2021年5月31日月曜日

人と組織のブラックボックス問題を解決せよ

 全てのゲームには「モンダイを解決せよという命令」が与えられている。

命令を果たすと達成感という内在する報酬や、金銭などなんらかの外的な報酬を得ることができる。

だから僕たちはゲームをしたり、観たりするのが好きだし、さまざまな「モンダイ」をゲーム化することも好きなのだろう。

そこで今晩の僕の思考ゲームは「人と組織のブラックボックス」だ。


戦略的人的資源管理論において人的資源管理と企業業績の因果関係はずっとブラックボックスであると言われてきている。

様々な説明要因を用いて解明しようと取り組まれてきたけど景気や法令など日々複雑に変化する経営環境などもあって理論的基盤は確立できていないのだそうだ。

つまり、採用や人材育成などの人事施策、そして評価や報酬などの人事制度などによって企業業績がどれだけプラスされたのか(もしくはマイナスになったのか)は説明がつかないのである。

そもそも外部環境の変化以前、人は根本的に機械と違って特性や価値観が多様だし組織になれば複雑な相互の関係を持つから解析できない、というのが実際なのかもしれない。

また、企業活動において条件を統制した比較実験をするわけにもいかないから施策や制度の効果を正確に測定することは無理である。

では、因果関係がわからないのになぜ、企業は戦略的に人的資源を管理したりタレントマネジメントを行おうとするのだろうか。

逆に、何を根拠に人事施策や人事制度の優劣や良し悪しを語っているか、僕はとても不思議に感じる。

時に政治的な判断にも思えるね。

それは職場の人間関係がギスギスしているより良好な方が働く人にとっては好ましいかもしれないけど企業業績が下がったらそうも言ってられず、リストラがはじまる。

ギスギスしているけど業績は右肩上がり、なんていう企業も世の中に少なくない。

結局、企業は人的資源管理と企業業績の全体的な因果関係より、実務ごとの部分解に向き合わざるを得ないのかもしれない。


さて、僕がこのブラックボックス問題に向き合うとしたら哲学の善の概念「未来の人々を含め人間の協調する空間を増やすこと」(マルクス・ガブリエル)、が役立つと思う。

SDGsのような包括的な枠組みも思い浮かぶけれど、身近な人と組織においては「協働意欲」が善の概念である。

「協働意欲」は、

  1. 主体性のある存在感
  2. 自律した行動傾向
  3. 誠実で他者を敬う態度
  4. 他者を傾聴し対話する感情統制

と分解することが出来るだろう。

「協働意欲」は多様な特性や価値観を受入れ、複雑な相互の関係を良くする。

そして、今日、企業の社会的責任において「善」がより強く求められ、「善」に背いた場合には社会的な制裁を受けることを考えれば、企業業績という短期的な視点よりもっと重要な企業の存在意義そのものであると言えるのかもしれない。


確かに業績には運不運もあるから戦略的人的資源管理論と企業業績の因果関係、ブラックボックス問題を解決することはいっそう難しいのかもしれないけど、僕の直感では「善」の組織と企業業績の因果関係は容易に解明できるものだ。


協働意欲



2021年5月30日日曜日

人であることの意味を生きる

人はなぜ働くのだろうか

人はどう働くのだろうか

人はどうあるべきなのだろうか

人はなぜ悲劇を招くのだろうか

人はなぜ本質に目を向けられないのだろうか

人はなぜ物語から力をもらうのだろうか


僕の先週のブログタイトルを書き直すとおそらくこうなる。

人が人であることを考えるとき、そこには不思議や不条理が溢れている。

それが「人らしさ」であることを批判する気もないけれど、やはり僕は問いを起こしていきたい。


それは僕が人であることの意味だからね。


(月)人ありきか仕事ありきか
僕が研究会の報告を聞きながら昔の問いを思い起こしたのは、もしかしたら同じ要素があるのかもしれないね。

(火)人に残されるもの
きっと、今もそしてこれからも僕たちに残されているのは、自律し意味をうみだすことだけなのだろう。

(水)「あるべき」で周回遅れになっていく日本
「あるべき」に拘って周回遅れを招いていながら、生産性が低いと社会や組織の構成員を評価して個人の責任に転嫁する、これが周回遅れの本質でありそれを主導している人たちが社会や組織の中核に居座る限り、僕たちの国や会社が周回遅れを脱して世界の先頭には追いつき追い越すことはないのかもしれないね。

(木)ボケとツッコミが悲劇の東京オリンピック
漫才を、ボケが冗談を言ってツッコミがそれを指摘することで笑いを深める喜劇だとしたら、真剣にズレている事実を客観的に指摘している現状の東京オリンピックはもはや悲劇でしかないのかもしれない。

