2021年2月28日日曜日

〇〇と□□に注意せよ

 僕の先週のブログを見返してみると、8割が〇〇と□□みたいなタイトルだった。

残りは〇〇から□□へ、だからいずれにしても〇〇と□□を対比して書いている(考えている)ことがわかる。

これはひょっとしたら僕の思考の癖なのかしらん、と思ったので来週は注意して考えてみよう。

(月)経験の消費から意味の創造へ
間違いなくそれは仮想化の仕組みなのだけど僕たちはそれが当たり前のことであるとすでに感じてしまって意味を失いかけているのかもしれない。

(火)議論の可視化と不可視化
議論の可視化が人の成長に果たす役割は大きいよね。

(水)複雑な世界の組織、組織の中の複雑
複雑さと秩序が入れ子となる前提であらためて社会を見渡すと組織や集団の中で発生しているいろいろな出来事も自然の一部であることが感じられるよね。

(木)怖いオフィスの怪談と階段
あれからもうすぐ10年経つのだなぁ。

(金)戦力外通告と余命宣告
平尾誠二さんがすい臓がんで余命宣告を受けたあとの話が中心で、平尾さんのカリスマ性もあって感動の物語りなのだけど、ひょっとしたら「生き物とは自らの生命を満喫す存在である」という生命の本質は生きるものすべてに共通しているのかもしれない。

(土)障がい者とその家族
いずれにしても、生存形式が保障されていない(ベーシックインカムがない)欲望と闘争(ロゴス)と科学的唯物主義、AI万歳の社会においては障がい者の異端扱いとそれに苦しむ家族が無くなることはないのかもしれない。


来年は東京マラソンあるかな


2021年2月27日土曜日

障がい者とその家族

 僕の兄は障がい者だった。

三男坊なので一番上の兄、がね。

もちろん、僕は産まれる前に話なので親から聞いたことしか知らないけど、分娩の際にスムーズにいかず時間が掛かったことがその原因だったらしい。

僕が物心ついたときその兄は障がい者だったのでなぜ?とは親みたいには思わなかったけど、両手の指先は第2関節で曲がっていて、腰もすっと伸びな姿勢はやはり普通ではなかった。

分娩の際の影響なのかその後に受けたいじめが原因なのかそもそものものなのかわからないけど、自閉的な傾向も強かったのだと思う。

結局、その兄は社会に適応することが困難だったのだ。

つまり、他者の求めに応じて振舞うことがとても苦手だったのだろう。

昨今、大人の発達障害が取り上げらるけど他者の目腺や感情に応じられないことが障がいだとすれば、これはとても身近な問題なのだと思う。

他者がどう感じるかわかっていて酷い態度をとる人も含めてね。

僕の母親は障がい者である長兄を愛しながらもずっとひけ目に感じていたのだと思う。

障がいと感じるのはロゴス(理論)の世界であってピュシス(自然)にその概念は無い。

だから、母親はロジカルな人だったのかもしれない。

いずれにしても、生存形式が保障されていない(ベーシックインカムがない)欲望と闘争(ロゴス)と科学的唯物主義、AI万歳の社会においては障がい者の異端扱いとそれに苦しむ家族が無くなることはないのかもしれない。


障がいを生むアイコン?


2021年2月26日金曜日

戦力外通告と余命宣告

 今晩、日テレで「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」を放送している。

我が家の先代犬は「ルーク」という名前だったので彼のことを思い起こしていた。

彼は16歳4か月で虹の橋を渡ったのだけど、余命宣告を受けたのは15歳11か月の時だった。

余命二週間と言われ、16歳の誕生日は迎えられないかと覚悟したのだけど、5か月も頑張った。

その頑張りも生き永らえたというよりは、Quality of Life の高さが印象に残っている。

それまで見たことにないような笑顔を見せてくれたからね。

さて、犬の寿命は長くなってきたといえ、人間よりはるかに短い。

だから警察犬や盲導犬など、人のために働く犬の引退は想っているより早い。

人間社会から見れば戦力外ということだ。

しかし、生命に「戦力外」の概念はない。

だから、犬は高齢犬になっても一生懸命生きる。

例え病気になっても精一杯、生命を満喫する。

先日、NHKで「ツーショット 最高の二人「山中伸弥と平尾誠二」」という番組を放送していた。

平尾誠二さんがすい臓がんで余命宣告を受けたあとの話が中心で、平尾さんのカリスマ性もあって感動の物語りなのだけど、ひょっとしたら「生き物とは自らの生命を満喫す存在である」という生命の本質は生きるものすべてに共通しているのかもしれない。


余命後の犬生




2021年2月25日木曜日

怖いオフィスの怪談と階段

 会社は以前、浅草にあった。

裏通りに面し細長い8階建てのビルで、そのうちの2フロアーを使っていた。

偶然、僕の住まいは会社の近くで、何回か夜中に出社したことがあった。

もちろん、他に誰もいない。

正確には、そのビルには僕以外の誰もいない状況だ。

実は同僚たちから幽霊が出ると聞いていたので結構怖かったのだけど、緊急の仕事でそれどころではなかった。

さて、10年前の3.11を僕たちはそのビルでむかえた。

ビルが古いせいか、細長い構造のせいか、とても激しく揺れて、パソコンは倒れ、書棚ももう少しで倒れそうになっていたことを良く覚えている。

中に居ては危険だと判断し、皆と外階段を使って避難したのだけど、これがまた怖い。

もし大きな揺れが来たら階段が外れてしまうかもという考えが脳裏をよぎる。

そんな揺れはなかったけどかなりの余震が続いてビルががしゃがしゃぶつかる様子は今でもしっかり覚えている。

怖い怪談と外階段のビル。

あれからもうすぐ10年経つのだなぁ。


外階段


2021年2月24日水曜日

複雑な世界の組織、組織の中の複雑

 世界は複雑だ。

だけど不思議なことに自然発生的な秩序、自己組織化する散逸構造が宿っている。

そして僕たちの社会は世界の一部だから、秩序を求める組織がいくつあっても全く不思議じゃない。

社会の複雑さは自分と他人が抱く自分のイメージの調整から生まれる(マルクス・ガブリエル)そうだけどもしかしたら僕たちの感覚の世界も複雑さと秩序の入れ子構造になっているのかもしれない。

