2020年7月31日金曜日

「逃げる」ことから学ぶこと、「逃げる」ことを認められない深刻さ

僕が今日、ブログに書きたいことは3つある。

1つ目は一昨日、昨日と書いた「人と組織」に関することだ。

2つ目は新型コロナウイルスに関する政府の対応が「あおり運転」と変わらないということ。

3つ目は「信頼」って何だろう?という疑問だ。

3つも書けないので1つ目の「人と組織」に関することを書きたいと思う。

2つ目、3つ目もひょっとしたらこれに関わっているかもしれない。

さて、人に組織は必須ではないけど、組織にとって人は必須である。

もう少し学術的に展開すると、マッキーバーは人が帰属するコミュニティと同じ目的に集うアソシエーションの関係を分析している。

この「同じ目的」という観点で考えると、かつてテニス界で競い合ったビヨンボルグとジョンマッケンローの闘いも「同じ目的」に集っていると言えるのかもしれない。

つまり広義で捉えればアソシエーションなのだ。

僕が何で今、ボルグとマッケンローなんて言っているのかは、映画を観たからなのだけど、映画の中で象徴的な台詞は「試合から逃げた」だった。

僕がかつてインタビューをした人にも同じ表現をする人がいて、その人はサッカーだったけど、今、ある組織で大きな責任を負っている。

人と組織の関係においてとても重要なキーワードだ。

ちょっと前に「逃げる恥だが役に立つ」というドラマがヒットしたけど、その肝は、「恥」なのかもしれない。

つまり、人と組織の関係において「恥」を感じる感性はとても大切なのだよね。

今回の新型コロナウイルスで、政府の施策は、抑制(ブレーキ)と推進(アクセル)を同時に踏む愚作だけど問題はこれを「恥」と感じるかだろう。

「信頼」においてもそうだよね。

自分の行為が「信頼」にとって「恥」ていないかを感じない人は人と組織の関係において悪循環加速器(ヨシタケシンイチさん)でしかない。

新型コロナウイルスに関する政府の施策もそうだけど、信頼を裏切ってはいけないのではなく、それを「恥」ないことがポイントなのかもしれないね。


挑む?逃げる?



2020年7月30日木曜日

データサイエンスの真実

データのプラットフォーム化は現在のビジネスにおける核心である。

あまりのも核心すぎて、各国の独占禁止法で叩かれている。

さて、データのプラットフォーム化において重要な役割を果たすのがデータサイエンスだ。

サイエンスには自然科学、社会科学などあるのだけど、本来は再現性のある法則を見出す探求行為である。

データサイエンスをおこなう、データサイエンティストは、アメリカでは2つの領域の博士号を持ち、高度なデータ分析を行うスキルを有していることが条件になっているのだけど、ある領域における法則、理論、定説、通説などへの造詣が無ければデータから導かれる法則が発見なのかそうでないのかわからない。

例えば、アマゾンは採用におけるAI利用を停止したけど、そこにはそもそも企業の中にあるジェンダーバイアスをAIが学習してしまうことを避けられなかったからだ。

そして、企業の中には性差による差別があることを知っていなければこの結論には至れない。

では、データサイエンスは限られた人のものかといえばそんなことはない。

以下の図は、僕のブログをテキストマイニングという手法をつかって分析したものだ。


この結果から僕のブログは人と組織に関して多く取り上げていることがわかるし、毎日、書かれていることもわかる。

僕が人と組織に関するデザインと創発をテーマにしているので僕からすれば当然だけど知らない人からは新鮮な発見に見えるかもしれない。

(細かく見ていくといくつも発見があるのだけど、今日はここまでにしておこう)

で、ね。この分析、じつは、5分くらいしか掛かっていない。

分析するためのデータ整理は30分くらいだろう。

一方、データは1,695,927文字で、2013年2月6日から2019年12月31日まで2521日、1日1時間掛かるとして2521時間生成に掛かっている。

つまり分析に掛かる時間はデータ生成に比べると1/30252なのだ。

データにはいかにコストがかかっているのかがわかるだろう。

プラットフォーマーは膨大なデータを一瞬で集めるけど、じつはそのデータを生成している人々のデータ生成にかけている時間を集計したらとてつもないコストだ。

銀行のATMもそうだけど、利用者にデータ生成コストを転嫁して膨大な利益を得ているのがプラットフォーマーの実像なんだよね。

だもので、個人情報保護法とか独占禁止法で叩かれるは仕方がないことかもしれない。

で、ね。データサイエンスとは、法則を見出す目的に沿って丁寧に労力をかけてデータを集め分析し、それまでの知識、知見と十分な比較検証を行ったうえで省察、考察を加えて新たな法則を見出いものだと思うのだよね。

2020年7月29日水曜日

「個性の核心」へのスタートライン

一昨日、昨日と僕が考えてきたことをまとめると、複雑に変化する環境と相互干渉的に複雑に進化する個性、だ。

脳科学者、茂木健一郎さんによれば、世界は予測出来ないことがたくさんあり、脳の機能の大きな役割は未来を予想することらしい。うまい形でルールを変えて、不確実性に向き合うことができるのは、脳はもともと偶有性を前提に作られているからなのだけど、不確実性(危険察知)への適応とひらめきの脳回路は同じ場所をつかっていて、ひらめきは偶有性から生まれている、つまり、不確実であることが創造性の起源になっており、安定的
であるとともに適応的なのだそうだ。

要するに僕たちは本来、誰もが備えている能力(脳力?)を使って社会の変化に適応していく存在なのだけど、こと、個人においては不安、不快、困難などを感じることも少なくないだろう。

