2021年4月30日金曜日

僕たちは連続している

 僕たちがプロフールを登録する用紙や画面にある性別欄は、ずっと「男・女」のいずれかを選択するものだ。

最近でこそ、「その他」が選べるものもあるけど、「男」でも「女」でもないと言った感が否めない。

ところが生命研究の領域では、「性」は分類ではなく連続するものであるという、性スペクトラムの考え方が主流になっているらしい。

つまり、「性別」は「脳始・脳死」同様、事実ではなく、都合上の区別なのだ。

科学的唯物論によって切り取られた断片や瞬間から僕たちは出来ているように思われがちだけど、僕たちの実際はしなやかに切れ目なく存在している。

僕の1秒前と1秒後を切り離すことはできないし、僕と環境を切り離すこともできない。

もちろん、それは僕だけではなく、僕たちみんなの現実だ。

インタビューにしろアンケートにしろビックデータにしろ、僕たちが科学的に物事を考えようとする場合、ある瞬間を切り取らざるを得ない。

大切なことは、切り取った瞬間を連続に戻していくことだよね。

たとえ今日の出来事に心奪われたとしても、決して人生を見失わないように。


瞬間


2021年4月29日木曜日

誇りたいのか安心したいのかそれが問題だ

 僕は何かに集中して取り組むことが好きだ。

後から振り返っても我ながら感心するほどである。

でも、残念ながら集中できる時間は長くない。

これは中学生のときにすでに指摘されていた。

「集中できるとすごいのですけどねぇ・・・」、とね。

ウルトラマンの3分(古い)に例えるとわかりやすいだろう。

飽きるのではなく、集中が長続きしないのでADHDとはちょっと違うのかもしれない。

だから高い集中を長時間に渡って維持するような活動には向いていない、というのが自己評価だ。

言い訳かもしれないけどね。

僕みたいな人って世の中にどのくらいいるのだろうか。

統計で捉えることではないと思うけど、希少類であればそれはそれなりに誇らしかったりする。

皆もそうだ、となればなんだか安心できる。

でも、もし僕が希少であることに不安を感じ、皆と同じことが誇りであったらどうであろうか。

恐らく、このようにブログに書くことはないだろう。

自分の特徴をひたすら欠点と考えて人に知られないようにするのではないかな。

どう考えるかは人それぞれだし、そこに良し悪しは無いけど、それによって他者の見方も変わってくるからこれは大切な問題だよね。


どっち?








2021年4月28日水曜日

20年後のGAFAは今いずこに

 今から20年前、ミレニアム騒動を越えた2001年はどんな年だっただろうか。

Googleは設立3年目でまだポテンシャルが見えない。

Amazonはやっと利益を生み出し始めたところである。

Facebookはまだ影も形も無い。

Appleはジョブズが復帰しiMacを皮切りにした復活の途上だ。

日本ではソフトバンクがADSLモデムを街中で配り始めていた。

おそらく2001年に20年後を正しく予測した人は居ないだろう。

2001年は9月11日のアメリカ同時多発テロに誰もが目を奪われ、密かに進んでいたインターネットを主役とした情報革命にあまり注目が集まっていなかったのかもしれない。

さて、未来に向けて今、注目が集まるのは「エシカル」「サステナブル」だろう。

2001年頃のインターネットに対する期待とも似ているかもしれないね。

夢はあるけどそれは「おたくの夢」であって、現実主義の人達の意見は冷ややか、そんな感じだ。

トランプ前大統領はその代表で、大統領選挙での落選には大きな意味があるように思える。


僕たちは、闘争が闘争を駆り立てる現実主義から決別することは出来ないけど、より倫理的(エシカル)な立場から闘争ではない世界に向き合う必然が生まれているのであって、20年後の主役はきっとエシカルなポテンシャル秘めた、いまは注目されていない企業なのではないだろうか。


倫理


2021年4月27日火曜日

人を動かすために必要な発想

 いよいよ日曜日から3回目の緊急事態宣言が東京などに出された。

一年前と違って、短期集中で効果を出して経済への影響を減らす方針だけど、どうやら人々は思ったように行動していないらしい。

マスコミはやたら対象となる地域とならない地域の取材を行っているし、実際に川崎は都内から来た人で混雑したらしい。

小池都知事は「都県境は越えないで下さいということを申し上げている。しっかり守っていただきたいと思う」と発言したそうだけどこれでは効果はあまり期待できないだろう。

かつて、隅田川花火大会で橋の上に人が溜まらない流れを作るために「立ち止まらないでください」ではなく「次に良く見える場所はこちらです」という案内を行い効果をあげたそうだ。