もちろん僕たち一人ひとりが散逸構造を内在させる複雑な存在である。


さて、組織の中にも複雑な世界がある。

だから組織の中に派閥が自己組織化するのもごく自然な現象だ。

国家公務員が利害関係者である政治家の息子から接待を受けるのも散逸構造的であって、だから決して無くならないのだろう。

複雑さと秩序が入れ子となる前提であらためて社会を見渡すと組織や集団の中で発生しているいろいろな出来事も自然の一部であることが感じられるよね。


はみ出し者






2021年2月23日火曜日

議論の可視化と不可視化

 僕は2016年7月に「議論の可視化にできること」というグラフィック・ファシリテーションのセミナーに参加してこのブログにも書いた。

出口よりも入口が大切だ! グラフィック・ファシリテーション、グラフィック・レコーディングのセミナーにて

グラフィック・ファシリテーションは、人間の成長に大きく影響を与える人と人の関係性を良くする目的があるとのことだった。

確かに、議論が可視化されるということは議論の背景や多様な意見を知ることになる。

その意において、グラフィック・ファシリテーションやグラフィック・レコーディングなど議論の可視化は関係性を良くする効果が高いと思う。

一方で、議論が不可視化され結論だけが伝えられると猜疑心や不信感、疎外感が募る。

そると関係性は悪くなりそれぞれの成長も阻まれるかもしれない。

ちなみにここで僕がイメージする成長とは「状況により適応した思考・態度・行動がとれる不可逆的変化」である。

議論の可視化が人の成長に果たす役割は大きいよね。


可視化の役目


2021年2月22日月曜日

経験の消費から意味の創造へ

 新型コロナウイルスの影響で僕たちの経験はさらに仮想化が進んでいる。

身近に人と関わり合いながら経験を積む機会が減っているのだ。

そのそもインターネットやスマートフォンなどICT技術の発達にともなって生活の仮想化は勢いを増していた。

飲食店はLINEで顧客と繋がっていたしMOOCなどオンライン講座も広まっていた

さて、社会の構造が変わる、つまり仮想化は僕たちの在り様をいともたやすく変えてしまう。

感染予防行為が社会の構造を変え、あたらしい社会の構造が僕たちを変えるのだけど、やはり問題の核心は仮想化だろう。

なぜなら僕たちはカロリー摂取のためだけに料理を食べ、防寒のためだけに洋服を着ているわけではない。

美味しい、楽しい、美しい、素晴らしい、そういった心が動かされる直接経験は間違いなく僕たちが生きる意味なのである。

不要不急の外出自粛と仮想化で直接経験を失うことは極端な話、生きる意味を失うことにもなりかねないのだ。

でもね、そこで気づくのは、僕たちはこのところお金を払って経験を次から次へと消費することが当たり前になっていたのかもしれないことだよね。

本来、生きる意味を感じるために経験をしているのに経験が貨幣価値に換算されることに慣れてしまい、逆にその経験が支払ったお金に見合わないと感じると躊躇いもなく★1つの低評価によって攻撃する。

間違いなくそれは仮想化の仕組みなのだけど僕たちはそれが当たり前のことであるとすでに感じてしまって意味を失いかけているのかもしれない。


ライオンに込められた意味




2021年2月21日日曜日

ユングとスマップと槇原敬之の「世界に一つだけの花」

 僕たちの世界は複雑だ。

いやいや、単純だと、と言う人も居るかもしれないけど、残念ながらそれは間違っているだろう。

例えば、A地点からB地点に移動するというものすごく単純な行為であっても、どう行くのか、何で行くのか、天候はどうか、途中に障害はないのか・・・などなど現実的な可能性を想定すると単純さは吹き飛んでしまう。

やれDXだ、組織学習だ、意欲だ、学びと気づきだ、人生100年時代だ、戦力外だ、自由だ、意志だ、自由意志だ、と並びたててもどれ一つとして単純なことではない。

なぜなら、その中心にいる僕たちが複雑な存在なのだからね。

僕が常々思うのは、勧善懲悪にしてもそうだけど、単純化することの気持ち悪さである。

ユングは性格の構造を知覚機能と判断機能の2つと単純化したけど、組み合わせによって結局は複雑な体系になっている。

それでも僕たちの複雑さを網羅出来ているのかと言えば、そんなことはないだろう。

スマップが歌ったように「世界に一つだけの花」の方が的確だ。

そしてその歌を作詞作曲した槇原敬之氏は反社会的な行為で逮捕された。

ああ、僕たちの世界はなんて複雑なのことだろうか・・・。


(月)DXと地球温暖化の不気味なマリアージュ
僕はその鍵が、欲望の消費ではなく生きる意味を見出すことにあると考えているのだけど、どうだろうか・・・。

(火)個人と組織の学びの織物
さて、自分だけでなく、自分が属する組織においても学びは織物になっているだろうか。

(水)「意欲」についての考察
産業組織で構成員が仲間と働くこと、一生懸命勤めること、主体的に活動すること、目標を達成すること、結果を恐れずに踏み出すことなどに生きる意味を感じていたら組織としては理想的かもしれないけど僕たちが感じる「生きる意味」は複雑で多様なことを忘れてはいけない。

