2021年11月30日火曜日

振り返り?囚われのバックドラフト現象?の悩ましい朝。

 僕は昨日、自分の人生すごろくを作ってみたくなり、スケッチブックを開いた。作り始めていろいろな気づきがあったのでそれをブログに書いていたのだけど。今朝になって書いたブログを、読み返して振り返っているのかまだ過去に囚われているのかわからなくなってきたのでそのブログを公開するのは一旦見送ることにしたも少し温める必要がありそうだ。自分の過去を記述するのは案外難しいね。客観的に観ているようでやはり主観的だし。未消化な感情まで掘り出すことになる。特にネガティブな感情を掘り返すのは。要注意だ。これも一種バックドラフト現象なのかもしれない

もう少しは掘り出した感情を眺めることにしようと思う

おちつけ

2021年11月29日月曜日

根拠と証拠の違いについて信じた私が馬鹿でしたとならないために



「根拠」は、「ものごとがそうであると主張する理由となるもの」に使われます。

これがあるからこうだと、人が納得できる理由のことを言います。

「証拠」は、「事実を明らかにする為に示す品物や情報、画像や音声などのこと」に使われます。誰もがはっきりとそうであると判断する為に提示されるもののことを言います。

違比較辞典より転載

リハビリで聞いたのは運動は筋肉のこわばりを改善するのか悪化させるのかという議論があるということです。どちらが正しい主張なのかを判断するために必要なのが証拠です。そして積極的に運動しましょうか、運動は抑えめにしたほうがいいよねという主張の理由となるものが根拠です。だから証拠に基づいて主張の正しさを納得させるものが根拠つまり判断に基づいて展開される主張の理由が根拠だね、例えばリハビリ病院がリハビリに力を入れていることは、受け入れている実習生の数が証拠になるかもしれないけどその数では本当に効果的なリハビリが実施出来ていると主張する理由として納得しない人もいっるだろう、しかし他の病院と比較して同じ同程度の患者に対する実施リハビリ時間で日常生活行動の評価得点が高くその視点で療法士の活動評価や学習機会を病院として実施している(評価項目と業績評価の実施、学習支援の内容=育成施策の時間と方法と投下費用が証拠として揃っていれば。リハビリに力を入れているとの主張に誰もが納得するだろう。根拠として成り立っていることになるよね、比較して優位性主張するにはベンチマークとなるものがどうしても必要になるベンチマークがない場合はどうしても従来比で比較するしかない。よく、テレビ通販のサプリメントや健康食品化粧品とかで、当社従来商品比で何倍有効成分が多いというのをみかけるけど、あのパターンだよね、だからより健康に効果があると主張されるとそれは全く根拠になっていないけどね。

だから根拠においては何が主張されているのかもしくは人々は何を納得したいのか重要なポイントなのである。

例えば今回の僕の入院に関してはリハビリを行ってくれる療法士の技能や信念にはかなりばらつきがあると感じている。僕が知りたい(納得したい)のはより効果を上げられる信念を保有し(成果志向)に基づいて最適な施術を行ってくれる療法士が誰なのかである。目標へのコミットメントが弱く施術に信念が感じられない療法士が行うリハビリには時間を浪費しているような印象すら感じてしまったね。

つまり根拠が証拠となるデータに裏付けされない場合主張の背後にある信念とそれを果たしきろうとする態度があれば人は納得できるんだよね。これは入院による大きな学びの一つである

でも世の中には信念を偽装して態度を豹変させる人もいる、僕も経験があるけどこうなるともはや詐欺だ、時折詐欺は騙される人にも落ち度があるといった、声も耳にするけど人は納得を通じて他人を信頼してしまうという習性があって、その習性の悪用を正当化する詭弁はその人の倫理観に大きな瑕疵があるだろうょっとしたら信念を偽装して豹変する人と同じくらい信用ならない。人が根拠を欲しがるの生き物であることをを悪用するわけだからね。だから信じた私が馬鹿でしたとならないためには徹底した証拠集めが必要であるということだ。

リハビリ病院


証拠を集めること


2021年11月28日日曜日

リハビリ闘病記あんよは上手

 僕は今リハビリ専門病院に入院して毎日リハビリに明け暮れている

今日リハビリと言う言葉はよく知られていると思うけど実際にリハビリを受けたことがある人は言葉の認知度よりも遥かに少ないではないだろうか。僕たちがよくリハビリと言う言葉を聞くのは怪我をしたスポーツ選手などのケースがおおいかもしれないね、

あとは僕のような脳疾患、脳出血、脳梗塞、くも膜下出血などを身内の方が起こした場合も漏れなくリハビリが待っているあとは関節の病気や故障怪我や骨折などの形成外科や糖尿病や事故などで義足をつける方などもリハビリを行っている、

僕は正確に覚えていないけど手術して7日目にリハビリを行っている映像が残っていた。手術など疾病に対する治療が優先される時期を急性期と言うらしい。そして急性期を超えると次に回復期が来る。僕が今入院しているのは回復期のリハビリ病院である。急性期の病院でのリハビリと違うのはリハビリの時間も強度も長く強くなることであろう、急性期は絶対安静がもちろんらしいけど、寝たままでいると筋肉はどんどん減って筋肉の質もおちるのだそうな、手術した病院の療法士に聞いたのは筋肉中のコラーゲンは72時間経つと分解していってしまうという話だった、また寝たきりになっていると1日1%の筋肉量が減っていくらしい。また関節が固まってしまうと理学療法士には出来ることが無くなるのだそうで、回復リハビリを行うにはできるだけ早期からリハビリを行うべきなのだそうだ、もちろん病状を鑑みての話だろうけどね。さて僕は専門家ではないので、僕の話は決して真に受けないで欲しい。ちゃんと専門家の診察ではんだんしてもらうことが重要だ。では個人的な感想としてリハビリは楽か辛いかで言えば、決して楽ではない。当たり前に出来ていたことをもう一度学び直すわけだからね、また。動かなくなった身体を動かす際には思い通り動かないという精神的ストレスだけでなく痛みなどもでてくる。筋力とこわばりのバランスなどをみながら療法士はリハビリを行ってくれるのだ。だからそこは専門家にお任せである。しかし、早く回復したいもとに戻りたい家に帰りたいといった感情はリハビリ中は常について回ってくる。その感情とどうつきあっていくのかも辛いところである。

更に自分の身体機能だけでなく自分のアイデンティティの学び直しという痛み、苦しみ自責、悔悟もとには戻れないことへの絶望などからの自分を取り戻す回復もリハビリの大きなテーマであるように思える、しかし学び直しが進むとと自分の体や過去への深い感謝や愛情が湧いてくるから不思議だ、それは、あるがままの今の自分を受け入れてそしてより深く自分を知るプロセスなのかもしれない、回復じゃなくてむしろ再生だね。

