2022年11月30日水曜日

キャリアのDrift & Designとそのための勇気と我慢と仕事と学習(もしくは戦略的人材DBとキャリアプラットフォームの構築について)

 結論から先に言うとキャリア作りに必要なのは勇気と我慢そして仕事と学習である

その勇気と我慢を培うのは多様な経験だ。

僕が2009年に経営戦略人材データベースの構築を手掛けたとき人事キーマンには縁の下の貢献者を表舞台に立たせたいという強い思いがあって気働きに励み献身的で都合よく使われている人材に光を当てるための仕組みを考えたがそれは裏返せばキャリアプラットフォームの開発だった。

その時に至った結論はキャリアプラットフォームに必要なのは個人カルテと仕事の地図とジョブディスクリプション(当時はジョブインデックスと呼んでいた)だった。

その時の根幹を為した考え方これ。

キャリアには、過去の配属先や役職など、誰が見ても変わらない「客観的なキャリア」と、自分自身の選択肢の連続や働き方や

生き方などの経験を自分自身が後から意味づけて出来上がる「主観的なキャリア」の2種類があります。

私たちはこの二つのキャリアを作りながら、仕事の知識やスキルを向上させたり、人間性を養ったりしています。キャリアは常に、思い通りになるものではありません。

同時に、想定外の変化は、必ず自分自身の可能性を広げます。

大切なのは、外から来る「変化に対応する力」と、「自分自身の可能性を認識する力」です。これが、「Drift & Design」 という考え方です。

そこで僕らが構築に挑んだのは、自分を知るカルテと可能性を認識するための仕事世界地図

作りだっのです。これをコンセプチュアルに作るのではなく徹底的にデータサイエンスで作りこんだ。というのも、仕事とは事業目的や目標が最終的には詳細化されたものであって、組み立てられた世界はその会社のミッションやビジョンを表しているものでなければならない。それをもってはじめて人と組織のwin-winな関係、公平で公正な関係が成立する。それは僕が目指してきたものだ。

可能性は世界規模




2022年11月29日火曜日

2ピッチな僕の願いの朝

 朝ドラ「舞い上がれ」を観ていたら飛行訓練の前に182項目にわたる点検手順プロシジャーを描くシーンがあった、

僕は飛行機を飛ばせないから実際は知らないけど、似たような乗車前点検手順で言えば、自動車や自動二輪の免許取得の際の教習で実施していたことが思い出される後方から車が来ないことの確認とかね。実際の運転でも手順が抜けた時にたいがい何かが起こるものだよね。

残念ながら退職されてしまったけど、デイケアで一時送迎の運転手をされていた職員さんは前職が鉄道会社勤務ということで、運転中に指差しによる安全確認を必ず行われていた。

一度身についた手順は簡単には消えないのでしょう。

こうした手順は僕たちのスキルが上達する過程でマクロ化(自動化)され並列化され、作業場率を上げていく、

身体が覚えるというやつだ、

脳卒中で脳の運動野を破壊されてしまった僕は、ゼロから歩行などを学び直している。

まずは筋力が弱くなりしかも思うように動かせなくなった左脚をカバーして転倒を防ぐために杖をつかっての歩行だ。

右手に杖を持ってまず杖を前について次に左脚を前に振りだし、最後に身体を支える右脚を前に振りだす、1-2-3のリズムで、常に3点で身体を保持するのが基本になる。三脚と同じ原理である

この歩き方確かに身体は安定するのだけど普通の歩行に比べて手順が多い分、歩くのが遅くなる。

リハビリでは、杖を使い歩けるようになればこんどはより長い時間、よりは速く歩くことが目標になる。

それは健常な人が普通に歩くように歩けるということなのだ。

速く歩くためには1-2-3のリズムではなく1-2のほうが有利だ、これを2ピッチと呼ぶのだけど杖を前に突くのと左脚を振りだすのを並列化しなくてはならない、これが1になる。

しかし1の時、身体は右脚一本で保持されることになるから身体は不安定になるから無意識のうちに右足一本で安定して立位がとれるよう上体の姿勢などで体のバランスを調整する必要があってこれがマクロ化だ。右足を振りだすときは不自由な左脚と杖で身体を支えるのだからこれも不安定だ。

またバランスが崩れたときに立て直す動きを取らなくてはならないこれも自動的に出来ないと転倒リスクが高まる。リハビリの歩行訓練はまさにマクロ化、並列化のによる歩行スキル上達のプロセスなのである。が実態は不安定さとの闘いだ。

目標は無意識に速く長く安全に歩けるようになること、それは脳出血前のぼくには思いもつかなかったような目標であり今僕の目の前にぶら下がっている。それはそれできっと僕の人生にとって意味ある目標なのだろう。

脳卒中で、ひたすら増えていたお酒も一切飲まなくなったし血圧も平均で130/90オーバーだったのが今では110/80アンダーになった。

リハビリを通じて指導してもらっている若い理学療法士さんたちにはたくさんの気づきをもらっているし、生きることの意味も都度考えることが増えた。

それらはかつての僕には薄かったものだ、新しい世界は古い世界の問題や悩みを解き明かすヒントが溢れていて

相変わらず動かない左手をさすりながらも、新しい世界も古い世界もさらに開かれていくように感じられている。

普通に2ピッチ歩行が出来るようになった頃僕はきっと次の新たな目標に向けて歩行スキルを磨くのだろう、なんとなくこの鍛錬には終わりが無いことにも感づいている。

でもきっと人生ってそういうものだよね常に新たなページを開こうとあがきでも、自らを弁えて無理なことはあきらめて我慢する、

そうこうして気がつくと、人生初の長期入院ももう一年前の彼方の出来事になっているこの先の人生、また何が待っているかわからないけど、一喜一憂せずに今現在自分の身体と僕を支えてくれているあらゆるものへの感謝だけは忘れないようにしたいと願っているのである。




2022年11月28日月曜日

過酷化する環境の中で賢くより良く生きる方法

能力は虚構(私たちはどう学んでいるのか鈴木宏昭)だとすると僕たちが何となく安定的で内在的な能力ととらえているものは何なのだろう。心理学ではIQ(知能)EQなどとさらにメタ概念化されているがこれらはすべて誤った能力観であるとも考えられるのだ。しかし僕たちは実際に人の固有性や差異性に接していてそれを理解したいと願っている。

認知科学では思考 や 判断 など「 認知」的変化 の 過程 における 賢 さを 見定め て 研究 している

例えば「我慢」が社会性の基本であることと、時にチャンスが来たと瞬間的に判断をして「我慢」をやめるのが「賢さ」である。(「拡張する脳」藤井直敬著)と考える。

そう、認知科学では環境や文脈依存性のとコヒーレントに発揮される行為行動、意識、思考、感情を「賢さ」と表現する。そして2000年前の哲学でアリストテレスは枢要徳の1つとして「賢慮」を示した 「賢慮」は「 思慮」 や「 知慮」 などとも 訳さ れ、賢慮 という 徳 は、 ひと言 で 言う と 判断力 の こと です。実践哲学である倫理学も自分の置かれている状況を的確に判断するという文脈主義にあって、その中核に据えているのが「賢さ」なのだ、
アリストテレスはこの「賢慮」軸に3つのベクトル「勇気」「節制」「正義」を導く・
脳科学では新たな環境への適応は脳の持つ偶有性によって成されると考える。
日本放送協会; NHK出版. NHK 100分 de 名著 アリストテレス『ニコマコス倫理学』 2022年 5月 [雑誌] (NHKテキスト) (p.65). NHK出版. Kindle 版. 
不確実性(危険察知)に遭遇すると脳はひらめきの脳回路は同じ場所(ACC →LPFC)を活性化させて適応を行うのだ。
おそらくこの脳の仕組みは人間固有のものではない。
それは「拡張する脳」の中で例示されている猿の実験でも明らかで、そこから藤井氏は脳等の「我慢」が社会性の基本だと仮説を立てている
我慢は節制だ、そしてチャンスが来た時に我慢を止めるのが勇気だよね。
むしろwin-winの関係を作るべしというのが正義だね。
心理学の大御所多湖輝は停滞した状況の中でチャンスを見出すひらめき(発想力と呼んだ)の重要性に気づき、頭の体操を世に送り出したのだけど、脳科学も認知科学も無かった時代にこのメタ洞察はすごいものだね。
今日のアメリカの繁栄も、GAFAも、ある意味、80年代の閉塞期にジョブズやベゾスらがITにチャンスを見出したひらめきによって生み出されたものであるといえるかもしれない。


