2018年4月30日月曜日

アタルとミホとあまおうのズコット

僕にはどうでも良いことだけど、最近、アタルとミホが別れた。

知ったことではないけどアタルからミホに別れを告げたのだ。

ネズミは若いカップルに何が起きたのか全てを知っている。

やや薄暗さのある地下でネズミが言うに、ミホのラインにアタルが応えなくなった時からミホは不安を感じたらしい。

アタルがラインをしようがしまいがそれはアタルの自由だ。

そして、アタルから
「重要なことがあるから電話で話したい」
とラインが入ったのはミホが勝手に不安を募らせていた時だ。

「会って話しがしたいの」
ミホの願い叶える選択肢をアタルは持っていない。

「僕には仕事が一番で君の席はない」
アタルはそう言って電話を切った。


ネズミはミホからその話を聞いていた。

そして、自分の都合で別れ話を切り出したアタルを容赦なく責めていた。

僕は、自分の都合以外に別れ話を切り出す状況を思い浮かべる事が出来なかったし論理的でないと思たけど、ネズミにはそんなことはどうでもいいのだろう。


でもほんとうは、ネズミがミホからことの一部始終を聞いていたすぐ後にネズミはアタルとラインをしていたのだ。

そのことをミホは知らない。

そもそも僕はアタルもミホも知らない。

誰一人、聞きたくもない話を延々と大声で話すネズミすら僕は誰だか知らない。

ただ、一つだけマホに言いたい。

友達は選ぶべきだ。あまおうのタルトでなく、あまおうのズコットを選ぶようにね。


ズコット



2018年4月29日日曜日

恐るべきタイミングの良さは何処から来るのか

このところ、僕の周りで起きている出来事のタイミングが妙に良い。

仕掛けでも仕組みでもないのに、気がつくとまさに絶妙のタイミングで事が起きているのだ。

以前、株式会社プライムタイムの坂本代表にタイミングマネジメントのレクチャーを頂いたことがあるけど、タイミングがちょっとでもずれただけで結果が全く違ってしまうことが少なくない。

だから、タイミングをちゃんと意識して思考したり行動することが大切であることは僕のこれまでの仕事や家庭を通しても実感がある。

でも、意図せずに出会った人が、数年経って他の何者にも替わり難い存在として、今の問題、課題解決に大きく貢献してくれている、などというタイミングの良さは、脚本として書くことなど出来ないよね。

むしろ、普通は、脚本を書いて、計画立てているのに機が熟さず、タイミングを逃すことの方が一般的に思えるのだ。

それを考えると、この一瞬ではなく、日々の出来事がタイミングにとって大切なのだろう。

以前、犬の飼い主は犬が亡くなった時を悲しみ悔やむけど、亡くなる一日に対して、それ以外に遥かに多くの一緒に楽しく過ごした日々があることを思うべきだろう、という話を聞いて確かにその通りだと思った。

そして、悲しみの1日より遥かに多い喜びの日々を積み重ねることは、良いタイミングを生み出す土壌なのではないかと最近のタイミングの良さを通じて考えている。


花咲くのも積み重ねのタイミング



2018年4月28日土曜日

パクられてもメゲない強さの正体

最近、何かと話題になるパクリ問題。

誰かの作品を他の人がほぼ真似て発表したり販売するやつである。

先日も某アパレル会社のTシャツで問題が発覚し、謝罪と商品回収がニュースになっていた。

この問題で、盗作された作者の対応がなんともいけていた。

怒ることなく、商品を買い集め、シルクプリントを加えて勝手にコラボTシャツを作ったのだ。

寛容である、ということではなく、自分のオリジナリティをさらに強める発想に脱帽ものだよね。

コピーの時代と言われて久しいけど、意図的で有る無しに関わらずパクリによって人の権利を侵害していることは少なくない。

僕たちが心地よいと感じる表現方法は案外、少ないのだ。

もちろん、パクリは良くない。

でも、パクられた時、戦うのか、それとも逆手に取るのかは考えどころなのだろう。

前者は体力、後者は創造力が求められるからね。

アメリカでのウルトラマンの著作権問題が解決したらしいけど、こういったケースでは戦う以外に選択肢が無いだろう。

一方、今回のTシャツのケースでは、やはり創造力の勝利と言えるのじゃないかな。

あ、もちろん、そもそもの作品自体が創造力の産物だけどね。

これはオリジナルだよ!




