2018年12月31日月曜日

つながり、踏みだし、果たし、振り返る この一年

僕たちが今、取り組んでいる「成長の因果」という研究と実践で、その核心に位置するのが、「つながり、踏みだし、果たし、振り返る」の僕たちの内面の成長課題だ。

誰もが得意と不得意を持っているこの成長課題、向き合えば向き合うほど奥が深い。

僕たちは独りではないけど、僕たちは独りぼっちで自分に、世界に向き合わなくてはならない。

でもそうやって、何かを達成し、果たして、でも、迷って、悩んで自分を見つめる。

僕の今年一年もまさにそんな感じだった。

会社のグループ化によって踏みだした新たな一歩では理不尽を越えて果たさなければならない役割もあり、でもそれで繋がる新しい仲間が居て、そして己の内面に常に問いを起こし続けているからね。

おそらく来年もこんな感じなのだろうけど、それは、僕を成長させてくれる有難い経験なんだ。

今年一年、関わってくれた皆さま、そして多くの出来事に深く感謝しましょう。


ありがとう

2018年12月30日日曜日

「謙虚さ」の根底にある「学び」への期待

色々な人、特に経営者や採用を担当する人、人を育てる人と人材の何がもっとも大切なのかといった話をすると「謙虚さ」に行き着く。

つまり、どんなこと、例えば自分自身に対する指摘であっても謙虚に受け止めることが出来る、であったり、会社に問題があっても会社が悪いと言い放つのでなく自分事として考える謙虚さこそが、活躍する人材の核心ではないかとなるのだ。

この「謙虚さ」に対するのが「開き直り」や「自己正当化」や「黙殺」だよね。

そして「謙虚でないこと」は、最近多くなっている気がする。

例えば、トランプ大統領とか、どこかの国のレーダーの問題やら、証拠を突きつけられても『FAKE」と言い放つ姿は「謙虚さ」に欠けているように思う。

ところでなぜ「謙虚さ」が大切なのだろうか。

僕はそれは、「学び」への期待ではないかと思う。

人は「謙虚さ」があれば「学び」続けることが出来る。

一方で、「謙虚さ」が無い人が何を学ぶのか僕にはわからない。

だから僕も「謙虚さ」を失わないようにしなくちゃね。


もうすぐ正月



経験を無駄にしない人の語りかた

ほぼ日の「今日のダーリン」を読んでいたら、糸井重里さんは学生時代にビートルズに出会い、真似をしはじめたけど、エレキギターは誰も教えてくれないことと自分の力を知りそこで終えたらしい。

この経験、僕にも思い当たることだ。

ハイカラな中学に進学した兄の影響で洋楽に触れ、中学のクラブ活動でギターに触れ、音楽好きの友達に出会い、僕のバンド真似が始まった。

そういえば、誰も教えてくれる人が居ないなかで、よく楽器を手に入れ、練習スタジオを探したものだ。

もちろん、友達と力を合わせてだったけどね。

さて、その先は僕自身の問題だ。

ドラムを担当した友達はスクールに通い、その後上手くなって音楽活動した。

ギターを担当した僕は上手くなることもなく音楽活動もしなくなった。

今思えば、才能が無い場合の選択肢は2つ、習って身に着けるか、そのレベルでよしとするか、なのかもしれない。

後者の場合、自分の限界を知ることもない。

でもね、興味を持って友達と出会ったことで音楽への触れ方は変わったし若干の知識と大切の保管するギターも増えたのだから、あの時ちゃんと習っていれば良かったなどと後悔するような話じゃないかもしれないね。

糸井さんの記事を読んでそう思ったよ。

それももし今、ギターを上手に弾きたいなりたいのであればこれから習えば良いからね。


どんなに未熟で本人にとっては恥ずかしい経験であっても振り返ったとき1つも無駄にしない。

素敵な人の生き方ってそういうものなのかもしれない。


今でも持っている



2018年12月29日土曜日

4年越しの365日のシンプルライフ

WOWOWで「365日のシンプルライフ」という映画を観た。

今日のブログのタイトルが紛らわしいのだけど、僕が4年間、毎日シンプルライフを過ごして来た訳ではない。

さて、「365日のシンプルライフ」はフィンランドの映画であることも珍しいけど、その内容は「問い」であり、エンターテインメントと一線を画している。

そして、毎日一つずつ365日、物を増やしていくストーリーから色々な気づき、発見があるのだ。

ところで僕がこの映画を知ったのは、2014年7月19日に開催された「Playful Summer Fes 2014 ープレイフルな学びの未来をつくるー」というラーニングイベントであった。

