2022年10月31日月曜日

慣れという無意識の身体性

 韓国でとんでもない大事故が起きた、

エレベーターにしろ満員電車にしろ狭い場所に多くの人が集まった状況と言うのは考えただけで恐ろしい

身動きがとれない恐怖を想うと今回の事故現場に居合わせた人々はほんとうに辛かっただろうね。

夜帰宅時の通勤電車で、昼間の事故とかで電車が遅延していると、10時とかの夜にも拘わらず、超満員になることがあって、

遅れを取り戻すためなのか、少し急いでいたり、前の電車との間隔がつまっていたりするとけっこうきつめにブレーキかけられて、社内で将棋倒しになりそうになったこともあるけど、そうなると自分の力ではどうにもならないものね。

不思議と朝の満員電車ではそうなった記憶が無い。朝は皆、満員電車に慣れていて力の入れ所と抜きどころ(体をあずけるところ)をわきまえていたような気がする意識して体を動かすと言うよりは無意識に身体が調整している感じなんだよね。夜の満員電車ではどーんとくるのに対して朝の満員電車はじわじわくる感じ。

しかし集団の圧力ってすごいもんだよね。ここ数年、コロナの感染拡大もあって、人が集まることはご法度だったからその反動もあるのだろうね。人混みはぼくらが考えている以上に危険なことなのでしょう。


どうか今日のハロウィンが無事に過ぎますように


仮装だけにしようね。



2022年10月30日日曜日

ゴーストバスターズ84Sな僕の70S

 昨日契約しているwowowで歴代のゴーストバスターズを最新作まで一挙に放送していた。

最初の作品は1984年、世界サブカルチャー史欲望の系譜でアメリカの歴史学者は70年代は1968年にはじまって1984年に終わったというから、70年代最末期の作品ということである。そして最新作は2021年。

僕は84年に大ヒットしたこの作品を観たけど、

まさか2021年に続編が作られるとは思ってもみなかった、

もちろんコロナのパンデミックとかロシアのウクライナ侵略とかもね。

そもそもウクライナが独立したのは1991年だからね、

アメリカの歴史学者は80年代をノスタルジアの時代と意味づけていたけど、2021年の僕たちはバブル直前の経済成長と明日は今日よりも素晴らしいと信じて疑わなかった84年、ウクライナとソ連が戦うはずもないしコロナなんて想像もしなかった平和な日常のあった1984年に戻りたいという気持ちを抱いているのかもしれないね。

日本人の70年代は大阪万博に始まってゴーストバスターズに僕の就職で終わった科学が未来を変えるという妄想と一方でユリゲラーの超能力やノストラダムスの大予言といったこの世の週末など、希望と不安が入り混じっていた時代なのかもしれない。

その後の84年から90年にかけてはバブル経済にお笑いブームと希望と不安の坩堝で世の中のタガが外れてしまった時代(メルトダウン)だった。新卒採用では企業は内定辞退を防ぐため10月1日の内定式禅語学生を軟禁し、海外に連れていくなんていう荒業も使っていた、

僕の行員番号は840145だからまさに僕は84Sなのだ。だから軟禁は経験していないけどね。

その一方で行員生活は悲惨そのもの、朝7時から夜の11時まで連日働き、残業代は月10時間分で、

62キロあった体重はあっという間に55キロを下回り、連日パワハラアルハラのオンパレードだった。

目に前で役席(マネジャー)が失踪したり次長が支店長を追い出しにかかったりする支店内抗争を目の当たりにしながら僕の貴重なファーストキャリア期は無駄に流れていったのだ。

そこには未来への夢も希望もなくどちらかと言えばこのよの終わりの様相だったなぁ。

バブル期の銀行は酷いの一言、儲け第一主義で完全に踏み外していたし、仕事だけはいくらやっても終わらないでも、給料は一向に上がらずもちろん全部サービス残業。挙句の果てに貸付するから銀行の株を買えときて、でも買った株はバブル崩壊とともに1/10になり、銀行も破綻した。破綻した時は銀行に居なかったけどね。

そんな職場今だったら就活で絶対に選ばないけどね(笑)でもおかげで、就活時には安定して給与も良い銀行イチ推しだった仕切り屋の母が、ほどなく銀行を辞めればと言い出したのは今となっては良かったことだったのかもしれない。実際僕が辞めると言い出したときは全く反対されなかったからね。

家ジョージ・オーウェルは1949年に1984というディストピアSF小説を書いていたけど、僕の1984年は核戦争はおきていなかったけど僕のとってはまさにディストピアだった

そういえば村上春樹は1Q84という小説を書いているよね。

僕の世界だけでなくに1984年というのは大きな節目だったのかもしれないね。



2022年10月29日土曜日

上司と言う素朴理論

 辞めたくないる上司の3つの特徴という記事があったそして、それに対して私はこうしましたという投稿もありました。この2つの記事を観て思ったことは素朴理論に毒されいる状況は深刻だなという事とそれに対処適応しようと

3つの特徴は以下の通り。

1)指示が曖昧で分かりにくい

素朴理論 上司は仕事全てを把握していて適切な言葉を用いて成果が出せる指示を出せるものだ。

2)部署全体で意識が統一されていない

素朴理論上司は担当部署全体の人心を把握して部員全員の意識を統一させるものだ。

3)働く人の特性を生かそうとしない

素朴理論上司は部下の特性を全て把握していて生かす術も備えているものだ。


上司は全知全能の神ではないふつうの人間だ。だから3つとも想像の産物でしかないでも、それをまともだと思ってしまうのが素朴理論の恐ろしさである。

技能が前提となる職人の世界であっても、師匠の曖昧さから本質を学び取ることが求められる

本質の気づきがない人にはどんな指示を出してもも全てが曖昧に感じるものだ。

また人によって感じ方も考え方も違うのは当たり前でこれを一緒にするには洗脳するしかない。そうしない上司は人道的であると言える。

また上司がいかに部下の一挙手一投足を観察していたとしても再現性のある無意識の行動を特性として把握することはできない、なぜなら、意識無意識なんてわからないし行動は環境によって引き出されるものだ。環境は常に変動するだからさいげんなのか適応なのか正確に知ることはできないのだ。

