2024年12月31日火曜日

聴く?語る?物語る人生への態度が在り方を決める

  物語は人の心に届いてポジティブな感情に作用することが知られているそれゆ物語ナラティブに対する注目はかつてないほど高まっている、物語の特徴は語彙力の乏しい幼児であっても心に届き解きほぐす力(不安を和らげる)を持っていることと物語るという語りの心を整える力(心を開くことによる安寧)があることだ。つまり、物語は語っても聴いても心を健やかにしてくれるのだ、この聞き手、語り手の効果効能は組織の中で複雑化する人間関係において、聞き手語り手の役割を自然と作り出す、心理的安全性を求めるメンバーは聞き手にマネジメントやリーダシップの発揮が求められる上司は語り手になりがちだ。昔から、上司の語りを聴くのが部下の仕事担ってきた、逆に部下の語りを聴く上司は良い上司と捉えられたしかし、この聞き手語り手という役割分担は物語の一部でしかない。物語にはナラティブセルフというアイデンティティの認知という大きな要素があるつまり語るためにはアイデンティティが必要なのだ、職位によりアイデンティティが与えられている上司に対して部下は常に問われる存在である、が仕事における経験が無い実績が無い部下は常に不利な立場である。産業組織には、更に入社前の経験を白紙化する傾向、つまり、部下のアイデンティティを無効化し上下関係を強める力学が働いているのだ。新に平等な心理的安全性は平等なアイデンティティにのみあるとも言える、つまり聴くと語るの両立によってのみ存在するのである。要するに聴くだけ語るだけという態度はその人の人生への態度が現れてしまうのである。





2024年12月30日月曜日

機能と尊厳産業組織の生産性と人間性の天秤

 年末大晦日前日の今朝、平日の朝7時14分に設定してあるテレビのチャンネルが切り替わった。

いつも観ている朝ドラは年末の休止であるがテレビはそんなことにお構いなしだ。設定された通りに動作するそれはそれで安心ではあるけれども、気を利かせたり融通を効かせるということはない、機能とはそんなものだ。さて、協働の1形態である組織では人は機能的に他者と連携し行動することが求められる。テレビの視聴予約と同じだよね。朝9時には職場に来決まった仕事を始めるのだ。もしテレビの視聴予約に生活を重んじる心があればきっと、今朝はチャンネルを切り替えないだろう、世の中が年末年始の休みに入っていてテレビ番組も休みだからきょうは止めておこうになるはずだ。ほとんどの職場ではもちろんこういった対応になっているだろうけれど、昨晩は子供が夜泣きしたとか、昨日は飲み会で遅くなったみたいな個人的事情は考慮されず機能的に働くことが求められる。要するに個人のウェルビーイングとは程遠い対応がスタンダードになっているのである。産業組織には人間性と生産性の天秤という永遠の課題が潜んでいるがこれは組織における生産性の課題というよりは、人が他者の尊厳をどう重んじるのかといったさじ加減の課題であると言えるのだろう。




2024年12月29日日曜日

フテホドの源流にある似非正義

まずはアリストテレスの「正義」について 

 人間 が 生まれながら に 持っ て いる 可能性 が 実現 し、 より 充実 し た 力強い 人間 として 優れ た 働き が できる よう に なる、 それ を 可能 に する のが 徳 なの です。アリストテレス は、 様々 な 徳 の なか でも、 極めて 重要 な もの が 四つ ある と し ます。 これ は のち に「 枢要 徳」 と 呼ば れる よう に なる もの で、「 賢慮」「 勇気」「 節制」「 正義」 の 四つ です。「正義」 は、 自分 の こと だけでは なく、 他者 や 共同体 を 重んじる こと の できる 力 です。 人間 は、 余裕 が なくなる と 自分 の こと しか 考え られ なく なり がち です が、 そう では なく、 他者 を 他者 として、 また 自ら が 生き て いる 共同体 を 共同体 として 重んじ、 その ルール を 守る こと が できる 力、 それ こそ が 正義 という 徳 です。

日本放送協会; NHK出版. NHK 100分 de 名著 アリストテレス『ニコマコス倫理学』 2022年 5月 [雑誌] (NHKテキスト) (p.63). NHK出版. Kindle 版. 


一方哲学者三木清は幸福について以下のように述べる。

機嫌 が よい こと、 丁寧 な こと、 親切 な こと、 寛大 な こと、 等々、 幸福 は つねに 外 に 現 はれる。 歌 は ぬ 詩人 といふ もの は 眞 の 詩人 で ない 如く、 單 に 内面的 で ある といふ やう な 幸福 は 眞 の 幸福 では ない で あら う。 幸福 は 表現 的 な もの で ある。 鳥 の 歌 ふ が 如く おの づか ら 外 に 現 はれ て 他 の 人 を 幸福 に する もの が 眞 の 幸福 で ある。

三木 清. 人生論ノート (p.15). 青空文庫. Kindle 版. 

幸福という観点から、ネット上で正義を翳す人々は幸福とは言えない、不機嫌だし、雑だし親切でも寛大でもない。他者に対して極めて厳しく不機嫌に糾弾するのだ、

この現象に関する答えは明快だ写真家幡野広志さんは自身の闘病経験に関わるSNSなどでの誹謗中傷に対して以下のように考察している

幸せ を、 トレードオフ で 考える 人 は 意外と 多い。   つまり、 誰 かが 幸せ そう に し て い たら、 その ぶん 自分 の 幸せ が 目減り し て、 不幸 に なっ て しまう と 感じる 人 たち だ。

幡野広志. ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。 (Kindle の位置No.1311-1313). 株式会社ポプラ社. Kindle 版. 

