2019年4月30日火曜日

仲間意識で依存することなかれ

僕は、「同じ時に同じ悩みを持つ人」を同僚、「同じ悩みを分かち合う人」を仲間と考える。

似ているけど、うんと異なる。

例えば、口をきいてくれない、無視をする、のけ者にする、誘わない。

「仲間外れ」は「いじめ」の定番といえるかもしれない。

さて、「いじめ」でなくても「仲間外れ」は相手にかなり嫌な想いをさせる。

無意識であってもね。

僕も「仲間外れ」にされるのは大の苦手だ。

多感な頃は結構、傷ついたものだ。

その後、経験により傷つかない術を身につけた。

それは仲間意識を持たないことだね。

そもそも仲間意識というのは下手をすると相手に依存する関係性だ。

たまたま、同じ時期に同じ場所で過ごす。

だから同じ悩みを持っているけど、ただそれだけで、分かち合っているわけではない人々は少なくない。

だから、それに依存する自らの心に気づき、依存しない関係を自覚することは大切だ。

そうすると、誘われなかったことも全く気にならなくなる。

依存されて嬉しい人や、仲間外れの経験をもつ人にしたなんだか寂しい思いがするかもしれないけどそれも依存といえるだろう。

もし気になったらは、その時に自分の依存心に気づくことができる。


要するに、仲間、と仲間意識は違うものなのだ。

で、ね。どう違うかと言えば、同じ目的で互いに信頼し合うのが仲間なら、その前提を軽んじて悩みがあれば仲間と考えてしまうのが仲間意識だね。

そう思うと仲間の姿が見えてくるのかもしれない。


仲間はだーれだ




2019年4月29日月曜日

ありがとう平成、さあ来い令和

平成最後の昭和の日。

あと、2日すると新元号が始まる。

昭和は僕にとって、生まれた元号であり、30歳直前までの青春を過ごした、最も馴染みのある時代だ。

僕を育んでくれた環境は、最後の輝きを放って僕の未来を祝福してくれていたように思える。

昭和はまさに僕を育んだ時代だったね。

そして、父親の死去と共に平成が幕を開けた。

僕の周りの環境は急激に変化し、今まで見たことも聞いたこともないような事件や災害が2000年ミレニアムの到来と共に訪れた。

公私共に色々な出来事があって、昭和をリセットするかのよう、平成はまさに波乱の幕開けだった。

その中で、僕は、それまで抗ってきたものを受け入れ、新しい経験を一つ一つ積み重ねる。

ひょっとしたら初めて、自ら覚悟と主体性を持って学び成長した時代だ。

その経験から言おう。

人は、いつでもどの時代でも学び成長することができる。

時代が変わり、今までのモノやコトが静かに消えて行き、知らないモノやコトが溢れたとしても、覚悟を持って向き合えば学びと成長は歳に関係なくそこから始まるのだ。


出発進行!



2019年4月28日日曜日

実は分断されていない日々

ゴールデンウィーク真っ最中だけど、日曜日なので、先週を振り返って見よう。

タイトルと結びの一文は以下のようであった。

(月)対面の効果
で、ね。対面の効果は電導でなく波導であることが「因」なのかもしれないね。

(火)「面倒くさい」のはなぜなのだろうか
こういうサイクルが1つでも増えていくと、世の中が成長していくのかもしれないね。

(水)早期離職ケセラセラ?
たとえそれが解決困難な課題であっても。

(木)濃い1日の中で気づくのは応えることの楽しさ
そんな気づきにもきっと意味があるのでしょう。

(金)ビッグデータ時代に情報について考える
でもそれは、情報の多寡ではなく、情報の質なのかもしれない。

(土)サーバント化する社会の理由とは
しかしながら、自分たちが作った情報システムを最も理解するのは、その情報システムの中で育った人たちだなんて、なんだか皮肉に思えるね。


これらのキーワードで文章を作ってみよう。

僕たちは、誰かとの対話や答えが見つからない素朴な問いに向き合い、進化する時代の中で役割を変えながらそれぞれの成長を遂げ支えていく。

こうしてみると、異なるテーマで分断され、慌ただしいだけの日々と思っていたけど、「対話」「素朴な問い」「自分と向き合う」「役割」と僕が成長するために必要なことを考える1週間になっていたらしい。


