僕は正常性バイアスアンコンシャスバイアスによって人は自分を正当化しがちであると文章教室の課題の中で書いたのだけど正常性バイアスは僕たちの心を平穏にする働きがあることも知っている。そんなことを思い巡らせていた時急にアタラクシアという言葉が頭に浮かんできたアタラクシアは僕が孤高性くらいだったころ好きで読んでいた武宮恵子さんの地球(テラ)へという漫画の中で言葉で。確か平穏とかいった意味があったように覚えている、そこで改めてアタラクシアという言葉をググってみたらアタラクシア(希: Ἀταραξία、英語: Ataraxia)とは、心の平静不動なる状態のこと[1]。乱されない心の状態[2]。激しい情熱や欲望から自由な、平静な心のさまであるとWikipedia先生が教えてくれたそしてさらにその由来は古代ギリシア哲学の専門用語であり、ヘレニズム時代の人生観[2]、エピクロスの処世哲学である[2]。エピクロス以外の同時代の哲学者も、似たような内容を説いた。なのだそうであるそんな哲学の専門用語を漫画の中でさらっと使うなんて武宮恵子サン恐るべしであ~る。そういえばエウレカセブンという漫画もあったけど、エウレカというのもものすごく示唆深いワードである。僕が学生だったころは漫画ばかり読んでいるとバカになると考える大人が風潮として蔓延していたけど50年も経ってから漫画は僕の記憶を呼び起こしてくれたし、60歳になって脳出血をおこして脳を壊してしまったけど、どうやらそれでもバカにはなっていないようである。50年前に授業で習ったことは覚えていないけどアタラクシアという言葉と意味はは覚えていた。マンガは僕が学んだ誰より(先生ごめなさい)もすごい教師だったのだ実際地球温暖化の環境破壊を目の当たりにして僕たちは本来の地球(テラへ)の帰還を思うようになり、ロシアのウクライナでの蛮行や第三次世界大戦核戦争の危機をに目の当たりにして心の平穏アタラクシアをいかに保つか悩んでいる。アタラクシアは極めて禅的な考えとも近いと思う明鏡止水心に窓に月を写すという考えが言わんとしていることはまさにアタラクシアなのであーる。実際僕たちは地球温暖化の環境破壊を目の当たりにして僕たちは本来の地球(テラへ)の帰還を思うようになり、ロシアのウクライナでの蛮行や第三次世界大戦核戦争の危機をに触れ心の平穏アタラクシアをいかに保つか悩んでいる。アタラクシアは極明鏡止水心に窓に月を写すという禅的な考え方はまさにアタラクシアなのであーる。要するに絵画にしろ漫画にしろアニメにしろゲームにしろ小説にしろ随筆にしろエッセイにしろ音楽にしろ映画にしろプロの表現者はものすごく勉強しているんだよね、そしてその中から非常に重要なことを受け手に問いかけて記憶に残してくれているんだね。だから僕たちは表現の形式に拘らずにたくさんの表現に触れてインプットするべきなんだエウレカ!
2022年4月30日土曜日
2022年4月29日金曜日
わが輩は書く語りき
僕は3月から辻仁成さんが開催している文章教室に参加している月一回開かれる教室では1500字のエッセイ提出の事前課題もある。僕はこのブログを毎日何かしらちゃんと考えてそれを文章としてアウトプットする習慣が身に着けられるかの挑戦として2013年2月26日に始めた結果として習慣は作れたので次はもう少し読んでもらえる文章を書けるようになりたいと思ったのだきっとそれは書いていて楽しい文章でもあるのではないかと思ったからね。またブログとは別に自画持参という対話イベントにもほぼ毎月のように参加していたそのイベントで自分も含めて参加者が思いついたトークテーマについて抽選で当たった場合は2分間で考えて3分間スピーチしなければならないこれは話をすることに関してはとても良い訓練になったおかげでどんな場面でも3分くらいはかたれるようになった。さて1分間のスピーチを文字数に換算するとだいたい300字くらいになるらしいだから3分間であれば900字逆に1500字ということは5分間ということだね。スピーチには2分の壁というのがあって、2分間まではノープランでも話すことができるけど、何も準備していないとそこからの1分が地獄の1分になる僕は自画持参での鍛錬によって自然と話に枕をつけて3分間話せるようになったようだ、だから恐らくいまのぼくにあるのは3分間の壁900文字の壁である残りの2分間についてはエピソードを増やす辻仁成さん風に言うなら風呂敷を広げるか、おちをつける風呂敷を結ぶかする必要がありそうだ僕としては出来るだけ冗長性を無くしていきたいので、結び目を考えた方がよさそうだ4月の文書教室の課題は「人生最大の失敗」である、思いつくままに1000文字くらいは書けた(3分間の壁仮説はどうやら正しい)ので残り600字で上手に風呂敷を結ぶ挑戦である。さてがんばろう
2022年4月28日木曜日
教育者の教えとは何か
僕が人と組織に関する仕事を選んだのは大学時代の師の教えに心動かされたからである。
そして偶然僕が入社した会社は偉大な心理学者多湖輝さんの教えが生み出した会社であった。
そこで僕は教えについて考えてみたいと思った、、僕がイメージした教えとは、知識や術の伝達ではない。教えとは学び手の無意識の報酬が呼応して例えば美しい花や絵画を見て心が自然と感動するように、世界を認知する心に働きかけ、その後の生き方の光明として、思考ではなく脳の無意識のレイヤーに刷り込まれる学習である。ポイントは学び手の無意識の心が呼応するということで、教えとは思考によって理解するものではなく、信念や信条として音楽のように心に響き感情を揺さぶるものなのだと僕は考えている。もちろん感情が揺さぶられた後に、自然とその感情に対するリフレクション(内省)が湧き起こり思考として理解され言語化されるつまり、受け取った教えを他者に説明出来る状態になっていく。そして教えを与えるのは教育者に限らない。僕が過去に実施したインタビューでは、偉大な音楽家であったこともあるし、哲学者だったこともあるし、時に仕事上のパートナーのこともあったもちろん親ということもある。しかし教えは誰もが同じようにうけられるものでは無いことも自明だ。では何が違うのかというと教え手の問題ではなく受け手の心が共鳴するか否かだろうか。これは美しい花を観て美しいとこころが動くのと同じでなぜそうなったのか説明することは出来ない。そして美しい花が咲いていると自然と惹きつけられて足が向くように、教えは受け手に自立的な行動を起こさせる。教えを受けることは学習や気付き、意味づけと言い換えることが出来る。だから学びや気づきが多く、意味が満ちた人生を送るためには感受性の豊かで共鳴する心を培う必要があるのだということになる。