そこには心理学の大家、故多湖輝さんが関わっていたと聞いている。

やはり、人に自制を促すには、押し付けではなく人の心理を理解し動機に働きかけることが大切なのだろう。

現在、心理学をベースに行動経済学とかいろいろな学問で様々な研究が活発に行われていると思うのだけど小池都知事の発言からそういった知性が感じられない。

なぜだろう。

もはやそういったことを検討する余裕もないほど切羽詰まっているなら、自制ではなく強制すべきだろう。

店舗、飲食店への命令がだんだん厳しくなっていることをみても、その方向に進むしか無いのかもしれないけど、結局強制、では寂しい限りだよね。

もっとも、これは日本だけの問題じゃないみたいだから、危機的状況において人をどう自発的に動かすのかは地球温暖化防止と同じくらい重要性をもって向き合わなければならない問題なのかもしれない。


流れ



2021年4月26日月曜日

2位じゃダメなんです

 僕は、日本にはノーベル賞受賞者がたくさん居るし、日本の企業は半導体や医薬などの分野では世界の最先端にあるとどこかで勝手に思っていた。

しかしながら今回の新型コロナウイルスへの対応を見るにちゃんと現実を理解しなければならないと感じている。

ウイルスワクチンの開発における研究開発能力の差は歴然としているものね。

世界大学ランキングで日本の最上位大学は全体の30位にも入っていないけど、グローバルで見たときの日本社会のポテンシャルはGDPランキングよりもずっと低いのかもしれない。

もちろん、それぞれの国、社会には固有の強みがあるからあらゆるランキングで上位に位置する必要もないのだろうけど、新型コロナウイルス感染の第4波を迎えて、効果が薄れていく緊急事態宣言の発出しか当面打ち手が無い現状を僕は悲しく感じる。

世界ではワクチン接種が10億回を超えたけど、日本は270万回。

悲しくなる原因はきっとこれだ。

今回わかったことは、世界が危機に陥ったときいち早くその危機から抜け出すことは国民の幸福につながるということだよね。

そしていち早く抜け出すためにはグローバルで1位の力が必要となるかもしれない。

だから2位じゃダメなんです、きっと。


できる社会へ




2021年4月25日日曜日

人と組織とは、自分と自分の内なる世界のことでもある

 連続3000日を越えた先週、僕が考えていたのは「人と組織」よりも「人と環境」だった。

「組織」も「環境」であるとするなら、今は人がおかれた場所をより広く考えているのかもしれない。

東京大学清水名誉教授の「場所と場」では、人がおかれた場所を自分の中に作りだしたものが場である。

そして人は常に自分の内なる環境に自分を映し出して自分と環境を認識している。

映し出されたものであれば、受け止め様、考え様次第で自分も環境も変えられる、ということなのかもしれない。

もっとも、頻繁に変わってしまうとなると色々と不都合もおきてくる。

特に、生き物は秩序を失えばエントロピー増大の法則によって崩壊してしまうからね。

だから生き物は変化へのチャレンジを我慢しここぞというときに挑む賢さを皆、備えているのではないかな。


(月)くうねるあそぶ。
それでも境界は曖昧なままだろうけどね。

(火)意識と感覚が共創する僕たちの未来
つまり僕たちは意識と感覚によって未来を創っている、ということなのかもしれない。

(水)パーソナリティってどうして固有性があって多様なのか
逆に、遺伝子や育ちが異なっていても、会社など同調圧力の高い、同じ社会環境に長く留め置かれると獲得される欲求が似てきてしまい一様になってしまうのかもしれない。

(木)3000日目のブログで考えること
で、ね。結局11回書いたね。

(金)カーボンニュートラルの実践を考える
そして、選択肢の中から自分の信条を実現できかつカーボンニュートラルに貢献できる行動を実践することだよね。

(土)チャンスがみつかる我慢を、する
やはり我慢をするならチャンスをみつけられる方がいいよね。


挑むときを見つける


2021年4月24日土曜日

チャンスがみつかる我慢を、する

「我慢」が社会性の基本であることと、時にチャンスが来たと瞬間的に判断をして「我慢」をやめるのが「賢さ」である。(「拡張する脳」藤井直敬著)

