2019年8月31日土曜日

学べない人は学べないことに気づいていない

僕たちはいつも学ぶ機会に触れている。

でも、学ぶことができる人とそうでない人がいる。

学ぶことができない人は、言い方を変えると、学ぶ気がない人、となるかもしれない。

例えば、学校の授業中に漫画を読んでいたり、寝ていたりすれば、それは学ぶ気がないので学ぶことはできない。

大事な会議中に、スマホでゲームをしていれば、学ぶことなんてできやしない。

それなのに「学びたい」なんて言ってもその人が学べるなんて誰も信じないだろう。

大人に注意しくれる人は居ないから、静かに見切られるだけである。


僕が目の前の学びに気づいたのは高校生の時だ。

授業にちゃんと参加していれば自然と学びが起きる。

そして試験の結果も良くなる。

一方、普段寝ていて、試験のために一夜漬けした人は頭が良くても結果は良くない。

僕も試したけど、そりゃそうでしょう。


僕の愛犬、ルイは最近、言葉らしきものを話すのだけどそれは真剣に人の話を聞いている。

だから学べる。

成長したいと思うのであれば、まずは学ぶ機会を生かすことだ。

そのためには、目の前の学びにしっかりと向き合うことが肝心だ。

自腹を切った方が学びが得られると言う「自腹モデル」があるけどそれは、それだけしっかりと向き合うことが出来るからだよね。

会社が育成でお金を出すべきなのは、目の前の学びが出来る社員のみだろう。

学ばない理由はいくらでも作れる。

面白くない、役に立ちそうもない、自分には関係ないなどなどね。


人は自然と学ぶ力も持っているから学ぼうとしなくても学べることが少なくないけど、学ぶ意志の有り(とにかくしっかりと聴く)、無し(漫画やゲームをしている)はどんな状況でも成長出来るか否かの分岐点であって、成長し続ける人と勢いだけの人の違いを生んでいるのかもしれない。


学び、食べる



2019年8月30日金曜日

誰かの、ではない僕の主観的「成長」について

「成長」ってよく使うけど、じゃあ「成長」って何?と聞かれると案外答え難い。

それは「成長」が主観的な印象であって、客観的な表現じゃないからかもしれない。

さて、僕の主観的な印象で言えば、「成長」とは、次の新たな経験が見通せる状態だ。

つまり、何がしかの経験を積んで、自信を培い、そして当人や周囲にとって次の新たな経験に向けて展望が開けることである。

たとえば、ある少年が野球チームに入団して、練習を行い、試合に出たいと思ったり、監督が出したいと思う時、そこには「成長」の芽生えがある。

その芽生えが身を結ぶ、つまり「成長」が形になるのは試合に出て良くも悪くも結果に結びつくことだけど、さらに一歩進めるマインドセットや周囲評価がある「成長」の一面だろう。

次の一歩には、「進む」だけじゃなく、「広げる」、「高める」、「深める」もある。

いや、おそらく「進む・退く」「広げる・狭める」「高める・低める」「深める・薄める」だね。

で、ね。皆はどんな時に自分の、誰かの「成長」を感じるのだろうね。


一番の成長は誰?



2019年8月29日木曜日

アマゾンから届いた古びた新品の本

アマゾンは本当に便利だ。

欲しい本をすぐに買うことができる。

書店を彷徨って、想定外の本と奇跡的に出会う、といったようなドラマティックな経験はできないけど、いくつもの書店を探し回って挙げ句の果てに見つけられないといった悲劇は無い。

