2019年12月31日火曜日

さようなら2019

去年、このブログでもっともPVが多かったのは年末近くに書いた「カフェでのテレワークを止めよう」と言う記事だった。

この記事には反撃コメントもついたので何かしら感じる人が多かったのでしょう。

それに比べて今年は至って平和で、「嫌われる理由、人気の理由」と言う記事のPVが若干多かったくらい。

さて、炎上商法が無くならないのもわからなくない。

例えばPVだけを考えるのであれば、炎上ほどおいしいものはない。

炎上ネタってなんだかんだとみんな見るのだよね。

で、ね。来年は一丁、炎上ネタを盛ってみようかしらん。

柄にもないことはやらないけどね。


はーと


2019年12月30日月曜日

今年の思い出

年の瀬になるとやはり、何だか今年一年を思い起こしたくなる。

何だかセンチメンタルな気分であまりはっとしない。

俗っぽくて僕自身が安っぽく感じられるからだ。

でも、実は、今年一年についてこのところずっと想っていた。

色々あったからね。

一番辛かったのは、身体的にはインフルエンザ。

これはキツイ。

精神的には、会社が変わらなければならないこと。

きっと、メンバーにとってみれば君子豹変す、だったのだろう。

一番楽しかったのは、夏休みの家族旅行。

僕の犬、ルイを連れた初めての旅行は緊張の連続だったけど、本当に心の刻まれる経験になった。

そして、旅行を終えてぐんと成長したルイを観て、「ああ、生き物はこうやって成長するのだ」と知る。

12月にルイを連れて仲間の居る湯河原でみかん摘みしたことも本当に楽しい出来事だったね。

さて、「思い出」には「経験」が付き物だ。

「思い出」になるような「経験」をどれだけ積めるかが僕たちの人生を豊にしてくれるのかもしれない。

でも「経験」がすごいのではなく、「経験」に価値を与える僕たちがきっと凄いのだろう。


楽しかったね

2019年12月29日日曜日

情動の嵐に気づく

先日、ファミリーヒストリーと言う番組で阿川佐和子さんを拝見していた。

阿川佐和子さんの父親は、作家の故人となった阿川弘之さんである。

その阿川弘之さんは「癇癪もち」としても紹介されていた。

ちなみに「癇癪もち」とは、
”怒りを爆発させてしまい、コントロール出来ない状態の人の事を言います。些細な事で激しく怒り、一度怒り出すと治まるまでに時間がかかります。”
だそうだ。

要するに周囲からしてみれば厄介な人でもある。

そう言えば、以前、職場でも何でそんなに突然怒るのだろうと驚かされる人が居た。

もう、自分の行動がコントロール出来なくなって周囲が唖然とする。

でも当人は、それが「癇癪」だとはあまり思っていないらしい。

さて、この休みに入って、やっと体調も戻り、ゆったりと身の回りの片付けをしていた時、ふと、休み前の会議での出来事が気になり、居ても立ってもいられないような感覚に襲われた。

すぐさま、パソコンを開いて関係者にメッセージを送ろうとしていた時に、ふと僕は自分がコントロール出来なくなっていることに気づいた。

おそらく、数日前の出来事を僕はずっと潜在意識の中で「怒って」いたのだろう。

それがある瞬間にこぼれ落ちて顕在意識に飛び出して来て、僕の情動を乗っ取ったわけだね。

僕は程なく思い直して、メッセも止め、出来事自体もより前向きに意味づけしたのだけど、ひょっとして急に沸き立った僕の中の怒りの感情に気づけなかったら、周囲の人はきっと迷惑を受けていただろう。

で、ね。おそらく誰にでも「癇癪」はあるのだろうね。

あとは、その程度の度合いと、自らの癇癪に気づいて正せるか否かの違いだけなのかもしれない。


潜在意識に情動を支配されない





2019年12月28日土曜日

デイ 1

家人も今日から動き出せるようになり、どうやら我が家のインフル禍も収束を迎えたようだ。

思えば、ちょうど1週間前のこの時間は高熱と喉の痛み、咳、痰など体調がどんどん悪化していて辛かった。

医者が処方した薬をたくさん飲んで、それでも症状が楽になっているのかいないのかわからない感じで、とにかく耐えるしかなかったからね。

また、時差で家人も発症したため、自分の治療だけでは済まなくなったこともなかなかの試練になった。

そして今日、やっと、日常生活が送れるようになって、僕は健康を無駄使いしているのかもしれないと思う。

少し良くなってくると、食べすぎたり、ジャンキーなものを食べたくなったり、今日あたりはお酒も飲みたくなってきた。

しかし、それらの物を摂った時、体には明らかに影響がある。

食欲中枢がさらに刺激されたり、胃腸への負担が高まったり、とね。

まともに食べられず、ご飯に漬物だけで食べていた時の方が体の中は綺麗な印象だった。

もっとも、ご飯と薬しか摂らないと、おそらく亜鉛などのミネラルが不足して味覚がおかしくなった。

味がしないのだ。

急遽、コンビニでミネラル分のゼリードリンクを買って、飲んだところ味覚障害はすぐに消えた。

今回のインフルエンザから得た教訓が何か、と言うと、やはり、「健康な時にバランスの良い食生活は大事である」なのかもしれない。

これから正月、十分に気をつけよう。


健康な時こそ要注意



2019年12月27日金曜日

インフル 7

今日は、医者から告知されていた出社可能日であって会社の年内最終営業日。

臨時株主総会に臨時取締役会、大掃除、そし忘年会の日。

そう、大事な一日なのだ。

しかし、家人がまだ病床だし、喋ろうとすると咳が出る僕は会社に行くのをやめ、重要会議にはWEBで参加しそれ以外は昨日と同じように過ごした。

さて、そのような一日で改めて気づくのは僕たちの「集中力」の姿だ。

普段でも重要会議ではより集中して議論しているつもりだけど、朝から忙しくしている夕方の会議などではとても集中しているとは言えないかもしれない。

なぜなら、「集中」とは「高度に覚醒しながらも自己統制が効いて最も良い結論を引き出している状態」であって、ぼーっとしていたり、感情に押し流されていればすでに「集中」出来ていない。

にも関わらず「自分は集中している」と思っているのだとしたら、それはそもそもの自己客観視が出来ていない。

その時点で「集中」出来ていないだろう。

空気の流れや匂いを感じられるほど覚醒しているか、感情や困難さに押し流されていないか、最も良い結論に至ったのか。

インフル7の教えは、本当の健康を知るためのものなのかもしれない。


あとは正月





2019年12月26日木曜日

インフル 6

「健康になる」回復力とは、なんと素晴らしい力なのだろうか。

どんどん病気が悪化し、もう元に戻れないのではないかと不安を感じていた昨日までに比べて、6日目の今日は「健康」を思い起こせるほどになった。

「あ、そうそう、こんな感じ」的にね。

食事も買い置きの冷凍食品から、スーパーで食材を買って簡単な鍋を作るなど、より健康を意識した生活である。

ひょっとしたら、闘病中に看病へモードが変わったことで健康への意識が加速したのかもしれない。

ただ、体調的にはまだ、「病」の最中といった感もあり、体よりも意識が先行しているようだ。

さて、看病モードで忘れてはならないのが犬の世話だ。

これは犬を飼う時に必ず覚悟しなくてはならない。

ご飯、トイレの始末、散歩、そして遊び。

彼の暮らしは僕に全ての責任がある。

だから、「健康」を思い起こせない時期でも世話して、散歩をする。

もちろん、できる範囲でね。

もしできる範囲が無くなる、つまり責任が果たせなくなった場合、僕は別の手段で責任を果たすことを考えなくてはならないし、それも出来なければ社会的な存在としても「病」にあると言えるだろう。

こう考えると、「病」とは、身体、意識、責任とそれぞれ同じようで、でも少しづつずれているようだね。


だいじょうびでつか?






