らを成長させる」段階だ。

「誰かの役に立ちたい」の先にある「自ら変容を受け入れ自分を成長させる」、他人の力を借りながら成長を自分事として向き合う、そのレベルに無い人は、結局、自己満足の世界の住人だものね。


さあ、どう育てる?




データギャングにならないように!

AI(というかMachine Learning)もデータマイニングもその本質は「数学」だ。

だから、全ては数字と演算子の組み合わせで、その原理を理解すればAIが意味を理解出来ないことがすぐ分かる。

単純な話で、電卓で1+1=2と計算するとき、電卓はなぜ1+1を計算するのかその意味を問うていないのと同じ。

一方、1+1の意味を問うのは「哲学」だ。

僕たちは、時に数学と哲学の境目を見失う。

AIが賢いと感じてしまったり、データが世界を変えると考えたり。

真に賢く、世界を変えるのは、AIやデータ、データ分析を通じて「豊かで幸せな社会や人生の追求」と言う哲学だよね。


さて、データ分析の結果報告を受け入れ難い人が居る。

そして大概それらの人たちは、「ありたい結果」を待ってる。

何が受け入れ難いのかと言えば、データが導く「結果」だ。

僕が思うに、きっと自分の欲しい「結果」以外はその人の哲学に反するのだろう。

例えば、社内説得などもそれにあたる。

社内の人を傷つけず興味関心、そして理解と動機を作ってくれるのが説得のシナリオにとって最もよい結果だからね。

「豊かで幸せな会社員生活の追求」と反する結果は受け入れてはいけない、きっとそう言うことなのだ。


AIにもデータマイニングにも根本原理を追求する哲学は無い。

ゆえに、僕たちに新しい世界を見せてくれる。

で、ね。AIやデータマイニングの結果に向き合う時は自らの哲学にも向き合わなくちゃいけないのだよね。

そうしないと、価値を生み出すのでなく価値を収奪することになっちゃうよ。


俺らデータギャング?

2018年2月7日水曜日

明るく、仲良く、元気よく 問いを阻む関係性

人が集まる場の理想をどのような状態とするのか。

これは、何を目的とするのかによって違ってくる。

例えば、皆が「明るく、仲良く、元気よく」集える場の実現を目的とすると、「このままで良いのだろうか?」という問いは封印されてしまう。

なぜなら、「このままでいいの?」と言った瞬間に場は凍りつくからね。

アメリカでポジティブなマインドセットが持て囃され、ポジティブ疲れが表面化したように健全なマインドセットとは、ポジティブとネガティブの往復なのだろう。

だから、「これでいいのだ」と「このままでいいの?」が交互に訪れるのが望ましい。

「問いの無い世界」には、学びも成長も無い。

僕たちが目指すのは、「問いを起こせる世界」であり、それは、学びと成長、時に、衝突、葛藤、混沌そして悶絶を欠かすことが出来ない。

衝突、葛藤、混沌そして悶絶をオラクル(ご神託)とするのか、それとも、不快で避けるべきブラックなこととするのか。

で、ね。「生きる」と感じるのか「生きにくい」と感じるのかの境目はそこにあるよね。


明るく、仲良く、元気よく



2018年2月6日火曜日

思えば遠くへ来たもんだ ブログ開始6年目記念日

毎朝、犬と散歩をするのだけど、休日は大きな橋を通り、河を渡ってその先にある公園まで少し遠出をしていた。

散歩はあまり得意そうではないけど基本、元気な犬なのでストレス発散させるために運動量を増やしたのがきっかけである。


さて、最初は遠かった公園までの道のりも、慣れてくると遠さを感じなくなってくる。

やはり、自然の環境で落ち葉や草などいろんな物の匂いを嗅いだり走り回ったり、他の犬と接触するのは嬉しそうで、その様子を見ていると少し遠くてもつい連れて行ってあげたくなるからね。

