チームワークにおいて葛藤は避けて通ることの出来ない葛藤はチームワークにおける建設的相互作用と紙一重の状態だから忌避してはいけない、むしろチームがより創造的に課題を解決するうえで歓迎すべき状態なのである。しかし、葛藤で気をつけなければならないのは感情が混戦してしまうことである、感情は心が織りなす意識の一種であると言われるが、脳の辺縁系から生じて前頭前野も巻き込んで意識だけでなく理性も支配してしまうので、社会性における賢さを阻害することがあることだ、つまり、チームワークを壊しかねないのである。特に怒りや悲しみといったネガティブな感情はチームワークにとっての危機である。建設的相互相はこの危機を乗り越えるた先にある。対話は、自己信頼、他者信頼を通じて社会性を回復する手段なのである。
2024年10月31日木曜日
2024年10月30日水曜日
物語的自己narrative selfとは
物語的自己と意味の次元
物語的自己(narrative self)の概念は、心理学者のジェローム・ブルーナー(Jerome Bruner)によって提唱されました。ブルーナーは、人間が自分自身や他者を理解するために物語を用いることを強調し、自己のアイデンティティや経験を物語として構築することの重要性を説きました1。
他にも、マイケル・ホワイト(Michael White)とデビッド・エプストン(David Epston)もナラティブ・アプローチの分野で重要な貢献をしています2。
「物語的自己(narrative self)」の概念を提唱したのは、アメリカの哲学者であり心理学者でもあるダニエル・デネット(Daniel Dennett)や、カナダの哲学者ポール・リクール(Paul Ricoeur)、または哲学者メアリー・キャサリン・ベイツン(Mary Catherine Bateson)などが言及しています。しかし、この概念を特に発展させた人物としては、哲学者ジェローム・ブルーナー(Jerome Bruner)が知られています。ブルーナーは、人間が自己を物語として理解し、自己アイデンティティを構築していくという観点から、この概念を深く考察しました。
特性論の課題を越える意味の次元とナラティブ・アプローチnarrative approach
個人のパーソナリティの特徴をその構成要素である特性の羅列としてとらえるのではなく,個々の行動や人生の意味といった解釈された意味の次元においてとらえることが必要である。特性論trait theoryの提唱者として知られるオルポートAllport,G.W.(1961)さえも,個性記述的方法の重要性を認識しており,個々のパーソナリティ特性を有機的に結びつけて具体的な人物像を浮かび上がらせるには,日記や手紙などの個人的文書を活用することも必要であるとしている。
意味の次元の探究を重視するジョッセルソンJosselson,R.(2006)は,人びとの人生経験は過度に単純化された測定尺度や人工的な実験条件を基に中心傾向や統計的に有意な集団差を追究する試みの中で見失われてしまったと指摘し,ナラティブ・アプローチnarrative approachこそが人びとの人生を生きられているものとして観察し分析することを可能にするとしている。
また、心理学者であるダニエル・マクアダムス(Dan P. McAdams)もこの分野に大きく貢献しており、彼は「物語的アイデンティティ(narrative identity)」の理論を通じて、人間のアイデンティティが自伝的な物語を通じて形成されると説明しています。
2024年10月29日火曜日
なりたい自分になる方法
結論から言ってしまえばなりたい自分になる方法はそういう人を見つけて模倣することである。しかし、多くの人が間違うのは模倣はその人の気持になろうとすることだと考えることだその人のような心持ちになればその人のように行動できると考えるが現実はその逆なのである、見えない心を模倣することは出来ない。模倣できるのは行動だけである。そして、行動を模倣すると心は行動に付随して創発する。つまり、行動を模倣すれば、心持ちも似てくる(確認のしようは無いが)というのが実際なのである。
2024年10月28日月曜日
教師の役割
