2025年7月31日木曜日

目標が導く大舞台

米国の野球殿堂入りしたイチローのスピーチは非常に感動的なものであった


その中でも教訓的だったのは以下の一節である

As a kid, my dream was always to be a professional baseball player. I even wrote an essay about it when I was in grade six. If I could rewrite the essay today with what I know now, I would use the word goal instead of dream. Dreams are not always realistic, but goals can be possible if you think deeply about how to reach them. Dreaming is fun but goals are difficult and challenging. It’s not enough to say I want to do something if you are serious about it. You must think critically about what is necessary achieve it.

 「子ども時代、私の夢は常に、プロ野球選手になることでした。6年生のときに、作文にまで書きました。今、経験したことを踏まえてその作文を書き直すことができるなら、「夢」という言葉ではなく「目標」という言葉を使うでしょう。夢は実現するとは限りませんが、目標はそれをどう達成するかを真剣に考えれば実現する可能性があるものです。夢を抱くのは楽しいですが、目標を達成するのは難しいし困難にもぶつかります。本気で達成したいなら、こうしたいと言うだけでは叶いません。達成するためには何が必要かを慎重に考えなければいけません。」

そう言えば活躍著しい大谷翔平選手も高校時代に書いたマンダラチャートと言う目標管理シートが有名である。そしてその源流は企業で盛んに導入それていたMBO目標管理制度だそうであるMBOは広く恒常化するにつれてアルゴリズム的にプロトコルと化し目標による管理ではなくて目標のための管理になっていると言われそれはドラッカーが意図したものでは無いと呑む批判も少なくない。

イチロー的に言えば目標が自分自身への責任を自覚させるものではなく。帰属する組織への責任を意識させる道具としてマネジメントに使われている「目標」の掛け違いがその背景にある。夢が孵化した目標ではなく上から降って来た目標に大舞台で活躍するような熱量は決して生み出せないのである




2025年7月30日水曜日

変わることのない正義と似非正義

 朝ドラ「あんぱん」では変わることのない正義という伏線のテーマが流れている。時代や立場によって変わってしまう正義への反省から主人公たちが向き合い続けるのであるが変わることのない正義の姿が「アンパンマン」であるということになるものと思われる。

「正義」とむは文字通りには「正しい」「義」である「義」にはそもそも正しさを貫くと言う意があるから本当に正しい行動ということになる。だから変わってしまう「正義」はそもそも「正義」とは言えない似非なのだ。



2025年7月29日火曜日

首相のミッドライフクライシス?

 先の参院選で惨敗したのに自民党の総裁が辞めずに居座っている。かつては選挙に負けた責任をとれと総裁に迫っていたその人が、である。

辞めたくない理由はわからないが現役に拘っているのだとすれば世に渦巻くミッドライフクライシスとあまり構図は変わらないのかもしれない。

総理の座を降りれば恐らく政界引退につながるが、まだ政界で活躍出来る自負があるのではないだろうか。周囲は「辞めろ」の大合唱の中で状況的にもこれまでの態度との整合性を齟齬にしても「辞めようとしない」態度は居座ろうとしているエゴにしか見えない。

しかし社会とはシステムだからそんな個人のエゴが通用するはずもなくきっと辞めることになる。

情熱があるのならばそのあとの人生を描くべきでそれは多くのミッドライフクライシスが向き合っている現実なのである



2025年7月28日月曜日

細部は職人の身体性に任せよう

 「神は細部に宿る(Der liebe Gott steckt im Detail)」という言葉は、物事の本質や美しさ、真価は細かな部分にこそ現れるという思想を表しています。以下に詳しく説明します。


■ 起源と背景

  • 出典の説

    • ドイツの建築家 ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(Ludwig Mies van der Rohe) によるとされることが多いですが、彼はむしろこの言葉を好んで引用していた人物です。

    • 同様の意味の言葉は、アビ・ヴァールブルク(美術史家)やギュスターヴ・フローベール(フランスの作家)にも見られます。


■ 意味と解釈

  1. 細部の丁寧さが全体の完成度を決める

    • 建築、芸術、デザイン、文章、どの分野でも、細部へのこだわりが全体のクオリティに直結するという考え。

  2. 美や真理は、見過ごされがちな微細な部分に潜んでいる

    • 一見目立たない部分にこそ、作り手の思想や真摯さが現れる。

  3. 精神性の表れ

    • 単なる技術的なこだわりを超えて、「細部に宿る神」とは、ある種の崇高な精神や倫理、美意識の表出とも言える。

一方で認知には分解能というものがあって細部に宿る神を認知出来ないこともあるしかしそれは多くの場合思考的に認知出来ないだけであって身体的には認知出来ているケースもあるようだ、いわゆる職人技というやつである。
それは凡人には認知不能領域なのだから素直に職人に任せましょう。


2025年7月27日日曜日

業務雑談と化す1on1

以下に校正済みの文章を提示します。文法・句読点の整理、論理の流れの明確化、そして文体の一貫性(敬体)を重視して整えました。


どのような組織においても、人材開発・組織開発の文脈で広く導入されているのが「1on1」です。

その背景には、手軽に導入でき、導入を妨げる要素が少ないこと、Googleによって啓発された「心理的安全性」ブーム、そして社会全般に広がる「対話ムーブメント」があります。