登壇した講演者の中にフィンランド映画の配給を行っている森下詩子さんが居て、その中で取り上げた映画だった。

僕はこのブログの2014年8月20日に観に行きたいと書いているのだけど、結局、行けず仕舞いとなっていた。

つまり4年以上前の思いを遂げることが出来たのだ。

思えばこの4年間、色々な事があった。

記憶というのは面白いもので、「365日のシンプルライフ」がインデックスとなって4年前のイベントも鮮明に思い出す事ができる。

だから念願の映画が観れたことに加えてさらに嬉しい。


考えて見れば、映画を「観る」には、「知る」から始まるのであって、どうやって知ったのかにも意味がある。

どうやって知ったのか、どう観に行った(行かなかった)のか、そして、観てどうだったのか、の3つの意味があるのだね。

で、ね。気になった映画はすぐに観ることも良いけど、間をあけて観るのも良さそうだね。


もうすぐ正月



2018年12月28日金曜日

「あきらめない心」と長時間労働を考える

昨日、就職前の原体験と残業の関係を自分の経験から考えてみた。

残業が感染し遺伝するものだとしたら、僕は感染したけど遺伝はしていないなぁと思ったからね。

だから、遺伝するには何らかの原体験があるのかもしれないと考えたのだけど、仕事の質という観点から考える必要があるようだ。

こういうテーマはやはり事例を見つめる必要がある。

僕は、同僚と官僚の事例について見つめたいと思う。

同僚はまさに仕事の質に価値観を持ち、かつては細部から全体に拘ったアウトプットを出す為に徹夜も厭わず、報告日の朝でもやり直しをさせていた。

電通の悲しい事件を彷彿とさせる印象がある。

その拘りによって顧客の支持は得られたかもしれないけど、当時の部下からは「酷い上司」と写っていたらしい。

さて、官僚の働き方については多く語られているし、僕も知人からリアルな話を聞いた事がある。

国会の答弁に備えて毎日夜中までの激務が続くのだそうだ。そこには大きな責任と間違いが許されない重圧が常に掛かっているのだろう。

志と能力の高さには本当に頭が下がる。


同僚も官僚も仕事量が増えると、恒常的な長時間労働が避けれられない働き方だ。

それは、誰か人の役に立つことには間違いないのだけど、それで良いと言えないのが今のご時世で、例えば、国際社会の情勢では、例えば、アップルなど発注者が請負先の労働実態をしっかりと管理する責任が問われている。

企業の姿勢として、ある一面(コスト、品質)は正当化出来ても、他面(労働実態)は公正じゃやないってことが問われるのだね。

一生懸命遅くまで働いて高い価値を提供しているのに責められるのもフェアじゃないと思うけど、社会の一員としてどう価値を提供するのかも考えなくてはいけないのでしょう。

モヤモヤする話です。


早朝からパワー発揮



2018年12月27日木曜日

「残業」の本質? 勉強や受験でのあきらめの悪さが原体験になってはいないだろうか

昨晩は久しぶりに遅くまで仕事をした。

20代は毎日23時過ぎまで仕事をしていたから、ひょっとすると僕には残業を感染、遺伝させる力があるのかもしれない。

30代はそれほど残業した記憶はないけど、40代からは多少残業する日々が続いた。

ただ、40代のそのとき改めて思ったのは、短時間で集中力高く仕事に向きあうことの大切さだ。

おかげで、僕自身は感染から回復出来たのかもしれない。

さて、この背景には、ぼくが高校のときに獲得したじぶんなりの勉強法に、おそらく由来がある。

その勉強法とは言い換えれば「直前に徹夜して詰め込んでも成績は悪くなる」という教訓だ。

遅くまで粘るより時間になったらあきらめてしっかりと寝て、朝、目が覚めてから落ち着いて丁寧に見直す方が成績はよくなるし、さらに言えば、試験前じゃなく、授業のときしっかり聞き考えたほうが前日の復習よりはるかに効果的だったのだ。

で、ね。残業が感染し遺伝させるものは、もしかしたらこういう原体験に由来しているのかもしれないよね。

徹夜勉強で成績を上げた人は、成績を上げるには徹夜が効果的だ、もしくは受験勉強は最後の追い込みが肝要だ、という刷り込みがあるのではないかと考えてみたわけです。


残業はダメだわん







2018年12月26日水曜日

「気づき」という新しい世界への扉、とその開け方

僕たちの日常には気づきが溢れている。

その中には慣れ親しんだ日常とは異なる「非日常」の気づきがある。

その気づきは、新しい世界への扉なのかもしれない。

でもね、扉を開いて踏み出すことは、扉に気づくことと大きな違いだあるよね。

さて、新しい世界へ踏み出すためには、好奇心など抑えきれない衝動や誰かの後押しが必要だ。

難しい言い方をすると、「内発動機」や「啐啄同時」だね。


僕たちは、扉の存在も知らずに、偶然、新しい世界に踏み出す事も多いけど、色々な扉に気づいて、自ら新しい世界に踏み出せるとしたら、なんだかワクワクするんじゃないだろうか。

