今にして思うと、高校生ぐらいまでの学校というものは、知識を身につけるところというより、物事を教わる癖、物事を覚えるという癖、そういう癖を身につけて行くところなんだろうな。
〜中略〜
ところが、そのあとで、なるべく早い折に、専門課程に進んでからか、あるいは実社会に出てからか、姿勢の大転換をはかる必要がある。
「うらおもて人生録」色川武大 より
僕大学生のアルバイト話を聞くたびに皆、真面目に働いてえらいなぁ、と関心する。
もちろん、働かなくてはならない理由もあるわけで遊びの延長じゃない。
真偽はわからないけど、社員よりも真剣に仕事に向き合っていたという話も聞く。
そこで、色川さんが言うところの大転換をはかるタイミングでのアルバイトについて考えてみた。
僕が仕事をしていて常々思うのは「せねばならぬ」と「したい」の違いだ。
この差は大きい。
まず、「せねばならぬ」で力が出るときが間違いなくある。
使命感であったり責任感であったりするのだろうけど、僕たちが子供の頃に憧れた正義のヒーローが活躍するときは皆、「せねばならぬ」だったよね。
でも正義のヒーローは週一、さらに3分間と、瞬間的に力を発揮する人(?)たちだ。
一方、使命感、責任感を果たし続けるのは困難で、周りを見ていても、息切れを起こしてその人の癖が噴き出してくる。
つまり、「したい」ことを始め「したくない」ことを避けるようになるのだ。
「したい」ことがないと「したくない」ことだらけになる。
一方、「したい」は力が自然と湧き出してくる。高い集中力とモチベーションを持続的に維持することが可能だ。
そして僕には、「せねばならぬ」を身につけて、「したい」に一気に切り替えるのが色川さんの言う大転換ではないか思えた。
さて、最初から「したい」ことをしようとする人(子供の頃の色川さんはそのようであったみたい)はわかり易いけど、「せねばならぬ」を身につけている人がいつ息切れを起こすのか予測するのが難しい。
自分をよくモニタリングしている必要がある。
「せねばならぬ」も「したい」も中途半端が一番よろしくない。
何事も続かない一方で、やりたいこともない状態だからだ。
で、ね。大転換を迎えている大学生のアルバイトは、「せねばならぬ」と「したい」、どっちのモードなのかよく考えるべきじゃないかな。
「せねばならぬ」だけなのに長続きしていたとすると、高い使命感、責任感を伴っていない可能性があってそれでは「せねばならぬ」は身につかないだろう。
「せねばならぬ」で高い使命感、責任感を果たす癖をつけるのか、勉学を通して身につけた癖を活かし、「したい」ことに大転換するのかまさに向き合えるタイミングだからね。
もちろん、選択肢は2つだけじゃないし、答えがあるわけでもないのだけど。
大転換の先にある姿