2018年4月27日金曜日

プロフェッショナルのアマチュアリズム回帰

サイードは、プロはその権威性ゆえに自由な物言いが出来ないと考え、アマチュアリズムこそが大切だと主張した。

権威性とは、社会的に認められた価値であって、価値は交換の対象だ。

もっと安直な言い方をすると、お金を貰うことは自由を失うことと切っても切れない関係にあるってことだね。

でも、パラレルキャリアとかが日の目をみる時代にあって、プロであることと、自由に物言いが出来なくなることはあまり関係が無くなるのではないだろうか。

アマチュアリズムにしたって、オリンピックはそれを価値、つまり金銭と交換しちゃった。

オリンピックというビジネスモデルはある意味すごい。

だからあれだけ盛り上がるし、旨味があるのだね。

で、ね。プロだから◯◯とかアマチュアだから△△というのはひょっとしたら前時代的な考え方なのかもしれないね。

アマチュアリズムが溢れれば、それが新たな価値となり、プロフェッショナルもパラレル化することでアマチュアになれる。

プロからアマチュアへの回帰がこれからの社会トレンドなのだ。


プロフェッショナルのアマチュア化



2018年4月26日木曜日

365歩の進みかた

しあわせは 歩いてこない
だから歩いて ゆくんだね
一日一歩、三日で三歩、三歩進んで二歩さがる

星野哲郎作詞 三百六十五歩のマーチ より

1968年11月に発売されたこの歌、歌詞の出だしに強いインパクトがあるし、僕が小さい頃の歌なのでしっかりと記憶に刻み込まれてしまっている。

今朝、たまたま「仕事って押すだけじゃなく、引くときもあるよなぁ」と考えていたらこの歌のフレーズが頭に浮かんだ。

かつて持っていた歌のイメージでは、「前に進んだつもりでも中々進めていないものだ」とだったけど、今朝の再イメージ化では「前に進むだけでなく、さがることがあって初めて前に進めるのだ」と思えたのです。

例えば、仕事の中には、提案説得、巻き込みなど能動的であることが必須な場面がある。

でも、常に能動的であれば良いのかと言うと、そういうことでもなく、一度自分や周囲を客観的に俯瞰してその上で、初めて気づけることも少なくない。

それは、「進む」と言うより「さがる」ことなのだろう。

キャリアダウンとかギャップイヤーなどが「さがる」ことなのだけど、社会的同調圧力で捉えれば、「なぜ?」「どうして?」となってしまうよね。


「進む」のよいところは、新しさとの出会いや達成など得るものがあることで、「さがる」ことのよいところは、力や知恵を貯めることができることだろう。

テークバックを取ること無しに、野球でもゴルフでもスイング出来ないように、力を貯めるプロセス無し人生を歩むことは出来ない。

だから、時に積極的にさがりましょう、というのが僕のオススメです。


すすむ?さがる?







2018年4月25日水曜日

異なる4人が創りだす世界を考えよう

もし、以下のような全く違う特徴の人が4人居たとする。

1.言うことがきつく敵に回すと面倒な人
2.皆でいっしょで揃っていることを大切にする人
3.動き回ったりのんびりしたりするマイペースな人
4.他の人とちょっと異なる自分の世界に没入する人

この4人それぞれの相性は以下のようになるだろう。

1と2
1は2に厳しいことを言い、2は1を仲間として合わせる

2と3
2は3と力を合わせようとし、3は2と適度な距離をとる

3と4
3は4の世界を否定せず、4は3との違いにこだわる

4と1
4は1の言うことを尊重し、1は4の世界観に関心を持つ

1と3
1は3の自由さをが不満で、3は1の物言いが心地悪い

2と4
2は4の孤立にストレスを感じ、4は2の親密さが気持ち悪い

4と1、2と3には通じるところがある。

1と2、3と4の間には見えない壁がある。

壁があり、通じあうところがない1と3、2と4はストレスや心地悪さが生じる。


え、こんな4人がいるのかって。

大概の人はこの特徴のどれかに当てはまるのです。


4つ





2018年4月24日火曜日

犬というかたちをした愛

先日、亡くなった糸井重里さんの愛犬、ブイヨンちゃんの写真展に行った。

その写真展は、『ブイヨンからのおれい』といういかにも糸井さんらしく、やさしい気持ちが込められていた。

14〜5畳くらいだろうか、多くの人が集まるには狭い部屋の壁に2列で写真が思い出の品などと展示されている中に糸井さん直筆のメッセージがある。

僕がその中でもやはり惹きつけられたのは、「犬って、犬というかたちをした愛だと思います。」という一文だ。

確かに、僕は「犬」という存在から愛を受け、「犬」という存在に自分の愛を投影している。

受け取る存在であり、写す存在でもある犬は「犬というかたちをした愛」だよね。

で、ね。よく考えればこれは「犬」に限ったことではないよね。

清廉な愛、歪んだ愛、高貴な愛、愛には様々あるけど、それは、何かのかたちをしていることが少なくない。

逆に何かのかたちから僕たちは愛のほんとうに気づくのかもしれない。


僕は、犬のかたちをした糸井さんの愛にそっと触れ、そっとその場を離れることが心地よかった。


愛の言葉


愛の名残

2018年4月22日日曜日

クラウド化する共同体のデザインを考える

昨晩は、法政大学石山ゼミの第一回越境オープンラボに参加した。

テーマは「実践共同体」で、放課後も含めてかなり盛り上がった。

このラボ、ゼミ生と卒業生の交流の場を発展的に外部の人も参加できるようにしたもので、アカデミックな議論を参加のルールなどはゆるく行う場作りがされている。

40名以上が集まったけど、会場が大きかったこともあり広々と対話や議論が行われたと思う。

対話、議論を行う環境って大事だよね。

さて、僕の知る範疇では、もともと地縁血縁など、止むに止まれぬ関係性を基盤として共同体が生まれ、そこから信仰や更には職業など特定も目的・役割を持った人々の集団が発生するとした考察があって、産業革命後に原始的な共同体が解体されていく中で、新しい形の共同体に注目が集まっているように思える。

実践共同体とは、「あるテーマに関する関心や問題、熱意などを共有し、その分野の知識や技能を持続的な交互交流を通じて深めていく人々の集団」であり学習が埋め込まれた状況と考えられるそうだ。

