2022年12月30日金曜日

群盲象を評す還元主義に侵されない生き方

僕は作家辻仁成さんのブログが好きで毎朝読んでいる。彼の文章教室にも何度も参加している。彼のブログ基本的に転載禁止なのだけど。今朝のブログにはとても良い一節があったので一部抜粋させていただいた(辻さんごめんなさい)音楽家としての彼の演奏パートナーからの問い「 一つ、聞いていいかい? 君は何が将来の目標なんだね?」

に対する辻さんの応えは以下のようなものであった

意味があるのは永遠にある現在なんだよ。この日々の瞬間瞬間を最大限に生き切ることだけが、生き物の本当の目標なんだ。

その先にあるものはその先にしかわからないのが、ぼくの人生なんだ。

先々を考えず、ぼくは全力で創作をする。創作をし終えないと、その先のことは見えない、永遠の現在に生きているからだ

さすが作家でありミュージシャンの辻さん素晴らしい応えだよね~。

そうなんだ、振り返れば誰にでも人生の物語りがあるけどそれは瞬間瞬間における経験の連続なのだ。

だからある瞬間の経験だけを取りだせば、それは間違いなくその人の人生の一部には間違いないのだけど。その日の人の人生の全体像をあらわすものじゃないこれを間違うと群盲象を評すとなりかねないのだ

もちろんその瞬間に魂込めているからをそれも凝縮された人生なのではある。しかし、人生は果汁ジュースの濃縮還元法じゃないから還元されたものは本物の人生ではない。僕たちは還元主義に侵されちゃいけないのだ。



2022年12月29日木曜日

今年も一年が終わろうとしている。僕にとっては退院後一年が経過する一年だった。

入院期間183日は毎日リハビリ4時間だったので延べ732時間のリハビリを行ったことになる

退院後は週3回1回40分の訪問リハビリと週2回こちらも1回40分になった51週で計算すると170時間のリハビリを行ったことになる。あわせて延べ900時間のリハビリをおこなったことになる。これに日常生活でのリハビリ(トイレへの歩行とか料理とか犬の世話などを加えると恐らく1000時間はリハビリしていることになる。24時間で換算するとたった41日でしかない。発症までの学習日数21535日にくらべるとたった41日、ひと月ちょっとでしかない。2万日かけて学んだことをたった40日で学び直せるわけがないそう考えたら歩けるようになっている現状がすごく明るく思えてきた。頑張っているやん俺。だぜ。元に戻ると考えたらここから2万日かかってもおかしくないものね。生活の部分ではあるけど元に戻っている部分もあるわけで、もちろん脳出血で全てがリセットされたわけじゃないけど。よくやっているよ。自分で自分を褒めてあげたい。あと何日か過ぎると新しい一年がはじまるけど。学び直したり新しいいことを学んだりしながら僕は僕の人生を丁寧により良く豊かに生きていくのだ。年の瀬に思い新たに締めくくれる、ああ、いい今年も一年だったなぁ。



2022年12月28日水曜日

書くことは人生を豊かにする

 僕は今年作家辻仁成さんの開催する文書教室に参加していた。それでこの程度かよというつっこみはもちろんあるのだけれど、文章を書く以上一人でも読んでくれるという稀有な人がいらっしゃる限りまともな文章を書きたい、そう思っているのだ、脳卒中サバイバーでもちゃんと考えられるのよ、えへへ。

では何のために書いているのかと言えばぶっちゃけ自分のためである、

だが「書くことは人生を豊かにする。」という氏の主張には強く共感します。

元々、読んでもらうことはあまり考えず(すみません)日々考えて文章を書き続けるという習慣を手に入れたくて始めたこのブログだけど、

脳卒中で倒れ、出血状況と手術の内容から高次脳機能障害も疑われ半身麻痺もあって社会の異物となった感に強く苛まれる中でも、何か感じたこと気づいたことをさ考えて文章に書くと言う習慣が僕現世につなぎ止めてくれたことは間違いない。間違いなく書くことで僕の人生は豊かになっている。でも、もうちょっとラブレターみたいに読む人に届けたいと思うようになり文書教室に参加したのだ。この文書教室新年も開催されるとのことで、早速申し込みを済ませた。

課題があって「食にまつわるエッセイ「日々のごはん」1000文字~1500文字を提出する。

そこで僕は昨日デイケアの通所リハビリで、15分間室内バイスクルを漕ぎ、50メートルを手引きで1分という超高速歩行(杖だと2分15秒)をしながらそれ以外の空き時間で課題のエッセイを書いていた気がつけば1231文字にもなっていて、今日からは推敲を始める予定だ。

デイケアでご老人(僕もその一員(泣)たちが古い歌を大声で歌うのを聞きながらipadに文字を打ち込むのであったが、その時僕の人生は確かに豊かになっている実感があった。僕は脳卒中と会社の卒業で多くのものを失ったけど、人生は失っていない。その僕の手元に残った人生をどう豊かにしていくのか、それはより良く生きることの実践である。

そうだ、僕は人生の実践者であればいいのだ。神様は僕から仕事も健常な身体も取り上げていったけど、命と考える頭と歩みから学び直す勇気と身体、大事な大事な一緒に語り合え支えてくれる仲間を残してくれた。奪われたものと遺されたものをくらべればぼくにはまだこんなにたくさん残っている。しかもそれは豊かにすることが出来るものばかりではないか。

一昨日も僕は自分で昼ごはんを作ったけど、工夫すれば料理だって作れる。お酒は無くても人生は豊かに出来る、それが、脳卒中からサバイバルしている僕の実感だ。


ペンネのボロネーゼ(レトルト)美味かったです。


2022年12月27日火曜日

メッシシリーズエピローグ

 ここまで4回に渡ってメッシ(森保監督も)を認知科学で考察してきたのだけど今日は年末に向かって総集編エピローグである。鍵となったのはルックアラウンドという視覚情報によるメタ認知と練習や実戦を通じて構築されたマルチモーダルネットワークによる創発的プレイ選択であった。練習によるスキルアップと様々な環境における経験はメッシにしても森保監督にしても構築しているマルチモーダルネットワークに欠かすことが出来ないものだ。今回のワールドカップで森保監督のメモが話題になっているけど、彼は試合の最中にまさに現場での気づきをメモという形で外化していた。つまり、全ての瞬間を自らのスキルを向上させるための学習に割り当てていたのだ。それは戦術に関するものだけでなく、日本に不可能は無いといった自己暗示的なメンタル面での気づきもあったようだ。日本に負けた国からはデスノートと恐れられたと冗談ぽく紹介されたけど。あれは間違いなく学習帳だと僕は考えている。学習には予習復習自習と色々なスタイルがあるけど、僕はリアルタイム(その場で学ぶこと)学習が一番効果的であると信じて疑っていない。森保監督率いる日本代表の躍進は僕のその仮説を強く裏付けてくれていると考えている。学習が状況に埋め込まれているとすれば状況における全ての瞬間こそが学習だとも言い換えられるのではないだろうか。スキルを向上するために学習は尤も大きな役割を果たしているルックアラウンドも言い換えれば観察学習だ。気づきをメモすれば構それは構成学習になる。そして目標を定めれば目標達成と言う問題を解決するための問題解決学習になるそれは戦いに敗れ目標が達成できなくても重大な学習を、チーム全体が学びの共同体となって行っていることになる。この学習が次の機会に生きる知の経験となるのだ。

僕はサッカーの専門家でも学習の研究者でもないけど、考察を続けることで、心が躍った戦いから見えてきたのは経験と鍛錬と学習によって培われるマルチモーダルネットワークの重要性x場の(状況)力という姿を垣間見たのである。ありがとうワールドカップ。また4年後!





2022年12月26日月曜日

実力とは何かメッシシリーズ第4回。

 先一昨日一昨日昨日とワールドカップのスーパースターメッシを題材に認知科学的にその素晴らしさは何なのか考察した。結論としては身体知と状況のメタ認知から瞬間的に創発するプレイであると導いたのだけど、メッシもエムバぺもワールドカップに入る前から評判が高かったことを考えると期待の背かない実力を持っていたと言えるのだろう。では実力って何?という問いが今日のテーマなのだけど。身体知は鍛錬と経験のの賜物で身体化された知識によるマルチモーダルネットワークがその実態だろう。一方、資格情報による状況のメタ認知はルックアラウンドだ。このルックアラウンドはかつて日本代表で活躍した中田英選手でも注目されていた、顔を上げ常にピッチを見渡し、攻撃に有効なスペースを見つけ出す中田選手のプレイぶりは当時話題になっていたよね。メッシはこのメタ情報に呼応するマルチモーダルネットワークが卓越しているのだ。そしてスーパープレイが創発する。ここに至って実力の姿が見えてきた。状況をメタ認知する認知機能と経験と鍛錬によって作り上げられた身体化された知識が状況に瞬時に呼応するマルチモーダルネットワークの創発これがメッシやエムバぺなど超一流の名手の実力の実態なのかもしれない。




マルチモーダルネットワークについての余談

僕運動音痴ではなかった、運動で秀でたところは無かった。そんな僕でも高校1年の時体育のの授業のハンドボールであった出来事は鮮明に覚えている。指導教員はクラス担任でもあったかつて代表選手にまでなったことのある実力者だ。試合中その教師が入ったチームにいた僕は教師が敵ゴールに向かってドリブルをはじめた瞬間パスが来る予感がして。教師の右後ろを追走した。そして予感通りに教師からノールックパスが来た。教師は僕が追走していることをメタ認知していたのだ。そして僕はそのパスを受け絶好のゴールチャンスに遭遇した。しかし決めることは出来なかったけどこの予感、試行、結果この一連の経験は身体化された知識として僕のマルチーモーダルネットワークに蓄えられていて40年を経た今でも記憶として引き出せるものだ。このように身体化された知識はマルチモーダルネットワークに蓄積され僕たちの創発の重要なリソースとなっている。特徴は経験した知識として外化(言語化)することも出来るものなのであるということである。


2022年12月25日日曜日

ルックアラウンドの事実から考察する認知科学的ワールドカップ

メッシのルックアラウンドを確認するためワールドカップ決勝の録画を何度も見直した。 

前半35分14秒、アルゼンチンのボールになる直前メッシは、ルックアラウンドしてフランスの最終ラインの位置を確認していた、そして跳ね返ったボールが自分のところに来てボールが収まった瞬間にワンタッチで自分の背中方向のライン際の前を向いている選手にパスを出した。その選手はメッシが確認していた自分の背中側にあったディフェンスラインの裏側のスペースに走り込んでくる選手にパスを送ってその選手がゴール前にラストパスを出し受けた選手がゴールを、決めている。この間わずか10秒ほど、その中でもメッシがボールに触れたのはコンマ数秒1回である。しかし、まだ敵がボールをキープしているときにルックアラウンドして相手ディフェンスの背後のスペースをみいだしていたのだ。それによってアルゼンチンは貴重な2点目を得た。メッシは味方の選手の動きも含めてそまで詰将棋のように先を読んでいたわけでもないだろう。しかし自分の背後にビッグチャンスがあることは見つけていたからこそ自分の背後に向けたパスを出せたのだ。もしメッシの選択が目の前の安全第一でバックパスだったら得点は生まれていない。一見プレーに関与していないようにみえるメッシのルックアラウンドがメッシのワンタッチパスというプレーを創発したのだ。

