2021年10月31日日曜日

華やかさよりも深みのある人生へ

 最悪の出来事も、ちょっとした考え方と行動の違いで、最高の出来事に変わることもある七本指のピアニストとして有名な西川悟平さんの座右の銘自分で作った言葉だそうです。素晴らしいですねー西川さんの詳細はこちらからジストニアという難病でピアニストの命とも言える指の動きに影響を、受けたにも関わらず。残された指で発病後も人々に感動を与え続けているのだから本当に素晴らしい。しかも、病気のことをギフトとまで言ってしまう。ぼくは今回脳出血で左手に麻痺が出ているけどギフトと呼べるような境地にはとても至っていない。ただ、残されている機能には言霊を持って感謝していきたいと思う。先日も愛犬を抱いたときその手触りと温もりを感じることが出来たからね。要するに何ができるかじゃなくて。できることで何をするか、なんだよね僕はNHKで西川さんの話を観たのだけど。リハビリ中の僕にとってみればそれがまさにギフトである。涙が出るほど感動して勇気づけられた僕は趣味でギターを弾いていたらけどギタリストじゃないから西川さんのような苦しみはない。右手は普通に動くからスマホでもパソコンでも文字は打てるしブログだって事業構想だって書ける。西川さんがジストニアになってから奏でる音が派手にかっこよくではなくいかに美しく音楽を奏でるかに変わったように僕も一つ一つの発想や瞬間を大切に生きていけば良いのだ。深みのある人生を送る機会を得たのだと考えていこう。実際にそうだと思う。家族の愛、家族への愛と感謝入院生活で感じることや気づきいろいろな看護師療法士さんとの出会い全てが僕の人生に深みを与えてくれていることは間違いない。応援してくれる皆友人もそうである本当に愛おしい。。僕が西川さんのような境地に至るにはまだまだ程遠いけど。きっと一歩づつ近づけいていけばばよいのだ。

華やかし頃

2021年10月30日土曜日

ローコンテクストという不快

 病院という場所は間違いなくハイコンテクストである。暗黙の了解がたくさんあるものね。看護師さんは入院患者のことをよく知っているし。情報もしっかりと共有されている。何か有れば皆が同じように行動してくれるから慣れてしまばいちいち戸惑う方はない。もう、顔を見るだけで安心できる場所なんだよね。このハイコンテクスト状態はとても快適だ。ところが今回病院の配管工事ごあって他のフロアの病棟が閉鎖され。その病棟の看護師さんや療法士さんが僕の病棟に来ている。病院にとってみれば仕方なく、やらざるを得ない配置転換であろう。要するに知らない人が一気に増えたのだ阿吽の呼吸で通じないローコンテクスト化が一気に進んだわけだけど。ハイコンテクストに慣れた爆晴らしてみるととてもめんどうだ。いちいち説明したりしなければならないからね。そう、ハイコンテクストに慣れた身にとってローコンテクストは不快なものである。同じことを聞かれても気心が知れていないというだけで鬱陶しく感じてしまう。患者のさんでも最近外国の方がいらして。禁止エアリでも大きな声で電話をしている。日本人であれば、ほかの(患者)がやらないことはやらないけどハイコンテクストが通じない人はルールとして注意指摘されない限り空気を読まない。そしてそれ自体もなんだか気になってしまう。こういうものだよねとかこうするのが普通だよが、通じなくなると。こうしなさい。とそのちゃんとやったかの確認を強化するしかなくなる。そういえば看護師さんたち強化週間という腕章を巻いているなぁ。なんだそう言うことだったよかぁ。でも入院患者である僕にはそんな事情は知らされないのでハイコンテクストに察するしか無い。それがきっと不快さの原因なんだよね

社会の多様性が増してローコンテクスト化が進むと。ハイコンテクストに慣れた僕たちは不快さを感じることが少なからず増えるのかも知れないね。ここ数日僕はそんなことを感じ考えているのだ。


赤富士もハイコンテクストだよね

2021年10月29日金曜日

遺伝と性格と才能と、キャリア選択と経験と学習の偶発性

 今日は書きたいことが3つもあるのだけどその中でも1番はやはり、とても興味深い理学療法士そんのことである。この理学療法士さんはきやりあもユニークなんだけど。ご家族の状況もとてもユニーク。もう、ナラティブインタビューを絶対してみたい人でした。ご両親はインテリアデザイナーというバリバリのアート系タレント、で一卵性双生児で妹はやはりアート系のお仕事療法士さんご本人も絵とかは得意なんだそうです。なのに何故理学療法士という福祉系医療の道を選ばれたのでしょうか。なんだかきっと人生に偶発性が潜んでいたのではないでしょうか。しかもそれはきっとご家族含めての出来事と思えます。あー気になる〜、退院したらきっとインタビューさせてもらおうっとファミリーヒストリーもだから10時間くらいかけて聴いて、年表と成長のダイヤグラムを作るのです。アート系の人だからグラフィックファシリテーションみたいにダイヤグラムに絵を描いてもらったら間違いなくナラティブアートが出来上がるよね。考えただけでワクワクする。

もしそのアートが誰かの心に響けば、ナラティブアート経験という新しい体験が生まれることになる。考えるだけで楽しくなる。ファミリーヒストリー型ナラティブアートという新しい体験アイデアが今生まれた瞬間かもしれない、心理学的な興味も尽きないね。タレント(才能)とキャリアという観点でも興味深い。いやいまこの瞬間にグラフィックナラティブという新しい構想が、生まれたのです。ナラティブインタビューをグラフィックレコーディングする構想がね。僕にアートのタレントはないけど。グラフィックレコーディングは上手に描くことが目的ではないからね


入院中でも持っています

2021年10月28日木曜日

正解のないもんだいに向き合う方法

 世の中はどんどん複雑化して、僕たちが向き合う問題も予測不能で正解が見当たらないものが増えていく。ではそのような正解のない問題にどう向き合えば良いのだろうか。答えのでない問題とは不良設定問題である。答えがでるように設定されていない問題でもし、これをテストに出してしまうと問題を作った人が悪い出題者が問題だとなってしまい。この問題は答えが出ないので採点から外しますとなってしまう。答えが出るようにするにはそう言う設定をする必要があるのだ。例えばA地点からB地点に移動する際に最も早いるーとを選びなさいとか、最も安いルートを選びなさいとか。移動には飛行機は使えませんとか答えが出るように条件をつけてあげる必要があるのだ。連立方程式が解けるのは、条件が連立しているからなのだ、。例えば社会の問題はステークホルダーが多いので答えが出しにくい。そうすると自分はこう考えるとか、やるよね。要するに自分自身が条件となるわけだ。だから自分ごととして問題に向き合えば解決できる問題は増える。例えば手の届くはんいのゴミはじぶんで拾うと多くの人が決めれば清掃担当の人をおかなくても清潔な環境を作り出せるのだ。だから答えのないもんだいを解決する方法の一つは皆がもんだいを自分ごと化することだね。僕はチームのもんだいの多くはそれによって解決できるのではないかと考えている。しかし。チームのもんだを解決する役割をだれかに決めたり押し付けたりしてしてしまうと他責が生まれて問題解決は困難になる。役割を任された人が清掃をだれかの仕事にするときっとその人は嫌がるから新たな問題がしようじるよけ。僕たち日本人は。サッカーのサポーターのゴミ拾いとか。協働空間で問題解決する方法に実は価値を共有しているのではないだろうか共感とか共鳴という形でけ。だからサッカーでなくハロウィンでも同じことができる。強いリーダーの指示ではなくではなく誰もが自分の周り1メートルの世界を変えるだけでせかいがとなにが起きるか知っているのかもしれない。もちろん自分だけではどうにもならない問題も少なくないだろう。どうにも解決できる問題設定ができない問題もあるだろう。それでも僕ならこう考えるとか私はこうすると言った主体性は問題解決の大きな手掛かりになる問題解決の難易度を下げ僕たちの生存可能性領域を広がることができるからね。強い1人のリーダーではなく誰もが自らのリーダーシップを発揮することが正解のない問題に向き合うとかきに必要なことなのでははないだろうか。僕はそうして皆の協働する空間が広い社会こそがよい社会なのではないかと考える。組織も同様だ。こんかいのコロナにおいても強いリーダーによるロックダウンでなく。一人一人の感染予防行動が第五波の沈静化に大きな効果を発揮したのであるとすればば僕たちはそこからもっと多くのことを学べるのではないだろうか。感染拡大の予測のシミュレーションも良いけどコロナを通じて社会問題解決の検証をしっかりとしてほしいものである。



