2024年12月31日火曜日

聴く?語る?物語る人生への態度が在り方を決める

  物語は人の心に届いてポジティブな感情に作用することが知られているそれゆ物語ナラティブに対する注目はかつてないほど高まっている、物語の特徴は語彙力の乏しい幼児であっても心に届き解きほぐす力(不安を和らげる)を持っていることと物語るという語りの心を整える力(心を開くことによる安寧)があることだ。つまり、物語は語っても聴いても心を健やかにしてくれるのだ、この聞き手、語り手の効果効能は組織の中で複雑化する人間関係において、聞き手語り手の役割を自然と作り出す、心理的安全性を求めるメンバーは聞き手にマネジメントやリーダシップの発揮が求められる上司は語り手になりがちだ。昔から、上司の語りを聴くのが部下の仕事担ってきた、逆に部下の語りを聴く上司は良い上司と捉えられたしかし、この聞き手語り手という役割分担は物語の一部でしかない。物語にはナラティブセルフというアイデンティティの認知という大きな要素があるつまり語るためにはアイデンティティが必要なのだ、職位によりアイデンティティが与えられている上司に対して部下は常に問われる存在である、が仕事における経験が無い実績が無い部下は常に不利な立場である。産業組織には、更に入社前の経験を白紙化する傾向、つまり、部下のアイデンティティを無効化し上下関係を強める力学が働いているのだ。新に平等な心理的安全性は平等なアイデンティティにのみあるとも言える、つまり聴くと語るの両立によってのみ存在するのである。要するに聴くだけ語るだけという態度はその人の人生への態度が現れてしまうのである。





2024年12月30日月曜日

機能と尊厳産業組織の生産性と人間性の天秤

 年末大晦日前日の今朝、平日の朝7時14分に設定してあるテレビのチャンネルが切り替わった。

いつも観ている朝ドラは年末の休止であるがテレビはそんなことにお構いなしだ。設定された通りに動作するそれはそれで安心ではあるけれども、気を利かせたり融通を効かせるということはない、機能とはそんなものだ。さて、協働の1形態である組織では人は機能的に他者と連携し行動することが求められる。テレビの視聴予約と同じだよね。朝9時には職場に来決まった仕事を始めるのだ。もしテレビの視聴予約に生活を重んじる心があればきっと、今朝はチャンネルを切り替えないだろう、世の中が年末年始の休みに入っていてテレビ番組も休みだからきょうは止めておこうになるはずだ。ほとんどの職場ではもちろんこういった対応になっているだろうけれど、昨晩は子供が夜泣きしたとか、昨日は飲み会で遅くなったみたいな個人的事情は考慮されず機能的に働くことが求められる。要するに個人のウェルビーイングとは程遠い対応がスタンダードになっているのである。産業組織には人間性と生産性の天秤という永遠の課題が潜んでいるがこれは組織における生産性の課題というよりは、人が他者の尊厳をどう重んじるのかといったさじ加減の課題であると言えるのだろう。




2024年12月29日日曜日

フテホドの源流にある似非正義

まずはアリストテレスの「正義」について 

 人間 が 生まれながら に 持っ て いる 可能性 が 実現 し、 より 充実 し た 力強い 人間 として 優れ た 働き が できる よう に なる、 それ を 可能 に する のが 徳 なの です。アリストテレス は、 様々 な 徳 の なか でも、 極めて 重要 な もの が 四つ ある と し ます。 これ は のち に「 枢要 徳」 と 呼ば れる よう に なる もの で、「 賢慮」「 勇気」「 節制」「 正義」 の 四つ です。「正義」 は、 自分 の こと だけでは なく、 他者 や 共同体 を 重んじる こと の できる 力 です。 人間 は、 余裕 が なくなる と 自分 の こと しか 考え られ なく なり がち です が、 そう では なく、 他者 を 他者 として、 また 自ら が 生き て いる 共同体 を 共同体 として 重んじ、 その ルール を 守る こと が できる 力、 それ こそ が 正義 という 徳 です。

日本放送協会; NHK出版. NHK 100分 de 名著 アリストテレス『ニコマコス倫理学』 2022年 5月 [雑誌] (NHKテキスト) (p.63). NHK出版. Kindle 版. 


一方哲学者三木清は幸福について以下のように述べる。

機嫌 が よい こと、 丁寧 な こと、 親切 な こと、 寛大 な こと、 等々、 幸福 は つねに 外 に 現 はれる。 歌 は ぬ 詩人 といふ もの は 眞 の 詩人 で ない 如く、 單 に 内面的 で ある といふ やう な 幸福 は 眞 の 幸福 では ない で あら う。 幸福 は 表現 的 な もの で ある。 鳥 の 歌 ふ が 如く おの づか ら 外 に 現 はれ て 他 の 人 を 幸福 に する もの が 眞 の 幸福 で ある。

三木 清. 人生論ノート (p.15). 青空文庫. Kindle 版. 

幸福という観点から、ネット上で正義を翳す人々は幸福とは言えない、不機嫌だし、雑だし親切でも寛大でもない。他者に対して極めて厳しく不機嫌に糾弾するのだ、

この現象に関する答えは明快だ写真家幡野広志さんは自身の闘病経験に関わるSNSなどでの誹謗中傷に対して以下のように考察している

幸せ を、 トレードオフ で 考える 人 は 意外と 多い。   つまり、 誰 かが 幸せ そう に し て い たら、 その ぶん 自分 の 幸せ が 目減り し て、 不幸 に なっ て しまう と 感じる 人 たち だ。

幡野広志. ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。 (Kindle の位置No.1311-1313). 株式会社ポプラ社. Kindle 版. 

つまり自分の幸福のために正義を振りかざして他者を攻撃するつまりアリストテレスの言う正義とは相容れない似非正義なのである。それら似非正義者に共通するのは自分の幸福が目減りしないように立ち回る要するに自分に都合の悪いことや、自分のステークホルダーに関しては一切触れようとしないことである。

自分の論点の偏りには目を瞑り社会一般の声として悪であると糾弾する人たちは間違いなく似非正義なのである。




2024年12月28日土曜日

料理の創造性と想像性

 料理は創造があふれている、作るものを決めて材料を揃えるというのは想像力の中でも発想力にあたる。何を作るかという発想の力が試される一方で、冷蔵庫の中などのある材料から何を作るのかというのは連想力である。この素材を使うと何が出来る?というやつだ、料理は素材の組み合わせが多いから連想も組み合わせ連想という高度な連想になる。決めて作る空想も、料理の場合は算段が必要だから高次脳機能の遂行力という力が使われるがその中でも想像力(イマジネーション)は大活躍だイメージトレーニングがフル回転なのだ。そしてそのイメトレ通りに進めるのが遂行という高次脳機能なのである料理を作るということは無から有を、有から別の有を創造するというクリエイティビティと、どのようにどのような有を生み出すかという想像力イマジネーションの合せ技、脳の機能全てを使う人間ならではの知性の結晶なのである。



出来たのはオリジナルのカレー



2024年12月27日金曜日

自己組織化する心フラクタルな社会

 共感に,連帯と社外生活を営む上で心とその働きは大きな役割を果たしている盛り上がるときは心に大きな変化が現れている。そもそも、心とは、脳の感情を司る辺縁系を中心に脳の全体に波及する大域的アトラクターであるが、他者との繋がりも同じことが言える、誰かの感情に呼応するようにそれぞれの心が巻き込まれていくと社会な大域アトラクターが出現し。盛り上がるわけである。つまり、心と社会はフラクタル図形のような関係性にあるのだ

初めてフラクタル図を観た時の驚きは今や自分の心と相似する社会という新たな驚きに変わっているのだ。


2024年12月26日木曜日

意識を知る無意識を測るしなやかさに抗え

 フリーマンの意識理論によると意識とは脳の辺縁系に引き込まれる脳全体の大域的アトラクターの明滅という気づきの連鎖であるつまり、創発であるが、この連鎖する創発のなかで自己意識として認知出来たものが意識であって認知できないものが無意識ということになる、認知できない脳の活動の存在は自由意志の議論の中でも見つかっている、環境に素早く適応するために脳は予見と準備を行っている。これが素早い判断や行動を可能としているこれは、意識において物事を判断するよりも、しなやかに生きることを支えているのであるが、社会全体としてみると特定の人々に生きづらさをもたらしていると考えられるようになりアンコンシャス・バイアスというラベルが貼られて問題視されているのが現状である。この、無意識のしなやかさはその存在を認知できれば意識によって統制することは可能であるが、しなやかさに抗うことになるので、ぎこちない生き方になるが快適ゾーンから抜け出す学び成長のある人生と言うことも出来る無意識は測れるのかという問いがあるがこれは言い換えればしなやかさを測るということであり、結論的には可能である。無意識を意識において測ることは出来ないので、意識を測ろうとしないことが肝心なのではあるが。実は意識を測ろうとすると、この無意識のしなやかさはおまけのように測れてしまうものなのである、それは当たり前で無意識の中で意識れべるまで閾値が上がったものが意識だから、氷山モデルで言えば行為行動の下層に意識がその更に下層に無意識の世界が広がっているのである。意識自体は連鎖する創発なので還元不能であるがこの閾値のモデルによれば意識も無意識も同じものであることがわかるそれ故意識には無意識がもれなくついているのである。




2024年12月25日水曜日

創発なき世界の行く末。

クリスマスの今日はこの世界の終末を考える。核や温暖化など、世界の終末が現実化するなかで、 以下は以前のこのブログ記事からの転載である

そして、ビッグデータ分析では、アルバート=ラズロ・バラバシが携帯電話の通話記録分析から、コミュニティ内で多くの接点を持つ人間が居なくなるより、コミュニティの外部に接点を持つ人が居なくなるとコミュニティが崩壊したかのように求心力を失うことを発見しています。

