2021年9月30日木曜日

デザインと創発とは

 デザインとは夢を実現するためのプロセスである。と言う定義が、僕は大好きだ。複雑系科学の考え方にも通じていると思うからね。

そして。そのプロセスが僕達を、運命へと導き人生に複雑にしながらそこに目的と意味を創発していくのだ。

このブログはその実践と学習よの記録でもある。

人は夢があるのであればそれをどうすれば実現できるのかデザインしなければならないのだろう。

昨日行われた自民党の総裁選でもしようりはそのデザイン力の違いにあったように思える。高市さんといち早く共闘さ岸田さんに軍配が上がったよね。そこで気になるのは。首相になることが夢じゃないよねということである。国トップになるわけだから日本をどんな国にしたいのだろうか。そのためにデザイン力を発揮して欲しいものだ。



明日は荒れ模様かな



2021年9月29日水曜日

自分の身体を乗りこなす



 僕が今リハビリで取り組んでいるのは。自転車に乗れない人が乗れるよう練習するのと同じようなものかもしれない。僕は親が交通事故を危惧して小さい頃自転車を買ってもらえなかった。だから小学生の頃は友達が自転車で走って行く後を走って追いかけていた記憶がある。しかし、せめて乗れるようにと。親は神宮外苑や皇居近くで行われていた自転車の貸し出しに僕を連れて行き自転車の練習をさせてくれた。僕は運動神経もそれほど良い方ではなく。乗れるようになるまでだいぶ時間がかかった記憶がある。連取中は誰もがそうであるようにふらついて何度か転んだ。それは今の僕の歩行訓練と同じである。ふらついて時に転びそうになる危ない時は親の代わりに療法士や看護師が支えてくれるから実際に転ぶことはない。目標は自転車の時と同じ介助や補助輪無しに乗りこなせるようになることである。

自転車は重いし硬いから倒れそうになるのを支えるだけでも痛いんだよね。リハビリではまひした左手左脚が重いし。時に痛みが出るんだよねー

僕は思い通りにならない自転車のかわりに自分の身体を乗りこなす訓練をしているのだ。上手に、乗りこなしてこけたりしない介助を必要としないようにね。自転車の時もそうだったように決して僕にとっ簡単なことではないけれど不具合はあるけれど自分の身体なんだから上手に乗りこなせるようになれたら便利なことこのうえ無いよね。自転車に乗れるようになって初めて風を切って走った爽快感をリハビリが終わった時に是非もう一度味わってみたいものである、

2021年9月28日火曜日

QOLを考える

 僕が今入院しているリハビリテーション病院のリハビリテーション部には理念基本方針が掲げ晴れていて。患者のQoLの充実とされている。さて、僕の人生が今はリハビリ人生だとしたら病院は多くの専門家と充実した設備そして見守ってくれる献身的な看護師が常に控えていて非常に高いクオリテが整った環境である。しかし僕にとってのリハビリテーション人生は永遠に続くものでは無いし。リハビリ以外の人生が僕の人生の本流である。それを考えると。僕の本流のQOLをここに求めることは間違っているのだけど。退院後の生活を考えるとどうしても実現したいクオリティが出てくる。僕の家には充実した設備も介助してくれる専門家がいるわけでも無いからね。それを考えると。病院でのQoOLが高すぎるのも考えものだ。ギャップが大きくなるからね。だから入院生活では徐々に自立度が高くなって身の回りのことは自分でやるようになっていく。しかし。移動は車椅子だし。車椅子で生活できる広さが確保されている。ここらへんは難しい問題だよね。生き物は環境に適応していってしまうからね。QOLの観点から言えば環境に適応できないことは悲劇だけど恵まれた環境に適応しすぎることも悲劇なんだろうな




2021年9月27日月曜日

激しく落ち込む日



 退院は入院の終わりでなくあたらしい苦難の始まりだと悟った今日、大いに落ち込んでしまった。光明もあったけどね、

2021年9月26日日曜日

リハビリという経験学習



 リハビリで僕が毎日行っているのは学習である。訓練によって基本的な身体的能力を引き上げなgらその能力を使っていかに安定的かつ安全に社会生活がおくれるようになるか体の使い方を日々学習しているのだその中心は経験学習だやってみて振り返って良い感触が再現できるようツボを探しだして、それを再現するのだ。一方で同じようにリハビリを行っている人を見て「人のふり見て我がふり直せという観察学習も並行して行っている。僕を学習にかりたてるものは生存不安も学習不安もあるけど夢や希望といった目標もある。夢や希望に重きを置きすぎると現状を受け入れることが難しくなるかもしれない。夜と霧よろしく。僕は自分の体のこの現状をうけいれつ日々学習に勤しまなければならないのだ。そしておそらくそれは僕だけでなくリハビリを行っている人に共通しているのではないだろうか。正直リハビリを行うまでは学習という観点はなかった機能回復の治療的訓練だとおもっていたからねしかし現実には機能回復というより学習であると感じている。今までと違うことに取り組むわけだからね。

