2018年7月30日月曜日

神の数式と言う神の贈り物(ギフト)

僕は以前、NHKで「神の数式」と言う番組を見た。

素粒子とブラックホールの理を表す数式の話だった。

その話では世界は11次元(それ以上)で出来ているらしい。

もちろん僕たちには実感できないよね。

さて、その説明で、綱渡りの綱の上は僕たちには2次元だけど、てんとう虫には3次元の世界であるとのこと、なるほどねと思った。

でも、ひょっとしたら、うんと小さくなると次元が増えるように、うんと大きくなっても次元って増えるのではないだろうか。

例えば、昔は天動説だったものが地動説に変わったけど、この地球もただ円周運動をしているだけでなく、銀河自体が高速で移動しているので螺旋を描いているらしい。

そう、すごく大きな目線から僕たちを見ると高速に螺旋を描きながら移動している地球の上で3次元の世界に生きているわけ。

アインシュタインの相対性理論では、高速に移動すると時間が遅れるのだから、ひょっとしたら僕たちの時間はとてつもなく遅いのかもしれないね。

結局、僕たちはうんと小さい世界も、うんと大きな世界も体感することはできないのだけど、「神の数式」のようにこんな風に視座を変えて物事を考えられるというのは、紛れもなく神様からのギフトなのだと僕は思うのだ。


ギフト!



2018年7月29日日曜日

ブログ連続2000日を越えて

このブログ、気づいたら2001回、今回は2002回目でした。

特徴としては、翌日に書く「締め後」はオッケーとして、2002日連続で書いたことになります。

まあ、もっと書き続けている人、特に小さい頃から日記をつけている素晴らしい方はきっと沢山いらっしゃると思うので2002日連続でもたいしたことではないでしょう。

前にも書いたけど、このブログを書き始めたきっかけは、考える、書く(アウトプット)、習慣化のチャレンジでした。

  1. 毎日一回、一定の時間ちゃんと考える
  2. 考えたことをアウトプットする
  3. そしてそれを持続する

チャレンジを始めた時、終了条件を何にするか決めていなかったのだけど、このところちょっとネタ枯れ感もあり2000回を目処にしようかな、とも考えていました。

が、気がついたら2000回を越えていたので、このまましばらく続けようと思います。

さて、こうした書く習慣の一方で身についていないのが見返す習慣です。

以前、どんなことを考え書いたのか、一定期間ごとに見返すとセルフリフレクションになってとても良いのだと思います。

ただ、日々の中でそこまでの時間を捻出することはチト難しいようです。

逆に、見返すことが出来るようになった時、僕の生活リズムが変わったと言えるのかもしれません。


新しいリズム

人手の量と質 最初に考えなくてはならないこと

僕たちが生きているこの時代に限らず、一人で成すこと以上のことを実現しようとすると多くの人が必要になる。

ピラミッドや万里の長城など大きな建造物にはたくさんの人手が費やされたのでしょう。

よく、人海戦術って言われるけど、現代社会においてもインフラの急速な整備、災害復興のボランティアなど、より多くの人手が必要な場面は少なくないよね。

この、人をどのくらい必要とするかは「要員計画」となるのだけど、とにかく人出が必要な場合と、ある特定の経験やスキルまたはマインドセットを持った人が必要な場面は同じではない。

例えば、飲食店のアルバイトなどそれほどスキルが無くても出来る仕事も人手不足が半端ない。

一方、このところの人手不足の中でもITエンジニアは特に足りないと言われている。

つまり、現在は、量も質も足りていない。

人間は、プロダクトではないから量の問題は解決しづらく、となると、質の問題を解決することに重点を置くべきなのかもしれない。

質の問題の根本にあるのは、事務の仕事をする人が多くいるけど、ITエンジニアの仕事はできないといった需要と供給のミスマッチだから、仕事に必要なスキルを正しく定義してミスマッチを解消するための学習(教育)を行う必要がある。

しかし、スキル獲得だけでは不十分で、仕事をするためのマインドセットが欠かせない。

僕は実はこれがポイントだと感じている。

マインドセットには当然、当人の興味、信条、志向性や内的動機が強く関わってくるのだけど、残念ながら僕たちは未知の物事を実感する力があまり高くない。

要するに実際に仕事をして、初めて知ることってすごく多いのだよね。

経験したことがない人に、経験の意味を伝えることは容易くない、と言うか無理。

だから、少しでも経験を持つことはとても大切で、それは、自分の目線ではない、越境経験なんだよね。


量も質も足りない日本社会。

こうして、僕は、量はどうにもならないから、働く質のマッチングを高めるのが優先課題であり、その課題解決には、スキル教育より越境経験(からの学習)が大切だと思うのです。


はじめはどこから?



