2021年1月31日日曜日

古い僕が死んで新しい僕がうまれる

今日で1月が終わり、明日から2月が始まる。

ファッションの世界では梅春物と呼ばれ、梅の花が咲く時期だ。

寒さも厳しくウキウキする陽気にはまだ遠いのだけどちょっと気をつけて見回すと植物はすでに装い新たかである。

さて、僕のこれまでの人生を振り返ると2月は新しい僕が始まるときらしい。

このブログもそうだし、それ以外の大きな転機は2月から始まっている。

僕の誕生日は3月なのだけど、おそらく2月に生まれ出る準備をしていたのだろう。

だから1月はそれまでの僕に別れを告げる月だ。

今年の1月もそうだった。


日本の暦では1月が年始で4月が新年度だけど、僕の暦は旧暦なのかもしれないね。

そしていま、いろいろと新しいことを考えてとてもワクワクしている僕が居る。

さあ、2月だ。


 (月)燃料は誰かが没頭し探求し続ける姿
で、ね。夢をかなえるためのデザインでは、直接的な支援・応援以外に、何から(誰から)力がもらえるのか、はとても重要なことだよね。

(火)なぜ人に対しては当たり前でなくなるのだろう
で、ね。更に気づいたことは、日々、好きな人に対してこそエネルギーを注いでいきたい、ということなんだよね。

(水)「文化」と「成果」の衝突
そしてこの衝突は、映画の中だけでなく大きいものから小さいものまで身近な日常で頻発しているように思えるね。

(木)わたしのソウルフード、あなたのソウルフード
僕はインタビューで口走ったけど、みんなは何を食べた時にこれぞソウルフードだ、と感じるのかなあ。

(金)リスクマネジメントの神髄
ITリテラシーやPCスキルが無い分、リスクに真剣に向き合っているからね。

(土)枠組みの怖さ
押し付けられることも自ら選ぶとこもあるけど、枠組みって思っている以上に怖いものなのかもしれない。


古い僕が沈み終わっていく



2021年1月30日土曜日

枠組みの怖さ

 僕たちは色々な枠組みの中で物事を考えている。

倫理とか道徳といった社会的な枠組みもあれば、コンプライアンスやルールなど組織的な枠組みもある。

信仰や政治的信条も枠組みだろう。

また、家族の枠組みもあれば、コミュニティの枠組みもある。

そういった枠組みを外して対話を行うと、本当に自分が大切にしていることや気づいたことの意味深さを感じ取ることができるのだけど、枠組みがあると感じ取ることができなくなることが少なくない。

枠組みによって僕たちは自由に感じ取る力を封印してしまうのだ。

押し付けられることも自ら選ぶとこもあるけど、枠組みって思っている以上に怖いものなのかもしれない。


枠の中



2021年1月29日金曜日

リスクマネジメントの神髄

 家人はデジタルに疎い。

iPhoneは使いこなしているけどPCはまったくの苦手だ。

マウスの使い方もしらない。

一方、僕はPC歴も長いし、自作したこともあるので大概のトラブルに対応できる。

どこに問題があるのかもほぼわかる。

要するに僕と家人はPCに関しては両極にあるのだ。

さて、家人の学びのために買ったSurfaceにはペンが付いていてこれまではそれで操作をしていた。

僕にしてみればタブレット用のペンで操作をすることは苦痛なのだけどマウスを使ったことが無いので不便さもわからないのだろう。

そんな家人なのだけど、近々行うZOOMでのセッションに備えて驚くほどしっかり準備をしている。

実は先日、機材不調で家のインターネットが繋がらなくなった。

丁度その時、PCでZOOMを使っていた家人は、スマホ+4Gで乗り切っていた。(若干サポートはしたけど、僕は外出中だった。)

そんな経験からだけど今度のセッションに向けてPCが無くても実施出来るように資料を整えているのだ。

そんな様子を見て僕はリスクマネジメントの神髄は、ITリテラシーでもPCスキルでもなくて、問題を予測して真剣に備えることに尽きることを思い知らされた。

マウスの使い方やPC操作を教えることには難儀するけど、リスクマネジメントは僕よりも上手なのかもしれない。

ITリテラシーやPCスキルが無い分、リスクに真剣に向き合っているからね。


世界は広い





2021年1月28日木曜日

わたしのソウルフード、あなたのソウルフード

 過日、僕は家の近くで稲荷ずしを買った。

その時老舗のお店には日本テレビの取材が来ていて僕はインタビューを受けた。

そんなこともすっかり忘れていたけど、今晩フェイスブックで知人からインタビューを受けていないか確認のメッセージが入り、ああ、そう言えば、と思い出した。

放送で僕の言葉がどう切り取られたのかはわからないけど、確か僕は”稲荷ずしは下町のソウルフードだ”などと言った気がする。

実はこれ、小林聡美さんが主演した映画「かもめ食堂」に出てくる台詞を真似ていたかもしれない。

映画ではおにぎりが日本のソウルフードだ。(郷土料理という意でね。)

さて、今でこそ稲荷ずしもいろんな種類を楽しむことが出来るけど、僕が育った下町では和菓子屋に並んだ小ぶりでシンプルなもので、インタビューを受けた時に買ったものとほぼ同じである。