僕にとって脳疾患は新たな経験だけどそのさきにあるりはびりも新たな経験だ。しかも身体性を伴った学習ということで、自転車に乗ったり、アイススケートを滑るように自分の身体を使いこなしていく学習経験であるとこのところ強く感じる次第である

2021年9月25日土曜日

熟達したければ恋愛小説を、読め



 今日リハビリで理学療法士と話をしていたらとても面白い話が聞けた。その療法士が療法士の神様みたいな人にもっと上達するために何をしたら良いかアドバイスを求めたところその神様は小説それも恋愛小説を読めと言ったそうだ。このアドバイスにはとても深いいみがあると僕は思う。小説は他人の目線で世界を観る訓練であるとある人は言う実際アメリカで小説がブームになったとき犯罪発生件数が減ったという記録もあるそうであるつまり公衆道徳に他人の目線が影響を与えたということだ。つまり療法士の神様は技能的な上達よりも人としての成長をしさしたのではないだろうか。さすが神様の言葉は奥が深いよね。しかしなぜ恋愛小説なのかきになるところではある1997年に制作されジャック・ニコルソンが主演した恋愛小説家という映画が超がつくほど潔癖症で、偏屈でちょっと変わったロマンス小説作家であるメルビン・ユドール(ジャック・ニコルソン)が主役で、まあこんな人がよくロマンス小説をかけるものだなというギャップと実際に本人がロマンスに落ちていく過程がおもしろおかしく描かれている。小説家自身の目線がずれているのも面白いのだけどいずれにしても物語りはほぼ全て他者の目線による世界の描写になっているまあ、ざんねんながら僕たちは自分の目線しかもっていない。そしてその目線はコミュニケーションによって相手に伝えない限り誰も知らないのだ。つまり相手の目線を知るためには知る努力が必須である。もしくは自分の目線を知ってもらうためには伝える努力が必要である。伝える努力と知る努力があってはじめて他人の目線で世界をみることがデキるように成る。小説とは伝える努力が形になったものだよね知る努力のなかには読解力という重要な能力が必要になる。療法士の神様が示唆したことの本質がそこにあるのかはまったく僕の推察なのであるけれど、目線のずれが笑い話で住んでいれば良いけど多くの場合それは人と人の間の大きなしこりとなって、熟達の妨げになることは間違いないだろう実際に僕がリハビリを療法士から受ける中もしくは病院で看護を受ける中で僕が看護師や療法士に抱く感情や満足度さらにはリハビリに対するポジティブな態度の形成に目線のずれは大きく影響を与えているのである。

2021年9月24日金曜日

この歳になって昔の夢に出会えるなんて



NHKでは過去の朝ドラを再放送している今はアグリだ。僕は今放送中のお帰りモネも好きだけどアグリもなかなか面白い。物語はもう終盤で来週にははサザエさんのマーねーちゃんに変わるようだ 今日のアグリではこの歳になって昔の夢に出会えるなんてというのが登場人物に共通したキーワードとして出てきたそれぞれそれなりに仕事が順調にいっているのだけどそんな中でふとほんとうに今やっていることは昔夢見ていたことだったっけ?とぎもんがわきたってきてみゅかしの夢に向かって歩み始めるという展開である。忙しく働く中でふと沸き立つ疑問である。この自問は多かれ少なかれ働く人は皆が行うのではないだろうか。もちろん現実逃避や高ストレスから来る場合もあるだろうけどドラマの中で描かれるのは現状への不満からではなく自己回復の一環として自問が描かれているそのなかでの台詞がこの歳になって昔の夢に出会えるなんてで」ある。自分を取り戻すことへの喜びとしてつかわれているよね。人生も仕上げの時期に差し掛かってくるといまやっていることは本当にやりたいことなのかなどと頻繁に自問するようになうよねアップルのスティーブ・ジョブズはかつて今日が人生最後の日だったら今日やろうとしていることをやりたいと思うかと問うたと言われているけどこれは象徴的な表現だよね。やはり人間はやりたいことをしているときが一番輝いて喜びをかんじるものだどんなに忙しくても周囲から認められても本当にやりたいことなのかと問いがおきてしまったら喜びも輝きも曇ってしまうものだろう。ほんとうにやりたいことが明確であれば良いけれど昔の夢とかって案外忘れてしまうものだよね、僕は昔の荷物を片付けている時に倒れてしまい今やりたいこともなかなかできない体になってしまった。もしまだ昔の荷物の一部がのこっていたならばば小学校卒業時の将来の夢をもみてみたいな。どんな夢をえがいていたのだろうかもちろんそんな昔に戻らなくてもの今のぼくには夢があるからそれにむかってがんばってリハビリして這ってでも一歩づつ前進するしかない。それが僕が一番輝くことだからね。僕はまだ昔の夢に出会うほど今がうまくいっているわけではないからね

