2018年1月31日水曜日

雪の思い出

このところ、寒さが厳しい。

でも34年ぶりとか40年ぶりとか言うから僕はかつて経験している寒さだ。

しかも、記録の更新が40年ぶりということは、それ以前はもっと寒かったことがあった訳だ。

確かに、小学生低学年の頃は、冬と言えば必ずバケツに張った水は分厚い氷になっていたし、あたりが一面雪景色になることも珍しくなかった。

雪が積もった日にはしゃいで公園に行き、散歩していた犬にお尻を噛まれた記憶があるし、自宅の屋上に積もった雪を通りを行き交う車に投げつける悪戯をした思い出もある。

雪の深い地方の人にとってみれば、他愛のないことかもしれないけど、僕にとってやはり雪には特別な思い出があるようだ。

さて明日は雪になるのだろうか。



冷えるわ

2018年1月30日火曜日

僕たちはラベルを貼って間違える

世の中、AI流行りだよね。

電気を使う機器やネットを介したサービスは「AI」と言っておけば新しい気がする。

だからみんな「AI」というラベルを貼りたがる。

そして、GoogleやIBM、AMAZONなどの巨大企業は、「AI」に自分のブランドを貼りたがる。

「ES判定にAIを導入」、Googleの「AI」、「AI 」= WATSON と差し押さえの札みたいに「AI」をペタペタ貼ったおかげで、間違った「AI」理解が溢れるのだ。

で、ね。何が起きるかと言えば、画像解析・物体検出とか、Machine Learning、とか、形態素解析とか実態である技術への無理解とラベル化した「AI」信仰だよね。

僕はとても違和感を感じるのだけど、もはや「AI」を説明するのに「IBM WATSONを使っています」と言った方がなんだかそれっぽいのだ。


僕たちは新しい言葉をラベルとして使って新しい世界を共有する。

それは、いつの時代においても世界を刷新し創造するきっかけだ。

だから「AI」というラベルを嫌ってはいけない。

でも、間違ったラベルはやがて剥がれてしまうことも忘れてはいけないのだろう。




剥がれてうれしい


2018年1月28日日曜日

色イロイロ、人色々

僕たちが見ている色は、物体が反射する光だ。

そのものの色じゃない。

だから、当てる光を変えれば色も変わる。

つまりどんな色を当てるかによって決まるもので、自律ではなく他律なのだ。

人もそう。

僕たちが見ている「人」は誰かのあてた光を反射した「人」だ。

僕の会社は、その人そのものの色を見るために「パーソナリティ」とか、「経験」を扱うのだけど、光をあてたがる人は、すぐに「良いのか」「悪いのか」を聞きたがる。

アンケートを良し悪しに使いたがる人は結局、自分の良し悪しの光をあててその色を決めたがるものだ。

500問であろうと3問であろうとものね。

そして、他人の尺度に合わせようとする人は、自分の色を変えようとするけど苦労する。

で、ね。だから僕はそのものの色を見る努力を続けたいと思うのだ。

人や組織を研究する人気者が色に染めることを是としても、ね。


あてる光を変えれば色は変わるのだ





癖を変えるって大変だね

仕事ですごいパフォーマンスを出す人がそのスタイルを変えるのはとても大変だ。

何故なら、スタイルは意識して作られる部分もあるけど、8割がた無意識の欲求や感情に支配された行動習慣を源泉としているからだ。

では、どんな時に問題になるのかと言えば、仕事でイノベーションや変革を起こそうとした時だよね。

変える合意をしたはずなのに結局同じ事をしている。

そして、事業変革とか業務改革が出来るのは大概、組織の外から来る人だ。

ひょっとしたら、巷で話題の働き方改革も同質の課題を抱えているのではないだろうか。

何が起こるかと言うと、考えればわかるのだけど体や感情(心地よさ)が自然と不快さを避けてしまう。

パフォーマンスによって強化学習が起きているから尚更で、不快さにはローパフォマンスのリスクが高いと感じるのだろう。

スポーツでも甲子園や高校サッカーの花形選手がプロで大成しないケースも似ている気がする。

で、ね。何も変わらないのだよね。

そして問題だけがどんどん深刻化していく。

とは言え、パフォーマンスを出している人を組織から外してしまうことは組織を取り巻くステークスホルダーの支援も含めて成り立たない。

結局、経験則では、会社だと倒産寸前とかとかになって、誰も文句が言えなくなると初めて仕事に変革が起きるものだ。


夜が明けた



2018年1月27日土曜日

手順を変えるには繰り返しと上書きが必要

僕たちに何をするにも自分なりの手順を持っている。

例えば、お風呂に入る時どこから体を洗うかとか、湯船には右足から入るとか左足から入るとかね。

僕は専門家じゃないから、それらの行動の順番がどのようにして決まるのか知らないけど、筋肉のつき方、利き腕や利き脚、それと風呂場の構造などが影響しているのかもしれない。