2022年4月27日水曜日
ものまねの遺伝子と発想力の弱さ
普通紙コピー機とかピアノとかカメラなど、今では日本の十八番になっている製品には共通点がある。それは日本がオリジナルを作ったものでは無いことだ。元になる製品はアメリカやヨーロッパで発案、製造され、それを、日本人が真似して作ったのである。日本人の優れているところは、オリジナルを凌駕してしまうほどのクオリティを出せるところである。それによって日本人はすぐ真似してずるいと忌み嫌われたこともある。パナソニックの創業者松下幸之助などはこの手の天才だよね。他社の製品を安く大量に真似て作って、日本中津々浦々に構築した販売網で売って事業を大きくした。コトラーの競争戦略で、言えばチャレンジャーに徹するということだね。ランチェスターの戦略で言えば弱者が取るべき戦略を実践したと、言えるのかもしれません。しかし市場のイノベーターと言えないことは明らかである。頭の体操の著者多湖輝氏は、閉塞した社会を打開するのには発想が重要だと説いた日本は新奇性の発想よりも効率的な作り方や普及させる発想に長けているのかもしれない。それゆえ、新しい商品カテゴリーは生み出せずに製造や、販売で市場を抑えられてしまったら打つ手が、無くなってしまった.そうなってはじめて発想の貧困さに気づいたのだ。新規事業の分析を行った研究者は新規事業がうまくいくかどうかはアイデアよりも周囲の巻き込み力であるという結果に至っていたけど。きっとそれが発想が苦手なのが日本人ということなのかもしれない。社会的にも発想がそもそも苦手なので発想は良いことであると受け止められない背景があるのかもしれない。新しい発想に期待するより批判的に見下す人の方が社会的に多い気がするよね。SNSとか見ていてもそんな印象が強い。先日、政府がスマホの主要なOSがアップルとグーグルで寡占されていることを危惧しているという記事が出ていたけどそういった議論は昔からあって、対抗するためにtronという国産OSの開発を推進していたはずである。TRONとほぼ平行して語られていたユビキタス社会はスマートフォンの出現によりあっさりと実現されてしまった。この場合の問題点は発想の先進性よりも一般消費者が望むプロダクトと未来像を見せられなかったことである。人を惹きつける発想やそもそも発想に惹きつけられない国民性が本質的課題なのかもしれない、日本人が惹きつけられるのは誰もが使ってるとかアメリカ人は使っているといった周囲の空気感なのである。日本人はもっと、自ら発想する本来的な態度を習慣化するべきでそれは多湖輝氏が1960年に頭の体操を出版したころからずっと変わっていない課題であるかもしれない。折しも時代はユビキタス社会からメタバース社会に突入した僕たちはまさに自らの認識で世界を変えていく本来的存在としての発想力で闘う時代が到来したのだ
メタバースへ
2022年4月26日火曜日
みんなが大好きな伏線回収とは同窓会のようなものである
先日、最近ずっと毎朝楽しみにしていたNHKの朝ドラカムカムエブリバディ(以下カムカム)が大団円を迎えた。100年の物語りで、人生100年時代と声高に言われる今日のご時世に応えるドラマだったのかもしれない。一方ドラマが終盤を迎えるなかで視聴者の話題となっていたのが伏線回収であった、主人公たちの100年の人生の物語りの中で交差するように登場した人たちのその後をドラマの中で描いていくのが伏線回収である。あの人はどうなったんだろう、あの話はなんだったの?という視聴者の気持ちに応えてくれるもので。カムカムはその描き方が秀逸であったように思える。中には半ば忘れているようなエピソードもあって、それを思い出すことも楽しかった。まるで同窓会で昔の友人に会った時みたいにね、「あった、あった、そんなこと、あったよね~」といった感じでね、そう、伏線回収は同窓会みたいなものだ、そういえばあいつどうしてるの?と問うと誰かがやつはその後こうなったらしいよと語ると一同ふーん、と疑問が解けて納得する感じのあれだよね同窓会が好きではない人も少なくないと思うけど、クラスメートのその後に関しては皆関心があるのではないかな幼い胸を焦がしたあの初恋の人、清水の舞台から飛び降りて告白したのにあっさり振られて痛く傷つけられたたあの人はその後どうなったのか、とか皆にいじめられていたあの子はその後どうなったのだろうかとかね。それらを知ることは時に自分の過去を思い起こすだけでなく意味も与えてくれるそれは時に悔恨であったり贖罪であったりもするのだけどそれはそれで今の自分に語り掛けてきて気づきを与えてくれるのだ。きっと誰にでも思い当たることがあるのではないだろうかさてこの伏線回収は映画でも多用されている、先日有料チャンネルで観た映画は全編伏線回収のようなストーリーだった。スターウォーズのような長編のシリーズものでは、作品を越えて伏線回収が行われるよね。だけど時に伏線そのものがわからなくなってご丁寧にも伏線を描き直してくれる映画もある。いずれにしても伏線回収は自分の過去が無駄ではなかったことを実感させてくれるのだだからきっと皆大好きなんだろうね。
2022年4月25日月曜日
老人の憂い
丹波哲郎さんが昔あなたが知らない死後の世界~とおどろしくテレビの画面に浮き上がってきたことを僕は覚えている。これは哲学的な大命題である。そう、死は誰にも平等に訪れるけど、自分の死後を知る人は誰もいない。それも平等だ。どんな天才であっても、凡才であっても平等だ、なぜなら死は固有のものだからだ、想像することは出来ても経験することは出来ない自分の死もましてや他人の死はなおさらだ。それ故ドイツの哲学者ハイデガーは死を自分の本来性を取り戻すための鍵と考えたハイデガーは人は世人として、周囲に同調し本来的な存在になっていないと考えていたのだ社会の同調圧力が強い日本人にとっては誰もが耳の痛い話である。さて、ハイデガーは可能性として死に臨む態度をとる存在を先駆と呼んだ。
この 存在 にとって 可能性 として あらわ に なる よう な 態度 で、 死に 臨む ので ある。 この よう な〈 可能性 に 向かう 存在〉 を、 わたし たち は 用語 として 可能性 への 先駆 と 呼ぶ こと に する。
日本放送協会; NHK出版. NHK 100分 de 名著 ハイデガー『存在と時間』 2022年 4月 [雑誌] (NHKテキスト) (p.72). NHK出版. Kindle 版.
