2020年5月31日日曜日

より成長を遂げる人の成長意欲

僕の1週間を振り返えると、そこには「経験」と「成長」というテーマが見えてくる。

僕たちには「経験」を選択する自由があるのだけど、望まない「経験」をすることも少なくない。

そう、必然と偶然は「経験」の宿命だ。

そして多くの場合、「経験」の中で僕たちは、自分を知り、他人を知り、社会を知る。

そこからより強く、より優しく生きるための力を身につけたとき、僕たちは「成長」するのだ。

多くの人にとって今回の新型コロナウイルスの「経験」は望まざるものだろう。

その中で、強く生きるために何を身につけるのか、優しく生きるために何を身につけるのか。

もし僕が、そのことを自覚して何かを身につけられれば僕の「成長」は必然だけど、無自覚のうちに何かを身につけたのであれば偶然の「成長」ということになるのかもしれない。

「成長」にも必然と偶然があるのだね。

自ら成長するのか、それとも成長させてもらうのか、いづれでも「成長」には違いがないと思うけど、成長意欲がある人が必然、偶然の「経験」でより多くの何かを身につけているのであれば、「成長」を偶然よりも必然にしている可能性がかなり高いのではないかと思う。

強く、優しい人になろうとして、なっている人。

僕の知る限りでもそういう人は偶然そうなったのではなさそうだけど、これは確かめる価値があるよね。


(月)緊急事態解除のタイミングで点検すべきこと
さて、そのような経験にすることが出来ただろうか。

(火)医療現場に余力はどのくらいあるのだろうか
国民医療費の増大が国の財政を圧迫している、その一方で、日本の医療現場は余力を失っているだろうか。

(水)強い成長と優しい成長
で、ね。最強の成長はその2つを身に着けることなのかもしれないけど、理想はお互いに補い合える社会であることなのかもしれないよね。

(木)事業にはファンが必要だ
だから、上手な事業者はたくさんの、もしくはすごく強いファンを持っているということだし、ファン作りを意識しない事業はきっと続かないのだと思う。

(金)想定と経験の違い
で、ね、今のような状況の中で、直接経験を積んでいくことは更に難しくなっているんだろうね。

(土)どうすりゃいいのか金目鯛
で、ね。家人は美味しいと言ってくれたし、僕も美味しく食べたのだけど、やはりこういう料理は誰かに作ってもらった方がより美味しく感じられるものなのかもしれないね。