ひょっとしたらアマゾンを使っていると、運動不足になるかもしれないけど僕は、毎日、犬と散歩して、アクティビティリングもたまには完成するので問題ないだろう。

さて、今回アマゾンで買った本は「人間の測りまちがい−差別の科学史−」だ。

この本は、「科学」とうたいながらも、実は別の目的があって人間を測ってきた歴史に言及している。

昨今、いろんなところで僕たちは測られている。

前述したアクティビティリングとは、Apple Watchのアプリケーションだけどそれは僕のアクティビティを測っている。

他に僕の心拍数を測っているアプリもある。

そして、なにを言わんかや、僕の仕事は人間を測ることだ。

測りまちがいのないよう、しっかり本を読まなくちゃね。

ところで、今回届いた本は新品なのだけど、少し焼けている感じで埃っぽさも感じる。

最初、あれ?古本?って思ったほどだ。

多分、あまり売れない本で、在庫の劣化なのだろう。

で、ね。測られたり、測ることがどんどん増えているから、売れるようになるかもしれないね。


まちがえない

2019年8月28日水曜日

2397と言う数を考える

このブログは2397日目のブログだ。

土曜日には2400日目になる。

そこで2397と言う数を考えてみる。


さて、2397日目も2400日目も同じ1日なのに、僕は何か違う感じがしてしまう。

キリが良い、といった感じかもしれない。

一方、数字にはめちゃくちゃキリが良くないものもある。

 素数と呼ばれる 「1と自分自身以外に約数を持たない正の整数」だ。

砕かれない数、とも言うらしい。

例えば、2397は3で割ると799になるので素数ではない。

砕かれちゃうからね。

今日のブログは素数じゃないけど、2393日目だった先週土曜日のブログは素数だ。

そう考えると僕にはまた違った一日の印象が。



実は、会社の電話番号を選んだ時もいくつかの候補から素数を選んだ。

他には代え難い独自性がありそうだからね、

そういえば僕の誕生日も素数である。

まあ、誕生日はたとえ素数じゃなくても誰にとっても代え難い一日だ。

で、ね。数学があまり得意でない僕ですら、素数にはなんだか魅力を感じるのだよね。


銀座に残る昭和








2019年8月27日火曜日

社会不適合AI(人工知能)を語るべき時

僕のヤフーのトップにある「あなたへのおすすめ 」が朝鮮日報日本語版の記事で埋め尽くされている。

このボックスがどんなアルゴリズムになっているのか知らないけど、きっとAIとかが僕の興味関心を推論しているのでしょう。

さて、AIは意味を理解できない。

グーグルで「この付近で人気のある店」と検索するのも、「この付近で人気のない店」と検索するのもほぼ同じ結果が表示される。

ヤフーのアルゴリズムもきっと僕の反応が「見たくない」ことを理解出来ず、レスポンスに反応して見たくない記事をここぞとばかり大量に表示してくるのだろう。

人間であれば人の気持ちが理解できないと社会不適合者とか言われてしまうがAIを社会不適合AIと言う人はいない。

AIが社会不適合を起こすのは、AIを使う人が他者の気持ちを理解できていないからで昨晩もある会社の社長以下が会見で謝罪していたなぁ・・・


多くの人間はAIに対して寛容で、専門家も含めて社会適合すると信じて止まない。

でも、そんなものではないと、社会不適合を知っているのは一部の人だろう。

そろそろ、ちゃんとAIのダメさに目を向けないといけないのかもしれない。


自然の強さ




2019年8月26日月曜日

毎日がレクリエーション

僕の会社では、毎週月曜日の朝に会議をやっている。

今朝は、僕がメインに説明する議題が10個もあった。

メイン以外を含めるともっとある。

しかもそれらは結構内容が複雑で説明が必要なため、結局、予定時間も超過してしまった。

会議が終わって朝礼でマニュアルの説明をしたり、その後の研修を準備したりと、形こそ違えど、ルイと一緒にダッシュするみたいな感じ。

月曜朝の朝の時間にこれはちと厳しいけど、ルイが鍛えてくれたおかげで何とか乗り切れいる。

しかし、1日がヘトヘトになってしまうね。

しかも月曜はまだここから5日あるわけで気分的にもよろしくない。

どうやら僕には週頭から僕自身をレクリエーション(recreation)する必要があるのかもしれない。

さて、明日の朝はルイとどんな散歩をしようかな。


走りまつ





2019年8月25日日曜日

試されている僕 では、試しているのは誰?

先週1週間を一言にすると、「試されている日々」だ。

もっと学び、もっと集中し、もっとビジネスを考え、もっと働く人を知り、もっとリスクや葛藤に向き合い、もっとリーダーシップを発揮せよ、そう試された。

来週もそれらに応えていきたい。

なぜなら僕を試しているのは僕自身なのだからね。


(月)固有の言葉使いに気をつけたい
そんな言葉で綴られた文章に接すると、もっともっと、言葉の使い方、文の書き方を学びたいと思うのだ。

(火)ラップアップ無き会議の垂れ流し
そう考えると、限られた集中力を有効に使うためには、ラップアップの振り返りを通じて本当に大切な20分を見つけるべきだよね、と疲れた頭で夜に考えている。

(水)三平さんとアレクサの仁義なき戦い
で、ね。誰からか愛されることを目指すのか、ビジネスの規模を考えるのか、それによって商売の行く末は自ずと決まっているのかもしれないね。

(木)このところの八百屋が気になる
会社員には見えないけど、個人事業主でないのであれば、雇用契約とか就業規則とか雇用保険などはどうなっているのでしょう、なんてこともちょっと気になるね。

(金)リスクと葛藤に向き合う心構え
ニュースを見たり仕事の中で「はずだ」が外れてイラっとしたら、それは僕に「かもしれない」とその後、葛藤を解消する方針(問題解決(Problem Solving)、妥協(Compromise)、撤退(Withdrawal)、鎮静(Smoothing)、強制(Forcing))が無いことの証なのでしょう。

(土)リーダーシップとパーソナリティは関係あるのだろうか
で、ね。ひょっとしたら「生まれながらのリーダー」なんて居ないのかもしれないし、裏を返せば誰でもリーダーになれるのかもしれないね。


