2022年9月30日金曜日

 脳の働き

 僕たちが普段生活をしている時に自分の脳の働きについて何かを感じることはあまりないだろう、頭が痛くなったりはするけど脳自体は痛みを感じないらしいね、実際僕は脳出血をおこして脳を壊したけど、脳が痛いと感じることは無かった、しかし、立っていられなくなったり立ち上がれなくなったり言葉がちょっと不明瞭になったりとおかしな具合にはなったちょっと調べたら硬膜とかくも膜とか血管に神経が通っていて痛みを感じるのだそうだ。脳は神経細胞の塊なのに不思議だね。恐らく脳卒中の僕より偏頭痛持ちの妻の方が遥かに頭が痛い経験が多いに違いない。よく考えたら変な話だよね。痛みや疲れをほとんど感じない脳、でも壊れると結構な影響が出る脳の働きか悪くなると認知症とかになるわけで、脳の存在を意識することって難しいけど大切なことなんだよなぁと思う今日この頃なのであーる。


2022年9月29日木曜日

僕の大人の学び

 僕は40歳で大キャリアチェンジをして未経験職種に就いた。それまでの傘やマフラーの製造卸売経営職からデータサイエンスマーケティング専門職の世界へ大ジャンプしてしまったのだ。

そうなると全てが学び直しだ。最近流行りのリスキリング。学びなおしてからキャリアチェンジをするほうが真っ当なきもするけど、僕の場合は違った。キャリアチェンジが先だったのだ、でも、今となってはそれで良かったようにも思える。キャリアチェンジしてから専門職としての学びが足りないと考え慶応丸の内シティキャンパス(MCC)へ通った。しかし、実は就職して仕事の中で学んでいたことのほうがMCCでまなぶことよりずっと先に行っていたのだ、教室では課題に取り組むGWがあったのだけど僕がずっと他のメンバーをリードしていた。だって、統計解析とかは教室でもほとんど教えていなかったからね。だからぼくの専門性は専ら仕事で身につけたものだ、だから、キャリアチェンジが先で良いと思うのだ、スキルが無いと専門職に就けないということはまったくなかった。専門職の中での学びに真剣に取り組めばスキルは後からついてくる、もちろん、仕事で何が求められるかにもよりゅんだろうけどね。その後僕の学びは専ら仕事の中と、ラーニングイベントやオープンゼミへの越境であった。いずれも素敵な学びの共同体がそこにあった。会社や仕事もいい学びの共同体だった。僕は40歳を過ぎてから専門スキルを転移によって習得したのではなく、学びの共同体に越境することで学んだのである。



2022年9月28日水曜日

世界を分断するのは誰?

 世論を二分する国葬が昨日行われた

ロシアはウクライナで住民投票を行いウクライナと言う国を分断しようとしている

アメリカではアメリカを分断したと言われるトランプが相変わらず不審な動きを見せている

国というのは社会と言うコミュニティにおいて最も広範な秩序だろう、その国が世界中至る所でこのタイミングに分断されるのには何か理由があるに違いないだって民主主義でも共産主義でも同じことがおきているわけだしね。

そもそも僕たちは他人と意見が合わない時他人に対抗する自己イメージをを形成するらしい。猫派n人を見て自分は犬派だと決める行為だね。そうなると世界を分断しているのは僕たち自身だ。僕たちの世界は分断されているのではなく僕たち自身が分断しているのだ。もしくは誰かが分断した世界を見てそれを信じてしまっているのかもしれない誰かの分断を見てそれに対抗すると折り紙のように世界は4分割されてしまう。そうやって世界はどんどん細分化されてきたのだろうやれ鼠派とかパンダ派とかね。意見が対立すること自体は当然悪いことではない。画一的な世界ほど僕は気持ち悪いものは無いと思う。ナチスドイツとか一億総玉砕とか画一化は悲惨な歴史を生んできたからね。むしろ大切なのは自分の中に芽生える分断を乗り越えることなのではないかまずは相容れない意見は実は自分の中にもあるものだと気づくことだろう。僕らのなかにだってプーチンもトランプも居るのだ。国葬の賛成派も反対派も実は全ての人の中にある。きっとそれを認めたくないと思うほど分断は強くなるに違いない。でもそもそも分断も1つの意見だから、それに対抗してしまう自分がいることをわすれてはいけない。分断も間違いなく僕の中にある世界の姿なのである。

真っ二つだと使えない?


2022年9月27日火曜日

人生のドラマを書き上げよう

 僕が最近ずっと読んでいる辻仁成さんのブログ今日もいい話だった。

実はもともと辻さんにはほとんど興味が無かった。小説も音楽も知らなかったくらいだからね。

でも、辻さんのブログは、子育てしている息子さんとの微妙な距離感自らをとうちゃんと呼ぶ立ち位置、そして、美味しそうな手作り料理の話、移住しているパリでの地元の人との交流などまさにマルチモーダルなブログである、

辻さんと言えば元アイドル中山美穂さんの旦那だった人という認知しかなかった僕にとって、離婚した後の苦悩や努力は辻さんの人生に触れることで、

なんとなく辻さんの人生に触れているような気にさせてくれるのです。

辻さん名前は仁成ひとなりとよむらしいけど、じんせいとも読めるしね、今日のブログでは中山さんと結婚する前に結婚していた女優南果歩さんとの間にもお子さんが居て。

そのお子さんは辻さんのことを父さんと呼ぶのだそう、

そしてパリにいるお子さんはパパと呼ぶのだって、父さんとパパの間に父ちゃんが居るという今日の辻さんの一文は流石芥川賞作家と唸らせる心を震わせられた、最近は辻さんの文章教室に参加しているのもあるけれど、辻さんがこれからの自分の人生をどう書き上げていくのか大変興味深い。

でも、他人の人生に興味を持つ以上に自分の人生に興味を持ってあげたいものだ。会社の卒業と時を同じくした病気入院を期にこれまでの人生の振り返りは十分できたこれからの人生も考えた、あとは書き上げるのみだ.

不思議なこととありがたいことに、最近いくつもサインが送られてくるし歩を共にしてくれる大切な仲間も居る。僕はそれらを丁寧に紡いで伏線を回収しながら書き上げていくのだ

なんと楽しみではないか、乞うご期待である。




2022年9月26日月曜日

20年に及ぶ人と組織のコンサルから見えた組織の未来を創る新しい価値を生み出す唯一の方法とは

 僕は20年に渡って本当に色々な企業の人と組織の問題に関わってきたけど、組織にとって人の問題とは常に、足りていないことであった、それは裏を返せば組織は常に人を求めているということでもある、特に重い期待は組織の在り様を変え未来を創ってくれる人である。

一方組織には必ず高いパフォーマンスを発揮する人がいるからあまりハイパフォーマが足りていないという企業に出会ったことはなかった。

それは僕が関わらせてもらった企業の多くは現業はしっかりと回っている素晴らしい企業だったからかもしれない。

さてそういったハイパフォーマーの行動は極めて合理的だ、成果は能力じゃなく習慣によって齎されると言うけど、まさにその通りで、データ分析をしてもはっきりと表れていた。

合理的習慣化された行動が成果につながっているのだ、一方、新しい価値や正解の無い問いに答えを出す活動を組織の中で行っている人たちの行動からは習慣性は窺えなかった、むしろ好奇心の強さであったり、組織の規範からはみ出すような人たちであったように思える。だから経営者からはかわいがられるけど、けっこう煙たがられているようなところもあった。

結論を言うと組織に必要なのはハイパフォマーではなく世の中に無い新しい価値を生む人だということになる。

では新しい価値はどう生み出されるのかと言えばずばり、創発であると認知科学では解き明かされている、創発は元々複雑系科学の中から出てきた概念である。多様な要素が場とこひーれんと(相互作用的)正のフィードバックを起こすことで新しい構造が生み出される(複雑系では自己組織化という)現象だ、人間社会においては生み出される新しい構造こそが価値なのだ、心理学ではこれは想像力という人が生来内在させている能力だと考える、脳科学では、ACC →LPFCという脳の部位から偶有性が生まれると解明する。認知科学では人が保有する多様な認知リソースの競合から生まれると説明する。

この、心理学、脳科学、認知科学の3つの立場を検証すると心理学が一番曖昧なことがわかる、創造力という無から生み出す仕組みをどうやら人間は備えていることは間違いないのだけど、新しいものを生み出すのだから創造力と言う力があるに違いないというアブダクション類推であることは明白だ。