成長の源



2020年5月30日土曜日

どうすりゃいいのか金目鯛

僕の幼なじみで、会社の社長で、釣り人で、料理人の友人が先日、ハナマサで大きな金目鯛を買って食べていた。

僕も今日、近所のハナマサに行ったので、鮮魚コーナーをのぞいたら、飲食店が営業自粛のためか大きな金目鯛が思ったより安く売っていて、思わず買ってしまった。

何より、とても綺麗だったのだ。

意気揚々と帰って、これ、どうすれば良いのだろうかと、ふと気づいた。

僕は釣り人でも料理人でもない。

切り身以外の魚を触ったことなんで小学生以来かもしれない。

そこで、冒頭の友人に意見をもらい煮付けにすることにした。

しかし、この金目鯛、鱗も内臓も全て完備している。

電子レンジに入れてチン、というわけにはいかない。

まずは鱗をなんとかしよう。

昔、銀行に努めていたとき、支店の昼に魚のあんかけスパゲッティ(!)がでたことがあるのだけど、魚の鱗がとってなく、それ以降、僕は鱗恐怖症なのだ。

脳裏に焼きつくにくき鱗を包丁の背でこれでもか取る。

でも、それだけでは終わらない。

次は内臓とエラが待っている。

エラはそのままで良いのかと思ったけど、そうはいかないらしい。

また、血合いというのも丹念に取らないと生臭くなるらしい。

もう、腹を据えてやるしかない。

こんな綺麗な魚、僕のお腹で供養してあげなければバチがあたるというものだ。

お腹を割いて内臓を取り出すけど、食道はなかなか取れないのだね。

お、小エビの頭が出てきたけど、これはきっとこの金目鯛のご飯でしょう。

なんとか取り除き、でもちょっと不安になってYoutubeを見たら霜ふりというのがあるらしい。

ふむふむ。湯通しして氷水につける、なんだかプロっぽいのやってみたら、綺麗な金目鯛がなんだかボロボロになった。

これはきっとやる必要が無かった。

まあ、煮付けちゃえば一緒だから気にしないでおこう。

その後、結局、我が家で一番大きい無水フライパンに丸ごとは入らないので頭を切り離し、尾を曲げ入れて煮付けてみた。

幸い、僕の家には大皿があったので、盛り付けるときに寄せれば丸ごとっぽいものね。

そして煮付けた汁を別のフライパンで煮詰めて掛けて食したのだ。

で、ね。家人は美味しいと言ってくれたし、僕も美味しく食べたのだけど、やはりこういう料理は誰かに作ってもらった方がより美味しく感じられるものなのかもしれないね。



綺麗な目


うー、鱗が飛び散る



エラ、どうしよう


全部取れました


大皿あってよかったね


ほれ、こんな感じ


2020年5月29日金曜日

想定と経験の違い

予告はされていたけど、そうなって見て初めてわかること。

東日本大震災もそうだったけど、今回の新型コロナウイルスがそれだね。

もう、10年以上前から、こういった事態は予測されていたのだ。

同じようなシチュエーションを描いた映画も沢山あったけど、結局、僕たちは自分の身の上にパンデミックが実際に落ちてくるとは考えていなかったのだろう。

さて、僕は子供の頃、運動神経は人並みだった。

兄が交通事故に遭ったこともあり、僕の家では自転車が禁止されていた。

そこで僕は、神宮外苑の貸し出し自転車で自転車の乗り方を苦労して覚えたのだけど、一度覚えてしまえば、その後しばらく乗らなくても、問題なく乗れる。

しかし、どんなに練習したとしてもイメージトレーニングではきっと自転車に乗れない。

これは想定と経験の大きな違いに帰因しているのではないだろうか。

で、ね、今のような状況の中で、直接経験を積んでいくことは更に難しくなっているんだろうね。


リアル経験の素晴らしさ




2020年5月28日木曜日

事業にはファンが必要だ

思いつき、と、事業の間には遠い隔たりがある。

しかし、事業の始まりは誰かの思いつきだ。

では、思いつきから事業までの隔たりはなぜ生まれるのだろうか。

僕はそれは「人の共感する心」なのだと思う。

思いつきを形にするには、形作る道具があれば良い。

絵を描いたり、曲を作ったりするのに誰かの力は必要ない。

しかし、事業となると、思いつきを受けれいてくれる人々が必要だ。

お金が必要なら銀行や投資家、思いつきを形にするなら生産を担当する人たち、生み出されたものにお金を払ってくれる消費者、などなど多くの人たちに支えられなければ事業は成立しないからね。

要するに事業を成り立たせているのは多くのファンなのだ。

だから、上手な事業者はたくさんの、もしくはすごく強いファンを持っているということだし、ファン作りを意識しない事業はきっと続かないのだと思う。


隔てるもの




2020年5月27日水曜日

強い成長と優しい成長

「成長とは生産性が上がること」(「生産性」伊賀泰代著)

この成長に関する定義は極めてシンプルで分かりやすい。

特に、営利企業にとってみれば生産性が上がることと業績が向上することは同意なので重要な定義だ。

一方、「生産性」という言葉を用いた差別的発言が非難された国会議員がいる。

世の中は営利活動が全てではないからね。

僕たちは常に変化している存在なのだけど、その変化が成長なのか、そうでないのかを判断することは難しい。

冒頭のような定義に沿えば、生産性が上がる変化は成長と呼べるのだろう。

しかし、それ以外の成長があることを僕たちはよく知っている。

「がまん」もその1つだよね。

普段は外で遊ぶのが大好きだけど、がまんして外出を自粛した、なんていうのも成長だ。

他人と上手に付き合えるようになるのも成長だね。

自制、内省、連携、支援、僕としては、こういった成長は、「優しい成長」なのだと思う。

社会や環境に対してより優しくなることだからね。

一方、生産性が上がる成長は、「強い成長」だ。

厳しさに挑むことが求められるからね。

で、ね。最強の成長はその2つを身に着けることなのかもしれないけど、理想はお互いに補い合える社会であることなのかもしれないよね。


強い護岸と優しい蔦


2020年5月26日火曜日

医療現場に余力はどのくらいあるのだろうか

僕は毎年1回、下部内視鏡検査を受けている。

今年もその時期が来た。

3月の通院で6月4日の予約を入れたのだけど、昨日、病院の医師から、今は検査が行えないので一旦キャンセルし、診察日に再度、検査の予定を立てましょうという連絡が留守電に入っていた。

