2020年4月30日木曜日

未来は開かれている

カミュが示したのは、我々は現実には一人だということでした。”死ぬときは皆一人だ”と
これが古典的な実存主義の標準的な仮定です
しかし重要な反論があります
いつの時代も最高の政治哲学者の一人ハンナ・アーレントの出生の概念です
未来が存在するという事実を我々は考える必要があります
今のこの瞬間深く未来を形作れるはずなのです
私の「新実在論」がそのことを教えてくれます
未来は根源的に開かれています
”すでに未来は自動的に決まっている”その思い込みと戦わねばなりません

マルクス・ガブリエル 哲学者/ボン大学教授

NHK BS1スペシャル コロナ危機「グローバル経済 複雑性への挑戦」より

牛は開かれていない

2020年4月29日水曜日

10年ひと昔だけどまだら模様の生き方のアップデート

僕は先日、ベッドの下にしまってあった任天堂のWiiを取り出した。

今の住まいに引っ越してから遊んだ記憶はないから、少なくとも8年ぶり、おそらく10年ぶりくらいに使ったことになる。

さすがにもう使えないかもしれないと思ったけど、全然問題なく使えている。

たいしたものだ。

今、ブログを書いているMacBookも購入から8年ほど経ちバッテリーを一度交換しているが普段使ううえでは問題はない。

気分的にはそろそろ新しいMacBookが欲しくなっているけどね。

そこで、以前、自動車の買い替えも長期化していると聞いたので検索してみたら、今は平均で8.5年くらいらしい。

プロダクトは耐用年数をどのくらいで設計されているのかで使い続けられる年数が決まってくるのだろう。

一方、僕たちの生き方は日々アップデートされている。

そしてアップデートされた生き方の中でプロダクトは耐用年数を待たず用済みとなっていく。

でも生き方全てがアップデートされていくわけではない。

1週間でアップデートされてしまう生き方もあるけど、10年経っても変わらない生き方もあって単純化してはいけないよね。


アップデートされていく






2020年4月28日火曜日

生存に知恵は要らない?

ウイルスというのは僕たちがイメージする生き物とはちょっと違う。

頭も手足も無い。

ウイルスが生物なのかという論争は科学の世界でずっと続いてきたそうだ。

さて、新型コロナウイルスで外出自粛が続く中、営業自粛をしないパチンコ店に大行列だできたらしい。

このニュースを聞いて、新型コロナウイルスの生存戦略は行列を作っている人たちよりも高度であると思った。

つまり、健康な人に感染したらしばらく鳴りを潜めてより多くに感染し、そして感染した人の奥深くで爆発的に増殖し広まっていく。

一方で人間は、自分は大丈夫と思い込んで出歩き、そして感染してすごく苦しむ。

回復した人がどれほど苦しんだか、苦しまないためにどうするべきかを説く姿は人と新型コロナウイルスの関係を象徴的に示している。

で、ね。ひょっとしたら人よりも頭も知恵も無いウイルスの方が賢いのかもしれないね。


頭は無いけど・・・



2020年4月27日月曜日

死ぬ時は1人、か、未来があるという事実、か

先日、NHKBSで新型コロナウイルスに関する放送があって、その中で「実存主義」と「新実存主義」という哲学の話が取り上げられていた。

録画していたわけではないのでそもそも「実存」なのかも疑わしいけど、印象に残ったのは、「死ぬ時は1人」か「(予測不能な)未来は間違いなく存在している」のか、哲学に関する話だった。

なんのこっちゃ?なのだけど、「死ぬ時は1人」という考え方は「誰にでも決まった未来が待っている」と運命論的?な考え方であるのに対して「未来は間違いなく存在している」という考え方は「予測できない未来、つまり、今の在り方によって未来は変わる」ことを前提としている、そんな話だったと思う。

これは、
固定的知能観(entity theory of  intelligence)と成長的知能観(incremental theory of  intelligence)知能は実体的なもの ⇔ 賢さは獲得できるものだ
にも通じている。

持って生まれた、なのか、その後の生き方、なのか、だね。

とある研究では、パーソナリティのある要素に関してDNAの影響は40%〜60%なのだそうだ。

うーむ、結局は半々か・・・。

僕は成長的知能感主義者でありたいと思っているけど、固定的知能感で自己の優越性を感じとりたり人も少なくないし、時に僕自身もそうなっているかもしれない。

「死ぬ時は1人」じゃん、って思うこともあるものね。

でもね、未来はある、間違いなく、僕たちには僕たちが変えられる未来があるのだ。


未来は決まっていないよ



2020年4月26日日曜日

経験学習のツボはスピードではなく寝かせること?