もちろん、自分なりの手順はお風呂に入る時だけじゃなく、仕事や生活のあらゆる場面にあるよね。

そして、他者から見るとなんだか変な手順なのだけど、本人にとっては自然であることも少なくない。

だから、何らかの手順を覚える、と言うことは、自分の手順を捨て、新しい手順の型に嵌ることでもある。

例えば初体験のことであれば、捨てるものが無いのでそれほど難しく無い。

僕が中学生の時、弓術部に入って、射法八節と言うのを覚えた。

足踏み(あしぶみ)、胴造り(どうづくり)、弓構え(ゆがまえ)、打起し(うちおこし)、引分け(ひきわけ)、会(かい)、離れ(はなれ)、残心(ざんしん)と一つ一つの型と順番を身につける事に何ら違和感はなく、下手なりに、ではあるけどやがて無意識に手順をなぞることが出来るようになった。

でも、もし僕が違う手順をすでに身につけていたら、戸惑ったかもしれない。

仕事の手順も、実は、多くが無意識の手順に影響されているのだろう。

だから、新しい手順、正しい手順を身につけるには、それまでの染み付いた手順を捨て去り、初心に戻って習得するのが良いのだけど、染み付いた手順を捨て去ることはなかなかできないから、新しい手順の習得で染み付いた手順を上書きしていく事になる。

また、気を抜くと染み付いた手順が顔を出すから、自分の手順をしっかりセルフモニタリングする必要があるよね。


「しもしも」





2018年1月25日木曜日

AIで仕事が減ったら幸せが増えるのかもしれない

今日、中国のインターンシップ生と面談を行った。

正確に言うと、僕は日本に居て、中国でインターンシップを行っている中国人の大学生とスカイプなどを通じて現在、中国に居る会社の役員、メンバーと共に面談したのだ。

面談した学生は最後に、AI(人工知能)でこれから仕事が減るのではないか、と言う質問をした。

あちこちでAI(人工知能)が人間の仕事を奪うと話されているから確かめたかったのだろう。

さて、AI(人工知能)が奪うかどうかは別として、人間の仕事に取って代わることは間違いない。

何故なら、人間が不得意な分野、例えば365日24時間休みなく働き続けるとか、大量のデータから瞬時に必要なデータを見つけ出すとかが得意だからだ。

でも、良く良く考えてみたら、人間にとってそもそも不得意な分野で働いている人が世の中には多く居る訳で、それらの人が不得意な分野に携わらなくてよくなることは、仕事が「奪われた」のでなく「解放された」事になるのじゃないだろうか。

逆に、AIが人間的になって、人間のように気になること以外は無視したり、ヤマ勘で計算したりするようになったら、人付き合いと一緒で面倒臭いことが一気に増えるよね。

「あのAI、好きなことしかやろうとしなくて腹がたつ」「適当な計算しやがって」みたいになったらそれはそれで面白いけど、間違いなくストレスも溜まる。

だから、AIはこれからも人間が不得意な分野で進歩するのだろう。

僕は何から「解放される」のかがちょっと楽しみなのだ。


大変なこと



2018年1月24日水曜日

満点人材はどこに居る? 見極めと育成について考える

より解決が困難な問題や課題の本質を見定め、決して逃げない信念を持って、タイミングよく周囲の声にも応えることで信頼を得ながら、客観的に正確な状況の把握と変化する事象への的確な対処を、素早く、確実に実行して解決に向かって進む

組織にはこうした人材が必要だ。

それも、組織の中にある様々な場面や役割の中に存在する必要がある。

ただ、残念ながらこうしたスーパーマンみたいな満点人材はあまり居ない。

声高に本質課題を叫ぶだけ、とか、モグラ叩きみたいに場当たりになる、とか、信念はあるけど信頼が無い、とか、自分に都合の良い状況理解をする、とか、変化に疎いもしくは変化に怯える、とか、一歩が踏み出せないもしくは考え無しにすぐに行動してしまうとか、ほとんどの人には何らかの傾向や偏りがある。

ただ、少しでも満点人材に近付こうとする人も決して少なくないと僕は思う。

そういう人には的確なフィードバックと補完しあえる連携が大切だよね。

そしてチームワークはこうした行動イメージの共有、共感、合意から始まるべきものだ。

合意があるから、自発的な貢献と他者への感謝が生まれる。

満点人材に近付こうとする向上心と、満点人材の行動をチームワークで実現しようとするビジョンを持つチームは、満点人材が居なくても満点行動に近づく実践ができるものだ。

より大きな目的に向かった本質課題の見定め、常に学び直され成熟してきた信念を有する自己、点→線→面→立体と広がり深まる信頼関係の構築、事に向き合う時の手際の確かさと良さ素早さ、そして常に自ら動き出す態度。

満点人材へ向かうのはこの5つのポイントを常に自分自身で点検している人材であり、また点検し高めさせていくことが満点人材の育成であると言えるだろう。


よく出来ているね!





