相撲協会と貴乃花親方の一件を組織論とコミュニティ論から考えて見よう。
日本的経営の特色が、終身雇用、年功序列、組織内労働組合(労使協調)と言われた1970〜80年代に比べ、その色彩は弱まっているものの日本における伝統的企業の多くは現在でもこの特色を持っている。
相撲協会もそんな組織に思える。
つまり、相撲の世界で精進し長く頑張った者ほど組織において優位な立場に就くことができる。
つまり、長期の帰属と組織への同調が組織を維持する構造だ。
一方、今回の貴乃花親方の言動からは、離反的帰属、否定求心力、破壊的平等主義が見られるだろう。
長期の帰属がある一方で、組織への同調が無い状態だ。
組織を維持する流れを否定し変革を起こしたいのだろう。
しかし、そこには破壊的イノベーション(C.クリステンセン 1997)とは異なる組織への強い依存志向(現状とそれを否定することで存在し得る共存性)があると思われる。
また、破壊的イノベーションを司る組織には、新たな目的に向けて革新的求心力、高速組織学習(棄却と学習)、統合的疎通が働くけど、今回の貴乃花親方の言動からそのような動きは感じられない。
では持続的イノベーションかと言うとそれも違うだろう。
事業よりも自組織を攻撃する目的が強くより良い価値は生み出されていないからだ。
つまり、今回の一件を組織論で捉えると組織体質の変革ではなく、個人的な義憤の域を出ていない。
故に、協会が組織運営の基礎であるアカウンタビリティ(説明責任)に則り、コンプライアンスとガバナンスを適正に運用すれば、貴乃花親方に立つ瀬はない。(実際に、そうなっている)
パワハラ、傷害事件を起こした当人への協会の対応は行われその責任を負わせている。
今日、いかなる組織も社会的存在として、社会の公器である以上、アカウンタビリティを果たさずに済む組織は無い。
では、コミュニティ論で捉えるとどうなるだろう。
ある種、「相撲」の世界は「縁」が強く働いているから、産業組織と捉えるよりも、コミュニティ的色彩が強いと思われる。
貴乃花親方は地縁、血縁にある慣習や掟に挑む者だ。
そこにはコンプライアンスやガバナンスによるアカウンタビリティは無い。
コミュニティ内部で起きた問題は固有の方法で解決される。
自らの鍛錬で横綱の地位を勝ち取った貴乃花親方にとって見れば、強い信念と意志があれば慣習や掟も変えられると思ったのかもしれない。
今回の一件は、自分が属する集まりを組織と捉えているのか、コミュニティと捉えているのかのズレにより生じているように思える。
このズレ、実は日本社会のいたるところにあるのではないだろうか。
雇用契約云々の前に、「組織で働くこと」への無理解がとても多いなぁと感じることが少なくないからね。
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