正確に知ることが出来ないものは存在しないとも言える。だから特性なんてそもそも無いのだ。結論を言えばここで描かれる上司像は存在しないものである。

ゆえに、それが理由で辞めるという論理も存在しない。

存在しないものをなぜ存在しているように論述してしまうのかさらにな座それを真に受けてしまうのか問題の本質はむしろそこにある

この123が成立する職場もある

例えば建築現場などは成立しそうである。指示が曖昧だと建物は建たないし、目的が明快だから仕事は違っても意思統一も自然と成される職人の技能は身体性の運動能力に拠るところが大きいから再現性が高く特性として把握しやすい力が強いとか仕上げが丁寧とかねだからそれに応じた仕事の割り当てもしやすいだろうプロジェクトマネジメントのようにタスクの詳細化が可能であることが前提である。しかし記事が想定しているのはそういう現場仕事の子では無いように思うもし一般的なオフィスワークを想定しているとしたらその想定自体に無理がある

一方で、コミュニティで考えると上司って何だろう。

コミュニティにおける仕事は自然発生的(地縁血縁)な人のつながりのなかで生きるため(生存目的)に自分の問題を解決するという仕事と、みんなの問題をみんなで解決するという仕事が2つの仕事が生まれ、みんあの問題を解決するための協働形態として組織が生まれた。

コミュニティにおける問題解決には顔役、世話役、若頭といった、顔役はコミュニティをまたがった問題解決を仕事として担い、世話役は、コミュニティの正統的周辺参加者の問題を解決する仕事を担う、コミュニティ参加者の中の1番株である若頭が後輩の育成役としてその仕事を担っている場合もある。

おそらくこれらの役割がコミュニティの正統的周辺参加者にとっての上司だろう。経験と学習がものをいうので年功的な要素も併せ持つことになる

僕には原始コミュニティから築かれてきた年功者という素朴理論が上司像のあるように思えてならない

無責任なちゃらんぽらん上司の肩を持つわけじゃないけど辞めたくなる上司の3つの特徴はこの3つの役目への期待の(というより依存)の裏返しにも思える。上司にはみんなの問題をたった一人でも解決でき、とことん世話をしてくれて、皆の目標であり憧れになる存在であって欲しいという願望なのだ、いくら年功があって、人生経験も仕事経験も豊富だとしてもそれは過去の限られた話だ。だから上司一人に過度な期待を寄せるのではなく自作自演、自分たちの問題をみんなで解決するのが協働であるということを自覚し実践できていない自分に気がつく方が辞めたくなるより先だぜ。

だからそんな記事を真に受けて上司批判している時じゃないのである。







2022年10月28日金曜日

組織の動的平衡戦略

 先日僕は組織における定着をどう考えるのか書いた、その前には経営効率を考えるなら経営者は素朴理論から脱して採用と育成をやめるべきだとも書いた。

いづれも問題の捉え方を述べているけどではどうするのかは書いていない。

解決策はもちろん経営者自ら考えるべきなのだけど、

組織が動的平衡を保つためにも新入社員や定着は必須である。

故に素朴理論から脱して、どのようにして動的平衡を実現するのかロバストな集団を維持してきた自然のエコシステムから学ぶ必要があるだろう。

キーワードは循環とネットワークである。

人間も大昔から、コミュニティという形態でこの循環とネットワークのエコシステムを実現してきた。



その一方で近代化は、旧来のコミュニティを解体し技術によって資源の乱獲に適した産業組織と言う形態に循環とネットワークを再構成したプロセスであると言えるのではないだろうか。だから、そこから生まれる問題は常に、資源不足と非効率なのである。

要はコミュニティはエコシステムでなく、収奪と浪費の装置になった。今日のふるさと納税と地方財政を見れば一目瞭然である。ぼくが問題提起した、産業組織の採用育成定着という問題も同様だ。

今経営に必要なのは自然への回帰であり、自然が兼ね備えている真の賢さを学ぶことなのかもしれない。




2022年10月27日木曜日

就活ってなんね~

 朝ドラで主役のお母さんが気にかけているのが子供の就活。

ニュースでは今年の就活の内定率が上がって学生の争奪戦が激しくなっているとつたえているし日本社会は就活の行方に強い関心を持っている。

就活は大学や高校を卒業し新社会人になる学生を一括で企業が採用する採用活動なのだけど、

学生の目線では就職先を決める活動だから就職活動ということになる、卒業とリンクした活動だから時期が決まってくる、

先進国では皆、新社会人がちゃんと定職に就くことが出来ているかに重大な関心を払っている。

学校は卒業したけど就職先が無いというのは、社会にとって良くない兆候だからね。学生を扶養している親世代にとっても生活上も精神上も大きな問題なのである。でも、就活が光だとすれば想起離職など当然影もあるわけで、その光と影に社会は一喜一憂する。それはもう何十年も繰り広げられている議論だ、しかし問題は解決にむかっているのかより深刻になっているのかよくわからない、もはやハロウィンみたいなイベント化風物詩化しているのではないかと僕は思う、本来社会人になる、定職に就くということは人生の幸福といっしょになって論じられるものだ。つまり人生に与えるインパクトは決して小さくないのだ

もちろん人生は人それぞれだからまとめてイベント化、風物詩化するべきことじゃないだろう、誰も他人の人生を生きることは出来ないのだから、

就活は自分の人生を背負う当人の判断が全てである、しかし、日頃他人の眼で社会や自分を見てそれに自分のイメージを合わせていくことに慣れてしまっていると、

社会的評価や評判ばかりが気になってしまう。

よく、就活人気企業ランキングというのが発表されるけど、人気のある企業は皆が良く知っている有名企業だし。

いきなりランキングが落ちた不人気企業は不祥事があったりや業界が苦戦していたりと、世間の目が大きく影響していることは明らかだ。

当人の人生を決める判断に世間が干渉してしまっているんだよね。そうなると、就活生の人生に世間は責任があるのだけど、責任は負えないし、負うことも決してない。だから、就活生は自分の純粋な目で世界や会社、仕事そして自分を観て判断しなくちゃならない。それは就活に限った話ではない。のだけど、SNSもAIもは世界を自分を純粋に観ることを妨げる最たるものだから、純粋に観る訓練を昔以上に積まなくてはならない。社会はそれを支援すべきだよね。



2022年10月26日水曜日

介護施設に渦巻くに2つの卒業と2つの人生

 介護認定を受けている僕は介護保険のお世話になっている介護保険を利用するためにはケアマネジャーさんの支援を受ける必要がある、そこで協議して僕はデイケアの入浴介護サービスなどを利用させていただいているのであるこのケアマネさんが所属している会社もデイケアを運営している会社も俗にいう介護事業ということになる高齢者に限らず介護支援を必要とする人支援することを目的として事業を行っているわけだ、サービスの受益者として興味があったのでネットで介護事業者の課題を検索してみたら、