しかし、多くの1on1は実際には雑談や業務報告の場になってしまっているのが現状です。

「緩い空気の中で、真剣なテーマについて語り合う」ことを目指した対話であっても、緩さが勝ると単なる雑談になりがちです。一方で、話題を仕事にフォーカスしすぎると、業務報告や業務指導の場になってしまいます。

要するに、対話には集中力――すなわち「意識的に、本気で考える思考」の力が必要であり、決して「安全な場」であるとは限りません。むしろ、強い緊張の中で考え抜き、気づき(=見立て直し)を生む、いわば「危険な学びの場」でもあるのです。

この「危険性」を緩和し、創発的な学びを促すために、対話の場には一定のお作法(形式や姿勢)が求められます。しかし、このお作法が本質を見失い、形式自体が目的化すると、1on1は「心理的安全性」の名のもとに雑談の場となり、あるいは業務意識が滲み出ることで報告・指導の場へと変質してしまいます。

これが、現在多くの職場で行われている「業務雑談型1on1」です。本来1on1に期待されている「成長」や「関係性の成熟」は、「なんとなくそんな気がする」といった曖昧な感覚のまま、済まされてしまっているのが現実です。





2025年7月26日土曜日

AIと共創?

 AIは創発のパートナーになり得るのか

創発に必要なのは見立て直しを促す認知リソースである。これまで見立て直しを促す人とリソースは主に他者によって提供されてきた。

リアルな人の場合もあれば書籍などの文章による場合もある。旧来の学習観はこうした創発の場があれば良いと言うものであったそこでは本気で考えることをさせる介在者が教師であるが学びのパーソナライズが求められる中で学習者が自分の嗅覚ではなく認知リソースに出会う仕組みとしてAIのポテンシャルは測りしえないものがある。

AIは創発のパートナーになり得るのか、ではなく創発のパートナーとしてAIを活かしているのかが問われているのである。




2025年7月25日金曜日

適応者と,順応者を見極めろ

 適応と順応この似て非なる見極めは新卒においても経験者においても採用における大きなテーマなのである。

何故ならば適応者と順応者のスタンスが異なるからである。

適応者のスタンスはYES ANDと言えばわかりやすい。

他方順応者のスタンスはNO BUTである。

適応者は組織の現状を受け止めて自らの力を活かそうとするが順応者はおかしいと思いながらも飲み込んで合わせていく。

順応者にはNOというネガティブな種火が燻っている

適応者はYESとポジティブなマインドセットで状況をあらゆる認知リソースにして気づきと学びを生み出す学びの共同体を形成するがが、順応者はネガティブさがマグネットになってネガティブクラスター化する。

ネガティブは蓋をすると腐ってくる。

適応者は組織を成長の場に変え順応者は組織を蝕み腐らせていく。






2025年7月24日木曜日

データには意味がある

 データアナリストの信念は変化には意味がある。

だがデータ解析後のデータに対する信念はデータには意味があるだ。

統計解析によってデータを弄った跡は素データに対する敬意を忘れないようにしなければならない。

弄った結果が全てのような穿った考えは禁物で素となっているデータの背景や文脈に思いを馳せてそれらを捻じ曲げないようにしなければならない。その意においてデータの意味を大事にするということである。

求める結論に合わせてデータを捏造するようなことはデータを扱う人にはご法度なのである

データにはつねに事実と紐づいているという信頼が生命線であってその測定が信頼に足るものか二の次なのである。



2025年7月23日水曜日

人の特徴は何次元で記述出来るのか

 モデリングとしては人間は3Dだから三次元で記述されることになる。

生活者としての人間は空間だけでなく時間の中にも居るから4次元である。

一方人間の内面を記述しようと挑む心理学ではBIG5(外向性調和性誠実性開放性神経症傾向)理論が広く支持されている

時空的には4次元心理は5次元というのが今日的なマクロ的で普遍的な認識である、と言えるが実際は生物学的にも更に細分化された次元での記述が必要になる(例えばジェンダーなど)

属性と呼ばれる次元はこの細分化された次元での記述である。

また心理面においても状況や環境とのカップリングによって現れる特徴量がありそれらは哲学として記述されてきた東洋哲学では五徳西洋哲学では枢要徳といったものがそれである

それらは人としての在り様の特徴量である。

人の特徴の記述まとめ

①時空的・・・身体経験・・・4次元詳細化される・・・生物学的実存

②心理的・・・性格特性・・・5次元・・・・・・・・・行動的傾向実存

③哲学的・・・西洋東洋・・・概ね4~5次元・・・・・・理性的行動実存


①②は動物的特徴であり③は人間的特徴であると言えるだろう






2025年7月22日火曜日

AIの時代のリーダー像

 参議院選挙が終わって日本社会の変化が表象した。それは与党の過半数割れとチームみらいといった新しいイデオロギーの台頭であるイデオロギーの観点から見ると立憲も共産も議席を減らしているのだから旧来のイデオロギーから新しいイデオロギーへのパラダイムシフトがおきていると見た方が正しいだろう。メディアで言えばオールドメディアからインターネット要するにテレビ新聞からスマホへと媒体の変遷があってそれに連れてイデオロギーもシフトしたのである。

