2023年5月31日水曜日

バリアだらけの世界まなざしが変わったらありきたりの日常が恐怖の世界に変貌した。

 土曜日は脳サバとうちゃんデイケアに通ってリハビリする日だ。

昨日も行ってきましたデイケア。

初めて入浴介助してくれた新社会人が台湾出身だと思っていたら実は香港出身だったとか多少の驚きと感動を覚えながらも、淡々とリハビリメニューをこなしていった。

しかし、屋外歩行訓練では一度大きくバランスを崩し危なかった。

訓練を介助してくれた作業療法士さんがすかさず支えてくれて事なきをえたのだけど久ブルにひやっとした。

施設の入り口には10cmくらいのちょっとした段差があって脳サバとうちゃんは降りるのも登るのも苦手なのだ。

一昨日は訪問リハビリで階段を上り下りする訓練を行い2フロアも登ったのだからそれに比べればたいしたことはないはずなのだけど、20分くらい歩いて、疲労から集中力が落ちているなかで手すりの無い段差を上ることはちょっと緊張するんだよね、

昨日も足の位置をちゃんと確かめてよっこらしょといったはずなんだけど、ふらっと来た健足の右脚が片足で上手く身体を支えきれなかったようだ。

いずれにしても悔しい失敗だ。さて、片麻痺の脳サバ生活になって杖をつきながらよろよろと屋外を歩いていると、屋外がバリア(障害)だらけであることがよくわかる。

これは車椅子に乗っていても同じなのだけど、けっこう歩道には段差や傾斜があるんだよね。訓練の初めの方とか終わり際とかはそういった段差や傾斜が辛いのだ。

正直怖いと感じることも少なくない。

だいぶ無意識にバランスはとれるようになってきたけれど、左脚を運ぶときはかなり意識して動きの悪い足を運ぶのでバランスを崩し易いのだ、昨日もそうだし実は今朝もあったのだけど、右脚一本立ちの時が案外危ない、左脚がすっと前に出ないから、強引に出そうとして力んでふらつくわけだね。

左足だけで立っている時よりも、この右足で立って左足を出すという時の方がバランスを崩し易いようだ、理学療法士に言わせると右脚の筋力パワーも足りないのだそうで、身体のバランスって難しいよね。

そう考えると床が平らであるということはバリアフリーで安全と同義ということだ。

こういう感覚。健常者にはなかなかわかりにくいものではないだろうか。

さらに高齢者など、認知症になると平らな床でも歪んだり沈み込んだりするように感じることもあるようだからバリアフリーじゃない屋外の歩道は本当に危険(転倒リスク)がいっぱいなのだ

にも拘わらず、歩道は自転車がすごい勢いで走ってきたりするし、危ないことこのうえない。ぼくも脳サバ前は自転車に乗って歩道をいい気になって走っていたけれど、障害者や高齢者にとってはそれはあり得ないほどの恐怖だったのだね。



2023年5月30日火曜日

身体は動かせなくても心は動かせる

 作家岸田奈美さんの本『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』がドラマ化されて現在放送されている。BSなのがちょっと残念だけど良いドラマである。昨日はその第3話沖縄に家族旅行する話だ。家族旅行といったってそんな気楽なものじゃない、その顛末は本にももちろん書いてあるけれど、この家族の物語の主人公の一人母親の岸田ひろ美さんのエッセイもネットにあったこちらのサイトには当該旅行の記事以外にも多くの話が掲載されていた

その中で目に止まったのは取り戻せない過去を諦める勇気と“今”を諦めない努力である。脳サバとうちゃんも脳出血とその手術の後遺症で片麻痺という左半身の麻痺が残り、歩けなくなった。当初は同じく脳出血で歩けなくなった俳優塩見三省さんのエッセイなどを読んで、社会の異物という自分の現状を受け入れることに気持ちを持っていった。そして出来なくなったことを嘆いても仕方ないと気付き出来ることをしていこうと気持ちを切り替えてリハビリに向き合っていた岸田ひろ美さんの記事では足で歩くことはできなくても、心で前に進むことは、できたのですという記述が出てくるのだけどまさにそう、身体は動かせなくても心は動かせる。脳サバとうちゃん脳卒中とほぼ同時に仕事も失うつまり収入が無くなる状態になったけど、色々な経緯での契約や過去の貯蓄などもあったし医療特約つきの生命保険にも加入していたから当面お金で困ることも無いだからまずは今の自分を受け入れる時間があったことは幸いだった。その後妻が動いてくれて障害者年金も受けられるようになり、経済的にもまったくの無収入ということでは無くなった心を前に進ませるなかで作家辻仁成さんのオンラインのエッセイ教室に通いエッセイとは読む人の心を動かす事だとしった。でも、他人の心を動かすにはまず自分の心が動いてなければはじまらない。岸田ひろ美さんの心で前に進むと言うことは、他人の心も前に進ませる力がある。岸田奈美さんひろ美さんのエッセイが素晴らしいのはそうやって他人の心を前に進ませるからに違いないキューブラー=ロス「死の受容への五段階」というのがあるけど身体が麻痺するという経験はこれに近いかも知れない

第一段階=否認えっ?動かない、嘘でしょ〜

   自分が死ぬということは嘘ではないかと疑う段階

第二段階=怒りなんで俺がこんな目に合わなくちゃならないんだ。

   なぜ、自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階

第三段階=取引なんとか動くようにならないかな

   何とか死なずにすむように取引をしようと試みる段階、何かにすがろうという心理状態。

第四段階=抑うつこりゃどうにもならんなぁ〜もう何もやる気が起きない

   何にもできなくなる段階

第五段階=受容。以前出来たことも出来ないことを受け入れる段階もう動かないものは仕方ないから動くものを動かそう。

   最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階である。

受容は最終段階だから難しいことなのです。

これを実感を込めた言葉に変える「今やるべきことをやる」のではなく、「今だからこそできることをやろう」ということである、やるべきとかいままでやれていたことをと思うことは受容できていない証です。

脳サバとうちゃんが受容出来たのは退院してからでした。それまで入院中はなんとかしなくちゃでもなんともならない、なんでだ、ああしとけば良かったあれをしなけりゃ良かったとなんとかしてよ〜そんなことばかり行ったり来たりしていたのです。でも帰宅して、自立したいと思った時、出来ないことは助けてもらい、出来ることを丁寧にやろうと思えるようになったのです、そうすると出来ることが少しづつ増え始めました大きなカメラで撮影することも出来るじゃないですか。もう諦めて全て買い取ってもらおうと思っていたのですが、そうしなくて本当に良かったと思います。心が動けば出来ることは増えていくものなんですね。

身体と心


2023年5月29日月曜日

 五寸釘を刺された?脳サバ藁とうちゃん?(笑)

 一昨日のデイケア、馴染みのスタッフ元気さんが入浴介護中にいきなり最近見かけなくなったスタッフさんのことを話し始めた。

実はその行方不明スタッフさんのことを脳サバとうちゃんは施設長さんに歩行訓練を受けながら雑談で聞いていたのだ。

どうも辞めたらしい、そんな話しであったへぇ〜流動性の高い介護職の現場驚くことでも無い。

理由は親の介護そりゃ仕方ないね。

ところがスタッフ元気さんの話は全く違うものでちょっと驚いた。

脳サバとうちゃんの通所日では無い日に 行方不明スタッフが荷物を取りに来たと言いながら突然来たのだそう、

しかも行方不明スタッフは顔見知りの利用者(客)たちと談笑しながら高らかに復帰宣言したのだそう。

契約切れで辞めたと思っていた元気さんたちはたいそう驚いたそうな、そして恐れおののいたそうである。

というのも、行方不明スタッフさんは親の具合が悪いと言っては当日いきなり欠勤するようなまあ社会人としては決定的にダメと烙印を押される信頼のおけないチームメンバーだったからだそうで、その自由奔放ぶりに振り回されたくないという本音も聞かせてくれた、欠勤理由も曖昧でまるで信頼されていない

そのくせ、他の一生懸命外国籍スタッフさんの言葉遣いに上から目線でダメ出しをするいじわるばあさんキャラだった。

脳サバとうちゃんには見せなかった裏の顔(本当の顔)があったらしい。

カントは仮面の裏にある人間性を想うことが倫理であると宣ったそうな。この場合倫理的に振る舞うとすると、いじわるばあさんにつけこまれちゃいけないということなのだろう。

一方そういう闇きゃらに限って外面(ペルソナ、仮面だね)は取り繕ったりするものなのかもしれない。脳サバとうちゃんは雑談も盛り上がっていたし夕食時にはこっそりご飯を大盛りにしてくれるなど、便宜供与(賄賂か)も受けていた。やばかった。

だから行方不明さんが気になり施設長さんに様子を聞いたりしていたのだ。

介護の現場は慢性的に人手不足だし、行方不明さんは介護現場での経験も豊富(本人談)で、現場スタッフさん以外の会社の人をうまく口で言いくるめていたのかもしれない、

ちょっと詐欺師っぽいね。(娘さんの写真をとうちゃんにこっそり見せたりと少しだけ話しに本当を織り交ぜる。まさしくメンタリストで言っていた詐欺師のテクニックだ)。

元気さんはひょっとしたら脳サバとうちゃんが騙されて利用者の声として復帰を後押ししたりしないように気を遣われたのかもしれない。お気遣いありがとう。

脳サバとうちゃんはすぐ人を疑いなく信じちゃう甘いところがあるからね、

まあ、それが自分を破る契機(昨日のブログ)になったりしていたのだから結果オーライなのかもしれないけどね(笑)

そこで、騙されて笑笑となる脳サバ藁とうちゃん実は五寸釘を打たれたのかも?ということになるのだけど、真偽の程は定かではないが。

藁藁の笑笑


2023年5月28日日曜日

人間だれでもが身体障害者なのだ。

本日のタイトルは今読んでいる岡本太郎氏の「自分の中に毒を持て」の中に出てくる衝撃的な一文である。 以下のような文脈の中で語られている。文脈が重要で言葉だけ切り取ると誤解を与えかねないので長めに引用します。

先だって、 ある 身体障害者 の 音楽家 に 会っ た。 顔 の つや は 良い の だ が、 筋 が 萎縮 する 病気 で、 手足 ともに、 なえ、 ひんまがっ て いる。 痛々しい。 車椅子 に 身 を よじり ながら ハーモニカ を 吹い て 聞か せ て くれ た。 自分 の 作曲 し た 曲 な ん だ そう だ。 やがて オーケストラ と 歌手 が それ に あわせ て 歌い はじめる。 彼 の 頬 に 涙 が 流れる のが 見え た。   ぼく は 異様 な 感動 を おぼえ た。 曲 や、 涙 にでは ない。 この、 一つ の ささやか な 運命 が クライマックス に 達し た 瞬間。 象徴的 な 瞬間 にで ある。

あのゆがんだ手、足。動かない、もどかしい、ひんまげられた人生。ぼくはそこに、逆になまなましい「人間」の姿を見る思いがした。このように残酷に象徴化されているが、実はこれこそ人間そのものの姿ではないか。  人間だれでもが身体障害者なのだ。たとえ気どった恰好をしてみても、八頭身であろうが、それをもし見えない鏡に映してみたら、それぞれの絶望的な形でひんまがっている。しかし人間は、切実な人間こそは、自分のゆがみに残酷な対決をしながら、また撫でいたわりながら、人生の局面を貫いて生き、進んでいくのだ。

岡本 太郎. 自分の中に毒を持て<新装版> (pp.87-88). 株式会社 青春出版社. Kindle 版. 

