2024年3月31日日曜日

水原元通訳と生成系AIが指し示す未来の扉を開く鍵

 生成系AIの情報は信頼性が無いという友人が居る。これは真に正しい姿である。生成系AIがうそをつくことは良く知られているし、そもそも、ウソにまみれた人の情報を学習するのだから信頼性が低いのだ。また、人によっては嘘をわざとつかせる人も居る。フェイクを生成させる輩だ。さて、生成系AIのそもそもから信頼性が低いと論じることも出来るが、事実の前提を疑うという事は成長し続ける人の特徴だから、相手が人であっても生成系AIであっても疑ってかかるということは極めて未来志向、成長志向の正しい姿なのである。何故未来志向かと言えば最近話題のあの事件を思い浮かべればすぐにわかる。さてうそと言えば大谷翔平選手の前通訳水原一平氏であろう、大谷翔平選手は会見を開き彼が嘘をついたと何回も糾弾した。彼らの将来的な関係はうそによって完全に閉ざされたように見える。実は信じるということは極めて未来的な信念なのである。さて一方で疑いようなく一番信じられるものと言えば自分の過去の経験であろう。故に自分の過去の経験は未来の扉を開く鍵なのである。水原元通訳と生成系AIの不都合な事実がはからずしも(反面教師的ではあるが)未来の扉を開く鍵を指し示しているのである。




2024年3月30日土曜日

40年経っていまここ

40年前は脱工業化社会が叫ばれていた Dベルポストインダストリアルソサイエティは、ダニエル・ベルによって提唱された社会理論の一部です。この理論は、工業化を経た産業社会がさらに発展し、情報、知識、サービスなどを扱う第三次産業の占める割合が高まった社会を指します1。

以下は、脱工業化社会についての詳細です:

  1. 脱工業化社会の特徴:

    • 財の生産からサービス(高度情報サービスなど)へと経済活動の重心が移行します。
    • 理論的知識が社会の「中軸原則」となり、改革や政策形成の源泉となる社会です。
    • 専門・技術職層の役割が大きくなり、組織運営の様式も経済外的な要因を配慮する「社会学化様式」に変わっていきます。
  2. 社会の支配構造の変容:

    • 社会計画においては必ずしも合理性だけで押し通すことはできず、テクノクラートと各集団の利害を代表する政治家との間の矛盾が続きます。
  3. アラン・トゥーレーヌの視点:

    • アラン・トゥーレーヌは脱工業化社会を新たな形態の社会紛争を特色とする社会と捉えています。
    • 専門技術との関係で権力を行使する新たなテクノクラシーと、技術や権力から排除されることによって疎外される新たな人々との闘争が特徴です。
  4. アルビン・トフラーの視点:

脱工業化社会は、産業構造の変化や知識の重要性に焦点を当て、現代社会の進化を理解する上で重要な概念です。

ポストインダストリアルソサイエティは40年前の社会理論ですがその後日本では製造業が見事に地盤沈下で第3次産業が産業全体の過半数を超え、今や第4次産業と言われる知識産業が

知識産業は、知識を生み出し、育て、伝えることにかかわる産業を指します。これは、頭脳労働や知識労働が事業の中心となる分野を表しています。具体的な例として、以下のような産業が知識集約型産業に含まれます123:

  1. 研究開発集約産業(コンピューター、航空機、原子力、海洋開発など)
  2. 高度組立て産業(公害防止機器、教育機器、数値制御工作機械、工場生産住宅など)
  3. ファッション産業(高級衣類、住宅調度品、電気音楽機器など)
  4. 情報処理サービス、コンサルティング、ソフトウェア開発など

知識集約型産業は、専門知識を持つ少人数の従業員に頼る割合が高く、従業員の報酬が比較的高額であることが特徴です。また、既得権益や特許を保有し、市場の変化に柔軟に対応できる点も重要です。123

そして今日では知識産業が産業のの主役に踊り出ています。しかし、工業化時代の遺物である。産業や社会秩序も根深く残っていてそれが、社会問題として労働力不足、長時間労働、ハラスメン性差別等などの問題を生み出している。時代の趨勢は知識優位創発の時代なのに、いまだに産業革命前の信念に囚われているのかもしれない。なんか悪循環がありますよね。昔3交替の深夜労働⇒24時間コンビニ等サービス労働の長時間化、結果人手不足。長時間労働。今日特定の仕事以外深夜労働は減って⇒のチェーンは切れているはずなのに過剰な長時間労働が常態化してしまっていて一向に労働実態が知識産業化していない。

2024年3月29日金曜日

人は人の働く姿を観て何を学ぶのか過剰労働=過剰サービス?脱サービス化する社会はどこに?

 実習で「教員にならない」決断をする学生も… 教員採用試験の倍率は過去最低 長時間労働で“なり手不足”深刻化金曜日の朝からつらいニュースである。教員は次世代を育てるという社会大きな役割を担った職業だ、その教員になりたがる学生が減っているというのだ、少子高齢化で次世代の数が減っていく中で、さらにその次世代を育む人までもが減っていくというのだから社会にとっては大きな問題であることは間違いない。持続可能性と言う観点で観れば、人口にしても教員にしても拡大再生産の産業の理論から離れて考えれば良いのかもしれない。教員が労働力で換算されるから人数が不足するのだ、数ではなく質で総量が増えるような取り組み、その中にはITやAIの一層の活用が当然含まれるのだろうが、思い切った業務の見直し、断捨離を通じて就業中の教員を守ることが求められるのではないだろうか。現役教員の活き活きと働く姿こそが、次世代の学びなのである。これは企業でも同様だが育成の人海戦略からどうすればいつになれば私たちは卒業できるのだろうか。脱工業化でサービス化した社会は脱サービス化しない限り持続不可能であることは明白なのにね。



