2017年11月30日木曜日

仕事人の宝の山のありかに気づく

僕の勤める会社が間も無く引越しをする。

そこでこのところ身の回りの整理をしているけど、基本、要らない書類の廃棄に追われている。

そもそも、今のオフィスに来た時は、ペーパーレスを目指していたのだけど、やはり、報告書類やナレッジに関わる捨てがたい資料もあって、そんなものが徐々に蓄積していくのだ。

ところでその時はまた役立ちそうで捨てがたい物も、後から見返してやはり捨てられない物ともう捨てられる物に分けられるようになる。

では、やはり捨てられない物が「宝」なのか、と言うとそうでもないだろう。

僕には、捨てる、捨てないの見分けがつくことの方が「宝」であるように思える。

なぜなら、かつて「宝」と思ったその時の苦労や感動を含めて今一度意味づけすることができるからだ。

あの時世話になったあの人、考え抜いて作った資料、思ったようには進まなかった苦い思い出などなど、具体的な過去を構造化し、捨てるもの、捨てないものに分けることは、リフレクションそのものであり、それにとってメタ思考が進むからね。

大切に保管してきた仕事の書類は、消費の残滓ではなく、仕事人として価値を生み出した苦しみの記憶だから、何だかときめくものを残す片付けとは異なる。

しかし、過去の経験とそれを整理し新たな活動に繋げるプロセスには未来へのときめきがあるよね。


過去を整理する、と、過去で整理する の違い




動機と行動の一体感

以前、若手コンサルタント職の統計分析を行った時、高収入に動機をもつ人材は、成果を出すのは早いけど、その後伸び悩み、一方やりがいや顧客の満足に動機をもつ人材は、最初成果が出ないものの、成長し続け、一定期間を経ると確実に成果を積み上げるようになることがわかった。

分析はあくまでもこれまでの結果であって、これからもそうであるかは不明だ。

また、個人別に見れば、収入に動機を持ち、高いレベルの成長をし続ける人も間違いなく居る。

しかし、どのような動機を持って仕事をするかは成長に何らかの影響を与えていることは間違いないだろう。

本人にとって一番達成と満足感があるのは、達成と満足が連鎖する成長をし続ける動機を持つことだろう。

一方で、達成と満足感だけが大事なことでもない。

達成に向けて自らを鍛錬することに意味を見出す人もいる。

僕はそう言うストイックな人が好きだ。

で、ね。僕は人の動機と行動の繋がりに目がいく。

自然か不自然か、が気になるのだ。

そして、仕事も行動の一部だ。


覗きたい?









2017年11月28日火曜日

僕らの「ら」

先日、初めてドッグランに行った。

僕の犬も初めてなら、僕も初めてだ。

行く前は、芝生の広場に放されて、犬が元気に走り回ったり、他の犬と戯れたりするイメージがあったのだけど、実際はちょっと違った。

内弁慶な僕の犬は、時に他の小さな犬に追いかけ回されるくらいであまり走り回らず、隅の方でネットの向こうの人や他の犬の飼い主に愛想をふっていた。

そう、犬社会よりも人間社会への適応が進んでいるのだ。

でもそれは僕の犬だけじゃなく、他の犬もそうかも知れない。

と言うのも遠くで犬を見守る僕のところにたくさんの子が挨拶に来たからね。

そもそも、ドッグランで社会を「人」と「犬」に分ける必要はないのだろう。

でも、レストランでは大概一緒にいられない。


場所によって僕「ら」は隔っていたり一緒だったりするけど「ら」が一緒の方が心地いいな。


あら「ら」・・・

2017年11月26日日曜日

この地球(ほし)に生まれて

僕が今ここにいるのは偶然だ。

この地球(ほし)も偶然だし、僕も偶然だし、この場所も偶然なのだ。

でも、学べるし、気づけるし、何よりも生きている。

それは偶然では無い。

生きていることで悩みも迷いもあるけれど、明日に続く今日がある。

たまには先日付のブログがあっても良いのかも知れないね。


この地球(ほし)に生まれて


糸井重里と宮崎駿の共通点 走らずにはいられない人になろう

「君たちはどう生きるか」の漫画がヒットしているらしい。

実は僕も買った。

小学生のとき、受験のために読んで以来、44年ぶりに読みたいと思ったけど、すぐに手に入るのはKindle版しかなかったからだ。

きっかけは宮崎駿さんなので、やはり、宮崎駿さんは人の心を動かしてしまう人なのだろう。

さて、人の心を動かす人の中に、糸井重里さんがいる。

コピーライターとして「おいしい生活」「くう ねる あそぶ」など数知れない名コピーを生み出した人だ。

でも、最近思うのは、コピーが秀逸なのではなく、糸井さんが秀逸なのだ。

そう、宮崎駿さんと同じ。

ラピュタ、ナウシカ、もののけ姫とヒットした作品が秀逸のように思われるけど、秀逸なのはやはり宮崎駿さんだ。

で、ね。糸井重里さん。

先日、大盛況だった「生活たのしみ展」でほぼ日のアースボールを精一杯セールスしていた糸井さんに、家人が「ドコノコ」(ほぼ日の動物SNS)で糸井さんが気にかけてくれた僕のうちのルイくんのことを話しかけたらとても優しく応えてくれたそうだ。

そして、今日のほぼ日で糸井さんはルイくんをまた取り上げてくれた。


宮崎駿さん、糸井重里さんの人的魅力を僕は語りようが無い。

実存でしか語れない。

でも、共通するのは、「君たちはどう生きるのか」でコペル君が最後に走り出す、その姿だ。

引退宣言を撤回して長編を手がける、著名人であるのに70歳を目前にして会社を上場する。

朝令暮改?理解不能?