2018年1月23日火曜日

バッテリー問題でアップルが企んだと信じる人はITを使ってはいけない

昨年末からアップルがニュースを騒がしている。

アップル、電池劣化 iPhoneの低速化で説明不足を謝罪。バッテリー交換の大幅値下げとiOS改良で対処

かの国では検察局が調査に着手したそうな。

まあ、対抗馬の国だからね。

さて、このニュースに接して最初は「アップルが新製品への買い替えを企んでいる」というゴシップ的な関心もあったのだけど、現在は、そう考える人はIT製品を使うのを止めるべきだと思うようになった。


このケース、自動車の衝突防止装置と対比して考えると面白い。

衝突防止装置は交通事故と怪我をする人、事故車両を明らかに減らしている。

自動車の発明以来、最大の発明だと僕は思う。

しかし、この装置は安全のために運転者の操作を制限する装置でもあるにも関わらずそんなことは一切説明されていない。

安全という運転者や歩行者の本当の利益を考えて衝突防止装置があるからだ。


ITにも同様な仕組みがいくらでもある。

プログラムでも処理のタイミングを調整することはざらだ。

パソコンだって最高スペックだけを目指すのであれば、液体窒素でCPUを冷やして・・・みたいなことをするわけだけど、そんなPCを仕事で使えはしない。

最高性能ではないかもしれないけど、安心して使える性能がクレームもトラブルも一番少ないことを忘れちゃいけない。


僕たちはすでにファスト信仰に毒されているから、無意識にちょっとした遅れや間が許せなくなっている。

そして「速度低下」が悪いとしか思えなくなっていたらかなり重症だね。


御役御免




2018年1月22日月曜日

ああ、決断

4年ぶりの大雪となった今日の東京。

大雪の予報が早くから出ていたこともあって、17時には帰宅に向けて会社を出るよう、朝一番で社員に指示した。

で、15時くらいから天候が気になっていて、16時には仕事を終えさせようかとも考え、でも結局、朝の方針を貫き16時45分に仕事を終える指示を改めて出した。

結論から言うと、天候が気になった15時に仕事を切り上げさせた方が良かった。

17時には電車も遅れが出て、きっと遠方の社員は苦労して帰宅したことだろう。

決断が下せなかった理由は、「ひょっとしてあまり酷くならないかも」という見通しの甘さと「そうは言っても皆、忙しそうで気が引けた」ことにある。

僕は、仕事を打ち切らせて帰宅させる決断を東日本大震災の時もしたけど「帰宅させる決断」のベストなタイミングって本当に難しいよね。

安全で、早く家に着くのが一番だけど、どのタイミングが一番良いのか判断も難しい。

ゆえに危機管理上は判断基準を常日頃から揃えておかないとダメなのだ。

今日は大雪から学びます。


雪うさぎ


ステ木


吹雪だな、こりゃ


モンスター?

ペット保険に見る保険制度のバッドスパイラル

昨年、先代犬を亡くし悲しみ暮れる中、出会った子犬を家族に迎えることにした。

それは運命的な出会いだと感じたからね。

さて、子犬を迎えるにあたってペット保険に加入した。

犬が病気や怪我をして動物病院に掛かった時、保険金が出て助かる仕組みであるのは、人間の保険と変わらないよね。

このペット保険、昨年加入した時も、前年より保険料が上がったと言っていたけど、今回、継続の案内が来たらまた上がるらしい。

加入者が増えてもそれ以上に医療の出費が増えているからだろう。

では、なぜそうなるのかと言えば、散歩ですれ違うワンコを見ていれば理由はすぐにわかる。

高齢犬が増えているのだ。

犬は人間よりも寿命が短いから高齢化がどんどん進む。

あっという間に保険金の財源不足に陥るのも当然だよね。

だから僕が払う保険料は僕の犬じゃなくてどこかの高齢犬に使われる可能性の方が高いのだ。

こうなると、もはや保険に加入するメリットはかなり少ない。

おそらく僕は継続しない。

積立をしておいて病気や怪我をしたら全額負担で払った方がトータルで安いからだ。

で、ね。全ての医療保険、そして生命保険もこのバッドスパイラルに陥っているのだろうね。


怪我しないでね



リーディングスキルとスローリーディング

先日行ったセミナーで、登壇者が教育の政策を立案する文科省の役人には現場で本当に困っていることが理解できないと、役人を前にして熱弁していた。

多くの中高生にリーディングスキルが不足しており、ゆえに教科書を理解できない、そして理解できない教科書を用いてさらに学力格差が拡大しているといった仮説、検証そしてその改善に取り組むにあたって、そもそもリーディングスキルを有し、教科書や授業を理解できてきた高学歴の役人には「見えない」のだ。

灘校の橋本先生が「銀の匙」だけを教材に3年間かけて読むスローリーディングを通じて、滑り止めの学校から社会で活躍する人材を数多く輩出する学校に変えた話は「奇跡の教室」としてとても有名だから、仮説の信ぴょう性は僕はかなり高いと思う。


こういった類の話はたくさんある。

「そもそも」が理解できていない。

で、ね。「そもそも」の理解には個人差があるから、学校や社会では「そもそも」に合わせて教育、指導、育成がなされ啓発と気づきがあるものなのだけど、「そもそも」を理解していない指導者では啓発も気づきも与えられないし、「奇跡の教室」のように時間が必要だよね。