つまり、出生地、出身や一族郎党といった縛りでなく、テーマを求心力として、参加、共有によって持続的な関係を生み出される集団であるのだろう。

一方で、共同体から止むに止まれぬ拘束条件を取り払ってしまうと、実体がどこにあるのか分かりにくくなるように、実践共同体もちょっとつかみ所が無いものらしい。

ITがクラウド化されることで、ハードウエアの特定が困難になるのと一緒に思える。

僕は、今日の共同体は産業社会の組織における脱構築機構だと思っているので、そのデザインに興味があるのだけど、ひょっとしたら、クラウドコンピューティングサービスのような環境を準備することがデザインにおいて重要ではないかな。

オープンラボはまさにそのような取り組みにも思える。








カメラを通して会社を語る? その2

昨日の続きです。

パナソニック(GM1、GM5)
小型軽量でレンズか交換できるこのカメラ、先代犬のスナップでは一番使っていた。暗い状況でもオートフォーカスが効くからだ。動きの遅くなった犬を室内で撮影するにはぴったりだった。一方、作りは良いのだけど、なんだか使いにくいのも特徴で、要するに機能が多すぎる。「いろんなことができるはずだけど、本当にやりたいことを探すのが難しい」のだ。

だから使い方としては、レンズも設定も固定して同じようなシーンで用いることになる。

撮った画像もハッとさせられるようなことはなく、無難で、これが良いんだよねというのは小型軽量であるところかな。

ニコン(Nikon 1 J5)
このカメラも先述のGM1、GM5と一緒で小型軽量のレンズ交換式である。ニコンはこのシリーズの終了を宣言しているのだけど、オートフォーカスが早いということで最近入手した。部屋の中で走ってくる犬になかなかピントが合わず、試しているのだけど、オートフォーカスは良い感じかもしれない。

でも、連写ですぐに撮影用のメモリーが溢れてしまい、撮れなくなる。

「なぜかアンバランスに手を抜いている印象が拭えない」

それはコストダウンなのか、もしくなメイン機種へのこだわりなのかよく分からないけど、これじゃあねぇ、と言いたくなる。

カシオ(FR100L)
散歩をしたり走ったりする犬を撮影するとき、どうしても後ろの景色が切れてしまったり、犬の全身が撮れなかったりすることがあって、非常に広角であること、小型で持ち運びしやすいことを期待して入手した。

今のところあまり使いこなせていないけど、使い方をよく考えないといけないカメラでもある。

僕が感じるのは「ユニークなのだけど、ユニークにしか使えない、つまり他の機種を置き換えるものではない」ということだね。

さて、昨日の分からまとめると、

ソニー:新しいけどフォローアップが薄い
富士フイルム:誠実だけど使うには真面目さが必要
オリンパス:用途次第で合う合わないがくっきり
パナソニック:機能は満載でも使い方は地味になる
ニコン:流石なところもあるけどバランスと印象が悪い
カシオ:ユニークにしか使えない

となった。

まとめてみて、何となく、カメラだけでなく、その会社の特徴も現れているのではないだろうか。

もちろん僕が所有するのは、ある特定の、しかもマイナーな機種であったりするので、それ以外の機種は素晴らしく、非の打ち所がないのかもしれない。

ただ、マイナーな機種だからこそ。ひょっとしたらその会社の特徴があらわれ易くなっている可能性もあるよね。


いろいろ増えた



2018年4月21日土曜日

カメラを通して会社を語る? その1

僕が犬の写真を取るようになって家にカメラが増えた。

それも、小型のデジカメとかミラーレスと呼ばれるカメラだ。

昨年亡くなった先代犬は年齢的にもマイペースだったので、しっかりとしたカメラで写真が撮れたのだけど、小さくて若くて元気いっぱいの子犬を戯れながらちゃんとしたカメラで撮るのはほぼ無理なのだ。

犬によっても違うのだろうけど、僕の犬は、カメラを見ると喜んで飛びついてくる。

カメラと言うよりカメラストラップに目がない。

と言うことで、前置きが長いけど、いろんなカメラを試しているのでそのカメラから製造したメーカーを考えて見た。

ソニー(RX100Ⅴ、α99Ⅱ、α6000)
もともと、ミノルタのカメラを使っていた流れでソニーを使うようになったのだけど、「新しいことに意欲的だけどちょっと足りなくて誠実さに欠ける」と言うのがカメラを触っている実感だ。

カタログは素晴らしいけど、実際にはそこまで凄くはなく、また、売り切りでちょっと使いづらいところがあってもアップデートせず、もっと良い新しいのを買いなさいとくる。

でも、撮れる写真と周辺(スマホアプリなど)の性能は実は一番で、本気になるとすごいメーカーだよね。

富士フイルム(X-T20)
フィルムメーカーが作っているデジカメだけあって、本当にちゃんと撮った写真は素晴らしい。しかも、一度購入した製品を長く使えるようアップデートを欠かさず、「骨太でとても誠実だけどいい加減さには弱い」と感じるね。

いや、ほんとちゃんと撮れた写真は素晴らしいのだけど、犬を相手にしながらいい加減に撮ると全然写ってくれない。

犬でなくてもちゃんと撮らなとブレてしまう。

周辺も素晴らしいけど、ちょっと使い方は個性的かな。WEBサービスの自動レイアウト機能はすごいよ。

オリンパス(TG-850、TG-5)
ソニーのカメラと同じか、それ以上に活躍しているのがTG-850だ。濡れても落としても大丈夫といったフィールドカメラだけあって、外で走りながら撮ったり、雨の日に使うのに最適で、予備が欲しいくらい使っている。(TG-5は予備だ)

