2020年3月31日火曜日

「人のこと」をシンプルに言語化するのは難しい

”気持ちを言語化できず じたばたするあなたに!”

そんな帯のついた「感情ことば選び辞典」という本を少し前に買った。

「ことば選び」は仕事の中でいつもとても時間が掛かり、それでもなかなかしっくりとこないものだから、本屋で見かけた時、すぐ購入したのだ。

この辞典、”愛(愛する)”から始まって”悪い”まで感情にまつわるおよそ200のキーワードで構成されている。

例えば、今、僕たちが置かれている新型コロナウイルスの状況”危ない”に関しては、「危機」「危険」「窮迫」「不用心」などのことばが並んでいて、使い分けて1つの文章が書けそうである。

感情的には”危ない”の連呼だけどね。

さて、”危ない”という感情には、”危ないことをしたい”という欲求、”危ないことにどう向き合うか”という思考、そして、”危ないことをしている”という行動などが伴ってくる。

さらに”危ないことをしたい”の背後には”それで皆の注目を集めたい”という本質欲求もあるだろう。

また現実には、「あの人は最愛の人の窮地を自らの危険を顧みずに救いに行く」と言ったように”危ない”が”愛(愛する)”や”悪い”などと組み合わさったり、行動の意識、無意識が混ざり合うのでニュアンスや文脈は膨れ上がっていく。

感情を取り巻く欲求、思考、行動、そして本質欲求、ロジカル−クリティカル思考、顕在−潜在意識、それら全体が僕たちの日々なのだ。

で、ね。そういった人の複雑さをシンプルに言語化することは本当に難しいね。


秀麗な桜の向こうに危機



2020年3月30日月曜日

社会的地位ではなく、自分らしく生きるということ

志村けんさんが亡くなった。

新型コロナウイルス肺炎が原因である。

流行りに疎かった僕は、8時だよ全員集合や仮面ライダーは同級生の話題で知ってハマったくちである。

だから、8時だよ全員集合はすでに人気が出ている状況からテレビに齧り付いて観た番組でだった。

その当時は、荒井注さんがメンバーで志村けんさんは出ていなかったと思う。

それゆえ東村山音頭が出た1976年にはすでに中学生になっていたのでそれほど熱狂した記憶がなく、「なんだ、バカヤロウ」の方が馴染みがある。

その後、お笑いには色々なトレンドがあったけど、その中でも志村けんさんは、変なことをして人を笑わせるだけでなく、動物への愛情など、人間性で多くの人を惹きつけてきたと思う。

志村けんさんは、「変なおじさん」は実は自分自身なんだとインタビューで話していた。

見せかけではなく、素の自分に潜む面白さを全開にして人々を笑わせたのだ。


あまりにも急なことで、驚きと新型コロナウイルスの恐ろしさを今、感じている。

そして、何よりも深い悲しみを。


さて、僕は団塊の世代の次のしらけ世代の後期だ。

志村けんさんはちょうどその世代の狭間で、猛烈な競争と異なる世界を牽引していたのだろう。

で、ね。僕がそういう肩書きではなく自分らしさを体現する人たちに強く惹かれるのは僕の置かれた世代の特性ゆえなのかもしれないね。


やがて散る

2020年3月29日日曜日

僕たちは置かれた場所で咲くように考えている

先週のブログを振り返って見るとテーマは間違いなく「働く」だった。

働くとは何か、働くためには何が必要か、といった具合にね。

こんな状況だから仕方がない。

でも、僕たちの思考がいかに環境から影響を受けているのかもよくわかる。

このような状況で働くとは何か、何が必要か、だもの。

結局、僕たちは、本質的、普遍的で大切なことを考えているつもりでも実はその時置かれている状況の中で物事を捉え考えているのだろうね。

(月)ミスマッチの本質は人生の無駄な時間
エネルギー高めとかじっくり考えるタイプとかと言った性格特性ではなく、それまでに注いできた思いや時間を無駄にしないこと、だとね。

(火)「見える」ことの心理的安全とその本当
そしてそれは「学習」によって獲得されるものなのだろう。

(水)未経験で予測不能なことに応じるスキル
短く言い換えると「認知、理解、冷静、学習、指針」であり、要するに「正しく知り、正しい態度でのぞむこと」なのかもしれない。