さて先駆にとって年齢は関係ない、可能性であれば赤ん坊であっても若者であっても老人であっても死に差は無い。老人の方が死に近いと考えるのは僕たちの経験則であり、社会的な知見なのである。だから死の前に高齢があって年寄りだから棺桶に片足を突っ込んでいると考えるのはまさに世人的存在であって、本来的な存在でない証でもある。そう考えると高齢化社会というのは本来的な社会の姿では無いことがよくわかる、高齢化社会を作り出しているのは社会そのものであるという結論に至るのだ。僕はその事実を実証することが出来る。というのも、僕はいま、社会が作り出した高齢化社会の象徴であるデイケアサービスに通っていて。多くの高齢者を目の当たりにしている。両親をすでに亡くしている僕にとって身近な高齢者が居ないだから、デイケアで目にする高齢者の言動は新鮮である。その中で恐らく90歳を超えているご婦人の心配事はロシアのウクライナ侵略戦争とウクライナの今後なのである。デイケア利用者の多くは昔話に花が咲くことは想像に難くないと思われる。実際、男性でも女性でも、会話に耳を傾けると昔話が多い。自分の履歴やその中での成功体験要するにちょっと自慢できる話をする人が圧倒的に多い。昔は一日に2箱煙草を吸っていたとかお酒を毎日一升飲んでいたとか訳の分からない自慢話もあるんだけどね。そんな中で国際社会の未来を憂う90歳のご婦人の姿はとても新鮮である。でもそれはご本人が国際社会の一員であるという自覚をしっかりと持たれていることに違いが無いのであろう本来的な生き方が出来ているからこそ、なのかもしれないよね。僕たちが高齢化社会を憂いている一方で高齢のご老人は国際社会の未来を憂いているそんな現代社会の現実は僕に本来的に生きることの在り様を問いかけてくる。
2022年4月24日日曜日
いきがいをやりがいにかえていこう
脳卒中で倒れる前僕は会社役員の退任が決まってこれまでの人生とこれからの人生について思いを巡らせていた生きがいは何かやりがいは何かといったことについてね。そんな中で倒れてこれからの人生がこれまでのようには送れないことをいきなり突きつけられたわけだけど、それによって僕はさらにこれからの生き方を考えるようになった。しかし考えすぎてまた出血でも起こしたら最悪だからゆっくりと考えすぎないようにね。僕は病院に持ち込んだスケッチブックに僕の人生年表を描き起こして眺めてみたそこから見えてきたのは僕の生きがいとやりがいだ、僕は生きがいややりがいとは同時進行的に進む様々な人生イベントの中で、その時最もマインドシェアが高いものだと考えている。それ故他のイベントよりも優先的に取り組んでいるからあとから眺めればすぐに見えてくる。生きがいは生きていく上での最優先事項、やりがいは主に仕事における最優先事項だ、ときにやりがいが生きがいになることもあるけどその逆は無かった。しかし脳卒中とその後遺症にある今、生きがいをやりがいにする必要があるのかもしれない、それは生きるために最優先にすることを仕事にするということである。僕が社会で生きるということは文化的及び経済的に価値的な存在となることを意味する。そのために僕は何を成すべきか。退任後僕は寝ても覚めてもずっと考え続けて来た。文化的経済的価値を生み出すには事業の形で問うのが一番わかり易い。それはとてもやりがいのあることである。しかし事業運営はとてもハードだこの身体とメンタリティで僕はそのハードさに果たして耐えられるだろうか。でも、そのようなことを色々考えれば考えるほどやってみたい思いが強くなる、神様は病気によって僕の左半身の運動機能を召し上げていかれたけど、思考する力と思いを持つ力を残し給うた。それは僕が生きること生きていることにきっと意味を与えてくれるものである、僕は神様が僕に残し給うた能力を使って、日々リハビリに取り組み、生きがいになるやりがいを事業として構想しているのだ、基本的なコンセプトは思いを紡いで見出すことがすぐにできた、あとは社会実装するスキームを構想して組み立てるのだ。
2022年4月23日土曜日
批判と実践
批判とは他者の言動に対してあるべき姿などから指摘を行うことである指摘を行った当事者としての責任はとわれるけど、批判の対象となった言動においては責任を負っていない。
もちろん当事者でなければ批判してはいけないことはない。批判は社会的な言動を健全に保つ役割を果たす。しかし当事者でないが故に言動の背景は理解できていないしかし言動には必ず背景があるものだ背景を知らずしてあるべきを語るのは無責任の極みでもある。昨日もある高校のサッカー部で暴行の疑いが起こりSNSが炎上したそうだ。しかも暴行された生徒、SNSに投稿した生徒が謝罪する展開となりさらに炎上しているらしいその報道やネットニュースを観た人はまたそれぞれに批判を行うそれが炎上の正体である。批判をしている人たちは恐らく皆当事者ではない。これはロシアのウクライナ侵略戦争も同じで、橋下氏とか鳩山氏はまったくの部外者という立場から無責任な発言を繰り返した、著名人のそういう態度がハイデガー言うところの世人にも影響を与えて批判という行為を正当化するのだ、何かを批判するときはその矛先を必ず自分にも向ける必要があるだろう。当事者にはなれないけど当事者の立場に自分の身を置いてみることはできるはずだ、自分も実践者として同じ立場に立つことが真摯な態度と言えるのでは無いだろうか。批判的視点は社会の公正化にとって重要だけど行き過ぎると社会にとって害となることをはからずしもSNSが教えてくれたわけだよね。言うは易し正しく行うは難しの人間理解自己理解が大切と言うことだよね。
2022年4月22日金曜日
組織における構成員のwellbeingは誰の仕事?
Resourceからbeingへ。産業組織に、おいて非常に重要な視点であるが、beingは誰の仕事なのだろうか?みんな大好きgoogleの人事施策で以前取り上げたオキシゲン8では、メンバーのキャリアの成功を支えるのはマネジャーの仕事とされた。また、最近流行りの1on1で、期待されるのは、対話を通じたwell-beingの実現では無いだろうか、ここでも、well-beingはマネジャーの仕事だ。well-beingが制度で実現するものであれば、制度を作るじんじの仕事ということになる。しかしマネジャーや人事部門が社員のwell-beingの責を負うことに僕はたいそうな違和感を覚える、なぜならばwell-beingとは極めて主観的で個人的な心理状態であるからだ。他者や制度がどうこうできるものではない幸福は伝播するものだからその意において、マネジャーや制度が果たす役割は小さくないしかしあくまでもbeingの主体は本人である。つまり自分のbeing に対する自覚と実践が重要だと考えるそのために自分が成すべきことを知りそれを実行する能力を身に着けている必要があるのだ、そしてそれは社会人となる前に身に着けるものであって、組織の中の同調圧力や成長への圧力によって身に着けるものではないbeingハイデガーの言う本来的な生き方だから自らに責任を負うべきものだと考えるからだ。そのうえで社会に出ることを僕たちは自立と呼んでいるのだ。自身のwell-beingに対して自立出来ていない人不安に囚われやすいのでは容易く組織において手段化できる、それが都合の良い産業組織もあるだろうけど必ずどこかで辻褄が合わなる、離職とか低モチベーションとかでね。その辻褄合わせを誰かの仕事とすることは僕は間違いだと思うし、仕事にさせられたマネジャーは不幸だよね。その姿を見ると誰もマネジャーになりたいとは思わなくなるだろうね。1on1が普及してマネジャーは幸せになったのであろうか。
2022年4月21日木曜日
資源化する人間
人材という言い方が一般化しているけど人間は材木ではない、木だって切り倒されるまでは、一つの尊厳ある生命なのだ。ところが人間は切り倒されるまでもなく材つまり資源にされてしまい尊厳を失う今ウクライナでは悲劇が起きているけど、ロシアのプーチンにとってウクライナの人は尊厳のある命ではなく消費可能な資源なのである。だから自分の目的のためにどう最適化しても良いのである。ではなぜ尊厳の在る生命が最適化可能な材となってしまうのだろうか、そこには工業化と都市化が大きな影響を与えている、工業化は人間に技術的世界観言い換えれば科学的唯物論を植え付けた。技術的世界観は見えるものすべてを最適化可能な資源と考え最適化に向けて人間を駆り立てる。アマゾンの熱帯雨林を猛烈な勢いで破壊するのをみればわかるけど資源化して狂ったように収奪争いを繰り広げるのだ。そして人間に対しては、生産性と効率化という正義のもとに、地方の地域コミュニティを破壊して都市に人を集めた都市化である。産業組織は生産性を高めるために組織と言う協働形態を整え資源とみなす人を集積したのだ。人は社会的存在であるためには文化的経済的基盤が必要である。そこで組織には疑似コミュニティの要素と報酬がセットされた。一方産業組織にとっての正義に関しては、生産性の向上は組織への帰属を強化し。組織からの村八分(就業規則)の不安と組織内で他者と比較されること(評価)差がつくこと(給与、等級)で生じる不安を刺激してやる気を引き出す仕組みを制度化して生産性向上への献身を正当化したのである。もはやそこには誰もが幸福を享受するべき尊厳としての人ではなく手段であり資源としての人しかいないアマゾンの熱帯雨林が消失するのも日本の地方地域集落がどんどん衰退するのも人材ITビジネスが林立して人間の資源化が爆走するのも実は同じ根を持つ現象なのではないだろうかと僕は考えているひょっとしたらロシアのウクライナ侵略戦争もね。