僕が通う病院は今回、新型コロナウイルスの院内感染が問題になっていた。

診察を再開したのも1週間ほど前かららしい。

正直なところ現状で4日の検査は気が進まないこともあり、どうするか悩んでいたので定まって一安心した。

さて、都立の大きな病院にも関わらず、電話連絡をしてくれたのは主治医だった。

多くの患者さんを診ているに違いなく、医師が連絡するのは大変だな、と思ったのと同時に、医療現場の余力の無さも感じた。

医師でなくてもリストがあれば連絡できると思われる。

もちろん、主治医から直接連絡をもらえた方が安心なのだけどね。

今回の新型コロナウイルスで、医療従事者の負担は大変なものだろうし、さらに、患者が減って経営危機に陥っている病院も少なくないと聞く。

元々余力が少ない状態が、過剰な対応や過少な患者によって医療崩壊に直面させているのかもしれない。

国民医療費の増大が国の財政を圧迫している、その一方で、日本の医療現場は余力を失っているだろうか。


現場は大変

2020年5月25日月曜日

緊急事態解除のタイミングで点検すべきこと

緊急事態宣言が全面解除された。

僕たちの歴史にとって緊急事態宣言も初めてだったから、その解除も初めてだ。

その意においては、2回目の東京オリンピックより稀有な体験なのかもしれない。

もっとも、オリンピックの延期も滅多にない。

と言っても僕たちの生活が新型コロナウイルス以前にいきなり戻ることはないだろう。

罹患してしまえば、あとは軽症で済むか、重症化するか、雲を天に任せるしかないからね。

僕たちはあり方として物事や他者に対して、在りたいか、在るべきか、関わるか、孤立するか、それぞれのスタイルを持っている。

今回の緊急事態宣言に伴う自粛生活は、在るべきとして孤立せざるを得ない状況下にある。

だから、そのスタイルが得意な人の他はストレスが溜まりまくっていることだろう。

一方、自分の在るべきをさらに深めることで、本当の自分を知り、それを受け入れて新たなステージに向かう最適なタイミングと言えるかもしれない。

さて、そのような経験にすることが出来ただろうか。


晴れ、となるか


2020年5月24日日曜日

変化に向き合う1週間だったね

1週間のブログを振り返って見ると、社会、大人、在り方、直感と学習、事実、強制(学習)と変化する日常に色々な角度から光を当てていたことがわかる。

すこし、格好の良いタイトルをつけるならば「行動原理と危機管理」みたいな感じかもしれない。

具体的には、僕たちはなぜ行動を変えられないのか、危機的な状況においてもなぜ指示を待つのか、ということだ。

これは間違いなく今の新型コロナに影響を受けているのだけど、実は、もっと広く、様々な場面で起きていることかもしれない。


(月)社会を守っているのは「類推する力」かもしれない
で、ね。僕たちの社会はそういう類推する力によって守られているのかもしれないね。

(火)大人とは何だ
要するに、大人とは表面化していない問題をたくさん抱えこんで生きている人間のことでもあるのだ。

(水)生き様vs生き方
その両方が大切であることは明白なのだけど、時に、僕たちはいま、こんな問いに葛藤したり、日々向き合っているのかもしれないね。

(木)人を見分ける直感と学習から行動を引き出す
ちょっとした犬の散歩にも興味深いテーマが隠れているものだ。

(金)FACTFULNESS と On the Basis of Sex
さてさて、本はまだこれからなのでこれからどんなことに気づけるのか楽しみである。

(土)ギャップアプローチでは学習させられない?
結論からアクセスするのがギャップアプローチだけど、目的に対する強い信念が無いと疑問や危険が満ちて学習拒否が生じるのもこの課題ゆえなのかもしれない。


じっと立つ

2020年5月23日土曜日

ギャップアプローチでは学習させられない?

僕たちが目標を持つ時、それは多くの場合、今のままでは到達できない。

したがって、何かしらの新しいスキルなどを獲得する必要があるよね。

要するに学習が必要なのだ。

組織において新しいスキルは放っておいて獲得できるものではない。

組織として能力を獲得するためには社員の採用や育成が必要である。

さて、E•シャインは、リーダーが社員に本当に新しいことを学習させたいのなら、マネジメントがメッセージの信頼性を獲得して安全な学習環境をもたらすような不安感を創出し、その中で社員が必要性を感じられるものへの学習を強制することと語っている。

シャインの見解からもわかるように、社員を新しい学びに向かわせることは簡単じゃないね。

信頼性、安全、不安感、必要性、そして強制という課題をクリアする必要があるからだ。

もし、この課題を無視して、いきなりこれを学べ、とかマネジメントが言ってしまったら、全てがぶち壊しになる。

これは実感で、本当にうまく行かない。

学習意欲、成長意欲のある自ら学習する人(教えてくださいと言わずに学んでる積極的学習者)以外は、学習不安が伴うので心理的な安全が必要なのだろう。

もしかしたらこの課題は僕たちの脳の構造に由来するのかもしれない。

結論からアクセスするのがギャップアプローチだけど、目的に対する強い信念が無いと疑問や危険が満ちて学習拒否が生じるのもこの課題ゆえなのかもしれない。


きれい




2020年5月22日金曜日

FACTFULNESS と On the Basis of Sex

今朝、NHKのあさイチで、翻訳家 関美和さんと関さんが翻訳した『FACTFULNESS(ファクトフルネス)』が取り上げられていた。

話が面白かったので早速、Amazon Kindleで購入して読み始めている。(町の書店には貢献できないけど、Kindleは本当に便利だ。本の保管に悩む必要がないし。)

まだ、読み始めなので迂闊なことは書けないけど、ドラマティックな本能が、事実ではなく二項対立で世界を捉えているという指摘は力強い。

先日観た、「On the Basis of Sex」(邦題 ビリーブ 未来への大逆転)では法廷という対立の場で性差別という性の対立を描いていた(実話らしい)。

対立は幻想である、ということではなくて、対立を描くとドラマティックになり多くの人が興味関心を持つことの証なのかもしれない。

また映画の中では100年前の文化、伝統と、実態社会のズレにも言及していて、これも人の本能によってFACTに基づいていない事例のように思えた。

映画が本に書いてあることのケーススタディみたいなのだよね。

さてさて、本はまだこれからなのでこれからどんなことに気づけるのか楽しみである。


二項対立?