正確には稲荷ずしだけでなくかんぴょう巻きがセットなのだけど、要は、間違いなく小さなころから親しんできた味なのである。

今ではコンビニでも稲荷ずしは買えるけど食べた時にソウルフードと思えたことは一度も無い。

僕はインタビューで口走ったけど、みんなは何を食べた時にこれぞソウルフードだ、と感じるのかなあ。


最近の我が家の流行り






2021年1月27日水曜日

「文化」と「成果」の衝突

 僕は日曜日の夜、WOWOWで放送された『9人の翻訳家 囚われたベストセラー』(Les traducteurs)という映画を観た。

フランス語の映画は普段、あまり観る機会も無くて新鮮だった。

それにもまして話の展開が複雑で種明かしと並行して展開する背景にある物語が秀逸である。

なんだか映画を3本観ているような感じなのだけど、それぞれが見事にシンクロしているので1本の映画として気軽に楽しめる。

たいしたものだ。

映画後の解説で音楽を担当した日本人が3か月で済むはずだった仕事が1年半になったらしい。

例えば、映画の中に素早く展開するシーンがあるのだけど音楽にズレは全くない。

実はそのくらい細部にまで高いクオリティを求めたらしい。

さて、映画の中で描かれた主題は文学の神髄と市場の論理の葛藤だったかもしれない。

もう少し平たく言い換えると、「文化」と「成果」の衝突だ。

そしてこの衝突は、映画の中だけでなく大きいものから小さいものまで身近な日常で頻発しているように思えるね。


文化?成果?



2021年1月26日火曜日

なぜ人に対しては当たり前でなくなるのだろう

 僕は最近になってやっと自分について気がついたことがあって、今更なのかとショックを受けつつ、一方では気づけて良かったと思っている。

それは何かと言うと、本や映画、絵画などは大概、好きなもののことを考えているのに、こと、人に関してはそうでもない、ということだ。

例えば、緊急事態宣言発出下にも関わらず街中でマスクをしていない人が居ると気になってしまい気がつけばあれこれ考えたり小さな声で呟いたりしている。

感じの良い店員さんに感謝するときよりも感じの悪い店員さんに腹を立てて感情的になっている。

ドッグランでは僕の犬を追いかけ回す犬でもかわいく思うのに、犬を連れてきている人の無神経な仕草にはイラッとする。

などなど、どうやら僕は自分自身で他人に振り回されてエネルギーを費やしているのだ。

(ひょっとしたら僕だけはないのかもしれない。)

で、ね。更に気づいたことは、日々、好きな人に対してこそエネルギーを注いでいきたい、ということなんだよね。


にっこり



2021年1月25日月曜日

燃料は誰かが没頭し探求し続ける姿

 僕は日本認知科学会の会員になっている。

先日、今年の年会費もちゃんと振り込んだ。

この学会は、”心理学、人工知能、言語学、脳神経科学、哲学、社会学などさまざまな背景を持つ会員が知の総合科学を目指して、活発な研究活動を行っています"とある。

僕にはいろいろな知を集める科学が肌に合っている。

さて、今のところ僕は研究活動で学会に何ら貢献していないけど、学会誌やメールで届く色々な案内を見ているとわからないものだらけでワクワクしてくる。

未知の世界にあるものはすべてが学びだからね。

そして僕は誰かが何かを研究する姿からすごく勇気をもらう気がする。

だから数学は得意じゃないくせにNHK制作の「神の数式」をDVDまで買ってしまった。

プロジェクトXみたいな挑戦、苦難、達成より、没頭し探求し続ける方が共感できて元気が貰えるのだ。

僕が日本認知科学会の会員になったのはそんなことが潜在意識にあったのかもしれない。

で、ね。夢をかなえるためのデザインでは、直接的な支援・応援以外に、何から(誰から)力がもらえるのか、はとても重要なことだよね。


お日様から力をもらう


2021年1月24日日曜日

統一感、この時代大事ですか?

 先週のブログを見返すと、紅白歌合戦みたいな様相だった。

赤勝て、白勝てみたいに対立する構造でものを捉えていたのだね。

さて、僕は今日、家人から「統一感、この時代大事ですか?」と聞いた。

これは、家人の仲間の言葉だそうだ。

僕はそれを聞いて即、大事じゃないと思ったのだけど、ひょっとしたら僕たちは統一感をどこかで暗黙の了解であるがのように心地よく思ってしまっているのかもしれないよね。

統一感が無い=良くない、という価値判断基準が刷り込まれているということだね。

でも、もはや大事じゃない。でしょ?

だから画一性ではなく協働のデザインが大事なのだと僕は思うのだ。

(月)大人という不思議な生き物
舐めるのは神様による生き物のデザインで、舐めてかかるのは創発(予測不能な結果)、ということかな。

(火)知ることと知る人を知ること、どっちがすごいのか
で、ね。ひょっとしたら「すごい人」より家人のほうが「すごい人」なのかもしれないよね。

(水)テクノロジーの反対にあるもの
うん、フィロソフィーは今のところ僕が探してるものに一番近いかもしれないね。

(木)交代か衰退か
このあと僕たちはどんな変化を見ることになるのだろうか。

(金)問題解決症候群は与えられた遊びと関係があるのか
僕は教育問題には詳しくないけど低年齢からの遊びが創意工夫から与えられた遊び、ゲームへそしてYoutubeなど娯楽コンテンツにシフトし、これまで以上に直接的な経験が失われるのだとしたら次に現れるのはどのような症候群なのだろうか。