走らずにはいられない人に僕は、僕たちは心から惹かれるのだよ。


走る人


走る犬


そして夢みること



どんどん辞める、全く辞めない 2つの組織に共通することは?

組織論にもだいぶ複雑系の考え方が浸透してきたように思う。

特にアメリカでは事象を共通の問題と捉えず、その状況に応じてい起きる個別の問題の類似性として捉えるのが主流になっていると聞いたことがある。

例えば、定着率の悪さも、数字で表現すれば、共通の事象と捉えられるけど、その背景をは全て異なる。

マネジメントの不味さ、仕事の厳しさ、やりたいこととのミスマッチ、などなど具体的に誰のどのマネジメントが嫌われ、仕事のどこの部分で厳しさを感じ、そもそもやりたいことわかってたの?みたいな理解も含めると、世の中に同じ問題は2つとない。

課題としては、いかに定着率の良い組織を作るか、なのだけど問題解決からのアプローチでは正直、限界があるように考えている。

僕の会社でも過去から現在に到るまで多くの人が離職している。

新入社員から社長まで、入社3日目から10年まで本当に幅広い。

そしてそれぞれの離職にはそれぞれの理由がある。

その人の立場に立てば理解できないものはない。

それに対して、顧客の中には本当に離職が少ない会社もある。

その会社だって決して順風満帆な訳ではなく、事業の根幹が何回も変わる試練を受けている。

この違いを端的に言うと、離職しやすい風土と離職し難い風土がある、と言うことだろう。

一方で、辞めてもらうのに苦労する組織と、辞められないことで苦労する組織がある、とも言える。

前述の離職率の低い組織の問題は、辞めないローパーフォーマーが行き着く部署の活性化だったりする。

僕の会社の課題は、事業主体者としてモチベーションをあげる育成だ。

そう、結局、個人のモチベーションをどう上げるかに問題を抱えているのだ。

でも、その背景は全く異なる。

で、ね。複雑系の考え方では、初期条件と疎通ネットワークによって結果は変化する。

つまり、入社時のほんのちょっとした違い、パーソナリティのほんのちょっとした違いが入社後にどんな心的ネットワークを構築するかに大きく関わりその後の結果に影響を与える。

やってみなければわからない世界だけど、このことを理解して自分の行動を変えられる人が多い組織は、離散せずに自己組織化し続けることができるのだろう。


複雑だよ

2017年11月25日土曜日

自説の檻を開く実証と実存の世界

僕たちは誰でも自説を持っている。

というより、僕たちはそれぞの自説の世界に生きているのだ。

「こうするとこうなる」とか「こうなったのはきっと・・・」といった意識、無意識で起こる因果、帰納、演繹の意味づけは、性格特性による傾斜(バイアス)や過去の経験から学習し、固定され、その人らしさを形作る基盤となる。

しかし、それゆえに自説の世界は歪んだ認知と経験の限定性に彩られている。

科学や学問は、実証、実存の視座から自らの自説の世界を俯瞰し越える手伝いをしてくれるものであるはずだ。

しかし、実証、実存の方法論だけを学び、世界を知った気になってしまうのもの自説の世界の歪みと限界である。

学歴は高くても高い視点から物事を見て判断出来ない人は世の中に溢れている。

それらの人々は、例えば、世の中的に素晴らしい仕事をしていても目の前の作業に捕らわれてしまう。

つまり、自分の周りにある大きな世界と繋がるのではなく、自分の中のあるべき姿、自己正当化の倫理観、借り物のアカデミズムといった小さな世界に居座り続けるのだ。

しかも小さな世界同盟を組みながら。


僕たちは自説を広げる(自己の歪みに挑む、より多くの経験を積む)ことにしっかり挑んだ後、実証、実存の道に踏み込むべきなのだろう。


己と向き合い、世界と繋がる







2017年11月24日金曜日

消費者同士が搾取しあう時代の人材不足

世の中的に人材不足が増している。

正社員不足、過去最高の49.1%に上昇

中でも情報サービスは7割超と深刻だ。

産業全体の情報化、サービス化が進展するのに世の中が追いついていないと言えるだろう。

さて、産業が発展してきた歴史を振り返ると、第一次産業から第二次産業、第三次産業へと労働力のシフトが起こり、現在は第4次産業に向けて第3次産業でも特に情報サービスへの負荷が高まっている。

一方で、情報サービスは、24時間365日のネットワークを基盤とするので、働き方も楽じゃない。

残念ながら情報はそれだけでは意味を持たないので使えるようにするには知恵も体力も必要なのだ。

やがてAIが社会課題を解決してくれる、というけど、そのAIをつくるのは人間である。

一方、人間は、24時間365日働き続けることはできない。

むしろ働き方改革だったり、ワークライフバランスなど、いかに人間的な生活リズムを実現するのかが盛んに議論されているけど、情報サービスでのハイパフォーマーの働き方は、「普通」の人たちからは忌み嫌われるものだ。


誰かの人間的な生活を疎外してより高度なサービスを受けているのに、自分の人間的な生活は守ろうと声を大きく主張する。

僕たちはすでに資本家が労働者から搾取するのでなく、消費者同士が搾取しあう第4次産業革命のパラドクスに陥っているのではないだろうか。


乾きを癒す


2017年11月22日水曜日

愛なき組織変革って有り得るの?