新型コロナウイルスなどは典型的なケースだね。

また、逆に自然に適応していて変化を認識できていないケースも少なくないのかもしれない。

そこで僕が大切だと思うのは、僕たちが生来備えている能力を高めて発揮するための体験だ。

じゃあ、どんな体験かと言えば、出来事の受け止め方は人それぞれだから正解の体験を提示することはできないのかもしれない。

そしてこれは「結論」じゃなくて一番最初の最初の「問い」なのである。


よーいどん

2020年7月28日火曜日

複雑に進化する社会における「個性の核心」とは何か

僕たちが「個性」を考える前に、「個性」とは何かを知る必要がある。

「個性」とは”他の人とちがった、その人特有の性質・性格。個人の特性"であり、性質とか性格に関しては以下の記述は適切だと思う。

性格心理学や発達心理学では、個人の性格構造を『遺伝・体質・気質・性格・人格=パーソナリティ』に分類して考えるが、性格・人格のように後者になるほど『後天的・環境的な要因の影響』が強くなり、更に柔軟に変化する可塑性(学習・経験で変化する可能性)も大きくなる。

『体質』とは、生まれながらに身体の形態や機能として備わっている全体論的な性状・傾向であり、この体質を元にして作られる生得的な行動・感情パターン(生まれながらのその人らしさを示す行動・感情の傾向性)のことを『気質(temperament)』と呼んでいる。

『性格(character)』は、先天的要素の多い気質(temperament)と比較すると、“親子関係・しつけ・学校教育・友達関係・重要な体験・読書や思想・経済状況・知識教養”などの『後天的な環境要因』が大きく影響している思考・感情・行動・人間関係のパターンの事である。


発達心理学における性格と気質:ニューヨーク縦断研究 より抜粋

僕のディシプリンは産業社会学(社会学ディシプリンは、人と人の間(あるいは組織と組織の間)の「社会的な関係性」に関心を持つ。入山 章栄. 世界標準の経営理論 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.408-409). Kindle 版.) なので心理学の探究よりその知見を用いて、個性と個性、個性と組織、組織と組織の相互干渉的な関係性から事象の理解と課題の本質への接近を試みるものだね。

今日のテーマ、複雑に進化する社会における「個性の核心」は、人と人の間において、必然的に行動・感情パターンを生み出す気質と偶有性を持って創発する思考・感情・行動・人間関係のパターンである性格がどのように社会性を表象し、環境からのフィードバックループを受けてどのように性格を変えながら社会の複雑で予測不能な変化に適応するのかである。

で、ね。誰もが「他の人とちがう」うえで発揮される複雑で高度で固有である社会性のことなのかもしれないね。


280円でもやってくれるのね

2020年7月27日月曜日

「制度の奴隷」とならない「個性」を考えよう

組織は人間によって作られるものであるが、ひとたび、それが形成されると、それは社会的行為を拘束する枠組みとして機能するようになる。被造物が神化されると、人間は「制度の奴隷」に成り下がる。組織と環境 青沼吉松 三田学会雑誌Vol.76 慶應義塾経済学会

1983年に発刊された三田学会雑誌に掲載された文の一節だ。

組織には秩序が必要で、その秩序を生み出す規則や規則に基づく権限体系は必須である。

一方で、それらが神化されてしまうと人間は「制度の奴隷」になってしまう、と厳く述べられているのだけど、僕は非常に重い言葉だと思う。

例えば現在、企業のコンプライアンス、ガバナンスに対する社会の目は厳しくなる一方であり、その中で組織運における規則と権限はその根幹を成しているからだ。

神化とは少し違うのかもしれないけど、組織構成員にとってみれば組織の秩序だけでなく社会の一員として組織が果たすべき倫理基準も含めて準拠しなくてはならないものは増える一方だよね。

特に法整備がまったく追い付いていないSNSの問題、今回の新型コロナウイルスのように未曾有の出来事など組織を取り巻く環境はどんどん複雑で予測できなくなっている。

その状況に対応するために規制と権限がより強化されることはすでに実証済みであると言えるかもしれない。

で、ね。僕の師である青沼教授は「制度の奴隷」化を回避するのが「個性の核心」であると記しているのだけど、僕たちは大きな災難に直面しながら高度にそして複雑に進化する社会における「個性」とは一体何なのかしっかりと考えないといけないよね。


環水平アーク


2020年7月26日日曜日

蓄積データからメタに学ぶ

先週も僕は出来事を振り返ったり、テーマを考え直してみたりしていた。

出来事はその場によるけど、テーマはこれまで何回も考えてたり情報をクリップしたりしているものだからEvernoteで検索すると誰かの記事や自分の文章が驚くほど出てくる。

それらを改めて読み直すと新鮮で驚きもあって、こうして毎日書き続けるのも良いけれど、テーマの幹と枝葉を定めて体系化する時期に来ているのかもしれない。

まあ、データサイエンティストとしてはブログとEvernoteにある大量のテキストデータを解析して構造化、体系化するのが僕らしいだろう。

さあ、準備を進めよう。

(月)僕のナラティブ2020
僕は4年前はナラティブに関して「意味性と共有」による「説得」を取り上げたけど、その後はビッグデータなども含めた定量分析と質的な定性分析の接点の1つ、大きな物語と小さな物語の往還にナラティブの可能性を探っていて、それが僕のナラティブ2020なのかもしれないね。

(火)憎めない愛され上手は聞き上手の理解下手
皆が放っておけないいい人、だからね。

(水)キャリアって何だ?
で、ね。僕が考えるに、経験からの学習、獲得は経験した後ではいつでもできるものだから、学習と獲得ができるようにしておくこと、そして産業組織においては、そのデータベース化が出来ていて組織知としていつでも引き出せるようになっていることが肝要なのだよね。

(木)老舗には苦難の歴史も刻まれている
で、ね。持続可能な社会の本質は、こういった老舗が商売を続けられる要因に潜んでいるのかもしれないね。

(金)可笑しい生命
で、ね。「可笑しい」を「不思議」と言い換えてしまえば僕はとても真面目に生命を論じているのかもしれないね。

(土)ワンオンワン
5年後の今日において1on1はもはや先進的な取り組みでは無くなったけど、ミーティング形態や制度ではなく「意思」が大切であることが良くわかった気がする。