認知科学が最も優れているのは創発の環境依存性に言及していることだろう

新しい価値は環境と協力しあって生み出されている。

これも、長年組織コンサルをしているといやになるほど目の当たりにする現象だ。

ある超有名企業では新商品開発担当者を中途採用した。

全国から新商品開発の志に燃えた応募者がこれに呼応して大量に集まりその企業は選りすぐって採用したのだけど組織に入っの後実際に担っていたのは資料整理だった。僕がこれを指摘したら、苦笑いしながらも真顔で仕事なんだから好き嫌いじゃなくてやってもらわなくちゃ困るんだと言い返された(嗚呼)これでは、いくら採用した社員が高い偶有性を発揮できる脳を持っていても新しい価値は絶対に生まれない。

逆もある、現業で高いパフォーマンスを発揮しているからと新しい価値を生み出せと異動させられた社内生え抜きの期待の星。

経営陣の期待からバックアップも万全だけど、そもそも彼は偶有性を排した習慣で成果を出していたのだから。新しい価値を絶対に生み出せない。

期待の星が直接任用されなくても

おおかた組織の上司はかつてのハイパフォマーだから偶有性は排除すべき悪行にしか思えていない。

これが僕が目にしてきた組織の実情である。だから、新規事業開発ではアイデアよりも巻き込み力が大事だなんて研究結果になるのだろう。

でも、巻き込み力では企業経営者が求めている他者との違い(優位性のある)を生み出せないのは明白である。

以上の実践と学術的裏付けを通して僕が到達した組織の未来を創る新しい価値を生み出す方法は以下のものとなる。

脳の偶有性は誰にでも備わっているものだから組織には足りている、価値が生まれないのは、成果主義、パフォーマンス信仰が根強いからに他ならない。

業績至上主義のパフォーマンス信者と伝統的形式主義(古典的な規定を愛する人達)者をまず組織の要職から外すことが必要だ。

新しい価値を生み出すことにとって彼ら彼女らは害悪でしかない。

社内のたっぷりとある偶有性を高めるには

環境を変える経験で社員が保有する認知リソースを活性化させることが重要だ。

社員の好奇心を高め越境を支援することこそが経営者のすべき新しい価値を生む環境造りである。

参考にすべき企業は、ソニー(遥か昔から社員の副業を認めていた)、未来工業(世の中97%の逆張りをし、上司には報告もしない)アイリスオーヤマ(猛スピードで全社一丸伴走方式による新製品開発)といったところではないだろうか未来工業は特にわかりやすいモデルだろう。

新しい価値を生み出せない企業は他社との差別化が出来ず市場競合の泥沼に沈んでいくそして、経済状況が悪化して市場自体が沈下をはじめたらもう生存のチャンスは無い。

だって、沈んでいく泥沼の中で沈んでいるわけだからね。沈んでいく泥沼の中でも浮き上がっている企業は決し市場自体が沈んで生き埋めになることはない今世の中でおきていることはそういうことだ。

そうならないためには新し価値を生み出す唯一の方法は組織が生存する唯一の方法でもあるのだ。

今更ソニーや未来工業にはなれない多くの経営者はそう言うだろう、ただし、自分の足元をちょっと確かめてみて欲しい。

業績至上主義伝統的形式主義でがちがちに固めた基礎の上に立ってその盤石さに安らぎを得てはいないだろうか。

そしてその盤石な基礎をさらに固めようとセメントを流し込んでいたりしないか、いますぐにまずはマネジメントと採用戦略および人事制度の点検を行うべきだと私は考える。





2022年9月25日日曜日

僕はなぜ予定調和を否定する学びの場に惹かれるのか

僕は昨晩芥川賞作家辻仁成さんが開催している文書教室(オンライン)に参加していた。

教室では今は小説を書くことに挑戦している。

さて辻さんもちろんプロの作家ではあるけどプロの教師ではない。

将来帝京大学でゼミを持ちたいと考えてはいるようだけどね。

でも学ぶ方にはプロ教師ではない良さもあると僕は感じている。

辻さんには教える定型ノウハウが無いから結果彼の体験を参加者に伝えるものになる、

彼の創作という創発のプロセスに触れる事が出来るのだ、

僕が想うに教え慣れてくると人は要点を塊にしてそれを伝えることに終始しはじめるからね。こうすりゃいいんだ、これがツボだとね。

それは大切な真実なのだけど。

学び手にとっては自ら創発した知識じゃないから、ノウハウ情報になりがちなんだよね、

でも大切なことはノウhowハウどうじゃなくノウ、What何なんだよね。どうやったかじゃなくてその時何に気づいたかこそ学ぶべきことだと僕は思うよ。

辻さんは教室で最近ではまとめたメモを最近画面共有してくれている、資料を共有してくれないのは彼にしてはとても大切で転移可能なノウハウに思えるのだろうね以前は画面共有も無かった。

で彼の意思には反しているかもしれないけど以下にそのメモを文字起こししてみた。

 1,まず最も大切なこと主題は何かなにを書くか何をひねり出すかこの作品で最も言いたいこと何かを見つけることそれがこの作品を書く糸口になる

2,4つの柱を整えるAテーマB人物(登場人物)C(土地時代背景)D(ドラマ物語り)

3話の構造(着想から完成まで)

4タイトルを決める

ここまで構想が整い書き始める段階になりやっとタイトルを決めるタイトルはその作品の本質表す短い言葉の結晶

5逆さ円錐形式

全ての物語りが不思議な力学と連鎖で働きながら一点の結論へと向かう完成するときにそれ以前の世界を一瞬で作者の結論へと引き寄せる方法

以上もちろんこれは辻さんにとってみれば転移可能な固有の価値なので転載絶対禁止ですよ~

でもこの通りに書けば芥川賞の小説が書けるわけじゃないことは明白だ。

だからこれはノウハウじゃない。

これは彼が小説を書くなかで気づいたことであってもし僕が小説を書くとしたら同じように気づくかもしれない(気づかないかもしれない)といったものだろう

。知識はテクニックじゃなくて気づきだからね、辻さんは彼の経験を通じて気づき(知識の生み出し方)を教室で伝えようとしてくれているんだよね。

僕はそういう先生が大好きだ、仕入れ蓄積した情報や結論的な自説他説の転移に勤しむ先生はあまり好きじゃない。そこに知識の創発は無いからね。創発とは還元不能で意図不在なものだから常に型破りなのである。型破りの対極にあるのが予定調和

僕が○○教室という学びの場にあまり職種が動かずむしろ越境学習の場に惹かれるのはそんなことが大きな要因なのかもしれないね

教室のメタファー自体がすでに予定調和、こりゃだめだ。




2022年9月24日土曜日

不自由になって感じるマルチモーダルに生きると言うこと

僕は脳卒中で身体が不自由になったことで気がついたことがたくさんある。僕にとっての最悪の出来事脳出血が最高の経験に変わりはじめているのかもしれないね。不自由と生きることに関しては、2014年に行った三鷹の天命反転住宅で考えたことがある

それ芸術家であり建築家の荒川修作が死ぬという天命を反転させるための死なないための住宅なのである。

ブログにも書いている

数式と神託 反転する自己と世界のものがたり

それは画一化され効率的に便利さを追求した住宅への強烈なアンチテーゼでもあるけど、僕の場合は住宅が不自由になったわけじゃなく身体が不自由になった病気で退化してしまったわけだね。しかし画一化利便性が住む暮らす本来の意味を失わせているという着眼は重要だと思う。先日のオープンコミュニケーションシンポジウムでも研究報告があったけど、コロナの影響で、行われたzoom漫才で、漫才師はzoomの遅延という不便さを調整してリモート漫才を行った。そう僕たちは不便さに抗うことで進化するのだ。今の僕はまさにこういった進化を日々実感しながら暮らしている。そう、生きているのだ。僕は脳出血によって死ぬという天命を反転させたのである。そして不便さを感じるほど僕は全ての感覚を研ぎ澄ませてマルチモーダルな生命になっていくのだ。






2022年9月23日金曜日

社員の定着問題へのアプローチに関する考察

社員の定着問題へのアプローチに関する考察

デザインと創発研究所主宰吉田 聡

 