きようはこんなものかなぁ


2021年10月27日水曜日

134日目の決意

 僕は今回右被殻下出血という脳出血を発症した。発症した時のことは今でも鮮明に覚えている。ただならぬことが僕の身体におきていることすぐに病院に行かなければいけないことそのためには誰かに助けを求めなかればならないことはすぐにわかったけど。左半身に麻痺がおきること、入院してしばらく家には帰れないようになるとは全く思っていなかった。まあ、そんな一大事だとは思わなかったわけだね、そんな能天気な正確が結局、身体の不自由や長期化する入院にも向き合えている理由なのかもしれない、深刻にとらえていたら相当しんどいに違いない。結局入院も134日を迎え昨日は133日ぶりに家の敷居をまたいだ。そして、ああそんなに長く家に帰っていないんだなとあらためて感慨に浸る呑気さが僕にはある、もちろん入院中に不安に駆られたこともホームシックで家に帰りたくなったこともあるけど、その度に妻の言葉に救われていた、本当に有り難いことだ。また、回復に向けた病院のサポートも本当に有り難い。妻と病院のおかげで心置きなく病気からの回復に集中できている。もちろん病気であり回復するのは僕自身なので僕にできることはしっかりとリハビリに取り組む以外に無い。歩行訓練の際も立ち上がりの訓練の時も教わったことをしっかりと思い出して、集中するのだ、ある意味こんなに真剣に学習するもの久しぶりだ。僕は一夜漬け学習法を捨て、授業時間に集中して教師の話を聴きその場でしっかりと理解学習する学習法をとっていたのだけど、それの再現と言えるほど集中して、リハビリに取り組んでいるおかげで集中力もあがっているのか脳トレの脳年齢チェックも若返ってきた、僕の疾患では集中力が落ちる影響を受ける可能性もあったのだけど、どうやらそこは大丈夫だったようだ、間違い探しのような注意力は一時影響を受けたけどね。あまり深刻にとらえず目の前のことに集中する、案外そんな僕の性格が良いのかもしれないね。かんがえてみれば、僕の人生はそんなことの連続である、だから声高に不安で騒ぎ立てる人や眼の前のことに集中しない人とはあまり相性が良くないのかもしれない。もちろん不安を感じることや固有の価値観で集中することがいけないわけでは全く無いあくまでも僕の性格との相性ということである。ちろん能天気だから集中力に影響を受けなかったわけではないだろう退院までの時間を大切にして、今回の入院生活を無事に終わらせていこうと、昨日の一時帰宅を終えて決意を新たにする134日めなのであるら


133日目の再開

2021年10月26日火曜日

夢の途中のキャリア意識。

 専門職のキャリア意識

僕はリハビリで療法士と言う国家資格で専門職として働く人達の力を借りている。みなさんとてもプロ意識が高く経験も豊富で麻痺した僕の左手左脚を見事に回復なら向かわせてくれている。さて。てこれは僕たちの偏見かもしれないけど。国家資格と経験と専門性を備えた療法士さんたちはその道を一途に突き詰めていくものかと思いきやインタビューしてみると案外そうでもないようだ。将来の夢キャリアビジョンは実は多様なんだよね、当たり前の話しだけど。キャリアアダプタビリティの観点なのかaiといった先端技術に関する関心も高いようだし。別にいまの療法士としての仕事に行き詰まっているわけではないものの。将来のキャリアやライフスタイルに関しては多様な価値観があると言うどこの組織にもある現実がリハビリ病院にもあったと言うことなのかもしれないね。それは。避けることのできない環境変化技術革新の波が来ていることとこれからの自分の人生を考えたときに現状はまだまだ夢の途中であって決してゴールではないと感じていると言うことなのでしょう。これは結構新鮮な感覚だったね。普通の会社ならまだしも、決意して苦労して国家試験に合格して掴んだキャリアだと思っていたからね。確かに人生を100年のスケールで考えてみたら今をゴールと考えてしまったらもったいない。この先嫌でもライフステージは変化していくからね。でももし僕が企業の採用担当者だとして療法士の人が応募してきたらやはり違和感を感じてしまうに違いない「なんで?」とね。

実はこの違和感は採用担当者は非常に、多く感じるものではないだろうか。この違和感は、その人の本質を理解すれば、解消するものである。結局はその人の本質理解が足りていないがゆえにステレオタイプ的に人のキャリアを描いてしまうバイアスが僕たちに潜んでいると言うことなのでしょう。そのバイアスに沿っていると納得してしまうのは変な話しだし怖い一面があるよね。でも、組織の中で暗黙的に描かれているキャリアパスがもしそれであるとしたらそれは結構な悲劇だよねかつてのOLがお茶汲みや、コピー取りから始まって25歳で寿退社すると言うキャリアパスもそんなバイアスの現れからかもしれないからね。専門職であれば一生その道を邁進するなんていうのもステレオタイプなキャリアバイアスなのかもしれないね



あなたの道を、ゆくのです

2021年10月25日月曜日

パソコンと時代の変化

 僕はパソコンが好きなので。リハビリ病院で使っているパソコンもつい気になってしまった。

正確な機種はわからないけどhpのパソコンであるようだ、僕も今家で使っているパソコンはhpである。それまではMACBOOKPROを使っていたのだけど故障して次に買う時に。 必要スペックを検討しコスパからhpひしたのだ。hpはコスパが高くしかも在庫があった。かつてはVAIOユーザーだったのだけどねぇ。

在庫も割と豊富(納期が早い)なところが魅力である。以前病院とかのパソコンは富士通やnecとだいたい決まっていたように思うのでだいぶ様相が変わったよね。

ひょっとしたら新型コロナによる世界的な半導体不足の影響が大きく。部品を大量に買い付けているメーカーに優先的に半導体などの部品も、供給されているのかもしれない。中途半端なきぼ

hpやDellはコスパと欲しい時に買えると言うメリットご大きくて。なんだか日本メーカーのパソコンはすごく中途半端なポジションならなっちゃったよね。

Macの魅力も在庫はしっかりあることだよね。昔はと言えばパソコンは在庫が積んであるものだったけど。今やBTOで注文してから組み立てるものになったよね。だから一部の部品が足りないとやたら納期が掛かる。コロナでマスク不足騒動が起きたのとおなじだね。今やパソコンどころか車ですら減産になってしまう。欲しい時が買い時と言う時代はどうやら終わってしまったみたいだなぁ。今や納期が、一番。にたなってしまったね。


