2019年7月31日水曜日

会社のことは我々が一番よく知っている

社外の人に会社の説明をすることは難しい。

でも、案外、社外の人は、こうだ、ああだと会社について言いたがるもんだよなぁ、などと考えていたら、フェイスブック、グーグルなどは出来るだけ議決権を創業者を中心にする身内で固めているらしい。

確かに、原点を大事にしながら中長期的な視点で会社を見ることができるのは、創業メンバーだろう。

一方で、会社を変えるためには外圧も必要だ。

自浄能力が低い会社は特に、ね。

こう考えると、会社にとってかなり大切なこととは、「健全な持続性」であるように思える。

もう少し平たく言うと「新陳代謝」かもしれない。

本質的な価値(コアバリュー)がそのまま輝きながら、表層は常に新鮮な状態が保たれている。

美味しい果物と一緒だね。


創業者は知っている








2019年7月30日火曜日

地域課題を解決する人とはどんな人だろうか

昔、僕が独立して仕事することを考えた時、一番最初に頭に浮かんだのは「地域活性事業」だった。

ちょうど日本でW杯が開催されていた頃だったけど大都市に比べて地方の地域課題は誰の目にも明白で何か貢献できないだろうか(もちろん、ビジネスとして)と考えたのだと思う。

また、地域活性の取り組みは自治体が絡んでいることもあって開示されている情報が多いことも目が向いた理由だろうね。

そういった取り組みには大概、総研やコンサルタントとか大学が絡んでいて、シンポジウムなども開催されるので研究成果に触れることもできる。

僕が見たシンポジウムでは、「観光資源の経済性評価」を発表していた記憶がある。

発表者は、科学的な手法を用いれば地域課題が解決できることを疑っていないように感じられたね。

さて、最近では地域の課題解決により人材を育成する取り組みもある。

自己効力感の高い人、人との絆を大切にする人、あるべき姿に踏み出す人、自分の世界観を追求する人、それぞれにとっても「地域課題」は意味づけしやすいだろう。

だから育成に向いたテーマと言えるかもしれない。

一方で、「地域課題」はやりきる、つながる、ふみだす、ほりすすむと統合的に解決されるものでもある。

つまり、「何かが得意な人」というだけでは本質的な解決はできないのではないだろうか。

僕が思うに地域課題を解決する人は、水泳の個人メドレーを得意とするような人かもしれない。


活性化する?







2019年7月29日月曜日

判断を生む数字のチカラ 

先週土曜日に「天気の子」を観てきたのだけど、話題作だけあって、『公開11日目で興行収入40億円、観客動員300万人』を突破したらしい。

僕もその一人だけど、やはり、どんなに良い作品かを説明するより、数字が示す力は絶大だよね。

冒頭のカギ括弧内は25文字だ。

一方、それ以外の言葉で説明しようとすると、『あの「君の名は。」の新海誠監督の最新作。天候の調和が狂っていく時代に、運命に翻弄される少年・帆高と少女・陽菜が、自らの生き方を選択していく姿が描かれる。』で76文字 。

しかし、この内容ではヒットしているのかどうかわからないから『大ヒット上映中』と7文字足してみる。

そうすると、一見、良さげだけど、僕なんかは胡散臭くなってしまう。

だって、そうやって数字を出さずに宣伝している映画がとても多く、そして、実はあまり面白くない。


要するに、数字は端的、的確に相手に伝わるものだよね。

だからプレゼンを行う時に数字は必須。

どんな図版よりも確実に伝わる。

逆に言うと、数字で表せないものの価値は伝わりにくい。

価値が伝わらなければ他者の判断を引き出すことは困難である。

「天気の子」も、25文字で注目する人がさらに増えることでしょう。

でもそれは、もちろん面白さに裏付けされた数字だからだけどね。


龍雲かな





2019年7月28日日曜日

おかゆと内観

先週末は急性胃腸炎でダウンし、1週間は病欠から始まった。

体調が戻るまで食事もおかゆ、白米と豆腐と質素でずっとガス欠みたいな状態が続いだのだけど、お腹の中がシンプルだと、良い内観が進むのかもしれない。

ブログを読み返してみると、なんとなくそんな風に感じる。


(月)書くことは拳なんかよりずっと強い武器
僕たちはもっと自らの内面を強くするために書く力を身に着けるべきなのかもしれない。

(火)地獄の自己嫌悪スパイラル化する説明の難しさ
で、ね、そう考えると「下手な説明休むに似たり」で、むしろ思いのたけを語った方が良いのかもしれない。

(水)「知る」と言うバネから生み出されるパワー
この「在る姿を起点にして複雑な営みを知る」ことイコール、「生命の理解」「人生の意味づけ」「自分のあり方」ということだね。

(木)企業とのカルチャーフィットってなに?
で、ね。ひょっとしたら、カルチャーフィットって個人の予測不能なものに柔軟に対応できる力と固有性が極めて強い会社との一致感かもしれないね。