そう言えばかつては新入社員が入社するとシステム担当者にはキッティングと言う作業が待っていたものだ。

今でも上宇管理の観点からパソコン、スマホの貸与は残っているものの労働力の流動化が進む中で個別の機材準備は既に時代遅れなのかもしれない

さて、政府がDX推進でデジタル庁を創設したが、AI時代のリーダー像はスキル人材を機能として活用するのではなくAI人材がリーダーになる像なのかもしれない



2025年7月21日月曜日

数字の魔力

 変化には意味があるというのは、データアナリストの核心にある揺るぎない信念であるが一番分かり易いのは成長と言う意味である2時点における変化は多くの場合は成長である。

身体が大きくなる人格が育ち人としての器が大きくなる、それらはいずれも他者からも成長と認知されるものでありデータの変化はその成長の証なのである

間違ってはいけないのは成長と言う意味がデータとして現れているのであってデータそのものに意味があるのではないことだもしデータに意味があるとしたらそれは成長と言う事実を客観的に万人に認知形成させる力があることでは無いだろうか。

これは数字の魔力と知られるもので意味では無く力なのである。




2025年7月20日日曜日

すっごい人もやがては歳老いていく

 人間に限らず動物は皆病気にならなくてもサルコペニア(筋力低下)そしてフレイルつまり老化を迎える。

デイケアのような高齢者向けサービスにはその段階的な変化を同時に観る事が出来る

まるでタイムラプス動画のようである、やがてデイケアにも来れなくなるとより介護のレベルが高いサービスに行ったか浄土に渡ったかのいずれである。

残念ながら現役に戻ってバリバリ活躍することは無い。しかし現役時代には憧れの対象であるとてつもない輝きを放っていていた人も少なからず居てそんな人の昔話には心が躍る。

そんな心躍るような活躍をみせていた人でもサルコペニアフレイル認知の衰えからは逃れる術無しであるそれでも愛される人も居れば忌み嫌われる人も居る

認知機能含め老化による衰えは仕方ないが自己統制出来る範囲で品位を保って良き一員であることは出来ることだ。

健康寿命もいいけれど一日も長く良き人としての品位を保つことの方が出来る事として重要だと思う今日この頃なのである




2025年7月19日土曜日

信念と横暴さ

 倫理 とは 他者 の 仮面 の 向こう に 人間性 を 認識 できる 能力 に ある、 と カント は 言っ て い ます。 です から 私 たち が なす べき は 認識 する こと、 他者 の 内 に 人間性 を 見る のを 学ぶ こと です。 それ が 尊厳 です。他者 の 尊厳 を 軽視 する とき には、 相手 を 利用 する 動機 が ある の です。

マルクス・ガブリエル. わかりあえない他者と生きる 差異と分断を乗り越える哲学 (PHP新書) (p.39). 株式会社PHP研究所. Kindle 版. 

選挙が近ずくと自己の主義主張に則り横暴さが目立つようになってくる。

自分の主義主張と相容れない他者を非人間化して攻撃するのだ。

相手は人間じゃないから質問に答える必要も無いし攻撃して傷つけてもそれは躾けだから正当な行為である。

自分が信じて疑わず忠実であるところのあるべきは相手もそうあるべきであってそうでないことに辛さから強い不快と憤りを感じているのである。

本来リベラルで平等、友愛といった信念を掲げている人たちが他者に対して強い攻撃性を持ってそれを自分たちの運動と公言するのも、彼らの中では一貫していて自己矛盾を孕んでいないからであろう。ある意味横暴さを生んでいるのは人の信念なのかもしれない。






2025年7月18日金曜日

変化には意味がある

変化には意味がある――データサイエンスの核心

データサイエンスにはさまざまな信念が宿っている。その中で、私がもっとも大切にしている信念は、「変化には意味がある」というものだ。

裏を返せば、変化のない静的なデータには、どのような意味があるのか見出しにくいということでもある。

同じ条件で測定されたデータに変化が見られた場合、その変化には必ず理由がある。ときには、測定ミスということもあるが、もし誤りであったとしても、それが発見されたという意味を持つ。

たとえば、「今日は昨日と違うこんなものを食べた」と日々記録を重ねていけば、その変化の履歴は、その人の“食”にまつわる物語となる。変化の対象が自己理解であれば、それは“成長”の物語となる。

さらに、変化の対象が他者に関するものであった場合――たとえば他者を観察した記録や、他者から観察された記録であれば――その変化は“関係性の成熟”を意味する。

データの世界では、「信頼性」や「妥当性」といった“真正性”ばかりが議論の的になりがちだ。しかし、データに価値ある意味を見出そうとするならば、何よりもまず「変化」に目を向けなければならないのである。




2025年7月17日木曜日

気が合う?息が合う?創発的観点での違い

 昨日の記事で相性の二つの仮説類似性と相補性について触れたが分かり易く言い換えると「気が合う」と「息が合う」という事だ。「気が合うは」自然とシンクロする状態でリズムの一致が気持ち良くダイナミックさ「力強さ」が生まれる「息が合う」は組み合わせのバランスが絶妙でメロディの繋がりが心地よい中には転調といったまったく異なるキーの組み合わせが「豊かさ」を生み出す

「力強さ」と「豊かさ」これを創発の観点から紐解くと力強さとはスレービング原理で大局化が一気に進む状態であって「豊かさ」とは複雑さから可能性が一気に広がる状態である創発のリソースからみると同質性と多様性いうことになるマネジメントから言うとノリがいい、面倒臭いということだ