要するに、僕達は、まだ見ぬ新たな文脈に出会った時、我慢するのか挑むのか自分以外の他者と協調するのか賢く判断することで自分を文脈の関係を最適な状態に保つことが出来るのである。
一方で自由意志に関する論争を巻き起こした実験は、1983年にさかのぼる。アメリカの生理学者ベンジャミン・リベット(1916 – 2007)は、われわれがとある動作をしようとする「意識的な意思決定」以前に、「準備電位(Rediness Potential)」と呼ばれる無意識的な電気信号が立ち上がるのを、脳科学的実験により確認した。僕たちに自由意志は無いというものだ。
であるとすると我慢するのか挑むのか、我慢の応用として他者と協調するのかは、無意識にもう脳が決めているというものだ、こういった無意識の脳の働きは第一印象の研究でも盛んに行われている。
自然の過酷さは、意識とか思考といった時間の掛かるプロセスを許容してくれない。
そうなると賢さとは無意識に発揮されるものであるのかもしれない。
しかし、意識下にあったものが、繰り返しの過程で、自動化並列化し無意識になっていく運動の発達過程はおそらく思考でも一緒であろう。
自動思考や思考停止は無意識の思考だ。
記憶・注意・遂行といった認知の基本機能も鍛錬可能だ。僕たちは経験と学習(勉強も含め)を通じて人生を通じて鍛錬していく存在なのかもしれないね。
僕らの無意識に潜む生き抜く戦い



2022年11月27日日曜日

産業組織の隠された重要課題人事部員の健康問題。

 経営者は人事部にきっと、社員がしらけることなく仕事に向き合って、会社の目標や目的を達成できるように、制度を定めて運用して欲しいと願っている。

しかし人事部は組織のルーチンのみならず、様々なトラブルに振り回される。

恐らく人事部長とか集めて、人事部あるあるなんてやったらきっと、夜を徹して話が花開くに違いない。人に関するトラブルは全て人事に集まってくるからね。

健康問題にハラスメント、残業に退職。問題社員に社員のモンスター家族対応。

組織のトラブルは尽きることが無いからね。

前近代的な師弟関係威光模倣においては、矛盾や曖昧さ理不尽さは組織の当然だけれども、民主主義的近代的産業組織において協働は、公正明朗平等で組織構成員が納得をもって働くのが当然であると考えられ必要以上に組織に尽くせばやれ社畜だブラックだと騒ぎ立てられる。察して動く働くとは傍を楽にすることだよねなんて言っていられない。

組織の源流が人と人の関係性全体であるコミュニティにあるとすればいかなる近代的産業組織においてどんな人事制度を構築したとしても曖昧さを排することは不可能である人そのものがあいまいで矛盾を孕んでいるのだからその掛け算であるコミュニティはそもそもが曖昧さと矛盾の宝庫だ。民主主義と社会のサービス化があいまいさと矛盾のない世界と言う幻想を僕たちに植え付けてしまったけど、曖昧さと矛盾の中で偶有性を発揮して環境に対峙していくというのが生命の摂理なんだけどね。

人事部とは、組織を仕切る権威部門のように映るけど実際は協働のジレンマに晒される、ストレスフルが掛かり続ける疲労部門なのだ。

これは個人的な見解だけど、人事部員の心身不調(メンタル発症)比率ってその他一般社員よりも高いのではないだろうかストレスが掛かり続ければ肉体ならば疲労骨折したり金属だったら破断してしまうのと同様にね。

人事部の活動はプライバシーに直結するから秘匿性が高く、こういった人事部員の健康問題もなかなか表面化しないけど、僕は現代の産業組織における重要な課題になっていると考えている






2022年11月26日土曜日

リハビリの臨床には人材育成に欠けている全ての学びがあった。

同僚の臨床的な好み。僕たちがEvidenceに基づけない理由

note でとても興味深い記事を見つけた。個人がこういう形で大切なことを発信するまさにインターネットの真価だよね。この記事は理学療法士が書いたもので、僕はリハビリを受ける側だったからとても興味深く読むことが出来た。
これを見ると、やはり先輩や同僚というのは、当事者の臨床に与える影響が大きいらしい。
“Residents-as-Teachers”、“Residents-as-Teachers”、どちらも似たような意味だ。
すなわち、遠くの偉大な研修会のコーチより、最も近くにいる上長こそ、もっとも重大なインパクトを与える教師である。
今回の抄読研究において、改めてそう実感させられた。
の前の臨床のプログラムや、臨床思考過程に影響を与えているのは、多くの場合『その職場での経験』である。以上引用であるがこの一文にはとても大きな意味を持っていいる、人材育成では経験学習が重要視されているけど、経験学習には観察学習が潜んでいるという指摘を僕はあまり見たことが無い。
徒弟制度の中にはこういった観察学習があることは指摘されているけれど、曖昧さや理不尽さなどが強調され非科学的でちょっと特殊な学びであると見られているのではないかと僕は思う。徒弟制度の重要性に気づいているのは認知科学だ
しかしリハビリの臨床現場は患者含めて協調学習の場である。人材育成の場ではこういった学習論は構成主義的に分解されて実践されているけど、臨床の現場における学習は、あらゆる学習が組み合わされたものであることに気づくことになった。臨床の特徴である、個別性、緊急かつ重要性、効果性であることに起因することなのかもしれない。



2022年11月25日金曜日

知能ではなく賢さこそが鍵だ。

 高齢化社会は認知症という老化問題社会でもある。

認知症は、脳の老化に伴う高次脳機能障害に由来する社会性の低下だ。

この現象ははからずしも認知機能が社会性にとって大きな役割を果たしていることを明らかにした。

認知科学では、この認知機能が賢さを生み出す研究を行っているのだけど、その研究の大きな推進力になっているのは自律型人工知能の開発であろう。

自律型人工知能は読んで字のごとく、人の介在しない知能の出現である。

その延長線上には人工生命なども見え隠れする。

知能とは僕たちの脳の中にありながら、世界をも支配するというのが中央集権的な脳中心主義であり、表象主義の考え方だけど、認知科学から見えてくるのは、認知機能と身体性という非常にシンプルなモジュールを階層的に組み合わせて賢く複雑さに適応している生命の姿であり反表象主義と呼ばれる。

それ故、認知機能が衰えてくると、社会の複雑さから取り残されて、異物化するのだろう

社会性にとって大事なのは、IQでもEQでもなくて賢く見える環境とのやり取りなのです。

最近NHKの番組で、実は植物もコミュニケーションを行っているという研究結果を取り上げていたけど、それなどはほんとうに良い実例である。

葉を食べる昆虫を認知して、毒を生成するとか、物質を大気に放出して他の植物に伝えるとか虫の天敵を呼び寄せるとかまるで知能があるかのように賢くふるまう(戦略的に見える)のだでも、植物には僕らのような脳と呼ばれる器官は存在しない。

認知とそれに反応する非常にシンプルなモジュールによって賢く生き抜いているのだ。樹齢500年を超えるような巨樹をみてもよくわかるよね。

我が家の100均ハイビスカスも何度剪定されてももう何年も賢く生き抜いている。でもどこにも脳は見当たらない

そう、環境の複雑さに適応するのに必要なのは認知と呼応する身体性のモジュールの組み合わせによって発揮される賢さなのである。



2022年11月24日木曜日

アンタッチャブルな母親。

 デイケアでいつもとなりの席にいたご婦人と最近お会いしていない。ご本人は年齢含め自分の、ことをあまり話されないので、勝手に僕は彼女をアンタッチャブルとか呼んでいた。