空に道





2019年4月27日土曜日

サーバント化する社会の理由とは

世の中では色々な転換が起きているよね。

たとえば、「サーバントリーダー」のように奉仕をしてから導く、といったように、リーダーなのに導くことから始まるのではなない。

確かに、身近なリーダーを見ているとまず、奉仕している。

苦悩しながらね。

どうやらそれが今の当たり前らしい。

なぜ、そうなるのか。

これまでは情報や戦略は立場が上になるほど豊富だった。

だけど、今、情報リテラシーは若年層ほど高い。

ゼネレーションZは、ビッグデータが当たり前の世代だものね。

つまり、今起きている転換は、「そうすべき」じゃなくて「そうなる」ものなのかもしれない。

実は、この転換、今に始まったことじゃないだろう。

セブンイレブンの鈴木敏夫さんが事業を成長させた時、すでに実証されている。

しかしながら、自分たちが作った情報システムを最も理解するのは、その情報システムの中で育った人たちだなんて、なんだか皮肉に思えるね。


ウルトラマンは次の世代から



ビッグデータ時代に情報について考える

紙面に比べて、パソコンの画面はスピーディーに文章を読めるけど、しっかりと読むには不向きだと感じることが少なくない。

確か、どこかが調査結果では紙に対して6〜7割くらいの理解となるらしい。

その理由がどこにあるのか、僕は知らないけど、ひょっとしたら慣れの問題で、紙文化に浸ってきた世代の特性なのかもしれない。

さて、紙であっても画面であっても、読むためには目を使う。

目は情報の入り口で、人が瞬間に得る情報のおよそ8割が視覚情報と言われる。

それだけ目は果たす役割が大きい。

一方で、ご多聞に漏れず目も衰えてくる。

そうなると、情報も認識率も掛け合わせで落ちてくるので勘に頼るようになる。

日常生活に不便がないよう、足りない情報を脳が埋め合わせてくれるのだろう。

暗闇で感覚が冴える経験は誰にでもあるよね。


新しい情報を元に僕たちは変化、成長する。

でもそれは、情報の多寡ではなく、情報の質なのかもしれない。


いよいよ突入



2019年4月25日木曜日

濃い1日の中で気づくのは応えることの楽しさ

今日も濃い1日だった。

色んな仕事をしたし、それぞれの仕事で色々な頭の使い方をしたからね。

一番楽しかったのは、仕事の終い間際に行っていたプロファイリングだ。

データから会った事のない人を理解して言葉にする。

もちろん、決めつけは厳禁だ。

一方、一番辛かったのは、人の仕事を理解する仕事だ。

人ではなく、人が決めたことを理解して応じることは無味乾燥で味気ない。

なぜ、とか、どうして、に応えてくれないからね。

そう、応える側は楽しくて、応えてもらえない側は辛い。

そんな気づきにもきっと意味があるのでしょう。


ご褒美

2019年4月24日水曜日

早期離職ケセラセラ?

僕は、早期離職を「事業の未来に貢献する前に退職すること」と考えている。

その分かりやすい例が、新卒・中途の入社2年目、3年目での離職なのだけど、例えば、2年間の在籍でも事業の未来に貢献していれば、それは、卒業であって早期離職ではない。