(金)ミャンマー戦とLGBT法案にイノベーションを憂う花金
この潜在化している苦難を僕たちはどう乗り越えイノベーションを起こせるのか、憂う花金なのだ。

(土)物語はなぜ僕たちの生きる力を強めるのだろうか
ひょっとしたら物語ることなく生きる意味を果たしてしまっているのではないだろうか、それは僕の素朴な問いだ。


人であること


2021年5月29日土曜日

物語はなぜ僕たちの生きる力を強めるのだろうか

 僕は全ての生命に物語があると思う。

 誕生し、生きて、死ぬ。

それは全ての生命それぞれ唯一の物語だ。


すべての生命に共通する物語というプロセスは、生きる意味を見出すためのデザインであるとも考えられるのではないだろうか。

しかし、ほとんどの生命は自らの物語を知らずして生きる意味を果たしている。

物語を知ることは生命にとって必須ではない。

それなのになぜ僕たちは物語によって生きる意味を見出そうとするのだろうか。


僕が思うに、人に限らず子を亡くして悲しむ生き物のみが物語の扉を開くことができる存在だ。

そこには、悲しみを乗り越えてより良く生きること、生きる意味をより強く感じることに行動を促す働きがあるからではないだろうか。

つまり物語は複雑な状況により適応するための能力の1つなのだ。

複雑な状況に適応する戦略は色々あるけど自律的に行動できる生き物にとってみれば生きる意味をより強く感じる方向に向かう戦略は強力だ。

時に意欲となって新しい可能性を拓く原動力になり、時に破滅的な行為の抑止力になるからね。

だから僕たちは本能的に物語が好きなのかもしれない。

小さな子供が夢中になるように。

物語は僕たちに生きる意味を与えてくれるからね。


では僕たちは日々自らを物語っているのだろうか。

生きる意味を見出すデザインを行っているのだろうか。

ひょっとしたら物語ることなく生きる意味を果たしてしまっているのではないだろうか、それは僕の素朴な問いだ。


生きる意味




2021年5月28日金曜日

ミャンマー戦とLGBT法案にイノベーションを憂う花金

今、僕たちの社会は、組織はイノベーションを枯渇している。

現場ではイノベーションを起こすために様々な取り組みが行われているけど、ワクチン開発も含め結果は残せていない。


さて、今日、僕はテレビでW杯2次予選の中継を観ている。

気持ちは複雑だ。

なぜなら日本が戦う相手がミャンマーだからだ。

ミャンマーと言えば先日、軍事クーデターが勃発して多くの市民が亡くなっている。

国際社会も非難している。

もちろん、サッカー選手が市民を弾圧しているわけではないので選手が避難される筋合いはない。

日本代表の選手もそうだよね。

しかし、W杯が国と国が競い合うものだとするならばなんらかの声が出ないことが僕には不思議に感じられるのだ。

物事を関連付ける連想力の無さはイノベーション

そしてもう1つ残念なニュースがLGBT法案の提出を自民党が断念したことだ。

党内議論で反対派議員がいるとのこと。

僕は日本におけるLGBT問題は古くからの社会通念に潜む差別意識ではないかと考えているので変化する人類の重要な哲学的、倫理的問題に対して先進的に向き合わず相変わらず心地よい社会の像に囚われている姿はとても残念で悲しい。

そこにイノベーションが起こる予感すらない。


こういった状況ではとても僕たちは幸福度1位の社会にはなれないだろうし、世界をリードするようなイノベーションも起きないのではないだろうか。

この潜在化している苦難を僕たちはどう乗り越えイノベーションを起こせるのか、憂う花金なのだ。


誇りまみれ、の埃まみれ





2021年5月27日木曜日

ボケとツッコミが悲劇の東京オリンピック

 このところオリンピックの開催に関わる発言が騒々しい。

開催する、いや中止すべきだ、のやり合いが一向に止む気配がない。

主催者側はひたすら開催に向け強硬な発言をしているのだけど、どうも漫才で言うところのボケに思えてしまう。

中止を提言している人たちの方が、世論調査結果、医学的根拠、経済への影響予測など論拠に客観性がある、つまりツッコミとして成立していると感じられるからだ。

もちろん、開催反対の中にも政治的な思惑など客観性に欠けた主張は少なくないように思えるので僕は提言の論拠が中立的かつ専門的な立場から為されているか否かをいつも気にしている。


さて、バッハ氏にしてもコーツ氏にしてもパウンド氏にしても冗談を言っているつもりは全くないだろう。

漫才を、ボケが冗談を言ってツッコミがそれを指摘することで笑いを深める喜劇だとしたら、真剣にズレている事実を客観的に指摘している現状の東京オリンピックはもはや悲劇でしかないのかもしれない。


掛け合い漫才



2021年5月26日水曜日

「あるべき」で周回遅れになっていく日本

 僕は戦後生まれなので、戦争に負けたときの体験は無い。

僕が聞き及んだ限りでは、米国とは物資の豊富さとレーダーなど先端技術で国力の差が大きかったように感じられる。

日本は明治維新の際、国を挙げて富国強兵に取り組んだけれども結果として西欧の列強に追いつけなかったのかもしれないね。

戦後、日本ではソニーやホンダなど世界に誇れる企業が成長し、数多くのノーベル賞学者も輩出するに至ったけれども今回の新型コロナウイルスへの対応を見ていると、やはりいまだ諸国の先頭には立てていないようだ。

というより、相変わらずの周回遅れである。

そこから生まれる2つの問いは、

  1. なぜ周回遅れなのか
  2. どうすれば挽回できるのか
だ。

さて、情報のオープン化、グローバル化が進展している現在、周回遅れの主因は情報インフラ、箱物ではなさそうだ。

となると、遅れの主因は情報インフラのトラックを走るランナーである。

スウェーデンでは2011年からキャッシュレス化が一気に進み、経済に良い影響を与えていることもすでに確認されている。

スウェーデンの取り組みから現物貨幣は経済にブレーキを掛けることが明らかなのに、日本でキャッシュレス化の議論が進んだのは新型コロナウイルスの影響を受けてからだ。

そして日本では、キャッシュレス決済を行う多くの中国人旅行客を見ながら、中国でキャッシュレス化が一気に普及したのは紙幣の偽造や流通の問題があったからと多くの人が考えていたのではないだろうか。

いずれにしてもキャッシュレス化では諸外国に比べて江戸時代みたいな状況なのかもしれないけど、これは情報インフラの問題ではないよね。

先頭を走るよりも堅実で慣れた方法の「あるべき」に拘る、それが周回遅れの原因だろう。



僕が思うに組織運営でも同じだ。

例えば、働く場所の理論、ABW(アクティブベースドワーキング)では、個人の生産性が上がるテレワークから創造性において対面でのミーティングが重要であることに議論の中心が移っているけど、新型コロナで仕方なくテレワークをしている日本が「やはり仕事は会社だ」と勘違いしてはいけないのだ。

「あるべき」に拘って周回遅れを招いていながら、生産性が低いと社会や組織の構成員を評価して個人の責任に転嫁する、これが周回遅れの本質でありそれを主導している人たちが社会や組織の中核に居座る限り、僕たちの国や会社が周回遅れを脱して世界の先頭には追いつき追い越すことはないのかもしれないね。


