2023年12月31日日曜日

タコに負けるな信念の模倣とエビデンスベースという科学的アプローチを考える。

 徒弟制度では弟子は師匠の心信念を模倣する、それは長き、実践の中で培われるものだ、例えばリハビリの現場では、介入の方法だけでなく、他者の介入から学び取る観察眼、患者への接し方などのハイタッチも、師匠の信念として、弟子は受け取るのだ。NHKサイエンスZEROでタコの🐙知性について解説していたけれど、タコは観察学習が出来るのである。しかもクロスモーダルで学習し記憶して課題を解決する。療法士の観察学習による課題解決は信念の模倣であってエビデンスベースの科学的と言われるメソッドではない。

昨日エビデンスベースについて書いたけれども、それが科学的アプローチだとすると、信念の模倣は哲学的アプローチであり、現場で見出された本来的な在り方と言えるかもしれない。どのような介入が効果的であるかその、信頼性妥当性をデータによって実証し誰でもが効果を再現するのが科学的だとすると状況に応じてその人ならではの最適な介入の智慧を創発することはその人の本来的な在り方の学習なのである。要するにエビデンスベースは万能ではない、科学的であること以上に生き物の知や知能には大きな可能性が秘められているのである。





2023年12月30日土曜日

人的資本経営の鍵は現場の育成当事者の人材要件・Evidence-Based Human resource development スキル

高齢化や医療の高度化に伴い 足りなくなってきた社会保障費を効果的に配分するため、医療現場でも、EBM(Evidence-Based Medicine)が推進されている。具体的には臨床の現場で、医療関係者は、データ収集と分析報告などが常態化しているのである、私が受けていた回復期リハビリなどはその最たるもので、後遺症からの劇的な回復が無い状態で、長期化する入院は医療費の大きな足枷となるからだ。故に対象の見極めと方法を定めた効果的なリハビリの臨床がミッションになっているのだ、。臨床の最前線に居る療法士さんがリアルに患者の手取り足取りしながらデータを集め、macbookなどの高スペックPCを扱ってデータに向き合う姿はもしかしたら人的資本経営の最前線の姿そのものであるにちがいない。人的資本経営では、保障費ではなく、企業が手持ち資金を人材育成投資をするわけでその対象者見極めと、効果的な方法の可視化は育成の最前線で行われるものになるからだ。個性の多様性に合わせた最適な方法の実践には、当事者の飽くことなき探求心と学習が欠かせない、つまり、DX化で済む話では無いのだ。人的資本経営で重要になるのは育成当事者のEvidence-Based Human resource development スキルなのである。評価、介入、検証の探求サイクルを回して開示用のエビデンスを揃えていくことが、育成当事者の要件だ。


2023年12月29日金曜日

人生が二度あれば?いつからでも出来る本来的な生き方

 井上陽水の名曲に「人生が二度あれば」は父は今年2月で65という出だしではじまる歌である

人生が二度あればこの人生が二度あればと父親を想い歌い上げる名曲であるがそれは敵わぬ夢だ。誰にでも人生は一度しかない、それは極めて平等なことなのだ。しかし人生を二度あればと振り返るのかそれとも、たった一度だけれど充実した人生を送れたと振り返るのかには大きな違いがある。陽水は、仕事と子育てに追われて年老いてしまい本来的な生き方が出来なかった父や母という描写であるが、仕事でも子育てでも、本来的な生き方はあるもので、そういう生き方をしている人は充実感と幸福感に満ちて二度あればとは思わないに違いないハイデガーは「存在と時間」の中で次のようにの指摘します現存在 は 自分 を「 自分 では ない もの」 によって 理解 し、 非 本来 的 に 生き て い ます。「 自分 では ない もの」 によって 自分 を 理解 する、 という こと は、 誰 かから、 あるいは どこ からか 借り て き た もの を、 あたかも 自分自身 の あり方 で ある かの よう に 思い込み、 それ によって 自分 を 規定 し て いる、 という こと です。   では、 一体 何 が、 こうした「 自分 では ない もの」 を 私 たち に もたらす の でしょ う か。 ハイデガー は それ を「 世人( ★ 1)」 と 呼ん で い ます。井上陽水の人生が二度あればは、非本来的な生き方の悲哀を歌い上げているわけです。





2023年12月28日木曜日

組織の中のスーパーマン

 組織の中にスーパーマンはいない何故ならスーパーマンは空想の産物だからだ、でも、スーパーマンがいるという願望は根強い。そう、スーパーマンは組織構成員や経営者の心の中にいつでも居るのだ。でも、心は見えないし泡沫なモノだから、心の中のスーパーマンを記述しようとすると、忍者の如く姿を消して見えなくなってしまう。にもかかわらず、心の中のスーパーマンは常に現実の構成員の比較対象として、本来的な人の姿を曇った眼鏡で観るようにぼやかしてしまう。曇りない眼差しで人の本来の姿を見つめるためには心の中のスーパーマンとお別れすることからはじめなくてはならないだろう。


