2022年8月31日水曜日

運命を信じますか?

 テレビで9.11のテロでワールドトレードセンターで生き残った人達のドキュメンタリーを観た。

フランスのテレビ局の制作なんだよね。

当事国ではない目線が変にテロの背景とかを煽ることなくて面白かった

さて助かった人達に共通していたのは、他の人の非難行動に惑わされずに動いたことであった。

非難の途中で助けを求める声を聞いてそちらに向かうとか

避難出来ずにいた足手まといになりそうな人を連れて逃げるとかね。

結果、ひたすら逃げることに忠実な行動をとった人達は皆助かることが無かった。

一方でちょっと出来の悪い逃げ方をした人が確かる結果となった わけだ。

そして、出来の悪い逃げ方の原因となった人達との出会いを運命と考えるようになっていた。

もし、あの人が助けを呼ばなかったらとかね。

足手まといになった人はその後守護天使とまで呼ばれたそうである。

極限状態から生還するにはやはり何かの偶然が必要であるようにも思える。

そしてその偶然に出会うためにはちょっとばかし横道に逸れたり

道草をすることがきっと必要なのであろう。

アリの群れのシミュレーションは有名だ。

出来の悪い蟻が居る群れの方が群れとしての生存確率が高かったというやつだ、

出来の悪い蟻は迷走するから、偶然新たな餌に出会ってしまったりするんだ。

僕は運命論者ではないだから運命が僕の人生を支配しているとは考えていない

でも今回トランクルームという密閉空間で

脳出血になりながらも生還できたことには偶然があったことは間違いない。

出血をおこしたのが右脳だったこと、人気のないトランクルームにその日は人がいたことこの2つの偶然が僕の発症後間もない救急搬送を実現したことは間違いない。脳出血になったことも運命なら生還できたことも運命だったのかもしれない、ついついそんな風に考えてしまう僕が居る、もちろん、偶然を手掛かりに運命を引き寄せたのは僕自身なのである。

僕は残存した認知機能をフルに使って運命を手繰り寄せたのである。9.11で生還した人も、運命を手繰り寄せている。

そう、運命とは誰かによって決められるものではなく自分で呼び込むものなのである。でも、素晴らしい能力が運命を呼び込むのではなく案外ポンコツでちょっと他の人と違うところが運命を呼び込むのかもしれないね。





2022年8月30日火曜日

麻婆豆腐は日本人のソウルフードだ

 僕は昔、子供にご飯を作っていたことがある。

そんなこと自慢にも何にもならないことだけど、当時はそれなりにこだわることもあった、

まず、当時中学生高校生だった子供が学校に行く際に皺皺のyシャツを着させないこと。

あいつの家はさぁ〜と後ろ指差されないようにしたかったのだ、

でも、そもそも離婚なんてするなと言うことなんだけどねorz

それともう一つのこだわりが毎日違ったものを作って食べさせることだった。

毎日同じ料理とかコンビニ弁当というの絶対には嫌だった。

おかげで何を作ったか、記録を取るハメになり、後から何を一番多く作ったのか確認することが出来た、

結果一位はは麻婆豆腐だった、ジャジャジャーン

と言っても永谷園のお手軽麻婆豆腐だけどね。それかい!

あれを料理と言うかどうかは置いておいて。

麻婆豆腐ってカレーラーメンハンバーグに隠れているけど、日本人のソウルフードなんじゃないかなあ。あまり辛くないやつね、

今でも時に無性に食べたくなるもの。麻婆豆腐。その後僕の麻婆豆腐レシピは永谷園から陳健一になった。

最近は調理から離れてしまったのでもっぱら近くの中華店のテイクアウト麻婆豆腐これが絶品級。ですわ

これまじうまいやつですわ



2022年8月29日月曜日

日本を救ってきたのは発想力だ

 僕は昨日録画しておいた魔改造の夜という番組を観ていた。番組が準備したお題にそって。日本の一流企業が改造を行って。競い合う番組である。大学生のロボコンの社会人版みたいな感じだろうか。お題に選ばれるのは子供のおもちゃや、昨日は電気ケトルなど、合わせて提示される課題には不向きなものばかりである。ちなみに昨日の課題は綱引きであった。初の対戦型課題だそう。電気ケトルを使って綱引きに勝つために電気ケトルを改造するというのが番組の提案になる。それに応じたのは東京R&DIHI(石川播磨製作所)ソニーという日本の一流の企業である。これまでの産業革命以降の経緯をなぞるように、蒸気を動力源として綱を引く装置を作ったのが前2社であったのに対してソニーは異なるアプローチをとった、番組の結果はソニーの圧勝であった。前2社は恐らく蒸気含めエンジン開発では相当の実績を誇ってきた会社である、番組が準備した家庭用電気ケトルという制約にかなり苦戦したものの、アポロ11号みたいな見事なタイヤつきの装置を開発してみせた。やはり自動車とか機関車のイメージである。

その苦労はまさに産業革命期の先人の苦労をなぞるもののようであった、一方ソニーのチームが開発したのは見た目も全く異なっていた

強大なシリンダーが2本あってタイヤはどこにも見当たらないこれでどうやって綱を引いて対戦するのか全く想像がつかない。

前2社が水が気化して膨張する力を動力に換えるのに対して、

ソニーは全く逆の発想、気化して膨張した蒸気が水に戻る空気が収縮するときの力を使って綱を引くと言うものであった。

オーディオからスピーカーなどを全部取り除いてウォークマンを開発したソニーならではの発想に思えたそして勝ったのは、ソニーである。

そうだ僕たち日本人は、こういった伝統的な考えかたとは全く異なる新しい発想で世界に挑んできたんだ。ホンダのCVCCだって任天堂のファミコンだってそうだ。副燃焼室を作って薄いガソリンを燃やすとか、テレビを使ってゲームを行うとかね。今やこういった発想の転換は日本人の専売特許じゃなくなってしまったけど、産業革命期と一緒で、世界がデファクトスタンダード一色に染まった時ほど日本人にとってはチャンスが巡ってくるときなのかもしれないね。事実ソニーはこの経済状況において最高益をあげている。山中伸弥さんのips細胞だって日本人ならではのチャンスメイクに思える。でも、実は僕達の社会は今でも発想を見下している。発想よりもどのくらい収益を上げられるのかとか、そういったことばかり気にするようになってしまったからね。発想は頭の中で生まれるようにおもえるけど実は環境と相互作用によってにうみだされるものだよね。魔改造の夜でも、ソニーチームのメンターは新しい発想を支援していた、もし、あれが、それ違うよねと言ってしまったらあの勝利は無かったことになる。発想とは常にそういうものだ。豊かな発想を踏みつけ叩き潰す輩のなんと多いことだろう。で?それはどのくらいの売り上げになるんですか?とか、それは国がやればいいことだ。とか、そんな投資は企業では出来ないとか僕も実際、何回も踏みつけられてきた。発想は個人の内面で起こる創発だけどそれを引き出したり引き上げたり出来る環境って発想の想起以上に重要だったりするんだよね。自分ひとりでやるのはシンプル。

自分と自分の発想を信じれば良いインターネットの時代はまさにそれが可能な時代だよね。





2022年8月28日日曜日

脳出血の世界へようこそ。

昨日の僕のデイケアは幸せな読書タイム、昨日はpovo契約してネットサーフィンもパワポもワードもエクセルも使える出来る仕事モード向きのipadminiは家に残し、

軽くて気軽なkindle読書には最適な旧型の古いipadminiをバッグに放り込んで通ったのである。

最近の僕は数日前ソネットも作ったけどこのところ壁ブーム。

そこで選んだ本はもちろん養老孟司さんの壁シリーズ。

僕のkindleにはシリーズ全6冊が入っている。

でも6冊の本を持ち歩かなくて済むのは本当に助かるよね。

障がい者にはIT万歳なのだ。 

そして昨日の僕のチョイスは自分の壁、

脳卒中になる前からずっとテーマになっていることなのである。

この本もう一度読み終わっているのだけど。

もう一度手に取った、養老孟司の本は気づきに溢れ面白いし読みやすい。

さて、本を読み進むにつれて以下の一文が目に留まった、


有名 なのは、 アメリカ で 脳神経 解剖 を 研究 し て いる 女性 の 学者 ジル・ボルト・テイラー さん の 例 でしょ う。 彼女 は 三 七 歳 の とき に、 脳卒中 を 起こし て 左脳 の 機能 を 破損 し て しまい まし た。 ふつう の 人 は、 脳 内 で 出血 し たら、 何 が 何だか わから なく なっ て 倒れる だけ でしょ う。   しかし、 彼女 は 専門家 なので、 出血 し た 際 に「 ああ、 これ は 脳 の 出血 か なに かを 起こし た な」 という こと が、 すぐ に わかっ た そう です。 そして、 これから 自分 の 身 に 何 が 起こる のかを 憶え て おこ う、 と 意識 し た の です。   脳 が ふつう に 働か なく なり ながら も、 次 の よう に 考え て い た そう です。

養老孟司. 「自分」の壁(新潮新書) 「壁」シリーズ (p.13). 新潮社. Kindle 版. 