(木)学んで気づく、気づいて学ぶ、学びと気づきの2サイクルエンジン
しかしどのようなテンポで学びと気づきを往還するか、は僕たちが自らデザインできることの1つであるように思える。

(金)人生100年時代の戦力外通告
人生は100年になったけど「戦力外通告」がより一般的になるこれからの時代、一層強まる自律的なキャリア形成の風潮(圧力?)と併せて注目していきたいキーワードだ。

(土)自由、意志、そして自由意志とティール組織
複雑性と多様性に溢れた世界を単純化、分断化、闘争化し利己的な生存形式を正義とする似非倫理似非道徳から、僕たちはどうすれば自由でいられて意志をもって自由意志を実現できるのか、その問いは深い。


同じ花は無い


2021年2月20日土曜日

自由、意志、そして自由意志とティール組織

 マルクス・ガブリエルのNHKの番組を観ているとドイツ哲学者カントの言葉がわかったような気になる。

気持ちが向けばカントの翻訳本を読もうと思うのだけどもう少し時間が掛かりそうだ。


さて、冒頭の番組曰く、

自由とは、私たちが任されいる状態 だ。

意志とは、なすべきことを決めて実行する能力 である。

そして、自由意志とは、自由な意思が社会全体で最適化された状態 とのことです。

なすべきことを決めて実行することが僕たち自身に任されているのだけど、それぞれの自由意志が社会的に最適化されていて他者の自由意志も実現出来ていることが「自由意志」なのであると僕は理解した。

会社で言えば、自分が何をなすべきか任されていて決められていて、そしてそれが全体最適、つまり会社の目的、目標と一致いしている、ということだろう。

それが実現で出来るとまさにフレデリック・ラルーの「ティール組織(2014年)」だよね。

「ティール組織」はカントの概念を今の産業組織に言い換えたものなのかもしれない。

多くの組織では、自分で決められない、任せられていない、部分最適にしかならない、という問題を抱えている。

その背景には、お金で価値を測る経済的合理性、社会階層を前提とした経営管理手法、権力志向という闘争のマインドセット、のマウンティング三兄弟がいるのだろう。

複雑性と多様性に溢れた世界を単純化、分断化、闘争化し利己的な生存形式を正義とする似非倫理似非道徳から、僕たちはどうすれば自由でいられて意志をもって自由意志を実現できるのか、その問いは深い。


世界の中の僕たち


2021年2月19日金曜日

人生100年時代の戦力外通告

 今日、ヤフートピックにとんねるず石橋貴明さんの名前が多く出ていた。

1月の終わりに放送された「情熱大陸」という番組で、自身のことについて飾ることなく話したところ多くの人達が好意的なコメントをSNSで発信したそうだ。

バラエティタレントの最上位に長年居た石橋さんも、ここ数年はレギュラー番組の終了などが続き、ネットではほぼ決まって「オワコン」として取り上げられていた。

しかしYouTubeに活躍の場を見出してから「オワコン」といった表現は見当たらずむしろ復活した印象が強い。

さて、石橋さんと僕は同学年なので昔から親近感がある。

しかしとんねるずのお笑いで悪乗りっぽいところは苦手だ。

僕は残念ながら冒頭の放送を観ていないのだけど、ネットの情報を読んで「戦力外通告」という石橋さんの表現がとても気に入った。

野球好きの石橋さんらしい言葉で、レギュラーの座を降りチームを離れる必要条件だ。

戦力外通告はプロスポーツ選手には日常茶飯事でそれを受けて他のチームに移籍したり引退したりする。

プロ選手だけでなく石橋さんのようにプロフェッショナルとして活躍するには避けて通ることができない。

今回、石橋さんが使った「戦力外通告」には厳しい現実に晒されるだけでなく、受け止めてそれでも我が道を歩む態度が含まれていて、多くの人の共感を得ているのかもしれない。

人生の「オワコン」など無いのだ。

これまで多くの日本企業で社員は終身雇用と労働法によって戦力外通告を逃れてきたけど、最近では終身雇用が維持できなくなった保守的な企業でセカンドキャリアと称して戦力外通告がだいぶ広がっているように思える。

人生は100年になったけど「戦力外通告」がより一般的になるこれからの時代、一層強まる自律的なキャリア形成の風潮(圧力?)と併せて注目していきたいキーワードだ。


戦力外?