収支差率と、人材不足、給与水準の低さというものであった、、人出が足りなく、給与を上げたくても余力がないといったところでしょう。

介護という人の手が必須のサービスの典型的な課題だと言えるだろう。

実際僕が利用しているデイサービスも人が足りないように見える。しかし、介護は待ったなしだ。そこで色々な工夫をしてサービスを提供している。職員さんには外国籍の方も多く、コンビニのアルバイト店員と同じような状況なのかもしれない。職員さんは忙しくとても献身的に働かれているけど、あまり給料は高くないらしい。資格も必要だから勉強もしなくちゃんらない。結果、職員さんの離職も多い。

デイサービスには2つの卒業があって、1つは利用者の卒業これは、利用者が老人ホームなどに入所することでサービス利用しなくなるもの、それともう一つがスタッフの転職だ、、経験と資格があれば引く手数多ということになるし残業も多くて給料も安いとなればその施設にどこまで奉公するの?という問題になるのは明らかだ、どんなに一生懸命介護しても、高齢者はさらに高齢になっていくから抱えている問題はより深刻化していく、そしてホームにいってしまう、関係者の方たちは当然、問題を把握しているので解決策も十分に検討されていることと思われるけど、まだまだ解決すべき問題が目につくように思われる。

そこには高齢化の行く末といった個人の人生の充実させ方といった問題も大きい。

2つの卒業には2つの人生高齢利用者の残された人生と外国籍の方も含めたスタッフさんの人生という2つの人生の充実という大テーマが潜んでいるのである。







2022年10月25日火曜日

記憶の仕組みを理解する大切さ。

 僕は2009年頃からデジタル一眼レフカメラを使いだして写真や動画を撮ってきた。

特に犬を家族に迎えてからは写真や動画の量が爆発的に増えたデジタルの良さはストレージさえあればどんどん溜めていくことが出来ることだけど、その容量や今や4TB。いっぱい

昔の写真を観るのは楽しいのだけど、量が多すぎてもう観ていられない。

特に探すのも困難である。

昨日ちょっとした嬉しい連絡があって犬の動画を探したのだけど、まあ見つからない。

SNSにアップした際の痕跡などから日付を特定して探すのが唯一の方法である。iphoneで撮影すると撮影場所の情報も残るから助かるのだけど

デジカメで家の中で撮ったものなどは記憶と勘を頼りに観ていくしかない。

保存するときに手間をかければ良いことはわかるのだけど、今更であるしそもそも面倒だ。

それを考えると僕たちの記憶のメカニズムってすごいよね、

記憶容量は4TBなんてものじゃないはずだし。

さて僕たちは記憶を思い出すときに何らかの手がかりを使っている。

記憶はマルチモーダルに構成されるものだからだ、

この構成が破壊されると記憶はあっても引き出すことが出来なくなる、僕の出生時間などはその良い例だ。

どんなに母の話を思い起こしても時間に関する話は、父は仕事が終わってから僕が生まれた病院に来たということだけだ、母子手帳は無いし。母も父も亡い。

だから僕が生まれた時間という事実は永遠の謎になった。

脳卒中で運び込まれた聖路加国際病院はまさに僕が生まれた病院だから、

入院中に看護師さんに聞いてみたけど、流石に古すぎて記録が無いとのこと。

いずれにしても記憶を引き出すためにはたくさんインデックスを揃えておくことが良い。

メモ、付箋とにかくこまめにインデックスつけを行うことである。

これは高齢化社会の重要な解決手段であることを理解しておく必要があるのである。




2022年10月24日月曜日

組織構成員の定着問題に関する考察バージョンアップ版

 転職や定着は哲学や心理学や認知科学で捉えるとまるで違った問題になります。そういった考察です以前の考察のバージョンアップです。

社員の定着問題に関する考察バージョンアップ版

日本生産性本部認定コンサルタント日本認知科学会会員吉田 聡

 

現代の企業にとって社員の定着は重要な経営課題であると言えるだろう

しかしなぜ社員が定着しないのかという分析に関しては決して十分に行われているとは言えないつまり、需要な経営課題に対する対策は足りていないのだ。

定着とはどんな問題なのだろうか、組織と人の問題と捉えた時に人の問題であれば心理学からのアプローチが考えられる。

1, 社会心理学からの分析

2, 社会心理学では態度という概念を用いて人の行動を説明する

3, 態度は行動の背景にある核心で。

態度=価値信念要素+感情要素+行動傾向要素の3つの要素で構成されると言われる

これに則って定着を僕が医療に従事する組織構成員行ったインタビュー結果から構造化すると

定着=仕事の意味づけ+経験への開放性(性格特性)+優柔不断な行動傾向(周囲の影響)ということになる

他方産業組織の問題と捉えたならば僕の師である故沼吉松氏の産業社会学からの指摘が非常に大きな意味を持つ協働形態と生産性がキーワードである

生産性向上という果実をもたらす産業技術の高度化を、それは意味しているこのような工業化を可能にした条件として人間の協働形態における発展が挙げられなくてはならない。ここに組織の問題が出てくる。組織は協働の高度化された形態であるということが出来る。青沼吉松著「組織と人間」より

組織における生産性を考えるとき経営学の人的資源論・タレントマネジメント論を忘れることは出来ない。

さて組織の生産性をあげるために行ってきたのが組織構成員(つまり社員)の評価や格付け報酬による他者との比較や他者の目線と調圧力による不安の醸成である。ここで脳科学の問題が意味を帯びてくる

なぜなら不安や怒りは人間の古い脳の働きから生まれる感情で新しい脳の働きによる意識が及ばないものだからだ。

つまり経営は人の意識の統制が及ばない部分に圧力をかけて生産性の向上を実現してきたとも言えるのではないだろうか。他者の存在と言う圧力によって人間の適応する力や創造する力を引き出してきたと脳科学的には考察できるのだ。心理的安全性や1on1といった最近のトレンドも脳科学から考えれば自然な流れであると言えるかもしれないしかし学習にとって安心安全は能力開発や成長にとって必ずプラスに働くとも言えない。

さて、そうなると組織と人の関係を考える際に忘れてならないのは哲学である。何を為すべきかという倫理的に正しい指針を無くして人も組織も社会的な存在に成りえない。産業組織が組織構成員に与えるのは疑似コミュニティとしての社会的な存在場所の基盤と報酬という経済性の基盤である

こうして組織における定着の問題は心理学、社会学、経営学、脳科学、学習学、倫理学、教育学、哲学の問題であると定義できるのである。それゆえ組織への定着がいかに分析や定義そして解決が難しい問題なのかよくわかるのではないだろうか。以下少しそれぞれについて考えてみる

 

哲学における定着:基礎信念の重要性基礎付け主義?

