2023年4月30日日曜日

シリーズデイケア譚学び続ける老人生きる意味の創発をデザインせよ

 先日デイケアという高齢者介護施設が実はダイバーシティの現場であると書いた。介護が必要と判定された老人はデイケアでただ座して死を待つばかりではないことを僕は日々、目撃している。もちろん中には認知症傾向が強くなって活力のない老人も居る、しかし活動意欲無く静かに座っているだけの老人にも学習意欲が芽生える瞬間があるのだ、例えば、スリランカから来ている顔後スタッフさん(テレサ・テン別れの予感をそれは綺麗で可愛い声で歌うのだ)にスリランカの言葉でありがとうをどう言うのか教わっている。それもひとりじゃない。実は僕も聞いていたのだけど公用語シンハラ語のありがとうはストゥーティで、非常に覚えにくいのだ、

するとご老人たちは何度も聞いて、試して使う、通じるとスタッフさんが今度はありがとうと日本語で返す。この様子を認知科学で考えると、感謝を表す言語を通じて建設的な相互作用を引き起こして認知的変化を生み出しているのだ、この認知的変化が生み出すものは意味だ。高齢者がデイケアに居る意味であり、スタッフが介護をする意味である。その意味によって高齢者は生きる意味をスタッフは働く意味を創発している、この場合、異国の言語を知るという学習は意味を創発するためのデザインなのである。要するに、もう惰性で生きているように思われるような高齢者だって、生きる意味を創発するために感謝という行為(身体性)を通じて働きかけているのである。認知症が進んで生きる意味を見失い苛立っているご老人もいらっしゃるけれど、そういう方であっても、ときにありがとうと言っているではないか、もちろん、遂行機能が衰えるとデザインは出来なくなるから、学ぼうという態度はほとんどみられなくなる(そこが介護の苦労ポイント)けどね。



2023年4月29日土曜日

 僕はかつてサ・ヨ・ウ・ナ・ラホモンクルスという記事を書いている2021年7月4日だ。脳出血大サービス日から17日後、ブログ復活3日目のことである。記事を見ると脳疾患の痛々しい痕跡が残っていて誤字脱字が酷い、(敢えてそのままにしている)まあポンコツの絶頂期だったのだ、そんなポンコツの頭でも、左半身が動かないという現実に直面してその理由を考えようとしていたのでしょう。ホモンクルスというの脳の中の小人(操縦士)仮説から、小人さんに別れを告げた記事だなのけどサヨウナラに・つけてちょっとおしゃれにするなんて余裕も感じられる(笑)まあ、お気楽系ポンコツだからね〜。さて。このホモンクルスも進化しているらしいというのが今日の記事。実際脳の血腫除去術で脳外科の執刀医が僕の頭蓋骨に穴を開けて中を覗いたときにホモンクルスと目が合ったなんてことは無かったのだから脳の中に小人が居ないことは疑う由もない。ホモンクルスの実際は脳の機能マップといったところである。





2023年4月28日金曜日

本当に大切なのは一人称の思いである。

 昨日ブログを書きながら思い出したのが回復期リハビリの入院中にリハビリで通った作業療法室で見かけたこの言葉である。「最も大切なのは自分の思いをかくということ。」これは心に刺さるよね。

また言葉の中に技術にかたよった見方という表現も出てくるけど、

生成系AIとはまさに技術のかんてんからのみにかたよった見方と言えるのではないだろうか、生成系AIが吐き出すアウトプットは、一見技術的なレベルが高く見える格好良く見えるのだ。



実際こんな出来事もあった。ベルリン在住のボリス・エルダグセンさんが出品した作品「Pseudomnesia: The Electrician」は、今年の「ソニー・ワールド・フォトグラフィー・アワード」でクリエーティブ部門賞を受賞した。権威ある国際写真コンテストで入賞したドイツ人アーティストが、出品したのは人工知能(AI)で制作した作品だったと打ち明けて、受賞を辞退した。
白黒の作品には世代の違う2人の女性が描かれ、年上の女性が後ろから若い方の女性に寄りかかっているように見える。

コンテストで入賞を果たした、AI生成画像で制作した写真作品

生成系AIに対しては期待とともに懸念も大きいのが現実だ。
思いが無い(存在しない)にも関わらず思いがあるように伝わる生成を行うことはすでに実証されたと言っていいのだろう。
この実例からもわかるように「思い」は作り手ではなく、観る側が創発する知なのだ。
これまで優れた作り手とは多くの観る人の思いを掘り起こして共鳴させる人であった、
AIは観る人が掘り起こされ共鳴するパターンを学習しそのパターンを元に生成を行う。
思いは無いけど思いがあるように繕うことができるのだ。これまでは作り手の思いを掘り起こし共鳴させる方法は作り手が保有するノウハウ(技能)と認識されてきた。
AIはその属人的ノウハウを再現可能な状態(但し人が認識できない形)で利用するのである。満点の星空のように散りばめられた僕たちの思いをかき集めてこれこそが思いだと見せつけてくるけど、そこに本当に込められた思いは無い。
その一方で本当の思いは行き場もなく漂う。
映画「星の王子さま」で星をかき集めて閉じ込めるシーンがあったけど、映画の教訓は「本当に大切ことは目に見えない」のである。この教訓に則れば本当に大切なのはAIによって見えるようにされたかき集めた思いの表象ではなく、そこには見えないひとつひとつ(ひとり一人の思いなのである。言い換えれば「ビッグデータ化された思い」じゃなく、「一人称の思い」ということだね。



2023年4月27日木曜日

人工知能は分析と言えるのか。CHAT GPTに心は宿っていない。

 分析という行為は非常に人間的である。

認知できる情報を集めて。それらの操作を行なって知識を発見するものだ、定義的には物事を分解して物事を成立させている成分要素側面などを明らかにすることである。

しかし。認知できない成分要素側面に分解してもあまり意味はないでしょう。つまり分析とは認知可能なプロセスなのである。手順が見えないものは分析とは言えない。その論にあてはめれば人工知能と言われる機械学習では、結論に至る手順は見えない。ただ情報を集めて操作を行うからと言って即ち分析とは言えないのではないだろうか。

もちろん設定したパラメーターなどは見える

しかしそれに沿ってどう物事が分解され成分要素側面になったのかはわからないのだ。

出てくるのは計算結果であるそこに至る手順は見えないしそもそも僕たちには理解できないものだ。

例えば顔認識。

僕たちは過去の対面の記憶などを呼び起こして人物特定をするけど、機械学習では学習されたロジックに基づいてデータを照合して人物特定を行うそのロジックを僕たちは知ることも理解することも出来ない顔の画像を成立させている成分要素側面を何も明らかにしていないのだ。

機械学習の中ではきっと何がしかの特徴を捉えているのだろうけどね。分析とは成分要素側面を知ることで僕たちの認知や思考の仕組みを知ることである。

つまり分析とは結果を出すこともさることながら人が人の営みを知る思いを馳せることに大きな意味が潜んでいるのだと僕は思う。

最近なにかと話題の多い生成系AI。対話だけじゃなく、絵やイラストを出力したりする、これまで蓄積されたデータのもっともらしいところを切り継ぎしてまとめてくれるのだけど、一番肝心なところが抜けている、発話にしろ描写にしろ僕たちが行う時は相手に心を届けるということだ、まずは心の思うままに表現しそれを相手に届ける心を心で想うというのが僕たちの行っていることなのである。