経験学習では、経験を振り返って本質を見出し次の経験を積んでいく中で学習がある。

今回の新型コロナも、それ以外の経験も学習が進む場合はこのプロセスだね。

さて、先週の僕を振り返ると内省と本質への問いとかが多かった。

この状況で経験に踏み出すことは難しいし、時間もあるから、というのもあるのでしょう。

言い方を換えると、経験学習には考える時間が必要だ。

ただ、ずっと考え続けていれば良いわけでもないかもしれない。


昨日作ったミートソースは一晩寝かせて、さらに、Cafe Katyさんからの情報でシナモンを入れたら美味しさが増した。

報告書も完成した翌日に見直すと、誤字脱字といったクオリティだけでなく、考察も良くなる。

より良くなる過程において「時間」が果たす役割が小さくないことは、経験学習と似ているようにも思えた。

で、ね。案外、経験学習も、すぐに結論を出すのではなく抱き続け、寝かせてみることがコツだったりするのかもしれないね。


(月)人を責めるのではなくガサツな自分を点検する時間に
今回の新型コロナウイルスによる外出自粛は、こうやって自分をゆっくり振り返える好機にすることができるに違いないから、やってみようと思う。

(火)リーダーシップ、を知ることは難しい
僕は、個人のリーダーシップと組織のリーダーシップについて、これまで大学生から大企業の経営者までこれまで色々な人の個性、経験やその結果を見たり聞いたりして考えて来たけどそのうえで「リーダーシップとはこう言うものだ」との境地には全く及ぶことが出来ていない。

(水)文化の替えがたい価値と差別となる障壁
地域の文化だけでなく、現代においては組織における文化もそうだけど、ハイコンテクストが替えがたい価値なのか差別となる障壁なのか、人によって捉え方も異なり、なかなか難しい問題だと思う。

(木)経験から得るのは教訓と自信のどっち?
どちらを得るのか、確かめることはできたけど、デザインすることは難しそうだね。

(金)金曜夜に思い耽るのは
テレビで流れているいろんな出来事とそこに関わる人々を見ながら、今、しみじみとそんなことを考えている。

(土)今日の僕には小さな一歩だけど僕の人生にとっては大きな飛躍
そして、この料理作りが、もしかしたら僕がミートソースを食べ歩いたり、研究したり、カフェやパスタ屋を開業する経験に繋がって来るのかもしれないのだから、今日の僕には小さな一歩だけど僕の人生にとっては大きな飛躍なのだ。


さらにうまうま

2020年4月25日土曜日

今日の僕には小さな一歩だけど僕の人生にとっては大きな飛躍

僕たちの小さな経験は大きな経験への道標なのかもしれない。

ある時は経験学習が行われ、またある時は脳の前頭前野が活性化されて、次のより大きな経験に繋がるといった仕組みがいくつかありそうだ。

いずれにしても、気持ちが晴れない時に手や体を動かすことは良い解決法である。

その中でも僕は「料理」が気に入っている。

何を作るか考えるところから始まって後片付けまでが終わるとモヤモヤがすっきりする。

美味しい美味しくないは置いておいて材料に手を加え、作ったものを味わい、そしてきれいに片付くことで、料理を作る達成感、お腹がいっぱいの満腹感、一緒に食べる人がいれば連帯感、綺麗になる清潔感や美感など多幸感が満ちていることは間違いない。

もちろん、「やらねばならぬ」となると一気に不幸感満載になってしまうのだろうけどね。

僕は今日、ミートソース作りに取り組んだ。

市ヶ谷にあるCafe Katyの大好きなミートソースも当分食べられないけど、インスタにはそのミートソースをご飯にかけた美味しそうなお弁当の写真が出ていてスイッチが入ったのだ。

さて、この自粛中に久しぶりに作っているカレーに比べて、人参と玉ねぎがみじん切りで手が掛かった。

特に、犬にとって毒になる玉ねぎを床に落とさないよう、細心の注意を払って細かく刻むのには緊張する。

できた料理を今日は僕1人で食べたのだけど、美味しく出来ました。

ただ、ミートソースというだけあって、良い肉だともっと美味しくなるのだろうなぁ。

そう、こういう気づきや思いつきが向上心となって次のミートソース作りに生きていくるのだ。

そして、この料理作りが、もしかしたら僕がミートソースを食べ歩いたり、研究したり、カフェやパスタ屋を開業する経験に繋がって来るのかもしれないのだから、今日の僕には小さな一歩だけど僕の人生にとっては大きな飛躍なのだ。


でけた


材料はこれ


あと少し





2020年4月24日金曜日

金曜夜に思い耽るのは

人の心とは不思議なものだ。

感動したり、不安になったり、喜んだり、怒ったりと本人の意思とは別に感情が湧き上がってくる。

しかも、人によって異なる。

湧き上がる感情に僕たちの意識や行動は大きな影響を受けているのだから自分自身に責任を持つためには自分の感情と向き合う必要があるよね。

テレビで流れているいろんな出来事とそこに関わる人々を見ながら、今、しみじみとそんなことを考えている。


まずは、おちつけ

2020年4月23日木曜日

経験から得るのは教訓と自信のどっち?