それに、人間にとって成功とはいったい何だろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか。  夢がたとえ成就しなかったとしても、精いっぱい挑戦した、それで爽やかだ。

この本を読んで脳サバとうちゃんは大きな衝撃を受けた。脳卒中の後遺症で脳サバとうちゃんは身体障害者になったと思っていたけど、実は脳卒中で倒れるまえから身体障害者だったのではなかったのだろうか。

本の冒頭で岡本太郎氏はこう述べている

人生 に 挑み、 ほんとう に 生きる には、 瞬間 瞬間 に 新しく 生まれ かわっ て 運命 を ひらく の だ。 それ には 心身 とも 無一物、 無条件 で なけれ ば なら ない。 捨てれ ば 捨てる ほど、 いのち は 分厚く、 純粋 に ふくらん で くる。   今 までの 自分 なんか、 蹴 トバシ て やる。 その つもり で、 ちょうど いい。   ふつう 自分 に 忠実 だ なん ていう 人 に 限っ て、 自分 を 大事 に し て、 自分 を 破ろ う と し ない。 社会的 な 状況 や 世間体 を 考え て 自分 を 守ろ う と する。   それでは 駄目 だ。 社会的 状況 や 世間体 とも 闘う。 アンチ で ある、 と 同時に 自分 に対して も 闘わ なけれ ば なら ない。 これ は むずかしい。 きつい。 社会 では 否定 さ れる だろ う。 だが、 そういう ほんとう の 生き方 を 生きる こと が 人生 の 筋 だ。


岡本 太郎. 自分の中に毒を持て<新装版> (p.10). 株式会社 青春出版社. Kindle 版. 


脳サバとうちゃんは戦力外通告を受けて社会の荷物になり、そのストレスで脳卒中になって社会の異物化したと思っていたけど実はそうではなく、僕は戦力外通告を受ける前にもう死んでいたのだ。惰性で生きるという道(現役続行)を描いた瞬間に僕は死んでいた。人生を振り返るに僕が一番戦っていた(生まれ変わった)のはファッション雑貨の企画をやっていた時かもしれない。色弱なのに色だし(色決め)をしてファッションに興味も経験も無いのにテキスタイルデザインをしていた。

そして実家(親と兄)家業と別れた時もそうだった、コンサルティングも人事も統計解析もまったくの素人だったけど飛び込んで戦った(生まれ変わった)そしてその後の離婚と再婚も。

その時僕は間違いなく生きてそれまでの自分自身と戦ってきたのだ。いや言い換えよう僕は生きたいように生きていたんだそれは他人から見ればおかしいと思われるような生き方だけど。そして脳卒中は自分を破ろうとする僕の心に身体が従った結果なのだ。人生は思ったようになんてならない思ったように動かなくなった僕の身体は僕の人生そのものなのである。今までもずっとそしてこれからもきっと。

岡本太郎氏の言葉に大きな気づきと意味をもらいほんとうの自分の生き方を考える日曜日朝なのである。







2023年5月27日土曜日

元気ってなんだ?元気なのか?脳サバとうちゃん

 元気ですか〜?って不思議な挨拶だよね。健常ですかと聞かれれば脳サバとうちゃんはバリバリの障害者であるそれでもめげずに生きているかと聞かれればめげてないよーとなる。今年の梅春は元気ですか〜元気があればなんでもできるが定番のアントニオ猪木さんの元気のない姿が報じられそして亡くなった。元気が無いと死んでまうでーの証明だった逆説的には生きているということは元氣の証なのかもしれない。

元気の反対語は病気であり、対義語は気落ちなのだそうだから。病気ではなく気落ちしていなければ元気だということになる。後遺症も病気の内だとすれば脳サバとうちゃんまだ病気中ということになる、しかし回復後に残る症状だとすれば急性期を越えているからもう病気じゃない。また気落ちしているかと言えば今現在はそうでもない、むしろ気力が高まっている。そう、脳サバとうちゃんは元気である、のだ。まあいずれにしても元気です~と応えておいて間違いではなかったもようである。そして改めて夜中にこの不自由な元気を味わっておこうと思ったのであった

階段を登れることが元気なら脳サバとうちゃんは元気じゃない。あ、この前リハビリで階段上り下りしたわ。


2023年5月26日金曜日

正義が叶わない悪夢ダーク・トライアド怖えよぉ~

 軍事心理学が専門である同志社大学教授の余語真夫氏が解説する。以下転載です

「多くの独裁者に共通するのは、サイコパシー(精神病質)、マキャヴェリズム(権謀術数主義)、そしてナルシシズム(自己陶酔症)の3つの特性で構成される『ダーク・トライアド』というパーソナリティ特徴を持つということです。この3つの特性はすべて、他者への無関心や冷淡さに向かう傾向があり、自分の行動で他人に不利益が生じようとも、罪悪感を持つことは一切ないのです」

心理学の世界では、「悪の3大気質」とも呼ばれるダーク・トライアド。中でも、ナルシシズムという特性だけは、時代を問わず、ほぼすべての独裁者が有している。そう指摘するのは、早稲田メンタルクリニックの精神科医・益田裕介氏だ。

ここまで転載


脳サバとうちゃんの好きな海外ドラマメンタリストではサイコパスという言葉が良く出てくる

犯罪者、悪の親玉は異常に賢いサイコパスなのだ。この手の代表選手は羊たちの沈黙のハンニバルレクター博士であろう。映画で合ってもその狂気はほんとうに怖い映画の主役である。

サイコパスとはどういう意味ですかネットで調べた

「サイコパス」は英語で”psychopath”と表現する

“psychopath”の意味をもっと詳しく言うと「(反社会的または暴力的傾向をもつ)精神病質者」のことを指します。 つまり、カタカナでの「サイコパス」は「精神病質者」のことを指すのです。

要するに超やばいやつ等ということね。ダークトライアドはそれにさらにマキャベリズム(陰謀だ陰謀だぎゃ~っと騒ぐ輩+ナルシズム(俺って最高~)がくわわるのだからもう絶対手に負えない・だからこそ独裁者なのだろうけどね。ハンニバルレクターとドナルドトランプと、アーノルド・シュワルツェネッガーが合体したようなもんだからね~でも。プーチンはかなりそれっぽい。

そんな合体怪獣野郎に人類の命運が握られている。まさに。

ウルトラセブンを倒したガッツ星人やマーベル映画アベンジャーズインフィニティウォーに出てくるサノスのような正義が通用しない悪夢である。

対する正義代表は認知症入ってるご老人ジョーバイデンたちG7だからね~。

どうするマーベル映画、どうする円谷プロダクション。どうする鳥山明どうする吾峠呼世晴~・



2023年5月25日木曜日

本気で学ぶ智目行足をもって清涼池に到る

かつて素晴らしい仕事をさせて頂いた後はその仕事を少しでも多くの人に知ってもらいたいというエゴが大概マグマのように心の中に盛り上がってきたものだ。

もちろん自分の仕事ぶりが素晴らしいとか自慢したいわけではなく、素晴らしい課題を与えて下さるお客様が良い仕事を引き出してくれた、その充実感と余韻を愉しみたいだけでもあったのだけど。

そんなときは気力も意欲も満ちているからお客様を説得してセミナーを開かせて頂いていた事例報告セミナーである。まあ基本はエゴと打算のカフェオレみたいなセミナーになりがちではあったのだけれど、セミナーによっては参加者の方からお褒めの言葉を頂くこともあった。しかし、僕が登壇した研修でもセミナーでも終了後の歓談で聞いて残念に思う言葉があった

それは「勉強になりました」という一言である。問題解決や課題解決に向けて前向きな行動意欲を引き出せないのはひとえに講演者であり講師を努めた自分のせいなのではあるけれど、セミナー後の名刺交換からはじまるプロトコルの社交辞令ありありで、本気で学ぶ気はありませんでしたと宣言されてしまったように何だか感じさせられてしまって悲しかったのだよね。

学習というのはそれによって行為や思考が変容することを意味しているから本気で学んだら何か具体的に変わるはずなのだ。

それは少なくとも自己観察出来るものとしてね。それが心の内であればやってみたとか挑んでみたいと言った心の中の混沌に光明が差すはずである。光明が差した人は目に光と力が宿るから目を合わせただけでわかるのだ。逆に混沌のままの人もわかる、そんなモヤモヤを吹き飛ばすような一文をとあるエッセイの中で見つけた。

「あのな、人が本気で学ぶときはな、誰かに本気で教えようとするときだけや!」この言葉はモヤモヤに対する逆説的回答である。教わるから教えるという行為と思考の変容があったときのみ、人は本気で学べる。確かにその通りである。学びとは教わるものである(学習の転移)という素朴理論の混沌から抜け出る事が学びの第一歩だと言えそうである。

智目行足をもって清涼池に到るのである。






2023年5月24日水曜日

電池切れ自分の首を自分で絞めている不人気人手不足業界の経営者

 昨日はデイケアに行くのにアップルウォッチをつけようとしたらバッテリー切れだった。ずっと充電していたはずなのに・・・そして今朝はノートパソコンがバッテリー切れ。と昨日からガジェットのバッテリー切れに遭遇率が高くなっている脳サバとうちゃんなのである。あれ?と思ことも困ることもあるけど、ガジェットは実に素直だとも思った、バッテリー切れになったら絶対に無理はしてくれない。単純につかえないやつ、無用の長物になるだけだ。一方人はというとバッテリー切れなのに無理をしてしまう。もう無理よりもやらねばならぬの方が優先されてしまうのだ。例えば残業時間、バッテリー容量は週45時間と決まっているのにそれを越えて残業してしまうこともある。なかには、みなし残業として残業代(追加チャージ)を給与に組み込んでしまっているブラックな会社もある、そうなると。電池切れをおこして無理をしているのに追加チャージも無いガジェット業界ではあり得ない話だ。ガス欠になった車をさらに走らせようとする人はいない。にもかかわらずなぜ相手が人間だと無理をさせるのだろうか。人間はカルーノサイクルを内蔵した永久機関では無い、今朝は何故こんなことを書いているのかというと、昨日のデイケアでは仲の良いスタッフさんが残業45時間を超えて早帰りされたからなのだ。でも。これまでスタッフさんのはなしを聞くと皆、45時間を超えて働き疲弊していた、そもそも45時間というのはリザーブタンクみたいなもの、つまり仕方なしの予備タンクなんだよね、にもかかわらずはじめから予備タンクありきで働かせているのだ、管理者にはそれも、みなし残業もアウトだから社長に言った方がいいよとアドバイスしておいたけど、きっと言えていない。部下に忖度させる前に経営者なら知らなきゃいけないことなのにね。でも、こういうのが積み重なって介護の現場は。3Kだブラックだとなって慢性的人手不足に苦しむことになる。結局自分で自分の首を絞めてるわけよ。この構図は介護だけじゃない。教員不足も問題になっているけど構造は全く同じ、バッテリー切れを考えていない職場を当たり前にしている業界であり、管理者なのだ、聞けば監理者にも言い分はある、でも、それは自分で蒔いた種であることも少なくない。日本一休日が多いといわれる未来工業はしっかりと充電できる環境で。好業績をあげている。こういった素晴らしい会社は経営方針で作られているのだ、世の経営者はどうすれば時価発行総額をを上げられるかではなく、こういう素晴らしい会社から一生懸命学んで欲しいものである

相手が人間なら何で平気なの?