2018年7月28日土曜日

記憶はコンテクストに埋め込まれている

僕の犬は、「待て」と言った僕のコマンドが効いたり効かなかったりする。

ではどんな時に効いて、どんな時に効かないのだろうか。

よくよく思い出して見ると「リビングで朝の時間、おやつが貰える」時は非常によく効く。

一方、散歩で公園や街中で写真を撮るためにコマンドを発した時はあまり効かない。

その中でも、割とよくおやつを貰える場所ではコマンドが効く。

この犬の様子、実は人間の子供が言葉を覚えるのと似ているのではないだろうか。

Deb Roy The birth if a word

つまり犬にも「学習する地形」があるのかもしれないね。

学習を強化しているのは間違いなく「おやつ」の報酬で、無報酬だとなかなか学習が強化されない。

人間だと報酬には内発するものと外的なものがあると言われている。

「遊び」はそれ自体が報酬を内発するものだ。


さて、「待て」と言うコマンド、僕の犬には言葉の意味としてではなく、特定の状況における行動のきっかけとして記憶されているのであろう。

「朝、リビング、戯れ、おやつ」のコンテクストとしてだね。

逆に「記憶」と「コンテクスト」を記述すれば、行動のきっかけと学習を強化する報酬、つまり「意味」がわかることになる。

僕の犬が今どんな「意味」を持っているのか、がね。


待ってます



2018年7月27日金曜日

固定的パーソナリティ観? 固定するのは何のため?

僕はパーソナリティとは、カオスの縁にある秩序だと考えている。

つまり、複雑系の一つで、崩壊しないギリギリ手前で進化するものと言うことだね。

一方、パーソナリティには「変わらないもの」と言う概念が根強い。

この「変わらないもの」との考え方は何を指し示しているのだろうか。

それは自分にとって都合の良いこと、なのではないかな。

知能感には、知能とは安定していて統制不可能(=変化しにくくて自分ではどうすることもできない)という考え方と、もう1つは逆に、知能とは安定的ではなく統制可能である(=変化するもので自分の行為によってどうにかすることができる)という考え方である。

心理学では前者を「固定的知能観」、後者を「拡張的知能観」というのだけど、なんだかパーソナリティも似ている。

固定的知能観を持っている子どもは、自分の現在の能力が高いと考えている場合には意欲的に行動するが、低いと考えている場合は意欲を失う。ところが、拡張的知能観を持っている子どもは、どちらであっても意欲的に行動し、自分の技能を磨こうとするし、失敗しても訓練が十分でなかったと考える。

これをパーソナリティに当てはめると、固定的パーソナリティ観を持つ人は、自分が優位だと考えると力を出し易く、不利だと考えると意欲を失う。

それって要するに格差を生む構図かもしれない。

で、ね。「変わらないもの」「変わり難いもの」と捉える人ほど、自分は優位、もしくは不利だと決めつけているように見えるよね。


止めるのは都合

2018年7月26日木曜日

他責、受容、反省、変容 人が成長するということ

昨日の経営学習研究所(MALL)のイベントでとても印象に残ったのは、「事業を創る経験によって生じる学習プロセス」だった。

新規事業の経験でまず最初に生じるのは他責思考らしい。

要するに、上手くいかないのは周りのせい、ということだね。

でも、その次に自問が始まり、新規事業への関わりを積極的に捉えようとする現実受容が始まる。

そして、そもそも自分の責任だよな、と反省的思考が生まれ、新規事業だけでなく、事業全般への意識となってやがて視座変容に至る。

この学習プロセスを聞いて、僕はあるデータの変化を思い浮かべていた。

それは、大きなトラブルの遭遇した時、僕の内面におきた変化で、その際のデータもある。

まず、ハードな状況に遭遇して相手の意図を理解する力や人と深い関係を築く力が下がり、他責性、優越感が強まった。

自問自答が始まるのだけど、最初はやはり他責、つまり悪いのは僕じゃない、という反応が最初だったということだよね。

おそらく、強いストレスに直面したときの人の自然な反応だろう。

次に、大きなトラブルの事実を改めて考え、逃げたり、避けたりするものではないことを自覚した。

そうすると相手の理解や誠実性が上がり、他責傾向は下がった。

そして、改めて自分の何が問題だったのか、課題をどう生み出せば良いのかを考えるに至った。

その時は、理解力、本質探索力、緻密性など問う力が高まっている。

この僕の中に起きていた変化はおそらく誰にでもあるものだろう。

新規事業という5年くらいで事業成果に至るケースでは5年かもしれないけど、僕の場合は1年半だった。

実はもっと短いサイクル、例えば半年でも起きていることも確認している。

要は、人は色々な経験の中で短い期間でも、長い期間でも学習することができるってことだね、

ただ、短いサイクルで起きるものは定着し難いのかもしれないね。


あれが例のアレかしらん






2018年7月25日水曜日

新規事業を創る人 vs 創る人を育てる人

世の中には巡り合わせと言うものがある。

今日はそんな一日だ。

朝からびっちりと予定が詰まった今日、僕にとって一貫していたテーマは「新規事業と人」だった。

まずは夜の学び、経営学種研究所(MALL)の「新規事業の未来 事業を創る「人と組織」の作り方」である。

タイトルもそのものズバリだ。

経営人材は新規事業の経験って大事だよね、とか体感していることがデータでもしっかりと裏付けされと自信が増すので有難い。


さて、朝の学びは「新規事業を創る人を育てる人」だった。

人の創造性と新奇性への受容には深く強い関係があるのだけれど、コンサバでディシプリンに忠実な人は同然、新奇性を評価しない。

となると、新規事業に少なからず存在する新奇性に対して、育成者が持つ懐疑的な姿勢がどのような結果を招くのか、ずっと考えていた。


昼の学びは、「一緒に新規事業を創る仲間の超現実的な討議」だったし、夕方の学びは「新規事業を作る人」をどう支援するのか考えさせられる出来事だった。

このテーマ、とてもホットで面白いのでまた明日考えることにしよう。


虹の先?