僕は日々死んで日々新しく生まれているのだでも前日の僕がいたから今日の僕がいるのである。

今日もリハビリで何回もの立ち上がり練習をしたけど、病気を発症する前の僕は生まれてからいったい何回立ち上がってきたのだろうか。そんなことまでリハビリは思い馳せさせてくれるのである

療法士さんは患者を1回1時間で一日何人も治療しているのだからリハビリのニーズはとても多いのでしょう。今は元気でも将来リハビリを受ける機会は思っている以上にに多いのかもしれないよ。リハビリにはとにかく時間と根気が必要であるようだ。気持ちもそうだけどそれに耐えてくれている自分のの身体にはやは感謝するしかないね、だから毎朝僕は自分にありがとうを伝えるのだ。もちろん僕を支えてくれている全てに対してもだけどね。


正しく座ることもリハビリ。





2021年11月27日土曜日

翔べ翔べエブリバディ

 僕は競馬はやらない賭け事は基本的に好きじゃないのだ。しかし馬特に馬が主人公の映画は好きだ。家にいたときはシービスケットという映画のDVDをよく観ていたさして入院中の今。契約しているWOWOW オンデマンドで夢駆ける馬ドリーマーという映画を観ている、両方とも競走馬が主役なのだけど怪我(骨折)から復帰して。大レースで見事に勝つと言った筋である。なんといっても疾走している馬は格好いい。僕は動物が翔ぶように走る姿を見るのが大好きなのだ。だか僕の犬も翔ぶように走らせて写真を撮っていた。さて、僕が入院した時妻が絵本を差し入れしてくれたその中にも馬が出てくるだけど。その馬は、まるで今の僕に、語りかけるように話をする。馬がさらに好きになってしまうよね。


僕も助けを求めたから今があるのだ。


飛び犬。

2021年11月26日金曜日

尺度を疑う初々しい感性

 僕が入院しているリハビリ病院は理念にリハビリ医療の教育研修、研究の推進と掲げているから、大学の実習生を受け入れている。僕のリハビリにも時折大学生が見学に入るのだけど担当の療法士との話を聞いているのがとても面白い。先日は尺度の話になった。患者の状態を評価するのに色々な尺度があるらしいのだけどどうもそれらが怪しいというのだ。特に古い尺度ほどあやしいらしい。学生曰く主観的な評価になりやすいらしい。主観的な尺度は尺度としては妥当性が低いだろう。だから大学生や療法士の言う通り怪しくなるわけだよね。。その話を横で聞きながらふと思い出したのは。以前とある企業の内定者が内定後の課題として作った動画である。その動画のタイトルはものさし。世の中には人それぞれのいろんなものさしがあるよねと言った内容だったように覚えている。尺度は一見客観性を担保するものに思えるけど実は人の多様性を表すものにもなっているこの内定者という半分学生半分社会人たちの感覚は的を射ていたと思うな。実習に来ている学生の感覚もそうだね。学生達の初々しい感性は物事の感じ方は人それぞれだよね。と語りかけてくるのだ。それは社会で求められる普遍的客観性という枠組みに画一性への圧力などに対する。問いかけであり疑問であるようにも思えるよね。僕はそういうシンプルで初々しい感性ってとても大切だと思うよ。

2021年11月25日木曜日

まずは描いてみよう。

アートの才能を持つ人にグラレコのスケッチブックを、見せた。正直。恥ずかしいところを晒すような行為だと思うけど。作業療法室にはこんなのも貼ってあるし。ドーンとスケッチブックを開いて見せたもちろん本当の恥部は開かないよ(笑)。思っていた以上の好反応でした。
ちょっと感性を刺激されたと言ってくれたのはリップサービスだと思うけどね。

 

2021年11月24日水曜日

違いがわかる?

 人材育成の効果を測ることって結構難しいよね。

効果は本来その組織が目的や目標としていることの達成にどれだけ有効であったかがしめされるべきだ。医療のようにある施術と他の施術に明白な完治までにかかった日数の違いを示すことが出来れば効果を測ることができるけど人材育成において、施策の実施をグループ分けして比較することはナンセンスである。医療のように効果や副作用を明確にすることが社会全体にとって大きな利益になる場合は一定の倫理やルールに基づいて許されるケースもあるかもしれないけどね。だから施策の導入前後でどんな違いがあったのかなどを比較するしかないしかし比較する2群の条件が異なる場合正しい比較とは言えない。勢い主観的な比較と効果の仮説がまことしやかに語られることが多くなる。唯一ちゃんとした効果を表出するには目的や目標などのあるべき姿がどんな能力や態度によって実現され得るのか十分に論理的に構造化され能力yや態度を正しく客観的に評価する仕組みが準備されていれば合理的に効果を説明できるであろう。

この考え方はプロジェクトマネジメントに似ているかもしれない。しかし人材育成は特定のプロジェクトのみで行われることは稀である。むしろ様々な状況や場面においても通用する人材を育成したいというニーズのほうが多いのではないだろうか専門家の育成であれば必要とされる能力や知識は特定しやすいので育成の効果も測りやすいけどゼネラリスト的要素が入ってくると途端に能力や知識の特定が難しくなる。山岳カメラマンであれば登山と撮影に関する能力知識が必要だけどプロデュースやコーディネートの要素が入ってくると必要とされる能力や知識は複雑になってくるコンフリクトも生じるからね。人の身体が還元主義的に再構成できないように、環境に応じた行動も要素や部分の積み上げでは実現できない。統合という概念が必要だからね。


でもそれは人材が普通に発揮している力なんだよね。

そんな昔のこと覚えちゃいないしそんな先のことわかんないよ。


2021年11月23日火曜日

病院から見える橋

僕がいま入院したいる病院の食堂からは川と橋が見える。その橋にはよくjrの貨物コンテナを運搬するトレーラーが走っている。そういえば、窓から見える辺りは南千住あたりである。僕がまだ小さかった頃。今のようにトラックによる集荷など荷運びシステムはまだ整っておらず。実家の商売で地方に商品を発送するときは、jr貨物の荷受け場所があった南千住まで会社の人が運転するオート三輪に乗せてもらってよく来ていた。10歳にならない子供にとってみれば車に乗って出かけるのは大変楽しいことだったのだろう、ひょっとしたら今でも南千住にはjr貨物の施設が残っているのかもしれないね。でもすでに50年半世紀前の思い出。思えば遠くに来たもんだ。窓の外に広がる感慨深い景色なんです。