科学とは自然の真理を解明することだけど、ひとの心に思いを馳せるという意味も決して小さくないだろう。だから分析は人間的な行為なのであるそれに対して機械的に答えを出すのは非人間的な行為だと言える。

人間的な行為とは他者の人間性をどこかで慮っている。僕たちは非人間的なものにふれるにつれて人間性を高めることがいかに大切かということに気づいてきた。

非人間的なものをテクノロジーと礼賛するのも良いけど人間性を見失った心の無い社会は悲惨なことになるに違いない




2023年4月26日水曜日

行動のコレクションとは。賢さの宿る場所

 人間には何事にも意味を考えてしまう悪癖がある。その悪癖は確証バイアスという自己正当化の機構によってさらにもっともらしく理論化されてしまう。しかし、そういった素朴理論の謎解きが進むと僕たちを取り巻く世界のシンプルな原理が見えてくる

実は未解明問題「虫が光に引き寄せられる理由」がついに判明!

僕たちも含めて生き物は賢い脳で行動をコントロールしているという脳中心主義への信仰は根強い、でも、私達が、賢いと考える行動の多くは実は環境によって引き出されるシンプルな行動原理が見せる複雑な振る舞いでしかないのだ、背光反射という行動のコレクションは他の行動コレクションと協調し競合しながら、昆虫の環境とのカップリングによる生存戦略に寄与しているのである。人間はそれを賢い生き方と意味づけてしまう。



2023年4月25日火曜日

採用妥当性の測り方


問い1妥当性ってなんだ?

実際に測定しているものが、測定しようと思っているものを測れているとき、データの妥当性が高いといいます

問い2歳用において本当に測定したいこととは

新卒採用に際して企業が測定したいのは入社後に適応し活躍する学生であり採用妥当性の高い学生

場面適応的というのは、状況、環境の中のリソースと、私たちの内部にある認知的リソースが、うまい具合にかみ合わさったということを意味している。

だからその結果生み出される知識が、またそれに基づく行為が必ずしも合理的であるとか、適切であるとか、そうしたことは意味しない

鈴木宏昭. 私たちはどう学んでいるのか 創発から見る認知の変化 (Japanese Edition) (p.55). Kindle 版.
面接や面談というのは組織の中のリソースと就活生の内部にある認知的リソースがうまい具合にかみ合わさることを企業と就活生が相互に妥当性を検証するプロセスである。
活躍とはかみ合わさった結果生み出される知識とそれに基づく行為が合理的かつ適切で、環境に働きかけ環境自体を変化させるものである。
組織という人のネットワークは散逸構造だから、構造を維持するためには秩序が必要だ、多くの企業はその秩序を維持するためにミッションやビジョンや評価制度を用いている秩序が崩壊すると組織はばらばらになりかねないのである。
新入社員はまずこの秩序に適応しなければならない。
成果を出すために何をしても良いわけじゃない。

新入社員のベストアンサーとは。


しかし新入社員の活躍は常に秩序の縁にあって、環境に変化を働きかけている。このバランスが組織においては重要なんだよね。


新入社員自身がこのバランスを知識として保有することがベストアンサーになる。
要するに適応と活躍は複雑系科学でも認知科学でも別物なのである。
調和と脱線この2つのテーマを創発しながら組織もその構成員も日々歩んでいくのだ。
調和が無ければ組織は散逸するし、脱線がなければ組織はしなやかさを失ってしまう。
妥当性の高いの学生とは、この調和と脱線のバランスの認知的リソースを保有している学生ということになる。

結論採用妥当性は文脈の中でしか確かめられない

調和と脱線のバランスの認知的リソースの保有に関しては文脈依存性が極めて高いものなのでぶっちゃけた話やってみなくちゃわからない、でも、そう言ってしまうと元も子もないし、採用妥当性はどこに行っちゃったの?となってしまうから、仮説を持つしかない、仮説とその検証を通じて妥当性を測るというのが正解だこれがちゃんと出来ているか否かが次の重大テーマ、採用の信頼性ということになるのだ。これについてはまた明日。




2023年4月24日月曜日

目で見る方丈記

 行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。

河の流れはずっとそこに留まっているようだけど、実は次から次へと入れ替わりその残像は絶えない河の如く振る舞う。


恨みがましい夢から寝覚めた朝はつい、何でも人のせいにしてしまう、あの人がかつて仲間のように振る舞っていたのは目的のために懐柔するためだったのではないかとかね。
まさによどみに浮かぶうたかたの如き。水に流してしまいましょ。バイバイじゃ〜っとね。


2023年4月23日日曜日

デイケア譚いい人悪い人普通の人坩堝の高齢者介護コミュニティ5つのチェックポイント。

先日 朝ドラ再放送あまちゃんで1984年ネタをやっていたけど、其の頃萩本欽一さんのキンドンというバラエティ番組があった、その番組の中のコーナーで、いい子悪い子普通の子というのがあって、結構人気があったように記憶している。

さて、やがて脳サバとうちゃんと同世代の84年組の皆さんも世話になるだろうデイケア、ひょっとしたらすでに親の介護でいろいろと聞いているかもしれない。

脳サバとうちゃんはしょうがい者1級の要介護1なので介護保険で入浴のため使わせて頂いているのでそこでの体験記をいち早くお届けしようと思う。

名付けてシリーズデイケア譚である。

今日はきんどんの人気コーナーを模していい人悪い人普通の人この場合の人はスタッフさんを指している。人手不足が甚だしい介護の現場、様々な国籍の方が働かれている、

脳サバとうちゃんがお会いしたのは韓国の方ベトナムの方(かなり多い)中国の方そしてなんと昨日はスリランカの方であった。

ベトナムまではなんとなく知っているけどスリランカはセイロンティーくらいしか思いつかない(ごめんね)

実は高齢者介護コミュニティはダイバーシティの坩堝なのだ。

こんにち大学には海外からの多くの留学生もいてダイバシティがあるからひょっとしたら、日本社会の中でもっとも日本人のモノカルチャーにどっぷりと浸かっているのは男社会とか言って我が世の春を満喫している中高年のおっさんおばさん達なのかもしれないよ。

さて本題。いい人悪い人普通の人の判断基準は介護スキルと人柄である、介護術に関してはタイミングと的確さ、人柄に関しては、機嫌の良さと共感する感性であろう。

介護術は研修などで訓練を受ければ一定レベルになる、しかし人柄は技能ではなく人生の中で自然と身につけているものである、それらは多くを幼少期の家庭などや思春期の友人との人間関係などで培ったものであって、国籍や介護スキルとは一切無縁であるように思える。

介護術に関してはデイケアでは看護師や理学療法士、柔道整復師などの有資格者が厚遇されていてリーダー役も任されているけど、それらの方であれば人柄が良いというわけでもないのが実態である。脳サバとうちゃんはリハビリ病院でその職業倫理と責任感の強さに感銘を受けたけど、それはその病院が良かった(人材の見極めと行動規範において)ということだったのかもしれないなと今思ったりしている。