2018年7月24日火曜日

暑さと責任

いやぁ、暑い。

どのくらい暑いかと言えば、あまりの暑さに最初笑いが出て、でもそのあとすぐに真顔で「これはやばい」と思うくらい暑いのだ。

昨日は二十四節気でいう『大暑』、一年で最も暑い日だったけど、本当にそんな感じがした。

さて、暑い日は出来るだけ外に出ないのが良いのだけど、中には犬を連れて散歩している人もいる。

犬は、汗が出ないの体温調整が難しい。

寒さに強い反面、暑さには弱いと言われる犬たちの中でも、毛量の多い犬は大変だ。

にも関わらず、シェルティという長毛犬を酷暑の昼に散歩させるのはなぜだろうか?

とても理解に苦しむ。

あとはその犬が無事であることを祈るだけだ。


ペットを飼うことは責任を負うことでもあると、僕は犬を飼って痛切に感じた。

うんこを拾う度に引き締まる思いだ。


一方、この暑さ、「人」に目を転じると実は同じような思いになる。

暑い最中、子供に屋外で運動をさせて熱中症になるケースが後を絶たないからね。

犬も子供も暑さに弱い。

だから、「してはいけない」がはっきりしているのに、「している」。

僕たちが未曾有の暑さに接して考えなくてはならないのは弱者への「責任」なのかもしれない。


暑い時に生まれる責任


2018年7月22日日曜日

懐に8つの空間を定めてみた

人の懐にはどんな広がる空間があるのだろうか。

僕は以下の8つを定めてみた。

1.「みならい」(謙虚)の空間
人の良いところを謙虚に受け止め自らを律する空間である。この空間が広がっていると学ぶ力が高くなる。

2.「もてなし」(接遇)の空間
人の心のヒダに触れるような関わりを生み出す空間である。この空間は、仲間を第一に考え事を為す力を生み出す。

3.「ととのえ」(調整)の空間
様々な状況、人の気持ちの中にあってその真ん中、バランス点を見つけ出す空間である。この空間は利害を調整し良い方向に状況を安定させる力となる。

4.「やりきり」(解決)の空間
皆の求めや問題を解決しようとする空間である。この空間によって問題解決に向けた力が働くが本質的な解決となるかは別問題だ。

5.「ようすみ」(受容)の空間
自分に向かう周囲の情報、例えば要望などを受け止める空間である。この空間は柔軟に適応する力を生み出す。

6.「ふかぼり」(探求)の空間
自己の関心を深める空間である。この空間は、多様な考え方の中から自身の価値観を定め固有の結晶を生み出す力となる。

7.「たたかい」(貫徹)の空間
他者と価値観を衝突させ自らの価値観を貫く空間である。この空間は世界の軸を生み出す(壊す)力となる。

8.「といかけ」(研磨)の空間
他者の価値観と向き合いながら自らの価値観を研ぐ空間である。この空間は鍛錬と異質な世界を生み出す力となる。

それぞれの空間は、その有無と、空間がどのくらい力を生み出しているのかで充実度が異なってくる。

如何であろうか。


この子は5、6、7が強い?




バブルな心に備える方法は?

お笑いタレントのバブルネタ、高校生のバブリーダンスとバブル経済を思い起こさせるトレンドがある。

バブル期の新人が働き盛りにあるのもその一因かもしれない。

さて、バブル期に何を感じていたのかと言うと、このまま続くはずは無いと思いながらもどこかではさらに景気が良くなるとの予感があった。

事実、経済は良くなり、株価や地価は高騰した。

そして、今、色々、もっともらしい背景説明はあるのだろうけど、株価や地価が高騰し、人手不足が叫ばれている。

これまで業績に苦しんでいた身近な会社でも最高益を出したらしい。

もちろん、各社が個別に絶え間ない経営努力を行なっているので、経営環境のせいだけにしてはいけない。

けれど、業界、業種によっては全体的良い業績をあげているのも事実だね。

バブルが崩壊したあと企業で起きたことといえば、デフレと長い経済の低迷、大量採用後に一変し採用を控えた企業の歪んだ年齢構成、成果主義に走って失われた長期展望と企業文化などなど、倒産だけでなく存続した多くの企業の深刻な傷だった。


ちょっとした心持ちが組織に、事業に大きな傷を負わせる。

バブル崩壊で得た教訓はそんなものだったはずだけど、強く律した心を持つことは簡単ではないのかもしれない。


戦争、公害、バブル経済、震災・・・

僕たちの複雑な生命には、カタストロフィーの出現と、それを乗り越える力が織り込まれている。

であれば、バブルの出現を防ぐより、バブル崩壊後に生き抜く力を鍛える方が良いのかな。


ふくらむちゃん?