幸い病に倒れたけど人生最後の日を迎えることはなかった。だからリハビリも病院食も嬉しくはないけど積極的にやりたいと思うのだ。

そういえば小学生のときむちゅうになっていた漫画でど根性ガエルがあったシャツにカエルが生きたままはりついてしまうのだけど愛犬の写真をぷりんとしたtシャツを着てリハビリしているぼくはまったく小学生の頃と変わっていないのかもしれないね

源流はピョン吉tシャツ


2021年9月23日木曜日

感受性こそが自分を守ってくれるのだ



 病院に入院していろいろな療法士や看護師が、僕のこれまでのキャリアに興味を持ってくれていろいろな話をする機会がある。そんな時僕がいつも気にかけているのは。他の人の話との共通点で。そういえばあの人もそんなこと言っていたなぁと言うやつだね。今日は中堅療法士の退職の話になった。これは以前他の人からも聞いていた。

そこには現場において退職が問題であると言うコモンセンスがあることを意味している。いつぽかでこの前若い療法士さんAIの話にすごく興味関心を示した。それも合わせると仕事の未来と言うコモンセンスかある。退職が職場の未来についての問題だとすると。仕事と職場、そして働き方の未来に関するコモンセンスがどうやら存在しているかとがわかってくる。話の内容は全て異なるけど高いプロ意識に支えられている病院においてもどうやら未来に対する漠然とした葛藤が潜んでいるのかもしれない。これはいまの社会が抱えている葛藤と同じだろうけどね。

明日は今日よりも素晴らしいと生産性の向上をずっ鼓舞してきた時代が終焉を迎えて。未来のために今できること今するべきことに常に問いを起こさくてはならない時代だからこそ同じような葛藤が組織にも充満するのかもしれない。フランクルの夜と霧では明日への希望より今に意味を感じ取る感性の方が生存にとって大きな役割を果たしたと分析しているけど僕たちはなぜ今ありのままに意味を感じとり難くなってしまったのだろうか。ショーアップされた世界に僕たちが虜にされてしまったことは。エンターテーメントだけでなく権力や宗教においても明白だろう。でもそれは自然本来のある姿ではない。コロナだけでなく台風が来るとなる放送局はこぞって特番を組んで自然の脅威をショーアップするけど。自然はそんなことにお構いなく僕たちの未来を圧倒する。僕たちが自然に渡り合えるとしたらそれは感性だけだ。だからこそ感性は生き残るための鍵なのだろう。自分の感受性くらい自分で守れ馬鹿者よと茨木のり子さん詠んでいるけど。感受性こそが自分を守ってくれるのだ。会話での共通点探しもは僕の感受性である。そうやって僕は素晴らしい明日を夢見るかこともなく無事に今日を生き残ったのだ。

なんてさ素敵な夕暮れかな

2021年9月22日水曜日

pwストレスシンドローム



 僕が入一bした聖路加国際病院も今入院しているリハビリテーション病院もwifi環境が準備してあってパソコンを使うことができるしかし家で使っていたときと環境が違うせいかパソコンへのログインがうまくできなくなったりするこうなるともうお手上げだ今まで使っていたpwがなぜか通らないのだ僕しか使っていないパソコンなのになぜ使えないのかほんとうに困ってしまうそこでかんたんにログインできるよう簡易PW に変えてのだけど今度はそのことを忘れてしまった每日使っていないと余計思い出せない結局思い出せて事なきを得たけれどよく使うPWをつかいまわしていると今度はgoogleやappleから叱られるまったくもってこまったものだそんあにおおくのPW を記憶して使い分けることなど出来ないからねmacbookairはapplewatchで画面ロックを解除できるようにしておいたのだけど環境が変わったせいでbluethoothを切ってしmあったららうまく動かなくなったpwは不正アクセスをふせぐうえで重要だけどその管理は非常に手間が掛かるこの問題を誰か解決してくれないかな

嗚呼own 入力を求められるポップアップが出ると本当に苛つくなあ

2021年9月21日火曜日

戦力外を決めるのは誰?



 自民党総裁選で定年制が議論されているようだ。僕は定年制の歴史的由来を知らないけど僕の定義では定年制は年齢を理由とした戦力外通告である。たとえば、人間国宝に定年は無いように。社会的に見て高いレベルに能力と態度を保有発揮してている人に戦力外通告はない。要するに権力者が自己の都合によって戦力外通告権を行使するのが定年制なのである。しかし刀鍛冶や芸能の人間国宝を見てもわかるように。戦力外か否かを決めるのは実は権力者ではなくステークホルダーなのだ。それゆえにプロフェッショナルには定年制は無い。自民党総裁にしろサントリーにしろ。当人含めたステークホルダー全てが戦力外通告権を行使したいと思っているわけでは無いところに定年制の真の問題が潜んでいるように思える。プロフェッショナルに定年はないもんねー

黄昏時は戦力外通告時?