僕たちは経験を通じて教訓を得る場合と自信を得る場合とがある。

教訓を得る時は大概、何か上手くいかずやり切れなかった時や失敗してしまった時だよね。

一方、自信を得る時は、思った通り、もしくはそれ以上に上手く行った時だ。

僕たちは、教訓を得ると行動を変えようとする。

次はもっと上手くいくようにするために。

でも、自信を得ると行動は強化される。

競走で世界新記録を出せばそれ以上の記録を出そうとするよね。

では、経験を通じてどっちを得るのかというと、当人の文脈もしくは経験の質がその因となっているようだ。

例えば2人の経験の質が同じ場合は、それぞれの文脈(それまでの経緯や培われてきた個性)によって教訓か自信か決まる。

それぞれの文脈が異なっていても関係ないくらいの過酷な経験であれば教訓を、基礎を身に着ける経験であれば自信を獲得するかもしれない。

どちらを得るのか、確かめることはできたけど、デザインすることは難しそうだね。


きれい

2020年4月22日水曜日

文化の替えがたい価値と差別となる障壁

僕は「グリーンブック」と言う映画が好きで時間があるときに録画を観ている。

ちょっと映画のネタバレにもなってしまうけど、著名なピアニストが人種ゆえにレストランでの食事を断られる場面があって、その時の理由が「この地域のルールだから」なのだ。

差別ではなく決まり。

映画の中では、その地域におけるコンテクストに差別が内在しているのだけど、実はコンテクストには「知るものと知らざるもの」の差別性がある。

ハイコンテクスト、ローコンテクストの違いだ。

だから「この地域のルールだから」には差別がてんこ盛りされていることになるよね。


さて、僕たちが保有している文化には、間違いなくハイコンテクストの文脈がある。

つまり文化にはそれまでの背景や暗黙知がもれなく潜んでいるわけだ。

一方、僕たちにとって、異文化に潜んでいるコンテクストに触れたり、知ることは喜びでもある。

文化とは積み重ねられ替えがたい固有の価値とも言い換えられるのかもしれない。

地域の文化だけでなく、現代においては組織における文化もそうだけど、ハイコンテクストが替えがたい価値なのか差別となる障壁なのか、人によって捉え方も異なり、なかなか難しい問題だと思う。


文化?敷居?

2020年4月21日火曜日

リーダーシップ、を知ることは難しい

僕たちには誰でも発揮することができるその人のリーダーシップがある。

先日、とある分析から見えてきた学生の成長は、それを強く感じさせる物だった。

経験を通じて見せた成長の先にある将来像は決して一様ではなかったからだ。

人の成長は多様だから世の中には数多のリーダーシップ論が出現するのかもしれない。

一方、組織の中で求められるリーダーシップには組織の目的と役割の前提がある。

組織力をあげるためには組織を構成する一人一人が自らのリーダーシップを発揮できるようになることが重要だけど、組織を目的に向かって牽引するリーダーシップには目的に対する強いコミットメントと周囲を巻き込む力が必要だよね。

その巻き込み方にはいくつかの方法があるから、組織のリーダーシップも様々になる。

もう、スタイルはいいからリーダーは結果が全てみたいに言う人も少なく無いけど僕はやはり、結果でしか測らないことには違和感がある。

結果には予測不能な要素が必ず含まれているからね。

ただ、結果を出せないリーダーが周囲を巻き込めるかと言うとこれも違うだろう。

僕は、個人のリーダーシップと組織のリーダーシップについて、これまで大学生から大企業の経営者までこれまで色々な人の個性、経験やその結果を見たり聞いたりして考えて来たけどそのうえで「リーダーシップとはこう言うものだ」との境地には全く及ぶことが出来ていない。