「我慢」にも色々な場面と状況がある。

例えば僕は行列に並ぶのが好きではない。

だからディズニーランドは正直、苦痛だ。

「我慢」して並んでもチャンスが来るように思えないしね。

さて、今回の新型コロナウイルスの第4波で、大阪では症状が悪化した感染者が一日半、救急車に留め置かれたらしい。

搬送先の病院がみつからなかったのだ。

そして、さらに状況は酷くなり、47時間搬送ができないケースもあるらしい。

こうなるともう、当人はひたすら我慢するしかないのだけど、この我慢にもチャンスはやってこず、苦痛しかない。

一方、感染しないように我慢すればチャンスを掴む賢さを発揮できそうである。

やはり我慢をするならチャンスをみつけられる方がいいよね。


チャンスのために我慢する


2021年4月23日金曜日

カーボンニュートラルの実践を考える

 僕が今日、AppleのHPを見たら2030年までにカーボンニュートラルを実現するという宣言がトップになっていた。

すでに世界No.1企業だから、事業の成長目標より社会の公器として地球環境に貢献する目標の方が大切なのかもしれない。

ではAppleとは異なる規模の企業ではどうなのだろうか。

カーボンニュートラルはグローバルなサプライチェーンに属する企業が上位の企業から対応を求められ仕方なく応じなければならい問題ではないはずだ。

例えば、無印良品は、飲料のペットボトルをすべてアルミ缶に変えるらしい。

ペットボトルが再生されるのは12%くらいであるのに対してアルミ缶は66%再生利用されているから、よりカーボンニュートラルに貢献できる。

立派な姿勢だ。

さて、僕たちが個人としてできることは、Appleや無印良品の商品を買うことだけなのだろうか。

そんなことはないだろう。

消費電力を減らすとかフードロスを無くすとかいろいろな行動がとれるはずだ。

大切なことは、カーボンニュートラルを自分ごととして、まずは選択肢を増やすことだろう。

そして、選択肢の中から自分の信条を実現できかつカーボンニュートラルに貢献できる行動を実践することだよね。


立ち止まって考える


2021年4月22日木曜日

3000日目のブログで考えること

 このブログを書き始めて今日が3000回目、つまり3000日が経った。

思えば遠くへ来たものだ。

このタイミングで何を書こうか考えた。

これまでの3000日を考えようか、それともこれからの3000日を考えようか。

これまでの3000日は消すことも書き換えることもできない足跡だ。

でもこれからの3000日はどんなことでも描ける白いキャンバスだ。

でも考えたら3000日なんて8年ちょっとでしかない。

寝て起きてご飯を食べてトイレに行って、は半世紀以上続けている。

ああ、そうか。

人生のごく一部を3000日なんて書くから大袈裟なんだね。

といいながら僕はすでにタイトルを含めて3000日を10回書いた。

とにかく、3000日続いたことが嬉しいのだ。

で、ね。結局11回書いたね。


8年前の夜明け





2021年4月21日水曜日

パーソナリティってどうして固有性があって多様なのか

 人に限らず、生き物は同じ種であってもひとつひとつに固有性があり、全体としてみれば実に多様だ。

人間に関しては、一卵性双生児の研究が昔から行われているけど、同じ遺伝情報を持っていてもそれぞれの成長を遂げる。

心理学者G.W.オルポートによれば、個人のパーソナリティは機能的自律により獲得された多くの後天的な欲求の体系なのだそうだ。

要するに生まれた後に接する環境によって固有性が増していく、というわけだね。

確かにそう考えれば一卵性双生児の成長が異なることも納得できる。

逆に、遺伝子や育ちが異なっていても、会社など同調圧力の高い、同じ社会環境に長く留め置かれると獲得される欲求が似てきてしまい一様になってしまうのかもしれない。


多様?一様?



2021年4月20日火曜日

意識と感覚が共創する僕たちの未来

 おそらく、僕は人の話を聞くことがあまり得意じゃない。

なぜなら、話を聞くとき「話を聞くぞ」と頭の中でつぶやいているからだ。

おそらく、聞くことが得意な人はそんなことをしないだろう。

では、僕が頭の中でつぶやかないとどうなるのか、といえば語り始める。

それはきっと語ることが心地よいからだ。

そしてそういう時に「これから語るぞ」とは頭の中でつぶやいていない。

意識しないといけないこと、それは得意ないことではないよね。

で、ね。意識すればできることならば、状況はうんと良くなるよね。

やはり、「できる・できない」の違いは未来を創るうえでとても大きい。

でも、言い方を変えると「できる・できない」は「効力感」だから、あくまでも感覚的なものなのだ。

つまり僕たちは意識と感覚によって未来を創っている、ということなのかもしれない。


聞くの?語るの?


2021年4月19日月曜日

くうねるあそぶ。

 タイトルは1988年、日産セフィーロという車の広告で使われた糸井重里さんのキャッチコピーだ。

糸井さんによるとこれは落語「寿限無」に出てくる「食う寝る処に住む処」という一節の再解釈なのだそうだ。

糸井さんらしいコピーであるとともに、「あそぶ」ことの再定義が今でも大切であることに気づかされる。


「あそぶ」生き物が人間だけではないことは良く知られている。

しかし「あそぶ」ことに嫌悪感を持つ生き物は一部の人間だけなのかもしれない。

もっとも、僕がこうして毎日考えブログを書いているのも、調子が悪いパソコンの手入れをするのも、場合によっては仕事をするのも「あそぶ」ことなのかもしれない。

「はたらく」と「あそぶ」の境界だって曖昧だから在宅ワークでその線引きのために過剰な管理をしなくてはならないのだ。

それでも境界は曖昧なままだろうけどね。


あそぶ


2021年4月18日日曜日

毎日考えていることと考えるべきこと

 僕は今、地球温暖化に関する番組を観ながらブログを書いている。

オゾン層の減少からはじまり、北極の氷が減っているとか、シベリアの永久凍土が溶けだしているといったニュースだけでなく、桜、あやめ、藤などを見ていても開花時期が早くなったような気がする。