さて定着を認知の問題と捉えると情報の話になる。情報とは環境が認知リソースに働きかける認知の手がかりだ、その認知から好奇心という志向性が生まれる、そして試行が起こり、認知リソースの競合と協調から学習が創発し、信念といった心的「態度」の源泉が生まれると考えられている。

さて世の中情報化社会、社員に働きかける情報が溢れている、転職支援就活支援サイトなどはこの情報の多さが売りだ。友人などの口コミなども情報だ。

定着のために情報を遮断、操作するということは現実的じゃないし社会の倫理にも反するしかし情報にどう反応するのかは理解しておいた方がいいだろう。その根源と考えられるものが行為の志向性は基礎信念から生じるものだという考えだ。

 

その基礎信念は多くの場合模倣による借り物だ。生得的に信念があるわけじゃないからね。

鳥の刷り込みはよく知られているけど、経験的には僕達の信念も刷り込みによるところが大きいのではないだろうか、育成環境の影響ってやはり大きい。かつてある会社の人事部長が採用に関して八百屋の息子がいいと言っていた、客とのやりとりや、商売への向き合い方といった行為の源泉に潜む信念は日々の暮らしの中で身につけることが多いからなのだ。実際僕が銀行で勤めていた時高い成績を挙げていた先輩はの親は銀行員だった。

 

しかし下手に基礎信念を確かめようとすると、生まれや育ちに触れることになり差別が生じる恐れがあるので要注意だ。

それに近年ではこういった基礎付け主義自体が非常に無内容なトートロジーであるとみなされている。哲学で定着を考えるのはすでに困難だと明らかなのかもしれない。

そこで哲学における知識と認知科学における知識の違いを考えてみます。

知識とは、正当化された真なる信念であるという定式がプラトン以来の伝統であり、これを「JTB定式」と呼ぶ。

ゲティア問題とは、知識論上の問題で、正当化された真なる信念(en:Justified true belief、以下JTB)に対する反例である。

名前はエドムント・ゲティア(en:Edmund Gettier)が1963年に上梓した3ページからなる論文『正当化された真なる信念は知識か』(Is Justified True Belief Knowledge?)に負っている

 

認知科学における創発するコト的知識

認知科学 の 中 には 類似 の 議論 を 重ね て き た 歴史 が ある。 それ 自体 は 小さく、 限定 的 な 認知 リソース が 環境 との 相互作用 により、 知識 を 創発 する という 観点 を とる 研究 は 本書 が 初めて という わけ では ない。

 

鈴木宏昭. 私たちはどう学んでいるのか ――創発から見る認知の変化 (ちくまプリマー新書) (p.56). 筑摩書房. Kindle 版.

人 に どう 働きかけ たら 何 が 起きる か という「 心」 の 理( ことわり) の 学 が 心理学 だ と し たら、 特に 思考 や 判断 など「 認知」 の 過程 に 賢 さを 見定め て 研究 し、結果 を 現実 に 応用 しよ う と し た のが 認知科学 だ と いえ ます。

白水 始. 対話力 (p.26). 東洋館出版社. Kindle 版.

 

心理学における定着:心的態度とメンタルモデル。

基礎信念がその人の根源であるべきを定めているものだとしたら、意識のレベルで動機や特性など心的態度は当人の気持ちと行動の一致であり納得や安心につながるものである。ズレがあると不安や違和感が生じるので、ズレを解消しようとする離職はその表象である。意識を創発するがズレが少ないとポジティブフィードバックが発生し組織に引き込まれる定着する。

やりがいや雇用条件や人間関係など還元的に離職の要素分解し構造化することが可能なので。構成主義的思考に慣れ親しんだ人にはとても納得感があるのが特徴だろう。

さらに心の問題だとすれば働きかけることが可能になる、離職を防ぎ定着を促す働きかけは出来るという理屈は問題解決にとって心強い援軍の出現である。

さて認知科学の知識とは創発するモノであるという立場を踏まえれば離職定着に関しては、やりがい充実感(成長実感、幸福感)納得感、(労働負荷と報酬、社会的評価)といった様々な場面応答性が絡み合っていることがわかる。

Aという原因があるから心が働いて必ず離職するというわけではないのだ。

以前に聞いたサイバーエージェントの話では、ITバブルの時期、会社の急成長と高額の報酬に引き寄せられて雇用された多くの社員のはITバブルの崩壊で会社が苦境に立つと去っていったのだそうだ、

しかし残った社員は会社を支え見事に立て直しその後の会社の更なる成長を実現したとのこと。

残った社員たちは、苦境のさなかにも、その会社に居ること働くことにきっと意味があるに違いないと前向きに捉えていたらしい。確か曽山さんの本にもその経緯は書いてあった。

この事例からは離職と定着の行動を分けたのは当人が認識している心の問題ではなく思考や判断といった学びの過程であることに気づくことが出来る。

残った社員が思わず「きっと意味がある」と口にしたのは偶然ではないだろうこの状況には知識を創発する即ち学ぶ価値があると認知していたのです。

 

思考や判断を促す場面への応答が定着と学びという行為行動を引き出しそれらの行為行動は事業の回復と成長と言う果実までもたらしたと言えるだろう。

僕は先日、投資効率を考えるなら、経営者は採用と育成を止めるべきだとかいたけど、では経営者は何をするべきなのか、その答えが実はここにあると考えている、経営者は他社を模倣した効率的と思われるツールの選定や心理的に安心安全で働きやすい職場の整備ではなく、社員が意味を生み出す場面と学びの文脈作りに取り組むべきなのである。離職はそれが出来ていないことの証だとも言えるだろう。