2021年10月24日日曜日

しぶといんだよ

 僕が好きで毎朝観ているお帰りモネで強いんじゃねぇしぶといんだよと言うセリフが出てくる。災害に負けずに復興に取り組む人たちのことをそう表現しているのだ。僕ば災害じゃないけど右被殻下脳出血で現在リハビリ中だ。右脳なので左半身の運動機能と感覚を発症により失ったのだけどリハビリを続ける中でそれらも徐々に取り返して来ている。幸いぼくは右利きだし。左脳に出血を起こすと言語などに影響が出るらしい。ぼくは右脳なので。注意力とかに、影響が出やすいらしい。しかし神様は。コミュニケーション能力記憶や思考そして注意力なども僕に残してくださった。だから脳トレもできるしこうしてプログを書いたり。療法士さんにキャリアインタビューとか組織論の話を教えてあげることもできている。神様ありがとう。それと面白いのは。運動機能も寝ている時に時々蘇るのだ。左手が動いてぎゅーっと右手を掴んだらりする。起きてしまうと難しいのだけどね。それを体験すると冒頭の台詞のようにほんとしぶといなぁと感じるのだ。僕は友人たちのように賢くも強くもない弱い人間だけどこうして今もしぶとく生きて機能を回復しつつある。そそれは僕が強くてリハビリに耐えているからではなく。僕らしく生きることを諦めないしぶとさがあるからだ。そう言えば。トランクルームで倒れた時、珍しく人の気配をがあることを察知して僕はすぐに声の限り助けを求めた。神様は僕に声を残してくれていた。スマホは持っていたので自分で救急車を呼ぶこともできたのだけど、出入り口の鍵が開けられなければ助け出してもらえない。立つことのできない僕は鍵を開けられないから鍵を開けられる人に助けてもらうしかない。足元がふらついて立ち上がれなくなって混乱する中でもば僕は冷静に考え。勇気を持って助けを求めたのだ。そう言う状況も始めてのことだけど見ず知らずのよ他人に助けを求めることも生まれて初めてだった。神様は僕に考える力も残してくれていた。結果僕は素早く救急車に乗って聖路加に搬送さ処置を受ることができたどうやら僕もしぶといらしい。そのしぶとさはリハビリでも活かされている。だから僕は失った機能もきっと良くなると今は信じている。いますすぐ出来ないことはあるけどきっとそのうちできるようになる。ひょっとしたら今回の経験から学んで今まで以上に復興してしまうかもしれない。まあ、パラリンピックは無理だろうけどね。でもこれから一旗も二旗もあげられる気がしている。会社も戦力外になり病床に伏していながらそう思えるのだからほんと僕もしぶといよねえと自分ながら思うのだ。




しぶとく日若返っているらしい

2021年10月23日土曜日

自主経営を妨げるもの

 僕は療法士さんにティール組織の中で事例として取り上げられているビュートゾルフのことを教えてあげた。自立度が上がって介護が減るのは患者にとっても理想的であることを申し添えてね。療法士は非常に興味を持って聞いていた。一そしてつはやはり現場からなかなか提案が上がってこない現状についてとあとは医療の仕組みに壁があることについて教えてもらった。提案は促しても誰が言ったんだとなることを恐れて出てこないこれは。心理的安全性がないことの現れだね。もう一つは。療法士も結局医師の指示に基づいてしか処置が出来ないのだという。権限と責任の法的枠組の問題である。先生の指示。それは看護師もよく言うことだ。ではその医師の指示がどう決まるのかと言うと、観察していると、ほとんどが現場の意見なんだよね。。現場から上がった意見を医師が追認しているそれが実態なのである。つまり。最終責任者の医師は患者一人一人の現実を知るほど現場に深く入れない。だから患者の実態や問題を知っているのは現場の療法士や看護師なのだ。その意見を取りまとめて判断するのが医師の役割と言うのが法律の枠組であるようだ。医療は生命に関わる責任があるから。その責任をだれが負うのか明確にする必要があることは理解できる。しかし実態としては。現場療法士や看護師が方針を決めていると言っても過言では無いだろう。例えば僕がコーヒーを飲んでも良いのかの判断をするのは医師であるがそこには病気とカフェインの影響に対する正しい知識が必要で、現場で判断することでは無いだろう。以前、僕がインフルエンザに罹患した時医師が処方した解熱薬を薬剤師が僕の持病への悪影響を鑑みて止めたことがあったけど。これも同じ構図だよね。より深く正しい知識を持った専門家が最終判断をするのが適切なのだ。医療における医師とはその表象であるのだけど、患者本人への深く正しい理解と知識は現場のの療法士や看護師が持っているのである。接している時間と密度が桁違いだからね。だから、ビュートゾルフの自主経営の取り組みは、先進的に見えてじつは最も効率的かつ効果的で合理的なのである。そして、医療現場における責任と権限の枠組みは非合理的で非効率を生み出し。現場改善への主体性を阻みげんば社会保障における医療費の膨らみと現場の長時間労働という悪循環を生み出しているのだ。医療費を抑えたい国は。効果的な治療を行うとインセンティブが出るようにしているらしいけ枠組み主体性を上げて合理的で効果的な医療を実現した方が遥かに良い結果を生み出せる、ビュートゾルフの事例はその実証であることがリハビリ入院していると本当によくわかるよ。今回の新型コロナ感染で医療従事者に感謝を示そうとの機運が高まったけど。医療現場の3kはひょっとしたら現場の知恵で解決できるのかもしれない。しかしそこには解決を阻害している法的な枠組みとくに権限と責任の固定化があにことを忘れてはならないだろう。医療情報に関する深く正しい知識はにもとづいた判断は将来aiで置き換えられるのではないだろうか。

今朝も快調だよ〜

2021年10月22日金曜日

学習できない組織にありがちな思考

 仕事というものは新しい状況や環境に置かれると必ず新たに生まれてくる。その時。その新しい仕事に誰がどう向き合うのかは大きな課題である。

新しい仕事に最適化して人的資源を配分すると必ず人的資源の不足と過剰が発生するからね。もっと具体的に言えば採用と解雇だ。それは状況や環境によって組織が刷新される原動力になるのだけど、僕は人的資源の再配分だけでなく組織の学習力によっても乗り越えられる課題だと考えている。組織構成員一人一人がどれだけ学び直せるかということだけど。組織としての学習力のためには。組織には新しい仕事は積極的に拾拾い学習に対して自ら学んで変わるという信念が浸透している必要があるだろう。自分は変わりたくない、変わる理由がわからないとか、誰かが新しい仕事を埋めるだろうという学習拒否思考と他力本願が根付いてしまっていると組織の学習は阻害され。結局人的資源の再配分でしか問題解決出来ないことになってしまう。再配分は悪いことではないけれど。そこで生まれるのは結果として学習出来ない組織である。新しい状況や環境は日々訪れるわけでそう考えると学習できない組織には未来は無いだろう。人的資源の流動性が高まってもそんなに都合よく再配分できるわけじゃないからね。要は学習を他人事にしてはいけないのだけど。組織が役割や機能で構造化されればされるほど構成員の他人事が増えていく。自分の範囲を限定するそれは一見構成員にとっては楽なことである。組織に学習に対する。信念や実践はの支援承認がどれだけ根付いているか。僕はそこが組織を作る者にとっての成長や進化に向けた勝負ポイントではないかと考えている。

僕かすごいなぁと感じる人は信念と実践を通じて組織に学習を浸透させてしまう人達なのである。残念に感じるのは他人事化を正当化して学習の機会を奪っても気にしない人達だなぁ。それと自分事化する人の心を折る人達である




仮面の陳列組織になっていませんか?