(土)組織の企みと人の想い
そして、伝統的な組織内部とは限らないことではないかと僕は常々思うのだ。


統一感の心地


2021年1月23日土曜日

組織の企みと人の想い

僕は今日、テレビで昨年末に放送された実物大動くガンダム製作の話を観ていた。

これまでも実物大ガンダムは作られてきたけど動くものは初めてらしい。

ニュースでもタイアップCMでも大々的に放映されているのできっと多くの人が知っているよね。

僕はマジンガーZ世代で、ガンダムと言えば「親父にもぶたれたことないのに」のやつでしょ?みたいにちょっと斜に構えてしまう。

要するにちょっと世代がずれているのだよね。

放送の中では三人のキーパーソンが登場したけど、おそらく皆、僕よりも一回り下の世代だと思う。

さて、三人のなかでも動くガンダムを設計した人はプロジェクトのリーダーだ。

大手建機メーカーで働くその人は将来を嘱望されている超優秀なエンジニアに違いない。

この動くガンダムのプロジェクトは国内トップ企業複数社が持てる技術を持ち寄って取り組んだらしい。

参加企業は話題作りだけでなく、きっとメンバーがプロジェクトから往還した際に社内にイノベーションが生まれることも期待していたのではないだろうか。

ところが、リーダーの人は会社を辞めてしまいプロジェクトに全精力を注いだらしい。

送り出した人たちにとっては、「えっ?」だったのではないかな。

わかっていればプロジェクトに送り出していないのに・・・とね。

一方、当人にとってみれば40年前からの想いであり、さすがに悩んだろうけど決断に躊躇いはなかったように感じられた。

伝統的に、市場では相手(顧客)を100%制御することはできないという前提で戦略を立てます。一方で、組織内では100%物事をコントロールするという前提の戦略を立ててしまう。伝統的な組織内部のスタッフとして働く人材育成担当者は後者のやり方に慣れていますが、組織の活動がオープンになっていく今日の状況では、社員の行動は制御しきれないということです。

これは以前、法政大学長岡教授からお聞きした話なのだけど、まさにその通りだよね。

そして、伝統的な組織内部とは限らないことではないかと僕は常々思うのだ。


企みは通じない


2021年1月22日金曜日

問題解決症候群は与えられた遊びと関係があるのか

 僕がこのブログで「問題解決症候群」を取り上げたのは2013年7月以降である。

なかでも「問題解決症候群と問題解決力の奇妙な駆け引き」は結構興味をもって頂いた。

その時は学生と社会人の対比で考えていましたが、なぜ以前はそのような言葉が出てこなかったのかは考えていなかったね。

妹尾さんが気づかれたのが1992年ですから当時の1970年頃に生まれた若者で確認されていたことになるでしょう。

1970年頃に生まれた子供は1980年代にファミコンが登場し遊びを一新したゲーム世代だ。

さて、僕はすべてのゲームには問題を解決せよという明示されない指示が潜んでいることも過去にブログで書いている。

かつての遊びには少なからず新たな問題を生み出す側面があったと思うのだけど、遊びの主流がゲームになったことで子どもたちは偏差値教育だけでなく遊びでも常に問題を解決せよと指示されることになったのかもしれない。

楽しさをいかに生み出すかではなく、どうすれば攻略できるか、にずっと晒されてきたのだとすれば問題解決症候群に陥ることも個人的には納得できる。

僕は教育問題には詳しくないけど低年齢からの遊びが創意工夫から与えられた遊び、ゲームへそしてYoutubeなど娯楽コンテンツにシフトし、これまで以上に直接的な経験が失われるのだとしたら次に現れるのはどのような症候群なのだろうか。