企業も、優秀な人材を輩出しようとするなら、優秀な即戦力人材探すより、徹底的に時間をかけて「そもそも」が理解出来るように関わる必要があるのだろう。


リーディング



2018年1月19日金曜日

僕は行為にどんな意味づけを行なっているのだろうか

僕たちが未経験のことに取り組むことをある人は挑戦と讃え、ある人は好き勝手していると批判する。

でも、「未経験のことに取り組む」行為に違いはない。

顧客の声に応えることをある人はお客様のためと言い、ある人は相手に流されると言う。

やはり「顧客の声に応える」行為に違いはない。

顧客の課題に向き合って未経験のことに取り組むことを、ある人はソリューションと誇り、ある人は無計画だと糾弾する。

行為に違いはない。

結局、僕たちは行為でなく、行為に向き合う姿勢を好んだり、嫌ったりするのだ。


僕たちは、行為に続く次の行為を引き出すことができる。

失敗をも成功への道しるべとすることができるのだ。

逆も然り。

僕は今日、行為にどんな意味づけをしたのだろうか。


「意味」をつける






僕たちの能力は身体の「外」にある

僕たちは環境が無いと持っている能力を使えない。

例えば、普通に歩く能力も、地面や床と重力があるから使えるのだ。

逆の言い方をすれば、環境は僕たちの能力を引き出している。

冬の寒さは、暖かく生活する能力を引き出すし、人が集まれば、他者と強調したり競争する能力が引き出される。

僕たちが持っている能力を全て発揮できなくなるともはや生きているといえないかもしれないね。

そう考えると、僕たちの「主体性」も能力が引き出される環境の多さ、厳しさ、優しさなどの多様な状況の中に宿っているのだ。

で、ね。やっぱり僕たちは能力を自分の中に持っていると感じるし、信じていて、その自我が僕たちに個性を与えているのだろうね。


立つ能力を引き出す大地


2018年1月18日木曜日

2種類の「居心地の悪さ」とは 会社を辞めるきっかけの話

どんなに座り心地の良い椅子であってもずっと椅子に座っているとお尻や腰が痛くなる。

そして、一旦、お尻や腰が痛くなると座り心地が悪いと感じるものだ。

居心地も一緒じゃないだろうか。

どんなに良い場所と感じていても、ずっとそこに居るとなんだかそこに居続けることが心地悪くなってくる。

「わたしはこのままここに居て良いのだろうか」

心地悪さは、こういった感覚的思考として心に芽生える。

これは、ずっと同じ姿勢、格好をして居ると筋肉が硬直して痛くなる身体的なこともあるけど、ひょっとしたら、同じ場所に居続けると外敵に狙われるリスクが増すことを防ぐため、僕たちには自然と「飽きる」仕組みが組み込まれているのかもしれないね。

居続けることの居心地の悪さは、新しい場所で感じる居心地の悪さと異なる。

見知らぬモノゴトへの不安ではなく、慣れ親しんだものに対する嫌悪感だ。

慣れ親しんだ職場で生まれた居心地の悪さからその場を去るのか、それともその場で居心地の悪さから新たな学びを得るのか、案外多くの人が無意識に自らへ問いかけているのだろう。


暖かいね

2018年1月17日水曜日

究極の素材でストーリーを紡ぐ「おまかせ」

締め後のブログを書こうとMACを開いていると、テレビで「究極の鮨」が流れている。

「藤本繁蔵」と言う30年前に亡くなった伝説のすし職人の話だ。

この伝説の職人が作ったのが「おまかせ」だ。

寿司屋で最高の贅沢はカウンターで「おまかせ」を味わうことだけど、なぜ「おまかせ」が贅沢なのかあまり考えたことがなかった。

値段がわからないものを頼むからではなく、技の極みを味わうことだからなのだね。

で、ね。技の極みって何かといえば、妥協のないすしネタ選びと美味しく味わえる握りの技術、そして一番のポイントは「ストーリー」であるとのことだ。

マグロの仕入れでは決して値段を聞かず希少な良いマグロを手に入れる仲卸との信頼関係を含め、「おまかせ」には様々な「サイドストーリー」も満載だ。

普通は「素材こだわる派」、「ストーリーにこだわる派」、そして「こだわらない派」とかに別れるのだろうけど、究極であることは全てにこだわることなのだね。

そして、客は「おまかせ」で身を委ねる。

僕は、究極の仕事の一面を見た気がした。

追記

そういえば会社の経営も、ある種の「おまかせ」だね。

だから、最高の素材でストーリーを紡ぐのが経営者が目指す姿なのでしょう。
(安価な素材を並べる経営者ではやはりどこか寂しいね)


これはストーリーでなくカタログ

2018年1月16日火曜日

「きっかけ」が世界を決める

何かのきっかけから行動が生まれ、そして何らかの結果をもたらす。

その結果は、次のきっかけのとなりの次の行動を生む。

僕たちは生まれ落ちてから毎日、毎時このきっかけと結果を連鎖させているよね。

この連鎖の仕方は人によって異なり、スタイルや信念、観念を生み出す。

「こう言う時はこうするのだ」ってね。

で、きっかけの作り方が異なると行動も結果も全て意味が変わり、スタイル、信念、観念も異なるものになる。

だから、その人の「きっかけ」を知ることは重要だ。

その人の世界は「きっかけ」から作り出されているからね。

そして、自分の世界を広げる人は、上手にきっかけ作っている。

逆に自分の世界を閉ざす人は、きっかけを自ら断ち切るのだ。


きっかけ

2018年1月14日日曜日

カラーセラピーで掘り起こした言葉が僕をさらに変える

今日、家人のカラーセラピーを受けて自分の嫌いな色をサポートする色を決めた。

そして、さらにサポートを意識する言葉を考えたのだけど、その際に頭に浮かんだ言葉が「一隅を照らす」だった。

本だったか、テレビの番組だったか、はたまた誰かの話だったのか記憶が定かでないのだけど、「一隅を照らす」と言う言葉が頭の片隅に残っていたことは記憶している。

そこで、Evernoteに何か記録していないか検索を掛けたところ、「互助社会とスポーツを通した地域づくり」と恩田 守雄流通経済大学、社会学部大学院社会学研究科 教授の論文がヒットした。