2021年2月18日木曜日

学んで気づく、気づいて学ぶ、学びと気づきの2サイクルエンジン

 僕たちは複雑な世界にあって、日々、様々な出来事に直面する。

つい先日、NHKの「逆転人生」で一つ星レストランのシェフがファミレスでアルバイトをした話が放送された。

立教大学教授の中原さんがコメントされるとのことで観たのだけど、このシェフの場合は気づいて学んだのだと思った。

スタッフへの押し付け⇒緊張感や退職⇒お客にとって心地悪いレストラン⇒赤字、という負の連鎖の中で何かを変えなくてはと気づきアルバイトを始めたと感じられたからね。

さて、番組の中ではアルバイトという越境学習で多くの気づきがある。

学んで気づいたのだ。

その気づきがシェフを変え、それによってスタッフが変わることを目の当たりにする。

今度は気づきから学んだのだろう。

コルブの経験学習が、経験⇒内省⇒気づき⇒能動の4サイクルエンジンであるのに対して、気づき⇒学びの2サイクルエンジンだよね。

オートバイを乗ったことがある人ならわかるだろうけど、4サイクルエンジンは低回転からトルクを出せる。

つまり乗りやすい。

一方、2サイクルエンジンはある回転数になるといきなりパワーが出る。

ピーキーと言われ、ゾーンに入ると異次元世界を体験できるけどなかなか乗りにくい。

もちろんここで言っている2サイクル、4サイクルは概念であって、実際は、2サイクルと4サイクルに違いはないのかもしれない。

しかしどのようなテンポで学びと気づきを往還するか、は僕たちが自らデザインできることの1つであるように思える。


乗りたいなぁ



2021年2月17日水曜日

「意欲」についての考察

 僕が大学時代に向き合い、今でも抱いている大切なテーマが2つある。

1つはゼミの指導教授だった故青沼吉松教授が語った「プロフェッショナリズムと協働意欲」であり、もう1つは僕の卒論「社会の発展と勤労意欲」だ。

実は最近まであまり気にしていなかったのだけどどちらも「意欲」という言葉が含まれている。

まあ、僕の卒論は限りなく青沼教授の影響を受けているので当たり前なのかもしれない。

さて「意欲」とは何かを積極的に行おうとする心理状態である。

だから協働、勤労だけでなく、活動、達成、挑戦などいろいろな言葉を頭に付け足すことができる。

いっしょに働こう、一生懸命勤めよう、とにかく動こう、必ず達成しよう、とにかくやってみよう、とね。

では、そもそもなぜ僕たちは何かを積極的に行おうとするのだろうか。

僕はそれは「自分が自分であること」または「自分自身に近づいていること」を実感したいからではないかと思う。

言い換えると「生きる意味を求めること」が僕の考える「意欲」だ。

僕たちは生ある限り何がしかの「意欲」を持っている。

しかもそれは僕たちの個性と同じで複雑性、多様性に満ちている。

一人一人、生きる意味は異なるものだろうからきっと「意欲」も人それぞれ、千差万別だよね。

産業組織で構成員が仲間と働くこと、一生懸命勤めること、主体的に活動すること、目標を達成すること、結果を恐れずに踏み出すことなどに生きる意味を感じていたら組織としては理想的かもしれないけど僕たちが感じる「生きる意味」は複雑で多様なことを忘れてはいけない。


多様で複雑




2021年2月16日火曜日

個人と組織の学びの織物

 個人の学びと組織の学びは異なる。

個人は、その人の経験と内省により学びが点から線、線から面、面から立体、立体からネットワークへと時間とともに広がり深まる。

個人は誰でも学びの織物を織りあげることができる。

一方、組織では時が経つと学びが分断し退行することが珍しくない。

ピーター・センゲは学習する組織の5つの規律として
  1. 個人の責任感、自立、支配
  2. メンタルモデル
  3. 共有されたビジョン
  4. チーム学習
  5. システム思考(Systems thinking)

を提起しているけど、それに則れば規律が破られることで組織の学びはリセットされてしまうのだろう。

織物に例えれば、センゲの5つの規律は個人が組織で繋がる横糸である。

それに対して学びの縦糸は組織構成員そのものなのだろう。

構成員が頻繁に入れ替わってしまうと縦糸は切れてしまい織物にならない。

カシミヤ100%の毛糸は引っ張りに弱く強く張ると切れてしまう。

だからイタリアの古い機屋にある軋みが出るような古い織機でないとカシミア100%の生地は織れないと言われていた。

そこで今はカシミアの縦糸にナイロンを混ぜて切れないようにして最新の織機にかけるので正直なメーカーはカシミアコートと言いながら品質表示はカシミア95%ナイロン5%などとなっている。

話をもとに戻せば、組織で人がたびたび入れ替われば学びの縦糸はズタズタだろう。

学びを繋ぐためのマニュアルなどはナイロン糸、補強材くらいの役割ではないだろうか。


さて、自分だけでなく、自分が属する組織においても学びは織物になっているだろうか。


織物

2021年2月15日月曜日

DXと地球温暖化の不気味なマリアージュ

 アメリカのトランプ前大統領は、科学的唯物論を否定した。

その典型が「地球温暖化」だ。

地球の気候は複雑な要因で変化するので実はトランプ前大統領の超主観主義が間違っているとも言い切れないのだけどシベリアの永久凍土や北極の氷が溶ける様子を見るに地球が温暖化しているのは間違いない。

僕たちはその被害者であり加害者だ。

さて、新型コロナウイルスの感染拡大にともないDX(デジタルトランスフォーメーション)という言葉が広がったけど、デジタル=電力消費であることを忘れてはいけないだろう。

僕が今、こうしてブログを書いていることも地球を温暖化させている。

実は日本は新型コロナウイルスだけでなく、鳥インフルエンザの猛威にも晒されているのだけど、ひょっとしたそれも温暖化が影響しているのかもしれないね。

で、ね。僕たちは叡智を駆使してこの問題に向き合わなくてはならないよね。

ICT、電化、高カロリー消費そしてニューノーマルのワークスタイルや生活形式がどうすれば地球のエコシステムと成りうるのか。

僕はその鍵が、欲望の消費ではなく生きる意味を見出すことにあると考えているのだけど、どうだろうか・・・。


幸せなマリアージュ



2021年2月14日日曜日

1984 How do you do?

 NHK EテレでプレイバックYOU という番組を放送していた。

1984年6月に放送された100回目の記念番組再放送を中心としたものだ。

1984年

村上春樹に同名の小説(「1Q84」で正確には異なる)があるけど、僕にとって1984年は大学を卒業して銀行に就職した大きな節目となった年である。

そこで僕は、糸井重里さんや坂本龍一さんなど、ちょっと憧れの上の世代、同世代で新しいものに飛びついてた人、そして、当時の僕よりも若い人たちの様子や発言を聞いて1984年の雰囲気をリアルに思い出しながら当時と何が変わったのか、何が変わっていないのを考えていた。