どんな組織にも自分のやりたいようにしたがる人は居るだろう。

それは日本相撲協会のように伝統的なしきたりを大切にする組織でもそうだ。

最近の騒動を見て居ると、現横綱にしても元横綱にしても、利他的というより利己的な姿に見えてしまう。

要するに誰かのため、じゃなく自分のため、なのだろうとね。


さて、組織には自律的に構造化と最適化が進む傾向が内在している。

そもそも何がしかの「求心力」があるから組織化が起こるわけで、組織を維持させる方に向かうのは自然な流れでもある。

そこで組織を変革するためには「組み替え」が必要になるのだけど、惹き込まれていない人を組織に取り込むことはその時は大きな刺激になるけど、後に組織から排出されてしまう。

こうした「薬」のような存在にはなり得るけど、新たな「求心力」となるためには、僕は組織や組織が機能を発揮するための仕事への「愛」が必要だと思う。

他者を許し分かち合う気持ちが無い人に誰も惹き込まれないよね。

一緒に仕事をしていてもなんだか薄寒くなってくる冷え感からは、冷めた関係しか生まれない。

熱すぎるのも奇妙だけど、冷めた関係で組織を変えられるとはとても思えない。

進むとしても変革ではなく、部分に参画し、自己の正当性主張と他者の無駄を糾弾する、機能化、合理化、最適化なのでしょう。


王者のようだけど冷たい存在





2017年11月21日火曜日

「物語る組織を創る」のは誰ですか?

「物語を変える」

この文には主語がない。

しかし、主語を「自分の」とするか「皆の」とするかには大きな違いがある。

「自分の」「物語りを変える」には強さではなく「弱さ」が意味を持つ。
「皆の」「物語りを変える」には演説、雑談、対話、議論の物語法マトリックスが有効である。

今日、僕が参加した「物語る組織を創ろう ~共創し学習する、フォロワーシップによる新しい組織」というイベントの中で僕が気になったポイントだけど、前者は埼玉大学大学院・宇田川元一准教授、後者は立教大学大学院・梅本達夫特任教授の話である。

共に経営と組織の観点ではあったもののナラティブという個人の物語へのアプローチと、ストーリーという集団の物語のアプローチの違いは僕には異質なものに感じられた。

イベントに参加した人5人と話したところ、大学病院の精神科で医師をされている方は前者、他の4人(コンサル、人事、経営)の方は後者に関心をお持ちだった。

今日のイベントの主催、非営利型株式会社Polarisは、『ちゃんと』から自由になり「物語る」組織となりたいと、どちらかと言えば個人の物語からはたらきかたをつくる方向性が出ていたように思えた。

僕はイベントがもやもやした感じで終わることに肯定的なのだけど、今日のもやもやはややネガなもやもやだ。

なぜなら「寄りそう」と「盛り上げる」の、本来は使い分けるべきものを妙に一体化して場を作っているように感じた(違いへの言及がなかった)からだ。

反論、反証があまりに少なかった。

最後の質問セッションで宇田川さんの「人間は皆違ってわかりあえないものという前提で良いのではないか」という一言が、このイベントの前提であり、そして結論であるのなら、物語法マトリックスで「そもそも」(起)「でも」(承)「いやそれなら」(転)「要はこうだ」(結)のうち、僕は「でも」(承)「いやそれなら」(転)のないことを気にしているのかもしれない。



反論、反証には時間が足りないね





2017年11月20日月曜日

自分についた嘘は自分に帰ってくる 仕事選びもね

今の僕にとって学びたいことと仕事にしたいことが一致している。

でも、ここに至るまでに大きく迂回してきたなぁ、と思う。


そもそも、僕の大学と就職は不連続だった。

自慢じゃないけど、卒業するから就職したのだ。

大学で「プロフェッショナル」とか「X理論・Y理論」などを勉強たことを思い起こすとまるでお笑いの就職活動だったよね。

でも、その当時は、皆が就職するから就職するのであって、金融業界に人気が集まっていたので銀行に潜り込んだわけである。

仕事は「皆がするもの」だった。

なので、4年経って研修で外の世界をみたとき、改めて「仕事」を考える羽目に陥り、そして転職した。

次の仕事は、家業だった。

今から振り返れば、銀行の仕事から離れた後のその仕事は「きっと僕がするべきもの」であって「なぜか僕が惹かれるもの」ではなかったのだと思う。

もし家業が書店なら本屋さんになっていたのだろうからね。

そして、その仕事は「きっと僕がするべきではないもの」になって離れた。


そこからもう一度、「どんなことを仕事にしたかったのか」と考えたとき1年かけて行き着いたのが今の仕事である。

僕にとって、大学の時学びたいと思ったことと仕事にしたいと思ったことは結局一緒だった。


で、ね。「皆もそうだから」とか「するべきだから」と仕事を選ぶと「皆となんだかちょっと違う」「本当にするべきことであると思えない」と考えて仕事を辞めることになるのではないかな。

厳しい環境になればなるほど自分が自分についた嘘に気づかされてしまうのです。

退職理由の本音ランキングは、1位:上司・経営者の仕事の仕方が気に入らなかった(23%)、2位:労働時間・環境が不満だった(14%)、3位:同僚・先輩・後輩とうまくいかなかった(13%)(リクナビNEXT)だそうだけど、僕の経験から言えば、そもそも自分に嘘をついていることを認められない(認めたくない)時に言いそうなこと(言っていたこと)だなと感じる。


自分は自分を覆えない


2017年11月19日日曜日

物語を作ろうとしない人は自らの成長を疑うべき

僕が暗闇に放った矢をライトを使って探していたら、どこからか
「ちょっと待て」と聞き覚えのない声が掛かった。

「お前の探しているものは平地にはなく大きな木にあるのだ」
その声はこう続いた。
そこで僕は周りをぐるっと見回したけど、どこにも大きな木は見当たらない。
僕が立っているのは暗闇の中だ。

そこで目の前を飛ぶハチにも聞いてみる。
「この近くに大きな木はありませんか?」
ハチは一瞬、僕を見て空中でホバリングをしたのち、応えることなく飛んで行ってしまった。