(金)怒らずにはいられなくない
これがもう一つの怒り渦巻く理由だとしたら、「怒り」は世の中に溢れるものなのかもしれない。

(土)マンガ離れしたのは何故だろう 強化と飽きの話
僕がマンガ離れしたのは、そんなところかもしれない。


色々な出来事がブログのきっかけになるけど、必ずしも考え方を整理したり自分を見つめたりする方向に行くとは限らない。

実は矛先が外に向いちゃっていることも少なくないと思う。

で、ね。ちゃんとした思考、内観を行うのであれば、まずは食生活を整える必要があるのかもしれないね。


意識下へ

2019年7月27日土曜日

マンガ離れしたのは何故だろう 強化と飽きの話

僕は今日「天気の子」という映画を観た。

大ヒットした「君の名は。」の新海監督が制作した話題のアニメ映画だ。

映画はとても面白く美しかったなぁ。

さて、そう言えば、最近「マンガ」を読まなくなった。

先日、会社でそんなことを話していたことを思い出す。

そこで、なぜマンガを読まなくなったのか考えてみたいのだけど、ひょっとしたら、なぜマンガを読んでいたのかを考えた方が良いのかもしれない。

僕がマンガを読む際に興味を引かれるのは、ストーリー→絵の順番だ。

しかし、絵の好き嫌いがはっきりとしているので、ストーリーが良くても絵が嫌いだと読まなかったね。

要するにストーリーが良くて、絵が好きでないと読まない、五月蝿い読者だったのだ。

きっと、好むストーリーと絵を繰り返し読んで嗜好を強化していたのだろう。

そして、似通ったストーリーに飽きた。

おそらくポップスと一緒でマンガのストーリーにもヒットの条件みたいなものがあって、パターン化してくる。

結果、新しいマンガを読み始めた時に新しい発見がなくなり、マンガを手に取らなくなる。

もちろん、これは僕固有のことだろう。


好き嫌いがあるが故に余計同じパターンを繰り返し好きを強化、そして読まなくなる。

僕がマンガ離れしたのは、そんなところかもしれない。


天気になれ








2019年7月26日金曜日

怒らずにはいられなくない

怒髪天を突く激怒から、ちょいとイラつくことまで、世の中には「怒り」が溢れている。

テレビであれ、ニュースであれ、「怒り」が飛び交っている。

その「怒り」に触れて僕も「怒り」たくなる。

誰かの「怒り」でなくても怒る理由はいくらでも見つけられそうだしね。

ただ、「怒り」は長い目で見れば人間関係を悪くするし、怒ることは疲れる。

特に混沌とした人間関係が渦巻く職場にとって「怒り」はなんとかしたい頭痛のタネだ。

そこで僕たちは今日、「アンガーマネジメント」について勉強をした。

「怒り」の感情を自ら上手にコントロールできるようになるために、まず、「怒り」とは何か、そして、「怒り」をコントロールするためのツボは何かを学んだ。

「怒り」と言う本質的な感情を我慢するのではなく、まず理性を働かせる間を置き、理性を働かせて「怒り」を生み出す自分の中のあるべき姿を変え、そして、ケースを分けて対処行動を知る。

シンプルながら効果がありそうな「アンガーマネジメント」で今度、満員電車で肘打ちされたらやってみようと思う。

あ、いや、職場の浄化のために学んだのだったね。

職場で実践します。


さて、社会性の発揮において「あるべき姿」が「我慢」を生み出す。

今日、あるべき姿と現実のギャップから「怒り」が生じると学んだのだけど、ひょっとしたらこのギャップは「我慢」と同義なのかもしれない。

そして、僕たちが高い社会性を果たそうとするほど、現実との乖離に「怒り」易い状況に陥るのだとしたら、世の中に怒りが渦巻く理由もわかりそうだ。

他方、しょっちゅう怒っている印象の人は、どちらかというと自己中心的で社会性が低く、自分の心地よさのために他者に怒りをぶつけている。

これがもう一つの怒り渦巻く理由だとしたら、「怒り」は世の中に溢れるものなのかもしれない。


怒ってはいない




2019年7月25日木曜日

企業とのカルチャーフィットってなに?

今日、僕は会社でたまたまE・シャインの「企業文化」と言う本を手に取った。

だいぶ昔に読んだ懐かしい本だ。

翻訳は、この度、紫綬褒章を受賞された神戸大学金井先生。

きっと本を翻訳された頃は若かったのだろうね。

さて、超ざっくりと言うと、シャインは書籍の中で、企業文化は目に見えるもの、見えないもので構成されていると述べていたと思う。

なるほどな、と思った。

例えば、フォーマットやツールが目に見えるもの、ルールやディシプリンが見えないものでしょう。

確かに、それを「企業文化」の表象と捉えたら、企業文化個社固有のものと言えるよね。

よく、単一パッケージやカスタマイズの無いWEBサービスなどで導入1000社なんて表示されているものが在るけど、固有性が無いのは法律関係くらいしか思い浮かばないから、それ以外の領域ではかなり怪しいと思う。