(木)新型コロナウイルスの切り札の後に僕たちが出す札
どの方法も一定の効果を上げているから、やはり僕たちの切り札は若者の行動の統制なのかもしれない。

(金)働くリズム、生きるリズム
「適応する」ということだろうけど裏を返せば「会社で働くこと」は結構特殊な状況に慣れてしまっていることなのかもしれないね。

(土)被在宅ワークの経験を通じて在宅ワークを考える
要するに在宅ワークは、働き方だけでなく、暮らし方改革になるのだね。


地球の上に置かれている


2020年3月28日土曜日

被在宅ワークの経験を通じて在宅ワークを考える

チャップリンの「モダン・タイムス」みたいに機械の一部みたいな仕事をしていたら在宅で仕事をすることなどあり得ないだろう。

だけど僕たちの「働く」に大きく関わっている労働法はいまだに「職場にいる時間」が基準だ。

でも、ひょっとしたら今回の新型コロナウイルスは、労働法の基本も変えてしまうかもしれないね。

さて、僕は今、在宅ワークをしている。

でも今日は土曜日なので在宅休日だ。

一方、家人は土日に通っている講座がWEBになって今日は在宅ワークだった。

つまり、平日と立場が逆、被在宅ワークだったわけ。

それで、WEBミーティングに影響を与えないために、音を立てないことやオンライン動画を観ないなど『ああ、こう気を遣うんだ』ということがわかった。

家で仕事、が前提であればそういう間取りや分担を考えるのだろうけど、職住分離の日常を過ごしていると家庭内に思わぬ問題や気遣いが出てくるようだ。

要するに在宅ワークは、働き方だけでなく、暮らし方改革になるのだね。


テレビも消して静かにね

2020年3月27日金曜日

働くリズム、生きるリズム

在宅での仕事は会社のようにはいかない。

仕事中心になれないからね。

そんなことを日々痛感しているのだけど、在宅が続くと次第に仕事の仕方がわかってくるようにも思える。

例えば、僕の家には犬がいる。

屋内犬だし、狭い部屋だから犬の生きるリズムを無視して仕事をすることは出来ない。

無視すると犬もストレスを溜めて騒ぐし、そうすると僕もストレスが溜まる。

これは、会社で働くリズムにとって大きな苦痛だ。

僕が椅子に座ってPCに向かっっていると、膝の上によじ登ってきて、時に、右腕を枕に寝始めるので右手でPCのキーボードが打てなくなる。

これには結構困る。

しかも寝入ると、重く、熱くなるのだ。

しかし、やがて自分の寝床で寝る時間があることもわかってきた。

落ち着いて寝たいのだろう。

こうして、一緒に居るとだんだん犬の生きるリズムがわかってきて、それに合わせた働き方が見えてくる。

そうすると生きるリズムと働くリズムの切り替えが出来るようになってお互いにストレスが減るし、効率も上がってくる。

「適応する」ということだろうけど裏を返せば「会社で働くこと」は結構特殊な状況に慣れてしまっていることなのかもしれないね。



そこで寝る・・・

2020年3月26日木曜日

新型コロナウイルスの切り札の後に僕たちが出す札

ロビー活動は予見すること
敵の動きを予測し、対策を考えること
勝者は敵の一歩先を読んで計画し、
敵が切り札を使った後、自分の札を出す
敵の不意を突くこと、自分が突かれないように

僕の大好きな映画に「女神たちの見えざる手」がある。

銃規制法案のロビーストを描いた映画だ。

映画のクライマックスで主役が語るのが冒頭の台詞なのだけど、これがとても良い。

闘いの本質に触れているような気がしてね。

例えば、漫画「あしたのジョー」でクロスカウンターと言うパンチが出てくるのだけど、相手の切り札の後に自分の切り札を出すことは、勝負のツボなのだろう。

さて、今回の新型コロナウイルスは間違いなく、ウイルスと人類の闘いだ。

共存、共生する中でも避けられない闘いなのだろう。

その中で新型コロナウイルスの切り札は何なのだろうか。

僕は自由奔放になりがちな若者に潜む能力だと思う。

つまり、自覚に疎く、統制が効かない層を活用することで駆逐を逃れる生存戦略である。

この戦略の不意を突くためには、若者の行動を統制することなのだろう。

中国は強権で行動を封じ込めて統制し、韓国は感染者を情報化することで統制し、日本は戦う場所を定める戦略で統制しようとしている。

どの方法も一定の効果を上げているから、やはり僕たちの切り札は若者の行動の統制なのかもしれない。


距離を空けましょう

2020年3月25日水曜日

未経験で予測不能なことに応じるスキル

僕は3月5日から在宅ワークをしている。

この3週間の始まりには何回か会社に行ったけど日を追うにつれ、会社には行くことは避けている。

はっきりと”僕は行動変容しなくてはならない”と思ったからね。

一方、そんな中でも桜の開花に何となく気が緩み、連休に花見をしていた。

しかし、今朝、医師である友人から入ったメッセンジャーはとても緊迫したものだったし、小池都知事の今夜の会見からも並々ならぬ緊張感が伝わってきて気を引き締めようと思っている。

これからも最前線の現場を知る人の発信を少しでも感度良く受け止めたいものだ。


さて、今僕たちに必要なのは、行動変容である。

それも「未経験で予測不能な状況に応じた行動変容」だ。

この行動変容に必要なスキルとはどのようなものだろうか。

以下の5つを考えてみた。

  1. 関心を持って最新の情報を入手する情報感度
  2. 情報に依存せずデマに踊らされない情報処理
  3. 他人の情動に揺らいで衝動的にならない感情制御
  4. 自身を謙虚に振り返って変容すべき行動を見つける経験学習
  5. 利己性を制御して見えない他者に協力する利他思考
短く言い換えると「認知、理解、冷静、学習、指針」であり、要するに「正しく知り、正しい態度でのぞむこと」なのかもしれない。


誰もいない花見


2020年3月24日火曜日

「見える」ことの心理的安全とその本当

見守りカメラという商品カテゴリーがある。

実は僕の家にはだいぶ前から設置されている。

それは留守番をしている子犬の様子を見るためのものだ。

例えば夏の暑さの中でエアコンが故障してしまった時にモニタリング出来ればいち早くその様子を知り駆けつけることができる。

そんな見守りカメラが最近売れているらしい。

休校で家に居る子供の様子をモニタリングすることを目的としているのだ。

で、ね。僕たちは見えないことに不安を感じるよね。

だから、「見える」ことは僕たちにとって安心安全な状態、つまり、心理的安全が確保され前向きに行動できる状況なのだろう。

でも、その「見える」とは、視力の話ではなく、状況や物事の本質を理解出来ていることなのかもしれない。

そしてそれは「学習」によって獲得されるものなのだろう。


目で味わう

2020年3月23日月曜日

ミスマッチの本質は人生の無駄な時間

僕が大学を卒業して就職する時、親は銀行を薦めた。

親には親の考えがあったのだろうけど、僕が銀行に就職して1年間、入出金の札勘定と駅の硬貨両替に明け暮れている姿を見ていたらどう感じたのかな。

そのために高い学費を払ったと、思えただろうか。

僕は仕事のことには一切触れなかったけど、就職してから一年で10キロ近く痩せこける姿を見て大層、心配していた顔を思い出すからきっと何かを感じていたのでしょう。

僕は大学の経済学で組織論を学んでいたからそういう視点で仕事に取り組めれば良かったのだけど、結局は、一番問題だと思っていた人間性も高度な専門性も疎外された仕事に就いたわけだ。