お年もわからなかったのだけど結構なご高齢だったらしく、身体が弱って入院されたのだそうだ。

寂しいけど、もう、デイケアで会うことも無いのかもしれない。

僕の左側に座って、麻痺した僕の左手を優しく触ってくれていた日々が無性に懐かしくなって不意に悲しくなった。

僕は色々あってほぼ縁を切るような形で、母親と別れてしまい、最後に会ったのは亡くなる直前のベッドの上だった。

だからボケて老いた母親の日常を知らない親不孝者だ。まさに僕にとって母の老後はアンタッチャブルだった

さて、どうやらデイケアのアンタッチャブルは生きていれば僕の母親と同じくらいのお年頃なのかもしれない。

そう思ったら何故だか急に彼女の手が母親の手のように思えてきた。

デイケアが終わって帰る際に、またねと言って優しく僕の手をとってくれた、その際いつも僕の手が温かいことに感激し、自分の手が冷たいことを申し訳なさそうにしていたちょっとした触れ合いが妙に懐かしく思い出されてならない。

きっとあの世に渡った母がアンタッチャブルの手を借りて僕に触れていたのだろう。急にそんな風に思った。

そのマザコンライフから自分の自立した人生を、取り戻すために意を決して母親と距離をおいたのだけど。

もし母親が生きていたら僕の脳卒中を見てたいそう心配し僕の麻痺した左手に触れてくれたに違いないなんて思ってしまう。

俺はどんだけマザコンなんや。

結局今もって僕はマザコンから卒業出来ていなのかもしれない。

後遺症の要介護で思わずデイケアという高齢者の輪の中に入ってみると亡くなった父親や母親はの面影を探している自分に気がつく。

よく昔の長屋では、分け隔てなく皆で子供を育てたらしいけど、原始コミュニティの姿とは誰も異物化しないつながりのある社会だったのかもしれないね。

つまり子供も老人もみんなが共有するコミュニティである。しかし家に帰ってくればそこには老人は居ない、マンションの他の部屋の住人と触れ合うこともないまさに閉ざされ分断されたアンタッチャブルな日常があるだけだ。

今僕に出来ることは、不自由になり感覚も鈍った左手にかすかに残るアンタッチャブルの優しい手の感触を思い起こしながら元気で居られることを祈ることだけだ。




2022年11月23日水曜日

替え玉という就活の闇を照らし真の賢さを照らし出す認知科学。

 昨日ついに、就活テストの替え玉受験が摘発された、私文書偽造、そしておそらく不正アクセス防止法に脱税と違法副業、関西電力のエリート候補社員はバンバンバン満貫でエリート街道から滑落してしまった、

依頼した女学生もおそらく就職は無理だろう。

就活という闇が少なくとも有望な二人の若者の未来を帳消しにしてしまったようだ、

間違ってはいけないのは、企業が欲しいのは賢い人材である。

社会の規範に反するようなズル賢い人材ではない。

彼と彼女はズル賢いゆえに粛清されたのである。

社会性における賢さの本質とは我慢であるという研究があるが、彼と彼女は我慢が出来ずに愚かにも不正に手を貸し手を出したのである。

しかし就活はズル賢さをあぶり出すためにあるのではない。

しかも、彼と彼女だけが愚かなわけじゃないだろう、

いやむしろ単に不運だっただけで過去も含めて数多のズルのスケープゴートになったのだ。

同じように不正に手を貸し利用し、今現在有名企業でのうのうと働いている人は少なくないだろう。web検査での不正は以前から言われていだことだからね。世の中には義勇軍よろしくまるで正義であるかのように不正(チート)を、促す攻略サイトだって数多くあるしね。彼と彼女だけ罰するのでは不公平極まりない。法律は全ての人の前に平等であるべきだ。高速道路で車の波に乗って走っていたのにその中の一台だけが摘発されるようなことはあってはならないのだ。

替え玉なりすまし不正受験は常に対策とのいたちごっこであるから。決め手となる対策は無い。あれほど厳しい大学受験だって不正があるのだからね。本当に賢さを見極めるのであればインターンシップしか無いだろう。日々の実務の中で替え玉は効かないからね。人の賢さを研究してきた認知科学こそが就活の闇を照らす光明になるに違いない

光あれ



2022年11月22日火曜日

応募者管理システム選びの要諦

 人事部の採用担当者は使い勝手の良い応募者管理システム探しに余念が無い。

採用活動はどんどんマルチチャンネル化するし。

選考プロセスにもDX化の波が押し寄せツールも手法も多様化複雑化が進む一方だから、頭の中や、エクセルシートで一元管理できる限界を超えてしまっているからである。

一方採用担当者もご多分に漏れず働き方改革の大波を受けているから転覆しないためには使い勝手の良い応募者管理システムの導入が必須なのである。

システム導入の失敗あるあるは

①評判頼りで導入したものの自社の事情に合っておらず使いにくい

②トラブルの解決に余計労力がかかる

こうしたいを聞いても回答が無い、機能山盛りだけど、より良い使い方を教えてくれないから、結局③こうしたいが出来ない。結局多様さや複雑性をそのまま受け止められるシステムは幻想で実際には無いのだ。

④前任の担当者が使っていたシステムは使いにくい

採用担当者は、採用スキルの上達と同様に、自動化、同時処理する採用プロセスを見つけ出してそれをシステムに置き換えるつまり自分の採用スキルの外化を行うのである採用スキルは企業ごと採用担当者ごとにに異なるものだから採用担当者は自分で問題を解決しなければならない。

⑤上司が持ち込むツールはまず使い物にならない

これについては先日書いている

ツールに合わせて採用プロセスを整えるという手もあるけど、差別化こそが企業価値の源泉であることを考えたら。同質化を招くアプローチはさけるべきだと強く思う。業務をDXツールに合わせてしまえという乱暴な改革者も多くいるけど、そういう狼藉物はその一方で本質的価値を失っていることに無関心、無頓着な企業経営の敵なのである。他社にないということは恥ずべきことじゃなく誇るべきことなのだ。

要するに採用にしろ何にしろ人事の業務というのはかなり複雑なプロセスによって出来上がっていて人によって細かく調整されて機能しているものだから、まるっとシステムに置き換えるのは難しいのだ。

だからいきなりお試しトライをする前に、採用担当者は自身が回しているの採用選考での課題や問題とプロセスをフロー図化して、プロセスの中の要改善ポイントを明らかにし、自動化(マクロ化)もしくは並行処理できるポイントを見つけるのである。見つけ方は、はじめて採用担当になった時は時間がかかっていたけど、その後慣れて上手く出来るようになったこと(以前は大変だったなぁ~ということ)を探すことだ。それは上達が可能で外化出来ることの証だからね。そしてその機能を実装しているツールを選べばまずは間違いないだろう。




2022年11月21日月曜日

ストレスは怖い

 先日NHKで全ての細胞には毛が生えているという番組を放送していた。

大変興味深く視聴したのだけど、一番驚いたのはその毛がストレスで切れるというところだった、ストレスって怖いものなんだね。

ストレスに関しては僕も身に覚えがある。

それは今回の脳出血だ、医師に指摘された原因は高血圧ずっと平均140の90くらいでした過度の飲酒、毎日缶ビール2本チューハイ3杯、ウイスキー2フィンガーくらい飲んでいました。そして、ストレス。取締役を退任しその後の身の振り方を思い悩む日々でした。

ストレスで切れる毛の動画を観て、ああ僕の脳血管もこうやってストレスで破れたんだろうなと思いました。

このストレスの正体wowowoで放送しているドラマホテル(石ノ森章太郎作)の第3話ですごくよく理解できた。経営不振で外資に売却される老舗名門ホテルの話なんだけど、総料理長が総支配人から世代交代を告げられるシーンが出てくる。自分に当時にかぶる話で総料理長の気持がとてもよくわかった。総支配人はある人から聞いた話を通じて総料理長を説得するのだけど、その話は以下のようなものだ