この論文は法政大学長岡教授のカフェゼミで「公共私 共独自の領域の消失」の話を聞いた後にクリップしたもので、「一隅を照らす」はこの論文から僕の記憶に残ったものではない。

しかし、その論文の一節を読んで言葉の使い方がやや間違えていたこと、そして正しい意味を知ってさらに僕の目的にフィットする言葉であることを知った。

以下がその部分である。

”互助社会は一人ひとりの「自助」が出発点となる。こうした互助ネットワークの本質を示す言葉として,「一燈照隅,万燈照国」がある。一つの明かりは隅しか照らさないが,それが集まると国をも照らすということは一人ひとりの力は弱くてもそれらが集まると大きな力になることを意味する。これは互助ネットワークの大切さを示す言葉で、一人ひとりが輝く「一隅を照らす」という延暦寺の開祖伝教大師最澄の言葉に基づいている。まず「自助」から始まり,それが集まり「共助」(互助)が生まれ,やがて「公助」 を引き出すことができる。一人ひとりが社会の中で自らの役割を自覚することが肝要で ある。” 2011. 3 社会学部論叢 第21巻第 2 号 6頁より

誰かが僕に言葉を与え、その言葉は他の誰かが与えてくれる言葉と連なって僕を刮目させてくれる。

部分もちゃんと気がつけば繋がってより深く、より広く、より高くなることを知ることができて良かった。


カラー


「カフェ」にとって僕はいい客だったのか

昨日の朝、ちょっと仕事がしたくて近所のカフェに行った。

犬も居て家では作業や考えがまとまらなかったからだ。

近所のカフェはパソコンの電源が取れることもあって、パソコンを持ち込んで何かをやっている人が多い。

11時くらいに行った時、電源があるカウンター席は半分くらい埋まっていたのだけど、荷物置きの籠が用意されていないため、空いている席に自分のカバンを置いている人が多く、結局僕と家人が並んで座れる場所は1箇所しかなかった。


パソコンは圧倒的にMacで、カフェにはやっぱり齧られたリンゴマークが良く似合う。

僕も普段はMacなのだけど、仕事のデータはMACじゃうまく扱えないから思い入れのある、古いVAIOを持参した。

HDDをSSDに換装して古いOSで使っているのだけど至極、軽快で古さを全く感じない。


さて、コーヒーを頼んでパソコンを開くと、眼鏡を忘れてしまった失敗以外、仕事はいたって快適に進んだ。

コーヒーも美味しいし、BGMも好みの曲が掛かるし、少し長居になったとしても店の人から何も文句を言われることもない。

本当にありがたいカフェだ。


ただ、仕事を終えて帰る際に「ありがとうございました」の声も掛からなかったのがちょっと気になった。

ひょっとして、僕たちはお店に迷惑をかけたのだろうか。

例えば、お店の効率を考えれば荷物置きを作ったり、逆にあまり長時間の利用にならないようカウンターの電源の数を減らしたりすることも出来るだろう。

そうしないと言うことは、パソコンを持ち込む人は「大歓迎」でなく「まあ歓迎」なのかもしれない。

で、ね。そう思うと、僕にとって快適で、かつカフェにとっても「普通に歓迎」となる頃合いが相互に共有されていると嬉しいね。

いつも貢献出来るか自信はないけど、トータルでは貢献したいもの。


美味しいコーヒー(昨日のお店じゃありません)


2018年1月13日土曜日

対話の難しさを改めて感じる

職場のコミュニケーションは、仕事のやりがいや成果に直結する。

そこでは「議論よりも対話」が重要である場面は少なくない。

一方で、ちゃんとした対話を行うのは案外難しい。

お互いに話を聴きながら否定せず、新しい物事の見方を得るには、「語る」「聴く」「紡ぐ」の3要素が必要なのだけど、「語らない(語れない)」「聴けない」「押し付ける」ことを上手にコントロールしなければならないからね。

「・・・」→ 頭の中がぐるぐる回る癖、「じゃあ、こうすればいいのでは・・・」→ すぐ結論を出したがる癖、「でも、私はこうやっているから・・・」→自分を主張したがる癖、などなど誰にでも会話の中で対話を阻害する癖を持っているのだ。

また、沈黙が怖くて何かを話さなくてはならないとしょっちゅう口を挟むのも良くない癖だろう。

癖を発揮することも対話の一つではあるのだけど、自律によるマネジメントは対話の質を向上させる。

そして自律的な対話を成立させるにはフィッシュボールなど、対話の様子を客観的に見て学んだり、多くの場数を踏んで自己修正の能力を身につける必要がある。

そして、対話の訓練が必要な人もでも気づかずに「対話しよう」と言うものだ。


金の対話になってる?