その後、それは本当に人ではなく機械の仕事になった。

もちろん、仕事を選んだのは自己責任だから誰のせいでもなく、仕方がない。

また、そんな状況ゆえの学びもたくさんあった。

でも、その当時の僕にはその現実を予測することは出来なかったね。

さて、当時は東大から民間企業に就職する人は、物珍しくそういう人にはセレクションという名の特別コースがあって、将来、官僚とのパイプ役など特別な任務が期待されていたけど、それ以外の人にも大なり小なり似たような格差があったね。

そもそも就活時に大した意味もなく不動産を希望していた僕は、就活の最後で銀行に潜り込んだのできっと格差での序列は最後尾だったのでしょう。

で、ね、その時の経験を振り返るにミスマッチの本質は「人生の無駄な時間」なのだと思うよね。

改めて言うけど、人生に無駄な時間などない。

どんな過酷な経験であっても必ずその人の成長の糧になっている。

問題はその受け止め方だ。

しかし、僕が、札勘定とソロバンに明け暮れることを知っていれば大学で経済学や組織論を学ぶ必要はなかった。

そう、振り返って、僕はミスマッチの実践者である。

35年以上前のことだけど、今でもあまり変わっている気がしない。

会社は社員が何を学んできたかよりも将来性(つぶし)も兼ね合わせて必要な能力をより高く発揮できる人を探す。

そんなゲーム理論の中に居るのだ。

ゲーム理論には有名な「囚人のジレンマ」と言うのがあるのだけど、僕たちは「囚人」ではないのだからゲーム理論に付き合う必要はないよね。

と考えれば、就活生が無駄な時間を過ごさないよう行えること(ミスマッチを減らすこと)は何なのか、自ずと明らかになる、僕はそう思う。

エネルギー高めとかじっくり考えるタイプとかと言った性格特性ではなく、それまでに注いできた思いや時間を無駄にしないこと、だとね。


どこかで部品扱いしている







2020年3月22日日曜日

変わらない自分らしさこそが生命

昔、僕たちが飲んでいたジュースの標準規格は瓶でも缶でも250mlだったような気がする。

その後、自販機で売られる缶ジュースは350mlになり、そしてペットボトルは500mlになった。

僕たちの飲料もジュースからお茶やミネラルウォーターが増えたし、コーヒーもとにかく甘いものから微糖や無糖が普通になった。

かつて、スティーブ・ジョブズがペプシコーラCEOのジョン・スカリーをスカウトした時に”このまま一生砂糖水を売り続けたいのか、それとも私と一緒に世界を変えたいのか?”と説得したそうだけど、砂糖水の現状を考えればスカリーは賢明な選択をしたのかもしれないね。

要は、僕たちが今、当たり前にしている「規格」はどんどん変わっていくということだ。

それは、4年に1度のオリンピックもそうだし、働き方もそうだろう。

一方で、250mlの僕と500mlの僕は変わらない僕だ。

で、ね。ブログを振り返るに、誰かの都合に合わせたとしても変わらない自分らしさこそが生命なのだ、と僕は先週考えていたのかもしれないね。

(月)僕の本質欲求は「驚かせる」こと
だから、僕が僕であるために、きっとこれからもきっと人をちょっとだけ「驚かせる」であろう、と宣告しておこう。

(火)浮いたり沈んだり、それが僕たち
だから浮く時もあれば沈む時もあって、それは不安定ではなく僕たちにとっての安定なのだ。

(水)「出来ないこと」を「出来るようになる」には
まとめると、今まで出来てこなかったことが出来るようになるためには、
 1. 出来ていないことを謙虚に認める(足りないのは「きっかけ」と「時間」ではない)
 2. 出来るように努力し続ける
 3. それでも出来ないのであれば努力の持続と集中力が足りていないので増やす
ということなのでしょう。

(木)生命は機械ではない。福岡伸一さんの動的平衡
それは、「生命とは何か」に全く答えられないからね。

(金)こういう時こそ「自分の答え」を大切にしよう
だから、僕たちは制約条件に左右され過剰にも過少にもならず、自分の生存力に従って自分らしい答えを探し出し続ければ良いのかもしれない。