結論的には人の在り方と社会の在り様において、人の在り方は本質はさほど変わっておらず、一方、社会の在り様はITCの普及によって大きく変わった36年間だった。

社会の在り様につれて人の在り様も変化した。

インターネットとSNSの普及によって個人が発信することが可能になった。

一方で、社会の枠組みと個人の自由の間の葛藤、つまり人の在り方は36年前も今もあまり変わっていないのかもしれない。


さて、先週のブログを振り返るとテーマは「変化」だった。

なんだか昔と変わっていないなぁ、と思うこともあれば、大好きだったチック・コリアが亡くなる後戻りできない大きな変化もあった。

過行く時間からは誰も逃れられないのだよね。

ネットに情熱大陸に出演したとんねるず石橋貴明さんの記事が出ていてすごく共感があるのだけどこれも同世代、社会の変化を共有しているからなのだろう。

僕が青春真っただ中にあった1984年から今年で37年。

意味深い1年だなぁ。


(月)あれ?気がつけば9年目に突入してた
ということでこれからも苦労しながら考える楽しみを続けていこう。

(火)「問い」に潜む2つの背景
で、ね。そもそも「意味を見出す問い」は物事の複雑さを受け入れるために、「結果を求める問い」は物事を単純化して結果を出すために問いが起こされる、つまり背景が違うのだよね。

(水)口入宿の歴史
そのような違いがどこから来るのかとても興味深いのだけど、ひょっとしたら、日本では江戸時代、アメリカでは奴隷制度があった時代に端を発しているのかもしれないね。

(木)あなたの脳は何%起きていますか
複雑な社会性を生み出す僕たちの脳のことも僕たちはちゃんと理解できていないのだ。

(金)ありがとう、チック・コリア やすらかに・・・
音楽が聴けなくなるその日まで。

(土)街の変化、人の変化
僕は置き場所も無いので本を買う時、Kindle版があればそれを買っているのだけどあの場所が更地になったのはそのせいかもしれないよね。

あの頃僕は若かった♬


2021年2月13日土曜日

街の変化、人の変化

 僕が昔から住んでいる場所は、秋葉原、神田、お茶の水に近い。

それらは小さいころから馴染みのある場所だ。

その秋葉原、神田、お茶の水の共通点は変化の激しさかもしれない。

多少、昔の面影を残してはいるものの、街の顔はどんどん変わっている。

秋葉原は、電気部品、家電量販店、パソコンショップ、アニメ・ゲーム・フィギュア、そしてアイドルと変化した。

神田は、地上げで小さい店舗、住宅がほぼ消えて、ビルと駐車場の街になった。

お茶の水は本と楽器の街から、スポーツ用品、そして表通りはまだ面影を残しているけど、一歩、裏通りに入ると大型再開発ビルの街になった。

いずれも都心の好立地であり、産業界の盛衰がそのまま映し出されているのかもしれないね。

さて、街が変化すれば当然、人も変化する。

でもひょっとしたら、人が変化したから街が変化したのかもしれない。

結局どちらが先、ではないのだろう。

街と人、人と街を切り離すことはできない。

「街人一体」なのだ。

そして、僕はその近くに住む一人なのだけど、遠く離れた場所に住んでいたとしても、街と人の変化に関わっているのだ。

アマゾンで本を買うようになっただけで本屋街は変わってしまうものだからね。

僕は置き場所も無いので本を買う時、Kindle版があればそれを買っているのだけどあの場所が更地になったのはそのせいかもしれないよね。


お、ラーメン二郎・・・あれ?

2021年2月12日金曜日

ありがとう、チック・コリア やすらかに・・・

 今日、僕の周りでどれほど喜ばしいことがあったとしても、そして実際にあったのだけど、僕はひたすら悲しい。

チック・コリアが亡くなったからだ。

僕は大概、身近な人が良く聴く音楽から好きな曲やアーティストを見つけてきた。

チック・コリアは、中学時代のバンド仲間から教わった一人である。

その後大好きになり、高校時代にはJAZZ好きの友人と当時田園調布にあった田園コロシアムで開催されていたLive Under The Sky '79 チックコリアナイトに行った。

享年79歳とのことなので、当時チックコリアは37歳くらいだったのだろう。

今思えば、とても良い時期の演奏に接することが出来た。

チック・コリアと一緒に演奏を行ったアル・ディ・メオラはギター速弾きの名手である。

ロックギターのディストーションサウンドに慣れていた僕にとって、ディ・メオラが弾くギブソンレスポールのクリアな音に何となく物足りなさを感じたことを記憶している。

ライブの音源は後援したFM東京でラジオ放送され、僕はその後、録音したそのカセットを何百回と聴いたものだ。

Night Streetから始まりSpainで終わる音源は間違いなく僕が一番聴いているものだ。

引っ越しでテープはどこかに行ってしまったけど密かにCD化され販売されていることを知り入手して今日もそのライブを聴いているのだ。

ゲイリーバートンとのDuetやMad Hatter、Frendsなど他のCDも含めたら、おそらく僕のMusic Life の半分はチックコリアであるようにも思える。