僕はそう思うよ。


ワクワク

2018年12月24日月曜日

「やりきる」ことと「したい」ことの間に流れる深い河

僕たちには「したい」ことがたくさんある。

旅行がしたい、美味しいものが食べたい、学びたいなどなど数えきれないよね。

でも、実際に「旅行をする」「美味しいものを食べる」「学ぶ」人はそれほど多くない。

つまり、「したい」と「やりきる」ことの間には大きな隔たりがあるってことだね。

そしてこれは「やる、やらない」の違いじゅやない。

例えば、「他の人に役立ちたい」「みんなで楽しみたい」などの「したい」は「やる」ことにつながるのだけど、「やり続ける」ことにはならない事が多いかもしれない。

他の人の状況や様子に左右されることだからね。

一方、「やりきる」には強い想いが必要だ。

それは誰かに反対されても挫けないもので、時に頑固で困ったことにもなるのだけど、主体性と自主性が発揮される。

さて、どっちが良い、悪いではないのだけど、両方上手く使い分けられると人生はうんと奥深いものになる。

時に合わせ、時に貫く。

で、ね。自分の得意な方はすぐ出来るだろうから、不得意な方を磨けるといいよね。


メリークリスマス

2018年12月23日日曜日

ボヘミアン・ラプソディとキセキのメセン

今日、WOWOWで「キセキーあの日のソビトー」を観て思い浮かべたのがQUEENの映画「ボヘミアン・ラプソディ」だった。

「キセキーあの日のソビトー」はGREEEENの自伝映画であり、どちらもミュージシャンを主題としているからね。

そして、日本では両者とも知名度が高い。

さて、同じミュージシャンを描いた映画だけど、一番最初に気づいたのは、楽曲の扱い方だ。

「ボヘミア〜」では、ヒット曲がふんだんに登場して、楽曲中心の印象が強く、そこにフレディ・マーキュリーのダークサイドも含めて実像が描かれていたけど、「キセキ〜」では、曲が少ししか出て来なくて、主人公を取り巻く美談が描かれている。

これはきっと、映画を作った人の目線の違いなんだろうなぁ。

以前、荒木経惟さんが「写真にはガラスに映る自分が写っている」とインタビューに答えたのを観た事があるけど、ミュージシャンの自伝映画の何にフォーカスするのか、もっと端的に言えば、「何が好き」で「何をしたいのか」ってことなんだろうね。


メセンに自分が映る


手帳の世界の奥深さを瞬時に理解したのか?

年の瀬が迫り、手帳売り場が活況を呈している。

僕はこれまで、手帳を上手に使えたためしが無いので選ぶでもなく売り場を彷徨う人だ。

さて、いつものように売り場を見ていたら手帳診断という簡単なチャートがあった。

どうやら手帳は、スケジュール管理と日記や記録を行う種類に大別されるらしい。

そしてスケジュール管理には、几帳面型とざっくり型があって、几帳面型にはメモ、タスク重視と、空き時間の見える化に別れる。

それによって、1ページで週間から月間の見渡せる期間と記入できる量が異なってくる。

一方、日記や記録重視には、1日をベースにたっぷり書き込むか、書き込みが持ち運びやすいのか、長期間書き連ねられるのかといった使い分けがあるらしく、それによって手帳のタイプも決まってくるのだそうだ。

そういえば、ほぼ日手帳は1日の記録をしっかり書き込める事が特徴で18年間も売れ続け、会社が上場したというのだから、この手帳のセグメントはとても重要な意味を持っているのだろう。