2019年12月25日水曜日

インフル 5

5日目を迎えた僕のインフルエンザ、医者から宣告された出社禁止まであと1日となった。

とはいえ、今の体調及び家人の看病で明後日の年内最終日に出社出来るのか不透明だ。

5日目になって変わったことは、「焼けるような喉の痛み」が「結構な喉の痛み」に変わったことくらいだね。

あと、相変わらずしんどいけど、意を決して買い物に行ったことだ。

看病をしていると、犬の散歩、買い物はしないわけにいかない。

たとえ医者から禁止されていようと、ね。

一方で、急に咳が止まらなくなったりもするので、病気から健康の分岐点へだいぶ近づいたのかもしれない。

さて、横になると咳が辛いので椅子に座ってじっとしながら少し前のことを思い出していた。

それは、僕が会社の代表を努めていたときに打ち出した3つのビジョンだった。

引越し、売上、そして会社の有りようだったけど気がついてみれば、そんな感じになってきている。

ビジョンではなく、心の中で取り組んでいたこともそんな感じになってきている。

オーナー会社ではないのに社長と代表が違っていたりと結構、不思議な感じだった会社の不思議をなくし、そもそも目標としていたことの実現へ向かうことが僕の描いていた3つのビジョンと1つの秘めた取り組み。

まあ、会社が変わったとしたらそれは皆の力であって僕の力ではないし、かなり自分に都合よく解釈しているとも思うのだけど、インフルの頭が考えていることなので許してあげよう。


福もらい(インフルもろた)


2019年12月24日火曜日

インフル 4

昔、この時期になると僕の実家も含め、近所の問屋が軒並み大売り出しをしていた。

歳末の売り出しは、お店で働く人たちが正月に帰省する際の餅代を持たせるために始まったと聞いたことがあるけど、お客さんにとってみれば商品が卸価格で安く手に入り、問屋には現金収入があるといった、Win-Winモデルだったのでしょう。

問屋が小売をメインにしちゃうと得意先の小売店が仕入れてくれなくなるから、この時期だけの暗黙の合意ってことだろうね。

さて、インフル4日目、看病する側になったものの、喉の痛み、咳や痰が酷く、とても快方に向かっているような実感がない。

何につけ、横になると咳き込んでしまうのが辛いね。

そんな中でも、少しの間、気分転換も込めて犬と散歩に出た。

室内飼いとはいえ健康のためには1日1回は散歩が必要だ。

普段の半分以下の速度で散歩していたら目に入ったのが大売り出しののぼりというわけだ。

「ああ、昔はこうだったな」といつの間にか忘れてしまった風景をインフルエンザが見せてくれたのかもしれない。



陶器かな

2019年12月23日月曜日

インフル 3

3日目を迎えた僕のインフルエンザ。

少し良くなっていて欲しいのだけど、喉は焼けつくように痛いし、咳や痰がたいそう苦しい。

ウイルスの増殖は止まっているのに、なんで症状は悪化するのだろう。

そして、今日、いよいよ家人が感染した。

感染源は僕だ。

今、我が家で元気なのは犬だけだね。

なんとかブログを書こうとパソコンを出したけど、金属のボディが冷たくて悪寒が走る。

まあ、何につけ、日常生活を送ることは難しいようだ。

昼間、家人を病院に連れて行ったのだけど、そんな些細な外出もダメージになる。

家人は薬が効いてぐっすり寝ていて、一安心だ。

そんなこんなで今、気になっているのは、このインフルが何日続くのだろうか。

それを考えると気が重くなってくる。


元気な子



2019年12月22日日曜日

インフル 2(インフルエンザ2日目)

マット・デイモンが主役を果たした映画「オデッセイ」では、火星でのみっっション1日目を SOL 1 と言った風に表記していた。

地球でのミッション1日目は DAY 1 だね。

それ風に表記すると今日の僕は influ 2 だ。

インフルエンザの特効薬タミフルとかリレンザの名前は聞いたことがあるけど、無縁だった僕にとって今回の罹患はイナビルという抗インフルエンザ薬の初体験にもなった。

結論的に言うと、劇的に効いているのかよくわからない。

インフルエンザ経験が乏しいからね。

昨晩も悪寒に咳で苦しんだし、今日もまだ同様だ。

恐らく、インフルエンザの進行は止まっているけど、症状はそれなりに続くのかもしれない。

そんなぼーっとした頭で先週のブログを読み返して見ると、テーマは地域とチームだ。

いずれも「愛着」と「活性化」が課題になる。

愛する地域やチームをなんとか盛り上げたい。

映画「オデッセイ」では、最後、地球に帰還して映画が終わるけど、僕たちが帰属する場所や場は、僕たち自身のことと同じくらい大切なものなのでしょう。


(月)地域の問題の解決 「それができる人」は何処に
足りないからと言ってAIでは代わりにならないのだろうね。

(火)犬の箸置き 犬が箸休め
で、ね。箸置きは、ゆっくりとご飯を楽しむための大切なサインなのかもしれない、そう思うと食事との向き合い方がかわるよね。

(水)みかん摘みに見るチームワークが生まれる理由
これをマネージャーやリーダーなど役割を決めて、遅い人を叱責し、出来高をつけると今風のチームワークでより効率的にみかんを摘めるのかもしれないけど、それは、自然と貢献したくなるようなチームワークではないよね。

(木)ポンコツロボットにポンコツ親子
で、ね。多くの人は、誰かがポンコツと呼び捨てても、実は世の中にはポンコツなんて無いことを知っているのかもしれないね。

(金)豆と鳩 みかんと猿
連想クイズではないけれど、その場所で見ることができる2つのもので記述すると、風景が生々しく感じられるのだよね。

(土)インフルエンザになっちゃった
やらなくてはならない仕事もあるのでどうするかは明日、しっかり考えるとして今日は早く寝ます。


北斎のビッグウエーブ


2019年12月21日土曜日

インフルエンザになっちゃった

年の瀬のこの時期に僕はインフルエンザを罹患した。

先日、2500日目のブログを書いた時、期間中、病気らしい病気も無かったと振り返ったけど、それも束の間、インフルエンザなのである。

ああ、ブログも書けないかなと思ったら、今時の薬はよく効く。

咳も出るし、体調は全く普通ではないけど、午前中のどうにもならない悪寒や体の節々の痛みはすっかり消えている。

とはいえ、木曜まで出社禁止とのことで、今年の僕の会社での仕事は終わってしまったのだ。

やらなくてはならない仕事もあるのでどうするかは明日、しっかり考えるとして今日は早く寝ます。


薬、薬、薬





2019年12月20日金曜日

豆と鳩 みかんと猿

その土地には固有の風景がある。

そこで暮らす人々や生き物が織りなす風景だ。

例えば亀戸のある大きな交差点に面して、いり豆のお店があるのだけど、昭和を彷彿とさせるその店の前には鳩が集まっている。

ひょっとしたら鳩にとってみたら、人間よりも豆が好きなのかもしれない。

だから、おこぼれに預かろうと、集まってくるのでしょう。

店の前ならまだしも、どうやら鳩は隙を見て店の中にも侵入するらしい。

デッキブラシを持った店の人が鳩を追い出そうとしている姿はこの店ならではの風景だろう。

そういえば先日行った、湯河原のみかん山には野生の猿が居た。

美味しくなったみかんを食べていたのだ。

食べ頃のみかんを食べている猿の姿は湯河原のみかん山ならではの風景だ。

連想クイズではないけれど、その場所で見ることができる2つのもので記述すると、風景が生々しく感じられるのだよね。


そこに居る



ポンコツロボットにポンコツ親子

仕事を終えて家に帰り、夕飯を食べながら僕は録画してある映画を見ていた。

それは「リアル・スティール」と言う映画だ。

あらずじはネタバレになるから触れないけど、要は、ポンコツロボットとポンコツ親子の物語である。

結局、ポンコツじゃないのだけど、食べ終わって、見終わって、なぜ、今晩、僕がその映画を見たのかがわかった気がする。

というのも、最後の会議で僕は「ポンコツ」と言っていたから。

客観的に見てどうなのよ、という状況を僕は自虐的に表現したのだけど、ポンコツにはポンコツの理由も、そしてポンコツだから価値が無いというわけでもない。

ポンコツ車だって、それに対して強い思い入れがある人もいる。

つまり、客観的にはポンコツであっても、主観的には宝物だったりするのだ。

さて、映画を見終わった後、次に見ているビデオはラグビーワールドカップ日本代表対アイルランド代表の試合である。

これまでの強豪国から見れば日本代表はポンコツに見えていたのかもしれない。

しかし、結果は日本代表が勝った。

で、ね。多くの人は、誰かがポンコツと呼び捨てても、実は世の中にはポンコツなんて無いことを知っているのかもしれないね。


もはやポンコツ?