仕方なく僕は探すのはやめて、この世の最も強い磁石を使って鏃の鉄を引き寄せることにした。
少し時間が掛かりそうだから、この携帯電話であの方に連絡を入れておこう。


この並び

Amazon知育・学習玩具大賞2017は「ローリーズストーリーキューブス 冒険」だったそうだ。

僕はこのシリーズの一つをだいぶ前に手に入れていた。

冒頭の物語は、キューブを振って出た目を繋げて作ったものだ。

1つ1つの要素の並びで物語が生まれるわけで、偶然の並びから物語を作るのは楽しい知育である。

このキューブを手に入れた経緯は、仕事である会社が定義した6つのバリューの浸透を図るツール作りの参考のためであった。

そして、バリューのピクトグラムとサイコロが自作できるキットを制作したのだけど、日の目を見ることはなかった。


僕たちは、身の回りの要素を並べていくらでも自分ならではの物語を作り出すことが出来る。

しかし、誰かの物語の一要素となって、その物語に不満を並べる人は少なくない。

僕にはこのおもちゃが実は社会人向きであるように思えるのだ。


ストーリーを生み出す



2017年11月18日土曜日

「ほぼ日のアースボール」を買ったよ

糸井重里さんが社長を務めるほぼ日が、六本木ヒルズで「生活のたのしみ展」を開催している。

今日、妻と行って来たのだけど、小雨ぱらつく寒い日にも関わらず会場は多くの来場者で賑わっていた。

その賑わいの中でも最も人が集まっている場所の中心には、糸井重里さん本人が居た。

ただ居たのではない。

マイクも使わず、多くの人に向かって「ほぼ日のアースボール」を丁寧に説明し、そして売っているのだ。

価格がちょっと高いことも、もちろん「ほぼ日のアースボール」を企画した社員の奮闘ぶりを伝えることも忘れない。

糸井さんの知名度を持ってすればもう少し楽な売り方もあるのだろうけど、先頭に立って楽しそうに商品説明をする糸井さんの姿には深い感銘を受けた。


会社を率いる仕事って何だろう。

ビジョンやルールを作ることか、事業戦略を決めることか、難しい決断をすることか、人事権を行使することだろうか。

もちろんそれらもあるのだろうけど、自分が先頭に立って、活き活きとひょっとしたら新米がやらされるような仕事をすることも会社を率いる仕事だよね。

そんなことを糸井さんの姿は語っているように感じた。


中心に居る人は


この人です






仕事の、楽しくやろうぜモードとちゃんとしようぜモード

360度評価というマネジメント評価(主に)手法がある。

この評価の結果には色々な人間関係が含まれてしまう。

例えば、やたら低い評価を連発する人は評価というより明らかに反撃である。

もちろんそのような評価を受ける理由はあるのかもしれないけど、他の人の評価が低くない場合、個人的感情である可能性が高いよね。

逆に低い評価がない人は、評価する周囲の人が気遣っているケースも少なくない。

アンケートに投影されるのは、評価だけでなく人間模様だ。


人が集まると、共感、反感、感謝、嫉妬など様々な感情が入り乱れ、共生、共存、従属、隷属、敵対など様々な関係性が生まれる。

こう言った問題、課題を乗り越えて行くのが組織マネジメントだ。

しかしちょっと考えれば組織マネジメントは、組織に集う人それぞれが協働のセルフマネジメントが前提になっていることがわかる。

コミュニティとオーガニゼーションの違いは、偶発的な創発と協働の連鎖にある。

僕は創発志向なので場の化学反応を期待する楽しくやろうぜモードだけど、ちゃんと仕事しようぜモードのときは協働主義だ。

でも、組織を混乱させるのは、僕のようなどっちも派や、逆張り派(ちゃんと仕事の時にも化学反応好き)なのかもしれないね。

どっちも派は、気をつけないと逆張りをしていることが少なくない。


一方で、大概、組織にはちゃんと仕事しよーぜモードの協働嫌いという問題児も居る。

人の働き方を否定して自己流に仕事を進める人たちでそもそも協働に向いていない(=組織に合っていない)。

僕は、協働のセルフマネジメントは、単にチームワークやリーダーシップを発揮することではなく、2つのモードを状況に合わせて適切に切り替えることだと思う。


どっちも、はTPOが大切









2017年11月17日金曜日

答えを見つける力を身につけるために必要なこと

”これがこうなら、あれはそうなるだろう”

「推論」は僕たちの生活を創造的にしたり、効率的にしたりすることに大きく役立っている。

1つの知識によって対応できる事象が増えること、「一を聞いて十を知る」は賢さの現れである。

時に「忖度」など、行き過ぎてしまうこともあるけど、全てのケースを記述しなくても判断が下せることで社会がよりうまく回ったり、他者よりも活躍する人出てきたりするのだ。

さて、「推論」は、抽象度が高まるほど適応範囲が広がる。

また、概念的であるほど、持ち運びしやすくなる。

コルブの経験学習では、学習プロセスにおいて「抽象的概念化」(Formation abstract concepts and generalizations)と表されるステップがあるのだけど、いろんなことに活かせる知恵を獲得することは、人生を変える原動力にもなる。

38歳、元阪神投手の公認会計士が悟った真実

一方で、僕たちはいきなり高度な「推論」が行えるわけではないだろう。

赤ちゃんがなんでも口に入れて食べられるもの、食べられないものを見分ける力をつけていくように、僕たちには常に意識、無意識の試行錯誤が必要だ。

僕たちが生活を豊かにするために必要なことは、「正解を知っていること」ではなく「正解を導く力を身に付けること」だ。

「推論」はその力を獲得するために誰にも備わっていて、「経験学習」を見てもわかる通り、グレードアップすることが出来る能力だ。

意識的試行錯誤からは「直感」が、無意識的試行錯誤からは「ひらめき」が生まれるとも言われるように、「直感」や「ひらめき」の多い人は「推論」をグレードアップしている可能性がかなり高い。