多くの人のライフレビュー(ナラティブ)インタビューを行いかつ高校の教員、大学で学生のご指導にあたる教授のお話などを総合して考えると、小学校の先生と中高の先生と大学の先生の役割の違いを感じざるを得ない。以下は全くの私見であるが、小学校の先生は生きる自信を与え人生の指針となる存在に思える。自我が芽生える際にその自我の芽吹きを促す種を温める春の日差しの如く優しく見守ることで生徒の自我自覚がまっすぐに芽吹くことを促す役割を果たしているのではないだろうか、中高の先生は芽吹いた自我自覚が更に強く伸びるよう強い日差しであり、ときには(受験や規律など)嵐のような試練を与え更には世界の広さを展望させ、成長の可能性を加熱する役割を果たしているように思えた、そして大学の先生は、知的賢さ社会的賢さの獲得、発露を触媒する役割に思える、もちろんこのような分担論は専門家によって多くの議論がなされていると思うが必ずしも整然と上手く行われているとは限らない。
2024年10月27日日曜日
必要とされることだけが意味の尺度ではない
精神科医のビクトールフランクルはナチスの絶滅収容所で明日をも知れぬ状況を、どんなに絶望的な状況においても生きることには意味があると考え生き抜く。そして、生き抜いた先に待っていた愛する人達の死と孤独という絶望的状況も同じように生き抜き生きることには意味があるという精神を健全な精神を保つ心の働きに核心を持ったのである、一方、現代の若手哲学者マルクス・ガブリエルは本来的にあるべき自分に近づくことで生きる意味を知ることが出来るのだという、象徴的な出来事はガブリエルがテレビの番組収録でニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンを歩いて居たときに若者から生きる意味を問われ、それに対してそう応えたのだが、実はフランクルも、戦後、社会が復興する中で虚無感に襲われる若者達に出会った。いつの時代でも生きる意味を見つけられないのは若者の特権なのかもしれない。フランクルは自己過剰観察(ネガティブな観点で自分を見つめすぎることで、ガブリエルは運命と出会えていないことで本来的でないと感じることで意味を感じられないと考える困難を乗り越えて生きて来た自分を知れば自己過剰観察は防げるし、運命に近づくという行為行動が意味を与えてくれる前者はリフレクションと呼ばれ、後者は探求である、兎角経済的価値観から必要とされることだけが価値の尺度だとと思いがちであるが様々な経験を積むこと、何かを追い求めることから意味が生み出されることをフランクルとガブリエルは教えてくれるのだ。
2024年10月26日土曜日
抽象と具象の言ったり来たり。
抽象化とは、物事の共通性を見出し知識を可搬する手段である。例えば紙にりんごと書いて他の人に手渡せばりんごという概念が他の人の手に渡ることになるこの場合りんごという言葉はりんごという概念を表象しているさらに紙に文字を書くという行為は実際のりんごではなく概念のりんごを抽象化する行為である抽象化されたものをさらに抽象化する行為であって、他人の手に渡ったメモに書かれたりんごは、もちろん本物のりんごではないしかしそのメモを手にした人は過去の記憶の知覚の記憶リソースを使ってりんごという具象の知識を生成することが出来る、これが、抽象化による概念の可搬性である。具象であるりんごは触ることも嗅ぐことも味わうことも出来るが抽象化されたりんごは、情報として読むことしか出来ない、非現実のものである。
2024年10月25日金曜日
苦しみの意味
この夏、稀代の若きアルピニスト2名が人類未踏の高峰K2西壁の頭頂に挑み滑落死するという痛ましい事故に遭遇した。経験豊富な彼らにとってみればその登頂がいかに危険なものであるか充分にわかっていたことであろう。恐らくは事故に遭うその瞬間までなんでこんなに苦しいことに挑んでいるのかと自問自答していたに違いない。登山に関わらず困難に挑むということは苦しむこととに相違ない。むしろ苦しんでいる時人は何らかの困難に立ち向かっているとも言えるのである苦しみの意味は言い換えればなんらかの困難を乗り越えている自分の限界に向き合う状態である、つまり己を知り己を変える瞬間に在ることを苦しみという感覚が教えてくれているのである
2024年10月24日木曜日
優しい無関心?