2022年4月20日水曜日
習慣作り
何日か前に習慣について書いたけど今朝はNHK朝一でまさに習慣作りのコツなるものを放送していた脳科学的にはきっかけ行動報酬のサイクルがコツだそうだ、僕のこのブログに関すればきっかけは継続的に考えて発信できるようになれるかという自分自身へのチャレンジである行動はブログを書くこと、そして報酬はないあえて言えば習慣化出来た自分を観ることが報酬なのかもしれないね。まあたまにPVが多いときなどがあれば嬉しいからそれも立派な報酬なのでしょう。あと行動に関して言えば日常生活に生かせる場面があると行動が強化される気がする僕が毎月参加していた自画持参という対話の場ではトークテーマに則り2分間考え3分間話す機会が抽選で巡ってくるのだけど、日々、考えるテーマを決めて考える練習をしていることは役立った気がしている。もちろん仕事でもね。考えて外化する(書く・話す)ことは役立つ能力なのである。さて僕は先月から辻仁成さんの文書教室に参加してエッセイに挑戦している。そこでわかったことはエッセイは社会の課題を考えることよりも心が動いた瞬間を文章にするものであるということ、このブログは読んでくれた人の思考に働きかけるとするとエッセイは心に働きかけるものであるようだ。マルクスガブリエルによれば思考も感情であるので、そうなるとあまり違いは無いのかもしれないけどね、ちなみに今月はソファーの上の人生という題名で1500字の課題も提出したこのブログと違ってかなり苦労したけどね。しかし心を動かす文章というものにちょっと面白さを感じ始めた僕は母親の人生を題材にした私小説をかいてみようかなどと大胆で無謀な思いつきをする始末なのである
2022年4月19日火曜日
教師は宝物
リハビリではその効果があがることを状態が上がるという、僕のような脳疾患では発症直後は急性期と言ってまずは治療に遷延する時期がある。続いて病気の後遺症の改善に取り組む時期があってそれを回復期という、回復期はその言葉の通りリハビリの効果が出やすい時期である。だから集中的にリハビリを行うのだ、状態が上がるとは例えば歩けなかったのが歩けるようになるとか動かせなかった手が少し動かせるようになるとかちょっとした良い変化が認められることである。状態を上げるためにはやはり新しいことに挑む必要がある。例えば歩行であれば発症前の状態に戻ることが目標なので杖も使わずしなやかに歩くことに挑むわけだ最近はリハビリも主に外歩きの練習をしているのだけど、発症前に僕がどう歩いていたのかを知ることは大きな意味がある。今の僕にとって理学療法士もそうだけど歩行の教師が必要だからね。
幸いなことに以前フジのめざましテレビで今日のわんこに出演した時の録画があって、まさに犬を連れて外を歩いているシーンがばっちり残っているのだ、しかも正面と横からその録画を難解も観てイメトレと脚の運びを確認しているから僕にとっては教育ビデオなのであーる。
さりげない日常の動画もときによっては貴重な教師になるのであーる。当たり前の日々を記録しておきましょう。
2022年4月18日月曜日
心理的安全性を脳科学で考える
生産性の呪縛に囚われた産業組織では組織のメンバーには他者の目による評価や比較という圧力が常にかかっているその圧力は脳の偏桃体との不安回路とその下流域にある側坐核という部分を中心とした(悲観的な価値判断を引き起こす霊長類側坐核ドーパミン経路の機能解明)に働きかけていく側坐核の働きは快楽中枢とも呼ばれていて不安解消に向けて僕たちを行動に駆り立てるのだ(これがやる気である)。 要するに僕たちは不安を感じないことは出来ないのだけど、圧力をかけて不安を感じさせ行動に駆り立てることは出来るということだ、この僕たちの脳の仕組みは産業組織の生産性にずっと利用されてきたのではないだろうか。一般化している人事評価の仕組みや職能制度、等級制度、給与制度などを眺めているとそのように感じてしまうのである。そうであるとすれば産業組織にはそもそも人事権と称した不安(危険性)が埋め込まれていることになる、い昨今心理的安全性が注目されるのも当然のような気がした。一方で不安や不快が学習を促し適応能力を高めることを考えると安全性と生産性・創造性のバランスが気になるところではあるのだけどね。脳の働きはまだまだ解明されていないことも多いし単純化して評価することは避けるべきだと考えるけど心理よりも無意識の心の動きをベースにと社会や経営の仕組みを眺めると構造的な問題の本質に迫る問いが浮かんでくるよね。
2022年4月17日日曜日
2022年4月16日土曜日
諦めない限り失敗ではないという継続のこつ
昨晩はひめ様が立ち上げてくれたグラレコもくもく会+自画持参の会にオンライン参加し、久しぶりにガチャトークにグラレコを楽しみました。いきなりトークも、当選して、3分を、超えて話してしまいました。他の話し手の方が2分の壁で苦労されている様子を見てKatyで行われていた自画持参をリアルに思い出せて懐かしかったです。以前はほぼ毎月参加していたのでその分トークは鍛えられたのでしょう。昨晩のテーマはスタート。スタートに、因んだトークテーマでした。コロナを機に無くなってしまった自画持参に思いがけずに再会することが出来て感慨深い夜になりました。僕はトークもあったし、病気のこともあって、ちょっと饒舌になってしまった気がしていて、対話の場への配慮が足りなかったかもしれないと朝になってちょっと反省モードだったりします。それにしても自画持参は優れた対話のデザインだと感じました
僕がトークしたのは【1回目のトーク】お題は真剣にダイエットを始めたいのですが、なかなか続きません。ダイエットに限らず、みなさんの続けるためのコツを教えてください。とのことだったのでこのブログのことを話しました、今回で3342日め、1年前の脳卒中発症による中断を除けば連続の投稿が続いているからです多少自分に甘くバッファ(翌日投稿可)を設けたりしていますが、因みに続けるためのコツは続けるという習慣づくりへの挑戦を目的にしていることではないかと考えています。果たして僕は毎日考えて書くということが出来るのだろうかという自分に対する問いが出発点だったからですね。もちろん、書くことが思い浮かばないこともしばしばありますがその都度自分への問いが浮かぶんですよね、そこで書くのを諦めてしまえば答えが出てしまうわけで残念な答えを出さないためにも頑張って続けるのです、諦めない限り失敗ではないというのと同じですね。僕自身への挑戦なので続けることには充実感があるんですよね。発症前後で何が変わったのかも気になるので今度分析してみようと思います、継続しているとそういうことが出来ます僕の何が変わったのかを知ることはとても意味あることなのです。継続の価値を知ることはなかなか難しいことでもありますからね、
2022年4月15日金曜日
誕生日の意味
僕は自分の誕生日にが好きだ。僕は今回の脳卒中入院で何回も名前と自分の生年月日を口にすることになった。僕は今NHKでリーマン予想の番組をみているのだけどなぜ和暦の方が好きなのかハッとわかった西暦だと19620313だけど和暦だと370313分解すると37と3と13である全て素数になるんだよねでも今調べたら19620313はそれ自体が素数だった。生年月日と名前は僕がユニークな存在であるアイコンなのである、そこに含まれる数字が素数であるとすると何だかユニークさの象徴のように思えるんだよねもちろんそれは僕のユニークネス欲求が成せる妄想でしかないんだけどね。あはは。いずれにしても素数は記憶に残りやすい数字らしいから悪いことじゃない。会社が移転して電話番号が変わるときも僕が選んだのは素数、おかげで複雑ながら割と覚えやすかったと評価している素数万歳でsる。まあ、自分の誕生日を忘れる人はいないだろうけどね、ただ気をつけなくてはならないことは印象に残りやすい数字であるならば、パスワードや暗証番号にしては絶対にいけないということである。暗証番号登録のガイダンスには誕生日NGと大概なっているけどね。まあ、誕生日がいつになるかは1/365の確率だからけっして稀な出来事ではないんだけどね。そんな誕生日に意味を見出そうとする思考は概念という思考の結晶に対するロマンなのかも
2022年4月14日木曜日
概念化する世界
最近、NHKで、ポアンカレ予測やABC予測と言った数学に関する番組をよく放送している。数学せや哲学は概念つまり、思考つまり意識によって作り出された世界である、少し言い方を変えると日常と、思考をつなぐために生み出された学問である。それゆえにそれらの概念は常に日常に働きかけて影響を与える。時には日常を変える力を持っている。僕の犬はコミニケーションを通じて日常を生み出す能力を、保有しているし、パターンとして種類や数という概念を持っているようにも見える。例えばこのおやつは2個とか3個とかね。もちろん、数学とか哲学のような概念は持ち合わせていない。でも十分に幸せそうだけどね。概念は僕たちを本幸せにしているのだろうか?