でもそれは僕たち一人一人が地球環境を書き換えているからだ。

もはや僕たちは環境に対する責任を抜きにして未来を考える語ることが出来ないのだ。


と、その観点で先週のブログを眺めてみると反省しかありません。


(月)賑わう商いの作り方
理由はわからないけど、整ってしまうとお客の気持ちが冷めてしまうのかもしれないなぁ。

(火)進化の謎を考えよう
もし、進化と学習の違いが遺伝するか否かあるのだとすれば、世代交代という生命の戦略は利己的な生存戦略には無い、進化の鍵なのかもしれないね。

(水)踊る組織、踊らない組織
で、ね。組織というわかりやすい社会性の形であっても踊らない組織では同調・共鳴が起きていないのだろうね。

(木)成長に欠かせない修羅場体験を乗り越えるために必要なもの
成長したい人、成長を促したい人は決して「成長」を目的化させることなく、「人間性」を目的として当人に向いた要素を判断、選択しなければならないだろう。

(金)「面白い」は決定論じゃない
「面白い」ことは悪であると感じる生真面目な人々にとっては無縁なことかもしれないけどね。

(土)自我と社会性が織りなす人生
「時間」を旅するエージェントとして人生を織り上げるためにね。


思考を変えよう


2021年4月17日土曜日

自我と社会性が織りなす人生

 僕たちは常に「自分」と「社会」の狭間で生きている。

恐れずにもっと拡大してしまえば、生き物とは「生命」と「環境」を交換し「時間」を旅するエージェントだ。

だから僕たちは誰でもが過去に未来にそれぞれの物語りがあるのだ。

過去と未来が無い生き物は居ない、ということだね。

一方、僕たちが身を置いていない「狭い」社会はたくさん存在する。

ミャンマーや新疆ウイグル自治区で起きていることは、大きなエコシステムで捉えれば僕たちの日常に影響を与えるけど、いま、ここでいきなり撃たれたり拘留されることは無い。

つまり、僕が身を置けるのは僕だけの「狭い」社会の中なのだよね。

それでも人生は続く。

「時間」を旅するエージェントとして人生を織り上げるためにね。


人生とは


2021年4月16日金曜日

「面白い」は決定論じゃない

人は欲求を満たすことは出来るが

欲求を欲することはできない  ショーペンハウアー


僕たちには「面白い」という感覚がある。

このショーペンハウアーの言葉を借りれば、

人は面白いと感じることは出来るが

面白さを欲することはできない

となるのだろう。

たしかに、「面白い!」と感じることに理由はないし、人それぞれだ。

ということは「面白い」も自由意志のパラドクス、決定論なのだろうか。

僕はそう思わない。

なぜなら、「何を」「面白い」と感じるか、の「何を」には自由意志が存在するからだ。

多くを見聞、体験することで「面白い」ことは無限になるのだ。


「面白い」ことは悪であると感じる生真面目な人々にとっては無縁なことかもしれないけどね。


面白い?


2021年4月15日木曜日

成長に欠かせない修羅場体験を乗り越えるために必要なもの

 多くの現場で「成長」に関するインタビューを行うと、かなり高い確率で「修羅場体験」という言葉が出てくる。

成長の仕方は多様だけど、「修羅場体験」が果たす役割を無視するわけにはいかないようだ。

では、「修羅場体験」を乗り越えるためにはどんな要素が必要なのだろうか。

僕の整理では以下の8つだ。

  1. 感性:フランクル「夜と霧」で描かれているアウシュビッツで生き残った人々の共通点
  2. プレイフルラーニング:内発動機を持って経験から無意識に前向きな意味づけと学習を行う
  3. 拡張形成理論:小さいな達成によって自信がつきスキルを拡張しやがて大きな達成に至る
  4. 仲間:ラグビー日本代表のONE TEAM に見られるように同意・共鳴によって社会性を獲得し集団の力を発揮する
  5. マインドセット(意識づけ):元NBAスター選手、マグジー・ボーグスが説くように基礎を身に着けている自信と成功を意識できる指摘が自分の秘めた可能性を開く
  6. 成長志向:自己の成長を強く願い成長するために積極的に認知と行動の変容に取り組み続ける
  7. 鈍感力・他責力:修羅場のストレスから我が身を守り生き残る
  8. リフレクション:苦しみの本質に目を向け新たな意味づけを獲得して次の行動につなげる
1つだけのときもあるし、いくつかが組み合わさって乗り越えるときもあるだろう。

先天的な要素もあれば後天的な要素もある。

しかし、どれも備わっていない状態で「修羅場体験」を乗り越えることは出来ないのかもしれない。

中には感性と鈍感力みたいに反対の要素もあり、実は「修羅場体験」の質と人それぞれの受け止め方によって適切な要素があるのだ。

体験する人の側においても、保有している、していない要素があるからね。

成長したい人、成長を促したい人は決して「成長」を目的化させることなく、「人間性」を目的として当人に向いた要素を判断、選択しなければならないだろう。


人間性を目的とせよ



2021年4月14日水曜日

踊る組織、踊らない組織

もう、一昔前になるけど「裸の男とリーダーシップ」(Leadership Lessons from 

Dancing Guy) という動画が話題になった。

今でも”裸踊り 動画”で検索するとトップに出てくる。

たった一人が踊りだすとそれに追随する人たちが出てきてムーブメントになる。

リーダーシップの教訓、というわけだ。

EXILEのAKIRAさんは、前進のJ SOUL BROTHERSの踊りを観てダンサーを目指したのだそうで、ムーブメントをさらに大きくした追随者のひとりなのだろう。