現代の企業にとって社員の定着は重要な経営課題であると言えるだろう

しかしなぜ社員が定着しないのかという分析に関しては決して十分に行われているとは言えないつまり、需要な経営課題に対する対策は足りていないのだ。

定着とはどんな問題なのだろうか、組織と人の問題と捉えた時に人の問題であれば心理学からのアプローチが考えられる。

1, 社会心理学からの分析

2, 社会心理学では態度という概念を用いて人の行動を説明する

3, 態度は行動の背景にある核心で。

態度=価値信念要素+感情要素+行動傾向要素の3つの要素で構成されると言われる

これに則って定着を僕が医療に従事する組織構成員行ったインタビュー結果から構造化すると

定着=仕事の意味づけ+経験への開放性(性格特性)+優柔不断な行動傾向(周囲の影響)ということになる

他方産業組織の問題と捉えたならば僕の師である故沼吉松氏の産業社会学からの指摘が非常に大きな意味を持つ協働形態と生産性がキーワードである

生産性向上という果実をもたらす産業技術の高度化を、それは意味しているこのような工業化を可能にした条件として人間の協働形態における発展があげられなくてはならない。ここに組織の問題が出てくる。組織は協働の高度化された形態であるということが出来る。青沼吉松著「組織と人間」より

組織における生産性を考えるとき経営学の人的資源論・タレントマネジメント論を忘れることは出来ない。

さて組織の生産性をあげるために行ってきたのが組織構成員(つまり社員)の評価や格付け報酬による他者との比較や他者の目線と調圧力による不安の醸成である。ここで脳科学の問題が意味を帯びてくる

なぜなら不安や怒りは人間の古い脳の働きから生まれる感情で新しい脳の働きによる意識が及ばないものだからだ。

つまり経営は人の意識の統制が及ばない部分に圧力をかけて生産性の向上を実現してきたとも言えるのである。他者の存在と言う圧力によって人間の適応する力や創造する力を引き出してきたと脳科学的には考察できるのだ。心理的安全性や1on1といった最近のトレンドも脳科学から考えれば自然な流れであると言えるかもしれないしかし学習にとって安心安全は学習の観点から見れば人の能力開発や成長にとって必ずプラスに働くとも言えないのだ

さて、そうなると組織と人の関係を考える際に忘れてならないのは哲学である。何を為すべきかという倫理的に正しい指針を無くして人も組織も社会的な存在に成りえない。産業組織が組織構成員に与えるのは疑似コミュニティとしての社会的な存在場所の基盤と報酬という経済性の基盤である

こうして組織における定着の問題は心理学、社会学、経営学、脳科学、学習学、倫理学、教育学、哲学の問題であると定義できるのである。それゆえ組織への定着がいかに分析や定義そして解決が難しい問題なのかよくわかるのではないだろうか。 




2022年9月22日木曜日

新たな学びには発見が溢れている

 新しいものや新しいことに出会うとワクワクするよね、

ではどうすれば出会うことが出来るのだろうか、

そんなきっかけ作りに有効なのは僕は学びだと思うどう学ぶのかその手段は限りなくあると思うけれど僕のおすすめはやはり学びである、

特に学ぶ人に学ぶことには発見が満ち溢れている、

「あ、そういうことだったのか」とか「なるほど、そうなんだ〜」「ふむふむ、わかるわかる」といった具合にね」その学びとは直接関係ない、自身の過去の出来事や学びに関する発見も盛り沢山だ、僕がこの感覚を最初に覚えたのは、オブジェクト指向のプログラミングをべんきょうしたときだった。

その時は本を開いての独学だったけど、オブジェクト指向の考え方は当時の僕にはとても新しくて面白かった、

そして実際にコードを書いてコンパイルして実行してプログラムが動いたときにはなんだか不思議な魔法を観ているようだった。

それまでの僕のプログラミングに関する知識はn88 basicという手続き型のものしかなかったからね。聞いたことのない言葉も多かったけど、

なにより、その考え方の違いに驚いたのを覚えている、もうはるか昔の話なので間違っているかもしれないけど。

たとえばベーシックで四角を書くときは座標を決めて線を4本描いてみたいにプログラムを書く、

だから、別の四角をかくときはまた同じ手続きが必要になる、

これは僕たちの日常生活での動き方に近い、大根をスーパーに買いに行って、そのあと人参が必要になったらまたスーパーまで買いに行かなくてはならない。

しかしオブジェクト指向なら大根欲しい、人参ほしいといえば、買い物係の人が買ってきてくれて手元に届く、そんな感じで合っているかしら、欲しいと言っただけで買い物に出かけていないのに不思議な魔法を見ているようだ。

買い物というプログラムは手続きではなくオブジェクト化されているのだ。これは便利だ。

今の宅配サービスもウーバーイーツも実はこんなオブジェクティブ化サービスかもしれないね。

だからオブジェクト指向のプログラミングを勉強すると日常生活のいろいろで新たなアイデアを生み出せるかもしれない。

こうした、新たな学びには日常に応用できる発想がいくつも潜んでいるのである。










2022年9月21日水曜日

歌は世につれ世は歌につれ

 デイケアには60インチくらいの大型液晶テレビが設置されている。

高齢者にとってテレビは手軽に安全に楽しめる娯楽である。

画面を通して好きなところにも不自由なく行けるし、好きな歌を聞くことも出来る、

さて昨日僕は職員さんにどんな歌を流せばいいですかねと相談された。

でもこれ超難問なのだ。

デイケアの利用者は60歳(僕や)から90歳超まで30歳以上の年の差がある、

それこそ戦時下の学徒動員経験がある人から戦争を知らない子供世代まで幅広~いのであるそうなると戦争を知らない僕でも、終戦直後の美空ひばりなどはきいたことがあるレベルで知っているあ~あ♬港町13番地~♬なんていっしょに歌えるところもある(笑)

逆に90歳くらいのご老人でも孫と一緒にAKB48なんぞを聞いていたりするから恋する~♬フォーチュンクッキー~なんて知っているのだ。

でも、知っていることと好きか嫌いかは全くの別問題なのである

僕だって別れの一本杉は曲名くらい知ってっているけど好きじゃない。

演歌懐メロ系が流れているときは僕はたいがいヘッドフォン装着してあいぽんの中の歌を聴いている。

そう、誰でも耳にして心地よいのは口ずさめるくらい馴染みの愛着のある歌だ。

歌の経験と言うのは実はとてもマルチモーダルなものである、当時の雰囲気や自分のおかれた状況衣食住や家族友人とも密接に関連している、

その中で心地よい懐かしさといった記憶が創発するものだ。

食べるものがろくになく苦しい日々の中で聞いたあの歌に元気をもらったというようにね。だいじなのは苦境の中で元気になったことだったりする、

歌はそういった大切な記憶のトリガーなのである。

だから職員さんのお悩みは至極まっとうなものである。

時代背景も、生活環境も全く異なった人々が集まって、多くの人が一緒に幸せを感じられる歌など、そもそもあるはずが無いのである。

でもそんな無粋な解説をしたところで職員さんの悩みが解消されることは無い単なる面倒な利用者さんちゃんちゃんとなるだけだ。

だから僕は、いっしょになって何がいいですかね~と首を傾げていっしょに悩んであげることしかしないのだ。



2022年9月20日火曜日

丁寧に生きるそれが今の僕の生きる道

 僕たちがこの世を去るときにああ、いい人生だった充実した一生だったと思えることはとても幸せなことである、兎角幸せ探しが溢れている時代だけど、幸せとは「モノ」ではなく「ことで」ある。