2024年3月28日木曜日

夢とビジョンをALACTモデルで考える

明け方切ない夢を見てリフレクションをはじめてしまった。というのもその夢は過去の出来事に根ざしたものであったからだ。思考と感情と欲求の心のエレベーターを行き来して出来事を省察したのだが自分の本質へという意味への気づきからこれからの行為の選択を考えた 

これはコルトハーヘン先生のリフレクション学のALACTモデルである。

行為省察本質的意味への気づき選択行動の循環モデルで頭文字をとるとALACTになる

夢とビジョンの違いをcopilotに聞いてみたら以下の回答であった。

以下

もちろんです。夢とビジョンの違いについて説明しますね。

  1. 夢:

    • 抽象的なもので、将来の理想や願望を表します。
    • 「ならたらいいな」と思うことや、心の中で考えることが夢です。
    • 実現可能性に関係なく、自由な発想で描かれます。
  2. ビジョン:

    • 具体的なもので、将来の構想や目標を示します。
    • ある期間内に達成するための計画や行動を具体的に設定します。
    • ビジョンは、目指す姿や理想的な状態を明確にイメージすることです。

ビジョンは夢を実現するための道筋を示し、具体的な行動に結びつける役割を果たします。123

この回答を鑑みるにALACTモデルのCがビジョンに該当するものと言えるかもしれない将来の夢(抽象)に向けて今何(具体)を選択するのか、である、。






2024年3月27日水曜日

認知リソースの増やし方愛読書(本棚)から見えるその人。

 知識の生成には認知リソースが欠かせない、生き物は自らの経験を身体を使ってリソース化するという特徴を持っている、身体知である身体知の多くは環境や状況のリソースを使って生成される。経験学習論、状況学習論がこれにあたる。しかし認知リソース全てに身体知が必要なわけでもない。生き物は代理経験(他者の知)も重要なリソースにすることが出来る。代理経験を認知リソース化するうえで人間が文明として生み出したのが本である。本は知の集積であるから、その人の本棚を見ればどのような知を集積して来たのか履歴がわかる、本棚はその人の学びの歴史でもあるのだ。立花隆をはじめとした知の巨人の本棚はそれこそものすごいことになっているしかし、そんな知の巨人でなくても、膨大な書籍の蓄積でなくとも小さなベッドサイドテーブルに並んだ本でもそこには学びの歴史が垣間見れる、愛読書や読んだ本からうかがえるその人らしさというのもとても素敵なものである。図書館や書店のようにに並ぶ数多の本の威風堂々ぶりに威圧されずとも、たった1冊でも、その人が大事にしている本は威光を放つものなのである。

昔、紙屋が使った中古車は買うなと言われた、消耗が激しく見た目は良くても傷んでいるというのがその理由だけれども、本は紛れもなく、紙で出来ている、紙は重いのだ、だから、読書家の家にある本 はとてつもない重量になるし、それらの本を収納する本棚は頑丈でなくてはならない最近でこそ電子書籍という形態で本棚を考えなくても気軽に本が読めるようになった。でも、本の価値は読んだ人の心に残ったものだと思う、一語一句記憶していなくてもおぼろげにかすかに何がしか心に想いが残っていればそれがかけがいのない認知リソースであり人生にとっての価値なのである。



2024年3月26日火曜日

本当に内省が得意な民族なの?内省と反省の違いにみる自己肯定感の低さという問題

 内省と反省は似ている概念ですが、異なる点があります。内省は自分自身と向き合い、起こった出来事や自分の考えや言動について省みることを指します。これには、良かった点や悪かった点、自分の潜在能力に気付くこと、そして今後どうすればよいのかまで考えることが含まれます。一方で、反省は悪かった点に焦点を当て、自分の考えや言動を振り返り、何が悪かったかを理解し、周囲に伝えるために行います。つまり、反省は問題解決を目的とした行為であり、物事の「やり方」に焦点をあてて考えるのに対し、内省は心の「あり方」に焦点をあてて考えることです¹²³。.

昔リフレクション学の提唱者コルトハーヘン先生のワークショップに参加した時、日本人は内省が得意ですよねという話が出た記憶があります欧米人はあまり振り返りということが得意じゃないといった話もあったような、しかし、日本人の振り返りは内省というよりも反省、自己嫌悪と悔悟、劣等意識のの入り混じったものに思えます、そこで、内省と反省の違いをAIに語ってもらいました(冒頭)自己肯定感が低いが故に、自身の行為行動に自信が持てず自分を卑下することで責任を回避し真の問題ではなく表象的な問題に問題をすり替えているだけなのかもしれません。内省をする際には自己肯定感が高い状態の方がより望ましいと言えるでしょう。実際、リフレクションのレクチャーをすると、自己肯定感の低い人の方が食いつきはいいのですが自分の欠点や悪いところを上げ諂って反省をはじめてしまうのでした。逆に自信過剰な人はなんで反省する必要があるのかと反発しました。実はリフレクションは、そもそも自己肯定感を高める効果も少なからずあるので正しい自分との向き合い方を身に着けることで、効果倍増なのです。


2024年3月25日月曜日

一期一会の第2幕

 人生は一期一会である、今日この瞬間は一度しか無い、でも、演劇舞台じゃないけれど第2幕ってあるんだね~としみじみと染み入った昨晩であった、以前にも聞いたことがあるプレゼンでも、時を経て人も変わり新しい意味あるプレゼンとして聞くにいや~これは,かつてのプレゼンから続く同じ物語の第2幕の幕開けなんだなぁと感じたのである。人生100年のマルチステージ時代と言われるけれど、ステージは変わっても人生の物語が変わる必要はないのだ。もちろん変わっても良いのだけれども、そして人生の物語りは新たな出会いと感動を持って続くのだ。それが人生だ。