もうすぐ5月



2020年4月20日月曜日

人を責めるのではなくガサツな自分を点検する時間に

僕は大概、ガサツな人間だ。

気遣ったメールも書けないし、他のことに気がなってしまうと頼まれた買い物も忘れてしまう。

そんな僕が思うのは、ガサツで普段、細やかな気配りが出来ない人ほど人のために何かをすると大仰になりがちかも、ということ。

要するに「してあげている」と感じやすいのではないだろうか。

さて、こんなことを思ったのは、外出自粛で家に居る時間が長くなる中で些細な出来事を振り返る時間も増えたからかもしれない。

例えば、「トイレットペーパーを使い切る前に新しいものを補充する」ちょっとした気遣いはガサツな僕にとって結構意識しないと忘れてしまう。

そして言われると「いつもはやっているのに」と自然に反発してしまう。

僕にとっては、ガサツゆえに気遣いをつい忘れているのだけど、心の中では出来ないことを認めたくないのだよね。

そこでどこかで恩着せがましくなったり、不貞腐れて相手を責める構図が生まれるのだとしたら、これは良くないからしっかりとチェックしなくちゃね。

今回の新型コロナウイルスによる外出自粛は、こうやって自分をゆっくり振り返える好機にすることができるに違いないから、やってみようと思う。


うちで踊ろう



2020年4月19日日曜日

困難を乗り越える楽しみを生む感性

緊急事態宣言の下での生活も少しづつ慣れてきた。

そうすると、この状況でどんな楽しみを持って過ごすのか考えはじめる。

そう、困難を乗り越える感性を僕たちは備えているのだ。

不思議だね。

やはり人間は逞しい生き物なんだろうね。


(月)会社という働く場所を非日常で考える
ひょっとしたら、僕たちは乾いた雑巾を絞ることが日常になってしまっているのかもしれない。

(火)データの怖さを知ろう
データを扱う人、用いる人はそのこと、つまり万能なデータは存在しない怖さを肝に銘じるべきだろう。

(水)何よりもうれしいこと
もう、本当にそれだけで生きていけると実感するのだよね。

(木)戦略 A Go-Go! 「見劣る」のか「魅力」なのか
だから「戦略」の本質を知って勝てる人は、他と違うことを「見劣る」のではなく「魅力」と考えているのかもしれない。

(金)新型コロナウイルスというリフレクションイネーブラー
また、そう考えることは、僕たちに乗り越える力を与えてくれるのではないだろうか。

(土)自らの感情を場に合わせる力による適材適所

だから、自らの感情を場に合わせる力は適材適所を生み出す要因の1つなのだろう。 


サボテンのスカイツリーなのだそうだ




2020年4月18日土曜日

自らの感情を場に合わせる力による適材適所

僕たちは気が昂ることもあれば、落ち着くよう整えることもある。

人によっては昂りやすいかったり、落ち着き払っていたりと、心の有り様は人それぞれだよね。

気持ちで動く人と心を整えて臨む人の違いだね。

よく言えば、昂りやすい人は情熱的だし、落ち着いた人は常に冷静に見える。

悪く言うと、昂りやすい人は情緒不安定だし、落ち着いた人はいつも冷めているとなるのかもしれない。

で、この良し悪しは、状況によって変わるものだ。

特に他者との関係においてね。

だから、自らの感情を場に合わせる力は適材適所を生み出す要因の1つなのだろう。


ここは賑やかに

2020年4月17日金曜日

新型コロナウイルスというリフレクションイネーブラー

どんなに辛く過酷な状況でも感性を失わないこと。

それが、生き残った人々の事実だとフランクルは「夜と霧」の中で述べている。

僕たちは今、新型コロナウイルスに直面してその苦しさや不安を誰かのせいにしたくなるけど、そんな日常の中でも他責に囚われず、心を震わせる美しさに気づくことが大事なのだと思える。