同じメッシでも対照的なプレーがあった。後半35分50秒くらいにはルーズになった味方ディフェンスの跳ね返したボールを中盤まで戻って拾ったメッシは一度、かおを上げて味方のディフェンスと敵のポジションを確認してから、反転しゴールに向かって左サイドでドリブルをはじめる。しかしずっと右サイドから中央でプレーしていたメッシには左サイドの敵の選手が良く見えていなかったのかもしれない。敵選手に素早く身体を寄せられ上手く身体を入れられてボールを失ってしまった、メッシがドリブルをはじめたことで全体的につま先に重心がかかってしまったアルゼンチンディフェンスは、浮き球のパスで背後を取られてゴールを許してしまう。

もしメッシがずっと左サイドでプレーしてルックアラウンドしていたらあんなに簡単にボールを失っていなかっただろう。あの失い方は、メッシは不意をつかれた感じがあった。おやっと言う感じだった。


これらを考えるにメッシは、メタ認知で敵味方の布陣とボールの動きという複雑で多様な状況を把握して瞬間的に次のプレーを創発していると推察できる。

しかしメタ認知はルックアラウンドという視覚情報に限らずプレイ中に相手選手との競り合いなどマルチモーダルに構築されていることもメッシの鍵となった2つめのプレイから考察できるのだ。

まさにメッシが認知している複雑で多様な状況に引き出されるように意図せずにプレーを選択して行なっていたのでは無いだろうか。なぜなら、意図してプレーを選択するにはあまりにも瞬間的なプレーであった、

興味深いのは、、味方が跳ね返したボールが偶然自分のところに来た時はゴールにつながり、ルーズになボールを自ら奪い取ってゴール前に運ぼうと意図した時は失点に繋がったと言うことだ、どちらかと言うと、意図的なプレーよりも創発的なプレーの方が良い結果になったことは大変興味深い。

認知科学的結論としてはそしてその創発的プレーを引き出すのは状況であり、マルチモーダルに構築されたメタ認知であったと考えられる。

プレーする自身の身体性身体感覚を通じた情報と資格情報による状況のメタ認知この組み合わせが瞬間的に創発して状況を一変させるプレーが生まれる。これはサッカーと言うスポーツのメッシと言う特別な選手だけに言えることでは無いだろう。日本代表の得点シーンも実は全く同様だむしろサッカー以外いかなる仕事においても保有するスキルと身体知と状況情報のメタ認知の中から行為や行動は知性として創発され状況に影響をを与えていくのである。(サッカーで言えばすなわち得点や失点)

以上の考察を図示すると以下のようになるだろう、数式化すると

Σ「(身体知)+(視覚情報)」(マルチモーダルなメタ認知)×偶発的状況=創発するプレイ⇒得点や失点(およびそれによる状況の変化)

ルックアラウンドによる視覚情報が欠けたメタ認知で創発ではなく思惑で意図したプレー(攻撃につなごう、運ぼうというプレー)があったは多くの場合失点に繋がっていた。





2022年12月24日土曜日

タレント(才能)よりもルックアラウンドという認知機能。

 ドーハの歓喜で盛り上がる中改めてドーハの悲劇の動画を観てみた。あのときピッチに立っていた森保選手が監督になって今回同じ地で奇跡の勝利を迎えているという物語はなかなか書けるものじゃないよね。でも森保監督選手時代はそれほど広く認識されていた選手ではなかった

むしろ、無名に近い選手だったのではないだろうか、当時はサッカー選手と言えばカズ武田、ラモス、北沢、都並、の読売系と井原、柱谷松永などの日産系の2大勢力が席巻していた時代だからね~あとそこに中山長谷川吉田勝矢といったサッカー王国のい静岡系が追随していた感じだ。その中に森保はある意味特異な存在だ。森保は当時のオフト監督など指導者は「森保は特別に秀でた選手ではなかったが、人の目をしっかり見て話を聴く子でした。グラウンドでも“ルック・アラウンド”が徹底できていて、運動量も豊富だった。オフトも同じように森保を評価していたのだそうだ。森保選手はその後も日本代表やJリーグで招聘された外人監督に高く評価されたけど、選手としてはその後、大きな活躍もなく引退している。切り札ではないけど、チームの戦術上は貴重な存在だったと言うことなのでしょう。鍵はやはりルックアラウンドだろう。昨日のメッシでも書いたけど、メッシもピッチをとことこ歩きながらほうんとうによく首を振ってきょろきょろ見ている、まさにルックアラウンドしているのだ。認知科学で言えばルックアラウンドはまさにメタ認知の行為である。自分のおかれた状況や状態と自分の位置関係をメタに認識して行動の選択を行う。それが出来るということはピッチに監督がもう一人いるようなものだからね。そういえばワールドカップでも森保監督はピッチをよーく観察していた。得点を入れても入れられても一喜一憂せずずっとピッチを見渡して選手に指示を出す姿は印象的だった。僕のこれまでの経験からいっても、目の前のことに一喜一憂して周りが見えていないひとは野性的な勘でたまに大きな成果も出せるけど、一方で安定した成果を出すのは難しかった。まあボランチとフォワード(ストライカー)の違いといった感じでしょうか。ところでこのルックアラウンド、日本人が得意だと言われる空気を読むのとは全く異なる認知機能だ。空気を読むのは環境が出すサインに応答するもので自発的行為というよりは行為は環境によって自動的に引き出されるものだ。一方でルックアラウンドの結果導かれる選択と行為は、環境と自身のメタ認知によって創発される知識であり知恵の認知的変化なのである。そこには試合がどう変わるのかもしくは試合をどう変えるのかがあるこのルックアラウンドと創発の構造については明日別途考察する。




2022年12月23日金曜日

仕事ができるとはどう言うことかみんなが欲しい。我が社のメッシ。

 やれ適性やらジョブマッチングやら言われるけど要するに仕事ができる人そうW杯でのメッシのような人が組織は欲しいのだ。仕事とは、みんなの問題をみんなで解決することだから、みんなの問題を素早く見つけてみんなで解決出来る人が仕事ができる人だといえる。反表象主義的にそして構成主義的メタファーに、流されず表現すれば、状俯瞰的況把握と理解(メタ認知)が出来て、みんなで解決する際の自分の役割の飲み込みが早く、何をするにも手際が良く、遂行にするときは集中して自分の持分でミスを犯さない人と言うことになる。わかりやすい例で言えばW杯決勝戦でのメッシである。

ピッチ上でつねに全体と敵味方の選手のポジションとボールの動きを把握していて前線にいても中盤に下がっても自分のところにボールが来たらどうすれば一番効果的なのかわかっていて

少ない手数ボールタッチでそれをやり遂げる。しかし一度だけ中盤で相手にボールを奪われるというミスをおかして失点につながった。あのメッシでもミスはあるのだ、でも、ミスが失点につながるのはそれだけ重要な位置でボールに触っている証でもあるよね。

キーワードを書き連ねるとメタ認知、阿吽の呼吸(相手目線での連携)、熟達した操作、安定して確実な選択、によるみんなの問題の解決だ。

サッカーで言えばピッチ上の敵味方の位置、味方との連携、ボールの扱い、そして安定したプレーぶりと決定力といったところかな。

メッシの素晴らしさはどんなチームでも仕事が出来る事であろう今回のワールドカップで証明したよね。

闘争心は強いけど、粗くて時に自制心を失うアルゼンチン選手の中にあっても、バルセロナやパリサンジェルマンなどで最高峰の選手たちと一緒にプレーするように仕事したのだ。

そう、メッシがいればそこが世界一のチームになる。

いいよね~。みんな会社に欲しいでしょ。こういう仕事の出来る人。

いい心理状態(モチベーションとか)で闘うことも影響あるけどじつはやる気や気合だけでは勝てないことは歴史が証明している。

異常に高揚した心理状態があっても日本は戦争に勝てなかったことを僕たちは当事者として知っているものね。

僕はメッシのすばらしさは基本的な認知、記憶・注意・遂行とこれも認知機能に裏打ちされている熟達した身体性であり、全てを支えているのは卓越した認知機能だと考えている。

優れた認知機能こそが仕事が出来るか否かの分岐点であって適性とかジョブマッチとかやる気は仕事が出来ることを何ら保証してくれないのである。

仕事が出来る人代表



2022年12月22日木曜日

いまどき就活生のキャリアデザイン

 昨日、朝ドラ舞い上がれを観ていたら主人公の舞ちゃんが以前の大学の先輩と対面で話をしているシーンがあった、そうしたら、友達がFacebookにまいちゃんいきなりビズリーチと面談と投稿した、この着眼点はすごいなぁ、先輩役の俳優さんは、あのビズリーチのCMで有名な俳優だからね。

舞ちゃんリーマン・ショックで内定企業への入社が一年先送りになったところである。

転職活動してもおかしくないというのも最近の就活生はたとえ人気企業に内定をもらったとしても、ファーストキャリアは3年とか決めていたりするからね。

まずは有名優良企業で社会人としての基礎スキルを獲得してその後自分の好きなことをやっていくといったキャリアデザインを描いていたりするのがごく普通なのだ。

だから内定直後に、転職エージェントの面談をしていてもまったく不思議じゃないのだ。

一方で内定を出した企業側は腹立たしいよね、

他の意欲ある学生を落として採用して、コストをかけて社会人スキルを叩きこんだところでこれからは本当にやりたかったことをしますと去って行かれちゃうわけだからね~。

そういった傾向は若手労働力が売り手市場になってからの話だから、リーマンショックの頃を描くドラマでは無かったことでしょう。

だからまったくもって考えすぎなんだけど、なんだか友人のつっこみを見て笑えなかったのである。



2022年12月21日水曜日

HRテックのウソ

 昨日に続いて人口知能AIネタを書きたいと思うITが発展しネットワークからビッグデータが日々勝手に集まるようになると呼応するようにその膨大なデータを分析マイニングする技術が開発されたそれが機械学習である。

恐らくかつての中国のように人海戦術で社会問題を解決してきた社会であっても、もはや、日々膨大に集積されるビッグデータを人手で解析するのは不可能だ。

一方。コンピュータは24時間黙々と同じ作業を行わせても文句ひとつ言わない。

人間はそうはいかない。

そんな働き方させたら。病気になってしまうし信義であっても教義であっても対価があっても人間性を無視した劣悪な労働環境をもはや社会が許さない。

機械学習に代表されるAIは人間を過剰で劣悪な労働から僕達を解放してくれる重要な社会的リソースだ。ではどんなリソースかと言えば僕たちの認知を学習し代行してくれるリソースだ。だから学習の前提として、人間の認知結果というお手本が必要になる。企業の人事部に限らずHRの領域に関わる事業者(ベンダー)には膨大な人に関する情報が日々集まる。これはまさに山から水が流れ込むカルデラ湖みたいな状態だ。この情報を人海戦術で整理しようとするとまさに万里の長城を築くような劣悪な終わりのない作業になる。だから、どこの企業でも人事部員はつねに過剰労働に晒されているのだ。

データ整理だけでなくハイタッチな対人業務も行列待ちだからね。ああ悲しき人事部員達よ。そんな人事部が社員の働き方や健康を担うというのもなんとも皮肉な話である。

ITの普及発展とともに膨大なデータが集まる産業は〇〇テックだ~と色めき立った。

HRの領域もそうだ。

しかし先ほどの前提に立ち返ればHRの領域ほど学習に不向きな領域は無いのである。

なぜなら、人が他人を評価するときの認知ほどいい加減なものは無いからね。

確証バイアスというのはもはや既知だし。

人の認識に関して言えば、そもそも初歩的な顔認識(あなたは〇〇さんです)にしたって人によって情報が変わってしまう(犯人のモンタージュとかドラマで出てくる面通しを思い浮かべればよくわかるだろう)この人は〇〇さんですといった、ごく初歩的な視覚情報と記憶の照合ですら人間の認知はいい加減だ。