(土)マインドフルネスも良いけど凹んだ気持ちを凸らせる外の居場所を作ろう
そんな居場所をどこかに作ることで僕たちの人生はより輝くのかもしれないね。


桜は桜らしさを決して失わない

2020年3月21日土曜日

マインドフルネスも良いけど凹んだ気持ちを凸らせる外の居場所を作ろう

三連休の真ん中、僕と家人は馴染みのカフェにランチを食べに出かけた。

馴染みと言っても家から電車で30分の場所にあるお店だ。

このカフェはご夫婦で営まれているのだけど、今回の新型コロナウイルス騒動で気持ちもだいぶ落ち込んでしまわれたそうである。

確かに、在宅ワークになったり、日々、増えていく感染者数や海外での状況を見ていて気持ちが上がることはないよね。

そんな中で店を訪れたのだけど、とても良い時間を過ごすことが出来た。

落ちた気持ちも気がつけば膨らんでいて、その後、2時間ほど、気分良く桜を見ながら散歩した。


僕たちの気持ちを他人は感じることがあったとしても見ることは出来ない。

だから、僕たちの気持ちは、誰か彼に頼ることなく僕たち自身がなんとかしなくてはならない。

そんな居場所をどこかに作ることで僕たちの人生はより輝くのかもしれないね。


輝くための場所





2020年3月20日金曜日

こういう時こそ「自分の答え」を大切にしよう

僕たちが答えを出すためには制約条件が必要だ。

例えば、給料日前だからリッチな外食は出来ない、とかね。

世の中には、そういった制約条件を外すことで答えを広げる、つまり、出来ることを広げてしまうサービスも少なくない。

でも、そういったものには必ずしっぺ返しがあるから注意しなくてはね。

さて、広げるものがあれば、狭めるものもある。

今回の新型コロナウイルスは出来ることを狭める制約条件だ。

それによって、多くの出来ないことが増えている。

そして、その影響も甚大だ。

でもね、新しい状況は、新しい答えを出すための新たな制約条件になる。

そうやって僕たちは自分の答えを変えられるのだ。

項目反応理論というのがあって、評価項目の難易度と識別力を制御する手段があるのだけど、そういった理論を用いなくても、僕たちは一人一人、自分の答えを出すことが出来る。

それは僕らの生存力であって、とてもすごいことだよね。

だから、僕たちは制約条件に左右され過剰にも過少にもならず、自分の生存力に従って自分らしい答えを探し出し続ければ良いのかもしれない。


おちつけ




2020年3月19日木曜日

生命は機械ではない。福岡伸一さんの動的平衡

僕の会社が2015年に引越しをした時、僕が拘ったスペースがある。

知の創発としての書棚だ。

そして、そのスペースには決して安価ではない、一枚板のテーブルを配したMTGスペースを作った。

在庫を持つ商売ではない僕たちの会社にとって「知」と「知の創発」は価値の源泉だからね。

知の年輪を自然に体感して価値を感じて欲しいのだ。

その書棚には社員たちがリコメンドしている本を展示しているのだけど、ある社員がリコメンドしてくれた福岡伸一さんの書籍「動的平衡」は僕のデザインにとっての真骨頂とも言えるだろう。

さて、先日、NHKで福岡伸一さんの「最後の講義」という番組が再放送された。

この番組は福岡伸一さんのレジメとして良く出来ている。

もちろん、番組のバイアスは掛かっているけどね。

この番組の本質は「生命は機械ではない、生命は流れだ」ルドルフ・シェーンハイマー 、に尽きるのだろう。

意味するところは、僕たちは絶えず作り替えられることで持続している存在で、”生命は合成と分解のバランスをとっている”のだ。

つまり、機械が壊れたら入れえるようなものはなく、「生命には部品はない」のだ。

実は「機械」も、部品の集合体ではないのだけどね。

でも、残念ながら、人とか組織とかを機械のように部分で扱いたがる人も少なくない。

むしろ、そういう人の方が大多数なのかもしれないけど、人を機能としか見れないのだろう。

僕はその人たちを非難するつもりは全くないけど、その水準で考え行動するのは僕にとっては大いな苦痛だ。

それは、「生命とは何か」に全く答えられないからね。


ここにある「生命とは何か」




2020年3月18日水曜日

「出来ないこと」を「出来るようになる」には

僕たちは、経験を振り返っても、今まで出来てこなかったことが何かをきっかけに急に出来るようになるわけではないよね。

もう少し丁寧な言い方をするのであれば、今まで出来てこなかったことが努力なしに出来るようにはならない、のでしょう。

例えば、子供が出来なかった「逆上がり」は、練習を積むことで出来るようになる。

運動神経が良い子供はいきなり出来てしまうかもしれないから、もともと出来てこなかった子にとっては「不得意」なことであり、僕の経験からも、一度教わったくらいで「逆上がり」が出来るようになるほど簡単ではない。

これは仕事でも同じだろう。

教えてもらわない、もしくは教え方が悪いからから出来ない、よりも何度も教えを乞うて努力し続けないから出来るようにならないのだ。

さて、この「努力し続ける」ことを言い換えると「集中力」なのかもしれない。

「集中力」は問題解決に欠かせない力だけど、「自分の苦手」という問題解決にも欠かせない。

そして「集中力」には「短時間で出来るようになる」の意味も含まれている。

多くの場合、ケセラセラで時間が解決してくれることは無いのだから「時間の事実」を軽んじてはいけないよね。


まとめると、今まで出来てこなかったことが出来るようになるためには、

  1. 出来ていないことを謙虚に認める(足りないのは「きっかけ」と「時間」ではない)
  2. 出来るように努力し続ける
  3. それでも出来ないのであれば努力の持続と集中力が足りていないので増やす

