2020年12月31日木曜日

なぜの谷のナウシカ、だぜ

 大晦日の今日、NHKでコロナ新時代への提言2という番組を再放送していた。

東京都の感染者が1300名を超えた大晦日、結局、今年一年新型コロナばかりだったなぁ。

さて、番組は”生物学者・福岡伸一、歴史学者・藤原辰史、美学者・伊藤亜紗が人類や世界が向かうべき道を語り尽くす”というものなのだけど、流石NHK、ぼくはこの番組と「神の数式」と「欲望の時代の哲学2020」のために受信料を20年間払っても文句は言わないぜ。

さて、番組では「風の谷のナウシカ」の漫画版が取り上げられていた。

筋金無しの僕はジブリ大好きで映画版は何回も観ていたけど漫画版は読んだことがなかった。

再放送と観て早速、ヨドバシ・ドット・コムに注文したら大晦日の今日に届いた。

ヨドバシカメラ、凄すぎるぜ。

番組の主題は「ロゴスとピュシス」である。

言葉・論理と自然、と言い換えても概ね間違っていないだろう。

そして、ロゴスによって僕たちの先祖やナチスが犯した過ちと、今回の新型コロナを巡る混乱が結局は同じであることがよーく理解できた。

僕の2020年まで十数年の葛藤もよくよく考えれば「ロゴスとピュシス」の問題であったのかもしれない。

と、年末に大きなプレゼントをNHKから頂いて、クリスマスの虐殺みたいなロゴスメッセージも僕にとっては大きな気づきと次のステップに向けた後押しになっているらしい。

ということで、僕は開いていた僕の2021年の扉が今日さらに照らされたと感じているのです。

To be continued.


 正月はこれ!




2020年12月30日水曜日

住めば都はどこにあるのかしらん

 僕は東京の下町で生まれ育ち、そして実家を出た後も下町で暮らしている。

特に下町に思いが強いわけでもないし、祭りや町内会は苦手だ。

そんなこともあって東京下町以外の場所に住んでみたいのだけどどうもイメージが貧困だ。

テレビでに新潟県十日町市竹所集落の古民家再生を観ればそこに住みたくなるし、ふと思いついて検索してみると実はそこは移住で人気の場所だったりしてガクッとくる。

住まいを思い浮かべると再生古民家であったり平屋建てで大きなウッドデッキがあるスマートな家であったりと、これもなんだか雑誌やらテレビの影響をがっつり受けている気がする。

まあ、影響を受けているのは情報よりも場所に価値を見出し暮らしている人の芯の通ったライフスタイルなのだから、一番大切なのは「どこで」ではなく僕自身の価値観だ。

そのことはわかるようになってきたのだけど実践はなかなか難しい。

便利で楽なことに慣れてしまっているから、かもしれない。

例えばトイレが汲み取り式と聞いただけでもう、腰が引ける。

ムカデがでそうだなぁとか熊がいるかもとか雪がふかく寒さが厳しいとか、それだけで気が引けてしまうのだ。

自然豊かな場所への旅行で至れり尽くせりの素敵な宿に泊まるようなわけにはいかないのにね。

いま、一番大事だと考えているのは僕と僕の家族が自然と元気になる場所、ということである。

適度な刺激と快適な自然に僕たちがバランスよく出会える場所だ。

はてさて、そんな僕たちの住めば都はどこかにあるのだろうか。


見慣れ見飽きた風景



2020年12月29日火曜日

奇跡ってあるんだね

僕は今日の午後、僕の犬と散歩をしていた。

冬のこの時期は日が暮れるのが早い。

天気がよくても日が暮れると急に寒くなるので早めに散歩をするのだけど、帰り道は大概、日が沈む直前になる。

そんな時、僕は沈む夕陽を背景に犬の写真を撮っている。

今日は、公園を通るときがそんなタイミングだった。

公園には小さな池があってある時間になるとミストを出す演出が設定されている。

まさにそのタイミングで背景に沈む夕陽があったので犬の動画を撮りはじめた。

すると公園で遊んでいた幼い姉妹がミストで遊びに犬の背景に入ってきた。

結局、僕はその一連を撮影したのだけど、よく考えたら日が沈むこの時間にその場所に居ること、それが丁度ミストが出る時間であったこと、そこに子供がいたこと、子供が背景に入ってきたこと、その子供が手をかざしたこと、これが一緒になることはどう考えても奇跡だよね。

奇跡ってあるんだなぁ、と実感した年の瀬でした。


奇跡だ



2020年12月28日月曜日

ゴヒイキにする時間はどこにあるのかな

 ゴヒイキというサイトがある。

最近のサービスはなぜか、4文字以内のカタカナが多いのだけど、見ただけで何を伝えたいのかが分かりやすいよね。

さて、僕はこのサイトでみかんを買った。

とある犬猫サイトで繋がっている人がこのサイトでみかんを販売しているのだ。

僕はゴヒイキさんになったわけだ。

だからサイトを知って、そのみかん農家を知って、ゴヒイキさんになったわけじゃない。

ゴヒイキさんだからサイトでみかんを買ったのだ。

世の中にはいろいろなECサイトがあるけど、ECサイトのコンセプトに共感してアクションを起こす人はそれほど多くないのかもしれない。

登録してからやたら多くのメールが届くけど、もはやジャンクメールと化した。

多くの人は、やはり目的があって、それを達成する手段としてサイトを使うだろう。


もちろん、ネットで偶然出会って、ということもあるだろうけど、ネットスマホ社会は僕たちにそんな余裕を与えてくれないのが悩みのたねである。


大切なゴヒイキ


2020年12月27日日曜日

愛と金のコンツェルト(協奏曲)