2021年9月20日月曜日

病院ラジオリハビリテーション病院編


 今朝nhkでサンドウィッチまんの病院ラジオという番組を放送していた。サンドウィッチまんは他人のいえの風呂に入ったりと何かしら面白い番組が多いのだけど何故かとても好感度が、高い芸人さんだよね。病院で病院内でしか聞けないラジオ番組を、放送しちゃうというものだけど。こんかいは神奈川のリハビリテーション病院が舞台だったのでとても楽しみにしていた。僕が今入院しているのはまさにリハビリテーション病院だからね。僕が考えているよりもずっと色々な原因で入院してリハビリを行なっている患者さんが多かった。事故病気と原因も多様であればその症状や年代性別も多様である。でもみんな一生懸命リハビリに取り組んでいる。その姿を見て僕は妻への感謝とともに大いに励まされた次第である。リハビリにはそれまでの当たり前の日常から切り離される苦痛もあるけ当たり前の日常生活を再発見するじかんよある。ままた新しい自分を見出す時間でもある。このタイミンこの状況で放送を見ることになるのも何か理由があるのだろう放送観終わってぼくが感じていることはてれびに出ていた人たちに負けないようにリハビリを頑張ろうと言う強い思いであった。そして僕は新しい日常と出会うのである。このあと装具の検討があるから頑張って歩いてこようっと?

2021年9月19日日曜日

変わる十五夜への願い

明日は十五夜中秋の名月である。僕は不勉強だったのだけど15夜には月明かりで夜まで続くも収穫作業を明るく照らしてくれるお月さまに感謝しさらに豊作を祈願するようになったものなのだそうだ、そう言えば蛍の光窓の雪なども明かりの有り難さを歌っているものだいまでこそ夜中でも電気が流れてスイッチ1つで昼間のと変わらない生活をすることができるけど山奥の電灯がない道や都会でも停電などになると夜ってこんなに暗いのだと驚かされる。明かりとは本当に有り難いものだ。でもその有り難さの恩恵を受ける一方で僕たちが汚しているもの、失っていることにも思いをはせなければならない時代が来ているco2や光害など自然環境への影響は深刻だよね。夜も行動できることで僕たちは活動時間と収穫量を増やすことができるようになったけどそのかわりにひょったしたら何かを収奪しちゃっているのかもしれない。ひょっとしたら先々十五夜は豊作への願いから自然と人間の適切な関係性への共生への願いになっているかもしれないね。

月明かりに感謝して夜は環境保護のために消灯しましょうみたいにね




2021年9月18日土曜日

エントロピー増大の法則に抗う僕



 細分化部分化する世界。今僕が行っているリハビリはこの対象やもくてきに応じてふくすうの専門領域に分かれて顔かなわれている。そして。リハビリで受ける指摘も膝まか腰とか姿勢とか身体の部分に関するものが多い。要するに僕はリハビリの中でコマ切れにされているのだ。しかし僕のからたは一つだし。気持ちやじんかくも一つである。還元主義的な世界からしぶを取り戻す必要が出てくるのだ生物は切り刻んでしまえばもはや生物ではなくなってしまう部分に切り分けることで原理をよりふかふか深く理解すことが可能になる一方で全体としての有り様が消失してしまう。僕の一つの身体人格を総合して治療的くんれんを行ってくれるのは誰なのだろう。これがここ数日僕の中で葛藤していたことなのだ。でもこれってリハビリのことだけじゃないよね。僕たちのせかいは放っておけばどんどん細分化詳細化していくこれはきっとエントロピー増大の法則通りなのだろう。その法則に抗うのが生命という存在なのだとしたら個の尊厳とか多様性とかもきっとせいめいというはホリスティックでロバストなものをそのみホリスティックに理解する理性を育まなければならないなだ。そこには生き物には環境へ適応していくという複雑なプロセスが介在していることも含めてね。

Raindrops 

2021年9月17日金曜日

コミュニケーションはは雲の如し



 リハビリでは今の僕の状態に合わせて指摘やアドバイスがある基本的にはマンツーマンでその場限りである。だから風が吹けばどこかに流されていってしまう。まるで雲みたいだね。言葉が残るのは頭の中だけである。身体を動かすことがメインだからメモを取ることもで書きないだから同然のようにコミュニケーションギャップが生まれる。

入院ストレスもあってもやもやしていた僕は昨日。大いにボヤいてしまった。そうしたら今日は皆さんすごく気を遣って対話の時間をとってくれた。しっかりメモもとっていたね。このところのぼくはもしリハビリでグラフィックレコーディングをしていたらきっと😫😫😫😤ばかりになっていただろうからね。いったんはもやもやが晴れて😊になったけど僕の鼻息でコミュニケーションのもやもやが吹き飛ばされただけなのかもしれない。たまには。風をおこして吹き飛ばしてみるのもいいのかもしれないね。もやもやが吹き飛んだあとには日がさすがごとくぼくの希望が差し込んであたからね。今日初めてわかったのはリハビリの療法士ももやもやしているということだった