好きなことがその人をつくる

これは、ある映画の中の台詞で、まさにそんな感じだ。

さて、人間は体の同調・共鳴を通じて心をひとつにすることで、危険や恐怖を乗り越えるために必要な社会力を獲得したのだそうだ。

ラグビー、ニュージーランド代表のハカを見ると納得できる。

しかし、同調・共鳴のためには個性をなくすという一面もあってそれを嫌う人もいるよね。

で、ね。組織というわかりやすい社会性の形であっても踊らない組織では同調・共鳴が起きていないのだろうね。


一体と個性


2021年4月13日火曜日

進化の謎を考えよう

 南硫黄島にコダマという小さなカタツムリがいるそうだ。

どうやら遠く北海道から渡り鳥にくっついて南硫黄島まで来てそこで多様な進化を遂げているらしい。

南硫黄島は東京都小笠原村に属すのだけど、上陸が禁止されているので調査でしか人が来ない、文明という人類の汚染から隔絶された孤島だ。

調査に参加した学者によれば、コダマは似た他のカタツムリと異なる進化を遂げている。

そのような違いがなぜ起きているのだろうか。

そこに進化の謎が潜んでいるのかもしれない。

さて、僕たちは置かれた環境と共にある。

環境から切り離して僕たちが存在するわけではない。

僕たちは環境から学び、適応し、淘汰され、変容し、進化する。

進化する主体は僕たちのように思えるけど、進化の源にある学習は状況に埋め込まれているのだ。(状況に埋め込まれた学習―正統的周辺参加  ジーン レイヴ , エティエンヌ ウェンガー )

南硫黄島のコダマを見れば一目瞭然だよね。

最近の研究では、後天的に獲得された学習行動はRNAを介して子孫に遺伝するのだそうだから、僕たちが思っているより進化は日常的なことなのかもしれない。

一方で、進化しない種もある。

人も然り、だ。

もし、進化と学習の違いが遺伝するか否かあるのだとすれば、世代交代という生命の戦略は利己的な生存戦略には無い、進化の鍵なのかもしれないね。


生存戦略と生命の戦略


2021年4月12日月曜日

賑わう商いの作り方

 これは僕までのこれまでの限られた経験だからほとんど当てにならない話なのだけど、商いは形が整う前が一番、賑わうものなのかもしれない。

品揃えが豊富になり、良いものをゆっくり選べるようになると案外、商いの賑わいは落ち着いてきてしまうのではないだろうか。

セレクトショップみたいに集めるセンスで賑わう商いもあるけどね。

亀戸餃子みたいにあえて品揃えを増やさない店で賑わいが続いたり、逆に賑わいを演出するために品薄商法をすることもありそう。

ドンキホーテの圧縮陳列などはすっきりとした売り場の形をつくらない方法とも言えるよね。

そういえば、昔、百貨店のホテル催事で販売をして、これもとても売り場とは呼べないような売り方なのだけど本当によく売れた。

セール価格だから、というのもあったけどね。

さて、僕の経験則では整う前の方が賑わうという現象は物販に限らずあらゆる商いにあてはまる。

理由はわからないけど、整ってしまうとお客の気持ちが冷めてしまうのかもしれないなぁ。

これはこれで整っているのかな

2021年4月11日日曜日

加速する世界を止めてみよう

 技術の進歩によって情報が流通はとてつもなく早く、広く伝わる社会になった。

しかし、それへの向き合い方は僕たちの社会に昔から根ざしている精神論から一向に脱却できていない。

それは、僕たちが社会の手段であってそれぞれの人間性における目的が軽んじられているからだ。

当人自身も含めてね。


これからも技術は加速度的に進歩するだろう。

そのとき僕たちはこれまでよりも、もっと気づきを得て自分の生きる意味に近づかなければならなくなるのかもしれない。


(月)技術の急進歩とルール変更
僕に細かいことはわからないけど、F1に限らず僕たちは急進歩する技術の中に身を置くのであれば後れをとらないルール変更に文句を言っている暇はないのでしょう。

(火)夢の途中の語り部よ 物語りと夢語り
人の一生は有限だけど、人類の未来は無限だものね。

(水)情報の伝播スピードが社会を安定させるのかも
ただ、デマ情報を打ち消す情報も瞬時に影響を与えるはずなので、その観点において情報に対する社会の耐性は強まったのかもしれない。

(木)当事者は気をつけて語るべし
だから当事者は自分の発言を聞く人たちの前提がどのくらい整っているのかよく見極めて聞く人をコントロールするか、内容をコントロールするかして語るべきだね。(ネットでの発信含めてね)