2022年4月13日水曜日
さようならマック
気が滅入っていたリハビリ病院でのリハビリ中僕は療法士さんとたくさんお話をしたけど、中にはapple のパソコン好きの療法士さんもいてApple のmacbookの話では大いに盛り上がった意見が合ったのはMac は所有したときの満足度が高いということであった。もちろん使いやすいからとかの理由もあるのだけど単純に使って嬉しいんだよねさてマックというとパソコンだけでなくファストフードのマックもあるからにほんではマックファンの人は老若男女問わず多いと思われる。僕は食べる方のマックはすっかりご無沙汰になっているけどね。さて、アメリカを代表するこの2つの企業、今回のロシアのウクライナ侵略戦争を受けていち早くロシアでの事業を停止した。ロシアのマックファンはとても寂しい思いをしているに違いない。大好きなマックお帰りとなるためにも一日も早く、ロシア市民一人一人が何が正しいことなのかを判断行動して次の指導者を選んで欲しいものであるさてマックファンのぼくであるが今このブログはWindowsパソコンで書いている、僕はマックブックを2台所有していて、これまでのメインマシンであったmacbookproは昨日書いたように脳卒中を起こして使えなくなっている。修理も考えたけど古くなって、凄く費用も掛かりそうなので見送った。直してもまたすぐ壊れたら嫌だからね。そういえばMacbookproは起動しなくなったりもして何回か修理に出していた。アップデートしたOSに問題があったとかで無償で直してくれたこともあったmac は故障が多いのだ。まあパソコンって割とデリケートなところがあるからね。しかし今回は修理に出すことはやめた。修理の準備が面倒だしパソコンを使ってやりたいことはWindows11で問題なく出来ているからね。世の中クラウド環境が整って、パソコンに拘る必要も無くなった気がする。確かにmacにはパソコンという工業製品にしては所有欲を満たしてくれるなにものかがあるのだけど本当にやりたいことは所有なのかと言えばそうでもない。確かにサブで使っていた11インチのmacbookairは当時関わっていたサービスシステムの開発では環境を構築するのにとても便利だった。macは開発などクリエイティブな作業をするとき総合的に低ストレスなんだよね。つまりクリエイティブな作業に専念できるのだ、一方Windowsパソコンは事務処理的な作業をするのに向いているように思えるこしかしれはあくまでも使い方と気分の問題でしかないのである。。だから今回僕は新型macbookairが出たら買おうかと考えていたけどさよならmacとすることにしました。windowsパソコンが壊れたらこんにちはmacになるかもしれないけどね。そこらへんはゆるゆるなのであ~る。
2022年4月12日火曜日
イライラの所在
僕は昨日、屋外歩行のリハビリを行い。かつてよく行ったマイバスケットまで歩いた。ひなたの温かい道を歩き。なんだか回復を実感していた。そうしたら、不思議なことに、壊れたと思っていたMacBook Proまでが動いたのだ。なんだか関係あるのかな。壊れたものが治るのは、いいものだ、l’ll be backだぜ。一晩寝て明日もマックが動いたらいいな、朝MacBookはまた動いてくれたところが、ソフトウェアアップデートをしたらまた動かなくなったアップデートしなけりゃよかったと朝から後悔してイライラが募る。もういいや、また、放置しておけば動くようになるかもしれない。でも。身体の方はしっかりとアップデートしていこう。
2022年4月11日月曜日
リアルデイケア
僕と同世代の人にとってデイケアは介護が必要となった親が使うサービスとして利用する機会が多いのではないだろうか、僕は親じゃなく自分が利用者である。毎週火曜日と土曜日はお迎えの車を待って、部屋まで迎えに来てもらって車椅子をひいいてもらい施設に通っている。僕以外の利用者さんは僕より一回り以上上の年代で中には親と同じくらいの年齢の人も居る僕は発症した時自分がデイケアサービスの利用者になるとは思ってもいなかった。しかし回復期のリハビリ病院を退院する打ち合わせをはじめたとき作業療法士から入浴はサービスを利用しましょうという話が出て、初めてデイケア利用者としての自分を意識したのだ、左半身に麻痺の後遺症が出ている僕にとって、浴槽を跨ぐなど家での入浴はハードルが高く危険で、介護とか介助に不慣れな妻にとっても負担が大きすぎるのだ。もちろん退院後は今まで通り家で日常生活を送ることが希望ではあったけどね。 実際にサービスを利用するようになって、このサービスの有り難さを実感している送迎含めサービス利用への配慮は行き届いているし設備やスタッフも充実して、安心安全である。 もちろん細かいことを言えばいろいろとあるけれどね、最初は年齢的にちょっと場違い感があって居心地の悪さもあったけど自分のペースで時間を過ごすようになってからはだいぶ居心地も良くなった、最近はもっぱら音楽を聴きながら読書と人間観察を行っている、観察の対象は利用者皆高齢者とスタッフである。観察するのは個性と関係性。利用者の中には良き利用者もいれば良くない利用者もいる、その差は年齢と個性だ。良くない利用者とはスタッフを困らせる言動のをとる利用者だ、指示に従わない、自分勝手、我慢が出来ないといったところである、その多くは認知症の様相があるがなかには性格由来の人もいる。例えば家に帰る帰ると言って施設を出ていこうとする人が認知症の人特有の言動である。一方スタッフの人にマスクをちゃんとしましょうねとお世話を受けるとこの馬鹿野郎と罵倒するのは性格由来の人である。逆に鼻だしマスクで会話する利用者を注意するようひつこくスタッフに指示をする利用者も居る。ひょっとしたら少し認知症もはいっているのかもしれない。