2020年5月21日木曜日

人を見分ける直感と学習から行動を引き出す

先日、止むを得ず犬の散歩をしていた時、普段走らない場所で急に犬が走り出した。

一体何が起きたのか、思い描く間もなく、犬に引かれて走っていたら、郵便ポストに投函している女性に走り着いた。

その女性は、犬が行く動物病院の看護師さんだった。

看護師さんも最初、自分に向かって走っているとは思わなかったようで、散歩(ダッシュ)の邪魔をしたと申し訳ながっていた。

しかし、犬が盛んにじゃれつくので走っていた理由もわかり、念入りに可愛がってくれた。

そんな優しい看護師さんだから余計、好きなのでしょう。

看護師さんが居ることを僕は全く気づかなかったのだけど犬は20m手前から気づいたようだ。

犬は人間よりも嗅覚が優れているというけど、ひょっとしたら視力も記憶力も優れているのかもしれない。

少なくとも、おまわりさん、新聞配達や宅急便の人など、人によって尻尾を振る場合と吠え掛かる場合が明らかに異なって、気配から察するだけじゃなく、学習して態度を変えていると思われる。

ちゃんと実証していないけど、おそらくそうだ。

いやきっと、直感と学習を組み合わせて行動を引き出しているのだろう。

僕の周りを見ても思い当たることが多い。

では、その比率はどうなのか、どうやって直感と学習を組み合わせるのか。

この仮説が正しく、そして、そのメカニズムが解明できたら経験を通じて行動を成長させるプロセスを描けるかもしれない。

ちょっとした犬の散歩にも興味深いテーマが隠れているものだ。


価値ある走り








2020年5月20日水曜日

生き様vs生き方

僕たちは超高齢化社会に突き進んでいる。

高齢者を言い換えれば経験学習豊富で教訓に満ちた生き様を持っている人たちだ。

一方で、僕たちの社会は予測不能な不確実性と急激に進むテクノロジーの中で新しい生き方にシフトしていく。

その主役はITリテラシーに長けた若年層だ。

新型コロナウイルスで浮き彫りになったのは生き方の大切さだよね。

時間をかけて熟成した生き様か、変化を進化にしていく生き方か。

その両方が大切であることは明白なのだけど、時に、僕たちはいま、こんな問いに葛藤したり、日々向き合っているのかもしれないね。


段差

2020年5月19日火曜日

大人とは何だ

僕たちが大人になるとフィードバックを受ける機会が少なくなる。

大人とは自立して他人に迷惑をかけない、弁えた人間のことだからね。

しかし、僕たちは自分がそんなに器用に他者と関われないことも知っている。

迷惑をかけないつもりでも、かけてしまうことは少なく無い。

問題が顕在化した時は、問題解決に向かうきっかけになるのだけど、潜在化している時は厄介だ。

他者を大人だと思えば、余計なことは言わなくなるのでより潜在化しやすくなる。

悪循環が生じるのだね。

また、他者にフィードバックをおこなうには、その他者がフィードバックが必要と自覚していることが重要だ。

自覚の無い時にフィードバックを行うと大概、その人は貝になる。

潜在化、悪循環、貝。

要するに、大人とは表面化していない問題をたくさん抱えこんで生きている人間のことでもあるのだ。


光あれ




2020年5月18日月曜日

社会を守っているのは「類推する力」かもしれない

在宅ワークによってWEB会議をする機会が増えている。

もちろん僕だけじゃなく、世の中全体で、だ。

インターネットが不安定で会話や映像が聞こえなかったり止まったりすることもあって、快適にはあと一歩といったところだろうか。

ところで火星から帰れなくなったり、別の銀河に移住するといった映画を観ていると、メールのやり取りでもたいそうな時間が掛かっている。

特に、アインシュタインの相対性理論が適応されるような強い重力の元での1時間は地球の27年に相当するといったような設定だったり、メールの到着は19年後の設定だったりした。

そうなるともはやWEB会議なんて成立しないよね。

僕が映画の設定みたいな経験をすることは無いだろうけど、もしそうなったらなにをどうやって決めるかのか、今の方法や習慣は全く通用しないことでしょう。

そして、映画ほど凄くなくても「これまで」が通用しなくなることはこれから起こり得ることなのだから、僕たちは類推する力を高めて行かねばならない。

2003年、SARSがベトナムで広がり始めた時、WHOのウルバニ医師は中国広東省で報告されていた謎の肺炎との関係性に気づき、自分の生命と引き換えにパンデミックを防いだそうだ。

一見すると全く別の問題から関連性を見出しいち早く本質に近づく。

で、ね。僕たちの社会はそういう類推する力によって守られているのかもしれないね。


テディベアかも



2020年5月17日日曜日

意味を問いかける日々

僕の日曜日は1週間の振り返りが待っている。

そこで月曜日から土曜日までのブログを読み返してみると、物事や状況の意味を問いかけ、もう一度意味づけをおこなっているように思える。

そう、「意味」は「いつでも変わり得るもの」だからね。

(月)セルフアセスメント(性格診断)って何のため?
リフレクションがそうであるように、運命に囚われるのでなく、出来事により深い意味を見出し運命を感じるためにセルフアセスメント(性格診断)があるのだ。

(火)いま、分岐点を感じる
僕はこんな哲学的な対話をしたいなぁ・・・(これがリアルな感情であり思考なのだけどね)

(水)人事を尽くす、100年前の今、自分
昨日も取り上げたマルクス・ガブリエルの
あなたの人生で深く意味のあること
出来事により深い意味があると思えたとき
あなたは自分自身に近づいているのです
と重ね合わせると、与謝野晶子が自分自身に一歩近づいた経験の中に僕たちも居るのかもしれません。

(木)認知思考での差別について
漫才だとボケとツッコミの関係と言えるかもしれないね。

(金)持続可能な開発目標は続くよ、どこまでも(ポッポー)
で、ね。運動の揚げ足をとっても仕方ないのだけど、やはり問題を詳細化、局所化、そして政治化せずに取り組んで行けるといいよね。