2023年12月27日水曜日

不安を自作自演する高齢者その時が来てからでは遅すぎる高齢化対策終活前に老活を

 人は誰でも高齢化する、例外は無い。脳卒中と言う病気の後遺症のせいではからずしもデイケアという介護サービスの利用者になったが、そもそもデイケアは高齢者が利用するサービスだから周りはお年寄りばかり、完全アウェイな印象であるが、高齢者の様子を見ていると色々と考えさせられることが多い。高齢者は身体が動かなくなったり呆けたりするのが怖くて運動や脳トレなどに淡々と取り組むのだけれども残念ながら実際に、動けなくなったり呆けたりするご老人もいる、中には現役バリバリで働いている人もいるけれどそれでも身体の機能低下や記憶力の低下は否めない、日本では社会福祉も保障も充実しているから何も高齢化を悲観する必要は全く無いのだけれども老人は漠然とした不安を抱えて不幸になっている。それは、様子を見ているとよくわかる。不安になる必要のない場面で、自作自演の不安を抱え込むのだ。この不安の自作自演がなんとかなれば高齢者の幸福感は間違いなく上がるだろう、この高齢者の不安症に関する研究も多くあるようで、運動療法などが効果的であるらしい。物事の受け取り方を反映する認知スタイル(不合理な信念)のうち、社会的連帯感に関する認知や外的事象への無力感の認知が抑うつや不安傾向と関連していること、さらに、比較的長期にわたる高齢者の水中運動によって、特性不安や感情プロフィール検査によって表される陰性感情が低下すること、などが見出されたでも、身体も思ったように動かなくなるのが高齢化。だから、高齢化を迎える前に、準備が必要なことは疑いない。同様にANSも社会的連帯感の疎外を緩和する(大崎博子さんがその証けれど。スマホを自在に使える高齢者は少なくSNSの恩恵をうけらないのだ。SNSにしてもITにしても運動にしても、高齢化してからはハードルが高くなる、ゆえに、終活前の老活が重要なのだ。




2023年12月26日火曜日

新しいリーダーはカオスの縁に生まれる。

 昨日新しいリーダーはイノベーターであると書いたが複雑系科学にはカオスの縁と言う概念が

ある 

カオスの縁(カオスのふち、英語: edge of chaos)とは、クリストファー・ラングトンにより発見され、ノーマン・パッカードにより名付けられた、セルオートマトンにおける概念[1]。振る舞いが秩序からカオスへ移るようなシステムにおいて、秩序とカオスの境界に位置する領域[2]。複雑系や人工生命、生命の進化などの研究において着目されてきた[3]。理論生物学においては、スチュアート・カウフマンによる、生命の発生と進化には自然淘汰の他に自己組織化が必要であり、進化の結果、生命は「カオスの縁」で存在するという仮説がよく知られる[4][5]。wikipediayoru

進化はカオスの縁で起こるというのが複雑系科学の重要な仮説なのであるが、混沌と秩序の間にあるカオスの縁で新しいリーダーは生まれるのだ。そして、新しい秩序を巻き起こし、自己組織化の依って混沌を隷従(スレービング)させて新たな進化した秩序を生み出していく、旧来の秩序が崩壊し混沌の陥った縁を探せばそこに個性と自由ではみだしていく新しいリーダーの生誕の地なのである、




2023年12月25日月曜日

リーダーはイノベーターになっていく予感。

 学校でのリーダー教育の重要性が言われる中、面白いグループが年末の紅白で観られそうだそれは 新しい学校のリーダーズである。このネーミング、冴えている、リーダーたちは旧来の学校ではなく、新しい学校なのである。新しいとは想像するに新たな秩序の元にあるということだろう。新たな秩序の元のリーダーは、新しいリーダー像であろう、かのじょ達のスタイルは自作自演、ビッグネームが振り付けることもなく自分たちでダンスを考えているのだそう。新たな秩序の元で個性や自由ではみだしていくのがスタイル、秩序に沿うのではなく、秩序を崩していく、スレービング原理でいえばミクロの秩序はマクロの秩序に追従するのだけれども、恐らくそれは古い学校のリーダーズなのであろう、新しい学校のリーダーズは、マクロの秩序の種になるミクロの秩序であることを表明している、のである、



2023年12月24日日曜日

メリークリスマスからクルシミマスまで?成長のために必要な困難。

 クリスマスクルシミマス?なんて小学生レベルのダジャレであるが、困難とか苦しみは、成長の大きなきっかけでもある。PTGポストトラウマグロウスという心的外傷後成長も確認されている。もちろん苦しまずに成長できたほうが良いに決まっているけれど、生きるという事は結果的に苦しみに直面することでもあるのかもしれない。クリスマスは元来イエスキリストの生誕を祝う日だけれども、そのイエスも重い十字架を背負ってゴルゴダの丘を登り磔にされ最期を迎えたとか数えきれない苦しみ、困難のなかにあったそうで、それを考えると、誕生の日クリスマスから最後の日クルシミマスまでの間は困難で埋め尽くされていると言えるのかも知れない。小学生レベルのダジャレにも、深い意味があったのだ。キリスト教徒の方には叱られそうだけれどね。