2018年7月21日土曜日

人の強みを考える

AIに対比して、人の強みを考えてみた。

以下の4つが大きな強みだと思う。

  1. 人と人の相互作用により加速度的な学習を行い成長する
  2. 無意識の認知バイアスと直感、閃きで全データを操作しなくても答えを導ける
  3. 自律運動を行い主体的に情報を取捨選択して収集する
  4. 地球環境と連鎖する省エネのエコシステムである

この4つを見ていくと「人」に求められる領域もはっきりとしてくるよね。

1. 人と人、相互作用により加速度的な学習を行い成長する
社会を通じて加速度的な成長を見せるのが人だ。だから社会の構築、学習、成長、育成といった領域で人はその力をこれまで以上に発揮するようになるだろう

2. 無意識の認知バイアスと直感、閃きで全データを操作しなくても答えを導ける
人が物事を決める時、ビックデータは要らない。ビックデータが無い領域は人の力が発揮される。もっとも、データ化を疎かにするのは本末転倒だ。

3. 自律運動を行い主体的に情報を取捨選択して収集する
旅をしよう。非日常の発見がある毎日を過ごそう。越境を行い新しい世界に触れよう。そして何でもかんでもデジタル情報にするのでは無く、アナログな、人の認知において大切な情報を残そう。

4. 地球環境と連鎖する省エネのエコシステムである
僕たちは地球の食物連鎖の中で生きている。生きるために発電設備は要らない。だから、農業、漁業、林業など一次産業、そして二次産業、三次産業も大切にし、エコシステムの強化に取り組むべきだ。


一方、人の弱みは、記憶容量が少なく、また事実を正確に記憶できない、高度、大量の計算をする能力が低い、過酷な環境に弱い、休息を必要とするといったことだから、気温37度の中で、学校で勉強するなんてこれからの社会では全くナンセンスだよね。熱中症の生徒を出す学校がいつ無くなるのか、は僕たちがどれだけ人の強みに向き合っているのかを示すことになると思うよ。


キリンを見下ろすクレーンの首




2018年7月20日金曜日

変化に直面しないと自分のスタンスはわからない

変化に直面した時、人は、変化を起こす側なのか抗う側なのかがわかるのだと思う。

それは、変化が必要だ、変化は良いことだ、などといった建前の話ではないからね。

例えば、ITが世界を変える。

その時、その変化を自分の変化に用いるのかそうでないのかということだ。

最近ではSNSやら機械学習(敢えてAIとは言わない)などもそれだけど、まずは自分が使うことから始まる。

人にやらせると考えた時、その人は実は変化を起こす側ではないのかもしれない。

そして、この目線、僕は自分に投げかけたものだ。


人は無意識に本音と建前を使い分けている。

そしてそれを知ることは難しい。

あるべき姿とか、楽観的な計画、素敵なビジョンなどが建前。

でも、本音でそう思っているのかは実は、変化に直面するシビアな実感を通して確かめるものなのだよね。


龍に見えるよ



2018年7月19日木曜日

予測可能、でも想定外 何と悲しいことなのか

先日の豪雨被害、恐ろしいほど多くの方が亡くなられた。

でも、予報ではその危険性は十分に叫ばれていたと思う。

そんな最中、国会議員は宴会でいい気分。

僕には予測された災害の大きさに目を瞑っていたとしか考えられない。

東日本大震災の時も、甚大な被害は後から明らかになってくることは学習済みな訳で、国会議員は選挙の時以外、国民の安全に対しては他人事の極みなのだよね。

でも、国会議員だけじゃないのかもしれない。

ここ数日の猛暑、予報では屋外での運動を控えるようにと再三警告しているのに、校外学習、屋外での運動、記念撮影と全く無視した指導の元で生徒が救急搬送されている。

いったい何が起きているのだろうか。


今日、セミナーの登壇でも話をしたのだけど、実は、データオリエンテッドで判断、行動した場合の効果性ははっきりしている。

一方で、データよりも歪んだ自分の感覚を優先してしまう性が人間にはある。

犠牲になられた方々を思うに何と悲しい性なのだろうか・・・


悲しいね





2018年7月18日水曜日

「AI」は人を成長させるのか

僕は最近の「AI」ネタにかなり食傷気味だ。

企画書やサービス案内でトレンドワード的に「AI」という言葉を使っているのも見ると、もう100点減点、くらいに萎えてしまう。

以前から取り上げているように、AIの実態は機械学習(ML)で統計解析だからね。

ネットワーク社会、IoT技術、センサー技術の進展でビッグデータが容易く集まるようになり、そのデータを逐次処理するための分析モジュールとしてMLが進化しているのはとても喜ばしいことだと思う。

でも、どこまで行ってもMLは「意味」を理解できない。

だって数式だから。


さて、データを数式に通して出た答えが人を成長させるのだろうか。

結論的に言えば、成長させることもある、ということではないかな。

なぜなら、MLは「意味」を理解していないけど、人は出力された答えに意味を見いだせるからね。

でも、それは静物に意味を見出すのと似ていて、人が相互に意味を見出しながら急成長するダイナミズムには及ばない。

要するに、人が人を成長させる力にはかなり及ばない。


不確実で予測不能な時代だからこそ、人には確かでダイナミックな成長が求められている。

それはいかなる環境変化にも対応しうる内面の充実に支えられる。

「AI」を担ぐ人でその本質に言及している人と僕は出会ったことがない。



「AI」に無いもの




2018年7月17日火曜日

僕たちの大切な過去の話

僕たちが成長を実感する過去のデータって何だろう。

小学校時代の成績表?それとも卒業論文?