(金)管理って仕事を増やすことなのか
僕たちの社会はいつになったら「精神論」という前提から卒業できるのだろうか・・・

(土)何をやるかより誰と何をやるかが大事だよ
自由意志が尊重されても定着が良くなるわけではないかもしれないけど、在籍期間のパフォーマンスは間違いなく上がるだろう。


速く正確にではない


2021年4月10日土曜日

何をやるかより誰と何をやるかが大事だよ

 多くの会社ではミッションを定め何をやる会社なのか誰からもわかるようにしている。

会社は社会に貢献する器だからどう貢献するかは定款の目的だけじゃ足りていないのかもしれないね。

さて、組織に集う人の観点から言えば、「何をやる会社」かよりも「誰と何をやる会社」の方が重要だろう。

事業目的を効率的に達成するためだけに僕たちは働き続けることができないからだ。

なぜなら、組織活動とは、メンバーが協調する空間を増やすための協働だからね。

そのためには目的に向かうときにお互いの自由意志が尊重されていなければならない。

そこで「誰と」が重要になる。

自由意志が尊重される結果、仕事が人についてきてその人でなければ成しえない成果、貢献を果たすことができる。

「誰と」とは相互信頼の証なのかもしれない。

属人的な仕事ぶりは事業運営にとって一見、リスクに見えるけど強調する空間が確保されていればそれは大きな可能性を生み出しているのだ。

その良い事例は未来工業だろうね。

一方、目的に向かう自由意志が尊重されていない組織に人は定着できない。

結果、オルタナティブな環境造りに向けて仕事を全て記述しなければならずマニュアル作りと報連相に忙殺され未来への光明は遠くて暗い。

自由意志が尊重されても定着が良くなるわけではないかもしれないけど、在籍期間のパフォーマンスは間違いなく上がるだろう。


誰と行くか




2021年4月9日金曜日

管理って仕事を増やすことなのか

 新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、東京都が飲食店にコロナ対策リーダーの設置を要請した。

リーダーを置かないと補償が出ないらしい。

来客が減り、営業時間も短縮して売上が減っている中で、さらに店に負担をかける施策ってどうなのだろう。

コロナの感染防止対策は重要だけど、もう少し考えられなかったものだろうか。

でも、僕たちの周りを見渡すとそんなことが山ほどある。

どうやら僕たちの社会には問題が起きたとき、それは多くは人のせいだから、責任者を決めて管理するものだというコンテクストが存在するらしい。

肝心なのは、それでも問題は無くならない、ということだね。

結果、寛容さを失った社会や組織では人々が疲弊し心身を病んでいく。

一方、正直者がバカを見る社会や組織では人々はやる気を失ってより利己的になる。

これはやり方でなく、前提の問題なのだけど、多くの場合、それに気づかずに自らパラドクスの深みにはまっていくのだ。

わかりやすい実例では、メンバーの残業時間を減らすためといって22時過ぎまで働いている管理者、とかね。

前提に踏み込んで問題を提起すると、視野の狭い人、とくにその中で懸命に戦っている人は強く反発するものだ。

「こんなに頑張っているのにちっともわかってくれない」とかね。

僕たちの社会はいつになったら「精神論」という前提から卒業できるのだろうか・・・。


やめない?


2021年4月8日木曜日

当事者は気をつけて語るべし

 当事者が客観的に語ると受け手に良い印象を与えない

これは、僕が今日、厚労省の送別会参加者で新型コロナ感染者が出たニュースを聞いていて感じたことだ。

厚労省のコメントは、”関係性は不明である”というものだった。

でも、よく考えると僕の得意技だったかもしれない。

僕は話が説明的になる癖があるからどうしても客観的になってしまうようだ。

これは会社で行った360度観察の自由回答でも見られた。

「僕の良いところ」という文脈で答えてくれたものだったけどね。

さて、今まで外から見ていた人の客観的な物言いが、言い方が変わらないけど当事者になった途端に責任転嫁や言い訳っぽく聞こえることって多いかもしれない。

これまでやたら人の責任を追及していたのに、立場が変わったらできない理由並べたりを黙り込んでしまう。

これは、国際政治から家庭の中までどこでも見られる普通の出来事だよね。

まあ、一番良いのは常に当事者意識をもって語ることなのだろうけど、”すべて自分のせい”みたいなのも気持ち悪い。

たとえ当事者であっても客観的に語ることで問題の本質や核心に迫ることができることも忘れてはならない。

飛行機事故の原因解明はこのアプローチでこれまで数多くのナレッジを蓄積してきたよね。

航空重大インシデントみたいにその精神が共有されていればよいのだけど、多くの場合、何か問題があったとき当事者は咎められ責を負わされる人だからその役割を果たさなくてはならないのだ。

だから当事者は自分の発言を聞く人たちの前提がどのくらい整っているのかよく見極めて聞く人をコントロールするか、内容をコントロールするかして語るべきだね。(ネットでの発信含めてね)