僕のスタイルは、スケジュールはGoogle Calender、一日の記録はこのブログ、なのだけどね。


面白いなー、これ



2018年12月22日土曜日

初心は忘れてまた思い出すものでなく、新たに初心に至るもの

映画「グレイテスト・ショーマン」には、ありがちな人の変化が描かれている。

映画の詳細は述べないけど、要するに「初心忘れるべからず」ってことなのだけど、この言葉、実は能を築いた世阿弥が生み出したらしい。

どんな名声を得ても自惚れてはいけないと諭しているのだそうだ。

さて、僕たちは状況に応じて立場を変えてしまう。

以前は、同じ仲間として共感が持てたのにいつの間にか立場を変えて押し付けることを当然としている。

管理職になったり、発注者になったり、その他諸々とね。

で、ね。時計を巻き戻す事ができないように、かつての立場に戻れないのであれば、新たにな立場において初心を持つ事が大事なのだよね。

要するに立場は変われど自惚れて浮つかずにピュアでひたむき自分を忘れないってこと。


ピュアさを失わない



2018年12月21日金曜日

「これから」と「あと」 どちらも大切な視点

僕の犬が今日、2歳の誕生日を迎えた。

人間にしてみれば、まだ2歳だけど、犬にしてみればもう2歳だよね。

なぜならば、昨今、犬の寿命は15歳くらいだからね。

つまり、2/15が過ぎたことになる。

一方、人間の2歳が2/80だとしたら残りを数える年齢ではない。

むしろ、これから待っている可能性を考えれば、先行きは無限だ。

さて、この無意識に「これから」や「あと」を人間は考える。

だから意識して両方の視点を持つことが大切な気がする。

発想がまるで変わってくるのね。


Happy Birthday

2018年12月20日木曜日

自由を奪う不公正な取引 と言う教訓

日本実業団陸上競技連合に公正取引委員会の調査が入っているらしい。

円満移籍でない場合、無期限の出場禁止など、事実上、選手の移籍に制限を掛けているのだそうだ。

連合の理事がインタビューに答えて「育て上げた選手が引き抜かれる損失」「特定のチームが強くなることで競技の魅力が低下する」と話した。

僕も、経営に関わる身として理解できる話だ。

手を掛ければ掛けるほどに情が湧くし、想いも強まる。

お金だって掛けている。

そんな選手がある日突然、反旗を翻しチームを離れたら大きなショックと痛手を受けることは想像に難くない。

だから自由な移籍を禁止しよう、と関係者が合意してしまう。

一見、違和感がない理屈だけど、でもそれは知らずにどこかで人を「駒」として扱っていること気づく話でもある。

組織を預かる者は、忘れずに点検しなくてはならない話だよ。


自由は止められないけどこの場合のリードは責任

2018年12月19日水曜日

在庫を背負わない身軽さを生かす

先日、ほぼ日から万年筆販売のお知らせが来た。

ノック式の万年筆で抽選とのこと。

僕は抽選には強くないので、まあ、だめもとで申し込んだのだけど、案の定、選外のお知らせが届いた。

そのお知らせには、7月に受注生産した分の余りで少量でしたとの記載があったのだけど、商品を売り切る事は難しいよね。

受注生産なのになぜ余ったのかはわからないけど、売り物がなければ商売にならないし、売れ残れば商売が厳しくなる。

商品がどんどん売れて、回転がよければ見えなくなる問題だけど、回転が下がる在庫の消化は途端に重荷となってのし掛かってくるのだ。

以前の仕事では年度末に「棚卸し」といって在庫量を調べていたけど、売れていても売れなくても気が進まない仕事だったなぁ。

それに比べると、今の仕事には「棚卸し」が無く、その分は身軽なのだから新しい事へチャレンジしなくちゃね。


身軽だね

2018年12月18日火曜日

「褒める」知性

僕は「褒める」ことはとてもナイーブな知的行為だと思う。

もし、なんでも「褒めて」しまうと効力感の高い人を育てることは出来ても、我が身を振り返る「内省」が出来ない人にしてしまう可能性も少なくないだろう。

それは、褒められすぎる環境に育った有名人の子供の在り様からも推察されるよね。

また、「褒める」ことで自尊心を傷つけてしまうこともある。

本人はまだ足りないと考えているのにべた褒めするのは嫌味だ。

で、ね。それら考えるに、相手の発達度合いやマインドを考えて「褒める」ことが大事だよね。

それは、とても知的な行為であり、知性が必要なことなのだろう。


よく出来ました

2018年12月17日月曜日

物語の「終わり」にある「始まり」

何事にも始めがあれば終わりもある。

始めるときがあれば終わるときもある。

計画も立てるときが楽しいけど終わるときにホッとすることもあるよね。

もちろん、始めたらやりきる人、計画を立てたら完遂する人は一貫性があって素晴らしい。

一方で、僕は素晴らしい人ではないから終わりたくなると悶々とするのだ。

僕の周りを見回して見ると素晴らしい人がたくさんいるのだけど、そんな時それらの人を見ているとなぜか余計に落ち込んでくることがある。

「こんなことで悩んでいるなんてなんて僕は小さいんだ・・・」とね。

そこで、僕は悶々としたら終わりに始まりがあるような映画を観ることにしている。

例えば、「Life」とか「マイインターン」といった「続編」ではなく新しい物語の「始まり」があるようなきにさせる映画である。

新しい物語が始まりそうな余韻を感じることで気持ちを「終わり」から「始まり」にひっくり返すわけだね。

僕の人生にこうして、小さいな死と小さな誕生が繰り返されているのだ。