そこに多様な人材、経営者が関わってくるのだから世の中に同じ企業文化の会社は2つと無いはずだし、これまで僕が接する中には実際に無かった。

だから個人が会社と雇用契約を結ぶのは、実はたいそうなことなのだ。

まあ、法律要件は共通だから良いとして、それ以外のことは入ってみないとわからない、やってみないとわからない。

見えないものがたくさんあるのだからね。

で、ね。ひょっとしたら、カルチャーフィットって個人の予測不能なものに柔軟に対応できる力と固有性が極めて強い会社との一致感かもしれないね。


そろそろ





2019年7月24日水曜日

「知る」と言うバネから生み出されるパワー

2632日目となる今日のブログは、初めてオーダーに応えるものだ。

テーマは難しいのだけど、新しいスタイルだし、ちょっとワクワクして書いている。

何につけ、新しいことは楽しい。


さて、僕たちは、人が経験によってどんな成長を遂げるのかを研究しているのだけど、今日の午後は仲間から僕が質問される形で経験によって何かが高まった、もしくは深まった瞬間を探していた。

とは言っても、これまでの人生、それなりに年月を積んでしまったので話せば長くなる。

ドラマチックなエピソードも1つや2つじゃ済まない。

そこで、本人が意識する変化、周囲が認識する変化が大きかった時期を手掛かりにしてみた。

ただ、結論としては目次みたいと評されるほど僕のエピソードは羅列できたものの、時間内に、周囲が認識する変化で高まった、もしくは深まった瞬間の「何」を見いだすことが出来ず、このブログに向き合うこととなったのだ。


まず、端的に言えば、「何」は「生命の理解」だと思う。

「人生の意味づけ」「自分のあり方」と言い換えても良い。

またそれは、「他人の人生の意味づけ」「他者のあり方」でもある。

例えば、代表取締役という複雑な仕事に向き合う自分(他者)を単純に理解すること、それにより僕の前提は変わり、パーソナリティ特性は同じだけど思考や行動が変わる。

僕のパーソナリティタイプは「やりきり」で役割を全うしようとする特性が強いのだけど、あるべき姿が起点でなく、在る姿を起点に考え、行動するようになった。

僕が自分のあるべき姿を意識したのは周囲に流されず正義を貫いた小学生の時だった。

そして、その後大学、社会人と、あるべき姿を起点として自分とのギャップ(ストレス)をバネにしてきた。

これは、現状の惨めさに捕らわれずに済む良い方法だ。

それまでに比べると、周囲が認識する変化では、瞬間的なパワー(もしくはテンション)は下がったように見えるかもしれないから、周囲に優しいかもしれないね。

でも実際は、在る姿の中にこそギャップがあってそれがバネなる感じ。

あるべき姿を知る、あるべき姿と自分のギャップを知る、在る姿を起点にして複雑な営みを知る。

この「在る姿を起点にして複雑な営みを知る」ことイコール、「生命の理解」「人生の意味づけ」「自分のあり方」ということだね。


バネ







2019年7月23日火曜日

地獄の自己嫌悪スパイラル化する説明の難しさ

思いを語る時、「なぜ」はおまけだ。

「どうしても〜したい」

で、

「なぜならば・・・」となる。

そもそも「なぜ」が要らないことも少なくないよね。

それに対して説明の場合は「なぜ」が主役になる。

「なぜ〜したのか」とか、「なぜ〜なっているのか」とかね。

僕は、最近仕事の中で説明をする機会が多い。

そして、説明をしている途中でなんだか言い訳をしているような気分になり自己嫌悪に陥る。

聞き手は説明を受けなければわからないと言い、中には、その説明ではわからないと返していくる人もいる。

地獄の自己嫌悪スパイラルだ。

で、ね、そう考えると「下手な説明休むに似たり」で、むしろ思いのたけを語った方が良いのかもしれない。


思いを込めて踊る?




2019年7月22日月曜日

書くことは拳なんかよりずっと強い武器

”ペンは剣よりも強し”

と言われる。

映画「ザ・ハリケーン」の中では、プロボクサー、ルービン・カーターが「書くことは拳なんかよりずっと強い武器」だと語るシーンがある。

僕のブログなんぞは何日書いても弱っちくて、永遠に剣や拳に勝つことはできないと思うけど、確かに、書くことの力はすごいよね。

そして、インターネットの時代になって書くことの力は間違いなく更に強くなった。

ただ、出版と違って、ネットだと読み手も書けるので、書く力と書く力の戦いになる。

僕は弱っちいので戦う気持は毛頭もないのだけど、書く力の激しい戦いもどんどん増えているように思える。

さて、「ザ・ハリケーン」の中でルービン・カーターは過酷な状況において自分を保つ手段として書くことの重要さに気づいた。

これは大切なことだ。

剣や拳は相手をやっつけるモノの例えだけれどそれで良かったのだろうか。

僕たちはもっと自らの内面を強くするために書く力を身に着けるべきなのかもしれない。


This is a pen.