これはめっちゃ興味津々である。

早速iphone で検索したら著書があるしかし残念ながらkindle版が無い残~念と思っていたらなんとテイラーさん、

TEDで講演してるじゃないですか、しかも2800万回以上視聴されているこれは絶対見なくちゃいけない。

ジル・ボルト・テイラーのパワフルな洞察の発作 - TED

まずはこちらをご覧ください。

要旨は自分の壁で紹介されていた通りだったけど、
同じ脳出血仲間(彼女は左脳僕は右脳という違いはあれど、)ながら8年経って完全に回復したところ(彼女の年齢もあるのでしょうが)はほんと希望だ。8年なんてあっという間だものね。
しかしテイラーさん脳が動かなくなりながら、その時の状態を本当によく観察していて驚いた。流石専門家
テイラーさんは左脳出血だったので言語に影響が出て、同僚に助けの電話をなんとか架けたとき、
電話に出た同僚がわんわんわんわん、と言ったように思えたこと、
そして彼女も状況を伝えようとしてもわんわんわんわんとなってしまったととのこと、

別に犬になったわけじゃなくて言語障害がおきていたのだ、
あと興味深かったのは出血後左脳の機能が時に戻ることがあってそうすると、大変なことがおきているぞと左脳が言葉で語りかけてきたそうです。
僕の脳出血は右脳だったのでテイラーさんの経験とはだいぶ様相が異なる。
出血時から頭の中では大変なことが起きている助けを呼ばなくちゃという声がしていた。
運動野をもっていかれてしまったのでテイラーさんのように部屋を動き回るなんていうことは出来ず、
トランクルームのかび臭い床の上で芋虫のようになってただ転がっていたそして左脳の声に従って声を出して助けを呼んだのである。
わんわんわんじゃなくてちゃんと「すみませ~んたすけてください~ってね」(笑)
そして声が届きひとが 来てくれた後スマホで妻に普通に電話して状態を伝えることが出来た
もし僕の出血が左脳だったらきっと全く違う展開になっていたのだろうね。

テイラーさんと共通点があるとすればぼくもかなり」はっきりと出血時から手術後の覚醒時まで記憶があるということだろう。
彼女が出来て僕が出来なかったこと逆に僕が出来て彼女が出来なかったことを比べると右脳と左脳の働きの違いが良くわかる。
テイラーさんが体験したような体の境界が無くなり全身からのエネルギーを感じ取るような体験は出来ませんでした。
逆に僕を支配していたのは、受けていた相談の対処をどうするかとか、
株主総会に出席出来なくなったことを会社役員への連絡をしなくちゃとか、
やり残してしまったトランクルームの整理をどうしようとかそんな事務処理的な算段のことばかりでした。
おそらく左脳が全開だったのでしょう。

僕の右脳が戻って想像的にエネルギーを感じ取りはじめたのは、
術後に夢を見た時くらいくらいからではないでしょうか。
きっと、手術で血腫の除去も止血の処置も終わって残された右脳の機能が働くようになったからでしょう。

夢で僕は愛犬を膝に乗せ尻尾を左手で握ってその感触を楽しんでいました。
でも、その時の僕は左手は運動麻痺と感覚麻痺をおこしていたので現実ではあり得ない体験をまさに僕の右脳が創造していたのです。
リハビリ病院に転院したころは僕は病室にスケッチブックを持ち込んで。事業化に向けた重要概念の整理などに着手していたし壊れた運動野以外は十分に働くようになっていた、
高次脳機能で影響が残っていたのは注意。
ブログやネットでの買い物メールなどは誤字脱字が溢れ、宅配便で自宅住所の番地書き漏れなどを頻発した、
しかしやがて誤字や書き漏れを発見することが出来るようになっていった。
これはリハビリの効果なのかもしれない。
出血と手術で喪失してしまった脳の部位のは今の医学では復元出来ないから時間をかけて脳の他の部位に運動機能を代替してもらうしかない。学び直しである。これは致し方ない。今の僕は、元気な左脳はもちろん、残された右脳の機能を上手に使って生きていく。


余裕のよっちゃん。今では手術跡もすっかり消えました


2022年8月27日土曜日

勝手にソネット壁と扉と鍵とAnother Brick In The Wall

 岸田奈美さんのエッセイがとても素晴らしかった

大変そうな出来事をあっけらかんと人に伝えられる岸田さんはとても素晴らしい方だと思うけど、このエッセイ『タイプライター、カーディガン、あるいは岸田奈美』岸田奈美 特別寄稿は誰にでも通じる示唆深い内容である。以下エッセイというよりもはや詩にしか思えない一節を抜き出してみた。そして僕が大好きな詩人茨木のり子さんの詩「鍵」と勝手にソネットにしてみた

壁と扉(岸田奈美)

ただ、すぐそばにいる、愛しい人だけを見ていた。愛しい人を苦しめる壁を見ていた。壁は、その人の前だけに、無情に重たく立ちはだかる。どんなに愛していたとしても、代わりに壊してあげることも、乗り越えてあげることもできない。

わたしが父の代わりに生きてあげることも、母の代わりに歩いてあげることも、弟の代わりに話してあげることも、できないように。他人の壁は、誰にも奪えない。

その絶望を痛いほど思い知っているからこそ、せめて手を尽くさずにはいられなかった。愛する人と自分のために、なにかをしたいという切実なあがきが、壁に扉をつくった。

扉とは、小さな愛だ。

やむにやまれぬ衝動だ。

尽きることのない祈りだ。

扉の先には、また違った壁が待ち受ける。思いどおりにはならない、人生とはどこもかしこもつらく、苦しい壁の連続で。それでも、たしかにかつて、誰かと壁を扉に変えられたという過去が、人生をあたたかなものにしてくれる。

鍵(茨木のり子)

一つの鍵が 手に入ると
たちまち扉はひらかれる
固く閉された内部の隅々まで
明暗くっきりと見渡せて
人の性格も
謎めいた行動も
物と物との関係も
複雑にからまりあった事件も
なぜ なにゆえ かく在ったか
どうなろうとしていたか
どうなろうとしているか
あっけないほど すとん と胸に落ちる
ちっぽけだが
それなくしてはひらかない黄金の鍵
人がそれを見つけ出し
きれいに解明してみせてくれたとき
ああ と呻く
私も行ったのだその鍵のありか近くまで
もっと落ちついて ゆっくり佇んでいたら
探し出せたにちがいない
鍵にすれば
出会いを求めて
身をよじっていたかもしれないのに
木の枝に無造作にぶらさがり
土の奥深くで燐光を発し
虫くいの文献 聞き流した語尾に内包され
海の底で腐食せず
渡り鳥の指標になってきらめき
束になって空中を ちゃりりんと飛んでいたり
生きいそぎ 死にいそぐひとびとの群れ
見る人が見たら
この世はまだ
あまたの鍵のひびきあい
ふかぶかとした息づきで
燦然と輝いてみえるだろう

僕達は困難や苦悩を壁に喩える、それは時に身を守るけど、多くの場合は行く手を阻むものだ、人生は苦しい壁の連続だけど、僕達は愛の力でその壁を通ってきたのだ、でもベルリンの壁の崩壊のようにつるはしで壁を打ち壊して通るのではなく、壁にある扉の鍵を見つけて扉を開いて壁を通って前に進むんだ。だから鍵をみつけるとああと呻いてしまうんだよね。
そしてロックバンドピンクフロイドは、全ては壁の中の1つのレンガに過ぎないんだ

5. Another Brick In The Wall, Part II
We don't need no education.
We don't need no thought control.
No dark sarcasm in the classroom.
Teacher, leave those kids alone.
Hey, Teacher, leave those kids alone!

All in all it's just another brick in the wall.
All in all you're just another brick in the wall.

We don't need no education.
We don't need no thought control.
No dark sarcasm in the classroom.
Teachers, leave those kids alone.
Hey, Teacher, leave those kids alone!

All in all you're just another brick in the wall.
All in all you're just another brick in the wall.
そう、僕達は生きると言う苦難のレンガを積み上げて壁を作るひょっとしたらそれは壁だけじゃなく自分自身と言う建物なのかもしれない。その壁作られた愛という扉にかかった鍵を見つけてときめいて扉を開いて壁を通り抜けていくんだよ。



2022年8月26日金曜日

VR技術を用いた身体的・認知的特性の変化と心の変容

 僕は昨日身体知研究会に参加していた。この研究会、人工知能学会の分科会なのだけど、僕は認知科学会の会員なのでご案内をいただけたのだ、認知科学において「身体性」は重要なキーワードなのである


認知科学は哲学や心理学といった学問領域をカバーしながらその適用は人口知能ロボット、はたまた人工生命にまで及ぶ極めて広範囲な領域を対象としている。

もう好奇心が止まらないよね・未来志向でありながら極めて現実的な問題に向き合うヒントもくれる。


昨日は3名の講演報告があってどれもがすばらしかったけど、

- 升森 敦⼠ 氏(株式会社オルタナティヴ・マシン 代表取締役 / 東京大学大学院特任研究員)招待講演では、VR技術を用いて人工生命とアートの分野で同時に活躍されている升森敦士氏と、VRの世界を歩いて巡るアトラクション作品を開発・展開しているティフォン株式会社の深澤研氏にお越しいただく。話題提供から、そこで見られる身体動作を中心に議論を行う。

氏の講演では身体性と心は不可分で体の在り様が変われば心も変わると言う話は印象的だった。

氏は今をときめくXRという技術を使って身体性に影響を与える話をしていた

プロテウス効果と呼ばれるアバターの視覚認知情報により筋力などの発揮能力が変わるという今注目の認知効果などはその一例である。

今の僕にとって身体と心の不可分性は重大な関心事である。

今回僕は脳出血の後遺症で身体性に大きな変化を受けている。

感覚麻痺もあったしXR技術をなんて使わなくても明らかな変化があったのだ、

その変化によって僕の心はどう変容したのであろうか。これはとっても気になる。

1つ思いつくのは僕だけでなく、今回僕が病気に向き合う際にヒントを貰った、西川吾平さん、星野源さん、西川史子さん、塩見三省さんたちの心むきを眺めるに、脳卒中や難病と言う苦難に直面しそれを次のステージへのステップととらえていることであろう。

僕も今そういった心の変容を実感している。

どうやら身体的困難は、それを乗り越える心を呼び起こしてくれるようだ、そして、でも病に関わらずそれって大切なことだよね、生きるってそういうことだよね~とみんな気づく、

まさに身体性の変化が起こしたこころの変容であろう。

実際病気は色々と大変だし、多くの人の手も借りなくてはならないず、祖の理不尽さを嘆いたり後悔が渦巻いたりもするけど、身体が心に生きることを教えてくれる機会って滅多に無いことかもしれないね。

一方で全ての講演を聞いて改めて思ったことは身体というのは複雑な機能の統合体であって、

構成主義的に部分でとらえるものでは無いということである、認知情報が変わると心も変わるものだけど、

じゃあ視覚認知情報で心を操れるかといったらそんなことはない。

心は第六感も含めた感覚全てで創発するものだからね。

構成主義では因果で直ぐに原因を特定したがるけど、体も心もそんなつくりにはなっていない。

左脚の筋力を上げるだけでは僕の歩行は出来ないし

僕は身体のその他の部分股関節とか骨盤の向きとかだけを操作することも出来ない。心もそうだよね、おはようを言えば必ず気持ちいい朝になるというわけでもない。



身体は部分に切り分けられるけど部分を寄せ集めても身体にはならない心も同じである。




2022年8月25日木曜日

今より大事な過去なんてない

 片付けなくてはならない荷物を紐解いたら昔の写真が出てきた僕が社会人になったばかりの写真もあれば中学時代の写真もある。

中には万券広げてにっこりなんて考えられないようなものまであった。

こんな写真よく撮るのを許したもんだよね。

もう時効でしょう。

こういった昔の写真とか見てしまうとついつい手が止まってしまい整理が進まなくなる。

若くして亡くなった友達も最近亡くなった友達も写真の中では元気だったあの頃のままである。

もちろん僕も、至って元気で不自由なことは何もない。

そうやってついつい自分との思い出対話がはずんでしまうものだ

。そしてつい、「もし」がはじまる、

ゴルフで言う「ればたら」というやつだよね。もしあそこでナイスショットしてい「たら」パーで上がれたのに、

みたいな後悔と空想の入り混じった複雑な思考と感情だね。

さてツイッターで積極的に発信されている大崎博子さん89歳でありながらとても精力的でデイケアに来ている高齢者とは比べようもないフォロワーも16万人も入るすごいよね~ツイットする内容も非常に含蓄のとんだものである。数日前のついっとはこんな感じだった

過去のことなんて抱え込まなくてもいいのよ。

過去にはあんまり関わらない。

今より大事な過去なんてないんだから!