あるべき今夜の月


2021年5月25日火曜日

人に残されるもの

 僕たちはいま、情報技術のめざましい進歩の中に居る。

ここ10年、20年の変化を考えると、この先10年後、20年後には僕たちの想像を超えてしまうのかもしれないね。

「シンギュラリティ」という技術進歩の特異点の先に待っているのはどんな世界なのだろう。

さて、シンギュラリティは2045年と予測されているけど、あと25年たたなくても僕たちの記憶力や計算能力はスマートフォンにすら叶わない。

コンピュータは決められた計算をとても速く正確に、そして休むことなく処理できるのだ。

その象徴は「スーパーコンピュータ富岳」だろう。

しかし、いまのところコンピュータにできないことは明白だ。

1つは自ら電源を確保することができない。

そしてもう1つは意味を理解することができない。

つまり、人の力が無ければ役立つことができないのだ。

「人間は農業革命で小麦の奴隷となった」(サピエンス全史)という考え方があるけど、農作物は光合成と種を保存する意味を知っている。

コンピューターにはそれができず、人間の道具でしかない。

にもかかわらず、今や多くの人がコンピュータの奴隷のごとく振舞っている。

でもコンピュータは自律していないのだから、僕たちは情報技術を通じて誰かの奴隷になってしまったのかもしれない。

サイバーテロはわかりやすい例だろうし、ネットゲームもそうだよね。


きっと、今もそしてこれからも僕たちに残されているのは、自律し意味をうみだすことだけなのだろう。


残されるもの



2021年5月24日月曜日

人ありきか仕事ありきか

 僕は昨日、経営行動科学学会 組織行動部会・人的資源部会合同研究会に参加させて頂いた。

HRMとTMの関係性をどう捉えればよいのか、とう問いに様々な視点や手法から挑むものだ。

HRMとはヒューマンリソースマネジメント、TMとはタレントマネジメントである。

日本語にするとHRMは人的資源管理だけどTMには適切なものがない。

人的資源とは経営の資源、つまり企業が事業を行ううえで必要とする人材のことである。

一方のタレントマネジメントは、人が保有する才能や能力を管理するものだ。

「何のための」管理かと言うと、そこがどうも曖昧らしい。

もちろん、企業のためであることは間違いないのだけど、キーポジションの担い手を厚くしたり後継者を見出したりするためである。

しかし事業環境の複雑性が増して予測不能な変化が起きるなかで「予定は未定であって決定ではない」ということなのだろうか。


さて、僕が研究会を聴かせて頂きながた思い起こしていたことは、かつて某有名企業の役員から同時に問われた「この仕事は誰がもっとも適しているのか」と「皆優秀であり仕事なのだから得意不得意ではないのでは」であった。

人ありきで考えるのか、仕事ありきで考えるのか、の問いだ。

正確には、1つめの問いに答えたら2つめの問いがあったのだけど、部下をマネジメントする立場の人の中には常にこの2つの葛藤があるのだろう。


僕が研究会の報告を聞きながら昔の問いを思い起こしたのは、もしかしたら同じ要素があるのかもしれないね。


人か仕事か




2021年5月23日日曜日

僕たちの2つの未来と責任

 僕たちにはひょっとしたら2つの未来があるのかもしれない。


1つは、今日の続きの未来。

必ずそうなるとは限らないけどこれまでと同じような日々が続いた先の未来である。


そしてもう1つは、今日とは違い新しい未来だ。

後者の未来を迎えるには今日までを終わらせる必要がある。


もっとわかりやすく言い換えるなら、惰性の未来と刷新の未来だ。


そして社会において僕たちには惰性の未来にも、刷新の未来にも果たすべき責任があって、そのために倫理観や問いかけ、そして未来を夢見る続ける心が必要ということなのかもしれない。

僕の先週は、きっとそんなことだった。


(月)社会実装に挑戦しているわけではない
高学歴で膨大な残業をしていても最適な人材や会社をアサインすることできないのだとしたら悲しいを通り越して切なくなってくる。

(火)未来志向の意味するところ
国であれ個人であれ、未来志向には解決不能な問題にエネルギーを注ぐことを防ぐことでよりカーボンニュートラルな未来を実現する力があるのかもしれないね。

(水)素朴な問いが最強なわけ
で、ね。僕は素朴な問いは、答えではなく、問いから気づきを得ることが大切なのだと思うのだ。

(木)クルマの過去、現在、未来
クルマは気になるけど本当に必要としてはいない、つまるところそんなことなのかもしれない。

(金)情報流出?情報漏洩?何に対しての責任?
要するに、僕たちは未来に対してもっと「倫理性」を意識すべきだと自戒も込めて思うのです。

(土)夢を見続けるための能力
ひょっとしたら睡眠中に同じ内容の夢を見るのは、この執着力と記憶力のなせる業なのかもしれないね。


2つの未来


2021年5月22日土曜日

夢を見続けるための能力

 睡眠中に夢を見るのは人間だけじゃない。

すくなくとも僕の犬は夢を見て、ときに手足を動かし、ときに小さく吠えている。

そんな時はどんな夢を見ているのだろうかと想像するのだけど、これは結構楽しいものだ。

ところで犬が夢を見るのであれば、猫もみるに違いない。

そして馬も猿も鼠も海豚も鯨も夢をみているのかもしれないし、魚や蛇はどうなのかが気になってくる。

さて、僕は今朝の明け方、改めて夢には続きがあると感じた。

大概、目が覚めると夢は忘れてしまうのだけど、明け方に寝直した時の夢や、何度も見る夢は結構、はっきりと記憶に残っている。

僕が今朝覚えていた夢は、プロ級の友人とバンドを組んで演奏をすることが決まっているのだけど、その当日を迎えてまったく練習をしておらず大変焦るというものだ。

僕が人前でギターを演奏したのは大学生の時が最後だからもう40年近く前のことである。

しかもど下手だ。

そんな僕が今、夢の中でなぜギターを、しかもバンドのメンバーとして弾くことになるのか意味がまったくわからない。

更にはまったく練習していないというシチュエーションが悪夢の極みなのだけど、実は、この手の夢をみるのは初めてじゃない。

場所もメンバーも違うが、僕は同じストーリーの夢を見ているのだ。

いや、むしろ、目が覚めてから前回の夢の続きを見ていると思った。

以前、友人の誰かが念じれば夢は続きがみれると言っていたけど、もしかしたら念じなくても続きはみれるのかもしれないね。


目が覚めているときにみる夢の続きをみることは非常に簡単だ。

夢はあきらめたり忘れたいしないかぎり、ずっと夢を見続けることができる。

鍵となるのは執着力と記憶力だね。

ひょっとしたら睡眠中に同じ内容の夢を見るのは、この執着力と記憶力のなせる業なのかもしれないね。


夢の中へ


2021年5月21日金曜日

情報流出?情報漏洩?何に対しての責任?