僕が今の人と組織に関する仕事に就いてからいろいろな人との出会いがあった。

多くのいろいろな人、とね。

その人たちの特徴を恐れを知らずに二元論的に一言で語ってしまえば「愛の人と金の人」だ。

「金の人」と言ってしまうとちょっと印象がわるいかもしれないけど、ビジネスパーソンと言い換えると良いのかもしれない。

業績やビジネスモデルに一番の価値基準を置いている。

「愛の人」の特徴は、他者への貢献心が高く、強い学習意欲をもって、スキルを活かそうとする人たちだね。

もちろん、この2つでくっきりと分かれるわけではなくて状況によってどちらかの顔が出てくるのだけど、さあどっち?と決めるならこっちだね、と見分けることができるように思える。

まさにこれをご自身で語られた方がいらっしゃった。

ビジネスパーソンから愛の人になった方だ。

決めつけてはいけないこと、だけどね。

で、ね。先週一週間考えていたのは「愛と金」のことなのかもしれない。

僕は・・・愛の人のが好きで、自分もそうなりたいかは模索中です。

(月)あなたが肩入れしたメンバーは残っていますか?
で、ね。50代からは生殖課題の結果をリフレクションする時期なのだと思うよね。

(火)僕たちがもっと意識を集中すべきこと
だから、何に興味をもち誰と関わるのか、自らのビジョンをどう描くのか、に僕たちはたくさん気を遣うべきなのかもしれないね。

(水)ヒポクラテスの誓いにただ乗りしてはいけない
橋のライトアップをブルーにするのも良いけれど、感染者増加の状況を知り、言われなくても自らの行動を律することができなければ、僕たちは誓いにただ乗りしていることになってしまうのだろう。

(木)これからのクリスマス
といったことに注目しながら来年、再来年のクリスマスを見てみたいと思う、僕の今年のクリスマスなのである。

(金)コーヒールンバ♬
なんだか、より身近になったのかそれとも手が届きにくくなったのかよくわからない、愛のコーヒールンバだね。

(土)エコシステムとプラットフォーム
わかりやすく言うと「みんなハッピー」がエコシステムで「俺だけ超ハッピー」がプラットフォームなんだろうね。


金にまみれず愛は輝く


2020年12月26日土曜日

エコシステムとプラットフォーム

僕の理解では、エコシステムは生態系をイメージした相互依存的な循環モデルだ。

一方、プラットフォームは排他的で独占的なビジネス戦略である。

エコシステムの中には様々な価値観や役割があるけど、プラットフォームはデファクトスタンダードの獲得、つまり勝者の総取りってことだね。

ゲームであれば総取りほど嬉しいことはないし儲かることもない。

だから、プラットフォーマーでは総取りに向けた指標(例えばチャーンレート)が大切なのかもしれない。

一方で、総取りされた人は惨めなことになる。

さて、エコシステムに総取りの概念は無くて、それぞれが適切な貢献と固有の過程において適切な収益をあげる。

つまり循環における利潤の最大化がポイントだ。

わかりやすく言うと「みんなハッピー」がエコシステムで「俺だけ超ハッピー」がプラットフォームなんだろうね。


みんなハッピー?


2020年12月25日金曜日

コーヒールンバ♬

 家の近くにコーヒーのお店がある。

コーヒーの店といっても喫茶店やカフェではなく、色々なコーヒー豆を焙煎して挽いて売る店だ。

先日、テレビを見ていたら、今までは焙煎の機会は大きくて300万円以上していたのだけど、最近は小型化がすすんで、60万円くらいからあるらしい。

それによって、コーヒー豆を焙煎して売る店だけでなく、カフェなどでもお店で焙煎して提供する店が増えているのだそうな。

美味しいコーヒーを飲める機会が増えることは個人的に大変喜ばしい。

さて、僕が子供の頃はコーヒーは砂糖とミルク(的なもの)を入れて飲むものだった。

しかし、今は、砂糖とミルク(的なもの)の消費量はどんどん減っているらしい。

ブラックでコーヒー本来の香りを味を楽しむ人が増えたのだ。

また、僕の世代では美味しいコーヒーは苦みや深みがあるものだったけど、最近は、浅煎りで酸味があってフルーティ、より新鮮なコーヒー豆の味をたのしむ若者が多いらしい。

NHKの朝ドラで昭和初期の街並みに「ヒーコ」という看板が出ていたし戦時中の代用コーヒーなんていう話も出てきていたから世代ごとのコーヒー観って僕が思っているよりも違うのかもしれないね。