しかし、室内での撮影やテーブルフォトなどは綺麗に撮れず、あまり使えない。

「特定のシーンにはめっちゃフィットするけど、それ以外ではほぼ使いたくない」と感じる。

周辺は、TG-850は無線LANつきのメモリーカードなのでTG-5でたまにしか使っていない。

変え難い存在なので、変えたいとは思わないけど、割り切って使うことがポイントだね。

と長くなったので今日はこれまで。


まず3つ


2018年4月20日金曜日

1on1 でなにを変えるのか

誰かが使い始めて広く浸透する言葉がある。

瞬間的に話題になり消えていく反射的な言葉に対して、じわじわと定着する言葉だ。

仕事の話で言えば、例えば、1on1などはその一つかもしれないね。

僕はヤフーが1on1と言う前はあまり聞く機会がなかったけど、今では普通に、1on1をで・・・みたいに会話に出てくることがある。

こういった、人体にとってのホルモンのようなコミュニケーションをエリッヒ・ヤンツは「自己組織化する宇宙」の中で代謝段階的コミュニケーションと呼んでるけど、面で広がっていくのが特徴だ。

おそらく、アメリカでは一般的に使われるようになっていてそれが日本にも沁みてきたのでしょう。

さて、英語をそのまま使うとき、僕はなんだかユーモラスな印象を受けることがある。

いや、むしろダジャレとかにしたくなってしまうことが多い。

茶化すつもりはないのだけど頭がそう働いてしまうのだから仕方がない。

で、ね。仕事で1on1を使って変えなくちゃならないことも沢山あるのだけど、とりあえずはこんなので気分を変えようと思うのだよね。


迷惑、だよね・・・





2018年4月19日木曜日

死なないための学び アンラーニングに思うこと

アンラーニングに関する素晴らしい記事がシェアされた。

ミドル・シニア世代は何をアンラーニングしなければならないのか

やはり長岡先生の話はいつ聞いても的確でわかりやすく気づきに溢れている。

さて、シェアしてもらった記事をシェアしたら、「アンラーニングでATフィールドを中和、侵食してほしい」と言う、これまた素晴らしいコメントを吉田純一郎さんがつけてくれた。

ATフィールドとは、新世紀エヴァンゲリオンに出てくる、「全ての生命が自らを形成するべく持っている自我境界、排他的精神領域であり、人間は自らの肉体を形成し個体を維持する程度の強さしか持たないが、使徒やエヴァンゲリオンはそこから更に防御壁(バリアー)の一種として展開できるほどの強力なA.T.フィールドを持つ。」ものらしい。wikipediaより引用

アンラーニングとATフィールドが言葉として結びつくなんてすごいね。


僕は2002年ごろ複雑系に夢中になっていたのだけど、”生命とはカオスと秩序の境にあるものだ”、との考察は今でも物事を考える際の基礎になっている。

つまり、カオスの中から勝手に創発する構造が秩序となって最適化に向かうけど、それを壊さない程度に組み替えたり変異を起こすことで持続的に継続性を生み出していて、生命はその代表みたいなものだと考えているわけだ。

で、ね。僕は、アンラーニングって結局は「死なないための学び」なのだと思うね。

そう、要するに、長岡先生も吉田純一郎さんも「生きる」ことを語っているのだ。


東京の蝶



2018年4月18日水曜日

説明責任と辻褄合わせの波動砲

小さな嘘が大きな問題に発展する。

これは何も最近の永田町界隈がどうこうではなく、僕たちが小さい頃に経験する通過儀礼みたいなことだよね。

要するに誤魔化しきれなくなって最後に謝る時は結構な”叱られ”状態となるわけだけど、そこから僕たちは「嘘はよくない」とか「誠実さが大切」と言った教訓を学ぶのだ。

僕が小さい頃は、よく「嘘つきは泥棒の始まり」という言葉を聞かされた記憶があるけど最近も言うのかな。

子供心に、泥棒になって警察に逮捕されたり刑務所に行くのが怖いと感じていたように思うからそれなりに効果はあったのでしょう。

で、ね。社会的立場の高い人がつく嘘は、小さな嘘でも社会に大きな影響を与えるよね。

それは、自分が罰せられる以上に、社会全体に損害を与えるもので、そのような社会的責任は、言わずもがなのことにならないと世の中がうまく行かなくなる。

説明責任を果たすために嘘で辻褄を合わせることは、たとえそれが小さな嘘であっても根底を揺るがす、破壊力抜群な嘘なのだ。

僕が思うに、秩序をまもろうとする小さな嘘は複雑系における初期値の変化に該当するインパクトがあるのではないかな。

きっと、嘘をついている人は誰もそれに気づいていないのだと思うけどね。


倒れて行く











2018年4月17日火曜日

犬と散歩のPM理論

犬と散歩をしながら、リーダーシップとかマネジメントとかを考えることがある。

どんな時かと言うと、犬が歩くのを嫌がったり、逆に何かに飛びつこうとするのを抑える時、要するに僕の意図と犬の意図が一致しない場合、僕はぼんやりとリーダーとしての僕であったり、一緒に目的地を目指すマネジメントを考えたりする。

犬が歩くのを嫌がるのには、どうやらいくつか理由がありそうだ。

列挙すると、
・何かの音がした
・目に入ったものが怖い
・落ちているものを口にしたい
・地面の匂いが気になる
・違う方に行きたい
・歩きたくない
・うんちがしたい

要するに気が散っている、気が乗らない時、歩くのを嫌がるのだ。

そんな時に僕が取るのは、
・とにかく歩く事で集中させる
・おやつや水をあげて気持ちを切り替えさせる
・歩くのをやめる
のいづれかで、要は、多少強引でも引っ張る、なだめる、付き合う、だ。

で、ね。集中させて気持ちを作るのがリーダーシップ、引いたり押したりしながら目的地に辿り着くのがマネジメントなのではないかな、などと考えながら歩くのだね。


スカイツリーがきになる?