2019年7月21日日曜日

挑戦と安全 もしくは 未来と過去と安心と危険

ブログのタイトルを眺めて先週1週間を振り返ることは比較的簡単だ。

結論から言えば、「挑戦と安全」である。

挑戦とは何か、そして安心して挑戦するために必要な健康や安全とは何か、6日間を通してそんなことを体感していたのだろう。


(月)早く行きたいのか、遠くへ行きたいのか
そうなると結論はすでに出ているのかもしれない。

(火)「どこから来たの?」は最初に聞くこと
その上で思うことは、僕たちは「未来のあるべき」を語る前にもっと、これまでと今にしっかりと向き合うべきなのではないだろうか。

(水)「新」を生むパワー
夜中に見た満月パワーのようにね。

(木)職場の安全を確かめよう
で、ね。今一度、厳しい目で職場の安全を確かめる必要があるよね。

(金)教訓化することで経験を刻む
で、ね。僕たちは、こうして経験を簡単に忘れない工夫として「教訓」に変えるのだよね。

(土)「会社と株主」の曖昧模糊とした関係
だって、間違いは誰にでもあることだし、誰かへの忖度で人が犯罪者のように社会から扱われることはあってはならないことだもの。


でも、そこには未来に向かう決意の一方で過去を知る意味を忘れてはいけないこと、普段、安全だと安心していることが実はそうではないことがわかった。

ある部分は身をもってね。


パワーをください





2019年7月20日土曜日

「会社と株主」の曖昧模糊とした関係

今日、体調はまだまだ本調子に遠く、犬の散歩以外は家で安静にしている。

そんな中、午後3時から芸人さんの記者会見があり、スマホをずっと見入ってしまった。

会見の中で語られたことは、ありがちな出来事で、ありがちな話かもしれないけど、やはり、社長が「全員クビにする」とか「キー局は株主だから・・・」みたいなことを当事者に向かって言ったのだとすれば、やはり取締役(しかも代表)としての適性に問題があるだろう。