さて、この前、色々な豆を試す中でフルーティ(酸味がある)なものを選んだことがあるのだけど、家ではあまり好評じゃなかった。

やはりコーヒー観が違うのでしょう。

世界的にコーヒーの需要が増えていて(飲む国、飲む人が増えた)希少なコーヒー豆はだいぶ高騰しているらしい。

タイでは像に食べさせたコーヒー豆が1杯あたり7000円(35グラムで14000円)で流通していて富裕層に人気だそうだ。

なんだか、より身近になったのかそれとも手が届きにくくなったのかよくわからない、愛のコーヒールンバだね。


エスプレッソ ドッピオ





2020年12月24日木曜日

これからのクリスマス

今年もクリスマスイブが来た。

クリスマス自体はキリスト教徒のお祝いだから八百万の神派の自分には本来、関係ない。

日本全体でキリスト教徒は人口の1.1%だそうだから、これは僕だけの話ではないのだろう。

しかし、僕も含めて日本全体でメリークリスマスが飛び交い、色々なサンタクロースが行き交うのだ。

考えてみると不思議な現象だね。

八百万派にしてみれば、その中の1つなのかもしれないけどキリスト教などの一神教は多神教をずっと否定しているのだから本質的には受け入れられないはずである。

日本社会は多様性なのか、画一性なのかクリスマスを見るとよくわからない。


さて、この状況はこれからもずっと続くのだろうか。

単純に考えるとシナリオは3つだろう。

  1. 今の状況がずっと続く
  2. 今よりも盛り上がる
  3. 下火になってやがてキリスト教徒だけのお祝いになる
それぞれの背景を考えると、1は信仰よりも西洋文化のムーブメントとして国民の利益に叶う場合に成り立ちそうだ。

キリスト教徒が急激に増えれば2のシナリオになりそう。

一方で3に関しては一人ひとりがより厳密に宗教や信仰を考えるようになると迎えるシナリオだろう。

もしくは歴史を紐解くと権力と宗教の対立が発生すると下火になるのかもしれない。

先日のアメリカの大統領選挙などをみると宗教と権力の間には強い関係性があるように思えるから、そんな状況がやがて日本にも訪れるかもしれないね。

といったことに注目しながら来年、再来年のクリスマスを見てみたいと思う、僕の今年のクリスマスなのである。


これからどうなる?



2020年12月23日水曜日

ヒポクラテスの誓いにただ乗りしてはいけない

医師の任務や倫理について説かれた「ヒポクラテスの誓い」というのがあるそうだ。

人の生死に深くかかわることになる医師はどのような誓いをもって仕事に向き合うべきか、とても重要なことだと思う。

医師ほど生命に対して重責を負っている職業は無いから「ヒポクラテスの誓い」自体を行うかはともかくとして、そこに記された任務や倫理は僕たちにとって暗黙の期待であるように感じられるし、実際に医療を受ける際、期待に応えてくれる医師の方々には感謝しかない。

特に今回の新型コロナウイルスでは、医療現場は、新型コロナウイルスへの対応とその他の通常医療の停滞、それらから生じる組織運営の困難さと病院経営の圧迫などなど、とても大きな困難に直面している。

さて、医療関係者への感謝があちこちで示されニュースになったけどGO TOが始まってから、なんだか巷の雰囲気が変わってしまったように感じる。

それは僕だけなのだろうか。

橋のライトアップをブルーにするのも良いけれど、感染者増加の状況を知り、言われなくても自らの行動を律することができなければ、僕たちは誓いにただ乗りしていることになってしまうのだろう。


気をつけましょう


2020年12月22日火曜日

僕たちがもっと意識を集中すべきこと

 僕たちは生まれた時に成長の設計図を持っている。

でもその設計図は概ねであって、僕たちの細部は作り上げられる途中で必要に応じて実装されていくらしい。

置かれた場所で咲くようになり、強みが活きる場所では強みが強化され、気が合うことや他人とつながりる場で解像度があがり、自らの完成形が描かれれば(ビジョン)それに向かう。

大事なのは置かれた場所、強み、気が合うことや他人、自らのビジョンのいずれだろうか。

この4つは排他的な関係性ではないからすべてが大事としても、どれか1つとしても、きっと間違いではない。

生来の設計図とこの4つが揃っていると「歴史的な人物」となる可能性が高まるのかもしれないね。

人類にとってプラスかマイナスかは別としてね。

一方で、置かれた場所と強みは本人のコントロールが難しいのに対して、気が合うことや他人と自らのビジョンは自律的に統制ができるものだ。

だから、何に興味をもち誰と関わるのか、自らのビジョンをどう描くのか、に僕たちはたくさん気を遣うべきなのかもしれないね。


全集中



2020年12月21日月曜日

あなたが肩入れしたメンバーは残っていますか?

発達心理学にはエリクソンの発達課題という有名な理論がある。

成長段階において獲得される発達を体系化したものだね。

もちろん、これは全体傾向のことで個別の発達は別だ。

個人的に課題を達成した、しない、と社会的な評価は別問題だろう。

ちなみに、発達課題は以下のようになっている。

0歳~2歳(乳児期) 基本的信頼感 vs 不信感
2歳~4歳(幼児前期) 自律性 vs 恥、疑惑
4歳~5歳(幼児期後期) 積極性 vs 罪悪感
5歳~12歳(児童期) 勤勉性 vs 劣等感
13歳~19歳(青年期) 同一性 vs 同一性の拡散
20歳~39歳(初期青年期) 親密性 vs 孤独
40歳~64歳(青年期) 生殖 vs 自己吸収
65歳~(成熟期) 自己統合 vs 絶望