自分であれ親であれデイケアを利用する際は事前に見学することになるとなると思うのでその際の見極めポイントを以下に挙げておこう

1,事故をおこしていないか(転倒、逃走)介護スキルの観点

2,事故を予防する介護が適切に行われているか介護スキルの観点

3.皆の機嫌は良いか?笑顔があれば良し。人柄の観点

4,スタッフは心から共感を示しているか。介護保険加算のためのメニューに偏っていないか。人柄の観点

4についての補足、高齢者介護施設運営は事業だから、収入を増やすために加算(メニュー増し増し)に走る傾向は止むを得ないと思われる、利用者は事情を鑑みて多少の協力はあったとしても、本人のためにならないと思われるメニューはやる必要がないという見極めが求められる。認知症傾向が出てくるとそこらへんの判断が本人んにはむずかしくなるので要注意である。共感に長けたスタッフはそこを感じ取って対応してくれる。

共感の無い態度とは、事務処理や自分の仕事に没頭したりして、訴えても応じないといったことである。

病院同様、保険請求の事務処理は大変そうで、優秀なスタッフさんはそこに多く時間を取られているから

5施設としての事務処理態勢はもし確認出来るならば 要チェックポイントである。





2023年4月22日土曜日

死後の世界前生などの死生観について。

近代化とは、人間が自分を不変の存在、すなわち情報であると勘違いしたことでもあるのです。それ以来、実は人間は「死ねない」存在になってきました。これが近代特有の意識であることは昔の文学を読めばわかります。『平家物語』や『方丈記』など、中世の日本文学に代表される思想というのは、人間は移り変わるものだ、という考え方だったのです

養老孟司. 死の壁(新潮新書) (「壁」シリーズ) (Japanese Edition) (p.22). 新潮社. Kindle 版. 

養老孟司氏のこの指摘を端的に理解するために近代化の典型と昔の文学を見比べてみよう。

近代化の典型例

死は存在しない ― 最先端量子科学が示す新たな仮説 (光文社新書)田坂広志 (著)

平家物語「祇園精舎」

祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。

娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。

おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。

猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ

方丈記 鴨長明

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れ(やけイ)てことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。住む人もこれにおなじ

最先端の科学理論という近代化の思想はいみじくも人生ものどこかに記述された情報であるのだから不滅だとしているのに対して、中世の思想ひとへに風の前の塵であるとする。

いずれも思想だから正解は無い。いやどちらも正解なのである。

臨死体験を追った立花隆さんのインタビューでの答えは明快だ。

いやいや、死後の世界なんてない。ないです。あると思っている人は頭のどこかに欠陥がある。正しからざるものを正しいと信じ込もうとしているだけのことです。臨死体験については、人が死ぬ時に何が起きるのかという興味はありますけど、話を聞けば聞くほど、体験者自身が自分に起きたことを問い直してしまう。相当な部分が真偽不明になってきちゃうんです」

しかしながら不老不死や輪回再生にかける人間のエネルギーは凄まじく、ピラミッドを建ててしまったり宗教という形で多くの人々の思考や行動に影響を与え続けている。死後は信じなくても前生とか因縁とかを容易く信じる人は少なくない。科学においても、後天的な学習の結果が遺伝するとも言われるし生き物である以上世代交代を抜きに語ることが出来ないのも真理ではあるのだろう。

要は何を真実と捉えてどう振る舞うかは自由意志に委ねられているのだ。しかし社会とは全ての自由意志の最適化で成り立つべきものだから、自らの自由意志が誰かの自由意志を阻むべきではないとも言えるのでしょう。






2023年4月21日金曜日

車上生活者の活力源

インターネットSNSにはもちろんダークサイドもあるけれど、それを凌駕する良い面がある。良い面の一つは気づきや考え方を変えてくれる小さな声が届くことだそれは社会という雑踏の中でその騒音でかき消されてしまうものだ。そのよい例がもうすぐ来る選挙、立候補者は認知を上げるために大きな音で街宣車を走らせる。それは鳥のさえずりや風の音といった自然の小さな声を全てかき消してしまう。インターネットが普及するまで騒音の源はテレビだった。そんな騒々しい日常の中インターネットから作家でタレント、志茂田景樹(82)さんが23日にツイッターを更新し、“元気の素”を明かしたという記事が聞こえてきた。

志茂田は「今日になったのだから、今日から始める、今日から変える、でいい。昨日も一昨日もそう思ったからは関係ない。いつも今日になったらそう自分に言い聞かせる。そのくらいでないと人は一生始めないし変えないものだ」と持論を展開。

続けて「一病息災、二病なお息災。僕は関節リウマチと別の病気もあって要介護4の車椅子ユーザだけど、その状態が許す範囲内でいつも元気を心がけています。原稿の執筆とSNSへの発信をいつまでも続けられるよう無理をしないで頑張るのです。これがとても楽しくて元気の素なんですね」と活力源となっていることを明かした。

この記事を読んでツイッターで志茂田景樹氏をフォローしたらこんなツイットもあった。

きみだけしかできない

きみのやり方は、

人から見たら芸術なのだ。

継続するのみだ。

どんなに人から遅れをとっても、

動揺するなよ。

それは錯覚だ。

自分のやり方を貫けば、

いずれ追いつき追い越せる。

見えない壁にぶつかっても焦らないでいいよ。厳しいところを乗り越えて力をつけてきた証拠として見えない壁は現れる。急ぐな、ここでしっかり自分と向きあえ。一息入れながら課題を整理しろ。そういうことなので、しっかり足許を固めよう。見えない壁はスッとと消えて、これからの道筋を示してくれる。

僕は別に志茂田景樹志氏のファンでは無いけれどなかなか含蓄のあるメッセージだと思った。特に僕も今車(車椅子)上生活者なので、自分ごととして感じられるのだ。

僕たちは環境から多くの元気を受け取っている。天気が良ければ元気が増すし、花が咲けば気分も咲く。だから出歩くことはとても大切なことなのだ、でも、車椅子ユーザーになると思ったように出歩くことは出来なくなって、自然から元気が貰えなくなるのだ、でも、出来ないことでなく無理しないでできることを頑張って活力源にすればいいのだ、車椅子テニスの国枝慎吾選手だって、車椅子バスケの選手たちだって皆そうしているじゃないですか。

車椅子が出来ることなら座れるわけだから座って出来ることを頑張ればいいのじゃ。

そうしてきょうも僕はブログを書く、誰かのためじゃなく自分自身の活力のためにね。



座ることすらままならない時期もあった
それも壁。





2023年4月20日木曜日

もうピカピカの満開ですわ、脳サバの心得とは

 快晴の朝脳サバとうちゃんは妻に車椅子を押してもらって床屋へ散髪に行った。まだ4月卯月だけどもう五月晴れの気持ちよさである。その証に道すがらつつじが満開であった。もくれん桜が終わってはなみずきが咲き誇りそしてつつじやさつきが花開く季節は順調に移ろいでいる。脳サバライフになって自分の足で好きに外出出来なくなったけど、時折外に出掛けると、自分もこの大きな自然の一部であることが実感できて嬉しい、社会という枠組みの中では障害を負うことは即ちお荷物であり、異物となることだけど、自然はそんな脳サバとうちゃんを決して疎外しない。とうちゃんにも平等にその季節の装いを見せてくれるのだ、脳サバになったら自分は自然の一部なんだと思った方がいい自然の中には規格外のものがたくさんある。というより、規格を揃えた人為的なもののほうが異質なのである、桜やはなみずきやツツジなど、並木になるように植えたとしても、それぞれのタイミングで好き勝手に咲き誇っているわけで自然本来の自由奔放で多様な世界がそこにあるだけだ、規格を作って色眼鏡でものを観るのは自然でなく人間なのだ。自分は何事も色眼鏡で観る人間ではなく、懐が広くて深い自然の一部に脳卒中で生まれ変わったのだと考えれば、人間の格が上がったように思えるではないか。学ぶべきは自然からなのである。まだまだ咲くぜ脳サバとうちゃん