全く別の会社だけど、僕も取締役の立場にある者として発言には大いに気をつけたいと思う。

経営者は、事業責任を負う一方で組織運営に関しては大きな力が認められている。

だから、どう力を行使するのかは株主だけでなく、世間からも注目される。

今回、芸能事務所と芸人の間にあるのが雇用契約ではなく、業務委託契約だとすれば、契約解消をすることはおそらく問題ない。

「クビ」ではなく「契約解消」が正しい言葉じゃないかな。

契約書が無いことからも、会社と芸人の圧倒的な力関係の差あることが窺えるよね。

そして株主発言はこの問題の今後に大きな影を落とした。

株式会社の取締役は株主の後ろ盾があるから力を発揮出来るのだけど、それを振り回されてしまうと株主もたいそう違和感を持つのではないだろうか。


僕は会見をずっと観ていて、やはり、真実を話し、心から反省しようとしている二人を応援したくなった。

だって、間違いは誰にでもあることだし、誰かへの忖度で人が犯罪者のように社会から扱われることはあってはならないことだもの。


力強さ









教訓化することで経験を刻む

久しぶりに体調を崩して昨日、今日と寝込んでいる。

まあ、なんとなく原因はわかるのだから今日以降はしっかりと体調管理しようと思う。

さて、体調を崩すと健康のありがたさがよくわかるように、不足している状態で気づけることは少なくない。

難しいのは、不足を経験していない人にどのように気づいてもらうのか、だ。

例えば、仕組みの整った大きな会社に勤めていると、未整備の小さな会社の不足がわからない。

一方で、小さな会社のサバイバル力を大きな会社の人はわからない。


理想的には、色々な経験を積むと両方わかるようになるし、実際、そう言う人の気づきは広い。

また、一度経験するとしっかり記憶されるものと、健康のように、なんでもない時が長く続くと具合の悪かった時を忘れてしまうような経験もあるね。

「痛さ」もその時でないと感じることができない。

今回の不調の辛さを忘れないよう、「痛さから貧血でタクシーでも倒れこみそうなる」と記憶しておこう。

そして「だから、食べ過ぎ、飲み過ぎはやめましょう」と。

で、ね。僕たちは、こうして経験を簡単に忘れない工夫として「教訓」に変えるのだよね。


瑞々しい経験を記憶しよう


2019年7月18日木曜日

職場の安全を確かめよう

また酷い事件が起きた。

やりがいを持って好きな仕事に打ち込んでいた多くの人がその職場で犠牲になった。

考えられない大惨事である。

被害に遭われた方のことを思うと心が痛む。


仕事とは、僕たちが社会において居場所であり生活の糧を生む活動だから、職場は常に安心、安全であって欲しい。



ひょっとしたらそんな当たり前に慣れすぎているのかもしれない。

で、ね。今一度、厳しい目で職場の安全を確かめる必要があるよね。

「新」を生むパワー

今日は満月。

日照時間の短さで半ば諦めていた満月に想いが通じたのか、夜空に満月が浮かんでいた。

何かを始めるときは新月の時が良いらしい。

これから満ちていくことを予感させるからね。

一方で満月の時は始めるタイミングではなく完了する節目とのこと。

昼間は、丁度プロジェクトの3ヶ月振り返りを行っていた。

皆がプロジェクトの成果と課題を洗い出したのだけど、まあ、たくさん出てくる。

それだけ真剣に向き合った3ヶ月だと言うことだね。

僕も参加しながら、その様子を見ていて新しいことに取り組むことの難しさとそこに向き合う強いエネルギーを感じていた。

新商品開発とか、新サービス開発とか、とにかく「新」とつくものを作り出す時のパワーってすごいよね。

「新」にはリスクもあるわけで、失敗や挫折、壁を持続的に越えていく情熱が必要なんだと思う。

夜中に見た満月パワーのようにね。


満月パワー



2019年7月16日火曜日

「どこから来たの?」は最初に聞くこと

ポール・ゴーギャンの有名な絵の一枚に
D'où Venons Nous Que Sommes Nous Où Allons Nous 
がある。

日本語に訳すると『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』となる。

絵を完成させた後にゴーギャンは自殺してしまうので、この一節はゴーギャンの魂の叫びであったのかもしれない。

さて、事業を行っていると、社内外から「何がしたいのですか?」と聞かれることが少なくない。

多くの人にとってはそれが興味の関心なのだろう。

きっと自分たちの損得や心地よさにどう関わるのかを知りたいからね。

でも事業を行っている当事者としては、我々はどこから来たのか、我々は何者なのかはとても重要だ。

それは「どこへ行くのか」の理由だからね。



他者にとって見れば、過去は変えられないものだから未来に関わろうとする。

「こうした方が良い」「こうするべきだ」となるのだ。

でも「我々が何者なのか」、「我々はどこから来たのか」を理解せずに未来に関与しようとする人のことを僕は心地よく思えない。

また、そういう人に我々の物語を「説明」することも大層疲労を覚える。

その上で思うことは、僕たちは「未来のあるべき」を語る前にもっと、これまでと今にしっかりと向き合うべきなのではないだろうか。


向き合うこと

2019年7月15日月曜日

早く行きたいのか、遠くへ行きたいのか

アフリカの諺として実しやかに語られている言葉がある。

If you want to go fast, go alone. If you want to go far, go together.

かつてアメリカのゴア副大統領も引用したらしい。

まあ、一人が良いのか皆が良いのかはよくわからないけど、「早く」と「遠く」の比較は、今の僕にとって重大だ。

新規の事業に取り組む中で、「早く」か「遠く」かを選ぶことは今のあり方を大きく変えることだからね、

でもね、ちょっと考えてみると、例えば、ゴルフでは、ヘッドスピードの初速が飛距離を決める。

つまり、「早く」と「遠く」は対立概念ではないということだね。

遠くへ行くためには、早さが必要なのだ。

そうなると結論はすでに出ているのかもしれない。


早さにかける



2019年7月14日日曜日

本当のお題を考えてみる

7月も今日で折り返しだけど、相変わらず鬱陶しい梅雨空が続いている。

日照時間が少ないということは気分的にもよろしくないようだ。

そんな今日は、犬と風呂に入ったりして過ごしていた。

一緒に入ってしまった方が丁寧に洗えるのだけど、それ以上にスキンシップが取れるのが良いね。

さて、先週のブログを振り返ると以下のようであった。

(月)好きなモノやヒトを心で見る
だから、好きなモノやヒトは心で見ていようね。

(火)ありたい自分とあるべき自分
自分の目標であろうと誰かの期待であろうと成長のために努力できるのでしょう。

(水)現実をちょっと越えれば非現実?
で、ね。そんなストレスと向き合うことも仕事力の一つなのだろうね。

(木)なぜルールが大切なのか そして、あの人はなぜルールを守れないのか
一方、大きな仕事をしたいのではなく、好きに仕事をしたい人はルールを軽視するよね。

(金)助け舟、えんやこらさ
で、ね。結果としてどうだったのかを考えると僕は助け舟が得意ではないと思うのだよね。

(土)不得意と言うコンプレックス
むしろ、自分の努力が足りないとか思いがちなのではないだろうか。

「心」、「努力」、「ストレス」、「ルール」、「助け舟」、「コンプレックス」とテーマは様々である。

僕の場合、ブログのテーマは僕のフィールドから得ているので多様な出来事があったということでもある。

1週間を通じて持っている、解決の難しいテーマもあるのだけど、もうちょっと表層的なところで決めていて、自画持参「がちゃトーク」で言えば、スピーチのお題くらいのものかもしれない。