どうやら、試行錯誤という回り道なしに、答えを見つける力を身につけることはできないようだ。


生き物は「推論」する








2017年11月15日水曜日

データが予測した未来に確かめること

今日の昼、法政大学石山教授を訪問した。

ご多忙の中、お時間を調整頂き大変ありがたい次第です。


さて、目的は情報交換だけど、そのうちの一つは昨年調査協力した組織風土・個人学習調査の結果についてだった。


先日、新井紀子教授もセミナーで話していたけど、統計データとは全て過去データである。

最近流行りの機械学習も全て過去データ分析だ。

ある一定期間に調査を行い、その結果をまとめて解釈を行うもので、厳密に言えば、調査時点から状況は変わっている。

例えば、社員の退職などもそうだ。

調査時点で在籍していた社員が離職すれば当然、現状とデータには乖離が生じている。

調査結果には多かれ少なかれこうした乖離が見られる。

以前、酷かったケースでは、組織分析を行って報告をした時には次の組織改編が決まっていてあまり意味のない報告になってしまったこともあった。

そういった問題はあったとしてもデータからは多くの有用な気づきが得られる。

それは、少し間を置いてからでも同様だ。

むしろ、間を置いた方が新たな気づきがある、というのが今日のポイントだったかもしれない。

データは決して未来を予見しないけど、人がデータから想定する未来と現実の比較を行えるからだ。

で、ね。昨年の調査には現状を予見する結果が見られていた。

この結果だと現実こうなる、という形で。

こういった結果の検証を行うことでデータの理解はさらに進み、僕たちはデータから確かな未来を予見するようになる。

最新のデータばかりでなく、以前のデータもしっかり活かしましょう。


いいかに?



2017年11月14日火曜日

34年後の「社会の発展と勤労意欲」

僕が大学生の時に書いた卒論の題名が「社会の発展と勤労意欲」だった。

ダニエル・ベルの『脱工業化社会』、J.K.ガルブレイスの『新しい産業国家』、アルビン・トフラーの『第三の波』など、情報化社会の夜明け前、既存産業が成熟期を迎えた後、社会的にどのような働き方が求められるのかを考察したものだった。

そこにはプロフェッショナルとして成熟した仕事観、職業意識の基でより高い価値を生み出すために協働する組織のイメージがあったのだけど、今、振り返ると、それは『2001年宇宙の旅』みたいなフィクションの未来図だったのかもしれない。

もちろん、プロフェッショナリズムと自発的協働意欲は新たな情報産業を中心に、オープンイノベーションという形で実現しているのだけど、雇用の二極化、管理職になりたがらない若手など社会全体ではまだら模様で社会の発展に影を落としている。

そして、このまだら模様は、寒流と暖流のように接しても混ざって均質化するものではないようだ。

「心の豊かさ」に焦点を当てれば、別に誰もがプロフェッショナル化する必要はないし、むしろ、自らの立場を守る必要のないアマチュアの方が心豊かに過ごせる場合も少なくないだろう。

でも、間違ってはいけないのが、アマチュアリズムは現状容認を指すものではない。

自発的協働意欲だって、やらされ感のある人達から見ればサービス労働となってしまう。

なんだか34年間かけて社会は本当に発展したのだろうかと疑いたくなって来た。

まあ、人の意識や価値観はそんなに簡単に変わるものではないし未来予想は外れる方がはるかに多いのだから嘆く必要はないでしょう。

でも、ここから34年後にはまだら模様でも光と影でなく、カラフルなまだら模様になっていて欲しいと思う。

資源を消費することで大多数の豊かさを実現した時代から、資本によって創造される価値が二極化を生みだす時代となり、「社会の発展」の定義も変わってしまったけど、この先また色々と変わるだろうしね。


光あれ







我慢と遠慮の狭間? 社会性を考える

「我慢」が社会性の基本(「拡張する脳」藤井直敬)

僕たちは誰かと一緒にいるとき、無意識に相手に合わせた行動を取ろうとする。

例えば、幼児は友達におもちゃを貸してあげたりする。

しかし、思春期になると利他的行動は「恥ずかしい」「格好悪い」と抑制される(同 藤井直敬)らしい。

確かに、僕も自意識の芽生えと共にそれまでと行動が変わった記憶がなんとなくある。


さて、セミナーなどで質問を受け付けてもなかなか手が上がらないことは少なくない。

これは、質問を「我慢する」というよりは、「こんなこと質問してもいいのだろうか?」と「遠慮する」利己的行動なのだろう。

皆で議論している時は発言を求められてもあまり話をしないのも、皆のためという利他的行動より利己的行動を優先しているからだね。

厄介なのは、我慢か遠慮かは内面の違いが主で、状況によっては外からわかりにくいことだ。

「尊敬」という利他的意識、「貢献」という利他的行動のためにまず必要なのは自意識という利己的意識からの解放である。


自分への眼、他者への眼


2017年11月12日日曜日

視点の高さと視座の高さの違いを考える

僕は、
視点はView(眺め)、視座はPosition(立ち位置)
だと思う。

他人の視点を代理体験するのは難しくないけど、他人の視座を代理体験することは出来ない。

僕は、
視点は場(置かれた世界)、視座は場所(内面に作り出される世界)
だと思う。

ぐるっと周囲を見まわせば見える世界と、その人の中にあって決して他人からは見えない世界だ。

僕は、
視点は穴埋め、視座は論文
だと思う。

誰でも同じ結論に至る問いと、皆の違いが際立つ問いだ。


例えば、目の前のゴミに気づくことは誰でも出来るけど、ゴミを拾い上げてゴミ箱に捨てる人は限られる。

皆が成長したいというけれど、成長のために自分の壁を破ろうとする人は限られる。

誰でも社会や会社の問題を指摘するけれど、社会や会社の問題を解決するために自らの行動を変える人は限られている。

さて、
視点を持てば、視座が生まれるものではない。
視点が狭ければ視座も狭い、わけでもない。

そして、重要なのは、自らの視点と視座をちゃんと理解し、自分や他者と関わることだよね。


点か、座か





2017年11月11日土曜日

産業組織の限界性

地縁、血縁のコミュニティ上に成り立つ組織は、儀礼や信仰、風習や慣習に縛られ排他的で閉じた傾向を持つ。

産業革命により、組織が地縁、血縁から解放された後も、禁欲的勤勉さが産業組織の発展に大きく寄与した、と言うのがマックス・ウエーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の考察だった。