そうやって、毎日続けることで新しい習慣が生まれる。

この「新しい習慣」には「続く」と「広げる」の2つの側面がある。

日課であり、越境だよね。

僕の犬はすれ違う犬に吠え掛かるけど、去勢したので匂いつけをしない。

でも、犬には本来、縄張りがあって、オスは見回りと匂いつけが日課で、逆に、誰かの匂いにする地域に入る越境行為は、それなりにチャレンジであるはずだ。

そう、「新しい習慣」は自分を変えることと、新たな関係性を生み出すことに繋がっているのだ。


今日で、このブログが6年目に突入した。

日課としてよく続いているなぁと僕自身も思う。

また、少しづつだけど越境もしている。

だから「新しい習慣」としてよいのでしょう。

越境した時のブログはページビューも増えるから、僕にとっての新鮮な挑戦はきっとこのブログを見てくれる人にもほんのちょっとだけ気になることなのだろう。


えっ今日? 越境中







2018年2月5日月曜日

美しきスポ根? 事実よりも真実が好きな人たち

短距離走100m1位、フィギュアスケート金メダル・・・

世の中で誰が見てもわかる順位は数値で決められる。

数字は客観的な事実だ。

一方、概念や思いは数値で表せない。

「おもてなし」ランキングは数値化できるかもしれないけど、「おもてなし」そのものを「789」みたいに表現することは出来ないからね。

さて、数値は客観的な事実であるのに対して、概念や思いは語る人にとっての真実だ。

ある人が言う「おもてなし」と他の人が言う「おもてなし」はふつうに一致しない。


統計手法では、概念や思いといった定性情報を定量的に扱い、客観的な事実として観察したり比較することが出来るのだけど、概念や思いの世界に住む人は、そもそも数値表現と一線を画す傾向が時にあるように感じる。

最初は真実、次は事実、という風に切り分けてしまうのだ。

その癖が、例えば、スポーツでは根性論を生み出すのではないだろうか。

強い精神力と厳しい鍛錬により金メダルを取る、というのは一見、矛盾がないけど、事実に至るには真実が必要であると物言わずに語っている。

一方、事実を積み重ねて結果という事実に至るほうが合理的であることは言うまでもない。

俗に「科学的」と言われるアプローチだけど、そのほうが良い結構を残しているよね。

概念や思いは心にとって魅力的だけど、数値は向上への道標だ。


青い思い


2018年2月4日日曜日

コンテンツを疑え 正しい使い方と間違った使い方

錯視の絵をみて何が見えるかからその人の性格を判定する。

ネット上にはそういったコンテンツが満載だ。

先日も家人から「これ、男性と女性とどっちが見える?」と聞かれたけど、僕はパッと見ると男性、じーっと見ていると女性に見えた。

「男性が見えると・・・」という説明を聞いたのだけど、その手のものは信頼していないのですぐに忘れてしまった。

この手の隠し絵で有名なのは「妻と義母」だね。

どっちに見えるかは年齢と関係があるという話もあるけど、これも確かじゃない。

ロールシャッハテストもそうだけど、図版を見て何が見えるかは、視覚の認知によるものだけでなく、背後に性格、精神疾患などの心理要因が潜んでいると考えられることが少なくない。

人固有の認知と理解、言語化の連鎖するプロセスを、思考や行動の一貫する傾向性と同じものであると捉えているのかもしれない。

コンテンツを通じた対話であれば良いのだけど、何に見えたかでその人のことを決め込んだりラベルを貼ってしまうことは絶対に止めたほうがいい。

それは、僕たちの豊かで柔軟な思考を停止させ、狭く硬直化させるものだ。

だから、決めつけやラベル貼りをするコンテンツに唆されてはいけないよね。


何が見えるか、よりも見えたことを対話すること


チームワークというオラクル

2013年2月6日からこのブログを書きはじめたのでもうすぐ丸5年になる。

考え書きだすこと、それを習慣にすることの意味を自らに問うためにはじめたのだけど、常々、思考の足りなさ、書くことの拙さと向き合うことになった。

しかし、中には気に入ったものもある。

例えば、
数式と神託 反転する自己と世界のものがたり
は、もう4年前のものだけど、今読み返しても新鮮に感じることができる。

その文章の中には「死なないための住宅」という表現が出てくる。

先日、会社でチーム作りワークショップを行った際、理想のチームとして、ふと頭に浮かんだのがこの「死なない」というフレーズだった。

言葉をもう少し正確に覚えていれば「死なないためのチーム」とすれば良かったと、その後に思い返したのだけど、僕にとって、理想のチームとは生きることの当たり前に気づくオラクル(ご神託)であるのだろう。