人の優しさを考える2日目、初日の昨日は優しくない老害だったけれど、今日のテーマは無関心相手を思いやって気になるけれど敢えて触れないのが優しさだと昨日書いたがそもそも気にしないというのは無関心である、もちろん無関心は優しさじゃない。認知の際の選択肢の創発に優しさは宿っているものであって、無認知は問題外なのである。触れないという選択と無関心は月とスッポンといった違いがあることを私達は決して忘れてはならないのである。
2024年10月23日水曜日
人の良さと優しさは違うというお話
障害を負ってデイケアで高齢者と居ると老害の意味を考えさせられることが多い、もう、現役を引退しバイデンのごとく認知に衰えの傾向が見える高齢者の言動にが目くじらを立てるようなものではない。しかし、労わりたくなる人と癪に障る人が居るのは事実で、その違いは、優しさにあるように思える、癪に障る高齢者は、障害を負った姿を嘲笑までではないが気にする素振りを見せるつまり優しい気遣いが出来ないのだ、でも、そういった高齢者も、他の高齢者から不人気というわけでもない。気さくに応じる気難しい老人ではなく人は良いのだ。しかし気になるけど、気にしないといった優しさが欠落している、でも、他人受けが悪いわけでもない、要は人の良さと優しさって別物なのである。それを認知機能の衰えで片付けることも出来るけれど、基本的には本来的なその人の様相に思えるし優しい老人は老害にはならない優しい老人になろうと思う
2024年10月22日火曜日
玉磨かざれば光無し
生まれたときから光を放っているのはかぐや姫だけである、成人になって輝いている人は生まれ持った輝きではなく、人生の旅路の中で磨くことで輝いているのだ。人を輝かせるのは困難や輝く人との出会いだ。玉磨かざれば光無し
2024年10月21日月曜日
問題解決能力(馬力)よりもバランスを見つける平衡感覚を
選挙は期日に投票所に行って投票するもの、近年の期日前投票の活況ぶりをみるとそんな民主主義の当たり前がもはや機能していないことは明白だ、こういった機能していない社会の当たり前の背後にある実情の認知こそが社会問題解決の糸口になるのではないだろうか、社会的課題とされる投票率や出生率の低さを社会の当たり前で解決しようとしたって無理難題なのである。何故ならそういった課題は複雑な相互の関係性から創発する社会現象で意図不在還元不能だからだ類推アブダクションで原因を特定し解決することが出来ない現象であることをそもそも知る必要がある。創発的問題は問題解決能力では解決出来ないにも関わらず、問題解決能力を採用基準に据える企業は少なくない。創発的問題に必要なのはバランスを認知する力なのである。創発的問題の背後で起きている現象にどう気がつけるかこの見えにくい現象間のバランスを整える平衡感覚こそが今必要とされる力なのである。
2024年10月20日日曜日
正しい自分であれという社会的潔癖圧力
アンコンシャス・バイアスに心理的安全性と、心に潜む目に見えないものを問題視して補正しようとする圧力が近年増しているように思われる私達の認知や心の働きに様々な傾向性があることはデータサイエンスが解き明かしてきた、そして、本来的な自分らしさこそが正しい人の在り方であるという、信念がそれに追い打ちをかけ、自分らしさを阻害する様々な要因を悪とみなす圧力が高まっているとも言えるのではないだろうか、瞑想でも雑念が生まれることを否定しないように本来的な自分らしさとはありのままの自分であって、社会の文脈や他者との軋轢を切り離すことでは無いはずだ。バイアスも心理的な安全性足りていない状況も、心や知識を生成するうえでは、重要なリソースだ。それらが、社会問題を創発するのも自然の一部なのである。要するに過度に心の働きを問題視する必要はなく、社会問題と認知した際にそこで学習をすれば良いのではないだろうか、
2024年10月19日土曜日
相対化が知識の生成にとって重要なわけ
物事を相対化するということは、メタ認知とメタ認知を可能にする仕組みが必要になる。メタ認知を可能にする仕組みとは情報を認知のリソース化する仕組みでもある。認知リソースになると、知識生成の資源になる。新しい発見や気づきの源になるのだそれ故相対化には重要な意味があるのだ
2024年10月18日金曜日
ジャーナリングの肝、無駄なことを日々遺す意味