これ名言だよね~どんなお坊さんの説法や禅語よりも大西さんが言うだけに強い説得力がある。

そして同時に起こるは今を大事に出来ているだろうかという問いである、

人間が発明した言葉と言う道具は時に、身体から切り離されてそれだけに価値があるようにふるまうようになる例えば言霊ともいうよね、言葉には不思議な力があることは間違いないけど、言葉とは身体性の一部であることを決して忘れてはいけないのでしょう

言葉を巧みに操る人は魔術師であり実は信用ならない人なのだ。

言葉は自分の身体にとりこんでみてはじめて価値を創発するものなのだ。

さて大西さんのこの言葉に従えば昔の写真なんて瞬殺だよね。あっという間に片付くはずである。写真整理なんて過去を抱え込んで今を無駄にしている代表例みたいなものだからね。

「ればたら」なんて今の無駄遣い以外の何物でもないからね。

ということで、僕は今を大事に片づけに再着手するのである。あ~る。






2022年8月24日水曜日

組織ってなんだ?宝の持ち腐れ組織の実例か。

 僕は毎朝NHKの朝ドラを観るのが習慣になってしまっている。

たかがドラマに一喜一憂するのもバカらしいとは思うのだけどよく出来たドラマは良い感情移入が出来て良い一日がはじまる気がするものだ。

そして今放送中の「ちむどんどん」

ネットでも大バッシングが報じられているのを知っている人も少なくないだろう。

ツイッターでは#ちむどんどん反省会というタグが注目されている。

僕も何回かこのタグでツイットしたくらい。

このドラマには批判的だ。

NHKではスペシャル番組でドイツの若手哲学者マルクスガブリエルを登場させるシリーズがあってこれは非常に良い出来だと思う。

そのシリーズの中にドイツの人気作家ダニエル・ケールマンとマルクスガブリエルが対談するシーンがあって、ケールマンが小説について語る部分は特に興味深かった「小説とは常に他者の目から世界を見て別の世界を想像するトレーニングです。

他者の視点に立つことは常に道徳的行為そのものです」と語るのだけど、#ちむどんどん反省会に投稿する人の気持ちは恐らくこのケールマンの言葉で説明がつく。

ドラマと小説は表現方法はちょっと違うけど

。観る人の気持ちはきっと一緒だろう。

僕たちはドラマをみながら脚本家や登場人物の目を通して世界を想像しているのだ。

常に道徳的行為としてね。

だから想像する世界が道徳的だと感じられないドラマには移入出来ないし拒否感すら覚えるのではないか。

さて、このスペシャル番組も朝ドラも同じNHKという同じ組織で制作されているのだ、そう考えるとあまりにももったいない気がする、ずばりNHKは宝の持ち腐れ組織ではないか。

放送局でありながら、視聴者がどのようにドラマを視聴しているのか手がかりがあるのに活かせていないのだからね。

優れた脚本家はきっと視聴者の目線をちゃんと知って脚本を書いているのであろう、

しかし、仕事を属人化させないことが組織の強みのはずだ、

脚本家選びや出来た脚本や制作されたドラマの検証には組織の知恵が活かされなければならない。

今回の朝ドラにはそれがまったく反映されていないからこれだけの大バッシング大会になってしまうのではないだろうか。朝ドラを観なけりゃいいんだよねとは思うものの。習慣になっちゃうと離脱って難しいんだよね~。





2022年8月23日火曜日

最高の社員旅行最低の社員旅行

 昨日BS放送でプロジェクトXの4Kリマスター版を放送していた。電化製品やクルマ、建築のいぇ~いという内容ではなく大分湯布院の話であった。

高度成長期全盛になった社員旅行で隣接する別府温泉が大繁盛する一方でこじんまりとした湯布院は大きく出遅れて宿も存亡の危機に瀕していたのだそう。

その後、ドイツのバーデンをお手本とした街づくりをして、国内人気no.1の温泉街になったのだ。

昨日の高校野球決勝では満塁ホームランが出たけど、まさにそんな感じだよね。

僕は一度だけ湯布院玉の湯に行ったことがあるのだけど、確かに素晴らしい宿と街であった。

それは、会社の社員旅行である。その頃会社役員は年度営業数値目標が達成出来たら、決算賞与で頑張った社員に還元しご褒美に普段個人では行けないようなハイグレードの宿に泊まる社員旅行をしようと決めていてその年は、湯布院の宿玉の湯になったのだ。

その後会社はオーナーが変わったら、そういった考え方は一切否定されてしまった。

利益は全て事業成長に再投資するものであるという投資家ならではの信念だよね。

そして社員旅行はオーナーが変わる際の何も変えない合意が180度変わる象徴になってしまった。だから僕にとって社員旅行は素晴らしい体験の思い出であると同時に、大いなる教訓でもあるのだ、

さて、実は旧役員間で社員旅行の話が出た時僕はあまり乗り気じゃなかったのである。

というのもの、ぼくにとっての社員旅行は最悪の思い出だった。

僕は大学を卒業して銀行に就職した、配属されたのは、今でこそめっちゃおしゃれな街になっているけど、当時は住宅と町工場が混在し、貧民街と揶揄されるような支店だった。

華やかな大企業を相手にビジネスをしていた店舗に配属された同期が羨ましかったなぁ。

僕が配属された支店は、昔ながらの足で動いて頭を下げて預金集めに精を出すような支店だった。

それゆえ上司も昔ながらの古いタイプの銀行員が多かった。僕はその時点で新人育成のために準備されていたはずのジョブローテーションを完全に無視された形で1年間出納という現金を扱う仕事ばかりを宛がわれた。

大企業相手の店舗に配属された同期はコンピュータを操作する預金や為替といった仕事を3か月くらいで終えて外為とか融資とか格好の良い仕事を経験させてもらっていたのだ。

当時は半年間強制的に寮生活だったから同期の武勇伝が嫌でも耳に入ってくる一方僕は毎日、近くの駅の中にある立ち食い蕎麦屋のねぎくさい硬貨両替を繰り返していたのだ。

そして僕の自ジョブローテーションを決めていた上司や支店長は皆たたき上げの人達で、人材育成のジョブローテーションなんかには無理解無関心、

大卒の生意気な新入社員はカネ数えで十分と考えていたのであろう。しかもその上司たち、朝から酒臭い、昨晩の深酒が抜けないで仕事してる。銀行金融と言えば最先端の仕事を想像していた僕にとっては最悪の職場だ。当然そんな感情が顔や態度に出てしまっていたのだろう、事あるごとに僕は上司からお小言を貰っていた。

そんな中で、熱海へ支店の社員旅行があった。旅館について、会食で座敷で席に着くとなんと僕の横に気の合わない上司が陣取ってくるではないか、不穏な空気を察した気の良いベテランの女子行員が近くに座って、上司の気を自分の方に向けさせるべく話しかけてくれていた。

しかし、日頃酒臭いアル中上司のターゲットは僕だ、完全にロックオンされ乾杯でアルコールが入ったら攻撃はもう止まらない、僕への嫌味が延々と始まってしまった、これほんとに終わることなく延々とである。

前は生意気だといった話だったように思う、僕は機嫌を損ね攻撃が激化しないようずっと謝っていた記憶がある。

今でこそアルハラなんて言葉があるけど、僕にしてみれば完璧にいじめであった、あの時ハラスメントという言葉が欲しかったなぁ。

トイレで部屋を抜け出した僕はトイレでひとしきり泣いて(泣かされたんか~い泣)落ち着いてから、そっと宿を抜け出してお宮の松まで歩いたことを今も覚えている。本当に最低最悪の社員旅行であった。今もし当時の上司Tに逢ったら殴って首を絞めてしまうかもしれない、(だから絶対に逢いませんように南無南無)。

一方、自分が上司の立場で行った社員旅行は、宿のグレードの高さもあって僕にとっては最高だった、僕に絡んでくる人も当然居ないしね、そして湯布院はめっちゃよかったです。宿には立派な本棚があって小林秀雄の全集が並んでいた(知的だよね~)熱海の温泉宿とは比べようもない。(熱海の温泉宿が悪いわけではないのですが、何か良かった思い出が無いんですよね)湯布院の素晴らしさは一軒の宿だけじゃなくて町全体の雰囲気が最高に良いんです。それは街づくりの賜物なのでしょうネットでみつけた街づくりに関す文章を最後に貼っておきます。

さて今になって気になるのは社員目線でどうだったのかだよね。

ある時社員の中から、旅行の参加は強制ですかという声が上がった。

湯布院のような遠地に行く場合どうしても日程上土曜日を絡めるしかなかった。

社員へのご褒美旅行でお客様に迷惑をかけるわけにはいかないのだ。

休みの日が無くなることに不満を感じる社員もいたのだろう。

僕の最低の社員旅行と同じで役員上司と一緒の旅行なんて楽しくないと感じる社員も居て当然だよね、だって自分がそうだったんだもの。

旅行に行くならその費用を直接欲しいというストレートな声もあったようだ。

もし僕が再び会社をやるとしたらこの社員旅行の習慣は是非実現したいな、もちろん最悪の経験を反面教師にした最高の体験を実現する社員旅行をね、でもその前に、最高の職場を作る方が先だよね。嫌な職場は小説が書けるくらいたくさん経験してきたからね。