この記事の一文をAIで補強してみた。

アルバート=ラズロ・バラバシの研究は、ネットワーク科学に基づいて社会構造やコミュニティの性質を明らかにしています。携帯電話の通話記録を分析する過程で、彼は次のような洞察を得ました。この研究は、ネットワーク理論における**「ノード(接点)」**と**「リンク(つながり)」**の重要性を理解するうえで重要な貢献をしています。

### **研究の背景**

バラバシとその研究チームは、膨大な携帯電話通話データを解析し、個人間のつながり(電話のやり取り)をネットワークとしてモデル化しました。このネットワークを基に、次の2つの役割を持つ人々が存在することが分かりました。

1. **コミュニティ内の接点を多数持つ人(内部結合者)**  

   - 例:職場や地域社会の中で多くの人と接点を持つ人。

   - この人々は、コミュニティ内部の結束や情報共有を支える。

2. **コミュニティ外部との接点を持つ人(橋渡し者)**  

   - 例:異なるグループや社会とのつながりを持つ人。

   - この人々は、コミュニティを外部とつなげ、新しい情報やリソースを取り入れる役割を果たす。

### **研究の発見**

- **内部結合者がいなくなる場合**  

   内部のネットワークのつながりが部分的に弱まるが、外部とのつながりが維持されていれば、コミュニティの求心力は大きく崩れない。内部の再編成が比較的容易であることが多い。

- **外部との橋渡し者がいなくなる場合**  

   コミュニティが外部とのつながりを失い、情報やリソースの流入が減少する。その結果、コミュニティは孤立し、長期的には機能不全や崩壊につながる。

### **コミュニティ崩壊の仕組み**

橋渡し者がいなくなると、以下のようなプロセスが進む:

1. **情報の停滞**  

   外部からの新しいアイデアや情報が届かなくなり、閉鎖的で停滞した状態に陥る。

2. **求心力の低下**  

   メンバー間のつながりが、コミュニティ全体の目的や動機を維持する力を失う。

3. **孤立化**  

   コミュニティが社会全体から孤立し、内部だけでの維持が困難になる。

### **具体例と応用**

この研究の結果は、現実の社会や組織の設計において重要な示唆を与えます。

1. **職場**  

   組織における異部門の調整役や外部パートナーとの窓口担当者が重要な役割を果たします。これらの役割を失うと、組織は外部環境に適応しづらくなる。

2. **地域社会**  

   地域コミュニティにおける外部リソース(資金、知識、サポート)を引き込むリーダーやメンバーが失われると、地域活性化が停滞します。

3. **国際関係**  

   国と国をつなぐ外交官や貿易パートナーがいなくなると、国際的な孤立や経済的停滞が起こりやすくなります。

### **結論**

バラバシの研究は、コミュニティや組織が持続可能であるためには、内部のつながりだけでなく、**外部との接点(橋渡し役)の存在が不可欠**であることを示しています。この発見は、組織や社会の設計、問題解決、危機管理において、ネットワーク科学の視点を取り入れる必要性を強調しています。

自己組織化や創発はネットワーク研究から進んだ複雑系科学の核心だからネットワーク科学とは極めて深い関係にある。故にコミュニティの盛衰はネットワークによる創発と結びついていることがわかる。要するに橋渡しがなくなる=創発しなくなる=コミュニティが枯れるという論法が成り立つのである。この観点で組織開発に取り組む例というのをあまり観たことが無い。組織開発は、組織がWORKするように意図的に介入することだと考えられているからである。創発とは意図不在の現象であるから、組織開発においては因果による解決が困難でむしろ目障りな現象と映ってしまう。一方では組織構成員のエンゲージメントやモチベーションによる組織活性が人的資本経営とみなされていることは皮肉としか言いようがないコメディなのである。一方で外部の知識の移転・翻訳・適用を支援するナレッジブローカーには好意であることは転職市場の盛り上がりを見ればよくわかる。組織内で創発がおきることよりもいいとこ取りをしたいという姿勢ばかりが目立つ。結果組織が枯れていくことも知らずに。愚かな話である。



2024年12月24日火曜日

機能とアフォーダンス

 機能とは必要とされる仕組みであって、仕組みがあれば良いわけでは無い。必要とされていなければ機能ではないのだ。機能とはその使い方をアフォードするものではあるが、アフォーダンスというのは行動の可能性を引き出すことであるが行動の可能性は無限なので、想像しはじめるときりがないうえに、本当にそれ要る?という話になりやすいだから実際に機能を利用する人の体験に沿って準備することが的確であるということになる。システム開発ではこれをUIUXと言う。

持ち手が持つという行為をアフォードし持ち運ぶという機能を提供する

2024年12月23日月曜日

人材育成の3つの支援人材育成は若手だけに行うものではない。

 人材においては3つの支援が必要だと言われる。業務支援、内省支援、精神支援である。

業務支援は業務活動のPDCAが回ってより高い成果が出るように支援することである。PDCAが回るようになった人材は熟達して一人前となり、今度は後輩を育成する人材になる、内省支援は仕事に限らずあらゆる経験から本質的意味を見出し新たな経験に実験的に踏み出す選択肢を生むことで。未来の可能性を広げるための支援である。精神支援は、そうは言っても溜まるストレスのガス抜きでメンタルを健全に保つための支援で。業務支援は主に職場の先輩が自分の体験を通して行い。内省支援は、人生経験豊富な上司が精神支援は、主に同期の仲間などが担うと言われているが今日ではメンター制度を導入する企業が増えている、内省支援においては    1on1やコーチングなどがスタンダードになってきた。しかし、企業業績に直結する業務支援はOJTという形で実施されるが支援者の苦労を観てキャリア像に否定的になる人材が増えてしまったのだ。これは職場全体への内省支援、精神支援が足りない中で業務支援を偏重してきた現場歪んだ人材育成の当然の帰結であると言えるのかも知れない。この歪んだ人材育成は社会的にも大きな問題となっている。教師のなり手が減っていくなど、そもそも育成すべき若手が集まらなくなるといった問題も、同質なのかもしれない。育成は業務力の弱い若手に業務力の熟達のためにするもの。といった偏重が巡り巡って将来の担い手を荒廃させていくのである。



2024年12月22日日曜日

「考えるシリーズ」皆で考える?一人で考える?

 何かを考える時一人だけで考えるのか皆と考えるのかという違いがあり、その中でも、自分の事を考えるのか皆のことを考えるのかという違いが更にある。多いのは自分のことは一人で考え皆のことを皆で考えるパターンであろう、更に、皆で考えているようにみえて一人で考えるというパターンもある。何をどう考えるのかどう考えたいと思っているのかはその人の個性とも言えるから正解は無いけれど物事を考える際には留意しておきたい点である。




理論化は構造化から始まる。

理論は、知識人の行いではなく、私達が日常的に行っている知識生成の形である。「ああ」や「ハッと」したとの気づきがあった時、それは、理論が生まれた瞬間である。もちろん、自然の理のような汎用的普遍的知識ではないが、経験から生成された知識はその人固有の文脈に則って認知的変化のリソース化され新たな創発「こすればいい」とか「こうしてみよう」といった新たな工夫や創造の種になる、こうした理論生成の元になるのが構造化である、要するに情報を一定のルールによって整理して情報の共通性や本質を見出しやすくすることである。例えば洋服を整理して並べればそこからは、色ヤ柄の偏りなど、服装に対する嗜好が見えてくる

何かを考える時はまずは構造化してみようというお話。




2024年12月20日金曜日

クセの話続き。癖よりも大切なことの為に。

一番先に浮かんだ言葉は使わないこと。たぶん、それは「自分の癖」だから、いつも同じ事を言っていることになる(大村はま)
 子どもに考えさせるということをした人が、いちばん教師としてすぐれている。できるようになったか、ならなかったかは、どっちでもよろしい。けれども、考えるということをさせた事実  - "考えなさいといった人"ではなくて、"考えるということを本気でさせた人"が一番えらい(大村はま)
癖を乗り越えて考えるって、容易くないのである。





2024年12月19日木曜日

クセづけのためにクセを正す。

 ふと頭をよぎること。それは稀代の教育者大村はまさんによればクセであり、それを口にしているといつも同じことを言っていることになるという指摘は明快である。それは、こういったブログやSNSへの投稿も同じであろう。その理解を持ってウェブを観ていると、あ、またこの人同じこと言っているということが少なくない。もうクセだから仕方ないのであるけれど、大村はまさんの言葉を知っていたらきっと、少し考えるようになるのだろうけれどね。思考のクセをつけようと始めたこのブログでまず考えなくちゃならないのが実はこの大村はまさんの遺された言葉なのである。


クセをつけるためにクセを正すことから始めよう。


2024年12月18日水曜日

信頼関係を構築せよ浅漬けの信頼関係と狭小心理的安全空間の空虚さ

 信頼関係って、発酵みたいにじわじわ進むものだと思うのだけれども、組織開発の名のもとにもはや1on1など強制的に信頼関係を生み出そうとされているのではないだろうか、その浅漬け信頼関係を正当化するのが心理的安全理論であって、思ったことが言い合えることがその現れであると言うが本当にその通りなのだろうか大いに疑問が残る。故平尾誠二さんが言うように折り合いをつけて理不尽に勝つことが成長であるのならば、心理的安全は成長にとっては空虚な理想論でしかないことになると思われるからだ。浅漬けの漬物はそれなりに美味しいが、やはりじっくりと時間をかけて発酵した漬物や酒類に叶うものではない。知事までも辞職に追い込むパワハラ騒動にパーカーおじさん騒動と、分断と世代間ギャップが広がる社会の中で、協働という小さな小さなコミュニティの中だけで浅漬けの信頼関係を構築しそこだけ安全だという発想は空虚だ。確かに社会全体の大きな課題を解決することは困難だから、まずは身の回り3mから変えていこうという意識は尊いものではあるが、それで良しとするのは浅薄である。