つまり自分の幸福のために正義を振りかざして他者を攻撃するつまりアリストテレスの言う正義とは相容れない似非正義なのである。それら似非正義者に共通するのは自分の幸福が目減りしないように立ち回る要するに自分に都合の悪いことや、自分のステークホルダーに関しては一切触れようとしないことである。

自分の論点の偏りには目を瞑り社会一般の声として悪であると糾弾する人たちは間違いなく似非正義なのである。




2024年12月28日土曜日

料理の創造性と想像性

 料理は創造があふれている、作るものを決めて材料を揃えるというのは想像力の中でも発想力にあたる。何を作るかという発想の力が試される一方で、冷蔵庫の中などのある材料から何を作るのかというのは連想力である。この素材を使うと何が出来る?というやつだ、料理は素材の組み合わせが多いから連想も組み合わせ連想という高度な連想になる。決めて作る空想も、料理の場合は算段が必要だから高次脳機能の遂行力という力が使われるがその中でも想像力(イマジネーション)は大活躍だイメージトレーニングがフル回転なのだ。そしてそのイメトレ通りに進めるのが遂行という高次脳機能なのである料理を作るということは無から有を、有から別の有を創造するというクリエイティビティと、どのようにどのような有を生み出すかという想像力イマジネーションの合せ技、脳の機能全てを使う人間ならではの知性の結晶なのである。



出来たのはオリジナルのカレー



2024年12月27日金曜日

自己組織化する心フラクタルな社会

 共感に,連帯と社外生活を営む上で心とその働きは大きな役割を果たしている盛り上がるときは心に大きな変化が現れている。そもそも、心とは、脳の感情を司る辺縁系を中心に脳の全体に波及する大域的アトラクターであるが、他者との繋がりも同じことが言える、誰かの感情に呼応するようにそれぞれの心が巻き込まれていくと社会な大域アトラクターが出現し。盛り上がるわけである。つまり、心と社会はフラクタル図形のような関係性にあるのだ

初めてフラクタル図を観た時の驚きは今や自分の心と相似する社会という新たな驚きに変わっているのだ。


2024年12月26日木曜日

意識を知る無意識を測るしなやかさに抗え

 フリーマンの意識理論によると意識とは脳の辺縁系に引き込まれる脳全体の大域的アトラクターの明滅という気づきの連鎖であるつまり、創発であるが、この連鎖する創発のなかで自己意識として認知出来たものが意識であって認知できないものが無意識ということになる、認知できない脳の活動の存在は自由意志の議論の中でも見つかっている、環境に素早く適応するために脳は予見と準備を行っている。これが素早い判断や行動を可能としているこれは、意識において物事を判断するよりも、しなやかに生きることを支えているのであるが、社会全体としてみると特定の人々に生きづらさをもたらしていると考えられるようになりアンコンシャス・バイアスというラベルが貼られて問題視されているのが現状である。この、無意識のしなやかさはその存在を認知できれば意識によって統制することは可能であるが、しなやかさに抗うことになるので、ぎこちない生き方になるが快適ゾーンから抜け出す学び成長のある人生と言うことも出来る無意識は測れるのかという問いがあるがこれは言い換えればしなやかさを測るということであり、結論的には可能である。無意識を意識において測ることは出来ないので、意識を測ろうとしないことが肝心なのではあるが。実は意識を測ろうとすると、この無意識のしなやかさはおまけのように測れてしまうものなのである、それは当たり前で無意識の中で意識れべるまで閾値が上がったものが意識だから、氷山モデルで言えば行為行動の下層に意識がその更に下層に無意識の世界が広がっているのである。意識自体は連鎖する創発なので還元不能であるがこの閾値のモデルによれば意識も無意識も同じものであることがわかるそれ故意識には無意識がもれなくついているのである。




2024年12月25日水曜日

創発なき世界の行く末。

クリスマスの今日はこの世界の終末を考える。核や温暖化など、世界の終末が現実化するなかで、 以下は以前のこのブログ記事からの転載である

そして、ビッグデータ分析では、アルバート=ラズロ・バラバシが携帯電話の通話記録分析から、コミュニティ内で多くの接点を持つ人間が居なくなるより、コミュニティの外部に接点を持つ人が居なくなるとコミュニティが崩壊したかのように求心力を失うことを発見しています。

この記事の一文をAIで補強してみた。

アルバート=ラズロ・バラバシの研究は、ネットワーク科学に基づいて社会構造やコミュニティの性質を明らかにしています。携帯電話の通話記録を分析する過程で、彼は次のような洞察を得ました。この研究は、ネットワーク理論における**「ノード(接点)」**と**「リンク(つながり)」**の重要性を理解するうえで重要な貢献をしています。

### **研究の背景**

バラバシとその研究チームは、膨大な携帯電話通話データを解析し、個人間のつながり(電話のやり取り)をネットワークとしてモデル化しました。このネットワークを基に、次の2つの役割を持つ人々が存在することが分かりました。

1. **コミュニティ内の接点を多数持つ人(内部結合者)**  

   - 例:職場や地域社会の中で多くの人と接点を持つ人。

   - この人々は、コミュニティ内部の結束や情報共有を支える。

2. **コミュニティ外部との接点を持つ人(橋渡し者)**  

   - 例:異なるグループや社会とのつながりを持つ人。

   - この人々は、コミュニティを外部とつなげ、新しい情報やリソースを取り入れる役割を果たす。

### **研究の発見**

- **内部結合者がいなくなる場合**  

   内部のネットワークのつながりが部分的に弱まるが、外部とのつながりが維持されていれば、コミュニティの求心力は大きく崩れない。内部の再編成が比較的容易であることが多い。

- **外部との橋渡し者がいなくなる場合**  

   コミュニティが外部とのつながりを失い、情報やリソースの流入が減少する。その結果、コミュニティは孤立し、長期的には機能不全や崩壊につながる。

### **コミュニティ崩壊の仕組み**

橋渡し者がいなくなると、以下のようなプロセスが進む:

1. **情報の停滞**  

   外部からの新しいアイデアや情報が届かなくなり、閉鎖的で停滞した状態に陥る。

2. **求心力の低下**  

   メンバー間のつながりが、コミュニティ全体の目的や動機を維持する力を失う。

3. **孤立化**  

   コミュニティが社会全体から孤立し、内部だけでの維持が困難になる。

### **具体例と応用**

この研究の結果は、現実の社会や組織の設計において重要な示唆を与えます。

1. **職場**  

   組織における異部門の調整役や外部パートナーとの窓口担当者が重要な役割を果たします。これらの役割を失うと、組織は外部環境に適応しづらくなる。

2. **地域社会**  

   地域コミュニティにおける外部リソース(資金、知識、サポート)を引き込むリーダーやメンバーが失われると、地域活性化が停滞します。

3. **国際関係**  

   国と国をつなぐ外交官や貿易パートナーがいなくなると、国際的な孤立や経済的停滞が起こりやすくなります。

### **結論**

バラバシの研究は、コミュニティや組織が持続可能であるためには、内部のつながりだけでなく、**外部との接点(橋渡し役)の存在が不可欠**であることを示しています。この発見は、組織や社会の設計、問題解決、危機管理において、ネットワーク科学の視点を取り入れる必要性を強調しています。

自己組織化や創発はネットワーク研究から進んだ複雑系科学の核心だからネットワーク科学とは極めて深い関係にある。故にコミュニティの盛衰はネットワークによる創発と結びついていることがわかる。要するに橋渡しがなくなる=創発しなくなる=コミュニティが枯れるという論法が成り立つのである。この観点で組織開発に取り組む例というのをあまり観たことが無い。組織開発は、組織がWORKするように意図的に介入することだと考えられているからである。創発とは意図不在の現象であるから、組織開発においては因果による解決が困難でむしろ目障りな現象と映ってしまう。一方では組織構成員のエンゲージメントやモチベーションによる組織活性が人的資本経営とみなされていることは皮肉としか言いようがないコメディなのである。一方で外部の知識の移転・翻訳・適用を支援するナレッジブローカーには好意であることは転職市場の盛り上がりを見ればよくわかる。組織内で創発がおきることよりもいいとこ取りをしたいという姿勢ばかりが目立つ。結果組織が枯れていくことも知らずに。愚かな話である。



2024年12月24日火曜日

機能とアフォーダンス

 機能とは必要とされる仕組みであって、仕組みがあれば良いわけでは無い。必要とされていなければ機能ではないのだ。機能とはその使い方をアフォードするものではあるが、アフォーダンスというのは行動の可能性を引き出すことであるが行動の可能性は無限なので、想像しはじめるときりがないうえに、本当にそれ要る?という話になりやすいだから実際に機能を利用する人の体験に沿って準備することが的確であるということになる。システム開発ではこれをUIUXと言う。

持ち手が持つという行為をアフォードし持ち運ぶという機能を提供する

2024年12月23日月曜日

人材育成の3つの支援人材育成は若手だけに行うものではない。

 人材においては3つの支援が必要だと言われる。業務支援、内省支援、精神支援である。

業務支援は業務活動のPDCAが回ってより高い成果が出るように支援することである。PDCAが回るようになった人材は熟達して一人前となり、今度は後輩を育成する人材になる、内省支援は仕事に限らずあらゆる経験から本質的意味を見出し新たな経験に実験的に踏み出す選択肢を生むことで。未来の可能性を広げるための支援である。精神支援は、そうは言っても溜まるストレスのガス抜きでメンタルを健全に保つための支援で。業務支援は主に職場の先輩が自分の体験を通して行い。内省支援は、人生経験豊富な上司が精神支援は、主に同期の仲間などが担うと言われているが今日ではメンター制度を導入する企業が増えている、内省支援においては    1on1やコーチングなどがスタンダードになってきた。しかし、企業業績に直結する業務支援はOJTという形で実施されるが支援者の苦労を観てキャリア像に否定的になる人材が増えてしまったのだ。これは職場全体への内省支援、精神支援が足りない中で業務支援を偏重してきた現場歪んだ人材育成の当然の帰結であると言えるのかも知れない。この歪んだ人材育成は社会的にも大きな問題となっている。教師のなり手が減っていくなど、そもそも育成すべき若手が集まらなくなるといった問題も、同質なのかもしれない。育成は業務力の弱い若手に業務力の熟達のためにするもの。といった偏重が巡り巡って将来の担い手を荒廃させていくのである。



2024年12月22日日曜日

「考えるシリーズ」皆で考える?一人で考える?

 何かを考える時一人だけで考えるのか皆と考えるのかという違いがあり、その中でも、自分の事を考えるのか皆のことを考えるのかという違いが更にある。多いのは自分のことは一人で考え皆のことを皆で考えるパターンであろう、更に、皆で考えているようにみえて一人で考えるというパターンもある。何をどう考えるのかどう考えたいと思っているのかはその人の個性とも言えるから正解は無いけれど物事を考える際には留意しておきたい点である。




理論化は構造化から始まる。

理論は、知識人の行いではなく、私達が日常的に行っている知識生成の形である。「ああ」や「ハッと」したとの気づきがあった時、それは、理論が生まれた瞬間である。もちろん、自然の理のような汎用的普遍的知識ではないが、経験から生成された知識はその人固有の文脈に則って認知的変化のリソース化され新たな創発「こすればいい」とか「こうしてみよう」といった新たな工夫や創造の種になる、こうした理論生成の元になるのが構造化である、要するに情報を一定のルールによって整理して情報の共通性や本質を見出しやすくすることである。例えば洋服を整理して並べればそこからは、色ヤ柄の偏りなど、服装に対する嗜好が見えてくる