そこに楽しさがある


2021年1月21日木曜日

交代か衰退か

今日、歩いて会社に行く途中、いくつも空になった店舗を見た。

そこにはかつて飲食店があった。

店の入れ替わりは無かったから経営が成り立っていたのだろう。

おそらく新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言によって経営を諦めた店舗に違いない。

そういった空き店舗は確実に増えている。

営業を継続している店舗もきっと経営は苦しいに違いない。

昨日、電通が本社ビルを売却するニュースが流れた。

在宅ワークでオフィスの利用率が著しく下がっていること、新型コロナの影響もあり業績が悪化していることがその理由だそうだ。

都心の飲食店だけでなく、オフィスも空きが増えているのだ。

僕はずっと秋葉原の近くで生まれ育ってきて、街の変化を目の当たりにしてきた。

それは、電気街がパソコン街になってオタク街へと主役が交代する変化だった。

今住んでいる場所では問屋や商店がマンションに交代している。

でも今回の変化はどうも交代ではなく衰退しているようにしか思えない。

飲食店向きでない場所は新型コロナウイルス拡大以前から再開発をしないとニーズを掘り起こせない状況だったからね。

このあと僕たちはどんな変化を見ることになるのだろうか。


もう無い





2021年1月20日水曜日

テクノロジーの反対にあるもの

 僕は昨日、ちょっと気になってテクノロジーに対する言葉を探していた。

否定形であれば非テクノロジーであり、コンピュータがテクノロジーであればソロバンとか暗算、自動車がテクノロジーであれば馬車とか犬ぞりとかが該当するのかもしれない。

でも、僕が探していたのはそういうことではない。

そこで気づいたのだけど、僕にとってのテクノロジーとは電気やガソリンを必要とするか否かを指しているのではないらしい。

ネットを見て気になったのがフィロソフィーだ。

これは僕のイメージに合う。

テクノロジーが、常に変化、進化していくことの代表であるのに対して、フィロソフィーは変わらない価値を問い続けることの代表と言えるのではないか。

テクノロジーは3年も経てば陳腐化するのに対してフィロソフィーは数千年もの試練に耐える。

またテクノロジーは科学主義であるのに対してフィロソフィーは主観主義だ。

そしてテクノロジーもフィロソフィーも僕たちの暮らしに大きな影響を与えうる力を持っている。

うん、フィロソフィーは今のところ僕が探してるものに一番近いかもしれないね。


かつてのテクノロジー



2021年1月19日火曜日

知ることと知る人を知ること、どっちがすごいのか

 僕は夕方、家人から「すごい人」の話を聞いた。

その「すごい人」は、家人が勉強していることで知りたいことに関して聞けばすぐにその情報がどこにあるのか具体的に教えてくれるのだそうだ。

有難い、ザ生き字引なる人だね。

さてこの生き字引を知っていた家人のことを「組織学習」の概念では「トランザクティブ・メモリー」と言う。

1980年代半ばにアメリカの社会心理学者、ダニエル・ウェグナーが提唱したもので、組織パフォーマンスとも関係があるらしい。

で、ね。ひょっとしたら「すごい人」より家人のほうが「すごい人」なのかもしれないよね。


「すごい人」よりも「すごい人」



2021年1月18日月曜日

大人という不思議な生き物

 犬というのは不思議な生き物だ。

何が不思議なのかというと、パソコンであれなんであれ舐めてみる。

美味しいものではないだろうし、美味しそうな匂いもしないはずだ。

でも、舐めてみる。

他の動物もそうなのか知らないけど、人はパソコンを舐めない。

あ、でも赤ちゃんはきっと舐める。

まずは何でも舐めてみる。

そう言えばパソコンを舐めないのは赤ちゃんを卒業した大人だけだ。

そうか、ひょっとして不思議な生き物は犬ではなく大人なのかもしれない。

五感すべてを使わずしていかにも世界を正しく知っているかのごとく語るものね。

舐めるのは神様による生き物のデザインで、舐めてかかるのは創発(予測不能な結果)、ということかな。


大人


2021年1月17日日曜日

ドリフトするキャリアとデザインするキャリア

かつて僕が今の会社に入社した時、こんな事をしていきたいという希望があった。

その希望は今も変わらないけど実際に入社して希望以外のことの方が遥かに多かった。

希望と異なる配属だけでなく、同期入社の人が皆の前でキャリアのプレゼンをさせてもらったのに僕の番が飛ばされてしまった出来事は鮮烈な記憶の1つだ。

もちろん会社に入るということは好きなことが出来ることと同意ではない。

与えられた役割を果たすことが求められるのは当たり前。

だから、僕の会社でのキャリアが偶発性に満ちているとしてもそれはそれ、なのだ。

原点がデザインだとするとその後のドリフト(偶発)は創発だったのかもしれないね。

さて、先週のブログを見返すとこのブログには偶発性の中でも決して消えない原点があるこことに気づいた。

これはひょっとしたら面白い気づきだよね。


(月)物語りとドキュメントの違いから学びの原点を考えよう
そこには「物語り」を超えた半澤さんのドキュメントが凝縮されていて、僕たちが常に向き合うべき学びの原点だと強く感じたからだ。

(火)科学的な態度が世界を救う
混沌はいたるところにあるのだけど転んでもまた起き上がるのが生命の姿なのだから科学的な態度がきっと世界を救うのだ。

(水)「おしゃれ」か「ださい」か考えよう
もちろん、美学とは別の話だけどね。

(木)組織の「場所」と「場」を考えよう
しかしこのように置き換えてみると、組織と組織に参加するメンバーの間に発生する双方向のズレも理解しやすいかもしれない。

(金)続ける理由、続く理由、
ということでこれからもこのテーマで、ただし、テーマに沿って取り組んでいこう。

(土)死闘のデザインとその果てにある創発
で、ね。残り25分のなかで両チームの選手とも、苦しさと同時に楽しさを感じていたそうで僕のようなにわかファンもおおいに感動させてもらえたけど、これはもう死闘のデザインの先にある創発以外のなにものでもないよね。


会社



2021年1月16日土曜日

死闘のデザインとその果てにある創発

 季節外れに暖かい土曜日の午後、僕はステイホームで録画したビデオを観ていた。

1月11日に再放送されたNHKスペシャル「死闘の果てに 日本vsスコットランド」だ。

そう、1昨年行われたラグビーワールドカップ、日本対スコットランドの試合を関係者の証言をもとに深堀した番組である。

まあ、日本人にとっては気持ちの良い試合であり結果だったけどいろいろな心理が働いたらしい。

心理は観てもわからないので当事者の声を聞くと「ああ、そうだったのだ」と気づくことが少なくない。

さて、どのような試合でもそこには「相手に勝つ」というルールが埋め込まれている。

このルールに反することは八百長でありペナルティが待っている。

そこで試合に参加するチームには勝利へのデザインがある。

その中でも勝つことが難しい相手であれば必死に戦う、死闘のデザインがある。

日本にも、そしてスコットランドにもそのデザインがあった。

デザインとは「夢を実現するためのプロセス」だから、準備、作戦、戦略、駆け引きのプロセスが両チームにあったのだ。

日本チームのデザインは「same page」。

監督のジェイミー・ジョセフがチームに浸透させたデザインで、皆が同じ絵を観ている状態で各自がそれぞれの役割を果たしきるといったことだろう。

それを過酷なトレーニングと本戦のプレッシャーで実践した選手はすごいよね。

で、ね。残り25分のなかで両チームの選手とも、苦しさと同時に楽しさを感じていたそうで僕のようなにわかファンもおおいに感動させてもらえたけど、これはもう死闘のデザインの先にある創発以外のなにものでもないよね。