そのチックコリアが亡くなった。

先日、新型コロナの中、リモートで子供にレッスンを行う番組が放送されていてだいぶ痩せて声も細かったので気になっていたのだけど・・・

僕はこれからもチックコリアを聴き続ける。

音楽が聴けなくなるその日まで。


宝物


2021年2月11日木曜日

あなたの脳は何%起きていますか

 休日の今日、僕は午後、犬の散歩に出かけたのだけどその直前は昼に作って食べたシーチキンパスタでお腹一杯、うとうとしていた。

実は、今日のシーチキンパスタ、僕は塩コショウを忘れて超薄味になっちゃったのだけどね。

散歩に出たときは頭もすっきりしておよそ1時間くらいのんびり歩くことができた。


さて、頭がぼーっとするとかすっきりするとかの感覚を僕たちは持っている。

頭がすっきりしているときはアイデアもどんどん湧いてくるし何事にもポジティブに向き合える。

一方でぼーっとしているときは何も考えられない。

だから頭がすっきりしていることは良いことに思えるよね。

では、「頭がすっきりしている」とはどういうことなのだろうか。

映画「LUCY」では、薬物によって脳の覚醒度がどんどん上がっていって最後には・・・となるのだけど、すっきりとは覚醒の状況なのだろうか。

都市伝説的には人は普段脳の10%しか使ってのだけど、実際には、エネルギー効率が最も良くなる1~16%であるらしい。

そう、僕たちの脳の働きはエネルギー効率が必要条件で残りが眠っているわけではないのだ。

で、ね。実は組織もこれと似ているのかもしれないね。

つまり、組織構成員全員がフルパワーで活動すると膨大なエネルギーが必要になって効率が悪化する、というより組織を維持できなくなるのではないだろうか。

組織構成員全員がどんどん学び、新たな問題を見つけまくり、新しいことに一斉に挑戦しはじめたら・・・

ちょっと想像するに、もれなくカオスと化しそうである。

262の法則とか積極的学習者は10%とか言われるけど、ひょっとしたらそれは脳のエネルギー効率に比例しているのかもしれない。

ところで脳ではデフォルトモードネットワークと呼ばれる無意識に行われる脳内ネットワーク活動があって意識的な活動の20倍もエネルギーを消費しているらしい。

こうなると僕の262と10%の仮説もちーん、と吹っ飛んでしまう。

脳の意識的な活動と無意識の活動とエネルギー効率。

複雑な社会性を生み出す僕たちの脳のことも僕たちはちゃんと理解できていないのだ。


梅が起きた





2021年2月10日水曜日

口入宿の歴史

 僕の住む街には昔、口入宿が軒を連ねていたらしい。

そんな説明が街の一角に展示されている。

口入宿とは、かつての職安、いまのハローワークに該当する役割を果たしていたらしい。

要するに職業紹介とか職業斡旋である。

さて、以前、僕はアメリカでは人材業界において職業紹介業の評価はあまり高くない(ステータスのある仕事ではない)と聞いたことがある。

それに比して、日本では人材業界において職業紹介を行う企業、特に大手の地位は高い。

そのような違いがどこから来るのかとても興味深いのだけど、ひょっとしたら、日本では江戸時代、アメリカでは奴隷制度があった時代に端を発しているのかもしれないね。


勉強になるねぇ


2021年2月9日火曜日

「問い」に潜む2つの背景

 僕は「問い」は学びの起点だと思う。

だから、自ら問いを起こすことも、他者に問いを起こさせることも大事である。

さて、「なぜ」「ほんとうに」「どうして」「どうすれば」など「問い」にもいろいろあると思う。

しかし、大きく分けると「問い」は2つに分かれるのかもしれない。

「意味を見出す問い」と「結果を求める問い」だ。

そして「意味を見出す問い」とは自分を知る道で、「結果を求める問い」は評価を行うためである。

だから、「意味を見出す問い」は多く向き合うほど気持ちが豊かになる一方で、「結果を求める問い」で答えの出ない問いに向き合うとストレスですり減っていくように感じられるのだろう。

スパっと答えが出る問いならば自信もついてポジティブに感じられるけどね。

で、ね。そもそも「意味を見出す問い」は物事の複雑さを受け入れるために、「結果を求める問い」は物事を単純化して結果を出すために問いが起こされる、つまり背景が違うのだよね。



並ぶ鳥居みたい

2021年2月8日月曜日

あれ?気がつけば9年目に突入してた

 僕がこのブログを書き始めたのが2013年2月6日水曜日だ。

今日は2021年2月8日。

そう、じつは先週土曜日で9年目に突入していたのだ。

2日経ってから気がつくのも呑気な僕らしいけど、毎日書き続けて9年目と思うと感慨深いものがある。

連続日数もあとちょっとで3000日に届く。

比べたら叱られてしまうけど、千日回峰行×3 だ。

さて、毎日続ける中で苦労することが3つある。

1つめはテーマ。仕事での気づきはものすごく多いけど書けることはすくないから毎日異なる個人的な思索を書き続けることには苦労する。

2つめはスイマ。23時59分までに書き上げて公開するマイルールにとって睡魔は最大の敵だ、そこで「締め後」という奥の手を何回も使ったけど、しわ寄せが必ず来るのである。

そして3つめはアクマ。面白くないこと、腹立たしいことなどを吐き出して憂さ晴らしをしたがる僕の心の情動という悪魔との闘いは終わることがない(時に負けているのかもしれない)