アイフォンをもう10年以上つかっているけれど使い始めには無かったけど、いつの間にかアイコン表示されるようになっていたアプリがある、ジャーナルはそのひとつ、はじめは何するものかわからなかったけれど、どうやら日記のようなものらしいということがわかってそれから毎日使うようになった、とにかくルール無用で思い浮かんだことを書き込むツールらしい。そういえば、かつて銀行の支店で働いていた時ジャーナルという言葉は日常的に聞いていた、違算がおきて一日の勘定が合わないときはジャーナルが命になる。その日のあらゆる計算を記録されている。電卓(加算機)から吐き出される紙で、それを使って全ての取引を調査して、間違いをあぶり出すのだ、さて、アイフォンのジャーナルにはもちろんそんな目的はないしかし、その日を振り返り俯瞰することで内省的な効果が得られるというものかもしれない。多くのアプリは何か明確な目的を達成するために使われるのに対してジャーナルは、とにかく記録するという目的の曖昧なものである、銀行で働き始めたとき加算機になんでロール紙がついているのかわからなかったけど、ジャーナルアプリは似たようなものかもしれない。よくわからないけれど毎日使えるアプリということである。恐らく、日々の振り返り記録が目的であれば日記の方が良い。しかし毎日日記をつけるのはかなり負担の伴う高度な習慣である。そこで、日記よりも手軽で日々何かを記録するツールということでジャーナルがあるのだろう。人によっては日記を書く時のネタ帳になるかもしれない。要するに、日記や、内省のリソースを貯めるのがジャーナルなのだ。内省や日記の中で行われる創発(知識の生成)にはリソースが必要である。主たるリソースは経験や状況に埋め込まれているのだが、砂浜のダイヤモンドみたいに埋もれてしまうと二度と掘り出せないから、掘り出しておくことが大事なのだ。
2024年10月17日木曜日
心を測る技術ではなぜ人は測れないのだろうか
心理学では心を測る技術が長年培われてきた心理測定理論は人の心の様々な様相を測る尺度ものさしを生んできたしかし特性論trait theoryの提唱者として知られるオルポートAllport,G.W.(1961)さえも,個性記述的方法の重要性を認識しており,個々のパーソナリティ特性を有機的に結びつけて具体的な人物像を浮かび上がらせるには,日記や手紙などの個人的文書を活用することも必要であるとしている。
意味の次元の探究を重視するジョッセルソンJosselson,R.(2006)は,人びとの人生経験は過度に単純化された測定尺度や人工的な実験条件を基に中心傾向や統計的に有意な集団差を追究する試みの中で見失われてしまったと指摘し,ナラティブ・アプローチnarrative approachこそが人びとの人生を生きられているものとして観察し分析することを可能にするとしている。
このようにオルポートもジョッセルソンも心理測定では人を測れないという限界性に早々に気づいていたのである。人とは多様な経験が多層になって、複雑性を見せる存在だから、ある側面からだけの測定では、人物像は浮かび上がらないのである。
「意味の次元」という概念は、人生や経験、価値観における「意味」の多層性や複雑性を指す場合に用いられます。この考え方は、人生の意味が単一的で固定されたものでなく、さまざまな側面や視点から捉えることができるということを示唆しています。ここでは、いくつかの「意味の次元」について考察します。
2024年10月16日水曜日
人生100年時代の経営者
脳卒中のリハビリで通うデイケアは高齢者のコミュニティである、ここで言う高齢者は75歳以上を指していて、行政上のな定義よりも実態に即した定義である。その中には、元経営者は居るが現経営者は居ない、要するに経営者のライフシフトの現実的なラストステージなのである。確かに認知症予防の運動は大切だし高齢者にとっては介護されることも心理的には抵抗があるだろうが、身体的自己の衰えは抗いようが無い。しかし身体性から切り離された物語的自己は衰えとは無縁である。終活という言葉も日常的に聞くようになったけれど、終活ではなく、経営という苦難を乗り越えたラストステージは、いかなる舞台であるべきか、人生100年時代において経営者に遺された最期の困難に向き合う経営課題と言えるのかもしれない。引退後は悠々自適の極楽三昧という生き方もいいが、それは、いち早く天国に行くのとなんら変わりがない。天国はあったほうが都合がいい、必死に生きてきた人の行きつく先が無であっていいはずがりません。だったら天国で贅沢三昧していると思った方がいいじゃないですか。これはアニメ葬送のフリーレンに出てくる台詞なのだけれども、経営者にもあてはまる。必死に生きてきた経営者の行きつく先がデイケアであっていいはずがありません。だったら天国でだったらこの世の天国で贅沢三昧していると思った方がいいじゃないですか。という都合良さは確かにある。経営者のラストステージはこの世の天国で贅沢三昧というビジョンもあるが。困難に立ち向かい成長し続ける充実した時期を送るというビジョンもる。もちろん、いずれのビジョンを選ぼうともそれは自由である経営者はバゲットリストに何を書くのだろうか。
2024年10月15日火曜日
対立を煽るのがアメリカンスタイル
大谷の活躍もあってポストシーズンのニュースが騒々しいがMVP争いなど、実はMLB機構側が対立を作り出して盛り上げていることがわかった要するに、対立で盛っているわけである。この構図、野球のようなエンタメだけでなく映画、選挙、戦争あらゆる場面で登場する社会の分断も、自作自演の部分が少なくないのだ。このターゲットにされる当事者はたまったものではない。日本は戦争に駆り立てられ原爆まで落とされるはめになった。この分断と対立は南北戦争など歴史的に積み上げられてきた闘争心を培う暗黙知であり、形式知なのかもしれない。