何かを考える時はまずは構造化してみようというお話。




2024年12月20日金曜日

クセの話続き。癖よりも大切なことの為に。

一番先に浮かんだ言葉は使わないこと。たぶん、それは「自分の癖」だから、いつも同じ事を言っていることになる(大村はま)
 子どもに考えさせるということをした人が、いちばん教師としてすぐれている。できるようになったか、ならなかったかは、どっちでもよろしい。けれども、考えるということをさせた事実  - "考えなさいといった人"ではなくて、"考えるということを本気でさせた人"が一番えらい(大村はま)
癖を乗り越えて考えるって、容易くないのである。





2024年12月19日木曜日

クセづけのためにクセを正す。

 ふと頭をよぎること。それは稀代の教育者大村はまさんによればクセであり、それを口にしているといつも同じことを言っていることになるという指摘は明快である。それは、こういったブログやSNSへの投稿も同じであろう。その理解を持ってウェブを観ていると、あ、またこの人同じこと言っているということが少なくない。もうクセだから仕方ないのであるけれど、大村はまさんの言葉を知っていたらきっと、少し考えるようになるのだろうけれどね。思考のクセをつけようと始めたこのブログでまず考えなくちゃならないのが実はこの大村はまさんの遺された言葉なのである。


クセをつけるためにクセを正すことから始めよう。


2024年12月18日水曜日

信頼関係を構築せよ浅漬けの信頼関係と狭小心理的安全空間の空虚さ

 信頼関係って、発酵みたいにじわじわ進むものだと思うのだけれども、組織開発の名のもとにもはや1on1など強制的に信頼関係を生み出そうとされているのではないだろうか、その浅漬け信頼関係を正当化するのが心理的安全理論であって、思ったことが言い合えることがその現れであると言うが本当にその通りなのだろうか大いに疑問が残る。故平尾誠二さんが言うように折り合いをつけて理不尽に勝つことが成長であるのならば、心理的安全は成長にとっては空虚な理想論でしかないことになると思われるからだ。浅漬けの漬物はそれなりに美味しいが、やはりじっくりと時間をかけて発酵した漬物や酒類に叶うものではない。知事までも辞職に追い込むパワハラ騒動にパーカーおじさん騒動と、分断と世代間ギャップが広がる社会の中で、協働という小さな小さなコミュニティの中だけで浅漬けの信頼関係を構築しそこだけ安全だという発想は空虚だ。確かに社会全体の大きな課題を解決することは困難だから、まずは身の回り3mから変えていこうという意識は尊いものではあるが、それで良しとするのは浅薄である。



2024年12月17日火曜日

内省してる?時空を超える気づきは日々の内省にある。

 内省、リフレクションとは経験を振り返って経験の本質に気づき未来の選択の可能性を広げる行為であるが、脳内では記憶と構想の働きはほぼ同じであることが研究の結果わかっているので経験を振り返るだけで未来をイメージしているのと同義なのである、意識する概念としての時間軸がこれまでかこれからかという認知上の差異であって要するに気づきの本質はこれまでかこれからかということなのである。




2024年12月16日月曜日

人は見たい世界を観て創ろうとする

アンコンシャスバイアス が諸悪の根源みたいに言われる中、正常化バイアス、確証バイアスといった偏ったまなざしが誰にでも備わっていることが良く知られるようになった。要するに誰もが観たい世界を観るのである、そもそも世界がどう観えているのかはその人にしかわからない。ものなのである。その人固有の世界を変えることを洗脳というだからバイアスは自ら矯正すべきものだと言える。問題なのは、個人が世界をどう観ているかではなく、集団として描き出す世界がどう歪んでいるのかなのだ。女性が活躍する組織では女性の管理職は多い。仕事における活躍には文脈依存性が強くある、ジェンダーに起因する適性が文脈と結びついているのだ。例えば男子学生に人気の無い企業には必然的に女性が集まりやすい、当然優秀な女性の比率が高まり、活躍するようになり、さらに女性が集まりやすくなる。こういった現象はあらゆる組織に観られる。産業組織は経営者が観たい世界の表象なのである。




2024年12月15日日曜日

我思う、ゆえに我あり。では私は誰?

ウィキペディアによるとラテン語訳のCogito, ergo sum(コーギトー・エルゴー・スム、cogito =我思う、ergo = 故に、sum = 我在り)との標題が有名だが、これは第三者の訳による『真理の探求』で用いられたもので、デカルト自身がこのような表現をしたことはない。なのだそうだ。   でもこの我思う我とはミニナルセルフである   ミニナルセルフとは、自分の現在の状態や感情を認識する自己意識のことです。 ミニナルセルフは、自分の体や心の動きに注意を向けることで形成されます。 ミニナルセルフは、自分が誰であるかという問いに答えることはできませんが、自分が今どう感じているかという問いに答えることはできます。つまり、自己意識は自分の意識や感情があることは認識するが自分が誰かは答えられないのだ。自分とは    生きて来た日々の結実だからである。



2024年12月14日土曜日

本来的な自分という謎

 本来的な自分という永遠の謎。ハイデガーは、存在と存在することの違いを哲学し、本来的な自分であることとは、責任を引き受けることであると考えた、誰も引き受けることが出来ない自分として存在することが本来的な生き方というわけであるが、社会が分化し役割化が進みネットワークが広がりソーシャルサポートが拡充される中で、本来的な自分として存在することは時間とともに困難さを増している。自給自足に現れているような狭義の自立に固執することも今日の社会の有り様を踏まえると本来的とは言えないだろう、なぜなら私達は社会に拡張して存在するのだから。細胞が1つでは存在出来ないのと同じだ。本来的な自分とは何なのかもはや誰も知ることが出来ない、新実存論と同様に確認できないものは存在しないと考えたほうが良いのかもしれない。もう一度存在と時間を開いてみよう。

これは本来的なじぶん?