元号が変わっても人生が変わるわけじゃない

2024年3月24日日曜日

哲学は倫理を指し示すエウレカからエシカルへの趨勢

 越境学習論の理論的背景には正統的周辺参加論と経験学習論があるが、共同体への参加でなくてもいいのではと 観光客的なあり方から他者を大事にしろと言うリベラルな命法の哲学を問う論者(観光客の哲学)が居る。学習が目的なのか他者の哲学が目的なのかによって論点は変わってくるのだろう。ハードルが高いほど困難を乗り越える学習は見込めるけれどそこまで強度な学習を行わなくても哲学的な命題に向き合うことが出来る、困難を乗り越える勇気と他者の尊厳を重んじるのとどちらが大切かと結論を出すことは容易くないが今の時代的状況を踏まえると他者の哲学が重大であることは論者の主張に分があるように思える。今日世界は倫理の崩壊に直面していることは間違いない。しかし温暖化防止にしても、核戦争の危機回避にしても切り札は資本主義じゃなくて倫理主義であることは明白だ経済制裁は思ったような成果を上げられずにいる。持続可能な世界は倫理によってのみ実現可能なのだ。 技術に駆り立てられた人々の自然から収奪から自然環境を守ることも地球環境への倫理観、でしか遂げられない。SDGSのムーブメントの中でエシカルという言葉が用いられるようになったのも当然のことであってコピーライティングの話ではないのである。欲望の資本主義の結果更なる欲望が私たちをイノベーションへへエウレカへと駆り立てるが今私たちに大切なのは他者を大事にするエシカルなのである。



2024年3月23日土曜日

確証バイアスの正体?思い込みと自動思考に囚われない3ステップとは

確証バイアス(confirmation bias)と思い込みの違いについて説明します。by chatGPT

1. **確証バイアス(Confirmation Bias)**:   

- 確証バイアスは、個人が既存の信念や仮説を裏付ける証拠を探し、それに対する証拠を過度に重視する傾向です。

- このバイアスの結果、人々は自分の信念を裏付ける情報を求め、それに反する情報を無視または軽視することがあります

 - 例えば、特定の政治的信念を持つ人が、その信念を支持するデータを積極的に探し、反対の証拠を無視することが確認されています。

2. **思い込み**:

 - 思い込みは、ある情報や信念に対して、客観的な証拠や根拠なしに強く信じることです。

 - この状態では、個人は自分の信念を再考することなく、それが真実であると確信します。

- 例えば、ある人がある人物を好きだと思い込んでいる場合、その人物の欠点を見逃したり、良い側面を強調したりすることがあります。

したがって、確証バイアスは情報を評価する方法に関連し、人々が情報を受け入れる方法に影響を与えます。一方、思い込みは、個人がある信念を強く信じる傾向に関連しています。

要するに客観性を欠いて情報や信念に囚われる思い込みをさらに塗り固めていくのが確証バイアスということになる、そうして強固になった信念は、それを意識することもなく思考や行動を支配してしまう。そういった自動思考は、常に意識的な制御や努力を必要とせず、日常的な活動に対する反応や判断を迅速化する役割を果たしますしかし問題なのはその反応や判断には客観的な証拠や根拠が無いことである。社会的関係の中では他者に迷惑をかけることになりがちだ。だから正しくコントロールする必要がある。そのきっかけにするべきは、常に自分の思考を疑うことだ、これはオカシイ、何か問題があると思った瞬間におかしいのは自分ではないか、問題があるのは自分ではないかと考えてみることだ、そして冷静になって情報を集めるのだ、たいがいオカシイ問題だと思ったときは、怒りの感情と結びついているからアンガーマネジメントでまずは6秒間待ってからもう一度情報を集め直すのがおすすめである。

まとめると以下のよう3ステップになる

1,これはオカシイと怒りが伴って思考しているじぶんを見つける:幽体離脱

2.とにかく6秒間寝かせて怒りの感情を整える:6秒間チン

3,間違っているのは自分かも知れないとまず考えその視点で情報を再考する:眼鏡を替える



2024年3月22日金曜日

効果を測るという効果思考から離れ意味の次元で生きることを身に着けよう

 何かの施策を行った場合その効果を測ることはセットで語られることが多い、これは科学的態度対照実験、再現性因果関係がやはりそのルーツにあるからであろうしかし教育研究者コルトハーヘン氏が考えるリフレクションALACTモデルでは効果を測るのではなく、経験の振り返りを通じて本質への気づきを得て、新たな行為の選択肢を生むことの効果ではなく意味を問うことの大切さを述べる。人生における経験は全て効果や効率が目的ではない、例えばこれまでも何回か取り上げた遊や趣味、そして、病気や怪我も人生における効果効率ではなく人生の意味を問うものだ 

意味の次元で生きるということはALACTモデルが示すように次の新たな選択肢を生むつまり未来志向な生き方なのである意味の次元の探究を重視するジョッセルソンJosselson,R.(2006)は,人びとの人生経験は過度に単純化された測定尺度や人工的な実験条件を基に中心傾向や統計的に有意な集団差を追究する試みの中で見失われてしまったと指摘する