さて、「事業の未来に貢献する」とは何かと言うと、持続的成長にどのくらい寄与するかだろう。

デビッド・ウルリッチの「人材経営部門」で考えると、人材戦略のキーパーソンで、組織の駒ではない。

そう言う人材の大切さを人一倍知っているのは、経営者と現場マネジャーかもしれない。

経営者は、会社の屋台骨となる人材、事業を継承する人材を常に欲しているし、現場マネジャーは目標を達成すること、および、自身の人材マネジメントの結果だからね。

それ以外の人は、辞める人の理由を客観的に受け止める。

「うちの会社では、キャリアパスが無いからね」
「あっちの方が給与が良いからね」
「本人が決めることだから」

といった感じにね。

僕は、個人の観点では、転職は成長に繋がる経験だからした方が良いのだけど、経営者の観点では事業の未来を描くために転職をどう防ぎぐのかと葛藤がある。

で、ね。「離職は本人が決めることだからケセラセラ」なのではなく、ステップバイステップで課題を解決する必要があるよね。

たとえそれが解決困難な課題であっても。


ぴょーん



2019年4月23日火曜日

「面倒くさい」のはなぜなのだろうか

色々あった一日だった。

軽い衝突から始まり、修復と連携するサイクルが、異なる場面、人と延々と続いたからね。

まあ、ほんとうによく続いたものだ。

特に、最後の役員合同MTGは象徴的だったね。

でも、そんな1日の中で僕が一番印象に残っているのは、たまたま、一緒にお弁当を食べていた若手社員との対話だった。

その若手君、この10連休の予定が1日しか決まっていないです、と語る。

『ああ、予定が詰まっていることに意味があるのね』

僕はそう思う。

そして、彼がこの10連休でやりたいことを教えてくれたのが、「なぜ、面倒くさいと思うのか」を研究したいのだそうだ。

『面倒くさいと思うことへの潜在的な罪悪感があるのかも』

僕は次にそう思った。

経済学を学ぶ人の「旧約聖書」みたいな本に、マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」があるのだけど、どこから来るのかよくわからない倫理観によって今日の僕たちがあるのかもしれない。

そうすると、きょうの若手君の問いは、それ自体が僕たちの未来の礎となるものだ。

そう思うと『感動した!』のだよ。

若手君は自分なりに色々調べていて、「身近なことで問いを起こす」「調べる」「さらなる問いを起こす」と学習サイクルに突入している。

こういうサイクルが1つでも増えていくと、世の中が成長していくのかもしれないね。


歩くのが面倒くさいひと?



2019年4月22日月曜日

対面の効果

今日、2つのWEB会議があった。

最近になるまでWEB会議をほとんど経験して来なかったせいもあってか、なかなか慣れない。

特に回線の状況で音が悪くなるとストレスが高くなる。

どうしても聞き取る、あるいは聞き取ってもらうことに注力するので、ほんとうに大切なことが伝わってきた、あるいは伝えられたという実感も薄い。

音声が非常に良ければ電話みたいなものかもしれないけど、WEB会議の利点は、音声通信だけでなく、画面を共有することが出来ることなので、通信環境への要求水準は低くないのだろう。

さて、WEB会議を行うと対面で行う会議の良さもわかってくる。

WEB会議が「目的的」だとしたら、対面の会議は「空気的」といえるかもしれない。

「空気」を通じて伝わるものが少なくないから。

で、ね。対面の効果は電導でなく波導であることが「因」なのかもしれないね。


波動でね





2019年4月21日日曜日

良い教訓を引き出せたのかもしれない

さて、先週1週間のブログ振り返りをしてみよう。

タイトルと結びの一文は以下の通り。

(月)さて、お風呂に入りませう
さ、お風呂にはいって寝ましょう。

(火)今日は楽しい一日だったよ
で、ね。僕たちは僕たちらしく生きているのだけど、いろんな圧力を受けながら、なんだよね。

(水)変化には意味がある
少し専門的な言葉にすれば、「発達的知能感」となるのだけど、暑くなったり寒くなったり変動する気候にも関わらず、僕たちが強く生きて行けるのは、「そもそも」じゃなくて「こうしましょう」という成長のおかげだよね。