2018年4月15日日曜日

トリコロールな僕の特別な「日本」

僕の家の近くに小さなフランス料理の店があり、店頭にトリコロールの旗が下げてある。

そういえば、そのちょっと先にあるイタリア料理の店にはイタリア国旗が掲げてあるし、商店街の方にあるスペイン料理の店にはスペイン国旗が掲げてある。

美味しいスコーンの店にはイギリス国旗だ。

そう考えると、日本料理店で日の丸を掲げている店は見たことがない。

海外ではありそうだけど、日本で日本をアピールする必要はない。

そう、僕たちが自国にあってあえて「僕たち」を表象するのは休日とか卒業式とか特別な時だ。

以前、会社が浅草にあった時は、仲見世通りには日の丸がついた外人向けお土産もあって日本で「日本」を見るという、それは結構、不思議な感覚であったことを思い出す。


さて、そう考えると、僕の身の回りで日の丸がついたものをなかなか思い出せない。

ちゃんと納税もしているし、選挙にも行くし、この国が大好きだけど、僕の生活の中に特別な「日本」が見当たらないのだ。

で、ね。今日撮影した犬の写真が何となく、青、白、赤の順番になっていてふと、フランスのトリコロールを想起したところから始まる話なのだけど、せっかくだからこの先、特別な「日本」をどうするのか、少し考えてみたくなったね。



こんな感じ





僕たちは歴史から何を学ぶのだろう

シェアハウスを運営する会社が破綻したらしい。

僕はその会社のことも業界のことも全く詳しくないけど、どうも記事ではその会社への個人投資を銀行が融資していたことが問題になっているらしい。

銀行が個人に融資をして、その個人が投資をした企業が破綻する。

この構図は、バブルが崩壊した時に大いに問題になったと僕は記憶しているのだけど、そうではなかったかな。

企業へ直接の投資や融資ならまだしも、間接的に融資して担保の保全を図るやり方は、大概、回収に何らかの懸念を抱えているからだろう。

でも結果的にそのやりくちは不幸の輪を広げることになる。

銀行も社会的責任を問われるから、担保を分散して保全を図っているなんて呑気に言っていられないはず。

驚いたのは、過去の出来事から何を学んできたのか、だよね。

この出来事の僕の認識がそもそも間違っていれば的外れなことを言っているのだけど、個人の投資への積極的な銀行の融資が行き詰まることは歴史の上で繰り返されている。

住宅ローンやカードローンなど個人消費に対しての審査が厳格になったのと対照的にも思える。

金余り、低金利の中で、銀行が収益をあげるために苦労しているのは何となくわかるけど、ひょっとしたプレイヤーが世代交代する中で、学んだ歴史の教訓が失われているのかもしれないね、と日曜日の朝に思った。


光明を飛ぶ



2018年4月14日土曜日

早期離職を招く、経験の幅と人の幅のずれ

仕事をする、ということは一方で様々な経験を積むことでもある。

ある程度、決まりきったことを経験する場合もあれば、不確実性、偶然性のもとで未知の経験を積む場合もある。

例えば、起業する場合などは多くが未知の経験だよね。

一方、マニュアルで定められた仕事では、誰もが同じ経験をすることが想定される。

こうした、経験の幅は、仕事への適性に大きな影響性を持っている。

もう少しわかりやすく言うと、反物に記事幅があるように、経験の幅に応じられるか否かは人によって異なるのだ。

僕はこれを人の幅と呼ぶ。

この幅は経験とその経験を生かした経験によって広がるものだから、特定の経験に適合してしまうと人の幅は広がりにくくなる。

この問題は、若年層にも中年層にも高齢層にも当てはまるだろう。

特に若年層に焦点を合わせてば、一生懸命勉強だけしてきた人はVUCAの時代の仕事における経験の幅に応じることができないから続き難い。

また、経験は多いけど経験を生かした経験がない場合も仕事が長続きしないだろう。

多くの経験から教訓を得た人は、新たな広い幅の経験に応じることができるけど、好き嫌いや良し悪しで経験を語る人の多くは、自分の幅をあまり意識していないのではないかと感じることが少なくない。

逆ももちろんある。

人の幅の方が広くて経験の幅が狭い場合だ。

もちろんこれも続き難い。


経験の幅と人の幅。

「できること」と実際の仕事の中で起こるずれは、ここに理由があると思う。


ずれてる


2018年4月13日金曜日

歌は世に連れ、世は歌に連れ、そして僕は何に連れ?