直感だけどね。

そこで、「美しさの気づく」ことを考えてみたのだけど、そこにな先天的な感受性のことと、後天的な本質探究のことが混在しているのかもしれない。

「見えてしまう」と「凝縮して見る」の違いだね。

で、ね。「凝視して見る」ことの一番の方法論は「リフレクション」だよね。

だから、今回の新型コロナウイルス感染を生き抜くためには、「生き抜ける感性を持っている」か「深くリフレクションする」の何かだろう。

その意において、新型コロナウイルスは僕たちにリフレクションを促すイネーブラーなのかもしれない。

また、そう考えることは、僕たちに乗り越える力を与えてくれるのではないだろうか。


天性か気づきか

2020年4月16日木曜日

戦略 A Go-Go! 「見劣る」のか「魅力」なのか

戦争に直面していない僕たちにとって、「戦略」が用いられるのはビジネスの場面が多いのではないだろうか。

戦略とは、勝つためにどうするのか、その手段や方法を定めることだと思うけど、そのためには情報をどう分析するかで80%が決まってくるように思えるよね。

裏を返せば、情報の分析の仕方によって戦略は変わってしまうのものでもある。

情報にバイアスが掛かっていれば戦略は偏ったものになる。

時のその偏りが差別性や優位性の原動力になったりするので厄介なのだけどね。

例えば、「その手は誰も気づかなかった 」みたいにね。

さて、戦略には勝つための動き方だけでなく、勝つためのコンセンサスを作る役割もあるのかもしれない。

誰もが「あ、こう動けば勝てそうだ」と思えるようになることだね。

特に組織として動く場合は、「本当にそれで勝てるの?」と疑念を生んでしまえば「戦略」の効果も半減してしまう。

「差別化」が必要な局面で「同質化」の戦略を取れば、若干の見劣りは減るかもしれないけど勝つことは出来ないものね。

つまり、「戦略」の本質は「勝つために何をするか」であって、他に合わせることじゃない。

だから「戦略」の本質を知って勝てる人は、他と違うことを「見劣る」のではなく「魅力」と考えているのかもしれない。


桜は終わったけど素敵なトンネル

2020年4月15日水曜日

何よりもうれしいこと

日々、色々な出来事がある。

新型コロナに関する不愉快なことや不安なことがある一方で、心からうれしく思えることもある。

例えば、仕事で開拓したお取引先の活躍などは心からうれしく思う。

そのお取引先の方は、本当に誠実で真摯なのだ。

お取引先を紹介頂いたのも他のお取引先の方なのだけど、僕の会社に合うだろうと見立ててくれた事に深く感謝している。

さて、そのお取引先、今回の新型コロナウイルスで鍵となる期待が集まっている。

あの会社の人々であればこのような世界的危機を打開することができると信じられる。

これは、1人のビジネスパーソンとして本当にうれしいことだ。

僕にはそんなコンテクストがある方々が何人も居る。

それは誰に理解されなくても気にならない、僕の財産だ。

もう、本当にそれだけで生きていけると実感するのだよね。


生きていける

2020年4月14日火曜日

データの怖さを知ろう

僕たちは主観の世界に生きている。

その中にあって「データ」は客観性を持つ貴重な存在だ。

だから、客観的な議論を行う上でデータの果たす役割は重要だね。

しかし、データにはデータが生み出された背景がある。

つまり、どんな議論を行うのか、そのために必要なデータの確からしさはちゃんと保たれているのかを検証せずにデータを使うと客観性を装った恣意的な情報になってしまう。

今回の新型コロナウイルスのPCR検査数などもそもそもの目的や検査の精度をちゃんと踏まえて使わないと検査が少ない、いや十分だ、みたいな主観の情報に用いられてしまう。

データを扱う人、用いる人はそのこと、つまり万能なデータは存在しない怖さを肝に銘じるべきだろう。


胡蝶蘭?ではないものも含まれる




2020年4月13日月曜日

会社という働く場所を非日常で考える

僕たちは仕事の非効率を一生懸命探している。

もう少し丁寧に言えば、「会社で仕事をすることを前提として」仕事の非効率を一生懸命探している、ということになる。

そんな中、新型コロナによって在宅ワークが始まり、色々と気づかされることが増えた。

僕は今日、久しぶりに会社で仕事をした。

これまでは会社が日常だったけど今日は会社が非日常だ。

そこで気づいたのは、会社は仕事に最適化されているということである。

要するに「めっちゃ捗る」のだ。

その分、集中力も使うし、没入して時間感覚も薄れる。

気づいたらこんな時間、なんだよね。

僕たちはそんな環境の中でさらに非効率を探している。

そう思ったらちょっとゾッとした。

ひょっとしたら、僕たちは乾いた雑巾を絞ることが日常になってしまっているのかもしれない。


外は豪雨

2020年4月12日日曜日

次に来る不要不急なもの

僕は、1週間の始まりに出来るだけ新型コロナと関係ないことを書こうと考えたのだけど、振り返ってみると、そんな努力も虚しかった。

火曜日以降はずっと新型コロナにまつわるブログだものね。

さて、僕の家では昨晩ちょっと面白い状況だった。

夜、法政大学石山先生の越境オープンラボがオンラインであったのだけど、家人もオンライン飲み会を行うとのことで回線を譲った。

そもそもITには全く疎い家人が、楽しそうにオンライン飲み会をしている姿を目の当たりにして、今回の新型コロナウイルスが人のITリテラシーをぐんと高めていることを実感した一方で、「誰もがオンライン」をはじめると回線が足りなくなる問題にも直面したのだ。

飲み屋は空くかもしれないけど、ネット回線は混雑するのがこれからしばらく当たり前になるのでしょう。

この問題、オンラインで授業を行う先生にとってみれば深刻だよね。

政府がLINEを使った調査でテレワークは当初の5%から26%に増えているそうだから、会社の会議などでも、これから繋がりにくい状況が生まれてくるに違いない。

ネット回線は有限な資源だからね。

そのうち、不要不急のビデオ会議やオンライン飲み会は行わないでください、と言われるかもしれないね。

(月)手の中の小さな緑の世界
そして、僕にとっては身近な小さな緑の世界は日々の暮らしを潤してくれる恵である。

(火)行動を変えてバタフライ効果を発揮しよう
さあ、皆でバタフライ効果を実証し爆発的な感染拡大の状況を変えようではないか。

(水)自分は感染者かもしれない、と思いすぎない
時に疑ってみることも大切だけど、できるだけ自分の体を労って褒めてあげた方がいいことありそうだもの。

(木)ステイ・ホームとホーム・ステイ、社会性の本質
僕たちの社会性は、人類の脅威に対してどこまで効果的な戦略なのか、今はその試金石なのかもしれないね。

(金)「リスクを軽んじる問題」と経験学習のジレンマ
もちろん、トランプ大統領みたいに「そもそも」リスクを軽んじる人も居て、アメリカは今、その結果パンデミックの中心となってしまったのかもしれない。