あなた(総支配人を指している)のような若い人には老人は達観しているように見えるかもしれないね

だけど怖いんだよ老人も

もし明日自分に何もすることが無かったら何をすべきかわからなかったら自分が誰なのかわからなくなるような怖さというのかな。

あなた(総料理長を指して)が恐れることがあるとすれば

それは過去の栄光を失うことではないこれからの未来に自分が何者でもなくなることだ。


すごいね~その通りだからね~実は高齢化による認知症の怖さもこういうことだ。

実は付け加えると高齢者にはもう一つ恐れがある。それは老害になること。

未来ある若者の障害になることだ。    

ドラマの中で総料理長は総支配人の説得を受け入れるのだけど、それは若者に任せるということには何ら躊躇いが無いことの証でもあったのだろう。

僕も、世代交代を第一だと考えていた

しかし、自分が何者でもなくなる怖さに直面しストレスを溜めていたことは間違いない。

自分が誰なのかわからなくなる前に死んでしまいたい。

映画ファーザーや92歳のパリジェンヌなど高齢者を描いたストーリーに共通する話の重要な筋である。

かつてブログにも書いたけど。デイケアを利用する高齢者から社友という肩書の名刺を頂いたことがあるその方もきっと自分が誰なのかという怖さと闘っていたのかもしれないね。養老孟司さんは死の壁の中で村八分という表現を用いていたけど。社会の異物になるということは大きなストレスを伴うこのストレスを受入れることを仏教では悟ると言う。老人が達観しているようにみえるのはこの悟りを開く努力を日々重ねているからかもしれない。



ストレスで毛が抜けるという番組じゃなかった





2022年11月20日日曜日

ワープとうちゃん

 脳卒中の発症で歩くことはもちろん立っていることも出来なくなった脳卒中サバイバーの父ちゃん、血種除去手術後間を開けずに始まったリハビリもその後の。

回復期リハビリを保険適用目いっぱいの6か月を乗り越え、

現在は在宅訪問リハビリと、デイケア通所リハビリを継続中なのであった。

最近は歩行もだいぶ出来るようになり、家では装具なし杖無しで歩いたりしている、

一方理学療法士さんとのリハビリでは歩行速度の向上に取り組んでいる。

昨日は通所リハビリの日。50メートルを杖無し杖アリでタイムトライアルを行った。

杖無しで路上を歩くのは危険なので理学療法士さんの恋人のように腕を持って歩く。

結果としては今までにない記録が出せた。健常者の歩行速度は分速80メートルくらいらしい。屋外歩行訓練をはじめたころのとうちゃんは分速10メートル通の人の1/8でしか歩けなかった。

昨日杖無し(腕組み)歩行では何と分速37.5メートル杖アリでも分速22メートルで歩けたのだ。

かつての2倍~4倍速で高速に移動できるとうちゃんもはやサイボーグ009のジョーなのかもしれない。

脳卒中サバイバーとうちゃんの加速装置は、中国から来た超勉強家の理学療法士さんなんだけどね。

一分間で37.5メートルワープできれば。30メートルある大通りの横断歩道を40秒で渡り切るなんていうミッションもまったく問題なくクリアだ。

振返ればワープ航法を手に入れるために夢中になりすぎて酸欠で卒倒(転倒じゃない)失禁しちゃったこともあったけど、

今は、常に自分の体調をモニタリングして決して無理をしないようにワープチャレンジを繰り返している。

脳卒中サバイバーの生活訓は「できなくなったことを嘆く」ではなく「出来ることを120%頑張ろう」だ。

確かに歩行訓練では毎回2割増しくらいで歩行速度が上がっていった。

そしてそれがやがて4倍になり2倍になったのだ。塵も積もれば山となる戦略こそ、脳卒中サバイバーの核心戦略なのである。

赤いマフラーなびかせて~



2022年11月19日土曜日

人材像と人材要件の違いと人材要件の落とし穴。

 多くの採用を行う企業は採用のページを作っていてそこにはこんな人を求めていますと掲載している。それは採用人材像である。

一方採用選考は見極め、判断するプロセスだから、応募者を見極めて判断するためのガイドラインが必要になる。例えば、明るく元気に他者と一緒に働くのが得意な人と言うのが人材像だとしたら、コンサルティングの経験があり、人の話を聞くことができ、問題や課題を発見し、解決に向けた提案が出来るといった、経験やスキルの有無が採用すべき人材の要件だ

。この要件は、事業モデル(顧客とのリレーションシップや)、組織文化(仕事の進め方、コアコンピタンス)といった場所の拘束条件によって定まるものであって、理想としては、応募者の内部に場が存在することが野ぞましい。なぜならそれは活躍や定着の因になるからだ。

例えば人事部が採用業務を行っているとしたら、営業部でロイヤリティ高く活躍している○○さんみたいな人が人材像で。○○さんが内面に保有する場が人材要件ということになる。この内面に保有する場は外からは見えない、更には、環境によって内面に創発されるものだから、

インタビューという特異な状況では確認できない

そこで多くの場合○○さんはお客様からの信頼が厚いとか、率先して行動するといった、人事評価視点からアブダクションされて、対人・コミュニケーション能力が高いとかリーダーシップ力があるといった虚構の能力に転換されるケースがほとんどだ、社会人基礎力もそうだけど、ほんとうにそんな力があるものなのか実は確認のしようはないものだ。それらは素朴理論という表象主義の確証バイアスにとって実に便利なメタファーなのである。

だからこうした人材要件は一見、尤もらしい見極めのガイドラインが整ったように見えるけど、入社後の活躍も定着も何も裏付けるものじゃない。だから、常に採用は物足りなくて、離職も減らないのだ。

表象するメタファー



2022年11月18日金曜日

僕の雑食キャリア

 ここ数日人事システムについて書いているけど、考えてみたらこの20年間色んな仕事をしてきたものだ、その前の20年間では、現金勘定、預金獲得、カード売り込み、融資提案、稟議作成、事務処理、商品企画、カタログ作成、営業、荷下ろし、値札つけ、納品、納品システム開発、経理、経営とこちらも多彩だけど、この20年はマーケティング、企画提案、マーケデータ分析、購買履歴分析、マーケ調査設計、レポート作成、経営、経営企画、社内システム、サービスシステム運用、開発、人材DB設計に開発、研修設計、研修講師、採用コンサル、HRデータ分析多変量解析にテキストマイニング、360度調査設計実施、同フィードバック実施、診断設計、尺度開発。人材要件策定、営業、代理店営業、セミナー登壇、成長の研究、AI(機械学習)、上場準備、などなど、細かく上げていたらキリがないけど、それぞれが僕のスキルを培ってくれた、だから、僕のスキルは腸内細菌のように極めて多様になった。だからどんな仕事を食べてもお腹を壊さずに消化し吸収することが出来る身体になった。仕事を選り好みしないでいたらそうなってしまったと言うのが正しいかもしれない、ただ、この20年間の仕事の根底にあったのは人と組織のフェアな関係を作り出したいというものだった。それはその前の20年間の経験も大きく影を落としているように思える。いつ頃どんな仕事をしたのかという雑食履歴に関しては思い出せる近いうちに一度整理してみようと思っている。



僕の薬草ひきだしはこんな感じ


shadow of  me



2022年11月17日木曜日

認知科学型人事システム

高齢化社会の到来とともに社会問題化したのが高齢者の認知症である。しかし、認知症は僕たちに社会における認知の重要性を教えてくれることになった、社会的存在としての僕たちは心理や能力よりも認知リソース(記憶・注意・遂行・制御・内化・外化)によって支えられていることが明らかになったのだ。したがって組織という協働の社会原理に基づいている
産業組織も、この認知をベースに理解し運用し管理する必要がある。そこで、昨日の流れも汲んで、認知科学型の経営人事システムを考案してみた。本ページの内容については引用転載一切禁止である。



認知氷山モデル(C)satoshi yoshida

基幹系戦略系・ナレッジ創発系統合型経営人事システム概念図(C)satoshi yoshida

統合型経営人事システム連関図(C)satoshi yoshida

システム構成図(C)satoshi yoshida

 

2022年11月16日水曜日

理想の人事システムとは

 僕は昨日タレントマネジメントシステムとキャリアプラットフォームの違い。を少し考えていた。

人事におけるシステムとはそれ以外にも、労務管理、給与計算それに、採用管理などがあって、理想的には全部が一体化したものだろうけど、DXで提供されるのは割と小分けにされたシステムである、むしろ給与計算は会計と一体化されていたりする、それはお金が主語になったシステムだ。きっとその方がシステムを作りやすいのだろうね、提供価値も明確になるし。

つまり、システムは経営資源ごとに準備されがちなんだよね。キャリアプラットフォーム、タレントマネジメント、採用管理は人的資源の管理が主語だね。

しかし例えるならばタレントマネジメントシステムは運河のは閘門みたいな仕組みであり物流システムのようにを経営を目的に到達させるするためのインフラだ、必要なのは大局的な経営の視座と事業課題ごとに人を浮かび上がらせる機能であり、経営目的や経営目標と切っても切れない密接なつながりがある。人材プールと呼ぶのも興味深いよね。