2019年12月18日水曜日

みかん摘みに見るチームワークが生まれる理由

僕は先週土曜日、湯河原までみかん摘みに行った。

犬猫SNSのオフ会でもあったので、僕の犬もいっしょに。

僕にはみかん摘みの経験が無いから、教わっていっしょにみかん摘みをする。

摘んだみかんがこすれて傷がつかないよう、一度はさみで切ったあと、軸の部分が平らになるように短く切るのがポイントだそうだ。

さて、みかん山にはたくさんの木があってどれもがたわわに実っているのだけど、木を決めて皆でその木の実を摘む。

「この木」は僕の責任ではなく、皆の責任ということになる。

ひとりといっぴきで参加した僕たちは、いずれも初参加なので、様子もわからず見様見真似、しかも、犬をスリングという抱っこ袋に入れての挑戦なので足手まといでしかない。

それでも暖かく見守ってもらって楽しい時間を過ごすことができた。

さて、自然を相手にしたとき、チームで何が出来るのかといえばそれほど多くはないかもしれない。

なぜなら、一本の大きなみかんの木を前にして、人間は小さい存在で手を広げ、足を動かしてもカバーできる範囲は限られてしまう。

つまり、自分のできる範囲をできる方法で貢献するしかないからね。

犬をスリングに入れた僕は低い位置も摘めないし、高い位置も摘めない。

分け入ったところも摘めないし、犬が葉っぱを食べ始めたら摘めない。

要するに、楽に摘める場所だけなのだ。

手慣れた人たちは、そんなことを気にせずどんどん摘んでいく。

そして気がつけば休憩してみかんを食べている。

僕は声をかけてもらえなければみんなみたいにみかんを食べる余裕もない。

やがて一本の木が丸刈りになると、足手まといだけど足手まといなりの達成感と次はなんとか邪魔をせず貢献したいなと思えてくる。

このような自発性に基づくチームワークは原始的なのかもしれないけど、人間にとってみればとても自然なことなのでしょう。

これをマネージャーやリーダーなど役割を決めて、遅い人を叱責し、出来高をつけると今風のチームワークでより効率的にみかんを摘めるのかもしれないけど、それは、自然と貢献したくなるようなチームワークではないよね。


さあ、摘もう






2019年12月17日火曜日

犬の箸置き 犬が箸休め

箸置きにはいろいろな種類がある。

家で使うものは決まっているけど、外で食べるときは箸置きも楽しめる。

機能で割り切った店、細かなところまで演出する店、そして箸置きのない店など、それはそれでその店のスタンスを語っているように思える。

近所の中華料理店、料理は美味しいのだけど箸置きはコース料理の時だけ、それも白い真ん中がすこし凹んだ長方形のシンプルなもので、「必要だから使ってね」といった感じ。

一方、犬が同伴できるレストランの箸置きはかわいい犬で、「もう、犬大好きでしょ?」みたいな。

懐石料理の店もシンプルな少し凹んだ長方形だけど青い色で模様がついて和な感じだったね。

さて、箸置きは箸休めとも言うそうだ。

それは僕たちに、食べるのを休んでお酒を飲んだりおしゃべりを楽しんだりしましょうよ、と無言で誘いかけているのでしょう。

で、ね。箸置きは、ゆっくりとご飯を楽しむための大切なサインなのかもしれない、そう思うと食事との向き合い方がかわるよね。



どちらも

2019年12月16日月曜日

地域の問題の解決 「それができる人」は何処に

先週土曜日に僕は湯河原のみかん農家に行ったのだけど、それは犬猫SNSの集まりでもあった。

そこでみかん農家の現状を聞くに、ああ、こんな温暖で自然の恵が豊な土地でも地域が大きな問題にが直面していることのだと知ることになる。

僕はよくわかっていないのだけど、直感的に思うのはみかんの需要と人手のバランスが合わなくなっているのかもしれない。

さて、その問題を解決に向かわせる人がいる。

その人は、人手不足に対してSNSで仲間を募る方法を提案し、獲れたみかんを新たな市場に出す提案もしたらしい。

「それができる人」の采配は問題を大きく解決に向かわせる。

だから「それができる人」を育てることは、問題の解決に寄与する。

では、人材育成で多くの社会課題を解決できるかというとそんなに簡単ではないだろう。

課題はもっと根深いところにあるからだ。

例えば、「それができる人」がなかなか育たないというのはそもそもの課題だろう。

「それができる人」は貴重なのでもっと経済効率性の高い問題解決に取り組むことが多くなるのがその原因かもしれない。

圧倒的に足りない「それができる人」。


足りないからと言ってAIでは代わりにならないのだろうね。


猿が剥いたみかんの皮





2019年12月15日日曜日

僕たちは「オン」と「オフ」の狭間で揺れる

僕の1週間を振り返ると、そこからはオンとオフが浮かび上がってくる。

ブログはオフだし、仮想と現実はオフとオンの関係とも言える。

チームはオンだし、聞き上手はオンのようで実はオフだ。

正しいことはオンで、信用はオフ。

つまり、本音で自分を出せる場や関係性がオフであって、オンでの経験はオフで学び返される、そこでの学びを往還される場がオンと言えるかもしれない。



(月)2500日目のブログでうれしく思う3つのこと
まとめると、怪我や大病がなく、ブレないテーマをみつけられ、それは未来志向である、のがうれしいことだ。

(火)経験における仮想と現実の違い
そう考えると、現実の経験は僕たちに教訓を与えてくれるのだからより多くの現実経験によって僕たちは育てられるのでしょう。

(水)ONE TEAM が示した最適チーム編成
僕たちはチーム編成に何が必要で、何が必要ないのかもう一度しっかり考える必要があるようだ。

(木)聞き上手に聞かれる有り難さ
結局、心理的安全とは他者攻撃の反対側にあって、聞き上手とは心理的安全を生み出せる人だから、言いたいことの内容ではなく、存在そのものに癒やされているのかもしれない。

(金)「正しいこと」と「信用」の関係を考えてみよう
この順番を逆に使う人が冒頭の評論家なのかもしれない。

(土)「オフ会」なるものへの越境
それでもみかん摘みの方法を覚えたよ。


オフ

2019年12月14日土曜日

「オフ会」なるものへの越境

僕と僕の犬ルイは今日、湯河原のオフ会に出掛けた。

途中、渋滞もあって3時間近く掛かってしまい、ルイも到着した時、軽く吐いていた。

その後、皆と楽しくみかん摘みをしたのです。

さて、オフ会はSNSで日頃つながっているので初対面とも言いにくい。

でも、犬猫のSNSなので、飼い主はお互いに初対面だったりもする。

不思議な感覚だ。

このオフ会、実はみかん農家の悩みに端を発しているそうだ。

以前、みかん摘みは佐渡の方の出稼ぎで行っていたらしいけど、出稼ぎも減って、たわわな実りを摘めないでいるらしい。

その相談を受けた糸井重里さんが、SNSの仲間に呼び掛けたらどう?とアドバイスして始まった。

僕は、遅刻して早退、しかもルイをスリングに入れて摘んでいたのでほとんど貢献できなかった。

それでもみかん摘みの方法を覚えたよ。


・・・

2019年12月13日金曜日

「正しいこと」と「信用」の関係を考えてみよう

評論家は正論を言い、相手に対しても正しいことをするように言います。(中略)しかし、前にも述べましたが正しいことは一つではありません。(中略)彼らは、いつでも正しい、自分では痛みを感じず、痛みは人に押し付けるのです。(中略)正しいことばかり言う人はどこか信用できないのはこのためです。「プロカウンセラーの聞く技術」(P137 東山紘久著)