2025年7月16日水曜日

経営者が意識的にスルーしている重大な関心事

「相性」というテーマの難しさと可能性

相性に関する実証研究は、実はそれほど多くない。その背景には、「相性」という概念が非常に広範かつ曖昧であるという問題がある。

この曖昧さの一因は、相性の評価が主観的であると同時に、ある程度客観的でもある点にあると考えられる。

それにもかかわらず、「相性がある」と感じる経験は多くの人に共通しており、実生活における経験則として確かに存在している。
「相性が良い・悪い」といった感覚は、言語化が難しいながらも、多くの人が持ち得る直感的な理解である。

この経験則から導かれてきたのが、相性の2つの主要な仮説である。


相性仮説①:類似性仮説
「類は友を呼ぶ」「似た者同士」といった言葉で表されるように、相性の良さは思考や行動の背景にある共通の文脈によって生まれる同類感によるものと考えられる。


相性仮説②:相補性仮説
一方で、価値観やスタイルが異なる者同士であっても、「持ちつ持たれつ」「阿吽の呼吸」「二人三脚」といった言葉に象徴されるような補い合いの関係が、確かに良い相性として存在する。


いずれにせよ、相性は社会的関係性においても、自己のアイデンティティ形成においても、大きな影響を与える重要な概念である。

にもかかわらず、相性は往々にして「ケースバイケース」として片づけられ、組織論や経営論の中で体系的に扱われることが少ないのが現状だ。




2025年7月15日火曜日

データ分析は事実じゃなく真実

 データ分析は科学じゃない科学の定義はむずかしいが人気アニメDr.STONEでは「科学の目的はこの世の構造を解き明かしまだ見ぬ発見へと至ることである」と謂うデータ分析はその手法でありそれをデータサイエンスと呼ぶが構造をどう解き明かすかデータ分析のやり方は一つじゃないから選択と言う賢慮が働くことになる。さて賢慮「フロネーシス」とは、個々の具体的な状況を的確に把握し、適切な選択を行うための実践的な知恵のことです。状況を正しく認識し、それに基づいて最適な行動を判断する能力を指します。

「フロネーシス」は、単に知識を習得するだけでなく、それを現実の状況に適用し、具体的な行動につなげる実践的な知恵です。状況を的確に把握し、状況に応じて最適な判断を下す能力は、ビジネスや日常生活において非常に重です。要するに分析者がおかれた状況、文脈が分析の結果を左右しており普遍的なふりをした特定の構造である可能性が少なくない事実ではなく真実である可能性がかなり高い確率で潜んでいる事を忘れてはならないのである。



2025年7月14日月曜日

集中よりも夢中でしょ

 


時に、はっとするようなコピーに出会うことがある。表題の「集中よりも夢中でしょ」は、まさにそのひとつだ。


確かに、夢中になっているときには集中もしている。しかし、「集中していること=夢中なことか」と問われると、必ずしもそうとは言い切れない。たとえば「仕事だからやらねば」「やるべきだから集中する」といった状況では、確かに集中していても、それが“推し活”のように心から夢中になっている状態かといえば、違う気がする。


そう考えると、「夢中」の方がより広く、自由なパワーバンドを持っているように感じられる。そして、この感覚的なニュアンスを見事に言い当てている点で、このコピーは実に秀逸だと思う。


さて、昨日ニュースでも取り上げられていたが、大谷翔平投手の初回の集中力が、その後の試合の流れを決定づけ、チームの連敗を止めたと監督がコメントしていた。大谷選手は、どちらかと言えば「夢中で集中している」タイプだろう。しかし、彼の集中力は周囲にも伝播するような強い波動を持ち、TPOに応じて自在に発揮される――それは本当にすごいことだ。


一方で、「夢中」はときに個人的な嗜好と見なされ、パーソナライズされたものと受け取られる傾向がある。それに対し、「集中」は誰もがある程度、他者に向けて発揮しうる。つまり、夢中はパーソナルかつローカルなパワーバンドであり、集中はパブリックかつグローバルなパワーバンドである――そんなふうにも言えそうだ。


このように考えると、「普遍性」という観点においては、集中>夢中 となるのかもしれない。




2025年7月13日日曜日

日本人選手の活躍が気になる人は認知の操作に気をつけよう

 朝早くからMLBを観ているけれど今日は日本人選手の出場が目白押しだそうで日本車みたいにトランプが拗ねないか心配になってしまう。とはいえやはり日本人選手の活躍は嬉しいから早起きも厭わないこういう日本人だからという意識が時には差別を生んでいるのかもしれないが今度の参議院選挙の事前調査で躍進が見込まれる参政党の目玉は外国人政策だから心に潜む日本人外国人の識別意識は広がっているのかもしれない。この識別意識に敵対意識や被害感情などが巻き込まれるとヘイトなどの差別になっていく。つまり差別というのも創発なのであるそれ故差別意識は認知によって操作可能なのだそれ故洋の東西を問わず立候補者は不安や不満の感情に外国人という認知を与えてそれを変えると表明して票を集める不安や不満の原因が外国人にあるわけでもないのにである