一方でキャリアプラットフォームはリバークルーズのようなものだ個人の目的地までの旅程とその経験(キャリア)における習得されるスキルと働く人の満足度が管理されるものだ

僕はかつて人材DBの構築に取り組んだことがあるのだけど、そこで一番苦心したのは人ベースと仕事ベースの統合であった、人ありきか仕事ありきか、だ。

これは組織とは何かという問いに密接に関係していると僕は考える。

人と人のつながりである、コミュニティというネットワーク関係に共有された問題の解決という目的が与えられその目的の実現に向けた役割と責任の分解と割当が行われ組織という協働形態が出現する。

そこに至り組織とは人のつながりが母体なのに仕事が前提となっているという多義性のが生じているのだ。

経営という仕事が経営資源の最適配分の実現だとしたら、人事システムが人とお金の最適配分に向けた労務管理、給与計算を中心に整備されてきたのは自然だったのかもしれない。

一方で、後回しにされたのが、コミュニティのポテンシャルを開放するといったコミュニティマネジメントであろう。

コミュニティの問題はマネジャーのマネジメント能力やモチベーションという個人の問題に転嫁されてしまったからね。

しかし僕はコミュニティの問題とは社会ネットワーク論と学習の問題だと考えている。

そしてこの両方を管理出来るシステムは存在していない。

特に個人のキャリアはと開いた概念である

つまり、1つの組織で完結する話ではない。

だから僕が考えるキャリアプラットフォームとは、つながりと学習が統合された一人称データ、を収納出来るプラットフォームなのである。










2022年11月15日火曜日

、もう限界やねん。若者気質を利用する無かれ

 朝ドラ舞い上がれ今朝は仕事に折れる若者のお話しでした。折れた若者の一言はもう限界やねん。この感覚良くわかる。丁度最近人生の振り返りもやっていたから、最初に就職した銀行を退職するときの心情を思い出していたんだよね。当時の心情はまさにもう限界やねんだった。

僕は退職する直前に、社外の選抜研修に派遣してもらっていたから研修から帰って直後に退職って、研修に口添えしてくれた支店長や人事部の担当者にとってみたらまさに晴天に霹靂大いにご迷惑をお掛けしたことだろう。しかし積もり積もった無理と希望の持てない未来に直面してまたあの無理を重ねる職場にはどうしても戻れなかったのだ。僕が派遣された外部研修には都銀他行も若手をたくさん派遣していたから他行に知り合いも増えて皆で飲み会を行った時、退職の話をしたら「ばかだなぁ」と年長者から言われた記憶が鮮明だ。あそこで踏みとどまって頑張っていればきっとまた違った人生になっていたに違いない。でも、支店の賄いで出た、鱗のついた魚のあんかけスパゲティ同様僕にはどうにも無理だったのだ。退職の理由は実家の商売としたけど、そんなのは真っ赤な嘘だ。戦時中のような支店長の感覚に心が折れたのだ。

若者は頑張るのが当然という考えは僕は嫌いだ。若者はいつでも頑張るけど、僕の場合は頑張る自分が好きだったからだ。8ビートよりも16ビート当たり前よりちょっとだけアクセルを踏みこみたいのだ。そんな気持ちを逆手に取ったような、圧力は厳に戒めるべきものだろう。

限界を超えてアクセルを踏み込みたいなんて思っていないもの。


事故る前に車を降りる。のは当然。


2022年11月14日月曜日

人生谷あり山あり、有頂天で滑落してもまた這い上がるだけさ。

 毎朝の視聴習慣がある僕は例の反省会後も次の朝ドラを観ている前作のようなイライラもなく観ているのだけど今朝は、子供の仕事に対する親の気持ちが上手く描かれていたと思う。さて、人生は山あり谷ありだ、自分の人生を俯瞰すると、山の前に谷があった。谷の苦しみが山に登らせてくれるのかもしれないね。僕の人生は今は脳卒中と後遺症で谷だからきっとこのあと山に登るのでしょう、

わくわく。と。

さて病気以外の山と谷を観て気づくのは、他人の期待に合わせて生きていた時は谷で、期待を切り捨て自分で道を選んだときは山だった、谷に嵌ると景色は無くなるけど、山に登ると視界が開けて更なる道まで見えてくる。そういう時の僕はああ、いい人生を歩んでいるなぁと実感していたに違いない。まあそれもひとそれぞれだから他人の人生に口を挟むものじゃない

そういえば子供の頃、欽ドンというラジオ番組があって大好きだった、実はその放送時間の前に江戸川乱歩の小説の放送があって最初はそれが目当てで聴いていたんだよね。その後テレビ番組にもなって大ヒットしたのだけどその原型みたいな番組だった、ちょうどそのころ売れっ子だった萩本欽一さんは歌も出していて。その歌は山に登ればというものだった。当時芸人の頂点に登りかけていた萩本欽一さん、コント55号の今思えば自戒みたいなものだったのかもしれないね有頂天とも言うよね。

有頂天語源は、仏教語で「天の中の最上にある天」を意味するサンスクリット語「bhavāgra」の漢訳「有頂天」である。 この意味が「天の最上にある天に登りつめる」「絶頂を極める」の意味に転じ、近世以降、喜びで舞い上がることや、夢中になって我を忘れる意味で「有頂天」は使われるようになった。


あれが有頂天

2022年11月13日日曜日

満員の事例セミナーなんて愚の骨頂、出来る現場は、他に無い新しい発想をかぎつける。

 組織人はなぜ他社事例が好きなのだろうか

ひょっとしたらこの3つが根深いかもしれない・

1他社の不幸を、見て安心する

2解決策と言う正解が、そこにある気がする

3上司を説得し易くなる。

しかし問題や課題というのは複雑系の創発現象だから、一見同じ問題のように見えても実は全く異なる現象なのである。つまり、事例を通して取り組み方などは参考になるものの、正解は無い。事例共有セミナーなどはすぐに満員になるけど、そこで聴こえてくるのは、うち我が社では無理だと言う感想だ。我が社の不幸はもっと深刻なんですという深刻自慢(その多くは上司の無理解と無支援への嘆き)がはじまるわけだ。

おそらく直感的に当社と事例の背景の違いを担当者は感じ取っているのだろう。厄介なのは役員とか上の方で事例を仕入れた時だよね、現場の実情を知らずに、現場にソリューションをお落として来るから現場は大変困ることになる。営業は現場説得が手強い時にこの手(キーマン営業)を使うけど、そうやってアクセスした現場の対応は大概冷たい。昔生活雑貨の卸をやっていたときに小売店のトップに売り込み手紙を書いたことがある。大手の小売店には競合取引先がもうがっちりと食い込んでいるから、現場に営業をかけても埒があかないのは火を見るよりも明らかだったからね。そんな僕の非常識なトップ営業に応えてくれたのは小売りの雄伊藤ヨーカドーだった。もうドキドキしたよね。でも、トップから情報を落とされた現場担当者の塩対応は酷かったよね。いきなり。社長の知り合いですか?からはじまって正直に違うと答えたらそのあとは無しのつぶて鈴木さんには敬服したけどイトーヨーカドーという会社には大いに幻滅したな。でもそこには、現場の仕事にあれこれ言われたく無いと言うアレルギー反応も当然ある。現場は上から落とされる施策に抗うところがあるからね。だから、現場の納得を醸成し、かつ上司の説得を手助け出来るのがいい営業ということになる。中には、現場の主体性第一の上司も、いてそういう場合は現場の上司説得は楽になるね。いずれにしても、あの会社もやってますよーと言うのは、上司説得のキラーワードなのだ。他社名は雄弁に語るからね。

日本社会の根本的問題は、新しい手法や方法に対してまずは及び腰になるところだろう。

他社と、差をつけなければ勝てないのに、違いがあると不安になる。トップは差を見つけるのにびんかんだけど現場は、差によって失敗し評価を落とすことを不安を募らせる村社会の悲哀だよね。