やはり身近な昔のデータといえば写真だよね。

でも、今現在、充実した生活をしていたらなかなか過去の写真は開かないかもしれないね。

僕が過去の写真を開くタイミングと言えば、最近はもっぱら亡くなった犬を思い起こす時だ。

そういった回顧志向の無い時は、昔の写真ですらあまり開かないよね。

あまり開かないものを大切に保管する人ってそれほど多くないだろう。

昔、かつての会社の創業者が写真を保管するサービスを考えたのだけどそのサービスは全く当たらなかったものね。


何となく保管しているけど、昔を振り返りたくなった時に一番最初に見るもの。

それが、昔の写真だ。

そして、僕たちは自分の成長を知ることになる。


捨てられず、必要な時にすぐ見て意味を見つけられるもの。

それが、僕たちにとって大切な過去のデータなのかもしれない。


そこから成長しました

2018年7月16日月曜日

カタールW杯に審判は居ない? ロシアW杯が変節点となる日

サッカーW杯が終わった。

今回は20年ぶりにフランスが優勝した。

日本代表が初めてW杯に出場したのも20年前のフランス大会だから、月日が経つのは早いものだ。

今回のW杯、出場国と同等か、それ以上の主役となったのがVAR(ビデオアシスタントレフリー)だったよね。

決勝戦含め、多くの試合の勝敗を分けたといっても過言じゃないだろう。

一人の審判が見える範囲は限られいてる。

その運不運を無くして公平な試合とすることはスポーツにとって長年の課題だから、大きな改革と言える。

さて、この、映像を使い、公平な社会を実現する取り組みは、サッカーよりも早く導入されている。

犯罪や事故を記録する「防犯カメラ」「車載カメラ」などがそれだ。

映像は事件や事故の原因解明にとても大きな効果を発揮する。

そして、映像、ネットワーク、情報テクノロジーが「事実」をより鮮明に逃れられないものに変えていく。



映像データが蓄積され、そしてジャッジも同時に蓄積されていくと、そのデータを使って機械学習が始まる。

そうすると人のジャッジよりもバラツキのない判定ができるようになる。

どうやらスポーツの審判も無くなる職業であるようだ。

2024年、果たして僕たちは審判の勇姿を見るのだろうか・・・


審判は要らない?



2018年7月15日日曜日

個人の時系列データはどう収集するべきか

僕は一年に一度、身体検査を行っている。

これは、会社の取り組みだ。

会社が変わっても、身体検査を行っているので、おそらく、僕のデータは社会人になってからの30数年間分あるはずだ。

あるはず、というのは、実際に僕の手元には無い。

ちゃんと保管していなかった、もしくはもらっていないなど、もう理由もよくわからない。

そもそも、専門家では無い僕が、専門データを持っていても意味が無い。

では、医療機関が持っているべきなのだろうか。

でも、病気を治療することが目的の医療機関が健康な人のデータを保管する意味もあまり感じられない。

国や地方自治体はどうだろう。

何の目的に使うのかわからない個人情報を税金を使って保管することなどあり得ないよね。

要するにせっかく毎年定点観測をしても単に収集されるのでは泡沫データでしか無いということだ。

そう考えると、やはりデータはそのデータから価値を生み出す機関が保管するのが良さそうだね。

僕は時系列の個人データは、

  1.  本人が自身でいつでも有益に使える
  2.  研究によってイノベーションなど大きな価値を生む
という条件で、収集しなくてはならないと考える。


大事なものを保管するのは大変











2018年7月14日土曜日

似た者同士が集まるとどうなるの?

人が集まる集団は、何気に多様性が確保されている。

それは、生い立ち、志向性などだけでなく、パーソナリティ特性も、だね。

なぜそうなるのか、そこには生命の知能が潜んでいるように思える。


先日、グループ全体のキックオフミーティングがあったのだけど、そこで、性格タイプごとに集まってイベントの振り返りと発表を行った。

同じタイプが集まるとこうなるのか、と驚くほど特徴が出ていた。

群れないタイプは、発表の時も皆、好き勝手な感じだったし、空気を読むタイプからは盛り上がりあまりが感じられなかった。

僕が入っていたのはバランスを取るタイプ(今の僕のタイプは役割を果たすタイプなのだけど諸事情で入った集団)だったけど、どんなバランスを取るのが良いか全員が探っている状態だったね。