気がつけば平成も30年過ぎていた。

でも、どうやら来年、つまり平成31年で平成は幕を閉じるらしい。


僕は自分を昭和世代だと思っているけど、考えたら、それはとても昭和が長かったせいなのかもしれない。

なぜなら、昭和は64年が最後で、実質は63年とすると僕の昭和は26年だったことになる。

そう、平成の方がとっくの昔に長くなっている。

ものさしで測れば、僕は平成世代なのかもしれないけど、多感な時期を過ごした昭和の方が記憶として強く残っていることが多い気がする。

例えば、歌、特に歌詞などは昭和時代の方が鮮明に思い出せる。

その一つが、佐川直美さんが歌った「いいじゃないの幸せならば」。

特に途中で出てくる「いいじゃないの 今が良けりゃ」なんて、まあ、そうかもねとは思うけど、酔っ払いの決め台詞に近いノリでどうにも可笑しい。

昭和ってそんな時代だったのかもしれない。

あと、今年の桜は井上陽水の「桜三月散歩道」を強烈に思い起こさせてくれた。

そう、狂った桜が散るのが三月で、今年はまさにそんな感じだったからね。

昭和の歌には、「いいじゃないの」とか「狂った」みたいな少し気持ちが荒んだような表現が多いけど、そんな歌を思い出すということは、僕の気持ちはいま、少し荒んでいるのだろう。


昭和式?


2018年4月12日木曜日

伝えられる気持ち、伝わらない本心

誰かの気持ちを他の人に伝えるのは難しい。

そこに少なからず自分の気持ちが乗ってしまうからだ。

例えば、物言いがきつい人は、どうしてもそのきつさが言葉に乗る。

本人の気持ちであれば、本心も伝わるけど、誰かの気持ちだと媒介者の本心の方が表立ってしまう。


それは時に楽観的すぎたり、悲観的すぎたりと、そもそもの認知バイアスで情報が歪んでしまうこともある。

要するに間違って受け止めて自分の感情を乗せて他の人に伝える、と、僕らが誰かの気持ちを代弁する時は少なからずやっていることなのだ。

だから、気持ちはどんな時でも本人が伝えるべきだよね。


本心が見えない



2018年4月11日水曜日

考えて、 アウトプットする ことを振り返る

僕が毎日ブログを書いて5年経ったけど、その経験から「何かを考え」て「何かをアウトプット」することは、実は非日常的なことであることがわかってきた。

例えば、仕事をしていれば常に何かを考えているように思えるのだけど、正確に言うと「何かを考えさせられている」ことが圧倒的に多い。

目の前にある課題や問題は、例えそこにゲーム性が無くても思考を促している。

それは、応答だし適応なのだろう。

で、ね。僕が言う「何かを考え」「何かをアウトプットする」と言うのは、目の前にないことについてしっかりと考えアウトプットすることだ。

日々、緊急性のない事に焦点を合わせて考え、そして考えるだけでなく何かしらのアウトプットにする、要するに何らかの結論に至る。

そんな時間を確保するためには、しっかりとした意識が必要で、無意識に近づくほど習慣、惰性、緊急性が優先されてくるよね。


ぶどうのイタリア地図




2018年4月9日月曜日

ゴールはどこ? ピークの持って行き方

アメリカ大リーグでは大谷選手の活躍が目覚ましい。

オープン戦では思ったような成績を上げられず、評価が低かったことをあざ笑うかのような活躍ぶりだ。

一方、サッカーでは日本代表監督がW杯直前で解任された。

W杯出場を決めた熱気からは信じられないくらい監督への期待が冷めてしまった。

で、ね。よくよく考えるとピークの持って行き方って大事だよね。

大谷選手は、恐らく開幕後に照準を合わせて調整していたのだろう。

一方、サッカーのハリル元監督は、W杯出場がピークだったのかもしれない。

実は今日、仕事の打ち合わせの中で同様なことを考えていた。

打ち合わせのテーマは開発だったのだけど、ゴールをどこに置くかによって力の配分は随分と変わってくる。

サービスのカットオーバー直前にゴールを置くのであれば、それまでに正確で緻密な計画と準備、テストランが必要だ。

一方、カットオーバー後の半年、1年後、そして3年後にゴールを置くのであれば徐々に完成度を上げれば良いから、無理なくスタートが切れる。

もっともダメなのは、不十分な準備にも関わらずカットオーバー直後にゴールを置くこと、もしくは、マイルストーンなしのやんわりスタートだ。

そして僕はどっちもやっちまったことがある。


大谷選手、ハリル監督、そして今日の打ち合わせと、なぜかそれらが無関係には思えない今日でした。


やらかすニャーよ








2018年4月8日日曜日

「不思議」の”かたりべ”、やります

僕の会社では、新入社員の研修を皆で分担している。

僕の分担は、システムの説明と会社の理解を深めてもらうことだ。

これまでは、事業ドメインを経営コンサルタント的に説明していたのだけど、今年は研修の内容もだいぶ整備されたことから、思い切って経営コンサルではなく、”かたりべ”となることにした。

でもラーニングヒストリーのような組織文化の継承が目的ではなく、仕事の不思議を伝えたいと考えている。

仕事ってよく考えると不思議だらけだ。

僕の会社は、なんで今この仕事をしているのかとか、どうやってお客さまと出会ったのかとかね。

その「不思議」は、時と共に自らの体験を通して解消されていくものなのだけど、最近はすぐに答えを求め「不思議」ではなく「不可解(おかしい)」と言い出す人も少なく無いので「不思議」な出来事を物語りするのだ。

そして、願わくば、新入社員も新たな物語りを綴る当事者となって欲しいからね。


翔け!