白いつつじもいいね〜


脳サバとうちゃんの頭もピカピカに咲きました〜


2023年4月19日水曜日

成長は自己肯定から始まる、

 認知科学(賢さの探求)で言えば上達も発達もひらめきも認知的変化である。つまりより賢くなるということだね、社会性の観点(環境とのカップリング)では賢さの本質は我慢(自制)であって、ここぞというタイミングで我慢を止めて目的を効果的に達することである。

目的を達するのは自立という概念になるが、そのためにはなすべきことを定める賢さとそれを遂げる賢さが必要になる。上達、発達、ひらめきはいずれも生き物が自立するうえで必要であることがよく分かる。

さて、それらの本質は認知的変化であると冒頭で述べたわけだが、変化とはある状態と連続する次の状態との差分である。つまり、比較する元の状態があってはじめて変化が生まれるわけだ、上達も発達も今があるからなのだ。この今があるというメタ認知こそが自己肯定である。幽体離脱したように自分を俯瞰する感覚、周囲の状況も結びつけて関係つける見当識鏡に写った自分が判別出来る胸像自己認識いずれも、自己肯定なのである。そしてそれらは全て賢さの原点である。僕たちは上達や発達を括って成長と表現する、だから成長とは認知的変化、元の状態の自分との差分ということになる差分がうまれるためには元の状態自己肯定が必要だと言うのが諄い展開だけど、今朝の結論である。





2023年4月18日火曜日

アリストテレスの見解を大谷翔平選手と認知科学で検証しよう自分が成長するための5つの問いとは?

人間の性格や人柄は習慣の積み重ねから生じてくるというのがアリストテレスの見解でした

どのような人柄を形成すれば全体として幸福な人生を送ることができるかを考察する学問が「倫理学」であり、その中心にあるのが「アレテー(徳)」というものなのです

したがって、徳には、思考に関するものと性格に関するものとの二種類があることになるが、思考の徳はその生まれと成長とを主として「教示(ディダスカリアー)」に負っており、まさにそれゆえに経験と時間とを要するが、それに対して〈性格の徳〉の方は習慣から形成される

NHK 100分 de 名著 アリストテレス『ニコマコス倫理学』 2022年 5月 [雑誌] (Japanese Edition) (p.69). Kindle 版. NHK 100分 de 名著 アリストテレス『ニコマコス倫理学』 2022年 5月 [雑誌] (Japanese Edition) (p.68). Kindle 版. 


さて、幸福な人生の実例として挙げられるのが大谷翔平選手である先日はWBCで日本中を幸福にしてくれた、幸福は伝播するといわれるがまさに、その実証となったのだ、

認知科学でも経験が知の創発に重要なリソースであると考える、大谷選手が素晴らしいのはその運動能力だけでなく、野球に誠実に向き合う態度や他者への気遣いといった人柄であることは誰も疑わないだろう。大谷選手はその人柄を習慣の積み重ねによって形成してきたことには多くの証言がある野球を始めた頃の父親との約束を世界一の選手になっても実践し続けているのだ声を出す、一生懸命走る、真剣にキャッチボールする姿はWBCで皆が見て感動を覚えた姿そのものである。大谷選手にとって父親や高校時代の指導者、プロ野球での指導者など秀でた教示に恵まれていた。そうして思考の徳を積みながら習慣によって性格の徳も野球のスキルも技術も向上させ、大きな夢を叶えつつあるのだ、

更にアリストテレスは

徳の場合は、さまざまな技術の場合と同様、われわれはまずその行為を現実化することによって身につけるのであると技術にも言及している

NHK 100分 de 名著 アリストテレス『ニコマコス倫理学』 2022年 5月 [雑誌] (Japanese Edition) (p.72). Kindle 版. 

一方認知科学で上達はリソースの相互作用が環境によって引き出され創発を成し次の飛躍のための土台となると解き明かす。絶え間ない行為の現実化(其の都度複数のリソースの相互作用によって行われる)こそが上達への道なのだ。

練習による上達にはうねりがあり、直線的に上達が進むわけではなく、複雑なうねりが存在する。このうねりは、そこで用いられる複数のリソースが、微細に異なる環境の中で相互作用する中で創発する。そしてうねりは次の飛躍のための土台となる。

鈴木宏昭. 私たちはどう学んでいるのか 創発から見る認知の変化 (Japanese Edition) (p.60). Kindle 版. 

アリストテレスの時代に認知科学は無かったのだから、2千年経っても先端として通用する見解は驚嘆に値すると言えるだろう。2千年前のアリストテレスの哲学(倫理学)でも、現代の認知科学でも、良い習慣で良い人柄と卓越したスキルを作り上げろと言っているのだ。そして、それを実践しているのがまさに大谷翔平選手なのである。

さて、大谷翔平選手がアリストテレスの見解を実証していることはもはや明白だけど、成長に貪欲な人は自分に引き当てて以下ののような5つの問いを抱くに違いない。

問い1どんな行為がどんなパーソナリティを形成したか?

問い2どんな行為がパーソナリティをどう変化させるか?

問い3成長し続ける人材の内面の成長はどこからスタートしたのか?
問い4どのような体験が、内面をどのように成長させていったか?
問い5内面の成長を通じて発揮した社会的な価値は何か?

これらは自分が成長するための心からの問いであると言えるだろう。大谷翔平選手のような生得的に恵まれた肉体的優位性を持たなくてもいまここにある自分を成長を通じて社会で輝く存在にしたい、こういった成長意欲はきっと誰もが持っている願いである。