2024年12月17日火曜日

内省してる?時空を超える気づきは日々の内省にある。

 内省、リフレクションとは経験を振り返って経験の本質に気づき未来の選択の可能性を広げる行為であるが、脳内では記憶と構想の働きはほぼ同じであることが研究の結果わかっているので経験を振り返るだけで未来をイメージしているのと同義なのである、意識する概念としての時間軸がこれまでかこれからかという認知上の差異であって要するに気づきの本質はこれまでかこれからかということなのである。




2024年12月16日月曜日

人は見たい世界を観て創ろうとする

アンコンシャスバイアス が諸悪の根源みたいに言われる中、正常化バイアス、確証バイアスといった偏ったまなざしが誰にでも備わっていることが良く知られるようになった。要するに誰もが観たい世界を観るのである、そもそも世界がどう観えているのかはその人にしかわからない。ものなのである。その人固有の世界を変えることを洗脳というだからバイアスは自ら矯正すべきものだと言える。問題なのは、個人が世界をどう観ているかではなく、集団として描き出す世界がどう歪んでいるのかなのだ。女性が活躍する組織では女性の管理職は多い。仕事における活躍には文脈依存性が強くある、ジェンダーに起因する適性が文脈と結びついているのだ。例えば男子学生に人気の無い企業には必然的に女性が集まりやすい、当然優秀な女性の比率が高まり、活躍するようになり、さらに女性が集まりやすくなる。こういった現象はあらゆる組織に観られる。産業組織は経営者が観たい世界の表象なのである。




2024年12月15日日曜日

我思う、ゆえに我あり。では私は誰?

ウィキペディアによるとラテン語訳のCogito, ergo sum(コーギトー・エルゴー・スム、cogito =我思う、ergo = 故に、sum = 我在り)との標題が有名だが、これは第三者の訳による『真理の探求』で用いられたもので、デカルト自身がこのような表現をしたことはない。なのだそうだ。   でもこの我思う我とはミニナルセルフである   ミニナルセルフとは、自分の現在の状態や感情を認識する自己意識のことです。 ミニナルセルフは、自分の体や心の動きに注意を向けることで形成されます。 ミニナルセルフは、自分が誰であるかという問いに答えることはできませんが、自分が今どう感じているかという問いに答えることはできます。つまり、自己意識は自分の意識や感情があることは認識するが自分が誰かは答えられないのだ。自分とは    生きて来た日々の結実だからである。



2024年12月14日土曜日

本来的な自分という謎

 本来的な自分という永遠の謎。ハイデガーは、存在と存在することの違いを哲学し、本来的な自分であることとは、責任を引き受けることであると考えた、誰も引き受けることが出来ない自分として存在することが本来的な生き方というわけであるが、社会が分化し役割化が進みネットワークが広がりソーシャルサポートが拡充される中で、本来的な自分として存在することは時間とともに困難さを増している。自給自足に現れているような狭義の自立に固執することも今日の社会の有り様を踏まえると本来的とは言えないだろう、なぜなら私達は社会に拡張して存在するのだから。細胞が1つでは存在出来ないのと同じだ。本来的な自分とは何なのかもはや誰も知ることが出来ない、新実存論と同様に確認できないものは存在しないと考えたほうが良いのかもしれない。もう一度存在と時間を開いてみよう。

これは本来的なじぶん?



2024年12月13日金曜日

脳の奇跡をを生む「好奇心」と偶有性

脳は奇跡に満ちているその一つが未知に適応する偶有性であるが人には未知のものに惹き寄せられる心がある好奇心だ、この好奇心と偶有性の連鎖こそが創造性であるとも考えられるのだ。好奇心と偶有性の連鎖についてchatGPTで解説してもらった。

好奇心と脳の偶有性(セレンディピティ)について

好奇心と**偶有性(セレンディピティ)**は、脳の働きと人間の創造性を理解する上で重要なテーマです。好奇心は新しい情報や経験を求める動機づけとして機能し、偶有性は予期しない出来事や発見が価値ある知識やアイデアにつながる現象を指します。これらの相互作用を考えることで、好奇心がどのように偶有的な学びや発見を促進し、脳が新たな創造性を発揮するのかを論じることができます。


1. 好奇心と脳の活動

好奇心は脳内で以下のような神経メカニズムを引き起こします:

  • 報酬系の活性化:好奇心が喚起されると、脳の報酬系(特に腹側線条体や前頭前野)が活性化し、新しい情報を得ることへの期待が高まります。この期待が学習意欲や探求行動を促します。
  • 海馬の関与:好奇心が刺激されると、記憶形成を担う海馬の働きも向上します。この結果、新しい情報が効率的に記憶され、長期的な知識の蓄積が進みます。

これにより、好奇心は単なる感情ではなく、脳の学習や情報処理に深く関与するプロセスであるといえます。


2. 偶有性(セレンディピティ)と脳の柔軟性

偶有性とは、特定の目的で何かを探している最中に、予期せぬ発見をする現象です。この現象が起こる背景には、脳の認知的柔軟性と情報処理の仕組みが関係しています:

  • 脳の連想ネットワーク:脳は情報を連想的に処理するため、異なる経験や知識が予期せぬ形で結びつき、新しい洞察を生み出します。これが偶有性の基盤となります。
  • 注意と意識の揺らぎ:偶有的な発見は、注意が完全に集中している状況よりも、むしろ注意が柔軟で揺らぎのある状態(マインドワンダリングなど)で起こりやすいとされています。この状態では、脳が広範な情報を探索し、予期しない関連性を発見する可能性が高まります。

3. 好奇心が偶有性を促進する仕組み

好奇心は、偶有性を引き起こす可能性を高める重要な要因です。その理由を以下に述べます:

(1) 環境探索の拡大

好奇心によって人は新しい情報や未知の状況に積極的に接触するようになります。この探索行動が、偶有的な発見の機会を増加させます。たとえば、科学者がある仮説を検証するために実験を行った際、予想外の結果を得て新しい理論を提唱することがあります。

(2) 多様な情報の統合

好奇心は異なる分野やテーマに対する興味を喚起します。これにより、多様な情報が脳内で統合され、偶有性による新たなアイデアが生まれる土壌が形成されます。

(3) 不確実性への耐性

好奇心旺盛な人ほど、不確実な状況や未知の情報に対して前向きに対応する傾向があります。この態度が、偶有的な発見を受け入れる柔軟性を高めます。


4. 好奇心、偶有性、創造性の相互作用

好奇心と偶有性の関係は、創造性とも密接に結びついています。創造性は、既存の知識や経験を新たな形で結びつけ、新しい価値を生み出す能力です。この過程において、好奇心と偶有性がどのように寄与するかを以下に示します:

好奇心の役割

好奇心は、創造的プロセスの始まりを担い、新しい情報や視点を取り入れるきっかけを作ります。

偶有性の役割

偶有性は、好奇心によって得られた多様な情報をつなぎ合わせ、新しいアイデアや洞察を生み出します。

たとえば、歴史上の多くの偉大な発見は、偶有性と好奇心の相互作用によって生まれています。ペニシリンの発見(アレクサンダー・フレミング)は、細菌培養実験中の偶然の観察がきっかけであり、その背景には研究への好奇心と探究心がありました。


5. 実践への応用

好奇心と偶有性を活用するためには、以下のような環境や習慣が効果的です:

  • 多様な体験の提供:新しい場所やテーマに触れる機会を増やすことで、偶有性が生まれる可能性が高まります。
  • 好奇心を支える教育:教育現場では、学習者の興味を引き出し、不確実性を歓迎する姿勢を育むことが重要です。
  • 創造的な余白の確保:集中してタスクに取り組むだけでなく、自由に発想を広げる時間を確保することも偶有性を促進します。

結論

好奇心と脳の偶有性は、人間の認知的・創造的なプロセスにおいて相互に補完的な役割を果たします。好奇心が未知の探索を促し、偶有性がその過程で予期せぬ発見を可能にすることで、個人の学びや創造性が飛躍的に向上します。この関係を理解し、実践的に活用することで、教育や研究、ビジネスなどの分野で新たな価値を生み出すことができるでしょう。

2024年12月12日木曜日

自己肯定感の根底にある好奇心

心理学者アルバート・バンデューラが提唱した「自己効力感」という心理モデルは、人々が自分の能力をどのように認識し、それに基づいて行動するかを理解する上で極めて重要な枠組みを提供しています。このモデルでは、自己効力感の形成過程が詳細に説明されており、特に以下のような要因が鍵となっています:

  1. 成功体験:個人が目標を達成した経験は、自己効力感を直接的に高めます。この体験が積み重なることで、自分自身の能力への信頼が強化されます。

  2. 代理体験:他者が成功する姿を見ることによって、自分にも同様の成功が可能であるという認識を持つことができます。この要因は、特にロールモデルや周囲の環境が重要な役割を果たします。

  3. 社会的奨励:他者からの励ましや支持は、個人が自信を持つのに役立ちます。これにより、挑戦に向かう意欲が高まり、努力を継続するエネルギーが得られます。

  4. 情動的・身体的状態:ストレスや不安をコントロールする能力も自己効力感の構築に寄与します。ポジティブな情動状態は自信を高め、ネガティブな情動はそれを妨げます。

