企業の採用活動を支援していると必ず出てくるキーワードがあるそれが「いい学生」である。
以前も書いたけどいい学生と言うのは素朴理論だ。その実態は曖昧で実は誰にもよくわかっていない。そこで今朝は僕なりにいい学生とはを考えてみようと思う。でも、これ、一個人としての僕と経営者&採用コンサルとしての僕ではだいぶ違うことにまず気がつく。
企業サイドに立った時のいい学生とは、社会そして、会社、仕事という複雑な状況にいち早く適応して活躍する相対的に賢く優れた意識と行為を持っている学生だ。絶対的な評価軸があるというより相対的に評価する感じ。だから、採用活動にはきりが無くて、もっといい学生がいるのではないかとかいい学生を落としてしまったのではないかという不安を抱き続けることになる。
一方僕が個人的に知り合った学生たちのなかで出会ったいい学生とは、学び合う仲間として、主体的に学びながらも良い気づきを与えてくれる学生だ。シンプルにああ、素晴らしいなぁと感動をくれる学生だ、そこには会社や仕事への適応なんて微塵もない。まあ、社員となるとステークホルダーになるわけだから目線が変わるのは致し方ないことではある。しかし企業人の立場で採用候補者として学生を観るときの「いい」という目線には将来的な予測が含まれることは間違いないだろうその予測とは、適応と活躍だ。
多くの企業はこれを確かめるために何回にも及ぶ面接とツールを導入している。しかしそこにはつねにベストだったのかという自問自答が地獄の咆哮のように渦巻いているのだ。
しかし企業は別に面接がしたいわけでも、ツールで測りたいわけでもない、いい学生を採用したいだけなのだ。
さて認知科学で考えると場面適応的というのは、状況、環境の中のリソースと、私たちの内部にある認知的リソースが、うまい具合にかみ合わさったということを意味している。だからその結果生み出される知識が、またそれに基づく行為が必ずしも合理的であるとか、適切であるとか、そうしたことは意味しない
鈴木宏昭. 私たちはどう学んでいるのか 創発から見る認知の変化 (Japanese Edition) (p.55). Kindle 版.
認知科学の観点で考えるならばまず、適応と活躍は分けて考える必要がある。そして適応を考えるなら学生だけじゃなく状況環境の中のリソースに深い造詣を持っている必要があることがわかる、企業がよく学生の面接に現場のエースを用いるけど、これなどはまさに、環境や状況のリソースに通じた人ということだよね。
複雑系理論で考えれば、組織という人のネットワークは散逸構造だから、構造を維持するためには秩序が必要だ、多くの企業はその秩序を維持するためにミッションやビジョンや評価制度を用いている。
秩序が崩壊すると組織はばらばらになりかねないのである。
新入社員はまずこの秩序に適応しなければならない。
成果を出すために何をしても良いわけじゃない。
しかし新入社員の活躍は常に秩序の縁にあって、組織に進化を働きかけている。
要するに活躍とは、適応を越えて、環境や状況に働きかけ組織を進化させていく行為行動なのである。活躍とリソースがはかみ合わさった結果生み出される知識とそれに基づく行為が合理的かつ適切で、環境に働きかけ環境自体を変化させるものである。
このバランスが組織においては重要なんだよね。
新入社員自身がこのバランスを知識として保有することがベストアンサー「いい学生を採用出来た」になるのだ。
要するに適応と活躍は複雑系科学でも認知科学でも別物であるということが肝心だ。
言い換えれば調和と脱線この2つのテーマを創発しながら組織もその構成員も日々歩んでいくのだ。
調和が無ければ組織は散逸するし、脱線がなければ組織は硬直化して新しい状況や環境に対するしなやかさを失ってしまう。
最強の学生とは、この調和と脱線のバランスの認知的リソースを保有している学生ということになる。
調和の認知リソースは、模倣・追従の自律である、脱線の認知リソースは否定と自立だ。
言い方を変えると為すべきことを為すリソースと為さざることを為すリソースということであろう。
他人から言われなくてもどうするべきかに気づき動けて、どうすればもっと良くなるかを適切なタイミング(組織が進化を求めている時期)で切り出すことが出来る学生。冒頭僕は。一個人と経営者でいい学生の目線が違うと書いたけど。一個人としても、こういう学生に出会った時に感動をもらっていることに改めて気づいたのである。