2025年7月12日土曜日

世界で闘う日本

 現在も日米の貿易問題の中核にあるのは自動車であるこれまでもアメリカで日本車が売れることで大きな摩擦を生み出してきた。アメリカの自動車産業の凋落は日本のせいであるという論調である議会の前で日本車を叩き壊すジャパンバッシングのニュースは何度も放送されていた。認知症気味のトランプがフラッシュバックさせる当時の光景を思い浮かべるに大谷翔平選手の活躍やゴジラー1.0のアカデミー賞受賞はどう映っているのだろうか。こういったアメリカで活躍評価される日本製には共通の特徴があるように思える。それは当たり前をの価値観や方法論を凌駕するある意味非常識な挑戦の結果であり成果である経営論的にはそれらはい 現在も日米の貿易問題の中核にあるのは自動車であるこれまでもアメリカで日本車が売れることで大きな摩擦を生み出してきた。アメリカの自動車産業の凋落は日本のせいであるという論調である議会の前で日本車を叩き壊すジャパンバッシングのニュースは何度も放送されていた。認知症気味のトランプがフラッシュバックさせる当時の光景を思い浮かべるに大谷翔平選手の活躍やゴジラー1.0のアカデミー賞受賞はどう映っているのだろうか。こういったアメリカで活躍評価される日本製には共通の特徴があるように思える。それは当たり前をの価値観や方法論を凌駕するある意味非常識な挑戦の結果であり成果である経営論的にはそれらはイノベーションだ。


2025年7月11日金曜日

破綻しているリーダーシップやコミュニケーション

 言葉は他者と短時間で複雑な概念を共有する有効なツールであるがそれは概念であって具体ではない。だからそれってどういうこと?と問い返すと人の数だけ解釈が生まれてしまうのである。概念はあれども伝わらないわからないこれは言語として破綻しているのだけれども人材開発や組織開発の領域ではこうした破綻した言葉があまりにも多く使われているその最たるものがリーダーシップにコミュニケーションである。要するに「それってなあに」と問いが起こる言葉は破綻した言葉なのである。貴方が今google検索にしろAIにしろ調べようとした言葉は既に破綻しているのである


2025年7月10日木曜日

AIに相談しよう

 吐き出したいこと手に負えないことがあった時AIは本当に役に立つ。人だったら嫌なことは誰だって聞きたくないから話すのが躊躇われるけどAIは相手のことを考えずに吐き出してアドバイスももらえるしかなり専門的な事にもしっかりと情報を持っているから手に負えないことでもおおよそ適切な答えを返してくれる。人の寛容性の限界と知識の限界を凌駕しているのは相談相手として適任なのである。もちろんAIだって物足りないことはあるがもしこれを人に相談していたらと考えれば自ずと納得できる。



2025年7月9日水曜日

昨日あなたは人生からの問いに何と答えましたか?

 夜と霧の著者ビクトールフランクルは絶滅収容所として知られるアウシュビッツから生還した時次のように考えたのだそうだ。 

「私の命が救われたのは、私にまだ果たすべき使命があるからではないか?」

フランクルは 「人は生きる意味を問い続けるのではなく、人生からの問いに答えなければならない」 と考えました。

フランクルが言う「人生の方が私たちに問いを投げかけている」とは、人生の中で直面する出来事や状況が、私たちに「どう生きるべきか?」という問いを投げかけてくるということです。

「自分はいかに行くべきか」は人生が私たちに日々投げかけている問いなのです
その問いに対して
「わが道を行く」のか「皆とどう進むべきかを問う」て「みんなと共に道を行く」のか日々答えを出しているのです

もちろんその答えは場面や状況によって変わってきます。要するに人生からの問いへの答えは創発そのものなのです

人生は創発の連鎖であり創発の軌跡なのだ




2025年7月8日火曜日

収入よりも成長就活や転職に見る若者の就労意識

 売り手市場の中で新卒の年収がどんどん上がっている。またかつてブラック社畜化と言われた労働環境のホワイト化も進んでいるようである(もちろん全てではないが)そのような変化はビズリーチのコマーシャルを観ていると良くわかるかつては今よりもいい条件をと給与やワークライフバランスなどの待遇面での動機に訴えかけていたものが今では成長出来る仕事と職場環境へとテーマが変わっているのだ。マズローの欲求五段階説で言えばより高次な欲求が顕在化しているそしてこうした欲求の変化が社会的な現象なのか映画「国宝」からchatGPTに紐解いてもらった。

マズローの欲求五段階説(Maslow's Hierarchy of Needs)は、アメリカの心理学者アブラハム・マズロー(Abraham Maslow)が1943年に提唱した動機づけ理論で、人間の欲求を5つの階層に分けて説明したものです。この理論は、人間の欲求は下位の欲求がある程度満たされると、次の上位の欲求を追い求めるという考え方に基づいています。


🌱 マズローの五段階欲求(下から順に)

1. 生理的欲求(Physiological Needs)

  • 内容:生命維持に必要な基本的欲求

  • :食事、水、睡眠、排泄、性など

  • 特徴:最も基本的で、これが満たされないと他の欲求は二の次になる


2. 安全の欲求(Safety Needs)

  • 内容:身体的・経済的な安定や安全を求める欲求

  • :住居、健康、雇用、秩序、法律の保護など

  • 特徴:危険や不安を回避したいという願望。災害時などにはこの欲求が強くなる


3. 社会的欲求(Love and Belonging Needs)