当然、人の認識を前提としたITで学習すべきお手本はいい加減なものでしかない。

頭の中で、マルチモーダルに統合されて創発される知識は極めて文脈依存性が高いので一般的には異なる文脈におけるお手本にはなり得ないといえるだろう。

ITではそのいい加減さ(文脈の多様性)をデータの大きさでヘッジしたのだけど、HRの情報はそこまで膨大じゃないし不作為(客観的)でもない。

HRのデータマイニングをはじめればそんな不都合な事実(作為性)にすぐに気づけるはずだけど、巷のHRテックはその不都合な事実などまるで無いかのように目を瞑ってAIでござ~いと吹聴する、ウソだらけな状態なのである。

昨日も書いたけど、そんなウソを有難く信じるのは人為的な無能に勤しむ意思決定者であり現場担当者だ。





2022年12月20日火曜日

AIの社会実装を阻むもう一つのAIArtificial Incompetence人為的な無能

経営層がAIを熟知している割合. . 日本:7.7%. アメリカ:49.8%. ドイツ:30.9%. . 日本の経営層はAIの理解が進んでいない. 結果、ボトムアップの提案は経営層で滞ってしまう. またトップダウンでも導入失敗してしまう例が多いという投稿記事を見た。僕は会社の経営陣だったし、実際にAI(実態は機械学習でかつてはAIというキャッチーでコマーシャルな呼び方が嫌いだった)のPJを回したこともあるので利点も欠点も熟知していると自負している。そんな僕からして、現場からまともなAI提案が上がってきたことは無かった。そして無知な経営陣ほど顧客などの要望に右往左往してまともな意思決定が出来ない状況だった。要するに経営陣に限らず組織にAI(ML)のリソースが欠乏しているのである。認知科学では知識は創発するものでそのためには文脈とリソースが欠かせないと考える。経営陣は機械学習を経営のリソースとして認識できていない(過剰な期待も同じ)現場は仕事のリソースとして認識できていないという現状がそこにあったのだ。経営に活かす仕事に活かすという文脈があってこそなのだけど、そもそもAIとは何なのかの実践的理解(=知識リソース化)が無いなかでAIAIというのは愚の骨頂なのである。AIの社会実装を可能とするのはプログラマーでもデータサイエンティストでもなく、リアルナレッジワーカーなのであって作業者でも意思決定権力者でもないのだ作業者や組織意思決定者がなぜリソース化していないのかといえばそれはもはや人為的な無能のせいである。要するにリソース化に取り組むことを放棄した怠慢以外の何物でもないことは火を見るよりも明らかなのである。




2022年12月19日月曜日

イチゴは最初それとも最後逡巡する日々の決勝戦

 今年もあと残すところ2週間となった。

今夜はW杯決勝戦、夜遅いけど流石に決勝は見逃せないぞ頑張って起きている試合が始まるまでの時間で今このブログを書いている。

去年この時期はまさかの脳卒中そして会社の卒業が重なって、東京オリンピックをほぼほぼ病院で観る、といってもほとんど観なかったけど想像だにしなかった1年の終わりを迎えて、退院し帰宅し、家で過ごしながらまたしても想定外のリハビリでデイケアに通うという高齢化社会の扉を開くというザ人生の転換期にあった。

思えばあれから一年経ったわけだけど、今年一年また色々なことがあった残りの人生で何を為すべきか考え、シニアビジネス起業コンテストにも応募してみたりもした。

結果はあえなく落選であったけど、残りの人生を挑むのか、無理せずゆっくりと丁寧に過ごすのかを日々悩み考えながら過ごしていた。

それはまるでショートケーキのイチゴを最初に食べるのか最後にたべるのかケーキを目の前にして逡巡する子供のようでもある。

僕は今表象主義的な心理学よりも、反表象主義的な複雑系科学と認知科学統計学や機械学習よりも一人称研究。縦断研究に関心が強いのでデザインと創発研究所という個人研究所を開所して人と組織の問題や社会課題などを分析し考察を行っている。

だから結論的には、イチゴを切り分けながらショートケーキを食べているといったところだろうと、試合も進んでいるようなので一旦ここで記述を終えて試合を楽しむとしよう。

75分間アルゼンチンが試合を支配していたけど目を覚ましたフランスが一気に追いつき延長線に突入。メッシが試合を決めたかと思ったけど。エムべパがまた振り出しにするといったまさにスーパースターのシーソーゲームが繰り広げられるスペクタルな深夜となっている。そんな人間世界の狂乱には一切無関心でルイちゃんは僕の膝の上で爆睡している。そんなルイちゃんを抱きながら僕はPKを制したアルゼンチンのメッシがW杯を掲げる瞬間を目撃するか、寝床に就くか逡巡していた。結局昨夜は最初にいちごを食べてしまう方にを決めてテレビを消した。ひょっとしたら日常とは逡巡が積み重なった山なのかもしれない。少なくとも僕の今年一年は逡巡の山であった。PKとか観ていてもまさに逡巡の瞬間だよね。PKは酷だというのならそれは人生とは酷なものであるというのと同意なのかもしれないね。そしてその逡巡を制した者が自らの人生を制する者になるのかもしれない

実は昨晩もトイレに行くのを逡巡しその後トイレに行ったのだけどその間にアルゼンチンの1点目が入った、そういえば、日本のドイツ戦の1点目の時も僕はトイレにいた(笑)こと_W杯観戦に関しては僕は逡巡負けのようだ。


ショートケーキが一番好き。



2022年12月18日日曜日

孤独を味わえ、脳卒中サバイバーの心に登る月。

 僕は昨日、妻の外出を愛犬ルイと二人で守っていた。ルイといると本当に心強い。

しかし、塩見三省さんがエッセイ「うたうように伝えたいで書いたように脳卒中で片麻痺になって留守宅に居るとまるで砂漠に一人で放り出されたような気分になってくる。一方でどこか初日の出を見守っているときのように、群衆の中の清々しい孤独といった心持ちもあるなんとも不思議な時間であった。家に一人ということは自分の食事はなんとかしなくてはならない。まさにリハビリの目標であった日常生活での自立(ADL)が必須なのだ。リハビリ病院でも退院直前には料理を行う練習もやったけど完全にひとりのsolocookingは発症以来初めてでちょっと緊張した。左手の麻痺はちょっとしたことを不自由にする、胡椒ミルは使えないし、袋物の封を切るのには一苦労だ。でも、為せば成るで、やってみたハサミを入れるのに立てておいた袋が倒れて中身が出てくるとかちょっとした失敗はあったけど、それは許容範囲だろう、料理っていいよね、あらゆる場面に工夫が活かせる失敗も含めて自分らしさがそこにある。真っ白なスケッチブックをクレヨンや絵の具で汚すときのようなやりがいだ。もちろん出来上がった料理が素敵で美味しければ、もう大満足なのである。そのとき僕は放り出された砂漠で一人紺碧の夜空に登る真っ白な月の美しさに心を打たれているのだ、この感動はたった一人だから味わえるものなのかもしれない、きっとそうに違いない。丸皿に盛ったソース焼きそばを平らげながら僕は孤独を味わうのであった。




2022年12月17日土曜日

仕事が育てる

脳卒中サバイバーの僕には残念ながら後遺症が出てしまった。
右被殻下という脳出血ではありがちな場所の脳出血のつけは左半身の運動麻痺という片麻痺である。
1年半に及ぶリハビリの結果歩行はかなり回復したものの左手はグーパーすらままならない。
元々手は回復が難しいと聞いていたけど自宅に帰ると
もう自分で工夫してリハビリするしかないから回復はさらに難しくなる。
そんなこともあって、維持期の上肢リハビリで先進的な取り組みをしていると聞いた慶応大学病院のリハビリテーション科を受診するようになったのだけど。
一向に上肢リハビリの話にならない、ネットで検索したら助成金詐欺で訴えられているなんていう記事もあったから、ひょっとしたら、先進的取り組みは今ご法度なのかもしれない。
先生からはまず歩行回復と言われ、前回受診時は歩行がだいぶ良くなったと評価されたのでそのうち話が出るのかもしれないけど、今は焦らず、自宅で手のメンテナンスなどをする時期と心を定めている。
メンテナンスは基本筋肉が固まってしまわないようにするストレッチが中心だけど、積極的に左手を使うようにも心掛けている。
そのひとつがワイングラス洗い。
もはやワインは飲まないけど毎朝カゴメの野菜生活100をこのおしゃれなグラスで飲んでいるのだ。
落とさないようにくびれの部分に指をかけて握るつもりで指先に力を入れるイメージで、右手とコラボしてスポンジで洗うのだ。
僕は右手が利き手なので右手でだいたいのことはできてしまう。
このブログも右手で書いている。
でも、麻痺した手を使わないでいるとよけい動かなくなるから、出来るだけ使うのだ。
出来ることと出来る方法を少しづつ見つけながら
なるべく普通に左手を使ってあげるのだ。
リハビリの中には、動く手を固定して使えないようにして、強制的に患腕の機能回復に取り組む方法もあるらしい。
ぼくももし麻痺が利き手の右手だったらもっとスパルタな方法を選んだかもしれない。
自宅でのリハビリであまりイライラはしたくないのでゆっくりと生きているのだ
でも仕事をするのはいいよね。ちょっとした充足感と未来への展望が少しだけ開く感じがする。これはきっと麻痺した左手だけの話じゃないだろう。仕事と言う環境が僕の身体性と精神性をを育ててくれるんだよね。さ、仕事しよう。


落としたら大変、の緊張感が大事

2022年12月16日金曜日

NODOGNOLIFEな脳卒中サバイバル生活


僕が脳卒中で病院に救急搬送されたあと入院中の僕のベッドの枕元にあったのがこのアクリルに写真が印刷されたキューブだ。生きる希望も失せがちだった頃献身で僕を支えてくれた妻と同じように僕を支えてくれた一品だ。妻から聞いたアニマルコミュニケーターの話では。このキューブの写真の犬ルークはいつも僕の傍に居て見守ってくれているのだそうだ
。ルークが我が家にやってきた時は飼育放棄状態でけっこうボロボロだった。僕は初めての犬暮らしにだいぶ戸惑ったけど、とてもいい子だったのでもう可愛くてしかたなくなっていた。アニマルコミュニケーターの話によればルークは家族に向かい入れたことをたいそう恩義に感じていてその恩に報いるように虹の橋を渡っても僕に寄り添っていてくれるのだそう。ああ。なんといい子だろう。でも、実際僕がトランクルームで倒れた時、奇跡的なことがあったあったし、誰かに助けられていると感じていたので。素直にそのアニマルコミュニケーターの話を信じている。救急搬送された病院名も聖路加国際病院つまりルーク病院だったからね。そしてその後のリハビリ入院生活と退院後の自宅生活の支えになっているのがルイだ。そう考えると
今回の人生のピンチを救ってくれたのは妻と犬たちである。
それゆえ僕の人生はもはや犬なしには考えられないNO DOGs NO LIFEなのである。






入院中も僕を見守ってくれたアクリルキューブ

リハビリと退院後の支えルイちゃん




 

2022年12月15日木曜日

いちいちアワアワ言うなの人生

 丁度一年前の今日僕は6か月に渡る回復期リハビリの入院を終えて退院し自宅に戻った。

その日のブログは、人生は理不尽なものやという平尾誠二さんの言葉を山中伸弥さんが取り上げたもので平尾誠二さんの言葉としていちいちワアワア言うな」と。「先生、人生はうまいこといかなくて当たり前だから」と楕円形のラグビー🏉ボールに例えて平尾誠二さんは語っていたそうです。と引用していた。一年経って改めて眺めるにほんとうに意味深いと思いました。実際、退院前に不安視していた退院後の生活は思ったよりうまくいってラグビーボールよりサッカーボールに近いものだったかもしれない。でもまだ、屋外歩行自立にも自宅浴槽入浴も出来ていないからほんとうにうまいことはいっていないのだと思うでも、仕事も道半ばだ。でもアワアワ言わないよ。それは人生の当たり前なのだからね。平尾誠二さん山中伸弥さんありがとう。




2022年12月14日水曜日

安全基地から巣立てるのか片麻痺とうちゃんリハビリ新ステージへ?