効果効率とは無縁ながら意味があること





2024年3月21日木曜日

自分の機嫌が悪いと感じたら思い出して欲しい介助病という心の葛藤

 出来ないことに似ているけれど出来るけどやりたくないことって身の回りに普通にある。障害を負って出来ないことが増えた時、出来ることを120%やって日常を生きていくと決めたけれどもある時できるのだけれどもやりたくないことがあることに気づかされたやりたくないというのは感情の問題である。モチベーションが上がらないのだ。職場や子育てでは、出来るのになぜやらないと詰め寄って圧をかけてきたけれど、圧をかけられると気分はとても悪くなる頭では理解出来ても感情は追いつかないのだ、コアリフレクションで、本当はどうしたかったのか心に問うと、やりたくない気分に優しい手を差し伸べて欲しいのである、自立が目標なのにどこかで依存心が芽生えてしまうものらしい。目標を立てて達成したほうが気分はいいのだけれどね。でも助けてほしいという欲求を隠していると掛けられる圧が本当に痛いものになる心が痛いのだだから反抗的ににもなるし機嫌も悪くなる。こういったコアの状態介助病と名付けてみた。心と感情が葛藤し不機嫌になる症候である。コアリフレクションで脱却出来るが、

コアリフレクションはちゃんとしたトレーニングが必要である。だからコアリフレクションを身につけると幸福な人生を送れるようになるのだ、幸福は伝わるもので、機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現はれる

Kiyoshi Miki. Jinseiron noto (Japanese Edition) (p.15). Kindle 版. だからである。




2024年3月20日水曜日

脳科学的内発動機で遊ぶように仕事をするということ

 認知科学における「動機」とは、個体が行動を起こすための内的な推進力や欲求と考えられています。これは、目標達成や欲求の充足を目指して行動を促す心理的なプロセスを指します。認知科学では、動機付けは情報処理の観点からも研究され、個体がどのように情報を処理し、それがどのように動機付けに影響を与えるかを理解することが重要です

欲求を司る脳の部位には、大脳辺縁系が関与しています。特に、視床下部は食欲や性欲などの基本的な欲求をコントロールする重要な役割を果たしており1、扁桃体は感情の処理と関連しており、快や不快、怒りや驚きなどの情動的な反応に関わっています2。これらの部位は、私たちの行動や感情に深く影響を与える欲求や動機付けの神経基盤となっています。

この辺縁系に起こる大域的アトラクターの明滅こそが意識であり心の実態だとも考えられていることを考えれば動機とは心の表象のひとつであるということになる、内発的動機とは心の表象であるという考えは、心理学的にも哲学的にも違和感無いのだろう。認知的変化の断面であると考えることも出来るつまり、気づきや学習と同じく創発の結果なのだ、創発に必要なのは多様な経験や状況のリソースの複雑な内的ネットワークであって、意図不在、還元不能ということになる。内発的動機のひとつの表象が遊びであるが、遊びは更に、内的報酬というポジティブフィードバックが伴う遊ぶこと自体にご褒美があるわけだ、田坂広志氏は仕事の報酬は仕事という表現をするけれども、これはまさしく遊びと同じこうぞうであって創発した動機が内在化した報酬によって目的化し動機が持続的に維持される状態であると言えるだろう。




2024年3月19日火曜日

ワークライフバランスからワークライフインテグレーションへ?でも圧倒的に欠けている意味の経済性

 現実的にワークライフバランスが問われる場面と言えば例えば子育てや介護ではないだろうか。

少子高齢化もあってか以前より育休などはがとりやすくなったし男性も育休が取れるようになったと聞く

しかしながら人生における意味で考えたら育休は育児で仕事を休むのではなく仕事よりも意味深い人生を送る時期であってより意味深い人生を送っている。にも拘らず当然のうように無給であったりキャリアが中断すると言うのでは興醒めである人生の意味を産業社会的文脈が無意味化させているのだ。育児や介護の経験は人生に大きな意味を与え、社会に大きく寄与するものであるにも関わらず生産性に駆り立てられた社会では生産活動からの離脱は、損失とみなされて産業社会人的足跡において不利な扱いを受けることになる。意味の経済性においては意味ある経験には社会的な価値があって、社会としてはそこに報いるべきなのだ。




2024年3月18日月曜日

信念を変えるもの

強固な信念は時として厄介な存在である。そもそも信念とは何だろう生まれた時に信念があるわけではないので後天的な認知的変化(知識の生成)によって強く刻まれた認知のリソースということになる。平たく言うと学習された結果なのである。信念として獲得された学習結果はあまりにも強固であるために時としてその人の態度を既定し、柔軟な適応を妨げることもある。頑として異なる信念を受入れなくなる。プーチンやネタニヤフはまさにこの状態だ。恐らく彼らの信念は保身の意識よりも強く大義となっている。この厄介な信念を変えさせるために硬軟取り混ぜた揺さぶりが行われているが一向に効果を見せない、むしろ揺さぶりをかける周辺国の方が足元が揺らいでいて信念が問われるという皮肉な結果になっている。結論的には信念を変えるには新たな信念を獲得するしか無いつまり、小さな認知的変化というミクロの秩序の変化にマクロの秩序が追従するスレービング原理に期待を寄せるほか無いのだ。映画では無いが目の前のちょっとした小さな出来事による新たな信念の獲得がその人の人格を成している強固で頑固な信念を揺さぶり解きほぐすアンラーニングが起こることでしか人格を成す信念は変えられないのではないかと思うのである。

美しい花がある。花の美しさという様なものはない 小林秀雄


 