2024年12月13日金曜日

脳の奇跡をを生む「好奇心」と偶有性

脳は奇跡に満ちているその一つが未知に適応する偶有性であるが人には未知のものに惹き寄せられる心がある好奇心だ、この好奇心と偶有性の連鎖こそが創造性であるとも考えられるのだ。好奇心と偶有性の連鎖についてchatGPTで解説してもらった。

好奇心と脳の偶有性(セレンディピティ)について

好奇心と**偶有性(セレンディピティ)**は、脳の働きと人間の創造性を理解する上で重要なテーマです。好奇心は新しい情報や経験を求める動機づけとして機能し、偶有性は予期しない出来事や発見が価値ある知識やアイデアにつながる現象を指します。これらの相互作用を考えることで、好奇心がどのように偶有的な学びや発見を促進し、脳が新たな創造性を発揮するのかを論じることができます。


1. 好奇心と脳の活動

好奇心は脳内で以下のような神経メカニズムを引き起こします:

  • 報酬系の活性化:好奇心が喚起されると、脳の報酬系(特に腹側線条体や前頭前野)が活性化し、新しい情報を得ることへの期待が高まります。この期待が学習意欲や探求行動を促します。
  • 海馬の関与:好奇心が刺激されると、記憶形成を担う海馬の働きも向上します。この結果、新しい情報が効率的に記憶され、長期的な知識の蓄積が進みます。

これにより、好奇心は単なる感情ではなく、脳の学習や情報処理に深く関与するプロセスであるといえます。


2. 偶有性(セレンディピティ)と脳の柔軟性

偶有性とは、特定の目的で何かを探している最中に、予期せぬ発見をする現象です。この現象が起こる背景には、脳の認知的柔軟性と情報処理の仕組みが関係しています:

  • 脳の連想ネットワーク:脳は情報を連想的に処理するため、異なる経験や知識が予期せぬ形で結びつき、新しい洞察を生み出します。これが偶有性の基盤となります。
  • 注意と意識の揺らぎ:偶有的な発見は、注意が完全に集中している状況よりも、むしろ注意が柔軟で揺らぎのある状態(マインドワンダリングなど)で起こりやすいとされています。この状態では、脳が広範な情報を探索し、予期しない関連性を発見する可能性が高まります。

3. 好奇心が偶有性を促進する仕組み

好奇心は、偶有性を引き起こす可能性を高める重要な要因です。その理由を以下に述べます:

(1) 環境探索の拡大

好奇心によって人は新しい情報や未知の状況に積極的に接触するようになります。この探索行動が、偶有的な発見の機会を増加させます。たとえば、科学者がある仮説を検証するために実験を行った際、予想外の結果を得て新しい理論を提唱することがあります。

(2) 多様な情報の統合

好奇心は異なる分野やテーマに対する興味を喚起します。これにより、多様な情報が脳内で統合され、偶有性による新たなアイデアが生まれる土壌が形成されます。

(3) 不確実性への耐性

好奇心旺盛な人ほど、不確実な状況や未知の情報に対して前向きに対応する傾向があります。この態度が、偶有的な発見を受け入れる柔軟性を高めます。


4. 好奇心、偶有性、創造性の相互作用

好奇心と偶有性の関係は、創造性とも密接に結びついています。創造性は、既存の知識や経験を新たな形で結びつけ、新しい価値を生み出す能力です。この過程において、好奇心と偶有性がどのように寄与するかを以下に示します:

好奇心の役割

好奇心は、創造的プロセスの始まりを担い、新しい情報や視点を取り入れるきっかけを作ります。

偶有性の役割

偶有性は、好奇心によって得られた多様な情報をつなぎ合わせ、新しいアイデアや洞察を生み出します。

たとえば、歴史上の多くの偉大な発見は、偶有性と好奇心の相互作用によって生まれています。ペニシリンの発見(アレクサンダー・フレミング)は、細菌培養実験中の偶然の観察がきっかけであり、その背景には研究への好奇心と探究心がありました。


5. 実践への応用

好奇心と偶有性を活用するためには、以下のような環境や習慣が効果的です:

  • 多様な体験の提供:新しい場所やテーマに触れる機会を増やすことで、偶有性が生まれる可能性が高まります。
  • 好奇心を支える教育:教育現場では、学習者の興味を引き出し、不確実性を歓迎する姿勢を育むことが重要です。
  • 創造的な余白の確保:集中してタスクに取り組むだけでなく、自由に発想を広げる時間を確保することも偶有性を促進します。

結論

好奇心と脳の偶有性は、人間の認知的・創造的なプロセスにおいて相互に補完的な役割を果たします。好奇心が未知の探索を促し、偶有性がその過程で予期せぬ発見を可能にすることで、個人の学びや創造性が飛躍的に向上します。この関係を理解し、実践的に活用することで、教育や研究、ビジネスなどの分野で新たな価値を生み出すことができるでしょう。

2024年12月12日木曜日

自己肯定感の根底にある好奇心

心理学者アルバート・バンデューラが提唱した「自己効力感」という心理モデルは、人々が自分の能力をどのように認識し、それに基づいて行動するかを理解する上で極めて重要な枠組みを提供しています。このモデルでは、自己効力感の形成過程が詳細に説明されており、特に以下のような要因が鍵となっています:

  1. 成功体験:個人が目標を達成した経験は、自己効力感を直接的に高めます。この体験が積み重なることで、自分自身の能力への信頼が強化されます。

  2. 代理体験:他者が成功する姿を見ることによって、自分にも同様の成功が可能であるという認識を持つことができます。この要因は、特にロールモデルや周囲の環境が重要な役割を果たします。