ダブルレインボウ

2020年7月25日土曜日

ワンオンワン

今日、僕は雨の合間を縫って僕の犬と散歩に出た。

この空模様だから流石に近所の小さな公園には誰もいなくて遊戯で写真を撮ったりしていたのだけど、帰ってから見たら犬の遊具の上に犬が居るので「ワン、オン、ワン」だった。

そこでふと1on1って昔は無かったなと思った。

僕が実務の中で1on1を用いてマネジメントを行っていると聞いたのは、2015年頃に行われたヤフーの組織開発に関する発表だったように思う。

ヤフーでは1on1を機能させる5つの人事制度を整えていたそうだ。
1. ミーティング力の強化
2. ビジョンとバリューによる方向付け
3. 評価制度によるフィードバック
4. 育成方針を話し合う場とそのためのツール
5.戦略的なジョブローテーション

それまでも言葉として1on1は聞いていたけど実際に組織の問題解決で効果を上げていると聞いて素晴らしいと感じたことを覚えている。

5年後の今日において1on1はもはや先進的な取り組みでは無くなったけど、ミーティング形態や制度ではなく「意思」が大切であることが良くわかった気がする。


上手だわん

2020年7月24日金曜日

可笑しい生命

僕は先日、家人から歯を磨いているときの顔が可笑しいと言われた。

目をつぶって眉間にしわを寄せて歯を磨いているそうだ。

確かに、僕は歯を磨くとき歯ブラシが歯のどこにあたっているのか確かめていて、目をつぶっていた方が感触がよくわかる。

それを傍から見ると「可笑しい」姿なのだろう。

そしてそれはビデオでも撮らない限り僕は見ることができない。

目をつぶっているからね。


さて、自分では気づけない習慣や癖というものがある。

傍から見るとよくわかるし、時に欠点として映るものかもしれない。

このような行動の特徴は、気質や性格から生じるのだけど、先天的なものだけでなく後天的に形成されるものでもあるだけに傍から見て「可笑しい」としても如何ともしがたいものだ。

でも「可笑しい」ことは僕の歯磨きだけじゃない。

おそらくすべての生命に「可笑しい」ことがあるのだろう。

平日朝にEテレで放送している「0655」という番組で「素晴らしきかな世界」というコーナーがあるのだけどそこに出てくる生き物は、海底に模様を描く魚であったり、築100年以上の大きな巣を作る鳥であったりと傍目からは「可笑しい」のだけど、これは限られた世界なのだろうか?

いや、むしろ、生命とはそもそも「可笑しい」ことなのかもしれない。

で、ね。「可笑しい」を「不思議」と言い換えてしまえば僕はとても真面目に生命を論じているのかもしれないね。


「不思議」なものは「素敵」なもの

2020年7月23日木曜日

老舗には苦難の歴史も刻まれている

東京証券取引所の近く、狭い路地に鰻屋がある。

ビルの谷間に不似合いな風情のある日本家屋は登録有形文化財に指定されているらしい。

明治7年創業なので150年近くの老舗である。

ちょっと考えてみれば、日本橋川のすぐ近くだから鰻屋があるのは不思議じゃないよね。

美味しい鰻が食べられる場所の多くは鰻が獲れる川沿いだ。

犬の散歩でたまに前を通っていたのだけど、昨日、初めてお店に行くことができた。

さて、このお店、新型コロナの影響でしばらく休業していた。

戦争や震災を乗り越えて来たことと思うけど、このような感染病による影響は初めてかもしれないね。

営業を再開してくれたおかげで老舗の味が楽しめて良かった。

老舗の歴史は長く商売を続けているだけでなく、何度もの苦難を乗り越えてきた歴史でもあるのでしょう。

で、ね。持続可能な社会の本質は、こういった老舗が商売を続けられる要因に潜んでいるのかもしれないね。


周りはビルばかり








2020年7月22日水曜日

キャリアって何だ?

キャリアに関する研究や文献は山ほどある。

産業社会にとって、キャリアは人間性の論点として重要だからね。

僕が思うキャリアの本質とは、経験と学習と獲得だ。

達成と拡張があるとポジティブ心理学的にベターだとは思う。

さて、経験には偶発性がつきものである。

つまり、未来を描いて考えながらも目の前の出来事に向き合っていき、そのなかで学び、そして何物かを獲得した結果がキャリアなのかもしれない。

獲得するものには、スキルがあり、資格もその延長にある。

一方で、人間性の成長もそこにある。

そもそも、僕たちがこの時代のこの状況に居ること自体が偶然なのだろう。

やり直しは出来ないものね。

もし、戦時下の社会にあれば、僕たちはまったく違った人生を送っているはずだ。

だから、キャリアは誰もが未経験のものであり、かつ予測不能なものなのかもしれないね。

では、キャリアを通じて人と産業組織の関わりをどう考えれば良いのだろうか?