そこで、背後に潜む本当のお題に目を向けてみると、それは「意志」なのだと思う。

様々な事に出会い、それを観察するのではなく、主体者として向き合う。

その中でもっとも重要なのは、自分を知り、他人を知り、そして「意志」を持つことだよね。

明日の休みがまた雨だったら今度は、僕の「意志」に向き合ってみようかな。


いい湯加減

2019年7月13日土曜日

不得意と言うコンプレックス

趣味でも仕事でも誰もが得意不得意を持っている。

例えば挑んだ時に苦にならないことは得意なことでそうでなければ不得意だ。

もちろん、何事も最初から得意な人は多くないから、この話は、ある程度しっかりと向き合う中で見えてくる得意不得意だ。

まあ、不得意だけど大勢に影響のないことは気にならないだろう。

だけど、不得意なことが必要とされる時かかるストレスは看過できないよね。

人と話すのが不得意な営業、緻密性が低い経理担当などなど、細かくあげたらキリがない。

また、「できる自分でありたい」と言う願望があると尚更だ。

そういったもともと苦手なことと向き合う時、人は自分が出来ないことに対するコンプレックスを抱くことになる。

そこから本人の努力が始まるのだ。

だからと言って、僕はコンプレックスが常に努力の源になるとは思えない。

出来ないことを認めてしまった方が選択肢を広げることもある。

これは仕事では普通の考え方だけど、個人にとって出来ないことを認めることは容易くない。

むしろ、自分の努力が足りないとか思いがちなのではないだろうか。


不得意なものもある

2019年7月12日金曜日

助け舟、えんやこらさ

僕は助け舟を出すのが上手ではない。

助け舟が出せないのではなく、助け舟を出すタイミングが得意ではないのだ。

今日もそんな一日だった。

会議が終わった後に言い合いがあって、その当事者は言い合いながらどこかで終わらせたいのだろうけど、そのきっかけが難しい。

まさに助け舟を待っている状況だ。

でも、場のファシリテーション(上手くいくように支援する)と捉えれば、ファシリテーションではまずネガティブな感情を出し切ることから始まる。

まあ、言い争いであれば、それはファシリテーションでなく、喧嘩の仲裁が必要になるのだけど、例えば真面目に言い合っているのであれば喧嘩ではない。

そしてその後に場がポジティブになる可能性を秘めた「大切な場面」だ。

もちろん、必ずポジティブになる訳ではなく、場がさらに荒れるリスクはある。

さて、助け舟とは、ファシリテーションやコーチングにおいて、当事者が問題を自分ごととして捉え自ら解決に向き合う支援なのかもしれない。

だから、そのタイミングが難しい。

介入が早すぎたり、解決を支援しすぎてしまったりすると、問題が自分ごとにならない。

一方、遅すぎても同じことだ。

問題を解決しなければならないのが僕でない場合、どこで自分ごとになったのか、そして解決に向けて動き出すのかを本当に知ることはできない。

察するしかない。

で、ね。結果としてどうだったのかを考えると僕は助け舟が得意ではないと思うのだよね。


助け舟?





2019年7月11日木曜日

なぜルールが大切なのか そして、あの人はなぜルールを守れないのか

僕たちは複雑な存在だ。

だから僕たちの仕事も複雑である。

裏を返せば、何も考えずに仕事をすると複雑になってしまう。

そこで僕たちは、色々な工夫をして仕事が複雑になることを防ぐのだ。

なぜならば、僕たちは仕事を使って他者と会話をしているのだからね。

このことは、「仕事」を「言葉」に置き換えるとわかりやすいかもしれない。

日本語のルールに則っていれば日本語を使える人と会話できる。

しかし「言葉」には日本語以外にも多くのルールがあって、異なるルールを越えて会話をするのは難しい。

会話が複雑になるのを防ぐには、さらに共通のルールが必要である。

仕事の本質も同じことが言える。

複雑さを防ぐには自分のルールではなく、共通のルールが必要なのだ。

規律や管理を好まず、自分のやりたい方法を好む人は少なくないけど、大きな仕事をするためには、多く複雑な人との会話が欠かせない。

一方、大きな仕事をしたいのではなく、好きに仕事をしたい人はルールを軽視するよね。


散歩にもルール

2019年7月10日水曜日

現実をちょっと越えれば非現実?

今日の仕事を振り返ってみると、僕の視点が見えてくる。

僕はどんな視点を持っていたのだろうか。

朝、顧客を訪問し、採用の振り返りに参加したのだけど、事実と解釈と施策の3つのうち事実、解釈を中心にした。

施策も色々と思いついたのだけど打ち合わせの目的がブレてしまうので意識して行わなかった。

そして、夕方は目的を合わせる打ち合わせを行ったのだけど、僕の考える目的は少し先を見ていて、現実的な決着とは少なからず差があったね。

さて、現実的な視点をちょっと越えてしまうとそれは非現実的に映る。

でも、僕の経験からすると、それは、ちょっと先に行けば現実的な視点なっている。

これは僕にとってストレスだ。

僕としてはちょっと先の非現実的な視点は現実なのだけど、本当の現実と非現実的な現実の辻褄を合わせるの容易くないからね。

ちょうど、度の合わないメガネをかけているみたいなものかもしれない。

手元は見えないけどその先は見えていると言う感じ。

非現実的なことを共有し、共感を得られたとしてもそれは僕が描いたフィクションでしかない。

で、ね。そんなストレスと向き合うことも仕事力の一つなのだろうね。


見えているものが違う?

2019年7月9日火曜日

ありたい自分とあるべき自分

「ありたい自分」とは自分が成長することで近ずく目標だ。

一方、「あるべき自分」とは、自分の外側にある基準だよね。

時にそれは誰かが決める物だと思う。

もう少しわかりやすくすると、自らの目標と誰かの期待の違いと言えるかもしれない。

で、どちらも近づくために僕たちは成長する。

成長のためにはどちらも大切だ。

本当に成長する人は、そのことを知っていて、だから謙虚だよね。

自分の目標であろうと誰かの期待であろうと成長のために努力できるのでしょう。


ありたい?あるべき?