ということなのでしょう。


努力の持続と集中力ね




2020年3月17日火曜日

浮いたり沈んだり、それが僕たち

今、放送している朝ドラ「スカーレット」で主人公の子供が白血病になってしまった。

東京オリンピック期待の星、池井璃花子さんも罹患した病気だ。

実際に、白血病になった方やその親の気持ちを察するにとても辛い話である。

朝ドラの中では治療にあたる医師に稲垣吾郎さんが扮しているのだけど、印象的なシーンがあって、それは、患者の気持ちが常に揺れていると語る場面だ。

病に勝つぞと思ったらもうダメだと落ち込んだり、患者の気持ちは揺らぐので医者である僕は揺るがないと肝に銘じているのだと説明する。

僕はこれは病気を罹患した人に限った話ではないと思う。

僕たちにはその人固有のパーソナリティがあってある程度行動に一貫性が見られるのだけど、そこには常に揺らぎが伴っている。

おそらく、朝と夜では気持ちが変わらない人の方が稀だろう。

そのことを考えれば、僕たちは僕たちの幅の中で生きていると言えるかもしれない。

だから浮く時もあれば沈む時もあって、それは不安定ではなく僕たちにとっての安定なのだ。


ウキウキ

2020年3月16日月曜日

僕の本質欲求は「驚かせる」こと

人生を振り返ってみれば色々な出来事がある。

それは僕だけじゃない。

でも、僕の色々な出来事はオンリーワンだよね。

そんな僕の出来事は、振り返って一言で表すことができる。

人を驚かせること、だ。

仕事、家庭、付き合い、趣味などなど、全てにおいてね。

でもね、手品のように欺いて驚かすのではなく常識を越えることで驚かせるのだ。

この僕の本質欲求は、ピンチの時にこそ僕に湧き上がって力を与えてくれる。

そうやって今に至るわけだ。

言い換えれば非常識で、多くの人に迷惑をかけているのかもしれない。

さて、開き直るわけではないけど、この本質欲求はおそらくDNAに刻まれているもので、僕の体を構成する37兆の細胞に共通の要素であり、僕のアイデンティティなのだろう。

逆に、このアイデンティティに背く時こそ、僕の最大のピンチであり、ストレスに苛まれる状況なのである。

だから、僕が僕であるために、きっとこれからもきっと人をちょっとだけ「驚かせる」であろう、と宣告しておこう。


驚いた





2020年3月15日日曜日

こんな時だからこそ原点に立ち返って考える

僕には今、2つ「こんな時だから考えること」がある。

1つは、僕たちの暮らしにとって甚大な影響を与えている新型コロナウイルスの感染拡大だ。

もう1つは、大きな変節を迎えている会社の経営である。

さて、先週のブログを振り返るに「こんな時だから考える」のは「原点にかえる」ことであるようだ。

より初期の原点に、ね。


(月)今だからこそ情報リテラシーを高め正しい我慢をしよう
幸いなことに民主主義に慣れた僕たちにとっては、そんな人たちが過半数を越えれば、未来は虹色なのかもしれない。

(火)性(さが)と理(ことわり)、勝つのはどっち?
結果から見れば、性の勝ち、なのだけど、僕たちは51対49が50対50になるように色々な努力をすることで成長できるのかもしれない。

(水)「両利きの経営」は本当に難しい
組織が経営者人材で占められていれば別なのかもしれないけど、そうすると組織は回らなくなくこと必死だしね。

(木)期待するよりも貢献しよう。そうすればもっと良くなる、何事も。
だから、失敗したとしても気にせず常に「どうしましょう?」から「こうしましょう」なのだよ。

(金)僕の予知能力が教える未来への道
で、ね。僕に予知能力があるのだとしたら、どんな逆風でで大変な苦境に立っても、折れることなくチャンスを皆で活かしていくことが肝心なのだろうね。

(土)自然に備わっている「相手を見抜く力」
で、ね。言葉の力を取り除いて生き物としてみれば、人も実は同じことなのもかもしれないよね。


立ち返る



2020年3月14日土曜日

自然に備わっている「相手を見抜く力」

僕たちは、他者の癖や欠点を素早く見抜くよね。

そして、特徴となる違いを見出すことで、顔や体型だけでなくその人となりと合わせて覚えていく。

「あの、背が高くて格好いいけど優柔不断な人ね」とか「自分にはいい加減なんだけ人には厳しいよね」といった具合にね。

見抜いて評価して次の行動に繋げる、これが僕らの「他者を見抜く力」なのかもしれない。

僕たちはコミュニケーションに長け、語彙が豊富だから前述したように、「他者を見抜く力」に後付けで言葉を与え、共有しているよね。

さて、犬は人のことをそんな風に捉えることはないだろうけど、犬と散歩をしていると、急に人に向かって吠え出すことがある。

何かを見抜いているのだ。

僕には犬と話す能力は備わっていないので、人として「怪しげ」とか「じっと睨まれた」とか察してしまうのだけど、間違いなく言えることは、その人固有の特徴を認知しているのだ。

そのうえで、吠える行動に出ているわけで、「敵として戦うべき相手」「獲物として攻撃したい相手」「危険で近づかせたくない相手」「こっちに気づいて欲しい相手」といった評価、つまり「接近」か「回避」のいずれかが本能的に判断されているのでしょう。

「こっちに気づいて欲しい相手」のときは離れていってもずっと目が後を追っている。

僕はいきなり吠えられると驚いて動揺してしまうけど僕の犬の「他者を見抜く力」の本質を理解するためには「認知」ではなく「行動」こそがポイントなのかもしれない。

特に「接近」「回避」の行動は簡単に観察できることだね。

で、ね。言葉の力を取り除いて生き物としてみれば、人も実は同じことなのもかもしれないよね。


接近!