以下の4つの質問に「はい」と答える人は成長意欲の高い人だ。

1.仕事の領域を広げるため、何事にも関心を持ち、情報を集めている。

2.異なる分野で活躍する社内外の人とのネットワークを広げている。

3.情熱を持って仕事に取り組み、チャレンジしている。

4.自らの成長に限界を設けず、向上心や探究心を持って、自己を磨いている。

いまを受け入れ少しづつでも自分を変えていくために習慣化に向き合う、2千年前にアリストテレスが説いた道が今日においてもより良く生きる道なのである。




2023年4月17日月曜日

子供3人を東大に入れる人も東大卒業生も賢くない実証のIT漫才

 ネット上でおもろい話を見つけた東大理Ⅲママなるひと(これがすでに笑)ChatGPTは教育の敵か?東大理Ⅲママ、佐藤亮子氏が「早期教育」での危険性を指摘しそれに対してホリエモンがこいつバカでしょとコメントし茂木健一郎氏がそれを支持したとの、まあ、流行りのIT漫才である。まぁ見事なボケとツッコミのオープンコミュニケーションである。まあ、教育現場にタブレットなんてありえないなんていう議論がついこの前(コロナ前)までは普通だったことを考えると何ら違和感がない。マラソンは裸足で走るもの的な時代錯誤感満載だからお笑い漫才になっちゃうんだよね。ボケの発話はどこか文脈とズレている。だからツッコミの切れ味が増すのだけど、今回のIT漫才はそれ以上に多くの問題を包含している。まず。東大が賢さの象徴として認知されているステレオタイプ論、ツッコミを入れているホリエモンも茂木健一郎さんも東大出身者であるという事実要するに賢いバッチをつけた者同志の俺のほうが賢いぞというマウンティング漫才なのである。この奇妙な内輪もめがお笑いの本質なんだよね。この議論を賢くないクラブの面々(勉強が苦手を公言する人たち)が行ったらどうなるのだろうか

例えばユッキーナがChatGPTを隔離せよと発言しそれにつっこんだらどうなるのだろうか「子供の教育にChatGPT良くないよね〜でもChatGPT使えばうちの子も東大に入れるかなぁ」「それChatGPTに聞いてみたらどないやねん」ってな感じじゃないだろうか

さてこのIT漫才の重要な教訓は勉強が出来ること、東大生であることが賢いことの証ではないこと賢いと自負している人たちも賢さとは何かがわかっていないことだろう。そしてどこかでChatGPTは賢いという素朴理論が出来上がりつつある危険性ではないだろうか。




2023年4月16日日曜日

拡張する脳と薄まる紐帯ガーシー問題の本質とは

 社会ネットワーク理論の中でも貴重な発見である弱い紐帯の強さ理論(スタンフォード大学の社会学者マーク・グラノヴェッター)は今日のGAFAの勢力拡大の大きな原動力となった一方でマルクスガブリエル氏が指摘するように結果として全てのSNSは民主主義を弱体化させた。

実は民主守護は現実社会が対面、接近による相互信頼という強い絆の上に成り立っていたのである。

これは日本の選挙運動を見れば一目瞭然で辻演説に握手という接触のもとで民主主義が成立してきたのだ。

一方議会制民主主義から疎外されたNHK党ガーシー元議員は明らかに非接触非接近で興味本位、信頼を要さない関係のもとで一定の支持票をあつめて国会議員になったのだその結果国会は大きく揺らいだ、インターネットがもたらす弱い紐帯が民主主義が基盤とする強い紐帯を大きく揺さぶったことに間違いない、社会ネットワーク理論と認知科学は社会ネットワークが今日僕たちの知の形成に大きく影響を与えていることを明らかにしている。

紐帯すでには僕たちのマルチモーダルネットワークの一部になっている、これまで、マルチモーダルネットワークは僕たちの脳の内側にあるように考えられているけれど、インターネットは僕たちのマルチモーダルネットワークを脳の外側に拡張させているのだろう、もっと直接的に言えば、僕たちは、マルチモーダルネットワークという知を生む仕組みを脳の外側に拡張しているのだ、最近話題の生成系AIはその傾向が顕著であるゆえに知の殿堂東大が見解を出す羽目になったのだ。僕たちは更に弱い紐帯によってマルチモーダルネットワークを拡張して知の創発を行うようになり、信頼関係に依らない対等な関係性の社会を目指すようになる。現実社会では重要視される約束を守る、他者を尊ぶ、態度はどんどん軽視されるようになる、社会は間違いなくガーシー化、プーチン化習近平金正恩化していき民主主義は弱体化していくのだ。




2023年4月15日土曜日

脳サバとうちゃんの片麻痺クッキング第5弾第6弾

今週は2回片麻痺クッキングチャレンジをしました。

いずれも星5つ大満足でございます。丁寧に生きた一週間でした〜 

脳サバとうちゃん片麻痺クッキング第5弾ハンバーグオーロラソース

脳サバとうちゃん片麻痺クッキング第5弾ミネストローネ風リゾット



2023年4月14日金曜日

悲しき守破離

昨日聞いた話はちょっと悲しいものだった。

守破離という言葉がある

ことばんくによれば剣道や茶道などで、修業における段階を示したもの。 「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。 「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。 「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。

でも、これ修業の段階だけでなく、何かを次世代に継承する際にとても大切なステップであるようだ、次代を継ぐ者にとっては、先代はその存在も型も技も邪魔な目の上のたんこぶであるから早く居なくなって欲しいし型や技はポンコツに見えてしまう。そうなるともはやその型や技に込められた強い想いに思いを馳せることもなくなる。しかしそうなると次世代には型も技も想いも無くなってしまう。想いで他者を巻き込むことを面倒に感じる人は論理性という誰もが同じ結論に至ることに飛びつく。しかし同質化という没個性には選択の余地が無い。個性はせっかくそもそも身体に宿っているものなのに、その個性を疎んじる思考には、思い上がりはあっても、他者の尊厳を尊ぶ態度は無いから守の概念は存在しない。私達が賢さを発揮する選択の局面において、想いはとても大きな役割を果たしている、僕たちが知の創発のリソースとしているマルチモーダルネットワークにおいて想いは強化されたネットワークなのである。想いなきマルチモーダルネットワークからは創発は起きない。賢さの欠如した愚かな選択しか生まれないのである。守破離とは、賢さの表象であるとも言えるだろう。かつて団塊の世代がそれまでの価値観を壊したけど新しい価値観を生み出せなかったど批判されたことがあるけど。否定のための否定、離離離は雄鶏が卵を産むような愚かな選択であることは結果が証明しているようだと感じた悲しみの守破離なのであった。想いなき意思決定という悲しき結末



2023年4月13日木曜日

僕たちは愛と夢と約束と学びから出来ている

 僕たち、親は選べないけど、生まれてきた時には何も出来ない存在であることは死と同じように誰にも平等だ、何も出来ない存在がやがて何でも出来る存在になっていくそれを成長と言う。

僕は今回脳卒中という病気によって、再び何も出来ない存在に帰したけど、僕はかつて何でも出来る人になっていたことがあるからこの再孵化の過程を観察することが出来ている、

この病気になったおかげなのである。

孵化の最初は苦しみでしかなかった、

しかしその後の回復(再成熟)の過程は愛と夢と約束と学びで作り上げられていくものであることが良くわかった

これはとても貴重な体験だ、愛とは、家族の愛はもちろん社会の愛、この地球の愛も含めて僕たちは大きな愛に包まれている。夢とはまさに見果てぬ可能性だ。

約束とは、無限の可能性に生きる秩序をもたらしてくれるものだ、

この秩序は混沌の中に僕たちが瓦解してしまうことを防いでくれる。

そして、学びは僕たちを護る秩序からの脱構築機構として自分を刷新(脱皮)し続ける成長の仕組みだ。僕たちは何事からも学ぼうとした瞬間からそれまでの自分を脱皮して成長し始めるのだ。成長し続ける人とは言い換えれば何事からも学ぼうとする人のことである。