 

僕は1年前の11月4日に車上生活あれやこれやという記事を書いているリハビリ生活142日目車椅子での雑感を書いたものである。その時僕は車椅子を安全基地と書いている。退院し生活期に入った僕の日常においても車椅子は安全基地のままである。生活期もやがて1年が経つ。入院中のような高密度高質なリハビリは行えないけど。訪問してくれる療法士さんの訪問リハビリとデイケアの通所リハビリを続けてきて屋外歩行もだいぶ訓練することが出来た。僕の回復状態も至らずに、入院中はほとんど屋外歩行訓練は出来なかったことを考えるとやっと杖を使って外が歩けるようになってきたのである。歩行速度も最初分速8メートルくらいだったのが4倍の分速32メートルくまで出せるようになった。そこで、体力などまだまだ課題はあるものの。車椅子の卒業を、訪問、通所の療法士さんたちと相談し始めた。自信がついてきたのだ、そう丁度、雛が巣立ちするようなものだね。羽ばたく力がついて身体を浮き上がらせることが出来るようになると安全基地である巣の外に出て、大空に舞い上がろうとする。今がちょうどそんな感じである。舞い上がれ片麻痺とうちゃん。いよいよ開演の時間でございます。



2022年12月13日火曜日

予兆(評価よりも観察を)

先日の日曜日、中学時代の同級生が集ってくれた。
この歳になりこの病気(脳卒中)になって社会の異物化を意識し始めるとつくづく友達の有難さが身に染むのである。
そもそも僕はあまり友達付き合いがいい方じゃない。
要は自己中なんだ、
深く反省する次第だ。
もし人生がやり直せるとしたら友人をもっと大切にしたい心からそう思える今日この頃だ。これも身勝手な話さ
さて会食の最中、発病前の血圧ってどうだったのか聞かれた、
実は血圧が高い認識はあって、毎朝測っていた。
今は毎日血圧はiphoneのアプリに記録しているけれど当時は手帳に書いていた。
昨日手帳を開いてみたら。
132-156/78-89といった感じで立派な高血圧であった。
そう脳卒中の予兆は間違いなくあったのだ、会社取締役退任とその後の仕事生活に関する不安ストレスに、在宅ワークで習慣化していた飲酒と、そして、トランクルームにため込んでいた重い暗い過去の荷物整理と、血管がパンクする条件は万端に整っていたのである。
このように、病気はいきなりだけど、その予兆は間違いなくあるんだよね。
さて予兆と言えば日本社会の産業組織には、介護の現場に限らず離職の問題が重くのしかかっている。
この離職問題も突然に見えるけど間違いなく協働的予兆がある。僕は、離職定着の問題はミスマッチではなく適応と創発の現象だととらえている。
僕のこれまでの経験でいくとその予兆とは以下のようなものである。
仮説だ。
①急にパフォーマンスが良くなる、悩みが吹っ切れる感じで前向きになり。残務荷物を片付け始める
②でも、些細な新しい提案にもしり込みしはじめる。
③会話が増えて分かり合えるいい人になる
この①②③が揃うとちょっと話があるので時間をくださいとくる。来たぁ~って感じだ。
なぜそうなるのかと言えば自分事で考えればよくわかるよね。
離職前のどうしようかと悩んでいる時期が一番辛くて苦しい時期だからね。適応問題の時期だ
そこを通り過ぎると楽になるんだよね。創発の時期である。
開き直るからパフォーマンスも上がる。
だから周囲との関係性も良くなる。
中には、恨みつらみで毒を吐きまくるパターンもあったけどね。
でもきっとそれは逆に開き直れていない証(反適応への自己嫌悪)なのかもしれないね。
だからマネジャーは部下の①整理②新奇性③コミュニケーションこの3つを僕の血圧のように日々記録していけば、離職の予兆をきっと見つけ出せるに違いない

こんなサービス作ったたろうかな。



 

2022年12月12日月曜日

愛の化身の最初の午餐

 脳卒中で倒れてからはもとより、それ以前もコロナが始まってから僕は、友人たちと外食することは無くなっていた。

脳卒中になってからは、さらにハードルが上がって会食すらことすらあり得ないようになっていたのだけど、

昨日は、中学時代の気のおけない仲間が、場を作ってくれて参加させて頂いた。

ひょっとしたら3年ぶりくらいの会食かもしれない。

中華の円卓と聞いていてので、360度カメラの充電を済ませて持参して円卓の中心に置いて撮影した。

専門アプリか有ればぐるぐる回してみれるのだけど、SNSでシェアするにはそういうわけにもいかない。

スマホにカメラから画像を取り込んだところパノラマ写真みたいな面白い画像になっていた。なんだか、レオナルドダビンチの最後の晩餐みたいな感じた。

その写真を観ながら、改めて生きていてよかったと思った。

だって昨日の午餐は最後じゃないからね。

また、この友人たちと一緒に卓を囲みたいなぁ、そう思える自分がいるということは感謝すべきことである。

僕を救ってくれた。

トランクルームに居合わせた方、救急隊そして、聖路加国際病院の医師にスタッフの方々、リハビリ病院の皆さん、常に献身してくれる妻に愛らしい犬。

そして僕の無事を喜んでくれる友人達ほんとうに僕はみんなの力でサバイバルできたのだ。

なんとありがたいことだろうか。

僕の生命は、多くの献身と言う愛の形なのである。

僕は愛という生き物言う犬の日記も書いているけど振り返れば僕自身が愛の化身なのである。

だから僕は自分自身含めて全てのひとにもものにも感謝しなければならないのである。


愛に囲まれた最初の午餐

こちらは愛に囲まれた最後の晩餐





2022年12月11日日曜日

世界の壁はどこにある?勝負強さの実態とは

 日本代表のW杯も終わったけどW杯はいいよ佳境ベスト8そして今朝ベスト4が出そろった、もうここまで来るとどのチームが優勝してもおかしくない雰囲気だ。そしてやはり日本がこの一角を占めるにはまだ時間が掛かりそうな気がした。ではなぜ時間が掛かりそうと感じるのか、世界の壁はどこにあるのか考える。手がかりは世界の壁を越えた先人達であろう。スポーツにしろ、産業にしろ、世界の壁を越えた日本人は少なくない。それらの人々を想うに、世界は果てしなく広がるものではなく、自らの手の内にあるもの、という意識であるように思える。つまり自分を世界と対峙させるのではなく、世界の一部としての自分の可能性を信じていると思えるのだ。例えば大谷翔平選手などはその代表格だろう。160キロの速球を投げるとか、二刀流でいくとか、本当に自己限定していないよね。

今回日本がスペインドイツに勝てたのはきっと選手たちは勝てると自分たちを信じていたからだろう、一方で、ベスト8を新しい景色としてしまった、ひょっとしたらその意識がクロアチアとの決定的な違いで、PKがうまくいかなかったのかもしれないシュートの技術では日本選手にはまったく遜色が無いことはそれまでの闘いで明らかであるであると、すれば違いがあるのはメンタルということになる。ベスト8への挑戦というメンタルが、すでに準優勝まで経験していたクロアチアの選手との違いであることは明らかだろう。大谷翔平選手を見ればメンタルにとって経験は必須じゃないことは明白だ。

ここ一番で勝てることを勝負強さというなら、それはきっと勝負やその舞台の文脈におけるメタ認知の差に違いない。大谷選手はそのメタ認知の仕方が上手だよね。そして産業界であれば本田宗一郎さんではないだろうか。


フランスの勝ち




2022年12月10日土曜日

悪ふざけの実態倫理観の欠損という社会性の喪失

静岡県裾野市の保育園で園児を虐待したとして、当時働いていた保育士3人が逮捕された事件で、そのうちの2人が悪ふざけが常態化してまひしていたという趣旨の供述をしていることが分かったという記事が配信された。

悪ふざけで虐待された園児やその親はたまったものじゃないけど、

悪ふざけといえば一時、アルバイトが冷凍ケースに入ってみせたり、調理場で食材や料理をを口にしたりしてしかもそれをSNSに投稿し大炎上するという事件が相次いだ、

これも悪ふざけの典型例であろう。

一方で、僕は人生はじめての長期入院で医療従事者の献身的な、看護や解除をうけてそのプロ意識に強く深い感銘を受けていた

そのプロ意識とは確かな技術と強い倫理観の為せる技であった、

看護や解除の技術はスキルとして学校や職場の実務で磨かれたものであるのに対して倫理観はどのように獲得されるのか非常に興味が湧いて、何人にもインタビューしたのだけど、無限の選択肢がある状況において成すべきことを成すという倫理観の高い行為を自律的に選択する。

それは常にサービス受益者の目線に立って、決めているように感じられものだ。だから受益者を守ることが第一で傷つけたり不安にさせるようなことは一切無い正しい心の働きである。

インタビューをした結果から見えたのは倫理観というよりむしろ信念を信頼を置く人から借り受けやがて臨床での実践を通して自らの信念としている姿だった、感染動機と呼ばれる、自分もあのひとみたいになりたいという動機があって、職業倫理を我が物としているようであった、もちろん臨床の現場では職場の倫理基準を制定し推奨しており、それも、自らの信念を培う手助けとなっているようであった。また、受益者からの感謝によって倫理は磨かれていく。今回のW杯で森保監督が見せた感謝の姿や日本代表のロッカールーム、などがW杯を取り巻くすべての人々の倫理観を磨いたことは記憶に新しい。

しかしそれはあくまでも手助けでしか無い

病院がどんなに立派な倫理憲章を掲げたところで誰ものがそれに則って行動できるわけではない、

だから重要なのはそもそも、就業前に必要とされる職業倫理を借り受けているか否か、手本とする人が居るかどうかなのである、保育士になるということはそもそも幼児が嫌いなわけではないだろう、しかしながら残念なことに正しい信念を借り受けることが無かったのかもしれないよね、就業の動機は様々であるだろうけど、感染動機の有無は職業倫理の実践ににおいて大きな影響を与えているに違いない。実はこれとても重要な問題だと僕は思うのだけど、就活などでは主義信条に関わる質問は差別の危険を孕むのでご法度となっていて、その人の信念を確認することは余る重要視されていないように思える、確認の仕方の問題だと思うけどね。

僕が入院中実習に来ていた学生が、指導役の先生からもっと出来ることがあるのになぜ自発的に動かないのか、

注意され、やる気があるのかと詰問されて涙ぐんでいる場面があった、

僕はその場面を見て、学生のやる気も感じていたので指導の理不尽さを感じて学生を庇ってしまいそんな記事も書いたけど、あれはまさしく、師が弟子にあるべき姿倫理を伝える場面だったのではなかっただろうかと今になって思っている。その時の僕には師弟関係が見えていなかったのかもしれない。実習生である彼女ににとっての師看護師を目指す理由である母親だったからね。

今回の保育園での出来事にはこうした倫理基準が保育士に欠損していたことは明らかである。哲学者マルクス・ガブリエルは科学とテクノロジーに先立つ倫理の重要性を説く今回の事件はハイテクの分野だけでなくハイタッチな仕事においても倫理が重要だという警鐘を鳴らしているのではないだろうか。