創発とは何か




2021年1月15日金曜日

続ける理由、続く理由、

僕がこのブログを毎日書き始めたのが2013年2月6日からだ。

今年が2021年だからもうすぐ丸8年経って9年目に入る。

よく続けているし、よく続いているなぁと我ながら思う。

最初の書き出しはこうだった。

デザインと創発

現在、私にとって最強、かつ最大のテーマです。おそらくこれからも。

どうやらこの時の僕の予測は当たっていたらしい。


でも、次の一文

このブログでは、このテーマの沿って、日々気づきのあったことを書いていこうと思います。

はちょっと怪しいかもしれない。

なんだかもっと日常雑話になってしまった気がする。

昨日の「場所」と「場」などはテーマに沿っているのだけどね。

ということでこれからもこのテーマで、ただし、テーマに沿って取り組んでいこう。


そっちはダメ



2021年1月14日木曜日

組織の「場所」と「場」を考えよう

「組織」は社会的な関係性において可能性を絞る働きをする「場所」である。

「組織」の目的や価値観に基づくルールや規範、そこに集まる人々の特徴による傾向性、相互の関わり合い方、仕事の仕方などによって人のあらゆる可能性は限定されているからね。

一方、その「組織」に参加するメンバーはその内部に自らの「組織」を持っていて「組織」の状況と整合的になるよう自分で自分の状態を決めている。

自らの内部にもつ「組織」が「場」だ。


これは東大名誉教授清水博氏の著作「生命と場所」の一部を「組織」に置き換えて僕が表現してみたものだ。(清水教授には叱られてしまいそうだけど)

しかしこのように置き換えてみると、組織と組織に参加するメンバーの間に発生する双方向のズレも理解しやすいかもしれない。


場所と場のハーモニー?ディストーション?




2021年1月13日水曜日

「おしゃれ」か「ださい」か考えよう

 ファッションの世界では何が「おしゃれ」で何が「ださい」のか、一目瞭然だよね。

映画「プラダを着た悪魔」とか「エリン・ブロコビッチ」などはその対比をわかりやすく描いている。

でも、ユニクロはかつて「ださい」の代表だったけど今はそうでは無くなった(「おしゃれ」とは言えないと思うけど・・・)

「おしゃれ」は高価で「ださい」は安価というステレオタイプ的な考えがもはや受け入れられなくなったのかもしれないね。

さて、この「おしゃれ」と「ださい」の対比はファッションだけじゃない。

SNSではフェイスブックは「ださい」し、インスタグラムは「おしゃれ」だと思われる。

企業経営でもそうだよね。

どんなに「おしゃれ」に着飾っても「ださい」経営者はやはり「ださい」。

ちなみにインスタグラムを買収したフェイスブックは独禁法違反に問われているから両方を支配することは社会的に許されないことなのだろう。

つまり「おしゃれ」には「おしゃれ」の価値があって、「ださい」には「ださい」の価値があることを僕たちの社会はなぜか認知していて、どちらか一方を審美眼的に正当化すべきではないのかもしれない。

もちろん、美学とは別の話だけどね。


どっち?