そこで勝ち馬に乗りたがる、例えばグローバルでの勝者?グーグルがこうだと言えば、グーグルとは文脈も文化も全く違う会社なのにこぞって同じようにしたがる。

グーグルが見つけたのが新しいからではなくグーグルだからが理由なのだ。

グーグルから学ぶべきは素朴理論に委ねない科学的思考である。

グーグルが、素朴理論になってしまったら元も子もないのに。

事例から学べるのは変革に臆さない創造的態度だ。

一度でも我が社では無理と言った人は時間の無駄だから事例など気にするべきでは無い。

でも事例を集めていると仕事しているように見えるから、事例共有セミナーは大盛況になるのだ、そのまま直帰出来る金曜日夕方なんか人気だよね。大丈夫か日本、経営者よ目を覚ましてチャレンジする現場を育てましょう。





2022年11月12日土曜日

片麻痺人生の気づき

 13年前に脳出血で右半身の片麻痺になった元人気パティシエ岡田吉之さんの登場する今日の料理「左手で作る料理日記」と言う番組を観た。僕は左半身の片麻痺だから岡田さんとは反対だけど、岡田さんも僕も右利きだからその違いは実はとても大きい。岡田さんはパティシエの道を一度諦めている。僕も、犬との散歩はあきらめたけど、パソコンも写真も全く苦労なく使えている。利き腕が麻痺するのは想像するだけでも大変なことだろう。そんな岡田さん最近では菓子作りもしていてそのなかで次のような境地に達していた。

きれいな形をつくることに菓子人生をかけてたけど今はそんなことどうでもいいな~

好きに作って食べるのが一番ですね♡


これ以前にも取り上げたけど、7本指のピアニスト西川吾平さんも同じようなことを述べている。病気になってからは、格好良く派手にではなく、「いかに美しく」その曲を弾くか、ということにこだわって弾くようになりました。全部の指が使えないからこそ、音の1音1音にどれだけ『魂のこもった音色をつくれるか』を、考えるようになりましたね。

片麻痺とか病気で手足が動かなくなると、それまでの、見た目とか派手さといった価値観から解き放たれるのですよね。そして本当に好きなこととか大切ものが見えるようになる。これはもしかしたら片麻痺人生の醍醐味なのかもしれないね





2022年11月11日金曜日

自画持参という主観的幸福感と配属ガチャ

 昨日書いたシャイロックの子供たちエピソード4まで視聴した。

思えば、銀行、人事、と言う2つのテーマがは僕には嵌ったのだ。

さて銀行は、癒着とかを防ぐために、定期的に異動が、あるのだけど、その際の配置配属は関係者曰くもはや神の領域なのだそうだ。

いろいろな事情を総合的に勘案して決めるらしいけど。

今でも神の使いの人事担当者が異動案の作成をやっているのかなぁ。

案を作る人にとっては、おそらくエクセルの1セルの話だけど、異動する当人にとってみれば大問題だよね。最近は配属ガチャという若者言葉があるらしいけど、そういうならば、銀行員人生なんてガチャ人生そのものである。ガチャを面白いと思うかストレスと感じるかはきっと人それぞれである。僕がずっと参加していた対話の場自画持参では、スピーチのお題もスピーカーもガチャで決める、語りたくても語れないし。聞いていたくても当たれば3分間は語り切らなければならない。自画自賛は人生の理不尽を凝縮したような対話の場なのである。



対話の場ならまだしも、仕事における配置配属って、人事考課をする上司との相性なんて、昇進の際の大きなファクターだから下手をすると人生の一大事だものね。僕が自画持参ガチャトークに教わったことはきっと希望と結果は一致しないというガチャ的日常のなかにおいて、その理不尽をいかに楽しめるかということである。自分の経験や記憶や知識を掘り起こしてまさに自画を持参するという行為のなかに実は主観的幸福感が宿っているのだということだったのである。もし僕が自画持参を学生の時に経験していたら新社会人で銀行員になったときもっと新社会人ライフを楽しめていたかもしれないね。


2022年11月10日木曜日

バブル前夜

wowwowでシャイロックの子供たちという銀行を舞台にしたオリジナルドラマを放送している。昨日はオンデマンドで見始めてすっかり嵌ってしまった。僕が銀行で働いていた時そのものなのだもの。よくここまで取材して小説を書いているものだ。僕は取材しなくても書けるかもしれない。

 僕が銀行に勤めたのは1984年まさにバブル経済直前期だった。世の中はディスコマハラジャにダンスと浮かれたサタデーナイトフィーバーやフラッシュダンスそしてダンシングクイーンと浮かれた気分が蔓延していた。だからタイトルはmoneybeetle(金コロガシといったところかな)

当時は給与が良くて安定した仕事として就職先は金融が人気だった一方でメーカーはあまり人気じゃなかったね。

おりしも日米貿易摩擦も激化の様相を見せていたからメーカーがそれまでのように成長するようには思えなかった僕の家業でも毛皮と言った高額商品の売上が止まり始めそれまでのようなイケイケではなくなっていた。

事業が好調だとお金は借り得になって銀行は貸付で収益を急速に伸ばした、

特に不動産絡みの融資は金額も大きく、

地価もどんどん上がっていたから担保価値も上がってリスクの少ない良い融資に見えていたんだよね。不動産融資は自然と増えていく悪循環?に陥っていたのだ。

借主は金利負担も半端じゃないから、短期転がし融資みたいな融資(関西系のいけいけどんどん銀行の得意技だった)に飛びついていた。そういった大胆ないんちき経営をする銀行の頭取がバンカーオブザイヤーとして表彰され堅実な経営者は大蔵省から臆病者と糾弾されるるそんな狂った時代でした。担保不足のインチキ融資がどんどん行われていたのがこの時期だったと言えるでしょう。市場の余剰資金は地価だけでなく株価も押し上げ企業は本業の苦戦を投資でカバーするという経営に一気に傾斜していった。銀行の支店内も、業績第一主義に毒され、それまで築き上げてこられた堅実で安全な精神はどんどん蝕まれていったのだ。そんな衝突の中で、新入行員だった僕も役席(管理職)の失踪事件に巻き込まれたりとまるでシャイロックの子供たちのような日々を送っていた、ドラマを観てそんな日常がつい昨日の出来事のように蘇ってきたのである。




2022年11月9日水曜日

いい学生論

 企業の採用活動を支援していると必ず出てくるキーワードがあるそれが「いい学生」である。

以前も書いたけどいい学生と言うのは素朴理論だ。その実態は曖昧で実は誰にもよくわかっていない。そこで今朝は僕なりにいい学生とはを考えてみようと思う。でも、これ、一個人としての僕と経営者&採用コンサルとしての僕ではだいぶ違うことにまず気がつく。

企業サイドに立った時のいい学生とは、社会そして、会社、仕事という複雑な状況にいち早く適応して活躍する相対的に賢く優れた意識と行為を持っている学生だ。絶対的な評価軸があるというより相対的に評価する感じ。だから、採用活動にはきりが無くて、もっといい学生がいるのではないかとかいい学生を落としてしまったのではないかという不安を抱き続けることになる。

一方僕が個人的に知り合った学生たちのなかで出会ったいい学生とは、学び合う仲間として、主体的に学びながらも良い気づきを与えてくれる学生だ。シンプルにああ、素晴らしいなぁと感動をくれる学生だ、そこには会社や仕事への適応なんて微塵もない。まあ、社員となるとステークホルダーになるわけだから目線が変わるのは致し方ないことではある。しかし企業人の立場で採用候補者として学生を観るときの「いい」という目線には将来的な予測が含まれることは間違いないだろうその予測とは、適応と活躍だ。

多くの企業はこれを確かめるために何回にも及ぶ面接とツールを導入している。しかしそこにはつねにベストだったのかという自問自答が地獄の咆哮のように渦巻いているのだ。

しかし企業は別に面接がしたいわけでも、ツールで測りたいわけでもない、いい学生を採用したいだけなのだ。

さて認知科学で考えると場面適応的というのは、状況、環境の中のリソースと、私たちの内部にある認知的リソースが、うまい具合にかみ合わさったということを意味している。だからその結果生み出される知識が、またそれに基づく行為が必ずしも合理的であるとか、適切であるとか、そうしたことは意味しない

鈴木宏昭. 私たちはどう学んでいるのか 創発から見る認知の変化 (Japanese Edition) (p.55). Kindle 版.