  3. 社会的奨励:他者からの励ましや支持は、個人が自信を持つのに役立ちます。これにより、挑戦に向かう意欲が高まり、努力を継続するエネルギーが得られます。

  4. 情動的・身体的状態:ストレスや不安をコントロールする能力も自己効力感の構築に寄与します。ポジティブな情動状態は自信を高め、ネガティブな情動はそれを妨げます。

さらに、バンデューラのモデルは「予期」という概念に基づいており、これは以下の2つに分類されます:

  • 結果予期:行動が特定の結果をもたらすかどうかに関する予測。たとえば、「努力すれば目標を達成できる」という信念がこれに当たります。
  • 効力予期:自分自身がその行動を成功させる能力を持っているかどうかに関する信念。「自分にそれができる」という確信がこれを示します。

メタ認知力の役割

結果予期において、メタ認知力が重要な役割を果たしていると考えられます。メタ認知力とは、自分の思考や行動を意識的に監視し、調整する能力のことです。この能力によって、目標達成の可能性をより正確に見積もることが可能となり、適切な戦略を選択できるようになります。たとえば、失敗した場合にも「どの部分が問題であったのか」を分析し、それを改善することで新たな成功につなげることができます。

自己肯定感と効力予期

一方で、効力予期には自己肯定感が大きな影響を与えるとされています。自己肯定感は、自分自身の存在価値や能力を肯定的に捉える感覚を指し、それが高いほど、自分の能力に対する信頼が揺るぎないものとなります。自己肯定感が高ければ、困難な状況でも自分の可能性を信じて努力を続けやすくなります。

モデルの統合と今後の課題

バンデューラの自己効力感モデルは、心理学的な基盤を提供するだけでなく、教育、組織開発、健康促進といった幅広い分野で応用されています。しかし、このモデルの実践的な適用をさらに詳細化するためには、メタ認知力の認知モデルとの統合が必要です。メタ認知力を活用することで、自己効力感の発達過程やその応用範囲をより具体的に示すことが可能になります。

例えば、教育現場では、自己効力感を高めるために生徒のメタ認知的な学習戦略を指導し、成功体験を意識的に積み重ねるよう促すことが考えられます。また、職場においては、フィードバックやロールモデルの活用によって自己効力感を強化する取り組みが有効です。

このように、バンデューラのモデルとメタ認知力の認知モデルを統合的に研究することは、人々が持つ潜在的な力を引き出し、持続的な成長を促進するための実践的な洞察を提供するでしょう。

メタ認知力と好奇心の関連性について

メタ認知力と好奇心は、一見独立した心理的概念のように思われますが、実際には深い相互関連性を持っています。両者は学習や問題解決、個人の成長を促進する上で重要な役割を果たし、相互に補完し合う関係にあります。この関連性を以下に論述します。


1. メタ認知力の定義と好奇心との接点

メタ認知力とは、「自分の認知を認知する能力」、すなわち「自分がどのように考え、学習し、判断しているのか」を客観的に理解し、調整する能力を指します。一方、好奇心は、新しい知識や経験を追求しようとする感情や動機づけです。

両者の接点は、「自己の知的状態に対する意識と調整」という共通点にあります。好奇心が刺激されるとき、個人は未知の情報に触れようとする欲求を抱きます。この過程で、メタ認知力が自分の知識の不足を認識させ、さらに新しい情報を探索する戦略を選択する助けとなります。


2. 好奇心の駆動力としてのメタ認知

好奇心が発動するには、自分の現在の知識やスキルと、新たに得られる情報や経験との間に「ギャップ」が存在することが必要です。この「ギャップ」を認識する能力はメタ認知的なプロセスに他なりません。

たとえば、次のようなケースが挙げられます:

  • 既知と未知のギャップの認識:自分が知らないことを自覚することは、好奇心を喚起します。たとえば、「自分はこの分野についてほとんど知らない」という認識が新たな学習のきっかけを生みます。
  • 戦略的探求の指導:好奇心によって新しい知識を追求しようとする際、メタ認知力が効率的な情報収集や学習戦略を選ぶ指針となります。

メタ認知力を活用することで、単なる表面的な興味ではなく、より深い探求心が育まれます。これにより、好奇心が一過性のものではなく、継続的な学びや問題解決の原動力となるのです。


3. 好奇心によるメタ認知力の向上

逆に、好奇心はメタ認知力の向上を促します。新しい情報や経験を追求する中で、個人は自分の思考や行動を客観的に見直し、次のような学びを得ることができます:

  • 認知的柔軟性の強化:好奇心は、新しい視点や異なる考え方を受け入れるきっかけを提供します。これにより、自己の固定観念に気づき、それを調整するメタ認知的なスキルが発達します。
  • フィードバックループの活用:好奇心が個人を未知の領域に導くことで、成功や失敗の経験が蓄積されます。この経験を分析し、次の行動に生かす能力はメタ認知力の重要な要素です。

たとえば、新しい分野に興味を持った人が試行錯誤を繰り返す中で、自分の理解を深める方法や効率的な学習方法を発見するプロセスは、好奇心とメタ認知力が相互作用する典型的な例です。


4. 教育における応用

メタ認知力と好奇心の関連性は、特に教育分野で注目されています。これらを組み合わせて活用することで、学習者の主体的な学びを促進する効果が期待できます。

実践例:

  • 好奇心を喚起する教材や課題を提供することで、学習者が「未知のギャップ」を感じ、それを埋めるために積極的に行動するようになります。
  • 一方で、メタ認知スキルの指導(たとえば、自分の学習プロセスを記録する、自己評価を行う)を行うことで、学習者は好奇心を効率的に活用し、より深い理解を達成できます。