つまり、地縁、血縁からは解放されたけど、組織の発展、成長には倫理観が必要だったのだ。

さて、産業革命から250年ほど経った今日においても、組織が機能するためには、何かしら組織を束ねる心的要素が必要だ。

就業規則はもちろんだけど、組織の活動目的や行動規範など、契約を超えたコミットメント無しに組織が効果的に機能することは無い。

様々な価値観を取り込めることになった一方で組織が機能するためには共通の価値観を必要としている。

成長期には覆い隠される多様性の影は、不確実で予測不能な社会の到来により避けることが出来ない組織運営の問題になった。

要するに前提の無い組織(拘束条件の無い組織)なんて有り得ないと言うことだ。

これは歴史的にも証明されている。

だから僕たちは、地縁、血縁のコミュニティにある原始的組織の本質に立ち返る必要があるのだろう。

それ無しに困難な時代を乗り越えることは出来ないと思う。


コミュニティを考える


ハプニングを楽しめる? プレゼンテーションの醍醐味

一昨日、100名くらいの前でトークセッションを行った。

その際、セッション前の時間が長引くき開始時間が遅れる一方で、終わりの時間は決まっている、そう、なんとかしなければならない状況になった。

僕は案外こう言った状況が好きだ。

慌てずに「どうやって状況を打開するか」に集中して行動力を発揮する、格好良く言えばそんな感じだけど、追い込まれた状況と言うのは、打ち手が限られているから余計なことを考えずに実行すれば良い。

例えば、時間が足りなければ、何かをカットするだけだ。

で、何をカットするのかは、最後には自ずと決まってくるわけだけど、その時役に立つのは事前に計画した時間配分だよね。

大まかな構成と時間割を作っていれば、内容を落とさずに必要な時間を捻り出すことはさほど難しくない。

よく、セミナーやラーニングイベントでいくつかのプレゼンテーションを順番に行われる時、最初の方で時間超過して、結局、エンディングがグダグダになったり、部分(パワポ)を飛ばして内容がよくわからなくなったり、終わりの時間が伸びてしまうことがあるけど、そんな時、僕はちょっと残念に感じてしまう。

おそらく皆、全て伝えたいことなのだろうけど、例えば時間が半分になったらどうするか、と想定するだけで気持ちの良いプレゼンになのではないだろうか。

よく計画立てられ、きっちり進行するプレゼンテーションも良いのだけど、僕は多少のハプニングがあったほうがその場が活き活きすると思う。

そして、ハプニングにどう対応するのかで、その活き活き感が良くも悪くもなってしまうのです。


こっそり置いてある



2017年11月9日木曜日

あなたのフィードバックはヘルプフルになっていますか?

今日、会社主催のセミナーで登壇し、終了後に多くの方から感想を頂いた。

おそらく僕のことを気遣って良い感想を述べてくれたように思う。

さて、ヘルプフルネス(支援)と言う観点で考えると、実は僕が欲しかったのは、僕の話が理解できたか、わかり易く真意が伝わったかだ。

一方、皆さんが感想としてくれるのは、「総じてどうだった」で、主観的なエバリュエーション(評価)である。

では、エバリューエーションとヘルプフルネスの違いは何か、と言うと、エバリュエーションから改善を行うためには、何が良くて、何が悪かったのか自分で考えなければならないし、また、それが的を射ているとは限らない一方、ヘルプフルネスでは、何を変えれば良いか具体的に理解が進むことである。