2022年10月23日日曜日

デイケアでアプリ開発なう。

 昨日はデイケアでipadでswiftplaygroundを使ってアプリ開発のお勉強をしていた。

といってもさあプログラミングを学ぼうと言った類の恐らく主旨のアプリなのであろう。

流石にforループとかif else文とかは卒業しているレベルなので

物足りないのだけど初心に還るつもりでチュートリアルに沿って触っていた。

キャラクターが実際に動くのをいながら勉強するというのは結果がわかりやすくていいよね、僕が最初にプログラムを勉強した時は、1から10までを足し合わせて結果を表示するとか線を円状に画面に描いていくといった結果を見ながらプログラムの意味を理解したものだ。

楽しく遊びながら学ぶという感覚は無かったけど

、あ、これはあれに役立つなといった活用イメージを膨らませるのにはとても役立った。

その結果ドットプリンターで仕事の納品伝票を発行する業務プログラムとか作れたのだからねぇ~。

ゲームを作るというのもいいけれど、生活に役立つ便利なものを作る喜びは格別だと思う。

日々身近にコンピュータのありがたさを感じられるしね、

もともと今回のアプリ開発デイケアでITとは無縁の高齢者と触れ合うことが目的なので、

ずっとデイケアでアプリ開発の独習をしていたのでは本末転倒である。

そこで僕はアプリを閉じて、僕の小さいころの写真などを見せたらとても反応が良く。

アプリなんて要らないと思わざるを得なかった(爆)

こういう気づきが大切なんだよね。さあ、開発続けようっと。


レッツドゥーイット、ナウ




2022年10月22日土曜日

還暦過ぎた脳卒中サバイバーの挑戦シリーズ第2段アプリ開発編

 さて、脳卒中で中途障がい者になってからというもの、日々リハビリで、出来ることを増やすことに励んでいる僕だけど、再発しない、転倒しないことだけのために生きていくのは僕らしくない、僕の真骨頂は、周りの人がちょっと変だよねと思うことをやっちゃう自己効力感と決断力行動力なのである、サービス精神は無いから、エンタメ的に驚かせて楽しませようとしているわけじゃないんだけどね、そこで還暦越えた脳卒中サバイバーの要介護1の障がい者1級がそんあことやるの?的なことをバンバンやっていこうと思うこれは僕の信念だ、見返してやりたい人も何人も居るしね。そういう人たちがびっくりするようなことをどんどんやっていくこれが僕の生きる道である。第一弾として、個人事務所を立ち上げた、やがて法人化して年商5億くらいの事業にしたいとおもっている、なぜ5億なのかは語ると長くなる。そのアイデアも準備にも手を付けている、そして、今日は第2弾、アプリ開発だ。要介護1の僕は今週2回デイケアに通ってお年寄りと交流がある、しかし話題も感性も合わないというのが本音だ。

そこで、デイケアにタブレットを持ち込んで読書したりビジネスプランを練ったりしているのだけど、もうちょっとご老人と交流したいなとも思う。

そこで、老人と交流するためのアプリを作りたいと思いついたのだ。

情報化社会から切り話された高齢者にスマホを使え、タブレットを使えと言うのは無理だ。でも、ぼくがタブレットを使っていると手は出してくる。だからいっしょに遊ぶことは出来るだろう。

だから一緒に遊べるアプリを作りたいのだ。要件は明快だ。

そこで調べてみたら、APPLEがSWIFTPLAYGRONDというアプリ開発アプリを出しているではないですか。ipadでも開発できるらしい、ぼくのこれまでのプログラミングの知識がどこまで生かせるものなのかまったくわからないけど、ご丁寧に解説してくれているYOUTUBEも見つかった。有難い時代だ。

この動画を見てどこまで出来るかわからないけど、今日からアプリ開発に着手することを決めた。

小説を書く作曲する、そしてアプリを作ると、変わったことをするのは僕らしいことだからまあやってみましょう。




2022年10月21日金曜日

採用とお育成の効率を上げる唯一の方法とは

 HR関係者向けポータルサイトが実施したHRに関する経営者の関心事1位は採用の効率化であった。また、世の中では人的資本経営とかがトレンドワードになっていて社員のリスキリング(再教育)などを積極的に行うのが良い企業だ、みたいな雰囲気が作り出されている。

それらの裏を返せば、人材採用や人材育成はお金が掛かるということだ、ただですら景気低迷の中、賃金上昇圧力は強く、更なる採用費育成費という企業の人件費負担は企業経営におおきな重しとなっていることは疑いようがない、

【結論】は人件費の投資効率を上げるために企業が取り組むべきことは明白で採用と育成を止めることだ。

え、そんな荒唐無稽なこと出来るわけないじゃんと思われるかもしれないけど、ではなぜ、企業は採用と育成を行うのかを考えれば明快なのだ。

企業が採用を行うのは要員不足によるもので人出が足りないというものだ、これはロシアプーチンの現状を見ればよくわかる。

ウクライナの反撃によって、戦況を悪化させたプーチンがやったことは核兵器の使用ではなく、国民の動員令の発動だ、人員集約型組織の典型である、軍隊には十分な兵士がいないと作戦が遂行できなく戦局が悪化する。だから国民を軍隊に動員するというのだ、そもそもリクルートという言葉の由来は兵士の招集だからね。業績目標を達成するというミッションのためには要員が必要だというのは常に現場の素朴理論だね。素朴理論とは私 たち は 自分 の 経験、 他者 の 経験 の 観察 から、 教わる こと なし に 知識 を 獲得 し て いる。 そうした 知識 は バラバラ に 存在 し て いる わけ では なく、 相互 に 繫 がり あっ て、 ゆるい 体系 の よう な もの を 作り出し て いる。 これら は科学的 な 知見 が 体系 化 さ れ て 理論 を 作り出す こと に 似 て いる。 そうした 意味 で、「 素朴」 という 修飾語 を つけ て、 素朴 理論 と 呼ば れ て いる。

鈴木宏昭. 私たちはどう学んでいるのか ――創発から見る認知の変化 (ちくまプリマー新書) (p.142). 筑摩書房. Kindle 版.