運、不運で片づけてしまうのか。

実は、僕たちはいろいろな思惑をもってキャリアを描いている。

そして、その思惑と現実とのギャップで葛藤するよね。

でも、葛藤が悪いのかと言えば、そうでもない。

経験と学習と獲得がキャリアであれば、経験から何かを得られればそれは、キャリアとして成立しているからね。

で、ね。僕が考えるに、経験からの学習、獲得は経験した後ではいつでもできるものだから、学習と獲得ができるようにしておくこと、そして産業組織においては、そのデータベース化が出来ていて組織知としていつでも引き出せるようになっていることが肝要なのだよね。


過去、現在、未来



2020年7月21日火曜日

憎めない愛され上手は聞き上手の理解下手

世の中にはいろいろな人がいる。

コミュニケーションに関してでは、やたらと弁の立つ人もいれば、うまく話せない人もいる。

人の話を聞くのが上手な人もいれば、まったく聞こうとしない人もいる。

それ自体が人の良し悪しではないのだけど、行き違いからトラブルになり易い。

例えば、話やすくてしっかり聞いてくれるから、よくわかっているのだと思っていたら、全然ちがうことを考えていた、みたいなことは少なくないだろう。

誰にでも認知バイアスがあって相手の話を聞きたいように聞いちゃうものだけど、度が過ぎると「あれ?そういうことじゃなかったのだけど・・・」となるわけだ。

そういう人との目的的なコミュニケーションでは念押しと確認が重要なのだけど、自分の話に耳を傾けてくれるは有難い存在だよね。

行違ってしまい、トラブルになっても有難い存在であればそれは「愛される人」なのだろう。

そして愛され上手な人は、チームに対して貢献をしているとも言える。

皆が放っておけないいい人、だからね。


愛されキャラ




2020年7月20日月曜日

僕のナラティブ2020

ナラティブ(物語り)には数多くの研究がありますが、簡潔に表現すると「ナラティブは矛盾や葛藤を内摂しながら状況の全体をまとめあげるという特徴をもつ理解・思考・コミュニケーションの形式」(川端、藤井 2013)です。

ナラティブは「出来事を,意味に満ちたやり方で結びつける明確な時系列を持ち,一定の聴き手に対して,世界の存在や人々の経験についての洞察を提示するような言説」(Hinchman & Hinchman)であり、
・時間性をもつ(chronological)
・意味に満ちている(meaningful)
・社会的に作られ共有される(social)
の3つの本質的な特徴(Elliot)を持っており、「始まり-中間-終わり」あるいは「過去-現在-未来」といった時間軸を持った言語的表現(川端、藤井 2013)によって、単に語り継がれる「物語り」としてだけでなく、シナリオ・プランニング( Foresight)として企業や自治体で未来への戦略策定にも使われています。

これは僕が2016年5月に書いたブログの抜粋だ。

先日、最近人材開発の領域でナラティブがトレンドだと聞いたので昔のブログを検索したところ4年前に書いていた。

もちろん、「ナラティブ」の歴史はずっと古く、僕が書いた時にはすでに多くの研究成果があってそれを引用したものだった

さて、映画ではよく、リメイク版や続編があって、最近だと「ブレードランナー」が「ブレードランナー2049」として観客を集めていたよね。

時代背景も、撮影技術も変わるから、続編の内容も当然変わってくる。

僕がナラティブに注目したのは、AIの進化に伴う一人称研究からなのだけどあれから4年経ったナラティブ2020はどうなったのだろうか。

今宵はそんなことが少し気になっている。

AIは4〜5年前のようなブームは去って、やっと万能ではなく可能性と限定性を縦分けた議論が行われるようになった。

ナラティブは先日の話ではカウンセリング場面だけでなく、より積極的に用いられようとしているのかもしれない。

僕は4年前はナラティブに関して「意味性と共有」による「説得」を取り上げたけど、その後はビッグデータなども含めた定量分析と質的な定性分析の接点の1つ、大きな物語と小さな物語の往還にナラティブの可能性を探っていて、それが僕のナラティブ2020なのかもしれないね。



10年前の今日の物語り






2020年7月19日日曜日

「実践」あるのみ

僕の1週間のブログからキーワードだけを抜き出すと、生存不安、ちょいワル、書けない、人と社会、勝ち負け、ダイアローグだ。

眺めて見て、隠れた主題(Hidden Theme)を見つけ出すのが難しい。

敢えて文字にするのであれば「気づきと自己認識」となるかもしれない。

何が起きていたのか、自分は何者なのか、という問いである。

コルブの経験学習サイクルで言えば「省察と概念化」、あとは「実践」あるのみだね。


(月)生存不安が僕のスイッチ
そして卒業後も生存不安が高まるとスイッチが入って常に状況を打開して来たことを振り返るに、学習行動に関して「生存不安が学習不安よりも大きい時、初めて学習が生まれる」としたEHシャインの理論は僕に関しては極めて正しい。

(火)ちょいワル気分を愉しむ方法
持参した時とはだいぶ様相が違うけど、持ち帰る時、実は密かにちょっと「レオン」みたいだなとその気分を楽しんでいたのだ。

(水)書けない日
書けることはなかなかふえない。書きたいことはどんどん増える

(木)人と社会の関わり方を変える方法
で、ね。思惑とか才能って外からは見えないものなので、妄想したり幻滅したり怒ったり喜んだりするのだろうけど、ちゃんと見えたら人と社会の関わり方は変わるよね。

(金)勝ち負けではなく皆が勝つ関係性に必要な対話
で、ね。皆が勝者になるダイアローグはとても大切だよね。

(土)コミュニケーションにおける学びの要素
そして、ダイアローグ的要素のないコミュニケーションに違和感を感じるようになっているのかもしれない。 


さあ!

2020年7月18日土曜日

コミュニケーションにおける学びの要素

昨日、僕がダイアローグとディスカッションの違いを引用してブログを書いたところ友人が驚きを感じたとコメントくれた。

ディスカッションは勝ち負けだ、という件で驚かれたようだ。

引用した文では、ダイアローグをわかりやすくするために誇張しているのだと思うけど、引用でよかったかもしれない。

あと、友人はデイスカッションにおいてもダイアローグ的コミュニケーションを大切にされていて素晴らしいなと思った。

確かに、学びの共同体において、例えばケーススタディでは、それぞれが正解のない答えに自説を作りそれを持ち寄ってほかの人の考えを知って自説を再構築する。

つまり、学びの要素が入ればデイスカッションもダイアローグ的な要素が強くなるのかもしれないね。

学びのないコミュニケーションは無味乾燥でつまらない。

デイスカッションで論点が絞られるともはやダイアローグ的要素はないだろう。

そこでは誰かが勝って誰かが負ける、デイベートと同意だよね。


僕はダイアローグの体験を通じてダイアローグが大好きになった。

世界を拡げられたからね。

そして、ダイアローグ的要素のないコミュニケーションに違和感を感じるようになっているのかもしれない。


光明が

2020年7月17日金曜日

勝ち負けではなく皆が勝つ関係性に必要な対話

「ダイアローグ」は、しばしば「ディスカッシ ョン」と対比して説明されます。ディスカッショ ンは、相手を説得し結論を出すことを目的として いますが、ダイアローグでは意味を探求し共通の 理解を得ることを目的としています。ディスカッ ションでは、どちらかが議論に勝つわけですが、 ダイアローグではどちらが勝つというものではな く、皆が勝者になる方法です。