エバリューエーションは自ら問いを起こす力を育てるけど、効果的な成長、変化に向けて多くの試行錯誤を要するし、場合によっては、間違った理解を導いてしまう。

例えば、「気遣った評価」は改善点を覆い隠してしまうのだ。

ヘルプフルネスでは、直接的に変えるべき行動に言及することで効果性が高いけど、信頼関係や支援の要諦の理解が無いと相互の誤解や衝突につながりかねない。

で、ね。僕はヘルプフルネスを得るためには事前に信頼関係、支援関係を築く必要があるのだ。

そして、まずは、ヘルプフルネス、エバリュエーション、フィードバックの違いを皆が知るところから始まる のだと思う。


おお、ダイレクト

2017年11月8日水曜日

変革あれこれ ざっくり議論の危険性

不確実で予測困難な時代において、いち早く状況に適応する力やむしろ自ら環境を作り出す力が無いことは致命的だ。

だから、個人においても組織、企業においても、変化を叶えたり、生み出したりする行動により大きな期待が掛かっている。

明日、会社主催のセミナーでそのテーマに触れるのだけど、「変革」「革新」「刷新」といった言葉は魅力的である一方で、議論の核心を見えなくする危険性があると思う。

例えば、「変革」と言ったって、対象を考えれば「社会」であったり「組織」であったりと、その指し示すところは1つじゃ無い。

「社会の変革」をするならソーシャルな活動が必要だし、「組織の変革」をするなら適切なリーダーシップが欠かせない。

だから、「変革」を言う場合は、「変革後に目指す姿」をセットで言わなければならないはずだ。

とにかく現状を変えたい、と言うざっくり議論は、変えることの前提も、変えることも、変えた後も見えなくする。

逆に、「こうなりたい」があれば、そこに向けて取り組むことは自然と決まって来るものだよね。


自ずと決まる

2017年11月7日火曜日

学びは確率じゃなく文脈

僕たちは経験から学ぶけど、どのような経験からも学べるかと言えばそうでもない。

大概は、学ばなくて済む経験を選んでいるからだ。

例えば、ランチとかショッピングなど、行きつけの店やお決まりのメニュー、定番を持つことも学ばない選択だ。

一方、とても学びの多い経験もある。

しかし、僕が学ぶとき、他の人も同じように学んでいるかというとそうでもない。

僕と似た人であれば、同じように学ぶかもしれないけど、僕とは違うタイプの人であれば、学びがあったとしても異なる学びだろうし、時には、まったく学べないかもしれない。

学びが起こるのは確率じゃなくて文脈からだからだろう。


学びが違う

「像」の死角を観る

人材像とは人物像とか犯人像とか、僕たちは見知らぬ人のイメージを語るとき「像」という言葉を使う。

「像」は銅像みたいにカチカチで動かないものや、映像みたいにある視点から行動や状況を記録するものなど、様々な場面で使われるけど、視覚的な情報であることが多い。

そして冒頭の人材像、人物像、犯人像なども言葉を通じて人となりを頭に描くわけだ。

さて、駄洒落ではないけど、視覚には必ず死角がある。

つまり、像を結ぶことによって見えなくなる部分が必ず生まれるということだよね。

そのことを忘れて「像」が全てみたいに思ってはいけないだろう。

で、ね。見えないところは「像」を描く人々が自分で作るしかないから、事実を確かめる方法や、様々な可能性を想定して寛容になる方法を決めなくてはいけなよね。


見えないところ



2017年11月5日日曜日

「君」への問いと「僕」への問い 「君たちはどう生きるか

宮崎駿監督が引退を撤回し、長編の制作に入っているそうだ。

そしてそのタイトルが「君たちはどう生きるか」になるらしい。

「君たちはどう生きるか」は80年前に出版された吉野源三郎さんの名著である。

僕は、この本に思い出がある。

といってもあまりポジティブな思い出ではない。

あまり出来の良くなかった僕が中学受験に際して、とある受験校でテストに出る確率が高いので読んでおくよう言われた本だったのだ。

本と言えば漫画本で、江戸川乱歩ぐらいしか熱心に読まなかった僕にとって、この本はなかなか読み進めなく読み切るのに苦労した。

リフレクションなんて言葉もまったく知らない小学生にとって、経験→省察→本質への気づきという、新たな選択に向けた成長を理解することは容易くないだろう。

一方、この本の凄さは小学生にも刺さるタイトルにあると思う。

年齢に関係なく人生の様々な局面で必ず問われることだからだ。

さて、アニメと言えば、昨年大ヒットのが「君の名は」だ。

「君たちはどう生きるか」が本質への問いであるのに対して「君の名は」は関係性が生じる際の最初の問いだね。

超常的な出来事を通じて、関係が生まれて消えてまた生まれる、本質というより運命や宿命に向き合う物語の中で「問い」は重要な役割を果たしているが、本質に踏み込まない軽快さがあるように感じる。


物事の本質に目を向け自らを変えようとするとき、僕たちは大概、苦しみを感じる。

軽快なノリのある日々を大切にするのか、苦しみを抱え日々本質に向き合うのか、どちらか一方を選ぶことでもないけど、宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」はこの対比への期待を持っていようと思う。


どう生きるか








2017年11月4日土曜日

街を更新すると仕事はどう更新されるのだろうか

このところ大手町界隈の変化が激しい。

以前から大企業のオフィスビルが立ち並ぶ地域だけど、築年数、耐震構造、特例による容積率の購入などなど、様々な理由からか、一斉に再開発が進んでいる。

多くのビルが開業したものの、解体が済みこれから建築が進むビルも少なくない。

皇居から見る大手町は、立ち並んだビル群が壁のようだ。

この一帯には設けられたガイドラインに沿って更新都心と再編都心があり、大手町は更新都心として、積極的に機能更新を図っているのだ。

以前は、皇居への配慮から高さ制限(スカイライン)が100mとなっていたものの、その後150m、200mと引き上げられている。

その結果、壁が出現するわけだ。

僕が個人的に気になるのは、こういう形でビル容積が増えたら、どこかの地域の入居率が下がるのではないかということと、皇居への風の通りが悪くならないといいなぁという望みだね。


さて、オフィスは、仕事をする場所だ。

オフィスによって仕事の仕方が決められてくる。

そして、その場所生かしてそこで働くイメージが作り出される。

大手町やその周辺の再開発は新しいイメージを作り出すことが目的とされた訳だけど、実際にどんな働くイメージが作り出されたのか気になるね。


狭まる空



神の数式と数式は数式 意味はどう生まれるのだろうか

この世は何でできているのか。宇宙はなぜ始まったのか。究極の謎を解き明かす「神の数式」に迫る! 