その場限りのコミュニケーションは雲のごとくふわふわもやもやするものなのかもしれないねた鼻息荒く吹き飛ばさないと日がさしてこない。




2021年9月16日木曜日

思考と一体化する眼鏡



 僕はこれまでに近眼になったことがない。だからメガネとはほぼ無縁の、生活を、送ってきた。パソコンで仕事をするようになって目がすごく疲れるので眼鏡屋で検査をしてみたら少しだけ乱視があったので。メガネを作った方があるけど基本的にはメガネなしで日常生活が送れる。そんな僕もよる歳なみには勝てず老眼になった。細かい字が見えないのだ。そこでリーディンググラス要するに老眼鏡をかけるようになったネット購入でケアレスミスも起こすようになったのでまずはしっかりと見逃さない必要があるしね。見えていなければミスは防げない。からねしかし眼鏡生活は思った以上に煩わしい。常に手元にメガネを持つ必要が出てくるからね。

そして。読む書くという思考が眼鏡と一体になった。

ウルトラセブンがメガネでウルトラマンに変身するようなものだよね


ただの老眼鏡ですわ

2021年9月15日水曜日

学習は状況に埋め込まれている



 軽井沢で野鳥を観察してい鳥類学者は親鳥が雛にヘビという言葉もちろん鳥の言葉を教えている姿をもくげきしたらしいしかもその学習は他の種類の鳥にも及んだそうだ言葉を持っている生き物はにんげんだけではないししかも学習がおきていることは本当に驚きだted で公開されているデブ・ロイの観察と考察は素晴らしいけど僕はそれに通じるものを感じた。

物体を抽象化した概念として理解するのでなく物体(ヘビや水)と言葉の密接な関係性を知ってコミュニケーションの一環として記憶しているのだそして物体は場所とも密接な関係をもっているだから言葉は場所と切り離すことが出来ない。専門用語とか業界用語などを思い起こせばわかりやすいかもしれない。ゴジュウカラにとってみれば天敵であるヘビを自然の中でみつけたら危険を回避する必要があるしそれを仲間に知らせることが大切だだから生活場所においてヘビという言葉はとても大きな意味を持つそこにはヘビは危険な生物だという理解を前提としているわけではない今リハビリで僕の前にたちはだかるのも同じようなことかもしれない。療法士からインプットされる情報は頭で理解するものではなく立ったり歩いたりする状況ではじめて意味を持つものだ今後退院して家に帰れば家という生活環境で意味をもつのだしかしいま僕がいるのは病院で立ったり歩いたりするときは介助があるので情報を理解しなくても危険なめにあうことはないそこが難しいよね家という生活環境で安全に過ごせるためにリハビリで訓練しているのだけど場所から切り離された情報を肌身に活かすことは簡単じゃないよ。

状況から切り離された学習は難しい、今日もそんなことを考えさせられる一日が終わっていく

状況から切り離された学習って結構しんどいものだなぁ

情報では歩けるようにならない


2021年9月14日火曜日

検査するより大事なこと




 僕はこれまで脳ドックというやつを2回ほど受けたことがあるMRIで脳の画像を撮影して診断してもらうやつだね。2回とも問題なし。でも実際には脳出血を、起こして入院リハビリとなった。だからといってもちろんけんさはあてにならないとは思わない検査で見つけられる病気の予兆は限られているものだしね。だから検査結果は気休めにはなったけど病気を防ぐことはできなかったわけだ。ひょっとして血圧と生活習慣特に飲酒状況とストレス状況の方が疾患との因果関係が明確であったのかもしれない。おそらくそういった検査の限界性などは医師は熟知しているのだろう病気を本当に防ぎたかったら主治医をしっかり持つべきなのだろうね。ホームドクターというやつかもしれない病気になってからかかるお医者さんではなくてね。




検査結果は異常なし

血圧は高めだった





運動はしっかりしていたよ

これは最近のリハビリのアクティビティ

2021年9月13日月曜日

間違い探しと積み木いれ



 リハビリでは自主練習や宿題がある。

もちろん介助がないと危ない自主練習はないしかし宿題は危なくないものの結構ストレスフルだ。

小学生に戻った気分だね

僕がいま多く出されている宿題は間違い探しと積み木入れだ間違いを20箇所探すとか。5✖️5の中に色々な形を収納するまぁテトリスみたいなものだね。もともと地道な作業が苦手でうっかり八兵衛さんの僕ならとっては途中で投げ出したくなる宿題だしかしこれも治療的訓練の一環なのでやらないわけにはいかない。結局イライラしながら取り組んでいるまあ、課題も小学生みたいなものだよね。テレビドラマなどでも早く宿題やってしまいなさいなんてシーンがよくあるけど宿題って勉強嫌いを助長していないのかなあ。僕が勉強が、嫌いじゃなくなった授業中に集中して聴いていた方が試験前日に徹夜して一夜漬けをするより成績が良くなることがわかった時だった。その教訓は今も生きていて何事でもその場でしっかり集中して取り組むことを心がけている