これはダイアローグ(対話)に関する文献からの引用だ。その文献を失念してしまって大変申し訳ない。

さて、目標や目的が明確になるほど、コミュニケーションは「デイスカッション」に寄っていく。

そして、1つの結論が導かれるのであれば、結論に至らなかった意見は「負け」になるのだ。

「勝ち負け」の世界にあるのは、「対立」「葛藤」だよね。

それはそれで意味があると思うけど、構図を理解せず「対立」や「葛藤」を生むとストレスフルで仮想敵国の妄想が自然と湧いてしまう。

まだ、戦時下の関係性が続いている朝鮮半島の国々との間で生じている問題にも「勝ち負け」の世界観が潜んでいるのかもしれない。

で、ね。皆が勝者になるダイアローグはとても大切だよね。


対話



2020年7月16日木曜日

人と社会の関わり方を変える方法

このブログ、あまり時事ネタは書いていないのだけど、今日のニュースでは思うことがあった。

一つは、Go To トラベルで東京発着が除外されたこと。

感染が再び広がっている東京の現実と、Go To トラベルを前倒しして進めようとしている国の思惑との歪みが分かりやすく露呈したのだろう。

そして感染が増えているのは、東京だけじゃないのだから、地域限定ではじまった緊急事態宣言がすぐに全国に拡げられたみたいにキャンペーンもやがて中止になるのかもしれないと思った。

次に、藤井聡太七段の最年少タイトル獲得である。

30年ぶりらしい。

僕は将棋を打たないけど、世の中には経験に勝る才能が間違いなくあることを目の当たりにした。

で、ね。思惑とか才能って外からは見えないものなので、妄想したり幻滅したり怒ったり喜んだりするのだろうけど、ちゃんと見えたら人と社会の関わり方は変わるよね。


才能は隠れている




2020年7月15日水曜日

書けない日

”読んだ本はなかなかふえない。読みたい本はどんどん増える”(「大村はま 優劣のかなたに」苅谷夏子著 P.125)

大村はまさんがご指導された中学生が残した言葉だそうで、これまでもこのブログで3回くらい取り上げている。

僕が今日、ブログを書こうと思い考え、そして頭に浮かんだのがこの言葉だ。

但し、僕が頭に描いたのは、

書けることはなかなかふえない。書きたいことはどんどん増える


にんにん

2020年7月14日火曜日

ちょいワル気分を愉しむ方法

リュック・ベッソン監督の映画「レオン」には名脇役が登場する。

その名は「アグラオネマ」。

え?誰?そんな人、居なかったよと思った人はかなりの映画通かもしれない。

そう、「アグラオネマ」は人じゃなくて観葉植物だ。

さて、生活の中にあって観葉植物は僕たちに潤いを与えてくれている。

しかし、その中には犬にとって有害なものもある。

たとえば「ドラセナ」。

ありふれた観葉植物なのだけどワンコは食べたら危険らしい。

そんなこともあって僕は近くの100均で買った小さなドラセナを会社に持っていった。

机上の緑化としてね。

そうしたら会社の環境がよほど良かったのか、どんどん成長してしまった。

鉢替えもしたけどもう、机上に置く大きさではなくなってしまったので家に持ち帰ることにした。

持参した時とはだいぶ様相が違うけど、持ち帰る時、実は密かにちょっと「レオン」みたいだなとその気分を楽しんでいたのだ。


これはドラセナ

2020年7月13日月曜日

生存不安が僕のスイッチ

僕は子供の頃、マイペースで時にぼーっとしていたように思う。

ボールペン一本で宇宙に飛んでいけたし、窓から沈む夕陽を見て吠えていたり、まあ、そんな子供だった。

末っ子の甘えん坊であったことは間違い無く、のんびりとしていた。

中学受験も、積極的とは言い難いお気楽さで周囲を気にせず、そのくせ優秀な兄の真似をしたがってさぞかし親は困ったことだったのだろう。

そんな僕でも中学に入り、生活が一変すると流石に周囲の様子が気になるようになった。

僕が中学の時、最初に気にしたのは教師の眼では無く、いじめられる友達を見て自分はそうならないように同級生の眼を気にしていた。

他人の眼を気にするのは社会性の第一歩だと思うけど、きっかけは不安から内発したものかもしれない。

高校に入って気になったのは成績だ。

高校から受験で一緒になったクラスメートはめちゃくちゃ優秀で、一方には、留年して年上の同級生がいる、そんな教室カーストの中で否が応でも、優秀者とのギャップと落ちこぼれた時の姿に恐れを持って「どうしよう」と悩んだものだ。

徹夜で試験勉強するより、授業をしっかり聞いてノートをとっていれば並の上の成績は取れることがわかって、悩みが消え自信を持てたけどね。

学びの方を学べたのも不安に端を発しているようだ。

大学に入ってからはなんだか「主流であること」みたいなことが好きになれず「本当に大切なこと」が気になっていた。

ゼミも当時経済学部で超有名だった加藤寛ゼミ、福岡ゼミ、とかではなく退官間際の青沼ゼミで産業社会学組織論だった。

まあ、大学を卒業してからの方が色々あったのだけど、マイペースで空想好きな僕が、周囲を気にし、僕なりの学び方を獲得できたのは、生存不安からだ。

そして卒業後も生存不安が高まるとスイッチが入って常に状況を打開して来たことを振り返るに、学習行動に関して「生存不安が学習不安よりも大きい時、初めて学習が生まれる」としたEHシャインの理論は僕に関しては極めて正しい。