僕が個人的に気をつけているのは評論家的にならないことだ。

なぜなら、話し相手がそういう風に受け取っているのではないかと思っている。

先日も会議で報告をしていた際に、「こんな大問題を軽くみているのではないか」と言われた。

その際に考えていたのが問題の大小をどう位置づけるかなのだけど、それは評論なのだろう。

僕はこれをなおすべき癖と考え注意しているので、ぐっと堪え復唱するに抑えた、つもりである。


そこで、前述の本の中で「評論家にならない」という章を最初に読んだところ書いてあったのが、冒頭の一節だ。

この中で、「正しいこと」と「信用」の関係ってとても面白い。

そういえば、僕たちが信用している人たちってどこか間違っているものだ。

「あれ?それおかしくない?」なんて云う人を案外、心から信用しちゃっている。

あばたもえくぼ、なんだよね。

「正しいこと」じゃなく、僕たちが信用するのは、人間味とかその人らしさだものね。

度が過ぎると詐欺になってしまうけど、僕たちが信用している人たちと作り出している社会には「正しいこと」が全てじゃないとの不文律がある。

そして度が過ぎないように法律や規律、倫理や道徳があるのでしょう。

この順番を逆に使う人が冒頭の評論家なのかもしれない。


カラスじゃないよ


2019年12月12日木曜日

聞き上手に聞かれる有り難さ

今週は、ありがたいことに二人のとても素敵な友人にヒアリングをしてもらった。

これは、あくまでも仕事の中で設定されたものでプライベートな場ではない。

仕事の一環とは言えども、見ず知らずの人への警戒感といったものは無く、否が応でも心理的安全な状況でなので色々語れる。

いや、ほんとうに色々聞いてもらった。

たまたま、ヒアリングが今週に重なったのだけど、それも不思議な縁を感じるね。


さて、聞く技術というのがある。

「プロカウンセラーの聞く技術」(東山紘久)という本には31のポイントが記載されている。

インタビューやヒアリングなどでは聞くスキルが無いことは致命的だけど、対話(ダイアログ)でも聞くスキルが無いと始まらない。

一方、議論の場面では聞くスキルは話すスキルよりも重要性が低いかもしれない。

前述の本では、一番最初に「聞き上手は話さない」と書いてあるものね。

確かに、聞いてくれない人は僕の話を遮ってすぐに話し始める。

僕が話を聞くより話したいとき、程度の差こそあれ攻撃的である気がする。

飲み会であってもね。

結局、心理的安全とは他者攻撃の反対側にあって、聞き上手とは心理的安全を生み出せる人だから、言いたいことの内容ではなく、存在そのものに癒やされているのかもしれない。


読み直します






2019年12月11日水曜日

ONE TEAM が示した最適チーム編成

僕は観に行けなかったけど、今日、丸の内でラグビー日本代表のパレードがあって多くの人が訪れたらしい。

ラグビーワールドカップには日本中が熱狂したものね。

そんな日本代表のキーワード「ONE TEAM」は今年の流行語大賞にもなった。

間違いなく、今、一番日本で有名なチームだ。

さて、世の中にはたくさんのチームがある。

おそらく、人の数の次に多いのがチームなのではないかな。

「チーム」とは、一人では成し遂げられないことを達成するための小集団だ。

そして「ONE TEAM」はさらに、普通の人たちでは到底成し遂げられない偉業を達成するためのスーパー集団だ。

勝つために選ばれ、そして勝つために鍛えられ、勝つために一人一人が力を合わせて戦う。

文字にすればそんなことかもしれないけど、これを短縮すると、

「選ぶ」「鍛える」「力を合わせる」「戦う」になる。

だから、まずは、誰かが「選んで、鍛える」ことから始まるのでしょう。

次に「力を合わせて、戦う」のは選ばれて鍛えられたチームメンバー自身だ。

力を合わせる意識と戦う意欲が欠かせない。

逆に考えると力を合わせて戦える人を選ばないといけない。

力を合わせることも戦いぬくこともできない人であれば「ONE TEAM」にはどうあがいてもなれないでしょう。

そう考えると、「ONE TEAM」とは気が合う人たちの集団ではなく、同じ志を持つ集団だ。

今回のラグビーワールドカップは、この志に国境は関係が無いことがはっきりと証明された。

僕たちはチーム編成に何が必要で、何が必要ないのかもう一度しっかり考える必要があるようだ。


最強?


2019年12月10日火曜日

経験における仮想と現実の違い

僕たちはゲームをするたびに課題解決に取り組み、本を読むたびに視界を広げ深める。

でも、ゲームと社会課題の解決は違うし、読書で行動範囲が広がるわけでもない。

つまり僕たちの具体的な行動は、具体的な状況と密接につながっている。

社会課題の解決をするためには、社会課題に接する必要があるのだ。

もちろん、類推する能力で、ある経験から得た教訓を他の経験に活かすことはできる。

仕事で社会課題に向き合っていれば、仕事以外でもその経験が役に立つ。

逆も真だね。

ただ、それはあらゆる場面で有効なわけではないのだろう。

なぜなら僕たちは人間であり、環境との全体的な関係の中で力を発揮する存在だからだ。

そう考えると、現実の経験は僕たちに教訓を与えてくれるのだからより多くの現実経験によって僕たちは育てられるのでしょう。


リアルでね



2019年12月9日月曜日

2500日目のブログでうれしく思う3つのこと

僕がこのブログを書き始めて連続2500日が過ぎた。

よく続いたというより、大病や怪我もなく連続で書けたことが1つ目のうれしいこと。

続けることが目的ということで、内容の善し悪しは著しいし、締め後と称して次の日に書くところまでは許しているのでほんとうにちゃん書いて連続しているわけではない。


ちなみに1回目の記事の出だしは、

タイトル:イノベーションは打開策ではない

デザインと創発

現在、私にとって最強、かつ最大のテーマです。おそらくこれからも。


だった。


「デザインと創発」のテーマは今でも最強、かつ最大なのでぶれていない。

これは2つ目にうれしいことだ。

というのも、昔、ちょっとかっこいいブログを書こうと思いついたことがあるのだけど、3日と続かなかった。

テーマが最悪だったのかもしれない。

持続するためには、自分の本当のテーマであることが肝要なのでしょう。


さて、僕の人生からみれば、2500日はほんの一部でしかない。

そこで2500日という尺をほかの時期に当てはめてみたくなるのだけど、7年弱の期間、同じことを続けていたことはいくつかに限られてくる。

いくつかを、あれこれと思い出しているうちに、それよりもこれから2500日どんなことを続けていくのかが気になってきた。

過ぎたことよりもこれからのことだ。

過去は変わらないけど、これからのことはデザインも出来るし創発も起きる、かもしれない。

そうだ!デザインと創発は未来志向なんだ、と思ったことが3つ目のうれしいことだ。

まとめると、怪我や大病がなく、ブレないテーマをみつけられ、それは未来志向である、のがうれしいことだ。



うれしいね

2019年12月8日日曜日

2499日目のブログは未来を開くツボ

僕のブログの1週間を振り返ると、身の丈で生きて飛躍した未来を迎えるツボ、みたいなことが言えるかもしれない。

月火水が身の丈、水木金が飛躍した未来みたいな感じだ。

水曜日が分岐点だね。


さて、ツボが何か、といえば、己の狭さ偏りを知る謙虚さと信念と興味のあることを諦めずにずっとやり続ける持続性だ。

もちろん、Googleみたいな未来が待っているわけでは無いけど、謙虚さと持続性によってそれぞれが充実した豊な人生を開くことになるのかもしれない。


(月)「自律型人材」の「自律」を考えてみよう
で、ね。結局、僕たちは、「今を生きる」とか「自分らしく生きる」とか限られた範囲の環境でしか自律できないのだろうから、あまり、「自律」を妄想しない方が良いのでしょうね。

(火)改めて老害を考える
振り返るに30代の僕はあまり老害を感じていなかったけど、それが本当の老害だったのかもしれないね。

(水)成果はちょっとの才能と抑え難き好奇心と強い信念と弛まぬ努力から生まれる
人のちょっとの才能と抑え難き好奇心と強い信念と弛まぬ努力はすごい成果を生み出せる、Googleの共同創業者はそんなことを教えてくれる。

(木)あの人は「おいしい生活」の本質を知っている
で、ね。そう考えると本質を知る人を知ることはものすごくすばらしいことなんだよね。

(金)がちゃトークのテーマ「無駄」を通して人生を豊にする
要するに僕たちは、上手に意味づけできれば「無駄」を無くすことができるし、即ちそれは、充実した豊な人生のことであるのかもしれない。