ありがとう

​

2018年12月15日土曜日

生きる自分、成長し続ける自分を見つけよう

僕たちは、ある状況に出会ったり、想定したりして事の良し悪しを考える 。

裏を返せば、状況に出会ったり想定しなければ事の良し悪しは存在しないのだ。

それだけ、対処的に生きてい流のだけど、ひょっとしたら良し悪しによって生命の力を見失っているのかもしれない。

どういうことかと言えば、僕たち生き物が持っている「生きる力」はすごい力だ。

それだけすごいのに、なぜか僕たちは「足りていない」。

楽しさも「足りない」し、僕たちの力も「足りない」。

その 「足りなさ」は事の良し悪しから生まれているのではないかな。

「良し」を「もっと良し」に、「悪し」は無くて、そして生きること以上に何かを欲する。

でも、もっと「生きる力」、「成長し続ける自分」を認めるべきだよね。


生きる



人を憎まず罪の憎むことの背景にある人の業

僕たちは過ちを犯す。

僕たちが過ちを犯さなくても僕たちの行為が誰かを傷つけることがある。

僕たちにとってそんな時その原因を誰かのせいにすることは珍しいことじゃないよね。

僕たちもそんなに強い存在じゃない。

僕たちでそんな時に出来る事って何だろう。

僕はそれは自分の心地よさに向き合う事だと思うよ。

苛立ち、腹立たしさを吐き出す心地よさに向き合う事だね。

居心地の悪さに向き合うことは学びであり成長の本質であるのかもしれない。

そう、成長し続ける魅力的な人になるには心地悪さに向き合うことが必須なんだろうね。


心地よいらしい

2018年12月14日金曜日

無意識バイアスによる選好を知って悩むを減らす

僕たちが職業を選択する動機は様々だ。

やりがいを持って仕事に向き合うこと、誰か他者の役に立つこと、能力を高めて役割を果たすことなどだね。

一方、どのような職業にはマインドセットとスキルが必要だ。

心構えと必要とされる能力を発揮する技能である。

動機はあっても心構えや技能が足りなければミスマッチだし、その逆も同様だ。

心構えと技能、両方とも備わっていることは多くないだろう。

どちらか一方を備えているけどもう一方が足りないとき、それは学ぶ必要があるのだけど、得てして僕たちは自分の得意な方をより重視してしまう。

無意識バイアスによる選好だ。

でも、仕事で向き合う壁は軽視している方になる。

そして仕事が自分には向いていないと感じるのだ。

無意識バイアスによる選好を知っていれば仕事が自分に合っていないのではないかという悩みは軽減されるだろう。


悩んでる?









2018年12月12日水曜日

真剣さって怖いものだよ

先日、僕の会社が行ったセミナーで社長が気迫のこもった締めの挨拶を行った。

僕にはとても良いスピーチに思えたのだけど、セミナーに来ていたお客さんの中には「怖い」と感じたいとも居たらしい。

そういえば、僕が採用面接で真剣に質問をすると、参加しているメンバーには「怖かった」「詰めていた」と映るらしい。

もちろん、僕にはそんな意識は無い。

で、ね。人が真剣になればなるほど、周りの人は恐怖心を持つようだね。

昔から「鬼気迫る」というけど、生き物は本気の相手に近づくのが危険なことを本能的に察知しているのだろう。

ところで、弱肉強食の世界ではそれも道理だけど、ナレッジワークにおいて命が危険に晒されることはないのだから「怖がる」前に自分の真剣度合いの低さに気づいた方が良いよね。

逆に相手に怖さを与えられない「真剣さ」って無いのかも知れない。


真剣!



2018年12月11日火曜日

自分の壁を知らずして他者の力は借りられない

人は知らず知らずに自分と似た人に好感を持つ。

お互いのフィーリングが合うから意気投合しやすいのだ。

一方で、自分と全く異なるタイプに惹かれる。

未知のものに触れることで気づき、発見が溢れているからね。

さて、自分の強み、弱みを知った上で自分と似ている人に向き合うった場合、一概に好感を持つとは言えないようだ。

その人の行動の背景にある本質を捉えることになるからね。

例えば効力感が高い人は時に自惚れやすい。

他者に害を与えない自惚れならば罪は無いけど、自己正当化による正義の濫用にはくれぐれも注意しないといけない。

結局、誰かに迷惑を掛けることになるからね。

ゆえに、自身を客体化している人は、自分に似て効力感の高い人に好感というより懸念が先立つのだ。

それは自分自身への問いかけでもあるよね。

人は、他者の力を借りて自分の壁を越えていくものだけど、自分の壁をまず知ることが他者の力を借りられる前提なのでしょう。


自分の壁を知ると起こること

2018年12月10日月曜日

街が赤く色づく12月

クリスマスが近づくとなんとなく街中に赤いものが増えていく気がする。

一説には、サンタクロースに赤い洋服を着せたのはコカコーラ社なのだそうだけど、まさかここまで浸透するとは思っていなかっただろうね。

ただ、僕たちはそうして彩によって上書きされた世界にどこか安心感を持つのだ。

なぜだろう。

僕たちは慣れ親しむことで緊張を緩めることができる。

楽しかった出来事を思い出して幸福感を味わうこともできる。

おそらく多くの人は上書きされた世界の中ではリラックスして多幸感のある時間を過ごすことができることを知っているのだろうね。

もちろん、それがクリスマスや赤い服を着たサンタクロースであるとは限らないけどね。

そして、サンタクロースの赤であり、クリスマスの赤は今年もさらに濃く街を染めているのだ。


だぁ〜れ?