プロジェクトXではこのエピソードをやっていました。



2022年8月22日月曜日

 昨日NHKプロフェッショナルはクロマグロ養殖の福島和彦さんでした。

クロマグロの資源量が減少するなかこういう人がいれば僕たちの食卓から大好きなマグロが消えることは無いかもしれない。

でも養殖はとても大変な取り組み仕事であるようだった。

そのなかで僕が何より驚いたのは福島さんは僕と同じ脳出血の罹患者で左半身麻痺なんですよね。

リハビリのシーンも写ったけど

階段をどんどん降りてるし

とにかく左半身に麻痺が出ているにも関わらず俺は歩くんだとどんどん行っちゃう。

最初はそれですぐにこけたらしいけどね。僕はとてもそんなメンタル無かったなぁ。転倒して怪我を負うことを避けるのが最優先だったからね。

とはいっても、実は入院中、杖無しで病室内(個室)を歩き回ったり荷物の片付けしたりしちゃっていたけどね。もちろんナイショでね。怖がってばかりいたら何も出来るようにならないもん。

福島さん映像の中では凸凹のある港の埠頭を杖無しでずんずん歩いていたし、なんと船にのって生簀まで1時間超を往復していた。すごいね~

無理をしすぎたのか右脚も左脚も痛いと嘆いていらしたけど、そりゃそうでしょう。

ぼくだって、屋外歩行30分を連日で行うと脚が痛くなるもん。でも、福島さんは強い男だからというステレオタイプはいただけないよね~僕の入院中、作業リハビリの部屋に元患者さんからの手紙と写真が貼ってあったけど、その女性は。脳疾患で麻痺になり歩けなくなり最初ずっと泣いていたそう、しかし、絶対にまたおしゃれをして銀座を歩くんだという強い想いをもってリハビリに取り組み、なんと海外旅行してハワイから幸せそうな笑顔の写真を送ってきたのです。麻痺とリハビリという困難に強く向き合っている人に性別は関係ないのである。もちろんその人の後遺症の度合もあるから一概に気持ちの問題であるとは言えない。

マグロも男も、止まれない〜クロマグロ養殖・福島和彦〜しかしこのタイトルセンスないなぁ男とか使っちゃダメでしょう。性差別臭ぷんぷんだぞ~

僕の担当理学療法士は僕が退院するときこんな話をしてくれた。僕が退院後はとにかく転倒しないように気をつけますといったら、彼の元患者には数えきれないほど転倒しているけど、凄く上手に歩けるようになった人が居るそうで、やはり時には恐れずにやってみることが上達への道なんだよね。これはまさしく赤ちゃんといっしょ。転ぶのを恐れて歩かせなかったら歩けるようにはならない、運動はまさに身体性の話だから身体で学ぶしかないんだよね。だから僕も強い想いは抱きながらも自己防衛ケアして止まらずに生きていこうと考えてるよ。

昨日のプロフェッショナルは間違いなくこれからの生き方へのサインだったね





2022年8月21日日曜日

陰謀だわっしょい。

 FBでも友人が安倍元首相狙撃の陰謀論を投稿していた。トランプアメリカ大統領になったころから、フェークニュースや陰謀論が賑やかになった気がする有名なのはQアノンだよね。自分に権力トップが自分に不都合なことは全てフェークだ陰謀だとやったわけで、支持者はそれを無条件に受け入れていたよね。恐らくそれは今でも続いている。トランプは地球の平均気温の上昇と言う事実ですら科学者のフェークだと言い放ったなぜそんな身勝手でいい加減な言質を信じてしまうのかといえば脳には確証バイアスという信念にそった情報ばかり取り込もうとするそして信念に反する情報は受け入れようとしない傾向がある、こうして殺害には必ず報道されていない裏があると信じてやまない人が都合よく情報を編集して陰謀論をでっちあげ、それをうけたJFKみたいな話大好きな人たちが一斉に拡散を始める。こうしてフェークや陰謀論は広く流布されることになるのである。と、ここまでデマとその拡散の仕組みについて明らかにされているにもかかわらず。やはり確証バイアスがあるので陰謀論やフェークニュースを流布する人達は確証バイアス自体を信じない。もうこうなると手の付けようがないよね。だから陰謀論やフェークニュースは決して無くならないのだ。アメリカの最近のニュースを観ていてもトランプは相変わらずだしトランプ支持者も相変わらずだよね。でも、アメリカっておかしいよね。とも言っていられないのです、日本だって何ら変わりません。




2022年8月20日土曜日

SNS時代の心の持ちようDon't Think.FEEL.

 本当にいい時代になったものです。僕は脳出血で後遺症のリハビリ中ですが世の中には同じような境遇の仲間が居ます、SNSは愛犬家の集いだけでなくそういった、仲間との出会いも可能にしてくれます。入院中は個室だったこともあって、同じ境遇の知り合いを増やすことはほぼありませんでしたけどね。コミュニケーションをとって一番良いと思うことはやはり技術的なことや問題解決に結びつく情報ではなく、心の持ちようが大切なことに改めて気づかせてくれることです。病気と言う理不尽で不遇な状況に対して不満を並べ立てるのではなく、生きる意味を見出し前向きに向き合うそれは心の持ちよう次第ですからね。もちろん皆苦しみや後悔はあるのです。でも、より苦しんでも、たくさん後悔しても目の前の困難が薄れることはありません。暑いと思うと余計暑く感じるのと同じで苦しんで後悔すると辛さ口惜しさってより強くなる気がします。意識化することで負の感情が強化されるのでしょう。ネットで繋がる皆さんはこのことに気づかれている方が多いようにおもえます。不思議なものでこうすべきだとか言われるときっと難しいのですが、こうしているのかと感じとれると自分もそうしようと思えるんですよねこれって不思議な心の働きですね。承認欲求とかネガの連鎖(炎上)とか兎角負の側面が強調されやすいSNSですが刃物と一緒で要は使い方なんですよね~。

考えすぎると石になる


2022年8月19日金曜日

現代コミュニティ論第2回

第2回現代コミュニティ論

いまそこにある危機

コミュニティの枯渇と創造性の欠乏

コミュニティ・・・個人とその興味がおりなす社会的関係全般

コミュニティの進歩・・・社会的手段たる秩序と自由で混沌とした個性の狭間でより適応性の高い創造が連鎖的に続く状況。閾値に達するまでの知識、技術の集積とネットワークによるポジティブフィードバックの導入、それに続く秩序の発生。社会的手段と個性の共進化がコミュニティの進化。

コミュニティの枯渇とは・・・共進化の停止、後退局面。砂漠化状態(秩序の崩壊と崩壊粒子が閉じた状態で動かない状態)


コミュニティの活性化にひつようなこと

閾値まで上昇させる

秩序を動的にする

水準レベルを引き上げる

社会的手段との共進的な関係を構築

外部エネルギーの流入経路を活性化する方向に限定

個の活性を高めて創発の連鎖でポジティブフィードバックが起こる


均衡の回復パターン

1.抑制秩序の撤廃

2.エージェントの活性化

多様性、複雑性

エージェント内の反応経路多様な認知リソースの活性化と競合の増加

酵素、触媒の投入





2022年8月18日木曜日

同病相哀れむ現代コミュニティ論

 女医でタレントの西川史子さん、一月遅れで僕の後を追うように脳出血で倒れて手術、リハビリを行っています。インスタで今日でちょうど1年経ったと報告がありました僕はひと月前に1周年でした。僕は昨日のブログにも書きましたが、僕は倒れたトランクルームから脱出する認知リソースを脳出血で壊死することが無かったという神様もしくは守護してくれている先代犬ルークのご加護によって、いち早く搬送してもらえましたが、西川先生は出勤してこないことを不審に思った同僚に発見されたとのことさぞかし不安だったのではないでしょうか。そう思うと胸が締め付けられます。家族に犬がいて入院時は世話が気になったこともとても親近感が湧くのですが先生の愛犬はその後亡くなってしまわれたそう、これもせつなすぎて。僕がリハビリ入院中に勇気をもらった星野源さんの本よみがえる変態は西川先生の投稿がきっかけでした。西川先生とはまったく面識もありませんが、同じような境遇に居る人を知ると乗り越えられそうなきがしてくるから不思議です。昔はきっと患者会とかといった当事者のグループリアルコミュニティがそういう機能を発揮したのでしょうが。今はSNSなどで簡単に自分のコミュニティを作ることが出来ます、リアルコミュニティは正統的参加者のように正当性や成員の承認といった面倒な手続きが必要ですがマイバーチャルコミュニティはそういった苦労は不要ですから本当にいい時代になったものです。せっかくなのでコミュニティについて触れておきたいと思います。

コミュニティとは何か

 私たちは、色々な場面で「コミュニティ」という言葉に出会う。辞書的には地域社会や共同社会を意味する言葉として取り上げられている。自宅の周囲には「コミュニティ・センター」と称する施設があり子供たちも良く遊びに行っている。「コミュニティ」は英語のcommunityから生まれた外来語であるが英語ではもう少し幅広く「集団」としての語彙をもつ。学術的には「共同体」という概念が適当であるが「意図的な集団」として「群集」から識別する必要がある。

 本文でこれから取り上げる「コミュニティ」は広く一般的に使われるコミュニティとは定義が異なる。本来ならば別の言葉を選ぶべきかもしれないが、この分野において既に大きな業績をあげている、R.M.マッキーヴァーが著作「コミュニティ」で定義する「コミュニティ」の一側面が理論のベースとなっているのでこの言葉を選ぶ。

 マッキーヴァーのコミュニティ

 R.M.マッキーヴァーはコミュニティを「村とか町、あるいは地方や国とかもっと広い範囲の共同生活のいずれかの領域を指す」として、「それより広い領域からそれが何程か区別されなければならず、共同生活はその領域の境界が何らかの意味を持ついくつかの独自の特徴をもっている」と定義している。これは、「コミュニティ」の概念として現在広く一般的に利用されているものと同一である。

 マッキーヴァーはその著作のなかで更に「コミュニティは、本来的に自らの内部から発し(自己の作る法則の規定する諸条件のもとに)、活発かつ自発的で自由に相互に関係し合い、社会的統一体の複雑な網を自己のために織りなすところの人間存在の共同生活のことである」と指摘している。また「意志と意志の間の無数の関係の全体系」とも表現している。