 今日、相次いで2つのWEBサービスで情報流出が報道された。

1つは171万件、もうひとつは2.7万件だ。

流出した情報も、免許証や保険証、銀行口座など個人情報の中でも非常に重要なものである。

さて、ニュースを聞いて情報漏洩じゃなくて情報流出という表現はなんだか軽いと思った。

漏洩と流出の違いをネットで検索をしたら、

つまり、「情報漏洩」は秘密が知れてしまうことに重きをおいた表現であり、「情報流出」は外部に出てしまうことに重きをおいた表現です。ほぼ同じ意味で用いられる言葉ですが、的確に表現したい時には使い分けると良いでしょう。

と記載があった。

情報を管理している当事者にとって「やべっ、洩れちゃった」と「出てしまいました」の違いがありそうだよね。

さらに踏み込めば、前者は倫理性が、後者は客観性が織り込まれているように感じる。

そう考えればマスコミが「情報流出」と報じるのは正しいけど、管理責任者が使うことには違和感がある。

インターネット上でのハッキング行為はどんどん巧妙化、悪化しているのでしっかり管理をしていたつもりでも情報が盗まれることは避けられない。

そして盗まれた情報が悪用されて被害が出ることも今後さらに増えていくだろう。

それはITの発展において仕方がないことだ。

でも、大切なことは、色々な事件、事故を通じて、僕たちが目指す社会の姿を考えていくことではないだろうか。

要するに、僕たちは未来に対してもっと「倫理性」を意識すべきだと自戒も込めて思うのです。


漏洩?流出?



2021年5月20日木曜日

クルマの過去、現在、未来

 僕はクルマが好きだ。

しかし、今、クルマを持ってはいない。

というのも、僕が住んでいるところは駐車場の賃料がとても高いし少ない。

時間貸駐車場はやたら多いけどね。

また、車が無くてもまったく生活に不自由しないから必要ではないからなのだ。


そんな僕は果たして車が好きだと言えるのだろうか。

僕はクルマが好きだと考える理由は以下のようなものである。

  1. 自動車メーカーやクルマの名前がなんとなくわかる
  2. 旧車でもスポーツカーでも車が気になり写真を撮ったりする
  3. クルマ好きの人やクルマを買った話を聞くと楽しくなる
  4. 時々クルマを買ったり運転したくなる
  5. 個人のメールアドレスは過去に乗っていたクルマの名前だ
  6. レンタカーを借りるとき車種やタイプを吟味する

1から3はクルマ好きの子供と大差ないだろう。
4から6は大人ならでは、だ。

1から3は過去から、4から6は現在の心境であると言い換えてもいいかもしれない。

では、未来の心境はどうだろう。

アクセルとブレーキの踏み間違いとか、逆走のニュースを聞くたびに、正直、憧れよりも怖さが先立つのも事実だ。

諸費用の金銭的負担のみならず、他者の生命に脅威を与えるようなことは決してあってはならない。

僕は性格的には効力感が強い方だと思うけど、こと運転に関しては自分は絶対大丈夫という自信は無い。

過去に事故をおこしたことも無いのだけどね。

基本的には冒頭に書いた、クルマを保有しなくても済むという消極的な理由が欲しいという積極的な欲求より勝っているのだろう。

クルマは気になるけど本当に必要としてはいない、つまるところそんなことなのかもしれない。


昔のクルマ


2021年5月19日水曜日

素朴な問いが最強なわけ

 僕たちの周りには素朴な問いがたくさんある。

「愛とはなにか」「幸福とはなにか」「人生の目的とは」「生きる意味は」といった普遍的なものから、「世界一美しい風景は」「最も美味しい料理は」「一番の映画は」など皆で盛り上がるもの、そして「自分に一番向いている仕事は」「よい人材が採用できたのか」など身近なものまである。

そしてこれらの問いは答えるのにとても手強い。

僕が素朴な問いが最強だと考えるのは以下の点からだ。

  1. 答えがあるようで無い(正確には数学の正解みたいに1つに絞ることができない)
  2. 世界中の多くの人が起こす問いで多くの人が答えようとしている
  3. はるか昔から脈々と問われ続けているが時代と共に意味が変わる
要するに人類が納得する答えが出せていない。

素朴な問いに向き合う時、僕たちが参照しているのが人々や人々が織りなす社会・世界の複雑さと固有性・局所性、つまり「自然そのもの」だからなのかもしれない。


で、ね。僕は素朴な問いは、答えではなく、問いから気づきを得ることが大切なのだと思うのだ。


答えではなく気づき





2021年5月18日火曜日

未来志向の意味するところ

 国と国の間で過去に諍いがあってなかなか問題が解決できないときに「未来志向」という言葉が使われる。

過去は変えられないし、しかも立場によって歴史の意味は異なるものだから過去の出来事に対して相互に受け入れ合うことは簡単ではない。

特に相手より優位に立ちたいという政治的思惑があればなおさらだ。

そういった時、解決できないこれまでの出来事は棚上げして関係改善を図るには、未来に向けた関係作りをするしかないものね。

でもこれ、国と国の話だけではないよ。

人の感情の中にある葛藤も同じなのかもしれない。

人は他者が自己に対して抱くイメージに決して満足することなく対立する自己イメージを形成してしまうのだそうだから、人と関わることには多かれ少なかれ必ず解決できない葛藤がある。

忘れてしまうような些細な葛藤もあれば、囚われてしまい逃れられない苦しみを感じさせる葛藤もある。

これ、実感なのです。

この葛藤を解決するのには、リフレクションによって他者の立場や心情から自分を見つめ直す方法があるのだけどそれなりに時間は掛かるし他者に落ち度などがあれば受け止め方では解決つかない。