宿題は持ち帰ってだからその場の集中じゃない。僕の信念には反する学習方法なんだよねー


なんとか終わった宿題



2021年9月12日日曜日

自然はジグソーパズルじゃない



 人間の体は自然の側に属しているだから都会の側の見方では理解できない正しく並べれば人間になるという考え方。アルファベッドを並べれば意味が生まれるという言葉と同じだと言うのが都会の側の理解である。解剖学者養老孟司氏は言う。

確かに全体を部分に切り分けることはできるけど切り分けた部寄せ集めても全体の意味が生まれるわけじゃないリハビリを行っているととてもよくわかる。ある動きに重要な役割を果たす筋肉かあるけどそれだけを動かせばしなやかに歩けるわけじゃない。身体の他の部分も大切な働きをしているのだ。部分に神経を集中すると全身が硬くなって動きが悪くなる。僕たちは自然の一部だから自然から切り離して部分で存在するわけじゃない。自然科学とはしぜんの一部をから切り離したものだから。それをまた自然に戻すひつようがあるのだ部分は全体を構成する重要な役割を担っているけど部分を集めれば全体になるわけではない。解剖学者の言葉は重い。


自然はジグソーパズル🧩ではない


2021年9月11日土曜日

社会の複雑性は結局人の感情の複座さか投影されているのだ



 哲学者マルクスガブリエルは社会の複雑性は。他者が自分に対して持つイメージに我慢ができないのでたいこうする自己イメージを、形成することからうまれると説明するまず自分から他人からどう見られているのかとという認知か、あってそしてそれに代行する自己イメージを形成するつまり。そういった複雑な調整を、行うことが、社会をどんどん複雑にしていすわけだね。言葉にするとわかりにくいけどアワーネットで起きている現象を、みると理解しやすいかもね。今の連ドラお帰りモネでお天気キャスター役の神野さんはまさにそんな感じだよね。エゴサーチして自分の評判に対抗するために苦心している説得力か無いという書き込みにどうすれば対抗できるのかいろいろと考えるのだけど。それだけで物語は複雑になってくる。社会の複雑性とはそれらの集合体を指しているのだよね。他者の持つイメージに合わせようとすることから生まれる複雑性は決して満足できないと言う終わることのない複雑性だ。社会と言う他人の目線溢れる世界を覆い尽くす状況と他者が抱くイメージにはけっして満足できないと言う拭い去り難い感情の塊そしてインターネットがそれをさらに加速させるインターネットが人の感情の複雑さを家族していることは間違いない

2021年9月10日金曜日

代行さんの見立て



 リハビリに土日はない。しかし療法士の先生は休みがもちろんあるだから週に何回かは担当の療法士ではなく代行のひとが、リハビリを行ってくられる。今日代行してくれた療法士は歩行訓練で自分の感覚でと言ってくれた。どうやら常日頃指摘されている課題を意識する事で身体なら力が入ってしまい固くなり動きがスムーズにいかなくなっているという観察のフィードバックをくれた。たしかに部分に意識を向けると全体の動きはしなやかでなくなる。身体をマイクロマネジメントしながらホリスティックに調和を取ることは楽じゃないもちろん合わせて別の新たな課題も提示されたけどね。でも色々なフィードバックをもらいながら最後にどう仕上げるのかは僕次第なのだろう。関わってくれる療法士さんたち皆が納得するような結果を出すのはぼくなのだからね。でも。感覚的には今日の代行療法士さんの言うことはよくわかったなあ。

雲の行き先を決めるのは風

2021年9月9日木曜日

規則正しい生活とから揚げ



 僕は入院生活というものが今回初めてだ。リハビリ入院なので。毎日リハビリがあるが療法士のスケジュール調整があるリハビリ以外は基本的に毎日のリズムが決まってきる今日はリハビリが午後に集中したこともあって起床、朝食、入浴昼食となっねこれまで食べるばかりの一日になっている。

食べるのもリハビリのうちと考えてしっかり食べるようにしているけどさすがにこのリズムはかなりつらい。身体を動かしていないからお腹もあまり空いていないしね。

病院食ぼくの場合は高血圧もあって減塩食なのであじにパンチはない。それを2食続けるわけだから食べることも修業だよ。頑張って退院してまた食べることが楽しみと言える生活を取り戻すぞー。