 この2つの概念(マッキーヴァーは当然一つとして考えている)、つまり「共同生活」というある種のタグによって識別される実体とそのなかで実現されている個体間のネットワークおよびネットワークによって実現される共同生活は区別されるべきである。たしかに、マッキーヴァーの時代には、共同生活体と個人の主体はほとんどの部分で表裏一体であったかもしれない。つまり二つの概念を分離する必要はなかったと推測できるが、今日のように情報網が発達し地球規模で知識化された情報の共有がおきている現状では共同生活体は個人の主体の一部分でしかない。より上位の共同生活として地球全体を定義することも可能だが範囲が膨大すぎて曖昧である。現代では共同生活体「コミュニティ」と個人の人間存在としてのズレが諸問題の原因としても検討できるのである。

 コミュニティを主体的意志関係全体としたマッキーヴァーの洞察力には敬服する。アソシエーション(社会的存在がある共同の関心{利害}または諸関心を追求するための組織体(あるいは<組織される>社会的存在の一団)とコミュニティを論じる中でその関心の限定性や包括性から両者を識別する必要によって導入され定義したものと思われるが「主体的意志関係全体」という概念は物理学でいうところの「状態空間」内で実現されているある反応全般と考える事が出来る。

つまり、可能な主体的意志関係のなかで実現されている関係こそがコミュニティの実体であるという概念によって、個人の心的な問題を社会科学の壇上に投影しているのである。この投影によって、働き甲斐や勤労意欲、またフリーター、転職志向などを「ある状態」として社会科学として理解、分析することが可能になるのである。

ここでは「コミュニティ」は「主体的意志関係全体」という状態をさす意味において用いる事とする。これは、「コミュニティ」の地域性からの分離を意味するものである。地域性と社会的特質は密接な関係があり、本文においても議論の中心は地域環境と現代社会の課題を分析する事であるが、物理学においては大統一理論が求められるように、生命の誕生から人類の進化に至る一連の経過と生み出される社会の多様性のなかで人間の社会生活全般における個人と社会の普遍的関係を解明することが目的である。

「主体的意思関係とは双方向性を必須としない単方向でも成立する。それは冒頭の僕と西川先生との関係性をみれば明白だ。双方向性を前提とした関係性は言い換えれば相互依存の関係性であるとも言える。単方向であればより主体的な存在でいられる。メタバースなど仮想空間への期待が高まる中、現代のコミュニティ論は極めて重要な論となるであろう。





2022年8月17日水曜日

「生きろっ」困難を乗り越える

青山学院大学スズキ宏昭教授の仰るとおり 能力は虚構なのであるから、困難を乗り越える力とおうものは想像(アブダクション)の産物であって存在しないというより確認のしょうがない

。しかしこの困難を乗り越える力というアブダクションは哲学から心理学企業経営スポーツ、人材開発(教育・発達)、医療など人のあらゆる活動領域で登場してくる、それは、人の活動には常に困難が待ち受けていていて、僕たちはそれを乗り越えてきた歴史があるからだ、生物学ではそれはダーウィンの進化論になるしラマルクだって困難は大きな意味を持っている。言い換えれば生きるということは常に困難に直面しそれを乗り越えることではじめて成立しているとも言えるのであろう。さて認知科学的に言えばきっと、生き物には困難を認知するリソースと認知した困難を乗り越えるリソースを複数複雑に活性化して競合するなかで、様々な解決法が創発し身体化された知識であるといえるのであろう。だから一度困難を経験すれば様々な場面で知識を参照することができる、ひらめきを得ることができるのであろう。わざと置かれた環境を変えあえて困難に直面するということも大きな意味があるのだ。例えば、僕は今回トランクルームという閉ざされた空間で脳卒中を発症した。まず僕は足元がふらついて立っていられないという状態を身体の状態を常時モニタリングしているリソースから受け取った。そして一度膝をついてしまったら今度は立ち上がれないという状態を認知した。僕は総合的にこの一大事といえる困難が尋常ではなく生命の危機にも瀕するものであるという知識を創発することになる。でも、その時僕はそれが脳出血の症状であるとはわからなかった。さて一大事の困難を認知した僕は、乗り越えるための認知リソースを活性化させることになる。まず閉ざされた空間からの脱出について考えた。手元にスマホはあるから救急車を呼ぶことはできるしかし、入り口を解錠しなければ救助してもらうことはできない。でもとても入り口までは辿り着けそうもない。その時反応したのは僕の聴覚である。遠くで人の声がする、誰かがいる。僕の認知リソースが反応しそれは僕の次の行動を引き出した。声の限りを尽くして助けを求めたのである。声を出すというリソースが活性化されたのである。結果僕の声は届いて、助けてもらうことが出来た。それを確認した僕は妻に電話して状況を伝えた。そして駆けつけた妻は救急車に一緒に乗って病院に行くことができたのだ。こうして僕は一大事の困難の最初のハードルを乗り越えることができたのだ。神様がもし居るとしたならば、試練を与えたのも神様であれば、認知し乗り越えるリソースを残してくれたのも神様である。もし出血と同時に意識を失っていれば僕は困難を乗り越えることができなかった。トランクルームの仕組みを記憶していて自分の状態をモニタリングして対応するという遂行の高次脳機能が破壊されていなかったことも大きいだろう。不幸中の幸いであり。僕は生きろといわれたのだ。



2022年8月16日火曜日

おまえのかあちゃんでべそ

 久しぶりにネットで接した僕たちが子供だった頃の口げんかの決め台詞。言ってたよね~アメリカの映画なんぞを観ていても、母親を侮辱するというのは口げんかの決め手で火が付く瞬間である。どんな悪であっても母親というのは聖域なんだろうね。まあこういったトラディショナルだけど、忘れがちな言葉を掘り起こせるのってすごいよなと、変なところで関心してしまったけど、核心は大の大人の子供じみた口げんかというところなのかもしれない。おまえのかあちゃんでべそは、子供の問題解決法である、これが大人になると、やれ詐欺だ、名誉棄損だ訴えてやる~となるわけだね、大人の問題解決法の名人はダチョウ倶楽部の上島竜兵さんだったのではないだろうか、訴えてやる~から、チュッとやる数々のギャグは問題を解決する決め手だもんね。でも、そもそも、なぜ、子供の問題解決法と大人の問題解決法は違うのだろうか。これは結構面白いテーマである、

僕が考えるに、そもそも問題の質が違っているからではないかな、

子供の問題とは生活の影みたいなもので、いつももれなくくっついているもので、鬱陶しいけど基本大事には至るものではない。だから母ちゃんみたいなものなのだ。でべそで一掃できる

一方で大人の問題とは歩む道に開いている落とし穴みたいなもので。運が悪いと落ちて大けがをする。でも落ちるのは自分だ。だから高い社会性を発揮して対処しないとならない。だから裁判とか(*´ε`*)チュッチュが必要なんだろうね。







2022年8月15日月曜日

デザイナーだった昔話

 

昔々こんなのを作っていました。という画像が出てきた(笑)懐かしいなぁ~取引先の拡大には貢献しましたが売上には貢献しませんでした。でも、開発費(主に金型代)と展示会の出店費用は区の助成金をゲットして充てるという良い子でしたのよ。おほほ。

とうちゃんは調子に乗ってテキスタイルのデザインとかもしてたのよ。これ持ってる人がいたらめっちゃレアですよん。

ほんとに動くんです



スケルトンなイメージです
めざましテレビでも紹介されました

パステルで可愛いでしょ?
これは別もの。こんなのも試作してましたね。





2022年8月14日日曜日

僕も月族

辻仁成さんのブログで月族という話が出ていた

それを読んだ朝ハードディスクから古い読書メモが出てきた。テキストファイルのたむスタンプを見ると2004年3月14日今から20年ほど前に響いた僕の感性の記録でもある。僕は一応仏教徒ではあるけど。自覚的には無宗教無信仰な僕がなぜ宗教性の恢復という副題のついたこの本を読んだのか、全く覚えていないのだけど、実はこのメモした内容はずっと心に残っていて出典をさがしていたものだった。あらためて目にして今でも感受性に響き渡ることを確認した次第。この時期僕は夜道を歩いていると月と話かけられて見上げたところに月が居て道すがらずっと月と話をしていたなぁ。

 月は水に映る。その水は破れもしないし、月は濡れもしない。悟りというものはそういう、月が心に宿るようなものである。じいっと波風をたてないで、心に月をまどかに映らせるのが座禅です。月は仏です。行をつむことによってその仏が心の中にまどかに映る。まどかに映るというのが大切なのであって、我々は仏といってもなかなかまどかに映らない。たとえば、苦しいときに必ず「助けてえ」と言うじゃないですか。要するに自分にあわせて仏さんを作っちゃうわけですよ


水中から水面と月を眺めるイメージ

六波羅身

布施・・・人の役に立つこと

持戒・・・してはいけないこと、心の奥の声を聞くこと

忍辱(にんにく)・・・忍耐すること

精進・・・努力すること、夢を生涯持ち続けること

禅定・・・静かな心

智慧・・・実体がないということ


般若心経の空観

最初は空だった。それで因があって、それの条件によってどんどん現象が成立していく。そのことによって世界ができた。←これって創発だよね!