2024年3月17日日曜日

マネジメントをミスリードした科学観。

 さてテーラーシステムは科学的管理と言われるが科学とは何だろうか

科学の権化AIに聞いてみよう。


科学であるためにはいくつかの条件があります。以下に、科学的なアプローチや条件について説明します。

  1. 再現性 (Reproducibility):
    • 科学的な研究は、同じ方法を用いて調査や実験を行った場合、いつでもどこでも、誰が行っても同じ結果や答えにたどり着くことが求められます。
    • つまり、調査結果や実験結果は他の人によって再現可能であるべきです。
  1. 因果関係 (Causality):
    • 科学的なアプローチは、原因と結果の関係を明確に示すことを重視します。
    • ある事象が別の事象にどのように影響を与えるのか、因果関係を理解することが科学的な研究の基本です。
  1. 対照実験 (Controlled Experiments):
    • 科学的な研究は、対照実験を通じて仮説を検証します。
    • 仮説を検証するために、実験群と対照群を比較し、変数の影響を明確にすることが求められます。

これらの条件を満たすことで、研究は科学的であると言えます。ただし、科学の歴史的な変遷を考慮すると、理論的に存在が確実視されるものは時とともに変動することに注意してください123。

一方でノーベル賞理論物理科学者湯川秀樹は科学は第2の自然であると語っている。湯川秀樹は、日本の物理学者であり、理論物理学の分野で活躍しました。彼は中間子の存在を理論的に予言し、その後の実験で正しさが証明され、日本人として初めてノーベル物理学賞を受賞しました1。

「第二の自然」という言葉は、湯川秀樹が科学と文明について述べたものです。彼は科学文明が快適さをもたらす一方で、自然との直接的な接触機会を減少させることを指摘しました。具体的には、私たちが都市のコンクリートの壁に囲まれ、舗装された道路の上ばかり歩いていると、土や草木との接触が少なくなり、自然との距離が広がっていると述べています2。

この視点から見ると、科学文明は「第二の自然」とも言える存在であり、私たちの生活を快適にする一方で、自然との直接的なつながりを制限しているという意味です。湯川秀樹は、このバランスを考えることが重要であると示唆していました。2

荒川修作氏はこうした科学文明に対して「死なないための住宅」という投げかけを行うそこは床が平らでなく部屋も方形ではない。極めて個性的であり、機能的効率的という生き方を否定するものだろう。

さて話がそれたが、科学的管理と言われるテーラーシステムはまさに機能的効率的に人を管理しようというもので、まさに再現性、因果、対照によって人の仕事という行為を統制したもである。しかしその結果チャップリンが「モダンタイムス」で描いたような機能としての人間歯車化された行為行動が仕事であるといった誤った仕事観管理観を根付かせたのだ。管理とはまさに死んでいるように働かせること、それは自然の一部である人間本来の個性という可能性を縮約し、本来的な在り方から人を遠ざけることになったのではないだろうか・湯川秀樹が言うように科学とは第2の自然なのであれば、科学的管理とは、個性を尊重した、死なないための仕事によって人間が本来持っている自然の一部としての現実を超越する力生きる力の個性を解放するものであったはずだ。





2024年3月16日土曜日

言語とコミュニケーションだって創発だぜ~~っと!。日本認知科学会から「言語とコミュニケーションの創発に関する構成論的研究の展開」(上田亮∗ 谷口忠大 鈴木麗璽江原広人 中村友昭 岩村入吹 橋本敬)という論文がやってきた。おお、心や意識が創発するものというだけでなく言葉や会話も創発だと言うことか!、でも、創発自体は自己組織化する意図不在な自然現象だから、謎が深まるばかりなのだけれども。私たちも私たちが織りなす社会も全てが創発ということになる多様で複雑な関係性から生み出される自発的な現象の表象こそが、生き物であり自然であり、社会であると言う事になると世界とは創発そのものなのだ。一方で類推アブダクションによる還元主義的な思考は創発という想像を超えた現象はそのまま受け止めることに難儀する。創発による心が、意味や因果に捕らわれるのは何とも不思議なことである。しかし、意味や因果や再現性といった思考は科学を生み技術の進化を齎した。技術に駆り立てられた私たちはさらに科学的唯物論に傾倒し、還元不能な現象を置き去りにした。心という創発への尊厳が失われていったのだ。技術がやがてAI(人工知能)を現実に引き寄せる中で心や創発と言う現象に脚光が当たっているのはある意味自然な流れであるとも言えるのだろう。創発は全ての可能性の源泉であって、創発によって可能性は霧散していく。科学的唯物論の思考がなぜ、可能性を霧散させるのかテイラーシステムを例に考えてみよう。




2024年3月15日金曜日

デジタル化を阻むもの「面通し」って何だ?自己申告への疑義、互罰社会の行く末

 何事もの終わりあれば始まりがある昨日は「始まりの日」だったのだけれども河野大臣の鼻息もどこ吹く風で始めるにあたってデジタルが通用しない場面が多々あることがわかった、その最たるものが本人確認と言う「面通し」である。なりすましによる虚偽申請を防ぐために本人確認が必要なことは理解できるが。実はその「面通しには」「反社会的勢力(反社)ではないことの確認」なども含まれているのだ。外見で反社を見分けるのもルッキズムであり、重大な偏見人権侵害だとおもうけれど、反社との取引が無いことがあらゆる契約の基本条項に含まれる今日、ちゃんと面談して確認しましたというエクスキューズが必要なのだ。要するに自己申告は信じられないという社会的文脈が根強いのだ。この互恵のない互罰社会の行く末は悲惨である。法政大学長岡教授の言う公共私のうち共(みんなの問題をみんなで解決する)が無くなると。私(全て自分で解決する)か公(全て政府が解決する)という、高負担になるからだ、「面通し」は実はこの高負担の表れであるとも言えるだろう。