お試しあれ


2019年8月24日土曜日

リーダーシップとパーソナリティは関係あるのだろうか

メジャリーガーだったイチロー選手。

孤高のプレイヤーだけど、チームをまとめ2006ワールド・ベースボール・クラシックで日本優勝の立役者になった。

孤独なリーダーシップの代表みたいに言われがちだけどキャプテンシーを発揮する、チームリーダーだったよね。

サッカーでは長谷部誠選手のキャプテンシーが有名だ。

これまでのワールドカップなど国際試合で何年もトップ選手をまとめ、代え難い選手だった。

こういった選手の特徴は、実力もさることながら、貢献心の高さにあるのかもしれない。

貢献心とは、勝利に向けて、場を作る、試合を作る、そのために貢献することに力を注ぐことだね。

周囲から期待され、キャプテンという場や役割を与えられたからできること、ではないよね。

さて、僕が思うに、イチロー選手と長谷部選手のパーソナリティはちょっと異なっているようだ。

イチロー選手は子供の頃の自分を「わがまま」と評したそうだし、長谷部誠選手は自他認める「真面目」らしい。

であれば、二人が体現したキャプテンシーやリーダーシップはパーソナリティと関係ないだろう。

二人が高い貢献心を発揮したのかと言えば、目標がクリアでそれにコミットメントしており、かつ、貢献の仕方を知っていたからだろう。

目標も「このチームで」とか「この監督の元で」とかがあって、決して相手に勝つことだけではないの、複数のそして高い視座からのものだと思う。

で、ね。ひょっとしたら「生まれながらのリーダー」なんて居ないのかもしれないし、裏を返せば誰でもリーダーになれるのかもしれないね。


美味しいアイスカフェオレの店



2019年8月23日金曜日

リスクと葛藤に向き合う心構え

僕たちの中には前提がある。

例えば、日本からみたら韓国は友好国であって、攻撃用のレーダー照射なんてしてこない「はずだ」みたいなね。

でもそれは僕たちの勝手な思い込みで、その前提が無ければ、レーダー照射でもGSOMIA破棄でも何でもありだ。

さて、会議で意見を言わないから納得している「はずだ」も、だいぶ怪しい。

後から、色々と出てきて、「だったら何であの時言わないの?」と思いがちだけど、珍しいことではない。

僕は、よく「はずだ」に嵌ってしまいギャップを目の当たりにして自己嫌悪に陥る。

「はずだ」は素早い判断や行動に欠かせないけど、トラブる可能性が高くなる。

運転免許をとる際には「だろう運転」でなく「かもしれない運転」が推奨されるけど、根本的には同じ構造だね。

マネジメントに置き換えれば、リスクマネジメントで、リスクは顕在化したら何をするかコンテンジェンシー計画で備えるべきものだ。

ニュースを見たり仕事の中で「はずだ」が外れてイラっとしたら、それは僕に「かもしれない」とその後、葛藤を解消する方針(問題解決(Problem Solving)、妥協(Compromise)、撤退(Withdrawal)、鎮静(Smoothing)、強制(Forcing))が無いことの証なのでしょう。


雨が降っても美しく

2019年8月22日木曜日

このところの八百屋が気になる

僕の自宅や会社の近くには八百屋かある。

それらの八百屋には以下のような共通の特徴があるようだ。

1 もともと八百屋ではない、かなり古い建物(木造家屋)を使っている
2 比較的若い人たち(40才前くらい?)が売っている
3 恐らくそこには住んでいない
4 道路などにも商品を置いたりしている

子供の頃、八百屋と言えば年季の入った建物でそこに住んでいる年季の入ったオヤジさん、オバさんが仕切っていた。

荷物は今同様、周囲に広がっていたと思うので、1と4は昔と変わらず、2と3が昔とは違うということになる。

小型スーパー、コンビニが周囲にもある中で僕はちょっと不思議な気がしている。

僕の周囲で言えば、商店が商売をやめてその跡が、いっときみんなマンションになった(今はみんなホテルになっていく)のでニーズは増えているのでしょう。

実際、お客さんは少なくない、というより混んでいることが多い。

現金商売なので、お客さんがいれば成り立つのかもしれない。

僕もたまに使っていて、野菜や果物は正直、それなりだったけど値段は少し安かったから、きっと仕入れにも工夫があるのでしょう。

つまり商売として見れば十分成り立つ状況がありそうだ。

一方、若者が地元ではない場所で通って八百屋をやる、のはなぜなのだろうか。

野菜や果物は重くて運ぶのも重労働だし、取り扱いにも気を遣う。

暑いし寒いし、品出しも途切れることがない。

要するに楽な仕事じゃない。

顔ぶれはいつもほぼ一緒なので、アルバイトのような短期就労ではなく定職であるように思えるけど、コミットメントとかモチベーションはどこから生まれるのか。

とても勤勉でテキパキしているのだよね。

人手不足の今、働き口の誘惑は少なくないことでしょう。

一方、昔ながらの八百屋はビルに建て替え一部を賃貸し一階でほぞぼそと商売を続けているけど全くと言って良いほど活気がなく、恐らく店主の人もやる気なく暇そうにしているのとは対照的である。

会社員には見えないけど、個人事業主でないのであれば、雇用契約とか就業規則とか雇用保険などはどうなっているのでしょう、なんてこともちょっと気になるね。


野菜はいらんかね







2019年8月21日水曜日

三平さんとアレクサの仁義なき戦い

漫画サザエさんには三河屋の三平さんという御用聞きが登場する。

酒屋さんが勝手口から訪ねて来て「何か必要なものはありませんか?」と聞いて回るのだ。

僕が子供の頃は、確かにそんな人たちが居た。

三平さんみたいに家に来てくれなくても、八百屋や魚屋に行けば、昨日は何だったから今日はこれがいいよ、みたいな会話が普通にあったよね。

今となっては、三河屋の三平さんは絶滅種だけど、アマゾンエコーとかグーグルホームなど、最新のITデバイスはまさに三平さんを目指しているように思える。

三平さんに比べれば、キャラクターの出来はかなりしょぼいものの、音楽を流してくれたり、24時間対応してくれるところはなどサービスとしては飛躍的に進化している。

そしてサービス以上に劇的な成長を遂げたのがビジネスの規模だね。

アマゾンもグーグルもグローバル巨大企業である一方、三河屋さんは70年以上経っても地域の一酒屋さんである。

もちろん、漫画の中の話だけど、どう見ても三河屋が飛躍的に成長する要因は見当たらない。

サービスの本質には通底するものがありそうなのに・・・

理由として考えられるのは、三平さんは唯一無二の人間であり、三河屋さんは町内という伝統的で小規模なエコシステムに存在しているということだろう。

三平さんが聞き取りを行うのはサザエさんであって、より多くの消費者のニーズやウォンツを吸い上げることは出来ない。

だから、サザエさん一家が大富豪になる以外、商売が大きくなることはない。

でも、恐らく、三平さんは、アレクサよりも、オッケーグーグルよりもサザエさんには信頼され愛されている。

サザエさんファンからも愛されている。

で、ね。誰からか愛されることを目指すのか、ビジネスの規模を考えるのか、それによって商売の行く末は自ずと決まっているのかもしれないね。


三河屋ではありません


2019年8月20日火曜日

ラップアップ無き会議の垂れ流し

今日は朝9時から16時まであるテーマについてずっと会議でディスカッションをしていて大変疲れた。

なぜなら僕は長い会議が好きじゃない。

理由は、
1、集中力が続かない
2、集中できない人も気になる
この2つに尽きるのだ。

順番としては、テーマについての集中力が下がるとファシリテーションや参加者の様子が気になり始めるのだけど、そもそも大人の集中力は20分だそうだから、それを越える会議は常に誰かの集中が切れている状態なのでしょう。