五蘊皆空(ごうんかいくう?)人間性に関する5つの塊

色・・・形あるもの

受・・・感受性、受けるもの

想・・・何かを受けると想いがおこる

行・・・想いがおこると行動がおこる

識・・・行動をおこすと壁、立ちふさがるものがあるからそれを開くことによっておこる認識

水晶の森に立つ樹について─宗教性の恢復─

立松和平 (たてまつわへい/やまおさんせい)

私たちは「無常」という言葉に目をつむることはできない─詩人・山尾三省と作家・立松和平の対談集第二弾。仏教、禅、法華経・・・。神仏という概念を通して人間とは何たるかを突きつめる。

2022年8月13日土曜日

人的資本経営のからくりと心の資本

闘病と心の資本

僕が心の資本いについてブログで触れたのは1年前の7月13日、

脳卒中からひと月経って日常生活も仕事のやりがいも失って先が見えない中、必死に効果の実感が薄いリハビリに取り組んでいた時期である。

毎日が困難でどうすればこの困難を乗り越えられるのか本当に苦しかった。

闘病において心の資本がとても大事だと実感したものでした。

そして最近のトレンドワードは人的資本経営である最後に検索結果を貼っておくけど人的資源という概念よりはまともに思える

経営学ではヒトモノカネが経営の3大資源と言われる。最近ではそれに情報が加わった。

 ところで資源とは調達可能で最適化可能なモノを指す。

資源としてのヒトはhire&Fire(雇用と解雇)によって最適化される。一方資本とは投資によってより多くの価値を実現するものだ。

ヒトはFireするのではなく投資によってリスキリング(技能の再訓練)などを行い持続的に資本として価値を創出し続ける存在とすべきであるとアメリカが、くしゃみをしたのが人的資本経営の感染源と理解している。

アメリカがくしゃみすれば必ず風邪をひくのが日本であるから、なんだか日本でも大きなトレンドになっている。

でも、日本では少子高齢化による労働力不足と少子化により余剰が顕在化している教育機関の経営問題からくる学び直し推進という事情もあるのでより誇大解釈されているような気がする。

要するにアメリカはこれまでの経営手法のアンチとして人を使い捨てにしちゃいけないよねと言っているのに対して(グローバルに人を使い捨てにしてきた報い)。

そもそもヒトが捨てられないヒトが足りていない日本では学習によるバージョンアップで皆ハッピーになれるという幸福論を被せているのだ。しかしそんなに都合の良い一斉解決の方法があるわけもなく、しわ寄せは必ず来る。例えば学び直しのコストは誰が負担するのだろうか。

企業が投資を行うとすればその原資は収益だ。本来は賃金として配分すべきものを投資に充てることは想像に難くないだって、学び直しで身に着けたスキルは社員のものになるわけだからね。ずるい企業は、そうやってスキルを身に着けた社員をリクルーティングしようとするだろう。そういう企業が少なくないことはもう明らかになっている。転職支援サービスは全盛である。

結果的に社員の給料は上がらず、転職が促進されることになる。人的資本に投資をしない企業は収益に余力があるからより高い賃金で雇用できるのだ。アメリカではリスキリングは基本自腹である。その分賃金が上がる仕組みだよね。でも、その循環が行き詰っているのがアメリカの現状であるとすれば、そもそも、アメリカでも日本でも企業は組織という協働形態によって収益を絞り出してきた。そして社員への福祉は後回しにされてきたのである。

資本家は顧客ほど企業の人道的な取り組みに価値を見出さない。資本家の興味は常に収益だからね。

顧客や消費者は自らが組織に帰属する立場にあるという多重定義の構造を持っているから企業の倫理にセンシティブなのである。あらゆる先進技術や行動心理分析によって依存させられ食い物にされているのことは白日の下に晒されているからね

結論的に言えば

①人は充実した人生をおくるうえで心の資本が重要だ(実感)

②人的資本経営は人道的経営ではない

→故に給料は上がらない。それどころか税金が上がる。(からくり)

③社会全体では余剰化している教育機関の救済が絡んでいるので人材投資はやがて自腹論になっていくだろう。すでに導入されているけど税制で学び直しをさらに推し進めることになるだろう。(官僚にとってみれば税金の配分の仕方でしかない。埋め合わせに結局税金が増すのだ)

③結局僕たちは非経済的な充実を人生で目指していくことになる。ゆえに心の資本がより重要になる

心の資本の資本家は本人だからつねに倫理的である。一方人的資本の投資家は他人だから常に強欲だ。他人の欲に晒されるということは資本であろうが資源であろうが消費される存在であることに何ら変わりない。人的資本経営の前に僕たちは自分の心の資本にしっかりと向き合うべきなのである

以下去年のブログである

心の資本とは

経営学者のFred Luthans教授らのグループは、成長する組織で働く人は以下の4つの点で自信が高く、それは誰もがすでに持っているものだということを発見しました。

この心の資本(Psychological Capital、略してPsyCap)は、次の頭文字HEROの4つの柱で構成されます。

Hope(希望):目標に向けて解決の道を見つける力

Efficacy(自己効力感):自分の能力・貢献に対する自信

Resilience(レジリエンス):困難があっても乗り越えられるという自信

Optimism(楽観性):困難があっても乗り越えられるという自信

以下人的資本に関する転載である。成長や幸福健康多様性といったマジックワードが多用されていることにすぐに気がつくであろう

人的資本とは、「モノ・カネ」のように、「ヒト」の持つ能力を資本としてとらえた経済学の用語です。具体的には、個人が身につけている技能・技術資格・能力等のことを指し、人的資本への投資は、生産力や経済活動への貢献に繫がると定義されます。


たとえば、子育てや教育、保健衛生に対して投資を行い、結果として、経済的な成功や豊かな生活を享受することで社会的な成長が得られたとしましょう。この場合、投資の対象、つまり資本は「ヒト」であり、投資によって得られた対価が社会的な成長です。


これを企業に当てはめると、採用や研修、多様性の維持や労働安全といった「ヒト」にまつわる様々なエリアに投資を行い、売上や利益の向上、ブランデングや価値の創造を行って企業の成長という対価を得られると考えられます。


人的資本への投資は、健康状態の改善、個人の幸福感の向上、社会的結束の強化等、多くの非経済的利益をもたらす重要なものです。しかし最終的には経済的利益に繫がると広く定義されることもあります。







2022年8月12日金曜日

アンチジャイアンツ?僕の中で競合する判官贔屓(ほうがんびいき)と直感的好き嫌いのリソース

 日本では高校野球の暑い夏がやってきたけど、海の向こうメジャーリーグでは大谷選手がまた記録を更新したらしい。

もう伝説となっているべーブルースの記録を更新するというのだから素晴らしいよね。

大谷選手もやがて伝説になるのだろうか。

しかし、つい数年前まで大谷選手も高校野球でユニホームを泥まみれにしていたひとりだった。

今年甲子園で活躍している選手の中からも将来大谷選手を凌駕するような選手が出てくるのかもしれないね。

大リーグで活躍するイメージを思い浮かべて高校野球を見るとまた違った印象になるから不思議だよね。

僕はあるときを境に野球に興味を無くした。特に僕は(ほうがんびいき)の気あるので、巨人ばかりに報道や人気が集中する状況が嫌で嫌で堪らなかったのである。だから昔は同じ東京に拠点を持つのヤクルトを応援していた。今はヤクルト強いんだね~(笑)

でもそうなると日テレの放送が本当に鼻につく。プロ野球中継と言えば巨人戦ばかりだし、巨人の選手であるだけで扱いが違うというのは到底納得できるものじゃなかった。そして有力な高校球児が一様に巨人入団を希望するのも気に入らなかった。やがてドラフト制度により、巨人への一極集中は無くなったけど読売新聞を中心とした偏重報道は相変わらずだったよね。サッカーもJリーグが始まった時危うく同じような構図になりかけた。

しかし読売新聞グループの目論見は外れて、僕としてはホッとした次第である。

野球なら巨人でしょう。という世論形成はある意味社会の同調圧力である。

新聞やテレビと言うマスメディアがメディアの社会的意義を省みることなく情報を流すというのはまったくもって恐ろしいことである。

僕は別にリベラル派ではないけど、個人の価値観に圧力をかけるような存在が好きじゃない。

要するにクソくらえ(言葉悪くてすみません)巨人大鵬卵焼きなのだ。だから大谷選手のように、野球と言えば日本のプロ野球すなわち巨人だよね~といった価値観を軽々と越えて見せる大谷選手が好きだ。社会的同調圧力に迎合せず常識や限界を超えていく人だね。

でもそれはそれで今となっては勝ち馬に乗っているような感じもする。大谷選手への高い評価はすでに社会のコモンセンスだからね

僕としては大谷選手のような選手が続々と高校野球から生まれてくれる未来を期待したいのである。

でも実は僕の実家の商売では読売新聞はお得意さんだったから嫌いだとか言っておきながら巨人には大変お世話になった身なのである。有難うございました。まず僕はそういう自己矛盾を孕んだ人間であることを明らかにする必要があるだろう。

そして僕は巨人ファンをディスるつもりはないし、読売新聞を誹謗する意図もない、僕はこう感じたというもの以外の何物でもない、皆がそれぞれに頑張って楽しめば良いことだからね、

ではなんでこんなブログを書いているのかと言えば幸せな朝食後の時間テレビをつけると高校野球と大リーグ中継をやっていてしかも今日はエンゼルスの試合じゃない要するに大谷選手のホームランは見れないから寂しいななんて感じるじぶんがいることに気づいちゃったのだよね。

そこで僕の野球に対する想いをちょっと掘り起こすと、温泉の鉱脈を掘り当てたみたいに巨人への思いが噴出してくるきっと僕はきっと巨人ファンなんだろうと思った次第なのである。

人間って複雑で面白いね。

認知科学的に考察すれば、マスメディアの情報を認知した時何故かに抗うと言う価値観が想起する天邪鬼体質が僕にはあって(ほうがんびいき)という認知リソースが活性化するでもそれは、

新しい価値観を歓迎する創造的態度にも連なっていて単純に情報を認知するだけでなく様々な認知リソースを活性化させて新しい価値観を創発する。

そしてそれが僕の報酬系を活性化させるので(ほうがんびいき)という態度を定着させているということになる。

でもそれは大いなる矛盾も孕んでいて常に(ほうがんびいき)なわけでもない

・そこには直感的な好き嫌いという感情の存在が大きく影響している。その感情がどのような認知リソースによって創発するのかはこのあと考えてみたいと思う好き嫌いと態度の競合が僕の意見を作り出しているのだ。






2022年8月11日木曜日

人生100年時代の認知科学

89 歳独り暮らしお金がなくても幸せな日々の作り方大崎博子

毎週デイケアで高齢者と会う機会のある僕の一つ目の疑問は高齢者(認知症の傾向がある方含め)はどんな世界に生きているのかということ、なぜなら、通じない嚙み合わない理解できないのないない尽くしだからである。

もう一つの疑問は高齢者と一括りにしてしまっているけど、人それぞれで、しゃっきりした人もいればそうでない人もいる。

その違いはどこから来るのかということである。なにか違いを生み出す原因がある因果関係を探してしまうのは確証バイアスのせいなのだけど、

その人の世界を知ることはひとそれぞれの違いをより鮮明に理解する手助けになることは間違いない。

だから僕は本心で言えばデイケアスタッフの方にはキャリアインタビュー、利用者の方にはナラティブインタビューをしたいのである。あ~る。

でも、プライバシーは基本的にアンタッチャブルなので、

あまり。聞けなくて残念。

この本の著者大崎博子さんは恐らくデイケアとは無縁の生活であろう。

しかし、ご年齢的にはデイケアの利用者と変わりない。

だからこの本を読めば89歳の方のお話しを事細かくお聴きするナラティブインタビューとなんら変わりがない。

そう、僕の2つ目の疑問が解消できるのだ・ちなみに1つめの疑問は昨日のブログで取り上げた認知症世界の歩き方で解消できる。

人生100年時代と誰が言い出したのかは知らないけど、障害現役だの高齢者雇用だの、夢や希望で妄想する前に、僕たちは高齢化の仕組みと実際ををより深く知る必要があるのだ。

まずタイトルにある89歳でひとり暮らしこれを介護現場の言葉に置きかえると独居老人ということになる、

独り暮らしで身の回りの世話や日常的に様子を見る人が居ないということは

まあ心配が尽きないということになる。

しかし大崎さんの日常生活を本で拝見する限りそんな心配は杞憂だ、

そして多くの独居老人は誰の手も借りずに自立した生活がしたいと望んでいるのである。

実際は高齢者の多くは誰かの世話になる=迷惑を掛けたくないと思っているからね。これは病院に入院してリハビリを受けていた高齢者もまったく同じであった。自立(為すべきことを定めて自分の力で実行し達成すること)は自尊感情にとって目標であり目的だからね。

認知症傾向があり、認知に歪みが生じていたって自尊感情は無くしていない、幼児だって自分でやりたがるでしょ?