(土)コロナ対策で見えてくる僕たちの未来を拓く人の条件
超異才でもないのに拘ってしまう職人、商才と称して誰かの発明にただ乗りする通称「戦略的」経営者は、過去の人であることをすぐに悟った方が良いのかもしれない。


サボテンの花

2020年5月16日土曜日

コロナ対策で見えてくる僕たちの未来を拓く人の条件

ヘンリー・フォードが発明したのはT型フォードではなく、1台作りのに13時間掛かっていた作業工程を5年後に90秒に1台にした、流れ作業である。

科学的と呼ばれる人材管理の手法もここから生まれた。

徹底した作業管理によって生産性を最大化する、それが、タレントマネジメントの起点なのだ。

だから今でも僕たちの社会は時間で給与が決まる。

ティール組織がどんなに理想的であろうとも社会はヘンリー・フォードの呪縛から解かれることはないのかもしれない。

ビジネスの観点では、アイデアの独創性や差別性よりも、効率性とスピードが勝負の分かれ目になる。

無二の価値を生む人間国宝のような存在は統計的には"0"と同意である。

だから、新規事業開発のポイントは、無駄を見出し解決する方法をすぐに実現することである。

大企業であれば巻き込み力になるのだろうけど世の中のスピードはそんな悠長じゃないよね。

そして、ミレニアム世代を筆頭に若い人ほどこのアプローチに最適化されている。

意味を見出すのではなく、得をする方法に敏感なのだ。

しかし、今はフォードが世界を牽引していないようにセカンドランナー戦略には発明を待たねばならないジレンマがある。

さらに発明があったとしてもより最適化された世代には勝てない。

そして、最適化された世代の中の規格外こそが未来の扉を開くキーパーソンだよね。

今回のコロナ渦で言えば、台湾のアプローチはこれを実証している。

最も敏感な世代のキーパーソンを中心に据えて問題に向き合うことで最大の効果を上げている。

超異才でもないのに拘ってしまう職人、商才と称して誰かの発明にただ乗りする通称「戦略的」経営者は、過去の人であることをすぐに悟った方が良いのかもしれない。


誰?




2020年5月15日金曜日

持続可能な開発目標は続くよ、どこまでも(ポッポー)

僕は今日、代金取り立て手形の手続きで銀行に行った。

僕の会社で手形で支払いを受けるのは数年に一度の出来事だ。

でも、僕が35年前に銀行員だった頃は手形は振込よりも一般的だったように思う。

事前に確認して支店に行ったのだけど、たった一枚の手形の処理に結構時間が掛かったことを見ても、銀行の支店でも手形はあまり一般的で無くなっているのかもしれないね。

さて、手続きに向かう道中で建設途中のビルの仮囲にSDGsが大々的に描かれていた。

それを見て頭に浮かんだことは『持続可能性ってこんなにゴールが遠い・・・』だった。

本当に、これを社会全体で全てクリアしないと僕たちの未来は無いのだろうか。

一方、僕たちは今日を生きながら、歴史を作ってきた、つまり、持続してきている。

そして僕たちの未来は『ある』。

で、ね。運動の揚げ足をとっても仕方ないのだけど、やはり問題を詳細化、局所化、そして政治化せずに取り組んで行けるといいよね。


遠いでしょ?





2020年5月14日木曜日

認知思考での差別について

僕たちは物事を認知したり思考する時、誰もが同じように認知し、思考すると思いがちだ。

しかし、実際にはどう認知し思考しているのかは、人それぞれである。

要するに他の人が同じように見て、考えていることは無いのだ。(「おおよそ」同じように見て、考えることはあるだろう。)

問題があるのは、認知思考の仕方によって優劣がつけられてしまうことだろう。

状況によって生じる有利・不利が評価となってしまうのだ。

この認知思考の仕方は、基本的に本人の努力に関わらず持って生まれるものだから、それによって優劣を決めることは差別になる。

例えある状況に応じた認知や思考が出来ないとしても、他の状況では的確だ。

僕たちは他者に何かと違いを見つけたがり、そしてそれで無意識のうちに優劣をつけている。

漫才だとボケとツッコミの関係と言えるかもしれないね。


それぞれ違う良さなのね

2020年5月13日水曜日

人事を尽くす、100年前の今、自分

私は今、この生命の不安な流行病の時節に、
何よりも人事を尽くして
天命を待とうと思います。

『人事を尽くす』ことが
人生の目的で無ければ
なりません。

私達は飽迄も
『生』の旗を押立ながら、
この布施ぜんな死に対して
自己を衛ることに
聡明でありたいと思います。

与謝野晶子

NHK BS1 スペシャル ウイルスvs 人類3 スペイン風邪 100年前の教訓 より

スペイン風邪で人生観を変えさせられた与謝野晶子の言葉が番組のエンディングで紹介されていました。

番組を観て、100年まえと変わっていないことに気づき、そうなると流行病に向き合って人生の目的を問うた与謝野晶子の言葉は、今を生きる僕たちの言葉でもあります。

昨日も取り上げたマルクス・ガブリエルの
あなたの人生で深く意味のあること
出来事により深い意味があると思えたとき
あなたは自分自身に近づいているのです
と重ね合わせると、与謝野晶子が自分自身に一歩近づいた経験の中に僕たちも居るのかもしれません。


光を

2020年5月12日火曜日

いま、分岐点を感じる

僕はここ数日、マルクス・ガブリエルの新実在論に多いに刺激を受けている。

その観点で今日、今時点の僕を考えると、

「あからさまに全てを明らかにしてはじめる」のか「全てに意味を見出す続きを行う」のか、その分岐点に立っているような感覚だ。

明らかにする、のは他者に対してであり、意味を見出す、のは自分に対してだ。

そして、前者は「生存」、つまり得な生き方をすることで、後者は「生活」、つまり自分自身に近づくことで運命を自由にしていくことと言えるのかもしれない。

僕はこんな哲学的な対話をしたいなぁ・・・(これがリアルな感情であり思考なのだけどね)


意味を!