信仰にも苦しみがある。

2023年12月23日土曜日

特に重要な4つの天秤、良い個人は、良い社会を生み、良い社会は良い個人を育む

天秤の中でも特に重要な徳という天秤。昨日、私たちはそれぞれが数多くの天秤を心に持っていることを書いた、それらの天秤の中でも社会において共通して重要な天秤があるそれがアリストテレスの徳(アトレー)である。1つ目は賢さの天秤、善と悪の選択肢を知ることである、2つ目は・・行動の天秤、我慢する、我慢を止めて行動に出る、の我慢の天秤、3つ目は困難に挑む止めるの勇気の天秤4つ目は、心の天秤自分の心とと他者の心。仮面の下の人間性に思いを馳せ、他者やコミュニティの想い大切にすること、思いやり、貫く、他人やコミュニティに好意を抱いて大切にする、悪意を持って粗末に扱うの正義の天秤である。これらは社会的関係を好転させホリスティックに好循環のアトラクターを形成させることは想像に難くないだろう、スレービング原理によって、好循環の大局的アトラクターはマクロの秩序としてミクロの秩序である、個人の意識、感情にも好循環を生む、良い個人は、良い社会を生み、良い社会は良い個人を育むのである。




2023年12月22日金曜日

正義の天秤と幸福の天秤あなたの2023年を問う究極の2問

天秤座の物語はなかなか教訓に満ちている。

検索したら以下のようなものであった、

人間の善悪をはかる正義の守護神アストレアの天秤

正義の女神アストレアは、2人の人間が争っているとき、天秤を使って善悪をはかりました。ひとりずつ天秤にのせ、どんなに理屈のとおったことを言っていても、悪い人は秤が下がり、正しい人は上がります。こうして、アストレアは人間たちが武器をつくって争うようになった銀の時代、銅の時代に、正義を守っていました。しかし、鉄の時代に入り、人間たちは集団で武器を使い、国と国で争うようになりました。こうなると、さすがのアストレアもどうすることもできず、天上にのぼって星座(おとめ座)になってしまったといいます。そのとき、愛用した天秤が、おとめ座の足元にあるてんびん座なのだそうだ。


さて私達は、正義のために善悪をはかる以外にも様々な状況で選択を天秤にかけている、

例えば、昨晩寝床の頭の中で、今日手作りする、愛犬の誕生日ケーキの手順を何度もシミュレーションしていた、手間をかけて愛を注ぐ充実感を得るか、手際よく、片付けが楽なように進めるか、頭の中ではこの充実感と楽さが天秤にかけられていた。善と悪の正義の天秤ではなく、やりがいと楽さの幸福感の天秤である。

社会心理学では、良し悪しの善悪の天秤と、好き嫌いの天秤と、するしないの行動の天秤が織りなす心模様を態度と呼んでいるが、それ以外にも、苦楽の天秤、情理の天秤、愛憎の天秤、肯否の天秤、幸辛の天秤、守破の天秤、率従の天秤など様々な天秤を私たちは持っているのだ。さらには、天秤自体の天秤、(振り切る、振り切らない)というのがあって、哲学や、思想では、この天秤を中庸と呼んで、それが重要なのだと説く、例えば日本のアンケートは多くが5件法、7件法といった奇数の段階評定で、どちらでもないという中位点が設定されていて、そこに回答が集まり易く中位点バイアスと呼ばれる、回答傾向が問題視される、実は欧米のアンケートにはこの中位点は必要とされていないらしい。日本人にとってこの中庸、どちらでもないという天秤のバランスが楽なのかもしれない。要するに天秤と言うのは心の葛藤のメタファーなのだ。認知科学で言えば、葛藤は、認知的変化(新たな知識)を創発する、源泉である。なので、天秤が多ければ多いほどイノベーションが起きる可能性が高まるのだ。

さて、2023年は仕事場面で直面するコンプライアンスと呼ばれる正義の天秤はが誤作動を起こした組織が、社会的に大きな制裁を受けた、自衛隊のセクハラ、ビッグモーターのパワハラ、ジャニーズ事務所の性加害問題に日大アメフト部の薬物汚染に自民党のパー券裏金問題と、2023年は組織の中の正義の天秤が狂って、社会の正義の雷をくらう事件がやたらと目立った、

しかし、多くの働く人々が日々直面するのは正義のてんびんよりも幸福の天秤であろう、熱意を持って仕事にとことん没入するか、ほどほどで済ませてなるべ苦労を避けようとするのか、損得という天秤もあるが多くの場合は、充実感と、楽(らく)をすることの幸福の天秤なのではないだろうか。ワークエンゲージメントとはこの天秤が充実感に傾いている社員だ、そしてぶら下がり社員とは楽をすることに傾いた社員だ。

そこで、あなたの2023年を問う究極の2問である、

(質問1)2023年あなたは正しい(良い)と思う事のために行動しましたか?

はいそう思います・・・どちらともいえません・・・いいえ、そうは思いません。

(質問2)2023年あなたは例え苦労があっても一生懸命働きましたか?

はいそう思います・・・どちらともいえません・・・いいえ、そうは思いません。

さて、あなたの答えはどうだっただろうか?