認知科学的にはおそらく自尊感情は生存本能と密接に繋がった意識なのであろう。自分の状態が正しくモニタリングできなくても生きている以上自分でなんとかしたいという本能が意識に働きかけるのであろう。そして自立できるときっと僕たちには外的な報酬だけでなく内的な報酬も与えられるそんな仕組みが与えられているに違いないこれは人生100年時代という妄想を検討するうえでの重要な研究テーマだね。

さて、大崎さんからは最後に読者に素敵なギフトが2つありました。是非本を購読してギフトを受け取ってください。ここではバラしませんよ~(笑)

でも 一番 大事 なのは、「1つ目のギフト 」 では ない でしょ う か。 まずは 扉 を ノック し て みる。 そう すれ ば その 扉 は 開き ます。 挑戦 し て み て、 たとえ 無理 だっ た として も、 別 の 扉 が 開く 可能性 も 高く なり ます。〝 友達 が できる〟 という よう な 副産物 も たくさん おまけ の よう に 付い て き ます。 損する こと は 何 も あり ませ ん。   そして もう 一つ、 老婆心 ながら 申し上げ ます と、「 2つ目のギフト」、 これ に 尽きる と 思う の です。





2022年8月10日水曜日

人は誰でもWHAT a wonderful world の生涯現役なのである。

あにはからんや、高齢化社会に片足を突っ込んだ、いやどっぷり両脚突っ込むことになったとうちゃん、かつては生涯現役などと嘯いていた自分を最近ちょっと恥じているところである。

というのも、デイケアという高齢化社会の最前線に身をおいて身の処し方が分からなくなっているからである。利用者には認知症の方もいらっしゃるし 耳が遠い、話がくどい、やたら寒がるなどご高齢者あるあるを目前にして高齢化した人の認知がどうあって、どんな世界に生きているのかが実はまったくわからなかったのである。そこで僕は「認知症世界の歩き方」なる本をkindleで買って読んでみた、その地図でデイケアを眺めるとものの見事に高齢化社会の実像が見えてきたのだ。高齢化というのは認知の変化でもある。認知が変化すれば当然世界和は異なる。異なる世界の前提に立てば人生の意味もまったく違ったものになるのだ。僕は今回脳卒中になって認知が変わった、高齢化ではなくて病変である。そして社会の異物になった、でもそれはこれまでの世界に囚われた生き方の中での見方でしかない。僕の世界の中で僕は異物でも用済みでもない。高齢者の皆さんが高齢者の世界の中ではいつでも主人公であることといっしょなのである。中には大崎博子@hirokooosakiさんのように若者と世界を共有できる方もいらっしゃる以下ツイッター自己紹介より(昭和7年生まれです。機械オンチの私が78歳でMacと出会いました!りっぱな 高貴香麗者です。 震災後にtwitterを始めました。カトリック信徒です。昔の事から 現代迄をゆるりと呟きます。今回宝島社から本が出ました。読んで頂けたら嬉しamazon.co.jp/dp/4299026128ツイッターのフォロワーはなんと17万人である(すごいね~)もしこんな方がデイケアにいたらもう、うれしくてちびっちゃう。でも大崎さんが素敵なのは自分以外の誰かの世界に生きているのではないことである。自分の世界を信じ愛してそのなかで精一杯生きる生き方がが多くの支持を得ているのでしょう。そう思ったら、障害現役も、社会の異物化も誰か見知らぬ人の世界での生き方なんだよね。デイケアのご高齢者も生きている世界が違うだけで決してやばい人たちではないのだ。たしかに身体機能認知機能はかわってしまうけど原爆で世界が消えてしまったわけではない。確かにそこに世界があるのだ、




2022年8月9日火曜日

思考停止のすすめ

 天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず、でも人は人の上にも下にも人を作るときに自分自身に対しても上に自分を作って果てしなく落ち込んだり。下に自分を作って恥ずかしいほど己惚れてみたりする。そんな時の僕のおすすめは学問じゃなく思考停止のすすめだ。そう、あえて考えるのを止めてみよう。今朝はまさしくそんな朝である。朝からいろいろとやらかしてしまい考えるほどに巨大なクレバスもしくはナイフリッジから滑落してしまいそうな自分がいる考えるという行為はまるで奈落の底をのぞき込むような感じだ。ええい考えるのは止めよう




2022年8月8日月曜日

リハビリのかたち

 リハビリを受ける身になって初めて知ったリハビリの話。リハビリには、リハビリを行う必要が、生じた疾病の状況によって、急性期病気の、治療が優先される時期と、回復期、治療がひと段落してリハビリをガシガシ行う時期がある。また、医療環境の整った専門病院でのリハビリ。退院後に自宅で受ける訪問リハビリ。退院後に通って受ける通所リハビリと大雑把に4種類あるようだ。リハビリには健康保険や介護保険など社会保障費からのソーシャルサポートもあるため、その観点で言うともっと細かく分けられているのかもしれない。リハビリは勝手にやるものではなく、医師の指示に基づいて行うものなのだ。だから無尽蔵にリハビリを受けることはできない。医師の指示のもとで実際にリハビリの介入と評価行うのが療法士だね。日常生活行動のリハビリを中心に行うのが作業療法で歩行や立つ座るなど大きな身体機能のリハビリが理学。失語症や嚥下など口周りのリハビリを行うのが言語聴覚士で高次脳機能と呼ばれる。注意記憶、遂行の機能のリハビリを行うのが臨床心理士それらの機能に障害を受ける原因は多種多様だから、人生どこでリハビリを受けることになるかわかったもんじゃない。療法士さんは、皆国家資格を、保有して専門家として関わってくれるけれども、どのような形態でリハビリを、受けるかは大きな違いがあると言うのが僕の実感である。また、理学療法士さんに聞いた話では。理学でも様々な流派があるらしくそれによってリハビリのやり方もだいぶ違うらしい。もちろん患者はそんなこと知るよしもない。多くの患者はなんとなく流れの中でリハビリを受けることになることが多いのではないだろうか。当たり前だけど実際にリハビリを行う療法士さんの力量は回復に大きく関わっていると言うのが僕の実感である。それも、スキルと言うより、リハビリを行ううえでの信念はとても大きく影響している。だから、リハビリを受ける際には、リハビリを、行う上での信念を療法士に聞くべきだと思う。さしてちゃんと答えられない療法士さんにあまり期待しない方がよいかもしれない。有資格者であれば同じレベルのリハビリが受けられると考えてはいけないように思えるのだよね。結局しっかりとした指導者のもとで多くの臨床経験を積んだ療法士のリハビリが一番望ましいのだけど、そんな情報は開示されていないから、サービスの受益者は選びようがないのが実態なのである。

リハビリには診療報酬も、関わってくるので色々と改善も行われているようだけど、患者の声ってどこまで反映されているのかな、気になるところなのである。

病院でリハビリ修業中のお坊さんではなくお僕さんであるえへへ。

2022年8月7日日曜日

運動は技術か知識か

 僕は脳卒中の後遺症で左半身に麻痺が出て現在絶賛リハビリで回復に取り組んでいる。脳の運動野を損傷した僕にとって、歩くということや左手を使うということは全く新しい体験である。僕にとってリハビリは鍛錬であり学習だ。脳卒中を罹患する前は歩くことも左手を使うこともほぼ無意識の行為であった、左脚に体重を乗せて右足を前に振りだすとか左手のどこの筋肉を使うと肘がのばせるとかいちいち考えていなかったからね。逆に今はそういうことをいちいち考えている。歩く左手を使うということは今の僕にとって無意識の行為ではなくて技術なのだ。技術とは意識的な行為を連続させて目的を達する手段である無意識の行為というのは身体に備わった知識身体知である。運動は無意識の運動の集合である、例えば立っているときにバランスをとる筋肉の動きは無意識であるその無意識の運動に支えられて立つ歩くという運動が出来るようになるのだ。つまり運動とは創発する身体知なのだ、決して技術の集合体ではない。無意識の運動は様々な経験の中で獲得するしかないバランスなどはアンバランスを知ることではじめて獲得できる運動である。兎角リハビリは技術的な指導になりがちだけど、指導は真摯に受けながらもなにごとにも挑戦し、そのなかから身体知を得ることをわすれてはいけないのである。