認知科学の観点で考えるならばまず、適応と活躍は分けて考える必要がある。そして適応を考えるなら学生だけじゃなく状況環境の中のリソースに深い造詣を持っている必要があることがわかる、企業がよく学生の面接に現場のエースを用いるけど、これなどはまさに、環境や状況のリソースに通じた人ということだよね。

複雑系理論で考えれば、組織という人のネットワークは散逸構造だから、構造を維持するためには秩序が必要だ、多くの企業はその秩序を維持するためにミッションやビジョンや評価制度を用いている。

秩序が崩壊すると組織はばらばらになりかねないのである。

新入社員はまずこの秩序に適応しなければならない。

成果を出すために何をしても良いわけじゃない。

しかし新入社員の活躍は常に秩序の縁にあって、組織に進化を働きかけている。

要するに活躍とは、適応を越えて、環境や状況に働きかけ組織を進化させていく行為行動なのである。活躍とリソースがはかみ合わさった結果生み出される知識とそれに基づく行為が合理的かつ適切で、環境に働きかけ環境自体を変化させるものである。

このバランスが組織においては重要なんだよね。

新入社員自身がこのバランスを知識として保有することがベストアンサー「いい学生を採用出来た」になるのだ。


要するに適応と活躍は複雑系科学でも認知科学でも別物であるということが肝心だ。

言い換えれば調和と脱線この2つのテーマを創発しながら組織もその構成員も日々歩んでいくのだ。

調和が無ければ組織は散逸するし、脱線がなければ組織は硬直化して新しい状況や環境に対するしなやかさを失ってしまう。

最強の学生とは、この調和と脱線のバランスの認知的リソースを保有している学生ということになる。

調和の認知リソースは、模倣・追従の自律である、脱線の認知リソースは否定と自立だ。
言い方を変えると為すべきことを為すリソースと為さざることを為すリソースということであろう。

他人から言われなくてもどうするべきかに気づき動けて、どうすればもっと良くなるかを適切なタイミング(組織が進化を求めている時期)で切り出すことが出来る学生。冒頭僕は。一個人と経営者でいい学生の目線が違うと書いたけど。一個人としても、こういう学生に出会った時に感動をもらっていることに改めて気づいたのである。




2022年11月8日火曜日

テレビとパソコンの違い

 昔パソコンが登場した時期に、テレビが見れるパソコンというのが登場したことがあった、しかし、普及することは無かった僕も大概パシコンで色々なことをしてきたけど、やはりテレビ番組はテレビで観るのが楽だ。あえてパソコンで観ようとは思わない、もっとも最近ではNHK+とかWOWOWオンデマンドとかパソコンやタブレットでテレビ番組を観ることが増えているでもそれはテレビでは観られない配信だからで、出来ればテレビで観たいものだ、テレビ番組はやはり大画面テレビで観るのが一番だ。最近ではyoutubeを観られるテレビとかもあるようだね。我が家のテレビは観れていたのが観られなくなってしまったらしい。もはやてれびとパソコンの境目は曖昧なのだよね。あえて違いを取り上げると、一番大きいのはキーボードの有無かもしれない。キーボードはユーザーの操作をパソコンに取り込むための装置だ。テレビの操作はリモコンだけどパソコンはマウスやキーボードを使う必要がある。複雑なことが出来る一方で、難しくてとっつきにくい、僕たちは複雑な世界に生きているのだけど、複雑さをそのまま受け入れてことはとてつもなく困難だ、高齢者を見ればよくわかるよね。複雑さを受け入れるためには、好奇心と類推の能力が必須だ、やってみよう、こうすればどうなるのだろうか、あ、こうなるのかという学習を短時間で回して行う必要がある。スイッチオンであとは観るだけのテレビとは絶望的な差があるよね。ガラケーとスマホの違いもこれに近いかもしれないね。



2022年11月7日月曜日

仕事が出来るってどういうこと?

 鈴木宏明先生は著作「私たちはどう学んでいるのか」の中で「能力というのは虚構であると述べている。薄々そうじゃないかな〜と感づいていた人はきっと多くて、本を読めば目から鱗になること間違い無いだろう。HRの領域では一時コンピテンシーという概念が支持されていた活躍者には共通する行動様式がある。というもので、逆も真なりで活躍の行動様式があれば高業績をあげられるという理屈で人事評価に用いられたりもした、しかしコンピテンシーを導入した企業からはなんだか違うという声が多く聞かれたものである。結果には原因があるはずだという類推(アブダクション)が能力というものがきっと僕たちの内部にあるのだという能力の概念を生み出しているというのだけど、鈴木先生は以下のように指摘される。

応用力、論理的能力などというとその中身はほとんどわからないし、捉えようがない。これを測ると称するテストもあるが、まず信用しない方が良い。ゆえに能力というフレームワークは(本書では)採用されない。(鈴木宏昭(1987)「認知、学習、教授」東洋他(編)『岩波講座教育の方法第6巻──科学と技術の教育』岩波書

鈴木宏昭. 私たちはどう学んでいるのか 創発から見る認知の変化 (Japanese Edition) (p.31). Kindle 版. 

社会人基礎力なんて科学ではなくよく出来たフィクッションなのである。

でも実際に仕事が出来る人と出来の悪い人はいるわけで、能力出なければ何なのだと言うことも気になる。客観的事実として捉えることが出来て、中身もわかるものとなると、場と場所と存在ということになる本では文脈依存性と説明されているけど、清水博先生は著作「生命と場所」の中で以下のように示されている。

情報を外から受けとって、たんに、それに反射的に反応するのではなく、システムが自分を自分自身で生成し、物語っていくところにその本質がある

私は、要素のあいだの関係の上に立って、自己の状態の表現を自律的に生成していくことが出来ることを、要素(関係子)の資格と考えるなお、これ以外に要素の性質としてあげておくべきものは、要素は深刻な内部矛盾のない生命システムを構成することが出来るということである

「自由と多義的な調和」と言う問題がその核心となるからである

ここでオリジネーションというのは、広い意味での自己デザイニングである

それは全体として完結した意味を持つ情報を、自分自身の内部に蓄えた知識をベースにして、一定の法則性にしたがって起きるその内在的なダイナミクスによって作りながら外へあらわしていくことである

生命のシステムの理論は、存在論的関係ネットワークの理論となる

関係の生成と消滅によってそのネットワーク構造を絶えず変化させながら、関係子がその関係に応じた自己の表現を自律的に作り出していくことによって、ネットワーク全体としての表現状態が変わるその解の可能性を絞る働きをするものが「場所」である「場所」は解の可能性を限定する拘束条件を生成するものである関係子の集まりとしての生物が「場所」の状況と整合的になるように自分で自分の状態を決めている以上、生物のなかにも「場所」(内部場所)が存在していると結論しないわけには行かない(私は内部場所のことを「場」と呼んでいる)

つまり、仕事ができる人できない人の差は情報を取り込み知識として蓄え場の拘束条件によって自分の内部に場をダイナミックに作りながら解を見出す(認知・創発)一連の自己デザイニングとその表現の差(違い)であるということになる。

そこに至って、僕たちは能力という虚構の概念の本質に触れるのである。

文脈と情報を受け止めていかに良い解を導けるのか、特に仕事とはみんなの問題をみんなで解決するという要素が強まっている今日においては、解の質は協働する他者によって評価されるべきものだ。

確かに学力にもこの一連のプロセスが存在する。

したがって学力の高さも仕事の質と無関係であるとは言い切れないだろう。

清水先生が指摘する一定の法則性はどんな場でも使い回せるものだ。

でも、学力の高さ=仕事の質の高さではないことはすでに多くの人が実感していることだ。それは場における拘束条件は全て異なるものだからね。


結論としては仕事が出来る人とは、認知と場の構築(自己デザイニング)が上手く、協働者から評価される解を創発できる人であって、社会人基礎力が高い人ではないのです。



2022年11月6日日曜日

僕の玉音放送。人生のピンチを教えて下さい

 NHKで街録という番組があって、街頭でたまたま通りかかった人に人生のピンチを教えて下さいというお題でインタビューをしてそれを放送している。たまたまにしてはとても深い話ばかりで、仕込みか?と思わず思ってしまうほど、やはりピンチというと自分や家族の病気、死別の話がおおいけど、介護というテーマも多い、いずれにしても誰であっても人生とはドラマティックなものなのだよね。