丁度一年前も僕は倫理観について書いていたそれは就活での不正が取り上げられたことに関してだったけど、それはいよいよもって摘発されちゃったね。



2022年12月9日金曜日

そして脳卒中サバイバーのリハビリ人生は続く

 朝インスタを見ていたら女医でタレントの西川史子さんの投稿があった。西川先生も僕と同じ脳卒中サバイバーなのだけど。なんと医大の大学院に合格されたそうでリハビリの専門医を目指されるとのことすごいね~素晴らしいね~。脳卒中で倒れた時期がほぼ同じということもあって、西川先生の苦悩は僕の苦悩でもあった。脳卒中では、発症後2~3週間を急性期といってとにかく治療する時期にあたる。僕は3週間がこの時期。今は急性期でもリハビリを開始したほうが回復が見込めるということで、僕も1週間後からリハビリを開始していた。そして3週間めに転院してリハビリ三昧の生活がはじまったこの時期(発症後半年)は一番回復が進む時期でありリハビリの専門病院でリハビリに取り組むのだ,その時期を回復期という。僕もこの時期のリハビリの結果杖をついて歩けるようになった。僕の回復期は丁度6か月の入院生活だった。6か月を過ぎると回復は緩やかになる。医療保険制度の絡みもあって、回復期の入院は最大180日と決められているのだ。だから、丁度一年前、去年の12月15日に僕は退院して自宅に戻った。自宅ではじまるのが維持期、生活期だ、訪問や通所のリハビリを通じて回復に取り組むことになる。僕の現状は今、ここである。幸いなことに、先日受診したリハビリの主治医の診断では、前回前々回の受診時よりもだいぶ状態がいい(回復が進んでいる)と言ってもらえた。訪問リハ、通所リハの理学療法士さんのおかげである。ありがたいことだ。西川先生は自分の経験を生かして同じ境遇の患者に寄り添う道を歩まれているのだから僕などよりも遥かに先を行かれているよね。ぼくもかつての仲間と色々な協議をしたり、声を掛けていただいたり、コンテストに応募したりやっているけど、本格的な社会的活動まではまだ少し時間が掛かりそうだ。色々と思うことはあるけど、今は焦らず生活期リハに集中しようと最近は考えている。僕の経験を振り返ると、急性期、回復期、生活期、活動期といった感じだね。それぞれの時期は次のステージを想定していろいろ準備をするタイミングでもあるようだ。僕は西川先生のように医学の道で寄りそうことは出来ないけど、20数年の経験を活かして自分自身を見つめるお手伝いは出来るかもしれない、今回W杯での日本代表の活躍は日本全土に勇気を与えてくれたけど、脳卒中サバイバーだって、人に勇気を与えられるに違いない、西川先生やピアニストの西川 悟平さん俳優の塩見三省さんパティシエの岡田吉之さんなどがまさにそうであるが僕もそれを信じて、活動期に備えていきたいと願い思う今日この頃なのである。




2022年12月8日木曜日

辛口コメントのテキストマイニングから見える、評論家の相対化比較

さて昨日予告したW杯クロアチアにpk負けした後の辛口批評テキストマニングです。
ネットで情報を集めて分析できるように加工してレッツ分対象はセルジオ越後さん城彰二
さん闘莉王さん比較するために辛口ではないけどとりあえず本田圭佑さんもいれてみました
分析結果から見えてきたのはそれぞれスタンス(信念)の違いから批判を展開していて、共通の敗因分析的な結論は無かったということです
それぞれの信念で言えば
セルジオ越後 日本人日本社会のメンタリティ対する信念
城彰二監督の采配に関する信念
闘莉王勝利に対する信念
本田圭佑選手への感謝という信念
要するに皆、言いたい放題で分析結果からもばらばら、だから読みても好きなように受けとればよいのでしょう、皆さんは誰の論評が一番フィットしたのでしょうか。

みんな近くないのがみそ。





 

2022年12月7日水曜日

テキストマイニングで宝探し

 テキストマイニングを行うと色々な発見がある、そもそもマイニングとは宝探しということだからね、僕は先日、森保一監督の来歴をwikipediaから取り込んで分析を行ってみたそこからは森保監督の経験のコアが見えて面白かったそして今僕がやってみたいのは、日本が負けたあと急に吹き出した選手や監督への批判である。城彰二とかセルジオ越後とかここぞとばかりに言いまくっているよね、ファンの多くが感謝と4年後への期待を述べているのとは好対照である。批判を行う元選手評論家にはきっと共通性があるに違いない、それを見てみたいのだ。

一段落したらまたネットで情報を集めてマイニングしてみようっと。






2022年12月6日火曜日

日本代表が教えてくれる次のステージは勝ち続けること

勝負は相手あってのもの、時の運である、残念ながら今回日本代表に勝利の女神が微笑むことはなく、期待していた新たな景色を見せてくれることはできなかったけど、一昔前までは勝つことも想像できなかった強豪国に勝つ姿を見せてくれた、でも日本代表が本当の強豪になるには、常に勝てなくてはならないのだろう、でも、選手たちのマインドセットを見ているといつの日かそんな時もくるのではないかと思えてしまう、仕事でも、競合に打ち勝って大きなクライアントを獲得出来ることは大きなやりがいを生むけど、勝ち続けるためには何が必要なのかを考えなくてはならないそれこそが、真の強さである、そんなことを教えてくれるW杯だったね。ありがとう若者よ。

また4年後に


2022年12月5日月曜日

森保監督がみせてくれるかもしれない景色。

クロアチア戦を前にして森保一監督の勝手分析を行ってみた。元データはwikipediaである。

まずはライフラインチャート分析、選手時代の日本代表というピークと戦力外の谷底(その間にドーハの悲劇がある)を経験しその後指導者として開眼、Jリーグ連覇など輝かしい成果を残しながら今回のドーハの歓喜でそれまでの巷の評価を 一変させたことがよくわかる。

同じ来歴データをテキストマイニングすると、こいいった時系列の出来事が同心円的に配置された。今の監督が中心だとすれば、それまでの選手やコーチとしての経験はその周囲を取り巻くものだ、そしてその同心円を見るとそれは富士山の形になる。今回の森保監督の実績は極めて日本的な美しさを成しているのである。今夜勝ってベスト8に残ったらそれは富士山頂から世界を見渡すような景色であるに違いないね。









福袋という商品

 12月師走世の中は年末年始に向けて爆走している、

今年はこの時期にW杯もあってほんとうに光陰矢の如しである。

さて年末年始になると福袋の話題が出てくる。僕は福袋は買わないなぜなら福袋の裏側を知っているからだ。

よく考えて欲しいのは

①デパートで売っている福袋は商品であるということだ、商品と言うことは原価(仕入れ)と売価の間に必ず差益が含まれているのだ、もちろん在庫処分などで原価を大きく下回った売価設定もあるのだけど要するにもともと正価で売れなかった商品だ。

正価では誰も買わない商品の適正価格なんて決めようが無い

捨て値だからといって安いわけでもない。

提供者にとってみれば捨てるのとあんまり違わないのだからね。

②消費者が喜ぶように作られた商品である。

購買者は大きい重いものは良いものだという先入観がある。

だから福袋を作るときはおおきいもの(ぬいぐるみなど)重いもの(ガラス製品や陶器類)を入れると喜ばれる。

そういった商品を捨て値で買い集めた不良在庫品の袋詰めが福袋の実態だ。

そこにほんとうに福はあるのだろうか。

だから僕は福袋は買わない。

もちろん、購買者の嗜好にマッチしていればその限りではないけど、

僕は正価であっても本当に気に入ったものを買う方が良いと思う。

とうちゃんは福袋という商品にかなり疑り深いのである。

とか言いながら僕はネットでお得な買い物をするのが大好きだ。

今日テレビで本物そっくりの偽サイトによる詐欺が増えていると注意を喚起していた。ネットで物を買うのも気をつけないといけないよね。

僕は先日は、Googleが広告表示した4TBの外付けSSDを思わず買ってしまった。

普段そういったものを買うのは必ずヨドバシときめているのだけど。

今回は初めてのサイトだ、

流石にカード情報を入れるのは嫌だったので着払いにしたけど。

個人情報は晒してしまった。着払い詐欺とか来たら嫌だなぁ~

さて届いた商品。

パソコンに接続してちゃんと認識するし、容量もあるように見える。

でも、大量の画像ファイルを時間をかけてコピーしたのに後から見るとデータが無いというかなり致命的な問題が発生している。

やはり失敗だったのかしら?疑り深いくせに結局どこか残念なとうちゃんなのである。


2つで8TB。さてこいつらどうしよう?もう一度初期化するかお悩み中



2022年12月4日日曜日

 流行語大賞が決まってしまったあとにW杯があったのはなんとも残念だ。W杯では、ブラボー俺のコース、メンタルモンスター、ドーハの歓喜と恐らく日本中で叫ばれる言葉が目白押しだよね。しかし、コスタリカ戦でまさかの負けで大バッシングを受ける中で長友選手が見せたメンタルモンスター振りはたいしたもんだ。結局その後の超難敵スペインに勝ってしまったのだからね~。親善試合ならともかくW杯というガチ勝負の舞台だからこの1勝の価値はすごいものだ。あれだけの批判というより個人攻撃を受けながら試合に臨んで勝つというのはまさにメンタルモンスターである。多くの企業でメンタルが問題視される時代、この勝利は何かヒントがあるのかもしれないね。さて次のクロアチア戦はどうなるのかな。

心に棲むモンスター?


2022年12月3日土曜日

VAR論争で想う偏見や差別の所在と教育の重要性

 世紀の番狂わせで日本がスペインに勝って一晩あけたけどVARの判定を巡る騒動は収まっていない、VARがおかしいという論調が多いけど、これって、アメリカの大統領選挙で、トランプが電子投票で不正があって選挙が盗まれたという主張とそっくりだよね。またAIが人の仕事を奪うというのも同じだね。

恐らく歴史を紐解けば天動説地動説の論争やダーウィンの進化論に対する否定意見など、自分の信念や正当性に対する否定的結論は受け入れられないという人間の本来的な思考の偏りに根ざしているものでいつの世でも決して無くならないものだろうね。

ある国会議員が過去の偏見差別発言を撤回するとかいっているけど、本音からすればきっとそれは嘘だろうと思う。

彼女にそう言わせているのは政治的妥協の産物に思える。そう、偏見による真偽の歪みにはさらに政治的目論見による歪みの強化の働きがあって騒動をややこしくする。こういった複雑さは、意識無意識(自動思考や思考停止)に生まれてくるものだから困難だ、そういった困難さに向き合うために人間は教育という方法を生み出した。だから独裁者や支配者は教育を敵視するんだろうね。今でもある地域や宗教の元では女性への教育機会が禁じられていたりする。でもそういった国は後進国だとか言っていられない日本だってアメリカだった教育含め女性の権利が認められてきたのはここ最近の話なのだ。ちょっと気を緩めれば偏見による差別は直ぐに顔をだしてくるものだ。教育と学習の不断の取り組みが必要なんだよね。

初心忘れるべからず


2022年12月2日金曜日

1mmの勝利

 今日はもう書くことが無い。ドイツに続いてあの強豪スペインにまで日本代表が勝ったのだ。特に2点目はかなり際どい得点だった。VARというテクノロジーがあるからあと腐れないけど、もしVARが無かったら相当もめることになったに違いない。日本の勝利でグループリーグでの敗戦が決まったドイツではきっと騒ぎが起きていることでしょう。写真を観ても本当に際どいものね。でも、きっと強豪スペインに勝つには1mmの闘いに勝つしかなかったに違いないよね。朝早く起きて血圧もちょっと上がっちゃったけど途中で寝ないでほんと良かった。しかし広いフィールドを縦横無尽に走り回りながらわずか1mmで勝敗が決まるとはほんとうにドラマチックで痺れるよね~