語る口




2021年4月7日水曜日

情報の伝播スピードが社会を安定させるのかも

 僕は昨日のブログで物語りと夢語りという表現をつかったけど、物語論のジャネットの理論で言えば、後説法と先説法の違いであっていずれも物語だから、あまり良い書き方ではなかった。

ちゃんとした文章を書くのであれば、研鑽を積んでおくか、しっかりと調べなくてはならないね。

先日、テレビのコメンテーターが事実誤認をして東京都から抗議文を出されていたけど、発言力が高くなるほど、正しく伝えることが大切になる。

間違った情報もあっという間に広がるからね。

昔からデマ情報は社会に大きな影響を与えてきているけど、現在は瞬時に大きな影響を与えるようになったのではないだろうか。

ただ、デマ情報を打ち消す情報も瞬時に影響を与えるはずなので、その観点において情報に対する社会の耐性は強まったのかもしれない。


ちゃんと学ばなくちゃね





2021年4月6日火曜日

夢の途中の語り部よ 物語りと夢語り

 語り部は年寄りの役割だ。

積み重ねた過去を振り返ることができるのはそれなりの年齢になってからだからね。

だから物語はそもそも年寄りに有利なのだ。

では、子供や若年層にとって有利なことはないのだろうか。

そんなことはない。

夢語りは子供や若年層の得意技である。

例えば、10歳の子供が将来はサッカー選手になりたいと言っても誰もおかしいと思わない。

だけど、60歳の大人が将来はサッカー選手と言ったら誰もが大いに違和感を感じるだろう。

逆も然り、60歳の大人が過去を振り返って物語ることは街中の飲み屋の定番だけど、10歳の子供が学童クラブで人生を語るシーンは想像に難い。

これは僕たちの人生と時間軸を考えれば致し方ないことなのだ。

でもね、僕たちに感動を与えてくれる偉人たちって、すでに大きな物語がありながもまだ夢の途中に居るのだよね。

人の一生は有限だけど、人類の未来は無限だものね。


歴史の上に夢見る世界




2021年4月5日月曜日

技術の急進歩とルール変更

NHK BS1で放送した「このままでは終われない!ホンダF1と角田裕毅の挑戦」という番組の録画を観ている。

なぜだか知らないけど、多くの男の子は小さいころ車が好きで、そのまま大きくなる人も少なくない。

40歳過ぎに車を手放してから僕と車の間には距離ができたけど、今も僕は車が好きだし気になるのだ。

さて、僕がF1に熱中していたのは、マンセル、セナ、プロストの時代だ。

僕だけじゃなくて日本中が熱中していたけどね。

そして久しぶりにF1の情報に触れるとルールやレギュレーションが大きく変わり続けていることがわかった。

日々、技術が急進歩するなかで公正に競技を行うためには必須なのだろう。

僕に細かいことはわからないけど、F1に限らず僕たちは急進歩する技術の中に身を置くのであれば後れをとらないルール変更に文句を言っている暇はないのでしょう。


今のところ最後の車





 

2021年4月4日日曜日

僕たちには時を越えて問う力が備わっている

 先週の僕のブログテーマは6回中3回が「協働」だった。

うん、いい感じ。

協働、協働意欲は僕の生涯のテーマだからね。


さて、テーマに向き合う中で僕は何度も問いを起こすわけだけど、それは現在進行形に限った話ではない。

そう、過去の出来事からもたくさんの問いが起こせる。

ただ、出来事は流れる河のごとくどんどん忘却してしまうから後からでも問いが起こせるような仕組みがあるとよいと思う。


記憶に頼るのではない仕組みがね。


(月)思い通りにならなくても尊重しよう
で、ね。いずれであっても、尊重はするけど受け入れ協働することは容易くない「かもしれない」よね。

(火)歴史と物語の違い
そして歴史は気負わずに背負うものであり、物語は心に留めて生きる糧とするもの、かもしれない。

(水)「狼が来た!」でも「狼なんか怖くない」正常性バイアスと社会の未来
狼が来た、と何回も行っていると誰も信じなくなって悲劇が待っている、その教訓を僕たちは小さい頃に物語として聞いているのだけど、その教訓すらも「普通」なことになってしまうのだろうか。

(木)JAZZとLEGOの共通点と協働できない人の条件
で、ね。コンテクストの共有は協働意欲の必要条件だからそういう人とは一緒に働くことは無理なのかもしれないね。

(金)ファーストキャリアがワーストキャリアにならないために
こればかりは評判ではなく自分の肌感覚で見極めるしかないからね。

(土)その組織に「善」はあるのか
新型コロナウイルスでDX(デジタルトランスフォーメーション)が注目されているけど、組織において協働意欲によって協調する空間が増えていないのであれば、そこにあるのは「善」ではなく「悪」なのかもしれない。