マイペース




2020年7月12日日曜日

「老人と海」を思い起こして

僕にとって「人と組織」は大学時代の指導教授が僕に与えてくれた天啓、ライフワークだ。

しかしこのテーマ、幅も広ければ奥も深くて、大海原みたいだと思う。

先週一週間のブログを眺めてみてもまさに「海」である。

時に潜り、時に渡り、時に眺め、時に獲る、そして、なぜかちょっと「老人と海」を思い起こしてしまう、僕にとって「海」はそんなイメージなのかもしれない。

さて、「人」について一番最初に考えなければならないことは「生命」だろう。

「生命」とは何か、今夜の僕の問いはそこから始まっている。


(月)「ストーリー」と「ストリーテリング」の違いを考える
で、ね。どうやら「共感」の風呂敷で「ストーリー」を包んだものが「ストーリーテリング」であるようだね。

(火)「学ぶ人」から「学ぶ」こと
学んだことを「学ぶ」のでは導管?(受け売り)になってしまうけど、学んだことの実感を「学ぶ」ことは知の創発だからね。

(水)一国二制度の儚い夢
香港ではこのうち制度が、アメリカでは集う人の信条が問われているのだとすると、一国二制度の問題は、より大きな枠組みで考えると文化の衝突の問題と言えるでのはないだろうか。

(木)それが人生の目的なのだ
で、ね。きっとそこに運命を感じる出来事や人との出会いがあって人生の意味を知るから人生の目的なのだろうね。

(金)カオスの淵にあるパーソナリティ
そしてその中で見られる一貫した傾向、つまりパーソナリティの実態とは、自由意志の中の、ちょっとした選好の偏りによって作り出された、カオスの淵にある秩序であるのかもしれない。

(土)スティーブ・ジョブズが問いを起こした人生の意味
1980年代の日本的経営は、運命ではなくあたりまえで成り立っていたのだけど、昨今の、厚い福利厚生やら働きやすさのテレワークやら内部統制やらは、日本的経営のあたりまえがとってかわっただけなのかもしれないね。


海よ

2020年7月11日土曜日

スティーブ・ジョブズが問いを起こした人生の意味

アップルの創業者であるスティーブ・ジョブズにはいくつもの名言やエピソードがある。

その中で、僕が注目したいのは以下の2つだ。

If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?

Do you want to spend the rest of your life selling sugared water, or do you want a chance to change the world?

併せて意訳すると、『売れることに人生を費やして最後の日を迎えたいの?(世界を変えることのない人生に意味があるの?)』じゃないかな。


本来するべきことに近づけば人生に意味を感じることができるけど、そうでなければ無意味の世界を漂うことになりかねない。

もちろん、するべきことは1つじゃないから何かしらで本来するべきことに近づけばよいでしょう。

しかし、個人と産業組織の関係性で考えれば、ある組織に帰属することで人生の意味を見いだせれば社会に対して大きな貢献ができる。

産業組織は社会のひとつの形だからね。

しかし、運命を感じられない帰属は虚しい。

まさに漂流だ。

1980年代の日本的経営は、運命ではなくあたりまえで成り立っていたのだけど、昨今の、厚い福利厚生やら働きやすさのテレワークやら内部統制やらは、日本的経営のあたりまえがとってかわっただけなのかもしれないね。


運命はある?





2020年7月10日金曜日

カオスの淵にあるパーソナリティ

僕が今日、僕の内面を測ってみたところこれまでと反対の結果が出ていて大変驚いた。

しかし、僕のこのところの経験を考えるととても納得できる結果である。

これまでの傾向は、色々な役割を引き受けこなす傾向であったのが今回は頑固に本質を問う傾向になっていたのだ。

人生の意味は運命を見出したと時、本来やるべきではないと思った時、そして、それらを通じて自分自身に近づいたと時に感じるものとマルクス・ガブリエルは語っていたけど、確かにこの頃の僕は人生の意味と向き合う中で、本質をひたすら問うようになっている。

さて、このように、僕たちの内面は、決して石板に刻まれたものではなく、経験によってリアルタイムに大胆に書き換えられていくものなのだろう。

そしてその中で見られる一貫した傾向、つまりパーソナリティの実態とは、自由意志の中の、ちょっとした選好の偏りによって作り出された、カオスの淵にある秩序であるのかもしれない。


伸び伸びと、でもフレームの中



2020年7月9日木曜日

それが人生の目的なのだ

TO SEE THE WORLD, 
THINGS DANGEROUS TO COME TO,
TO SEE BEHIND WALLS,
TO DRAW CLOSER,
TO FIND EACH OTHER AND TO FEEL.
THAT IS THE PURPOSE OF LIFE.

僕が子供の頃、グラフ雑誌「LIFE」は有名だった。

ロバート・キャパとか土門拳とか、有名な写真家が活躍する雑誌だったのだけど、その後、売上を落とし、何回か休刊と発行を繰り返しながら2007年に最後の休刊となったそうだ。

冒頭はその「LIFE」のスローガンである。

先日、「人生の意味は運命を見つけた時に感じる」と書いたけど、「LIFE」のスローガンは「人生の目的」だ。

世界を見て、危険に立ち向かい、壁の向こうを覗き、近づいて、お互いを見出し感じること、それが人生の目的である。

で、ね。きっとそこに運命を感じる出来事や人との出会いがあって人生の意味を知るから人生の目的なのだろうね。


アロハー

2020年7月8日水曜日

一国二制度の儚い夢

最近、香港の独立した自治を揺るがす「香港国家安全維持法」が成立し、香港における「一国二制度」が実質的に崩壊したと言われている。

そこで、Wikipediaで「一国二制度」を見たけどあまり香港のことには触れていないように思えた。

なんでだろう?