 

2021年11月22日月曜日

闘病記録

 僕は6/1511時前に被殻下出血と言う脳出血を発症して救急車で病院に搬送され。すぐに、手術入院となった。切開した頭を、止めていたパンを抜いたのが!6\24まあ、抜糸みたいなものですな、リハビリが始まったのは抜糸よりも早くて。6/22そして、ブログを書いたのが7/2回復期のリハビリを、行うために転院したのが7/6でした。7/1から2に、かけて書いたブログやメールは誤字だらけでしかも意味不明なものでした。ご迷惑をおかけした方すみませんでした。ネットで買い物しても何か間違えていて全然決済出来なかったり洋服のサイズをまちがえていたりともう散々。やはり脳疾患の影響を受けていたようです。リハビリの効果もあってそちらは全く良くなりネットの買い物もまったく順調にになりました。そして、前中後の記録であり僕のブログを揉み返すと。疾患前と疾患あとそして転院後のリハビリ中でブログテーマもだいぶ変わったように思えます。疾患前は世間に対する憤りが強くてストレスを溜め込んでいて烏滸がましいい感じ、それ故発症したかもしれません。そして発症直後は自分の状態を認知認識すること見当識というやつですかね。そして。回復期リハビリ中は他者に対する興味関心も湧いてきて何やら面白いことを探している感じです。やはり回復の様子が反映されるのですね。回復って面白いです。文章を書くっていいことですね。苦手なことを習慣にしてみたくて書き始めたブログで発病直前には習慣化による快適ゾーンの蟻地獄• 6月14日んなどと習慣化を批判しているのだけど。結局僕は每日ブログを書くという習慣の快適さによって、発症と闘病の苦しみから救われているのかもしれない。こんなこと気づけるのもブログを書いているからだね。



すごい手術跡術後7日目

ペンチでぽいぽい外していました術後9日目


2021年11月21日日曜日

病で気がつくことを教えてもらう

 「もっとこうしたい」「世の中はもっといいかんじになるはずだ」まだ世間と対峙できていなかった当時の僕には烏滸がましくもそんな信念がありました。いま僕の目の前にはいつも絶望があります。私は知っています。世間を面白くするには世間を面白くしようとするのではなくただ自分が面白いと思うことを黙々とやっていくしかないのだと。しかし今回この頃の自分が文字通りしぬほどがんばってくれたから今の自分がいるのだということも改めて強く意識することになりました。彼が必死にもがきながら前に進んでバトンを渡してくれたから今がある

これは星野源さんの蘇る変態という本のあとがきからの抜粋であるこの本はくも膜下出血で2度の大変な手術を受けた星野源さんの闘病記である。あとがきの中で当時の僕とか彼と表現しているのは病気になる前の星野源さんのことで今の自分と言っているのは闘病後の星野源さんのことである。

さて、このあとがき非常によく出来ている今回僕も脳疾患で治療リハビリ入院中であり、星野源さんが意味することがよくわかる。僕も病気の前後で日常も日常の意味も大きく変わってしまった。それは、新たな学びであり気づきなのであるけど。今の自分があるのは病気前の僕であり。手術を超えリハビリに頑張っている僕がいるからだ。星野源さんは病気の前後でより深く自分にたいして感謝できるようになったのだね。これはピアニスト西川悟平さんと通じるところがあるよね。西川悟平さんも筋ジストニアという難病でピアノが弾けなくなるとい困難直面しその後動く指でピアニストとして復活を遂げている大切にしているのは言霊で動く指にいつもありがとうと感謝の言葉をかけているのだそうだ、

今回入院中の僕をはげましてくれているのは、当時の僕が書いていたグラフィックレコーディングのスケッチブックであり。当時の僕が撮りためていた愛犬ルイの山のような写真である。当時のような躍動感溢れた写真を一緒に走りながら撮ることはできないかもしれないけど、

今ぼくがバトンを受け取っていることに違いない。今後僕ができることは、自分が出来るやりたいことを黙々とやっていくしかないのだ。でも今があるのは、以前の僕がいたからであるそれは間違いなく今回の病気が教えてくれたことである。ありがとう今までの僕、今の僕。もちろんいままでもいまも僕をささえてくれるすべての人やものたちよ。こうして僕は人生の深みを覗き込んでいくのかもしれない。

君がいたから僕がいる

2021年11月20日土曜日

本当に大切なものは目に見えない

 無形資産シリーズ、第三弾は目に見えないものです。本当に大切なものは目に見えないのだよ、とい言うのほ。サン=テグジュペリの星の王子様の有名な一節だけど、僕たちの今の社会においては、繋がり絆、夢、きぼう、勇気、謙虚、慈愛気づき、規範、互助などがそれに該当するだろう。これらはみんな大事に思っているけど行為として見ることはできても、概念そのものを見ることはできないよね。今回の新型コロナ感染では、ワクチンの開発な科学技術の果たしたやくわりは大きいけど、それ以上に一人一人の意識と行動が重要であることが実証されたよね。意識と行動が緩んだところでは。科学技術と法規制を持ってして感染拡大を防ぐことができなかった。そしてたくさんの大切な生命が失われた。大佐でものの順番を間違えたところではクラスターが発生していた。もちろんきれいごとだけでは世の中済まない。きれいごとが大切なのではなくなにがほんあに大切なのかに気づけることが大切なんだよね。産業社会は地縁血縁をベースにしたコミュニティを破壊し産業社会を前提とした人間関係に書き換えてしまった大切なものが余計に見え難くなったよね。

産業化社会工業化社会
が真っ先に破壊してきた大切なものがいま、無形資産として復権してきているのかもしれないね

伝統と情熱も大切なもの。

2021年11月19日金曜日

俗説を疑え。

生まれ順が遅い子は他者を助けやすい…思春期の脳発達が影響こんな記事が配信された

注目すべき点生まれ順が思春期の脳や社会性の発達に影響を与えることを明らかにした、初めての成果となる。という部分だよね生まれた順が性格などに与える影響はもっともらしく様々な説が展開されてきた。裏を返せばこれまで言われてきた諸説はどれも解明されたものではなく、経験則と観察者による仮説に過ぎないということを言っているのに等しい、実はこうした都市伝説的通説がまことしやかに語られるケースは少なくないその背景には実証や解明が困難だけどある人の立場や考え方を補強するのに都合が良いから利用されやすいという状況があるように思える。そういった理論化された通説をどのように実証的に検証するのかは、今大きな課題にもなっている。通説は根拠と言えないからね。これは心理学とか社会科学だけでなくリハビリにおける理学でもおんじような状況があるらしい。ある施術が効果的だといわれているけど本当に効果があがるのかよくわかっておらず最近はその検証が、多いらしい。実証検証が、難しいものは、条件のコントロールが難しいものがおおい。自然科学では。条件をコントロールして誰でも同じ条件の元で再現性を確認することができるけど社会科学では同じ条件を、揃えて実験することはまず困難である。人も環境もも常に変化しているからね。僕はしっかりと検証された根拠こそが科学の本質だと考えている。少なくともそれを守るスタンスを大事にするべきだと思う。もちろん偉人よ思想とそれを支持する人達がダメなわけじゃないけど、思想を科学的な真理であると標榜するのは間違いだよね。科学的唯物論にも問題はかなりあるけどね。1番いけないのはごちゃ混ぜにして都合よく使うことだよね

科学か信仰か


2021年11月18日木曜日

未来の価値は誰のもの?