2018年1月11日木曜日

スキルとノウハウとナレッジの違い

世の中には多くのスキルとノウハウとナレッジが存在する。

この3つの違いを知ることは結構、大切だと思う。

なぜなら、混同することによる問題も少なくないからね。


ナレッジは、暗黙知を形式知に転換するナレッジマネジメントを見てもわかるようにそもそも人に帰属し共有し難いものだ。

一方、ノウハウは特定のチーム、集団、組織に帰属する。

例えば、強いサッカーチームには、効果的なトレーニングで選手を鍛えたり、試合で相手チームに勝つためのノウハウが蓄積している。

少し言い方を変えると、ノウハウを保有する集団に帰属しないと価値を発揮出来ないものでもある。

そして、スキルは誰でも一定の努力で獲得できるし、獲得の状況を測定でき、組織やチームが変わっても同じレベルで力を発揮する技能だね。

スキル教育を行ってもノウハウは身につかない。

スキルは、「Aの次はBをする」と記述されるのに対して、ノウハウは、「Aの次にはBかCがあるがこの場合はCを選んだ方が効果的だ」と状況に応じた選択を支援する知恵として記述される。

同様に、ノウハウを伝授してもナレッジは生まれない。

ナレッジは、例えば「良い選択とは、結果に対して最も効果的、効率的な道を選ぶことでなく、これまでに選ばれていない新たな道を生み出すプロセスである」のように、「意味」として記述され、物事の見方を変え行動の幅を広げる。

どう変え、どう広げるかは人それぞれだ。

言い換えると、「スキル=こうする」「ノウハウ=私たちはこうする」「ナレッジ=それで、私はどうするのか」だね。


スキル=転がるボール ノウハウ=皆で獲得 ナレッジ=寄せ集まっても気づくのは個々




2018年1月10日水曜日

広告モデルと絆モデルの違いについて

広告メディアにとって一番の KPIは露出度だ。

つまりどれでけ露出しているか=金が儲かるのか、とコンバージョンされるわけだね。

炎上商法もそうだけど、広告モデルが常に気にするのは露出度というKPIだ。

だから、バカなYouTuberにとんでもない収入が入ったりする。

これはAI(人工知能)でも一番問題になる部分だけど、仕組みに「倫理」は無い。

「倫理」は人が意味を知り、自らを律する行為だからだ。

意味を知ることが出来ない露出度というKPI指標や、AIに「倫理」は無縁だよね。

そして現在のAIが取り組んでいるのが、露出度を最適化(Optimize)してバスらせること。

最適な状態を迎えて皆が小躍りするのが理想郷なのだろう。

そんな状況に違和感を持つ人は、露出ではなく、絆をKPIにする。

どれだけお互いに知り合えたのか、を持続可能性のエンジンに据えるわけだね。

そして露出に争い「倫理」を越えた暗黙の「意味とルール」が出現する。

主客一体の相互尊重で「意味とルール」を守る。

だから、煽ったり罵ったり、世論に迎合したりしない。

で、ね。僕は絆モデルの方が好きだね。


日本人の絆





2018年1月9日火曜日

アイデアとは熟すものか、それとも絞り出すもの?

明日は朝からアイデアを出す仕事が待っている。


僕はアイデアを出すのは好きだけど、アイデアを出さなくてはならないことはあまり好きではない。

何が違うのかというと、果実は自然と熟して落ちるのを待ちたい方で、無理やり熟させることはなんだか性に合わないと言った感じだ。

きっと、単にものぐさなだけなのかもしれないけど、昨晩、NHK奇跡のレッスンで観たサーフィンのコーチの言葉にちょっとヒントがありそうだと思った。

それは、正確には覚えていないけど、「陸上のトレーニングは厳しく、波の上では楽しく」で、逐次変化し、同じ状況が無い波の上では、楽しむことで体をリラックスさせることが重要なのだそうだ。

これはあくまでも個人的感覚なのだけど、ぎゅうぎゅうに絞って捻り出すアイデアと、リラックスしている時に閃くアイデアでは、後者の方が想定外で飛躍感が高い。

冷静になって「飛躍しすぎだわ」と感じることも少なくはないけど、状況を打開できる可能性も高いよ思うよ。

さて、明日の朝はどっちだろう。


熟した







2018年1月8日月曜日

産業組織人となる、こととは

産業組織には目的があって、そこに集う人は目的の達成に貢献することが求められる。

というか、目的の達成を了承して契約を結ぶわけだ。

そして人権侵害や不平等を防ぐために契約すべき事項が日々、更新され、集う人の権利が保障されることになる。

これはサービスの購入とは違う。

サービスの購入者はサービスの提供内容を承諾して便益を得るために対価を支払う。

産業組織人は「貢献者」が前提であり、サービス購入者は「受益者」だ。

産業組織人は貢献の対価としてではなく、契約によって報酬を得る。


さてさて、なんで今更こんな原則みたいなことを文にしているのか、というと、今日の産業組織では、目的への貢献でなく、契約のために集う人が少なく無いと思うからです。

ただ、それは集う人の問題とも言い難いよね。

目的が複雑で細分化、先鋭化し、そしてあまりにも多様だから、「これ」と決めて組織に集うことは簡単じゃ無いし、そもそも「貢献する目的」を自分で定められるような成長を遂げて居ない。

「好きなこと(もの)を選びなさい」と言われ、便益と対価の比較において熟達し、受益者として成長してきた人が、目的への貢献に違和感を持つことは想像に難く無い。

この社会の組織人はどこから来て、そしてどこに行くのか。そして組織人とは何か。

もう一度、産業社会学の組織論を基礎から学びたくなった。


味わいましょう







良いアウトプットは良いインプットから?