(土)在宅に向く人、向かない人
いずれにしても、早く新型コロナ騒動を収束させて誰もがいつも通りの生活を取り戻せることを望むけど、依存で他責な人は別の問題だと思うのです。


自粛の姿


2020年4月11日土曜日

在宅に向く人、向かない人

なんとなく、STAY HOMEで本当に気持ちが辛い人ってどんな人だろうと考えた。

健康なのに、天気が良いのに、外に出られず、家に居るのは多くの人にとってあまり心地よくないだろう。

心地よくない度合いにとっては「辛い」と感じるに違いない。

自然が好きな人、スポーツが好きな人はそうだよね。

人との繋がりが大好きな人もそう。

それ以外に思いついたのは、他者との比較を常にしていたい人、例えば優越感(劣等感も?)を持っている人や他責な人などももしかしたら他者と隔離されることは辛いことなのかもしれない。

要するに他者依存の強い、自分軸が弱い人は他者との隔離が苦痛になると思ったわけ。

そう考えると、先日、糸井重里さんのツイットが賛否両論になったのもわかる気がする。

「新型コロナウイルスのことばかり聞いているのがつらいのではなかった。ずっと、誰かが誰かを責め立てている。これを感じるのがつらいのだ」

「否」の方は他責を取り上げた糸井さんに噛みついたのだ。

それらの人は外出自粛でストレスが高まり、人は誰を責める機会を探していて、糸井さんがターゲットになったのかもしれないね。

いずれにしても、早く新型コロナ騒動を収束させて誰もがいつも通りの生活を取り戻せることを望むけど、依存で他責な人は別の問題だと思うのです。


これマンション名




2020年4月10日金曜日

「リスクを軽んじる問題」と経験学習のジレンマ

僕は、今、「調査報告 新型インフルエンザの恐怖」という番組を観ていた。

NHKのこの番組は、なんと2008年に放送されたものだ。

しかし、その内容は今回の新型コロナウイルスにほぼ全て当てはまるものだった。

番組の中では、新型インフルエンザの対策にアメリカは非常に先進的な取り組みをしている(日本は遅れている)と紹介されていたけど、新型コロナウイルスに関して、アメリカはかなり立ち遅れている印象がある。

放送を終えた後、司会と専門家の対話があり、やはりその事を話題にしている。

専門家曰く、アメリカで対策の中心となるCDC(アメリカ疾病予防管理センター)の予算が大幅に削られたことが大きく影響しているらしい。

要は、パンデミックのリスクを軽んじたのだろう。

大きな災害が起きた時に必ず「軽んじる問題」があるよね。

洪水対策もそうだった。

「軽んじる問題」を回避するために訓練などが行われるのだけど、実際に痛い目を見ないと本腰が入らないのも事実だろう。

経験による学習を通じて行動が変容することを「経験学習」というけど、経験が無い中で行動を変容させることは難しい。

今回、僕たちは行動を変容させるために「身近な人の罹患」はもとより、「志村けんさんの逝去」「緊急事態宣言」という新たな経験が必要になっている。

積極的学習者は、リスクの先取りをして経験学習から行動変容するけど、行動変容するために経験学習が必要な人は未経験のことを「軽んじる」のでしょう。

もちろん、トランプ大統領みたいに「そもそも」リスクを軽んじる人も居て、アメリカは今、その結果パンデミックの中心となってしまったのかもしれない。


経験しないと学べない?

2020年4月9日木曜日

ステイ・ホームとホーム・ステイ、社会性の本質

🏠.。oO(さっき、スゴいことに気づいた。“ステイ・ホーム”って言われると憂鬱な気分になるけど、“ホーム・ステイ”って楽しそうだよね。) #stayonline

僕は、加藤先生のこの投稿を見た時、凄く感心した。
確かにその通りだもの。
言葉を入れ替えただけなのにね。
そしてふと思ったのだけど、世界中の多くの人が今、外出を控えて家に居る。
もちろん強制やら任意やら隔離やらそれぞれに事情は異なるのだけど、一斉に同じ行動をとっている。
しかも「我慢する」という本質的な社会性を発揮してね。
やはり僕たち人間はとても社会性が高い生き物であり、それが僕たちの生存力であり種の保存力の要であることは間違いないだろう。
今回の新型コロナウイルスのように、天候異変や人工知能のシンギュラリティ、はたまた別の病原体や大量殺戮兵器などなど僕たちの生存を脅かす出来事が耐えることはきっと無い。
僕たちの社会性は、人類の脅威に対してどこまで効果的な戦略なのか、今はその試金石なのかもしれないね。