(土)予測できない未来とその主役

で、ね。SNSを使った犯罪に巻き込まれる子供も増えていて決して良いことばかりじゃ無いのだけど、デジタルを活かす主役は間違いなくこれからの世代なんだよね。 


おいしいツボ

2019年12月7日土曜日

予測できない未来とその主役

僕は「CHEF」という映画が好きだ。

2014年の映画だからそんなに昔ではない。

映画の中にではTwitterが効果的に使われているのも違和感が無い。

映画の筋はネタバレになるので置いておいて、腕の立つ料理人と、Twitterを使いこなす子供の対比が面白いと思った。

子供はTwitterだけでなく、動画も使いこなす。

まさに旧世代とデジタルネイティブの棲み分けなのだ。

さて、2019年11月というのは映画「ブレードランナー」の舞台である。

ブレードランナーで出てくるレプリカントと呼ばれる人造人間や空飛ぶ車はまだまだ先の話だけど、写真とか今の方が映画より進んでいることもあるそうな。

SNSも映画には描かれていなかった。

きっと映画が公開された1982年には想像できないことだったのだろうね。

そして、これからも今の僕たちには想像できない変化が起きて社会が変わっていくのでしょう。

で、ね。SNSを使った犯罪に巻き込まれる子供も増えていて決して良いことばかりじゃ無いのだけど、デジタルを活かす主役は間違いなくこれからの世代なんだよね。


おいしい料理





2019年12月6日金曜日

がちゃトークのテーマ「無駄」を通して人生を豊にする

先月、僕が参加した法政大学長岡教授のカフェゼミ51thが、法政大学のリレー形式の「実践知」フォーラムで総長大賞を受賞した。

カフェゼミ以外は参加していないので僕には比較しての優劣がつけられないのだけど、登壇された吉岡マコさんやゼミの卒業生たちは、皆さん、まさにワークシフトの実践知に溢れていて素晴らしかった。

改めておめでとうございます。そして、ありがとう。

さて、そんなことで長岡教授が不在、そしてSFC加藤教授が8月以来参加した今日のがちゃトークはテーマが「無駄」になった。

そして何の巡り合わせか、4回のトーク中、3回は僕が話すことになった。

と言ってもそのうち2回は連続で自分を引いてしまったのだけどね。

僕が話すことになったのは、「今までで一番無駄だと思う買い物は?」「あなたの部屋にある無駄遣いしたなと思うものを教えてください」そして「無駄なことってあるの?」。

3本立てになってしまい大変申し訳ありません。

1つ目、2つ目は基本的に「無駄なものが無い」と話し、3つ目は「今、僕の仕事には無駄が溢れている」と反対のことを話した。

対話の中で「無駄と感じるのは他にやりたいことがあるからかもしれない」と聞き、なるほど、これはそうだなと気づいた。


「無駄」って結局、物事の捉え方のことなので固有性がある。

ゴミ屋敷の主は、集めているのはゴミだと思っていないだろうし、仕事の中の無駄と感じる時間も誰かにとっては有益な時間だとすれば無駄ではなくなる。

要するに僕たちは、上手に意味づけできれば「無駄」を無くすことができるし、即ちそれは、充実した豊な人生のことであるのかもしれない。


豊な人生に無駄はない

2019年12月5日木曜日

あの人は「おいしい生活」の本質を知っている

僕たちが物事の本質をぼーっと知ることはできない。

たとえば、目の前においしい親子丼があったとして、おいしいことはわかるけれど、おいしさの本質をしるためにはどうしたら良いのだろうか。

親子丼のレシピを入手して作り方の核心を知るのも大切だろう。

親子丼に使われている鶏肉や卵の産地を知る必要もあるかもしれない。

料理人の経歴に謎を解く手がかりがあるかもしれない。

ひょっとしたら、おいしさは、親子丼にではなく、親子丼を食べる自分の空腹感から来ているのかもしれない。

そうだとしたら、自分はなぜ、こんなにお腹が空いているのか知る必要がある。

要するにおいしさの本質を知るということは、いろいろな可能性すべてに関心をもつことでもあるのだね。

そのうえで、集めた情報を再構築して立った柱が本質と言えるのかもしれない。

さて、様々な物事の本質を知るとなると無限の世界を知ることにも等しい。

だから僕たちが触れられる本質は限られているのだろう。

僕たちは時間も空間も限られた存在だものね。

で、ね。そう考えると本質を知る人を知ることはものすごくすばらしいことなんだよね。


おいしいものは売切れる




2019年12月4日水曜日

成果はちょっとの才能と抑え難き好奇心と強い信念と弛まぬ努力から生まれる

僕の会社は2000年に創業なので来年20歳の成人を迎える。

さて、今日、インターネットを駆け巡ったニュースで印象的だったのは、Googleの創業者であるラリー・ペイジ氏とサーゲイ・ブリン氏が経営から一歩退くというものだった。

創業が1998年だから、僕の会社と創業からの年数はそれほど違わない。

そんなことも印象に残った理由なのだろう。


僕は正直、会社にとって創業から何年経ったのかはそれほど大切には思えない。

長く続くこと自体は、称賛に値するけど、本質的には企業は社会にどんな価値を提供しているのかが核心だと思うからね。

しかし、Googleの二人の創業者が20年もトップをつとめ、革新的な価値を社会に提供し、会社を成長し続けさせたことは本当にすごいと思う。

人のちょっとの才能と抑え難き好奇心と強い信念と弛まぬ努力はすごい成果を生み出せる、Googleの共同創業者はそんなことを教えてくれる。


もうすぐクリスマス






2019年12月3日火曜日

改めて老害を考える

僕は以前、老害についてのワークショップに参加したことがある。

そのワークショップは参加者の年齢制限があって、そういう年代の人たちで自虐的に盛り上がった。

さて、改めて老害を考えたくなった。

その一つの方法として僕が30代半ばだったとしたら、その時の僕は今の僕と何が違うのかを考えてみよう。

30代半ばの僕は、仕事の将来に危機感があって傍目から見たら無謀と思えるようのことをしていた。

新製品開発の助成金をもらうために飛び回っていたり、会ったこともない大企業の社長に手紙を書いたりとかね。

そんな僕から見た60歳くらいの人は、仕事は任せて安心、人付き合いも人生経験も豊富だった。

だから、老害と感じるより感謝していた。

ただ、未来を生み出す人とも思っていなかった。

上手く商うことのできる賢人で、ゴルフもめちゃくちゃ上手かったけど、子供のように混沌と溢れるエネルギーはなかったのだと思う。

世界が変わらないのであれば、積み上げた賢さは生きる知恵だけど、今日、世界が変わる中での賢さは新しい技術やライフスタイルを使いこなすことだ。

振り返るに30代の僕はあまり老害を感じていなかったけど、それが本当の老害だったのかもしれないね。


散歩しよう






2019年12月2日月曜日

「自律型人材」の「自律」を考えてみよう

人材育成に関わる人たちから僕がよく聞くのは「自律型人材」だ。

大学であっても企業であってもね。

要するに皆、自律が足りないと感じているのでしょう。


さて、カウフマンは「環境の中で自分のために行動できるものをここでは「自律体」と呼ぶことにする」と定義したけど、そう考えると僕たちは皆、自律体だ。

僕の犬も「自律体」だ。

なのにもっと「自律せよ」とは何なのだろう。

この超自律の要請の根元にあるのは、環境の中で自分のために行動できないことが増えている、つまり、手に負えない環境の中に僕たちが居るのかもしれない。


で、ね。結局、僕たちは、「今を生きる」とか「自分らしく生きる」とか限られた範囲の環境でしか自律できないのだろうから、あまり、「自律」を妄想しない方が良いのでしょうね。


いい湯だな



2019年12月1日日曜日

「僕の自学ノート〜7年間の小さな大冒険」が教えてくれたこと

僕は、昨晩、NHKスペシャルで「僕の自学ノート〜7年間の小さな大冒険」を観てすごく感動していた。


それは子どもノンフィクション文学賞大賞作「ぼくのあしあと 総集編」に作者、当時中学3年生梅田明日佳君の話だ。

小学校の宿題で始めた「自学」をそのあともずっと続け、「自学ノート」はすでに20冊を超えている。

中学生になると皆、やめてしまうことをずっと続けているのも素敵だけど、運動やコミュニケーションが下手で部活に入らず、授業が終わると一目散に帰宅して「自学」する、そんなライフスタイルを貫き、自分らしさで輝いている。

色々な大人とも繋がって絆を結び、その力を認められている。

そうなんだ、活発でスポーツが出来て皆に慕われる、そんな子供だけに可能性が開けているわけじゃないのだ。

人が苦手でも自分の好きなことを突き詰めて、それも特別なことではなく、世の中で起きている気になった出来事を深掘りして誰にも出来ないことをしている。


若くして亡くなった僕の一番上の兄は知的障害と言われたけど、よく好きなことにのめり込んでいた。

周囲の人から決して好意的に理解されることはなかったけど好きなことをしていたんだ。


本人にそんな自覚はないのかもしれないけど、梅田君のような子が当たり前に活躍できる社会を作るのは僕たち大人の贖罪だ。

なぜなら、ステレオタイプに社会的活躍者を作り出し、仮想有能感で見えないカーストを作り出しているのは僕たち自身なのだからね。


さて、ブログを読み返すと先週僕は、するべきこととありたいことの狭間にあったように思える。

やはり僕は、僕が塗り込め描いた世界を壊さなくてはならない時期に来ているのかもしれない。


(月)ブログを書くか、ほつれを繕うか、それが問題だ
まあ、今日はそれで良いのでしょう。

(火)感覚の不思議 僕の変化を知るのは僕?それとも他人?
違う言い方をするなら、僕が僕の慣性軌道を変えることは大事だけど、他者のちょっとした期待に応えることはそれほど大事ではなくかつ評価を得やすい、そんなことなのかもしれない。