たまーにから揚げとか出るとやはりうれしいものだよ僕はから揚げが好きで会社近くのお店で唐揚げ弁当をよく買って食べていたなぁ


2021年9月8日水曜日

経験学習の痛み



 日々リハビリが続く中状況は少しづつ好転している。そうすると欲も出てくる僕の未来は左膝にかかっているということをしっかりと自覚して焦らず奢らず着実確実に前進していこうと思います立ってあるくということに関しては僕は赤ちゃんの立ち歩きと一緒で成功や失敗の経験から一つづつ学びながら筋力をつけて自分の体を支えられる能力を獲得していくしかないものね

病院でリハビリを受けている人にはいろんな人がいて筋力の無い高齢者や義足の方もいるそれに比べればまだ僕は恵まれた境遇なのかもしれないとは言え今日もリハビリ終わって左足は湿布だらけだけなのだけどねしんどいのは筋肉痛などの痛みなんだよね。動かそうとする筋肉が緊張する痛みが走る筋肉はつかっていないとコラーゲンが壊れて硬くなってしまいその状態でうごかそうとすると痛みがはしるのです体の硬い人がストレッチをすると痛みがはしるのと同じことだねだからうごかないからといってそのままにしていてはいけないのだ赤ちゃんと違うのは体が硬いことだね痛いのは我慢出来ないから仕方がない結局リハビリは痛みとの付き合いなのかもしれないね。経験学習に近道はない痛みとともに成長していくしかないのだまあがんばりますとにかく前進できているしね。


2021年9月7日火曜日

パンデミックの次はカーボンニュートラル



 太古の原始的な生微生物は生命活動を行うためのエネルギーを火山活動や地熱などから得ていたらしい。そんなところに出現したシアノバクテリアはもっ身近な太陽熱をエネルギーとする光合成を行い。左の副産物として地球を酸素で満たした

最近カーボンニュートラルで太陽光発電などへの期待が高まっているから僕たちの生存戦略はシアノバクテリアから進化していないのかもしれない。しかし地球に降り注ぐ太陽光を主たるエネルギー源にすることができたら地球環境を悪化させらことはないだろう。テレビで見たグレートヒマラヤトレールでは。ドローンかカメラなとの機材ののバッテリーを太陽光パネルで充電していた。

僕が今使っている。Apple Watchやiphoneを満充電するにはどのくらいの日照が必要なのだろうかでもやがてそういう時代がくるのだろうね。昔使っていた時計は日の当たる場所に、おいておけばかなり動いていた。残念ながらapplewatchはそういうわけにはいかない。しっかりと充電しないと電池切れになってしまう。これは充電の効率ではなく。消費電力の問題なのだろう。問題は僕たちがエネルギーを使いすぎているってことなんだよね。


期限が切られているカーボンニュートラルに向かって捕縛たちは現在の太エネルギーの変換効率内で何ができるのか見つめ直す必要があるんだろうね。

そうなったとき僕は何本のコンセントを抜かなければならないのだろう入院しても空いているコンセントを埋めているような僕にとって想定できない世界だなあ。

降り注ぐ太陽光を使う

2021年9月6日月曜日

技術と経験



 技術は僕らに新しい経験を与えてくれるそれはよりよい明日の到来を感じさせる経験だだから。若い人は技術が好きなのかもしれない。一方経験を積んだ人は技術よりも実際に経験を積む事を好むように思える。つまり生産性が高まる期待よりも自らの力で打開する自立への成長を期待しているのかもしれないね。

これはリハビリを行なってくれる療法士を見ていても世代によって選択するアプローチの違いとなっているように思える。大雑把に言えば技術志向か経験志向かとことになる。よい技術は良い成果をうむと考えるのがが技術志向であり経験から学ぶことで良い成果をうむと考えるのが経験志向と言えるだろうその違いは技術評価にどれだけ時間をかかるかでわかる。経験志では経験に時間をかけるからね。

もちろん療法士はその両方のアプローチをとっているようだけどよく見ていると価値信念の違いが見えて来る。

そしてそれはひょっとたら進化と成長の、せめぎ合いなのかもしれないね


2021年9月5日日曜日

きをつけなはれや

 昨日僕が言語のリハビリを受けている時外は雨が降っていた。すると。向かいの団地のへやから出てきた猫がベランダの手すりから顔を出していた。気になって見ていたらてすりの隙間からどうもてすりの外側を渡ろうとしているようだ。手すりは雨で濡れていて滑りそう。

実際猫も一回滑りかかった。思わず。危ないと声が出てしまった。流石にひゃっとしたのか、一旦は猫も諦めたけどそのうちまた同じことをしようとしている。もう療法士の先生と2人で気になってしまいリハビリどころでは無い。団地は数えると四階だから落ちたら無事ではいられないだろう。犬や猫と一緒に暮らしている皆様どうか身近な危険に十分に御注意ください。