さらに、バンデューラのモデルは「予期」という概念に基づいており、これは以下の2つに分類されます:

  • 結果予期:行動が特定の結果をもたらすかどうかに関する予測。たとえば、「努力すれば目標を達成できる」という信念がこれに当たります。
  • 効力予期:自分自身がその行動を成功させる能力を持っているかどうかに関する信念。「自分にそれができる」という確信がこれを示します。

メタ認知力の役割

結果予期において、メタ認知力が重要な役割を果たしていると考えられます。メタ認知力とは、自分の思考や行動を意識的に監視し、調整する能力のことです。この能力によって、目標達成の可能性をより正確に見積もることが可能となり、適切な戦略を選択できるようになります。たとえば、失敗した場合にも「どの部分が問題であったのか」を分析し、それを改善することで新たな成功につなげることができます。

自己肯定感と効力予期

一方で、効力予期には自己肯定感が大きな影響を与えるとされています。自己肯定感は、自分自身の存在価値や能力を肯定的に捉える感覚を指し、それが高いほど、自分の能力に対する信頼が揺るぎないものとなります。自己肯定感が高ければ、困難な状況でも自分の可能性を信じて努力を続けやすくなります。

モデルの統合と今後の課題

バンデューラの自己効力感モデルは、心理学的な基盤を提供するだけでなく、教育、組織開発、健康促進といった幅広い分野で応用されています。しかし、このモデルの実践的な適用をさらに詳細化するためには、メタ認知力の認知モデルとの統合が必要です。メタ認知力を活用することで、自己効力感の発達過程やその応用範囲をより具体的に示すことが可能になります。

例えば、教育現場では、自己効力感を高めるために生徒のメタ認知的な学習戦略を指導し、成功体験を意識的に積み重ねるよう促すことが考えられます。また、職場においては、フィードバックやロールモデルの活用によって自己効力感を強化する取り組みが有効です。

このように、バンデューラのモデルとメタ認知力の認知モデルを統合的に研究することは、人々が持つ潜在的な力を引き出し、持続的な成長を促進するための実践的な洞察を提供するでしょう。

メタ認知力と好奇心の関連性について

メタ認知力好奇心は、一見独立した心理的概念のように思われますが、実際には深い相互関連性を持っています。両者は学習や問題解決、個人の成長を促進する上で重要な役割を果たし、相互に補完し合う関係にあります。この関連性を以下に論述します。


1. メタ認知力の定義と好奇心との接点

メタ認知力とは、「自分の認知を認知する能力」、すなわち「自分がどのように考え、学習し、判断しているのか」を客観的に理解し、調整する能力を指します。一方、好奇心は、新しい知識や経験を追求しようとする感情や動機づけです。

両者の接点は、「自己の知的状態に対する意識と調整」という共通点にあります。好奇心が刺激されるとき、個人は未知の情報に触れようとする欲求を抱きます。この過程で、メタ認知力が自分の知識の不足を認識させ、さらに新しい情報を探索する戦略を選択する助けとなります。


2. 好奇心の駆動力としてのメタ認知

好奇心が発動するには、自分の現在の知識やスキルと、新たに得られる情報や経験との間に「ギャップ」が存在することが必要です。この「ギャップ」を認識する能力はメタ認知的なプロセスに他なりません。

たとえば、次のようなケースが挙げられます:

  • 既知と未知のギャップの認識:自分が知らないことを自覚することは、好奇心を喚起します。たとえば、「自分はこの分野についてほとんど知らない」という認識が新たな学習のきっかけを生みます。
  • 戦略的探求の指導:好奇心によって新しい知識を追求しようとする際、メタ認知力が効率的な情報収集や学習戦略を選ぶ指針となります。

メタ認知力を活用することで、単なる表面的な興味ではなく、より深い探求心が育まれます。これにより、好奇心が一過性のものではなく、継続的な学びや問題解決の原動力となるのです。


3. 好奇心によるメタ認知力の向上

逆に、好奇心はメタ認知力の向上を促します。新しい情報や経験を追求する中で、個人は自分の思考や行動を客観的に見直し、次のような学びを得ることができます:

  • 認知的柔軟性の強化:好奇心は、新しい視点や異なる考え方を受け入れるきっかけを提供します。これにより、自己の固定観念に気づき、それを調整するメタ認知的なスキルが発達します。
  • フィードバックループの活用:好奇心が個人を未知の領域に導くことで、成功や失敗の経験が蓄積されます。この経験を分析し、次の行動に生かす能力はメタ認知力の重要な要素です。

たとえば、新しい分野に興味を持った人が試行錯誤を繰り返す中で、自分の理解を深める方法や効率的な学習方法を発見するプロセスは、好奇心とメタ認知力が相互作用する典型的な例です。


4. 教育における応用

メタ認知力と好奇心の関連性は、特に教育分野で注目されています。これらを組み合わせて活用することで、学習者の主体的な学びを促進する効果が期待できます。

実践例:

  • 好奇心を喚起する教材や課題を提供することで、学習者が「未知のギャップ」を感じ、それを埋めるために積極的に行動するようになります。
  • 一方で、メタ認知スキルの指導(たとえば、自分の学習プロセスを記録する、自己評価を行う)を行うことで、学習者は好奇心を効率的に活用し、より深い理解を達成できます。

これらのアプローチにより、学習者は単なる情報の受け手ではなく、探求者として成長することが可能になります。


結論

メタ認知力と好奇心は、相互に補完し合い、個人の知的成長や創造的な探求を支える基盤となります。メタ認知力が好奇心の「方向性」と「効率性」を支援する一方で、好奇心はメタ認知力を磨くきっかけとなります。この相互作用を意識的に活用することで、教育や職場環境、個人の自己啓発において、より大きな成果を得ることができるでしょう。






2024年12月11日水曜日

コラボレーションの本質にある創発的人間関係

 グーグルが採用基準に創発的リーダーシップを掲げる中で、そもそもの人間関係を見ればその人が創発的か否かがよく分かる。経済合理性要するに利得で人間関係を考える人はまず人付き合いの中で何が得られるかを考える、創発的人間関係を考える人は、目的ではなく、可能性を考える。可能性とは他者のリソースの尊厳を認める行為そのものなのである。創造的態度とは、新しいもの変わっているものを歓迎するものである、創発的人間関係は常に多様性新奇性に鯛尾して開かれているものなのである。





2024年12月10日火曜日

私たちが運命に出会うために出来る事

 運命に出会うために必要なことは出来るだけ多くの経験を積むことに尽きる。以上。

運命は身体知でしか判断できない。そのために出来ることはとにかく多くの経験を積むことだけなのだこれは良し悪しでもないしどのような経験かというべき論でもない。




2024年12月9日月曜日

自由意志はあるのか

 哲学的でありかつ脳科学の領域では人間の自由意志についてながいこと議論がなされている、能の活動を測定すると意志よりも早く筋肉の運動を示す能の活動が測定されていて、人間には自由意志は無いという結論に至ったのである、しかしその後の研究ではわずかではあるが運動を止めるという自由意志はあったということに落ち着いたらしいがどうやら自由意志論争はまだ未決着であるのかもしれない。ハイデガー的に考えれば、本来的に生きていない世人には自由意志は無いということになるのかもしれない。他者の人格や尊厳を重んじるという倫理的な生き方はひょっとしたら自由な生き方ではないのかもしれない。しかし、倫理的な生き方とは他者に隷従することではなく、自由意志の調整であると考えれば本来的な生き方と自由意志の存在は対峙するものではないことがよくわかる。調整とは脳科学で言えば止める意志の現れつまり、言い換えれば我慢であり、節制であると言えるだろう心理学の縦断研究で有名なマシュマロ・テストでは。我慢ができるという性格と、その後の優秀さに因果関係が成立していたと言われている。つまり、社会的生活においては、我慢するという自由意志が貴重なのである。我慢するという自由意志は賢さの本質であるという研究もある。本当の自由とは、欲望を心の赴くままに振り回すことではなく、欲望を調整することなのである。



2024年12月8日日曜日

エリック・バーンとニーバー 2つの名言の根底に流れる自己肯定。

まずはよく知られる2つの言葉。

他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる

カナダの精神科医 エリック・バーンの言葉です。原文は下記の通りです。

You cannot change others or the past.

You can change yourself and the future.