2023年12月21日木曜日

感性が豊か人は自然とイノベーティブになる。

 イノベーションにもいろいろあるというのがかのシュンペーター先生の言であるが、少なくともイノベーションと認識されるものは既定路線の上を走るものではない。コンサバとか、保守的というのは、慣性軌道の上を走る続けるものだ、既定路線から逸脱するには、コンサバな路線に対する批判的思考が欠かせないけれど、社会とは基本的に慣性軌道上のマクロ的秩序にあるので、社会の中に居ると自然とマクロ的な秩序を当然のものとして受け入れてしまう。そういう慣れが、イノベーションにとっては一番怖いものだ。こうするのが当たり前、だって、世の中そうなっているもん、というムードだよね、この素朴理論、自動思考は、言い方を変えれば思考停止であって、感情を失った生き方だともいえる、意識も感情なのだ。要するに、感性豊かに生きれば、自然とイノベーティブになっていくのだ




2023年12月20日水曜日

感情と言う自動思考が生む偏見(確証バイアス)と自由の王国の真実と多様性の様性の本質

ある人が以下のツイートをし、それを拾った人のコメントではデンマークの学校でも全く同じことを言われたとリツイートしていた。

 多様性を前提とした社会というのは、みんなで仲良くする仕方を学ぶ社会ではない。どうしようもなく受け入れがたかったり嫌いだったりする人たちとそれでも互いの権利を奪うことなくなんとか一緒の社会にいるということが本質だということについて腹落ちするということだ。

カントは社会全体として自由意志の最適化(構成員全ての自由意志が成立している状態)を自由の王国と呼んだそうだがそれはまさに、ここで述べられている多様性を前提とした社会と同意であるように思える。多様性とは、嫌い合う(時に憎しみ合う?)関係の共存が成立することであって、嫌うと言う感情を抹消することでは無いのだ。感情とは無意識に生じるものだ、そして無意識の好き嫌いが多くの場合は確証バイアスと呼ばれる偏見の自動思考を生む。でも、多様性を前提とした社会とは、そういった自動思考を前頭葉で制御する社会ではなく、ありとあらゆる自動思考(無意識)の尊厳を学習によって受容(認知的変化)し態度変容を起こす、高度な知識生成社会なのである。






2023年12月19日火曜日

苦労とを買う、過保護に育てる?困難に向き合うために必要な事、良い組織悪い組織の境い目

困難を乗り越えるとは認知科学的に見れば、困難と言う状況のリソースを活用した認知的変化(乗り越える前後で変容が見られる学習行為である、故に、心理的には、学習目標志向性が高い人には学習の機会である。また、遂行目標志向性の高い人には、自分を誇示できる機会となる。それらの志向性が高い人にとってみれば苦労は買ってでもするものということになるらしい。しかし、苦労の中にある困難はそうとも言えないかもしれない、困難を乗り越えるには、効力感を伴う自己肯定感、社会性、ソーシャルサポートが必要であり、経験によるメタ認知リソースと状況のリソースが欠かせない以下の論文ではそれを個人の特性と状況の特性と表現している苦労と両特性の間の関係を研究したもので、結論は冒頭の志向性のように人それぞれであるというものであった。苦労を課題ストレッサーと定義している。

Challenging or hindering? The roles of goal orientation and cognitive appraisal in stressor-performance relationshipsMa et al. (2021)

論文要旨のgoogle翻訳は以下のようになる。

ストレスのトランザクションは、ストレスの多い状況の特性と個人の特性に影響されます。多くの研究は、仕事のパフォーマンスに対する挑戦と阻害のストレッサーの異なる影響に焦点を当ててきましたが、ストレス取引の中心的な要素であるストレッサーの認知的評価における個人差を調査した研究はほとんどありません。したがって、本研究では、従業員の目標指向(学習、業績証明、業績回避目標指向)がストレッサーと評価の関係に及ぼす緩和効果を検証し、目標指向が評価を介してストレス因子と仕事のパフォーマンスとの間接的な関係をさらに緩和するかどうかをテストした。私たちは仮説モデルを個人レベルと個人レベルの両方でテストし、複数ソースのデータを使用した 2 つの研究にわたって収束した結果を得ました。目標指向は、ストレッサーと評価の関係の重要な境界条件であることが判明しました。具体的には、学習目標指向とパフォーマンス証明目標指向によって、課題ストレッサーと課題評価の関係が強化されました。阻害要因と阻害要因の評価の関係は、パフォーマンス証明目標指向とパフォーマンス回避目標指向によって強化されましたが、学習目標指向によって弱められました。これに基づいて、従業員の目標指向は、評価を通じてストレス要因と仕事のパフォーマンス/仕事の積極性との間の間接的な関係も緩和します。理論的な貢献と実際的な意味について説明します。

Ma, J., Peng, Y., & Wu, B. (2021). Challenging or hindering? The roles of goal orientation and cognitive appraisal in stressor‐performance relationships. Journal of Organizational Behavior, 42, 388-406.

最近知られているのは、苦労の少ない職場は成長できないぬるい職場であるとして、転職する新入社員が居る事である。職場ストレスのうち、なにが課題ストレスで何がそれ以外なのかは受け手の感じ方次第なので、当人以外が判断するのが難しい、勢い、過剰に安全な状況過保護になってしまうと志の高い新入社員は辞めてしまうということなのかもしれないここらへんの匙加減がどうやら良い組織と悪い組織の境い目らしい。


決して買ってはいけない苦労もある。


2023年12月18日月曜日

運命論は認知のバグ?創造の泉?