2021年1月12日火曜日

科学的な態度が世界を救う

 今回の新型コロナウイルス、専門家のこの先の予測は悲観的だ。

そしてそれはおそらく現実になるのだろう。

さて、新型コロナウイルスから僕らが学べることもある。

科学的な態度はそのひとつだ。

科学とは現象の仕組みを解き明かす(原因と結果が対で再現性を観測できる)ものである。

一方、態度とは心理学では 価値信念要素、感情要素、行動傾向によって構成される。

だから科学的な態度とは「客観的事実に基づいて自らの行動を律することに意味を見出す」と言えるのではないだろか。

対極にあるのが「主観に基づいて排他的な行動を正当化する」ことかもしれない。

議会を襲ったアメリカの混乱(カオス)はそんなイメージだね。


混沌はいたるところにあるのだけど転んでもまた起き上がるのが生命の姿なのだから科学的な態度がきっと世界を救うのだ。

世界を救おう


2021年1月11日月曜日

物語りとドキュメントの違いから学びの原点を考えよう

 僕が聞いた話では、人や組織に関わる業界では最近、「ナラティブ」がトレンドらしい。

「ナラティブ」とはわかりやすく言い換えれば「物語り」のことだね。

さて、「物語り」は決してAIのような新しいアプローチではない。

というか、恐らく文字が生まれたときから「物語り」はともにあったのではないだろうか。

「ドキュメント」が記録であるのに対して「物語り」には受け手の感性に働きかける力が強い。

わかりやすく心に響くのだ。

それは、受け手を(時には自分を)元気にしてくれる。

テレビ番組や映画などはほぼすべてが「物語り」だろう。

以前、僕の犬がテレビの取材を受けたことがあったけど、放映された際には見事な「物語り」になっていた。

でもありのままを撮影したものではなかった。

ディレクターのストーリーと編集技術によって「物語り」に仕立てられていて、放送を観た僕自身がその素敵さになんと感動してしまったくらいだ。

僕は今日、家人が録画していた「半澤鶴子さん」の番組を観た。

番組は素敵な「物語り」になっていたけどその中で76歳の半澤さんが語った「ゼロから始めればいい」という一言は強烈だった。

そこには「物語り」を超えた半澤さんのドキュメントが凝縮されていて、僕たちが常に向き合うべき学びの原点だと強く感じたからだ。


学びの原点


2021年1月10日日曜日

「かもしれない」と問い続ける

僕の先週は、神秘性、諸行無常、似非科学、カオス、正しさ、ナラティブとまあ、テーマが壮大だったね。

大きなテーマに対してブログに書くのはあくまでも個人の意見、考えだから断定は禁物だと僕は思っている。

だから、僕は文の締めを「かもしれない。」と書くことが多い。

論文を書いているわけではないからね。

逆に物事を断定するような記事であれば毎日書くことは無理だろう。

で、ね。僕がこうやって毎日書いているのは、考え続けること、問い続けることだから「かもしれない」よいのかもしれないね。
 
(月)僕たちは神秘性の囚われ人なのか神秘のかたち、なのか
ひょっとしたら僕たちは目に見えないものに神秘性というラベルをはってしまい知的に理解しようとしているけど生命とは眼に見える神秘性のかたちなのかもしれないね。

(火)祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きありにならないようにするには
失敗や叱責を恐れず今は見劣りしてもいてもやがて勝つために一生懸命努力している人は諸行無常とは無縁なんだろうね。

(水)「知」と「地」2つの成長と似非科学
大地の理解ではなく脳中心主義の象徴化による似非科学でこれまでも何度となく僕たちを不幸にしてきた原因に思えるのだけどいかがなものかしらん。

(木)カオスマップというカオス
カオスマップを作る労力には敬意を表するけど呼び方を変えてもらえないものだろうか。

(金)「正義の人」と「正しい人」違うってことだね
考え方の違いは多様性だけど、違う考えを受け入れないのは画一性であって差別はそこから生まれるのかもしれないね。

(土)未来のためにナラティブする?
そしてその元気こそが僕たちの未来の希望なのかもしれない。


揺れ続ける意味


2021年1月9日土曜日

未来のためにナラティブする?

 生き物は生まれてから死ぬまでの時を過ごす。

時間は主観的には自分関わる環境の変化と同意だろう。

周囲が変わっていく、と感じられるからね。

一方、相対化すれば自分の変化になる。

環境とともに自分も変わるのが時間の姿である。

さて、この時系列的変化を線で結ぶとそこには物語が生まれる。

昔々あるところに・・・誰でもなるのだ。

では、僕たちが日常的に自分の物語を意識しているかといえばそんなことはない。

主観的に生きて環境変化に適応していくのが生きる術だからね。

でもね、僕たちが生きてきたという事実は紛れもない。

そこには僕たちの生命がずっと蓄積されているんだ。

だから僕たちは自分の物語に気づくと元気になれる。

ひょっとしたら自分が思い描くような理想的な物語とはかけ離れているかもしれないけど、生き抜いてきた事実はもうそれだけで奇跡のストーリー、アカデミー賞級の映画の脚本にも決して引けを取らないものなのだ。

だから元気になれる。

そしてその元気こそが僕たちの未来の希望なのかもしれない。


希望へ


2021年1月8日金曜日

「正義の人」と「正しい人」違うってことだね

RBG

アメリカ人の多くはこう聞いただけで直ぐにかわるのかもしれない。

去年、アメリカ大統領選挙で劣勢が伝えられた中、トランプ大統領は自分に有利になるよう最高裁判所の判事を指名したけどそれはRBGが亡くなって判事の席が1つ空いたから出来たことだ。

ルース・ベイダー・ギンズバーグ

男性社会のアメリカ法曹界でトップに登り詰めた女性である。

つい最近、NHKでアメリカのドキュメンタリーが前後編で放送されていたし、映画「ビリーブ 未来への大逆転(原題RGB)」もあって、僕たち日本人でもその生い立ちや社会への貢献を知ることができる。