(木)大学教授の3つの顔
欲を言えば3つを全部見てみたいなぁ。

(金)また神戸に行きたいな
神戸大学から見るほぼ満月や神戸の街明かりはとても素敵でした。

(土)経験者のどうだ予測と未経験者の憂鬱
で、ね。僕たちは一緒に学び続ける謙虚な経験者をリーダーと呼ぶのかもしれないね。

先週は、「きょうのわんこ」の取材とAPO研で神戸大学金井教授を前にして仕事の取り組みを話すという2つの楽しいイベントがあった。

だから、ウキウキした感じが全体に漂っている。

そして、楽しい出来事からもちゃんと教訓を引き出せていたみたいだ。

ウキウキ→仕事の圧力→発表整理→顔の使い分け→疲労困憊→要するに、そしてそれらの振り返りという感じ。

来週はそんなに楽しいことが詰まっている1週間ではなさそうだけど、良い教訓を引き出したいな。


また明日


2019年4月20日土曜日

経験者のどうだ予測と未経験者の憂鬱

僕たちの周囲には経験者という先達がたくさんいる。

僕もその一人だ。

たくさんいるから「船頭多くして船山に上る」的なことになると、ついていく未経験者は大変だ。

本当の先達は誰なのか、未経験者にはわからないからね。

さて、経験者といっても、状況は常に変化しているから、本当は未経験者だ、

つまり、ある範囲では予測が出来る未経験者ということなのだ。

経験者でも謙虚な人はそれを自覚しているけど、時に横暴になると未経験者を見下してしまうよね。

未経験者は、経験を通じて一生懸命学ぼうとするけど、見下す経験者は、経験を繰り返しと考え学びでなく教えを施そうとする。

で、ね。僕たちは一緒に学び続ける謙虚な経験者をリーダーと呼ぶのかもしれないね。


見下すお山の大将か、謙虚に学び続けるリーダーか

2019年4月19日金曜日

また神戸に行きたいな

神戸大学から見るほぼ満月や神戸の街明かりはとても素敵でした。





2019年4月18日木曜日

大学教授の3つの顔

今日は、夜に神戸大学に居た。

APO研究会で話す機会を頂いたのだ。

大御所である金井先生の前で話すことにちょっと緊張したけど、とてもフランクな雰囲気だったので楽しく話すことができた。

今の仕事をして、多くの教授と接点を持つことが出来たが、それ以前は、教授と言えば大学在学時のゼミの教授だったね。

さて、僕の経験から言うと、教授には、研究者として、教育者として、そしてよき隣人としての3つの顔がある。

言い方を替えると、飽くなき探求、後進の先導、楽しい仲間、だね。

今日の金井先生は、3つ目の顔だったのかもしれない。

もちろん、ただ楽しいだけではないけどね。

欲を言えば3つを全部見てみたいなぁ。


いえーい





変化には意味がある

僕たちの”今”を正しく語ることは難しい。

僕たちが認識している”今”は僕たちの認識に掛かっている、つまり主観的なことで客観的ではないからね。

一方で、僕たちの変化は、主観的ではない客観的な情報だ。

僕が思うに、最も信頼できて、そして需要なのは、「僕たちの今」でなく、「僕たちの変化」つまり「僕たちの成長」だ。

少し専門的な言葉にすれば、「発達的知能感」となるのだけど、暑くなったり寒くなったり変動する気候にも関わらず、僕たちが強く生きて行けるのは、「そもそも」じゃなくて「こうしましょう」という成長のおかげだよね。


成長しよう、そうしよう

2019年4月16日火曜日

今日は楽しい一日だったよ

いつもと同じ日が日常なら、僕の今日は非日常だった。

僕の家にテレビの取材が来たからね。

しかもそれは僕の取材ではなく、僕の犬、ルイの取材だったのだ。

先代犬ルークを亡くし、悲しみの中で出会ったルイは僕の家の光みたいな存在で、その仕草が可愛いので番組のコーナーに応募した。

そして、偶然にもそれが目に留まったようだ。

さて、僕と僕の家人は人を観る、あるいは診る機会がおそらく普通の人よりも多い。

だから、ルイのことが気になりつつも、テレビ番組のスタッフの方々を観ていた。

そこには観ている僕たちのいろんな感情も交差するのだけど、結局、皆、一生懸命、誠実に生きているのだな、ということだ。

もちろん、上手くやる方法はある。

それはきっと本人も知っているのではないだろうか。

で、ね。僕たちは僕たちらしく生きているのだけど、いろんな圧力を受けながら、なんだよね。


お疲れ様でつた



2019年4月15日月曜日

さて、お風呂に入りませう

大一番を前にして、多くの人は何を準備するのだろうか。

僕がパターンを考えるに、

  1. 直前まで復習や練習をする
  2. 音楽などを聴いて心を落ち着ける
  3. 坐禅を組む
  4. ストレスに任せて食べる、お酒を飲む
  5. 開き直ってどんと構える
などだろうか。

どれか1つとは限らず、色々と組み合わせるかもしれない。

僕がどうかといえば、さっと一通り流しの練習をしてお酒は飲まずに早く寝る、といったところかな。

さ、お風呂にはいって寝ましょう。


いい湯だな





2019年4月14日日曜日

散漫な日々をどう変えようか

先週1週間のブログ、そのタイトルと結びは以下の通りだった。

(月)「なんとなく」気になることで始まる行動、その「因」を探れ
このようにどんな行動にも行動を引き起こす些細で関係性のよく見えない「因」が潜んでいる、僕はそう思うよ。

(火)サクラチル また来年!
さあ、来年に向けて一歩、踏み出そう。

(水)起業は学んでするものではないのかもしれない
要するに朱鷺や少子高齢化と一緒で、そもそも社会に起業家の母数が少ないので新たな起業家が生まれないといった、同じ構図が起業にもあるのかもしれないね。

(木)部分と全体を考え感じた1日
この行ったり来たりしながらスパイラルアップすることで僕たちはより高い視座を得るのかもしれない。

(金)熟達者をディスるプライド高き効力感
一方、プライド高き効力感には謙虚さと他者への信頼が欠かせないのです。

(土)美学?哲学?それともアイデンティティー?
自分の美学、自分の哲学、そして自分というアイデンティティーを持ってね。

一言で表すと、原因→季節→鎮静→視座→卑下→自己かな。

学習が進んだ1週間というより、思考があちらこちら散漫だった。

理由はなんとなくわかる。

そう、毎日が散漫そのものだったのだ。

散漫になるのは、一つ一つを分断していたからかもしれない。

今週は、日々の文脈を考えてみたいけど、はてさて、どうなる事やら。


今週のビッグイベント、1つはこれ



2019年4月13日土曜日

美学?哲学?それともアイデンティティー?