さて、この発達課題で40歳から64歳は生殖、つまり後輩や子供のためになすべきことを決めるか否かが達成対象となる。

今日の産業組織であれば、40歳を過ぎるとマネジャーにならなくても後継育成に関わることになるし、家庭においては子育ての渦中にある時期だよね。

一方で、育成とか子育てには、その結果が5年後、10年後にならないとわからないという特徴がある。

なすべきことを決めても、その時にはなせたかわからないのだ。

その課題が5年後、10年後に達成できたのか知っても5年前、10年前に戻ることは出来ないよね。

だから静かに受け入れてその次の発達課題、自己統合に向き合うしかない。

会社で言えば、40代の頃の部下が50代になったときどうなったのか、だろう。

成果を出せずに転職していればなすべきことをなせたとは言えない。

やたら肩入れして重用した社員が会社に残っているのか、それは紛れもない事実として突きつけられる結果である。

で、ね。50代からは生殖課題の結果をリフレクションする時期なのだと思うよね。


そこに残るもの




2020年12月20日日曜日

身の回りの小さな世界に潜む意味

先週、僕が書いたブログを振り返ると「身の回りに広がる世界の事実」という意味が見えてきた。

身の回りのことから書くことが多かったのだね。

当たり前に受けている健康診断、目新しいといわれるお試し転職、ソーシャルのありよう、重さのなぜ、しなやかさを欠く世界、昆虫よりもリアルをしらないかも、と身の回りに広がる世界を自分の見聞きしたままでなくすこしだけ問いを起こしてみる。

研究テーマを掲げて科学し探求することは楽しいけど、身の回りの小さな世界に潜む意味から僕たちのバイアスを考えることも面白いよね。


(月)健康診断はバリウムの我慢大会
バリウムとそのあとの下剤だけでなく、いずれにしても「どう、我慢するか」なのだろうけど、健康診断ってそんなものなのかな、と我思うのである。

(火)お試し転職、アーユーレディー?
で、ね。お試し転職を目新しくとらえるのも良いけど、この悲しい事実に目を向けるべきなのかもしれないね。

(水)ソーシャルとプライバシーの境目
何事も事なかれ、でもいいけど、ネットワーク時代では時代遅れなのかもしれないよ。

(木)モノにはなぜ重さがあるのか
だから、これからの未来、例えそこに正当化される理由があったとしても自由な発想が弾圧されるようなことは決してあってはいけないと僕は信じている。

(金)跳ぶ前に屈むしなやかさを失わない
屈むことは決して楽で快適なことではないかもしれないけどその大切さを忘れてはいけないのだろう。

(土)本当は知らないリアルな世界
ひょっとしたら複眼を持つ昆虫は僕たちよりずっとリアルな世界を知っているのだと考えると、何だか不思議な気分だね。


なぜ?その意味は?


2020年12月19日土曜日

本当は知らないリアルな世界

昆虫には複眼という目を持つ種類がいる。

たくさんの眼があつまって目を構成しているのだけどどのように見えるのだろうか。

想像することしかできないけど、それぞれの眼が別々に焦点を合わせられた頭の中にリアルな世界を構築することができそうだ。

残念ながら僕たちに複眼はないから1つ1つの物事に焦点を合わせて世界を想像することしかできない。

それでも上手く生き延びているのだけど、おかげで僕たちは想像した世界がリアルな世界だとずっと勘違いしているのかもしれない。

ひょっとしたら複眼を持つ昆虫は僕たちよりずっとリアルな世界を知っているのだと考えると、何だか不思議な気分だね。


複眼とはちょっと違うかも



2020年12月18日金曜日

跳ぶ前に屈むしなやかさを失わない

気難かしくなってきたのを

友人のせいにはするな

しなやかさを失ったのはどちらだ  「自分の感受性くらい」茨木のり子 より

本棚から手に取った一冊の本から言葉が刺さる。

伊藤穣一が語る「イノヴェイションの民主化」による破壊的変化に応じるための9つの原則 で「しなやかさ」は1つ目の原則に出てくるキーワードだ。(その他の原則も超重要だね)

  1. 強さではなくしなやかさを持つこと。つまり、失敗に抵抗しようとするのではなく、失敗を認め、受け入れた上で、そこから跳ね上がっていくこと。

しなやかさを失う、つまり気難しくなると破壊的変化に応じることは出来ないわけだね。

屈むことは決して楽で快適なことではないかもしれないけどその大切さを忘れてはいけないのだろう。


跳ぶまえに屈む




2020年12月17日木曜日

モノにはなぜ重さがあるのか

 僕の犬は食べることが大好きだ。

そもそも犬は食い溜め習性があるらしく、食べられるときには必要以上に食べてしまうのだ。

でもそうすると太ってしまう。

肥満になると散歩も嫌がるようになって余計太る、という悪循環に入り、寿命を縮めることになる。

だから、犬に与える食べ物はしっかりと重さを測って適切な量を与えている。


ところで、僕たちの日常ではモノに重さがあるのは当たり前だ。

重さがあることで僕たちの生活は成り立っている。

しかし、物理学では「モノになぜ重さがあるのか」が長いこと説明できなかったらしい。

その後、重さが生まれる理由はノーベル賞物理学者の南部陽一郎が設計図と実際の違いにおける「自発的対称性の破れ」によって説明し、今はそれが定説となっているのだそうだ。