まあ、他にも多くのニュースが取り上げているのでそちらを読むと、香港返還時に自治を50年保持すると約束があったのだそうだ。

今年は返還から23年なので、その約束は半分も守られなかったと言うことになるのかもしれない。

2つの異なる国がそれぞれの制度を持つことは当たり前だけど、1つの国の中に2つの制度があることは、やはりあまり都合がよくなかったようだ。

このところ香港ではデモなど緊張がずっと続いていたから本土にとってみれば早期に解決したい問題でもあるだろう。

これ、中国だけの問題かと言うと、そうでもないように思える。

例えばアメリカにおいては同時期にBLMの問題が起きている。

もちろんアメリカは一国二制度じゃないし法律的には黒人差別は解消されているのだろうけど、人々にはまだ2つのマインドが残っているのかもしれないね。

文化は、集う人の信条、生活様式、そして制度によって表される価値観で形作られている。

香港ではこのうち制度が、アメリカでは集う人の信条が問われているのだとすると、一国二制度の問題は、より大きな枠組みで考えると文化の衝突の問題と言えるでのはないだろうか。


違い





2020年7月7日火曜日

「学ぶ人」から「学ぶ」こと

僕はこうやって毎日、考え、ブログを書いているけど、それなりに不埒なことは書かないようにしている。

だって、だれが読んでいるかわからないからね。

今日もうんと書きたいことはあるのだけど、あえて止めます。

じゃあ、なにを考え、なにを書くのか、と言えば、今日のテーマは「学び」です。

それも「学ぶ人」から「学ぶ」こと。

さて、世の中に「学ぶ人」は数多いるけど、いちばんわかりやすいのは「学ぶ」場を作っている人たちだよね。

その人たちから「学ぶ」ことは本当に有難いことです。

学んだことを「学ぶ」のでは導管?(受け売り)になってしまうけど、学んだことの実感を「学ぶ」ことは知の創発だからね。


今朝の空模様


2020年7月6日月曜日

「ストーリー」と「ストリーテリング」の違いを考える

1980年東京で生まれて・・・から始まる「私の履歴書」的な話は、「ストーリー」だよね。

一橋大学の楠木教授によれば、ストーリーとは配列でなく順列であって、空間的広がり+時間的奥行き、なのだそうだ。

さて、映画には必ずストーリーがある。

色々な出来事が、様々な場所と時間の経過とともに描かれる。

リュック・ベッソンの「96時間」では、96時間で娘を救い出すという時間軸の中、色々な場所で戦いが繰り広げられる。

しかし、映画は96時間を2時間に圧縮したものではない。

父娘の愛情とすれ違いなどが描き出され、そしてエンディングに向かっていくのだ。

それは、「ストーリー」でなく「ストーリーテリング」だからね。

「ストーリテリング」で大切なことは、受け手の心をがっちりと掴むこと。

「ストーリー」から離れられないようにする「テリング」なのだ。

そのためには「共感」がキーワードになるらしい。

僕の犬がテレビに出たとき、編集後の放送をみて驚いたは僕の犬が「くいしん坊」になっていたことだった。

僕は番組への応募、収録の時にひとことも「くいしん坊」と言ってないのに、である。

プロデューサーが番組視聴者の共感を得るために行なったのが「くいしん坊」の演出だったのかもしれない。

「賢い」でも「かわいい」でもなく。

で、ね。どうやら「共感」の風呂敷で「ストーリー」を包んだものが「ストーリーテリング」であるようだね。


そりゃ、食べるのは大好きだけど


2020年7月5日日曜日

経験を、自分自身を、「あたりまえ」にしないこと

先週1週間の僕のブログを振り返ると、「経験の意味づけとその傾向」ということになるだろう。

まずは、経験をいかに意味づけるか。

経験には、今回の新型コロナウイルスのように偶発的なものもあれば、年齢など必然的なものもある。

経験を「あたりまえ」としないことで僕たちの「生きること」は瑞々しく躍動するのだけど、気をつけないと僕たちの周りは「あたりまえ」だらけになっていく。

そして、もう一つ重要なことは、「意味づけ」には「性格」が大きく影を落としていることだろう。

ここで言う「性格」は、遺伝、育ち、得手、選好、自我によって先天的、後天的に強化、形成される個性(もしくは固有性)である。

早い話、意味づけは人それぞれなのだけど、人となりに寄るところが大きいのだ。

で、ね。自分自身の固有性を「あたりまえ」としてしまうと、経験に意味づけをしているつもりでも結局いつも同じ意味になってしまうから「あたりまえ」にしないことが大事なんだよね。

(月)押し寄せる世代交代のビッグウェーブ
で、ね。じわじわ来るものもあるけど、新型コロナウイルスのように突然来るものの方が大きくて劇的であるよいに思えるね。

(火)「あたりまえ」という慣性軌道で僕たちが「死なないため」に
そして、天命反転住宅だけでなく、天命反転通勤、天命反転職業、天命反転職場、天命反転業務、天命反転飲食、などなど天命反転生活で日常をあたりまえの積み重ねにしないように、ね。

(水)経験からの学びなくして成長なし、共感なくして学びなし
要するに、お互いに共感が生まれていない状態なのだけど、案外、わからないものなのだよね。

(木)性格と生存戦略
そして、鍛錬する、多くと絆を結ぶ、役割を果たす、違いを見つけ強める、といった
戦略の基底にある行動と性格が強く関わっていると思うのだよね。

(金)だいじょうぶだぁ ではすまない試練にひつようなこと
新型コロナウイルスで亡くなられた志村けんさんにはかつて「志村けんのだいじょうぶだぁ」という冠番組があったけど、今回は全く大丈夫じゃなかったことを忘れてはならない。