 僕たちの社会がその資源有限性や環境の脆弱性に気づいたことで僕たちの未来は資源や環境を直接消費しない無形資産に託されることになった。その最たるものがいいね。だろう。フォロワー数登録ユーザー数が個人のそしてサービスの資産となって。情報が消費される仕組みが構築されたのだ。情報の消費はサービス利用を反転させる両面市場を生み出した。利用しているようで実は利用されているのだ。この問題を組織と人に置き換えるとどうなるだろうか、従業員は会社を利用しているようで実は会社に利用されている。実はこの関係性は新しいものではなく古典的な雇用関係なのである。従業員は会社と契約し帰属することで、経済性と社会性の欲求をみたすことになる。会社は従業員を専有し時間を拘束し生み出した価値から収益を上げるつまり雇用関係とは会社という仕組みを使った無形資産の交換システムなのかもしれない、

この事実が露見するのが特許開発に関する係争だよね、中でも青色発光ダイオード裁判は有名だよね。独創的なアイデアという無形資産は会社のものなのか個人のものなのか。もし会社と従業員が雇用契約でなくウーバーイーツみたいに事業者同士の契約であれば無形資産の等価交換システムが成立するのかもしれない。価値をどう算定するかは別問題としてね、要するに無形資産優位の時代において、雇用契約はそぐわないのかもしれないね

実際、おおくの無形資産を生み出せる人は特定の会社には帰属していないよね。逆に会社が必要としていない無形資産を生み出せない人ほど、会社に帰属するとメリットが生じる。会社にとってみても未来の価値たる無形資産はうみだせないけど、資源をかき集めて加工して今日の価値において換金する手数が必要だ。事業と呼ばれる仕組みには人的資源が必要なのだ。結局無形資産の議論とは未来の価値は誰のものなのかということなのかもしれないね。

そう考えると、小学生がユーチューバーを目指すのも案外理にかなっているのかもしれないなぁ

未来の価値はどこにある?


2021年11月17日水曜日

創造性か死か

 欲望の資本主義というNHKの番組で。今はすでに無形資産の時代に突入しているとのことだった。工業化社会では有形資産が財を生み出す資源として需要であったがictの時代を経て人々の欲望を満たすのは無形資産になったというのだ。確かにgafaの価値を生み出しているのは利用登録者とそれらのネットワークという無形資産である人が持つ技術や能力などの人的資産、デジタルソフトウェアなど、モノとしての実体が存在しない「無形資産」。肥大化する無形資産は僕たちに創造性と成長を強要する。創造性と成長が無ければ死が待っているというのだ。しかし実際に創造性を発揮した企業はGAFAを追い掛けているが。そうでない企業はどんどん消えていっている。

一時新卒の採用を行っていたとき応募してきた学生はどんな会社に就職したいですかと質問すると一様に自分を成長させてくれる会社に就職したいと応えていた。その時僕は若者の成長への願望と受け取っていたのだけど実際は成長しなかったら終わりだという社会の圧力がのしかかっていたのかもしれないね。なんとなくその圧力は60歳を迎えるぼくにも掛かっていることを感じる塩見三省さんが表現した俺って社会の異物じゃんと感じさせる社会の圧力だ。今回脳出血になって、いまできることのなかでより深く人生を考える転換点に来ていることに気づいた。より早く成長するのではなく。

ひょっとしたら個人も人生の深みと言うそれぞれ固有の無形資産の時代に突入しているのかもしれません。創造性か死か利用しているようで利用されている皆それに気づいているからね。





2021年11月16日火曜日

 僕の入院しているリハビリ病院には理髪店が入っているこれは外に気軽に出かけられない患者にとってみるととても有り難いことだ。左手足が麻痺していようとも髪の毛は勝手に伸びるからね僕は今日の午後に予約を入れて散髪してもらった。散髪中に理容師さんから梗塞ですか?と聞かれたのでいえ出血ですと答えたすると理容師さんはご主人が20年ほど脳梗塞でこの病院でリハビリをしていたことを話しだした。その後ご主人は転倒してしまい。ご苦労されて亡くなられたそうだ。脳の病気の怖いところは回復後も再発リスクが残ることだよね。その最たるものが転倒である。かといって日常生活行動をするうえで生活圏内はあるき回らざるを得ないから細心の注意と用心で危険を回避しながらリスクに向き合って行かなくてはならないのである理容師さんのご主人はどうやら左脳に影響を受けたようで言語と右半身に障害が出ていたようだ。コミュニケーションがとれないことのご苦労を話されていた。右手の障害で理容業もできなくなったらしい。そんな話を聞いて病室に戻っ俳優・塩見三省さんの脳出血で人生を中断されて。元に戻るのは不可能とわかったとき、声をあげて泣いた」という記事がヤフーで配信されていた。何なんだろう僕に届けられるこれらのメッセージはと思いながら改めて自分の病を身近に感じている今日で発症から丸5ヶ月、リハビリも400時間を超えてそろそろ退院の話も出てきている中で最近僕に届くメッセージは道標であり注意喚起であるように思える今までと違う自分をしっかりと認知し受け入れるよう神様なのか仏様がいろんなチャネルを使って僕に語りかけてくれているのでしょう。西川悟平さんの話もそうだよね。退院後もぼくはずっと良くなっていくつもりだけどそれによってリスクがなくなるわけではないのでリスクを顕在化させない意識行動は常にこころがけていようと固く決意するのである。