というものだ、簡単に言い換えると誰もが尤もだと考え信じて疑わない理論ということになる。ミッション達成と要員の関係も素朴理論だ。

 兵員が多い方が戦場で戦局を有利に進められる、これはまさに素朴理論で、今回のウクライナ戦争では、この素朴理論が間違っていることを明らかになった、スターリンクという情報インフラを用いてやドローンという無人攻撃力を駆使しSNSでの発信力を使って欧米の支援を得たウクライナは膨大な兵員数を誇るロシアを追い詰めていることは明らかだ。

さて、企業では要員計画という素朴異論はさらに採用育成という素朴理論によってコーティングされる。

この理屈は、前述した「私たちはどう学んでいるのか」で大学で行われている3つのポリシーを読めばすぐにわかる今日大学では教育効果を高めるためにアドミッションポリシー   何 を 目標 として、 その ため に どんな 学生 を 入学 さ せる のか、 その ため に どんな 試験 を 行う のか。 カリキュラム ポリシー   その ため に どの よう な 教育 を どんな 順番 で 行う のか。 ディプロマポリシー   卒業 の 資格 を 与える 要件 を 目標 との 関係 で 明確 に せよ。が導入されている。その重大な問題点を鈴木先生は著書の中で指摘する。

鈴木宏昭. 私たちはどう学んでいるのか ――創発から見る認知の変化 (ちくまプリマー新書) (p.156). 筑摩書房. Kindle 版. 


この3つのポリシー大学を企業に学生を社員に置き換えれば、採用とはまさにアドミッション、どんな社員をどうやって採用するのかだし、人材育成はカリキュラムだ、そして人事評価制度等級制度などがディプロマに該当する。鈴木先生がおっしゃる工場メタファーそのものなのだ、原材料の仕入れ、加工、製品といったの製造の素朴理論を社員にという人に押し付けているだけなのだ。

社員を徹底的に作業者扱いする前近代的な経営思考ならそれでも良いだろう、しかし今や情報化社会なのである。

社員が活躍し市場や顧客を創造し業績を伸ばすのは競合する他社との差異(それこそが付加価値を)を生み出すからなのだ。

いかに他社と差別化するかが問われている時代の経営で、人に関しては、均質な社員を増やすかに苦心している、これはまったくおかしな話である。

ゆえに、どんな採用をしても育成にお金をかけても、経営者が考えているような事業の姿には絶対ならない、つまりやればやるほど効率を悪化させていくことは自明だ。底の抜けたバケツに水を入れても溜まらない

だから経営者は投資効率を上げたいのなら採用と育成を止めるべきなのである。

少ない要員でも勝てる方法があることをウクライナのゼレンスキー大統領は実証したし、採用した新卒を目の当たりにして大学教育に関して思いを持つ経営者は少なくないでしょ?

それなのになぜ、大学と文科省が陥ってしまった同じ工場メタファーと人数頼りの勝利に執着するのでしょうか。それでいて、効率化が課題とかって言っていたら恥ずかしいですよ。

実際僕は工場メタファーではない大学の指導者を知っているけど、経営者が学び導入すべきはそういった創発のデザインなのです。








2022年10月20日木曜日

高齢者の横断を防ぐ方法

 ドリフターズの中本工事さんが交通事故で亡くなった。横断歩道で無い場所を横断して、71歳の高齢者が運転する車にはねられたのだ。中本さんも81歳と高齢者。ある意味高齢化社会の顕れともいえる出来事だったのかもしれない。僕は昭和と言う時代がまた遠くに去っていった気がしたことと街中でもよく見かける高齢者の道路横断はなぜ起こるのかを考えていた。高齢になると認知能力が低下することは良く知られているが、高次脳機能と呼ばれる、記憶注意遂行の能力も低下する。横断する場所ではないということが理解出来なくなるのだ。一方でマイペースで思いついたら行動するといった性格はより強く見られるようになるから危ない場所でも行っちゃうわけだ。そこに、理由はない。機能低下と質なのだ。仲本さんもおそらく今回が初めてじゃない。つまり、普段の行動から予測できることだったかもしれない。予測可能であれば防げるかもしれない。普段の行動ログと質があれば、リスクは予見出来るだろう。横断を防ぐということであれば物理的な障壁が最も効果的かもしれない。体力もおちているから段差やガードレールなどがあれば超えることはまずできない。道に出られないようになっていれば横断も出来ない。誰かがずっとついて見ているわけにもいかないから何らかの技術的解決が望まれるし求められることは間違いないだろう。





2022年10月19日水曜日

おまけつき脳卒中サバイバーの負けられない戦い

 脳卒中サバイバーには後遺症というおまけがついてくることが多い、脳みそ壊してメスを入れているいるわけだから致し方ない。

もちろんそのおまけにはおまけつきお菓子を開くときのようなワクワクも喜びもない。

敢えて言えば。何回開いても目当てのおまけが出てこずすでに持っているおまけがまた出てきた時のようながっかりとした失望感溢れるおまけである。

このおまけと一緒に生きていくと言う覚悟をするだけなのだが

おまけというよりもはや背後霊みたいによけいなものに取り付かれてしまった残念さ満載なのである。

人生の深みが増すという考え方もあるけど、そんなさとりを開くのには時間もかかるし、本も5冊は読まなくちゃならない。

その悟りを開く間も片麻痺は待ってくれない。

そこには絶対に負けられない戦いがあるのだ。

脳卒中サバイバーにとっての負けとは再発、転倒による怪我などである。

いくら塩辛いものが好きでも、塩分は常に控え目で血圧は120以上に上げてはいけない。お酒もダメだ(お酒は一時的に血管を広げるから血圧をさげるのだけど、醒めるときに血圧があがるのと出血を起こした時に血がとまりにくくなるという問題がある、

そもそもアルコールは血管に良くない毒だからね。

そして例え躓いても転んではいけないのだ。

食生活の改善と転ばぬ歩行は脳卒中サバイバーの負けられない戦いだ。

さて転んでなんていられないのだけど、ある程度のスピードでも歩かなくてはならない。

世の中はタイムトライアルみたいで、のんびり生きたいサバイバーの速さに合わせてなんてくれないからねぇ。

昨日の歩行訓練で歩行速度を測ったら分速21メートルくらいだった。

歩行訓練をはじめたころは分速8メートルくらい、1週間前は15メートル先週土曜日は18メートルだったから確実に早くなってきたぞよしよし。

でも、世の中は分速80メートルで設計されているから、分速21メートルでは4倍速再生しなければならない。

いまの僕は1世の中から見れば/4のスローモーションなのだ。

実際4倍のスピードを出そうとしたら確実に転倒し脳卒中サバイバーの戦いに負けることになるから4倍は止めておこう

おまけつきの生活に欲は禁物だ。

ただ分速30メートルくらいは出したいのである。

そうすれば横断歩道が渡れるからね。

ここ最近歩行するたびに2割増しくらいで速度があがっているからきっと5割増しも夢じゃないだろう。

中学での弓術、大学でのゴルフとスポーツにはまるで熱中できなかったぼくだけど、

今はひょっとしたら僕の60年の人生の中ではじめて真剣に運動しているといえるかもしれない。

いっそうのことパラリンピックを目指そうかな(すぐこうやっておちゃらけてしまうから、僕は運動オケラなんだよね。反省)

でも、確実に速度が伸びてしかも負けていない(こけていない)からやりがいも出てくるね。

とは言っても。実は今朝、室内でちょっと躓いてしまったから

油断大敵火がぼ~ぼ~で気を引き締めないとね。負けたらあかん。






2022年10月18日火曜日

ロシアのカオスの縁にあるものは?