2023年5月23日火曜日

濁った川の流れも時が経てば、また必ず落ち着きますから・・・

 雨模様の朝、辻仁成さんのブログを読んでいて素敵な言葉に出会った濁った川の流れも時が経てば、また必ず落ち着きますから・・・脳サバとうちゃんの生活期リハビリもこうなるといいなぁ。人生を川の流れに喩えるとなると忘れてはならないのが方丈記である。行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。「諸行無常」-あらゆる現象は変化してやまない;「諸法無我」-いかなる存在も不変の本質を有しない;そして「色即是空」「空即是色」なのである。だからとうちゃんも脳サバ前と後では同じようで同じではなく。急性期、回復期、生活期と自己概念のなかではとうちゃんという一貫性はあるものの、実は日々異なっているのだ。それはとうちゃんだけでなく世界も同じだ。窓から眺める外の景色は昨日と同じようであり同じではない。誠に川の流れのようだ。ああ、川の流れのようにという歌もあるけど、緩やかに時に激しく人生は流転する、脳サバとうちゃんの人生もさもありなん昨晩は昔懐かしいマイカーを運転している夢を見たとても幸せだった。脳サバとうちゃん免許証は今も変わらず持っているけど運転はしない。左手も麻痺しているから以前のように運転できるかどうかは評価を受けなくてはならないけど、車も無いしあえて運転する必要も感じていないから評価もリハビリも受けるつもりはない。とうちゃんそういえばかつては持ち家で、自家用車もあったのだ。人生の紆余曲折があって、家も車も手放して久しからずだけど、脳卒中になyってしまったことも含めて悔いはない。その代わりに得ているのは幸せな人生だもの。濁った川の流れもやがて澄んでいく。そのためには川が濁ったからといって歩を止めないことである。生きている限りは人生は澄み渡っていく。だって、諸行無常諸法無我なんだからね。でも世の中には、濁った川で時を止めてしまう人もいる市川猿之助もそんな人の一人だった、生まれ変わってと両親と話し合ったそうだけど、濁った川の流れを止めてしまえばその川は濁ったままだ。時を経て新たな流れが生まれたとしても。流れの止まった濁った川が澄んでいくことはない。だから悔いのない人生を送るにはまともな人生観を持つべきなのである。相すれば寝てみる夢も力を与えてくれる。



2023年5月22日月曜日

イデオロギーは世界を救う?G7はいちごムースになれるのか

 G7が終わった、ゼレンスキー大統領も急遽来日し西側対東側という構図がより鮮明になっていたように思える。
ただ東側は国の数が減って、ロシア、中国といった大国が西側にとっての直接的な脅威として取り上げられている。
国際社会という世論を賛同する国の数で争う時代はもう終わっているのかもしれない。
強大な経済力を使ってにアフリカや太平洋諸島諸国を債務国化して抱き込みに余念のない中国に対して、軍事力の恫喝で周辺国を引きずり込むロシアとその違いも明白であるが、盟友の座を争っている中国が西側つまりアメリカ側につくことも考えられないから、今回のG7も国連同様、国際社会の紛争解決には決め手になれないことが明らかになっただけかもしれない。
誰もが安心安全に暮らせる世界を望んでいるにも係わらず世界から断絶と衝突が無くなることがない。なぜだろう。
昨日食べたいちごのケーキですらハートの中にあって上と下ではっきりと分断されていたから、世界とはそういう分断と衝突の包含されたものであって、格差による分断や衝突が無い世界なんて妄想の中にしか存在しないのかもしれないね。
そういった理想と現実の狭間を埋めるのがきっとイデオロギーだ。かつて、イデオロギーは現実を理想に橋渡しする役割を担っていた、
イデオロギー以前は信仰がその役目だったのでしょう。
いちごのケーキでいえばいちごと下のクリームを繋ぐいちごムースのような役目である。狭間を埋めて断絶を無くし、上も下も美味しく食べられるようにG7が出来るのかと言えばきっと無理だ。かえって断絶を顕著にしただけだからね。イデオロギーも現実と理想を繋ぐ役割というより理想と現実の間にある新たな独立した層として分断をより悪化させることになっているように見える。



2023年5月21日日曜日

脳出血2年目目前のおさらい

脳サバとうちゃんもうすぐ発症記念日。サバイバル生活満2歳なのだ。そこで改めて自分の身に起きたことを確認しようと思った、というのも、最近のドラマ脳卒中で倒れるシーンが多いんだよね。そこでkindleに入っている友人の妹さんが執筆したこう見えて失語症ですをもう一度読み直し、自分の体験を思い出すとともに被殻出血について検索してみた。

実際、ERに搬送されてから目覚めるまでの出来事は自分は知らないからね。

検索したページには脳出血の4割を占める被殻出血の殆どは、長期間持続した高血圧と関係します。レンズ核線条体動脈と呼ばれる、被殻を通る血管が高血圧により動脈硬化を起こすことが主な原因です。と書いてある。高血圧の長期間の持続が問題なわけだね。実は脳サバとうちゃん、会社の検診でも高血圧は指摘されていたし、以前、消化器内科の受診で降圧剤の処方も受けていたのだ、だから毎日血圧を測っては高いと思う時は飲み残しの薬を飲んでいたりした結果的にはこういう素人判断は最悪と言うことだ。後日、脳外科の医師に聞いたら血圧が110を超えるとリスクは2倍になるのだそうだ、さて、記事の中には血腫が30ml以上か以下かさらには50mlに達するかというのが発症後に手術するしないのクライテリアになる模様だ。そう言えば妻に聞いたのは最初は手術しなくても良いかもという診断だったらしい。そこで降圧剤を点滴したけど、出血が止まらず、30mlを越え最終的に50mlに及ぶということで急遽手術することになったらしい。血腫除去と止血にためであった。極めてプロトコルに沿った治療を施して頂いたわけである。術後の処置を鑑みるに、恐らく内視鏡による血腫除去術が行われたものと思われる。

記録の最後は発症2日前の6月13日。14日15日も測ったはずなんだけどなぁ。体温も記録しているのはコロナの影響。内科の受診をするのに2週間分の記録が必須だったからね。こうみるとやはり発症前一か月は127-161 69-89とまあ長期間持続した高血圧だったね。

それにくらべて最近は薬もちゃんと飲んで血圧のコントロールが出来ています下の6っていうのは入力ミス。

いずれも起床時血圧です。

2023年5月20日土曜日

5という真理の数字

数字5にまつわる理論や思想を集めるとざっと思いつくだけで3つの大きなものが見つかる

BIG5理論五蘊五行思想 五芒星なんていうのもある

それぞれ心理学、仏教、自然哲学、幾何学と領域は異なるもののそれぞれに普遍的なことを5という数字は宇宙のそして人の心理を指しているのである。もちろんこじつければ重なるところもあるけれど、基本的に別物である

はてさて5が指し示すのは、人なのか宇宙なのか神なのか悪魔なのか

5はエンジェルナンバーであるなんていう説もある。

エンジェルナンバー5は、変化と発展、好転の意味を持つ数字です。 ハプニングではなく、ここから大きくステージが変わるような長期的で重大な変化を伝えてくれるエンジェルナンバーになります。 

BIG5理論とは

パーソナリティを構成す るい くつかの変数(共 通特性)の 程度を量的に測定し,そ れらの組合せでパーソ ナ リティを記述,説 明 しようとするのが特性論 の立場 である。特性論では,人 間が共通のパー ソナ リティ構 造をもつ と仮定 し,個 人 を共通特性からなる多次元空 間の一つの布置 として とらえ,個 人差 を記述するので ある。全体 としてのパーソナ リティを理解する上で, 必要十分 な特性 とその数 については理論家 によって大 きく意見の異なるところであった.し かしながら,60 年代 の研 究(例 え ばNorman, 1963)に 端 を発 し,そ の後空白期間を経て80年 代に入ると,"外 向性因子 (以下, E)""情 緒不 安定 性 因子(以 下, N)""誠 実性 因子(以 下, C)""調 和性因子(以 下,A)""開 放性 因子(以 下, 0)"の 五つ, Big Fiveを 基本 的特性 次 元 とする研究が再び注 目され,確 固た る知見 を積 み重 ねて現在に至っている。

ブッダの教説の核心:「五蘊(人間を形成する五つのプロセス)」。

蘊(skandhas)

〈蘊 skandhas〉の原意は、火のもととなる〈たきぎ〉である。それから生じる〈火・炎〉は〈物〉ではなくて、あくま

で変化し、生成消滅を続ける〈プロセス〉である。人間は五種類の炎であるところの〈五蘊〉を構成要素として成

立し、従って、永遠の生成消滅の過程における一時的な現象にすぎない。

色-感覚器官を備えた身体、および感覚を通じて知られる世界

受-感覚に伴って生起する苦・楽・不苦不楽の感受

想-認識対象からその姿形の像や観念を受動的に受ける表象作用

行-因縁によって作られた現象世界の一切の存在あるいは根源的な志向性

識-認識あるいは判断


人間は、「色」とそれを依り所とする精神の働き(受・想・行・識)とから成り、この五つのプロセスが個人の存在

全体を形成する。人間が〈我〉と考えるものは、正しくはこれらのプロセスの相互作用の全体であって、固定的

な自己同一はそのいずれにもない(アナートマン・無我) 。ブッダの教説において、物質的存在とはわれわれ

が一般的に考えるような実在論的な意味合いにおける「もの」、あるいは恒久的な実体を指すものではなくて、

あくまで感覚を通じて心の中に構成されるところの「心象」である。その意味で、ブッダの教説は唯心論として

の性格を有するが、物の存在を否定しているのではない点において、全くの唯心論ではない。


五行思想(ごぎょうしそう)または五行説(ごぎょうせつ)とは、古代中国に端を発する自然哲学の思想。万物は火・水・木・金・土(七曜の命令)の5種類の元素からなるという説である。

また、5種類の元素は「互いに影響を与え合い、その生滅盛衰によって天地万物が変化し、循環する」という考えが根底に存在する。

五芒星

五芒星(ごぼうせい 英語:pentagram ペンタグラム)とは、星型、星章、星じるし、五光星、五稜星、五角星(英: five-pointed star)などとと呼ばれる、5つの角を持つ星型多角形(☆、あるいは★)のうちで、互いに交差する長さの等しい5本の線分で構成され、中心に五角形が現れる図形である。五線星、星型五角形(星型正五角形)ともいう。



5つの要素を並列的に図案化できる図形として、洋の東西を問わず使われてきた。世界中で魔術の記号とされ、守護に用いることもあれば、サタニズムに見られるように上下を逆向きにして悪魔の象徴とすることもある。悪魔の象徴としてとらえる際には、デビルスターと呼ばれることもある。





2023年5月19日金曜日

脳サバお勧めの変態。

 おやすみ自分。また明日の朝、お前と会えるのが、私はとても嬉しい。

星野 源. よみがえる変態 (Japanese Edition) (p.145). Kindle 版. 