お日さまの下で生きる僕たち



2020年4月8日水曜日

自分は感染者かもしれない、と思いすぎない

こんな状況だとやはり自分の体調がいつも以上に気になるよね。

気になるだけでなく、神経質にもなってしまう。

ちょっと喉がいがらっぽい、鼻が詰まる、頭が思い、から始まって、食べ物の味が違う?と自分の健康を疑い始めるのだ。

しかし、「病は気から」というようにあまり神経質になると気を病んでしまう。

そんな中で安倍首相は緊急事態宣言で「自分は感染者かもしれないという意識」と言っていたけど、これをずっと意識しているのはあまり良くないかもしれない。

もちろん、文脈としては、「もし、自分が感染していたら多くの他人を感染させないためにどうするべきかと想像して自分の行動を変えよう」、だろうけど、「自分が感染していたらどうしよう」と思う人も少なくないだろう。

もし、真剣にそう思っても検査を簡単に受けられないのだから不安は募るばかりだ。

どう考えてもこれは良くない。

自分が自分の体をどんどん信じられなくなって行くのだもの。

で、ね。自分で自分に催眠術をかけるようなことをしてはいけないよね。

時に疑ってみることも大切だけど、できるだけ自分の体を労って褒めてあげた方がいいことありそうだもの。


スーパームーン

2020年4月7日火曜日

行動を変えてバタフライ効果を発揮しよう

僕はこう言う時期に不安を煽ったり、誰かを攻撃するようなブログは書きたくない。

先日、 NHKでフェイクに関する番組を放送していたけど、デマは不安心理や怒りを燃やすことで事実よりも何倍も早く伝播するのだそうだ。

より多くの人の関心を引くためにわざと炎上させたり、品切れを演出する方法はすでに常套化しているよね。

では、今日は何を書こうかなと考えた時、頭に浮かんだのは「複雑系のカオス理論」だ。

初期条件のちょっとした変化により、その後、予測不能な変化が訪れるというやつだね。

その「カオス理論」の中で有名なのがバタフライ効果だ。

北京で蝶が羽ばたくとニューヨークで嵐が起こる話である(元は、ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきがテキサスで竜巻を引き起こす、らしい)。

今回の新型コロナウイルスも、始まりは少数でその後、爆発的に広がったものだろう。

北京ではなく、武漢だったけど、ニューヨークは大変なことになっていて、まさにバタフライ効果そのものである。

じゃあ、僕たちはもう、それを受け入れるしかないのかというと、実は僕たち一人一人がバタフライ効果を発揮できる。

つまり、僕たちは1人が行動を変えることで状況を変える可能性を秘めているのだ。

1人が2人になり、3人になって大勢になれば、状況を変える可能性はさらに高まるはずである。

さあ、皆でバタフライ効果を実証し爆発的な感染拡大の状況を変えようではないか。


STAY HOME(舐めたらアカン)







2020年4月6日月曜日

手の中の小さな緑の世界

僕には気に入っているガラスの容器がある。

青山のスパイラルマーケットで購入した容器だ。

ラグビーボールをひと回り小さくしたくらいの大きさで、真ん中が丸く空いている、実用品ではなくインテリア用で、僕はこの中に今、シダの苔玉を入れている。

ガラス容器を購入した当初、苔を、最初は街で採取し、次はインターネットで購入して植えてみたのだけど、青々としていた苔も育てることは難しく皆、枯れてしまった。

その後、小さな盆栽を入れてみたりしていたのだけど、ベッドサイドに置いているためか、上手くいかない。

苔テラリウムに憧れたものの、思ったほど簡単ではないのだ。

エアプランツもだめだった。

そんな折、上手く育たなけば入れ替えれば良いと気楽に考え、近所のSCで今のシダの苔玉を買った。

ところが予想に反してこの苔玉がいい感じなのだ。

ベッドサイドには植物が育つライトを備えているのだけど、カーテン越しに日の光をあててあげたところすごく勢いがよくなった。

やはり植物にとって太陽の光は一番の恵なんだね。

そして、僕にとっては身近な小さな緑の世界は日々の暮らしを潤してくれる恵である。


小さな緑の世界

2020年4月5日日曜日

そして自粛生活はつづく

もう、ブログを振り返っても嫌になるくらいコロナ、コロナの1週間だね。

コロナに関することを書かないつもりでも結局、書いている。

人は「暑い」と言う時、その10倍頭の中で呟いていると聞いたことがあるけど、それが本当ならば、僕の脳内は「コロナ」で一杯なのだろう。

そして、おそらくそれは僕だけのことではない。

それぐらい意識して行動変容しないとこの難局を乗り越えられないのだからそれも仕方ない。

コロナに向き合わずにふらふら外出したら元も子もないからね。

とにかく、自粛生活は続くのだ。

(月)社会的地位ではなく、自分らしく生きるということ
で、ね。僕がそういう肩書きではなく自分らしさを体現する人たちに強く惹かれるのは僕の置かれた世代の特性ゆえなのかもしれないね。