さて、RBGを知るに僕が感じるのは「正義の人」と「正しい人」は違うということだ。

「正義の人」は敵を駆逐する。ウルトラマン、仮面ライダー、セーラームーンなどなど「正義の人」は僕たちのヒーローだ。

しかし、よくよく考えると、「正義の人」は駆逐する悪が必要である。

だから悪役が生まれるのだね。

政治の世界は常にそんな感じ。

トランプ大統領も常に敵を作り出して自分の正義を振りかざしている。

日本の政治も同じようなものだろう。

一歩、RBGは「正しい人」なのだと思う。

「正しい人」は意見の対立を恐れないけど対立する相手の考えを受け入れながらもともに迎える未来を考える人である。

正しくない相手を正論で叩きのめし駆逐する、なんてことはしない。

正しくない相手であっても正しいことを考えられる場を作り出すのだ。

さて法曹界や法律を学ぶ人が全てが「正しい人」ではないのかもしれない。

隣国の高裁で行われた従軍慰安婦に関する司法判断はどう考えても「正義」だ。

それに応じるのも「正義」だけどね。

考え方の違いは多様性だけど、違う考えを受け入れないのは画一性であって差別はそこから生まれるのかもしれないね。


正しいか


2021年1月7日木曜日

カオスマップというカオス

 今日、僕は僕の会社が身を置いている業界のカオスマップを観ていた。

情報を集めて一覧できるようにするには、相当の労力を費やしていると思われる。

ありがとうございます。

しかし、ふと「マップ」といのはとても構造化された秩序であってカオスとは程遠いはずではないのだろうかと疑問を持った。

そこで「カオスマップとは」で検索をかけたところ、

カオスマップは英語では「Industry Landscape Map」とも呼ばれ、特定の業界の企業やプロダクトの関係性を示した図のことを指します。 

という記事があった。

英語を直訳すると「産業の様相を地図にしたもの」だ。

この記事が正しければ「カオスマップ」はまったく意味が違っている和製英語であって、名付けた人はセンスが無さすぎると感じた。

その人がカオスなのかもしれない。

整理が出来るというとこはそれは秩序に沿っているのだからね。

僕は複雑系派なので「カオス」の使い方に対しては心が広くない。

カオスマップを作る労力には敬意を表するけど呼び方を変えてもらえないものだろうか。


混沌と秩序


2021年1月6日水曜日

「知」と「地」2つの成長と似非科学

 僕たちは僕の知る限り地球上で唯一ロゴス(言葉・理)を持った種だ。

その結果僕たちは地上の支配者となった。

だから、僕たちは成長する、即ち力をつけるとは、ロゴスを高めることと考えられている。

フィッシャーの成長理論などはまさに知性の高次元化であり、核心的言葉がその表象となっているように思われる。

「知の成長」だね。

一方、僕たちはピュシス(自然)の一員だ。

生態系というロバスト(堅牢)な仕組みは僕たちがロゴスを獲得する遥かにずっと昔から成長してきた。

例えば、新型コロナウイルスに僕たちのロゴスは大きく揺さぶられているけど、ウイルスとは生物のDNAが切断され体外に排出されたものらしい。

つまり、生物のゴミだ。

酵母は糖分を分解してアルコールを排出し、やがてそのアルコールで自らの活動を止める。

ひょっとしたらウイルスが僕たちの活動を止めるのも同じような仕組みなのかもしれない。

僕はその仕組みこそこれまでピュシスが成長してきた結果かもしれないと考えている。

「地」の成長である。

で、ね。僕は「科学」とは「地の成長」の理解だと思うのだけど、ロゴスに慢心した人たちは「知の成長」が科学だと言っているのではないだろうか。

大地の理解ではなく脳中心主義の象徴化による似非科学でこれまでも何度となく僕たちを不幸にしてきた原因に思えるのだけどいかがなものかしらん。


本物?


2021年1月5日火曜日

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きありにならないようにするには

昨日、僕が家の近くを歩いていたら後ろからひゅるひゅるという音がした。

振り返ると郵便配達の電動オートバイが来ていた。

「ああ、この聞きなれない音は電動なんだ」と思いつつ、そういえば郵便局の車も電動になっていることを思い出した。

そういえば僕は見なかったけど、箱根駅伝で選手を先導した白バイも電動だったらしい。

白バイに使える電動オートバイを造らないホンダはその気になればすぐに作れるから急がないと記事で読んだ。

かつてニコンやキャノンがデジタル一眼のミラーレス化でソニーに後出しじゃんけんに負けたようにならないと良いのだけどね。

テレビ、パソコン、スマートフォンなどなどかつて日本がNo.1だぜ、みたいな勢いも今となっては懐かしさを通り越して虚しい。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり

日本にはこんな示唆に富み皆が知っている古典があるのにね・・・

僕は以前、ある有名企業で若手が新しい商品カテゴリーを提案してこないという課題を聞いたことがある。

最近、これは、2歳から12歳くらいまでに獲得されるという失敗を恐れない自律性、親から注意されるとわかっていてもやろうとする積極性、素のままでは勝てないから頑張る勤勉性が足りていないのかもしれないと考えている。

やりがいとか挑戦とかを標榜するけど、実は失敗をしたくない、注意されたくない、ナチュラルパワーで優位に立てる、そんな学生がいい人材として会社に入ったのだとすれば腑に落ちるからね。