(水)何をするかより誰とするか
「やりたいこと」で入った今の会社も、結局は、お客さんや会社の仲間たち、「誰とするか」で今に至っていることを考えると、僕の20年後のヴィジョンもきっと「誰とするか」なのだろう。

(木)「論理的思考力」という力
「論理的思考力」は人に気安く求めてはいけない力なのかもしれないね。

(金)プロジェクト・アリストテレスが語るチームの姿
で、ね。何事も安心安全が良いことみたいな風潮に「プロジェクト・アリストテレス」の解説は刺さるかもしれないけど、僕は真に受けないね。

(土)マシュマロテストにみる日本の未来
その分、利他性、安定性、寛容性が高く、素晴らしい社会や世界を築いてくれるのではないだろうか。


問われている


2019年11月30日土曜日

マシュマロテストにみる日本の未来

心理学でよく知られる「マシュマロテスト」なるものがある。

小さい時、マシュマロを食べることを自制できる子は、将来、社会的成果を上げるようになるという実験だ。

”同実験は、スタンフォード大学で「人間行動に関する、最も成功した実験のうちの1つ」とされた”(Wikipediaより)。

さて、僕は今日、「アナと雪の女王2」を観に行った。

映画館はそれほど混んでいなかったけど、親に連れられて小さい子供がたくさん来ていた。

そして、映画が面白いこともあるのだろうけど、みんな、とても静かに映画を観ていた。

自制心、もしくは集中力がとても高いのだ。

親も心ゆくまで一緒に映画を楽しめたのではないだろうか。


僕はその姿を見て、日本の将来は明るいと思ったね。

生き物本来の散漫性、多動性を考えたら、とても理性的だもの。


僕たちの世代は、団塊の世代に総じて比べれば利己性や衝動性、攻撃性は低いのではないかと感じる。

でも、今の子供たちはもっと低いのかもしれない。

その分、利他性、安定性、寛容性が高く、素晴らしい社会や世界を築いてくれるのではないだろうか。



面白かったよ

2019年11月29日金曜日

プロジェクト・アリストテレスが語るチームの姿

もう、散々書かれているのでここで改めて「プロジェクト・アリストテレス」について説明する必要も無いだろう。

気になる人は、ググって丁寧な解説を読んだ方が良い。

僕は結論だけ触れるけど、業績の高いチームには心理的安全がある、とのことだ。

僕の乱暴なまとめだけどね。

さて、このPJ以来、「心理的安全」はバスワードになった。

そもそも「安全」とか言われてしまうと否定しがたい。

でも僕にとっての「心理的安全」とは「皆がリスクテイク」なのだと感じる。

なぜなら、危険を排除した世界から知恵と学習は生まれ難いと思うからね。

そもそもGAFAの一翼を担うGoogleが安全な領域だけで事業を急拡大させてきただろうか。

そして危険な事業領域で担保される社員の心理的安全とは何だろうか。

僕たちの脳は、リスクを察知する機能を転用してチャンスを発見しているらしい。

要するにリスクとチャンスは表裏一体ということ。

つまり、リスクの無いところにチャンスは無い、だから、本当に安全な場所に他者を出し抜くチャンスは無いのだ。


で、ね。何事も安心安全が良いことみたいな風潮に「プロジェクト・アリストテレス」の解説は刺さるかもしれないけど、僕は真に受けないね。


リスクに潜む輝き




2019年11月28日木曜日

「論理的思考力」という力

考えてアウトプットする仕事の中、最も高い頻度で求められるのが「論理的思考力」だろう。

物事を筋道立てて考え結論に到るだけでなく、その結論を他者が理解する形で伝えることまで含めた力だ。

要素分解すると、「物事を見つめる」「筋道を弁える」「2つの前提をもとに考える」「1つの答えに到達する」「結論に到る過程をまとめる」「コミュニケーションする」「理解を得る」と7つのハードルが待っている。

僕たちは、歪んだメガネをかけて物事の一部分を見ている存在だから、最初に2つのハードルは僕たち自身の業と向き合うことになる。

難儀なことだ。

続いて、前提を上手く組み合わせて考え、結論に到るには相当な思考が伴う。

考え抜く体力が求められるね。

そして、結論に至った道筋をなぞりそれを他者に伝え「うん、論理的だね」と納得させるのだから、自分さえよければ何とかなる世界じゃない。

この観点で「論理的思考力」をまとめると「自分の歪みに向き合って物事をできるだけ正しい姿で知り脳に高カロリーを消費させながら結論とその結論に到った過程を他者に伝え理解を得ること」と言えるのかもしれない。

自分の歪みを知るためには、他者が世界をどう見ているのか知る必要があるし、たくさん考えるとチョコレートもたくさん食べたくなるし、その上で説明するストレスに晒され結果に関しては相手頼みになる。

「論理的思考力」は人に気安く求めてはいけない力なのかもしれないね。


論理的なシーン





2019年11月27日水曜日

何をするかより誰とするか

昨日、僕たちは会社の20年後の姿「ヴィジョン」を語り合っていた。

その場に居た若手のメンバーにとって20年後は丁度、今の僕くらいの年齢だ。

そこで、僕の20年前を考えると、確かにその頃「僕は何を為すか」について考え、いろいろなアイデアに思いを巡らせていたね。

たくさんの新しい領域の本を真剣に読んで、すごい数の付箋をつけ、パソコンに打ち込んでまとめを作っていた。

今でも

思うに、その頃考えていたヴィジョンと今の状況はかなり近いと思う。

世の中的に、ね。


さて、若者が描くヴィジョンと年配が描くヴィジョンはやはり違うのだろう。

僕の20年前と今を比べてそう感じるのだ。

例えば、20年前に思っていたことは「何を」だったけど今思うことは「誰と」だ。

面白法人カヤックは「何をするかより誰とするか」を大切にしていて、あの頃から20年後の僕の大切にしたいヴィジョンはこれに近しいのかもしれない。


今日、とあるお客さんとメールで連絡をとったのだけど、その人のレスポンスはまさに「誰とするか」が僕にとって本当に大切なことなのだと気づかさせてくれた。

本当にいい人で、その人たちのために頑張りたいと心から思える。


「やりたいこと」で入った今の会社も、結局は、お客さんや会社の仲間たち、「誰とするか」で今に至っていることを考えると、僕の20年後のヴィジョンもきっと「誰とするか」なのだろう。


何する?






2019年11月26日火曜日

感覚の不思議 僕の変化を知るのは僕?それとも他人?