ラインホールド・ニーバーの祈りの言葉。

神よ

変えることのできるものについて、

それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。

変えることのできないものについては、

それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。

そして、

変えることのできるものと、変えることのできないものとを、

識別する知恵を与えたまえ。

(大木英夫 訳)


いずれも「変わる」が主題なのであるが実はこの2つの言葉の根底にあるのは自己受容つまり、自己肯定である。ありのままの自分を受け入れることが鍵なのだ。ニーバーの祈りにはそのものずばり受けいれるという言葉まで出てくる。じぶんが変わったり変えられる(効力感)という信念の根底には自己肯定が強く深く根ざしているのだ。

あなたは今の自分が好きですか?(はい/いいえ)日曜朝に自問自答してみましょう。







2024年12月7日土曜日

プレイングマネジャーにおける不自由とは

テーマ 「自立と支援」

なすべきことを自ら決めて自ら行い成すことを自立というしかし自らの力では成せない場合他者に助けを請うことも立派な自立なのである。なんでもかんでも独力で成せることが自立ではない。もちろん独力で出来たほうが効力感は高くなるが成すべきことの難易度が高い場合は差配が重要になる。マネジャーとはこういった差配に長けた役割であって、何から何まで一人でこなす役割では無い。よく営業や販売の現場ではプレイングマネジャーが見かけられる。その多くは、メンバー時の高実績が評価されて報奨的にマネジャーに任用されたケースである。任用時の期待は優れた営業や販売のナレッジをメンバーに伝承するとことがあることもあるが、より大きな業績目標を成し遂げてほしいという、プレイヤー的期待の比率が多いことも実態だろう。営業や販売は自らの裁量で成績を出すことが出来る職種である。それ故スタンドプレーが身に付きやすいのであるが、それは自立ではないのだ。自信と満足がより一層のスタンドプレーを誘っていくが、マネジメントにとってそういった自己満足は不自由であって、自立したマネジャーにはなっていないことを気づかなければならない。




2024年12月6日金曜日

協働における人としての進化。

 協働でいちばん大切なことは学びほぐしのアンラーニングである。

産業組織における組織とは生産性を向上させる協働の一形態である(青沼1965)ために、非人間的側面機能としての人間論に光があてられがちであるが、最も重要なことは、他者の眼差しによって自らの信念を揺さぶっていく学びほぐしである。アンラーニングには機能的適応論と学びほぐしの2つのアンラーニングがある(長岡2021)もちろん機能的適応論が無意味だとは言わない適応はダーウィンの進化論の中では種の保存にとって最も重要な要因でもあるからだ。しかし、ダーウィンの進化論が反証されているように、進化とは非連続な創発現象である可能性も残されている。人としての進化は適応というよりむしろ、自分とは異なる他者との関わりから生まれる自己刷新なのである。




2024年12月5日木曜日

SNSには毎日新しい楽しみがある。

 ジェロントロジー(老年学)の権威阪大権藤教授は百寿者(センテナリアン)の研究を通じて、老年的超越の世界観を提唱する。超越の世界観の中にはに毎日新しい楽しみがあるというのがあるのだけれども、SNSはこれに叶っているだろう、兵庫県知事選挙名古屋市長選挙などでSNS批判が高まっているが高齢者にとってみればデマも事実も日々の新しい楽しみであることは間違いないもちろん大崎博子さんのように20万人もフォロワーがつく発信交流上手な高齢者も居るがROM読むだけの人にとっても、SNSは日々新しい楽しみの機会である。IT機器の操作習得というハードルはあるが、これからはスマホに慣れた高齢者がどんどん増えるだろうから高齢者のSNS利用は間違いなく増えるだろう。高齢者の情報リソースはテレビに新聞というステレオタイプは間違いなく消えていく今回の2つの選挙では、若者&SNSが選挙結果を左右したと報道されているが、それは偏見に基づいた明らかな見立て違いであろう。情報リソースは時代とともに変遷してきた、朝ドラ観ているとわかるが戦前は新聞ラジオがその後テレビにそして今やインターネットに移ろっているだけなのだ。車が売れなくなり、お酒を飲まなくなり同ようにテレビも観なく新聞も本も読まなくなる。それは、恐らく年齢とは無関係である。

もちろん染み付いた習慣から抜け出せない人もいるだろう。しかし幸福な百寿者の世界観を知るに、SNSの方が圧倒的に勝っていることは間違いないからである。SNS害悪説の偏向報道を繰り返すオールドメディア高齢化社会の敵でもあるのだ。





2024年12月4日水曜日

対話?関与?交流?基礎信頼?

 対人関係における他者に対する基礎信頼(ベーシックトラスト)は

幼少期の人間関係が大きく影響していると言われる。

基礎信頼は良好な人間関係の基礎となるものであり、あらゆる社会的活動に影響を及ぼすものである。心理学者エリクソンの発達段階説では0歳〜1歳半の乳児期の発達課題として基礎的信頼を、心理社会的危機として不信を挙げている。課題を乗り越えることによって得られる力は希望である。この発達課題は概ねその時期に獲得されるものであって、その時期でなければ獲得出来ないものではないと言われている。だからより成長した時期であっても、基礎信頼の獲得に挑むことは出来るのだ。そのために有効なのが対話であり、対話における積極的に聴く姿勢は基礎信頼を培うトレーニングにもなるのだ。聴くち話すのコミュニケーションは他者に関わる交流するという身体知になるのだ。もちろん交流するなかで共感、など、心を通わせる身体知も獲得することになる、エリクソンの分析によれば基礎信頼や共感する心の醸成にともない心理社会的危機は解消され未来への希望も育っていくのである。



2024年12月3日火曜日

対話の強制すなわち学習の強制

 対話には基礎信頼と建設的相互作用という複雑化し予測不能となる社会においては問題解決能力を高める仕組みが内在されている。そこで、発生するのが対話の強制だ、国家間紛争や、組織運営における1on1の導入など、こんちは強制的に対話の場作りがなされており、こんにちは対話の時代というより、対話が強制される時代なのである。かつて朝鮮戦争時代の学習研究からEシャインは、生存不安が学習不安を上回った時に学習が起こることを論述し戦後のIBMなどでの人材育成が教育ではなく教化という概念で推進されたことにも言及している。つまり、今日の対話の強制は言い換えると学習の強制なのだ、シャインの分析によれば、強制的な学習は生存不安にさいしてのみ有効である。企業研修、人事制度といった強制的な学習が有効に働くのは評価や処遇と接続した場合なのである、心理学では、強制されると反発するリアクタンスという心理が生まれることが知られている。この強烈な心理作用と折り合いをつけるうえで必要なのが生存不安なのかもしれない。



2024年12月2日月曜日

SNSリテラシーの次の段階

幸福は人格である。ひとが外套を脱ぎすてるやうにいつでも氣樂にほかの幸福は脱ぎすてることのできる者が最も幸福な人である。しかし眞の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去ることもできない。彼の幸福は彼の生命と同じやうに彼自身と一つのものである。この幸福をもつて彼はあらゆる困難と鬪ふのである。幸福を武器として鬪ふ者のみが斃れてもなほ幸福である。機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現はれる。三木清「人生論ノートより。)

哲学者三木清が現在に生きていたらどう思うのだろうと考えさせられるくらい、SNSやメディア巡る状態は酷い。不機嫌、乱雑、不親切、被害意識に神経質な非難の応酬と微塵も幸福でない情報が巷に氾濫しているのだから。それらの情報を発信している人は幸せをトレードオフで考えているようだ(秦野広志)他人を不幸にすることで自分が幸福になれると信じて疑わない、だから、相手が怒り困惑するほど、図に乗って攻撃するのだ。今、情報リテラシーが問われているが、次の段階は自らの幸福に気がつくことなのである。






2024年12月1日日曜日

大谷翔平選手に観る目標という意識の無意識化(身体知化)

これこれはかの有名な大谷翔平選手が花巻東高校古代に作ったと言われる目標管理シートである。今更これを眺めると、大谷選手のプレーは全て意識的に身体化されたものであることがよくわかる。あの場面のあのプレーが全てこのシートに結びつくのだ。今シーズンは投球が無かったけれどリハビリもこのシートには書かれているように思える。いずれにしても、目標を作った時は、身体化されていない状態である。それが、メジャーリーグで大活躍した今年はほぼすべてが身体知化されていることは、驚きばかりでなく、身体知化がいかに行われるのかを知るうえでも貴重な実例となっているのである。



 

2024年11月30日土曜日

成果を出す人がいる成果を出す成果を出すスキルという様なものはない

 活躍する人が居る活躍する能力というようなものはない、下記は小林秀雄が * 梅若 の 能楽堂 で、* 万三郎 の「* 当麻」 を 見 て記した一文の抜粋であるこの一文の中でも 美しい「 花」 が ある、「 花」 の 美し さ という 様 な もの は ない。 という世阿弥 の「美」のそして「花」のん観念に言及した部分は生成される知識の有り様として極めて示唆深いものである、例えばある組織の中で活躍する人がいたとして、組織の文脈から切り離して活躍を取り出すことは出来ないことも同様だからだ、活躍は常に組織の躍進とともにあるもので、こうした、文脈依存性を能という芸能のを通して観念化しているそれは、このブログのタイトルや冒頭の一文のように様々にオマージュして巷にあふれる還元主義的思考に大いなる問いを引き起こすことが出来る、アブダクションによる還元思考による原因と結果という構造化による責任論に見える無責任論を蔓延させている現状において事象の本質を理解する気づきを与えてくれるのだ、



そして 又、 僕 は、 無 要 な 諸 観念 の 跳梁 し ない そういう 時代 に、 世阿弥 が 美 という もの を どういう 風 に 考え た かを 思い、 其処 に 何 ん の 疑わしい もの が ない 事 を 確かめ た。「* 物数 を 極めて、 工夫 を 尽し て 後、 花 の 失せ ぬ ところ を ば 知る べし」。 美しい「 花」 が ある、「 花」 の 美し さ という 様 な もの は ない。 彼 の「 花」 の 観念 の 曖昧 さに 就い て 頭 を 悩ます 現代 の 美学 者 の 方 が、 化かさ れ て いる に 過ぎ ない。 肉体 の 動き に 則っ て 観念 の 動き を 修正 する がいい、 前者 の 動き は 後者 の 動き より 遥か に 微妙 で 深淵 だ から、 彼 は そう 言っ て いる の だ。 不安定 な 観念 の 動き を 直ぐ 模倣 する 顔 の 表情 の 様 な やくざ な もの は、 お 面 で 隠し て 了 う が よい、 彼 が、 もし 今日 生き て い た なら、 そう 言い たい かも 知れ ぬ。   僕 は、 星 を 見 たり 雪 を 見 たり し て 夜道 を 歩い た。* ああ、 去年 の 雪 何処 に 在り や、 いや、 いや、 そんな ところ に 落ちこん では いけ ない。 僕 は、 再び 星 を 眺め、 雪 を 眺め た。

小林秀雄. モオツァルト・無常という事(新潮文庫) (p.70). 新潮社. Kindle 版. 