要するに、本当に似た者同士が集まるとその集団は新たな道を歩めなくなるってことだ。

特徴はすごく現れるのだけど、皆が同じように考え、同じ方向を向いて、同じように行動してしまう。

そのさきに待っているのは、行き詰まりだろう。

幸い、先ほど述べたように集団には程度の差こそあれ、多様性が内在している。

そして画一性が高い組織は、皆が同じ行動を取るのが容易く一見、統率が取れている。

会社などの組織で多様性よりも画一性を高める力が働くのは、目的の達成という命題があるからだね。

短期的な目的を達する為に似た者同士が集まるのも良いけど、複雑化する社会における中長期的な目的、例えば種の保存と言ったような本質的目的を達成するためには、似た者同士が集まっていてはダメだ、ということなのかもしれない。


私のタイプ、今は右




2018年7月13日金曜日

成長はなぜ止まるのか その仕組みを考える

昨日、打ち合わせの中で、せっかくいい大学に入学したのに勉強をやめてしまう人がいるのはなぜか、という話があった。

もちろん、しっかりと勉強を続ける人もいるわけで、その違いはどこから来るのだろうか。

以前、あるコンサルティングファームで入社して5年までの業績とパーソナリティデータの分析を行ったことがあるけど、その際に早期に業績が伸びるけどその後、停滞、転職する人と、徐々に業績を伸ばし続ける人が居た。

データから見たその違いはコミットメントの質だった。

情緒的コミットメント(皆と一緒にここで頑張りたい)よりも功利的コミットメント(より高い収入を得るために働きたい)が高かったのだ。

成長が止まるパターンと徐々に成長が加速するパターンの違いは、実はこういった仕事観にも現れているのだろう。

このような何を目標とすべきかに関しては色々な研究がある。

The Influence of Goal Orientation and Self-Regulation Tactics on Sales Performance: ALongitudinal Field Test.

これは、業績目標ではなく、学習目標がパフォーマンスと相関しているという研究だけど、最終的に得られる果実に目標を置くより、果実を得る過程を身につけることに目標を置く、つまり、報酬でなく仕事そのものに目標を持つことが大事なんだよね。

大学生で言えば、受験で有名大学に入学することより、大学で学ぶことに目標を持つことと言い換えられるのではないだろうか。


僕たちが見ている誰かの「成長」は僕たちの期待で測られるものだよね。

その期待とは、例えば会社の仕事であれば、会社の業績がさらによくなるような仕事の実践だ。

だから、仕事そのものに目標を持つ人は成長し続ける人と認知され、そうでない人は、成長が止まると感じられるのではないだろうか。


止まる人、止まらない人

2018年7月12日木曜日

すぐやる、すぐすむ で、いつやる?

昔、何かの標語で「すぐやる、すぐすむ」というのがあったよね。

面倒なことほど後回しにしがちだけど、さっとやって片付けてしまいましょう、などとの意味ではないだろうか。

一方、何事でも一旦間を置いてしまうと再始動するのは大変。

だから、なんでもすぐやれば良い訳ではないと思うけど、すぐやった方が良いことは少なくないだろう。

だた、この「すぐやる、すぐすむ」は、誰かが絡む時、気をつけなる必要があるよね。

相手の事情やリズムを考えていないからだ。

余裕がない相手は「差し込まれる、追い立てられる」と感じることになる。

だからチームワーク、組織連携など他者との連携が前提の場合は、「よくみる、ひきだす」を忘れちゃいけない。

そうでないと「しらける、ばらける」となってしまうかもしれない。


追い立てられるコースは心地悪し

2018年7月11日水曜日

15年前から考えていること

情報は不変であるがコンテクストにおける意味は変化する。
その変化と意味を把握しなければダイナミクスを理解することはできない。
変化と意味を同時に測定することは不可能なので、変化を測定し、そして意味を問うのだ。