  「これにはきっと意味がある」は運命論じゃない。

生き物は、知覚を認知に変換するクセがある、トイレの壁紙のランダムなパターンを凝視していると、人の顔になったりする経験は誰でももっているんじゃないだろうか。これはあらゆる知覚を意味化してしまうクセなのだ。だから点2つに横棒一本で人の顔になり、横棒を下に曲げて描けば笑顔に、上に曲げて描けばムッとした顔に見えてしまう。でもそれは運命じゃない、たまたまそう見えるだけなのだ、たまたまそう見える、意味を感じてしまうがゆえに、それは必然なのじゃないか、という運命論的に考えてしまうこともある、例えば、人は3歳になると何もないところに誰かが居て見られていると信じるようなると言われていて研究でも確かめられている。知覚を認知に変換するクセは、暗闇に人の姿を見て、神秘体験だと信じそこに意味と運命を類推する、人の想像性は無限だ。何もないところに運命を見出そうとする、それは認知のバグであり、創造の源泉なのである。



2023年12月17日日曜日

対話型鑑賞の核心にあって1on1に無いもの。多様性の受け止め方。

以下は芸術作品を使った対話の核心にふれる記述である。 

他者の言葉は、ある意味、作品よりも生々し くあざやかだ。同じものを見てもひとりひとり 違う考え、違う表現を持っている。それらを漏れなく聴けるのが自分の幸せなと ころ。そして、作品の可能性を閉ざさないために も、他者の気持ちを汲み取るためにも、自分の 器をもっともっと広げていくためにも、自分自 身が常に他者であり続けることが大切なのだ。

作品を観るまなざしの多様性を受容する幸せと、そのために自分という枠に捕らわれないことの大切さが述べられている。組織の中での自立を支援するという目的のために行われる1on1は自己の確立を対話と言う信頼関係を通じて促すものである、

言うまでも無いが、信頼関係と多様性の受容はまったくの別物である。信頼関係は、相互承認であるが、多様性の受容は一方的承認だ、それは自分自身が常に他者であり続けることなのである。


2023年12月16日土曜日

似非スレービング共感無き官製の流行には乗るな。

 流行作る人、追う人

経済性がスレービングを加速する。

インターネットでバズる現象とは、誰かのちょっとした投稿が多くの人の注目を集めている状態であるが官製のトレンドが多すぎる気がする。例えば防衛費の大幅増額とか、マイナンバーカードに人的資本経営、と、経済性に煽られて産業や業界が大騒ぎする、自然発生的な大局的アトラクターではなく、人為的な流行りが行きつくのは、本質の無い表層的な行動のである。




2023年12月15日金曜日

戦争と平和と認知的変化

 世界の平和を脅かしている、ロシアのウクライナ侵攻や、パレスチナハマスとイスラエルの戦争と平和は、古くから人類が直面してきた対照的な社会的状況である、認知的変化(創発する学習)にとってみれば、社会的(大局的)な状況リソースであり、生育段階における経験のリソースである、私たちはそういった、混沌とした認知リソースの競合や衝突・葛藤、そして協調という内部モデルから知識を生成し(学びながら)環境に適応していく(生きていく)のだ、そういった機能性ゆえに、社会的にも、複雑で拭うことの出来ない過去の経緯が錯綜する混沌の中で衝突が起きるのは、避けられないことなのかもしれない、戦争というのは、平和と言う知識を生み出すリソースだともいえるのかもしれないのだ。実際に戦争になると平和の主体は当事者にしか無いことがよくわかる。戦争とは何か平和とは何かは、小説という形で他者の目を通して世界を観ることは出来るけれども、武力的葛藤、衝突から平和という認知的変化を生成するのは当事者の学習如何なのである。



2023年12月14日木曜日

久々のナラティブインタビューから成長し続けるアルゴリズムで特許を取得する。

 昨晩は久しぶりにナラティブインタビューを行った、ナラティブインタビューとは。今ここにある肉体こそが自分自身であると言う身体的自己という自己同一感に対する、生きてきた人生の旅路全てを記述する、物語的自己という自己同一感である。その、人生の旅路全てを記述する行為がナラティブインタビューである。記述は、旅路の長さによるので、人それぞれだけれども、昨晩はぶっ続けで2時間の長丁場であった。インタビュイーの甚大な貢献が欠かせないのだけれども、このナラィブインタビューのにはインタビュイーを元気にすると言う副次効果がある。実はそれは、メタ認知と自己肯定感の向上によるものであるとわかっていて、回想法という名称で、認知症予防にも有効であると確認されている。学究的にも臨床的にも、その効果が認められているインタビューなのである。筆者は成長し続ける人に対してこのインタビューを多数行い、質的研究の手法を用いてその結果を解析し定量データと結合してアルゴリズムを作り特許取得したのである。定性と定量の結合という論文ではあり得ないクリエイティビティも特許の世界には無関係なのである。


2023年12月13日水曜日

混沌を恐れず人の賢さを信じよう

これまでも何回か書いているのだけれども社会性における賢さとは我慢をする、やめるという切替を最適なタイミングで行うことであり、賢慮とは判断力のことだが良し悪しに基づいて最適なタイミングでより賢い判断を出来ることは、その人の人生をより良くする鍵である。賢さには選択肢とタイミングが重要なのだ。賢さとは言い換えれば認知的変化、創発である、ゆえにその発揮は認知リソース、経験のリソース、状況のリソースなどの混沌が必要で意図は不要なのである。混沌を生み出し創発を信じるのみなのだ。一カ社会には秩序をまもろうと予測不能な複雑さを嫌う風潮も少なくない意図した世界を描く人間の思い上がりは決して無くならないのだ、

詠める?