星野源さんのエッセイよみがえる変態はタイトルのインパクトもすごいけど、その内容もなかなかの変態っぷりが読んでいて心地よい、

しかも、脳卒中(星野源さんの場合はくも膜下出血)にまつわる変態話で入院中の話などは脳サバとうちゃんにも身に覚えのあることが多くて共感以外の何物でもない、乃木坂か日向坂かと思われるような美少女の白衣の天使に排泄の介助で肛門を弄られるなんて極めて不謹慎なのだけど、脳卒中冥利に尽きない体験が絶対安静中にはあった。

星野源さんの場合は術後の頭痛に対処するための、鎮痛剤の座薬である。

う~、わかるわかる。背徳感と羞恥新エロ心の絶妙のブレンド。共感するな~。星野源さんは若手アーティストのホープだし、変態自慢もヒットソングと一緒のハイパフォーマンスと誰もが受け入れてくれるだろう、

一方脳サバとうちゃんは還暦爺さんで脳卒中後の異物化だけじゃなくて汚物化も進んでいるので、変態自慢してもただ気持ち悪いだけ、ごめんなさいなのである。

しかしとある理学療法士さんによれば、スケベ心はリハビリの回復に効果があるのだそう(エビデンスベースかどうかは知らない)でも、脳の活性化と言う観点では一理あるように思える、

そう言えば車椅子の天才科学者ホーキング博士の自伝的映画でも取り上げられているけど、エロ系の回路は脳の運動野からは独立しているのだ。だから脳卒中になっても、片麻痺になってもエロの炎は消えないんだよね~(笑)ホーキング博士はALSというとてつもない難病だったけれどもお子さん作られているんだよ~。

このよみがえる変態は同時期の脳卒中サバイバー西川史子がインスタで紹介されていて脳サバとうちゃんも手に取ったのだけど

、脳サバライフにはこういった、先輩サバイバーの存在が欠かせない。

時にその変態性に共感し時に現状に打ちのめされている心を勇気づけてくれる。

星野源さんは、健康な人も脳卒中サバイバーも変態も心を揺り動かすスーパースターだよね。





2023年5月18日木曜日

閃きは誰のもの?

 閃きという現象は、脳の中で発生する大域的アトラクターであり、認知的変化(創発)である、脳の中では。大域的であっても、社会においては極めて局所的なカオスアトラクターに過ぎない。立教大学の田中教授の研究によれば新規事業で重要なのはアイデアよりも巻き込み力なのだそう。これはとても重要な示唆である、つまり、新規事業は社会的規模の大域的アトラクターなのである。社会に存在する様々なカオスアトラクターを統合して大域的アトラクターに昇華させることが出来るか否かが新規事業成功の鍵ということだよね。経営論で言えばステークホルダーの力を集結せよということでしょう。社会規模の大域的アトラクターからはその果実も多く見込めるし関わる人々も多くなるそうなると問題になるのが配分である。ステークホルダーは経済原理(経済性の追求)からより多くの配分を求める。それは果実にとどまらず新規事業のシーズ(種)である、閃きの帰属にまで及ぶ、人間の欲って底知れないよね。青色発光ダイオードの特許訴訟などはその最たるものだけど、技術的先進性の閃きにとどまらず、SNSの炎上ネタはたまたホームランボールの奪い合いまで起こるのだからこれはもう醜いことこのうえない。自分のものにしたがるプーチンも醜いよね。人間がいくら理性的な存在だと言っても説得力無い出来事が世の中に溢れている。「宝物は俺のもの」がロマンだとか言う風潮も如何なものかと思う。



2023年5月17日水曜日

哲学者の気づき絵本作家の悟り。

脳サバとうちゃんは哲学者とは気づきを真理にまで思索する人のことだと思う。

一言 に し て 真理 とは 何 かと いえ ば、 それ は つまり、 い つ、 どこ でも、 何人 も、 きっと、 そう 考え ね ば なら ぬ もの、 それ が 真理 です。   むずかしく いえ ば、 普遍妥当性 と 思惟 必然性 とを もっ た もの が 真理 です。 

高神覚昇; ニーチェ; 三木清; 芥川龍之介; 倉田百三; ドストエフスキー; 有島武郎; 夏目漱石. 生き方を考える本 (p.13). KotenKyoyoBunko. Kindle 版. 

気鋭の若手哲学者マルクス・ガブリエルは

 哲学 とは、 人間 から 人間性 を 守る 思想 として 読む こと も でき ます。

マルクス・ガブリエル. わかりあえない他者と生きる 差異と分断を乗り越える哲学 (PHP新書) (p.35). 株式会社PHP研究所. Kindle 版. 

そしてわかり あえ ない 他者 と 生きる 差異 と 分断 を 乗り越える には他者の人間性を思うことでありそのためには

他者 を、 そして 自分 を「 許す」 ─のが 今、 必要 な ことであると論述しています

マルクス・ガブリエル. わかりあえない他者と生きる 差異と分断を乗り越える哲学 (PHP新書) (p.44). 株式会社PHP研究所. Kindle 版. 

一方で絵本作家は自分を許すことが一番難しいのだからと絵本の中に書きました。これは以前ブログにも書いた。

因縁 の 真理 を 知ら ざる こと が「 迷い」 で あり、 因縁 の 道理 を 明らめる こと が「 悟り」 で ある と いっ て いい。という言葉に従えば絵本作家の言葉は「悟り」であろう。

高神覚昇; ニーチェ; 三木清; 芥川龍之介; 倉田百三; ドストエフスキー; 有島武郎; 夏目漱石. 生き方を考える本 (p.5). KotenKyoyoBunko. Kindle 版. 

因縁とか真理とか哲学者が至った難しいことを絵本作家は見事なまでにやさしくわかりやすい言葉で解き明かしてしまっているのだ。なるほど、だから分断を乗り越えるのが難しい訳なんだね。

哲学は難しいけど悟りはやさしい。


2023年5月16日火曜日

現代コミュニティ論第4回コミュニティの再生

コミュニティを活性化するにはどうしたらいいのか、コミュニティ再生考である 

30年近く前のかなり古いメモを改めて補強してみる。ベースはカウフマンの複雑系に関する著作を読んで思索したもので。同じく複雑系のフリーマンの意識理論に最近触れたことで掘り起こしてみた。30年前もいいこと考えてたじゃんと思う一方で後半は意味不明なところも(苦笑)もう一度本を開かないとあかんなぁ・・・

ポイント:コミュニティを動的にするためには均衡から非均衡へ向かう構造的な対策が必要である。

そのモデルとなるのが脳の中の気づきのプロセスと同じである。

大域的アトラクターの原理にあたる現行の秩序が崩壊し、混沌が生まれるのが第一段階だ

脳のなかでは1秒に10回くらいの頻度で認知の変化によって辺縁系を中心とした大域的アトラクターが消滅し混沌の状態になるらしい。脳の中で発生する自己組織はある意味自然に消滅し、次の自己組織(大域的アトラクター)が発生するための混沌(瞑想でいうところの無心)状態になるのだそうで、デフォルドモードネットワークとか,ボーっとした状態がそれにあたるのであろう。コミュニティの再生はこの脳のプロセスを模したものだと考えられる

プロセス1:局所的アトラクター発生の段階デフォルトモードネットワーク特にコミュニティとしての大域的同調は起きておらず構成員個人もしくはその友人関係といった小さな群れの単位の中で同調活性化が起きている状態

A.個人の行動の志向性が決まる。好奇心など極めて個人的な動き

B.個人間で生成する可能性のあるネットワーク構造が生まれる家族・血縁友人知人といった構成員相互の間に存在するつながりがネットワークとして機能する井戸端会議などを思い浮かべるとわかりやすい。

C.ネットワークを意味ある関係の自己組織に変化させる識(認知的変化)。-関係生成ルールの図を参照

大域的アトラクターへの昇華

誰かが言い出したことに他者も同調したりして、そのネットワークとしてのの意見が生じる(自己組織化する)

D.意味ある関係の自己組織(真理と目的)が出現しその組織が意味を持つことを確認する

E.自己組織が意味と自己をスパイラルに更新しながらより大きなネットワークと相補する

F.自己組織に収束するベクトルと意味体系を解体し、新しい拘束条件を創出するベクトルを共存させるその自己組織はより大きなネットワークの中で検証され。より大きく大域的アトラクターへと昇華する。

この段階が地域活性化状態である。

この大域的アトラクターが消失した状態がコミュニティの不活性状態である再度大域的アトラクターを生じるには

1.個人への対策局所的アトラクターの活性化

1-1.場における文化資本の再発掘により拘束条件を検索<場の発掘>

1-2.コミュニティの基礎エレメントである個人の活性ステータスを上げる<ポンピング>

1-3.6N次元の配位空間と、<関心>の分布を多様化し可能性領域を増やす<場の改善>局所的アトラクターの活性化

1-4.<関心><探索><類推><分岐>のスパイラルを学習により効率化<ベクトルの強化>

2.構造化へのプロセス対策<スレービング>

2-1.シーズを蒔く

強いアトラクターを置く<引き込み条件の創発>

アトラクターは空間の状況に応じてグローバルと相補的なものを選択する

また、空間が平衡に向かっているときは空間とデコヒーレントなアトラクターを選択する

異文化性が高いほど創造性が高まる(リスクも増える)