おそらく会議の他の参加者は、集中力が切れた僕が気になっている。

お互い様だね。

とはいえ、大切な議論には時間が掛かるから20分で結論をだす訳にも行かない。

でも、以前参加したワークショップでは2時間30分程度のワークを3分くらいの動画に編集してラップアップしていて、十分に振り返りができた。

グラフィックレコーディングでも書き留めたものを使った振り返りに20分もかけないでしょう。

5分くらいの動画でも15秒に編集できるのだから、7時間の会議でも、凝縮すれば本当に集中すべき20分のダイジェストにできるのかもしれない。

そう考えると、限られた集中力を有効に使うためには、ラップアップの振り返りを通じて本当に大切な20分を見つけるべきだよね、と疲れた頭で夜に考えている。


見つかった















2019年8月19日月曜日

固有の言葉使いに気をつけたい

会社の文化を頭に思い浮かべながら色々な社内文章を読むと新しい発見がある。

「へぇー、何気にこんな言葉使っているんだ。そうだよねー」

とか、

「これ、他の会社の人が見たらわからないだろうなぁ」

とかね。

僕の会社だと、「科学」「実験」「○○化」がそんな言葉かもしれない。

なんだかあまり「人と組織」をテーマにしている事業に見えない、というより、それであればなんだかちょっと怖いことをしていそうだ。

実際に事業の中で、科学的に実験をして○○化することなんて無いので、ひょっとしたら僕たちは誤ったメッセージを送っている。

本当に伝えたいのは、主観的で実証されていない定説や概念にとらわれずしっかりとした根拠を持って人や組織に向き合う、というもので「人と組織の事実を見つめて答えを導く」のが伝えたいことだ。

インパクトを与えて興味を惹かせることが目的であれば良いけど、正しく伝えたいのであれば、やはりキャッチーな言葉は控えた方が良さそうだ。

最近、ネットを見ていて思うのだけど自然な共感を得る人の文章って、キャッチーな言葉を使っていないよね。

とても身の丈で生活感、実感が伝わる言葉を使っている。

そんな言葉で綴られた文章に接すると、もっともっと、言葉の使い方、文の書き方を学びたいと思うのだ。


これも発見



2019年8月18日日曜日

お盆に休む?働く? これからの働き方に繋がるかも

お盆休みでなんとなくまったりとした先週、落ち着いて考える時間が取れたように思う。

1週間のブログを見返しても「ぼんやり」から始まって、「わくわく」「いいね、いいよ」「覚悟」「この16年」「その前の41年」とだんだんとクリア、前向きに、そして壮大に考えることが広がったらしい。

もちろん、企画書を書いたり、業務の打ち合わせをしたり、1on1をしたり、プログラムを改善したり、契約書を作ったりとやらなきちゃいけないことは山盛りあって何となくお酒を飲んだりもしていた。