2021年10月21日木曜日

恐るべき正常性バイアス

 病院には自由に使えるWiFiがあるのだけど病院では繋がらない。食堂だとつながるのだけど。食堂では定期的にイベントがあって今日は使えない。共有される場所って大体そんなものだよね。食事中やイベントの際は食堂でパソコンを広げることはできないのだ。病院に対する入院患者の要望の一番はWiFiに関するものだそうだたださっこんの半導体不足で無線LANの機材が張達できないのだそうです。結果僕はキャリアの契約を変更せざるを得なかった。今どきWiFiの無い環境なんてあり得ないよね。ウイルスは僕たちの身体だけでなくインフラにも大きな影響を与えているけど。それはウイルスの戦略と言えるのだろうか。身体だけじゃなく社会機能にも影響を与えることでウイルスの生存や感染拡大に有利に働いているとしたらそれはすごいことだよね。なぜならウイルスはそんなことなにも考えていないだろうからね。でもWiFiはともかくとして経済には深刻な打撃を与えていることは間違いない。今回の新型コロナウイルスに限らず過去からウイルスは人間の社会活動に大きな打撃を与えてきた。目にも見えない小さされるなのにすごいことだよね。ウイルスを増殖し感染を拡大させているのは不利益を被る人間自身なんだよね。要するに人間が、自分の首を自分で絞める構図になっているということだ。地球温暖化も同じ構図かもしれないその根底には自分だけは大丈夫という正常性バイアスが働いていることは間違いない。要するに認知の歪みの影響を甘くみてはいけないのだ。

僕たちはもっと自らの認知やそのバイアスについて正しい理解を、深めなくてはならないのだろう。


僕は参加しませんよ

2021年10月20日水曜日

組織に渦巻くご都合主義

 僕が考える組織とは。そもそも、とくていの目的に引き込まれて自己組織化したものだ。一時話題になったティール組織のようなイメージというとわかりやすいかもしれないぼくはそれが組織の自然な姿だと考えているわけだ。アトラクターとよばれる。力学の概念だけど。軌道を引きつける特定の領域を指している。組織においては多様な価値観を持つ個人が。惹きつけられる領域で。組織の目的やビジョンの領域がそれに該当さるのではないだろうか。アトラクターがあるから組織は組織として閉じた系を作り出すのであろう。組織は自主的に経営され維持されていく「ティール組織」(フレデリック・ラルー著)ではそれは次世代組織の姿としてえがかれているけど僕はそれは複雑系においては本来の姿ではないかと思うのだ。

もしそのような状態になっているのであれば。組織にはそもそも求心力が存在しないことになる。組織は自然と崩壊しないように出来上がっているはずだ、しかし多くの組織では求心力を維持するために多くの労力を使っている。その代表がリーダーシップである。リーダーには組織を一丸とさせる役割が与えられる。一方で組織を構成する多様な価値観を前に苦労することになる。価値観だけでなく様々な欲求にもさらされることになる。組織は自己組織化したものというより人為的に秩序ぎ導入運営され。組織の経営者ととその構成員は分離され組織と構成員に目的を果たすために責務が与えられるのであるオレンジとかグリーン型組織だね。そしてアトラクターなき組織。一丸となっていない組織が生まれる。そういう組織のリーダーは本当に大変である。だからリーダーが、苦労している組織は組織としてはとても不自然な形態だからであると言えるのかもしれない。もちろんリーダーに人としての魅力が有ればリーダー自身がアトラクターとして組織をまとめることができるのだけど。人の魅力だけではやはり限界があるよね。そもそも産業社会における組織はたような価値観を前提としている。多様な価値観を受容出来る組織が産業社会のポテンシャルをひきあげ発展の原動力となったのだからね。だから、秩序とその運営は不自然な組織の命綱である、しかし組織構成員にとってみれば根拠のない秩序や運営は苦痛である。目的ではなく都合によって構成される組織ほどその傾向ご強いのではないだろうか。人手が足りないからとりあえず募集しようとか採用しようとしたらそれは組織のご都合主義でしか無い。そこに巻き込まれる人は不幸だよね。

神輿は祭りのアトラクター


2021年10月19日火曜日

公正な分析モデルを表出するために

 僕を担当してくれている理学療法士はパソコンが趣味でMac派なのだそうです。だから今日新型MacBook Pro が発表になることも知っていました。パソコンで何をするのか聞いてみたらなんと統計解析をするのだそうで。年一回。病院で結果発表をするんだって。理学と言えば身体にを触るバリバリの臨床だけど最近はEvidence based medical(ebm)の流れがあってデータをとって報告に用いる必要があるのだそうです。解析はeasyRと言うRの派生版?を使っているらしい。病院のパソコンにはSpssも入っているのだそうだ。こんな、ど臨床の現場でも今どきは統計解析は必須なんだね〜。そして解析に用いるデータも自分で揃えていると言うから驚きだ。そして、やはり理学の世界でも臨床バリバリ系とデータ重視系に分かれるそうで臨床系と実験系に分かれた心理学と同じようなことになっているのだね。複雑性に内在する固有性を重視すれば。共通のデータ構造を作り出しデータ収集することは困難になる。臨床では1例1例が固有の事象どぁって、共通するデータ基盤を作るために取れるだけのデータを取ろうとすると個にとってその負担甚大なものになるからね。しかしデータは分析する目的に応じて作るものだ。データがたくさんあるからそれを分析して、知識発見をすると言うアプローチはビッグデータと機械学習が発達してから一般化したけど結局は何をどう学習させるのかは人間の叡智にかかっていることも明らかになってしまったよね。下手に既存データを分析してモデルを作ると人間や社会に潜在化している差別や偏見といったバイアスが反映されたものになってしまう。つまり公正なモデルを表出するための分析のデザインには非常に慎重な準備と設計が必要なのである。あとはモデル作りには十分な実践知が備わっている必要があるデータとツールがあれば良いモデルが作れると考えたとしたらそれは大きな間違いなのである。

データサイエンスという言葉が一時もてはやされたけど僕はは科学とは何かを考えること無くデータというevidence があればサイエンスだと思いこんでしまうほど怖いことはないと考えている。かつて湯川秀樹博士は科学とは第2の自然であると述べた。湯川博士の言葉を借りればデータサイエンスを行うためには徹底的に自然を観察して知り尽くす必要があるのかもしれないよね。だからアメリカではデータサイエンティストを名乗るためにはデータ分析手法を熟知している以外に最低でも2つの学問領域で博士号を取得していなければならないとされているのだろうね。

データから新たな知識発見をするには、十分に高度で専門的な知識を備えている必要があるということで当たり前といえば当たり前だ。新型macbookproが驚くほど高性能だとしても、その前提は決して変わることは無いだろう。