つまり、こうすれば幸せになれるといってノウハウとして授受できるものではないのだ。

だから幸福が人の究極目的であるとしたアリストテレスの考えには賛同するものの。

幸せ学的なものに僕は大きな違和感をもっているのだ。

そのうえで僕に限って言えば、今を丁寧に生きる「こと」で幸せを感じることが多い。

しかし人と比べたり出来ないことに囚われているとき僕は不幸せを感じている。

例えば犬との暮らし、先代犬は腎臓を悪くして亡くなったのだけど、毎日病院に連れて行ったり家で点滴をしたりして精一杯お世話をしていたことはいま思えば幸せであった、

でも、そんな時でも、日々衰えていく姿を見て自分の無力感に苛まれるときは不幸だった。

治すことの出来ない病気だったからね以前にも書いたけど。

小児脳科学者の成田奈緒子さんによれば障害児の自立とは自分の出来る「こと」を分かって、出来ない「こと」では助けを呼べる「こと」なのだそう。

それは障害を持っている自分をメタ認知するということだね、

でも、社会で生きるうえでたとえ障害が無くても出来ないことはたくさんある。

例え社会の問題を発見したからといって、自分だけでは解決がつかないことばかりと言っても良いのかもしれない。

そんな時、自分で何とか出来ることに手を付ける。出来るよう能力やスキルを身に着けるというのは自立出来ている立派な大人の態度なのかもしれない。

自分でなんとかしようというのは自己肯定感自己効力感の高い人にとってはポジティブなことかもしれないけど、

犬の病気の経験それに今回の自分の脳卒中とその後遺症にある自分を踏まえると自己客観視出来ていない状態であると言えるのかもしれないと思っている。

もちろん自己限定すべきじゃないけどねメタ認知が出来ていない状態だね。

そしてそういう時の自分はなんだか不幸なのである、

当たり前の現実を目の前にして不幸を感じていたらそれはやはり悲劇なのだろう。

今回脳卒中という病気を通して僕が学んだことは。

出来ることを丁寧にやっていくということ、出来ることが増えたらそれも丁寧にやる。

もう日々、その繰り返し積み重ねなんだよね。

出来る人は往々にして問題を前にしてこうすればいい、私はこうしている。

と言うし大々的にアピールするけど、今の僕にそれは出来ないことだから比較する必要はない。小島よしおになって「そんなの関係ねぇおっぱっぴ^~」と自分にいいきかせて僕は僕の出来ることを丁寧にやればいいんだ。

犬が病気の時は日々、丁寧にお世話をした、だから次の子をお迎えする気持ちにもなれたし。

僕は今回その子の存在によって病気と言う困難を乗り越えられる気がしてる。出来ることを丁寧にしても、障害が無くなるわけじゃないけど。丁寧に生きた実感がさらに生きる力を与えてくれることは間違いない。丁寧に生きるという生き方は地味だし。大きな問題から皆を救う正義のヒーローとは程遠い生き方かもしれないけど、障害を負い高齢者まであと一歩となった僕にとっては良い按配の生き方であるように思えるのだ。

お世話させて頂いた。今は虹の子



2022年9月19日月曜日

 17歳で大学に、入学した、物理の天才が、今はトレーラーの運転手なのだそうだ、

その経緯か本になっているらしくその本のタイトルがそれでも人生は続くというらしいそんな広告が表示された、それでもなのかそれが人生ってものなのか、人生には理不尽も不遇もつきものだ、だからと言って、何か思ったところで、人生はやり直しができたり、止めることはできない、

あとは考え方次第ではないか、やり直しでなくすべてがここから始まる新しいことだと思えばいいのだ。例え脳卒中で倒れて病院のベッドの上で目覚めたとしてもそこから新しい朝がはじまる、

そう生きている限りはありがたいことに、たいてい人生は続く、人生が続くのは自分が生きていてくれるからだ有難や、有難や。

だから僕は朝目覚めて生きている自分に出会えることが嬉しい、僕の家族に出会えることが嬉しいそれが幸せと言うことだと思える。

これはきっと病気のおかげだ

何かと不便になった気はするけど、有難いことに人生は続くから出来ることを丁寧に、そして出来ることを少しづつ増やして僕は生きていく。


2022年9月18日日曜日

SMMとTMSと情報格差と我が道の歩き方

 高齢者が増えていく高齢化社会が来て一方情報化社会は新たな格差を生みつつあると僕は昨日書いたのだけどたまたま友人が田舎の老人の情報力について投稿されていたそれは僕の認識とちょっと違う考察だったけどおかげでソーシャルキャピタルとネットワーク理論を想いださせてもらえたこれも、弱い絆の力なのだ。関連しそうなのはSMMとTMSです。簡単に言えばSMMは皆で情報(基本認識)を共有しようというものでTMSは知ってる人を知っているというものだ。認知科学で言えば情報は知識ではない、文脈に照らして情報を活かせる状態が知識ということになるネットを使っていると情報入手には長けるけどSMMやTMSに長けるとは言えない、田舎で現実世界で地に足つけて生活しているご老人はSMMやTMSに長けているから必要な情報もちゃんと入手し情報の知識化が出来ているということなのかもしれない。自説や他説のことをよくスモールtと言うtheory一方専門家が研究を行った成果として構築した理論がラージTTHEORYである。けど、スモールtをラージTで検証するという行為は確証バイアス(信念のそって情報を取捨選択してしまう無意識の活動)を防ぐうえでも大切だよね。

SMMシェアード・メンタル・モデル が「 組織 メンバー 間 の 基本 認識 の 共有」 という メタ 知 だっ た の に対し、 TMSトランザクティブ・メモリー・システム は「 組織 内 の 知 の 分布」 について の メタ 知 で ある。

入山 章栄. 世界標準の経営理論 (Kindle の位置No.4789-4790). ダイヤモンド社. Kindle 版. 


我が道の歩き方


2022年9月17日土曜日

世の中知らないことばかり、置き去りにされる高齢者


 先日デイケアでお世話をしてくれるべとなむの青年から、中秋のお祝いは日本でもあるのですか?と聞かれた。

月見団子をお供えして食べるんだよと言ったけど、なぜ彼がそんなことに興味があるのか気になったので、

ベトナムでもお祝いするの?と聞いたら、

はい、その日に食べるものがありますと教えてくれた、

なるほど、ベトナムにも中秋の名月みたいなイベントがあるんだと知り、

その後でネットで調べた、便利な世の中だ、

でもデイケアでご一緒する、多くの高齢者はその便利さから置き去りにされている、

マイナポイントとか盛んにおすすめしているけど、

そもそもスマホを持っていない高齢者も多い、

便利さから置き去りなんだよね。

高齢化社会が加速する中でこれは大きな問題だろう。

コロナワクチン接種の予約の際も問題になっていたよね。

ネットでの予約が出来ないってね。

僕がデイケアでタブレットやスマホを使っていると隣に座ったお年寄りが盛んに聞いてきて最後に羨ましがる。

でも、僕は絶対購入をすすめない。

だって使い方がわからなくて困ってしまうことは火を見るより明らかだからね〜

僕も使い方を教える自信はないぼくだって知らないことばかりなのだから。

今それを救ってくれるのはネットだ、先日もiphoneの音楽データが全部消えてしまったのだけど、直し方などを調べる手段はすべてネットである、

僕は僕の知らないをネットに繋いで脳を拡張して今の時代を生きている。でもそもそもネットに繋がっていなければ、脳を拡張できなければ、ベトナムの中秋の名月も知ることが出来ない。

ちなみに中秋というのは旧暦の秋7月〜9月のちょうど中間8月15日でこの時期は月がとっても綺麗に見えるので月を見上げる風習が中国でうまれたのだそう。

それが日本やベトナムに伝わったのだね。ベトナムでは中秋節といって月餅を食べるらしいです。

僕の頭には全く存在しない知識を僕は瞬時の装着することが出来る

ネットがある限り僕には知らないことなど無い。でも、ネットが無くなった瞬間僕には知らないことばかりになる。そして、それが高齢者の生きている世界だ、でも高齢者が知らないというと、やれ認知症だ痴呆だということになる。それはただ置き去りにされた結果なのかも知れないよ。

そう、情報化社会いとって高齢者は忘れ去られた人たちになるのだ、

中には情報端末を使いこなす高齢者もいるけど、極めて少数派だと思われる。

高齢者になる前にそのことはよく弁えていたほうが良さそうだ。



名月


2022年9月16日金曜日

死に方と死んだ後

 フランスの映画の巨匠シャンリュックゴダール氏が、数日前亡くなったらしい。それもどうやら安楽死だそうだ。そういえば昨日観た映画、92歳のパリジャンヌは、実話だそうだけど尊厳死がテーマだった。死は誰にでも来る世の中で格差の無い唯一平等にな経験だけど、死に方に関しては自然死だけじゃなくていろいろあることが投げかけられているよね。イギリスの女王は自然死だったのかしら、国葬になり。日本の元首相は、襲われて亡くなって国葬になるようだけど、議論が湧き上がっている。死に方も死んだ後もいろいろだ養老孟司さん「死の壁」によれば人は他人のために生きているのだということにな確かに何をもって死というのかその定義も不明瞭なのに、死は多くの人に影響を与える出来事だ。死を村八分仲間外れと考察する養老孟司さんの見解は奥深いよね。養老さんの言葉を借りれば、葬式とは仲間外れの儀式であり、安楽死とか尊厳死は、自己申告による仲間外れということになるのかもしれない、前述した映画では、家族を前にして自分はいつに逝くと宣言するシーンがあって象徴的だと思った。終活マニュアルみたいなものには、葬儀の際の写真を準備しておくなんていうのもある。これもある意味宣言の一貫だよね。まあ敢えて宣言しなくても死は誰にでも平等に訪れるものだとは思うけどね他人のために生きてきた人が死ぬとぼくたちは大きな衝撃を受ける、中にはその他人の中に自分たちは入っていなかったと怒って葬式に出ない、そもそも仲間じゃなかったのだから村八分にもしてやらないという了見の人達も少なくないことを今回僕たち日本人はは目の当たりにしているシャンリュックゴダール氏やエリザベス2世の死は母国で大きな悲しみを持って伝えられているから、正当な仲間外れなんだろうね。