2024年11月29日金曜日

データサイエンスは成果主義の二の舞か

 大谷翔平選手の2024年シーズンの成績は以下の通りであった。文句なしの成績でMVPも獲得したがこのデータだけから大谷翔平選手の本当の意味を見出すことは出来ないだろう。実はこれほどデータからだけでは本当の姿が見えないことを実感できる事例も稀有であるなぜなら私たちは大谷翔平選手のプレー態度の目撃者であるからだ大谷翔平選手の貢献は成績と言う数字に現れない行動にあったことを多くの人が目撃しているチームの信念に従い規範のに沿って状況に適応したプレーを考えて選択し時に勇気あるプレーでチームの士気を鼓舞するその上での成績なのである決して自分の成績のためにプレーしたわけでは無いことを世界中の人が目撃した

さてかつて多くの企業が業績至上主義で成果主義を導入したがその多くは失敗として記憶されている成果を目的とした経営は組織を腐敗衰退させ東芝、ビッグモーターと言う業界のリード企業が表舞台から消えることになったことは記憶に新しい。一方経済の疲弊によりアメリカ大統領選挙ではトランプが返り咲いたけれど、実はバイデン政権でのインフレはその前のアメリカ第一で成果主義的経済政策を行なった前トランプ政権の経済政策の結果だとも言えるだろういずれにしても成果に基盤を置くとプロセスが狂ってくるのだ、データサイエンスの多くは結果数値に基盤があり文脈であり、プロセスに散りばめられている意味は置き去りになっていることを思い出すべきであろう。結果数値で人を理解出来たと考えることは大きな間違いだと、大谷選手は教えてくれるのである

大谷選手の2024成績

▽出場 159試合(自己最多、チーム最多)

▽打率 3割1分(リーグ2位、自己最高)

▽ホームラン 54本(リーグ1位、自己最多、ドジャース球団新記録)
▽打点 130(リーグ1位、自己最多)
※松井秀喜さんの持つシーズン116打点の日本選手最多記録を更新。
▽盗塁 59(リーグ2位、自己最多)
※36回連続成功でシーズン終了し、成功率93.6%。
※イチローさんの持つシーズン56盗塁の日本選手最多記録を更新。
▽得点 134(リーグ1位、自己最多)
※イチローさんの持つシーズン127得点の日本選手最多記録を更新。
▽安打 197(リーグ2位、自己最多)
▽OPS(出塁率+長打率) 1.036(リーグ1位)

2024年11月28日木曜日

経験の意味化と無意味化

 生き物は過去の経験を未来の可能性を拓くために使っている、例えば、マルチモーダル(多感覚)で知識化されている脳内でネットワークとして再構築される記憶は部分感覚(例えば嗅覚や聴覚などからも全体想起が可能で、危険を察知したり、何かを見つける時に役立つ、例えばファイルををどこに置いたかわからなくなった時に、ファイル名や作成日時などから検索を行い見つけるようなものである、ネットワーク理論ではトランザクティブメモリー理論とよばれるものである

トランザクティブメモリーとは、同一の知識を組織の全員が記憶するのではなく、組織内の「誰が何を知っているか(Who knows What)」を共有することを重視するという考え方です。 1980年代にアメリカのハーバード大ダニエル・ウェグナー氏によって提唱されました。 組織力向上のために必要な情報共有の姿をあらわします。


経験を意味化するとは、経験を手がかりに未来の可能性を高めることなのである、意味化があれば無意味化もある、暗黒史といった形でネガティブに捉えて意味付けを回避するむしろ記憶から消去しようとする意識である、脳内の記憶のネットワークは学習により強化されることが知られているから思い出そうとしない意識を持つと記憶のネットワークは弱まりやがて消えてしまう、無意味化とは認知リソースとしての経験の紛失なのであろう、




2024年11月27日水曜日

老年的超越に見る幸福の4つの因子の誤謬

 ジェロントロジー(社会学的老年学)の第一人者阪大の権藤教授は、百寿者センテナリアンの調査を通じて幸せな百寿者の心境を老年的超越という形で述べている、一方で、慶応の前野教授が提唱する幸福学では、幸福の4つの因子を掲げる、人間の心を統計的手法である因子分析によって解明するというアプローチは心理学者レイモンドキャッテルにより一般化した手法であるが、定量的なアプローチは、縮約により、大まかな共通点が見いだせるものの個々の個性や文脈をも消し去ってしまうことは課題として認識されている、センテナリアンの研究は、百歳以上の高齢者一人ひとりと向き合ってインタビューを行うという手間のかかるものであるが、統計解析で縮約されてしまう情報にもしっかりと、脚光があてられその結果見えてくる、老年的超越は因子分析では消し去られてしまう、個人の文脈における幸福の共通性であるとも、言える、老年的超越の「出来ることが減っても悔やまない」「ひとりでいても孤独を感じない。」「成功を欲しない見栄を張ろうという意識を持たないなどは幸福の4つの因子「自己実現と成長」、「つながりと感謝」、「前向きと楽観」、「独立と自分らしさ」とある面では相反している、もちろん一致していると解釈出来る部分もあるが。因子分析では相反するものは縮約されて消えてしまうのだ。なんとなく共通におもえるけれどちょっと違和感がある。因子分析とはそのようなものなのだ。百寿者の定量データが大量に収集出来れば因子分析も通用するようになるかもしれないが、その人に寄り添ってリアルな人生から幸福の心境を知るという知識生成に勝るものは無いだろう。




2024年11月26日火曜日

真剣さも伝播する

哲学者三木清は「幸福は人格である。ひとが外套を脱ぎすてるやうにいつでも氣樂にほかの幸福は脱ぎすてることのできる者が最も幸福な人である。しかし眞の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去ることもできない。彼の幸福は彼の生命と同じやうに彼自身と一つのものである。この幸福をもつて彼はあらゆる困難と鬪ふのである。幸福を武器として鬪ふ者のみが斃れてもなほ幸福である。機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現はれる。」という人生論ノートより。幸福とは常に外に現れ他人に伝わるものであるという、幸福はモノ的ではないがコト的に観察出来るものなのである。しかしコト的に知識を生成する認知的リソースは幸福だけでは無い例えば真剣な眼差しも外に現れ他人に伝わる認知的リソースなのである、チクセントミハイはそれをフローと呼んだ。時が経つのも忘れて集中力を発揮している状態は他人の心を動かしモチベーションを向上させるリソースになるのだ。



2024年11月25日月曜日

選挙も創発創発への理解不足が世界を歪める

 衆議院選挙に兵庫県知事選挙と、2024年も暮れに向かって突き進んでいる、やれSNNSの力だSNSはフェイクだらけだと騒がしいが、いずれにしても意図がどこにあるのかわからない、選挙結果を因果に還元することも出来ないメディアで取り上げられている因果は全て確認出来ないものばかりで言ったもん勝ちなものばかりである、それらの事実を考えると、選挙結果も創発現象であると理解した方が良い、大局的アトラクターの出現が大勢として可視化されただけなのだ。その理解においては、マスメディアもSNSも、某政党党首も関係ない。グローバルアトラクターの出現においてスレービング原理が働いた可能性はあるが、意図不在還元不能だからそれすらも、検証出来ないのである、そういう自分でも、アメリカ大統領選挙語の解説やら某党首のYOUTUBEやらついつい観てしまう人間は因果律にかくも弱い存在なのである。人の苦悩を説いたブッダの十二支縁起も全てアブダクションなのである、



2024年11月24日日曜日

形あるものはいつかは壊れる、データもいつか無くなる、そんなデータを人質にとって喜ぶ草、

 パソコンやネットワークがウイルスに感染し自分のデータにアクセス出来ない。こんな恐ろしいことが日常化してしまった世界では悪意をウイルスだけでなくまともに見えていたサービスまでも、同じようなことをはじめてしまった。evernoteというクリッピングのソフト、課金モデルへの強制移行で、サブスクしないと、自分の過去のデータにアクセス出来ないという暴挙に出ているかつては、有料でつかっていたけれど、有料版の利用を止めたらこの始末、もう過去のデータは使わないことにした。こんな極悪非道なサービスを考える奴らのサービスを使うなんて極めて危険だからだ。時に過去クリップしたデータを観たくなることもあるけれど、無くなってしまったと思えばあきらめもつく。諦めてしまったほうが楽である。昔、茶碗とか割ってしまったら親は形あるものはいつかは壊れると諭してくれたが、データも同じだ。データは記憶といっしょでいつしか消失する。そう考えておくと消えてしまったら命に関わるような重要なデータなんて無い。データも散逸構造なのだという自覚こそが、重要なのだ。



2024年11月23日土曜日

寝て待つ熟成の妙

多くの食材では熟成というプロセスが重要な意味を持つ、採れたてよりも、少し寝かせたほうが旨味も味わいも増すと言われるがそれは恐らく思考も同じだ、稀代の教育者大村はまさんは考えることの大切さを説き、最初に思い浮かぶことはその人の思考の癖であると言うつまり思いついたことをそのまま口に出すのは止めたほうがいいのである。あの人いつも同じこと言っているよねとなり、その人の人格と認知されてしまうからだ。だからどんなことでも、思いついたら一旦寝かせる癖を身に着けたいものである。




2024年11月22日金曜日

創発のデザイン?