2022年12月1日木曜日

クリスマスかハロウィンか就活か?人生のdesign&Draftへ

 なんだか政府が大学新卒を一括採用から通年採用へと旗振りはじめたらしい。

僕が思うに政府が旗振るとろくなことはない気がする接触確認あぷりとかまいなんばーかーどとかオリンピックもそうだったよね。

でも、旗振りは降られる側があってはじめて成立するモノだろう。

そう考えると新卒採用を取り巻く状況が見えてくる。

企業にとって新卒採用は若年労働力の大量確保であり。

政府では厚生労働省と経済産業省の管轄だ一方で、送り出す大学は文部科学省の管轄だから、新卒一括採用は省庁間の縄張り争いでもあるのだ。

企業も、そんなの関係ねぇ~と小島よしお君でいけばいいのに、諸規制に影響する政策立案に関わりたいという魚心のせいか、規制諸官庁との蜜月関係づくりに忙しく、素直に応じる。これもおかしな話だ。

この歪んだ政治の影響を一番まともに受けるのが当事者である学生だろう。

歪みに便乗する事業者も数多くいて就活は、やれクリスマスかハロウィンかというくらいのビッグイベント化されてしまった。USJのハロウィンチケットをゲットするかのように創意工夫すれば博多ラーメンでもないのに替え玉だけしからんと検挙され前科アリにされてしまう。これほんと悲劇だ。もちろん転売ヤー如く代行を請け負う輩の破綻した倫理観も腐った社会の姿であろう。この代行ヤロウが実は超有名大学院卒の大企業社員だったというのも

皮肉な話だよね。今の大卒生の就活は、まるで昔のクリスマスケーキのようだ、時期になると山積みされている、バタークリームで固められて。綺麗ないちごがデコレーションされているけど、中までいちごかと思いきや切るとスポンジの中は不味いフルーツ缶詰が入っていて騙された感いっぱいのあれである。

日本の採用狂騒曲の被害者は間違いなく学生だろう。先の見えない社会人生活の出だしから欲にまみれた政治と経済の洗礼を受ける訳だからね。

じゃあどうすりゃいいのかといえば、洗礼を乗り越えて逞しくなるしかないのだけど、日本社会にとってみれば若年労働力の魅力をフードロスの如く無駄にしているように思えてくる。洗礼を真に受ける、洗礼をチートする以外の選択肢を就活期の学生が生み出し選べるそんな社会にするには僕たちに何が出来るのだろうか。昨日キャリアのdesign&Draftという話を書いたけど、実は人生のdesign&Draftこそが肝要なのであると僕は考えている


design yourself





2022年11月30日水曜日

キャリアのDrift & Designとそのための勇気と我慢と仕事と学習(もしくは戦略的人材DBとキャリアプラットフォームの構築について)

 結論から先に言うとキャリア作りに必要なのは勇気と我慢そして仕事と学習である

その勇気と我慢を培うのは多様な経験だ。

僕が2009年に経営戦略人材データベースの構築を手掛けたとき人事キーマンには縁の下の貢献者を表舞台に立たせたいという強い思いがあって気働きに励み献身的で都合よく使われている人材に光を当てるための仕組みを考えたがそれは裏返せばキャリアプラットフォームの開発だった。

その時に至った結論はキャリアプラットフォームに必要なのは個人カルテと仕事の地図とジョブディスクリプション(当時はジョブインデックスと呼んでいた)だった。

その時の根幹を為した考え方これ。

キャリアには、過去の配属先や役職など、誰が見ても変わらない「客観的なキャリア」と、自分自身の選択肢の連続や働き方や

生き方などの経験を自分自身が後から意味づけて出来上がる「主観的なキャリア」の2種類があります。

私たちはこの二つのキャリアを作りながら、仕事の知識やスキルを向上させたり、人間性を養ったりしています。キャリアは常に、思い通りになるものではありません。

同時に、想定外の変化は、必ず自分自身の可能性を広げます。

大切なのは、外から来る「変化に対応する力」と、「自分自身の可能性を認識する力」です。これが、「Drift & Design」 という考え方です。

そこで僕らが構築に挑んだのは、自分を知るカルテと可能性を認識するための仕事世界地図

作りだっのです。これをコンセプチュアルに作るのではなく徹底的にデータサイエンスで作りこんだ。というのも、仕事とは事業目的や目標が最終的には詳細化されたものであって、組み立てられた世界はその会社のミッションやビジョンを表しているものでなければならない。それをもってはじめて人と組織のwin-winな関係、公平で公正な関係が成立する。それは僕が目指してきたものだ。

可能性は世界規模




2022年11月29日火曜日

2ピッチな僕の願いの朝

 朝ドラ「舞い上がれ」を観ていたら飛行訓練の前に182項目にわたる点検手順プロシジャーを描くシーンがあった、

僕は飛行機を飛ばせないから実際は知らないけど、似たような乗車前点検手順で言えば、自動車や自動二輪の免許取得の際の教習で実施していたことが思い出される後方から車が来ないことの確認とかね。実際の運転でも手順が抜けた時にたいがい何かが起こるものだよね。

残念ながら退職されてしまったけど、デイケアで一時送迎の運転手をされていた職員さんは前職が鉄道会社勤務ということで、運転中に指差しによる安全確認を必ず行われていた。

一度身についた手順は簡単には消えないのでしょう。

こうした手順は僕たちのスキルが上達する過程でマクロ化(自動化)され並列化され、作業場率を上げていく、

身体が覚えるというやつだ、

脳卒中で脳の運動野を破壊されてしまった僕は、ゼロから歩行などを学び直している。

まずは筋力が弱くなりしかも思うように動かせなくなった左脚をカバーして転倒を防ぐために杖をつかっての歩行だ。

右手に杖を持ってまず杖を前について次に左脚を前に振りだし、最後に身体を支える右脚を前に振りだす、1-2-3のリズムで、常に3点で身体を保持するのが基本になる。三脚と同じ原理である

この歩き方確かに身体は安定するのだけど普通の歩行に比べて手順が多い分、歩くのが遅くなる。

リハビリでは、杖を使い歩けるようになればこんどはより長い時間、よりは速く歩くことが目標になる。

それは健常な人が普通に歩くように歩けるということなのだ。

速く歩くためには1-2-3のリズムではなく1-2のほうが有利だ、これを2ピッチと呼ぶのだけど杖を前に突くのと左脚を振りだすのを並列化しなくてはならない、これが1になる。

しかし1の時、身体は右脚一本で保持されることになるから身体は不安定になるから無意識のうちに右足一本で安定して立位がとれるよう上体の姿勢などで体のバランスを調整する必要があってこれがマクロ化だ。右足を振りだすときは不自由な左脚と杖で身体を支えるのだからこれも不安定だ。

またバランスが崩れたときに立て直す動きを取らなくてはならないこれも自動的に出来ないと転倒リスクが高まる。リハビリの歩行訓練はまさにマクロ化、並列化のによる歩行スキル上達のプロセスなのである。が実態は不安定さとの闘いだ。

目標は無意識に速く長く安全に歩けるようになること、それは脳出血前のぼくには思いもつかなかったような目標であり今僕の目の前にぶら下がっている。それはそれできっと僕の人生にとって意味ある目標なのだろう。

脳卒中で、ひたすら増えていたお酒も一切飲まなくなったし血圧も平均で130/90オーバーだったのが今では110/80アンダーになった。

リハビリを通じて指導してもらっている若い理学療法士さんたちにはたくさんの気づきをもらっているし、生きることの意味も都度考えることが増えた。

それらはかつての僕には薄かったものだ、新しい世界は古い世界の問題や悩みを解き明かすヒントが溢れていて

相変わらず動かない左手をさすりながらも、新しい世界も古い世界もさらに開かれていくように感じられている。

普通に2ピッチ歩行が出来るようになった頃僕はきっと次の新たな目標に向けて歩行スキルを磨くのだろう、なんとなくこの鍛錬には終わりが無いことにも感づいている。

でもきっと人生ってそういうものだよね常に新たなページを開こうとあがきでも、自らを弁えて無理なことはあきらめて我慢する、

そうこうして気がつくと、人生初の長期入院ももう一年前の彼方の出来事になっているこの先の人生、また何が待っているかわからないけど、一喜一憂せずに今現在自分の身体と僕を支えてくれているあらゆるものへの感謝だけは忘れないようにしたいと願っているのである。




2022年11月28日月曜日

過酷化する環境の中で賢くより良く生きる方法

能力は虚構(私たちはどう学んでいるのか鈴木宏昭)だとすると僕たちが何となく安定的で内在的な能力ととらえているものは何なのだろう。心理学ではIQ(知能)EQなどとさらにメタ概念化されているがこれらはすべて誤った能力観であるとも考えられるのだ。しかし僕たちは実際に人の固有性や差異性に接していてそれを理解したいと願っている。

認知科学では思考 や 判断 など「 認知」的変化 の 過程 における 賢 さを 見定め て 研究 している

例えば「我慢」が社会性の基本であることと、時にチャンスが来たと瞬間的に判断をして「我慢」をやめるのが「賢さ」である。(「拡張する脳」藤井直敬著)と考える。

そう、認知科学では環境や文脈依存性のとコヒーレントに発揮される行為行動、意識、思考、感情を「賢さ」と表現する。そして2000年前の哲学でアリストテレスは枢要徳の1つとして「賢慮」を示した 「賢慮」は「 思慮」 や「 知慮」 などとも 訳さ れ、賢慮 という 徳 は、 ひと言 で 言う と 判断力 の こと です。実践哲学である倫理学も自分の置かれている状況を的確に判断するという文脈主義にあって、その中核に据えているのが「賢さ」なのだ、
アリストテレスはこの「賢慮」軸に3つのベクトル「勇気」「節制」「正義」を導く・
脳科学では新たな環境への適応は脳の持つ偶有性によって成されると考える。
日本放送協会; NHK出版. NHK 100分 de 名著 アリストテレス『ニコマコス倫理学』 2022年 5月 [雑誌] (NHKテキスト) (p.65). NHK出版. Kindle 版. 
不確実性(危険察知)に遭遇すると脳はひらめきの脳回路は同じ場所(ACC →LPFC)を活性化させて適応を行うのだ。
おそらくこの脳の仕組みは人間固有のものではない。
それは「拡張する脳」の中で例示されている猿の実験でも明らかで、そこから藤井氏は脳等の「我慢」が社会性の基本だと仮説を立てている
我慢は節制だ、そしてチャンスが来た時に我慢を止めるのが勇気だよね。
むしろwin-winの関係を作るべしというのが正義だね。
心理学の大御所多湖輝は停滞した状況の中でチャンスを見出すひらめき(発想力と呼んだ)の重要性に気づき、頭の体操を世に送り出したのだけど、脳科学も認知科学も無かった時代にこのメタ洞察はすごいものだね。
今日のアメリカの繁栄も、GAFAも、ある意味、80年代の閉塞期にジョブズやベゾスらがITにチャンスを見出したひらめきによって生み出されたものであるといえるかもしれない。