僕が毎日ブログを書いているということは、毎日何かをアウトプットしていることでもある。

では、そのために何かを意図的にインプットしているかというとそうでもない。

越境したり、美味しい料理を食べに行ったりすれば、それは確かにインプットしたことになるのだけど、毎日越境したり、美味し料理を食べに行くわけではないからね。

そういう毎日が過ごせたらそれはそれで幸せを感じられそうだけど、僕の日々はそれなりに平凡だ。

平凡な日々の中でも本を読んでインプットすることもできるけど、50歳を過ぎて、やはり本を読むのは肉体的にシンドイし、書評みたいなブログを作る気持ちも無い。

以前、読書に関する調査を行ったとき、40代を迎えると明らかに読書量が落ち他のだけど、視力という肉体的条件が大きく関わっていることは否めないだろうね。

と、いうことで、最近は無意識で自然なインプットを意味付けしてアウトプットすることが多いように思う。

周囲と自分の内面を観察して僕がこれまで触れてきた膨大な情報の構造や意味、情報に触れた時の思考、感情、欲求などを言語化するのだ。

で、ね。インプットしなければアウトプットできないことがあるけど、アウトプットには必ずしもインプットが必要とは限らないよね。

コンサートに行かなければ、コンサートのことはアウトプットできないけど、コンサートに行きたかった情熱はアウトプットできるもの。

僕は、良いアウトプットが出来ないのは、良いインプットが無いせいではなくて、良い意味化が出来ていないからなのだと思うよ。


良いインプット、うまうま




2018年1月6日土曜日

最初に自分が出した答えは疑ってかからなくてはならない

未経験で正解のないことに答えを見いだす時、僕たちは大概、自分のバイアス(歪み)を利用している。

なぜなら、答えを出せないよりも、とにかく答えを出す方がリスクが低いからだ。

例えば、結果論として2つの選択肢の1つがよりよい結果を導くとする。

その場合、選択時は良い結果となる確率は共に1/2ということになる。

しかし、選択を行わない場合、確率は0だ。

まあ、正しく言えば、「何も選択しない」場合が良い結果となることもある。

前提が「正解のないもの」だからね。

但し、答えが必要とされている状況であると考えれば、答えを出さないことは状況に応じられていないことになるのだから、やはり、選択を行わない場合に良い結果となる確率は0と置いて良いだろう。

さて、自分のバイアスを使って答えを導く時に気をつけなくてはならないのが、最初に自分が出した答えは必ず疑う必要があるということだ。

特に、集団や社会との関わりで出す答えは、自分のみならず他者にも影響を与えて行くので気をつけなくてはならないよね。

さらにフォール・コンセンサスという心理効果もあって皆も同じ答えを出していると思い込むからタチが悪い。

結局、未経験で正解のないことに答えを出す時もそれまでの多様な経験がいきてくるのだけど、自分のバイアスと心理効果をコントロールできると多様な答えが開けてくるよね。


こっち




「わたしらしい1冊の本」が表すものは何だろう

仕事始めの昨日、会社の全員が年始の挨拶と合わせて「わたしらしい1冊の本」を紹介した。

パーソナリティ同様、各人が選ぶ本もとても多彩で、その人らしさの新たな一面を見られた気がする。

僕なりに本の種類をカテゴライズすると、エッセイ、純文学、思想、学術、啓発の5分類だった。

ハウツーやスキルの本が無かったことに違和感はなく、やはり「わたしらしい」となると「方法論」ではなく「世界観」なのだろう。

もう一つ気づいたのは、本の解説がとても自然で、批判や論評でなく、手に取った背景、お気に入りの記述部分、読み返すタイミングなど、『嗚呼、本当に好きな本なのだなぁ』と伝わってくることだね。

本を手に取る機会は色々ある。

本屋をぶらついたり、他人からオススメされたり、仕事で読まざると得なくなったり、授業の教材だったり。

多読する人もいれば、あまり読まない人、そして全く読まない人もいるだろう。

で、ね。僕たちにとって「1冊の本」は、数多くあるうちの1つの機会(チャンス)だよね。

そのチャンスを上手く活かす能力を僕たちは持っているということ。

なんと素晴らしいではないか!