散髪だん

2021年11月15日月曜日

コレクションと中央集権的な働きの違い

 ブルックスが定めた人工的な生き物は、認知と知覚の境界が曖昧で、データの中央貯蔵庫や中央計画器もしくは中央推論器に頼らずに行動のコレクションが環境からの入力によって統制されているという特徴を待っている。つまり脳が全てを支配し企てているわけではないないのだ。さて、今回僕は脳の疾患を患い脳細胞が影響を受けたのだけど、結果として一部の運動機能を失った僕の行動のコレクションは多くを脳に依存しているのだ。つまり、実際問題として人間は能の中央集権的な働きによって制御されているのだろう。しかし。リハビリで機能が回復する様子を見ていると行動のコレクションの側面も持ち合わせているようだ。脳細胞は再生しないから歩けるようになることの説明が出来ないものね。説明として受けているのは脳のなかの部分が代替的に役割を果たすようになると言うことなのだけど筋肉は筋肉としての動きのコレクションを備えていることも実感できる。勝手に動くからね。つまり脳は動きのコレクションをより高度に統合してより高度で複雑なな動きを実現する役割を果たしているようだ。そうして僕たちは複雑な生き物であるのでしょう。

これは組織のあり様とも通じているよね。何でもかんでもリーダーが指図してチームメンバーを行動させると言うよりは構成員一人一人の自律的な強みをを統合して組織活動という、高度で複雑な目標の達成をリーダーが実現させるのである。行動のコレクションではなく強みのコレクションがまずはあると言うことだよね。その強みの最上位いちするがいねんがにプロフェッショナリズムなのかもしれないね。。プロフェッショナリズムが統合されることで組織は環境に対して適時適切に応じるだけでなく環境そのものに働きかけることができるようになる。つま環境を自らに対して最適に導くことを可能せしめているのである。




2021年11月14日日曜日

生き物の4つの必要条件と成長の関係。

 身体なくして知能は生まれない。

ルンバの生みの親ロドニーブルックスは人工的な生き物4つの必要条件を掲げている、

1生き物は動的な環境の変化に対して適切にかつ適時に対処しなければならない

2生き物は環境に、対してロバストであるべきである、

3生き物複数の目標を維持可能であるべきである

4生き物は世界の中で何かを成すべきである。

僕はこの四つの必要条件は人工物に限らず人間の成長を考えるうえでの重要な示唆に富んでいると考える。

例えば僕が受けているリハビリには二重課題と言うのがあって。歩行訓練しながらしりとりをするとか急に言われるのだ。僕はそれに対して1適切かつ適時に対処しなければならない。さして2しっかりと安定して歩かなければならないそして3しりとりで勝つ。さらには、他の歩行練習中の患者とぶつからないと言った複数の目標を持たなければならない。そして2こけずにしっかりと歩くロバストさが必要なのだ。リハビリではそれができるようになることを自立と言う。そしてそれができるようになると僕は観察者であり評価者である療法士から成長したと観察評価されるのだ。そして新社会人が組織で成長したと評価されるのも全く同じことかもしれない。会社と言う新しい環境に適切かつ適時に対処し肉体及び精神においてロバストであって。複数の目標を維持して。会社の中で何かを成すことである。さらにいえば、成すべきことを自ら知ること4が大切だよね。カントはそれを自由意志と呼んでいる。要するに成長とは生き物として環境の中で力強く華々しく存在することである。一方で何を成すべきかは生きることの深みから湧き出してくる。ブルックスの生き物の4つの必要条件とは、生命の華々しさと深み両方を備えることに他ならないのである。


満たしているもの。

2021年11月13日土曜日

チームワークを考える

 僕が大事にしている協働とああ考えでは必ずチームワークが生まれる。しかしワークのタスクを分担することがチームワークだと勘違いしている人も少なくないように思える。僕が入院している病棟では複数の看護師さんが連携して働いている。看護師そんは、日勤や夜勤があるから。コンプライアンスを守って働くためにはチームワークが必須である。僕は先日初めて見る看護師さんからちょっと納得のいかない話をされた。そこで僕は事情を知っている僕の担当看護師さんにきいてくれと言ったのだけどそうしたら。私達はチームで動いているから大丈夫ですと言い返された。その時、あ、この看護師さんはチームワークを勘違いしているなと僕は思った。電子カルテで情報を共有して作業分担するもしくはシフトを組むことがチームワークではないからだ。ぼくがいまここに至るまでにはいろいろな出来事があってのものである。過去の出来事もすべて担当看護師と同等に共有出来ているのであれば、ぼくが看護師さんの言い分に違和感を感じることはなかっただろう。僕が看護師さんのチームワークで違和感を感じるのは概ねここに至る経緯と、これから先特に退院後のライフスタイルについての認識相違である。つまり、看護師さんが言うチームワークには肝心の僕が入っていないのだ。つまりチームの目的は僕の看護ではなく僕の入っていないチーム内で合意されたそれぞれの役割を各自が果たすことになっているのだ。もちろん病院が掲げている看護方針で患者は常に中心にいる。しかしこういった現場におけるチームワークの誤謬は役割の細分化と、その範囲での責任意識から生じているように思える。役割不在と無責任よりは遥かに良いのだけど。ひょっとしたらチームワークのトレーニング不足から生まれてくるのかもしれないね。僕たちはチームワークという言葉に慣れすぎてしまっているのかもしれない。それぞれの役割や責任を決める前にチームの定義とその目的に関してしっかりとした関係者の合意と承認が必要なことを思い出すべきであろう。