2-2.個性を重視

派閥、管理(疎通入力)を減らす・・・同調律を減らすことでネットワークが早期に安定に収束することを防ぐ

しきたりや慣習が強すぎるとネットワークが早期に安定収束してしまう停滞するコミュニティあるある。そこで重要なのが以下の

2-3.ネットワークの基本ルール

新しい意味の創造=古い意味を持つ情報構造を解体<ディレクション>

起動時にはネットワーク数は絞るが自己組織ルールを標準化し自発プログラムを組む<場所の創造>

代替ネットワークが可能なように入出力を標準化する・・・束縛されにくい集中

ネットワーク数に対応した分配の秩序設計・・・占有率の高い構造が場の自律を阻害しないように管理する


2-4.密度を上げ自己触媒的役割をはたす境界条件の改善

高度化、専門化に対応したナビゲーションとブランディングによるカプセル化


3.類推データベースのローコストな構築を支援<場の支援>

基礎理論での経験を重視することで解の空間が広くローコストなデーターベースが確立可能。コミュニティ内に浸透ネットワークを構築する。


4.初期多様性の確保

より複雑な構造化=創造性の可能性を求めて


5.自由空間と自由エネルギーの確保<意図的な場所>

仕事サイクルにおける初期の人為的操作(サイクルの補助として触媒をつかう)が必要。あとは空間内のエネルギーを利用する。


低コスト、合理的な先端の環境を作り出す

出来ないことは切り捨てて得意なことに集中するように誘導する。

例えば高度で専門化、つまり適応度地形が高くなるにつれて人間は自分の寿命を延ばし、制約条件を減らしているのではないだろうか。ということは日本における超高齢化社会は絶好のチャンスである。


カウフマンは著作の中で、「商品やサービスの多様性が、経済成長の主要な原動力だという事になる」との見方を述べているが商品やサービスを多様化させる原動力の所在については述べていない。これは経済を独立した視点から考察したものであるが、実際には人間の生物的営みであり生命活動の一部である。経済ネットワークの多様性が自己触媒的であるように、商品やサービスを多様化させる原動力の個人のコミュニティネットワークも多様性が自己触媒的に自己組織化することで非均衡を実現するのである


日本経済を高度成長可能に導いた条件の考察することも対策の重要なポイントだ。

1.個人の活性レベルが平均的に高かった

2.高度な技術を組換えにより外部から導入できた

3.空間を横溢していた秩序が崩壊していた

4.単一民族国家、儒教文化的家族主義など内部を未臨界状態に留め崩壊を防ぐ膜が存在した

レベルの高さが意味するものは技術グラフによる組換えの可能性を高め、解の空間を改善する

高速道路を作ったところで地域に産業は発生しないここまでは理解出来るとして・・・

それよりも、ユニクロやヤマダ電機といった地方発のビジネスモデルがなぜ優位に立てるのかを検証するほうがよいなんだこの唐突な文脈は???

インフラの整備はコミュニティから構造化へ自己組織化するプロセスと基本的に無関係である。ゆえに自発的な、産業の創出は見込めない。

産業の創出基盤として脆弱な地方の企業のビジネスモデルが通用するのは、ひとえに優秀な仕事サイクルにあるといってよいだろう。おそらく、創造のプロセスに関しては地方も、都市も違いはない。しかし、低いエネルギーコスト(吸エルゴンプロセス)で実現された仕事サイクルには大きな違いがある。

成熟した経済環境下において、高エネルギー還流とエントロピー生産量の増加を目指すことは難しい。したがって、低エネルギー還流と安定したエントロピー生産が生存のためのルールである。場のエネルギーを流出させないための対策が一番になる。

これは、自律性を自治において実現する生物的経験則だ。

全体の流れとしてネットワーク的受容状態の維持と個人オブジェクトの活性がプロセス的に連携しなければならない

ここでは、広告効果に関する五段階モデルが参考になるこれはきっと違う本から引用したところだろう(笑)

①伝達可能性の次元

②注目率の次元

③認知構造の受容の次元

④行動化の次元

⑤定着化の次元




2023年5月15日月曜日

大域的アトラクターという気づきとシュレーディンガーの猫カフェオーナー

 心の時代というNHKの番組が最高に面白かった。

脳から心が生まれる秘密を脳科学とブッダの世界観を結びつけて説明するのだけどその鍵となるのがウォルター J.フリーマンの意識理論であり、大域的アトラクターという複雑系科学の理論だ。フリーマンは、トマス・アクィナスやメルロ=ポンティの哲学に立脚し、生体脳におけるニューロン活動のカオス理論に基づく解析を長年続けてきた、独創的にして卓越した脳科学者である。彼の脳理論は現代脳科学と複雑系理論と哲学が融合し結晶化した包括的一元論である。

混沌において志向性から大域的アトラクター気づきが生成される、認知科学で言えば気づきとは認知的変化、創発である。その認知的な変化を手がかりに僕たちは次の行動を導くのである

この混沌から気づきが創発するという現象はなかなか理解し難いが物理学で知られる量子のもつれといわれる僕たちの物質の捉え方を根底から変えてしまう現象と非常に良く似ている。

僕たちは何事も固定的に捉えようとするけど実際あるのは混沌なのだ。

その混沌から気づきを得ることで混沌も変化していく気づきが気づきを生み出していくのである。僕たちは、統合という大域的アトラクターを用いいて、包括的な気づき認知的変化を起こす。誰もがシュレーディンガーの猫の飼い主であり、シュレーディンガーの猫カフェのオーナーという統合的思考の主なのである



2023年5月14日日曜日

全てが整うと雨が降る

 全てが整うと雨が降る。

これ実は好きな朝ドラの中で出てきた台詞であるが、4年ぶりとなった神田明神祭りが行われている昨日は雨模様だった、幼馴染が暮らす地元でも、お祭りをやっているらしい、神様がお出ましになるときは雨が降るだから祭りのときは雨の確率が高いのだろうね。

それで冒頭の台詞に説得力が出てくるのだ。

その朝ドラはお帰りモネというドラマで主人公の百音モネは気象予報士でもあった。

面白いドラマだったけど話以上に記憶に残っているのはまさにそのドラマが放送されている最中にルイのとうちゃんは脳卒中になり、戦力外脳サバとうちゃんになった急転直下の人生のドラマの真っ只中にあって、絶対安静の病院のベッドの上でbump of chickenのなないろを聴いていたからである。

トランクルームで倒れた日もとうちゃんは朝ドラを観終わって出掛けたはずだ。

その日の話は覚えていないけど、ネットで調べることが出来る 6月15日 第22回 菅波の苦手な先輩医師 百音は広葉樹を使った新商品開発?だったらしいなんとなく話は覚えているかもしれない。

ルイのとうちゃんは朝この話を観て昼の放送を観ることは出来ずに脳サバとうちゃんに変身したのである。

まあ人生の最期に観たドラマにならなくて良かったのだけど、とにかく記憶に残るドラマになった

主題歌なないろもいい歌だった。この歌い関しては脳卒中後一か月目のブログに書いている。とにかくドラマは脳サバとうちゃんの入院リハビリと並行して進んでいったのである。

そういえば神田明神祭りもコロナのせいで4年ぶりとのこと、脳サバとうちゃんもその4年の間の出来事、世界的にはコロナ禍と並走して、戦力外脳卒中と向き合ってきたのである。

ルイのとうちゃんがかつて傘屋のとうちゃんだったころは不謹慎にも雨が降るのではなく金が降るのだなんて嘯いていたけど、雨は神様がお出ましになられるサイン。とっても、有難いことなのだ。



2023年5月13日土曜日

イースター(復活の日)開けの中休みにやること

 戦力外通告と脳卒中及びその後遺症で実質的にに冬枯れ期に入っている脳サバとうちゃんであるが、穏やかに定年を迎えていたら、この時期を人生のゴールデンウィークとリラックスしていられたのかもしれない、しかし異物化からの現物化に向けてリハビリに取り組むうちにイースターを迎える=復活するを気持ちにもなってきた。

神様が脳サバとうちゃんに残してくれた日々をより良く生きるためには4つのテーマ(自立、探求、協働、倫理)があることもわかってきた。

テーマを持って残された日々を過ごすということはリラックスもいいけれど、テーマの実現に向けてもう少し緊張感のある時間と向き合うことになる。

しかしまた、それによってストレスを高めるようなこと(脳出血の原因その1:現役の力を見せつけたい)はしないよう意識的にリラックスする必然性(脳出血の原因その2高血圧。脳出血の原因その3:ストレス解消でアルコールに依存した)も感じている。

いわゆる「 惑業 苦 の 三道」 という のは それ です。 いう までも なく 惑 とは、「 迷惑」 と 熟する その 惑 で、 無明、 すなわち 無知 です。 智慧 が 病 に かかっ て いる 愚痴 です。 もの の 道理 を ハッキリ 知ら ない から、 惑 が 起こる の です。 無知 の 迷い が 生ずる の です。 下世話 に「 一杯、 人、 酒 を のみ、 二 杯、 酒、 酒 を のみ、 三杯、 酒、 人 を 飲む」 と 申し ます が、 飲み 友だち を もっ た 人 には、 この 辺 の 呼吸 が よく お わかり でしょ う が、 飲酒 の 害 を よく 知り つつ も、「 憂い を 払う 玉箒」 などと、 酒杯 を 手 に し ます。 一杯 やり ます と、 もう たまり ませ ん。 陶然 と し た 気持 に なっ て、 飲酒 の 害 も、 どこ へやら ふっ飛ん で しまっ て、 酒 の いけ ない 人 を、 かえって 馬鹿 に する よう になり ます。「 痛 狂 は 酔わ ざる を 笑い、 酷 睡 は 覚者 を 嘲る」 と 弘法大師 も いっ て い られ ます が、 狂酔 の 人 から みる と、 酒 を のま ぬ 連中 が かえって 馬鹿 に 見える の です。 しかし、 それ は 所詮、 酒飲み の 錯覚 です。 いう ところ の「 惑」 です。 だが、 メートル が 上がる と、 もう たまり ませ ん。tというのをまさに地で行った脳サバとうちゃんなのであった

高神覚昇; ニーチェ; 三木清; 芥川龍之介; 倉田百三; ドストエフスキー; 有島武郎; 夏目漱石. 生き方を考える本 (pp.84-85). KotenKyoyoBunko. Kindle 版. 