これは僕が15年前に僕が考えていたことだ。

その当時はきっと違うことを考えて書き残したのだろうけど、今となってはすごく意味深い。

情報は経験とか環境とか色々置き換えができる。

それは「事実」だね。

一方、コンテクストとは、その人が生きてきた人生の文脈であり、それによって「事実」の意味が変わる。

例えば、「一枚の絵」がその人の人生によって全く意味が変わるようにね。

絵を描いた作者の悲しみに心が震える前と後でも意味は変わる。

僕たちの生命のダイナミクスは、意味が変わった事実と、変わったことの本質を知らないと理解できないよね。

絵に心が震え、心を表現することを生きがいとし自らも芸術家を目指す、と言った「生きがいの芽生え」がその人の変化の本質ではないだろうか。


人の心の本質は、割り切って理解できるものではない。

きっと、全てが解明されても「心」は解明できないものなのだろう。

だからこそ、「心」というダイナミクスを解き明かす魅力は半端じゃない。


物質と心のダイナミクス







2018年7月10日火曜日

オ〜オ〜オ〜 さあ輪になって叩こう

今日はグループ会社全体での合同イベントだった。

総勢100名のイベントはやはりすごいね。

さて、イベントの中盤に準備されていたシークレット企画は「ドラムサークル」だった。

僕はかつて「ドラムサークル」に参加したことがあるので今日は2回目、久しぶりである。

そして僕は事前に知っていたこともあって、360度撮影可能なカメラを持参していた。

三脚を忘れるという大きな失敗はあったものの100名が三重に並んだ輪の中心にカメラを置いて撮影したところ、とても印象的な写真が撮影できた。

それはまるで地球の上に多くの人が共生しているような絵だ。

三脚を持って行っていれば三重の人まで写真に収めることができたに違いなく残念です。


写真の中に生まれた新たな星の大地は僕たちがこれから創り出す価値によって形作られ輝くのだろう。

僕たちの星の物語が今日、はじまったのだ。


僕たちの星

2018年7月9日月曜日

強化と棄却 「自説」のトリセツ

個人の色々な経験や思索から生まれる「自説」はある種の「武器」だと思う。

伝家の宝刀だね。

だから、絶対に持っていた方が良いし、鍛えまくって研ぎまくっておくと強さが倍増する。

一方で、なまくら包丁は何の役にも立たない。

自説を強化することは、力強く戦う為に必須だ。

そこから始まる話ではあるのだけど、この宝刀は何でも切れるわけじゃない。

包丁にも色々な種類があって使い分けが必要であるように効果的な場面と役立たない場面があるのじゃないかと思うのだ。

出刃包丁ではパンは切れない、といった感じだね。

でも幸いなことに、僕たちが持っている「自説」は物質じゃないからその時々で形を変えられる。

この場合はこう言い換えて使う、とか一番の特徴を捨てて臨機応変に工夫することだってできるよね。

それをやらないと「自説」は時に横暴もしくは場違いに見えてしまう。

そして、定説とか学説と違って融通が利くのが「自説」の強みだものね。



伝家の宝刀






2018年7月7日土曜日

「成長」を見るために必要なこと

「成長」を見るためには何が必要か
何のために「成長」を見るのか
そんな「成長」の本質に触れなくても僕たちは「成長」を見ている

久しぶりにWOWOWで「海街diary」を観た。

そして感じたのは、主演、広瀬ずずさんの成長だった。

今ではすっかり大人になった広瀬さんだけど映画の中では中学生の役を好演している。

僕は少し前の映画を観ることで否応無く広瀬さんの「成長」を見て、感じる。

僕が感じた「成長」は、

見た目の「成長」・・・身体的特徴の変化

内面の「成長」・・・考え方および言動の変化

だね。

あどけない様相と無邪気な発言が、人の未成熟さの魅力を醸し出しているのだけど、それはやがて「成長」することへの期待でもある。

そう、僕たちは「変化」と「期待」で「成長」を観る。

だから、自分の「変化」と自分への「期待」があれば自分の「成長」を観ることができる。

そう、誰かに与えられた「期待」ではなく自分で定めた「期待」でね。


成長、そのもの





星に願いを でもほどほどに

今日は七夕、多くの人が星に願いをかける日だ。

みんなの願いが叶うといいね。


僕たちは色々な願いを持っている。

その願いを自ら、そして時には人に叶えてもらうよね。

ただ、誰かに叶えてもらうときは過分な期待は禁物だ。

なぜなら、僕の願いは誰かの願いではないのだから。


誰もが願いを持っている。

自ら叶える願いをね。





When You Wish Upon a Star

2018年7月6日金曜日

「弱み」を見せない世代、見せたい世代

毎月第一金曜日の夜は自画持参「がちゃトーク」だ。

僕は仕事を終え、少し遅れて参加した。

さて、今日のテーマは「弱み」になった。

がちゃで当たった2名の「弱み」に関するスピーチを聴きながら、ふと思ったのは、「弱み」の位置付けだ。

以前は履歴書に「強みと弱み」という欄があったけど、最近はどうも無いらしいし、面接でも「弱み」について聴くことはあまり薦められていないのだそうだ。

一方、最近の若い世代は自らの「弱み」を積極的に開示する。

僕たちの世代では、やはり「弱み」は見せないものだ。

要するに、かつて「弱み」は本人から見せないものであり他者は見たいもの、今「弱み」は本人から見せるもので他者な見ないもの、ということだね。

なんだか不思議な話である。

いみじくも今日は、社内の研修で「つくし世代」と「バブル世代」の価値観の違いなどを学んでいたのだけど、どうやら僕たちが育つ環境は、僕たちの意味も変えてしまうらしい。


がちゃ、がちゃ

2018年7月5日木曜日

社長だから許される? 社長は手本?

僕は酒井穣さんの有名なブログ「突き抜けた人は、どうしてみんな子供なんだろう?」が好きだ。

子供の心を失わない人はとっても魅力的だもの。

でも一方で、社会的な役割をしっかりこなすことも大切だと思う。

だから糸井重里さんみたいに、好きで始めたほぼ日がどんどんおもしろくなっていき、コピーライターを辞めて、そして社長になってその役割もしっかり果たしているような人がとても魅力的に映る。

子供であり、大人である。

もしくは大人であり、子供である。

さて、このバランスは微妙だ。

しかもTPOを間違えると残念な大人でしかない。


社長という役割はとてもわかりやすい。

社会からの期待責任も明白だ。

そして僕は、「社長」という存在には子供の心を持っていて、かつ魅力的な大人であって欲しいと思っているのかもしれないね。


走ろうぜ!