2018年4月7日土曜日

ソーシャルの力、そして想いの力

迷子犬が見つかった。

近所のビルの屋上に上がっていたらしい。

見つかって本当に良かった。

さて、今回の迷子でソーシャルの力を改めて見せつけられた。

僕のスマホに通知が入ったのが4月5日の夜。

ドコノコというSNSに登録した際、自分のエリアを入力するのだけど、まさにそのエリアでの迷子だったのですぐに連絡が来たのだ。

これ、本当にすごいと思う。

翌朝、散歩に出た時、注意深く近所を見渡したのだけど姿は見つけられなかった。

そして昨日、ある人の書き込みからSNSの迷子掲示板は様相が変わった。

その方は、翌日(つまり今日)に自分はこのエリアを探すと書き込んだのだ。

ハッとしたよね。

僕は姿を見たら書き込むと決めていたけど、姿を見ていなかったので何も書き込まなかった。

でも、「僕も探しているよ」というメッセージは伝えるべき情報だったからだ。

そこで、今朝の散歩の様子を書き込んだのだけど、恐らく、自分も探そうと思っていた人たちが一斉に書き込みをはじめて、どこを探したという情報が掲示板に連なった。

一方、ツイッターでも同様な情報が流れていて、府中で保護された犬が同じ犬種、性別ということもあり、飼い主さんは府中まで会いに行ったそうだ。

情報が人を動かし、人が動いた情報がさらに人を動かす。

SNSの本質を垣間見た気がするね。

でも、このドコノコというSNSを立ち上げた「ほぼ日」もとい、糸井重里さんの想いが皆を動かしているのだとも感じた。

立ち上がりのまだ未成熟なサイトの中でも迷子掲示板はブレることのないコンテンツだった。


迷子犬が帰って来たお宅では今晩、喜びが満ちているだろう。

そして、日が明け、徐々にこれまでと同じ日常が戻っていっても、今回の出来事は消えない灯火として心を照らし続けるのではないかな。

僕はそう思うよ。


僕たちを照らすもの



時代は、いま、二刀流

先日、幼馴染たちとお酒を飲んだ時、その中の一人が、糸井重里さんのツイッターで迷子犬、迷子猫のリツートがあまりにも多くて、結果、ツイッターをやめてしまったと話した。

実は、迷子犬、迷子猫って全国で見るととても多いのだ。

飼い主にとっては我が子、もし居なくなったらとその心情を察すると平静では居られない。

糸井さんも先日亡くなったブイヨンちゃんという愛犬がいるので、恐らく同じような気持ちだったのだろう。

僕は、僕の犬がもし、逃げ出してしまったら追いかけて捕まえる自信が全く無い。

そして、もし僕の犬が居なくなった仕事も何も手につかなくなってしまうと思う。

だから、首輪とハーネスをダブルで掛ける二刀流だ。

気が小さい割に好奇心が強く、急に飛び出す犬をしっかりと抑えるには1本のリードではどうにも無理だからだ。

信頼関係も躾もそれなり、だしね。

まあ、どこまで用心すれば良いのかはあるけれど、一昨日、近所で発生した迷子犬のことを考えるとこのスタイルは当分変えられそうも無い。


かいかい





2018年4月6日金曜日

万能のチームはない

複数の人が1つの目的に対して動くとき、理論的にはもっとも効果的な組み合わせが存在するよね。

例えば、野球では、相手チームに勝つために、守備においては9つのポジションそれぞれで、もっともそのポジションを得意とする人が集まると効果的だ。

そして、攻撃においては、塁に出て、得点圏に進み、長打で走者を返す、という得点パターンを作り出すことが確実に勝利するうえで有効に働く。

これは引越しにも、家事にも通じる話で、仕事でも全くその通りだ。

こうしたチーム作りには、チーム構成員が自分の得意なことを知る、その力を磨く、チームに貢献するという3つの意識が欠かせない。

つまり、客観的に自分を知り、足りなさと謙虚に向き合って、それでも意思を持って他者と協働するのだ。

だからチームの中に、怠惰、傲慢、回避、孤立、対立、無意味化があるとチームの効果性はグンと下がるのだ。

また、連携の仕組みと外してはいけないツボの知識を構成員皆が持っている必要もある。

そして、知識は状況と共に書き換えられので素早い学習が求めらるゆえに、向き合う課題の大小はあれ、チームがうまく行くか行かないかはやって見なけれなわからないのだ。

チームにとって大切なことは万能であることを目指すのでなく、万能でないことを構成員皆が知り、受け止め、向き合うことと言えるだろう。


チーム?