2020年3月13日金曜日

僕の予知能力が教える未来への道

僕の会社で始まった在宅も1週間を越えた。

その間、新型コロナウイルスを取り巻く状況はさらに悪化していて、来週も在宅をすることに決まった。

ウイルスの影響は予断を許さない状況だよね。

僕は会社の株式しか保有していないけど、株式投資とか投資信託とかやっている人はきっと真っ青なのだろう。

経済発展にはこういった反動が必ずあるものなのだろう。

でも、脱けないトンネルは無いらしいのでこの状況もいつかは終わる。

僕の好きなアメリカの映画に「シービスケット」と「シンデレラマン」がある。

飽きることなく時折観ている。

この2つの映画は、競馬とボクシングの違いがあるのだけど、大恐慌から人々が立ち直る様子が共通の背景にある。

僕の心は、ひょっとしたら今の状況を予知してそれに備えているのかもしれない。

で、ね。僕に予知能力があるのだとしたら、どんな逆風でで大変な苦境に立っても、折れることなくチャンスを皆で活かしていくことが肝心なのだろうね。


ウイルス退散


2020年3月12日木曜日

期待するよりも貢献しよう。そうすればもっと良くなる、何事も。

「どうしましょう?」から「こうしましょう」へ

僕の会社で仲間と10年以上前に生まれた合言葉は今、振り返っても秀逸だと思う。

その後、人を変えるのではなく、まず自分が変わること。

それが他者や状況を変える唯一の方法であることへの気づきだったのだ。


アメリカのケネディ大統領はかつて以下のスピーチを行ったそうだ。

Ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country.

これ、権力者が言うと嫌味な感じが生じるのだけど、実践するとほんとに良くなる。

たとえば、サッカー日本代表サポーターのゴミ掃除を見ればわかるけど、自分たちが始めることで何かが変わっていく。

ゴミを誰かでなく、自ら拾うことで世界は一歩を踏み出すのだ。

考えてみたら、すごいことだよね。

だから、失敗したとしても気にせず常に「どうしましょう?」から「こうしましょう」なのだよ。


桜は「どうしましょう?」とは言わない

2020年3月11日水曜日

「両利きの経営」は本当に難しい

僕が見ている記事で、ここ数日「両利きの経営」がキーワードになっていた。

この「両利きの経営」、出典は入山章栄さんの「世界の経済学者はいま何を考えているのか」だ。

僕がこの本を読んだのは第三刷だから2012年12月ごろである。

本にはたくさんの付箋がついていて、第7章「イノベーションに求められる両利きの経営とは」には8枚が付いていた。

その頃の僕の付箋には、どこかでもらった「いいねスタンプ」が押してあって、8枚の中の一枚はダブル「いいね」だ。

「その結果は、従業員がつねに両利きを意識して仕事の時間配分をするような職場環境や文化を持っている企業ほど、そのパフォーマンスが良いこと示しています。」という144ページの前後も含めた一文である。

「両利きの経営」とは、現業を深めることに邁進する「コンピテンシー・トラップ」に陥ることなく、イノベーションを創発する経営を指している。

コンピテンシー・トラップとは、クリステンセンが指摘した「イノベーションのジレンマ」が経営者の認知バイアスであるのに対して組織文化として生じる「今、やるべきこと」への傾倒を指しているのだろう。

つまり、経営者の勘違いや志向ではなく、組織の雰囲気として陥りやすいトラップのことなのである。

さて、僕は、今、その事態に直面している。

現業へのプライオリティとイノベーションへの危機意識だ。

そして、このトラップが自組織にとどまらず、ステークホルダーも巻き込んだトラップであることを実感している。

今から7年ちょっと前に読んだ本に今の課題が書いてあることを再認識して僕は改めて「無駄な学びは無い」と感じながら、「両利きの経営」は本当に難しいとも実感する。

組織が経営者人材で占められていれば別なのかもしれないけど、そうすると組織は回らなくなくこと必死だしね。


名著

2020年3月10日火曜日

性(さが)と理(ことわり)、勝つのはどっち?

めずらしくいきなり結論から言ってしまえば、ぼくは性(さが)の勝ちだと思う。

しかしそれはトータルを100としたら、51対49の僅差ではないだろうか。

理(ことわり)に沿った言動のつもりでも、結局、肝心なところでその人らしさが顔を出す、ということだ。

で、結局どうなの?となると、本当の顔が見えてくる。

それはそれで、自然なことだ。

一方で、自然なままだと成長がないように感じられてしまう。

成長し続ていると感じられる人は自然にまかせるだけでなく、素の自分に向き合って抗っているものだ。

ポジティブな自己刷新への挑みだけでなく、深く悩んだり葛藤したりしながらも、ね。

結果から見れば、性の勝ち、なのだけど、僕たちは51対49が50対50になるように色々な努力をすることで成長できるのかもしれない。


流れに竿刺す

2020年3月9日月曜日

今だからこそ情報リテラシーを高め正しい我慢をしよう

僕たちは心の置きようで何事も前向きに捉えることが出来る。

例えば、PTSDという心に大きな傷を負った人たちの中でその後に成長を遂げる PTG(外傷後成長)なども、悲惨な出来事を少しでも前向きに捉える見方なのかもしれない。

さて、今回の新型コロナウイルス問題は僕たちにどんな前向きな見方を与えてくれるのだろうか。

僕は、情報リテラシーを1人でも多くの人が獲得することを期待している。

デマが広がえり、そのデマをニュースとして取り上げることでさらにデマを広げていくSNSやマスメディアがあるのだけど、でも実は、それをデマと見抜けない僕たち自身に問題があることを多くの人気づいていないように思えるからね。

僕が考える情報リテラシーとは「正しく我慢する心」だ。

それはやせ我慢ではなく、情報に触れても正しい我慢が出来る力なのである。

トイレットペーパーが無くて困っている人は買いに走れば良い。

でも、家にストックがある人は我慢しよう。

それが正しい我慢だよね。

感染情報などもそうだろう。

正しい自分の行動をするために情報を見極める。

幸いなことに民主主義に慣れた僕たちにとっては、そんな人たちが過半数を越えれば、未来は虹色なのかもしれない。






2020年3月8日日曜日

自分自身に囚われないための世界観

僕の先週は新型コロナウイルスもあったけど、アマチュアリズムや多様性、文化、夢、親となど、身近な出来事を通じて僕の世界観を考える1週間だった。

そもそも世界観とは「世界をどう観ているか」なのだろうだけど、部分を切り取ってみると案外、曖昧なものであって、結局、好きとか嫌いとか、心地よいとか心地悪いの感情要素に支配されがちだよね。