南部は常に人が考えないことを考える、いわば孤高の思索家です。ローマ大学名誉教授ジョバンニ・ヨナラシニオ

自由に発想することが南部博士の真骨頂だったそうだけど、それが無ければ本質を解き明かすことは出来なかった。

旧ソ連や中国では過去に自由な発想を政治的主義によって弾圧し、それによって多くの科学者や文化人がこの世を去った。

悲劇、惨劇で人類にとって大損失以外のなにものでもない。

トランプ大統領も弾圧する人だね。

僕たちは当たり前に重さの恩恵を受けて日々を送っているけど、悲劇や惨劇にあっていたらモノにはなぜ重さがあるのか、今でもわからなかったのかもしれない。

それでも生活はできるのかもしれないけどそこに未来はない。

状況は悪化し僕たちは宇宙船地球号の中で窒息していくのだ。

だから、これからの未来、例えそこに正当化される理由があったとしても自由な発想が弾圧されるようなことは決してあってはいけないと僕は信じている。


重さがある幸せ




2020年12月16日水曜日

ソーシャルとプライバシーの境目

 色々なソーシャルネットワークサービスでは公開範囲が設定できるようになっている。

グローバル社会に発信するのか個人のメモとするのかを本人がコントロールできるようになっているのだね。

僕は、この社会と個人の境目は本人のコントロールではないと考えている。

SNSでは「バスる」と「炎上する」といった言葉が使われるけど、僕はそれは同じことでいずれもソーシャルな話題になった瞬間なのだと思うのだ。

同じだから、炎上商法も成立するのではないかな。


要は、ことSNSにおいては社会と個人の境目は神のみぞ知る、ということだね。

悲しいことに、個人ごとなのに社会を意識しすぎる自意識過剰も少なくない。

逆は自己認識が足りないバカッターだね。


何事も事なかれ、でもいいけど、ネットワーク時代では時代遅れなのかもしれないよ。


ほら、境目なんて雲みたいなもの


2020年12月15日火曜日

お試し転職、アーユーレディー?

コロナ禍でお試し転職が注目されているらしい。

会社に勤めながら転職先をお試しで働くことらしい。

これ、新しい転職方法なのだそうだけど、銀行は以前から54歳で出向する際に本籍を銀行に残せばいつでも帰ってこれる(また別の先に出向する)仕組みらしいから、新しいかどうかは議論があるかもしれないね。

ちなみに企業には出口問題というのが以前からあって、要は、大量に新卒採用をすれば、将来的にポストが足りなくなって人事が困ることは自明の理なのだね。

あまり表立って取り上げられないけど人材の代謝という議論があるのだ。

ただ、この代謝は「会社で働き続けたいと思う人」が対象なのだと思う。

自ら退社する人には別の議論があるからね。

しかし、代謝と退社、漢字は異なるけどなぜか音は一緒だなぁ。

さて、コロナ禍で注目されるお試し転職は、どちらかというと代謝が背景に潜んでいる。

辞めてもらっても仕方ない、という文脈がないと在籍する企業は容認できないよね。

潜在能力での採用が主流の日本企業では、採用後に「思ったような成果を出せない」ケースは少なくない。

したがって人材に関しては常に不足で常に過剰なのだ。

とても悲しいことだね。

で、ね。お試し転職を目新しくとらえるのも良いけど、この悲しい事実に目を向けるべきなのかもしれないね。


冬の空


2020年12月14日月曜日

健康診断はバリウムの我慢大会

 今日は会社の健康診断だった。

新型コロナウイルス禍でもクリニックは相変わらず混雑していた。

実施内容も肺活量の測定以外は変わらないらしい。

僕が健康診断で最も憂鬱なのが胃のレントゲンを撮る際につかうバリウムを飲むことと排出するための下剤である。

僕はものを一気に飲み込むことがそれほど苦ではない。

だから、バリウムが飲めずに困ったことはないのだけど発泡剤でゲップが出るのを抑えるのと逆さまになってぐるぐる回るのは楽ではない。

社会人になってから毎年、健康診断は行っているのでもう、30回はバリウムを飲んだことになる。

そして、飲んだバリウムを出すために下剤を飲むのだけど、僕には潰瘍性大腸炎という持病があるので腸への負担はきっと普通の人より神経質だ。

飲むにしても写すにしても出すにしてもバリウムはがまん大会みたいなものである。


さて、昨年から特定の病気がある人は医師と相談のうえ胃のレントゲンを撮るようになったらしい。

これまでそんなことは無かったので思わず、これまで一度も聞かれたことがないのだけど・・・と医師に言ってしまった。

個人的にはずっと、腸には絶対に良くないと思っていたのだけど聞かれたことは無かったからね。

昨年は、飲まずに済むならばそれに越したことは無いと思い喜んで見送ったのだけど、胃がんも怖いので今年は受けることにした。

医師からは年齢的にも内視鏡という選択肢がおすすめされたものの、以前、内視鏡でバリウムより苦しかったトラウマがあって「はい、そうします」とも言い難い。

結局、今回は2年ぶりのバリウム(+下剤)我慢大会に参加した。

「上むいて」「下むいて」「左回りに一周」「滑って」「下がって」「息止めて」・・・

バリウムとそのあとの下剤だけでなく、いずれにしても「どう、我慢するか」なのだろうけど、健康診断ってそんなものなのかな、と我思うのである。


じっと。


2020年12月13日日曜日

あたりまえのことを考えている日曜夜

未来は間違いなくある。

しかし決定論的な未来は無い。

それぞれが描く未来は皆、異なっていて時にそれは相反するもんだからね。

決めたくても決められない、それが未来なのかもしれないね。

だから決まっていない未来にとらわれる必要はないのだろうけど、小学校の卒業論文に書いた将来の夢を実現するように、未来をなりゆきに任せる必要もない。

結果はどうであれ、今の僕たちの先に未来があるのだ。

と、先週のブログに関してすごく当たり前のまとめを書いているのだけど、将来に対して悲観的になるときって良くない未来が決まっているとか、誰かが邪魔をしているとか考えがちだよね。