死とは何か考えよう


2022年9月15日木曜日

丁寧に生きるということ

 昨日テレビで見た、元パティシエ岡田さん、昨日も、投稿したけど、脳卒中で右半身麻痺になったそう。

僕の反対側である。

そんな岡田さん、仕事もやめて引きこもっていたけど味噌汁を作ったことをきっかけに工夫して料理をするようになり、

今はプリンでお店を開くことを計画しているのだそう。

その信念はできることを丁寧ねに。

これは、脳卒中で麻痺の後遺症が出た人にとってはとても大切な考え方である。

今まで出来ていたことがある日急に出来なくなるわけだから出来ないことをできるようになりたいと思いがちだからね。

でも、出来なくなったことを回復させるのはかなり大変なのだ、脳が壊れたわけだからね。

だから、岡田さんは、丁寧にプリンを作っていらした。

これはほんとうに良い考え方だ。

実は最近、よく見ている辻仁成さんのプログやツイッターでフォローしている大西博子さんも丁寧という言葉を良く使う。

どうやら丁寧というのは、僕にとっての何らかのサインであるらしい。

丁寧に生きるということは、人生の折り返しを過ぎた人にとってとても大事な考え方である。

それがやがていつかは迎える死の瞬間に自分の人生の総括になるわけだからね。

よく生きるということは、目の前の毎日を丁寧に生きることである。

それは片麻痺の障害者にとってみれば、出来ることを丁寧にすることだからむしろ病気のおかげでわかりやすくなったのかもしれない。

左半身麻痺の僕にとって、ギターを弾いたり、ゴルフをすることはかつては出来ていたけど今はは出来ないことだ。

しかし、こうしてブログで長文も書けるし、昨日はテキストマイニングも出来た、zoomでミーティングも出来る。

だから、そうした出来ることを今後も丁寧に

していこうと思った。もちろんリハビリも出来ることだから、一生懸命頑張って少しでもできることが増えるようにしていこうとも思う。人生が終わるその瞬間までね。


丁寧に


2022年9月14日水曜日

コミュニティに必要な人

 自分の思考をデータ分析で整理してテレビで移住関連の番組などを観て認知科学や哲学や複雑系科学の観点を入れての自分なりにコミュニティにはどんなリソースが必要か整理してみたその結果必要なのは以下のようなリソース人たちになりました

1 師匠。威光を持つ人威光とは「個々の模倣者に対して秩序だち、権威のある、証明された行為をなす者

2ファシリテーター中立的進行役コミュニティマネジャー

3メンターメンバーの情動に関与しリフレクションや技能獲得を促す人

4インフルエンサー他者に影響を与える外部情報をコミュニティ内に積極的に媒介する者

5コーチ一番弟子威光の模倣を最も体現している人 先輩

6模倣学習者(弟子)ラーンナーコミュニティメンバー

7応援団とにかく場を盛り上げる人

以上7タイプの人(リソース)がコミュニティには必要であるという結論に達しました




2022年9月13日火曜日

移住という越境とコミュニティの自治という心理的障壁

 越境学習が大切だと最近よく言われている、その越境学習の中に正統的周辺参加という概念が出てくる越境者は越境先の共同体で最初その中心にいるのではなく周辺に参加しながら共同体の問題解決に参加するすなわち仕事しながら学習し、新参者から古参者になっていくのだ、越境と言う概念が共同体と深く関連していることがよくわかるよね。学習論のなかでは成人の学習は実践を伴うという論点があるのだけど、学習論からも、越境学習の在り方が裏付けされる

さてそんなことを考えながらテレビをみていたら移住の番組いい移住~というのを放送していた、移住とはまさにコミュニティに参加していくプロセスである。最初は周辺だけど正統的になるために移住者の皆さんはそれなりに努力されているようだ、ネガティブな話としては、コミュニティに参加出来ずに移住に失敗する人もいるらしい。特に地域コミュニティには自治という法的な縛りもあるから、住むだけじゃなくて自治の順守なども必須になる。この自治と言う概念は時に閉鎖的だし新参者にとって決して快適じゃないことも少なくない、そういった。不快さや面倒臭さなんかが結構越境の心理的障壁になっていたりするんだよね。共同体にとってみればこの心理的障壁というのはけっこうやっかいだ。自治はコミュニティを円滑に運営するうえでは大切だけど、それが障壁になるわけだからね。これは原始コミュニティに限った話ではなく情報社会コミュニティでも同じだ、特に古参による自治が出来上がっているコミュニティほど心理的障壁も高い、みんな大好きグーグルはプロジェクトアリストテレスで心理的安全性というバズワードを生み出したけど、コミュニティがチームとして機能する際は心理的障壁はパフォーマンスを下げるのである、古参が幅を効かすコミュニティほど参加したくないものね。コミュニティにとってベテランがどう振舞うかは大きな問題なのである。

ベテラン看護師



2022年9月12日月曜日

僕にとっての学びの共同体をテキストマイニングする

今日は朝から分析作業となかなかハードな月曜朝である。

さて3500日に近づいた自分の個人ブログ、「学びの共同体」で検索をかけたら11記事もヒットした。率にして3%くらいかなりの頻度です。

でも年寄りの話みたいに同じことを何回もクドクド書いてしまっている恐れがあるから急遽テキストマイニングを実施しました。

テキストから発見を行うにはしっかり読んで頭の中で整理するのが一番手軽だけど、意外な発見をするにはテキストマイニング分析は良い方法だと思います

AIを使えば感情などさらに気づきが得られるけど今回そこまでやる必要は無いでしょう。全テキストを抽出したところおよそ1万文字ありました。ページにして16ページ結構な量です。

まとめ直せば本は無理にしても論文には出来る量です。研究所の旗揚げをしたのだから投稿は別として論文くらい書いて掲載すべきかもしれないと考えていたのですが良い素材になりそうです。

さてテキストマイニングも他の分析と同じですがデータの揃え方、分析の行い方によって結果が変わってきます。

だから、本来は分析前に一番集中すべきで、キューピー3分クッキングみたいな分析は邪道です。でも、今日は探索的ぶんせきなのであえて3分クッキングコースです。

実際3分くらい

結果もそんなにしっかりと読み込めていませんが、重要なキーワードは出ていると思いました、意外だったのは脳卒中が固まりとして出てきたこと。これ、リハビリ入院中に書いたブログなんですよね。改めて僕はリハビリテーションをかなりはっきりと学び合いであると認識していたことがうかがえます。ちょっと設定を変えながら再分析をしてみようと思いました。


2022年9月11日日曜日

AI人工知能はすでに情報化社会コミュニティの一部である。

 さて昨日ポジティブ心理学と脱工業化の産業社会コミュニティの組織の深いつながりを解き明かしたが。時代は情報化社会コミュニティの時代である。では情報化社会コミュニティの特徴は何かというと、一言にすると脳の拡張である。ここらへんのことは実は2014年に「自分の時間を生きる」存在と主体というタイトルでふれているそこで考えるのはコミュニティの成員とは何かである。脳は情報ネットワークで拡張され世界に繋がっている、拡張された脳にとってコミュニティ(個人とその興味がおりなす社会的関係全般)はもはや世界と同意なのである。そしてネットワークにはまだまだ人間の自律性に比べれば稚拙だけど、AI人工知能が存在している、人工知能とか人工生命ロボットはすでに、僕達のコミュニティの一部になっているのである。AIがコミュニティの一部であるというと、映画の話と感じる人もいるだろうけど、じつはそんな想像的未来の世界の話ではなく、いまここにある現実なのだ