だから、その感情要素の背後に隠れている「自分のしたいこと」に気づかないと情動の虜になってしまう。

情動に支配されないためには、自分自身に対する高い視座が必要で、それが「内省」の本質なのかもしれない。

そして、その高い視座からの世界観を持てるようになると、きっと情動から解き放たれるのだろうから、そこまで成長したいよね。


(月)突き抜けるために恐れをしらないアマチュアになろう
で、ね。好き勝手かなのか、突き抜けるのか、そこはもう天啓なのでどうともならないのだけど、要するに突き抜けてしまう可能性を秘めているのだと都合よく解釈しておけば僕にとって都合がよい、そういうことだね。

(火)新型コロナウイルスは僕の3月に新しい一頁を刻むのだろうか
来年の3月、再来年の3月、そしてその先の3月は僕の人生にどんな意味を与えてくれるのだろうか。

(水)あめちゃん文化と交渉術のツボ
で、ね。交渉術のツボだけど、仲が良くなる交渉だと思えば、交渉は楽しいことになるのかも。

(木)論理和?論理積?多様性のある組織のポイントを考える
組織の結束力で考えれば自己組織化の力は重要だけど組織の規模が大きくなればコアから遠くなる多様な人が増えるからそれだけでは多様性を活かすことは難しいのかもしれない。

(金)個人の夢と産業組織の夢は違うよね
で、ね。ついつい、理念やビジョンに酔いしれてTake Allの現実を忘れがちになることを、僕たちは忘れてはならないよね。

(土)僕の中で生きていること
で、ね。もちろん、父と母の思い出はたくさんあるし、今でも時折、若い頃の姿で夢に出てきて僕の中から消えたわけではないから、どう生きているのかもう少し探してみたいと思ったのだよね。


犬曰う、成長しなはれと


2020年3月7日土曜日

僕の中で生きていること

僕の父、母が亡くなって久しい。

父は60歳、今から30年前、母は79歳、今から9年前である。

僕が家業から身を引いて、母が亡くなる前8年ほどは疎遠になっていたから、記憶に残っているの父は30年以前、母は17年以前になる。

さて、なぜ今日、親のことを書いているのかと言うと、ほぼ日に掲載されている岸田奈美さんのエッセイ「いなくならない父のこと。」を読んだからだ。

そして、岸田さんは色々な経緯があって「忘れたはずの父が私の中で、生きていた。」ことに気づいたことを読んで、僕の中に父や母が生きているのかを考えてみたくなった。

僕が直接知っている父は、僕が生まれてからの姿でずっと小さな会社を経営する商売人だった。

粘り強く、寡黙な人だったけど、僕の中を探してもそれが見当たらない。

陸上で言えば、父はマラソンで僕は短距離の違いだと思う。

ひょっとしたらそういう特性的なものではなく父の物事の見方とか考え方などが僕の中で生きているのかもしれないけど、寡黙な父はそれを言語化してくれていないので思い当たらないのだよね。

一方、母は会社の経理を担っていた。

寡黙な父に対して活発なタイプだけど厳しく育てられたらしく作法を重んじていた。

これも僕の中には見当たらない。

僕はのんびりとしていて、作法を軽んじる方だからね。

で、ね。もちろん、父と母の思い出はたくさんあるし、今でも時折、若い頃の姿で夢に出てきて僕の中から消えたわけではないから、どう生きているのかもう少し探してみたいと思ったのだよね。


そこにいませんか?






2020年3月6日金曜日

個人の夢と産業組織の夢は違うよね

人に迷惑を掛けない限り個人の夢はその人だけの物だ。

個人の意欲と覚悟と責任だけが問われるものであってその人の宝物である。

一方、産業組織、特に営利企業が持つ夢は自分だけでなく、多くの人に影響を与えるものだろう。

だから、企業の掲げる理念とかビジョンが社会性を持つのは必然なのだ。

でも、産業組織の夢は、ゲーム理論、つまり利得関係の世界にある。

誰かが得をして、誰かが結果として損をしている。(もちろん切り取り方によってはWin-Winと感じられることもあるのでしょう)

つまり、産業組織の夢とは、良くも悪くもその組織だけのものではない。

で、ね。ついつい、理念やビジョンに酔いしれてTake Allの現実を忘れがちになることを、僕たちは忘れてはならないよね。


タコスカー





2020年3月5日木曜日

論理和?論理積?多様性のある組織のポイントを考える

良し悪しは別として、これまで多くの日本の会社は組織社会化の過程を通じて社員の画一性を育んできた。

でも、労働人口の減少やグローバリズム、さらには個性や価値観の多様化を受けて社員の多様性を受け止めなくてはならない状況にある。

状況は今後一層、進んでいくだろう。

とは言っても、組織が効率的に機能するためには共有される「ビジョン」や「理念」が必要だ。

さて、「ビジョン」や「理念」は組織のどこにあるのだろうか。

画一性の高い組織であればさほど気にならないだろうけど、多様性のある組織であれば、組織全体を包むものなのか、最小限共有される芯なのかで大きく違うだろう。

前者はバリューチェーンやエコシステムと言った、ホリスティックな関係性であるのに対して、後者の芯は自己組織化を促すアトラクターであるとも言える。

数学的に表現すると、論理和と論理積の違いだね。

で、ね。芯がなくても役割を分担している機能的組織もあるし、合言葉が一つの信条的組織もあるよね。

組織の結束力で考えれば自己組織化の力は重要だけど組織の規模が大きくなればコアから遠くなる多様な人が増えるからそれだけでは多様性を活かすことは難しいのかもしれない。