いずれにしてもご家庭でフルに介護するとしたら相当な負担になること間違いないだろう。デイケアはその負担を軽減してくれるとてもありがたいサービスなのであーる。スタッフの人もキレること無く平等に丁寧に対応している。本音としてはやはり手のかかる利用者は大変だと思っているようだ、そりゃそうだよね。時々高齢者施設で職員の暴行がニュースになるけど、人間だもの感じてしまうことは致し方ないよね、もちろん暴力は何があってもだめです。もちろんいつもご機嫌な利用者も感謝を忘れない利用者も居るデイケアはそういった人間模様が渦巻くサービスなのだ。さて、スタッフや運営会社のリアルはどうか。まず、デイケアの事業としての収入つまり財源は、介護保険(社会保障費)と利用者の個人負担分で成り立っている、一方、支出は設備賃貸費に(風呂とかの設備に送迎用の車両、とスタッフの人件費だろう、つまり経営的には固定費が結構多そうである利用者の数×利用サービス数によって売上は決まってくるようだ。だから利用者を増やすために営業活動を行っている、えいぎょうといっても介護保険も絡んでくるので営業マンではなくケアマネジャーという人が利用が見込まれる家庭とサービスの中継ぎを行っているケアマネジャーが高齢者のいる家庭を回って(デイケアセンターの送迎運転手が送迎の時間外に一緒に営業に動いているらしい)必要とする介護に合わせて計画をたてるのだ。だから利用者はサービスセンターと直接交渉するのでなくケアマネジャーに要望を伝えることになる。利用者にとってケアマネジャーとの相性は重要なのである。このサービス利用に関するレイヤー多層構造は、高齢者介護の負担という軋轢を緩衝し利用者とその家族の状態や希望に合わせて適切な介護事業の環境を作るのに役立っているのである、利用サービスとは、運動、脳トレ、食事、入浴などである、センターのスタッフさんは利用者のお世話をしながらサービス利用を勧誘する、利用者によっては気分で嫌がる人もいるからね、もちろん食事などは前もって申し込んでおかないと利用できない。ちなみに僕は高齢者の筋力低下を防ぐ運動には参加せず、個別に理学のリハビリを受けているあとは入浴と食事ね。さてそう考えて観ていると介護事業は営業レイヤー、サービスレイヤーなど複数のレイヤーを総合的に管理しながら事業者のビジョン実現に向けて運営されている複雑な事業であるようだ、
2022年4月10日日曜日
プーチンが不安から逃れるために必要なことを考えよう
産業組織には集団の原理と生産性の価値観が併存し時にそれらがコンフリクトを起こしていることを先日書いてきたさらに 集団には接近から生じるの不安と、異質から生じるの不安が、ある。ハイデガーは不安について以下のように指摘している
、現存在は自分を「自分ではないもの」によって理解し、非本来的に生きています
NHK 100分 de 名著 ハイデガー『存在と時間』 2022年 4月 [雑誌] (Japanese Edition) (pp.43-44). Kindle 版.
現存在は世人に飲み込まれてしまうのでしょうか。この問いに対するハイデガーの答えは、極めてシンプルです。世人に同調してさえいれば「安心」できるからです。
NHK 100分 de 名著 ハイデガー『存在と時間』 2022年 4月 [雑誌] (Japanese Edition) (p.57). Kindle 版.
、自分自身と向き合うことは不安を呼び起こす、ということです。不安になるからこそ、現存在は自分自身から逃げ、世人に支配されてしまうのでした
NHK 100分 de 名著 ハイデガー『存在と時間』 2022年 4月 [雑誌] (Japanese Edition) (p.73). Kindle 版.
NHK 100分 de 名著 ハイデガー『存在と時間』 2022年 4月 [雑誌] (Japanese Edition) (p.73). Kindle 版.
NHK 100分 de 名著 ハイデガー『存在と時間』 2022年 4月 [雑誌] (Japanese Edition) (p.73). Kindle 版.
魚のような生き物でも狭い空間に集団で囲われるいじめをはじめるらしい。不安が生じるメカニズムは脳の扁桃体という意志が及ばない脳の部位から危険察知回避のために働くのだけど近さや違いを見つける認知機能と密接な働き。がある。他の個体と十分な距離が保たれていればまずは攻撃を受けても回避し安全が確保できるまた他の個体が自分が保有する能力と同等であれば攻撃を受けても反撃し身を守ることが出来る。回避できない、反撃しても敵わない時に危険が高まるわけだね。つまり集団化から不安というデメリットが生じるのは必然と言えるのだろう。一方で集団が機能化すると生産性が上がるというメリットが生まれる。産業組織にはこのメリットデメリットのコンフリクトの葛藤も内在しているのである。産業組織には機能化手段化の問題だけでなく、メンバー個々の生存に関わる不安と緊張だけでなく他者の期待に応えようとして生まれる自己イメージとそれには決して満足できない自身との欲求の調整という社会性から生まれる複雑さがあるので問題が発生しやすい。不安と不満が絶えず発生しているわけである。プーチンをみればよくわかるかもしれない。では不安と不満のの解消はどうすればよいのかハイデガーは以下のように示しているそうです。
非本来性に陥っているとき、「私」は世人に支配され、「これだけが唯一の正解なんだ」という悪夢に囚われています。しかし、そうしてうなされている「私」に内側から「おい」と声をかけることで、良心は「私」を非本来的な状態から覚醒させるのです
NHK 100分 de 名著 ハイデガー『存在と時間』 2022年 4月 [雑誌] (Japanese Edition) (p.75). Kindle 版.