2023年12月12日火曜日

ヒントを使って社会課題を解くのに必要な協働と想像の態度、

 難しい問題を解く時にはヒントというリソースが創発において重要な働きをする、ヒントは経験のリソースと競合、協調しながら、新たな認知的変化を生成するのだ、それによって、それまでの経験リソースでは解けなかった不良設定問題を良設定問題に変えてくれる。状況のリソースなのである。困難を乗り越える際にも、同様で、社会的困難に対しては、多くのソーシャルサポートや助け合いという、解決のヒントが存在している。しかし、ヒントを使った問題解決(認知的変化)の主体はあくまでも当人にあるところが、問題解決症候群(問題には正解がある、その正解は誰かが知っているという素朴理論に汚染される現象)との大きな違いだ。問題解決のヒントを社会に求める際に、重要なのは、ヒントを生み活かすという協働と創造的態度である。私たちは認知的変化という知識生成を内部モデルで行うが、その内部モデルに大きな影響を及ぼすのは、態度という心理モデルなのである。



2023年12月11日月曜日

2つのそうぞうが元気を生む

 日本語って不思議だ。そうぞうと音は同じでも、想像イマジネーションと創造クリエイションと意味が異なる意がある言葉がある。しかしいずれも、認知リソースを増やす脳の働きと生成される認知的変化がセットになっているものを指し示している。これらの言葉が生まれた頃は認知科学なんて無かっただろうに認知科学での成果を預言しているかのようだ。イマジネーションはジョンレノンの名曲イマジンを聴けばそのプロセスが良くわかる、要するに心を心で想う行為だ、他方クリエイションは何も無いところに認知の対象を生成する行為である。人間は(おそらく生き物は)このように、新たな知識(認知的変化)を生成するために、そのリソースを増やす仕組みを持っている。その仕組みは、困難を乗り越えるための知識を生成するだけでなく、生命そのものを活性化する効果も発揮する。脳科学的には、脳内で大域的アトラクターが明滅することでマクロ的に脳の活動が活性化するからなのかもしれない、そしてスレービング原理によって、個人の活性化は、社会という大域的アトラクターであるマクロ的秩序も活性化させる。そうぞうは人を、組織を、社会を元気にするのだ、




2023年12月10日日曜日

見た目の模倣とこころの模倣

 かつて90年代に渋谷を席巻したやまんばファッションというのがある。

その肌は日焼けサロンで1日に数時間かけてこんがりと焼かれた、当時のメディアで「ブリの照り焼き」と称されるほどの黒さ。髪の毛は白髪でボサボサ、口紅は白のリップペンシルで唇の色が見えなくなるまで塗りたくるのが当たり前でした。

 アイラインは二重まぶたの幅の約2倍。それでも足りなければ、油性ペンで肌に直接書くのもOK。つけまつげは2cmもあるため、インパクトは絶大……。そんなファッションの女性たちが渋谷などを闊歩(かっぽ)していたのです。

正気か?狂気か? 90年代の渋谷に世にも奇怪な「ヤマンバ」が誕生したワケ

それを観た大人は狂気か?と思ったわけだ。しかし、それは、当時の女子高生のこころを理解したものではなく、見た目の特異さに反応したものであったのだろう、最近ではLGBTQの議論や、ルッキズムの議論があるが、それらはいずれも、こころでなく見た目で人を評価する実は見る側のこころの問題なのである。さてこれまで、このブログでも何回か取り上げている未来工業。残業ゼロ、報連相禁止とユニークな心をもった企業である。しかし、残業ゼロ、報連相無しは脱炭素社会のお手本だと言えるだろう。脱炭素を目指す企業は、脱炭素を実践する企業の見た目(方法論)の模倣ではなく、そのこころを模倣するべきである、あるべきではなく他者のこころの模倣こそが、倫理であるのだ、自然環境や野生の動物のこころを想うことこそが、倫理的な生き方だと言えるだろう。





2023年12月9日土曜日

子供のキャリア教育は大人のエンゲージメントが最善

 私は昔一時傘を卸売りする仕事をしていたが、今朝、NHK朝ドラの再放送まんぷくで主人公が幼少期を回想するシーンがあり、子供の頃近所に傘屋が住んでいて、その人が傘屋はいい商売だぞと教えてくれた雨が降れば傘が売れるし晴れれば気持ちが良くなる。からだそうで、それはまんぺいさん(主人公)の職業観になった原体験だというお話しである。、昔の傘屋時代を肯定できる良い話であったが、教訓としては、大人の仕事に対する、意味づけを子供は感度高く吸収するということかもしれない。現在子供から将来のキャリアを考えるキャリア教育の重要性が言われているが、以前看護師などエッセンシャルワーカーのキャリア選択職業意識、職業倫理に大きく影響を与えていたのは身近な大人のエンゲージメント、だった。もし私が、父母に、冒頭のような話を聞かされていたら、キャリアチェンジを考えなかったかもしれない。一方で、日々仕事で疲れ切っている大人を見ていると、子供にとって将来キャリアとははミスト、不安なものにしか思えなくなるのだろう。