2019年7月8日月曜日

好きなモノやヒトを心で見る

好きなことを仕事にする。

仕事を好きになる。

どちらでも良いのだけど、好きなこと=楽なこと、ではないようだ。

好きなのだけど大変、好きなのだけど忙しい。

「心」を「亡くす」と書いて「忙しい」だから、忙しくなると好きなことなんて置いてけぼりになるのかもしれない。

「心」がついてこないからね。

心を亡くすくらいなら、少し休んだ方が良いのだろうけど、「忙しい」の線引きは容易くない。

「心」を亡くしてしまうのだからね

心で見ないと本当のことはわからない

星の王子様でキツネはそう言う。

そうであれば、忙しい時ほど心で見ることが大切なのでしょう。

さて、そもそも「好き」であることは人生を豊かにする出発点だ。

だって、好きなモノやヒトがたくさんあれば世界はどんどん楽しくなる。

だから、好きなモノやヒトは心で見ていようね。


心で見る


2019年7月7日日曜日

多様な経験が僕の内面世界を広げる

今日七夕だけども一日中雨。

梅雨だから仕方ないです。

さて、先週の振り返りですが、タイトルと結びの一文は以下の通りでした。

(月)僕たちの日常を不連続化する経験
それに対して得意なテーマがキャパを越える経験、それは大河が氾濫した時のように僕の周りの景色を一変させてしまうのだ。

(火)今日1日を振り返ると・・・
振り返ると、僕らしく落ち着きのない冷静な1日だったね。

(水)直接経験の大切さ
座学や文献研究とインターンシップなどの実践、この両者から生まれる往還にはそれぞれの良さ、課題もあるのだろうけど、諦めずに直接経験を積んでいかなくてはならないよね。

(木)世界にたった一つ、の、僕だけの鬱陶しさ
そして、「僕だけのこと」を他の人は知らない。

(金)がちゃトーク 抽選とは何なのか(東京オリンピック狂騒曲より)
で、ね。対話の場、がちゃトークの意味を改めて感じる夜になったね。

(土)不思議の国迷い人たちへ
でも、その世界を誰も知らない・・・。

月曜に神戸日帰り、金曜に大阪日帰り出張をしたので移動距離が長かったのと、水曜日に中学時代の同級生と地元飲み、金曜は大阪から戻って自画持参に参加するなど公私共に変化に富んでいた。

一方でブログの内容を見返すと多くが他者からは見えない内面世界に触れている。

さながら経験と僕の内面世界、と言った感じかも知れない。

特段、意識はしていなのにこの結果は面白い。

で、ね。僕は色々な経験を積むほど自らの内面にも思いを馳せるのかもしれないね。


僕は240Z派です


2019年7月6日土曜日

不思議の国迷い人たちへ

僕が聞く音楽は多彩だ。

多彩というより、拘りがない。

ロック、ジャズ、ポップなどなど、色々なジャンルで好きな曲はあるのだけど、その中でも何が一番好きなアルバムかと言われると、間違いなくチック・コリアのMAD HATTERになる。

このアルバムはカテゴリーとしてはジャズなのだけど、世界観がすごい。

チックコリアは言うに及ばす、エディ・ゴメス、スティーブ・ガットと言うその時の旬なプロフェッショナルがが参加していてそれだけでもパワフルだ。

それぞれが自分のあるべき姿を出し惜しみせず披露しているし、バンドとして果たしている役割も見事だし、本当に他のメンバーと連携して素晴らしい楽曲を演奏している。

そして、このアルバムの真骨頂はそのテーマにあると思う。

それは、「不思議の国のアリス」、そう、あのルイス・キャロルの名作だね。


不思議の国に入り込んでしまったアリスが色々な体験をするお話で世界中の人々に愛されている。

それは、ノンフィクションの世界に思えるけど、僕は実世界でこの世界を体験している人が少なくないのだと思う。

今、生きている世界を不思議の国に感じる人々、ということだね。


僕自身は不思議の国の住人ではなけど、無意識に興味、関心があってそれらの人々が無性に愛おしい。

常に不安と好奇心を抱きながら、自分の経験を通じて世界を描いていく住人。

描き出される世界と自分の世界のズレに悩みながら日々を過ごしている迷い人。


アルバムでは、自由にスーパータレントを発揮し、他のメンバーと連携し、自分の役割を果たし切る中で迷い苦しみながら自分以外の世界と向き合う世界を演じること。

でも、その世界を誰も知らない・・・。


チック・コリアのMAD HATTERからDear Alice

Good Afternoon,
My dear Alice.
Please, don't think I have malice.
But, your world of pretend、
Will most certainly soon end.
This is Alice,
Please, don't think I have malice.
My new world is so real It is you who cannot feel.............