今の僕の愛機いろんな知識を見つけさせてくれている

2021年10月18日月曜日

僕の強みを考える朝。

昨日の夜僕の強みはなんだろうと考えていたのだけど。結論としては学習力だと考えた。はからずしも今朝脳年齢チェックで学習効果が見えてしまった(見えたというほどでのものではない苦笑)。僕が高いのは間違っても学力では無い、学業の成績はぼちぼちだったからねただパソコンにしても、仕事にしても、割と勘よく使えたり理解できてしまう。なんとなくわかるのだ、マニュアルとか熟読しなくてもなんとか使えてしまうのだよね。また越境してもその場の雰囲気やしきたりに馴染むのは得意な方だと思う。以前入社した後に当時の社長から吉田君は学習力か高いよねーと言われたことがあることも記憶に残っている、。くどいけど決して地頭が良いわけではない。計算も暗記も論理的思考も得意ではないからね。勘どころ良く状況や構造を把握、理解してその後の状況に処する(活かす)ことが得意なんだよね。だから就職して未経験の心理学とか統計学を用いた分析業務とかや新システムの開発とかマーケティングとか。専門教育を受けたわけではないけど担当したりして仕事をすることができたのでしょう。思うにこれはコンサルタント向きの能力だよね。僕はこれからこれまでの経験をベースとしたコンサルタントとして活動していく予定だけど、これまで通りどんな新しいことでも向き合える気がしている。状況や構造を比較的短時間で理解して適応する学習力は得意だと思うし良いか悪いかは別にして効力感も高いからね。一方でずっとコンプレックスがあるのは。自分の軸我の強さが弱いことなんだよね新しいことにどんどん挑戦したいけどこれを一途にとことんやり続けるみたいな動機が弱いと感じている。このプログはそんな自分への挑戦としてずっと書き続けている。大学で恩師から学んだ組織論”ひとと組織”に今も拘っているのもひょっとしたらコンプレックスの裏返しなのかもしれないね。いろいろと会社の中ので未経験の新しい仕事をしてきたけども振り返れば引き受けてなんとかしてきたきたのてあって決して経験をベースに引き受けていたわけじゃなかったただ新しい仕事には相応の責任があるから。新しい仕事を担う苦労はわかってほしいと感じることも少なくなかったなぁ。だか世の中が複雑化して予測が困難で学習優位な社会が到来することは僕にとっては追い風なのであろうと前向きに受けとめている。まぁ少なからず限界性を感じることで付け焼き刃でない専門性が大切なこともよくわかったしただ至高の専門家として生きるほどの軸の強さは持ち合わせていないので今後も学習力と言う強みを活かして新しいことにどんどん挑戦しつつ専門性の高い人たちと協働していきたいと考えている次第です。

弱点だらだからこそ強みを作っていこう

2021年10月17日日曜日

キャリアコンサルタントへの学びに駆り立てる原動力とは。

 キャリアコンサルタントの資格取得を目指す作業療法士の話です。

今日これまでではじめての作業療法士だった。僕のことに興味がありそうだなぁと思っていたらなんと、キャリアコンサルタントの資格試験を向けて勉強をしているとのことでした素晴らしいですねー。

すでに作業療法士の国家資格を持って仕事をしているのにさらなる向学心に溢れている人と話をするのはとても楽しかったです。思わzyリハビリも時間も忘れていろいろ話をしてしまいました

もちろん。僕がしたのはなぜ作業療法士になったの?と言う質問からだ。なんと中学生の時の福祉(老人ホーム訪問)体験がきっかけだったそうだ。そして13歳のハローワークをみて作業療法士と言う仕事を知って目指したのだそうだ。13歳で確たるキャリアビジョン持てるなんて立派だね。そして簿ジョン通り作業療法士になり仕事としている。しかし今後のキャリアに対する関心などもあってキャリアコンサルタントの資格に興味を持って資格取得の勉強をしているとのこと。昨日も仕事がおわってから2時間zoomで勉強会にさんかしたそうだ、その。勉強熱心さには頭が下がります。ちょっとした些細なけい事から他の職業や資格に興味を持ち興味を持つことは少なくないだろうけど、それだけでなく仕事をしながら真剣に勉強に取り組むことはなかなかできないよね。そう言う意味では行動力もあるのだろうね。話を聞いてい作業療法士を目指したのもキャリアコンサルタントの資格を取るのも共通点があって、きっと人が生き生きとしているのを見る(関わる)のが好きなんだろうなぁと思った次第である。また資格によって裏付けされた仕事観も一致しているかもしれない。リハビリに関わる医療従事者に話を聞いていくと国家資格志向と言う共通点があるように思える。それは追加で学費をかけて学び直してでも獲得したいても大切な価値観であるように感じられるものだ。でも僕が知っている多くのキャリコンの、人は資格志向と言うより。人事とかの仕事上他者のキャリアに積極的に関わるために資格を取得している人が多いように思える。キャリコンが国家資格になったのは最近のことだかしキャリコンの資格を持っているからと言ってそれだけで仕事にしていけるほど環境は整っていないと聞いたこともある。

いづれにしても利他的なことへの信念が強いように思えるから学びに駆り立てているのはその人に内在いしている利他性への報酬なのかもしれない。内在する報酬とは遊びの定義と同様で、外的な報酬によって動機づけられたものでは無いということである。

以前、ブログで僕が引用した「遊び」の定義は、「人間はなぜ遊ぶのか」M・J・エリス P36から、
遊びは、その活動そのものに内在する報酬を求める以外に、どんな動機によっても動機づけられない。
である。

他人のための勉強をすること自体が、当人にとって報酬つまり喜びの源泉になぅているのでは無いだろうか。

きらきらしている人を見ると嬉しいと感じるのは。きらきらしているのは良いことだと言う価値信念と喜びの感情が、伝播して情動面で態度にえいきょうを与えているのであろう。そこに当人の行動力の強さという行動傾向が加わってキャリアコンサルタントのっ勉強という態度がけいせいされていると考察するしかもそれは学習不安を乗り越えるほどに強いものだ。シャインは学習不安を超えるのは生存不安がより大きいとき人は学習を始めるとしているが。すでに定職を持っている作業療法士から生存不安は感じられない。もちろん将来に対する漠然とした不安はあるのかもしれないけどね、



2021年10月16日土曜日

チコちゃんに叱られる

 僕がリハビリを受けるとき作業療法士の先生がボーッとしていますねとしてきされることがある。今日もそんな日だったNHKの番組でチコちゃんに叱られるというのがある5歳の女の子がぼーっと生きてんじゃないよという毒台詞を吐く例の番組だ、もしチコちゃんにがここにいたらぼくは何度も叱られることになってしまうだろう言い訳としては、朝から風呂終わったら昼ごはんとぼーっとしがちなタイムスケジュールや昨日の疲れが残っているなどがあるのだけど。療法士のせんせいにしてみると、ボーッとしているのは脳疾患の影響も考えられるらしいので、見過ごせないらしい。しkっしぼくとしてはあまりボーッとしているつもりはないのだけどね。そこで今日は最後のリハビリの前に缶コーヒーを買って一口のんだ。主治医によれば一日一杯はのんでよいとのことだからね、疾患になる前は僕はほぼ毎日コーヒーを飲んでいたそれ以来だから数えると123日ぶりのコーヒーである。缶コーヒーだったけど美味しかったなぁ。そして頭もしゃきっとした気がするチコちゃんぼーっと生きてんじゃねえよと叱られる恐れも無かったし最後のリハビリの療法士からもぜんぜんぼーっとしていませんよと言ってもらえた。今度朝は脳トレをやる前に飲んでみようかなあ。別に入院してい

ことがるからといってぼーっと生きていきたいわけじゃない脳のデフォル度モードネットワークにとってみればぼーっとしていることには重要な意味があるそうなので、メリハリをつけるということだね。そして色々なきづきやアイデアをこれまで以上にアウトプットして行こうと思います過去のブログを読み返すだけでも学び直すことが山のようにある。ブログをずっと書き続けて本当に良かったと思います。もちろん。その時時に様々な学びや気付きを与えてくた皆様にほんと感謝感謝なのであるが昨日過去に参加したグラフィックファシリテーションの記事をけんさくしていたら

逆に、ポジティブな話にどことなく怪しさが漂い、人によっては警戒心を持つ。

ネガティブな感情が瞬時に人を繋げる効果を持つことは、ネット社会での炎上を見るに疑う余地がない。

それはもっと身近な集団、会社や学校でも同じ。

グラフィックファシリテーションでは、個人のネガでなく場の感情がネガなところを拾うことと、安全設計を組んで心がうまく伝えられなくてネガになっているところを掘り起こすのだそ

こんないい事を書いていたもちろんセミナーで聞いた話なのだけど読み返すと最近話題の選挙なんて、怪しげなポジティブ話しとネガティブキャンペーンの集大成みたいなものだよね。