僕たちは勝手に成長し成熟するわけではない。

大きな大きな愛包まれ、見果てぬ夢の大海に漂い、鎧のように約束に護られながら学びによって新陳代謝を繰り返して成熟していくのだ。

そしてそれは、脳卒中による障害からの回復もまったく同じであるようだ。



2023年4月12日水曜日

診察待ち時間という地獄

今日はリハビリの再診の日、慌ただしく出かけるのでブログを更新する間無かった。でも、予約時間より早く着いたらすぐに診察してくれたので予定よりもずっと早く病院を出ることが出来た通院といえばすごく待たされるのが当たり前になっていた僕にとってそれはかなり新鮮な体験である。今まで一番待たされたのは都立墨東病院で朝9時30分の予約で実際に診察を受けたのが19時過ぎという10時間待ちというものだった。フロアを閉めるのに守衛に待合いから追い出される(10数名居た)というほんとうに酷い扱いだったそれを思い出すと予約時間の1時間前に診察が終わるなんて病院が天国に思えてくる。まあ、本当の天国になっちゃうと困っちゃうのだけど、地獄のように待たされるよりはずっといい。でも墨東病院の名誉のために言っておくと、あんなに待たされたのはあの1回だけであるが当時は総じて待たされた。



新緑の皇居前広場。これは二重橋じゃありません。本当の二重橋はこの奥なんです。



 

2023年4月11日火曜日

脳卒中という最悪の出来事を最高にする3つの方法

 僕は脳卒中の発症というタイミングと愛していた会社からの退任が重なるという最悪の出来事を体験した。もちろん僕のそんな気持ちを誰が知る由もないけれど。

最悪の出来事の渦中にあって僕が心の支えにしたのは7品指のピアニスト西川悟平さんの考え方と行動をほんの少し変えれば最悪の出来事も最高になりますよという言葉だった。

そこで僕はその最悪を最高に変えるための考え方と行動が何なのか探すことにした。

探索の結果見つかった気づいたことは社会の異物化を学びの機会に変えてしまうとであった。学ぶとは意味を見出しそれによって態度が変わることである。

後遺症で障害を負った僕にとって学ばなくてはならないことは明白であったそれは①自立である、自分ひとりの力で目的を達すること困難を乗り越えることである。

困難を乗り越えるには①’自己肯定、①’’紐帯(社会性)①’’’ソーシャル・サポートが必要だ。

ソーシャル・サポートは、公的に備わっている(医療制度、障害者支援介護制度など)もの、個人で備えていたもの(生命保険)などがある、紐帯に関してはITが力強い味方になる友人たちはどんなときでも気にかけてくれている、

あとは自己肯定感である、会社という社会的役割も失った僕は自分の物語を掘り起こし、経験を新たな出会いに活かすことで自己肯定感を回復した。

自己肯定感には社会の異物(不要物)では無いという実感が必要だったのだ。この自己肯定感と社会性は新たな挑戦への足がかりにもなった。

新たな挑戦に関しては、酷い仕打ちをした奴らを絶対に見返してやるのだというダークサイドフォースを原動力にすることもできるのだけど、それでは成すべきことを自分で定めたとは言えないから、賢い選択をするべきである。

その際②賢さとは何かを探求する②’認知科学が大いに役立った。認知科学は身体化という観点からもリハビリの効果を上げてくれている。

認知科学によって脳卒中と退任による無職という最悪の状態で何を成すべきか考えることが出来たまさにそれこそが賢さである。またそれは苦境においてダークサイドフォースに身を委ねないという③我慢・自制心(拗ねない恨まない妬まない心)にも繋がった。

以上をまとめると、僕にとって脳卒中に無職という最悪の出来事を最高にする考え方と行動とは、①自立心(困難から学び乗り越えようとする心①’自己肯定感①’’紐帯①’’’ソーシャル・サポート)②賢さ (賢くあろうとする心認知科学)③我慢(拗ねない恨まない妬まない)3つであった(現在進行系であるが)のだ。そしてこれは最高の人生を送る方法でもあるのではないだろうか。




2023年4月10日月曜日

イノベーションの真実

 iphoneを発表したときのスティーブ・ジョブズのプレゼンはプレゼンの手本としてもイノベーションとは何かを理解するための教材としても優れたものだ。

ジョブズは卓越したクリエイターや発明家というわけではなかったことを自ら告白しているのだ。

彼はそれまでに発想し実現したアイテムと市場にある既製品の課題点を統合したところに電話の再発明という結論とその要件を定義したのだ。要するにイノベーションは思いつきじゃないということ、である。経験を積み上げたところに生み出されたiphoneはまさに世界を一変させてしまったよね、まさにイノベーションであった。ソニーウォークマンの誕生秘話もそれなりに目からうろこだけど、iphoneのイノベーションには遠く及ばない、iphoneが変えてしまったものを挙げたらもう、キリがないからね。デイケアに通う高齢者、ウォークマンを持参する方は居ないけど、最新のiphoneをお持ちの方はいらっしゃる、スタッフの皆さんにとってiphoneは業務でも欠かせない必需品だし、その普及と影響の大きさは計り知れないものがある。iphoneはまさにザイノベーションなのである。



2023年4月9日日曜日

「競合し合う行動のコレクション」という生き物

 ブルックス(1991, p.143)は人工的な生き物を作るにあたって四つの必要条件を挙げている。 生き物は、動的な環境の変化に対して適切かつ適時に対処しなければならない。 生き物は、環境に対してロバストであるべきである……。 生き物は、複数の目標を維持可能であるべきである……。 生き物は、世界の中で何かをなすべきである。つまり、何か存在目的をもつべきである。  ブルックスの作る「生き物」は、個々の活動を生み出すサブシステムがいくつか集まってできている。このサブシステムを「層」と言う。この層は、入力を明示的なシンボルによってコード化したり、あるいは入力をコード化しなおして別の層に伝えたりはしない。そうではなくそれぞれの層が、それ自体で入力から行為までの経路を完備しており、個別の層のあいだでの「コミュニケーション」はちょっとしたシグナルの受け渡しに限定されている。ある層が別の層に対してできるのは、その活動を促進・妨害・無効化することである。このようにしてできる機構をブルックスは「包摂アーキテクチャ」と呼んでいる(なぜなら、層はもう一つ別の層の活動を包摂することはできるが、それ以上の詳細なコミュニケーションはとれないからである)。  すると三つの層から生き物と呼べるものが作れる(Brooks 1991, p.156)。 この方法の重要な特徴は、層を一つずつ積み上げていくことができる点である。層を加えていっても、いつも全体で一つの生き物として機能する。注意すべきは、こうした生き物は、データの中央貯蔵庫や、中央計画器あるいは中央推論器に頼っていないということである。その代わりとしてあるのは、「競合しあう行動のコレクション」であり、それが環境からの入力によって統制されている。知覚と認知のはっきりした線引きはない。知覚入力をどこかの点で中央集権的コードに変換し、さまざまなオンボードの推論装置で共有することもしていない。このような、単一目的の問題解決器が複数あって、それが環境からの入力と比較的単純な内部シグナルによって統制されているというイメージは、神経科学的にもっともらしいモデルであり、それはもっと高度な脳についても同様である。以上アンディ・クラーク現れる存在より。