(火)「人のこと」をシンプルに言語化するのは難しい
で、ね。そういった人の複雑さをシンプルに言語化することは本当に難しいね。

(水)今、何をしておけば良いのだろうか
昼間の大学生のインタビューを思い起こしながら僕は夜にそんなことを考えている。

(木)捗るのか、すり減るのか、それが問題だ
改めて集中して仕事をすると達成感があるけれど疲れも溜まることを自覚したのだけど、仕事も度が過ぎれば過労死になるようにちょうど良い「働く」按配を見失わないことが大事なのだよね。

(金)568で567の上をいこう
567の一つ上をいく五六八そば、ちょっと食べてみたくなったきた。

(土)いろんなことができる安全を作り出すもの
で、ね。結局車が止まるのは交通ルールや警官の取締りではなく、ドライバーのセルフコントロールなんだよね。


変なおじさん、がいた


2020年4月4日土曜日

いろんなことができる安全を作り出すもの

僕の家の近くに信号のない一時停止の交差点がある。

その一時停止、多くのドライバーが減速だけで完全に止まらずに通過してしまう。

そして違反切符を切られるのだ。

実は、その一時停止では、時々取締りが行われていて、結構な確率で捕まる。

ドライバーの心理としては、それほど交通量も人通りも無いので、まあ、大丈夫だろうと思うのでしょう。

ちょっと取締りも意地悪く感じるのだけど、安全は皆が交通ルールを守ることで初めて実現され、それによってドライバーも自身の安全を享受できるのだ。

で、ね。結局車が止まるのは交通ルールや警官の取締りではなく、ドライバーのセルフコントロールなんだよね。


気づけ

2020年4月3日金曜日

568で567の上をいこう

先日、街を歩いていたら蕎麦屋の看板が目に留まった。

最初は、新型コロナウイルス騒動で売り上げが落ちている飲み屋が567(コロナ)円で60分飲み放題のメニューを作ったとニュースで言っていたのでその類かと思ったのだけど、どうも違う。

567ではなく568なのだ。

そしてよく見たら、コロナではなくイロハだった。

語呂と言ってしまえばそれまでだけど、たった1つ違うだけで全然意味が違うのは面白いよね。

今のご時世だと、僕みたいに568を567と読み違える人が結構居そうなのでお店の売り上げにどんな影響が出ているのかを知りたいものだ。

元々、「コロナ」は決して印象の悪い言葉ではなかったと思うけど、今回の件で、非常に印象が悪い。

もし、トヨタが今でも「コロナ」の名称で車を売っていたら、きっと困っていたことだろう。

最も、ほとんどの自動車メーカーが製造停止をしているので「コロナ」という車でなくても甚大な影響を受けているのだけど。

567の一つ上をいく五六八そば、ちょっと食べてみたくなったきた。


今は自粛で行けない

2020年4月2日木曜日

捗るのか、すり減るのか、それが問題だ

僕は今日、久しぶりに会社で仕事をした。

どうしても会社でやらなくてはならないことが重なったのだ。

そして、全てでは無いけど重なった仕事の多くが片付いて、改めて会社で仕事をすると捗ることを実感したよね。

一方、家に帰って食事をした後、犬を抱きながら少し寝入ってしまった。

仕事中は気づかなかったけど疲れたのだろう。

改めて集中して仕事をすると達成感があるけれど疲れも溜まることを自覚したのだけど、仕事も度が過ぎれば過労死になるようにちょうど良い「働く」按配を見失わないことが大事なのだよね。


桜のトンネル



2020年4月1日水曜日

今、何をしておけば良いのだろうか

僕は今日、この新型コロナウイルスの状況なのでWEBを使って学生のインタビューを行った。

このところWEB会議などの頻度も増えてきたので以前より自然に会話できるようになった気がする。

5Gのサービスも開始されたのでこれからWEB経由のコミュニケーションがどんどん増えてくるのだろう。

今のように直接会うことがリスクになる場合、一番安心な手段だものね。

さて、いろんな意味で2020年は本当に価値の転換点になりそうだ。

雪の無い暖冬、新型コロナウイルス、などなど、自然の力によって僕たちの”あたりまえ”が通用しなくなっている。

一年後、僕たちがこの経験を振り返って何を考えるのだろうか。

僕たちの成長に繋がる、より良い振り返りを行うためには今、何をしておけば良いのだろうか。

不安に苛まれている人々と連帯してOne Team(一体感)を目指すことか、一人一人がちゃんと自粛して社会の一員として責任を果たすことか、どんどん積み上がっていく問題や課題の本質を問いかけ働きかけることか、とことん自分らしさにこだわることか。

昼間の大学生のインタビューを思い起こしながら僕は夜にそんなことを考えている。


一年後はどんな世界