ゴールデンウィークと言えば緊張感のある日々の中のオアシスのような切り離された時間だろう、テーマを忘れ去るほどじゃないけれど、ちょっと脇においておいて違うことに向き合うそんな塩梅じゃないだろうか・読みかけの本を持って新幹線に乗るといったイメージである。

ということで、しばらくタスクは忘れて本を読み写真を整理しようと思う。今朝なのである

本というのは智慧のメタファーだ

「人生は不満と退屈との間を動揺する時計の振子ペンジュラムだ」とショウペンハウエルはいっております。あるいはそうかも知れませぬ。求めて得られない時には、なんとなく不満を感じます。しかし幸いにその求めたものが得られても、そこには必ず退屈が生ずるのです。しかし読みかけの本には読みかける理由があるものだ、この本部分部分でなんとなく意味が通るのだけど。何を言っているのかよくわからないから読んでいても楽しくない、そして途中で本を閉じるから何時まで経ってもよみかけなのである、智慧というのはわからないことをわかろうとする認知的変化を試行することであるようだ。ふ~。




2023年5月12日金曜日

専門職のキャリアミストの正体とは。人生に正解は無い。

僕は一昨日作業療法士のキャリアチェンジに関するブログ記事So long. therapistを書いたらちょうどこんな記事が目に止まった職業的充足感と燃え尽き症候群。評価スケールの開発と関連要因の調査非常に良い記事である。

いずれにしても理学療法士という専門職(国家資格)であってもキャリアミストがあるということなのでしょう。

専門職という強固なキャリアデザインの中でも実際にキャリアミスト(迷える森状態)が存在するという事実はキャリアと人の心の関係の複雑さ、難しさが伺い知れますね。

だから、簡単に定着とか早期離職などの組織課題を人で語ってはいけないのだと思うのです。

僕は、キャリア問題の多くは、自身のキャリアに充足感やデザイン意欲を持っている人たちのなぜ?から語られることにあるように思えます。

要するに問いを起こす人と問われている人たちの間には大きな認知的ギャップがあるのではないでしょうか。

問題は心理(心の有り様)ではなく認知(賢さの創発)だと思うのです。

心理だと、まさに飽きたとか燃え尽きたという心の状態が気になりますが、認知であれば、新たな情報に接した瞬間に生じる認知的変化、要するにチャンスとリスクの発見という還元不能で意図の不在な現象の影響なのである、

そこで鍵になるのは自制(我慢)というもうひとつの賢さの発揮のコレクションである。好奇接近と我慢という行動のコレクションの競合と協調が認知層で起きているのである。

国家資格の専門職というキャリアフレームはキャリアチェンジの我慢を促す強力なパワーを持っているはずだけど、そんなパワーですら抗えない新奇とか好奇といった魅力には吸引パワーがある、この、強固なキャリアフレームとの間に生じる認知的不協和を解消するために人は心理を使い、魅力を正当化し、キャリアフレームを無力化するのだ、

もしくは魅力を無力化してフレームを正当化する。外部の観察者はこの認知的不協和の解消にキャリアチェンジの理由が潜んでいるように考えてしまうがそもそも、きっかけは還元不能で意図不在なのだから、理由の説明なんてできないのである。

簡単に言い換えれば思い立ったが吉日なのである。専門職のキャリアミストの正体はこの認知的不協和とその不協和を解消するために心を操る(偽る)ことなのかもしれない。

この偽ると言う、層間の矛盾解決策は最近話題の生成系AIが嘘をつくという現象からも垣間見ることが出来る。

僕たちは、肉体の動的平衡を保つために食べる、しかしカロリーを摂りすぎないようにという節制(我慢)が働くと食べないという選択が生まれる。

そして、食べたいけど食べないという不協和が生じると太るとか病気になるといったネガティブな心理を生み出して不協和を解消する。または本を読むとか映画を観るとか友達とおしゃべりするなどの代替行動を取ったりする、キャリアチェンジもこういった代替行動と本質的には同じなのかもしれないね。

人生に正解は無い、だから迷って当然だ、社会にはこれが正解だと偽って人を屈服させる強固なフレームが多くある(プーチンのウクライナ侵略などはまさにそれ)けど、生きる力が紡ぐ人の可能性はそんなフレーム(FAKE)なんかに収まらないのだ。





2023年5月11日木曜日

おそるべし妻の眼力。メンタリスト妻。

 世の中色々と驚くことがあるけれど、最近脳サバとうちゃんが感服しているのは妻の眼力である。

訪問リハビリに通所リハビリととうちゃんが脳卒中サバイバーになってからこれまで我が家にはまったくなかった自宅への来訪者が増えた、脳サバとうちゃんはそれらの人たちといろんな話をしちゃうので(好奇心旺盛なのだ)其の人たちの状況をおおよそ知っている、

一方、瞬間的に顔を合わせる妻はその瞬間にその人達のメンタリティを見抜いている。

何か聞き出すわけでもないのにね。

脳サバとうちゃんの好きなアメリカのTVドラマにメンタリスト※というのが

あって、初対面の人でも見事に見抜いて、難しい事件を解決するのだけど、もはやその領域に達しているのではと思えるほどである。

すごいね〜

※全米視聴率ナンバーワン!*卓抜した観察眼で人の心を読み事件を解決に導く“メンタリスト”、パトリック・ジェーンの活躍を描く正統派ミステリー

妻は決して人の心を操るようなタイプではないけど、人の心を読む観察眼は凄いと思う。

先日も、訪問の理学療法士さんと約40分ほどの歩行訓練中に脳サバとうちゃんがあれこれ根掘り葉掘り聞き出した状況から思い当たるメンタルの状態について、瞬間的に言い表したのだ。

脳サバとうちゃんはこんなことがあったらしいよと教えてあげたらまるで連立方程式を解く手品のように見事に符合したのだ。

すげ〜な〜というか怖ぇ〜よ〜といった感じ。

こういった、観察眼とはまさにひらめき、創発である。

でも、脳サバとうちゃんの経験則からも、こういった鋭い観察眼を持っている人っているんだよね、

それは第一印象を越えた洞察力。

そこには過去の経験が生かされていることも少なくない。

だから下手をすると被害妄想やうらみつらみといったバイアス(決めつけだろう)と感じることもあるけれど、

時を経て結局その洞察のほうが正しかったということも少なくない。

洞察という認知的変化の背景にあるマルチモーダルネットワークこそがメンタリストの真骨頂であるに違いないよね。

怖ぇ~よ~



2023年5月10日水曜日

So long. therapist

 183日に及ぶ回復期リハビリ中メンタルも含めてを献身的に支えてくれた若い作業療法士O.Tさんが退職されたという知らせを受けた。

新しいことに挑まれるようだ。
色々な経験を積むことで僕たちは創発につながる認知リソースを増やしていくのだから、今回のキャリアチェンジは彼女の今後の人生の大きな財産になることは間違いない。
僕のような脳卒中サバイバーは日々増えているのだから彼女のように誠実で熱心なO.Tさんが一時的にせよセラピストを離脱することはサバイバーたちにとっては大きな損失である、しかし人類全体で考えれば彼女の勇気と成長は今後の社会への貢献は損失を大きく上回るに違いない。
さて実は僕がリハビリ病院入院中行ったインタビューでは、療法士さんのキャリアチェンジマインドは低くなかったことは以前にも書いた記憶がある。
国家試験の合格と、準公務員的な恵まれた職場環境を考えるとなぜ転職意欲があるのかはよくわからなかった。
でも有資格の専門職ではきっと気持ちを込めて働けば働くほど閉塞感に苛まれるのかも知れないね。水槽の中の熱帯魚みたいなものだ

その感覚はわかる気がする。
きっと情熱が枠組みの中に収まりきらないのでしょう。
その一方でチームのリーダー的な人はメンバーの離職を悩んでいて、同職種の奥さんに何故辞めるのか職場環境の改善を相談したけどそんなに単純じゃないのよとさらっと言われてしまったらしくどうしたらいいのかずっと考えていた。
今日デイケアに行ったら中国籍でありながら日本の国家試験を合格した理学療法士さんがいつの間にか辞めて中国に帰ってしまったらしい。

面白い考えを持っていたのになぁ辞める前に話を聞きたかったなぁ残念だ。

まぁ脳サバとうちゃん青春の永遠のアイドル薬師丸ひろ子女神も「さよならは別れの言葉じゃなくて再び逢うまでの遠い約束」と仰っていらっしゃるのだから、脳サバ復活物語の中でどこかで再会出来ると信じていきましょう。



2023年5月9日火曜日

コロナは去りぬ脳サバとうちゃんのイースター

 2023年5月8日コロナが5類に移行しインフルエンザと同等になったコロナのパンデミックに翻弄され、ルイのとうちゃんが脳サバとうちゃんにまるで一条隼人が仮面ライダーに変身したがごとく変わったまさに激動の3年間が一区切りついたのである、この3年を思い返すと非常に考え深い。

コロナ第一章ルイのとうちゃんから脳サバとうちゃんへ

コロナ前は会社の経営者として役割を担っていたけが騙され仲間と信じてしまった人たちと事業の未来を展望できるものだ信じてしまったと経営者としては失格の致命的な脇の甘さがあった。

しかし、戦力外通告を受け、自分の未来さえ展望出来なくなっていた時にまさにコロナパンデミックが起きたのだ。

幸いにもルイのとうちゃんはコロナに感染することはなかったけど、かわりに脳卒中に倒れ、脳卒中サバイバー脳サバとうちゃんになってしまった。

取締役という華々しい社会的ステータスは要介護の障がい者1級という社会の異物という社会的ステータスに劇的に変化した。

異物の未来はどうなるのか。脳サバとうちゃんにとってみればコロナの終息よりも切実な問題が目の前に横たわっていたのである

教訓1金のためなら人は平気でうそをつく
自分を偽り続ける人たちのそのうそ(裏切り)はやがて正義になる
事業の借りは事業で返すエコエコアザラクエコエコアザラク恨む気持ちが無いかと言えば噓になる。呪い殺してやろうか、とも時に思う

コロナ第二章半世紀のリバイバルブーム到来とリハビリ生活

でも実際に横たわっていたのは病院のベッドの上の脳サバとうちゃんだった。脳卒中で倒れたけれど寝たきりになったわけではない。

異物からの復活を目指す日々が待っていた。医師と看護師と療法士(理学、作業、言語、心理)たちとの日々がコロナ禍の中そして、コロナの激震に揺れた東京オリンピック騒動の日々であった。

ルイのとうちゃんが奇跡の救急搬送で運び込まれた聖路加国際病院は実はとうちゃんの生誕の地であって、なんと59年ぶりの帰還だった、いっぽう東京オは56年ぶりのオリンピック騒ぎとルイのとうちゃんの身の回りはリバイバルブームに沸いていたのである。

コロナ禍とリバイバルブームの渦に巻き込まれていたけど、とうちゃんは子供の頃洗濯機の渦をず~っと眺めているのが好きだったからそんな目の前の渦を案外楽しんでいたのかもしれないそう、脳サバとうちゃんは生粋のお気楽者なのだ

教訓2 50年半世紀という時間を味わえ

渦を観ているのは楽しい

第三章コロナ渦の中で渦渦する日々

異物からの復活に必要なことは僕はなぜ生きるのかという意味を見つけることだった。

脳サバとうちゃんは身の回りで生き生きと生きている人の本を読んだり記事を読んだり話を聞くことで生きる意味に必要なことを考えていた。

ちょっと心がうずうずする楽しい時間だ。

時にうずの中からはウルトラQのオープニングのようなエコエコアザラクが顔をのぞかせてくるのだけど。

おかげで、異物からの脱出にはやり残しと、やり直し(真の仲間選び)そして、探求と挑戦(自立)という4つの信念を持つことが出来た、なかなか進まないリハビリ、突きつけられる異物という現実に還暦を迎え加齢によるお荷物化という現実も加わって、

心はいつもう惑ってしてしまうのだけど、脳サバとうちゃんはもう悪魔に魂(信念)を売り渡すことはしない

教訓3明けない夜は無い、コロナの暗闇もついには明ける(5月8日に明けたのかもしれない)、ルイの父ちゃんは暗闇に怯えて悪魔の甘言を信じて魂を売り渡してしまいその報いも受け脳サバとうちゃんになったけど、悪魔もやがて日の光を浴びて消滅するはずだ。

第4章復活の日まさに現在進行形。いまここ。

正しい信念を持てば必ず復活できる脳サバとうちゃんが向き合うのはそれだけである。わくわく。



2023年5月8日月曜日

ついに到達?ビバ脳卒中

脳卒中になったぼくだから気づけたこと。脳卒中になり病院で診断を受けた高次脳機能。

今いる場所の認知などごく基本的なものから、パズル脳など知能検査並みにかなりハードルの高いもの までそれは本当に多くの課題に取り組まされた、正直嫌になるくらいね。もういいよ!