朝、犬と一緒に散歩をすると色々なことに気づける。

例えば、引っ張ったり、引っ張られたりという生命の引き合い、走ることで感じる身体の感覚など、おそらく、一人で歩いていてはわからないことだ。

チームワークやチームビルディングもまさに同様で、一人仕事ではわからない、でも生きることの当たり前を教えてくれるオラクルなのだろう。


オラクルカード

2018年2月3日土曜日

集う喫茶店、別れる喫茶店 自画持参 がちゃトークより

昨晩は、今年初めての自画持参、がちゃトークだった。

僕が行くのは遅くなったのだけど雑談で盛り上がっていて始まったのはだいぶ遅れてトークも1つだった。

トークのテーマは「喫茶店」。

スピーチをした長岡先生によると、喫茶店は常連が居るイメージでちょっと敬遠してしまうとのこと。

喫茶店は「常連さんが集う場所」ってことだね。

一方、僕がトークテーマを考えていた時は、「学生街の喫茶店」とか「ハローグッドバイ」といった昭和歌謡曲が頭の中で流れていた。

で、これらの歌詞を改めて眺めると、別れた二人の思い出の場所といった内容だ。

喫茶店は「別れた二人がかつてよく通った場所」ということである。

どちらも人が集う場所であることに違いはないけど、親密感が漂うのが似ている。

この、喫茶店もしくはカフェと親密感の関係は、新参者にとってあまり心地よいものではない。

長岡先生は、常連客感の薄いチェーン店の喫茶店の方がよろしいと話されていた。


どのような場所でもある一団が場を占めるとそれ以外の人は何だか気になる。

その一団が盛り上がっていたり、すごく親密そうだともっと気になる。

騒がしかったりすると気に障る。

喫茶店のマスターは店の支配者だから、「支配者とその従者」みたいな喫茶店によそ者が似合わないのは、古い西部劇で一目瞭然としているよね。

大概、緊張感が漂い、打ち合いか喧嘩が始まるもの。

で、ね。気の効いたマスターや常連さんであれば、場を占めずに迎い入れるだろうし、それは、喫茶店で即物的な小さなコミュティマネジャーの役割を果たすことと言えそうだね。


さて、どうしよう

2018年2月2日金曜日

強い謙虚さと弱い謙虚さ

【謙虚さ】

”おごり高ぶることなく、控えめな態度で人に接するようなあり方。謙虚であるさま。”
Weblio辞書 より

成長する人にとって「謙虚さ」は欠かすことの出来ない性格特性だ。

しかし、組織で活躍するための「謙虚さ」とは「控えめな態度」を指していない。

「控えめな態度」が弱い謙虚さだとしたら、求められるのは「強い謙虚さ」である。

では、「強い謙虚さ」とは何だろうか。

僕は、それは「行動を支える強い信念を刷新する態度」だと思う。

そして「見つける」「まずやって見る」「やり続ける」、そして「変える」という成長のスパイラルを回すドライバだ。

経験学習サイクルであったりリフレクションを持続的かつ自律的に行う原動力でもある。

で、ね。「変える」が出来ない人は組織にとってみれば人的資源として消費されるもの(代替が出来るもの)だけど、出来る人は 人的資本で価値を高めるもの(替えが効かないもの)であることも忘れちゃいけないよね。


強いけど謙虚



2018年2月1日木曜日

意図を知ることの難しさ

以前、マーケティングの仕事をしていた時、問題になったのは、消費者は自分の欲しい物を知らないと言うことだった。

目の前に商品があれば、欲しい、欲しくないは判断できるのだけど、今は存在していない商品で、どんなのが欲しいですかと聞いても答えられないのだ。

でもそれは当たり前で、具体的な要不要が消費活動であるのに対して、欲しい物を考える事は生産活動だからね。

だから、どんな物なら欲しいですか?と消費者に問う事は、マーケッターが自分の欲しい物を考えることと大差ない。

スティーブ・ジョブズはいわゆる消費者のニーズ調査を嫌っていたと記事で読んだ記憶があるけれど、ソニーのウォークマン同様、自分の欲しいものをまずは言葉に出来る事って実はすごいことなのだ。

で、ね。要は自分自身の意図を知ることは易しくないよね。

だから、他人の意図を知ることはもっと易しくない。

もっと言えば、「意図を知るため」には、まずは出来るだけ多く自分の意図を言葉にし続ける必要があるのだろう。


モヤモヤ