ブルックスのこの指摘は多層的な自己がどのように一体化されているのかという問いに示唆を与えてくれる。脳の構造で言えば本能や自律を司る古い脳と高度な社会性を実現する新しい脳の層があることが知られている、概念的に私達の行動は本能的な無意識のものから、価値観や学習による意識的なものなど、層別に捉えると理解しやすくなる例えば私達は本能の赴くままに行動するわけじゃない。社会的な規範に則って本能行動を自制することができるのだ。この多層的自己の一番重要なところは矛盾や葛藤を抱きながらでも私達は自己というアイデンティティを保持するということだろうそして時には本能的に時には理性的に振る舞ってしなやかに生きているのだ。

脳の層別
意識と行動の層別


2023年4月8日土曜日

朝の寝床争奪戦。幸せな朝

 脳サバとうちゃんの目覚めはお腹の張りとともにやってくる。ほんとうはもっとゆっくりねていたいのだけど、自然の呼び声だから仕方ないよね。

むしろちゃんとお腹が動いてくれている証拠だから感謝なのである。

朝のトイレと言えばルイちゃんも朝起きるとトイレに行く。これも毎朝の安定したリズム、元気なお腹に感謝感謝である。

でも、脳サバとうちゃんがトイレから戻るとルイちゃんはだいたい父ちゃんの寝床を占領している、で、仕方なく父ちゃんがソファーに座ってブログを書いていると隣に来て寝てる



なんでやねんきっと父ちゃんの温もりが心地いいんだろうね。窓を開けると気持ちいい朝の空気が二人に流れてくる。朝日もさしてきた。





嗚呼、幸せだぁ。


2023年4月7日金曜日

月が昇る夜だから

午前中の曇り空が嘘のように晴れて午後からは青空がのぞいてきた
昼過ぎ夜の満月撮影に備えてカメラの選択と調整を行っていた僕は望遠ズームの焦点を合わせるテストで何枚か意味なく写真を撮っていた。夕方になると空はほぼ青空。満月劇場の幕開けを期待させるには充分なコンディションだ
そして、夕飯を終えて窓から外を眺めると満月が昇ってきたその場所はまさに僕が昼過ぎに試し撮りをした位置だ。準備万端いつもと違うカメラのせいでちょっと撮影に迷うけど、即興で設定を変えて月に癒やされながら撮影続行、脳サバとうちゃん部屋に居ながら大自然のスペクタルと戯れた夜となった。


昼間のピント合わせテスト

ほぼ青空

昇る月


どんどん昇る

ようこそ満月劇場へ、さあ開演です。

見事な満月

素敵な満月

月明かりに癒やされます

2023年4月6日木曜日

自立と適応ということ

 新社会人が巷にあふれるこの時期、彼等彼女等が取り組むのが自立と適応だ。

自立とは自分の力で目的を達成することである。文字通りで言えば自分で立つことだからね。

介助や補助といった他人の力を借りずに立つことを意味するしかし社会人に求められる自立はもう少し高度で自由意志(成すべきことを定め実行する能力)のもとでの自立である。

自分で、適切な目的(成すべきこと)を持つことも求められるのだ。そこで生まれるのが適切とは何かという問いである。

目的を達する仕組みを遂行という僕たちの脳が備えている、3つの基本でありかつ重要なモジュールの1つある。他者との諸関係というホリスティックな関係性の中に存在する社会人は、自由意志の最適化という要請も受けることになる。

つまり自分がやりたいだけでなく他者の尊厳(自由意志)を尊重してそれらが最適に配されるように自立しなければならないのである。これを言い方を変えると社会に適応するということだ。

同調圧力に従うことが適応ではなく、自由意志の最適化において自立することが適応なのである。そのためには、新社会人は「あなたは何者か」「あなたはどこから来たのか」「あなたはどこに行くのか」という問いに答えられなければならない、少し考えればわかることだけど、これ新社会人になる直前の儀式、就活で問われ続けることなんだよね、だから就活を越えてきた新社会人は誰もが答えられるはずなんだけど、ときに自分を欺いているから答えに窮し入社した会社に適応出来ずにやれブラックだ、やれぬるいとか言って早期離職していくのだろう。

何事も経験しなくちゃわからないという真理もあるけれど、自立出来ていなかった自分を欺いているから言い訳が必要になるのだよね。

僕たちに必要なのは、今年の新社会人はchatGPT型であるなんてくだらないラベル貼りじゃなく社会をより良く変えていく社会の仲間真の社会人をふやすことではないだろうか




2023年4月5日水曜日

脳卒中という困難を乗り越えるために必要な事

NHKBSであの大ヒット朝ドラあまちゃんの再放送がはじまった。 過去の人気ドラマと言うだけじゃなく脳サバとうちゃんにとっては意味深い再放送なのである

というのも、今日の放送では早速塩見三省さんが登場されていた、

僕が脳卒中に(右被殻下出血)になったとき僕は2つの困難に直面していた。

1つは脳卒中という大ピンチを僕の人生にどう位置づけていくのかの困難さであり、もう1つは脳卒中により負った半麻痺という障害の困難さである。

2つ目の困難は1つ目の困難に包含されるものであるが質的にはちょっと違っているように思える1つ目の困難を乗り越えるうえで大きく役立ったのが小児脳科学者成田奈緒子さと山中伸弥さんの対談本、であり、障害を克服して活躍する7本指のピアニスト西川悟平さんの記事であり、脳疾患の仲間?先達?である西川史子さん、星野源さんそして塩見三省さんのエッセイなのであった。成田さんの言う通り困難を乗り越えるために必要な3つの柱自己肯定感、社会性、ソーシャルサポートの中で、自己肯定感に関しては大ピンチに陥っている現状の自分をどう肯定するのかが鍵であった。まあ元々自己効力感が気持ち悪いほど高かったことも良かったのだけど、大ピンチだからこそ気付けることがあるという、皆さんの指摘は脳疾患で倒れた自分をそれでもいいのだと肯定する手助けになったからだ。大病に直面すると、多くは戸惑い嘆きいらつき誰かのせいにしたりして困難に直面した自分自身をできるだけ観ないようにしたがる。でも、星野源さんも塩見三省さんも西川悟平さんも、決して窮した自分から逃げ出すことなく自分に向き合っていた。自分から逃げ出さないということがまさに自己肯定感の現れなのである、

西川悟平さんの記事などを読んで脳サバとうちゃんが思ったことは、この脳卒中という大ピンチから学べることがあるはずだと考えるようになった、

学ぶという行為はとても主体的であり、自己を肯定した状態だ。

そして急性期で安静状態にあり、高次脳機能にも脳卒中の影響が出て、文章は誤字脱字を超えて意味不明のボロボロ状態のなかでも、僕はブログの再開を決断したのである。


成田奈緒子さんは対談の中で自己肯定感を高めるのが一番困難であると述べていらっしゃるけど、僕の経験からは自己肯定感を高めるには似たような状況の中で自己肯定感の高い人からコピーするのが良さそうだ。