土曜日の夜、体調と明日以降のことも考え、学びの場に出向くのを止めて家でぼーっとしている。

サッカーを観ながらふと考えたのがカズこと三浦和良選手だ。

三浦選手は今年、52歳の現役バリバリのサッカープレイヤーである。

サッカーのように運動量が多いスポーツでありながら、52歳で現役なんて考えられないくらいすごいことだよね。

そういえば、先日現役引退したイチローさんもすごかった。記録もそうだけど、引退会見で、いずれ記録は破られるけど試合に出場できない乍らトレーニングを積み続けた自分を誰も真似できないと受け応え、さらにはまたしても国民栄誉賞を断った。

二人とも、最近はかつてのようなプレーを見ることはできないけど、それでも現役に拘る姿勢はどこから来るのだろうか。


スポーツに限らず、生涯現役を公言する人は少なくないと思う。

それは生き物にとって生き続けることの「美学」でもあるのだろう。

僕もそんなことを言っている。

一方で、生涯現役を貫く人は非常にそれほど多くないかもしれない。

イチローさんが国民栄誉賞を辞退する理由は知らないけど、生き続ける限り鍛錬を積み、表彰は受けないと考えているのであれば「哲学」的だと感るね。

でも、ひょっとしたら三浦選手にしてもイチローさんにしても他者に真似できない自分の姿という「アイデンティティー」なのだろうか。

で、ね。「美学」であっても「哲学」であっても「アイデンティティー」であっても、他人は他人で自分は自分の道を行けば良いのだと思います。

自分の美学、自分の哲学、そして自分というアイデンティティーを持ってね。


これは美学?哲学?アイデンティティー?






2019年4月12日金曜日

熟達者をディスるプライド高き効力感

僕は仕事で「あ、この人はすごいな」と思う人が少なからずいる。

頭の回転がとんでもなく早かったり、尋常でない行動力を持っていたり、とね。

そういう「すごい人」の中にめちゃくちゃ熟達している人がいる。

その人は、自分固有のやり方かもしれないけど、素晴らしいアウトプットを出す。

でも、「自分固有」で「素晴らしいアウトプット」を蔑む人たちがいる。

その人たちは、自分は誰よりも素晴らしいアウトプットを出せると信じている。

それは、それで大事なのだけど、下手をすると、熟達者の「自分固有」をディスる。

特に、一緒に仕事をした経験が無いと頭ごなしに「自分固有」を否定するよね。

熟達者に求められるのは、「自分固有」を「皆の標準」にすることであり、「素晴らしいアウトプット」を出す後継者を育てることでしょう。

一方、プライド高き効力感には謙虚さと他者への信頼が欠かせないのです。


ももの季節だねぇ

2019年4月11日木曜日

部分と全体を考え感じた1日

今日一日、仕事でいろんな人といろんな話をした。

その中で共通していたことは、「部分と全体」だったように思える。

部分では足りず、全体を見なければならない。

しかしながら、全体を見るだけでなく部分を仕上げなくてはならない。

全体が見ることが出来なければ部分を見るしかなくなるのだけど、そこでどう全体を見ながら部分を進めるのかが、仕事のパフォーマンスを決めるのだろうね。

でも実はそれは仕事だけじゃなく、僕たちの成長に大きく関わっていることなのでしょう。

自分の姿を客観的に見つめながらも、目の前のことに意味を見出して全力で向き合う。

その後にまた自分の姿を客観的に見つめるのだ。

この行ったり来たりしながらスパイラルアップすることで僕たちはより高い視座を得るのかもしれない。


飛び回ったよ


2019年4月10日水曜日

起業は学んでするものではないのかもしれない

起業家を育てる学校なのに、起業する人が極めてまれ。

冗談みたいな話だけど、日本はそうらしい。

起業家を育てる学校に、大手企業からの派遣が多い、とか、そもそも起業する人は学校に行く前に会社を起こす、とか色々背景はありそうだけど、なぜ、起業する人が少ないのかはちゃんと考えた方が良いだろう。