こんなコーヒーだけどねー


2021年10月15日金曜日

弱い自分を受け入れる強さを身につけよう

 今朝fbを見ていて充実した人の投稿をみてちょっと焦りが募った。だからSNSなんて見なければいいのだけど暇なものでねぇ。この焦りは病院食が僕は減塩で前の席の人がふりかけとみそ汁があるのに僕にはない時に感じる嫉妬と似ていると思った。要するに人生は誰のせいでもないし比べるものではないのだ。僕の人生は僕のものだから。それを受け止めて僕の人生を満喫するしかないのだ。しかしつい他人の人生と比べてしまったりしてなんとなく焦ったり不安になったり不満を感じたり嫉妬するしょうがないものである。また時に自分より大変そうな人を見つけて少し安心したりもする。自分はあそこまで大変でなくて良かったなぁとね。でもそんな自分に気づくと自己嫌悪に陥る。だから、無理せず焦らず、今の自分を受け入れて今できることから幸せを探すしかない。頭ではわかっているものの心は別ものだよね自分の弱さを認めて受け入れることは容易くない。ありたい自分のイメージは常に強く輝く自分だからね。だから強い人に嫉妬するんだよね。弱い自分を受け入れる強さが足りないみたいだそういえば今朝脳トレで能年齢が52歳と出た時僕はそれを投稿する強さがなかっただからもう一度やり直したのだ。僕は昨日の僕に嫉妬していたの


だ。

嗚呼なんということであろうか

2021年10月14日木曜日

装具と進化と、成長と

 今日僕の装具が出来てきた。装具って聞き慣れないけど。パラリンピックで陸上の選手が足とかにつけていたやつと言えばわかりやすいかなぁ。要するに障害を受けた肉体を補完するために装着する道具とでも言えばいいのかしら。僕の場合は麻痺で力を発揮できなくなった左脚を支えて。歩けるようにしたり、怪我を防ぐ目的で作ったものである昔アメリカのテレビドラマでバイオニックジェミーと言うのがあったけど大怪我をしてサイボーグ手術を受け脅威のパワーを身につけた女性の話である。しかし僕が作った装具はそんなものではない。あくまでも補助的な装備である。僕が歩けるようになることをサポートしてくれるだけであくまでも歩くのは僕だから今日の僕のリハビリひ左脚の強化だった。代替ではなくあくまでも支援である。パラリンピックの選手やバイオニックジェミーみたいに超人化するわけではない。僕を進化させるのでなく成長を支えてくれる装備だ。どうぐには進化につながる道具と成長を支える道具がある道具の中には進化につながる画期的なものもあるけどあくまでも本人の能力の手助けするだけのものも少なくないというより。道具の本質は能力の強化的代替ではなく手助けだろう。もちろん中には僕たちの暮らしのパラダイムをかえるような道具もある。でも。道具によって進化するのと動画によって成長するのとどちらが幸せかと言えば。ぼく僕は成長実感を得られた方が幸せを感じられるのではないかと感じる。僕たちは世の中がどんなに進化しようと。世の中の変化に合わせ成長し。環境に適応していかなければならないからね。ままあ、環境に適応していくことが幸せかと言えば決してそうとも言えないけど。僕立ちにはまだ診たことのない世界を見てみたいと言う欲求ご、ある。時にそれはリスクも伴うけど。能の偶有性はチャンスとリスクを同じ場所で発見するらしいから。環境に適応する能力も使いながらより良く生きることが人間らしい在り方と言えるのではないだろうか。要するに道具は偏見を持たずに上手に使って行きましょうと言うことです。



これで何メートルも飛ぶことはできまさん。歩く手助けのみです。

2021年10月13日水曜日

落語家は笑わせ屋になると嘆いた立川談志さん

 落語家の立川談志そんはとてもストイックに人生を送った人のようだ。一芸に秀でるとはそう言うものなのかもしれない。立川一門の昇格は談志の一存だと言い放ち、弟子に落語ではなく他の芸をひろうさせたりしていた。そしてその芸を見て俺がそれでOKを出すと思っていたのかと厳しく詰め寄っていた落語立川流の教え・名言集には「そこらへんにいろ」というのがあるらしく、まさに入門を許された直後に言われる言葉で、そうは言われても、と、師匠のそばにいると「うっとおしい」と言われ、じゃあ、と、近くにいないと「お前はなんのためにいるんだ」と言われる。


また、「俺が飲みたい時にお茶をだせ」(つまり、じっと見ていなければならない)、それが出来るようになってくると「俺が飲みたい量で出せ」と、それを含めて「そこらへんて、どこらへん?」というぐらい、常に指示は抽象的だそうです。しかしその厳しさは弟子だけでなく自分自身にもむけられていたようだ今の時代、そこまで言い切れる自信を持った人は少ないかもしれないね、


そんな談志をして時代とともにテーマがだめになる共感がなくなる結果落語家は笑わせ屋になると人生未練で生きていると嘆かせた時代の変化はいまこの一瞬も止むことはない。伝統を現代に引き継ぐことはは当事者だけの問題ではないからね。


なんだか今日は色々な意味で考えが浮かんで来ません。これhsきっとリハビリ疲れですね。


2021年10月12日火曜日

自由意志の貧困のつけ

心理学は人のネガティブなめんばかりに目を向けているという批判から生まれた ポジティブな心理を研究対象とするポジティブ心理学にはチクセントミハイのフローという概念があるフローは、「時を忘れるくらい、完全に集中して対象に入り込んでいる精神的な状態」を指している非常にポジティブな心理状態だよねしかし日本の労働法では時を忘れるわけにはいかない労働者の健康を守ろために健康に働ける時間をさだめているからだ日本の事業者労働者は法令に則って働くもしくははたらかせなければならないこれは法律だからね。本人が夢中になって幸せなのだからと言ったって法律違反は犯罪だ。コンプライアンス違反になってしまうだから本人の多幸感が損なわれ事業にとってマイナスになったとしても定められた時間を忘れて働かせてはいけないのだ、だからまずは決められた時間の中でふろーであってもなくても何ができるのかから考えなくてはならない。多幸感は仕事への没入だけでなく人生をトータルでみて多幸感が得られる状態の実現を目指さなくてはならない。つまり労働者がポジティブな人生を送れるように介入背ざるを得ないのだそれが福利厚生の場合もあればマインドフルネスの場合もある。キャリア開発も含めた成長実感の獲得かもしれない。決めれれた時間の中でフローになれる環境を整える義務が発生するということだよね。ただ個人幸福感に他者がどこまで関与すべきかという疑問もある。感情はその人がそのひとであることの証だから個人を尊重するならば当人に任されたことであるフロー状態も強制すればやりがい搾取とか言われtえしまう。結論的には僕たちはあるべき姿を法律に委ねてしまったつけを払わなくてはならない状態に自らを追い込んでしまったのかもしれない。それは自由意志(なすべきことを定め実行する能力)の貧困に起因しているのかもしれないね、

法律など無くても桜は咲くでは人は?