逆にそうならない人の意識とか行動は他人に惑わされたり迷ったりすることが少ない。

僕なんぞはそれらの人たちの足元にも及ばないけど少しでも近づきたいなぁ。

 (月)使う人の身になる難しさ
どこかに「仕方ないけどこれは便利だ」と必然性を感じてもらうことが大切なのかもしれないね。

(火)今日はレノンズデー
ひょっとしたら、これからも社会が困難に陥るたびにイマジンは歌われるのかもしれないけど、残念ながら、現代社会の分断や格差、宗教的対立、覇権主義の台頭はイマジンのビジョンとかけ離れていくように思えてしまうね。

(水)車のミライ、社会の未来
そのころガラパゴスの絶滅危惧種のようにキューバの街に50年代の車は走っているのだろうか。

(木)「閉ざす」心地よさに費やすエネルギー
で、ね。そのエネルギーをチームのために使えばより良い結果が得られることは間違いないと思うよね。

(金)在宅ワークで見えてくる仕事ごみの本質
で、ね。在宅ワークで見えてくる仕事ごみとは、将来の裏返しなんだろうね。

(土)副業に潜む試練
で、ね。人生がマルチステージ化するということは、主義によって見え方が異なるという問題を今まで以上に個人が受け入れて考え適応しなくてはならない試練なのかもしれないよね。


それでも未来はやってくる


2020年12月12日土曜日

副業に潜む試練

 今日は法政大学石山ゼミの越境オープンラボに参加して「副業」について考えた。

ここ数年、副業の議論が徐々に増えていた中、今回の新型コロナウイルス感染によって議論が加速した感じが僕はしている。

本業と副業の議論は、僕は社会が変化し人生がマルチステージに移行する中で、現在そしてこれから見込まれる具体的問題にどう向き合って解決するのかということだと思っている。

そして「具体的問題」には「個人の具体的問題」「組織の具体的問題」「社会の具体的問題」があって、問題解決に向き合う人の視線が必ずしも一致しない。

言い換えれば、マルチステージ化は個人重視なのか、会社重視なのか、社会重視なのか主義が異なることによって見え方が違うのだろう。

で、ね。人生がマルチステージ化するということは、主義によって見え方が異なるという問題を今まで以上に個人が受け入れて考え適応しなくてはならない試練なのかもしれないよね。



副菜のマーボー豆腐がめっちゃ美味い


2020年12月11日金曜日

在宅ワークで見えてくる仕事ごみの本質

 在宅ワークでゴミが増えているらしい。

清掃作業者の人たちも感染予防をしながらの作業はさぞかし大変だろう。

本当に頭が下がります。

ありがとうございます。

さて、僕の住む街では事業所が多いので明け方にたくさんの収集業者の清掃車が走り回っている。

生活ごみだけでなく事業ごみ、つまり仕事ごみもたくさんあることの証なのかもしれない。

ごみとは「使って役に立たなくなった紙くずや食物のくず、その他の廃棄物。」であるそうなのでとっておいてもそのままでは役に立たないものたちである。

だから、捨ててよいものだ。

最近は、紙くずや食物のくずだけでなく、情報のくずなどもある。

録画したけど見ない番組とかね。

でも、実際はごみなのに「将来役に立ちそう」「いつか見よう」とか考えてしまうとごみと思えなくなってしまう。

僕たちにとって、将来の価値や行動を予測するのは難しいことなのだ。

で、ね。在宅ワークで見えてくる仕事ごみとは、将来の裏返しなんだろうね。


散り際の役立ち



2020年12月10日木曜日

「閉ざす」心地よさに費やすエネルギー

 グーグルが「成功するチームには心理的安全性がある」と発表したのは2015年だった。

僕はグーグルがITの最先端を進んでいる組織であることが大きいように思えるのだけど確かに挑戦と安全・安心はセットであることが望ましいだろう。

さて、グーグルと異なるほとんどの普通の組織ではチームの中に心理的安全性だけでは解決できない困難があるのかもしれない。

僕がそう思うのは能力不足、過剰反応、好き嫌い、自己顕示、学習拒否などだね。

求められるアウトプットが出せない、極端にポジやネガな意見に流される、問題や課題でなく「人」に目が向く、人の意見や考えを受け入れない、我が道を行き学びあうことを拒む、といった感じである。

これらはマネジメントで解決するものだけど、マネジャー自身も問題を抱えているケースが少なくないのかもしれない。

それがチームの心理的安全性を損なうのだ、と言えばその通りだろうけどね。


僕はかつて、会議に腕を組んで目を閉じて口をつぐんで参加したことがあった。

目的は、その時僕が何を感じるのかを知ることだったけど「閉ざす態度」は自己世界に浸れて案外気持ち良かったことと、かなり意識的にエネルギーを使う必要があることがわかった。