 僕が複雑系科学を勉強した時、御多分に漏れずアトラクターやフラクタルといった図形に強く引き付けられたものだ、僕達が普段何気に目にしている乱流が実はとても示唆深い現象だったわけだからね。墨田川に架かる大きな橋を渡るとき川面を眺めるとたいがい渦が観察できる。それもカルマン渦と呼ばれる乱流だ。

これの大きなものが鳴門海峡 大渦である。

さてこのカルマン渦を観ていると3つのことに気づく。

1つは突然出現すること2つ目はなんとなく中心点があることそして3つめはやがてばらけて消失することである。こういった現象を科学ではカオス理論と呼んでいる。

この乱流は散逸構造と名付けられているが、条件が揃うと秩序が勝手に出現する自己組織化と呼ばれその際なんとなく引き込みの中心点(アトラクター)があって、やがて散逸して消失する。のだけど。

実は川で観測される渦という自然現象だけでなく僕たち人間の織りなす社会における様々な現象も説明できるのだからもうわくわくせずには居られない。

ひょっとしたら僕たちの頭の中にあると思っている意識自体も脳のネットワークの中で自己組織化する散逸構造なのかもしれない。

ファッションの流行や株価の推移もこのカオス理論の対象なのだ。

さて、僕達は今大きな社会現象として、ロシアプーチン大統領が始めたウクライナ侵略戦争という大きな潮流の渦を目の当たりにしている。ひとつの発言や戦果などが局面を左右し新たな渦が出現する様はまさに複雑系、カオス理論を目撃しているのだ。

プーチンが中心に居るように見えるこの渦。でもカオス理論によればそう見えるだけだ。ロシアとウクライナを巡る様々な潮流によって戦禍は自己組織化されているのだ、その出現した秩序でプーチンの意識が果たす役割(初期条件)が小さくないのは間違いないだろう。しかし戦局はひょっとしたらすでに散逸状態にはいっているのかもしれない。戦禍が散逸したあとにロシアという秩序は果たして残るのだろうか。そんなことまで考えるような状況だからね。





2022年10月17日月曜日

脳卒中なう

 僕は2021年6月15日脳卒中で倒れた、脳出血であった、出血自体は直ぐに救急搬送してもらい手術で止血と血腫除去をしてもらい2週間ほどで抜糸も終わって手術跡も目立たなくなり治ったのだけど、傷ついた脳は再生することがないらしい。ので、左半身の運動や感覚が無くなった。そして今も僕の脳卒中は進行中なのである。身体障害の後遺症としては結構重いほうだったのだ、だから介護認定も重かったその後リハビリの効果もあって歩けるようになってきたけど、健常な時と比べると1/8くらいしか歩行速度が出なかったりする・だから信号が渡り切れず。屋外はまだ車椅子での移動になる。大通りの横断歩道30メートルくらいあるのだ今の僕のベストタイムは分速18メートルだから渡りきれない可能性大なのだ。今の僕にとって歩くことはもはやタイムトライアル。スターティンググリッドを獲得するわけじゃないけど必死なのである。これが日常になればぼくはアフター脳卒中ということになるのだけど、その日を夢見て頑張るのみだ、さぁ今朝は処方をもらいに妻に車椅子押してもらって病院へ、ありがとうございます。



2022年10月16日日曜日

デイケアとグラレコもくもく会の違いをしゅみじみ考える日曜朝

 昨日僕は午後デイケアに行き夜20時くらいに自宅に送ってもらい20時30くらいからzoomで

グラレコもくもく会の自画持参に参加していた。デイケアオンライン全く異なる場であるけど実は共通点も多いと感じていた。

まずはそれぞれの特徴を記しておこう

デイケアの特徴

銀座(ほぼ築地)のセンターに車の送迎でリアルに高齢者が集まる

平均年齢80歳くらいの恐らく高齢者男女およそ20名(昨日の男女比率はほぼ半分おそらく皆さん日本国籍)スタッフ10名弱。(日本人スタッフ以外に中国、ベトナムなどスタッフの国籍は多様)

費用は介護保険から捻出されるため、要介護の状況により利用できる回数や内容が異なる。

準備運動、ロコモ体操、脳トレ、テレビ視聴、レッドコード体操、入浴、夕食、個別リハビリなどを順次行う夕食が終われば車で自宅まで送ってくれる。

利用者の多くはご高齢なので、認知症傾向など含め、高齢者特有の状態にある。中には僕のように車椅子の人もいる、僕のような中途障がい者は僕の利用時間には居ない模様)

会話や自律行動に困難が伴い時に秩序の維持が危うく、スタッフさんにリスクマネジメントが求められる。

グラレコもくもく会

オンライン上zoomに各自が集う。

昨日は10名くらいだったかな。

平均年齢はよくわからないけど、40歳中頃から50歳くらいなのかな、現役の働き盛り、学び盛り世代である。言葉が通じないと感じたことはないから皆さんきっと日本ネイティブな方ではないだろうか。

参加費はかからない。主催者のひめさんが手弁当で、場を作ってくれている。

自画持参の作法に則り、トークテーマを出し合い、抽選で当たった人が選ばれたテーマで3分間スピーチし、それをもくもくとグラレコする、その後ブレークアウトルーム機能で3~4名で10分程度対話を行うそれを3回くらい繰り返す。時間が来たら終了。

皆さん学習意欲が高い現役世代なので引き出しも豊富で自律した場(秩序だった)である。場の秩序はひめさんが定めるのだけど、皆素直にそのお作法と主旨に則って行動される。

