「問題解決症候群」という言葉があります。
「問題解決症候群」妹尾 堅一郎
受動的・指示待ちの学生たちの行動特性の根底ある三つの症候(http://sea.ap.teacup.com/nata/1028.htmlから引用)
【症候1】「問題」は与えられるものだ、と思うこと。
【症候2】与えられた問題には必ず唯一の正解がある、と思うこと。
【症候3】その唯一の正解は誰かがすでに知っていて教えてくれる、と思うこと。
妹尾さんが学生の中に見出したこの「問題解決症候群」は非常に的確に学生と社会人のギャップを描き出しています。
社会に出ると求められるのは、「自己責任」です。自分でなんとかするのが「社会人」であり、自立した人間の行いですが、実際、仕事場面で「指示待ち」であったり「わからない」とか「知りません」と言ってしまったり、「どうしましょう?」と聞いてしまう言動に接すると、そこにもこの「問題解決症候群」がありそうに感じてしまいます。
この「問題解決症候群」が、受験勉強によってもたらされているという指摘は、確かに学生では当たっていると思いますが、社会人においてはちょっと状況が違う気がします。というのも、そもそも、日本社会において、社会人の「自己責任」は憲法や様々な法律でも規定されています。「社員は家族」と言う経営者も居ますが、社長は社員で扶養控除は受けられません。扶養するくらいの意識と扶養の枠組みはまったく別物です。
つまり、教えを請う学生が「問題解決症候群」を名乗るのは妥当ですが、「自己責任」の社会人にとっては、似て非なるものであると考えます。
社会人が求められるのは、
1.「問題」を見つけ出す、という認知
2.自分なりに「問題」の解決策を定める、という思考
3.自ら解決に向けて行動、内省し結果をだす、という行動
であり、これは「問題解決力」と呼ばれる能力です。
この「問題解決力」は、「主体性」や「自律性」など、いろいろな呼び方に名前や表現、強弱などを変えて企業が学生を見極める視点になっています。先ほどの「問題解決症候群」と見比べると、そのギャップの大きさがよくわかると思いますが、社会人においては、「問題解決症候群」ではなく、「問題解決力の無さ」として理解すべきことです。
ところが、現実、会社においては、「問題解決力の無さ」を棚に上げた、受身、多責、回避が多く見受けられます。
統計分析のなかに、「教師あり学習」と「教師なし学習」という異なる分析手法があります。「教師あり」は、明示された結果に向かって分析を行い、「教師なし」は、明示的な結果なしに分析を行うのですが、「教師あり」のほうが、ざっくりと簡単に言うと、早く結果に到達することが出来ます。私見ですが、「教育」は、効率的、効果的に結果にたどり着く、もしくは結果をより高度にするための人類の戦略であって、そもそも結果を出すことは、「生物は生命という自己責任である」ことを再認識することが大切だと思うのです。
下手をすると、問題解決症候群の問題を解決する問題解決力という落とし穴に嵌っていることこともありそうです。(自分で解決すべき問題を他者が解決してあげることで、自分で解決できない状況に向かっている、という意味です)