要するに、僕達は、まだ見ぬ新たな文脈に出会った時、我慢するのか挑むのか自分以外の他者と協調するのか賢く判断することで自分を文脈の関係を最適な状態に保つことが出来るのである。
一方で自由意志に関する論争を巻き起こした実験は、1983年にさかのぼる。アメリカの生理学者ベンジャミン・リベット(1916 – 2007)は、われわれがとある動作をしようとする「意識的な意思決定」以前に、「準備電位(Rediness Potential)」と呼ばれる無意識的な電気信号が立ち上がるのを、脳科学的実験により確認した。僕たちに自由意志は無いというものだ。
であるとすると我慢するのか挑むのか、我慢の応用として他者と協調するのかは、無意識にもう脳が決めているというものだ、こういった無意識の脳の働きは第一印象の研究でも盛んに行われている。
自然の過酷さは、意識とか思考といった時間の掛かるプロセスを許容してくれない。
そうなると賢さとは無意識に発揮されるものであるのかもしれない。
しかし、意識下にあったものが、繰り返しの過程で、自動化並列化し無意識になっていく運動の発達過程はおそらく思考でも一緒であろう。
自動思考や思考停止は無意識の思考だ。
記憶・注意・遂行といった認知の基本機能も鍛錬可能だ。僕たちは経験と学習(勉強も含め)を通じて人生を通じて鍛錬していく存在なのかもしれないね。
僕らの無意識に潜む生き抜く戦い



2022年11月27日日曜日

産業組織の隠された重要課題人事部員の健康問題。

 経営者は人事部にきっと、社員がしらけることなく仕事に向き合って、会社の目標や目的を達成できるように、制度を定めて運用して欲しいと願っている。

しかし人事部は組織のルーチンのみならず、様々なトラブルに振り回される。

恐らく人事部長とか集めて、人事部あるあるなんてやったらきっと、夜を徹して話が花開くに違いない。人に関するトラブルは全て人事に集まってくるからね。

健康問題にハラスメント、残業に退職。問題社員に社員のモンスター家族対応。

組織のトラブルは尽きることが無いからね。

前近代的な師弟関係威光模倣においては、矛盾や曖昧さ理不尽さは組織の当然だけれども、民主主義的近代的産業組織において協働は、公正明朗平等で組織構成員が納得をもって働くのが当然であると考えられ必要以上に組織に尽くせばやれ社畜だブラックだと騒ぎ立てられる。察して動く働くとは傍を楽にすることだよねなんて言っていられない。

組織の源流が人と人の関係性全体であるコミュニティにあるとすればいかなる近代的産業組織においてどんな人事制度を構築したとしても曖昧さを排することは不可能である人そのものがあいまいで矛盾を孕んでいるのだからその掛け算であるコミュニティはそもそもが曖昧さと矛盾の宝庫だ。民主主義と社会のサービス化があいまいさと矛盾のない世界と言う幻想を僕たちに植え付けてしまったけど、曖昧さと矛盾の中で偶有性を発揮して環境に対峙していくというのが生命の摂理なんだけどね。

人事部とは、組織を仕切る権威部門のように映るけど実際は協働のジレンマに晒される、ストレスフルが掛かり続ける疲労部門なのだ。

これは個人的な見解だけど、人事部員の心身不調(メンタル発症)比率ってその他一般社員よりも高いのではないだろうかストレスが掛かり続ければ肉体ならば疲労骨折したり金属だったら破断してしまうのと同様にね。

人事部の活動はプライバシーに直結するから秘匿性が高く、こういった人事部員の健康問題もなかなか表面化しないけど、僕は現代の産業組織における重要な課題になっていると考えている






2022年11月26日土曜日

リハビリの臨床には人材育成に欠けている全ての学びがあった。

同僚の臨床的な好み。僕たちがEvidenceに基づけない理由

note でとても興味深い記事を見つけた。個人がこういう形で大切なことを発信するまさにインターネットの真価だよね。この記事は理学療法士が書いたもので、僕はリハビリを受ける側だったからとても興味深く読むことが出来た。
これを見ると、やはり先輩や同僚というのは、当事者の臨床に与える影響が大きいらしい。
“Residents-as-Teachers”、“Residents-as-Teachers”、どちらも似たような意味だ。
すなわち、遠くの偉大な研修会のコーチより、最も近くにいる上長こそ、もっとも重大なインパクトを与える教師である。
今回の抄読研究において、改めてそう実感させられた。
の前の臨床のプログラムや、臨床思考過程に影響を与えているのは、多くの場合『その職場での経験』である。以上引用であるがこの一文にはとても大きな意味を持っていいる、人材育成では経験学習が重要視されているけど、経験学習には観察学習が潜んでいるという指摘を僕はあまり見たことが無い。
徒弟制度の中にはこういった観察学習があることは指摘されているけれど、曖昧さや理不尽さなどが強調され非科学的でちょっと特殊な学びであると見られているのではないかと僕は思う。徒弟制度の重要性に気づいているのは認知科学だ
しかしリハビリの臨床現場は患者含めて協調学習の場である。人材育成の場ではこういった学習論は構成主義的に分解されて実践されているけど、臨床の現場における学習は、あらゆる学習が組み合わされたものであることに気づくことになった。臨床の特徴である、個別性、緊急かつ重要性、効果性であることに起因することなのかもしれない。



2022年11月25日金曜日

知能ではなく賢さこそが鍵だ。

 高齢化社会は認知症という老化問題社会でもある。

認知症は、脳の老化に伴う高次脳機能障害に由来する社会性の低下だ。

この現象ははからずしも認知機能が社会性にとって大きな役割を果たしていることを明らかにした。

認知科学では、この認知機能が賢さを生み出す研究を行っているのだけど、その研究の大きな推進力になっているのは自律型人工知能の開発であろう。

自律型人工知能は読んで字のごとく、人の介在しない知能の出現である。

その延長線上には人工生命なども見え隠れする。

知能とは僕たちの脳の中にありながら、世界をも支配するというのが中央集権的な脳中心主義であり、表象主義の考え方だけど、認知科学から見えてくるのは、認知機能と身体性という非常にシンプルなモジュールを階層的に組み合わせて賢く複雑さに適応している生命の姿であり反表象主義と呼ばれる。

それ故、認知機能が衰えてくると、社会の複雑さから取り残されて、異物化するのだろう

社会性にとって大事なのは、IQでもEQでもなくて賢く見える環境とのやり取りなのです。

最近NHKの番組で、実は植物もコミュニケーションを行っているという研究結果を取り上げていたけど、それなどはほんとうに良い実例である。

葉を食べる昆虫を認知して、毒を生成するとか、物質を大気に放出して他の植物に伝えるとか虫の天敵を呼び寄せるとかまるで知能があるかのように賢くふるまう(戦略的に見える)のだでも、植物には僕らのような脳と呼ばれる器官は存在しない。

認知とそれに反応する非常にシンプルなモジュールによって賢く生き抜いているのだ。樹齢500年を超えるような巨樹をみてもよくわかるよね。

我が家の100均ハイビスカスも何度剪定されてももう何年も賢く生き抜いている。でもどこにも脳は見当たらない

そう、環境の複雑さに適応するのに必要なのは認知と呼応する身体性のモジュールの組み合わせによって発揮される賢さなのである。



2022年11月24日木曜日

アンタッチャブルな母親。

 デイケアでいつもとなりの席にいたご婦人と最近お会いしていない。ご本人は年齢含め自分の、ことをあまり話されないので、勝手に僕は彼女をアンタッチャブルとか呼んでいた。

お年もわからなかったのだけど結構なご高齢だったらしく、身体が弱って入院されたのだそうだ。

寂しいけど、もう、デイケアで会うことも無いのかもしれない。

僕の左側に座って、麻痺した僕の左手を優しく触ってくれていた日々が無性に懐かしくなって不意に悲しくなった。

僕は色々あってほぼ縁を切るような形で、母親と別れてしまい、最後に会ったのは亡くなる直前のベッドの上だった。

だからボケて老いた母親の日常を知らない親不孝者だ。まさに僕にとって母の老後はアンタッチャブルだった

さて、どうやらデイケアのアンタッチャブルは生きていれば僕の母親と同じくらいのお年頃なのかもしれない。

そう思ったら何故だか急に彼女の手が母親の手のように思えてきた。

デイケアが終わって帰る際に、またねと言って優しく僕の手をとってくれた、その際いつも僕の手が温かいことに感激し、自分の手が冷たいことを申し訳なさそうにしていたちょっとした触れ合いが妙に懐かしく思い出されてならない。

きっとあの世に渡った母がアンタッチャブルの手を借りて僕に触れていたのだろう。急にそんな風に思った。

そのマザコンライフから自分の自立した人生を、取り戻すために意を決して母親と距離をおいたのだけど。

もし母親が生きていたら僕の脳卒中を見てたいそう心配し僕の麻痺した左手に触れてくれたに違いないなんて思ってしまう。

俺はどんだけマザコンなんや。

結局今もって僕はマザコンから卒業出来ていなのかもしれない。

後遺症の要介護で思わずデイケアという高齢者の輪の中に入ってみると亡くなった父親や母親はの面影を探している自分に気がつく。

よく昔の長屋では、分け隔てなく皆で子供を育てたらしいけど、原始コミュニティの姿とは誰も異物化しないつながりのある社会だったのかもしれないね。

つまり子供も老人もみんなが共有するコミュニティである。しかし家に帰ってくればそこには老人は居ない、マンションの他の部屋の住人と触れ合うこともないまさに閉ざされ分断されたアンタッチャブルな日常があるだけだ。

今僕に出来ることは、不自由になり感覚も鈍った左手にかすかに残るアンタッチャブルの優しい手の感触を思い起こしながら元気で居られることを祈ることだけだ。




2022年11月23日水曜日

替え玉という就活の闇を照らし真の賢さを照らし出す認知科学。

 昨日ついに、就活テストの替え玉受験が摘発された、私文書偽造、そしておそらく不正アクセス防止法に脱税と違法副業、関西電力のエリート候補社員はバンバンバン満貫でエリート街道から滑落してしまった、

依頼した女学生もおそらく就職は無理だろう。

就活という闇が少なくとも有望な二人の若者の未来を帳消しにしてしまったようだ、

間違ってはいけないのは、企業が欲しいのは賢い人材である。

社会の規範に反するようなズル賢い人材ではない。

彼と彼女はズル賢いゆえに粛清されたのである。

社会性における賢さの本質とは我慢であるという研究があるが、彼と彼女は我慢が出来ずに愚かにも不正に手を貸し手を出したのである。

しかし就活はズル賢さをあぶり出すためにあるのではない。

しかも、彼と彼女だけが愚かなわけじゃないだろう、

いやむしろ単に不運だっただけで過去も含めて数多のズルのスケープゴートになったのだ。

同じように不正に手を貸し利用し、今現在有名企業でのうのうと働いている人は少なくないだろう。web検査での不正は以前から言われていだことだからね。世の中には義勇軍よろしくまるで正義であるかのように不正(チート)を、促す攻略サイトだって数多くあるしね。彼と彼女だけ罰するのでは不公平極まりない。法律は全ての人の前に平等であるべきだ。高速道路で車の波に乗って走っていたのにその中の一台だけが摘発されるようなことはあってはならないのだ。

替え玉なりすまし不正受験は常に対策とのいたちごっこであるから。決め手となる対策は無い。あれほど厳しい大学受験だって不正があるのだからね。本当に賢さを見極めるのであればインターンシップしか無いだろう。日々の実務の中で替え玉は効かないからね。人の賢さを研究してきた認知科学こそが就活の闇を照らす光明になるに違いない