2024年10月14日月曜日
選挙における賢慮とは
アリストテレスの枢要徳の要諦である「賢慮」は「思慮」や「知慮」などとも訳され、ギリシア語では「フロネーシス」と言います。アリストテレス倫理学における最も重要な用語の一つです。賢慮という徳は、ひと言で言うと判断力のことです。倫理学とは「たいていの場合そうであるところのもの」を扱う学問で、数学のように「常にそうであるところのもの」を追求する学問ではありません。そのため、自分が直面しているのはどういう状況なのか、その都度、的確に判断する力が必要になります。個別具体的な状況を的確に見て取り適切な選択を下していく力、それがすなわち「フロネーシス」さて、身近なところで賢慮が求められるのが選挙だ。これまでの経験で言えばあまり大きな状況(政権交代とか)に目を奪われて選択してしまうとろくなことにならないから賢慮とは言えない、その反省からもまずは身近な状況は何なのかスコープを定めることが重要なようだ。
2024年10月13日日曜日
欠落したものに気づくことを知識と呼ぶ。
日常生活の当たり前は私達の欠落を覆い隠してしまう。これは、認知の手前、知覚に潜んだトラップだ、例えば視覚でもゲシュタルト崩壊と呼ばれる現象が知られている。ファウスト(Faust, 1947)は,図形などをちらっと見たときにはそれが何であるか知覚できるのに,そのまま注視し続けると,すぐにそのパターンの全体的印象が消失し,わからなくなってしまうという失認症の症例を報告し,このような現象を"Gestaltzerfall"(ゲシュタルト崩壊)という用語を使って記述しました。このような現象は知覚に限ったことではない。触覚でも同じ刺激をずっと受けていると感覚できなくなる順応と呼ばれる。このように慣れと疲労が欠落を招くのだ。私達の知覚は、変化や相違を敏感に見つけ出すことに最適化されているため、当たり前の中に潜む欠落が見つけられない。さらに、正常化バイアス、確証バイアスといった心の働きがこの現象を後押ししている、だから、当たり前を疑うという態度は賢慮において極めて重要な知的態度(知性)なのである。
2024年10月12日土曜日
行動習慣の果たす役割
行動習慣は、生活のリズムを作るのに有効なだけでなく、その人の性格と呼ばれる、安定した傾向性を培う、日々の小さな達成はより大きな困難への挑戦に勇気を与え、人生の可能性を広げていくこうして行動習慣はその人の人生の行く先を拓いていくのである。こうしたことから、人を育てる立場にある人は良い行動習慣を促すが、育つ人は自立への心理的リアクタンスから、それに抗う(自分の習慣は自分の自由意志で作るという態度を持つわけだ、情報化社会はこの圧力とリアクタンスの攻防に依存というメカニズムを持ち込んだ。依存とは、行為行動に対する報酬(内的、外的な)が連動することで行動習慣を形成させるものだ、アメリカではtiktokのこの仕組みに訴訟まで起きている。依存が社会的な害悪となっていると考えているわけだ。要するに、行動習慣は個人の可能性を拓くだけでなく社会的害悪にもなり得るのだ。アリストテレスは、行動習慣を美徳という概念で構成した、枢要徳とよばれるその概念には勇気だけでなく賢慮(善悪の思考)正義(他者やコミュニティを重んじる)節制(我慢する)という行動習慣の重要性を説いている、行動習慣は未来の可能性を広げ運命(意味ある人生)へと導き同時に良い社会の礎ともなるのだ
2024年10月11日金曜日
論拠と根拠
フェイクニュースに陰謀論誹謗中傷が横行する時代、テイラースイフトが表明した自ら語るという態度は大きな示唆であった、何が正しいのかということは当人が語るのが一番である、ということだ、もちろんそれは本人についてではあるが、論拠の論は当人の論である。しかし当人の論が正しいか否かは根拠が必要である。つまり、論拠は根拠とともにあることが大事なのだ。しかし根拠も当人が揃えると嘘くさくなる。根拠はステークホルダーでない人が整える必要があるのだ。もしくはステークホルダーで無い人が揃えたものということになる
2024年10月10日木曜日
自分の流儀がある人はなぜ仕事ができるのか。
匠が技を繰り出す際に見せる一連の動作を流儀という、それは、技の準備であるとともに、技の一部でもある。流儀は形として口伝継承され、技の中の精神性を表象するので、合理的なプロセスであるだけでなく達成へのマインドセットという意識面での効果も重要な役割も果たしている。野球ではイチロー選手のルーチンや大谷選手のルーチンが有名だし、ラグビーではニュージランドのハカなどが良く知られている打席や試合に向かう流儀、が強く意識されていて、ヒットを打つ、試合に勝つといった目的に向かっていくのだという覚悟を心に刻むのである。