2023年12月8日金曜日

開けゴマ認知面接で記憶の扉を開け

アメリカの犯罪調査ドラマを観ているとたまに認知面接という言葉が出てくる、色々な事情で思い出せなくなっている人に犯罪調査の一環で、聞き取りを行う際に、使われる手法だ。それは、生き物の認知と記憶の仕組みを使ったものなのであるが、例えば帰省しておかあさんの料理を口にした瞬間に幼少期の事が鮮やかに思い出されるといった経験や同窓会で幼馴染に会った瞬間に昔の些細な出来事まで蘇る経験は多くの人が持っているのではないだろうか、記憶とは脳の中に情報として完全な形で保存されているものでは無く、マルチモーダル(多感覚)の認知リソースとして保存されていて、思い出すということは思い出す時点でそれらのリソースを再構成して知識化しているのだ。良く知られているのは記憶はだんだんポジティブ化されていくという現象だよね。過去の辛い思い出もだんだん良い思い出になっていくのだ。それは、記憶とは、事実の再現ではなく、再生であることの証でもある。
私は昨日、近所のパン屋に立ち寄ったと言っても、車椅子なので店の外から眺めただけだが、店内にディスプレイ的に置かれた古いレジスターや、古びた商品ディスプレイを見て子供の頃自宅の近所にあった、兄の友達の家が営むパン屋の記憶が不意に蘇っていた、蘇ったというより新たに生成したのだろう、さて、冒頭の犯罪調査における認知面接では、匂い、味覚といった認知リソースを使って犯罪現場での記憶を呼び起こす、この、マルチモーダルな認知リソースを使った記憶の再生は認知症予防に効果がある回想法でも、使われる、昔の写真や絵を使って、思い出すのだ。出来事を思い出す記憶の扉を開くおまじないは開けゴマではなく、よく食べた食事の味だったり、朝、町内に漂っていた焼き魚の匂いなのである。

古びたディスプレイ


年代物のレジスター

あっ、昔のパン屋の記憶が蘇る。

 

2023年12月7日木曜日

学びは創発する自然現象である。

 自発的学びの実際

ある子供向けツールの開発を手伝っているのだけれども、そのテストの中で自発的学び現象の共有があった。開発中の単機能のツールの操作を工夫するという、意図しない探求行動とその行動を通じた、認知的変化(学習)が確認出来たのである、意図しない探求行動は言い換えれば試行錯誤ということになる。ツールの操作が試行錯誤を促し試行錯誤が新たな認知リソースとなって、認知的変化(創発的学習)が発生したのだ。7歳の子供でも試行錯誤から認知tリソースを増やして、リソースの競合葛藤を経て新たな知識を生み出すという創発による学びを自立することは、素晴らしい出来事である。こういった探求から認知的変化を自発する現象は遊びやゲームの中でよく起こる現象であるが、目の当たりにすると感動がある


2023年12月6日水曜日

あるべき姿はどこにある?

 格差が生む学力の差

ドイツの学力テストの結果、これまでにないほど学力が下がっていたというドイツのニュースを観たその原因は、移民などの形で流入した貧困層の学力が低いためだと分析していた。こういった、成育における貧困といった環境が学力や、将来の社会的富裕との間に相関するという研究は数多くある。経験の量がちがってくるのだという研究もある。この、状況論的結論は間違いでは無いだろうが、解決しようとすると社会そのものを変えなくてはならないという大きな問題になってしまう。社会は人と人のつながりが局所的にアトラクターを形成しながらマクロの大域的アトラクターを形成する、自己組織化した、散逸構造であるとすると、小さな変革が大きな変革を呼び起こす可能性は無くは無いがマクロ全体を意図的にデザインすることは定義的に不可能であるという帰結に至る。あるべき姿としては、環境に依存することなく、その人が本来あるべき姿で生きられることであろう、しかしあるべき姿の連立しない二次元方程式になって、解は無いことになってしまう。社会のあるべき姿と個人のあるべき姿は共存すべき解である。さて不良設定問題を解決するには良設定にする必要がある。そのためにはスレービング原理に則って、ミクロ(個人)の問題を解くべきである。そして、マクロの秩序がミクロの秩序にスレービングするのを期待するのだ。となると、解は常に個人の中にあることになる。

社会のあるべき姿は個人のあるべき姿の中にあるのだ。



2023年12月5日火曜日

ジェンダーギャップを乗り越える創発のためには

 話を聞かない男と地図が詠めない女?一時よく売れた本である。その後、男性脳女性脳という説がまことしやかに語られるようになったがMRIによる検証では男性と女性の脳違いは無かった。ことが明らかになっている。要は、男性と女性は違うのだと社会はしたかったのだ、もちろん生物学的な身体機能の違いは明確である。ゆえに、認知が身体的知性であるとすれば、男性の創発と女性の創発に違いがあっても、不思議ではない。認知的変化の性差の原因をを脳の構造起因するものだと類推することはさもありなんなのだけれども、そういった、生得的な機能に原因を求めるというアブダクションが性差別の根底によこたわっていることを忘れるべきではないだろう。構造的差異が優劣の根拠とされてしまうことは、第2次世界大戦のドイツが行ったアーリア人種の優位といった差別主義の温床になっていくから、厳に憎むべき素朴理論なのである。それを乗り越えるためにはこの素朴理論が立脚する社会的文脈を認知することが出発点であろう、それは、事実の前提を疑うという探求の態度、本当の事実を知ろうとする態度から生まれるものである。