(土)超社会主義が一番怖い という反論
その中庸で、もしくは振れ幅の大きさでいることが未来に目を向けた僕たちの有り様なのかもしれない。


あたりまえ ではなかった

2020年7月4日土曜日

超社会主義が一番怖い という反論

僕は昨日、超主観主義が一番怖いと書いた。

今日はその反論を書いてみよう。

超主観主義を一番手っ取り早く表現するならトランプ大統領だ。

俺は不公平だと思うからパリ協定から脱退する、俺は中国よりだと思うからWHOから脱退する、俺は人間は神が作ったものだと思うから進化論は否定する、などなど「俺(私)はこう思う、そしてそれが正しい」というのが超主観主義だね。

まあ、こういう人たちが自然の摂理を無視することで新型コロナウイルスが蔓延するのだけど、では、こういう人たちが居なかったどうなるのだろうか。

「僕は、私は、こう思う。だからこうする。」が無くなったら社会は機械のようになってしまうだろう。

リーダーシップ論やテイラーの科学的管理手法といった、今日の経営論的人材観の起点はここにあるのかもしれない。

人を消費可能な材料として捉えると、余計なことを考えない方が楽だ。

高度成長期に、手と足を会社に持ってきて頭は家に置いてこいと公言した通販会社の創業者や、美味しくしようとか余計なことをするから食中毒が発生するのだと言い切った経営者などはその典型だろう。

僕たちが僕たちの人生に意味を見出せば、僕は、私はこう思う。だからこうする。」となる。

つまり、社会性100%なんて、もはや多様な人が集う社会ではないのだ。

結局、超主観主義は怖いけど、超社会主義も怖い。

その中庸で、もしくは振れ幅の大きさでいることが未来に目を向けた僕たちの有り様なのかもしれない。


染まらず

2020年7月3日金曜日

だいじょうぶだぁ ではすまない試練にひつようなこと

最近、また新型コロナウイルスの感染者が増えてきた。

3月後半より、皆、冷静に受け止めているように思えるけど、以前のような生活に戻れば感染が増えるのは自明の理だろう。

一方、仕事だけでなく飲食や旅行も含めて経済を回すこと、家族など親しい人々との絆を取り戻すことなどが重要であることも今回の緊急事態宣言で再認識された。

その2つを同時に成立させるのかが今の僕たちに与えられた試練なのかもしれない。

例えば、僕は都知事選で新型コロナウイルスの対策を公約としながら聴衆を集めて演説を行なっている候補を見てアメリカの大統領みたいだと感じた。

社会の問題の複雑さを超主観主義(自分が真実だという立場)から単純化し、「私は大丈夫と思うから大丈夫なのだ」と結論づけてしまう。

これでは与えられた試練に向き合えない。

結果、アメリカでは感染の勢いが更に増し、東京でもそうなってきた。


僕たちの生活は、科学のみで成り立っているわけではないから、感染拡大を防ぐために、全てを自粛し続けるべきではないと思うけど、だからとって「大丈夫だよ」と結論づけるのは、やはり社会に対して無責任なのだと思う。

新型コロナウイルス感染拡大と経済性社会性の維持発展両方を成立させるためにはこれまでの何かを「止める」「あきらめる」こと、そしてあたらしい何かを「はじめる」ことは必須だ。

そう、試練に向き合うとは、戦略と創造を同時に行うこと

新型コロナウイルスで亡くなられた志村けんさんにはかつて「志村けんのだいじょうぶだぁ」という冠番組があったけど、今回は全く大丈夫じゃなかったことを忘れてはならない。

だいじょうぶ、ではない。

2020年7月2日木曜日

性格と生存戦略

僕は性格の多様性は、生き物の生存戦略と関係していると考えている。

もちろん、種として大きな生存戦略があるのだけど、その中でも多様性はあるよね。

さて、僕は生き物の生存戦略の専門家ではないけれども、人間の性格の傾向性を鑑みるに、より強いものが勝ち取る強者の戦略、集団の力を活かす群れる戦略、役割を分担して組織的に動く機能化の戦略、そして他者との違いによって生存可能性を高めるずらす戦略の4つの生存戦略を思いついた。

言い換えると、強いものが存続する、大きな集団にいれば存続する、機能的に組織化すれば存続する、他者と異なる領域にいれば存続する、となるでしょう。

そして、鍛錬する、多くと絆を結ぶ、役割を果たす、違いを見つけ強める、といった
戦略の基底にある行動と性格が強く関わっていると思うのだよね。


ちょんまげみたい



2020年7月1日水曜日

経験からの学びなくして成長なし、共感なくして学びなし

以前、フレット・コルトハーヘン名誉教授(オランダユトレヒト大学)はリフレクションを通して、経験を自分の力にしていくことの大切さを教えてくれた。

そのためには、リアリスティック・アプローチによって、理論と実践をブリッジするリフレクションを活用して経験から学ぶのだ。

他者との関わりがうまく行っていないとき、その経験からの学びを阻害する人の内面にある感情のズレを正すアプローチが「感情のエレベーター」である。

Thinking(頭)
Feeling(ハート)
Wanting(お腹)

この3つのどれで自分が、相手が話をしているのか考え 、相手のレベルで共感し、リフレクションを行うことでより深く本質を知り行動を変えられるのだね。

この感情のズレ、あたりまえのようにここそこにある。

「こうしたい、こうしよう」だったのが、「こうしたい、こうすべきだ」になった時に学びのない関係性になる。

たとえば、子供と親が「ゲームで遊びたい、宿題をやるべきだ」となると関係性は険悪になる。

ね、こんな話、どこにでもあるでしょう?

要するに、お互いに共感が生まれていない状態なのだけど、案外、わからないものなのだよね。


幸せの青い鳥