創発という認知的変化も、心の働きだから、流儀という心のエンカレッジメントが創発をスレービングし、脳の活動を活性化し、知識の生成も身体性も向上させることは明らかだ、そしてそのことを知っている人は服装にしても、道具にしても、自分の流儀で仕事に望み、目的を果たす。すなわち仕事が出来る人なのである。
2024年10月9日水曜日
経営者の人生
企業経営者にとって企業経営は地続きの人生の一部である、それゆえ、良し悪しは別として企業の中に、経営者の人生は組み込まれているしかし多くの場合、経営者の人生の多くは謎だ、謎であるということは、認知リソースとして活かされないことを意味する、なぞなぞではないが、社内にあって活かせないリソースって何だ?というと経営者の経験リソースということになる。しかし経営者は経営という職務の中で自分のリソースを使っている、要するに社員にとっての謎は組織の舵取りに活かされているのだこれは気持ち悪いことだよね。お化けが出るトンネルの中を歩いて行くようなものだ。背筋が寒くなる。経営者は会社をお化けトンネルにしないために自分の認知リソースを開示するべきなのだ。
2024年10月8日火曜日
組織論と学習論が交錯する人材開発・組織開発の現場
組織とは何か、故青沼吉松氏の答えは産業組織とは協働の形態であると言った。この言葉にはいくつかの要素がある、一つは協働という人と人の関わりであること、そして協働には常に生産性の目的が内在しているというものだ。産業組織において人は常に他者と生産性を上げるために積極的に関わることが暗黙のルールになっているのだ、だから、人材育成にしても、1on1にしても、これに異を唱える人はいない個人において生産性を上げる手段は学習による熟達だ、また、人と人が関わることによる建設的相互作用といった創発的学習による新たな知識の獲得も、生産性に大きく寄与することが確認されている。組織論においては組織における人はコミュニケーションというインターフェースを駆使してあらゆる学習により生産性を向上させる存在である。学習論的に産業組織における人は生産性を上げるために学習する当事者である。人材開発はまさに当事者化の促しであり、組織開発は学習が機能するように関わりを調整することである。要は産業組織では組織論と学習論が一体化してしまうため、時に混乱が生じる。何故なら、組織論と学習論は一体では無いからだ。この混乱は、人が異なる種類の組織をトランジション(移行)する際に表面化しやすい。例えば大学から産業組織への移行(就職)が顕著であるが、産業組織間のトランジションでも表面化する。組織が保有する学習論には強い固有性があるからだ。人材開発、組織開発は常に複雑な混乱の渦中にあって模索する日々が続くのだ。
2024年10月7日月曜日
雨垂れ石を穿つ・アンコンシャス・バイアスポリティカル・コレクト、さあどうするはどこ?
先日終わったNHKの朝ドラ「虎に翼」で最終話近くでドラマのテーマになったのがこの雨垂れ石を穿つという話だ。この場合石とは、家族主義的な慣習によって固められた社会や法律であった、その中それらを変えていこうとする女性たち(雨垂れ)と道を踏み外してでも特別な自分でありたいという願いと、ありのままの自分で生きることの葛藤が描かれた非常に現在の社会課題とも密接に関わる話であった、私はこの雨垂れ石を穿つという言葉を聞いて学生に越境学習の実践を通じて身の回り3メートルの社会課題の解決を指導される法政大学の長岡教授を思い浮かべた。大きな社会課題をいきなり解決することはできないけれど、身の回りにだって解決できる社会課題があるよねという考えは、現実的な社会課題解決「石を穿つ」実践なのである。同様のことは社会という大きく複雑な機構でなく、帰属する組織であったり家族の間でも同様である。マザーテレサが、マザーテレサの大きな愛に感銘を受けた人に、まず自分の家族を愛しなさいと諭した話は有名だ。アンコンシャス・バイアス、ポリティカル・コレクトなど、社会に存在する多くの石が掘り出される中、それらにどう向き合うのかという話は置き去りにされている、でもそれらは、政治団体や活動家または、経営者だけでは解決出来る問題ではないことを知る必要があることは間違いない。
2024年10月6日日曜日
自己組織化してしまう組織
複雑系科学の叡智の1つは自己組織化という現象の理解である。要素の複雑な関係性から秩序が自然発生し、やがて、散逸していく現象は、私達の身の周りにありふれていて、私達もそれを受け入れているが時に巻き込まれ翻弄され苦闘する。この自己組織化という秩序が自発する現象は味噌汁椀の中に観察することも出来る、そこには神の意図も無ければ要素に還元することも出来ないことは明らかである。神様は味噌汁椀の中の出来事には興味も無いだろうし、麦味噌なら自発し、赤味噌なら自発しないなんていうことも無い私たちの思考が大好きな還元主義もアブダクション(類推)も無いのだ。さて、味噌汁ではないが、産業組織にも、同様の現象は常に発生している。しかし、目的をもって組成した人にとって、意図不在還元不能な秩序など、認めたくないし、認められない。この宇宙を支配している真理などよりも、自分の脳が生み出す意志の力を信奉したいのだ。