2023年12月4日月曜日

より良く生きる高齢化という危機を招いているものの正体

 高齢者を目の当たりにしていると、老化の進行が人生に与える影響を憂慮せざるを得なくなる。身体の衰えは気力の衰えを呼び、自立の危機を招く。こういった悪循環の最たるものが認知症傾向である。シンプルに言うならば看過出来ない適応不全が生じるため、周囲がそのギャップを気遣わなくてはならなくなるのだ、しかしいきなりそうなるわけではない、身体機能の衰退、脳の高次脳機能の衰えなどからはじまり、それらの小さな衰えが、自立した社会の一員としての足場を崩して介護を必要とする一員となっていく。現代の日本はそういった人にも手厚い社会的支援が整っている、もちろん完ぺきでは無いが。私は病気の後遺症で介護を必要とする身になったが、介護を受けるからと言って人生が終わるわけではないから、幸せな人生を生きるために人生をより良くしていかなければならない。それは高齢者も同じである。デイケアの利用者を観ていると人生をより良くするために来所していることはよくわかる。しかし、より良く生きるためにはどうすれば良いのか理解は十分で無いように思える。出来ないことが増えるすなわちよりよく生きられないという素朴理論に私たちはいつのまにか毒されているのだ、出来ないことが増えても、生きているという事は出来ることは残されていることでもある。その出来ることを使ってより良く生きれば良いのだ。でも、これは高齢者や障碍者に限った話ではない。私たちは小さい時から出来ないことを減らして出来ることを増やそう、それが成長だと叩き込まれてきている、だから、老化が恐怖なのだ、しかし、より良く生きている高齢者や障害者を観るに出来ないという事実に縛られず、出来ることその場を充実させている。

よく考えれば健常者であってもなんでもできる訳じゃない。なんでも出来る人などは居ないのだ。社会とは出来ない者同士が支え合う仕組みであるとも言えるのかもしれない。ひょっとしたら今日の社会は、成長自立最適化という価値観が強すぎるために、高齢化という人生の一部を危機に陥らせているのかもしれないね。

老化や障害は陰じゃなく人生の一部である。


2023年12月3日日曜日

置かれた場で自分らしく咲くために必要な事

 より大きな幸福のために小さな我欲という幸福感を我慢すること。節制とは即ちそういうことなのだと思う、私は、脳出血という病気で倒れたけれど、病気を発症する前は、様々なストレスを抱えて酒量が増えていた、その結果病気になり後遺症もあって家族に介護の負担をかけている、家族全体の幸福を考えればお酒はもっと控えるべきだったのだ、大麻とかに手を出した大学生も同様だろう、欲望、欲求を我慢出来なかったことで、皆の幸福まで侵害してしまったのだ、我慢とは社会性における賢さの本質であるとこのブログでも何回も取り上げているが、社会においては我慢出来るか出来ないかはよりよく生きられるか否かの大きな分岐点なのだ。ワクワクすることに踏み出すという本来的な生き方の対極にあるのがこの我慢・(節制)するという生き方だ、本来的な生き方が自分らしく生きる事だとすればより良くあるために我慢するという生き方は、社会という置かれた場において自分らしく生きるための賢く生きる事である。



2023年12月2日土曜日

・スポーツによる、社会倫理の汚染?

 スポーツは人の心身を健康にし、社会の葛藤や不安不満を浄化して健全にするなど、大きな役割を果たしているはずだ、良き社会人は社会のルールをちゃんと遵守する。

一方、このところ、社会のルールを踏み外して、自由契約になったり、背部になったりするというニュースが続いている。ルールがあるからこそ、成り立つスポーツの世界において、スポーツの前提である社会のルールを守れず、脱法行為に皆で手を染めてしまったりその報いを受けたら言い訳に、擁護する関係者(ライバル)まで出てくる始末、この甘えの構図はいったいどこから生まれるのだろうか。とかく勝利が求められる競技の前提において、負けず嫌いの闘志や、ワンチームといった一体感が優先される中で、競技よりも大枠の社会の秩序やルールを大事にする良識や誠実さが軽んじられていたのではないだろうか。スポーツがには、そういう宿命があるなのだとしたら、その課題は意識的に徹底的に改善されるべきではないだろうか。

社会においてスポーツが果たす効果を棄損することなく共存できるよう、商業主義、勝利至上主義を抑制して、社会においても倫理的であるよう競技関係者の信念を育てていくべきだ、



2023年12月1日金曜日

見えないのにある無しがわかるものな〜んだ

そう心である。

脳科学のフリーマン理論によれば心とは辺縁系を中心に生成される大域的アトラクターの明滅ということになるらしいけれど脳細胞のネットワークの中で引き起こされるシナプス同士の疎通を私たちは感じていたとしても見ることは出来ないしかしながら大域的アトラクターは局所的なアトラクターを巻き込んでいくので心が動いた時は目が輝いたり笑顔になったりとその様子を知覚することが出来る一方でその逆もあって心がが動いていない様も知覚することができる。心ここに在らずという状態だ。だからワクワクで心が踊る人は周囲の人も幸福にする何心が動いていない人は周囲の人の心も凍らせるのである。人(以外もきっと)は誰でも、心を写す鏡を持っている、それはミラーニューロンと呼ばれ、脳科学で明らかにされているのだ。写された心は写した人の心として振舞うだから心は伝わって場を作るのだよね以心伝心なのだ。でも心は見えない。不思議なものだよね。見えないのに伝わるから、在る無しがわかるのだ。