おそらくは、気持ちが健全だったはお犬様に癒してもらったおかげだ。

お盆休みのメリットは、多くの他の人がお休みだと言うことで、圧力がちょっと弱くなるのでしょう。

気を遣う必要も減るのでセンサーの感度が下げられることも大きいね。

さ、明日からはまた外圧もセンサー感度も高まる日々が始まるから、お犬様に癒されながら、頑張りましょう。


(月)ボーっと考えてんじゃねーよ! と言われた時には・・・
例え周りからは「ぼんやり」に見えていたとしてもね。

(火)30年後のお盆の働き方が楽しみ
ちょっとワクワクする。

(水)「いいね」と「いいよ」の違い
SNSとは誰かの「いいよ」を見に来て「いいね」を押す、そんな空間なのかもしれない。

(木)軽々しく「覚悟」するのもありに思える
今日のメールだってたまたま、だったのかもしれないけど、「覚悟」を決めておいて良かったな、と言うお話。

(金)僕の16年 性格はこうして作られる
せめて社会人になってからの35年分があれば色々な出来事を深く振り返れるのになぁ。

(土)データの無い41年間を考えてみよう
まあ、そういった劣等や不安の意識が自信を得る経験の引き金になっているのは間違いないのだけどね。



これからの景色

2019年8月17日土曜日

データの無い41年間を考えてみよう

僕は昨日、データを通じて最近の16年間を思ったのだけど、僕の人生はそれ以前に41年もある。

ただし、残念ながらデータは無い。

もちろん、色々な記録や記憶はあるので不自由することはないけれども、小学生だった僕と中学生だった僕とか、高校生だった僕と今の僕を客観的に比べる術が無い。

写真で比べるとがっかりすることが多いから、できれば、こんなに成長したんだと実感できるものがいいね。

今あるものでそれに一番応えてくれるのは、書いた文だろう。

でも、卒業文集などは、「ああ、昔はこんなことしか考えていなかったんだ」と恥ずかしくなってあまり読み返したくない。

成長の実感と言うより、未熟さの確認だからでしょう。

次に振り返って成長が実感できることといえば、自信を得た経験の前後は比較しやすいね。

自分の能力、他人との関係、社会的立場、信念の獲得などだ。

例えば、高校の時、自分に適した学習法がわかったと感じた時は、信念の獲得と自分の能力に対する自信を得た。

そして次のステップに進んだように僕は思える。

今の僕はどちらかと言うと自己効力感が高いけど考えてみれば昔からそうだったわけではなく、劣等や不安の意識が強かったよなぁ・・・。

まあ、そういった劣等や不安の意識が自信を得る経験の引き金になっているのは間違いないのだけどね。


振り返る


2019年8月16日金曜日

僕の16年 性格はこうして作られる

僕は仕事柄、だいぶ前から自分のパーソナリティに関するデータを保有している。

保有しているだけでなく、今も半年に1回データを取得しているので、今後さらに増えていくはずだ。

以前は、不定期だったので期間が一定じゃないのだけど、それでも現在まで17回分ある。

塵と一緒で積もると、これはこれで意味深い。


さて、データが面白いのは、それをさらに時系列で見られることだね。

下の図は、それをビジュアライズしたもので、とてもカラフルだ。

一番左は、16年前、真ん中は17回の蓄積、そして一番右は、変化の蓄積。

左と真ん中がほぼ同じ形をしているので、なんだかんだと言っても僕のパーソナリティは、こういうことらしい。

自分がどうしたいか、よりも周囲に気を配り自分の役割を果たそうとする、それが僕のパーソナリティなのだ。(パーソナリティ検査ってすごいよね)

でも、常にそうなのかというと、それも違うらしい。

一番右の変化は4つのバーとも左右にほぼ均等に広がっている。

つまり、その時々で振り子のようにパーソナリティが変化しているわけ。

僕は、16年前と17回の蓄積がほぼ同じだけど、振り子のように変化しながら、そもそものパーソナリティ自体が変化している人もいる。

振れ幅がもっと広い人もいれば、狭い人もいる。

ディメンションによっての違いが顕著な人もいる。

なぜそうなるのかを考えるとその人の理解がぐっと深まる。

僕にとって、16年前以前も同じような変化だったのかはわからないのがとても残念だ。

せめて社会人になってからの35年分があれば色々な出来事を深く振り返れるのになぁ。








2019年8月15日木曜日

軽々しく「覚悟」するのもありに思える

大型台風の強風に煽られたのか、ちょっと想定していなかったメールが届いた。

覚悟を決めていたことのやり取りだったのでホッとした反面、自分の頭の中で勝手にシナリオを創作していたのは反省材料だね。

まあ、覚悟を決めていたから良い方向に行ったのかもしれない。

「覚悟を決める」には色々あるよね。

「この犬の最期を看取る」は、犬を家族に迎えた時の覚悟だし、だいぶ昔に会社で部門を任された時、目標を達成出来なければ辞表を出すつもりだったことも覚悟なのでしょう。

「覚悟」に似ているけど非なるものが「意地」かもしれない。

その違いは、「一度口にしたことを変えない」のが「意地」で、「やり遂げるためにこだわらず適宜修正をかける」のが「覚悟」じゃないだろうか。

「意地」はプロセスにこだわり、「覚悟」は結果にこだわる、と言い換えても良さそうだね。

犬に意地を張っても通用しないし、意地を貫いても目標は達成出来なかったと思う。

でもどちらも、悲壮感のある「覚悟」じゃなくて「覚悟」をポジティブにしていた。

さて、「覚悟」にも大小があるし、「覚悟」を決めたから上手く結果が出るわけでもない。

上手く行かなかった「覚悟」は都合よく忘れているようにも思える。

今日のメールだってたまたま、だったのかもしれないけど、「覚悟」を決めておいて良かったな、と言うお話。



ドールハウス見たいだね







2019年8月14日水曜日

「いいね」と「いいよ」の違い

僕たちはフェイスブック、インスタなど様々なSNSで何気に「いいね」を押しているよね。

この「いいね」はSNSをウエブサービスの主役に押し上げた立役者に違いない。

だから「いいね」に関して、賞賛獲得欲求だの、SNS依存だのと色々な研究、論文も多くあるのでしょう。

一方で、SNSで発信をする理由は1 位「自分自身の体験のストック」36.9%、2 位「つながり、コミュニケーション」17.9%、3 位「生活のアピール/演出」16.1%となったらしい。(電通総研、「若年層のSNSを通じたビジュアルコミュニケーション調査」)

要するに、発信者の多くは好きでやっているわけ。(仕事や広告の発信はなんとなく嫌われるのではないかしらん)

好きでやっていることを誰かが「いいね」してくれることでなんとなく嬉しくなる、これは僕の体感だ。

でも、下心がないので「いいね」があるから発信するわけでもないよ。

誰も見みない時はちょっと寂しいけど折れることはありません。


さて、「自分自身の体験のストック」の中には、時に「これは素晴らしい体験」が混ざっていたりする。

例えば、僕は、インスタは宣伝も多くてあまり好きじゃないけどドコノコは、犬好き100%の体験が思う存分ストック出来てめっちゃ使っちゃう。

単なるストックだったらEvernoteなので、ドコノコに写真や動画をアップするのは、きっとお互いに素敵な体験をシェア出来たらいいな、とも思っているのだね、きっと。

で、ね。誰かの体験に対しては「いいね」と言うし、自分の体験を誰かにシェアするときは「これ、いいよ」と言うよね。

SNSとは誰かの「いいよ」を見に来て「いいね」を押す、そんな空間なのかもしれない。


いいね それとも いいよ?