np賞って何だろう。

2021年11月12日金曜日

トランプが復活する日

 前回のアメリカ大統領選挙では現役のトランプ大統領が(負けた。トランプ大統領と言えば国際的な協調の枠組みを自国の利益になっていないと、ことごとく離脱科学者の根拠を持った話にも耳を傾けようとしなかった。自分に都合の悪いことは全てフェークだと言い放つ姿は見るものを唖然とさせるものであった。さて、病院に入院していると中にはやはり利己的な人がいる。気に入らないと大声で恫喝し、ルールを守らず勝手に行動する。様子を見るに特に高次脳機能に障害を受けているようには見えない。つまり病気ではなく自己中心的な性格なのだ。ひょっとしたら適応障害があるのかもしれないけどそればかりはわからない。しかし周囲の人の接し方を見ていると他の患者よりも気を遣っていることが見て取れる。これは病院に限らず多くの組織で見られる現象ではないだろうか。自己中な声の大きな人を周囲が気遣う現象だ。そういう人が組織のトップだったりすると尚更だよね。nhkのワイルドライフでケニアで珍しく群れる5頭のチーターの話を何回も取り上げているけど。威力で中間をねじ伏せていたリーダーは怪我と共にその座を、追われてしまった。つまり力で群をねじ伏せ続けることはできなかったわけだ。自己中な人が看護師さんたちをねじ伏せているわけではもちろんないけど。自分の気が済むように気遣わせていることは間違いない。病院スタッフの皆さんも面倒は起こしたくないから多少の我儘には目を瞑ってしまうのだろう。相手が患者と言うこともあるだろう。そしきや集団の中の利己的な存在は、いずれその組織や集団を蝕むことになる。だから社会には秩序を乱す人を弾き出す仕組みが自然と備わっている。中にはそれを逆手にとって利己性を発揮する権力者もいるけどね。トランプ大統領もそうだったけど結局は秩序を乱す人は秩序ほ中にとどまることができない秩序が崩壊してカオス化してしまうからね。しかし、カオス化を防ぐために。自己中な人を軸とした秩序を生み出してしまう人たちがいる。僕ば自己中な人よりもそれらの人たちの方が悪質だと思う。自分たちの社会や組織やコミュニティを自ら破壊していくわけだからね。しかし。自己中な主張はわかりやすいのでそれを支持する人はなくならないだろう。おそらく次のアメリカ大統領選挙ではトラ氏がまた出てくに違いない。それはトランプが復活したのではなく。トランプを復活させる人達がいると言うことであふ。そう言う人達には必ず正当化された言い分がある。既存の枠組みや秩序に対して何らかの不満を抱えたいれば。秩序の破壊者は渡に船でえある。つまり社会や組織集団コミュニティに渦巻くネガティブな感情が利性にとっての温床になっているのだ。だからトランプは必ず復活するだろう。それがトランプ氏自身かはわからないけどね。渦巻くネガティブな感情って危険だよね。そらを最大限に利用したのがヒトラーだろう、特に厄介なのは自分に対するネガティヴな感情だよね。たから僕たちは自分に対していつもポジティブな気持ちを忘れてはならないのである。


社会や組織に巣食うネガティブな感情

2021年11月11日木曜日

運慶とは何者か。

 理学療法士はリハビリで僕の身体の腰の位置などを数cm単位で調整する。さながら、仏師が仏像を彫るごごとくだ。せんじつ。平安時代末期の仏師運慶のばんぐみをみたが、その力感筋肉の表現、身体のバランスは見事であった。番組の、中では、ボディビルダーご出てきて立像と同じようなポーズをとったけど、仏像の方遥かに迫力があったね。きっとミリ単位で彫りながら全体のバランスを整えているのだろう。そのようにして作られた立像は凄まじい迫力で、見るものを圧倒する。まさに華々しい仏様の御姿がそこにあるのだ。

しかし運慶は華々しさだけでなく仏像の内部に像内納入品という品々を入れていたらしい。それらは五輪塔や心月輪など仏様の魂を模したものだそうだ。つまり華々しい外観だけでなく仏様の心という深みも仏像に託しているのだ。理学療法士がにくたいを整えてくれる存在だとしたら。臨床心理士とか。心理カウンセラーといった心のケアも同時にしてくれるそんな仏像を運慶は作っていたのだすごいことだよね。華々しさと深さは決して対立する概念ではないけれども。僕たちは時としてどちらかに偏って物事を認知しがちである。運慶がそのことも理解して仏像を作っていたのだとすれば単なる仏師としてとらえるのは間違っているように僕には思えるね。今は僕はかなり運慶の世界に囚われております、




2021年11月10日水曜日

流行はアルデンテが頃合い。

 ファッションの老化。Wikipedia によるとファッションとはある時点において広く行われているスタイルや風習のことである。特に、人々の間で流行している服装を指すが、装いに関係する装身具、美容(理容、髪型、化粧)、香水などもファッションの範疇である。さらに広義には音楽などの文化やライフスタイルまでも包括しうる。だそうだ。このある時点というのは時の流れの中でどんどん過去になっていく。つまり。その時その流行の中核に居た人々はどんどん高齢化していく。これは時間軸で考えればやむを得ないことだろう。流行は生まれ瞬間から古くなっていき新しい世代の新たな流行に置き換えられる運命なのだ。今日ではファッションだけでなくSNSのサービスも同じ道を辿っている。でもこれはファッションやサービスに限ったことではないだろうから。ひょっとしたら生命と同じ理なのかもしれない。世代交代は種にとって持続可能性を高める有利な戦略である。だからこそ持続する生き物は皆その戦略をとっているのだ。だから、ブランドやサービスの老化を嘆くのは。不老長寿を願う想いと同じなのかもしれないね。つまりfbから次世代の若者が居なくなるのは、サービスが生まれた瞬間に決まっていたということだ、一方で、次世代のわかものも惹きつけ続けているファッションもサービスもあるよく見るとそれらは実は細かく世代交代しているのだ。絶え間なくイノベーションを繰り返すことで老化を防いでいるのである。だから僕は何事においても創発を引き起こすデザインが必須だと考えている。しかしファッションやサービスが事業となるとそうもいかなくなる。なぜなら予算という責任が発生するからだ。安定した業績を上げるためには

前例の踏襲が一番系堅実である。変えない方が見通しがきいて皆安心なのだ。

そして無理に変える必要も感じなくなるこれは茹でガエルと呼ばれる状況だね。僕たちが見ているFBは茹でFBなのかもしれないねそうなると次世代の若者から見ればさらに魅力ない姿しか見えないだろう。多くのサービスは定期的にアップデートしているけど生まれ変わりなのか茹ですぎなのかは利用者にはすぐにわかってしまうものなのでしょう。アップルはそこらへんが上手いよね。定期的に発表される新製品はアルデンテ感が強くて欲しくなる。利用者にとっても全く刷新されてしまうことは不都合にもなるから茹ですぎていなければ良いのだ。


頃合い


2021年11月9日火曜日

音声SNSってどうなのよ

 今朝も朝イチで音声SNSの話題を取り上げていた。そういえば、話題になった時知り合いに頼んで直ぐに招待してもらってアカウントを取ったけどその後は全く使っていないなぁ。上手に使っている人たちを見ると自分もあらためて使ってみようかなぁと思ったけどこのところちょっとsns疲れもあってなかなかその気になれない。双方向の音声で信頼感が増すってなんだかオレオレ詐欺も似ているなぁなんて、偏屈な考えも湧き上がってきた。しかしぼくが社会性に置いて重要視している協働空間の観点からは魅力的にも感じられる。弱い絆のネットワークは創発するポテンシャルを高めることは間違いないからね。まあ入院生活中に始めることじゃないだろうからじっくりと付き合い方を考えてみようかしらん。すでに使い込んでいる人はどんなメリットデメリットを感じているのかなぁ