2024年3月14日木曜日

AIの進化の裏側で

 AIの進化が目覚ましいが、この進化の特徴はAI利用のハードルがうんと下がっていることである。ネット検索するのとほとんど変わらずプロンプトにやりたいことを入れるだけでAIが欲しいアウトプットを生成してくれる。生成系AIと呼ばれる一連の仕組みは人間の知の交換までもが学習されている、だから、人の認知的変化との接続が極めて自然で、AIを使うんだという準備も気構えも必要とせず、活用した高度な認知的変化(知識の生成)が行えるのである。このAIの進化を支えているのが認知科学による知の探究である。人はどのように知識を生成するのかが探求され、インターネットに蓄積された膨大な情報を学習し、人の知の生成のリソースを生成し提供してくれるのだAIの進化の裏側では人間の知の探究が確実にすすんでいるのである。


2024年3月13日水曜日

人生はデザインなのか創発なのか。

 人生設計ということばを目にして。思ったのは、人生って設計するものなのか創発するものなのかという問いであった、創発とは複雑な関係性から偶発的に自己組織化する秩序であって、意識、思考、感情、そういった所謂心までもがこの創発と言う自然現象の賜物であると考えられている。創発の特徴は、意図の不在、(意図を必要とせず)と還元不能(なぜ、創発が起きたかの因果を解き明かすことは出来ない)ものであるということである。しかし人には類推と学習という脳機能が備わっているから、還元主義的に事象を分析し、その結果を経験のリソースとして記憶することで新たな創発の源に加えることが出来る、私たちの人生は偶有性に彩られているのだけれども、この、類推と学習によって、予測不能な未来においてすら計画的に物事を遂行できる状況を生み出すことを可能としているのである。その可能性の感覚自体メタ認知によって、効力感という心の状態として記憶されリソース化される。環境に影響を与えられるという結果予期と自分に出来るという効力予期である。この、結果予期と効力予期こそが未来に向けてのデザインを可能とする原動力なのである。



2024年3月12日火曜日

好きになることの不安と好きになれないことの不安

 好きと言う感情は誰もが持っているものだけれども、実はとても複雑な感情である。特に社会性において好きと言う感情は常に不安の感情と抱き合わせである。まずは好きになることの不安。好きになことを好きと言う時の不安は、他者からどう見られるかとか、本当に自分は好きなのだろうかといった、他者評価及び本当の自分かといったメタ的自己認知における不安である。この不安は例えばメニュー選びや商品選びといった些細な日常的な場面でも観察できる。本当にこれで良かったのだろうかとか認知的不協和とも呼ばれるけれど、単なる不安だ。一方で好きになれないことの不安、例えば、学校でどうしても勉強が好きになれない、部活が好きになれないといったことは、直面した困難を乗り越えるには好きになる必要があるという素朴理論に基づく好きになれない=困難を乗り越えられないといった自動思考による先行き不安である。

困難を乗り越えるためには好きであることは必要条件ではないことは少し考えればわかることなのだけれども、好きこそものの上手なれで、好きなことにときめきながら向き合っている人を観ると、乗り越えられないのは好きになれないからだと逆説的に思い込んでしまいがちだ。

このように好きと言う感情は常にメタ的自己認知不安と、自動思考による先行き不安を伴う複雑なものなのである。




2024年3月11日月曜日

僕の千日回峰行

 千日回峰行と滋賀県と京都府にまたがる比叡山山内で行われる、天台宗の回峰行の一つである。満行者は「北嶺大先達大行満大阿闍梨」と称される。

「千日」と言われるが実際に歩む日数は「975日」である。「悟りを得るためではなく、悟りに近づくために課していただく[1]」ことを理解するための行である。wikipedia より。

テレビなどでもその厳しい行の様子が放送されているからご存知の方も多いとおもうけれど、とても信じられない難行苦行である。もちろん私にはそんなことはちても出来ないけれども、脳卒中で救急搬送された日から数えて今日で千日目であった。ちょうど千日という区切りで感慨深い。普通に立っていられなくなって、脳の血腫除去ていう緊急手術も受けて左半身の片麻痺で身体障害者になり、ほぼ同じタイミングで会社も退職もあって、社会の異物になりサバイバル生活が始まったので、千日後も後遺症を抱えてはいるものの昔と変わらず考え生きていることを考えれば悟りに近づいているように思える。




2024年3月10日日曜日

世界を止めて眺めてみるもちろん世界の一部としての自分も。

 私たち生き物は時間と共に、環境とカップリングしながら動き続けている。どのような環境においても予測されるカップリングのことを性格と呼ぶのだけれど、カップリングという行為行動は姿勢と姿勢の間にあるものである。この姿勢とは動きが無い状態であり全ての動きの基本にあるものだ、この姿勢については、オイゲン・ヘリゲルの弓と禅に詳しい。そして姿勢を知るには世界を止めなくてはならない。自身も含めて動き続ける世界の波に飲み込まれることなく世界を止めてミニマルセルフを知ることが求められるのである。正しい姿勢からは正しい行動が導かれる。誤った行動の原因はほぼ姿勢にあるのだ。




2024年3月9日土曜日

好きでも得意でもない困難という地味で辛い経験が意味すること。

 今を時めく大谷翔平選手や藤井聡太棋士は好きで得意なことに出会いその才能を開花させている。しかし、誰もが彼らのようになれるわけでもない。好きなことがみつからなかったり、得意だと言えることが無い人の方がマジョリティなのである。それ故マジョリティの経験の多くは。好きでも得意でも無い困難に直面する(した)ことである。そういった辛い状況を越えて今を生きている更にはその辛い状況を乗り越えた経験をリソースとして新たな困難に向き合う準備をしているのだ。そうこうしているうちにあ、これが好きだとかあ、これは得意だといった運命に出会うことも少なくない人生の物語りとはそういった運命に出会う旅路の記録なのである。この運命という自分自身に近づいているという感覚こそ人生の意味であると哲学者マルクス・ガブリエル氏は言う。人生の物語りは、華やかに光輝く経験の連続ではないしかし、複雑で未知の未来の扉を開き運命に出会う旅の上では。地味で辛い状況に向き合う経験が大切なのである。すでに運命に出会ったと思われる人でもそれが本当の運命かはわからないものだ。怪我で選手生命を棒に振ったスポーツ選手も難病を罹患した知識人著名人もいくらでもいる。