恐らく国際社会が圧力を掛ければ掛けるほどプーチンの不安は増幅され残虐な行動を強化する。プーチンの目を覚まさせるプーチンの良心の呼び声良き指導者としての過去のプーチンの言動を共感を持って掘り起こすことなのかもしれない
2022年4月9日土曜日
脳卒中という人生のピンチと認知学習
脳出血を発症して後遺症が出た僕には入院中退院後も含めて常に「自立」が大きな課題になっている。車椅子、便座への移乗の自立、からはじまり、薬の管理の自立、リハビリテーション室への移動の自立、院内のコンビニなど病院内移動の自立それらは退院後の日常生活での自立を目的としたものである。しかし左手の機能などはまだ回復していない部分もある。しかしこれらの経験を通じて僕は自立とは何か身を持って学んでいることになる、この身を持って学ぶことを認知学習という、。僕は認知学習によって自立への道を歩んでいるのだ、では自立とは何かといえば、目的を定めそれを達成する能力を保有することである、例えば歩行の自立でいえば独力で歩くという目的に対して、僕の筋力やバランス感覚に関してその目的を達成する能力を備えていることが自立なのである。それは歩行とはどういうものか、身体の部分をどう動かせばよいのかという知識の習得ではなく、どうすれば良いのかを身体が知ることまさに認知学習なのである。僕はこれほど身体性と密接な学習を経験した記憶があまりない。思い起こせば中学の時の弓術やギターの演奏法などがそれに近いように思える、それ故僕はリハビリ中に弓術の事とかを思い出していたのでしょう。
2022年4月8日金曜日
家族の100年の裏物語り
今朝1つの朝ドラが終わった副題は家族の100年の物語りで、日本が舞台のドラマだったけど、ドラマの中で重要な役割を果たしたのはアメリカだった和菓子、あんこ、時代劇などといった日本文化とジャズ、ホットドッグ、映画などアメリカ文化との対峙が100年の裏歴史でもある。それはロシア文化でもなければ中国文化でもない。僕たちの日常はアメリカに大きな影響を100年に渡って受けてきたのだ。そして今僕たちの日常に深~く影を落としているロシアのウクライナ侵略戦争にしても北朝鮮のICBMに核開発にしてもアメリカはもう一方の当事者だから過去100年以上に僕たちの家庭や家族の日常はアメリカの影響を色濃く受けているのであ~る。ドラマの中で対照的に描かれた日本とアメリカの関係をそれでいいのかと思うように現状でも問題として意識する必要があるのだろう今回ろしあの残虐な行為がジェノサイドと言われているけど、それではこの100年年の間に日本の地方都市に原爆を落として壊滅させたアメリカの行為はなんだったのだろうかプーチンが核兵器を使うのではないかと危惧されたけど、日本は実際に過去実際に核兵器を使われた国なのだ、その後の日本とアメリカの関係性を鑑みれば日本人はこの侵略戦争が終結下の後ロシアと友好関係を築けるのかもしれない。。世界を西側東側という対立構造で捉えないことを僕たちはできるはずだ。朝ドラで描かれていたのはまさにそういう姿だからね。
2022年4月7日木曜日
幸福からはじめよう
倫理を考える際に幸福は常にその中核にあるべきものだ幸福について考えるときアドラー心理学を紐解いた嫌われる勇気の翻訳者深見一郎氏の著書及び深見氏が引用した哲学者三木清氏の人生論ノートが非常に参考になる。
鶏の歌うが如くおのずから外に現れて他の人を幸福にするものが真の幸福である
成功でなく幸福について語ろう 深見一郎
彼の幸福は彼の生命と同じやうに彼自身と一つのものである。この幸福をもつて彼はあらゆる困難と鬪ふのである。幸福を武器として鬪ふ者のみが斃れてもなほ幸福である
Kiyoshi Miki. Jinseiron noto (Japanese Edition) (p.15). Kindle 版.
機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現はれる
Kiyoshi Miki. Jinseiron noto (Japanese Edition) (p.15). Kindle 版.
2022年4月6日水曜日
3つの提言の整理
日常の不安から逃れるためにプラットホームを利用するのでなく日常を、幸福にするためにステイホームする。人生を部分断面化するビッグデータから、存在として理解するコンテクストデータへ。データ処理の機械学習でなく倫理、感情、自律を育む認知学習へ。またコロナとプーチンが教えてくれる。僕たちの新しい生き方とも言えるだろう脱プラットフォーム脱ビッグデータ脱機械学習が僕の未来の社会に向けた提言に、なります。この提言の背景にはマルクスガブリエル氏のSNSやソーシャルメディア、プラットフォームに対する見解が色濃く影響しているそれらは結果として社会を分断化し民主主義を弱体化させるという氏の見解を僕は的を射ていると考える。一方でハイデガーが展開するように僕たちは不安によってプラットフォーマーを基盤としたソーシャルメディアに巻き込まれる世人である、それ故プラットホームからの価値観の転換が重要だと考えるのだそして、不成功という不安に対抗できる唯一のが体験は幸福であって日常を幸福に満たすことが出来れば、不安から生じる対立構造を乗り越えることが出来ると考えるのだ。
参考文献
わかりあえない他者と生きる マルクスガブリエルPHP新書
成功でなく幸福について語ろう岸見一郎 幻冬舎
人生論ノート 三木清 青空文庫
存在と時間 ハイデガー NHKテキスト
その他
あっちにこっち
2022年4月5日火曜日
これからの世界への3つの提言
マルクスガブリエルは欲望の資本主義から倫理資本主義へと提言しているが、今回のロシアのウクライナ侵略戦争とナチスの再来の市民の虐殺という事実に直面するに非常に説得力のある提言であるしかし僕は欲望の資本主義の象徴であるGAFAのビジネスモデルに対する提言も必要だと考える。GAFAのモデルの中核を成すのはプラットホームとビッグデータである。僕が単純にこの言葉を聞いたとき頭に思い浮かぶのは昭和40年代の懐かし映像などで目にする通勤ラッシュの新宿駅である、駅のプラットフォームに溢れんばかりの人がいて電車に乗り降りする様子だ。通勤ラッシュは今でもあるだろうからあまり光景は変わっていないかもしれない。今回新型コロナウイルスはそういった僕たちのライフスタイルにも大きな問いと変化をもたらせた。新型コロナウイルスは災いだけでなく僕たちに新たな世界への答えというギフトもくれたのだ。そしてそれが僕のこれからの世界への提言になる。
提言1 プラットホームからステイホームへ。ソーシャルディスタンスによってステイホームという新たな生活価値観が生み出されたけど、考えてみれば、人で溢れたプラットホームにわざわざ乗っていくのは正しくない。人で溢れたプラットフォームに乗っていることが社会と一体化している安心の象徴だったわけだけどこと個人の人生で幸福ではないこと明白だステイホームつまり自分の生活空間を価値化して幸福になっていくことこそがこれからの社会のあるべき姿である。
提言2 ビッグデータからコンテクストデータへ。ビッグデータとは、人を究極的に抽象化するカテゴライズの呼称である。その中で一人一人の人生の文脈は消去されまるでMRIで脳の断面画像を撮影するがごとく人を理解しようとする。でもMRIには人生の喜びも苦悩も写らない大切なことは人生をマルチスレッドタスクの集合体ではなく、人生は自然や社会など環境との関係性が連鎖するコンテクストとして考えることである、私達は存在しているなぜならば倫理や認知そして自律といった今日の社会における重大な課題は全てそこから生まれてくるものだからね。どんなに技術が進歩しても機械学習(人工知能)が発展してもMRIにその人の倫理や認知、感情、思考が写し出されることはないだろう。それ故僕は機械学習よりも認知学習の方が重要であると考える
提言3にしておこう機会学習から認知学習への転換とは人工知能から人間性知能へのシフトを意味する
2022年4月4日月曜日
なぜ僕たちは学びに出向くのだろうか
僕は養老孟司さんの壁シリーズが好きだ。そのひとの壁には以下のような一節がある
養老孟司. ヒトの壁(新潮新書) 「壁」シリーズ (p.25). 新潮社. Kindle 版.