ヲイヲイ





2020年3月4日水曜日

あめちゃん文化と交渉術のツボ

仕事で交渉をすることに良いイメージを持つ人はあまり多くないかもしれない。

例えば、映画で「交渉人」みたいな役柄は、大抵、そんな役回りを見事にこなすヒューマンドラマの主役であったりするよね。

仕事で交渉担当になることもあまり違わない。

対人ストレス勝負になるのだ。

一方で、交渉に慣れた人もいる。

大阪のおばちゃんだ。

例えば、関東人には信じられない、百貨店での値引き交渉と言うのがある。

これも交渉だ。

僕からしてみれば、大阪のおばちゃんは交渉大好きな人たちではないだろうか。

おばちゃんに限らず、大阪商人もそうだよね。

要するに、交渉を「コミュニケーション」と考えているのか「得をするための駆け引き」と考えているのかの違いではないだろうか。

平たく言うと「仲が良くなるか」「仲が悪くなるか」だね。

で、ね。交渉術のツボだけど、仲が良くなる交渉だと思えば、交渉は楽しいことになるのかも。


桜咲く

2020年3月3日火曜日

新型コロナウイルスは僕の3月に新しい一頁を刻むのだろうか

3月は僕にとって一年のうちで最も重要な月だ。

家族の誕生や死去、そして何より僕の誕生月である。

一方、9年前の東日本大震災の思い出は忘れることができない。

実は、震災の1週間前に母親が無くなり、葬儀を行った3日後に震災が起きた。

激動の3月だったね。

そして、今年の3月もおそらく忘れることができない。

この新型コロナウイルスの問題は東京オリンピックや僕が働く会社の未来に恐らく深い影響を落すことだろう。


僕は”3月”の意味をもう一度考えている。

若くして亡くなった従姉妹の名前は”弥生”であったことも忘れられない。

短い間だったけど、僕が人で子供の面倒を見たのも3月からだった。

愛犬のルイが我が家に来たのも3月だったね。

来年の3月、再来年の3月、そしてその先の3月は僕の人生にどんな意味を与えてくれるのだろうか。


どんな酒?いや3月?


2020年3月2日月曜日

突き抜けるために恐れをしらないアマチュアになろう

世の中には多くの実務のプロフェッショナルが居る。

ほんとうに頼りになる人達だ。

僕のような実務のアマチュアにとってみれば憧れの存在なのだけど、憧れることしかできない理由もある。

なぜなら僕は、実務という「日常」ではなく、「非日常」に価値を感じてしまうヒト
だからだ。

要するに、僕はどう頑張っても実務のプロフェッショナルにはなれない。

では、僕らしさを最大限発揮するためには何ができるのだろうか。

それはきっと、恐れを知らないアマチュアになることである。

恐れをしらないアマチュアとは、特定の価値観に縛られることなく自由に世界を捉え、そしてその世界でなんとか生き延びていく存在だ。

実務のプロフェッショナルのように規律や規範を守り効率的に自らの価値を高め高い生活水準を実現するのではなく、規範への準拠や非効率などの出来が悪いなりにしぶとく生き残るのだ。

まあ、好き勝手な人たちに思えるけど、僕が大好きな酒井穣さんのブログ「突き抜けた人は、どうしてみんな子供なんだろう?」で考察されているように、恐れをしらないアマチュアとは、萎縮していない子供と同義なのかもしれない。

で、ね。好き勝手かなのか、突き抜けるのか、そこはもう天啓なのでどうともならないのだけど、要するに突き抜けてしまう可能性を秘めているのだと都合よく解釈しておけば僕にとって都合がよい、そういうことだね。


突き抜けよう


2020年3月1日日曜日

桜三月散歩道にある勧進帳

今日から3月だ。

弥生は普通でも期末だし、緊張感がある。

そして僕の大好きな歌に井上陽水の「桜三月散歩道」がある。

どれくらい好きかと言われれば、中学生3年の音楽最終課題で選んだくらい好きな歌だ。

まあ、僕の誕生月でもあるし、3月はいろんな意味で重要なのだけど、今年に限って言えば、新型コロナウイルスの問題もあって東日本大震災に次いで記憶に残る3月になりそうだ。

そんな3月を迎える直前の1週間、僕は「僕はどうあるか」をずっと問うていたように思う。

そして、それはきっと僕がこの先、素敵な老人になるための最初の試練なのだろう。

(月)過剰反応?それとも過小評価?
「僕はこう思うのだからそうしないのは間違っている」と過剰反応や過小評価を押し切る態度である。

(火)コミュニティマネージャーか、ストラクチュアル・ホールか
ひょっとしたら明日、その意味が見えるのかもしれないね。

(水)今日どうする?協働する?
で、ね。解にも協働にもモヤモヤ、イライラする違和感があるときって大概、このかけ違いか生じているからなのかもしれないね。

(木)おちつけ。
僕は「おちつけ」る人になるために成長する。

(金)プロフェッショナリズムかオーガニゼーションマンか師匠と対話したい夜
もしくは、本当に大切なことを守って経験が無くとも稚拙であっても道を開いてきた同士であることが共通性かもしれないね。

(土)首相のリーダーシップと僕たちのフォロワーシップ
そのうえで、僕たちがどうフォロワーシップを発揮出来るか、だよね。


勧進(肝心)なこと