これらのアプローチにより、学習者は単なる情報の受け手ではなく、探求者として成長することが可能になります。


結論

メタ認知力と好奇心は、相互に補完し合い、個人の知的成長や創造的な探求を支える基盤となります。メタ認知力が好奇心の「方向性」と「効率性」を支援する一方で、好奇心はメタ認知力を磨くきっかけとなります。この相互作用を意識的に活用することで、教育や職場環境、個人の自己啓発において、より大きな成果を得ることができるでしょう。






2024年12月11日水曜日

コラボレーションの本質にある創発的人間関係

 グーグルが採用基準に創発的リーダーシップを掲げる中で、そもそもの人間関係を見ればその人が創発的か否かがよく分かる。経済合理性要するに利得で人間関係を考える人はまず人付き合いの中で何が得られるかを考える、創発的人間関係を考える人は、目的ではなく、可能性を考える。可能性とは他者のリソースの尊厳を認める行為そのものなのである。創造的態度とは、新しいもの変わっているものを歓迎するものである、創発的人間関係は常に多様性新奇性に鯛尾して開かれているものなのである。





2024年12月10日火曜日

私たちが運命に出会うために出来る事

 運命に出会うために必要なことは出来るだけ多くの経験を積むことに尽きる。以上。

運命は身体知でしか判断できない。そのために出来ることはとにかく多くの経験を積むことだけなのだこれは良し悪しでもないしどのような経験かというべき論でもない。




2024年12月9日月曜日

自由意志はあるのか

 哲学的でありかつ脳科学の領域では人間の自由意志についてながいこと議論がなされている、能の活動を測定すると意志よりも早く筋肉の運動を示す能の活動が測定されていて、人間には自由意志は無いという結論に至ったのである、しかしその後の研究ではわずかではあるが運動を止めるという自由意志はあったということに落ち着いたらしいがどうやら自由意志論争はまだ未決着であるのかもしれない。ハイデガー的に考えれば、本来的に生きていない世人には自由意志は無いということになるのかもしれない。他者の人格や尊厳を重んじるという倫理的な生き方はひょっとしたら自由な生き方ではないのかもしれない。しかし、倫理的な生き方とは他者に隷従することではなく、自由意志の調整であると考えれば本来的な生き方と自由意志の存在は対峙するものではないことがよくわかる。調整とは脳科学で言えば止める意志の現れつまり、言い換えれば我慢であり、節制であると言えるだろう心理学の縦断研究で有名なマシュマロ・テストでは。我慢ができるという性格と、その後の優秀さに因果関係が成立していたと言われている。つまり、社会的生活においては、我慢するという自由意志が貴重なのである。我慢するという自由意志は賢さの本質であるという研究もある。本当の自由とは、欲望を心の赴くままに振り回すことではなく、欲望を調整することなのである。



2024年12月8日日曜日

エリック・バーンとニーバー 2つの名言の根底に流れる自己肯定。

まずはよく知られる2つの言葉。

他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる

カナダの精神科医 エリック・バーンの言葉です。原文は下記の通りです。

You cannot change others or the past.

You can change yourself and the future.

ラインホールド・ニーバーの祈りの言葉。

神よ

変えることのできるものについて、

それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。

変えることのできないものについては、

それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。

そして、

変えることのできるものと、変えることのできないものとを、

識別する知恵を与えたまえ。

(大木英夫 訳)


いずれも「変わる」が主題なのであるが実はこの2つの言葉の根底にあるのは自己受容つまり、自己肯定である。ありのままの自分を受け入れることが鍵なのだ。ニーバーの祈りにはそのものずばり受けいれるという言葉まで出てくる。じぶんが変わったり変えられる(効力感)という信念の根底には自己肯定が強く深く根ざしているのだ。

あなたは今の自分が好きですか?(はい/いいえ)日曜朝に自問自答してみましょう。







2024年12月7日土曜日

プレイングマネジャーにおける不自由とは

テーマ 「自立と支援」

なすべきことを自ら決めて自ら行い成すことを自立というしかし自らの力では成せない場合他者に助けを請うことも立派な自立なのである。なんでもかんでも独力で成せることが自立ではない。もちろん独力で出来たほうが効力感は高くなるが成すべきことの難易度が高い場合は差配が重要になる。マネジャーとはこういった差配に長けた役割であって、何から何まで一人でこなす役割では無い。よく営業や販売の現場ではプレイングマネジャーが見かけられる。その多くは、メンバー時の高実績が評価されて報奨的にマネジャーに任用されたケースである。任用時の期待は優れた営業や販売のナレッジをメンバーに伝承するとことがあることもあるが、より大きな業績目標を成し遂げてほしいという、プレイヤー的期待の比率が多いことも実態だろう。営業や販売は自らの裁量で成績を出すことが出来る職種である。それ故スタンドプレーが身に付きやすいのであるが、それは自立ではないのだ。自信と満足がより一層のスタンドプレーを誘っていくが、マネジメントにとってそういった自己満足は不自由であって、自立したマネジャーにはなっていないことを気づかなければならない。




2024年12月6日金曜日

協働における人としての進化。

 協働でいちばん大切なことは学びほぐしのアンラーニングである。

産業組織における組織とは生産性を向上させる協働の一形態である(青沼1965)ために、非人間的側面機能としての人間論に光があてられがちであるが、最も重要なことは、他者の眼差しによって自らの信念を揺さぶっていく学びほぐしである。アンラーニングには機能的適応論と学びほぐしの2つのアンラーニングがある(長岡2021)もちろん機能的適応論が無意味だとは言わない適応はダーウィンの進化論の中では種の保存にとって最も重要な要因でもあるからだ。しかし、ダーウィンの進化論が反証されているように、進化とは非連続な創発現象である可能性も残されている。人としての進化は適応というよりむしろ、自分とは異なる他者との関わりから生まれる自己刷新なのである。