光あれ



2022年11月22日火曜日

応募者管理システム選びの要諦

 人事部の採用担当者は使い勝手の良い応募者管理システム探しに余念が無い。

採用活動はどんどんマルチチャンネル化するし。

選考プロセスにもDX化の波が押し寄せツールも手法も多様化複雑化が進む一方だから、頭の中や、エクセルシートで一元管理できる限界を超えてしまっているからである。

一方採用担当者もご多分に漏れず働き方改革の大波を受けているから転覆しないためには使い勝手の良い応募者管理システムの導入が必須なのである。

システム導入の失敗あるあるは

①評判頼りで導入したものの自社の事情に合っておらず使いにくい

②トラブルの解決に余計労力がかかる

こうしたいを聞いても回答が無い、機能山盛りだけど、より良い使い方を教えてくれないから、結局③こうしたいが出来ない。結局多様さや複雑性をそのまま受け止められるシステムは幻想で実際には無いのだ。

④前任の担当者が使っていたシステムは使いにくい

採用担当者は、採用スキルの上達と同様に、自動化、同時処理する採用プロセスを見つけ出してそれをシステムに置き換えるつまり自分の採用スキルの外化を行うのである採用スキルは企業ごと採用担当者ごとにに異なるものだから採用担当者は自分で問題を解決しなければならない。

⑤上司が持ち込むツールはまず使い物にならない

これについては先日書いている

ツールに合わせて採用プロセスを整えるという手もあるけど、差別化こそが企業価値の源泉であることを考えたら。同質化を招くアプローチはさけるべきだと強く思う。業務をDXツールに合わせてしまえという乱暴な改革者も多くいるけど、そういう狼藉物はその一方で本質的価値を失っていることに無関心、無頓着な企業経営の敵なのである。他社にないということは恥ずべきことじゃなく誇るべきことなのだ。

要するに採用にしろ何にしろ人事の業務というのはかなり複雑なプロセスによって出来上がっていて人によって細かく調整されて機能しているものだから、まるっとシステムに置き換えるのは難しいのだ。

だからいきなりお試しトライをする前に、採用担当者は自身が回しているの採用選考での課題や問題とプロセスをフロー図化して、プロセスの中の要改善ポイントを明らかにし、自動化(マクロ化)もしくは並行処理できるポイントを見つけるのである。見つけ方は、はじめて採用担当になった時は時間がかかっていたけど、その後慣れて上手く出来るようになったこと(以前は大変だったなぁ~ということ)を探すことだ。それは上達が可能で外化出来ることの証だからね。そしてその機能を実装しているツールを選べばまずは間違いないだろう。




2022年11月21日月曜日

ストレスは怖い

 先日NHKで全ての細胞には毛が生えているという番組を放送していた。

大変興味深く視聴したのだけど、一番驚いたのはその毛がストレスで切れるというところだった、ストレスって怖いものなんだね。

ストレスに関しては僕も身に覚えがある。

それは今回の脳出血だ、医師に指摘された原因は高血圧ずっと平均140の90くらいでした過度の飲酒、毎日缶ビール2本チューハイ3杯、ウイスキー2フィンガーくらい飲んでいました。そして、ストレス。取締役を退任しその後の身の振り方を思い悩む日々でした。

ストレスで切れる毛の動画を観て、ああ僕の脳血管もこうやってストレスで破れたんだろうなと思いました。

このストレスの正体wowowoで放送しているドラマホテル(石ノ森章太郎作)の第3話ですごくよく理解できた。経営不振で外資に売却される老舗名門ホテルの話なんだけど、総料理長が総支配人から世代交代を告げられるシーンが出てくる。自分に当時にかぶる話で総料理長の気持がとてもよくわかった。総支配人はある人から聞いた話を通じて総料理長を説得するのだけど、その話は以下のようなものだ

あなた(総支配人を指している)のような若い人には老人は達観しているように見えるかもしれないね

だけど怖いんだよ老人も

もし明日自分に何もすることが無かったら何をすべきかわからなかったら自分が誰なのかわからなくなるような怖さというのかな。

あなた(総料理長を指して)が恐れることがあるとすれば

それは過去の栄光を失うことではないこれからの未来に自分が何者でもなくなることだ。


すごいね~その通りだからね~実は高齢化による認知症の怖さもこういうことだ。

実は付け加えると高齢者にはもう一つ恐れがある。それは老害になること。

未来ある若者の障害になることだ。    

ドラマの中で総料理長は総支配人の説得を受け入れるのだけど、それは若者に任せるということには何ら躊躇いが無いことの証でもあったのだろう。

僕も、世代交代を第一だと考えていた

しかし、自分が何者でもなくなる怖さに直面しストレスを溜めていたことは間違いない。

自分が誰なのかわからなくなる前に死んでしまいたい。

映画ファーザーや92歳のパリジェンヌなど高齢者を描いたストーリーに共通する話の重要な筋である。

かつてブログにも書いたけど。デイケアを利用する高齢者から社友という肩書の名刺を頂いたことがあるその方もきっと自分が誰なのかという怖さと闘っていたのかもしれないね。養老孟司さんは死の壁の中で村八分という表現を用いていたけど。社会の異物になるということは大きなストレスを伴うこのストレスを受入れることを仏教では悟ると言う。老人が達観しているようにみえるのはこの悟りを開く努力を日々重ねているからかもしれない。



ストレスで毛が抜けるという番組じゃなかった





2022年11月20日日曜日

ワープとうちゃん

 脳卒中の発症で歩くことはもちろん立っていることも出来なくなった脳卒中サバイバーの父ちゃん、血種除去手術後間を開けずに始まったリハビリもその後の。

回復期リハビリを保険適用目いっぱいの6か月を乗り越え、

現在は在宅訪問リハビリと、デイケア通所リハビリを継続中なのであった。

最近は歩行もだいぶ出来るようになり、家では装具なし杖無しで歩いたりしている、

一方理学療法士さんとのリハビリでは歩行速度の向上に取り組んでいる。

昨日は通所リハビリの日。50メートルを杖無し杖アリでタイムトライアルを行った。

杖無しで路上を歩くのは危険なので理学療法士さんの恋人のように腕を持って歩く。

結果としては今までにない記録が出せた。健常者の歩行速度は分速80メートルくらいらしい。屋外歩行訓練をはじめたころのとうちゃんは分速10メートル通の人の1/8でしか歩けなかった。

昨日杖無し(腕組み)歩行では何と分速37.5メートル杖アリでも分速22メートルで歩けたのだ。

かつての2倍~4倍速で高速に移動できるとうちゃんもはやサイボーグ009のジョーなのかもしれない。

脳卒中サバイバーとうちゃんの加速装置は、中国から来た超勉強家の理学療法士さんなんだけどね。

一分間で37.5メートルワープできれば。30メートルある大通りの横断歩道を40秒で渡り切るなんていうミッションもまったく問題なくクリアだ。

振返ればワープ航法を手に入れるために夢中になりすぎて酸欠で卒倒(転倒じゃない)失禁しちゃったこともあったけど、

今は、常に自分の体調をモニタリングして決して無理をしないようにワープチャレンジを繰り返している。

脳卒中サバイバーの生活訓は「できなくなったことを嘆く」ではなく「出来ることを120%頑張ろう」だ。

確かに歩行訓練では毎回2割増しくらいで歩行速度が上がっていった。

そしてそれがやがて4倍になり2倍になったのだ。塵も積もれば山となる戦略こそ、脳卒中サバイバーの核心戦略なのである。

赤いマフラーなびかせて~



2022年11月19日土曜日

人材像と人材要件の違いと人材要件の落とし穴。

 多くの採用を行う企業は採用のページを作っていてそこにはこんな人を求めていますと掲載している。それは採用人材像である。

一方採用選考は見極め、判断するプロセスだから、応募者を見極めて判断するためのガイドラインが必要になる。例えば、明るく元気に他者と一緒に働くのが得意な人と言うのが人材像だとしたら、コンサルティングの経験があり、人の話を聞くことができ、問題や課題を発見し、解決に向けた提案が出来るといった、経験やスキルの有無が採用すべき人材の要件だ

。この要件は、事業モデル(顧客とのリレーションシップや)、組織文化(仕事の進め方、コアコンピタンス)といった場所の拘束条件によって定まるものであって、理想としては、応募者の内部に場が存在することが野ぞましい。なぜならそれは活躍や定着の因になるからだ。

例えば人事部が採用業務を行っているとしたら、営業部でロイヤリティ高く活躍している○○さんみたいな人が人材像で。○○さんが内面に保有する場が人材要件ということになる。この内面に保有する場は外からは見えない、更には、環境によって内面に創発されるものだから、

インタビューという特異な状況では確認できない

そこで多くの場合○○さんはお客様からの信頼が厚いとか、率先して行動するといった、人事評価視点からアブダクションされて、対人・コミュニケーション能力が高いとかリーダーシップ力があるといった虚構の能力に転換されるケースがほとんどだ、社会人基礎力もそうだけど、ほんとうにそんな力があるものなのか実は確認のしようはないものだ。それらは素朴理論という表象主義の確証バイアスにとって実に便利なメタファーなのである。

だからこうした人材要件は一見、尤もらしい見極めのガイドラインが整ったように見えるけど、入社後の活躍も定着も何も裏付けるものじゃない。だから、常に採用は物足りなくて、離職も減らないのだ。

表象するメタファー



2022年11月18日金曜日

僕の雑食キャリア

 ここ数日人事システムについて書いているけど、考えてみたらこの20年間色んな仕事をしてきたものだ、その前の20年間では、現金勘定、預金獲得、カード売り込み、融資提案、稟議作成、事務処理、商品企画、カタログ作成、営業、荷下ろし、値札つけ、納品、納品システム開発、経理、経営とこちらも多彩だけど、この20年はマーケティング、企画提案、マーケデータ分析、購買履歴分析、マーケ調査設計、レポート作成、経営、経営企画、社内システム、サービスシステム運用、開発、人材DB設計に開発、研修設計、研修講師、採用コンサル、HRデータ分析多変量解析にテキストマイニング、360度調査設計実施、同フィードバック実施、診断設計、尺度開発。人材要件策定、営業、代理店営業、セミナー登壇、成長の研究、AI(機械学習)、上場準備、などなど、細かく上げていたらキリがないけど、それぞれが僕のスキルを培ってくれた、だから、僕のスキルは腸内細菌のように極めて多様になった。だからどんな仕事を食べてもお腹を壊さずに消化し吸収することが出来る身体になった。仕事を選り好みしないでいたらそうなってしまったと言うのが正しいかもしれない、ただ、この20年間の仕事の根底にあったのは人と組織のフェアな関係を作り出したいというものだった。それはその前の20年間の経験も大きく影を落としているように思える。いつ頃どんな仕事をしたのかという雑食履歴に関しては思い出せる近いうちに一度整理してみようと思っている。



僕の薬草ひきだしはこんな感じ


shadow of  me



2022年11月17日木曜日

認知科学型人事システム

高齢化社会の到来とともに社会問題化したのが高齢者の認知症である。しかし、認知症は僕たちに社会における認知の重要性を教えてくれることになった、社会的存在としての僕たちは心理や能力よりも認知リソース(記憶・注意・遂行・制御・内化・外化)によって支えられていることが明らかになったのだ。したがって組織という協働の社会原理に基づいている
産業組織も、この認知をベースに理解し運用し管理する必要がある。そこで、昨日の流れも汲んで、認知科学型の経営人事システムを考案してみた。本ページの内容については引用転載一切禁止である。



認知氷山モデル(C)satoshi yoshida

基幹系戦略系・ナレッジ創発系統合型経営人事システム概念図(C)satoshi yoshida

統合型経営人事システム連関図(C)satoshi yoshida

システム構成図(C)satoshi yoshida