不思議の国の住人へ


2019年7月5日金曜日

がちゃトーク 抽選とは何なのか(東京オリンピック狂騒曲より)

僕は今日、大阪日帰り出張に出掛けた。

そして、大阪での仕事も順調に終わり、自画持参、がちゃトークに間に合うことが出来た、ラッキーな1日だったね。

さて、今日のがちゃトークのテーマは「抽選」。

そう、持参者の多くが東京オリンピックの抽選に落選していたのだ。

先日、ブログで思い入れのある人とそうでもない人が抽選結果では考慮されていないから、「抽選は実は不公平だ」と書いていたのだけど、さらに一歩踏み込んだ定義に出会った気がする。

それは、「抽選以外に良い決め方はありますか」というお題の対話での一言である。

「抽選とは、異常に思い入れをしている人を排除するシステム」

これはすごい見方だよね。

抽選の定義がこう出会ったら、とても強い思い入れをしている人も結果に納得せざるを得ないのではないだろうか。

がちゃトーク自体も「話したい人が話すのではない仕組み」だから定義に当てはまる。


身近なことをそれぞれが真剣に語り、そこに煌めく言葉が生まれる。

で、ね。対話の場、がちゃトークの意味を改めて感じる夜になったね。


外れた人たち




2019年7月4日木曜日

世界にたった一つ、の、僕だけの鬱陶しさ

梅雨の時期の散歩はあまり楽しくない。

僕も、犬もね。

これは、僕たちが何によって楽しさを感じているのかを知る手掛かりになる。

そう、僕たちは楽しいから楽しいのではなく、楽しく感じる状況にいるから楽しいのだ。

その要因の一つは間違いなく「天気」だね。

梅雨を鬱陶しく感じる人は多いと思うけど、梅雨を○○に変えて見ると色んなことがわかってくるかもしれない。

その中には僕だけが鬱陶しく感じることもある。

そして、「僕だけのこと」を他の人は知らない。




しょぼん



2019年7月3日水曜日

直接経験の大切さ

情報化社会が進み、僕たちは居ながらにして世界各地の出来事をリアルタイムに知ることができるようになった。

一方で、相対的に、かつ絶対的に直接経験する機会が減った。

僕は、「知ったふり」と「知っている」との間に大きな溝を感じる。

例えば、坂道の多い長崎で観光巡りの最中に出会ったバキュームカーの臭さ。

実際にその場に居合わせたリアリティを想像できても想像なしに五感で感じることはできない。

このように直接経験には経験者しかわからない実態と実践がある。

さて、越境学習は越境をして初めて学習が起こる。

そしてホームグランドに持ち帰って新たな価値が生まれる(往還)。

座学や文献研究とインターンシップなどの実践、この両者から生まれる往還にはそれぞれの良さ、課題もあるのだろうけど、諦めずに直接経験を積んでいかなくてはならないよね。


ゴローン



2019年7月2日火曜日

今日1日を振り返ると・・・

今、画面に向き合って僕が考えていることは、今日一日の何が僕にとって記憶に残った出来事だったのか、ということだ。

そこで、朝から僕の1日を振り返ると、雨で散歩せず、早めに会議に出るために家を早めに出て、乗ったバスではApple WatchのSuicaが使えずにがっかりし、バスの中でぐずる子供を呆然と眺めていた。

朝の役員会では、危惧がありながらも結局は同意し、その後の長時間会議ではプロジェクトを振り返り、何かを見出したり、他者を観たり、沈思黙考したりと切り替えがやたら忙しかった。

途中、突然の来訪があったりバタバタしたのだけど、さっと仕事を切り上げた帰宅路では、電車が来たのに慌てて、SuicaをApple Watchに切り替えたのをすっかり忘れ改札を通り抜けてしまう失敗をやらかしてしまうなど、なんだか取りまとめようの無い一日だったかもしれない。

夕ご飯の後は、滅多にしない夜散歩をしたりもした。(朝、散歩出来なかったからね。)

振り返ると、僕らしく落ち着きのない冷静な1日だったね。


振り返る人のイラスト(男性)
振り返る人のイラスト(男性)

2019年7月1日月曜日

僕たちの日常を不連続化する経験

いつもと違う朝。

僕たちには、そんな日が少なからずある。

そして、それらのきっかけには出会いや別れ、出世や転職、挑戦や葛藤、発見や迷走が横たわっているよね。

他の人とのつながりの深い人にとっては自分を見つめ直すほどの出会いや別れ。

課せられた役割を果たす人にとっては本当にしたいことを自問するほどの出世や別れ。

行わずにいられない人にとっては本当にそれで良いのか不安を感じる挑戦や葛藤。

自らの内面を深掘りをする人にとっては理解を越えた発見や迷走。

それらが繰り返される日常を分断する出来事になる。

僕が日常を不連続化する経験を考えるに、そもそも得意なテーマでありながら、事が大きすぎて許容しきれない出来事なのかもしれない。

不得意はテーマはちょっとしたことでもキャパを越え不快な経験と感じられるけど、案外日常的に起きていたりする。

それに対して得意なテーマがキャパを越える経験、それは大河が氾濫した時のように僕の周りの景色を一変させてしまうのだ。


不連続への階段