そこで僕が気づいたことはこの記憶注意遂行という高次脳機能は僕たちが状況・環境とカップリングする手段なのだということだ、僕は脳卒中とその後のリハビリ入院でライフテーマの複雑系科学と認知科学を一人称研究することになっていたのだ。幸いなこと脳サバとうちゃんは脳血管性認知症になることは無くおかげでこうやってブログも書いていられるのだけど、脳サバとうちゃんの身に起こり得たことを検査とリハビリを通じて知ることで性格や行動は記憶注意遂行という極めてシンプルな認知機能の競合と協調が生み出す創発の複雑さの結果なのであるという認知科学的な結論に至ることが出来た。

例えば状況や環境は僕たちの思考や行動を引き出す手がかりでありその活用の最たるものが見当識である。

見当識とは

「今日は月曜日だから仕事に行かなくちゃ」「遠くまで来ちゃったから戻らないと」「大先輩だから敬語で話さないと」など、人は無意識のうちに自分の置かれている状況を把握して行動しています。こうした「ここはどこなのか」「いつなのか」「なぜここにいるのか」「目の前にいる人は誰なのか」など、自分の置かれている状況や、周囲との関係を結びつけて考えることのできる機能のことを見当識といいます。これはまさに高次脳機能、創発とその複雑性を説明していると言える。

脳サバとうちゃんは入院中に何度も今日は何月何日何曜日か、ここは何処かと聞かれたけど(しつこい、くどいと何度思ったことやら)、それは実は検査の一環だったのだね。

脳卒中もこのブログデザインと創発というテーマの深淵に近づくための必然だったのかもしれない。その境地にいよいよ脳サバとうちゃんも至ったのかもしれない。



2023年5月7日日曜日

創発を支える生き物の認知機能を考える

 認知機能という意味の創発と僕らの特性、僕たち生き物はは認知機能を使って環境や状況とカップリングしてなめらかにしなやかに生きているのだ認知的変化が身体化に影響を与え環境や状況を変えより良い認知的変化を生み出すこれが発達や上達と呼ばれるものの正体である、

この結果考え方や行為行動は自動化された行動のコレクションの一つとなり、その人の個性であり特性となるのである。

特性化した行動のコレクションはお互いに協調し競合しながら最適化された行為行動を可能としているのだ、

認知機能の大きな影響を与えているのは視覚聴覚嗅覚触覚といった感覚機能であるがそこから取り込まれた状況に埋め込まれた情報と記憶された情報を繋ぎ合わせ、何らかの目的達成に向けて注意を配り段取りするこの、この、記憶、目的の持続と達成のデザインという基本機能は生き物が生き物として自立するために備えているものであるようだ、というのも、記憶集中組み立ては脳サバとうちゃんの愛犬ルイちゃんもその先代犬ルークも間違いなく備えていたからだ。

それらの機能を使って認知のリソースをマルチモーダルネットワーク化して創発という認知的変化を生き物は起こしているのだ、この方式はこれまでの経験を再現する場面だけでなく新たな状況への対応も可能にする優れた方法なのである。

全ての要素が揃わなくても部分的な情報から創発可能だからである。

例えばルイちゃんお腹が空いたという感覚が食事という目的を創発し食事の催促という行動から目的を達する組み立てを行う、この行動は、状況や環境が変わっても創発可能だ。

いかなる環境でも自立を可能とする上手い仕組みである。

僕たちはこの認知情報をリソースとした創発の仕組みによって認知的変化を連鎖させて上手く生きているのだ。そう経験のリソース状況のリソースを使って創発という認知的変化を引き出すための生き物の基本的な機能が記憶、注意、遂行なのである。覚えておく、目的を持つ、操作によって次なる創発を誘発するこの機能の組み合わせがまた相互に競合協調しあいながら生きる意味と行為を紡いでいくのである認知的変化こそが生き物に生きる意味を与えている認知リソースという柱を立てる土台が基本認知機能なのである。

土台が高次脳機能、柱が認知リソースそして住居が認知的変化(創発)である。





2023年5月6日土曜日

看護師さんごめんなさい。脳サバとうちゃんの夜間頻尿事件簿。

 リハビリ入院時代の困りごとと言えば、夜中のトイレ(夜間頻尿)である。

入院当初から車椅子でトイレに行くのだけど、ベッドから車椅子、車椅子から便座への移乗全てが介助だった。

だから夜中トイレに行きたくなるとナースコールで看護師さんにきてもらうしか無いのだ。

移乗の自立許可が出るまでおよそ1~2か月の間脳サバとうちゃんの夜中のナースコールが続いたのである。一度便座への移乗で立ち上がりに失敗して床に這いつくばってしまった(今思えば汚ないなぁ〜(泣))

こうして前科者になった脳サバとうちゃんはなかなかトイレ移乗の自立のお許しが出なかったのである。

父ちゃんは当時原因不明の夜間頻尿に見舞われていて病棟看護師さんが手薄な夜間の困りごとになっていたのだ。

そんな中看護師さんから尿器(尿瓶ですな)利用の提案があった。看護師さんにとっても頻繁なナースコールで仮眠がとれず困っていたのだった。

でも、尿瓶初体験のとうちゃんはここでも、やらかした。

派手に零してまさか夜中にシーツ交換になってしまったのだ。看護師さんごめんなさい、すると今度は尿瓶を使う時もナースコールの指令(これじゃあトイレに行くのとあまり変わらないのだけど、)が出た。

でも、寝たまま尿瓶をあてて用を足すというのは思っている以上に難しかった、特に失敗したときの原因が男性諸氏は身に覚えのある超自然現象で押し込めなかったというものでなんとも女性看護師には説明し難い理由であった、これが脳サバとうちゃんの朝立ちの夜明け事件である。

二十歳になったばかりの初心者マークをつけた女性看護師さんにとてもじゃないけどそんな状態のとうちゃんの尿瓶に立ち会ってもらうわけにもいかない。社会の異物(塩見三省さん談)じゃなくてもはや社会の汚物だからね〜。

困った父ちゃんはもうちょっと年季を積んだ男子大学生のお子さんもいらっしゃるという美人の看護士長さんに恥を偲んで理由をお話したのであった。

こんな脳サバとうちゃんのせいでうら若き乙女が男性嫌いになっても申し訳ないし、セクハラで病院を追い出されても行くところが無い。

(笑)やがて、尿瓶はこぼれ〜ぬという最新の逆流防止機能のついた新型にアップデートされたが、何回分も貯める方式のこの尿瓶はあるとき、空気抜き用の穴からじゃんじゃんためた尿が流れ出たまさにまさかの尿瓶がおしっこした事件である、看護師さんたちはまたその後始末に追われることになったのだ、こう思うと本当に看護師さんたちには申し訳なかった脳サバとうちゃんなのである。

病院には泌尿器科があって再犯を繰り返した脳サバとうちゃんは強制的に診察をうけることになった

そもそも、夜中の頻尿を無くせばいいんだという看護師さんたちの評決が揃ったのだ。

チコちゃんに叱られるに出演したこともあるという曰く付きの泌尿器科の医師は各種検査をしたあと身体的には何ら問題ないとチコちゃんストラップを首にかけての診断結果を語った、しかし頻尿だけじゃなく尿量も多い(記録してた)ということで、2種類の薬を処方した、でも、脳サバとうちゃんはそのころには頻尿の原因を見つけ出していた、病室のエアコンの冷気が浄蓮の滝のごとく脳サバとうちゃんの身体を就寝中ずっと直撃していたのだ。空調の効きすぎた映画館でやたらとトイレに行きたくなるのと同じ理屈である。

でも、医者という人種は自分が下した診断以外は絶対に受け入れないらしい

チコちゃんに叱られてしまえ〜なのだけど、いくらとうちゃんが説明しても処方が無くなることは無かった。

しかも医師は水分摂取を控えろといい、看護師は脳梗塞や熱中症対策で水分を摂れという

もう、脳サバとうちゃんは相反する指令の板挟みでどうすりゃいいの?となっていた、

結局担当看護師さんにその状況を説明してまずは薬を止めてもらい、

水分補給に関しては、適度に摂ってくださいという意味不明な日和見な医師の言質を獲得してもらった。

これが脳サバとうちゃんの夜間頻尿結審無罪評決である、

脳サバとうちゃんは、夜間エアコンを切ってもらい頻尿もおさまるという自己解決を通して、薬を止めてもらったのでした。以上が脳サバとうちゃんの入院夜間頻尿無罪評決事件簿、である。






2023年5月5日金曜日

こどもの日子供の自分と対話しよう

 今日はこどもの日、大人になってしまったらあまり自分の祝日とは思えなくなるけど、せっかくだから、子供だった自分とじっくり対話してみるのも良いかもしれない。いきなり大人になる人は居ない、最近社会問題として取り上げられているヤングケアラーのように、子供時代を満喫することなく大人ぶった振る舞いをせざるを得ない人もいるけど、そういう自分だって心の中にいる子供の自分インナーチャイルドである。脳サバとうちゃんもう両親は彼岸の住人だから自分は子供の頃はどんな子だったかを聞いてみることは出来ない、だから出来事を思い出してその時の心象風景を描き直して自己観察するしかない。小学校高学年くらいになると色々な出来事も思い出せるのだけど、それ以前はあまり印象に残っている出来事がない、うん、残念だ。スポーツができるわけでもなく、勉強が得意なわけでもなく、いつも1歳年上の兄の後を追いかけていたように思える。親に将来を嘱望されるようなタレントも無かったけど、手がかかる知的障害のある長男がいたから、親の顔色を窺うのは上手かったように思える。末っ子だから甘えるのが得意だしね。子供の頃の自分を観察すると、特に秀でたところも熱中したこともなく遊び好き、妄想好きの甘えん坊さんがそこに居る。1歳上の兄は足も速く、勉強も出来た。でも、今思うにあまり羨んでもいなかったなぁ。まあ、そういうことをまとめると、優しい引っ込み思案の甘えん坊、そういうことになるのだろう、、粗暴だった記憶は無い、喧嘩をふっかけられることはあったけど、自分から喧嘩を売るようなこともなくそもそも喧嘩は大嫌い弱いし。幼稚園の頃は優しいという理由で、女子から人気があったのだそうだ。(唯一母親から聞いた記憶のある幼稚園エピソード)要するに、子供(幼少期)の自分は武勇伝無い子供だっただったということになる。小学校高学年になるといろいろとやらかしたけどね。でも、そう思うと、自分の子供(離婚した妻との間の子)に関しても、どんな子だったのか遺してあげなくちゃいけないなと、思った。今日一日、考えてみようと思う。