でも、そんなときでも未来に目を向け過去を棚上げすれば、葛藤は消失するのだ。

精神衛生上、とってもよろしいことである。

国であれ個人であれ、未来志向には解決不能な問題にエネルギーを注ぐことを防ぐことでよりカーボンニュートラルな未来を実現する力があるのかもしれないね。


未来に目を向ける


2021年5月17日月曜日

社会実装に挑戦しているわけではない

 僕の好きな言葉に「社会実装に挑戦する」というのがある。

新しいコンセプトやアイデアの仕組みを実社会で使えるように準備して運用してみる、といった意味合いだ。

すでに社会に浸透してる仕組みであれば、従前のものが参考になるけれど、いままで無いものはすべてが手探りになる。

もちろん、実社会で使うためにはルールや法律をしっかり守る必要があるからそのうえで必要となることを洗い出して仕組み化するわけだ。

システム開発では「アジャイル」と呼ばれる手法がこれに近いかもしれない。

さて、今回の新型コロナウイルスの大規模ワクチン接種予約が今日から始まった。

すべてネットでの予約だ。

しかし、このシステム、同じ人が何度も予約出来てしまうらしい。

これにはとても驚いた。

なぜなら、予約システムなんて世の中にたくさんあるし、一人1回の利用制限を掛けているサービスもたくさんある。

つまり、すでに数多く社会実装されている仕様なのだ。

いかに急に準備したのだとしてもあまりにもお粗末な印象である。

社会実装するのは「人」だから、社会の最優先課題解決に取り組んでいる「人」には高い視座、十分な経験と知識とスキルが備わっていて欲しい。

そしてそのような「人」は間違いなく居る。

台湾のオードリー・タンさんはその良いお手本だ。

日本にも必ず居る。

結局、日本では最優先課題解決に取り組む人材に問題がある、ということなのかもしれないね。

高学歴で膨大な残業をしていても最適な人材や会社をアサインすることできないのだとしたら悲しいを通り越して切なくなってくる。


神様はいずこに





2021年5月16日日曜日

本当の「豊かさ」を考えた週間

 先週の僕のブログを読み返して気づいた共通するテーマは「豊かさ」だ。

僕たちの周囲には便利に、楽に暮らせるようモノがどんどん増えていくけど誰かが描いた通りに生きる限り「豊かさ」は無い。

精神論でどんどん増えていく仕事に向き合うことも「豊かさ」じゃない。

心の無い丁寧な言葉遣いも、自ら生み出す(生み出してしまう)孤立も「豊かさ」ではない。

本当の「豊かさ」を意識すると何を大切にしてどう行動するべきか、が見えてくるよね。


(月)創造的、発展的DXと統制的、抑止的DX
要は、情報化技術を人が協調する空間を増やすため創造的、発展的に使うのか、人を管理し支配するため統制的、抑止的に使うのかなのだけど、僕たちの周りにある様々なハードウエア、ソフトウエア、サービスには前提となる使い方が想定されているよね。

(火)「楽」になっても「豊か」にはならない理由
「豊か」=「楽」の図式にはならない、その逆も然り、でね。

(水)仕事の報酬は倍の仕事、であってはいけない
どうやら仕事の報酬は倍の仕事(でも乗り越えていこうね!もしくは、乗り越えてね!)、となっていないか自分も周囲も点検した方がよさそうだ。

(木)ヒトの役割と人のコセイ
場所において誰かや社会から求められたからではなく自ら果たしていくもの、だ。

(金)美しい言葉遣いに必要な心
それは「言葉」をどう遣うかではなく、聞き手の心に語りかけようとする心に潜む倫理観や誠実さなのかもしれない。

(土)ヤングケアラーとユナボマーの共通点
人と人が関わる、家庭、学校、職場、地域において「孤立」を防ぐことには大きな価値があることを僕たちはもっと自覚しなくてはならないのだろう。


豊かな世界


2021年5月15日土曜日

ヤングケアラーとユナボマーの共通点

 テレビでヤングケアラーの話を観た。

恥ずかしながら最近まで僕はこの問題を知らなかった。

テレビの中で関係者の人が語っていたのはヤングケアラーにとって一番重要な問題は貧困や支援の不足などではなく「孤立」だった。

「孤立」によって問題が誰からも見えなくなる。

ところで「孤立」というキーワードはユナボマーに関する他の番組でも聞いた。

IQ167で飛び級で大学に進学し助教授の職に就いたこともある連続爆弾犯、通称ユナボマーは「孤立」がその引き金になっていたという分析である。

哲学者マルクス・ガブリエルは、社会の複雑性は他者が自分に対して抱くイメージに人は決して満足できないことから生まれ、意見が合わないとき他者に敵対する自己イメージを形成してしまうと言う。

「孤立」とか「孤立感」は僕たちが思っている以上に更に他者との距離を作ってしまう。

それによって、問題が見えなくなったり逆に他者を攻撃したりするので社会にとってはとても大きな問題になるのだ。

人と人が関わる、家庭、学校、職場、地域において「孤立」を防ぐことには大きな価値があることを僕たちはもっと自覚しなくてはならないのだろう。


孤立




2021年5月14日金曜日

美しい言葉遣いに必要な心

僕たちは何気なく「言葉」を使っているけど、「言葉遣い」にはその人の心が表れるように思う。

熱意、慈愛、尊敬などは僕たちの「言葉」から強く表れるポジティブなマインドだ。

他方、冷淡、独善、卑下はネガティブなマインドだろう。

さて、昨今のしゃべるロボットなどはこのした言葉のプロトコルをプログラムに実装しているのだろうけど、どうにも心が感じられない。

それは、なぜだろう。

実は僕たちはロボットから感じる違和感と同じような印象を「人」からも受けることがある。

尊敬していないのに敬語を使ったり、共感が無いのに称賛したりする人の言葉遣いがそれだ。

きっと僕たちは表面的な言葉ではなく、言葉遣いの背後にある何らかの存在が気になっているのだ。

そして、察して感じる。

不思議な能力だよね。

今日のテーマ、「美しい言葉遣い」とはきっとこの不思議な能力に応えるものだろう。

落語家の言葉遣いが美しいのか僕にはわからないけど、その言葉遣いは察して感じる能力に強く働きかけてくる。

僕たちはきっとそういう、聞き手が察して感じられる言葉遣いを「美しい」と思うのだ。

それは「言葉」をどう遣うかではなく、聞き手の心に語りかけようとする心に潜む倫理観や誠実さなのかもしれない。


立てば芍薬



2021年5月13日木曜日

ヒトの役割と人のコセイ

 僕たちは置かれた場所で何らかの役割を担っている。

家庭、学校、職場、会社、地域、国などをイメージするとわかりやすいだろう。

しかし、置かれた場所の視座をぐっと引き上げれば地球環境の中で、そしてひょっとしたら認識できないけど宇宙の中において僕たちは誰もが何らかの役割を果たしているのかもしれない。

自分の役割を具体的に考えるとき、必要になるのがこの視座と主体性だろう。

いくら視座が高くても観察者であれば役割とは言えないからね。(広く捉えれば観察するという役割もあるのだけど)