認識 は 世界 を 変える。 同時に 自分 を 変え て しまう。 なにしろ 風邪 一つ でも 世界 は 変わる の だ。 その 認識 の もと に なる 理解 は 実は「 向こう から」 やっ て 来る。 アッ、 わかっ た、 という のは、「 向こう から」 来る の だ。 これ を ドイツ の 若手 の 哲学者、 マルクス・ガブリエル は 思考 は 感覚 では ない かと 言っ た。 向こう から 来る という 意味 で なら、 感覚 で ある。 それ に対して、 行動 は 限定 さ れる。 (1)ランダム に 動く か、 (2)合目的的 に 動く か、 の どちら かで ある。 意識 に 支配 さ れ た 現代 人 は(2)で ある。
文中に出てくるマルクスガブリエルも好きな哲学者である。さて、このアッ、 わかっ た、 という のは、脳科学者茂木健一郎さんが言うところのアハ体験というやつだ茂木さんの脳科
(以下茂木さんの解説)
脳はもともと偶有性を前提に作られている クリエーティブ
でも、そう考えれば認知から理解行動までの一連のプロセスがとてもなめらかに行われることも納得できるよね。僕たちは不確実や新奇性といった差異を認知した瞬間に、適応や創造に向けた思考が生まれるそれはまさに僕たちが学習と呼ぶ行動なのである。それゆえに僕たちは入学や入社そして最近よく言われる越境という方法で不確実な状況に出向き身体をその環境に置くことで学習を行っているのかもしれない。確かに僕たちが社会性を学習するのは学習不安からではなく生存不安からだよね。
2022年4月3日日曜日
死人に口なし
Google地雷を踏んでしまって、最近やたら、もとテレビ局アナウンサーの女性タレントのブログに関する記事が表示されるこのブログ実に気持ち悪いし気分が悪くなる、というのも故人から手紙が届きましたとか言って亡くなった人に自分の言いたいことを代弁させるような仕立てになっているのだ、もう、ぞぞ~っと背筋が寒くなる不気味さが」あるよね、オカルトな話なのだけど。そこに駆り立てている本人の心の闇は得体が知れず、その生霊の様は下手な怪談よりはるかに怖いよね。一度怖いもの見たさで覗いちゃって僕はgoogle地雷を踏んじゃったのであーる。ああ、失敗。しかし、少し生真面目に考えれば、世の中唯一差別のない死というとても生命や生きるこよにとって高貴な現象に差別(わたしが望めば亡くなった人でもコミュニケーション出来る、意思を表すことが出来るのだという差別)を持ち込んだ罪は重いと僕は思った、そしてこんな倫理観の無い差別主義者がアナウンサーという立場で公共の電波を使って情報発信の仕事をしていたのかと思うとそれも空恐ろしい。
2022年4月2日土曜日
理不尽さに晒されるマネジャー苦悩の原因
世の中のマネージャーにはメンバーのやる気を高めると言う過酷な役目が課せられている。他人のやる気を引き上げるなんて難儀を課せられてかわいそうだねー。だって過去と他人を変えることは出来ないことだからね。それなのになんでマネージャーにはなんでそんな無理難題が押し付けられているのだろうか。マネージャーに押し付けられているのは、業務マネジメントと部下のマネジメントである。その部下のマネジメントの中にモチベーションマネジメントが含まれるわけだ。ロシア軍がウクライナの侵略戦争で思ったように行かない原因の一つに兵士の士気が低いことと言われている。対してウクライナ軍の士気は高い。そもそも、士気は兵士が悪いのではなく。意味不明な侵略戦争そのものにあるわけだけど。きっと上官は責められて知るのだろうな。この構図はきっと多くの会社と一緒だろう。マネージャーにも、メンバーにも、責任がないところで。就業規則や職責を盾に押し付けられるわけだね。あゝ可愛そう。モチベーションは本人が勝手に高くするものであるとも言われるけど、モチベーションを高めるために必要な三要素は、自律、有能感、関係性とも言われる。しかし、自律のために必要なこと有能感のために必要なこと、関係性のために必要なことがあって、そこから考える必要がある。自律と有能感には主体性が、関係性には協働意識が必要だ、これはすでにトートロージーである。
主体性があれば、すでにモチベーションは高いわけだし、協働意識があれば関係性は構築されているからね。
では、主体性があるとはどう言うことかと言えば、なすべきことを定めていて達成するための能力を保有し、発揮している状態だ。そして協働意識とは、他者の主体性を尊重しつつ目的に向かうことだ。だから、主体性にしても協働意識にしてもなすべきことを定めるマインドセットが最も重要と言うことになる。ロシア軍とウクライナ軍の違いを、見ればマインドセットの差が大違いであることは明白である。こうして問題の本質はモチベーションではなくマインドセットであることがわかってくる。そして、モチベーションを高めるためのマインドセットに効果的なのが自律性、有能感、関係性と言うことになるのだけど、マインドセットが高い人は自律性と有能感と関係性が高いと考える方が自然である。
だから産業組織の基本は「何をするか」「誰とするか」のマインドセットなのである。そしてマインドセットこそが、産業組織が原始的な集団であるコミュニティの原理を越えて組織と言う協働形態によって高い生産性を実現できた本質であるとの結論に至る。
今世の中のマネジャー達が直面しているのはマインドセット無き組織のマネジメントという理不尽さなのである。
2022年4月1日金曜日
雑草という草は無い
ロシアのウクライナ侵略はいまだに出口が見えない。第二次大戦末期に一方的に条約を破棄して北方四島を略奪しその後占拠を続け返還に応じないロシアのことだからウクライナの一体性が今後実現することはまずないだろう。国民性といってしまえばそれまでだけど世界には領土的野心をもって他国の主権を侵害しても何とも思わない社会脳に破綻をきしている国が少なからず在るのだ。そしてそういう国に限って、自分たちは社会性含めて優れた国家であると言い放つから始末に悪い。能力の低い人間ほど自分の能力を高く評価するといわれるけど、正しい自己評価が出来ることも人間の重要な能力なんだよね。プーチンはその典型かもしれない強大な権力の座に就いているけど、言っていることもやっていることも支離滅裂だものね。自己認知能力だけでなく社会を認知する能力も低そうだよね。ロシア軍はウクライナ市民を攻撃しまくっているけど。ウクライナ市民というのは外部の者が貼るラベルだよね。実際にあるのは、1つ1つの生命であり人生だ。雑草と言う草は無いことが理解できれば市民とひとまとめにしてミサイルを撃ち込んだり連れ去ったりすることはできないはずだ。自然に対する正しい認識や畏敬の念が無いから自己に都合の悪いものを攻撃し排除し恩恵を独り占めひようとする。嫌なはなしだけど、ロシアが侵略した地域には今後ロシア人とか親ロシア派と言われる人たちが入り込んで喜んで定着しちゃうんだろうね。この戦争が終わった後のウクライナの姿を想像すると北方領土のように痛々しいよね。雑草と言う概念が地球環境を破壊して持続不可能な世界への扉を開いたことを僕たちは思い起こして、それ以外にも無意識に僕たちが貼ってしまっている概念のラベルを点検しなくてはならないのである。
人と話すということ
昨日朝僕は仲間とzoomで1時間ほど真剣な意見交換を行った。その後今取り組んでいる課題の文章の推敲をおこなったのだけど非常に良い感じで推敲が出来た。きっと脳がいい感じで活性化されたんだろうね。そこで改めて人と話をすることの大切さに気付いた。文章を書いたり推敲するのはひとり黙考するものだけどまったく関係ない話でも人と話すことで格段に良い影響があるんだよね。一見関係なく思えるけど雑談や対話は人生を深めてくれているものなんだよね。そんなことに気づいた朝でした





