2023年5月4日木曜日

憧れ?羞恥?の赤ちゃんプレイ?からはじめよう戦力外脳卒中サバイバーの復職への道。

 還暦直前に戦力外通告を受けそのストレスと対策中に(家計のリストラ)、トランクルームで脳卒中になったとうちゃんは、赤いちゃんちゃんこ着て還暦を祝ってもらうことも、花束を抱いて職場から追い出される儀式に立つこともなく、屈強な救急隊の隊員さんに抱かれてストレッチャーに乗せられ人生6回目の救急搬送後に人生初の緊急手術を受け聖路加国際病院の入院ベッドの上で、乃木坂メンバーかと思えるくらいかわいい看護師さんに尿道にカテーテルを入れられ、使用済み簡易トイレの片付けをしてもらい、さらにはおむつを替えてもらっておっと乃木坂に赤ちゃんプレイか?などともう、それは恥ずかしいことなのか嬉しいことなのかのかもわからない状態で、やりかけ対策の後始末をどうしようかとぼんやりと考えながら柔らかな日の差す病室の窓から中庭を眺めていた。

聖路加の食事はとても美味しくておかゆご飯には佃煮の海苔や梅ペーストが付くなど至れり尽くせりと、絶対安静期(頭に鉄道路線図期)のとうちゃんの病院ライフは見通しのきかない真っ暗な未来に比べてスケベな刺激に満ちたとても明るいものだったのだ(このバカモノめ)、

しかしながら、日本の医療システムはそんな似非パラダイスで脳卒中サバイバーを甘やかしてはくれない(医療費の多くは医療保険から出るからね)。

そして、抜糸(脱路線図頭)が済む前からさようならパラダイスのリハビリがはじまるのである。

自ら履修申告したわけでもないのに毎日、理学、作業、言語の急性期リハビリがある。

動かなくなったものをそのままにしてると回復も遅れることが明らかになっているらしく、できるだけ早くリハビリを始めるというのが今日の潮流なのだそうだ、

しかし、この時期のリハビリは回復が目的というより、出来ないことを自覚(自己認知)するためのもの(天国から地獄に突き落とすため)であるように思える。

この動かなくなった左手左足を使って何かをするという行為は決して乃木坂のおむつ交換タイムのようにうきうきする時間じゃ無かった、

俺ってやばいじゃんと思うことばかりだからだ。

だって、歩けない掴めないちゃんと座れないだからね。

幸い言葉(会話)や計算や考えることは残されたどうやらなんとなく出来ることグループに入っていた。

でも多少ボーッとする頭で考え書いたメールやブログはボロボロで他人から心配されるレベル。とうちゃんは得意技である他人のせい(予測変換の酷さ)にしていたものの、後からみたらそれは本当に酷いレベルな自分のせいだった。

そりゃ、脳の中で出血してそれを手術で取り除き、MRI画像ではぎっちり詰め込まれていたはずの脳みそにはすが入っていて、きっと頭を叩くとボヨヨ〜んと洞鳴りする状態なのだから仕方がない

こうして、無職になった脳卒中サバイバーの現実に目覚めた片麻痺お気楽とうちゃんの出来上がりである。

手術後目が覚めて脳サバ等ちゃんの右側頭部にはホチキスの針がアヒルの行進のごとく列をなしていて、ああ、手術したんだなとわかった次第。妻の心労なぞどこ吹く風で当人は地獄に落ちたことなど無自覚で寝ているだけ天国なので楽なのだ。

脳卒中(脳出血)になってしまった以上、経営者だった時浅薄にも嘘つきを仲間だと信じてしまい決めてしまった資本政策(株式の譲渡)を悔やんだところで仕方ないし、とりあえずあまり深く考えずに治療の手順通りリハビリを始め、リハビリ専門病院への転院の手続きを妻に進めてらもった。

転院先の病院では後遺症の障害の診断からはじまり、回復に向けたリハビリの計画作りのなかで今後の目標を問われることになった、年齢的にはまだ還暦前(直前だけどね)だったので復職はどうされますかと医師に問われ、戦力外通告の身にある自分を改めて考えることになった。

戦力外となっても引退する気はなかった(キングカズみたいなもんだ)けど、戦力になれることは自分で証明するしかない。

その日から密かに脳サバとうちゃんの復活の日プロジェクトがキックオフしていたのである。

そして、長〜いリハビリ入院の期間中、看護師さんや療法士さんのプロフェッショナルな仕事ぶり(高い職業倫理と専門スキル)に触れて、プロジェクトのテーマは自立(日常生活動作の自立と経済)、倫理(あるべき姿)協働(真の仲間選び)そして好奇心の4つになった。赤ちゃん返りからはじまった脳卒中サバイバルライフ、もう一度大人になっていけばよい。そんな道筋であったように思える。本当の赤ちゃんと違って、とうちゃんには仕事で培った倫理(成長的人間観)と技能(スキル)があるではないか。あとは自立と協働である。これもありがたいことに着実に前進している、正直赤ちゃんプレイも楽しかったけど、復活の日プロジェクトはもっと充実していて愉しい。脳サバとうちゃんには真っ暗な未来はもう無い。5月の陽光を受けながらもうすぐ2年前のあの暗闇とパラダイスに想いを馳せているのである。





2023年5月3日水曜日

が〜ん。2回も。

 共感無き人を憂いている脳サバとうちゃんは共感出来ているのだろうか。他人の行為言動を批判避難することは容易いダメ出しすればいいのだから。でも、あの人は共感できていないからダメだと、言っている脳サバとうちゃんはあの人に共感出来ていないのではないだろうか。が〜ん。自己正当化のご都合主義じゃないですか、それあかんやつやで〜もう一回が〜ん。





2023年5月2日火曜日

ひらめきと悟りの違い

結論

ひらめきは創発による認知的変化の過程であるが悟りも実は創発による認知的変化である

その違いは以下のようなものであろう。

生き物にとっての認知的変化は、発達や上達やひらめきとなって考え方や行動の変化をもたらす成長となる。

こうした線形の認知的変化は成長と呼ばれる。それ対して高齢化は、生理機能の衰退、しなやかさの喪失という適応力の退歩、認知症傾向などと向き合う考え方行動の変化による老化という非線形の認知的変化である。そこで重要な働きをするのが悟りである。

耳にきき心におもい身に修せばいつか菩提に入相の鐘という古歌は、まさしくさとりへの道をうたったものです。TakagamiKakusyo,Niche,MikiKiyoshi,AkutagawaRyunosuke,KurataHyakuzo,Dostoevski,ArishimaTakeo,NatsumeSoseki. IkikatawoKangaeruHon (Japanese Edition) (pp.28-29). KotenKyoyoBunko. Kindle 版. 

「悟りを開くということは、決してたくさんなことをおぼえるということではない。たといわずかなことでも、小さな一つのことでも、それに徹底しさえすればよいのである。見よ、周利槃特は、箒で掃除することに徹底して、ついに悟りを開いたではないかTakagamiKakusyo,Niche,MikiKiyoshi,AkutagawaRyunosuke,KurataHyakuzo,Dostoevski,ArishimaTakeo,NatsumeSoseki. IkikatawoKangaeruHon (Japanese Edition) (p.120). KotenKyoyoBunko. Kindle 版. 

ひらめきが競合し協調する認知リソースによる創発だとすると悟りは欠如し不足する認知リソースにの葛藤よる創発ではないだろうか、端的に表すならば無知の知であり仏教では四諦という。この四諦、すなわち四つのあきらめ しからばその四つの真理とは何か、といえば、それは、「苦」と「集」と「滅」と「道」の四つで、これを四諦といっています。わかりやすくこれをいえば、「人生は苦なり」ということと、その苦はどこからくるかという、「その苦の原因」と、「その苦を解脱した世界」と、「その苦を除く方法」を教えたのが、すなわち「四諦」の真理です。

TakagamiKakusyo,Niche,MikiKiyoshi,AkutagawaRyunosuke,KurataHyakuzo,Dostoevski,ArishimaTakeo,NatsumeSoseki. IkikatawoKangaeruHon (Japanese Edition) (p.98). KotenKyoyoBunko. Kindle 版. 

ひらめきという創発に必要なのが多様性と複雑性であるとすると悟りに必要なのは苦難性と解脱という思惟性であろう、

つまり偶有性によって発達や上達という形で困難を乗り越えて適応するのと受容と開放で苦難から解き放たれて適応することの違いなのである。




2023年5月1日月曜日

相手を想うというソーシャルサポートの実際とは。

 ところが、障害のある方から言わせると、そもそも普通にできないことが多いわけだからそんなの絶対無理だと。じゃあ「自立って何ですか?」って尋ねると、「自分ができないことをちゃんと理解して、誰かに『助けて』って言えること」とおっしゃるの。

山中伸弥,成田奈緒子. 山中教授、同級生の小児脳科学者と子育てを語る (Japanese Edition) (p.41). Kindle 版. 

助けるってのは、声をかけて身体を動かすより、視点を動かして相手のことを思うことかもしれない。  先まわりして助けてほしい人もいれば、放っておいてほしい人もいる。日本、アメリカ、ミャンマー、どの国の対応が心地よいかなんて、それぞれ違う。  だから「なにかできることはありますか」と、一言聞くだけでいいんだ。助けなきゃって押しつけるでも、見て見ぬふりをするのでもない。大切なことだなあ。

家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった+かきたし著者岸田奈美

岸田奈美. 【文庫版】家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった+かきたし (コルク) (p.175). Kindle 版. 

岸田奈美さんの素晴らしいエッセイと成田奈緒子さんの言葉を繋ぐと助けるということの本質が見えてくる。

成田さんは、乗り越える力って、「自己肯定感」「社会性」「ソーシャルサポート」という3つのパーツからできてるのと言う、岸田さんが面白くたのしく書いている出来事はまさにこの「ソーシャルサポートの核心なんだよね。

山中伸弥,成田奈緒子. 山中教授、同級生の小児脳科学者と子育てを語る (Japanese Edition) (p.39). Kindle 版. 

誰かを助ける誰かの役に立つという行為は意味を与えてくれることだから価値的な行為におもえるけれど、実はとても賢さ(我慢と機会活用の最適な選択)が必要なことなのである。

「自分が悲しいかどうかじゃなくて、本人が何を望んでいて、そのために自分は何ができるのかを考えるってことですね」とても腑に落ちた。 「そう。生死に関わらず、僕はサポートってそういうことだと思うな。サポートって相手に押しつけるものじゃなくて、相手を想うことだから」  

サポートの意味だけは、これから先も絶対に間違えないようにしようと、強く思った

デイケアで観察していても強く思うことである。


その結果「歩けないなら死んだ方がマシ」ではなく「歩けなくてもできることはなんだろう」と、わたしと母は考えるようになった岸田親子のように皆がなれたら素敵な社会だね。

とっても素敵な岸田親子。もっと若いけどね〜