ということでこれからも苦労しながら考える楽しみを続けていこう。


2013年の梅の花




2021年2月7日日曜日

学習って多様だなぁ

 僕の先週のブログを見返してテーマを決めるとすると、「学習の多様性」と言うことになるかもしれない。

キーワードはきっかけ、人生の意味、運命の学習、中庸だった。

さて、マイク・ロバルト氏は組織の中で、積極的学習者は10%、消極的学習者は60%、学習拒否者は30%であると述べた。

また、E・シャイン氏は、生存不安が学習不安を上回ったときに学習がはじまると述べている。

僕は最近、家人の学びを見ていてこれらはある側面から学ぶ人を観ていることを改めて理解すべきだと思っている。

家人はこれまでの人生で今、一番学んでいると家人は言うのだけど、傍目に見ていてもほんとうに一生懸命学んでいる。

家人は超積極学習者で生存不安も学習不安も関係ないのだ。

学習させたいという動機と、学習したいという動機が常に一致するわけではない。

一致する方が少ないかもしれないよね。

で、ね。世の中には、学習させなければならない(もしくは学習習慣を身に着けさせる)という立場の人も少なくないように思うけど、学習の多様性が当たり前となる社会こそが目指すべき状態だと今宵、密かに思うのである。
 
(月)あなたはこれまで何回覚悟を決めましたか
だから、僕はこれまで何回きっかけを作ってこれたのか、という問いの方が大切なのかもしれないね。

(火)倍返しの先に続く人生
日本の国会にしても、アメリカの大統領選挙にしてもロシアの政権争いにしてもミャンマーのクーデターにしてもとかく目先の応報で右往左往しがちだけどもっと先の人生を考えていきたいものだよね。

(水)みんなはどっちの「エコシステム」なのだろう
で、ね。解説をいれるか、「エコシステム」という言葉を使わないか、どっちがよいのだろうね。

(木)生きる意味の多様性を奪い苦しみを生むもの
でも、それらの人達は人の生きる意味の多様性を奪い苦しみを生んでいるとは思っていないのだろうけどね。

(金)運命を感じる学習ってなんだ?
で、ね。大学で指導を受けゼミの教授からは「まさに運命を感じる学習をした」と今でも強く感じていつのだけれども、それだけでなく犬からも、もっと広く捉えれば自然からも運命を感じる学習はできるのだろうね。

(土)適材適所!良い子悪い子普通の子
「欽ドン!良い子悪い子普通の子」では、普通の子が最後に来ていて良い子と悪い子を見て普通であることを知ることが繰り返されている、とっても奥深い番組だったのかもしれないね。


学び













2021年2月6日土曜日

適材適所!良い子悪い子普通の子

 昔、萩本欽一さんの番組で「欽ドン!良い子悪い子普通の子」という番組があった。

当時は番組を観て笑っているだけだったけど、今考えるとこれは哲学であり禅にも通じるとても大きなテーマだったのかもしれない。

善悪と中庸は、思想・思索の世界では常に問われ続けていることと思うからね。


さて、人と組織の間では、古より適材適所という概念がある。

ある場面でもっとも適切な態度・行動をとれる人をそこに置く、ということだね。

経営論的かつ機械論的に考えれば、最も良い部品を配置することだ。

一方、社会の複雑性、多様性を考えれば誰にとっても生きる意味を感じられる配置をすることである。

前者においては、要件定義と良品不良品のクライテリア(判断基準)が求められる。

後者においては、自律的に貢献する態度と多様性を受け入れる土壌が求められる。

組織活動は他者に打ち勝つ闘争だと考えれば前者になるし、社会全体ひいては自然の一部にあると考えれば後者になる。

長期的、全体的に見れば前者は格差・断絶・差別を生む悪い子で、後者は普遍的・持続可能な社会を生む良い子だ。

そして現実的には僕たちはその狭間で揺れ動く中庸な普通の人なのだけど儒教では中庸は徳を積み天命を知る道なんだよね。

「欽ドン!良い子悪い子普通の子」では、普通の子が最後に来ていて良い子と悪い子を見て普通であることを知ることが繰り返されている、とっても奥深い番組だったのかもしれないね。


中庸が肝心



2021年2月5日金曜日

運命を感じる学習ってなんだ?

 僕たちは日々、色々な経験を積んでいる。

行動し考え、また、考え行動しながらね。

でも経験と学習は使い分けられているよね。

そこでネットで「学習」を調べたら

デジタル大辞泉の解説
[名](スル)
1 学問・技術などをまなびならうこと。「学習の手引」「学習会」
2 学校で系統的・計画的にまなぶこと。「英語を学習する」
3 人間も含めて動物が、生後に経験を通じて知識や環境に適応する態度・行動などを身につけていくこと。不安や嫌悪など好ましくないものの体得も含まれる。
4 人工知能(AI)がデータを読み込み、基準や規則性などを見つけ出すこと。→機械学習