だから、秩序をデザインし、支配しようとする。組織において自発する諸問題において、組織構成員はそれを生み出している当事者でもあるから、自ら複雑性への関与を変えれば秩序が変わる可能性を秘めている。意図不在、還元不能ではあるが、当事者として影響を与えることは可能なのだ、自分の行動を変えれば自分が属する組織やコミュニティは変えられる、しかし意図したように変えることは出来ない、その集合体が社会なのである。自分の行動を変えるためには自分の今の行動を知らなければならない、これをモニタリングという、要するに自己認識だ。自己認識の手段として最も良く知られているのは鏡だ、鏡を使った自己認識(鏡面自己認識と呼ばれる)はタコも出来るがイカは出来ないらしい。そして、モニタリングが出来た後行動を変えるのはコントロールだ。そして、コントロールしたことで、秩序が変わる(というより新しい秩序が生まれる)のだけれど、それは、意図されたものではなく、創発したものであることを理解することは重要である。
2024年10月5日土曜日
創発的学習を止めるな
人材育成の手段として内省や対話が注目されるが、内省や対話の核心には創発的学習がある、
しかし創発とは還元不能意図不在な現象だから。狙って学習を起こせるものではないはずなのに仕組み化するものが出現するのは極めて不思議な現象である
創発的学習(学習者同士や環境との相互作用を通じて、計画されていない学びが自然に生まれるプロセス)を妨げる要因には以下のようなものがあります。
1. **固定されたカリキュラム**: 事前に決められた、厳密なカリキュラムや教育計画は、創発的学習の柔軟性を制限します。固定されたカリキュラムでは、学習者が興味を持った方向に学びを進める余地が少なく、自由な発見や予期しない学びが生まれにくくなります。
2. **過剰な指導**: 教師や指導者が学習の方向や手法を厳密にコントロールしすぎると、学習者が自発的に考えたり、独自のアイデアを発展させる機会が減ります。これは学習者の自主性を抑え込み、創発的学習を阻害します。
3. **恐れや失敗への不安**: 失敗を恐れ、批判や罰を避けようとする環境では、学習者がリスクを取って新しいアイデアを試すことが困難になります。創発的学習には試行錯誤が不可欠ですが、失敗への恐れがそれを妨げます。
4. **競争的な学習環境**: 学習者同士が過度に競争を強いられる環境では、協力や意見交換を通じて学びを深める機会が減少します。創発的学習は相互作用を通じて発展するため、競争が強調されすぎると共同的な学習が阻害されます。
5. **多様性の欠如**: 学習者や教員のバックグラウンド、考え方、アプローチが画一的であると、異なる視点や新しいアイデアが生まれにくくなります。多様な視点や経験の交換が、創発的学習のきっかけとなるため、多様性が欠如すると創発が生じにくくなります。
6. **時間や空間の制約**: 制限された時間や狭い空間での学びでは、自由な発想や思索が妨げられることがあります。創発的学習は予期しない瞬間や環境で起こることが多いため、自由な時間や場所が確保されないと、その機会が減ってしまいます。
7. **技術的な障壁**: テクノロジーの不適切な利用や技術への過度な依存も、創発的学習を妨げることがあります。例えば、学習者間の交流が制限されたり、独自の発想を広げるための時間が削がれると、創発が促進されにくくなります。
8. **過度な評価指標**: 学習の評価が点数やテストに過度に依存している場合、学習者は「正解を出すこと」や「評価を上げること」に集中しすぎて、創造的な学びを探求する余地がなくなります。これにより、偶然の発見や自発的な学びが制限されます。
これらの要因が存在すると、創発的な学習が起こりにくくなり、学習者が自ら学びを進めるための機会が奪われることになります。
要するに人税育成において行われる研修のデザインやDX化は創発的学習にとっての阻害要因なのである。
2024年10月4日金曜日
対話や内省の手段化と、信念の葛藤組織論的対話内省対学習論的対話内省)
対話や内省にお作法があるのは、単なる手段でなくそこには主義信念が宿っているからだ。しかし、宿る精神とは別に、対話や内省が持っている認知的効果(創発による知識生成)を人材育成に活かそうという目論見が多いように思える。要するに学ばせるための仕掛けとして対話や内省を用いて学習効果を上げようと考えているわけだ、しかし、対話には相互の平等性の確保、互報性といった基本理念があるし、内省には個人の選択肢を創造するための経験の理論化というステップが必要で、それを見失うと単なる反省になってしまう。生産性を上げるために学習効果を出すこと以上の信念が必要なのである、が、アンラーニングにも組織論的アンラーニングと学習論的アンラーニングがあるように、対話と内省にも、組織論的対話内省と、学習論的対話内省があるのだ、対話内省のお作法は学習論的に定められているが、手段化された対話内省の多くは、人材育成的な学習に最適化されていく傾向にある