これは、2013年にNHKが放送した「神の数式」の主旨だ。

とても見応えのある番組だった。

僕たちの世界を数式で説明しようとする研究者たちの戦いを追っているのだけど、かなりいいところまで来ているようだ。


さて、数式は何がしかの意味を理解しているだろうか。

数学者新井紀子さんの話を聞くまでもなく、答えはNoだ。

数式に意味を見いだすのは人間である。

数式を「神」と位置づけるのは人であり、数式は自分を神だとは思えない。

この対比は、「意味」を考える上で重要だ。

例えば、アプリケーションにしてもゲームにしてもディープラーニングにしても全て数式で記述されているから、「意味」を理解していない。

たとえ脳の働きを模したアルゴリズムであっても同様だ。

しかし、それらを使う人は必ず意味を見つけ出そうとする。

アプリケーションであれば便利な道具、ゲームであれば問題解決と達成感、ディープラーニングであれば高精度な見分け能力などと「意味」をつける。

要するに人に「無意味」なものを「意味」化して生きる力を引き出しているのだ。

だから社会にとって正しく「意味」をつけられる人は社会に適応できるし、身勝手な「意味」つける人は様々な問題を引き起こす。

神の数式が見つかることと、社会で人々が平和、幸せに暮らせることとは別問題、と言うことだね。


「意味」とは








2017年11月3日金曜日

「意味がわからない」人に問題は解けない

昨日のリーディングスキルフォーラムで面白かったのは、改革しようとしている人達と、改革が必要な現場のギャップが大きいと言う指摘だった。

例えば、教育改革を推進する文科省の官僚たちは、リーディングスキルが高いので自然に自ら勉強が出来てしまう。

リーディングスキルは、係り受け、照応認識、同義文判定、推論、イメージ、具体例で測定されているので、文章を正しく理解したり、「あ、これとそれは同じことだ」と気づいたりする上で必要不可欠なのだ。

しかし、リーディングスキルが低いと「意味がわからない」ので自習が出来ない。

常に塾などにいって支援を受けながら意味がわからなくても点数が取れる穴埋め的な学習をすることになるのだ。

もう少し平たく言うと、教科書を見ても意味がわからないから問題が解けない。

リーディングスキルが高くて成績が良い人たちにとっては反転学習、アクティブラーニング、MOOKなどは学習を高める良い方法だけど、低い人には役立たない。

そもそも「意味がわからない」のだから「意味がわかった上での学習」なんてナンセンスである。

さて、この「意味がわからない」人が会社に入るとどんなことが起きるのだろうか。

例えば方針を説明する、資料を共有することが通用しない。

だから、方針を理解して、仕事の指針にし、仕事の仕方を改善することが出来ない、と言うことになる。

要するに会社や事業や部門の問題を解くことなど出来ないのだ。


お米屋さんの共起ネットワーク?マインドマップ?



2017年11月2日木曜日

なぜ人工無能に人は凌駕されるのか

僕は日本認知科学会という学会に属している。

属人的なHRという業界で仕事をしていると、「科学的」なことが有り難がられてしまう傾向があって、その最たるものがAI(人工知能)だ。

これまでデータを扱う仕事をしてきたけど、僕は、自分の仕事領域がブーム的な傾向を見せ始めたら基礎に立ち返ることを信条としているので、「科学的」なことではなく、「科学」に向き合うため学会に属したのだ。

さて、学会に属して有り難いのは色々なセミナーなど啓発の場に関する案内をもらえることだね。

そして、今日は案内を頂いた「リーディングスキルフォーラム」に参加した。

フォーラムの主催者、新井紀子教授は、数学者でありながらリーディングスキルの向上に向けた取り組みを精力的に進めれいる。

東大にロボットは合格するのか、という取り組みが有名な新井さんが起こされた問いが、
「人工無能(←間違いではありません)になぜ人は凌駕されるのか」であった。

ちゃんと理解している人であれば、新井さんがAIの実態は数学でしかないこと、データ検索であって東大にも入れないし、未来を予測するのでなく、事後を分析するものでしか無いことの説明が「当たり前」に感じられただろう。

一方、誤解している人にあるのは、AIは未来に起こることの予測ができるという願望との混同であるとの指摘、もっとも過ぎて安心感がある。

で、ね。今日のフォーラムのポイントは、「なぜ人工無能に人は凌駕されるのか」だ。

東ロボの取り組みで、ロボットの偏差値は57を越え、関関同立クラスの大学に合格できると有名進学ゼミの模試で結果が出てしまった。

つまり、学生の上位20%を越えることは出来ないけど、それ以下の学生は東ロボに凌駕されてしまったのだ。

フォーラムの中では、「で、どうする」が続くのだけど、この問いは、HRで最近導入が増えている、AIを使った採用選考にも当てはまるだろう。

つまり、「事業に必要な人材」であったり、「組織における人材の活躍」が意味することをわからない数学の結論(AI)に採用の一部を委ねることに無能感、無意味感を持たない「科学的なこと信奉」の誤りだ。

また、そういう人こそが人工無能に凌駕されるのだろう。

結論的には、やはり一見科学的に見えるブームやツール(手法)に飛びつくのはよろしくない。


リーディングスキル x グラレコ









2017年11月1日水曜日

生け花の基本から本質を生み出す方法

以前習った生け花の基本は「真・副・控」と3つの役割を持った枝花で二等辺三角形を作り空間を美しく演出することであった。

空間とは、僕たちが生きている場所であり、それを切り取ることは、自分の場所を俯瞰するメタ認知に繋がる行為だ。

そして、生け花の基本はメタ認知を自動的に促しているのではないだろうか。

さて、僕は3つの点が描き出す空間には気づきが溢れていると思う。

生け花でも、基本を押さえただけで美しさが生まれる。

枝花のもつ美しさという本質を空間が引き出しているのだ。

空間が物事の本質を引き出すのは、生け花に限ったことではないだろう。

例えば、「公・共・私」の空間は、社会における人間関係の本質を見せてくれる。

「社会・組織・個人」の空間は仕事の本質だね。

「思考・感情・欲求」の空間は「自分」の本質だ。

「飲む・打つ・買う」の空間は不埒な昭和男児の本質か?

そして、独自の3つの点を使って空間を描くことで誰も気づいていない本質に出会えるかもしれない。


基本を押さえて本質に気づくレゴの花