2019年8月13日火曜日

30年後のお盆の働き方が楽しみ

いつの間にか「山の日」という祝日が出来ていた。

2014年に出来たらしいのだけど、あまり普段意識していない祝日かもしれない。

そんな3連休開けの今日は、ちょっと昔ならばお盆休みと言って多くの会社が夏休みにしていたよね。

この時期には里帰りして迎え盆を炊いて、お墓参りなんて言うのが日本人の夏だった。

お盆に夏季休暇を設定する会社も個人はまだまだ多数派だとしても、そうでない働き方も確実に増えている。

僕たちが思っている以上に働き方は多様に、そして寛容になってきているのだろう。

服装もそうだし、働く場所もそう。

30年前には考えられなかったことだよね。

さて、ここから30年先にはどんな働き方が待っているのだろう。

ちょっとワクワクする。


東京の空



2019年8月12日月曜日

ボーっと考えてんじゃねーよ! と言われた時には・・・

”下手の考え休むに似たり”

と言うことわざがある。

考えても時間の無駄と言うことだけど、僕のブログは下手の考えだから、まあ良くも2380日続けてずっと休んでいる事になる。

でも、ボーッとすることは脳を活性化させたりストレスを解消させる事に役立つので、それはそれで良いのかもしれない。

そのおかげが家庭や仕事にきっと少しはあるはずだ。


さて、僕たちが日頃、無駄と考えてしまうものも、実は無駄ではない。

なぜなら、無駄を生むのは僕たちの「心」だからね。

僕の無駄は君の無駄じゃないし、君の無駄は僕の無駄じゃないってこと。

コンビニやスーパーのフードロスだって、無駄じゃない人が居るのかもしれない。

ペットと暮らすことも無駄じゃないよ。



一生懸命に下手の考えをしていても、それは僕にとって無駄じゃない。

例え周りからは「ぼんやり」に見えていたとしてもね。


「ぼんやり」はステキだ



2019年8月11日日曜日

プロフェッショナリズムとアマチュアリズム 協働意欲と越境 2つの信念

先週1週間はいろんな事を考えた。

それは、そもそも僕の中にある葛藤なのかもしれない。

さて、どんな葛藤かと言えば、「プロフェッショナリズムと協働意欲」と「アマチュアリズムと越境」だ。

「プロフェッショナリズムと協働意欲」は僕が大学生の時、師事した故青沼吉松教授の考えである。

それは、脱工業社会の到来により日本の産業組織は、組織への帰属を強める日本的経営からの離れ、仕事にそのものにやりがいを持つプロフェッショナルが自発的に集って事を成すようになるべきである、と言うもの。

僕は、ずっとこの考え方を信念としてきている。

一方で、法政大学長岡教授は、「アマチュアリズムと越境」が閉塞した社会を開く鍵である、と言われているように僕は受けとめている。

これは、エスノグラファーならではの、とても現実的で実践的な素晴らしい考え方ではないか。

何れにしても素晴らしい信念に出会うことは成長の条件なのかもしれない。


さて、前者は「成熟した人材像」であるのに対して、後者は「成長する人材像」だ。

僕の経験から、
1、実際の産業組織には成熟したプロフェッショナルが少ない
2、社会の変化はプロフェッショナリズムそのものの変容を要請する
3、秩序に支配されたプロフェッショナルは創造性を嫌う
といった特徴がある。

つまり、数少ないプロフェッショナルは産業組織に時に良くない影響を与えると言う事だ。

どのような場合かと言うと、スキルばかり上達しても人間的成長がみられないケースとかだよね。

常に成熟したプロフェッショナルに向けて日々、自己革新し成長を続ける、そんな統合的な人材が理想的なのだろうけど、残念ながらそういう人材に僕はあまり会ったことがない。

有能感、効力感は高いけど学習は進まない、そう言う人には多く出会うけどね。

結論として、2つの信念はどちらかが勝るものではなく、2つとも重要だって言うことだ。

そして、いずれに対する足りなさが僕の中に先週1週間のような葛藤を生んでいるのかもしれない。

(月)ロジカルシンキングの先にあること
ロジカルシンキングの先には同じ結論が待っているのだから。

(火)脱習慣のすすめ
きっかけがここそこにあることもね。

(水)「乱す」と「片す」 どっちが上手? どっちが好き?
「片す」のはスッキリするのだけど、誰かの「乱す」を「片す」が続くとどんどん元気がなくなり、休みが必要になるのだ。

(木)フェイクニュースとウィンザー効果
僕なんぞは天邪鬼なので、性格的に疑っちゃうのだけど、最近の色々な出来事やニュースを見ていると強ち間違っていないようだね。

(金)バーでまさかの圧迫面接?
しかし、社会に出れば、昨日のバーのように、多くの相手と渡り合わなくてはならないこともあるから、一概に「圧迫感があるから良くない」ということでもないのかもしれない。

(土)カリスマ? サーバント? それとも孤独? リーダーシップを考える
そう考えると、「真のリーダー」って本当に少ないよね。


2つで1つ


2019年8月10日土曜日

カリスマ? サーバント? それとも孤独? リーダーシップを考える

リーダーシップには色々ある。

カリスマ型のリーダーシップもあれば、サーバント型のリーダーシップもある。

カリスマ型で言えば、最近話題の吉本興業の会長はカリスマ性があると誰かが言っていたね。

元日産のゴーン会長もカリスマ型かもしれない。

さて、カリスマ型の本質は「人望」だろう。

自然と人を惹きつける力だね。

でも、この力、永続的なものではなさそうで、ブームや度がすぎると反撃を食らい、結構、惨めな事になる。

一方、サーバント型は、詳しく理解している訳ではないけど、奉仕することから人を惹きつけるものだろうか。

さて、カリスマ型であっても、サーバント型であっても孤独なリーダーシップを除いて、先頭に立って他者を導くためには「求心力」が必要だ。

もう少し平たく言うと「巻き込み力」と言えるだろう。

だから、巻き込めていなければそこに「他者を導くリーダーシップ」は無い。

そう考えると、「真のリーダー」って本当に少ないよね。


惹かれる




2019年8月9日金曜日

バーでまさかの圧迫面接?