2018年12月9日日曜日

活躍する人がロールモデルではなくアンロールモデルになるときに内省すること

先日、ある会社の人から、今年入社の新入社員が仕事をしっかりこなしている先輩を自分の近い将来の目標とするのではなく、むしろ「○○先輩だから出来ることで私には無理です」と言うので困っている、と聞いた。

この話、その会社特有のものではないだろう。

大学でも、頑張る先輩や同期を見て「自分には出来ない」「自分には向いていない」と諦めてしまう学生がいるらしい。

それ故なのか、最近、会話の中で「効力感」という言葉をちらほら聴く機会が増えた気がするね。

前にも書いたけど、効力感とは、「結果予期」と「効力予期」があって、明らかな根拠が無くても「きっとうまくいく」「きっと出来る」と信じる態度だ。

だから、「きっと上手くいかない」「私には無理だ」と信じる態度は、効力感が乏しいと言える。

ただ、僕には冒頭の新入社員や諦める大学生は、効力感の無さだけでなく心地よさを選ぶ表明の仕方にも思える。

本当は出来そうだけど、面倒なことはしたくないから「自分には無理」と宣言しているのかもしれない、とね。


で、ね。活躍に接近するのでなく、回避するマインドは決して今に始まったことではないよね。

僕にも過去、思い当たることがある。

さて、この回避するマインドを乗り越えられるのは、他者や環境から引き出される己の力によってだ。

何故ならば、回避するマインドは経験のネガティブな意味づけから生まれるものだから、上書きするには当人が経験をポジティブに意味づけすることがどうしても必要なのだ。

結局、活躍している人がアンロールモデルになっている場合、予期態度ではなく意味づけを点検し内省することが大切だと思う。


もうすぐクリスマス





2018年12月8日土曜日

レンズを換えて写真を楽しむことから気づく「目」の凄さ

犬の写真を撮っていて、色々な表情を発見するのだけど、カメラを変えるとさらに色々な表情を見ることができる。

この写真は、超広角レンズで鼻先1cmくらいから撮ったものだ。
鼻がデフォルメされてかわいい。


一方、こちらの写真、標準画角と呼ばれるもので50cmくらいの距離から撮っている。
キリッとした顔に写っている。
同じ犬なのにまったく表情も体つきも違っていて、写真を撮る楽しみがそこにある。

ところで僕たちはカメラみたいにレンズを付け替えなくてもこういった違った表情を見ているのかもしれない。

犬が僕の顔をぺろぺろ舐めているとき、真近で見れば上の写真のように鼻ばかり見えるし、お座り、待たしてちょっと離れれば全体が良く見渡せる。

電池も要らなければ、シャッターを押す必要もない。

そう考えると人間の目って、ほんと凄いよね。


さて、昨日のエントリー、思慮が浅く人気取りとのコメントもあったけど、肝心なのは僕の思考力や目的がどうこうでなく、僕たちの働き方が、カフェの経営を苦しめていることに気づいて、行動を変える必要があるのということ。
世の中の「全てのカフェ=仕事ができる場所」の意識構造を変えるのは大変だけど、一人一人の行動はすぐに変えられるからね。
もちろん、長時間居座ったり、他のお客さんに迷惑をかけてカフェの経営を苦しめるのは働き方だけじゃないから、合わせて、無意識の迷惑行為に気づいて自らの行動を変えられると良いよね。


ちなみに、美味しいコーヒーや食べ物でなく、場所を時間貸ししてくれるカフェもあるようなので、カフェで仕事や作業をしたい人にオススメします。僕も仕事をするときはそういう店を探して行きましょう。