僕は視座と主体性の組み合わせが個性の核心ではないかと考える。

場所において誰かや社会から求められたからではなく自ら果たしていくもの、だ。


役割と個性





2021年5月12日水曜日

仕事の報酬は倍の仕事、であってはいけない

 仕事の報酬は仕事

これは誰の言葉なのか検索したところ、どうやらソニー創始者・井深大さんらしい。

井深さんだけでなく田坂広志さんなども同じようなことを語られている。

ただ、やりがい搾取と言われないよう、使い方には気をつけなくてはならないようだ。

さて、今回の新型コロナウイルスは人類にとって未曾有の大災害だ。

この危機に直面し、克服に向けた様々な取り組みがいたるところで行われている。

これまでなかった新たな仕事がたくさん増えたのだ。

いや、加速度的に増えている、と言ってもよいかもしれない。

医療現場や保健所などから始まり、ワクチン接種がはじまったら通信、クラウドサービスまで混乱している。

新たな仕事が生み出す混乱の収拾はとても大変な新たな仕事である。

新規システム開発関連の仕事に就いている方々はよくご存じだろう。

そして今日のテーマ「仕事の報酬は倍の仕事」は、混乱を収拾する仕事を誰が引き受けるのか計画性を持たずに新たな仕事を始めたときに起こりやすい。

その主たる原因は新たな仕事に内在するリスクへのマネジメント不足だ。

ワクチン接種の予約に関してNTTはさすがにこれまでの経験を生かし発信制限を行って新たな仕事をコントロールしたけどクラウドサービスを使った予約システムはクラウドの障害で手も足も出なくなった。

とにかく仕事を初めて問題があれば対処する(システム開発ではアジャイルと呼ばれる手法)というやり方、もしくはリスクマネジメントにおいても残存するリスクが顕在化した際に「その時はみんなで頑張って解決しよう」という思考が現場で働くことは仕方がないと思う。

しかし、昨今の状況を鑑みるにそれ自体が非常に危険な思考、リスクであると言えるかもしれない。

どうやら仕事の報酬は倍の仕事(でも乗り越えていこうね!もしくは、乗り越えてね!)、となっていないか自分も周囲も点検した方がよさそうだ。


登るほど倍の登り


2021年5月11日火曜日

「楽」になっても「豊か」にはならない理由

 “豊かな社会”とは、多様な報酬がもたらされ得る社会のことであり物質的に豊かで「働かなくてよい楽な社会」のことではないだろう。

多様な報酬とは、もちろん金銭による報酬のことだけでなく、遊びのように活動に内在する報酬も含まれる。

だから”豊かな社会”には多様な価値観が充足した状態で共存しているのだ。

そんな社会において働く意欲は、金銭、社会的立場などの報酬よりも、仕事を通じて内在する報酬、「能力」「仕事」「成長」を得ることから動機づけられ、「学習と探求」と「自他への貢献」行動として自分や他者から認知されるものだろう。

そして、その報酬は仕事経験を通じた学習からもたらせられるものだけど、真の「学習」には、棄却など苦痛を伴うものであり、決して「楽」なことではない。

「豊か」=「楽」の図式にはならない、その逆も然り、でね。


「楽」の果て


2021年5月10日月曜日

創造的、発展的DXと統制的、抑止的DX

 ITとかICTとかIOTといった情報化技術の進歩が国際関係に大きな影響を与えていることは疑いようもない。

進歩の先端にあって国力を一気に高めようとしている国々の思惑は今のところ上手くいっているように思える。

哲学者マルクス・ガブリエルは「SNSは結果として民主主義を弱体化する」と言うけど、徹底的に情報を統制している国々を見るに、弱体化するのは民主主義でけではないようだ。

言い換えるならば「SNSは結果として秩序を弱体化する」となるのかもしれない。

そして秩序を守るために使われている技術は「SNSのブロック」と「個人の特定と情報収集」であろう。

技術を用いてより徹底して「秩序が綻ぶことの予防」と「秩序を破る者への対処」を実行する、ということだ。

民主主義は秩序に寛容だから弱体化しやすいのかもしれない。

で、ね。情報化技術の進歩って秩序を守るためだけにあるわけじゃないよね。

オープンソースの発展などは僕たちに新しい秩序と大きな可能性を与えてくれた。

要は、情報化技術を人が協調する空間を増やすため創造的、発展的に使うのか、人を管理し支配するため統制的、抑止的に使うのかなのだけど、僕たちの周りにある様々なハードウエア、ソフトウエア、サービスには前提となる使い方が想定されているよね。


創造と発展が好き






2021年5月9日日曜日

「安心感」と「違和感」、いま大切なのはどちらかな

 先週の僕にとって一番大切なキーワードは「違和感」だったように思う。

その「違和感」の反対の言葉はもしかしたら「安心感」かもしれないよね。


僕たちは日々、「違和感」から学びながら「安心感」を増やして行く。

それを「馴染む」と言うのだろう。

「馴染む」ことで僕たちは自分自身を築く一方、自分を見失っていくのかもしれない。

で、ね。自分らしく生きるために「馴染む」ことは欠かせないけど自分らしさに向き合うために「違和感」は大切なものだから嫌ったり恐れたりしてはいけないと思う。


(月)僕たちは良くも悪くも学んでしまう
学びは良いものばかりじゃないということなのでしょう。

(火)「なんか違う」が無くなったら要注意
自分のバイアスに違和感が無くなったら自分を見失っていることと同じだからね。

(水)僕が「生きがい」と「やりがい」を区別するわけ
「良さそう」はあっても誰にとっても「これが一番」を知る由はないからね。

(木)1on1をネットワークとして考える
僕は1on1という取り組みでコミュニケーションが良くなることだけでなく、ネットワーク全体での相対的なパワーバランスの変化が気になるのだよね。

(金)一番好きなLPジャケット
僕が一番好きなLPジャケットは何だったのかな。

(土)ちょっと待て、国も会社も僕も急には止まれない
肝心なことは悲壮な覚悟でも根拠のない効力感でもなく「生きる主体である自覚」なのかもしれないね。


安心感?違和感?