2022年9月10日土曜日

ポジティブ心理学の終焉(AI参画コミュニティの時代に問われるのはポジティブさよりもバイアスレスだ)

 昨日も取り上げたけど原始コミュニティでは心理学は人の綻びの研究だった、そして初期産業社会コミュニティでは科学と称して生産効率をあげるためにまた組織への従属を強めるための諸制度(秩序)の導入が行われたその最たるものが日本型経営である。年功序列終身雇用、賞与制度、組織別労働組合と、原始的コミュニティから切り離された人々を強烈に産業社会コミュニティの正統的参加者編入する秩序が作為的に導入されたのだ。

今でも、福利厚生などはこの手法に用いられているし、グーグルなどはあからさまに地縁的コミュニテ作り(村作り)を行っている。

さて脱産業社会では人の勤労意欲を高める態度の研究になったそれがポジティブ心理学である。

脱産業社会コミュニティでのテーマは没入、内発動機、リーダーシップにチームワークである、

これらはいずれも産業組織の生産性や可能性を高めるために個人の心理に目を向けたものである。

一方、情報社会コミュニティでは、人間は認知も情報処理も心も拡張するのでストラクチャホールや好奇心などの統合的知性と感性の方が重要になるのである。

そして情報社会では人と人の疎通を研究する認知科学の時代になった。

人の認知が疎通(ネットワーク全体)に及ぼす影響を鑑みてと多様性の尊重とバイアスの制御を認知の仕組みと合わせて研究されるようになってきのである。

これは恐らく情報社会コミュニティでは人間が生み出した人工知能がコミュニティの成員となるプロセスの端緒にあることを意味しているのだろう

感性





2022年9月9日金曜日

コミュニティと人と組織と心理学と哲学と複雑系科学と認知科学を考える

 産業革命(工業化)が起る前の社会を原始という言い方をすると、マッキーヴァーが

考察したコミュニティは原始コミュニティということになる

しかしマッキーヴァーのこのコミュニティとは・・・個人とその興味がおりなす社会的関係全般であるという考察は産業革命の次に情報革命を経た情報化社会において意味深いとても大きな功績である僕はノーベル賞ものと思っているそもそも、原始コミュニティは地縁血縁という生得的縁によって社会関係であった。その個人の縁が織りなす社会という織物のなかで生じる人の綻びそれが心理学の始まりである。なぜ綻びが生じるのか、どうすれば繕えるのか人の心理をみつめたのだが、そもそもヒトを見つめる学問は哲学があった、だから心理学が哲学の系譜のうえにあることは自然な成り行きなのだろう。

その後産業社会が進展して、カントが言うところの自由意志と自由意志の最適化目的の大国が企業という形をなすようになると、社会関係全般の中で生得的縁のかわりに個人の態度(価値信念や感情、行動傾向)に注目が集まったのも当然の帰結だったのであろう。

だから社会心理学での主題は態度だ、そして、ネットワークな複雑な挙動と情報革命の中では態度よりも、人間がどう情報を認知し思考や感情を持つのか認知科学が大きな意味を持つようになった。

社会関係全般の中で情報とそのエージェントである人の認知という機能に注目が集まるのはごく自然なことであるように思える。情報化社会では認知バイアスが主題になるのだ、図式化すると以下のようになる


原始コミュニティ→社会の綻びとしての精神疾患→精神分析による人の理解←人を解く学問としての哲学

産業社会コミュニティ→自由意志による協働形態(組織)の動き→態度の理解と形成→心理学

情報社会コミュニティ→情報を認知処理する存在としての人間の理解→自律型AI(人工知能人工生命)への挑戦。多様化し地球規模に拡大する社会課題の解決→認知科学







2022年9月8日木曜日

自由意志の調整という複雑系



小説家への道??

僕は今芥川賞作家でミュージシャン愛情料理研究家辻仁成さんの文章教室に参加している、この前まではエッセイ編だったのだけど今は小説編だ、教室だから課題があって今じかんをみてはその課題執筆に勤しんでいる昨日も一旦書いたものをソファーに座って推敲していた、

すると犬が邪魔をしてくるので、その様子を写真に撮って犬猫のSNSに投稿した、そうしたら、多くの方から小説待ってますみたいなコメントがあった。

ヲイヲイ今書いているのは教室の課題用であってお披露目するようなレベルのものじゃないぜ、

しかし、皆僕に何を期待してるのさ?

皆僕じゃなくて僕の犬に興味があるんだよねそんな問いが頭を巡る、

でも、ドイツ人哲学者マルクス・ガブリエルによれば人は他人が自分に抱いているイメージに合わせて行動するつまり社会において自由意志が調整されると説くもちろんすべてがそういった自由意志の調整の結果ではない、ここらへんの考え方はとても面白いから僕は好きなのだけど、今回の小説話もそうだ、

そもそも小説は読むこともあまりない僕にとって小説を書くと言う自由意志はあまりなかった。

しかし辻さんの文章教室に参加し、書くことで人生は豊かになるという言葉に強く共感する中で課題に取り組み、

次第に小説を書くという意志が芽生えつつある。

つまり辻仁成さんが教室に参加している生徒に対して抱いているイメージに次第にぼくも合わせ始めているのだ。

そして今回の犬猫SNSで示された皆の期待。

僕はその期待に対して自分の自由意志を調整しはじめ、小説の構想を練っていたりするそうすると僕は犬猫SNSに小説を投稿するというSNSの事業者にとってみれば想定外の行動をとることになるこうして新たな問題が生まれる。このように社会はどんどん複雑になっていくマルクス・ガブリエルの主張を実証するような出来事になっている。



2022年9月7日水曜日

複雑系を考える

 僕が複雑系を勉強したのは40歳の時だ、何冊も本を読んでその考え方や科学に感服したものである。


スチュアート カウフマンの自己組織化と進化の論理―宇宙を貫く複雑系の法則 をよんで僕は以下のキーワードをピックアップしている

システム

自由度

ハイゼンベルグ 不確定性原理

隣接可能領域と小さい領域に閉じ込められている非エルゴート的現実の進化

仕事空間=現存領域+隣接可能領域

細胞は未臨界状態にある

マンフレッド・アイゲンとピーター・シュスターによる「エラーによる崩壊」

適応度の高度を登っていく変異率がある点を契機に崩れ落ちるようになる

ブール代数的ネットワーク

疎通関数

ある状態の変化が他の状態の変化となる場合、疎通入力という

ある状態のネットワーク数Kが2より多くなるとネットワークはカオス的に振舞うが遺伝子は疎通入力を大きくすることでカオスの縁にネットワークを維持してきた。

ネットワークを秩序~カオスに導くパラメーター

K(ネットワークの入力数)K=2以上でカオス

P(多数派の数/全ての数)K>2でP=0.5以上においてカオスの縁が現れる

疎通ブール関数(他のすべての入力値に影響されずに次の状態を保証する入力を持つ関数)

レゴブロック

技術グラフと分岐点

ジョブショップ問題

ノルマが高くなると達成可能な解の数が激減する。

問題の構造を向上させるためには、対立する諸制約条件をゆるめ、効率において問題が生存可能状況にあるようにする必要がある。

入れ替え可能な手順の割合が増加するにつれて相反する制約条件は減少する。効率地形全体が持ち上げれら山頂は高くなり制約条件の減った地形は全体としてより平らになる。結果、浸透する解のネットワークがより高い効率に対するノルマでも実現できるようになる。