ちなみにその猫は外回りをあきらめて部屋に帰って行きました、あーよかっ


猫ものお話


手

2021年9月4日土曜日

おまじない



 おまじないとは、神仏その他神秘的なものの力を借りて、災い病気を起こしたり、それを逃れようとする術。呪術。である。

僕は最近立ち上がる時左膝におまじないをかけている。過日トイレで移乗しようと立ちあがらうとした時に、失敗してこけてしままったからだ。おまじないを、かけると言うルーティンを、入れることで膝の角度をしっかりと意識するようにしたわけだ。でもおまじないだから呪術でなくてはならない。膝にしっかりと立ってくださいねと術をかけるわけだね。膝をぽんぽんと 叩いてね。お陰でその後は上手く行っている



でね。ふと気がついたなだけど、おまじないは失敗を防ぐための手順確認ではなくて上手くやりたいと言う想いを再確認することなんだよね。都度成功をイメージすることには意味を感じるよ成功は失敗を防げばもたらされるものでは無いからねそして小さな成功はより大きな成功につながるもこでもある

確認しなくちゃと言うタスク指向よりはるかにポジティブだと思うのである

左膝さん上手く立ち上がってくださいねとおまじないをかける左膝




2021年9月3日金曜日

犬自慢でテンションを上げよう

 僕は昨日今日看護師や療法士の先生たちに家の犬がめざましテレビ今日のわんこに出演した時の動画を見せまくっていた。なにかと元気が無いと言われがちなのでテンション上げてきる姿を見せることも大事なんだよね犬自慢をしている僕はきっとニコニコしているのだろう入院中の様子はカルテで療法士スタッフのみんなに共有されているから失敗して落ち込んでいるとみんなそれを知ってる励ましてもらえるのは嬉しいけどやはりセルフエンカレッジメントしていかなくちゃねー。病気になる前の僕も知ってもらえるしね。もう2年も前になるけどよい思い出ですわ


2021年9月2日木曜日

原理を理解生命はせずに滑らかに生きる



 僕立ちは。車を運転する時も。車が動く原理を理解して操作しているわけではないそれでも車は走るし。事故を回避しながらうまく折り合いをつけている。むしろ車の原理にたてつくような言い分には大いに違和感を感じてしまう。池袋の車暴走事故などはその際たる例だよね。こう言った事は車の運転だけではないインターネットもそうだよね。インターネットの仕組みを知らないと問題があった時に対処出来ないこともあるけど、初心者の人がインターネットの仕組みを知らなくても十分に使いこなすことはできる人間に限らず。生き物は原理ではなく状況にしなやかに適応して生きていく。生命とはそう言う存在だ。時にそれは進化と言われる。ウイルスだって僕たちの細胞がどう会う仕組で核酸を複製するのかなんてわかっちゃいない。細胞に上手く取り付けば勝手に複製し始めると言う状況を上手く利用しているだけだ。身体の動きもさあだろう。筋肉や骨格をマイクロマネジメントして動かしているわけじゃないのだ。状況に適応する中で動かし方を学習しているなだ。それが生命だ。かつて三鷹の天地店名反転住宅で、凸凹のある床面を上手に掃除できるようになったら、ルンバを生命と考えてよいのではないかと物理学者と哲学者が語り合っていたけどまさにその通りである。僕たちは何事も原理原則をを制御して世界を支配下に置けると考えがちだけど、それは生命のしなやかさ自然の力をを軽んじる暴挙である。

しなやかを失ったら僕たちはスーパー重機みたいなものになってしまうよ

2021年9月1日水曜日


 人工知能学会から工知能学会 言語・音声理解と対話処理研究会(SLUD)第9 工知能学会 言語・音声理解と対話処理研究会(SLUD)第91回研究会のプログラムが決まりましたので,ご案内いたします.という案内メールが届いた僕は人工知能学会には参加していないけど認知科学学会の会認知科学学会は員なのでそちらから案内が届いたのだ。これは。僕が認知科学学会に参加している理由でもある。認知から人工知能まで守備範囲が広いのだよねまあ、僕たちが何をどう認知しているのか解明できれば人工知能に学習させることができるからねそうなれば僕たちが人工知能と対話出来る日がやがて来るかもしれない。映画herやブレードランナー2049などではそんな日常が描写されている

ジュール・ヴェルヌは人間が想像できることは、人間が必ず実現できる」と言っているがそれが正しければ計画や小説で描かれた世界はやがて到来すると言うことになる

さて僕は今日も療法士の先生たちといろいろな対話を行った人工知能とも同じように対話できるかなぁ僕にとって対話は興味関心と自己開示で成り立っている。よりお互いを深く知り合うプロセスである。
しかし人工知能とより深く知り合うってどうもピンとこないなぁ。知りたいのはその人の話であって検索結果じゃあないからね
やがて自ら経験を蓄積出来る自立型人工知能が登場すれば別だけど。そうでなければ固有の生命との僕たちが認識できて自然と興味が湧き問を起こすような存在にはなり得ないものね。おそらく人工知能の研究者たちはそんなことわかった上でいろいろな研究や議論を行っていることでしょう。研究会に参加してみたいけど入院中は流石に無理だなぁ。残念っす。