2021年10月11日月曜日

AIはぼくらを幸福にするのか不幸にするのか

 僕がリハビリ行う中で雑談中に2回ほど療法士の方からアメリカで発表されたAIが進歩発展しても無くならない職業の上位に療法士がリストアップされているとお聞きした。療法士の方でもAIがきになっているのだなとちょっとした驚きがあった。数学者の新井素子先生はAIは人工知能ではなく人工無能だと手厳しいAIの実態は数式でしかないから意味を理解することは出来ないからである。しかしAIの検索能力に僕たちはもはや太刀打ちすることが出来ない。意味を理解はできなくても尤もらしい答えを導き出すことができるのだ。学習結果を応用して推論することもできる。例えばぼくの歩行訓練動画から歩行時の問題点と改善点を導き出すことはできるかもしれない。ぼくを担当している理学療法士が行っている仮説組み立てと検証そして介入と評価の反復という科学的なアプローチは機械学習によって学習することはできるようになるのかもしれない、しかし僕の人生の意味を理解して最適な答えを導き出すことは難しいだろう。なぜならば生命には再現性が無いつまり科学的なアプローチの対極にあるものだからね。僕は人生の意味は生存秩序探求感情が自己組織化したものでありそれはぼくの実態でもある・僕は僕にとっての意味の実像なのだ。意味を理解することがないAIにとって僕は常に理解不能な存在である。それはどんなにぼくのデータを入力しても僕をりかいするのではなく。もっともぼくっぽい答えを導き出すものでしかない。しかしそれは僕にとって決して心地よいものでなく。僕はきっと不幸を感じるに違いない。


願いが叶うという幸せ

2021年10月10日日曜日

科学者であり哲学者な理学療法士

 リハビリで歩行訓練を担当してくれている理学療法士が替わった。

どのような理由があったのかわからないけど新たな今度の担当理学療法士は話が本当に面白い。きようのリハビリ実習では。学生が付いて勉強していたのだけど学生に対する問いと説明は僕に向けてのものではないのに、聞いていてとても納得出来るし、なぜリハビリでこう言う運動をするのかが理解出来た。その理学療法士はまず理論家である。身体骨格と筋肉の働きが全て頭に入っているのでちょっとした観察から多くの仮説を引き出していた、そして。頭の中で仮説を組み立てて実際に、触りながら検証していくと言うのだこれはまさに科学者のアプローチだよね。

仮説と検証を繰り返して本質を特定する。そして。介入と評価を行うのだそうです。学生への説明で今聞いたことが10年後に意味がわかる瞬間が来ると言っていたのもとても印象的でした。

禅宗では問いを通じて気づきを得るる方法を教える方法はだったひとつで気づくまで待つことなのだそうですがそれに通じるもところがあります。

本当に大切なことって、気が熟さないと理解できないものだよね〜

手順でいくと理論による仮説の構築と臨床による仮説の検証し介入を行い効果を評価する。それを断続的に実施するのだ。

そしてより多くの仮説を構築した際にどのような介入を行うかには間違いなく哲学がある。

何をなすべきかは仮設により増えた選択肢から選ぶ際には信念が大きな役割を果たしていた、それは学生への指導においても感じられた教育哲学も含まれる。

僕が初めてその理学療法士に診て貰った時もディシプリンは本当に単純でわかりやすいものだった。そして今日も一向にプレていなかった。結果を出すためには真摯に事実に向き合い仮説と検証の繰り返し持続的に介入を続けるそして。それが問題解決に最適な方法であると言う信念は哲学的である。

最適化によって僕の生存可能性が高まるわけだからね。この理学療法士の向上心に対して療法士の神様は恋愛小説を読めと言ったのだから奥が深いよね。科学と哲学と愛情が交差した先に科学や技術を超えた世界があると言うことなのかもしれない。

指導を受けていた学生がそのことに気づくのはきっと10年では足りないよね。

科学や哲学の上にあるもの


2021年10月9日土曜日

環世界を考える

 今日リハビリの空き時間で観ていた番組で環世界という言葉を知った。

環世界とは(=Umwelt:ウンベルト)とは、ドイツの生物学者であり哲学者であるユクスキュルさん(1864〜1944)が唱えた考え方で、すべての生物は自分自身が持つ知覚によってのみ世界を理解しているので、すべての生物にとって世界は客観的な環境ではなく、生物各々が主体的に構築する独自の世界である、というものです。この番組はなかなか面白かった特に絶滅危惧種を動物園にて繁殖し自然に返すといった内容でゆえにノアの方舟を作る人というタイトルなのだけど、自然に返す際にその生き物が本能だけで生きていける環境に戻すことが大事なのだそうだ。

そこで出てくるのが環世界の概念でありあらゆる生命は結局1つのものであり、自分自身にかえるものだからありのままの姿でその環境で生きていく事ができる状態こそが環世界であり、ユクスキュルっは無数の環世界の集合が自然であるとしている。

本能で生きていくとは言い換えれば経験や学習を必要としない環境適応幅が最も少ない状態なのである。複雑で予測不能な環境になるほど僕たちは経験と学習を必要とし、僕たちは高い環境適応能力を持ってどんな状況でも生きていけるけどそれは同時に僕たち本来に備わった能力だけではいきていけない。

つまり自分自身ではない自分で生きていくことに他ならない。

本来の自分とは異なる自分として生きていくそれはとてもストレスがたまることだよねつまり環境に適応するために経験と学習を積むことによって僕たちは主体的に構築した独自の世界から分離してしまうのかもしれないそんな幽体離脱体験によって僕たちは生き物としての本来の能力を発揮できなくなっているとしたならば、経験と学習による適応の前に自分自身の本来の姿環世界を取り戻す必要があるのではないだろうか。自分が主体的に構築している独自の世界を描き出すことがまず大事なのでしょう。それこそ感性や感受性が生命力の源泉である理由なのかもしれないね。

生き物は独自の世界の中で生きている


2021年10月8日金曜日

リハビリとは対話である

リハビリとは治療的訓練のことである、病気や怪我によって失われた身体的機能などを回復し日常生活がおくれるようにする医療である。
ただし日常生活をおくるうえで必要なことは、身体の機能回復だけではない身体の機能を回復しながら日常生活を見つめ直す必要がある。
昨夜ips細胞を作りだした山中教授の番組を観ていたけど、今後もしかしたら欠損した身体臓器や再生しないと言われる神経細胞なども再生医療の進歩によって治療ができるようになるのかもしれないけど、それまでにはもう少し時間が掛かりそうである。
それまでの間僕たちは置かれた状況に応じて生活していくしかないのだ。
置かれた状況と生活の間には当然意見の相違が生まれる。その際に大切なことは他者の意見を否定せずに受け止めて自分の意見も否定せずにより、当事者皆が生活やリハビリにより良い意味を見出すことである。.そうそれはまさに対話である。
そこで僕がはリハビリとは対話であるという結論に至ったのだ。
専門性の高い治療的訓練だけでなく療法士や看護師、医師といかにしっかりと対話できるかが大切だと気づいたからね。幸い僕は、自画持参のガチャトークでたくさん対話の経験を積むことが出来たその経験がまさに今生きているのだと今日作業療法士の先生と対話をしながら気づいた次第である。
対話の際に役立ったのはスケッチブックのガチャトークのグラフィックレコーディングであったりするのだけどね、