2024年3月8日金曜日

言葉が開く世界

 これまでも何回か取り上げてきたがデブロイのTED「初めて言えた時」はとても興味深い研究であるが、結論的に要約すれば。言葉は知識概念として伝授されるものでは無く環境や状況とのカップリングにより生成される認知的変化(知識生成)であるということだ。脳卒中で失語症になった人の回復の記録などを読んでも環境や状況のリソースによって言語的知識が再生成されるプロセスが読み取れる。つまりわたしたちは、自分の世界を言語化することで世界を止めるのだ。この言語的知識生成の過程における、環境や状況のリソースとして他者の存在や他者とのコミュニケーションがあるので、言語は、自分の世界を止めるだけでなく他者と世界を交換する手段になるのである。世界の交換とは言い換えれば、自分の世界を開くことである。

若者は、自分たちの世界を止める共通言語を持つ。年配者はその言語に触れて、若者の世界を垣間見ていくのだ。一方で。言語を与えて、若者の世界を揺さぶることも忘れてはいけない。言葉が難しいからと若者の世界を閉ざすべきではないのである。



2024年3月7日木曜日

得意技で他者を排斥しない

 周囲を見回した時、自分にしか出来ないことがあればそれは自分の得意なことであり、強みである。そういう時は躊躇う必要は無い。得意であり強みなことをやればいいのだ、しかし、裏を返せばそれは他者にとっては不得意なことになる。得意なことを極めるということは他者にとって不得意なことを増やしていることに過ぎない障壁をたかくしているのだ。社会全体を見回すとそういう事例は事欠かない。デジタルネイティブがデジタルの道に邁進すればするほど高齢者はデジタルが苦手になっていく、人的資本経営やらグリーントランスフォーメーションやらSDGSやら、得意な人が担って深堀すればするほどそれ以外の人にはとっつきにくくなっていくのだ。ソフトウエアでありがちなプロツールの使いづらさといったやつである。それを防ぐためには常に得意なことに対して初心を忘れないことである。得意で出来る事であっても初心者の心持は必ず残っている。その経験を大切に抱くことが他者の尊厳を認める倫理的な在り方なのである。




2024年3月6日水曜日

匙加減と意思決定

 医者の匙加減とは、医師が薬や治療法の量や方法を決定する際に、患者の状態や症状、体質などを考慮して微調整することを指します。つまり、一般的な指示や処方箋に従うだけでなく、個々の患者に最適な治療を提供するために、医師が経験と判断力を用いて調整することです。これにより、治療の効果が最大限に発揮され、副作用やリスクが最小限に抑えられることが期待されます。どうも医療に絶対はないようだ2021年6月に脳出血を起こしてからその後のリハビリでもいくつかのシーンで医師と交渉を繰り広げて来たが昨日は飲酒の許可を勝ち取ることが出来た。もちろん医師の判断は患者の言うとおりということはない、諸々総合的に判断してのことだ。飲酒の許可も、私が毎日血圧を測ってちゃんとコントロールしていることを確認し酒量もコントロール出来ると考えたのではないかと思う。以前の主治医は飲酒絶対NGだった薬の匙加減では無いけれど医師の判断は患者のQOLに大きな影響を与えるので運不運もあるよね。でも素人判断は一番良くない、やはり「良い医師の匙加減を信じて従うのが一番のようだ



2024年3月5日火曜日

生物学的人生ではなく物語的人生を生きよう

生物学的には人生は受精卵から始まって身体機能の停止と共に終わるでも私たちの人生の物語の中にはいくつものサブストーリーが並走しているちょうど集団で走っているマラソンランナーのようなものだ、どの区間をどう走ったっていいのだ。物語り的人生のよいところはいつからでもどうはじめてもよくどう終わらせても良い。人生を自由に生きることが出来る、もちろん、生物学的人生と最終的にはホリスティックにシンクロするものだから、グランドデザインは生じる、しかしそれは、幸福感とか充実感とかいった、主観的自己だから難しく考える必要はない。要するに人生のグランドデザインは自分の感情という羅針盤に頼ればいいのだ。デザインが必要なのはミクロな物語り、今日一日の物語りをどう作るかということだけなのだ、




2024年3月4日月曜日

輝く人とは好きなことに向き合う不安をこえていく人

好きじゃないことを仕事にするのはつらいものだ、上手くいかないとき、これ本当は好きじゃないんだよねとかこれ自分に合っているんだろうか悶々とすることになるからね。でもこれ好きなんだよねと、思えるだけで悶々とせずに済むことになる。好きだということは、自信があるということでは無い。好きなことの中にも不安は普通にあるのだ不安は表情を曇らせるものだから輝く人って不安を何らかの方法で乗り越えた証なのである。好きとか嫌いという感情は理屈じゃない。知覚に近いものだ。しかし好きな感情には報酬が出るし、嫌いなものには罰が下るだから好きなものはより好きになり嫌いなものはより嫌いになる。その感情を起点としてスレービング原理が働くことで認知がおきて、知識が生成される。その知識を生成する過程において好きになることの不安も競合する感情として生まれるのだ。競合する感情の葛藤を統制するのは理性である。つまり、好きだけれど不安という心の葛藤は理性によって合理的に解決されるのだ、時に不安に軍配が上がることもあって、その時は好きを放棄することになるのだ。