眺めるものではない





2018年1月4日木曜日

自己不満足の報酬はクオリティオブライフの向上

一年前、僕は、「趣味」について1年間考え、実践することを決めた。

そして一年経ったので振り返ってみる。

さて、「趣味」とは、内在する報酬に動機づけられた行動習慣であり、目的性があるものだと考えた。

では、僕にとって趣味における目的が何かというと「書くこと」と「撮ること」であったと思う。

このブログもそうだし、SNSに愛犬の様子をアップすることもそう。

納得の行くまで何かを収集するとか、より多くの名峰に登るといった「極める」趣味ではなく、逆に「極めない」ことを続けていて、目標に動機づけられていない。

本や論文を書くとか、コンクールに応募するとか全く想定していない。

たまに「よく続くね」と言われることもあるけど、「趣味」だから続くのだよね。

まさに、「内在する報酬」だけど、決して楽に続いているわけではない。

考えが纏まらなかったり、ピンボケの写真しか取れなかったりするのは日常茶飯事だ。

自己満足どころか自己不満足の連続だったりする。

じゃあ、自己不満足の報酬って何だろう。

それは、日々の暮らしの密度が上がることによる充実感や達成感かもしれない。


他人から見た趣味らしい趣味とは、他者を凌駕する目標を持って取り組んでいるものをだろう。

でも、本来の「趣味」とは、人生の質、クオリティオブライフを向上させる時間の使い方全てを指しているのではないだろうか。


質感が大事



2018年1月3日水曜日

「自分らしさ」を表す本を考えた

僕の会社では、新年にそれぞれが挨拶を行う。

これまで挨拶の中で語ってもらうテーマを設けたこともあったが今年は、自分らしさを伝えられる本を紹介してもらうことになった。

というのも引っ越した新しいオフィスに立派な本棚のコーナーを設けたので、そこにそれらの本を陳列したいと思ったからだ。

気の利いた本屋さんにある、店員さんのオススメ本的な感じだね。

さて、僕も本を選ぶのだけど、ふと思ったのは「自分らしさ」って何だろうということだ。

感動、感銘を受けた本であれば、僕がどんなことに感動、感銘を受けるのかがわかるかもしれない。

深い学びと気づきを得た本であれば、僕がどんなことから学んだのかを知ることになるだろう。

僕の感性に響く本は、ひょっとして誰の感性にも響かないかもしれない。

それらを考えると、「誰かに何かを伝えようと思う」のか「伝わらなくてもこれが自分」なのか決めなくてはならないことに気づいた。

これまでも読んで感銘を受けた本を会社の人に紹介し貸したことは何度もあるけど、ちゃんと帰ってきたことは多くない。

興味関心、感性、学びのポイントは人ぞれぞれだから仕方ないけど、取り戻した時、大好きな本がカバーや帯を失っているのを見るのは辛いものだ。

ということで、今回は、「伝わらなくてもこれが自分」ではなく僕が何を学ばなくてはならないと考えているか、を伝える本を選ぼうと思う。


走る人 か 最後の人 か




2018年1月2日火曜日

最初はカレー、後は御節 その心は熟達と越境?

僕は子供の頃、御節があまり好きではなかった。

もっと、ハンバーグとかミートソースみたいに濃くて好きな味の食べ物を食べたいと思った。

だから、「御節もいいけど、カレーもね」という広告は福音に思えたものだった。

でも最近は御節が美味いと思う。

お酒を飲むようになったからかもしれないけど、御節とか懐石料理とか彩弁当とか、いろんな肴を少しづつ味わえるものを美味しく感じる。

もちろん、豚カツやステーキなどをがっつり食べることもあるけどその比率は少しづつ変わってきているように思える。


若いうちは好きなことにどっぷり浸かることが誰しも得意であるように思える。

「ほどほど」が苦手とも言える。

逆に歳をとると、何か一つのことにどっぷり浸かるというより色々なものに目配り、気配りするのが得意になるのではないだろうか。

こういう観点で仕事を眺めるのも面白いだろう。

色々なことを経験し様々な学びを得るスタイルと、好きなことを夢中になって取り組むスタイル、もしくはそれが実現出来なくてジレンマを抱えるスタイル、さらには経験者の価値観で好きなことに夢中になれないスタイルなどなど、僕の周りにも、きっと、多くのスタイルが混在している。

熟達と越境もひょっとしたらカレーと御節の関係性なのかもしれないね。

ああ、ちょっとカレーが食べたくなってきた。


カレー!





2018年1月1日月曜日

新年の新しい朝

今日は2018年の1日目、要するに元日だ。

我が家でも普通に正月だ。

朝、愛犬と散歩をしていたら青鷺が飛び立ち、『ああ、酉年が終わって戌年が始まったのだな』などと思って見たりもした。

さらに、川鵜の群が漁をするところを見られたのもひょっとして正月ならではの光景かもしれない。

御節にお雑煮と元日朝のルーティンを終えて、初詣には例年通り氏神の富岡八幡宮に行ったのだけど、こちらは年末の事件の影響が大きいのか、参拝客が明らかに少なかった。

人の業とはかくも深いものなのかと思いつつ、そんなこととは関係なく穏やかな陽が振り注ぐ元日だったね。



お飾り


立つ鳥 さようなら酉年


川鵜の漁


戌年の初日の出


御節料理


お雑煮


お年玉


初詣


縁日


鳩が手に乗ってくる


陽光降り注ぐ