僕はこのブログをちゃんと読んでもらうためにか書けているかというと全くもって自信は無い。読む人の心を動かすためでなくぼくの思考の整理になってしまっているのだ(ごめんなさい)。
そんな記事でも時に読んでくれる人がいる。
webで公開するとどれくらいの人が読んでくれたたがデータとして残る、それを手掛かりに過去1年くらいの記事の中でページビューが多かった記事についてその後の記事も兼ね合わせてブラッシュアップしてみた
元記事は2022年6月10日の記事採用された人を待ち受ける上司の洗礼である。
ネット上の記事で、日本企業は高スペック人材を使い潰しているという記事があった。
37名のインタビューから組織に合わせられない、他人に仕事を任せずやり込めてしまう、実力が見合わない、という3つのタイプが見いだせたらしい。
今もって言い換えると自信過剰で適応できない、協働しない、目の前の仕事が出来なかったということだ。
僕の記事はこのインタビューは会社側のキーマンに対して行われたものだけど、使い潰されたとされる人材側にもきっと言い分はあることだろう。
という視点を変えて書いたものだ。
要約するにその言い分は、能力が生かせる仕事じゃない、上司同僚のレベルが低く連携できない、思い込みで採用した方が悪い、といったところかもしれない。
しかし、僕はその後能力は虚構だという記事を本を引用して書いているから能力が生かせると言う表現は変えるべきだろう。記事の小見出しにはご丁寧に「能力の高さ」が出世を邪魔する?とまである
が能力は虚構だを「正」とすればには己惚れの高さが出世を邪魔する?であろう。
そこで今回は自信過剰で適応できないと変えたのだ。
でもこういうメンタルモデルの人って別に東大京大の出身者だけじゃなく普通にいるよね。他者を見下すことで自分のアドバンテージを組織内で更に上げていこうとする人だ、現状の背景理解ではなく、現状そのものをを否定することに躍起になる。
でもそういう人って本当に高スペックなのだろうか、そういうメンタルモデルの人ってコンサル系の会社・仕事を経験して転職してくる人に多い。
採用側は当然そういう危惧を持っているから現状に折り合いがつけられるか面接で確認する、しかしたいがいできますとうそをつく、でも、そもそも現状とうまく折り合いをつけて質の高い仕事をしていれば元の職場は素晴らしい業績をあげているはずだ。
にもかかわらず経営が悪化して転職してたりするのだからそういう高スペック人材を企業が使い潰しているのではなく、自称高スペック人材こそが企業を潰しているのだ。
さて上司同僚のレベルが低くて連携できない(なんでも自分でやっちゃおうとする)であるが
そもそも協働とはみんなの問題をみんなで解決することだ。
舞台では、役者も裏方も力を合わせて作品を作る。主役一人が頑張っても舞台にはならない。
これは自然界のエコシステムもそうだよね。
人間だけ頑張っても自然は成立しない、むしろ自然環境をどんどん破壊しているのが実際だ。
生態系と言うシステムは全ての生き物の自立と共生の関係性があってはじめて成立するものだ。
この関係性を意識的に作り出して全体的な問題を解決するのが協働なのである。
だから関係性を軽視するということは問題解決における新たな問題の発生に他ならないのである。そう、協働とは常に問題や課題を減らしていく方向に働くべきものなのである。
他者の尊厳を軽んじて関係性を軽視するという反協働的態度は、問題を増やすことを厭わない態度なのでもある問題を解決できないどころか問題を生み出しているのに高スペックとは言えないだろう。
組織の問題を解決するために人事部長になって人事権を掌握したら部員がメンタルになったなんていうのはその最たるものだ。
さて、当日の「ほぼ日刊イトイ新聞」今日のダーリンで糸井さんは「マジックではないので、先に種明かしをしておくが、上司は、まず有利な場に立っているのである。」と書いている。
上司は常に弱点を補完したり先を見越したような意見が言えるというのだ。
これは正しい。
間違いなく正しい。
賢い部下はそれを知っていて忖度し、けれども上司から過剰適応と評価される。
悲しいね。
いずれにしても部下はこの上司の洗礼をいつも受けているのだけど、上司がかつて部下だったときには同じ洗礼を受けている。
そのようにして上司の洗礼は訓練されるていくのでしょう。
で、ね。採用する側とされる側も上司と部下の関係に似ているから、常に高スペック人材の弱点を補完したり先を見越したような意見が言えるのかもしれないね。
そして3つめの目の前の仕事が出来ないに関してはこんな記事を書いていた。
仕事が出来るってどういうこと?つまり、仕事は常に自分の外にあるもので仕事が出来るとはそれをいかに自分の内側に取り込むことが出来るかなのだ。養老孟司さんに言わせれば目の前の穴を埋めることだ。でも、アウシュビッツでは、わざわざ穴を掘らせて埋めさせるという行為を延々と繰り返させて無意味性によって収容者から気力を奪い取ったわけだから、仕事を強制すると人間性を奪い取ることにもなりかねない。意味は与えられるものではなく自ら気づく、ものであるという真実もあるけどね。
このように記事をブラッシュアップしてみると日本企業は高スペック人材を使い潰しているというアンケート結果をもとにした記事はかなり的外れだと言わざるを得ない。何をもって高スペックと言っているのかがそもそもおかしい、東大や京大など偏差値上位行の就活生をどうやら指しているのだけど、もちろんそれらの学生が皆、不遜で傲慢で、状況が呑み込めないわけじゃない。また学業が秀でていると周囲からのそ評価で必ず天狗になってしまう
ものでもない。問題の設定からステレオタイプと偏見に満ちている記事だ。
東大や京大に限らず僕が知っていた大学生の多くはは学力だけじゃなく高い社会性も兼ね備えていた。気が利くし、真摯で真面目でいい子達だったよねもちろん、いざ採用となるとそれだけでは無かったけどね。
まあ中には不遜で傲慢で目の前の意味に気づこうとしない人もいるのだろうけどね。ことさらそんな偏見を強化する必要もないだろうにね。
かわいいね