失敗や叱責を恐れず今は見劣りしてもいてもやがて勝つために一生懸命努力している人は諸行無常とは無縁なんだろうね。


光あるもの


2021年1月4日月曜日

僕たちは神秘性の囚われ人なのか神秘のかたち、なのか

 僕たちが神秘的な存在を意識するようになるのは3歳くらいからと聞いたことがある。

そのくらいになると「悪いことをすると神様に叱られますよ」とか「神様が見ているからいたずらをしてはいけません」みたいな言葉が効いてくるらしい。

その神秘的な存在が成長するにつれていろいろな形となって僕たちの日常に少なからず影響を与えていることは間違いない。

さて、今日僕は午前中にリモートで会議に参加していた。

すると僕の犬が背毛を逆立てて急に吠えだした。

犬や猫といっしょに暮らしている人ならわかるかもしれないけど、本当に首筋からお尻にかけての背中の気が逆立つのだ。

その時、犬を抱いていた家人もたいそう驚いていた。

そうなる前はすごく穏やかだったからね。

残念なことに僕は僕の犬とロゴス(言葉・論理)で通じ合うことができないから彼が何を感じて背毛を逆立てたのか確かめることができない。

ひょっとしたら会議に参加していた僕のオーラとか気とかそれ以外に例えば生霊みたいなもの(もはやオカルト映画の領域だ)が現れて影響したのかもしれない。

映画だと人間には識別できないターミネーターを見抜くのは犬だったね。

と、僕がそう言っていること自体、神秘性の表れなんだけど、僕の犬はおそらく神秘性などという概念は持ち合わせていないだろう。

ひょっとしたら僕たちは目に見えないものに神秘性というラベルをはってしまい知的に理解しようとしているけど生命とは眼に見える神秘性のかたちなのかもしれないね。


生命とは身に見える神秘?



2021年1月3日日曜日

I have a Dream. 私には夢がある

 私には夢がある。それは、いつの日か、この国が立ち上がり、「すべての人間は平等に作られているということは、自明の真実であると考える」というこの国の信条を、真の意味で実現させるという夢である マーティン・ルーサー・キング・ジュニア1963

あまりにも有名なキング牧師の演説を今夜僕は思い起こしている。


さて、僕は昨年の暮れから年初にかけて少し違和感を持つことがある。

暮れはナチスに関する番組や映画が多かったこと。

そして年初は大日本帝国の軍隊に関する番組が続いたことだ。

もちろんそこに何某かの意図が働いているのだ、といったアメリカの陰謀論みたいな妄想はないけのだけど何か引っかかるのだよね。

そんな折、夕方のニュースで箱根駅伝の様子が放送さえた。

その中で優勝した大学の監督が選手に向けて何度か「お前は男だ」という声掛けをしていた。

丁寧にテロップまでつけていた。

監督が選手を励ます口癖なのか、映像を編集した人たちの意図なのかわからない。

そのことを考えていたら冒頭の一節が思い浮かんだのだ。


僕にはいつの日か、本人が選ぶことのできない性別や精神論を振りかざすことは恥ずべきことだと誰もが考える社会を実現させるという夢がある。





2021年1月2日土曜日

好奇心という不思議な能力

僕たちは見知らぬものを警戒し安全を確かめようとする。

見知らぬもののなかでも動くものはより危険だ。

いつ自分に襲い掛かってくるかわからないからまずは恐怖が先にたつ。

一方、動けないものに対してはどう距離をとるか自分で決めることができる。

つんつんする勇気も出てくる。

勇気が勝つと僕たちは見知らぬものに対して俄然、興味を持つ。

子供が親から叱られるとわかっていても手を出す、これは発達心理では積極性の獲得と言われる段階だけど僕たちにはその能力が備わっているらしい。

そしてここで言う僕たちは、人間のことだけじゃない。

僕の犬を見ていても積極性と消極性は生命の仕組みであることが良くわかる。

怖いけど気になる、気になるけど怖い、この狭間に生まれるのが個性だ。


さて、僕たちの勇気は好奇心によって着火するのかもしれない。

これは何の匂いだろう、どんな味がするのだろう、あの音はなんだろう、これは何だろう、そして、あの先にはなにがあるのだろう。

今まで経験したことがないことへの出会いで僕たちは勇気を出すのだ。

そう考えると好奇心は生命の本質近くにある不思議な能力なのかもしれなね。


好奇心はどこにある?


2021年1月1日金曜日

僕の全部を見せちゃう元旦

 2021年が明けた。

初日の出も見た。

初詣に並ぶ人も観た。

そして、朝からお酒を飲んだ。

今年の祝い酒は獺祭になったのだけど、美味しいねぇ。

獺祭は杜氏が居なくて科学的に酒造りを行っているらしいけど、この美味しさなら科学万歳である。

さて、僕はお酒を飲むと頭の回転が良くなるような気がする。

頭が冴えて素晴らしいことを思いつくのだ。

ただ、お酒が覚めてよくよく考えると素晴らしいと思ったことはあまり素晴らしくない。

なんだかダメな人のダメなところがやたら鮮明に感じられるのだ。

そう、下手をすると酔って愚痴ばかり言っている親父と本質的にはあまり変わらずやがて虚しくなる。

では、なんでそうなってしまうのだろうか。

お酒によって僕の何が変わるのだろうか。

僕は以前、脳MRIを分析して性格判定を行うサービスを試しに受けたことがある。

その結果は、「制御」が一番発達していた。

制御とは衝動を抑える傾向らしいので、アルコールでそれが麻痺して衝動的になったのかもしれない。

一方、脳の部位で言うと「淡蒼球:大脳基底核の一部で、運動制御や「やる気」に関わる」が一番発達していて(大きい)、「視床:感覚情報の脳への中継点」が最下位(小さい)らしい。

大きさと働きは別物だ、と大きさコンプレックスを持っている僕からするとあまり意味を感じないのだけど、こういったこともお酒の影響を受けるか酒場学習論で聞いてみたい。

ということで、祝い酒の勢いではないのだけど2016年の僕の脳みそを全部見せちゃう。(でもね、ひょっとしたら以前も載せているかもしれないのだけどね)