僕も、家業を離れてから起業を目指した時期があったけど、上手く行かなかった。

その時の経験を振り返るになぜ、起業のハードルが高いのかを考えると、個人の潜在的な能力を組織内部の方がより高く評価するからでは無いだろうか。

もうちょっと簡単に言うと、「いいね」を押してくれるのは社会でなく、組織という身内だと言うことだ。

僕が起業から就職に切り替えた時、僕の持っているものは何も違わなかった。

しかしながら、僕の持っているものに対する評価はまるで違ったように思える。

結局、当時の自分にはその評価のギャップを気にしないタフさも評価を乗り越えて成し遂げたい強い想いもなかったので、評価してもらった会社にご縁を頂いた。

では、就職したので、起業を考えた時の想いは捨て去ったのか、といえば全くそんなことはなく、気がつけばそんなことをやっている。

もし、起業でも就職でも僕の想いや能力を同様に資源化することができるなら起業していた確率は高かったかもしれないね。

その違いは、社会的な内部留保より企業の内部留保の方が高い、つまり受け入れる土壌の豊かさ、だね。

企業の新規事業にとって大事なのは優秀なアイデアよりも周囲の巻き込み力だ、と言う話を聞いたことがあるけど、きっと、誰かの想いや能力を巻き込む余裕が社会に足りていない。

要するに朱鷺や少子高齢化と一緒で、そもそも社会に起業家の母数が少ないので新たな起業家が生まれないといった、同じ構図が起業にもあるのかもしれないね。


社会保障費と一緒?









2019年4月9日火曜日

サクラチル また来年!

スマホが当たり前になり、携帯電話やポケベルが過去の遺物となった今、「電報」を知っている人などほんのごく一部で結婚式の引き出物と同じものだと考えているかもしれない。

さて、昔、緊急の連絡で電報が主役だったころ、大学入学試験の結果をいち早く本人に伝える役割を担っていた。

電報は、文字数が費用に直結するので出来るだけ短く相手に伝えることが肝心だった。

昔は情報のコストがとてつもなく高かったのだよね。

そこで生まれたのが、合否発表の一文「サクラサク」と「サクラチル」だ。

合否発表の季節にかけて、「サクラ」が用いられるのだろうけど、咲いても散っても桜が持っている美意識みたいなものが、その次の一歩を踏み出す勇気を与えてくれると思う。

今年の桜も散った。

さあ、来年に向けて一歩、踏み出そう。


桜の河
流るる
雨上がり

2019年4月8日月曜日

「なんとなく」気になることで始まる行動、その「因」を探れ

僕は会社への行き帰りに音楽を聴いていることが多い。

そのジャンルはクラシックからJ-POPまで多様だ。

他の人がどうだか知らないけど、僕は結構偏った聴き方をする。

同じプレイリストを繰り返して集中的に聴き、パタッと止めてしまうのだ。

早い話が「飽きる」のだけど、一度飽きると、滅多に聴かなくなる。

さて、今日の夜、僕はサカナクションを聴いていた。

サカナクションもご多分にもれず、聴き飽きたくちである。

では、なぜ、今夜聴いていたかというと、その理由は明白で、昨日、テレビで清水ミチコさんのライブ映像に「サカナクション作曲法」というパートがあったからだ。

それを観て、なんとなくまた聴きたいなと思ったのだ。

この「なんとなく」という感覚、ひょっとしたら、後からする意味づけがうまくできない時に感じるものかもしれないね。

そこでもう少し、なぜ聴きたいのか思い返してみたのだけど、そうしたら、清水ミチコさんのコンサートに場違いな印象でMacBookが出てきて、しかもちょっとぶつけて凹んでいる感じに見えたのでとても気になったことが思い出された。

そう、サカナクションは「なんとなく」ではなくて「傷ついたMacBookが気になった」ことから、派生して聴いたのだ。

このようにどんな行動にも行動を引き起こす些細で関係性のよく見えない「因」が潜んでいる、僕はそう思うよ。


何が気になる?