昨晩は、今は仕事では関係がない素敵な先輩と素敵なビジネスパーソンと飲んだ。

先輩の行きつけの雰囲気の良いお店で飲食し、さらに、バーに行ったのだけど、誰もお客さんが居なくて、僕たち3人と、お店の女性6名というなんともアンバランスな場になった。

後からお客さんも増えて満席になったので、アンバランスな状態は1時間ほどだったのだけど、なんだかすごく時間が長く、ちょっと心地悪さを感じた。

なんだろうこの心地悪さは、と考えていたのだけど、そう、面接を受けている印象に近いのかもしれない。

もちろん、お酒を飲みながら会話は明るく楽しいもので、面接の雰囲気など微塵もない。

強いて言えば、3人対6人でカウンターを挟んで向き合うことで自然と圧力が掛かるのだろう。

お店の人たちも仕事熱心に役割を果たそうとして、真剣に向き合ってくるから余計だよね。

でも、いい加減な接客だと気分を害するので難しいところでしょう。


そう言えば、採用面接で問題視される「圧迫面接」というのがあるけど、質問は圧迫でなくても、閉じた空間で、1対多、かつ、真剣に質問されているとそれだけで圧迫感がある。

しかし、社会に出れば、昨日のバーのように、多くの相手と渡り合わなくてはならないこともあるから、一概に「圧迫感があるから良くない」ということでもないのかもしれない。


大根サラダ




フェイクニュースとウィンザー効果

僕たちは情報発信社会に生きている。

一方で、フェイクニュースなど、真偽の疑わしいものや、都合の良いように作られた情報も少なくない。

同じ出来事のはずなのに全く異なったニュースが届くこともある。

こうなるともう、何が正しくて何が偽りなのか確かめようも無い。

中には、わざと混乱させる為に流される情報もある。

しかも繰り返し流されることで利害関係の薄い人ほどその情報を正しいと信じてしまう。

困ったものだね。

人は直接聞くよりも、間接的に聞いた方が信頼性が増す「ウィンザー効果」というのがあって、さらに面倒だ。

穿った見方をすると、ネットなどに大量に流される情報ほど、「ウィンザー効果」を狙った偽の情報である可能性が高いのかもしれない。

僕なんぞは天邪鬼なので、性格的に疑っちゃうのだけど、最近の色々な出来事やニュースを見ていると強ち間違っていないようだね。


バタフライ効果 もある







2019年8月7日水曜日

「乱す」と「片す」 どっちが上手? どっちが好き?

僕たちの世界は、「乱す」と「片す」でなりたっている。

例えば、今、アメリカで人気になっているこんまりさんの「人生がときめく片づけの魔法」は「片す」だけど、そもそも物が溢れている、つまり「乱す」から「片す」があるのだ。

僕は趣味でカメラを複数持っているけど、こう言ったコレクションも「乱す」だね。

新しいカメラを買うためには保有するカメラを「片す」必要がある。

さて、僕が「片す」スキルと身につけたのは、家事を行う必要に迫られてだった。

それまでは主に「乱す」人だった気がする。

「片す」のは苦手だった。

おそらく、加齢と共に整理する力が高まり、家事で得たスキルと共に「片す」人になったのだろう。

ただ、根本的に「片す」のが得意かと言えばそうでもない。

やはり「乱す」のだ。

昔のように節度なく「乱す」ことは減ったかもしれないけど、「乱す」ほうはワクワクするね。

「片す」のはスッキリするのだけど、誰かの「乱す」を「片す」が続くとどんどん元気がなくなり、休みが必要になるのだ。


「乱す」やつ





脱習慣のすすめ

断酒をして2週間あまりが経った。

きっかけは胃腸炎なのであまり褒められた断酒じゃない。

しかも、2週間の間に2回ほど飲んでいる。

だから正確には「断酒」ではない。

ただ、飲んだ後、以前のようにまた飲みたいと思わなくなっている。

そして、アルコールが体内に入ると残留感があって、これが心地悪いのだ。


どうやら僕の血液や筋肉からアルコール習慣が一掃されたらしい。

結局、僕はこの2週間でちょっと癖になりかけていた晩酌習慣から離脱したのだろう。

実はこの感覚、禁煙をした時と同じだ。

どうやら僕の脱習慣は、きっかけになる出来事→そのものへの評価が低下→習慣からの離脱となるらしい。

そして、これはお酒やタバコのことだけじゃないことにも気づいた。

きっかけがここそこにあることもね。


ベー






2019年8月5日月曜日

ロジカルシンキングの先にあること

会社で若手社員がロジカルシンキングの研修を受けることになったらしい。

とても良いことだね。

なぜかと言えば、「ロジカル」とは「誰でも同じ結論に至る道筋」だからね。

逆に、「同じ結論に至らない道筋」は「ロジカル」とは言えないだろう。

どこかに論理破綻が存在している。


雰囲気、直感、想い、思い込みなどなど、色々な言い方はあるだろうけど、例えば「非ロジカル」と呼ぶとしたら、対話は「非ロジカル」的な代表かもしれない。

対話には多様な意見を傾聴し物事の見方を広げていく学びが織り込まれている。

たった一つの答えが出しにくい世の中だからこそ、対話が重要なのかもしれない。

一方、議論には、一つの答えを出すことが求められる。

「決め」の問題だ。

その時、ロジカルシンキングは有効なツールだよね。

ロジカルシンキングの先には同じ結論が待っているのだから。


つないでまつか?