とあった。

この3が経験と学習の関係について述べているようだ。

経験は学習の必要条件(経験⇒学習)であって、十分条件ではない、つまり経験が学習となるためには「身につけていく」という自由意志の存在が欠かせないわけだね。

身についたかどうかは態度・行動の変化を観察すれば外部からも確認できそうだ。


さて、僕の犬は、他の犬が怖い。

だから、散歩で近所のドッグランに近づこうとしなかった。

しかし、犬同士の社会経験を積むために何回か通ったところ、今では散歩をしていると自分からドッグランに向かい僕を引っ張っていく。

すごい態度・行動の変化だから、彼は「学習した」のだ。

一方、僕にしてみれば、犬社会に馴染めない彼を見てドッグランに連れていく態度・行動をとるようになった。

実は、僕は犬の公園などで集まっている地元の飼い主コミュニティが得意ではなくてドッグランにもあまり近づかなかった。

僕も「学習した」のだ。

そう、僕と僕の犬はお互いに学習しあっている学びの仲間なんだよね。

それ故、僕は僕の犬との出会いを運命であると日々強く感じるようになっているのかもしれない。

で、ね。大学で指導を受けゼミの教授からは「まさに運命を感じる学習をした」と今でも強く感じていつのだけれども、それだけでなく犬からも、もっと広く捉えれば自然からも運命を感じる学習はできるのだろうね。


態度・行動を身につける



2021年2月4日木曜日

生きる意味の多様性を奪い苦しみを生むもの

 僕はこれまで何回も哲学者マルクス・ガブリエルを取り上げたNHKスペシャルの録画を見返している。

しかし、その理解は容易くない。

かなりわかりやすく話してくれているのにねぇ・・・

さらに見返すたびに気づきが起こる場面も異なるのでいつも新鮮に感じてしまうのだ。

あと何回観れば腹落ちするのだろうか。


さて、最近つよく印象に残ったのは

この社会の複雑さから逃れようとした単純化。しかしその単純化こそが生きる意味の多様性を奪い苦しみを生んでいるとしたら

という番組のナレーションだ。

確かに僕たちの中には複雑なものを嫌い単純化させようとする力が働いている。

場面にもよると思うけど、基本的に複雑なものを理解することは面倒で困難が伴い不安になる、すなわち悪いことであると声高に主張する人達は少なからず居る。

でも、それらの人達は人の生きる意味の多様性を奪い苦しみを生んでいるとは思っていないのだろうけどね。

社会を単純化できない複雑なものとして理解すること。社会の複雑さを軽減することはできません。正義を達成するために必要なことはすべての視点が意味あるものになるよう窓を再配置することです。生きる意味を求める人間の探求は幻想ではありません。マルクス・ガブリエル(番組より)


複雑さの中にある生きる意味





2021年2月3日水曜日

みんなはどっちの「エコシステム」なのだろう

 言葉の使い方は難しい。

本来の意味だけでなく、新しい意味もどんどん与えられているからだ。

例えば、「エコシステム」。

本来は相互依存的な生態系を指しているけど、ビジネスでは収益構造を築く共存関係として使われていてる。

なぜこのような転化が行われたのかしらないけど使う場面によってはまったく異なるメッセージを送ることになってしまう。

僕がどのような意味で「その言葉」を使うのか、記述であれば注釈がつけられるけど、口頭では認識がずれたままで行き違うものねぇ。

僕が最近使っていた「エコシステム」は、非中央集権的なもの、つまり生態系的な相互関係を指していたのだけど、プラットフォームビジネスで使われる「エコシステム」は素人理解では超中央集権的で利益を効率的に吸い上げる構造のことだよね。(そもそもこの理解自体が間違っているかもしれないのだけど・・・)

ITビジネスの人が聞いたら僕がプラットフォーマーを意識していると思うかもしれない。

でも、僕は法政大学長岡教授が口にした「学びのエコシステム」という表現が好きでつかっている。

で、ね。解説をいれるか、「エコシステム」という言葉を使わないか、どっちがよいのだろうね。


自然界?ビジネス界?


2021年2月2日火曜日

倍返しの先に続く人生

 かつて「半沢直樹」というドラマがヒットし、最近放送されたその続編も視聴率がたかったらしい。

僕は続編を観ていないのだけど、「倍返しだ!」という台詞はすごく流行ったよね。

ドラマにしても映画にしても、やられたらやり返して最後は正義が勝つ、みたいな勧善懲悪、カタルシス的な結末は王道だよね。

みんなそれを観て日頃の鬱憤を晴らすのである。

さて、僕たちの人生はドラマや映画みたいに数時間で終わる話ではない。

鬱憤を晴らしたところで、その次の日が巡ってくる。

そしてよくよく考えてみれば、鬱憤を晴らすよりもその先に続く人生を充実されることのほうが価値がある。

日本の国会にしても、アメリカの大統領選挙にしてもロシアの政権争いにしてもミャンマーのクーデターにしてもとかく目先の応報で右往左往しがちだけどもっと先の人生を考えていきたいものだよね。


先を


2021年2月1日月曜日

あなたはこれまで何回覚悟を決めましたか

 人は一生のなかで平均、何回くらい覚悟を決めるのだろう。


僕は今夜、覚悟について考えていた。

僕はこれまでこんな覚悟をしてきたのだ、という風にね。

でも、はたと「あなたには覚悟があるのですか?」という他責な問いを起こした自己肯定なのかもしれないと思うに至ったのだ。

自分の覚悟はすごくて、他者の覚悟は取るに足りない、みたいに覚悟を捉えている、と+。

そもそも、会社の目標達成に対する覚悟も、結婚をするときの覚悟も、犬を飼うときの覚悟も覚悟に違いがあるのだろうか。

覚悟とは責任を果たす決意と果たせなかったときに払う代償のバランスであって状況に応じて変化するものでもある。

責任を果たすには時間が掛かるので払う代償の意味も流動的なんだよね。

要するに覚悟なんてたいしたものじゃない。

きっかけに過ぎないのだ。

だから、僕はこれまで何回きっかけを作ってこれたのか、という問いの方が大切なのかもしれないね。


自然界の覚悟とは