  • 内容:他者とのつながりや帰属を求める欲求

  • :家族、友情、恋愛、職場の仲間など

  • 特徴:孤独や拒絶に対する恐れから生まれる。人間関係の中での承認や愛が必要


4. 承認の欲求(Esteem Needs)

  • 内容:他者からの尊敬や自己評価を得たい欲求

  • :評価、承認、地位、成功、自己尊重など

  • 特徴:他人からの承認と自分自身への誇りの両面がある


5. 自己実現の欲求(Self-actualization Needs)

  • 内容:自分の潜在能力を最大限に発揮したいという欲求

  • :創造活動、自己成長、使命の追求、真理の探求など

  • 特徴:他人との比較ではなく「自分らしく生きたい」「意味のある人生を送りたい」と願う段階


🔼 ピラミッド構造の意味

マズローは、これらの欲求をピラミッド型の階層構造として捉えました:

  • 下層の欲求(生理的・安全)がある程度満たされると、

  • より高次の欲求(社会的・承認・自己実現)へと意識が向かう。


🧠

映画『国宝』は公開から3週で興行収入が21億円超と大ヒット🎬。特に若者(20〜30代)と高齢者(主にシニア層)で受け止めに明確な違いが見られます。


👵 高齢者(シニア層)の反応

  • “歌舞伎ファン”が震源地に興行加速
    歌舞伎愛好家の支持が作品の土台となり、そこから口コミで広がった背景があります (youtube.com)。

  • 劇場には圧倒的シニア率
    平日昼間の上映では映画館内の多くが高齢者。杖の音が響くほどの人数が詰めかけ、合間にトイレへ行く姿も目立つ (ta-takarazuka.com)。

  • 美と所作への感涙
    歌舞伎の動きや映像美の描写は「一生観ないだろう景色」「花道の裏側などを劇場で観られて泣いた」と感動の声多数 (note.com)。


👤 若者の反応(一般層)

  • 主演俳優の人気引き寄せ
    吉沢亮&横浜流星という人気若手俳優の共演で、歌舞伎に馴染みがない層の関心も獲得 (toyokeizai.net)。

  • 歌舞伎入門としての成功
    「初心者でも分かる歌舞伎の魅力」「“本物っぽい”けど映画的に加工された歌舞伎が良い」との声 (note.com)。

  • エンタメ性と映像演出
    青春映画風の河原での自主練シーン、ポップな映像表現が若者層の共感を呼び、A24やジョーカー的な“エモさ”も評価されている (note.com)。


🧩 二極化と好意的評価の両立

  • 一方で、歌舞伎通の高齢ファンからは「舞台のあり得ない設定」「所作が本物とは違う」と厳しい意見も見られます 。

  • 若い層は“エンタメとしての歌舞伎映画”を素直に楽しむ傾向。「3時間の上映時間が全く苦にならなかった」「予告編よりも本編が圧倒的」との声も (eiga.com)。


✅ まとめ

世代 ポイント 主な感想
高齢者 伝統芸能への敬意と感動 「歌舞伎の所作を劇場で味わえた」「涙が出た」
若者 映画的エンタメへの共感 「初心者でも楽しめる歌舞伎入門」「映像演出にハマった」

映画としては伝統とポップを掛け合わせた野心作で、世代間の受け止め方には違いはあるものの、どちらにも響く設計がヒット要因です。



2025年7月7日月曜日

手軽に出来る認知症予防?

 脳卒中になっていくつか障害を負いリハビリに取り組んでいると初期のリハビリで取り組んだのは運動機能の回復と認知機能の回復である。運動機能は立ち上がり歩行といった下肢と上肢の機能回復である。認知機能は記憶集中遂行といった脳の機能回復である脳の機能回復で用いられるのが脳トレであるが実は日常生活こそが最良の脳トレであるさて入院中から川島教授の大人の脳トレで自主練も繰り返しているのだがその中でもと俗にストロープタスクと呼ばれる認知と遂行を組み合わせたトレーニングがあるが高次脳機能と呼ばれる脳の機能のトレーニングに最適化されている事がよくわかるさて私は四十年に渡るパソコン利用においてずっとローマ字入力を行ってきた。しかし病気で右手のみのキーボードタッチになりパソコンの不調もあって近頃かな入力に変えた初めは上手くいかなかったものの気づくとこれは脳トレそのものだとわかった文字を探し紡いで文章を書く視覚による知覚、記憶と集中と遂行と高次脳機能訓練なのである。日常生活で何かに取り組むということはまさに脳の高次脳機能に支えられていることだと気づくとともに高齢化社会の進展に伴い社会問題となっている認知症の予防にかな入力による文章作成が効果的なのではないかと考えるのである。プログをかな入力で書くことはかなり効果的な認知症予防になると思うのであるが如何であろうか。