習熟曲線

べき乗則

経路和

干渉性の消失「デコヒーレンス」

NKモデルで適応性の高所が


そしてそのうえで20歳の頃大学のゼミで手にしたマッキーヴァーのコミュニティという古典を再び手にしてはその著作のなかで更に「コミュニティは、本来的に自らの内部から発し(自己の作る法則の規定する諸条件のもとに)、活発かつ自発的で自由に相互に関係し合い、社会的統一体の複雑な網を自己のために織りなすところの人間存在の共同生活のことである」と指摘している。また「意志と意志の間の無数の関係の全体系」とも表現しているを目にした時、秩序とネットワーク、ああ、コミュニティも複雑系なのだなと理解した。僕達人間は思考という行為を通じて仮想的に物事を組み立てることが出来るデザインだ、しかし現実は僕たちのデザインをはるかに超えて複雑な様相を見せるこの、思考と現実の不思議な実態に迫りたいと考えたのがこのデザインと創発というブログなのである、そして思考や感情・心理もそもそも複雑系なのかもしれないと考え認知科学の門を叩いているのが現状だ。複雑系に惹かれて早20年経った、その間、組織と人の心理をずっと仕事にしてきたけどそれは言い換えればコミュニティを複雑系でずっと考え続けてきたことになる。僕は部活にしても趣味にしても散漫であまり長続きする性格ではないと劣等感を抱いてきた、しかしこのブログが10年近く続いていること大学時代のテーマを今も抱いていることを考えると実際の僕は結構執念深い性格なのかもしれないね、デザインの観点からは複雑系というのも科学の中の1つの立場(要素)でしかない。その要素が僕の思考の中でなぜ信念として結晶化したのかはよくわからないけど、僕達は、自分の中で結晶化した信念で物事を認知しデザインするんだよね。でも、信念は人によって違うものだから、マッキーヴァーの定義に則ればコミュニティとはまさに信念のるつぼと言い換えられるのかもしれないね。でもそれはまさに自然の姿だよね。格好良く言い換えれば僕はずっと自然に立ち返って学ぼうとしているのである。(格好つけすぎや)


自然に還り自然に学ぶ


2022年9月6日火曜日

複雑系で考える現代コミュニティ論第3回活性化と枯渇

戦後日本コミュニティの活性化と枯渇の私的歴史的考察

結論的に書いた現代コミュニティ論第2回を戦後日本の都市地域の活性化と農村地域の衰退を歴史と複雑系の観点で考察してみる

戦後復興に都市部におけるコミュニティの活性化はなぜ起こったのか。資金不足や人材不足があったのになぜ都市コミュニティは活性化したのか。

戦後都市部産業化という新しい秩序が急速に広がり労働力が不足したそしてその不足した労働人口を地方の労働力を受入れることで賄った。

そうして流入した個の活性の高さがポジティブフィードバックを起こしたものだと考えられるその際に朝鮮戦争などの環境要因が触媒的に更なるポジティブフィードバックを誘発したのではないだろうか

コミュニティとは・・・個人とその興味がおりなす社会的関係全般である

都市コミュニティでは戦前戦中の閉鎖的な社会秩序が一新されることで新しい秩序が個人の興味を一気に広げそれによって新たな社会関係。新しいコミュニティがに生まれたと考えられる。コミュニティが進化した

コミュニティの進化とは・・・複雑系でとらえれば社会的手段たる秩序と自由で混沌とした個性の狭間でより適応性の高い創造が連鎖的に続く状況。閾値に達するまでの知識、技術の集積とネットワークによるポジティブフィードバックの導入、それに続く秩序の発生である。

社会的手段と個性の共進化がによってコミュニティが進化してきたのが戦後日本の高度成長の姿である。

一方都市部に労働力を拠出により農村コミュニティの枯渇が発生した・・・共進化の停止、後退局面。砂漠化状態(秩序の崩壊と崩壊粒子が閉じた状態で動かない状態)。平衡状態。

農村部におけるコミュニティの枯渇へのシナリオ

1.流出・・・より強いアトラクターの存在(都市部の産業)や構造的膜の消失(社会的な移動網の整備と地域コミュニティの秩序崩壊物理的にも精神的にも都市部に移動しやすくなった)

2.適応地形の高所化にともなう高依存性・・・人的資源不足から自ら解決策を策定できなくなり、解の領域を喪失した

3.ナッシュの均衡・・・平衡に向かう階層構造化。自治の硬化

これらのプロセスを通して1、環境が悪化するケース 2、自律性を喪失するケースが存在する

歴史的考察を踏まえて不均衡の回復パターンは第2回で記載した通り以下のように考えたのである。

1.抑制秩序の撤廃

2.エージェントの活性化

多様性、複雑性

反応経路の増加

酵素、触媒の投入

閾値まで上昇させる

秩序を動的にする

水準レベルを引き上げる

社会的手段との共進的な関係を構築

外部エネルギーの流入経路を活性化する方向に限定

    プロセス(仕事サイクル)の規模(エリア)を規定する・・・本来、自己創出するもの



2022年9月5日月曜日

運転やめますか?

 海辺でバイクを止めて〜♪

僕はかつて2度ほどバイクに乗っていた時期がある一度目は大学生の頃所属していたゴルフサークル時代だ

仲間と盛り上がってスポーツタイプの原付きに乗った。

とても50CCとは思えないそのバイクで箱根までツーリングもしたのだけど。

今思えばそんあとこまでよく行ったよね〜

今でもとても寒かったのを覚えている、走行中2回ほど転倒もした

写真のバイクのバックミラーが割れているのはそのせいだ。

さて2度目のバイクブームは就職した後銀行員時代であった。

職場の先輩と盛り上がって普通免許で原付きに乗るのじゃなく。

ちゃんと教習所に言って自動2輪中型限定の免許をとって250CCのバイクを購入した。

そして先輩たちとツーリングをした。残念ながらその写真は無かった。

原付きとは全く別世界のバイクであった。排気量は250CCと小さかったけど、ホンダのV型DOHCエンジンはものすごくよく回って楽しかった。

免許をとってバイクを買ってもそこは社会人普段乗り回すでもなくバイクはカバーかけて車庫の奥にしまい込んでいた。今考えればなんともったいないことしたのだろうか、

当時はカメラの趣味が無かったので写真を取りにツーリングなんて素敵なことを思いつかなかったのだ。

しかしたまに思い出してはバイクを引っ張り出して家の周りを走っていただったけどね。

やはり車は乗るだけどバイクは走るだよね〜。

当時は豊洲有明東雲は住む人もいないし道は広くて、夜は車もいなかったから結構走れたんだよね今じゃきっと無理だね。

ホンダのバイクは驚異的だったな。爆発的な加速を誇った2サイクルエンジン車じゃなくて4サイクルエンジンだったけど、アクセルをがばーッと開けると身体とか脳みそが後ろの方に置き去りにされるような感覚になるくらい凄かった。当時もスポーツカーブームみたいのはあったけど、その加速はポルシェよりすごいということだったのだ。僕が乗っていたのはネイキッドタイプと呼ばれるかうる(風防)のないものだったからもろに風を受けてその圧がすごかった。伊豆から東京に東名使って帰って来たときはガソリンタンクに伏せて風を避けながら時速160kmでずっとはしっていたら(もちろんスピード違反です←時効だよね)あっという間にガソリンが無くなった記憶もある。まあそんな無茶して事故起こさないでよかったね〜なんだけど、やはりバイクという乗り物が僕の心に火をつけ異常なスピード感が僕のアドレナリンを大噴出させていたんだろうね。このスピード感がアドレナリンを爆発させる感覚はその後、4輪車を運転するときもあった。僕は結構スピードを出しちゃう方なのだ。そう思うと僕はもうバイクも車も止めておいたほうがいいのかもしれない、未練はあるけどね、記事によれば、最近は高齢者の免許返納が増えているらしいけど、返納した人と運転を続けている人は認知症が少ないという統計もあるようだからあまり早計に決めないほうがどうもよいみたいでもある。

自動変速機のバイク(アクセルのみ)なら運転できるかな、あ、だめだ左手でブレーキレバー握れないややはりどう考えてもバイクは絶対卒業ですね。



2022年9月4日日曜日

今日はブログ日曜日

 今日はブログ日曜日2013年からずっと書き続けているこのブログ脳卒中で倒れて手入院していた手術当日とその直後2週間ほどしか休んでいなかったけど、今日は書きません日曜日だからということではなく知恵をふり絞ってとある書類を作っていたのです。もうぺんぺん草も生えませんはい。

                 もうしおしおのぱ~

2022年9月3日土曜日

認知症の世界は千と千尋の神隠し

 認知症の世界から見えてくる認知の力

僕はデイケアでご一緒する高齢者のことをもっと知りたくて認知症世界の歩き方という本を買って読んだ。AIとかが認知科学の知見を応用する最前線だとすると認知症はひょっとしたらその対局にある世界かもしれない、けど認知の仕組みを知る手がかりだと思う。