2019年8月4日日曜日

事業と健康 その境界を知るとわかること

先週1週間の僕のテーマは事業と健康だった。

事業とは、社会に向けて為すこと。

そして、健康とは、自分が在ること、だね。

自分が在るためには「健康」という、実はちょっとよくわからないけど大切なものを考えなくてならないし、その上で社会に向けて何を為すのか考えられるわけだよね。

でも時に、自分が在ることすなわち社会で為すことみたいに自分と社会の境界が見えなくなってしまう。

そうなると、自分が良いと思うことは社会(相手)に良いのだ、となったり、社会(相手)が悪いから自分が損をしているとなるのかもしれない。

例えば、自分の健康法が誰にても良いと思ったり、自分のアイデアが世界を救うと疑わなかったり、他国が悪くて自国が常に被害を受けいてるとか。


自分が良いと思っても、社会がそれを求めている訳ではないこと、社会が例え悪いとしても自分は良い心、体、習慣を持つこと、その境界をちゃんと知ること。

そんなことを改めて気づかせてくれた先週だった。


(月)判断を生む数字のチカラ→これは事業
でもそれは、もちろん面白さに裏付けされた数字だからだけどね。

(火)地域課題を解決する人とはどんな人だろうか→これも事業
僕が思うに地域課題を解決する人は、水泳の個人メドレーを得意とするような人かもしれない。

(水)会社のことは我々が一番よく知っている→これも事業
美味しい果物と一緒だね。

(木)××なあたし→これは健康
さて、どうしたものか・・・

(金)「健康」を対話する自画持参 がちゃトークの日→これも健康
折しも、2019年4月から事業者には「健康情報取扱規程」が義務付けられたのだけど、そもそも僕たちは「健康」をしっかり考えていないのかもしれない。

(土)変えられない過去と他人の意味づけの目的→これは境界
だから僕たちはその人たちへの潜在的な依存見つけ、意味づけによってその依存を断ち、未来に向けて囚われの身から解き放たれるために自分を変えるのだ。


境界を知る



2019年8月3日土曜日

変えられない過去と他人の意味づけの目的

カウンセリングなどで用いられる交流分析の権威エリック・バーンの有名な言葉「過去と他人は変えられない。しかし、いまここから始まる未来と自分は変えられる。」がある。

僕はこの言葉は人間の心理を閉塞させず、自律した人生を送るための核心だと思う。

しかし、今の未来と自分は過去と他人からの産物でもあるから切り離すことはできないよね。

そこで自律した人生にとって大切なことは、過去と他人を未来と自分に向けて意味づけることだ。

それによって過去と他人への離れられない関係、依存から脱却し、自分の人生を豊かにすることが出来る。

でも、世の中を見回すと過去と他人のことから離れらない人が少なくない。

その人たちは過去と他人のことばかり言う。

まあ、よくもずっと、というくらいだし、社会に目を向ければ酷い事件の多く原因になっているのではないだろうか。

でもね、その人たちを変えることも出来ない。

他人であり、向けられた視線は過去だからね。

だから僕たちはその人たちへの潜在的な依存見つけ、意味づけによってその依存を断ち、未来に向けて囚われの身から解き放たれるために自分を変えるのだ。


変えられる未来へ



2019年8月2日金曜日

「健康」を対話する自画持参 がちゃトークの日

第一金曜日の今夜、僕は市ヶ谷のCafe Katyに向かった。

自画持参 「がちゃトーク」の日である。

最近はメンバーもやや固定化され、新鮮さより熟成感がある「場」になったけど、テーマは毎回違うので新鮮な対話が楽しめる。

さて、今夜のテーマは「健康」だった。

このところ、体調を崩している人が多いよね、のくだりからテーマになったのだけど、「健康」を語ることって実はかなり難しいことがわかったね。

例えば、最初のトークテーマは「何をもって健康と言うのか」。

癌が見つかり治療する前の方が身体はよかった。
治療した後の方が医療的には健康だけど身体は辛かった 。
そして、健康とは何を指すのかわからなくなってくる。

このスピーチを聞いてテーマはさらに深い問いとなる。

「健康とは何か」

そして、「心の健康」「健康法」「健康にために一番良いこと」とトークが進むにつれ、健康の多様性と、健康の反対にあるのは不健康なのか、病気なのかなど、概念理解の難しさにぶつかることとなったのだ。

折しも、2019年4月から事業者には「健康情報取扱規程」が義務付けられたのだけど、そもそも僕たちは「健康」をしっかり考えていないのかもしれない。


健康を対話



2019年8月1日木曜日

××なあたし

寝違えたのか胸筋が痛くてパソコンがあまり打てない。

そしてなぜ痛いのか全く思い当たる節もない。

こんな日もあるものだ、

さて、これだけ痛いと問題は明日の朝の犬の散歩かもしれない。

彼は上手に散歩できず、時に引っ張る形になったり、抱っこしたり、走ったりとアクティビティを上げてもらっているからね。

さて、どうしたものか・・・


話題のやつ?