ゴルフでいろいろスイングを変えてみる。

自分に中ではかなり変えたつもりだけど、他人に見てもらうとあまり変わっていないと言われる。

そこで、「ああ、自分が思ったほど変わっていないのだ」と気づくことになる。

一方で、他人の指導でスイングを変えると、「本当に変わったのかな」と思う一方ですごく良くなったと言われたりするよね。

どっちが本当に変わったのか、比較は簡単に出来なさそうだけど、ゴルフだけじゃなく、仕事でも同じことが言えるかもしれない。

自分はすごく変えたつもりだけど気づいてもらえず、一方で、あまり変わった気はしないのだけど他者からすごく変わったと言われ、そこで自身が気づく。

他者からの適切なフィードバックからは気づきが溢れだすものだ。

ここで気になるのは、僕の変化を知っているのは誰なのだろう。

僕自身だろうか、僕ではない他者だろうか。

違う言い方をするなら、僕が僕の慣性軌道を変えることは大事だけど、他者のちょっとした期待に応えることはそれほど大事ではなくかつ評価を得やすい、そんなことなのかもしれない。


評価は期待に応えること



2019年11月25日月曜日

ブログを書くか、ほつれを繕うか、それが問題だ

家に帰って、さて、ブログを書こうかな、と思ったら犬のベッドがほつれていた。

このベッド、かなり頑丈で犬が思い切り振り回しても壊れないのだけど、やはり、縫い目がほつれてくる。

放置しておくとどんどん、穴が大きくなり、中のわたが出てしまうと手に負えなくなる。

だから気づいた時に処置した方が良いのだ。

で、ね。針と糸を出して繕った。

幸い、いい加減な縫い方でもわからなくなる、そんな柄だしね。


でも、もう、ブログは書けません。

指を刺さないよう、針仕事はたいそう気を使うのですから。

まあ、今日はそれで良いのでしょう。



はみはみ


あ〜っ


こんな感じ


2019年11月24日日曜日

僕たちが目指す世界を阻むもの

「測ること」で画一化される世界。

「ゲーム化すること」で自動的に目的が与えられてしまう世界。

それらは限られた時間の中で「何か」を為すためには有効だ。

今の世の中はその方向に急速に進んでいる。


しかしながら、僕たちひとりひとりの個性と多様性、そして感性を時に軽んじることになる。

個性と多様性、そして感性を失えば、僕たちはAIに決して叶わない。

先週のブログを読み返すと、僕はどうやらそんな課題に向き合っているようだ。


(月)AIは人の何を超えるのか
今後、AIが「自分」という概念を身につけない保証はないのだけれど、そんなAIが生まれるためにはあと何が必要なのだろうか。

(火)チームにとって大切なこと
結局、自分の主張ではなく、チームの成果にメンバーそれぞれがどれだけコミットして自分と向き合っているかということなのかもしれない。

(水)「他の人に替え難いこの人」は「測れない人」でもある
いや、今がそんな社会なのかもしれない。

(木)在職期間はドッグイヤー
生き急ぐ必要はないのだけれど、何かを成し遂げることには期限があるのだからね。

(金)ゲームに潜む依存性の正体
いろいろな人のいろいろな活動が織りなす問題だらけの世界かもしれないけどね。

(土)心遣いが嬉しいのは得をしたからではない
で、ね。とても良い時間を過ごせたので来年もまた来たいね。


阻むもの

2019年11月23日土曜日

心遣いが嬉しいのは得をしたからではない

我が家では、結婚記念日はちょっといい食事をすることに決めている。

一度行って、美味しかった店にまた行くのだけど、このところお店が安定しない。

閉店とか休業中で行けないのだ。

飲食店にとっても厳しい時代なのだろう。

そんなこともあって、今年は新しい店に行った。

事前にお店に行き、席を確認して、結婚記念日であることを告げて予約をとった。

そして、今日、そのお店に行ったら、コースの会席料理に一品増やしたお赤飯をいただいた。

こういう心遣いは嬉しいよね。

得したとかではなく、記念日に共感して一緒に祝ってくれる感じが良いのだ。

で、ね。とても良い時間を過ごせたので来年もまた来たいね。


鯛が乗ったお赤飯

2019年11月22日金曜日

ゲームに潜む依存性の正体

全てのゲームに共通するもの。

それは「問題を解決せよ」というメッセージだ。

そしてゲームにはその問題を解決するためのルールやツールが合わせて提供される。

つまり、問題を解決したい欲求を引き出すのがゲームの本質だ。

だからゲームを楽しむ人は、ゲームそのものというより、問題を解決した喜びに満足を得るのだろう。

そして、もう一つはご褒美。

問題解決が自分のステージをあげたり、報酬がもらえたり、他社から承認されることで様々な欲求も満たされる。

シンプルに言ってしまえば、達成と報酬ということだ。

ただ、この達成と報酬、単純化されて繰り返されることで創造性や多様性への学習を阻害しかねない。

実際、僕たちはそんな出来事をたくさん見ている。

身の回りでも、国際社会でもね。

そしてそれらは、世界を閉じていく出来事だ。


だから僕は、ゲームではない世界に居たい。

いろいろな人のいろいろな活動が織りなす問題だらけの世界かもしれないけどね。



解決が要らない世界




2019年11月21日木曜日

在職期間はドッグイヤー

安倍首相の在職日数が昨日で2887日となり、在職期間が歴代最長となったそうだ。

一度、総辞職しているので連続日数だと2521日らしい。

僕のブログは今日現在、2482日連続なのでそれよりもちょっとだけ長い計算になる。

でも、そう思うとそれだけ連続で在職している安倍さんはすごいと思った。

僕のブログみたいにリラックスしたものと違って、国のトップである緊張感は相当だろうからね。


実は、僕と安倍さんには潰瘍性大腸炎という難病の共通点がある。

そんなことで安倍さんの政策や主義とは関係なく、勝手に親近感を持っていたりする。

腸はストレスに弱い臓器らしいので、今後も体調に気をつけて頑張って欲しいな。

僕も頑張ります。


さて、犬の寿命は5000日から6000日くらいで人間の7分の1くらいだ。

だから、犬の1日は人間の1週間に該当する。

人にとっての「まあ、1日くらい」と後回しにすることが、犬にとっては1週間が過ぎ去ることになる。

年に換算すると「ドッグイヤー」だ。

そう考えると今日1日を軽んじてはいけないと改めて思った。

生き急ぐ必要はないのだけれど、何かを成し遂げることには期限があるのだからね。


あっという間




2019年11月20日水曜日

「他の人に替え難いこの人」は「測れない人」でもある

僕たちが何かに取り組んでやりきるとき、そこには何らかの力が発揮されている。

例えば、石を持ち上げる場合は、全身の筋力をつかっている。

本を読む時は、読む力だね。

そういった力を身に着けていくことで、僕たちは色々なことが出来るようになり、それらの力を組み合わせてさらに高度なこと、夢や高い目標を達成するのだ。

状況に合わせて安定的に発揮される力は「スキル」と呼ばれ、その人が保有する価値になる。

「火事場の馬鹿力」みたいな再現性の低い力は「スキル」ではない。

さて、筋力や読む力のような、基礎的な力は測定できる。

また、安定的に発揮される「スキル」も測定できる。

一方で、複雑に変化する状況の中で発揮される力を測定するのは困難だ。

それは、状況自体の再現性が低いこと、そして力の組み合わせや塩梅も人によって異なる固有性があるからだね。

事態が複雑になればなるほどこの再現性と固有性の問題は大きくなる。

「他の人に替え難いこの人」が生まれるのはこのためだろう。

でも、よくよく考えると僕たちは誰もが「他の人に替え難いこの人」なんだよね。

僕たちが多様な存在になっていれば、ね。

状況を安定させ、誰でも発揮できる「力」を身に着けさせ、画一化していく。

測定できる「力」や「スキル」に重きを置くとそんな社会になってしまうのだろう。

いや、今がそんな社会なのかもしれない。


測れるものから規格が生まれる



2019年11月19日火曜日

チームにとって大切なこと

活躍するチームの秘密は、性格でもスキルでも経験でもなく心理的安全。

Googleのプロジェクト・アリストテレスはこんな結論を出しているそうだ。

確かに、そんな気もする。

チームでの発言を促す決め事は、対話、傾聴など、相手を否定せず受容する態度にある。

同じメンバーでの会議でも熱く盛り上がる時と、冷え切ることがあって、その違いになるのは否定、反抗、沈黙だね。

Yes,and ではなく、No,andだと間違いなくチームは成果を出せない 。

Googleの結論はメンバーすべての心理的安全だからね。

例えば、リーダーの配慮や遠慮が生じる場面では、リーダーに心理的安全はない。

だから成果はでない。

問われるのはフォロワーシップだ。

さて、心理的安全がチームの成果に繋がることはGoogleでなくてもわかることだろう。

そりゃそうだ。

性格、スキル、経験なんぞより、高い社会性を発揮した方がチームはより上手く機能する。

ただ、社会性を発揮するためには自分自身を知り、自分を統制出来なければならない。

ありのままが心地よい、では社会性なんて夢のまた夢だ。

配慮や遠慮でなく、自己統制によるチームへの貢献。

性格に向き合う必要があるのは、他者との相性でなく自己統制のためなのだ。

チームの中で他者の話を否定せず、傾聴し、成果に向けて自らの強みで貢献する。

結局、自分の主張ではなく、チームの成果にメンバーそれぞれがどれだけコミットして自分と向き合っているかということなのかもしれない。


チーム?自分?