2020年5月11日月曜日

セルフアセスメント(性格診断)って何のため?

性格特性とは、異なる状況においても予測できる行動の一貫性である。

あの人はこんな場面でどう行動するのか、を知りたいからね。

そんな性格特性を知るツールがセルフアセスメント(性格診断)なのだけど、本当の役目はそんな表層的なことではない。

運命というものはあるのです
誰もが運命を持っています
あなたが運命を見いだせるか否かが問題です
問題はあなたが運命を感じているか否かです
あなたの人生で深く意味のあること
出来事により深い意味があると思えたとき
あなたは自分自身に近づいているのです
運命は必然を意味しません
運命とは自由を意味します
自分が自由になったとき初めて運命を見出せます
マルクス・ガブリエル

自分自身に近づくこと。

リフレクションがそうであるように、運命に囚われるのでなく、出来事により深い意味を見出し運命を感じるためにセルフアセスメント(性格診断)があるのだ。


近づく

2020年5月10日日曜日

自分自身に近づくこと

僕たちは、他者にマウンティングする経験を増やすのではなく、経験を意味づけして自分自身に近づき自由になるのだ。

それは1週間の総括というだけでなく、もっともっと大きい気づきなのだと思う。

(月)みんな「利己的な遺伝子」が為せる技 、か
僕にとって「利己的な遺伝子」は、深く理解するというより、考え方を知るくらいで良かったのだけど、今回のウイルスにしても、チャレンジにしても、自粛しない行動にしてもその原理を考え説明するヒントがあるかもしれないね。

(火)アドレナリンよりオキシトシン
でもね。よく考えたらその問題は虚像で本当は問題では無いのかもしれないよね。

(水)アイディンティティのゴールを考えよう
最も、アイデンティティ自体がさらに向上していくものだから、成長に終わりは無いのだけどね

(木)風が吹けば桶屋が儲かる
僕たちの生活は、日々の習慣に最適化されてしまっていて変化に弱いことを痛感する今日この頃である。

(金)「遊び」と「ゲーム」の違いを考える
で、ね。僕たちは「ゲーム」で「遊ぶ」とか言ってしまうけど、ちゃんと使い分けた方が良いかもしれないね。

(土)僕たちは持続可能な未来へ「成長」する
食べ放題で排泄するのではなくじっくり味わって自分の身体を構成する要素にすること、それが、僕たちの「成長」の姿である。


ビルに顔

2020年5月9日土曜日

僕たちは持続可能な未来へ「成長」する

僕たちの人生には「生存」というテーマがある。

そのテーマにおいて、僕たちは常に他者よりも強く大きな存在である必要がある。

弱肉強食だ。

しかし、もし僕が圧倒的に強く他者を全て打ち負かして餌食にしたら世の中に残るのは僕一人。

そうなると僕は「生存」出来ない。

また、僕は決してそんな強さを身につけられない。

となると僕が「生存」のために行えるのは他者が弱く劣っていて打ち負かされる存在にすることである。

仮想的有能感だ。

自己効力感に潜む負の感情だね。

もし、僕たちの成長を器のように考えるのであれば、自己効力感はより生存に対してポジティブな影響を与えてくれる(と感じられる)し、それによってよりレベルの高い機会に挑めるので成長実感を持ちやすいかもしれない。