データじゃなくて音声


2021年11月8日月曜日

本当にあった怖い話

 僕は僕の過去の経験や仕事に関して質問を、もらった場合には本当にあった怖い話をする様にしているもちろん守秘義務はちゃんと守ってだ問けどね。その理由は、質問をする好奇心の背後にはより深い関心が潜んでいるからだ教科書的に一般論を答えるよりもぼくならではほんとうにあった怖い話をしてあげることで潜んでいる関心に応えてあげたいのだ。例えば今日は、コンサルタントは経験者採用なんですか?という質問を受けた。なので、新卒採用と経験者採用と既卒の未経験者採用いずれもあるよと説明してあげ、ただし、未経験者採用だと、新卒採用とコンサルティングメソッドの、習得に向けた育成期間が違うんだよと話をしてあげた。新卒だと三年かけて身につけてもらうことを既卒の未経験者だと一年で身につけてもらうらしいと以前聞いたことのある話をしてあげた。コンサルティングファームやコンサルタントの仕事についてのレクチャーと合わせてね。三年かかることを一年でとなるとそれは怖い話であると質問した人もわかりやすいのではないだろうか。時間単価でチャージされる仕組みとかと合わせて話してあげれば当初の質問よりもずっと深く答えていることになる、質問に対端的に答えていないという意見ももちろんあるだろうけど僕ば質問してくれた人との関係性に関心があるのでさらなる質問が生まれるように応えているのだ。お互いにお互いのことに興味を持ち合うということは対話を、行ううえで基本的なことだと僕は思っている。僕はネット検索みたいな人に、なりたいわけじゃないからね。

ひとだもの。


2021年11月7日日曜日

気をつけよう学び

 退院後の生活をデザインし始めているこの頃。もちろん。焦りもあって気持ちばかりが先行してしまうことも少なくない。そんな時は妻に相談をすると的確なアドバイスがもらえる。やはりぼくの心も含めて1番よく見ていてくれているのでありがたいことです。焦りと妄想のデザインよりも今の僕に必要なのは。現実を見据えた新しく生き方のデザインである。僕の心もじつはそれを探しているはずなのにどこかで華やかな人生に未練があってそれで心の水面がざわついて月を丸く穏やかに映すことができなくなっているのだ。そんな僕の心のざわつきを鎮めてくれるのが妻の言葉なのである。ほんとうに救われます。

さてここ数日、ざわつく僕の心は、資格取得学習のことを考えていた。しかし妻のアドレスもあって身近な有資格者から話を聞いてみたら。ネットで検索して出てきた資格取得のオンライン講座はその会社の独自資格であってイメージしていた公的資格とは程遠いものであった、危うく見間違うところでしたそもそもなんで資格取得なのかと言うとどうもそれも焦りの現れでしかないようだ。そこからは腹を括った学習態度ではなく学習機会の検索と選択に走りかけていた自分がみえてきた。ざわついた僕の心の水面にはそれが映らなかったのだ。しかし妻と話をしたところ妻という鏡にはそれがしっかりと映った僕はしっかりと

自分に心の水面にしっかりと丸い月を映すようにしなければならないのである。

ざわつく心の水面には丸い月は映らない

2021年11月6日土曜日

理不尽さを受け入れることがやる気ではない

 ここ数日僕に看護実習生がついていた。要するに大学の学生さんだ。20歳とのこと。子供よりも若い世代である。今日が最終日ということで挨拶に来たので少しはなしをした。すると当初は結構落ち込んでいたのだそうだ。そんな風には見えなかったけどね。ひょっとしたら僕の前についた患者さんの時だったのかもしれない。当然なんで落ち込んだのと聞いたら、実習初日に大学から付き添いで来ている指導教員にできることがあるのになぜやらないのだやる気が足りないのではないかと厳しく言われて落ち込んだらしい。当人は人見知りもあって緊張していたらしい。その話を聞いて、やる気ってどう測っているのかが気になった。先生のはなしを聞くと行動でやる気を測っているようだ。もっと気働きさしろと言う意味だろうか。時に応じて素早く行動しなさいそれができないのはやる気がないからだとなるのかもしれないこれ、でも先日ちょっと書いた立川一門の話に似ているよね。言われなくても察して師匠が、満足するものを出せと言う修行の話である。そう考えると先生の言い分はどことなく理不尽な気もする看護の世界は理不尽な世界であると言うことを教えたかったのかもしれないけど。理不尽さを受け入れることがやる気の証だとは思えない。

やる気はもっと前向きなでポジティブな感情に裏打ちされているものであってほしい我を忘れるほど好きだからそれが行動に現れると言った感じにね。先生が見せるべきなのは。やる気があるのかとがくせいを叱責するよりも看護の仕事が大好きでたまらないと言った姿なのではないだろうか、きっとがくせいはその姿を観察学習して気働きするようになるのだ。学習意欲のある学生にその意欲をどう行動に移させるかが教員の腕であるように思えた。何日か一緒にいて少し実習生に情が移っているのかもしれませんが、


2021年11月5日金曜日

昔話で幸福になろう。

 懐かしさと言う幸福感

人は懐かしさノスタルジーに触れるとドーパミンが出て幸福感を感じるのだそうだ。そういえば何という奇遇か、たまに担当してくれる理学療法士さんは出身が僕の実家の近くでなんと小学校が同窓だった。だからあそこに銭湯があるとか今川焼の美味しいお店とか昔話で共有出来る話が多いまさにノスタルジーに触れる瞬間である。それによって僕は親近感のみならず幸福感も感じていらしい。まさに、ざ、ノスタルジーな世界だものね。しかも今住んでいる街の美味しい鯛焼きやまで知っていてほんとにビックリである。ドーパミンとリハビリの効果は良くわからないけど。脳に心地よい刺激があることは間違いない。それゆえに脳トレをリハビリ後にやると脳年齢が若返るのかもしれないね。この仕組みを解き明かしたら結構画期的なのではないだろうか。僕が、今後取り組んでいこうと考えているナラティブはまさに、懐かしさ、ノスタルジーのオンパレードである。ナラティブインタビューを行うと一様に皆元気になるのはドーパミンのせいなのかもしれない。誰かそんなろんぶを書いていないかなぁナラティブセラピーとかでありそうな気がするけどねー。今川焼のお店ははあけぼのと言う名前であったこともわかってもやもやも解消してあーすっきりよん。ここ数日、麻痺のある身体にこれまでと違う感覚もあるのだけどひょっとしたら同窓の療法士さんのおかげなのかもしれないね。一方で座禅や瞑想で出るのはセロトニンらしいセロトニンは興奮や緊張を抑え心を安定させる神経伝達物質である。だからリハビリで、緊張や興奮が高まっている僕には腹式呼吸がよいのでしょう。アップルウォッチには呼吸というマインドフルネスのアプリが入っているからこれを活用しよう。ドーパミンで脳を活性化させたら腹式呼吸でセロトニンを出して鎮静化する。このセットが大事みたいです。