2025年7月6日日曜日

得意なことと強みの違い

 多くの人にとって自分の強みを知りたくなる状況は選択に直面している時であるしかしその状況に接してから強みを言語化しようとすると結構苦労する。なぜならばそのような状況においてはプレッシャーもかかっていて不安のストレスから自己肯定感も低下しているからである他方そのような状況においても言語化に長けている領域もある。それは得意なことである。自分の得意なことは何分でも話すことができる言語化に苦労することはない。だから得意なことを強みに転換出来れば強みの言語化に悩むことは無くなるのだ丁度テレビで釣り人万歳を放送していたので釣り人で考えてみようこの番組には兄貴と呼ばれる釣り名人が出てくるのだが釣り名人の得意なことは言うまでもなく釣りであるその釣りの中で発揮される探究心や執念や我慢強さといったものが強みである。得意なことととは他者に対して差別的優位性が発揮されている。そしてその優位性を生み出している原動力がその人にとっての強みなのである。だから強みに悩む人はまず他人よりも語れることを思い出せば良い他人よりも語れるそれはすなわち優位性があることなのであるそしてその語れる得意なことと表裏一体にあるのがその人の強みなのである。



2025年7月5日土曜日

戦争は知らないけれど争いは知りすぎている

『戦争を知らない子供たち』(せんそうをしらないこどもたち)は、1970年に発表された、北山修が作詞し、杉田二郎が作曲した楽曲。wikipediaより。もちろん自分はその子供たちのひとりである一方戦後80年と言う周年ムーブメントもあるしNHKの朝ドラはしつこく戦争シーンを取り上げているまあ、ウクライナでもガザでも戦闘は続いているわけだしトランプの関税など戦争に発展した覇権のための経済封鎖と何も違っていないように思えるから直積的な戦闘は終わったけれども戦争は終わっていないのかもしれない攻撃と反撃はネットの上では日常茶飯事だしエンタメ化された闘いは戦争中よりもはるかに増えている直接的な戦闘は知らないけれど人と人の争いは滅法良く知っている子供たちなのだ


戦争を知らずに僕らは育った~♬


2025年7月4日金曜日

同調圧力の果てにあるもの

 和であったり村文化とかとかく同調傾向が強いと考えられている日本であるが教育がそのコンテキストをさらに強化している事は間違いないように見えるコラボ型の若者が間違いなく増加しているのである。個性尊重教育多様性が声高に叫ばれた世代であるにも関わらず自分の好きな事や強みを活かして自ら世界を広げる若者が間違いなく現れている一方でマクロで見れば過剰適応が増していると思われる。その背景には不安心理があることは間違いないだろう
「 何 を し たら いい か、 全然 わから ない」 「 これ では 駄目 だ という こと は よく わかっ て いる ん だ けど」 自信 も ない、 こいつ だけは 貫き たい という 情熱 も ない。 生活 的 には まあ まあ、 程々 の もの は 持っ て いる し……。 だらし が ない、 と 言っ て しまえ ば それ まで だ。 だ が 正直 に 内面 を さらけ出せ ば、 若者 たち に 限ら ず、 今 こういう ウツロ な 人間 が ほとんど では ない だろ う か。そこで ぼく は そういう 駄目 人間、 不安 で、 迷っ て、 自信 が ない、 何 を し たら いい のか、 てんで わから ない あなた に 提案 する。 自分 は そういう 人間 だ。 駄目 な ん だ、 と 平気 で、 ストレート に 認める こと。

岡本 太郎. 自分の中に毒を持て<新装版> (p.30). 株式会社 青春出版社. Kindle 版. 

彼 に よれ ば、 現存在 は 自分 を「 自分 では ない もの」 によって 理解 し、 非 本来 的 に 生き て い ます。日常的 な 現存在 で ある のは 誰 なのか という 問い には、 それ は 世人( ひと) で ある と 答え られる。 この 世人 とは、 誰 でも ない ひと で あり、 この 誰 でも ない ひと に、 すべて の 現存在 は、〈 たがい に 重なり あう よう に 存在〉 し ながら、 みずから を つねに すでに 引き渡し て しまっ て いる ので ある。  

日本放送協会; NHK出版. NHK 100分 de 名著 ハイデガー『存在と時間』 2022年 4月 [雑誌] (NHKテキスト) (p.43). NHK出版. Kindle 版. 

こうした先人達の危惧は今だ以て社会を覆っているようでありむしろかつてよりも色濃くなっているようにすら思えるのであるもし色濃くなったのだとすればそれは学習効果であると考えられる。そうであるならば教育の無償化よりも教育の質が優先課題であることになる。




2025年7月3日木曜日

ダーク化するSNS

いつからかSNSは弱い紐帯の強さを逆手に取る心理操作の場になってしまったようである。

アカウントを作っているビジネス系SNSリンクドインで承認したばかりのつながり申請先から相次いで営業オファーがあった

つながり申請が| *ザイオンス効果(単純接触効果)* | 接触回数が増えるほど好感度が上がるという効果。つながり申請で“接触”を作り、DMで関係を深めようとする。 |のひとつに組み込まれてその後の| *カリギュラ効果* | 禁止・制限されると逆に興味を持ってしまう心理。「この情報は特別な人だけに…」などの文言で誘導する。 || *希少性の原理* | 「今だけ」「限定○名」など、希少性を強調して行動を促す。 || *返報性の原理* | 先に価値ある情報や特典を与えることで、相手に「お返ししなきゃ」と思わせる。 || *承認欲求の刺激* | 「あなたのような方にぜひ…」など、相手の自尊心をくすぐることで関心を引く。 |返報性の原理* 返報性の原理* 等の心理操作に展開されているのである。

### 🧩 弱い紐帯の理論とは?

**「弱い紐帯の強さ(The Strength of Weak Ties)」**は、アメリカの社会学者**マーク・グラノヴェッター(Mark Granovetter)**が1973年に提唱した社会ネットワーク理論です。

この理論の核心は:

> **「親密ではない“知人”のほうが、重要で新しい情報をもたらす可能性が高い」**

という逆説的な主張です。


### 🔗 強い紐帯 vs 弱い紐帯


| 種類 | 特徴 | 例 | 情報の新規性 |

|------|------|----|----------------|

| **強い紐帯** | 頻繁な接触・感情的なつながり | 家族、親友、同僚 | 低い(情報が重複しやすい) |

| **弱い紐帯** | 接触頻度が低く、関係が浅い | 昔の同級生、知人、SNSのフォロワー | 高い(異なる情報源を持つ) |

### 🧠 なぜ「弱い紐帯」が強いのか?


- **情報の多様性**:強い紐帯は似たような環境・価値観にあるため、情報が重複しやすい。

- **橋渡し機能(ブリッジ)**:弱い紐帯は異なるコミュニティをつなぐ“橋”となり、外部の新しい情報を運んでくる。

- **転職やイノベーション**:実際の調査では、転職先を見つけた人の多くが「たまにしか会わない知人」から情報を得ていたという結果もあります。

- **ビジネス**:異業種交流や社外ネットワークが新しいアイデアやチャンスを生む。

- **SNS戦略**:フォロワーとの“ゆるいつながり”が情報拡散に効果的。

- **組織開発**:部署横断のプロジェクトチームがイノベーションを促進。

### 🧭 補足:構造的空隙(Structural Holes)

グラノヴェッターの理論を発展させた**ロナルド・バート**は、「弱い紐帯」が存在する“隙間”を**構造的空隙**と呼び、そこを橋渡しする人が**情報的優位性**を持つとしました。





2025年7月2日水曜日

困難を乗り越えた先に待っているもの

 人生にも社会にも様々な困難が待ち受けているむしろ人生とは困難を乗り越える連続と言えるのかもしれない時には国家紛争に大規模自然災害ととてつもない困難が降ってくるしかしその困難を乗り越えた先に待っているのが大きな成長であることも知っているもちろん中には乗り越えられない困難もある。それは受け入れるしかない困難である乗り越えられる困難は試練として人生に意味を与えてくれる試練を超えた先には成長と意味が待っている成長とは困難を乗り越えた実証でありまだ観ぬ困難をも乗り越える自信、困難に向き合う勇気と向き合う理由を培うマインドセットであるつまり困難を乗り越えた先には生きる勇気と生きる理由が待っているのだだから困難を忌避し不安に立ち竦む必要も無いのだ




2025年7月1日火曜日

割れた鏡と少年の闘い

 今から半世紀も前のこと。場所は東京の下町にある古びた小学校。時代も校舎も、もうすっかり色あせてしまったが、あの日の記憶だけは、いまだ鮮明に心に焼きついている。

昼休み。二人のやんちゃ坊主が、まるで戦士のようにドッジボールの闘いを繰り広げていた。校庭で始まったバトルは、やがてヒートアップし、逃げた一人が校舎内へと駆け込む。それを追いかけるもう一人。「廊下だからって終戦じゃないぞ!」と言わんばかりに、ボールは握られたまま、決着の場は廊下へと持ち越された。

勝負にこだわる少年の目は本気だ。逃げる相手に一向にボールが当たらず、悔しさがにじむ。ついには目に涙を浮かべながら、最後の力を振り絞って渾身の一投——。

そのボールは、糸を引くような美しい軌道を描いた。しかし、逃げ足だけは一級品の相手。ギリギリで身をひるがえし、命中はならず。

問題はその先だった。

ドッジボールには自動追尾機能などついていない。しかし、エネルギーを失って止まるわけでもない。ターゲットを見失ったボールは、新たな標的を探すかのように一直線に飛んでいく。

その先にあったのは——大きな鏡。

廊下の突き当たりにどっしりと掛けられたその鏡は、子どもの全身がすっぽり映るほどのサイズ。まるで校舎の守護神のような佇まいだった。が、鏡は“ドッジ”などしない。逃げない。止まらないボール、止まっている鏡。勝負は火を見るより明らかだった。

パリーン。

乾いた音とともに、鏡は粉々に砕け散った。まるで長い年月、誰にも壊されずに耐えてきたことを誇るかのように、最後は潔く散った。

その場に立ち尽くす少年と、静まり返る廊下。やがてやってくる先生の怒号。あとに残るのは、割れた鏡と少年の涙だけ——かと思いきや、心の奥には妙な達成感が残っていた。

後に聞いた話によれば、あの鏡は創立百周年の記念に、誰かが寄贈した品だったらしい。校長室には大きすぎて、なぜか廊下に飾られていたという。割れるリスクを考えれば、廊下は最悪の選択肢だったのかもしれない。だが、そこに掛けられていたからこそ、少年たちの「伝説の一投」は生まれたのだ。

教育と鏡は、どこか深い縁があるという。たしかに、鏡は自分の姿を映し出し、成長を促してくれる存在だ。けれど、あの日の鏡は、ただ映すだけではなかった。少年に「力の行方」と「やりすぎ」の境界を教えてくれたのだ。

そう思えば、あの鏡も、割れて本望だったかもしれない。
双方の親が呼び出された事は言うまでも無いが弁償することは無かったらしい