哲学者三木清は人生論ノートの中で幸福について以下のように語っている。
幸福 は 人格 で ある。 ひと が 外套 を 脱ぎ すてる やう に いつ でも 氣樂 に ほか の 幸福 は 脱ぎ すてる こと の できる 者 が 最も 幸福 な 人 で ある。 しかし 眞 の 幸福 は、 彼 は これ を 捨て去ら ない し、 捨て去る こと も でき ない。 彼 の 幸福 は 彼 の 生命 と 同じ やう に 彼 自身 と 一つ の もの で ある。 この 幸福 を もつ て 彼 は あらゆる 困難 と 鬪 ふ ので ある。 幸福 を 武器 として 鬪 ふ 者 のみ が 斃 れ ても なほ 幸福 で ある。 機嫌 が よい こと、 丁寧 な こと、 親切 な こと、 寛大 な こと、 等々、 幸福 は つねに 外 に 現 はれる。
三木 清. 人生論ノート (p.15). 青空文庫. Kindle 版.
僕は幸福はつねに外に現れるというのはとても的確な指摘だと思う。僕たちは他人の顔色にとても敏感な生き物だからね。機嫌が悪いのは瞬間的に伝わってくる。そしてそのとき僕たちはその人が幸福ではないことも即座に理解するのだ。この不機嫌や不幸せを察知する能力はもはや第六感かと思えるくらい高い認知能力を持っていると思う。僕は三木清さんの言葉を借りるなら幸福はつねに料理や食事に現れると考えている。インスタグラムという幸福自慢SNSで料理の写真が多いのは当然なのだろう。一方でインスタに料理の写真を載せているのに良いコメントがつかない著名人も居るようだ僕はこれは投稿者の隠された不機嫌や不幸が閲覧者の不機嫌や不幸を掘り起こし共鳴した結果ではないかと思うのだ。僕らの第六感は取り繕った幸福の裏側も感じ取ってしまうのかもしれない。だから皆がプーチンは不機嫌だとすぐに認知できるのでしょう。ひょっとしたら霊感というのはまさに得体のしれないもののの不幸や不機嫌を感じ取る感受性のことかもしれないとふと思ったのである。

