そう言えば最近同じNHKの朝ドラの再放送版で本日も晴天なりという戦前戦中戦後のドラマをやっていて先日は戦後の街頭録音の様子をドラマの様子を演じていた、街頭録音って歴史があるっだねぇ〜と感心しながら、もし僕が聞かれたら何を語るのかとか脳内シミュレーションしてみた、

ご多分に漏れず僕も病気に取締役退任が重なった2021年6月15日が終戦の日はまさに玉音放送みたいなものだった。

退任を示されて、まだ僕の戦いは終わっていないぞと終戦後に想いを馳せてやる気満々だったところに脳卒中という病気で思いっきり出鼻をくじかれて、想いは満たせぬどころか、体は動かずでまさにざ人生のピンチであった挑戦死んで高揚していた体にまさに冷水を頭からかけられたような状態で、まずはどう生きるかではなく生きていることに感謝することが全てだったのだ。

これまでの人生僕はピンチになると馬力が出るタイプである。しかしそんな僕を病気が変えた。馬力を出さない(出せない)自分を受け入れて、何をなすべきか考えようとしているのが今なのである。





2022年11月5日土曜日

脳卒中サバイバーの見る夢

 夢には昼間見る夢と夜寝ている間に見る夢がある。昼見る夢は昔のように自由に自立出来ることだ。そのためにリハビリも頑張るのだけど今週の月曜日はちょっと頑張りすぎてしまい。再発したかと少し、やばい状態になってしまった。

やはりサバイバーとしての自分の現状を良く弁えて無理しないことが大切だね。

日常生活行動もだけど、やはり知識や価値を創造する立場でありたいという思いも強く夢見る、要するにちゃんと仕事したいのだ。これはきっとサバイバー共通の願いじゃないだろうか。出来ないことが増えるから出来ることで社会に役立ちたいとのの想いが強くなるのだ。

でも無理しないことが大事そんなことを改めて思う今週末なのである。

異物化に抗うということだけじゃなく日常生活行動には不自由が残っているけど記憶や思考はしっかりとしていると実感しているので、実際にどこまでできるか挑んでみたくもなる。僕はそもそも自己効力感が変に高いのだ。あっはっは。

でもそれがぼくにとってよく生きることなのかはわからない。好奇心と非常識という勇気が僕の本質なのだけど、それによってやらかしたこともたくさんある。今更やらかしを反省しないけれども、今後も後悔するような生き方はしたくない。本質以外に僕の支えになっているものを今一度見出す時期にきているようだ。





2022年11月4日金曜日

記憶の年表の作ってわかること

 自分の過去を振り返るため記憶を頼りに個人年表を作っている、

小中高大と学校の入学卒業の年度はわかるのでそれは正しく入れてね。

生まれた年は1962年がその次のイベントはは小学校入学で1968年になる

この間隔で年表を作ると今はなんと2358年になる。

要するに幼少期の僕の一コマは6年単位だけど、その後の人生のイベントはもっと短い間隔で起きていることがわかるのだ。

子供の頃は1年って長かったけど大人になってからは一年があっという間に過ぎるようになるけどそれって結局そういうことなんだろうね。

ライフイベントが目白押しになるから相対的に主観的な1年が短くなるわけである。実際僕が脳卒中で救急搬送されてからもう1年半経った。それは僕が会社を卒業したタイミングにもなるのだけれども、在職中に手掛けた仕事はつい昨日の出来事のように色々と思い出される。

子供の頃思っていたよりも、そして父を亡くした青年期に頃に想像したよりもずっと早く60歳になっていたけど、それを思えばずいぶんと遠くに来たものだ。でも心の中には、手製のやりを作って体育館で投げていた小学生時代の僕がまだ生きていて、60になっても、脳卒中で障がい者として社会の異物になってもstay foolishと叫んでいる。成長していないよね。

あはは。でもその自分の本質は僕の生きる支えだから大事にしていきたい。ジョブズに言われなくてもね。

一方でstay hungry貪欲さは僕の年表で最も薄い要素かもしれない、まあ温室育ちだからね。きっと今からその要素で選択してもきっと後悔しか残らないのではないだろうか。






2022年11月3日木曜日

採用より育成よりも協働

、ぼくは以前、経営効率を考えるなら素朴理論という確証バイアスと決別すべしと書いた、ではどうすればいいのとなるのだけど、産業組織をコミュニティの延長で考えれば良いのである、新たなコミュニティメンバーを迎え正統的周辺参加から中心者になっていくプロセス(正統的周辺参加論と認知的徒弟制西条2012/8である。仕事に埋め込まれた要求の達成という状況学習と他者との協調学習によってコミュニティの参加と中心者への成長が実現されるのである。世の中一般的に何でも出来るスーパーマン的な新人(素朴理論)なんていませんがちゃんと仕事が出来て成長を遂げて中心者になっていく人材は実際たくさん居ますよ〜

採用の効率化とはプロセスの合理化なのか採用の最適化なのか。合理化ならば省人化が鍵だ、愛用プロセスを全部可視化して属人的なプロセスを潰して行けばよい。一方最適化ならばマーケティングである。ニーズやウォンツとのマッチングが鍵になるマーケティングは20世紀最大の発明だから、この発明の恩恵に預かるのは経営者として良い選択だろう。省人化であればプロセス自体を無くしてしまうのが1番だ。採用の効率化を考える経営者や採用担当者で案外この立て分けが出来ていないのではないだろうか。効率化における要求仕様が定まっていないところにこの問題があるように僕には思えるのだ。



2022年11月2日水曜日

高齢化社会の現実デイケアからの風不安な老人

 僕は還暦後高齢者前の微妙な端境期年齢なのであるしかし脳卒中という病気のおかげで要介護状態になり、デイケアを利用させて頂いている。

有難いことです。で、そのおかげで高齢者の方々と同じ時間を過ごすことになった。

僕たちの人生の大先輩である、高齢者は、社会での居場所を必要としてデイケアに溜まってくる、皆さんそれぞれ愛すべき個性とご経験を積まれていらっしゃるのだけど、高齢者ならではの同じような言動を見せることがある。

これにはジェンダーがあってなかなか興味深い。女性は、容姿や服装に関する話とだらしない男性に対するお小言が多いように思う、つまり印象に対しての目線が強いのだ。

男性はそこらへんはあまり気にしない。一方で男性が俄かに落ち着かなくなるのは利用が終わって家に送ってもらう時間が近づくタイミングだ、ワンボックス数台で家の方位に合わせて送って頂けるのだけど、バスは何台かとか、どっち方面(自宅の方)には行ってもらえるのかとか支払いはどうするのかとか、切符を持っていないとかが気になるらしい。そういう人が多い、もちろん男女で共通した高齢者ならではの悩み(物忘れ、体力)もあるけどね。

ひょっとしたら、ずっと他人から印象のまなざしに晒されてきた女性と、出掛けると言えば仕事場への行き来で電車やバスを利用してきた習慣が残っている男性の違いかもしれないよね。そう考えると高齢者になって世間の異物になっても、心は通勤や見た目についての不安から開放されていないのかもしれないと思うとちょっとせつない僕なのだ




2022年11月1日火曜日

産業組織の不条理アルムナイはただ乗り?。

社会 ネットワーク理論の弱い紐帯の強さによればコミュニティというのは非常に強いネットワークであると言えるのだろう産業組織では、生産性という目的に則った協働を行うが、こういう強い絆のネットワークよりも弱い絆のネットワークの方が高いポテンシャルをもっているのだ最近大企業では会社を退職した元社員とのつながりを組織化する「アルムナイネットワーク」に力を入れる動きが、大手企業にも広がっているのだそうしかしよく考えれば事情はあれど、退職者という排斥した人も資源としてを本来こういうネットワークを使うべきではないだろうだってフリーライドただ乗りだものね。産業組織が自らの資源とするなら対価を支払うべきだ。運用として対価を支払っていると良い(実際は知らないのだけどね。その場合はどのくらいの価値を認めているのかは気になるそもそも、企業は守秘契約などで情報の流出は徹底的に阻止する一方で社員のネットワークや自発的な越境などで創発し獲得した知識や人脈を気軽に使っている気がする。不平等だよね。