2024年10月3日木曜日
魔法それとも呪い?キーマンの人生が社員の人生にかけている魔術
魔術のうち、原理や構造や組成がわかっていて操作出来るものが魔法でわからないものが呪いだそうだ、もう少し平易に言うと防御や解除が出来るのが魔法で、出来ないものが呪いということになる。さて、組織において、経営者人事部長、上司といったキーマンは、社員に魔術を施す人だ、その魔術が魔法であれば、社員の人生はより良くなるが、呪いの場合、社員の人生は呪われることになる、さて、社員に施す魔術が魔法か呪いかは、キーマンの人生にかかっている。強いパワハラを経験した人は立ち場が逆転したときにパワハラを繰り返しやすくなる。これが呪いだ、一方、良い上司に恵まれた社員は自分が上司になった時仕事の仕方だけでなく、仕事への向き合い方なども支援する良い上司であることが多い。これが部下にかける魔法だ。呪いは解除が困難で、因果応報になりがちだが魔法は、意識的に使い分けられることが多い。このキーマンの魔術はキーマンの人生に綴られているものである。しかし、キーマンの人生は多くが封印されているため、呪い化することがおおいのだ、これがキーマンの物語的自己(ナラティブセルフ)の記述が重要であることの根拠である。
2024年10月2日水曜日
組織開発とパーソナリティ
昨日も書いたけれど
組織開発とは計画的に組織全体を対象として組織有効性と健全さを向上させるため、計画的に介入を行うこと(Backhard 1969)
さて、組織は人の集合体である協働の形態だから人の特性抜きに語ることはできない、ここに組織開発とパーソナリティという問題が出現するのだ。パーソナリティと未知の状況においても予測可能な安定し一貫した固有の行動の傾向性である、個性があるので、協働においては適材適所といった機能的組合せ論が必要になる、この組合せ論は、普遍的な組合せ論ではなく、協働がおかれた状況文脈に依存した実践的組合せ論である。つまり、組織開発とパーソナリティを組み合わせるのはまさに組織開発なのである。さて、パーソナリティは心理学ではビッグ5と呼ばれる5つの特性で固有性を測定するのが主流であるが、パーソナリティも文脈に依存することを考えると相互関係といった状況に応じたパーソナリティの測定が必要になる。普遍的で汎用性の高い理論をT(大文字のTHEORY)とすると実践的で固有性の高い理論t(小文字のtheory)とすると組織開発はttで無くてはならない、実践的組合せ論と実践的パーソナリティ論が必要であるということだ。組織開発の担当者はTT(一般理論)とtt(実践理論)の往還を通じて組織有効性と健全さを向上させていくのだ、この往還はSECIモデルとして知られている、
2024年10月1日火曜日
組織開発の復習
組織開発って?
計画的に組織全体を対象として組織有効性と健全さを向上させるため、計画的に介入を行うこと(Backhard 1969)
歴史的に様々な系統があるらしいです。
Tグループ系
サーベイフィードバック系
ポジティブ系
要するに
「組織をWORKさせる計画的な働きかけ(WORK=機能的に動かす)」
①行き当たりばったりはダメ=診断に基づく問題解決
②打ち手は何だっていい
その背景にある世界観とは
断片化して多様性あふれる社会
境界が揺れ続ける社会
多忙な社会社会
不確実性の高い社会
1970年代に爆発的流行 2000年代にリバイバルそして今ブームみたいです。
かつてのブログから組織開発の学際的定義を紐解く組織開発とはこういうことであるようです。組織とは協働の形態であることを考えると、円滑かつ機能的な協働のありかたを客観的に実現するための介入ということになるのであって、そのKPIは生産性や組織構成員のモチベーションといったことになる人が他人と何か協働をする際の最も原始的で本源的な身体性はコミュニケーションである。ここに、組織開発はコミュニケーションにはじまり、コミュニケーションに終わるという命題が見えてくる。つまり、産業社会の一員としてあるためには手段は問わずともコミュニケーションを駆使出来なくてはならないのである。コミュニケーションの本質は意思の疎通である。しかし複雑系理論のネットワーク理論を紐解くと疎通の数が複雑性を生むことが知られている、この複雑性は創発するものだから意図不在、還元不能な現象である。
要するに、組織という協働の形態は常に解决できない問題を生み出し続ける機構であるとも言える。裏を返せば解決困難な問題が生まれる組織ほど機能しているとも言えるのだ。しかし、協働における問題は生産性を低下させるそれ故、問題を減らす方向の力学が働くこれが最適化と呼ばれる調整だ、創発する問題は創造の可能性でもあるから、最適化が進みすぎると組織という協働は分断と分業が進展し、人は機能の部品と化す労働における人間性の疎外(人間性が手段化されていく)が生じる。
組織開発はその、本質まで問うと実は定義ほど簡単な問題解決では無いのだ。





