だから僕にとっては塩見三省さんのご活躍が拝見出来るあまちゃんは特別な意味があるのだ






2023年4月4日火曜日

戦争を知らずに僕らは育って戦争を知らずに僕らは死んでいく。

昨晩は 坂本龍一さんが亡くなって急遽wowwowで戦場のメリークリスマスを放映していた若き日の坂本龍一さん、デビッド・ボウイさん、北野武さん等を観るに諸行無常の念を強く感じるがこの映画が描き出した太平洋戦争の現実を想うにそんな感傷に浸っていて良いものなのか疑問が湧いている。もちろんこの映画自体はフィクションだろうけど、設定されている太平洋戦争という状況と太平洋戦争における日本軍の行いに関しては消し去ることの出来ない事実があるのだからね。要するに僕たちは常に時代とともに過去の文脈の中で生き老けそして死んでいくのだ、僕たち自身も変わりゆくけど時代も過去の文脈も刻一刻と変化していくそして、僕の坂本龍一さんの記憶も薄れて消えていくのだやはり諸行無常だ。でもそれは虚しさではなく摂理なのである。映画に本に記述された過去は情報として永遠の存在になる実態を知らずに諸行無常な僕たちと永遠に遺される情報とのギャップは広がっていくばかりなのである。そんな身体知と現実の乖離を想う夜になった「メリークリスマスミスターローレンス。



2023年4月3日月曜日

プライオリティ

 僕たちの日常には選択が溢れている日常は変化に満ちているからこれが正解というようなものは殆どない。絶えず襲ってくる選択の嵐の中で何をどう選択するかはより良く生きるうえで重要なテーマである。しかし選択の順番を決めることも賢さの現れである。この優先順位を決めるという選択を良くプライオリティと表現する。

例えば最近話題の昆虫食。事情はわかるし色々な思惑も見え隠れする。しかし食の問題だと捉えればプライオリティは昆虫食推進よりもフードロスの解消や、余剰生乳の廃棄問題解決であることは間違いないと僕は思う、多くの人が違和感を感じるのはきっとこのプライオリティの不整合ではないだろうか。僕にこの大きな社会問題を一気に解決する力は無いけれど身の回りで出来ることを探せば無いわけでもない、毎日牛乳を飲めばいいのだ、消費すれば廃棄ロスということにならずに済む。食費はふえるけど、脳サバの後遺症がある身体でも簡単に世の役に立つこともあるのだ。




2023年4月2日日曜日

片麻痺だって料理は作れる今日を丁寧に生きるということ

完成形美味しそうでしょ〜


こちらは調理動画


脳サバとうちゃん脳出血で左手の主たる機能は無くしたけど、生命あるかぎり、日々を丁寧に生きていこうと決めている

だから妻が不在の日でもインスタントとかの食品でなく無理しない範囲で料理を作るのだ。

食べることを丁寧にするだけで丁寧に生きていることが実感できるだから食には拘ったほうが良い。まあ生活全体のバランスがあるからたとえ食事がデイケアの弁当でも脳サバとうちゃんは愚痴らないけどね。そのかわり日々つけているの食事の記録での評価点は最低点をつけて憂さ晴らしをする。それも丁寧に生きるということだ。

片手だって料理は出来る機能の挑戦は鶏肉のトマト煮だ、実はこのメニューは2回めの挑戦、前回は思ったように出来なかったそこで今回は前回の失敗を踏まえてのチャレンジである今回は妻に皮付きの鶏もも肉1枚を買ってきてもらってじっくり20分ソテーしそれからトマトソースで煮込むことにした前回は肉に火を通すために煮込みに時間をかけてソースの水分が飛んでしまったからね。小型の無水フライパンに塩コショウした鶏もも肉を入れて水を入れた小鍋を重しにしてじっくりと火を通す出来上がりはもうそれだけでも美味しそう鶏皮はカリカリで肉はジューシー。でも今回のゴールはここじゃない、鶏皮から油が出て溜まったフライパンにニンニクと唐辛子を入れて鳥油に風味をつける。機能は入れなかったけどしめじとかピーマンとかを炒めてもいいかもね。そこにトマトソース(ここは合理的に市販のトマト煮用ソースを利用した)と若干の水を入れてスープを準備しソテーした肉を入れてあとは煮込むのみ、煮込み時間はショートパスタの湯で時間12分を目安とした。結果は今回は水分が飛びすぎることもなくたいへん美味しくできましたとさ。食後僕は満腹感と丁寧に昨日を生きた満足感に浸ったのである。昨日の夕飯は50点が基準の評価で200点故に星4つです。ちなみにデイケア弁当は概ね30点星1つ以下だ。




2023年4月1日土曜日

異次元の少子化対策4つの提言

 2040年には日本は都市部も地方も少子化によってとんでもない事態に陥るという予測が出ているらしい。人口動態は未来を確実に見通せる統計予測だ日本に限らず先進国において少子化は地球温暖化や核の脅威にも匹敵する大問題なのだ。それに対して口だけのキャッチコピー総理岸田斡由首相は異次元の少子化対策と言ったしかしその実態はまったく不明で次元が異なるとかキャッチを変えてきたまあ首相がが変わっても日本が変わることも直面した問題の解決が見えるなんてことはない。社会はそんなに弱くない極めてロバストな関係性なのだ。では異次元の少子化対策ってどんなものかと言えば実はその姿はもう示されているのだ以下一部ネタバレあり

①インターステラ型荒廃する地球から人類がその存亡をかけて惑星移住に挑むといったもの居住の際大量の受精卵を持ち込んで人口爆発を起こさせる計画だ

②マトリックス型情報ネットワークの急速な進化のなかで人類はその仮想空間の中に取り込まれて存在していくというもの

③ワンダーウーマン型女性だけの社会どうせ近未来遺伝子的にx染色体優位でy染色体は消滅すると言われている

いずれもSF映画での提言だがこれこそまさに異次元の少子化対策であることは間違いない。各種手当ての増額や保育園など子育て環境の改善は今までと何ら変わりがない対策だ

異次元と言うなら細胞分裂レベルでの工業化とか意識のアップロードによる人類の非身体化とかに踏み込むしかない。もしくはせめてポルノ解禁とか生命倫理の問題にも社会通念の破壊といった議論に踏み込むべきではないだろうか。もちろん岸田斡由にそんな覚悟は無い。むしろそれはリーダーの仕事じゃなく社会を構成する一人ひとりの意識の問題なのかもしれない

そうでなければ結局僕たちは茹でガエルがごとく確実に到来する未来に何も打つ手が無く茹だっていくのだ。

もちろん婚姻出産更には身体という実態に依らない社会を受け入れられたとしてもそれを望むかはまた別問題だ、そもそもアベンジャーズ/インフィニティ・ウォーで描かれたように人類はすでに過剰なのだから④減ったほうが良いのだというサノスの考え方もあるだろう。

僕はリーダーの役目は世の中を変化させることじゃなく変化のきっかけを創発することじゃないかと考える

そういう観点で考えれば世の中の情報リソースを最大限持っているのが首相だ、発想力のある首相が決して世の中を良くするわけじゃないことは鳩山元首相が証明した、僕たちが待っているのはぼくたちが自身で創発をおこせるきっかけをくれるリーダーなんだよね。僕たちは思いついたことをすべてやるわけじゃない。それが自制心だ。

しかし思いつくことをやめてはいけないのだ。リスキリングなんていう工業化社会の人間観はとっとと捨てた方がいい。

僕たちはいつまで工場の一部なのか