2018年7月4日水曜日

非難と賞賛 違ったのは何?

サッカー日本代表のワールドカップが終わった。

明け方3時からのタフな時間帯にテレビ観戦をしていた多くのサッカーファンにとって、今回の日本とベルギーの試合はかなり満足できたのではないだろうかね。

日本のみならず海外でも賞賛の声が上がっていると伝わって来る(もっとも、そういうニュースばかり伝わるのだろうけど)。

でも、ふと考えると物議を醸した日本対ポーランドの試合はほんの数日前だよね。

この違いはなんだろう。

日本はともに2つの試合に負けた。

試合だけの結果で言うと同じだけど、ポーランド戦は決勝ラウンドに駒を進め、ベルギー戦はW杯から去ることになった。

つまり、結果からは非難と賞賛を説明することができない。

では、何なら説明できるのだろうか。

僕が考えたのは、「戦うストーリー」だ。

地力に劣るチームが、戦いを避けて果実を得たストーリーと、あと一歩のところまで戦い散ったストーリーの違いがそこにある。

言葉を選ばずに言うと、「ずる賢さ」と「潔さ」の違いだね。

そして、「ずる賢さ」はもう見たくないもの、「潔さ」はまた見たいものであるのかもしれない。

この「潔い、戦うストーリー」、どこかで見た感じがするなぁと思い巡らせたのだけど、スターウォーズなど、シリーズ化している映画に通じているように思える。

また見たい、と感じさせる次に繋がる印象だ。


さて、好きなことを考えているのもいいけど、僕が一番重要だと思うのは、この2時間 x 2のテレビ観戦でなぜ自分はそう感じるのか、多くの人はどう感じているのか、を考えるのは素晴らしいリフレクションになるということだ。

快、不快の感情と理屈づけだけでなく、そう感じる自分を見つめることによって、僕たちは成長するのだからね。


社会を問う、自分を問う


2018年7月3日火曜日

他者の気配を感てアクションを起こす

サッカー日本代表選手の間では、「攻撃のスイッチが入る」という共通言語があるそうだ。

例えば、守備をしていてボールを奪った時や、ボールを持った選手が前を向いた時などに入るものなのだそうけど、その実態はおそらく「こうなったらスイッチ」みたいなことより、「あ、今だ!」みたいに雰囲気なのではないだろうか。

恐らく、こういうのは頭で考えてから行動を起こしていたらワンテンポ遅れるだろう。

さて、犬と暮らしていると、この「他者の気配を感じる力」に驚かされる。

僕がテレビで試合を観ていてちょっとテンションが上がると、「わんっ」と吠える。

僕の何らかの動きを観ているのかもしれないけど、それよりは「僕の気配を感じている」ように思えるのだ。

言葉は通じなくても「気配」は確実に伝わるようだ。


複数の人が絶妙のタイミングでアクションを起こすことを「阿吽の呼吸」と呼ぶけど、フローの状態で個人の集中力が上がっているのに対し、ペアやチームのベストな連携の状況だよね。

スポーツではこの状態を反復練習で、仕事では実践を通じて獲得されることが多いのではないだろうか。

そして、サッカーでは、慎重になりすぎたり、個人プレーに走ったりすると、他者の気配を感じてアクションを起こすしなやかで滑らかな連動が生まれなくなるけど、仕事でも同じなのかもしれない。


気配を感じる

2018年7月1日日曜日

「成長」って何だろう

僕は人が成長と感じるものは全てが成長なのだと思う。

ただ、「成長とは成長と感じられるもの全てである」という定義は明白なトートロジーだよね。

だから、もう少し「成長」の定義を考えてみよう。


さて、「成長」は人間だけのものかと言えば、そんなことはない。

「成長」という概念を持っているのは人間だけかもしれないけど、生き物は全て成長する。

そして、「成長」を感じているのだ。

例えば、鳥の巣立ちを考えてみると、一定の体力、能力を身につけたとき、雛も親鳥もそれまでと違う行動を取り始める。

そこには本能に埋め込まれた自己および他者認知と行動変容のプログラムがあるように感じられる。

この本能から自分が知り、他者が感じるものが「絶対的な成長」であろう。

このような生物学的な成長に対し、人間が「成長」と捉えるものはもう少し複雑に思える。

それは、自分の状態と他者や社会の状態を比較して捉える「相対的な成長」だね。

相対性理論と一緒で、自分の成長スピードが一定でも、周囲の成長がそれよりも早ければ「成長していない」と感じられるのだ。

”大学を卒業するのに大人になっていない”みたいなケースがそれに該当する。

この「相対的な成長」は、比較対象によって成長度合いが変わってしまう。

共通の成長のものさしとしては不適切なのだけど、実態として非常に多くの場面で用いられているよね。

ある人は成長したと言い、ある人は成長していないと言うケースがこれだ。


以上を踏まえてもう一度「成長」の定義を考えると、

「成長」とは、生来的もしくは後天的に備わる、絶対的尺度または相対的尺度によって自己もしくは他者から測定される認知可能なプラスの変化

となった。


目に見える成長と見えていない成長