神楽坂だそうです




2018年12月7日金曜日

カフェでのテレワークを止めよう! 働き方改革って誰かに迷惑をかけることではないよね

僕の会社の近くにある居酒屋は、昼間にランチ営業をやっていて繁盛している。

僕もたまに寄るのだけど、席に座って注文してお腹一杯食べて、勘定を済ませるまでおよそ30分くらいだ。

定食はだいたい1000円くらいだけどボリュームもあって満足度が高い。

次のお客さんが待っているので食べたらさっさと店を出る。

だから、ゆっくりとしたい時はその店のお弁当を買って会社で食べている。

さて、その店でランチタイムにパソコンを開いて仕事をしようとする客は居るだろうか。

皆無だしあり得ない。

ところが、お店が定食屋でなく、カフェになると皆がパソコンを開こうとする。

しかも、料理を頼まず、コーヒー一杯で2〜3時間、席を占拠することに罪悪感も持たない。

スーツを着てネクタイを締めたサラリーマンが、だ。

そんな酷いことで僕の大好きなカフェがカフェでなくなろうとしている。

数百円のドリンクで2〜3時間、席を占拠されたら店の経営は成り立たないよね。


多くの企業が働き方改革の流れからテレワークを導入しはじめているよね。

パソコンの利用でそれまでの手作業的分業を一人でこなすようになり、ネット環境も良くなったので、オフィスでなくても効率的な仕事ができる状況になった。

それは働き方改革であって、政府も推進している。

となると、企業は、社員を高い地代の掛かるオフィスに縛りつけなくてもよいのでテレワークを躊躇う理由が消えた。

生産性も上がり、コストも下がる、まさに一石二鳥だ。

その煽りをカフェが受けるのはどう考えてもフェアじゃない。

テレワーク導入企業は、自社が負担すべきコストをカフェに転嫁したのだ。


僕は、カフェは美味しいコーヒーや食べ物で僕たちが寛いだり人とつながる場であって欲しい。

もちろん、コンセントなどを設置してテレワークを積極的に受け入れるカフェもあるだろうから、テレワークをするならそういう店に行けばよいのではないかな。

多くの飲食店での喫煙が禁止になる中で喫煙可とするお店があるのと同じだ。

テレワーク可のシールでも作って貼り出せばよいだろう。

で、ね。デフォルトはカフェでのテレワークは禁止、だよね。

その上で僕たちはどうテレワークをするのか考えなくてはならない。


さあ、止めよう!













2018年12月6日木曜日

「役に立つ」という言葉の背後に潜む影

大学生と就活の話をしていると、具体的に何の仕事をしたいのかははっきりとしないけど、人の役に立つことをしたいという学生が多いように思う。

それ自体、否定されることではないのだけど、役に立つ、立たないってどうやって線引きするのかを考えると実はかなりブラックな言葉だよね。

例えば、もし僕が先生で、役に立つ教材をありったけ揃えて役に立つ生徒の育成に力を注いだとしたら、それは教育というより強欲に写るかもしれない。

なぜかといえば、役に立たないことには価値が無いと決めつけるのに等しいからね。

僕たちは小さな頃、役に立たないものを使って自分の世界を広げていた。

そうやって僕らは自分を主語としてあまり役に立たないと思われる様々なことを「役立てる」能力を磨いていたのだ。

ところがある時、「これは将来役に立つから」という他者が主語の言葉を上書きされる。

それによって「役立てる知恵」よりも「役に立つ」「役に立たない」が物事の判断の基準になるのだろう。

人に喜ばれる、役に立つ仕事をしたい、と考える学生は、裏を返せば人があまり関心を持たず、役に立たない仕事はしたくないと線引きしている。

そこに自分を主語とした 「役立てる知恵」は見当たらない。


これっ (-.-),,oO(役に立たないけどね)

2018年12月5日水曜日

「聞き耳」持たない時の横暴なコミュニケーションに気をつけよう

犬との遊びでコマンドを使うことがある。

例えば、「お座り」「伏せ」「待て」などのコマンドでちゃんと出来たらおやつをあげるといった遊びだ。

この遊びをしていると、コミュニケーションの本質に触れることができる。

その一つは「聞き耳を持っていることが大切」、である。

他のことに気を取られている時にコマンドはまず入らない。

そりゃそうだよね。

しかし、この原則を僕はしばしば忘れてコマンドを使ってしまう。

コマンドを使ったら、何に気を取られていても正しく行動しなければならないと考えているとしたらかなり横暴だろう。

そこではたと気付くのは、仕事ではこういった横暴さが溢れているのかもしれないということだ。

何か他のことに集中している、疲れている、眠いなどのときであっても「聞き耳」を立てることを無意識に強要する行為は、社内外、上下問わず横行している。

犬ならただ無視されるので自分の意識や行動を変える気づきがあるけど、人は仕方なしに対応してくれるから気づけない。

今夜もそんな気がする。


立っているけど僕への聞き耳ではない





2018年12月4日火曜日

「触覚」を使って僕たちが確かめるもの

この前、NHKの「チコちゃんに叱られる」を観ていたら面白い話をしていた。

それは「触覚」に関するもので、痛いときになぜ手をあてるのかに対する答えだ。

どうやら、脳の感覚には優先順位があって同時に複数の感触があると、運動、触覚、痛み、冷覚、かゆみの順番で優先するらしい。

そう言えば、かゆいときには冷たいものに触れると良い話は聞いたことがある。

同様に、痛みは触覚によって薄まるため、痛いとき人はつい手をあてる。

この触覚、ひょっとしたら本当に手などで触るだけでなく、触ったように感じたいと言う欲求にも繋がっているのかもしれない。

例えば、自分で確かめた「ひと」や「こと」しか信用しない(出来ない)人のことを「手触り感を大切にする」というけど、そういう人はより強く脳で「ひと」や「こと」を感じとりたいのではないだろうか。

一方で、そうでない人は、手触り感を持たなくてもあまり不安にならない「ドライな人」だ。


運動を行う場合、体は安静時よりも危険な状態にあるので感覚が活性化するのかもしれないけど、次に触覚が優先されるのは、触れるものからのフィードバックに大きな意味があるのだろう。

もっとも下手に触れると、セクハラやら痴漢と言われかねない時代だから、触れたい欲求が薄い「ドライな人」の方が社会的には有利かもね。


手触り





「ここまでの足跡」と「その先の足跡」に関心はありますか?