2022年8月6日土曜日

77回目の原爆の日に想う科学の力と倫理への祈り

僕たちは今日 77回目の原爆の日を迎えた。原爆という科学の火が生きた人間を焼き殺してから77年経ったのだ、科学の火を生み出したのが人間であれば、使う判断をしたのも人間である。つまり、人間の知恵は他社の人間性の尊厳を認めるという倫理に貢献できないことが77年前に実証されたわけである。一方77年間で科学は恐ろしいほど進歩している。そしていまや原子力爆弾が瞬間的に生き物を焼き尽くす科学だとすれば、人類は地球温暖化によって、じわじわと焼き尽くそうとしている。一方で、原子力爆弾を無力化したり温暖化を止める科学は生まれていない。なぜなのだろう。それは科学者や為政者(政治家)、軍人など、だれか特定の人の問題ではないだろう、僕たち人類の一人ひとりが倫理的に考え行動できないからにほかならない。ではなぜ僕たちは倫理的に成長できないのだろうか。僕がいろいろな職業の人に話を聞いたりした結果たどり着いた結論とししては倫理観は後天的に手本から学び創発する知識であって知識というモノとして受け渡しできるものではないからでしょう。つまり手本や文脈の存在という前提条件が必要なのです。一方で技術は伝承可能なモノです。だからそれまでの研究結果や発見を活かすことができるものです、だから科学は自然法則の発見だとすれば科学は累積的に昇華させること技術化が可能である一方で倫理は自然放送ではないので技術化できない文脈の中で創発する知識だから再現性がなく累積的に昇華出来ない、だから人間は何回も戦争を繰り返し、77年経っても核の脅威は無くならず地球の温暖化は止まらずに大都市が40度の熱波で焼かれていくのである。では僕たちには何ができるのだろうか。これもきっと創発する知識に他ならないから僕が何を考えようと転移することは出来ない僕たちにできることは文脈を整え手本を示すことだけであろうでもそれは創発の祈りであって虚しいものでしかないのかもしれない。しかし僕たちにできることは自ら創発し手本となりあとは祈ることだけだ、だからまずは良い師匠を見つけ自分が倫理的存在になろうではないか。







2022年8月5日金曜日

プロテウス効果による学びの新しい局面

 メタバースという仮想世界への注目が集まると同時に注目されている心理効果があるそれが、プロテウス効果である

オンラインゲームなどの仮想空間上のアバター(自分の分身となるキャラクター)の見た目がユーザーの行動特性に影響を与える、とされる心理効果のこと。

変身効果とも呼ばれる。

2007年、スタンフォード大学のニック・イーとジェレミー・ベイルソンが提唱した。

ものだそうだ、すでに、vtuberとかバ美肉とかアバターを使った活動はインターネット上ではすでに一般化しているけど、プロテウス効果が少なからず役割を果たしていることは間違いないのだろう。このプロテウス効果を考える際に認知科学が大きな意味を持つ。僕たちは視覚情報によって認知がかわってしまうのだ。このことが意味することは大きい、認知により信念を獲得するのが学びだからである。経験学習が意味することは学習における身体性の重要性である、僕が考えるに越境学習も同様であろう。この身体性における認知での視覚情報の優位性こそがまさにプロテウス効果の実態ではないだろうか。下手をしたら、ゴーグルをつけてメタバース上で、アインシュタインやレオナルドダビンチといった、知性の偉人のアバターやを身に纏い授業に参加した方がより学べるかもしれないのだ。リアルな教室で皆ゴーグルをつけて授業に参加する、メタバースを覗くとそこには偉人が集っている。なんだかとても不思議な光景だね。そういう時代がもうすぐ来るのかも知れないよ。




2022年8月4日木曜日

VRの力と経験学習経験は交響曲だ

メタバースなど仮想空間に注目が集まる中、認知科学で行われている 多 感覚 知覚( multimodal perception)鈴木宏昭. 私たちはどう学んでいるのか ――創発から見る認知の変化 (ちくまプリマー新書) (p.42). 筑摩書房. Kindle 版.の研究は大きなヒントを与えてくれる。 経験とは感覚情報と感情が繋がりあって作り出されるものなのである。経験学習において経験は学習の起点である。あ、経験ねじゃあ仕事とかレジャーとか何かすればいいんでしょとなるかもしれないけど、経験はマルチモーダルなものなのだから学習もマルチモーダルでなければならない。僕はナラティブインタビューで記憶を想起してもらう時必ず視覚聴覚嗅覚温冷感などの五感の情報も想起してもらう。それは記憶をより鮮明に想起してもらい内省に役立ててもらうために必要だからだ。僕たちの経験は交響曲のようなものである。様々な楽器が同時に色んな音を奏でることで音響空間が形成されるのに似ているんだよね。経験の場の視覚情報、他者の表情などをグラフィカルにを記録するのがグラフィックレコーディングだけど、この情報があるだけで人の話を聞く対話するという経験がうんとリッチな経験になるのだ、だから僕のお勧めは能動的実験的経験(越境とかね)とグラレコと学習の3点セットなのである。VRはこのマルチモーダルをハッキングする力がある。要するに仮想によって経験を変えてしまうことも出来るのである。僕たちはこの仮想の力をどう活かせば良いのだろうかもしかしたら3点セットにその答えがあるのかもしれない。


グラレコ


2022年8月3日水曜日

僕たちは皆異なる世界の住人なのかもしれない

 対話、越境、リーダーシップなどの共通点は社会性を前提とした行為行動であることだ、

一方で、内省や欲求、知性などは普通僕たちの内側にあるものと考えられる。でも実際は、内面に投影された社会性なのである。要するに僕たちは外なる世界と外なる世界を投影した内なる世界の2つの世界をもっていることになる。こういった2つの世界は僕たちが仮想世界を持つことに貢献しているのではないだろうか。他者の内なる世界の存在を認めることは他者の尊厳を認めることと同義である。そうした尊厳が前提となった世界こそが多様性のある社会ということになる。だから多様性のある社会には多くの世界地図が存在しているはずだ。一方僕たちは小さいころから1つの世界を前提として育ってきている。ひょっとしたらその前提が僕たちを誤らせ生き辛くさせているのかもしれないね・





2022年8月2日火曜日

他人事化の効能

 友人から商売をしていた実家のビルが建っていた場所が更地になっている写真が送られてきた。僕はその写真を色々な想いをもって眺めていた。幼少期から僕が育った場所であり、一時期は僕もそこで働いていた。そこは本当に色んな思い出が詰まった場所だった。、僕はなぜその場所を巣立ったのか考えてみた。

生き物は皆いつかは生まれ育った場所から巣立っていくものだ、世界は広いのだからね。

僕も大学を卒業すると同時に一度は巣立ったのだけど、就職した銀行が肌が合わずまた、巣帰りしちゃったのだ。

今でも強く記憶しているのはその時に社長だった父親から「おまえは社長になれないからな」と釘を刺されたことだ、

その時は兄が会社に入っていたから、父は兄を後継者と指名したということである。

僕は不満に思うことも無く父の言葉をを受入れていた。

しかし、まさかであるがぼくの巣帰りと時を同じく父は病になって亡くなってしまった。

会社の社長はずっと経理で会社を回していた母が引き継ぎ兄と僕は取締役となった。

いつまでも母親が社長ということは無いだろうけど僕の中では社長は兄であるとの認識が強くあった。

だからその後デフレや消費の変化による市場の激変などによって、旧来の事業が困難になっていく過程の中で、自分が出来ることは最大限果たすけど、会社の未来を決めるのは兄であるとず~っと考えていた。

だから会社の未来が混とんとする中で、兄が想った通りに進めるべきだと思い、家族間の軋轢も生じて、僕は自分は会社から離れる決意をした。

それはまったく展望のないキャリアチェンジであったが、今思えば、社長は兄であるという決め込みによってぼくは会社の未来を他人事化していたのだろう。

今回更地になった実家をみてもそれほど動揺が無いのは上手く他人事化できていたせいなのかもしれない。長男であり社長の兄が年老いていく母の世話をし、会社のことをを決める、ことに何の異論も無かったからね。

それは、母が亡くなって相続が発生した際も、僕にとてもシンプルな判断を与えてくれた。会社をたたもうが土地建物を処分しようがそれは全て兄が決めることで僕には関係ないことだ。

僕は他人事化によって心の平穏と自分自身の人生のオーナーシップを取り戻すことができたのだ。

その後展望のないキャリアチェンジは僕に自立と新たな学びと成長、生きがいやりがいの機会を与えてくれた。

だから、機会を与えてくれた会社や仲間には深く感謝しているし、更地の写真を見てもまったく悔悛の情や望郷の思いは無い自分がいる。

コンサルタントは問題解決の支援を行う際に、それは誰の問題なのかをしっかりと認識している必要がある。

クライアントに深く立ち入りすぎてはいけないとプロセスコンサルテーションの祖E.シャインも言っている。

つまり問題解決の支援において適度な他人事化は大切なのである。それは当事者の主体性の尊厳を守るということにもなるからね。

自分では無い


2022年8月1日月曜日

ターミネーターにシザーハンズ刃物で身体性を拡張する僕たち

 僕たちは道具を使って自分自身の身体性を拡張して環境に働きかけて、環境を変えていく料理はきっとその代表だ。そして料理をするうえで最も代表的な道具といえば包丁だろう、僕たちの体にはものを切るという機能は備わっていない、しかし、ものを切るという行為はとても重要である、だから有史以降人間は石や青銅、鉄などを使って能力を拡張してきた。つまり人間にとってものを切るという行為はとても意味深いわけだね。しかし素晴らしい包丁があったとしても上手に料理ができるわけでも、美味しい料理ができるわけでもない。料理は僕たちの認知リソースをふるに使って揺らぎながら創発する結果なのである。僕は今運動のリソースに不具合を抱えているので料理に手をつけていない残念な限りである。一方で包丁に関しては素晴らしいものがある、ふくべ鍛冶というところのいか割き包丁である。テレビ紹介されたで手作りの鍛造包丁である、すぐに発注したのだけど、テレビ放映で注文が殺到し、納期まで12ヵ月~18カ月程度と言われてい2020/08/29に発注したいか割き包丁が我が家に届いたのは2021/11/20過ぎ実に15ヶ月かかったのである。ただその間に僕の日常は脳卒中で大きく変わってしまった。ざんねんながら包丁はまだ開封されることなく台所で眠っている。素晴らしい包丁が届いたからといって僕が料理できるようになるわけではもちろん無い道具はあくまでも身体性を拡張するものでしかないのだからね、現在要介護1の僕に介護が必要なくなったらこの包丁を使って料理に取り組みたいと思う。そういえば大ヒット映画ターミネータシリーズの第何作かはわすれたけど、身体を自由に変形させられる液体金属の殺人ロボットは手を刀や槍のように変形させていた。これは料理のためではないけど。将来人間がサイボーグ化して、そんな風に身体を拡張出来たら便利だよねー。かなり危ないけどね。手がはさみのシザーハンズというちょっと切ない映画もあったね。刃物は大切だけどやはり危ないのである。僕は現在家で食後の洗い片付けを分担しているのだけど、包丁は最初に洗って、拭いて仕舞うようにしている。万が一足の上にでも落下したら大変だからね〜

これこれ一生モノです