もはや懐かしい自分(笑)


2021年11月4日木曜日

車上生活あれやこれや

 僕は脳出血をおこしてから車上生活者になった。要するに車椅子で生活しているわけで車上生活者と言うのは大袈裟だし、これまでも日常的に車椅子を使っている人に対して失礼な言い方かもしれない。すみません。先にお詫びしておこう。しかし。車椅子に乗っているといろいろなことに気づく。ひとつは車椅子では解決しない障害も少なくないことだ。普通に歩いているけど。入院してリハビリを行なっていると言うことは身体のどこかに回復「必要とする部分があるのだろう。もちろん。私はここが悪いですと言ったバッチをつけているわけではないので察するしかない。例えば僕の入院しているリハビリ病院には運転のリハビリがある。脳疾患を患ってしまうとそのまま運転することはできない。評価を受け医師の診断と試験場での検査などを受けて運転適性があることか確認されないと運転できないのだ。運転のためにリハビリをしている人は大概普通に病院内を歩いている。それ以外にも言語や高次脳機能に影響を受けている人も歩行は問題ないケースがあるようだ。逆に歩き回ってしまう問題があるらしく立ち上がると鳴るセンサーを付けていたりするつまり脳疾患を患うと言うことはいろいろな面で社会生活に影響が及ぶものだと言うことが車いすから見えてくる。あと、病院内のコンビニとかに、行っても上の棚の商品が取れない。僕の暮らしている社会はバリアだらけなのだ。リハビリで歩行訓練をするとき訓練の終わりはたいがい車椅子までの歩行である。車椅子は僕の安全基地なんだね。リハビリを終えると言うことはかの安全基地からの巣立ちを意味している。今日で僕の安全基地生活はDAY 142となった何日目に地球に帰還できるのかまだわからないけど今日はなんだか、マット・デイモンのオデッセイな気分である。


車椅子は火星みたいなものだ



2021年11月3日水曜日

学習機会を通じて運命に出会い幸せになろう

昨日から僕に看護師の実習(学生)が付いた。少し話をしてみたけ母親が看護師で小学生の時から将来の夢は看護師だったのだそうだ。職業に対す態度は母親の観察学習の結果だろう。ある種、典型的な職業選択態度形成のパターンだと思う。もちろん母親の関わりが、どの前なものであったかはわからない。つめり、自発的な学習なのか、意図的な学習なのかはわからないしかし身近な人特に家族の職業は絶好の観察機会であるし。がくしゆを強化する働きを持っていることは間違いないだろう。患者である僕から見れば大変な仕事を子供の頃から夢として追い続けていることはすごいことだ。実際実習に入ってこれからいくつもの大変さに出会うことだろう。しかし、今度経験学習を通して素晴らしい看護師さんに成長してほしいものだ残念ながら僕はその成長を見届けることはないだろうけどずっと応援しているからね。このように人は様々な学習を通して運命に出会い成長していく。そして自分の人生の意味を感じ取り幸せを感じていくのだろう。そしてその総和によって僕たちの社会は幸せに満たされていくのだ。それは誰かが幸せにしてくれるのではなく自ら幸せになっていく社会の原理なのではないだろうか。僕はそう考えるなぁ。




2021年11月2日火曜日

閃きの源泉は試行錯誤

 何日か前に僕の強みは学習力であるとブログに書いた。そして僕が今受けている心理のリハビリでその背景が少しわかった気がする。僕は割と勘よく物事を理解することが得意だ。これは僕は今、直感や閃きと言われるものである。直感は経験から導かれ閃きは潜在的な試行錯誤から導かれると言われている。僕はいま心理のリハビリでメンタルローテーションと呼ばれる能力のトレーニングを、行っている頭の中で図形を回転させたりして問題を解決するものである。その中の積み木入れと言うテトリスみたいな課題が僕は苦手である。臨床心理士は今回の疾患で能力が低下したのではないかと考えているようだけど僕にしてみたらもともとあまり得意なものではない。なぜなら紙の上のずめんをこころの中で回転させてはめ込むものだからね。同じような課題でも実際に手をうごかすものはあまり負荷なく解くことができる。つまり僕の学習法は試行錯誤型なのだ。そういえばプログラミングにしても企画書作成にしてもなんでも僕は試行錯誤から形にするの得意である。おそらくそう言った無数の試行錯誤があるから何か初見であってもあ、こうするのかなとはっと閃くのだろう。逆に言えば試行錯誤ができないものからはなかなか閃くことがない。これは犬の飛んでいる写真を撮ることも一緒である。何度も撮影に挑戦してあ、きっとこうすればよい写真が撮れるのでないかと撮影方法が閃くのだよねだからぼくにとっては潜在的な試行錯誤なので、ど思いついて撮影したのですかと聞かれても答えることができない。やってみたら良い写真が撮れたとしか答えられないのだよね。閃きは説明できないからねぇ心理のリハビリを通してそんな事がわかりまし


閃きの11月

2021年11月1日月曜日

華やかさと深み

 僕たちは自分自身に向き合うとき深みを感じるよねそして他人に向き合うとき華やかさを感じる。まあ

内向しているときは深くて外向しているときは華やかと言うとわかりやすいかも知れない。友達と出かけるときはおしゃれをするけど本を読むときや瞑想を、するときはあまりおしゃれはしないだろう。もちろうもちろんこれはあくまでも一般的にまあいうことではある。西川悟平さんが指が動かなくなって一一音一音丁寧に音を出したら音の中に音があることに気づいたそうだけどこれは内向している時の特徴的な事かもしれないね。気づきがあるのだ。それはとても感覚的なものつまり認知の深さなのかも知れない。気づきというとなんとなく理性の働きのように思えるけど実は認知、感覚的なもののようだ。例えば風が秋の匂いを、運んできたり時に僕たちははっと気づく。季節の移ろいは代表的なものだよね。内向しているとその感覚が敏感になるのかもしれない。瞑想とかしていると感じられることだよね。自分の身体の、声を聴くとかね。音の中の音とか、からだの声とか季節の匂いとか。認知の気づき合わせて喜びの感情も湧いてくる僕たちは気づきがあると嬉しい生き物なのかも知れないね。だから内向する経験には生きる意味が潜んでいるのでははないでしょうか。だからきっと外向的な、人も座禅や瞑想など内向するのかもしれません。あくまでも個人的な意見ですが。

季節の移ろいは目にも見える