2019年11月18日月曜日

AIは人の何を超えるのか

ブログを書くまえにヤフーを見たら「NTTのAI、センター試験の英語筆記で偏差値64突破 “試験対策”に工夫 「東ロボ」プロジェクトの一環」という記事が目に入った。

「ロボットは東大に入れるか」という取り組みの成果らしい。

以前、新井紀子さんの「東ロボくん」研究開発プロジェクトについて話を聞いたことがあるのだけど、このプロジェクトは2016年に凍結されたそうだから別物なのかもしれない。

日本語と英語の違いもあるようだしね。

しかしながら、テストには人が作り出した解析可能なパターンがあることに言語の違いはないのかもしれない。

でも、新井紀子さんが話していたように、AIの実態は数式であって、言葉の意味を理解しているわけではない。

それは、英語であってもね。

「環境の中で自分のために行動することができる」ことを自律とするなら「東ロボ」は決して自律していない。

今後、AIが「自分」という概念を身につけない保証はないのだけれど、そんなAIが生まれるためにはあと何が必要なのだろうか。


非AIの愛しき生命

2019年11月17日日曜日

日常を点検し変えていこう

最近、出来ていなかったので、先週、本を読んだり、学びの場に行くとちょっと新鮮で刺激が得られた。

実務に埋もれているとつい疎かになってしまうけど、知識に触れ学ぶ大事さを改めて感じた。

学ぶ機会は自ら作り出すものだ。

作り出さなければそれで済んでしまう。

で、ね。それで済ましていてはもったいないよね。


(月)大人のカフェゼミ 「変革期に求められるリーダーシップとは?」 ノート編
以上、所々間違っているかもしれません。

(火)おまわりわん
で、ね。それはみんなが見たいことなのかもしれないね。

(水)説明のストレス、物語るエンカレッジ
で、ね。本当にそうなのかは確かめる必要がありそうだけど、経験的には当たっている気がするね。

(木)ぼく、あたし、の情報
僕たちが生み出す情報によって、様々な犯罪の抑止力が高まり、安心、安全な社会が到来することへの期待と、その情報の力によって社会全体の攻撃性や排他性が高くなることへの危惧が僕の中では拮抗しているように思える。

(金)日々お得に生きるスタイルを見直そう
「問題解決症候群」、「フリーライダー」などなど日常お得主義が当たり前だものねぇ・・・

(土)越境オープンラボ リーダーとリーダーシップは違う
特に多様性に向き合わなくてはならない現状においては、リーダーシップ自体が多様でないといけないのかもしれないね。


学べる隙間を作ろう


2019年11月16日土曜日

越境オープンラボ リーダーとリーダーシップは違う

今晩は、法政大学石山教授が開催する越境オープンラボに参加してきた。

テーマは「サーバントリーダーシップ」。

サーバントリーダーシップ協会の監事、赤木さんからその考えを聞き、対話を行ったのだけど、先週は、長岡教授、高田教授による大人のカフェゼミで「変革期のリーダーシップ」について、同じ市ヶ谷DNPプラザで考えていたのでとても僕にとっては意味深い2週間になった。

さて、サーバントリーダーシップに関しては、その考え方が生まれた時代背景も考える必要がありそうだ。

先週、高田さんからは、経営学におけるリーダーシップ論は、白人の工場労働者をいかに働かせるかから生まれたと聞いた。

人材の科学的管理手法として「テーラーシステム」が生まれた背景に、自動車製造の課題があったように、より生産性を高める管理に対するアプローチに対抗する形がサーバントリーダーシップだったのかもしれない。

さて、グリーフが提唱したサーバントリーダーシップには10の特徴があるのだけど、取り出された特徴と、発揮、体現される行動には注意が必要だと思った。

コンピテンシーの誤解と一緒で、還元的ではない、つまり、一つ一つの特徴が揃えば良いのではなく、それぞれの特徴を場に応じて適切に組み合わせ、体現することが重要なのだということだね。

赤木さんも言っていたけど、サーバントリーダーシップの本質とは、正しく理解して再現するのではなく、それぞれがその意味を通じて自分に向き合い、そして自分なりに内省をしながら体現することなのでしょう。

つまり、リーダーが発揮するリーダーシップのあるべき姿について語られるのがサーバントリーダーシップであり、リーダーたるもの、それは自分自身へのリーダーとしてのフォロワーにおいても向き合うものだ。

グループに分かれての対話でも核心はそこにあったと思った。


昔、銀行に就職して配属された支店では3年間で支店長が3人替わった。

支店における支店長はリーダーだ。

しかし、その3人のリーダシップは「絶対服従」「とにかく成果」「厚い人情」と全く異なっていた。

でも、リーダーシップとしてはどれも「有り」だし、ある状況下においてはそれも「無し」なのかもしれない。

特に多様性に向き合わなくてはならない現状においては、リーダーシップ自体が多様でないといけないのかもしれないね。


サーバントリーダーシップの祖




2019年11月15日金曜日

日々お得に生きるスタイルを見直そう

エドワードホールの「文化を超えて」という本を買った。

届いてみたら英文叢書だったというオチはあるのだけど、冒頭からなんだかワクワクする内容の印象だ。

印象になってしまうのは、僕の英語レベルで致し方ない。


さて、今朝はこれまで読んだ他の本も気になったので一緒に並べてみた。

それらは、「カウフマン、生命と宇宙を語る」(S・カウフマン)「経験のための戦い」(E・リード)「経験学習入門」(松尾睦)「人間の測りまちがい」(S・グールド)そして「文化を超えて」(E・ホール)となった。

なぜ、こんな選書になったかというと、「経験」とか「測る」は、仕事に関わることでわかりやすいけど、複雑系からみた進化の仕組みは僕のホットイシューだし、改めて考えるとその文脈で「文化」も重要なテーマなんだよね。

「生命と宇宙を語る」にはそれはたくさんの付箋がついている。

その3つ目は「環境の中で自分のために行動できるものをここでは「自律体」と呼ぶことにする」と記されている。

「自律」!

この言葉は僕が最近耳にする機会が多いキーワードだ。

このキーワードを起点に選書を紐解いてみよう。

「自律体」が自分のために行動すると「経験」が生まれ、その経験から生じる「学習」の積み重ねで「文化」がつくられるのだけど、「文化」や固有性、部分性によるバイアスが「測りまちがい」を引き起こす。

僕が今日、選んだ本をならべるとそんな物語が見えてくる。


僕たちが「文化」や自身のバイアスを変えていくには、日常的な「経験」による学習だけでなく、「知の触発」や「越境」による非日常的な「経験」から学習することが大切なのかもしれない。

でも、僕には日常に「学習」を組み込み、効率や成果に一喜一憂している人が少なくないように見受けられる。

「問題解決症候群」、「フリーライダー」などなど日常お得主義が当たり前だものねぇ・・・


これ


2019年11月14日木曜日

ぼく、あたし、の情報

僕たちはかつて無い時代に生きている。

その1つは「情報」だ。

ムーアの法則が有名だけど、僕たちを取り巻く情報環境って気がつけば、ものすごいスピードで変化していた。

昔は通勤電車で読むのは新聞と相場が決まっていたけど今や動画だ。

でもそうなったのはiphoneが登場してからだから10年くらいのことでしょう。

さて、こんな環境だから情報をうまく活用する人にとってはチャンスが一杯あるように思える。

でも、何の情報なのか、となってくるとチャンスだけでなくリスクも一杯あるらしい。

要するに、僕たちの周りで流通している膨大な情報は、そもそも僕たちが作り出した情報ということ。

もっと言うと、膨大な情報の正体とは、僕たちが作り出してしまった、あまり人には知られたく無い情報だよね。

例えば、ドライブレコーダーに記録された煽り運転の様子だったり、窃盗現場の防犯カメラ動画だったり、街の治安に貢献する情報だって、加害者にとってみたら都合の悪い情報なのかもしれない。

これは、一番極端な例だけど、良き社会人にとってもいつどこで何をしていたかなど人に知られたくない情報はたくさんあるのでしょう。

楽しいことや面白いことだけでなく、些細な悪ふざけや尖った発言が気がつけば、テレビで何回も、何回も放送され、ネット上で一気に拡散され、次に批判する情報が膨れ上がる社会が、この後10年でどうなっていくのだろうか。

僕たちが生み出す情報によって、様々な犯罪の抑止力が高まり、安心、安全な社会が到来することへの期待と、その情報の力によって社会全体の攻撃性や排他性が高くなることへの危惧が僕の中では拮抗しているように思える。


未来の姿?