犯罪現場で刑事が証拠に足跡を採取する。

最近はあまり見ないけど、昔の刑事ドラマでよく見かけたシーンだ。

足跡は、行動からその人にたどり着く重要な情報だよね。

以前は足跡と言えば物理的なものだったけど、ミクシーあたりからバーチャル化して、今や様々な履歴が足跡情報として残されている。

さて、足跡は当然ながら行為、行動の後に残されるもの、”残り物”である。

「残り物には福がある」ということわざに因めば、足跡は僕たちを幸福に導いてくれるのかもしれないね。

一方で、僕たちがこれからどこに足跡をつけていくのかは、まったく未知だよね。

だから、ここまでの足跡からはありったけの福を貰って、その先の足跡に関しては何も囚われる必要は無いってことなのだ。

ここまでの足跡で未来が決まっている訳じゃないから、僕たちは過去も未来も、もっと関心を持って大切にした方が良い。

自分がどんな足跡をつけていくのかってことにね。


足跡をつけよう

2018年12月2日日曜日

目を使って「見る」?「観る」?「診る」それとも「語る」?「関わる」?

目は僕たちにとって情報の入り口だ。

人間が取得している情報の7割以上が視覚からとも言われるくらい、たくさんの情報を目から取り込んでいる。

一方で、「目は口ほどに物を言う」と言うことわざがあるように、僕たちは目を使って意志を相手に伝えている。

例えば、目線。

よく参加する法政大学長岡ゼミのカフェゼミで、長岡先生は「これは授業だから、誰でも指すことがあります。特に目線を合わせないようにした人を教員は指すものです」との話を必ずされるけど、目線からその人の自信や態度が伝わってくるよね。

以前、聞いた話で、人間以外の動物に白目がほとんど無いのは目線を悟られないようにするためだそうだ。

弱肉強食の世界では、目線が生死を決することも少なくないのかもしれないね。

さて、採用面接を行っていて僕が気にするのはやはり目線である。

応募者を理解する上で目線から「自信」「誠実さ」「謙虚さ」「納得感」「理解度」「興味関心」などを感じ取っている。

しっかりと見て話せれば「自信」、目をしっかり見開いて話を聞ければ「誠実さ」、目線を下げ気味に内観すれば「謙虚さ」、見開いて聞いて見つめ返して話せば「納得感」、少し目を細めて目線は外さずに頭を小刻みに振れば「理解度」、そして、話をしたり聞いたりするときに目がキラキラ輝けば「興味関心」といった具合にね。

まあ、それらは、主に印象として感じ取るものなのでバイアス(決めつけ)が掛かっていることも忘れてはいけない。

とにかく、良い目線を持つ人は、とても魅力的であることは間違い無いと思うよ。


こ、この目は・・・




神様がお家にやってくるヤァ!ヤァ!ヤァ!

もうすぐクリスマス。

きっと多くの子供たちは、サンタクロースが家にプレゼントを持って来るのを心待ちにしていることだろう。

一方、ユネスコの無形文化財にナマハゲに代表される来訪神が認定された。

こちらは、子供を怖がらせて生活態度を改めさせるといった躾の一貫であるように思える。

もちろん、招福厄除けの効果も絶大らしい。

世界的に共通しているのは、家に神様が来てくれて、いいことがあるってことなのだろう。

神様を招くための準備も大切だよね。

さぁて、クリスマスに正月と日本人はお迎え準備で大忙しの時期が始まったぞ、ヤァ!ヤァ!ヤァ!


おむかえでつ




2018年12月1日土曜日

固有性と社会性の関係を考える

色々な人から学び方や成長に関して聞くと、実は目新しいことってあまりない。

これまで言われてきたことや、「そりゃそうだよね」となることが圧倒的に多いのだ。

先日、大学生のインタビューを行ったのだけれども、ある経験を通じてとても良い影響を受けていた。

そう、僕たちは、自分の力だけでなく、他者の力によって学んだり、成長させてもらっているのだ。

さて、目新しいことがあまりない一方で、学び方や成長の多様性には本当に驚かされる。

一人一人が自分の人生を生きている実感が得られると言い換えても良いかもしれない。

僕が「多様性」と言うときは、価値観や文化的背景の多様性だけではなく、多くの場合は個人の性格特性のおける多様性なのだけど、性格特性をベースにした行動の結果おこる経験と学びの固有性と、それでありながら他者と高度に関係を築き、複雑な社会に参加し構成する能力の関係を知りたいものだ。


出会いから始まる