2018年4月5日木曜日

「会社の考え方」と言う思考の固定化

いろんな会社の方と話をする中で、何となくその会社の考え方がわかることがある。

「人」の考え方と言うより「会社」の考え方だ。

特にそれがよくわかるのが、経営陣と管理職の話を聴いた時だね。

例えば、ある会社において管理職の肩と新たな事業構想を議論していた際、何を未来の目的とするかよりも、今何が出来るのかに焦点を合わせていることが伝わってきた。

現実的、といえば現実的なのだけど、僕には小さなブレークスルーに思えてあまり議論も盛り上がらなかった。

そして、その会社の経営陣と別の機会に話をした際も全く同様な印象を受けた。

ある事例を引き合いにされていたけど、今無いものを生み出して行く、予測不能なことへの興味関心をあまり持っていないようだった。

これは、おそらくその会社の中で日常的議論されていることであり、それにより思考のフレームが形作られているのでしょう。

新たな事業構想が創造的な取り組みだとしたら、固定化された思考のフレーム、さらには新奇性の観察的態度は本質を違えている。

創造性は、創造的能力(閃いて思いついちゃう能力)と創造的態度(新しいことは良いことだという基本的な肯定的姿勢)から生まれるものだからね。

創造性の無い新たな事業構想って何だろう。

ふと僕の頭をそんな考えが過ぎった。


フレームか創造性か


2018年4月4日水曜日

「なにを間違えたのか」と「なんで間違えたのか」の大きな違い

僕たちは日頃多くの間違いをしでかし、その責任を問われることも少なくない。

逆に、僕たちは守備でのエラーや、プログラミングミスや情報開示のタイミングなど様々な多くの間違いとも出会う。

そんな時、一番気をつけなくてはならないのが「なにを」と「なんで」、違いだけに絞れば「にを」と「んで」の用い方だと思う。

「なにを」という時、その視点は「間違い」にあるけど、「なんで」と言った瞬間に、間違いの原因、ひいては間違いを犯した「人」を意識する。

そして、「人」を意識した瞬間に広がるのが他責ワールドだね。

以前、他責を排する会社のトップが、担当者を「なんで出来ない」と詰めていたことがあったけど、責任追及は問題解決の方向性を限定していく。

仕事に責任と権限はつきものだから責任追及は当然としても、責任追及が先にくると本質的な問題解決が後回しになるのは世の常だ。

アメリカでは、飛行機事故に際して、個人の責任を問わず証言を引き出しているが、それは間違いを無くすことを第一に考えているからだね。


僕は、誰かの間違いに出会った時こそ自らの視点をチェックする良いタイミングだと考えている。

もし、「なんで間違えたのか」と問うていたらそれは、「なんでそう問うたのか」と自らを責める時なのだ。


出発進行!

2018年4月3日火曜日

量よりも質が勝る世界の先にある世界

僕たちの生活にとって「量」はとても重要だ。

「量」が足りないと問題が起きてくる。

衣食住もそうだし、人手とかもそうだよね。

僕が若かった頃は、「大量生産、大量消費」がキーワードになっていて、まさに「量」が主役だった。

その後、量よりも質と言われて久しいけど、質の先には何があるのかちょいと気になった。

というのも、僕たちの今を「質」だけで語るのは難しいからだ。

「質」が生存などを越えた高次な欲求を満たすものだとしたら、メルカリとかのPtoPサービスはちょっと様相が異なるよね。

だって、消費だけでなく供給もしているもの。

言うなれば、「ほどほど生産、ほどほど消費、そしてみんなで交換」みたいなことになっているのだ。

僕は、その本質は「ほどほどでいいじゃん」価値観だと思う。

無理して「量」でなく、無理して「質」でもなく、で良いのではないかというね。

でも、それは向上心を失っている姿だ。

何からもポジティブに学ぶ謙虚さ、自らを徹底して磨く鍛錬、どこまでも物事の真因に近づこうとする探究欲、見えないものを形にしていく具現化。

僕は向上「心」が指しているものをそのように考えているけど、肝「心」なのは常に「心」だ。

で、ね。「量」と「質」の先にあるのは無くしてはいけない「心」の世界、だよね。





2018年4月2日月曜日

エイプリルの馬鹿はうっそでーす

4月になったからといって、何も新しいことを始めなくてはならないわけじゃない。

でも、世の中では4月から新しいことが始まる、と決めている節もある。

そんな4月の初日は世界的に「嘘っぽい日」だ。

誰が、何故そう決めたのかは不明だけど、本当なのか嘘なのかわからないことが多い中、「うっそでーす」と言うことは案外勇気のいる事なのかも知れないね。

犬や猫は嘘を言わない。

興味があれば興味を示し、興味が無ければ知らんぷり。

でも、人間は、興味がなくても興味がある振りをする。(逆もある)

だから、「うっそでーす」がギャグになるのだ。

そう、人間とはかくも面倒くさいものです。

かく言う僕も今日は会社の懇親会の締めで、一本締めを2回も嘘ついてしまった。

で、ね。グローバル社会において、4月がどんな位置付けなのか知らないけど、日本では新しいことが始まる時期であり、「うっそでーす」が実は笑いネタだったんだ、と言える心の余裕が欲しいよね。


 嗚呼、四月

2018年4月1日日曜日

犬が書いた、ブログ

今日のブログ、ルイが書きたいそうです。それは、・・・


_ (Under Bar)
↑だそうです。

以下、翻訳?です。


コンピュータは紛れもなくアメリカ文化だワン。

だから、アルファベットが主役だワン。

また、文字以外の記号には非常に多くの概念的で高度な役割が与えられているワン。

例えば、+とか*とか^とかだワン。

要するに数学的概念を持った記号はもう神様みたいな存在なのだワン。

その中で( _ )は概念を持っていない地味な存在だワン。

でも、( _ )はとても役に立つワン。

変なことをしないワン。

例えば、5+3だと8になってしまいますが、5_3は5_3のままだワン。

だから、数字や意味を切り分けたりファイル名に使うことができるワン。

そう、役割が無い存在はとても重要で大切なことなのだワン。

あなた達はそのことを決して忘れてはいけないのですワン🐶



と言いたかったのかも知れないね。


_ だワン