流れる時を越える


2021年4月3日土曜日

その組織に「善」はあるのか

 ”人間の協調する空間を増やすのが「善」という概念です” マルクス・ガブリエル

僕の大学時代の恩師である、青沼吉松教授は脱工業社会においてはプロフェッショナリズムと協働意欲によるインテグレーションが重要であると説いていた。

社員が手段化され、滅私奉公で組織の歯車となって終身雇用にどっぷりつかる当時の主流だった日本的経営における組織論を真っ向から否定したのだ。

あれから40年近く経って組織論も多様になり、日本的経営という言葉に価値を感じる人もめっきり減ったことと思うけど、プロフェッショナリズムと協働意欲によるインテグレーションが進んでいるかというと、僕は甚だ疑問を感じていた。

労使双方において終身雇用の幻想が解けるなかで浮上したのは情報技術、AI、RPAなどによる「省人化」だからだ。

さて、冒頭の一節は哲学者の言葉だけど、聞いた瞬間に靄が晴れたように思う。

そうだ、「省人化」では人間の協調する空間は増えるはずがない。

新型コロナウイルスでDX(デジタルトランスフォーメーション)が注目されているけど、組織において協働意欲によって協調する空間が増えていないのであれば、そこにあるのは「善」ではなく「悪」なのかもしれない。


ZEN


2021年4月2日金曜日

ファーストキャリアがワーストキャリアにならないために

 先日、僕が聞いた話なのだけど、大学新卒の採用面接で学生が「御社を私のファーストキャリアにしたいです。」と明るく自己アピールをしたそうだ。

採用担当者は苦笑せざるを得なかったとか。

正直で誠実なのかもしれないけど、社会人の基本を教え込んだらセカンドキャリアで次の会社、では何のための採用(人材投資)なのかと頭を抱えてしまうものね。

かつては中国でジョブホッピングが多く困っているという話があったけど日本でも会社の捉え方やキャリアの考え方が変わり、そうなるのかもしれないね。

さて、「ファーストキャリア 重要性 論文」でグーグル検索をかけてもそれらしいものは出てこなかった。

しかしどこかで論文を見た気もするのでひょっとしたら、あまりメジャーな研究成果が無いだけなのかもしれない。


ポテンシャル採用とOJT、ローテーションでの人材開発が主流の企業では、当人よりも企業側がファーストキャリアをうんと大切にして守り続けて欲しいのだろう。

一方、就職する学生にとって、最悪なファーストキャリアはいろいろあるけど、やはり人間性を手段にされることではないかな。

産業には常に生産性の向上へ資源を最適化する圧力が掛かっているとはいえ、それがハラスメントの温床になってはならない。

特に圧力に慣れていないファーストキャリアの未熟な社会人にとってはね。

正しい倫理感を持ち合わせれば、人間性を目的にする、つまり最後にはその人のありのままを尊重する立場になれると思うけど、倫理観が欠落していたらどこまでいっても代替可能な「人的資源」でしかない。

だから学生はワーストキャリアにならないために就活までに多くの経験から学び自らの倫理観を研ぎ澄ましてインターンシップや面接に臨むべきである。

こればかりは評判ではなく自分の肌感覚で見極めるしかないからね。


経験が必要




2021年4月1日木曜日

JAZZとLEGOの共通点と協働できない人の条件

 僕が直接確かめたわけではないので本当は違うのかもしれないけど、2018年3月18日のブログに僕は以下のような一文を書いている。


以前、スペースシャトルが打ち上げに失敗した時、世界中から科学者など専門家が集められたそうな。

その際、原因解明の第一歩においてコンテクストを合わせるために用いられたのはレゴという知育玩具だったらしい。

つまり、高い専門性において、どの文化でも通用するコンテクストとは、幼児の視点だったのだ。


ある番組の中でかつてレゴ社で働いていたReDアソシエーツ創業者クリスチャン・マスビアウは以下のように語っている。

”ブロックを使って物語や世界をつくるのです。そのための仕組みに過ぎません。”

そしてレゴ社での経験として

”複雑さをなくしたのではなくむしろ複雑さを増やしたのです。その結果、状況が好転しました”

のだそうだ。


さて、2016年に公開されアカデミー賞を多数獲得した「ラ・ラ・ランド」ではJAZZについて描かれている。

映画の中で、

”ジャズはニューオーリンズの安宿が発祥の地だった。そこは異国の人たちが多く集まるところで、言葉が通じなかったが、唯一通じ合う役割を果たしたのがジャズの音楽の始まりだ”

という台詞(訳文)がある。

JAZZもLEGOと同じく、異なる文化を越えて人々が通じ合う、コンテクストを共有する仕組みだったわけだ。

さて、僕たちの周囲を見渡そう。

僕たちは異なるバックグラウンドのなかでコンテクストを共有するためにお互いの共通点を探し出す。

趣味とか、出身地とかね。

だからコンテクストを共有しようと思う人は、お互いに自己開示をおこない、共通点で盛り上がろうとうする。

逆に、自己開示をせず、共通点に関心を持たない人はコンテクストを共有する意識が低いのだと思う。

で、ね。コンテクストの共有は協働意欲の必要条件だからそういう人とは一緒に働くことは無理なのかもしれないね。


JAZZとLEGO