2024年3月3日日曜日

私の中の2つの自分(ミニマルセルフとナラティブセルフ)

 多重人格ではないが私たちには2つの自己認識の側面がある。ミニマルセルフとナラティブセルフである。ミニマルセルフとは行為主体感、身体所有感といった自己認識であり、ナラティブセルフとは行為者としての継続性平衡感過去からの継続感一体感といった自己認識である。

copilotにもう少し詳しく解説してもらうとこうなる。

ミニマルセルフとは、自分の現在の状態や感情を認識する自己意識のことです。ミニマルセルフは、自分の体や心の動きに注意を向けることで形成されます。ミニマルセルフは、自分が誰であるかという問いに答えることはできませんが、自分が今どう感じているかという問いに答えることはできます。ミニマルセルフは、自分の経験を物語として語ることはありませんが、自分の経験を感覚として感じることはあります。ミニマルセルフは、自分の過去や未来について考えることはありませんが、自分の現在について考えることはあります。ミニマルセルフは、自分のアイデンティティや価値観について考えることはありませんが、自分のニーズや欲求について考えることはあります。

ナラティブセルフとは、自分の過去や未来の出来事を物語として語る自己意識のことです。ナラティブセルフは、自分の体や心の動きに注意を向けるのではなく、自分の行動や思考の意味に注意を向けることで形成されます。ナラティブセルフは、自分が今どう感じているかという問いに答えることはできませんが、自分が誰であるかという問いに答えることはできます。ナラティブセルフは、自分の経験を感覚として感じることはありませんが、自分の経験を物語として語ることはあります。ナラティブセルフは、自分の現在について考えることはありませんが、自分の過去や未来について考えることはあります。ナラティブセルフは、自分のニーズや欲求について考えることはありませんが、自分のアイデンティティや価値観について考えることはあります。

ミニマルセルフとナラティブセルフは、自己意識の異なる側面を表していますが、相互に影響し合っています。ミニマルセルフは、自分の感情や感覚をナラティブセルフに伝えることで、自分の物語に生き生きとした色彩を加えます。ナラティブセルフは、自分の物語をミニナルセルフに伝えることで、自分の感情や感覚に意味や目的を与えます。ミニマルセルフとナラティブセルフは、自分の存在を豊かにするために協力し合う必要があります。

今何かをしたくなるのはミニマルセルフだが、人生の意味を語るのはナラティブセルフである。



2024年3月2日土曜日

変わらぬ友の変わった状況

 50年来の友たちと再会して思うことは、「昔と変わらないなぁ~」という印象と「皆いろいろあったよね~」「へ~今はそうなんだ~」という感想だ。50年前は皆まだ、中学に入学したての子供同士、学校と言う環境の中でそれぞれが個性を発揮しながら付き合っていた、それが50年経ち、もちろん学校なんていう狭い世界からは解き放たれて皆伸び伸びと生きているのだけれども50年前にあれっ?と感じた初対面の第一印象の小さな違和感は今でもちゃんと持っていてくれたりする。その違和感に全く存じ上げない友の現在の状況が掛け合わさってどこか懐かしくて目新しい今になっている、この変わらぬ第一印象の小さな違和感を「パーソナリティ」とか「性格」と呼んだりしてその人を特徴付けようとするのだけれども、でも、そんなのは人生においてたいしたことじゃない。その小さな違和感は人生の全ての行動を支配しているわけではない。状況にどう応じているのかは、状況の変化に合わせてどんどん変化するもので、一貫なんてしていない、状況自体が一貫しているわけじゃないからね、にもかかわらず。一貫した「性格」を固定しようという試みがまかり通るのは世界を止めておきたい人の思惑でしかない。その人らしさとは小さな違和感では無くて、未知の状況に応じてきた偶有性であり可塑性であるところの変化の物語りなのである。



2024年3月1日金曜日

自分を鍛えるか、マッチングに委ねるか

 かつてウェブサイエンス研究会に参加した時面白い話を聞いた、グーグルとフェイスブックの広告表示のアルゴリズムの信念の違いである。両社は検索や投稿閲覧などに際して利用者に広告を表示することで高億収入を得てビジネス化しているのだが、この表示のパーソナライズに関してスタンスの違いがあるというのだ。広告出稿はもちろん商品やサービスの購入や利用を促すのが目的だから広告を目にした利用者のニーズやウォンツにベストマッチすることが最善であり、その効果の高いプラットフォームに広告が集まる。しかし、市場には商品やサービスが溢れ消費者は欲しいものが無い状態だ。だからメーカーはニーズやウォンツを喚起しなければならないというのがグーグルのスタンスで、言い換えるとメーカーは消費者に届くようプロダクトを最適化するべきだということだ。一方で、潜在的ニーズやウォンツを持った消費者に商品の情報が届くように、メディアを最適化するのだというのがフェイスブックのスタンスであったらしい。少し前の話なので今はまた違うのかもしれない当時はまだ、AIも未熟だったし。さてマッチングを考えるうえでこの2つのスタンスの違いには大きな意味があるだろう。

ミスマッチが起きるのはマッチングの精度が低いからなのか、マッチングする対象のレベルが低いからなのか、議論は尽きないだろう、これは人と仕事のマッチングサービスのCMでも、良く見られる構図だ、仕事の魅力を上げるために求人企業に賃上げを迫ることをPRするサービスや、コンサルタントが、求職者の魅力的なプロフィール作りを行うことを売りにするCMもある。一方で、ITによるマッチング機会の向上を売りにするCMもあるグーグルとフェイスブックの対峙はいまだに続いているのだ。