今日のブログもなんだかルハビリをお題にしたガチャトークみたいなかんじになっているよね。



2021年10月7日木曜日

学び直しの原動力とは

 僕が入院しているのは回復期リハビリテーションの専門病院で沢山の専門家がいるそれらの人には職業選択の話を聞いたら。結構な頻度で学び直しの話が出た。

総合政策学部から他大学の医学部に編入した医師。准看護師から看護大学に入り直した正看護師そして。

4年生大学の法学部から医療技術系の専門学校に入り直した技師装具士。

そして話を聞いてみたら理学療法士には結構、一般企業に勤めてから、専門学校に入り直して資格を取得して働いている人が少なくないそうだ。

こう考えると。普通の大学では。専門家志向の学生のニーズを開け止められていないことがわかる。

もちろん、職業選択の場面になってはじめてキャリアビジョンが描ける学生もすくなくないだろう。

それだけ仕事を真剣に考えるから学び直しに踏み切れるのかもしれない。

ただプロフェッショリズムはステップアップというよりプロフェッショナルの実態に支えられているという事だ。

つまり専門的な学びは職業観と一体となっておこなわれているものである。

職業訓練を行わないそこには普通大学では満たすことのできない問題があるよね。

つまり、就職を前にして。専門性を強みとしたい学生と専門性(資格)の獲得にギャップがあるのだね。

資格によって裏付けされた専門性はその人のキャリア形成の基礎であり。

将来の担保となるものだけど、法学部に在籍しながら司法試験を、目指すのではなく。

学び直しをして技師装具士の資格を目指すあたりにおそらくもっと根源的な興味関心や欲求があるのでしょう。

気になって聞いたところ物作りが、好きだったと回答があった。

きっと医療系でものづくり関わる資格を取得して仕事にしたいと考えたのでしょう。

さこで次に沸いた疑問は、医療や一般企業での仕事に対する態度はどのような学習によって獲得されたのだろうかということである。
ひょっとして就活で一般企業で働くのことに魅力はないと学習したのかもしれないね。
今度機会があれば聞いてみよう。
身の回りには興味深い疑問が満ち溢れているよね。
一つ問うとと問いは無限に増えていく。

2021年10月6日水曜日

絵本が問うのは自分とは?

 小説は他人の目線で世界を、観る訓練であるそうだ。

また、写真家の荒木経惟さんはカメラのレンズはガラスだからどうしても自分が映り込んでしまうと語っていた。

確かに撮りためた写真を見返せば見返すほどそこには自分の姿がが映っていると思う。

自撮りでなくてもね。さてほば僕は今回の入院で妻から本をもらった。絵本的な本である。

その本を読んで思うことは絵本とは自分の心を写し出す訓練であるということだ。

読んでいるとそこにあるのは作者のメッセージではなく。自分の心の中の不安であったり、希望であったりする。

だからこそ、小さい子は絵本が大好きだしたくさん読むべきなのでしょう。他者の目線で世界を観ることよりもまずは自分の中の気持ちに気がつくことの方が大事だよね。

自分を知らずして他人の目線もあったものではないからね。

絵本が同うのは自分。



2021年10月5日火曜日

今日僕に勇気ときづきをくれたのは小学生に88歳

 ネットで自身がアトピー性皮膚炎の小学生が行った自由研究の出来が素晴らしいと話題になっていたので見てみたのだけどほんとうに素晴らしかった。構成力研究心。そして研究の意味づけと確かに見事な出来である。

https://mobile.twitter.com/ped_allergy/status/1441252837703372805

特に研究を通じて知ることが僕の心を強くしてくれたという一文は見事だよなぁ入院リハビリ中の僕はいまの状況にそこまで前向きに向き合えているだろうか、そんな疑問がふと頭をよぎった。治りたい帰りたいという想いは強いけれど結果ばかり望んでいて自分の身体やリハビリのことについて知らないことばかりである。要するに人任せなんだよね。自分のことなのにね。だからこのところは僕は自分の心の弱さばかりにうんざりしているのかもしれない。小学生の自由研究に気づかされたことは大きいなあ。とリハビリ終わって部屋で休んでいたら三浦雄一郎さんの記事がネットに出ていた。こちらにも励まされるなあ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/612743b5b69ae4f41b9658a5cc9766c394076050?page=4



2021年10月4日月曜日

じんせいの下り最高

 俳優の火野正平さんが自転車でにほんぜんこくをたびするこここころ旅という番組のテロップに下り坂の、人生最高と、書いてあった。自転車はもちろん上り坂より下り坂の方が楽だし快適だ。おそらくそれと、火野正平さんのご年齢を掛けて入れたテロップであろう。たしかに上り坂を進むにはは必死に漕がないと登れない。これは自転車たけてなく。人生も同じかもしれない。力強く登坂するのも人生のダイナミズムだけど快適で爽快な下り坂を、楽しむのも人生の一部だよね。上りごあれば下りもあるものだ。

人生の意味は考え方次第でいかにも変えることができるのではないか。最近そんな風に考えることがあるのは間違いなく今回のの病気入院のおかげなのである。最高の人生の見つけかたという有名な映画があるけどその映画も病院や病気が大きな役割を果たしている。僕はバケットリストは作らないけど。下り坂の人生も、楽しむことができる身体と心になって退院したいと思うのである。


これから上りも下りも楽しむのである

2021年10月3日日曜日

世渡り上手は観察上手?

 昔聞いたはなしで兄弟の中で末っ子は問題解決能力が高いという研究結果があると聞いた記憶がありある。検索しても出てこないので、自分が末っ子だから都合よく記憶しているだけなのかもしれない。なぜ問題解決能力が高いのかと言えば兄たちの行動を見ていてなにをすると叱られるか学習しているし。末っ子だからと甘やかされて効力感が高いせいかもしれない。要するに世渡り上手ということてある。問題解決能力には学習力と効力感は欠かせないよね。素早く何が問題なのかを特定する一方で自分は問題を解決できるという根拠のない自信は問題に接近する態度を生み出す。それゆえに問題を、解決出来る機会が相対的に多くなるわけだ。それによって本当にもんだいご解決するかは定かではない。世渡りの上手いひとが問題を解決しているわけではないことも僕たちはよく知っている。立ち回りが上手いだけの人って少なくないものね。下手をすると解決ではなく回避しているだけの場合もあるでしょう。そう考えれば考えるほど末っ子か高いなは観察学習による問題察知能力と回避能力だねー。どうやらぼくは強力な正常化バイアスに侵されているらしい(笑)ら


間違いなくアンテナは立っているよ

2021年10月2日土曜日

富士山という象徴

 富士山か、過去に噴火した際のマグマは玄武岩なのどそうだ。特徴は粘り気が少なくて遠くまで流れるらしい。それゆえに富士山🗻は裾野ご広い綺麗な円錐形になったらしい。また富士山の周辺には沢山の湧水があるがそれにも大きな影響を与えているらしい。玄武岩のマグマは珍しいのだそうだ。マグマはプレートが沈み込む際に引き込まれた海水が熱せられたものらしい。そう考えると。プレートの移動にはものすごいエネルギーが使われていて。そのエネルギーを僕たちは山🏔⛰という景色としてまたいることになる。山はエネルギーの塊ってことだね。北アルプスにしてもヒマラヤにしても。みなエネルギーが姿を変えたものなのだ。目に見えるエネルギー保存の法則って言うことだね。そういえば石油にしても石炭にしてもエネルギーが形を変えたものだ。ひょっとしてウランもそうかもしれない。風力にしろ水力にしろ台風だって同様だよね。僕たちはエネルギーが無ければ生きていけないけど。エネルギーの凄さを目の当たりににするとその凄まじさに驚嘆する。これまでもこれからも。僕たちはその恩恵と凄まじさに翻弄されていくのだろうね

ね。

こんなに遠くから見えるってすごいね


2021年10月1日金曜日

力を抜くのは難しい

 リハビリをやっていて療法士からはい力を抜いてくださいと言われることが少なくない。しかし脱力するのって案外難しいものだ。特にリハビリでは筋肉を動かそうと力をつい入れ気味になるから力がずっと入った状態になってしまう。そうすると筋肉の可動域が狭くなってしまう。そうすると今度はうまく力が入らなくなるのだ検索してみたらまずは身体の緊張を解くのごよさそうだ。後で以前習った自律訓練法でもやってみようかしらん。でもちょっと違うような気がするなあ。もうちょっとネットで調べて挑戦してみたいと、思い




 まあ力が抜けません