認知症世界の歩き方には認知症による心身機能障害が44もわかりやすく紹介されているそのひとつに顔無し族の村というのがある。

ジブリの千と千尋の神隠しにはカオナシというキャラクターが登場するがもちろんそのことではない。

認知症によって人の顔が見分けられなくなることを紹介しているのだ。

一方、AIでは画像認識。

顔認識はかなり技術が進んだ領域である。

AIでは進み、一方認知症では障害が起きやすい機能であることは偶然の一致とも言えないかもしれない。

顔というのは個人特定をするのに最も適した身体的特徴なのである。

一方生身の人間にとっても顔は個人を識別するでなく赤くなる青くなるといった顔色をうかがうことで、

その人の体調や感情を推し量るなど。

人と人の関係性を生成する関わりを探る重要な役割を果たす重要な身体の部分だ。その重要性故AIでもどんどん実装が進んだのだろうね。認知症ではパーツの形状や位置などを統合的に認知し処理するのが苦手になるからだそうだけど、機械学習ではきっとそれは隠れ層と呼ばれるアルゴリズムで情報化している。AIでもきっと隠れ層が壊れたら顔認識できなくなるつまりAIも認知症になる可能性があるということだ、きっと、そういうサイバー攻撃ももう作られてるだろう、ドローンから要人を警護するときに役立つからね。認知症というのは逆説的に僕たちの認知と意識や心の関係性を知る手がかりになるのかもしれない。また僕たちがAIと融合(サイボーグ化)できたら認知症のこの身体機能障害は解決されるかもしれないね。ひょっとしたら他の障害も多くが解決できるかもしれないそういう研究はすすんでいるのだろうか。


顔なんていらない世界が来るかもね。

さてそんなことを考えながら今一度認知症世界の歩き方を読むとまるで千と千尋の神隠しそのまんまのような世界観なんだよね、行先のわからない電車とかお風呂とか、ないはずのものが見えるとかね、ひょっとしたら宮崎駿さんには兆候があったのかもしれないとまで勘繰りたくなるほど共通点があるのだ、そう思うと認知症の世界というのもなかなかファンタジーな世界なのかもしれない。介護でお困りの方将来に不安を持つ方など認知症を取り巻く状況は明るく捉えられないとは思うけど、結構売れたらしいこの本、一度千と千尋の神隠しを観るくらいのつもりでお手に取られては如何だろうか。




2022年9月2日金曜日

妄想と感動で考える心の法則

 さようならmacbookpro

僕は昨日大事に持っていたApple のmacbookproをリネットの回収に出してさようならした。僕が脳卒中になる前に予兆だったのか先んじて画面が表示されなくなり、時々気が向いたら復活していたので修理しようかとおもったのだけど、Apple ではもう年式的に修理不能で、一般の修理サービスで見積もったら最初は2万くらいでも、本気で考えて再度問い合わせたら部品の価格が上がったとのことで8万くらいの見積もりになって諦めたしだいである。やがて気まぐれもなくなり本格的に動かない廃棄PCになったmacbookproは何代目のメインPCであったのだろうかもう、数えることも出来ないかつて憧れていたappleのPCだってpowerMACからはじまって片手では済まない遍歴がある。macbookproを買ったときは写真に嵌っていた時期だったので撮ったデジタル画像をレタッチして現像する暗室のイメージを理由にしてかなり高いスペックを奢ったものだったでも結局写真はものすごい量をとったけどいちいち丁寧に現像することもなくまあ俗に言う宝の持ち腐れ状態であった、それ故、壊れてもなかなか捨てられなかったのである。僕のPC遍歴はだいたいぼくの妄想遍歴と一致している初めてAppleのPCを買ったときは目指せミュージシャンで

ローランドのMIDIやキーボードなども買っていたその頃は仕事で商品写真も撮っていたのでフィルムスキャナーも複数持っていた

そういった機材で今手元にのこっているものは無い。

思えば僕は機材に相当な投資をして消費社会に貢献してきた。

でも妄想していた創作(生産)への貢献はあまりできなかったなぁ。ぼくの妄想は機材を揃えるということで成就してしまったのかもしれない。

だからぼくは、機材に拘らず(同じものを使い続けて)創作をする人にすごく憧れる、例えば森山大道さん素晴らしい写真を取るけどカメラにはまったく拘らないのだそう。人のカメラかりて撮っていたらしい。

には憧れるよね〜

一方で

素晴らしい機材を見ると妄想が止まらなくなる

小山薫堂さんがライカをぶら下げているのを見るとやっぱライカだよね〜

とか思ってしまう(大バカ者なのである。)

でも、経験から間違いなく言えることは機材が創作するわけじゃないということ、

やはり創作は心がするものだ

素晴らしい機材で素敵な写真は撮れるでもそれは被写体が素敵だな

〜と心が動くから撮れるものなのだ。


このシーンを見つけるのはカメラじゃなくて心。

ぼくが多大な浪費の末に気がついたこの心の法則はきっと音楽や写真だけでなく仕事でも家庭などの人間関係でも全て通用するのではないだろうか。心が動くから素敵な出会いと感じるのであって理想的な素敵な出会いなどというものはない。小林秀雄の「美しい花がある。花の美しさなどというものはない」(モーツアルト無情ということ当麻より)という洞察は

誠に持って正しいのである)まあ、妄想した瞬間に心は動いているわけでもあるから、PCなど機材そのものがもっている美というのもあるのだろう。素晴らしい機材はあるだけで素晴らしいものでもある。この機材があればきっと僕は素晴らしい創作ができるという妄想はおそらく前頭葉の働きによるものだ、でも、心のある場所感動を生み出しているのは意識ではない例えば流れる水に煌めく光この素晴らしさはきっと目に入った瞬間に感じているそうすると僕の心は頭の中ではなく身体の外にあることになる。でもきっとそれは正しい、僕たちは感動に惹かれ引き寄せられる言い方を変えると僕たちの心は感動を求めて僕たちの身体を彷徨わせているのだ。妄想は僕たちに行動(僕の場合は消費行動)に駆り立てる現代的な脳の働きの心だとすると感動は僕たちの身体と行動の原点にあって、僕たちの周りの環境と身体を結びつけそこに心を生み出す身体の働きであると言えるのではないだろうか。

2022年9月1日木曜日

目指せ小説家?がんばる片麻痺とうちゃん

 僕は昨晩芥川賞作家でミュージシャンの辻仁成さんの開催している気まぐれ文章教室 小説編(第一回)に参加していたいたのだけど僕は本は読むけど正直小説をほとんど読まないだから小説を書きたいという衝動も無いではなぜ教室に参加したのかと言えば、

辻さんの生き方に共感を持っているからだ。

彼のブログは毎朝コーヒーを飲みながら読むのが日課になっている読んでいて楽しい、僕も毎日こうやってブログを書いているのでもう少し面白いものをかいてみたいという気持ちもある。

辻さんは書くことで人生が豊かになるというけど、これはその通りだ。

僕は会社からの卒業し同時に脳卒中で大きな社会の異物になってしまったけど、こうやって残された右手で文を書いていると人生の豊かさとは何かを実感できる。考えて書くということはとても豊かな行為なのである。

さて昨日の教室の中で辻さんは小説を書くのは銀河を作るようなものだと仰っていた。主人公とその周囲に人を配置して作り出す世界はたった一つの星ではなく銀河のようなものだと言うのだ。

銀河を作るこれはなんとも魅力的な誘い言葉ではないか、世の中で、銀河や原子の研究をしている人は数多あれども、銀河を作り出す仕事をしている人はいないだろう、しかし小説を書くと言うことはそういうことだとすれば、とても興味がわく、銀河というメタファー流石芥川賞作家である。

昨日はこれまでのエッセイ編の流れで受講したのだけど、2回目以降も引き続き受講することを決意したリハビリとうちゃんなのであった。もちろん受講すれば小説が書けるようになるわけではないし僕が小説好きになるわけでもないだろう、しかしいまよりもっと文章が書きたいと思えるようになるのではないかな、教室の中で次回の予告と課題の提示もあった、食にまつわる小説を10枚ほど書いて提出するのである。それを聞いて、実は書きたいことが頭に浮かんでいた片麻痺とうちゃんなのである。なんだかやる気満々ね。(笑)僕が書きたいのは納豆を巡る人(入院患者)の物語りである。主人公の僕が太陽として地球は誰にしようかとか火星は?とか金星はとか思い巡らせている。こうして人生は豊かになっていく。ものなのかもしれない。