自己効力感が増すと周囲からも成長したように感じられるだろう。

しかし、「生存」に潜むパラドックスから自明する「成長」の定義は、他者を見下した評価をすることではなく他者の存在に意味を見出すことだ。

要するに、大きさや高さといった数値や統計で僕たちの人生は測れないことを知り、僕たちが存在する多様性のある社会や自然の未来に向けて今日を「生活」することなのだ。

僕たちの人生から「生存」のテーマを取り除くことは出来ないけど「生活」のテーマをより強く持つことはできる。

他者を見下し食い尽くそうとするのでなく、他者を認めその存在が自身に与える意味を知ることで初めて持続可能な未来を創造することができる。

食べ放題で排泄するのではなくじっくり味わって自分の身体を構成する要素にすること、それが、僕たちの「成長」の姿である。

NHK BS1 欲望の時代の哲学2020 マルクス・ガブリエル を観て


生活



2020年5月8日金曜日

「遊び」と「ゲーム」の違いを考える

外出自粛は継続しているけど、新宿の書店、紀伊國屋が営業を再開したら行列が100人くらい出来てしまったそうだ。

そしてその多くは「あつまれ どうぶつの森」の攻略本を買う人たちであったらしい。

外出自粛でゲーム、特に任天堂の「あつまれ どうぶつの森」が売れているとは聞いていたけど、複雑な気分だね。

先日放送されていた番組で紹介された、動物行動学者ゴードン・バーグ・ハートの「遊びを測定するための「 遊びの5つの条件 」

  1. 行動に明確な理由がない
  2. 何度も繰り返す
  3. 時に大袈裟
  4. 自然発生的
  5. ストレスがない状態で行われる

に照らし合わせてみると、今回の行列には明確な理由がある。

つまり、ゲームを攻略するために並んでいるのであって「遊び」ではなく「ゲーム」の一環なのだ。

全てのゲームには、「モンダイを解決せよという命令」が与えられているというけど、そのために自粛せず攻略本を買いに並ぶのかもしれない。

で、ね。僕たちは「ゲーム」で「遊ぶ」とか言ってしまうけど、ちゃんと使い分けた方が良いかもしれないね。


何を「がんばろう」か

2020年5月7日木曜日

風が吹けば桶屋が儲かる

どんなことにもその影響が生じる、それも思いも寄らなかったところに。

新型コロナウイルスでは、マスクもとよりトイレットペーパーが店頭から消え、消毒アルコールが足りなくなった影響で精製水まで売り切れてしまったりしているそうだ。

昨日聞いた話では、自粛のため営業をテイクアウトに切り替えている飲食店で、テイクアウト用容器の品不足が深刻化しているらしい。

在宅が増えて、ゴミも増えるのだそうだ。

スーパーやドラッグストアには人が集まって働く人の感染リスクが高まることは大きな問題だし、同様にゴミ収集に人がゴミから感染する可能性が高まることも看過できない影響だ。

グローバルでは、中国の工場が止まって日本で車の生産が出来なくなった。

普段していることが出来なくなり、何か他のことに活路を見出そうとする努力が、思ってもいなかった状況を生み出す。

僕たちの生活は、日々の習慣に最適化されてしまっていて変化に弱いことを痛感する今日この頃である。


どっちに行こう









2020年5月6日水曜日

アイディンティティのゴールを考えよう

子育てに、アメリカインディアンの教えというのがあって、どんなふうに育てられるとどんな人になるのかが語られている。

例えば、「はげましを受けて育った子は自信をもつ」と言ったようにね。

他にも10個程度あるのだけど、この教え、的を射ているところもあると思う。

実際、同じような経験をしても自信がある人とそうで無い人が居て、それはそもそも持って生まれたというより、出生後に身につけたものが大きい。

いろんな人のインタビューを行う中で感じるところである。

また、僕たちには「○○世代」というラベルが貼られるけど、「ゆとり教育」で「ゆとり世代」が育ったように、社会環境や教育方針が僕たちのアイデンティティに与える影響は少なく無い。

さて、「自信がある」という自己認識と、「何ができるか」は別問題らしい。

何でも自信たっぷりで気前よく引き受けてくれるのだけど、アウトプットがミスだらけだったり、考えが足りていないこともある。

自信が無くてミスを起こすのならばわかるけど、自信があるのにミスが散見される場合、それは自己認識が合っていないことになる。

もちろん、経験を積んで「何ができるか」のレベルが上がりミスが無くなることが一番望ましくて、それによってアイデンティティは社会的な価値と一致することになる。

僕はそれがアイデンティティのゴールだと思うのだけど、真のゴールに至るにはまだ道半ばとの謙虚さが大事だよね。

最も、アイデンティティ自体がさらに向上していくものだから、成長に終わりは無いのだけどね。


自粛では無い



2020年5月5日火曜日

アドレナリンよりオキシトシン

新型コロナウイルスで自粛中のゴールデンウイーク。

家にいて思うことは、やはり、闘うことではなく愛しむことだね。

それは、僕に誰からから奪うことではなく、健康と幸せを与えてくれる。

テンション高く張りを持って生きることには緊張感と達成感を得られるかもしれないけど、じっくりと過ごす時間を感じることで充実感が得られる。

緊張感と達成感に慣れてしまうとじっくりと過ごすことに不安を感じてしまう。

そして、緊張感を探して問題を見つけ出す。

このところの報道を見ていると嫌になるくらい、問題、問題の大合唱だ。

でもね。よく考えたらその問題は虚像で本当は問題では無いのかもしれないよね。


愛しむ

2020年5月4日月曜日

みんな「利己的な遺伝子」が為せる技 、か

僕のFacebookのタイムラインには最近、「ブックカバーチャレンジ」で本の表紙が一杯並んでいる。

皆、自分だけの大切な本があるものだ。

僕も大切な先輩からお誘いを頂いた。

僕の7冊は何だろう。

少し考えて、でもお詫びをしてチャレンジしないことにした。

7人を招待するという、ネズミ講的な発想がやはり性に合わないと思ったのだ。

良くも悪くも無限に増やしていく企みが僕には健全に思えない。

一人から多くの人に広がっていくのは苦しめられている新型コロナウイルスの戦略と同じだからね。

そもそも、FacebookなどSNSで発信している人は登録者の一部だと言われている。

その人達が一斉に同じ運動を展開することにも違和感があるので、僕が知りたいのは、7人を招待するというルールをどんな思いで作ったのかである。

さて、この運動や陽性がわかっていてバスに乗った女性の話などに触れて頭に浮かんだのは、リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」だ。