2019年4月7日日曜日

好き嫌いを越えるために感受性に耳をすまそう

さて、日曜の夜だ。

だらか、先週を振り返る。

先週のブログ、タイトルと結びの一文は以下だった。

(月)過剰リコメンド社会? 感動を汚さないために必要なこと
→僕はこれからそんなWEBになって欲しいな。

(火)今日は考えるのが嫌なのである
→で、ね。本当に考えたくなければブログを書かないわけで、今、こうして書いているということは、どこかで見通せているか、役立てると思っているか、変えられるって感じているのかもしれないね。

(水)やりたいことをしていると伝わるんだよね
→一方で、「やらねばならぬ」はほんとはやめたいよなぁ・・・

(木)なまくら刀が「鋭さ」に憧れる日
→だから、鈍くならないよう、ちゃんと研がなくちゃね。

(金)初心者に対してどのように接するのか その心得は?


→さて、どうやってまずは令和の自分に接しようか。

(土)美しいもの感じる感受性や感性の力
→感性や感受性と言った、美しさを感じ取る機能には、僕たちが自覚していない大きな、とても大きな力が潜んでいるのかもしれないね。

一言で言い換えると、希望、深掘り、希望、自戒、自戒、気づき、と言ったところだろうか。

嫌だけど、嫌では済まない事、そして向き合うために必要な力の源とは、という感じだろう。

思考とその下にある感情は、得てして自分の好き嫌いに意味付けしたがる。

でも、美しいものを感じとる感受性こそが好き嫌いを越えて力を与えてくれるものなのだ。

で、ね。先週は、そんなことを気づかせてくれる1週間だったということだね。


嗚呼、美しき哉


2019年4月6日土曜日

美しいもの感じる感受性や感性の力

桜の花が満開になって、今日、僕は家人と千鳥ヶ淵に出向いた。

二人で来たのは2〜3年ぶりのことだ。

今年は、桜が咲いてから一度寒波が来たこともあって、思ったより長く桜を楽しめている。

「平成最後の桜」とちょっとせつない感じもするけど、満開になった桜からは自然のエネルギーが伝わってくるから、元気を貰えるよね。

さて、千鳥ヶ淵は以前と変わりないのだけど、桜を観ている人々には変化があるようだ。

花が思わず長持ちしたおかげで満開にも関わらず割と空いていたものの、観覧客の中には中国をはじめ外国の方が多く見受けられた。

あくまでも僕の印象でしかないのだけど、以前よりも増えている気がする。

で、ね。美しい桜を観に来てくれてとても嬉しいよね。

僕たちでなく桜が美しいのだけど、育ちも文化も異なる人々が同じ感性を持っていることを知って、素直に嬉しいのだ。

E・フランクルが「夜と霧」の中で、アウシュビッツの過酷な状況で生き残った人々は、肉体的屈強さではなく、沈む夕日が綺麗だと感じていたと書いている。

体力よりも感性の方に何某かの因があったと考えているわけだ。

この話でもう一つ思い出すのが、茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」の中の一節、で

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

というところだ。

感性や感受性と言った、美しさを感じ取る機能には、僕たちが自覚していない大きな、とても大きな力が潜んでいるのかもしれないね。


素敵だなぁ

2019年4月5日金曜日

初心者に対してどのように接するのか その心得は?

第一金曜日の夜は、自画持参、がちゃトークの日だ。

今日は、なんだかんだとあった1週間をリセットする自画持参にもなった。

それは、「初心者」というトークテーマにも深く関係していたように思える。

僕は好物のミートソースパスタ大盛りを食べ、ビールも飲んでリラックスし、そして始まったがちゃトークの2つ目のがちゃに当たりスピーチをしたのだ。

それがタイトルの「初心者に対してどのように接するのか その心得は?」だった。

僕は、新人が自己紹介で「傷つきやすいからやさしくしてね」と話すのを聞き、それを経験者が「良いこと」と感じている話を聞き、2度驚いた話をしたのだけど、対話になって、それは「心理的安全」が担保された場だからとても良いことなのではないか、という声に3度目の驚きを感じた。

まさに週末のどんでん返し、だね。

確かに、自己開示が危険な場だと初心者は自己開示できず、それが後々の破綻を引き起こす種になることは、想像に難くないし、実際の経験としても思い当たる節がある。

3つ目の驚きは、それにも関わらず、自己紹介に関して2つの驚きを感じたことだったのだろう。

で、ね。結局、自分は新人はどうあって欲しいかで考えてしまっているのだよね。

新人がどうあって欲しいか、で接し方を決めるのであれば、新人が安心して語れる状況を作る必要がある、つまり、それが接する時の心得ということなのだろう。

また、この事は自分だけじゃなく、色々な場面で共通した問いでもあるらしい。

いやはや、週始まりの出来事を週終わりに振り返ることになるとは思ってもいなかったけど、とても良い振り返りになった。


さて、平成最後の自画持参ということで自画持参発起の長岡さんだけでなく、加藤さんも無理をして参加された。

平成が最後であれば僕たちは皆「令和」初心者だよね。

これもとても面白い問いだね。

さて、どうやってまずは令和の自分に接しようか。


平成最後のがちゃトークに集う昭和な人々

2019年4月4日木曜日

なまくら刀が「鋭さ」に憧れる日

夜の時間に色々考えようとすると、大概、その日の出来事が思い浮かぶ。

今日はどんな日だったっけ?