で、ね。そのエネルギーをチームのために使えばより良い結果が得られることは間違いないと思うよね。


閉ざすエネルギー





2020年12月9日水曜日

車のミライ、社会の未来

キューバでは1950年代の車が今でも現役で走っているらしい。

アメリカとの国交が断絶して新型の車は一切、入ってこなくなり、古い車を修繕しながら使い続けているのだそうだ。

今ではそれが観光資源になっていてなんだか不思議だよね。

日本でもボンネットバスが観光資源になっていることと同じなのかもしれない。

さて、先日、街を歩いていたら見慣れない都バスが走っていた。

燃料電池バスである。

トヨタも市販向けの燃料電池自動車を発表した。

どうやら2030年を境に、ガソリン車は絶滅種になるらしい。

自動運転も普及したらドライバーもいずれ絶滅種になるのかもしれない。

そのころガラパゴスの絶滅危惧種のようにキューバの街に50年代の車は走っているのだろうか。


残っているのか


2020年12月8日火曜日

今日はレノンズデー

 ニュース番組にジョン・レノンの子供が出ていた。

WOWOWではジョン・レノンの映画を続けて放送している。

ああ、そうだ。

今日は、40年前にジョン・レノンが亡くなった日だ。

日本にとってみれば真珠湾攻撃の方が生活に大きな影響を与えただろうけど、40年という節目のせいか、今日は#レノンズデー である。

今回の新型コロナウイルスで春先に著名な俳優や歌手がリレーでイマジンを歌う動画が話題になったことも思い起こされる。

イマジンで伝えられるジョン・レノンのビジョンについては自らも「僕は夢想家と言われるかもしれない」と歌詞に綴られているけど、「僕は一人じゃない、だから、君もいつの日か僕らといっしょになってほしいな」と結んで聴く人に社会的な困難への向き合い方を語りかける。

ひょっとしたら、これからも社会が困難に陥るたびにイマジンは歌われるのかもしれないけど、残念ながら、現代社会の分断や格差、宗教的対立、覇権主義の台頭はイマジンのビジョンとかけ離れていくように思えてしまうね。


Imagine



2020年12月7日月曜日

使う人の身になる難しさ

 UIとかUXという視点、方法論がある。

要するに、使う人の身になって考えよう、ということだと僕は考えている。

例えば、パソコンを使いこなす人はショートカットキーと呼ばれる、いちいちマウスでメニューをクリックしなくても用が足りる機能を駆使して目的を達成する。

一方で、パソコンが苦手な人にとってショートカットキーへの道のりは遠く、その仕組みを覚えなくても済む使い勝手が必要だ。

そして上手に使えれば、パソコン経験が豊かなものになって利用者の心をがっちり捕らえることができる。

一時、WYSIWYG (What You See Is What You Get(見たままが得られる)という言葉が流行ったけど、Appleはこれで今の地位を築いたとも言えるだろう。

でもAppleのパソコンにはショートカットキーが実装されている。

使う人の幅が広いのだ。


「使う人の身になる」の次に「誰に使って欲しいのか」があるわけだ。

で、ビジネスとしては出来るだけ多くの人に使って欲しいから利用者調査、ペルソナ(ユーザー仮設)、検証を繰り返して帰納的に結論を導くのだけど利用者って案外、自分が本当に便利だと思うことを知らないのだよね。

特に、今日のようにサービス過剰で「もう欲しくない」と感じている時代においてはなおさらだ。

どこかに「仕方ないけどこれは便利だ」と必然性を感じてもらうことが大切なのかもしれないね。


兎に角満足すればOK


2020年12月6日日曜日

いちばんたいせつなことは目に見えない

 サン=テグジュペリの小説、星の王子様には「いちばんたいせつなことは目に見えない」という有名な一節があるのだけど、先週はまさにそんな感じだった。

因子も変わり続けることも犬の求めも適材適所もバブルも人格も実は目に見えない。

だからこれら全て、心で見なくてはならないものなのだ。


(月)「因子分析」からの発見は楽しい
「因子分析」はそれを教えてくれるように思えるのだ。

(火)変わり続ける僕たち
で、ね。僕たちは変わり続ける存在だからこそ、変わらないものやことに対して、究極的な価値や神性を抱き、そして安心を得るのかもしれないね。

(水)シカトしてんじゃないわん
ドッグトレーナーの人たちはどうやってピシッと躾けるのかなぁ。

(木)適材適所は多次元で解く問題だ
だから、適材適所は1次元の結果でなく多次元で常に考える問題なのだ。

(金)バブルじゃないの?
で、ね。シンプルに考えればやはり現在はバブルでありそのうち弾けてしまうのではないだろうか、と思うのだよね。

(土)品格と人格の悲しい違い
その出来事を通じて思ったのは、品格(他者から自分がどうみらているか)はあっても人格(自分は他者の求めに対してどうあるべきなのか)は別物なのかもしれない、ということで、それはひょっとしたら悲しい気づきだったのかもしれないね。


心で見る


2020年12月5日土曜日

品格と人格の悲しい違い

 今日の昼前、僕は近所の肉屋さんに買い物に行った。

この店、街中にある老舗だけれど俗にいう肉屋という趣ではない。

でも、品質は最高で価格は品質にしてはリーズナブルなのだ。

わかりやすく表現すれば、スーパーより価格は3割高いけど、味は10割上を行く。

こんな店が近所にあることは幸せだよね。

そんな店だから冷たい雨の土曜の昼間でも行列が出来ていた。


さて、僕の後ろに並んだご婦人はこのご時世にも関わらずやたら近づいてくる。

僕も最初はちらちら振り返りながら我慢していたのだけど、あまりにも近いのでついに「ちょっと下がってもらえませんか」と言ってしまった。

2メートル離れなくてもいいけど、離れる意識は必要だと思うからだ。

上品なご婦人(おそらく70歳ちょっと)は慌てて足元の印(店が設置した足跡)に位置を変えたのだけど、そこは本来、僕の位置です。

領域侵犯は国と国なら戦争になりかねないね。

僕は残念だけど、改めて、距離をとって欲しいと伝えることになった。


そのご婦人は身なりも、そして人に対する態度もとても品があると思った。

品格で評価すれば間違いなく上位だ。

僕が何を言っても逆切れして殴られることなど120%あり得ない素敵なご婦人、だから言えるのだ。

でも、この状況で僕が感じていることには気づけない、つまり、人格としては、本当に必要なことは見えていないように思えた。

その出来事を通じて思ったのは、品格(他者から自分がどうみらているか)はあっても人格(自分は他者の求めに対してどうあるべきなのか)は別物なのかもしれない、ということで、それはひょっとしたら悲しい気づきだったのかもしれないね。

いただきます


2020年12月4日金曜日

バブルじゃないの?