結果として遺伝子は勝ち残る戦略をとっていることを説いた本「らしい」。

「らしい」と書いたのは、僕はこの本をさっとしか触れておらずレジメも作っていない。

複雑系の本に熱中していた僕にとってこの本は興味の対象内ではあるが、ストライクではなかった。

僕にとって「利己的な遺伝子」は、深く理解するというより、考え方を知るくらいで良かったのだけど、今回のウイルスにしても、チャレンジにしても、自粛しない行動にしてもその原理を考え説明するヒントがあるかもしれないね。


らせん




2020年5月3日日曜日

未来を考えるのか、第二波に備えるのか

先週のブログを振り返ると、ちょっと未来志向になっているようだ。

でもそれは、僕だけじゃないかもしれない。

いい季節だし、そろそろ未来を考えよう、と言った雰囲気を少しづつ感じる。

このままでは立ち行かなくなると危機感を持つ人達の心情も反映されているように思える。

組織改革のファシリテーションでは、最初に不平不満を全て吐き出させ、そこから「そうは言っても、未来を考えなくては」と局面が変わって初めて未来志向になれると言われている。

その意で、第一波の不平不満が行き渡ったのかもしれないけど、これから第二波、第三波が想定されており、その時でも未来志向でいられるのか気になっている。


(月)死ぬ時は1人、か、未来があるという事実、か
でもね、未来はある、間違いなく、僕たちには僕たちが変えられる未来があるのだ。

(火)生存に知恵は要らない?
で、ね。ひょっとしたら人よりも頭も知恵も無いウイルスの方が賢いのかもしれないね。

(水)10年ひと昔だけどまだら模様の生き方のアップデート
1週間でアップデートされてしまう生き方もあるけど、10年経っても変わらない生き方もあって単純化してはいけないよね。

(木)未来は開かれている
NHK BS1スペシャル コロナ危機「グローバル経済 複雑性への挑戦」より

(金)仕込まれた「激変」
僕たちの日常にはそういう「激変」がいくつも仕込まれいてる、当たり前にね。

(土)さあ、遊ぼう 抑鬱に飲み込まれないように

番組の後半で紹介された心理学者の言葉は、僕たちが抑鬱されている時こと遊ぶことを思い出すべきであることを教えてくれているのかもしれない。 


まだ、だよ、きっと

2020年5月2日土曜日

さあ、遊ぼう 抑鬱に飲み込まれないように

僕はブログで何回か「遊び」について書いたことがある。

その際、僕が引用した「遊び」の定義は、「人間はなぜ遊ぶのか」M・J・エリス P36から、
遊びは、その活動そのものに内在する報酬を求める以外に、どんな動機によっても動機づけられない。
である。

さて、NHK BS1で放送した
「遊びの科学」 (The Power of Play) Tell Tale Production 2019カナダ
という番組を観た。

番組冒頭で

心が折れるより
骨が折れたほうがまし
マージョリー・アレン

という一文が紹介され、以後「遊び」が生き物にどんな役割を果たすのかが紹介される。

遊びは体だけでなく脳も鍛える
スチュアート・ブラウン

番組の主題はこの遊び研究の大家の言葉に尽きるだろう。

また「生き物」は人間に限ったことではない。犬などはもとより、蜘蛛や水蛸まで「遊ぶ」というのだ。

動物行動学者ゴードン・バーグ・ハートは遊びを測定するために、

遊びの5つの条件

  1. 行動に明確な理由がない
  2. 何度も繰り返す
  3. 時に大袈裟
  4. 自然発生的
  5. ストレスがない状態で行われる

を定め、何かを調べるのが探索、それを使ってするのが遊び、と言ったように区分けして研究を行い他の研究者もそれに沿って多くの研究成果を集める中で、爬虫類はそれ以外でも遊びが観察されることを発見している。

この5つの条件は、エリスの定義より観察に適している。

人間もこれを当てはめて観察することができるかもしれない。

逆に、明確な理由、限定的、理性的、意図的、ストレス負荷がある、場合は遊びとは言えないのだろう。

これによって遊びと勘違いしていたものも浮き上がってくる。

遊びの反対は仕事ではない
抑鬱である
ブライアン・サットン スミス

番組の後半で紹介された心理学者の言葉は、僕たちが抑鬱されている時こと遊ぶことを思い出すべきであることを教えてくれているのかもしれない。


遊び ちう


2020年5月1日金曜日

仕込まれた「激変」

僕たちの目の前には昨日と違う今日があって、でも、未来ってそんなものだから昨日と違っていて当たり前なのだろう。

でも僕たちはどこかで今日は昨日と同じだと考えいる節があるよね。

毎日が新鮮、と考えればすごくポジティブなのかもしれないけど、悲しいかな、僕たちは8割以上、習慣化した行動をとっている。

それは、省エネだったり、秩序によるカオスを防ぐ手立てだったりするのだろうけど、残りの2割を日常にすることは大いな苦痛である。

僕たちはそんなストレスに耐えられるよう作られていない。

朝食にメニューが昨日と違うことに喜びを感じるかもしれないけど、毎日、信仰を変えることは出来ないのだ。

そもそも、僕たちのアイデンティティとかパーソナリティは、僕たちの中の変わらない部分を指している。

経験的に裏付けられている「事実」なのだろう。

今回のパンデミックに限らず、大恐慌や戦争なども昨日と100%違う今日だ。

僕たちの日常にはそういう「激変」がいくつも仕込まれいてる、当たり前にね。


仕込まれている