朝は早くに散歩に行き、犬を自転車に乗せて桜のトンネルを走ったな。

帰って食事を食べ、犬と遊び、そして会社に行っていくつもの予定をこなしたな。

でも、予定を重ねてしまっていたりして迷惑をかけたな。

新人に仕事の物語りをしたけど、どう受け取ったのか良くわからないな。

新しい仲間の鋭い問いになかなか答えられなかったな。

短時間で出された丁寧かつ鋭いアウトプットに感嘆したな。

などなど、今日も色々あった。


で、ね。振り返るに今日のテーマは「鋭さ」だったよね。

鋭く読み解く、鋭く詰める、そういう人たちを目の当たりにしていたけど僕はそんな日じゃなかった。

人の鋭さは他者を時に傷つけるものだけど、正しく使えれば良い仕事を果たす。

だから、鈍くならないよう、ちゃんと研がなくちゃね。


牙を研げ



2019年4月3日水曜日

今日は考えるのが嫌なのである

毎日ブログを書いていると、どうにも書くことが思い浮かばない日がある。

今日は、その日ではないのだけど、「考えるのが嫌な日」みたいだ。

つまり、考えるのが嫌であることについて書くことを思い浮かんだ。

さて、考えることが嫌という考え浮かんだ理由を考えてみよう。

1.考えてもキリがない
2.考えても埒が明かない
3.考えたところではじまらない

ざっとこんなことだろう。

要するに、見通せない、役立たない、変えられないと感じる時、「もう、考えたくない」となるわけだ。

で、ね。本当に考えたくなければブログを書かないわけで、今、こうして書いているということは、どこかで見通せているか、役立てると思っているか、変えられるって感じているのかもしれないね。


あーあ、無いと思って買ったら4個・・・




2019年4月2日火曜日

過剰リコメンド社会? 感動を汚さないために必要なこと

僕が先日、ドッグランに行った時、アウトレットモールの駐車場から黄色いスバル360が出てきた。

昔懐かしい車だ。

フォルクスワーゲンの国民車、ビートルに対して、スバル360は「てんとう虫」と呼ばれていたと思う。

まあ、小さくて可愛い車なのだ。

しかし、とても古い車だから、普通に走っている姿を目の当たりにして、かなり興奮したよね。

そして、僕はおそらくネットでスバル360を検索してしまった。

それから僕のヤフーにはスバル360がたくさん出てくる。

最高値は115万だ。

へぇー、軽自動車なのに白ナンバーがあるんだ、なんて驚きもある。

でもね。僕は車を買わない。

だからスバル360も買わない。

ちょっとした感動に応えてくれるのは良いけど、過剰な反応は嬉しくない。

で、ね。どんな反応だったら嬉しいのかと考えたら、スバル360を愛している人たちの物語を教えてくれることなのかもしれないね。

僕はこれからそんなWEBになって欲しいな。


何を見たいかは心が教えてくれる。


2019年4月1日月曜日

やりたいことをしていると伝わるんだよね

僕は糸井重里さんのやることの関心がある。

でも、糸井さんの全てか、と問われればそうでもない。

例えば、僕は巨人ファンじゃない。

昔は、御多分に洩れず巨人ファンだったけど、ある時期から野球、特に巨人に興味を無くしたからね。

でも、巨人を楽しそうに応援する糸井さんは素敵だと思う。

シンプルに応援したいのだよね。

同じように糸井さんが主宰している「ほぼ日」全てに興味がある訳ではないのだけど、「ほぼ日」に集まってくる人や商品は皆、やりたいことをやっているのだろうなぁと感じさせてくれる。

もちろん、好き勝手をしているのではなく、周りの人が楽しくなるようなやり方でやりたいことをしているだ。

で、ね。そうすれば自ずと人は集まるよね。

一方で、「やらねばならぬ」はほんとはやめたいよなぁ・・・


咲きたいから咲くのだ