 僕は1990年過ぎのバブル崩壊の一部始終を見ていた。

企業の業績が低迷する中で資金需要が低迷し余ったお金が不動産や株式市場に流れ込んでいたのだ。

サラリーマン夫婦がアパート経営に乗り出して1億円借金するのも珍しくなかった。

アパート経営など事業用不動産に融資をする際は収益還元できるか、がポイントなのだけど、ほぼ空き室なし、毎年家賃が上がるという夢のような未来を描き、万が一の時でも「土地の価格があがるから回収に懸念なし」と貸出稟議書に良く書いたものだ。

まさに実態経済にそぐわない投資の過熱が起きて、そして弾けた。

バブルが崩壊したとき僕はすでに銀行に居なかったけど、そのあと10年は悲惨な状況だったよね。

さて、新型コロナウイルスの感染拡大により企業業績が悪化している。

それなのに株価は29年ぶりに高騰し、不動産も活況らしい。

13年前に4500万円のマンションが8100万円とかね。

それ以外にも倒産した高級車のカーシェアを行う会社に対して車を提供していたオーナーが実際に車を見ていないという話もあった。

なんだか匂いがバブル崩壊前夜に似ている気がするのだ。

で、ね。シンプルに考えればやはり現在はバブルでありそのうち弾けてしまうのではないだろうか、と思うのだよね。


泡沫



2020年12月3日木曜日

適材適所は多次元で解く問題だ

数学には「ポアンカレ予想」という難問があるらしい。

宇宙はどんな形をしているのか、という問いに対する予測である。

この予測、2002、3年にペレルマンという学者によって証明されたそうだ。

僕はこの話をNHKの番組で観たのだけど、その中で説明に用いられたジェットコースターの話はとても分かりやすかった。

ジェットコースターの影は絡み合っていてとてもコースターが走れるとは思えないけど、3次元(実際)のコースターはぶつかることなく走っている。

この話を観て思ったのは、例えば、「適材適所」の結論は1次元(合う、合わない)で語られるけど実際には、性格、能力、仕事内容、仕事環境、上司、目的など多次元の世界で成立している。

 ただ、無限に多次元かといえば、そんなこともなく限られていて、それは、「サーストンの幾何化予想…三次元多様体は一様な幾何構想の断片に分解できるだろう」に似てるとも言えない。

有限な数が無限に複雑な形を造る

まさに、これだよね。

だから、適材適所は1次元の結果でなく多次元で常に考える問題なのだ。


見えてい以上に多次元




2020年12月2日水曜日

シカトしてんじゃないわん

 犬と暮らしていて上手くいくときもあれば、そうでないときもある。

一緒に暮らす月日が経つにつれてだいぶ上手くいくようになってきたけど、それでも、トイレでない場所でおしっこをしてしまったり、散歩で落ちているものを口にしてしまったり、ヤマトや佐川の荷物運搬に吠え掛かったりと上手くないことがある。

そして、その場面で叱ってもなかなか止めようとしない。

むしろ、怒りの感情は通じるが叱ると興奮して余計上手くいかなくなる。

人もそうだけど、犬だって叱られるのはやはり嫌なのだろうね。

しつけの本には、社会性が高い犬は無視をするのが一番堪え覚えると書いてあるので、ぐっと怒りを押し殺して無視をしようと思うけど、じつはこれが案外難しい。

無視をしたらしたで、「なんで無視するんだよ」とばかりに普段と違う唸り声をあげてくる。

それはそれで可愛いくて、つい笑顔になってかまってしまうのだ。

また、叱るより上手くできた時にご褒美をあげる方が効果的なこともわかっているのだけど、時に我慢して欲しいことも少なくない。

ドッグトレーナーの人たちはどうやってピシッと躾けるのかなぁ。


親バカさん




2020年12月1日火曜日

変わり続ける僕たち

 人体の細胞更新速度 なるサイトがあった。

URLを見るとどうもグーグルのサイトのようだ。

これを見ると骨の更新が一番遅く、2年半(高齢前の成人)で細胞が全部入れ替わるらしい。

つまり2年半前の僕と今日の僕は細胞においては別人ということだね。

このブログは7年半続いているのでその間に僕の全細胞は3回は入れ替わったことになる。

だから以前の記事を読み返したとき「あれ?こんなこと書いている」と感じるのも不思議ではないのかもしれない。

脳は骨よりも早く、1年半で入れ替わっているのだから。

さて、それに比べると僕たちの人格を構成する性格特性、価値観信念、行動傾向などは比較的に安定している。

しかし、研究結果から年齢とともにそれらが変化していることが確認されている。

確かに、肉体は発育や老化をしていくのに、人格はずっと変わらないというのはどうもおかしい。

骨格は基本的な構造と役割は変わらないけど形や強度がかわる。

人格も同様に個人であることは変わらないけど在り様はかわるのだ。

で、ね。僕たちは変わり続ける存在だからこそ、変わらないものやことに対して、究極的な価値や神性を抱き、そして安心を得るのかもしれないね。


毎日変わっている