2021年5月8日土曜日

ちょっと待て、国も会社も僕も急には止まれない

 新型コロナウイルスによる緊急事態宣言の3回目が延長された。

飲食、イベント、旅行、運輸、百貨店にとって人流を止めるのは心筋梗塞と同じようなものかもしれない。

僕は医療の専門家ではないからわからないのだけど、もし、人が3回目の心筋梗塞を迎えたとしたらとても楽観的ではいられないのではないだろうか。

さて、そんな状況の中で株価は高いままである。

一方で、都会のオフィスやテナントビルは空室が確実に増えている。

ひょっとしたら今の日本経済はAEDを使っているようなものなのかもしれないね。

瞬間的な脈動、血圧は上がるけど危機的状況であることには変わらない。

体力が無ければすぐに終わってしまうのだけど、幸いにも体力があるから回復の希望が持てるのだ。

そして、今、破綻していない多くの会社もひょっとしたら同じ状況なのではないだろうか。

もちろん、今の状況が経営の追い風になっている会社は少なくないだろう。

だけど、経済全体で考えれば末端が壊死し始めている現状は深刻だ。

敗血症という怖い病気があるけど部分の感染と悪化が全体に深刻な影響を与えることを僕たちはバブル崩壊だけでなく、幾度と経験している。

で、ね。僕が一番深刻に思うのは、社会も経済も会社も惰性があって向かう方向をいきなり変えられないことだよね。

大型艦船を思い浮かべるとわかりやすいかもしれない。

国にしても会社にしても、荒波を越えることが出来る船頭がいたら良いけど世の中はそんなに都合がよく出来ていない。

僕もね。

いきなりすべての問題を解決できる全知全能の神は居ない、現実はまさに「ヨブ記」の世界だ。


自分を信じながらも、現実の苦悩と和解し、また反復していく。

肝心なことは悲壮な覚悟でも根拠のない効力感でもなく「生きる主体である自覚」なのかもしれないね。


変えられない流れの中で生きること


2021年5月7日金曜日

一番好きなLPジャケット

僕の青春時代は、音楽といえばレコード(LP)がスタートだ。

実家から程遠くない秋葉原の石丸電気はレコード売り場が充実して、いつも多くの人で熱気に満ちていた記憶がある。

買いたいLPをめくりながら探し出してレジにもっていくと店員さんが後ろの棚に並んだ新品を出し、傷が無いか盤面チェックをさせてくれる。

仄暗い店内の明かりを、さも手馴れているかのように表、裏と黒い盤面に反射させて店員さんに返す。

時には偉そうに横から眺めて、反りや歪みがないか確認をしたりもしたね。

僕の記憶では、チェックして取り替えてもらったことが無いから、それはLPを買うという崇高な儀式の最後である。

一方、この崇高な儀式の最初はLPジャケット選びだったかもしれない。

当時は今みたいに曲の一部を手軽に視聴したり、MVを観たりすることも無かったからLPを買うには雑誌や口コミ、店の売れ筋などで情報を得ることから始まる。

しかしLPを買う入口は30㎝×30㎝正方形の静止画だ。

中にはTHE BEATLESのWhite Albumなんていう真っ白なものもあったけどメジャーでないアーティストのLPでジャケットが果たした役割はきっと大きかっただろう。

僕はジャケットと限られた情報から楽曲を妄想してLPをレジに運ぶ。

でもね、考えてみると音楽という時間の芸術をジャケットの静止画が表象していたことは不思議だね。

結局、僕はそれほどLPをたくさん持っていたわけでもなく、また、引っ越しをした際に全て処分してしまったので今、手元には1枚も残っていない。

今思えば残念なことだ。

僕が一番好きなLPジャケットは何だったのかな。


え?これ?



2021年5月6日木曜日

1on1をネットワークとして考える

 1on1という言葉は大企業を中心にもはや定着した感があるよね。

定期的に上司と部下が行う1対1の面談のことで以下のような効果や有用性から話題となっています。

  • 部下が自分の仕事を定期的に反省することが可能
  • それにより経験学習のサイクルが機能
  • 優秀な人材の育成
  • 企業内の諸問題を解決し活性化する効果
  • 人事評価の新しい流れであるノーレイティングの有効ツールとしても注目

これはカオナビのサイトからの抜粋だけど、 1on1に関する情報はネットで検索するとたくさん出てくる。

それくらい「当たり前」の言葉になった。

緊急事態宣言による在宅ワークも1on1の普及をさらに後押ししたのかもしれない。

僕がかつてヤフーの1on1を聞いた際は、組織開発プロセス(アセスメントによる組織問題の発見と社内コンサルタントによる問題解決への介入)での効果的な解決手法という位置づけだった。

しかし、今では組織におけるコミュニケーション不足を改善する取り組みという印象が強いかもしれない。

さて、情報の流れで1on1を考えると、定期的に密接なコミュニケーションを取ることで①情報量が増える②情報の鮮度が上がる③結びつきが強化される、ことになる。

ネットワーク全体で考えれば、ネットワークが活性化され中心性が高まる、と言えるだろう。

つまり、フォーマルなネットワークが強化されるのだ。

これはもしかしたら社会的にSNSやチャットが普及しインフォーマルなネットワークのパワーが高まった反動なのかもしれないね。


僕は1on1という取り組みでコミュニケーションが良くなることだけでなく、ネットワーク全体での相対的なパワーバランスの変化が気になるのだよね。


情報が力を与える


2021年5月5日水曜日

僕が「生きがい」と「やりがい」を区別するわけ

 僕は「生きがい」と言えば「人生」を、「やりがい」と言えば「仕事」を思い浮かべる。

もちろん、そうではない人もたくさんいるだろう。

「仕事」に「生きがい」を感じている人とかね。

Wikipediaで調べると「甲斐」とは「努力した効果や、期待できるだけの値うちという意味の語」だから「あー、頑張って良かったなぁ」とか「きっと、もっと良くなるぞ」という実感が伴う状態だ。


さて、生き方はいろいろあるけど「生きる」ことには受け入れざるを得ないことが少なからずある。

一方、「仕事」で働くことの多くは能動的な行為だ。

言い換えるなら、「他人の人生を歩むことはできないけど仕事は選ぶことはできる」。

僕はきっと、僕が僕である必然と僕の中の自由意志を立て分けたいのだろう。

「仕事」では「働きがい」というのもあるのだけど、僕にはすごく同調圧力を感じてしまう言葉である。

では、もし僕が「生きがい」と「やりがい」を一緒にするとどうなるのだろうか。

それはきっと僕であるための最善の自由意志のことなのだけど、僕には何が最善なのかを知ることができない。

「良さそう」はあっても誰にとっても「これが一番」を知る由はないからね。


跳んでみる自由


2021年5月4日火曜日

「なんか違う」が無くなったら要注意

 僕の家ではだいぶ前から新聞を買っていない。

だからニュースはもっぱらYahooとかGoogleで見ている。

さて、こういったポータルサイトのニュースは、他の誰かが配信したニュースである。

その誰かがどんな意図で配信しているかは信頼性において大きな問題だ。

だから僕は偏向した報道をする配信元の記事は基本的に読まないようにしている。

たとえ、ちょっと気になったとしてもね。

なぜなら、最近のポータルサイトは読者の嗜好に最適化するアルゴリズムが組まれているので、一度読んでしまうと似たような偏向報道や広告が溢れてしまうからだ。

国際や政治に関するものは特に酷いと思うし、とてもうざったいのだ。

ネットニュースの大きな問題点かもしれないね。

おそらく、偏向した報道に呼応する偏向する僕が居て、それをITがさらに加速させることに僕は恐れを抱いているのだろう。

「なんか違う」はどの子も解消しないままなんです。でも、「なんか違う」がぴったりきているときのほうが良くないんですよね。「なんか違う」って疑えるぐらい自分が引いて見れている時のほうがましなので。 − 動物彫刻家 はしもとみお 「情熱大陸」より