2024年12月5日木曜日

SNSには毎日新しい楽しみがある。

 ジェロントロジー(老年学)の権威阪大権藤教授は百寿者(センテナリアン)の研究を通じて、老年的超越の世界観を提唱する。超越の世界観の中にはに毎日新しい楽しみがあるというのがあるのだけれども、SNSはこれに叶っているだろう、兵庫県知事選挙名古屋市長選挙などでSNS批判が高まっているが高齢者にとってみればデマも事実も日々の新しい楽しみであることは間違いないもちろん大崎博子さんのように20万人もフォロワーがつく発信交流上手な高齢者も居るがROM読むだけの人にとっても、SNSは日々新しい楽しみの機会である。IT機器の操作習得というハードルはあるが、これからはスマホに慣れた高齢者がどんどん増えるだろうから高齢者のSNS利用は間違いなく増えるだろう。高齢者の情報リソースはテレビに新聞というステレオタイプは間違いなく消えていく今回の2つの選挙では、若者&SNSが選挙結果を左右したと報道されているが、それは偏見に基づいた明らかな見立て違いであろう。情報リソースは時代とともに変遷してきた、朝ドラ観ているとわかるが戦前は新聞ラジオがその後テレビにそして今やインターネットに移ろっているだけなのだ。車が売れなくなり、お酒を飲まなくなり同ようにテレビも観なく新聞も本も読まなくなる。それは、恐らく年齢とは無関係である。

もちろん染み付いた習慣から抜け出せない人もいるだろう。しかし幸福な百寿者の世界観を知るに、SNSの方が圧倒的に勝っていることは間違いないからである。SNS害悪説の偏向報道を繰り返すオールドメディア高齢化社会の敵でもあるのだ。





2024年12月4日水曜日

対話?関与?交流?基礎信頼?

 対人関係における他者に対する基礎信頼(ベーシックトラスト)は

幼少期の人間関係が大きく影響していると言われる。

基礎信頼は良好な人間関係の基礎となるものであり、あらゆる社会的活動に影響を及ぼすものである。心理学者エリクソンの発達段階説では0歳〜1歳半の乳児期の発達課題として基礎的信頼を、心理社会的危機として不信を挙げている。課題を乗り越えることによって得られる力は希望である。この発達課題は概ねその時期に獲得されるものであって、その時期でなければ獲得出来ないものではないと言われている。だからより成長した時期であっても、基礎信頼の獲得に挑むことは出来るのだ。そのために有効なのが対話であり、対話における積極的に聴く姿勢は基礎信頼を培うトレーニングにもなるのだ。聴くち話すのコミュニケーションは他者に関わる交流するという身体知になるのだ。もちろん交流するなかで共感、など、心を通わせる身体知も獲得することになる、エリクソンの分析によれば基礎信頼や共感する心の醸成にともない心理社会的危機は解消され未来への希望も育っていくのである。



2024年12月3日火曜日

対話の強制すなわち学習の強制

 対話には基礎信頼と建設的相互作用という複雑化し予測不能となる社会においては問題解決能力を高める仕組みが内在されている。そこで、発生するのが対話の強制だ、国家間紛争や、組織運営における1on1の導入など、こんちは強制的に対話の場作りがなされており、こんにちは対話の時代というより、対話が強制される時代なのである。かつて朝鮮戦争時代の学習研究からEシャインは、生存不安が学習不安を上回った時に学習が起こることを論述し戦後のIBMなどでの人材育成が教育ではなく教化という概念で推進されたことにも言及している。つまり、今日の対話の強制は言い換えると学習の強制なのだ、シャインの分析によれば、強制的な学習は生存不安にさいしてのみ有効である。企業研修、人事制度といった強制的な学習が有効に働くのは評価や処遇と接続した場合なのである、心理学では、強制されると反発するリアクタンスという心理が生まれることが知られている。この強烈な心理作用と折り合いをつけるうえで必要なのが生存不安なのかもしれない。



2024年12月2日月曜日

SNSリテラシーの次の段階

幸福は人格である。ひとが外套を脱ぎすてるやうにいつでも氣樂にほかの幸福は脱ぎすてることのできる者が最も幸福な人である。しかし眞の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去ることもできない。彼の幸福は彼の生命と同じやうに彼自身と一つのものである。この幸福をもつて彼はあらゆる困難と鬪ふのである。幸福を武器として鬪ふ者のみが斃れてもなほ幸福である。機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現はれる。三木清「人生論ノートより。)

哲学者三木清が現在に生きていたらどう思うのだろうと考えさせられるくらい、SNSやメディア巡る状態は酷い。不機嫌、乱雑、不親切、被害意識に神経質な非難の応酬と微塵も幸福でない情報が巷に氾濫しているのだから。それらの情報を発信している人は幸せをトレードオフで考えているようだ(秦野広志)他人を不幸にすることで自分が幸福になれると信じて疑わない、だから、相手が怒り困惑するほど、図に乗って攻撃するのだ。今、情報リテラシーが問われているが、次の段階は自らの幸福に気がつくことなのである。






2024年12月1日日曜日

大谷翔平選手に観る目標という意識の無意識化(身体知化)

これこれはかの有名な大谷翔平選手が花巻東高校古代に作ったと言われる目標管理シートである。今更これを眺めると、大谷選手のプレーは全て意識的に身体化されたものであることがよくわかる。あの場面のあのプレーが全てこのシートに結びつくのだ。今シーズンは投球が無かったけれどリハビリもこのシートには書かれているように思える。いずれにしても、目標を作った時は、身体化されていない状態である。それが、メジャーリーグで大活躍した今年はほぼすべてが身体知化されていることは、驚きばかりでなく、身体知化がいかに行われるのかを知るうえでも貴重な実例となっているのである。