 創発とは意図不在還元不能な現象だからデザインは出来ないことになるしかし創発が起こることで知られる対話はデザインが可能だと考えられているどのような知識が創発するかはわからないものの創発がおこることは経験則から再現性が認められるのだ、対話のデザインの中核にあるのはコミュニケーションのグラウンドルール(フラットな立場でで他者の発話を尊重するといったもの)そこに、対話の場づくりのためのグランドルール(自作自演といったもの)が加わったものである。これは、対話が関係性の上で成り立つものであること、に起因するものであることが大きいしかしこれらのグランドルールはネットワーク理論からみても妥当性が高いと思われる。創発という現象がどういう状況で生じるのかは創発が起きやすい場を作ることは可能である。創発の重要なメカニズムである、自己組織化する散逸構造とスレービング原理によるグローバルアトラクターのために必要となる、条件までは整えられるのである、しかし、条件が整っても、何が創発するかは誰にもわからない。目的志向成果主義で創発をでざいんすることはどこまで行っても不能なのである。



2024年11月21日木曜日

モノ的人材感とコト的人材観の根底に根ざす存在と知識への誤解

 存在としてではなく存在者としての記述においてはもの的存在ではなくこと的存在として文脈で記述することが必要でそれは哲学(ハイデガー)と認知科学(鈴木宏昭さん)の論の交差である。

たとえば人間は「今、この瞬間」だけを生きているわけではありません。人間にはそれまで生きてきた過去があり、その記憶があります。また、これから歩んでいく未来があり、それへの期待や不安を抱いています。こうした過去や未来とのつながりから切り離して、人間が生きている現在を理解することはできません。そうである以上、私たちが当たり前と見なしている存在の概念は、人間の存在を説明することができないのであり、そこに限界がある、ということになります。

NHK 100分 de 名著 ハイデガー『存在と時間』 2022年 4月 [雑誌] (Japanese Edition) (p.26). Kindle 版. 

面応答性というものが(有用な)知識を考える上でだいじだと前に述べた。しかしこれには難問が含まれている。もし知識に場面応答性があるとすれば、知識は場面ごとの情報を含んでいなければならない。しかし今後出会うであろうすべての場面に関して、それを事前に予想して知識に貼り付けておくことは不可能だ。なぜならどんな場面に遭遇するかなどはわからないからだ。この問題は人工知能の分野ではフレーム問題と呼ばれ、解決不能とされている。

。場面にうまく対応するようなモノが、私たちの記憶という引き出しの中にしまってあり、引き出しの中をうまく整理しておけば、すぐに探したい知識は見つかる、そんなイメージである。これをモノ的知識観と呼んでおく。知識がモノとして存在しているのではなく、その場その場で生み出される、つまり創発されるということを示している。知識についてのこのような創発的な見方を、コト的知識観と呼ぶことにする

鈴木宏昭. 私たちはどう学んでいるのか 創発から見る認知の変化 (Japanese Edition) (p.53). Kindle 版. 

これは自己認知という自分自身に関する知識においても同様である、

つまり「存在」としてのモノ的自分と「存在者」としてのコト的自分は、哲学においても認知科学においても重要な命題なのである、にもかかわらず、リスキリングなど、学習における世界観は存在であり、モノ的知識観による人材論なのである

モノ的自分とコト的自分の違いは創発という現象の理解にかかっている高度な知性は蓄積されているのか場面とのカップリングにより創発されると考えるのか、誰もが自らに問わねばならないのである。




2024年11月20日水曜日

情報リテラシー

 今回の兵庫県知事選挙は情報リテラシーの在り方を浮かび上がらせることになった。事実はわからないけれど、兵庫県民の選択は事実だからそこだけは疑いようがない。不信任、失職、再選という現実で理解するのが正しいリテラシーであるが、情報発信者は、現実かわからない話で態度を表明するというスタンスが浮き彫りになってしまっている。



2024年11月19日火曜日

対話の時代の本質持続可能性という不安心理

 現代は恐らくこれまでにないほど対話が重要視されている時代ではないだろうか、幼児教育から企業の人材マネジメント、紛争の緩和など、あらゆる場面で対話が求められている、対話には建設的相互作用による問題解決の創発という功利的な側面もあれば、他者の尊厳を重んじるという倫理的関係構築といった側面もある。社会が複雑化し混沌とすればするほど新たな秩序が求められるわけであるが、その際に重要なのが関係性と、建設的問題解決なのである、意識のメカニズムの理論化である、フリーマンの意識理論で考えれば意識とは脳内に出現する大域的アトラクターの生成と崩壊といった明滅気づきの連続である。脳の細胞間に他の細胞の尊厳を重んじると言った働きがあるわけでもない。細胞の関係性は常にフラットなのである、脳内で、混沌から秩序が明滅出来るのは、このフラットな関係性に寄るところが大きいのかもしれない、それに比べて、人間社会では構造化により秩序を持続しようとするので、秩序が揺らぐと大騒ぎになる、脳内のダイナミズムに比べると私達は極めて静的であろうとするのだ、この構造化の原動力になっているのが不安である、本来的な存在としてではなく、求められる存在となることでで責任を回避し不安に対処しているのではないだろうか。不安心理が秩序の不自然な持続に執着し生命のダイナミズムを日常生活から奪っていることのカウンターとして対話が重視されるのかもしれない。



2024年11月18日月曜日

不信任からの再選で民主主義の本質を問う。

 兵庫県知事選挙が今までの日本の民主主義とは異なる様相を見せた。パワハラで議会から満場一致で不信任された知事が選挙で再選されてしまったのである。そもそも県議会議員は民意によって選ばれているのだから民意の不一致と言う民主主義では極めて異常な事態なのである。

民意と議員の乖離や民意の捻れは恐らく民主主義では想定外の出来事であろう。マルクス・ガブリエルはあらゆるSNSは結果として民主主義を弱体化させると語るが、今回の選挙ではSNSの果たした役割が大きかったと分析されている、マルクス・ガブリエルの言う通りであれば、斎藤知事の再選は民主主義弱体化の象徴なのかもしれない。パワハラ疑惑がマスメデアによる大々的なキャンペーンだとすれば、今回の選挙ではマスメデアによるキャンペーンの敗北であったとも言えるロシア中国でSNSを徹底的に遮断するのも納得出来る。マルクス・ガブリエルの論拠はSNSは誰もが他者を攻撃できることであるが、今回はマスメディアによって攻撃された人を護るという働きをしたどうやらマルクス・ガブリエルはの考察は甘かったようだ、民主主義においてSNSだけが他者を攻撃する存在では無いからだ。既存の秩序は常に倫理的であるとは限らない。そう考えるとSNSは民主主義を本来的倫理的にに機能させるともいえるからだ。



2024年11月17日日曜日

大谷翔平選手に観るチームビルディングに必要なこと

 チームビルディングは協働において重要なマネジメントである、チームビルディングのワークショップなどで行うのは、チーム名を決めるタスクや好きなものなどの共通点を見出すタスクだ。敷居の低い協働や、相互理解の醸成から始めるわけだ。さて、ワールドシリーズで優勝したドジャーズ大谷選手の果たした役割は、バッティングや盗塁といった直接的な貢献だけでなくチームの力を引き出した献身的な態度はチームメートの発言からもうかがい知ることが出来た。個人プレイに走りがちなプロ集団の中にあってチームのために何をすべきかを常に優先した大谷選手の姿勢はドジャーズというチームビルディングにおいてかなり効果的に機能した違いない。面白かったのはドジャーズと対戦したパドレス、メッツヤンキースなどのチームでも中心選手がチームビルディングに動いたシーンが多々確認出来たことである。つまり、大谷効果はドジャーズに留まらなかったのである結局。プレーでの実績だけでなく愛犬まで登場させてチームビルディングを行った大谷選手の勝ちであったわけであるが。




2024年11月16日土曜日

2種の選択

 アリストテレスが枢要徳として掲げた賢慮は、状況を的確に把握し正しい選択を下す賢さである。わかりやすく言い換えると判断力ということになる。さて、この判断を行う場面には、能動的実験的場面、所謂挑戦と、降り掛かってくる偶発的場面がある、進路や就活などは能動的実験的場面である、自然災害などは偶発的場面であるが人生にはこういった場面が順不同で訪れてくる、その際にどのような賢慮を発揮してきたのかがその人にとっての人生の意味になると言っても過分ではないだろう、



2024年11月15日金曜日

キャリアは死語か流行語か

 HRアワード2023でHR最優秀賞を獲得した富士フイルムホールディングス株式会社

変化を成長のチャンスに!100人100通りのストーリーを紡ぐ自己成長支援プログラム「+STORY」は、社内ではキャリアという言葉を使わず+STORYという言い方で、あらゆる経験を意味づけし、新たな経験に挑む組織文化を再浸透させようというものであった。というの元々歴代の経営トップ故小林陽太郎氏は挑戦と成長という信念で富士フイルムを育んできた。

その後時代の荒波にのまれることなく、世界に名だたるエクセレント・カンパニーの地位を保ち続ける組織力において小林陽太郎氏の信念が果たしている役割は決して少なくないのではないだろうか。しかし、世の中がキャリアという流行語で塗りつぶされていくなかで、人生における仕事の意味づけよりも、キャリアにおける価値で仕事を測り比較するようなマインドセットが一般化して会社を侵食することに危機感を持った結果なのかもしれない。キャリアという流行語の勢いはまだまだ失われることは無い。この流行語に抗って死語にしてしまった富士フイルムの勇気に業界は拍手を送ったのであろう。さて、意味の次元においても、存在者としてもアイデンティティとしてのナラティブセルフは機能論ものとしての存在として人が語られてきた昨今の時代の中で大きなテーマなのである、