ひょっとしたらテレビで聞いたはしもとみおさんのこの話が僕の思いをずばりと言い当てているのかもしれない。

自分のバイアスに違和感が無くなったら自分を見失っていることと同じだからね。


なんか違う


2021年5月3日月曜日

僕たちは良くも悪くも学んでしまう

 3回目の緊急事態宣言となった今回、飛行機も新幹線も一年前に比べて利用客が増えているそうだ。

犬の散歩で街中を歩いても人出があまり減った印象がない。

マスクをつけない人も時折みかける。

1年前、僕たちはクルーズ客船での感染や志村けんさん死去という事態から新型コロナウイルスの怖さを学び、かなりの緊張感をもって緊急事態宣言という初めての経験に向き合った。

1回目の学びである。

ただ、マスクだけじゃなく、トイレットペーパーまで店から無くなったのだから、学びを越えたパニックに陥っていたことは明らかだろう。


そこから1年経ち、その間に同じビルに入る複数の会社や知人で感染する人も出た。

無くなった人も累計で1万人を超えた。

一方で、それらの会社や知人はすでに普通に仕事をしているし、トイレットペーパーも店に山積みである。

そして、3回目の緊急事態宣言で、感染者数、病院の状況を考えたら1回目の時より遥かに状況は悪いにも関わらず緊張感が薄いことは否めない。

1回目の学びで今の状況だとしたら、おそらく誰も外出しようとは思わないだろう。

そうではないということは、1回目の学びのあとも僕たちは学び続けているということだ。

でも、感染状況が悪化していることを考えれば、悪く学んでしまっているのかもしれないよね。

学びは良いものばかりじゃないということなのでしょう。


良い学び?悪い学び?


2021年5月2日日曜日

続く秘訣は投げ出さないことかも

先週の金曜日、NHKのあさイチに作家の林真理子さんがゲストとして招かれていた。

話の中で1983年から続いているエッセイが「同一雑誌におけるエッセイの最多掲載回数」でギネス記録に認定されていることを僕ははじめて知った。

僕が大学を卒業したのが1984年だから、これはすごいことだ。

 番組の中で林さんは、そのエッセイ1回分の原稿を書くのは45分くらいだと言っていた。

この筆の速さもかなりすごいことだと思う。


さて、プロだからネタが無くても書く、といったことも話されていたように記憶している。

ただ、実際はどうにもならない時もあって、その際には「この次はちゃんと書くからね」みたいな気持ちを込めるのだそうだ。

コピーライターの糸井重里さんは「今日のダーリン」というエッセイを1998年6月から毎日欠かさず書いているけど、たまに今日はどうにもこうにも書くことが思い浮かばないとエッセイの中で素直に吐露することがある。

それをネタにしていると言えばそうなのだけど、プロだからといって毎日ヒットを打ち続けられるわけじゃないように、林さんにしても糸井さんにしてもエッセイが書けないスランプがあるのは当然なのだろう。

となるとエッセイが書けないスランプの時でも投げ出さない、というのがずっと続く秘訣なのかもしれないね。


(月)2位じゃダメなんです
だから2位じゃダメなんです、きっと。

(火)人を動かすために必要な発想
もっとも、これは日本だけの問題じゃないみたいだから、危機的状況において人をどう自発的に動かすのかは地球温暖化防止と同じくらい重要性をもって向き合わなければならない問題なのかもしれない。

(水)20年後のGAFAは今いずこに
僕たちは、闘争が闘争を駆り立てる現実主義から決別することは出来ないけど、より倫理的(エシカル)な立場から闘争ではない世界に向き合う必然が生まれているのであって、20年後の主役はきっとエシカルなポテンシャル秘めた、いまは注目されていない企業なのではないだろうか。

(木)誇りたいのか安心したいのかそれが問題だ
どう考えるかは人それぞれだし、そこに良し悪しは無いけど、それによって他者の見方も変わってくるからこれは大切な問題だよね。

(金)僕たちは連続している
たとえ今日の出来事に心奪われたとしても、決して人生を見失わないように。

(土)財布の重さと地球の重さ
ただ、お金をできるだけ使わないよう物欲を我慢するより、その行動が地球環境を痛めることを少しでも意識して行動の選択をしていきたい、と思うよね。


毎日、やったるで~



2021年5月1日土曜日

財布の重さと地球の重さ

 地球温暖化は深刻な問題である。

だから僕も何かしなくてはならない。

生き物とは生命を繋ぐものだから、誰もが次世代以降も生命を繋ぐことができる選択をするべきだと思うからね。

ということで、まず、身近なところで、フードロスと電気ガス水道の利用を減らすことに最近取り組んでいる。

この前、初めてそんな動機でけっこうしおれた葉物野菜を買った。

そういうのは安く売っているので節約にもなるのだけど、これまであまり地球環境を意識して購入したことはなかったから問題意識を持つことで購買行動の意味が変わってくることを実感できたのだ。

いまさらながら、なのであるが・・・。


さて、今後は今は欲しくてもやがてはごみになっていく物は出来るだけ買わないようにしていきたい。

勝手に芽生えてしまう物欲を抑えることは難しいのだけど行く末を思い描いて行動する責任があるからね。

とは言ってもいきなり便利な生活を捨て去るほど僕は強くないから少しづつ、しか出来ない。

ただ、お金をできるだけ使わないよう物欲を我慢するより、その行動が地球環境を痛めることを少しでも意識して行動の選択をしていきたい、と思うよね。


少しでも