結論から言えば、どちらも必要でどちらも大変です。
で、どうする?となるわけですが、実はそんなに表面的に考えているのでもなかったりします。
この手の話は、飲んでいるときは好き放題言えていいのですが、会議の場になると息苦しくなる”窒息ネタ”ですので、封印しておいたほうがよさそうです。結構、皆、困っていたりするので、正解が無い(はず)のものを良設定問題にするために、いくつかの拘束条件を与える必要がありますが、それで現場の苦労が無くなることはないので遮断、愚痴、言い訳が多くなります。
さて、問題の根本は、「行為は創発するもの」ということです。
他者の行為にあわせて自らの行為が創発する。自らの行為にあわせて他者が創発する。創発である以上、生じた行為は複雑でアンコントローラブルです。
ところが、ドラムサークルでは面白いことがおこります。初対面の人々が輪になり、目の前に打楽器があって、一人がリズムを取りはじめると、いつの間にか皆が、リズムを取って楽器を打ち鳴らすようになります。
これは、非常にシンプルですが、実に心地よい(快楽回路が通じる)状態です。
このようなリズムの同調は、国や民族がかわっても世界中、いたるところで見られる現象です。
また、理研は「発話リズム」が同調すると「脳波リズム」も同調することを発見したそうです。
このように、他者のリズムに同調する行為は、人間の基本に備わった強力なルーチンであると言えます。そしてそれは心地よさという快楽回路によってエンパワーメントされているのでしょう。
では、なぜ仕事の場面では、心地よさを求めてこの同調のルーチンを働かせないのでしょうか。
恐らく、同調のルーチンと別のルーチンが創発していて、其方のルーチンが優位になっている、もしくは、同調のルーチンと他のルーチンが干渉してまったく別のルーチンを発生させているのだと思います。その非同調のルーチンを発生させるのは知性という再帰的定義、社会性というゴールイメージのズレであるように思います。
リズムが同調しないとイライラし不快になることは言うまでもありません。
それは場にとって学習のタイミングであることは間違いないのですが、ポジティブな行為が連鎖し、場に行きたくなるメカニズムを理解し、職場をデザインすることは重要です。
イタリアのテクノジム社ではバランスボールに乗って仕事をしますが身体を動かすことで自然と、同調するリズムを生み出している可能性があります。また、職場に自然音(ゆらぎ)とクラシックや軽音楽(シンプルなビート)を合わせて流すこともイライラ解消に効果があります。
ドラムもバランスボールも音楽も無い会議室で人か仕事かといった”窒息会議”はやらないほうが良いかもしれません。
多様であっても同調するとそれは心地よいものです


