2024年11月14日木曜日

乗り越える力

 震災や豪雨被害など甚大な自然災害を乗り越えるのも、バブル崩壊といった経済的混乱を乗り越えるのも、昨日の自分を越えていくのも、すべて人が発揮する乗り越える力によるものだ、乗り越える乗り越える 力 って、「 自己 肯定 感」「 社会性」「 ソーシャルサポート」 という 3つ の パーツ から でき ていると 成田 奈 緒 子 (1963 年、 仙台市 生まれ。 神戸大学 医学 部 卒業、 医学 博士。)さんは言うさらに、  10 回 前後 くらい トレーニング する と、 脳 の 使い方 も 良く なっ て、 脳波 の 分布 も 正答 率 の 数値 も ぐっと 良く なる ん だ よ。 レジリエンス 得点 も 上がっ た の です が、 中でも「 おかげ さま」 と 思える 力、 ソーシャルサポート の 点数 が 一番 上がっ た  一方 で、 レジリエンス の もう 1つ の パーツ で ある 自己 肯定 感 は トレーニング し ても、 そこ まで 上がら ない ん です。 自分 なんて だめ だ と 感じ て しまう 気持ち は、 なかなか 変え られ ない。 社会性 も 同様 に 特性 でも ある ので 上げる のは やや 難しい。 でもね、 3つ の 要素 の うち 1つ でも 上げ られれ ば 全体 の レジリエンス の 得点 は 上がる ん です。成田氏は 困難 に 立ち向かう 力 が 上がる とも言う、つまり、乗り越える力は上がるけれども自己肯定感、社会性といった特性は生得的で上がりにくいのだそうだこの2つの特性に合わせて乗り越えるためには現状の的確な把握が欠かせないメタ認知と呼ばれる力だ、メタ認知は本能的な認知力であり誰にでも備わっているものであるが、それはモニタリングの力であって、コントロールする力と、メタ知識は、学習によって後天的に獲得されるものである、好奇心は、その大きな鍵ともなっている、



2024年11月13日水曜日

記憶も創発

 記憶のメカニズムもだいぶ解明されたらしい、記憶について、以下の要点が議論されています:NHKヒューマニエンス「記憶」より

1. **記憶の構造とメカニズム**  

   記憶は脳内でタンパク質によって形成され、神経細胞間の複雑なネットワークを通じて情報が保存されます。このネットワークは、星座のように各記憶が点と線で繋がり、体験ごとに異なる構造を持っています。また、海馬が記憶の統合を担当し、情動的な記憶は扁桃体にも関連しています。

2. **記憶の強化と弱化**  

   記憶の鮮明さは、シナプスと呼ばれる神経細胞間の接続の強さに依存します。繰り返し思い出されることでシナプスが強化され、鮮明な記憶として保存される一方で、積極的な忘却も重要な役割を果たしています。特に、スポーツなどの「体で覚える」記憶は、不要な情報を忘れることで、効率的な動作が可能になります。

3. **進化的な記憶の改変**  

   記憶の改変は、進化的な適応とされ、危険な状況に迅速に反応するためにざっくりとした記憶が有利と考えられています。これは、生存に必要な柔軟性を保つため、古い記憶に新しい経験が干渉することを許容するメカニズムです。

4. **忘却と記憶の洗練化**  

   記憶の「忘却」は単なる消失ではなく、脳が不要な情報を取り除き、重要なものだけを残すプロセスとして機能します。たとえば、ミクログリア細胞は不要なシナプスを「食べる」ことで、記憶ネットワークの整備を行い、情報を最適化しています。

5. **最新の記憶研究と応用**  

   記憶操作の分野も進展し、人工的に記憶を強化・消去したり、特定の記憶に情動を関連付ける技術も研究中です。これにより、PTSDなどの治療にも応用が期待されています。

以上の内容が、記憶の生成、保持、忘却の複雑なプロセスと進化的意義についての理解を深めるポイントです。

この一連の解説を見るに記憶も創発であることがよくわかる心は感情を司る辺縁系を中心とした大域的アトラクターであるのに対して、記憶は海馬を中心とした大域的アトラクターであるらしい。ゆえに、記憶は心と同期し、老年的超越の1つ、回想をするだけで楽しい、また、回想によって認知症が予防できるというメカニズムも説明できるのである。


星座のようなもの


2024年11月12日火曜日

創発な一日。自民党の大敗も揺れ動く心も、学びも1日の全ては創発なのである。

 なぜ創発なのか? 多くの要因や多様な主体が絡まり合いながら、相互に影響しあっているう ちに、ある時にエネルギーの向き方が一定方向にそろって、当初は思いもよ らなかった結果がポンと現出することがある。そんな現象のことを創発とい う。 自然科学の分野では昔から注目されてきた概念であるが、冷戦終結後あ たりから、社会がより流動的になってきたことに伴って社会科学的にも、注 目されるようになった。2005年の総選挙における自民党の地滑り的な勝利 も、日本の先行きに関する不安感や焦燥感が「改革を止めるな」というキー ワードでベクトルを与えられて一気に噴出した、創発的な現象と考えること ができるだろう。 創発的な動きの拡大は、国などの組織にとって、伝統的手法の見直しを 迫るものになっている。たとえば感染症への対応などがある。人がグローバ ルに往来するようになって、新種のウイルスが少数の人間によって思わぬと ころに拡散され、世界複数の場所で突然同時多発的に流行が生まれ、急拡 大することを想定しなくてはならなくなってきている。このような事態を防 ぐためには、国の枠を超えて協調して監視し、小規模な発症事例が出たら世 界のどこにでも、ただちに大量の医薬品を移送して拡大を阻止するような体 制を組まなければならない。過去のように、各国別に衛生状態を改善するだ けで「他国のことは知らない」といったことでは許されぬ時代なのだ。

創発する社会国領二郎 編著より転載。この本は2006年の出版であるがその後世界はコロナウイルスによるパンデミックに晒されウクライナとガザで戦闘が始まり2024年の衆議院選挙では自公が大敗を喫した。創発はその姿を変えある面では予言通りに社会において繰り返されているのだ。一方で脳科学におけるフリーマンの意識理論では、

脳内の意識はニューロンの集団活動によって形成されるとされています。ニューロンは独立して存在しながらも互いに情報を伝え、全体としてカオス的な秩序を持ちながら一つの集団として振動します。このニューロンの集団が統合され、「大域的アトラクター」として心の意識や気づきを生み出すと説明されています。大域的アトラクターは1秒間に約10回生成・消滅を繰り返し、脳全体にわたる意識の連鎖を形成すると考えられています。要するに誰もが1秒間に数十回も創発を明滅させていることになるのだ。それは、心である、さらに認知科学では、創発という認知的変化こそが知識の生成であり学習だと考える。要するに激変する社会情勢も日々喜び悩むといった揺れ動く心も、学習も、全て創発という意図不在還元不能な現象なのである。

創発を理解するには混沌から秩序が生まれる自己組織化する散逸構造を理解しなければならなず、知覚、認知するよりは遥かに困難なのである、意図不在還元不だから、アブダクション(類推)出来ないのだ。物事を類似性から理解することに慣れている人にとって理解できないというものが創発なのだ、だって自分の心とコロナパンデミックは同じ現象なんだよと言われて理解出来る人は創発の研究者くらいのものである。心とは何かという問いの答えは今日でも出ていない、コロナパンデミックも、その社会に与えた甚大な影響は誰もが肌身に感じているがなぜ起きたのかは誰も理解出来ていない、理解出来ないところから誰かのせい(陰謀論)にしたり、あれはウソだとフェーク化したりするのである、理解できないことは人に不安心理を引き起こすから、その不安を回避するために都合の良い事実を想像してしまうのである。

そう誰もが理解不能な創発にどっぷりと浸かった日々を過ごしているのである。






2024年11月11日月曜日

過去を切り離す企業人事の不安

。「今、この瞬間に、モノが目の前にある」という理解の仕方だけで、あらゆる存在を説明することができるのでしょうか。ハイデガーは、そうではないのではないか、と疑問を呈します。こうした存在の概念では説明のできない存在のあり方、あるいはそれによって見えなくなってしまう存在のあり方も考えられるのではないか、というのです。たとえば人間は「今、この瞬間」だけを生きているわけではありません。人間にはそれまで生きてきた過去があり、その記憶があります。また、これから歩んでいく未来があり、それへの期待や不安を抱いています。こうした過去や未来とのつながりから切り離して、人間が生きている現在を理解することはできません。そうである以上、私たちが当たり前と見なしている存在の概念は、人間の存在を説明することができないのであり、そこに限界がある、ということになります。

わたしたちは現在、「存在している」(ザイエント)という言葉で、そもそも何を言おうとしているのかという問いに、何らかの答えをもっているだろうか。いかなる答えも、もっていない。だからこそ存在の意味への問いを、新たに設定する必要がある。

NHK 100分 de 名著 ハイデガー『存在と時間』 2022年 4月 [雑誌] (Japanese Edition) (p.27). Kindle 版. 

ハイデガーによれば恐らく組織における人は存在者ではなく眼の前にある存在である。一番わかりやすいのは機微な情報だとして過去は問えないという暗黙の了解である。これは、フロイト心理学の悪しき浸透があるのかもしれない、過去のトラウマ体験はその後の精神状態に悪影響を受けているのかも知れない、過去を問うてメンタルになってしまったら困るという杞憂であろう。その一方でキャリアビジョンなど未来志向は強要しているのだからおかしな話ではないか


過去にはいわくがついている?