昨晩僕はスピーチ当選したけど、3分間のお約束を突き抜けて話してしまった。(さすがのすでに片足突っ込んでいる高齢者予備軍なのである(汗))

考察

このようにデイケアとグラレコもくもく会はまったく異なる場である。

もしデイケアでグラレコもくもく会をやろとしたら間違いなく崩壊するであろう。

ご高齢者は間違いなく積み重ねた人生の分引き出しが多いけど、まず、学習が苦手だと決めつけているから新しい作法を習得出来ないだろう。

さらに、秩序にそって行動を自律するのも苦手だ。

平気で道路を横断しちゃうあれと同じだ。

他者の行動に同調はできるのだけど、それは他の人がやっていることを真似ているに過ぎない。

ICTの利用活用もまったく同じで。ICTの作法を学んで自律することはまず出来ないだろう、

だからグラレコもくもく会でデイケアを行うことも不可能だ。

では、デイケアとグラレコもくもく会はこの世とあの世の違いのようなまったくの異世界なのかというと僕はそうでもないと思っている。

なぜならこの2つの世界に共通するのは、ある目的に沿って人間同士の関係性とそれをとりなすコミュニケーションが主役の場だからである、

つまり両方ともコミュニティとしてとらえることが可能だからだ。

もちろんグラレコもくもく会が学びの共同体であるのに対して、デイケアは要介護者のたまり場共同体でありその決定的な違いは互報性だろう。

学びの共同体は相互に学び合うことが重要だけど、たまり場共同体はリアルに溜まる場が重要だからバーチャルでは解決出来ない。

しかし2つの世界に共通するのはオープンコミュニケーションである。

そこで行われるコミュニケーションには常に間接的伝達としての外部志向性がある。

デイケアでスタッフがある利用者に対して行う声掛けは、他の利用者への伝達も意図(告知(informative)されている。

他の利用者は傍参与者として、その内部志向性コミュニケーションの応答や反応を参照して反応しているのだ。

〇〇さんレッドコード運動をやりますよ~は~いあれね。

じゃあそっちに行くの?移動)という会話を参照してあ、自分も移動しなきゃと思うわけだ。

デイケアで時折起こる笑いの輪もじつは同じ構造で、これは漫才やコントと一緒なのである。

実はこのオープンコミュニケーショングラレコもくもく会でも良く見られる、ものだ。

ブレークアウトルームなどでは発話者への応答は常に他のルームの参加者にも向けられていてその反応が次の発話を変えていく。

グラレコもくもく会ではこの参照反応の中に学ぶと言う行為が潜んでいると僕は考える、そこに、経験学習(状況学習)や構成学習が生まれる素地があるのだ。

デイケアでは多くの場合経験学習や状況学習は生まれず観察学習に留まる恐らくこの学習の違いこそがデイケアとグラレコもくもく会の決定的な違いだ。

さらにグラレコもくもく会では学びの共同体として問題や課題に遭遇したら会全体で解決するという問題解決型学習も常に準備されている。例えばみんなでテーマを考えようといった作法がそれにあたる。

と言うことで日曜の朝い僕は、デイケアとグラレコもくもく会の違いと参照応答といったオープンコミュニケーションの共通点を考察し、その先にある学習という行為を考えた。明日は認知機能と学ぶ意欲について考察してみようと思う。

ひめさんすみません写真借りました


2022年10月15日土曜日

心とは何か。脳卒中サバイバーが考える、脳科学科学心理学哲学宗教と、僕の心

 僕たちの心はどこにあるのか、脳の中にあるというのが表象主義である一方で人工知能人工生命ロボットなどの研究と共に急速に進化する認知科学では、意識とは身体の持つ複数の認知リソースが環境や状況と相互にやりとりするなかで競合し協調しながら創発するものであると考える。心は頭の中じゃなく、環境や身体に宿っているものだというのである。脳卒中サバイバーである僕の実感としては、認知科学の知見の方が正しく思える。僕は脳卒中により脳を欠損してしまったが感謝信頼愛情絆思考学習といった心の重要な働きを失うことはなかった。

それらの心の働きは家族である妻であり、愛犬であり友人であり仕事の仲間そして、本やセラピスト医師看護師と常にぼくの周りにあるものとともにあったのだ、

表象主義の顕れである象徴的概念である脳の中の小人ホモンクルスはどこかにいってしまって、左手は動かないし感じなくなってしまったけど心の正体はホモンクルスじゃないことは僕が脳卒中になって明らかになったことだ。さて心の問題を考えるとき認知科学より古く心理学もっと古く哲学や宗教が存在していたそこで、その関係を以下のように整理してみた。

脳卒中で壊れたのは脳科学領域だけど、心は壊れていない、心ってなんてロバストなものなのだろう。






2022年10月14日金曜日

組織が生き残るためには新しい情報化コミュニティモデルの実践が重要な理由

 組織とは協働の形態である。そして生産性の鍵でもあるある。

その組織はコミュニティから生まれた名残もあってコミュニティとしての素地が残されている。

組織構成員はコミュニティの一員として組織に存在するのだ。

そして、時代背景的に協働のメンバーとして、主体的に生産性に貢献することが求められた。コミュニティとは、相互に関係し合う人間存在の共同生活であるからネットワーク理論疎通モデルの対象である。ネットワークの知見から言えば、組織には、社会ネットワーク理論である弱い紐帯の強さやシェアードメンタルモデルやトランザクティブメモリーシステムや大阪府立大大学院工学研究科の西森拓・助教授らのアリの群れのエサ集めシミュレーションの研究結果などが重要なのである、産業組織をコミュニティの発展形やコミュニティの一形態と捉えたら、組織活性化の鍵はは、組織構成やマネジャー構成員や中心者リーダーシップの活性ではない。

鍵は、組織の周辺にいて他のネットワークと緩く繋がっているメンバー(六次の隔たり弱い紐帯理論(アメリカの社会学者M・グラノヴェッター)の存在であり、ひたすら真面目勤勉に習慣行動に終始する構成員ではなく、少し出来が悪くて徘徊してしまうような構成員、今風に言うとインフルエンサーである。前者はコミュニティの活性をあげ(ビッグデータ解析により明らかになっている)、後者は生存確率を高める。オープンイノベーションとか呼ばれているよね。

ところが多くの組織では工業化時代の作業効率的な経営思考が染み付いてしまっていて、こう言った重要な存在を疎んじて排斥することが正義だと考えてしまう。

過去の重要ななイノベーションを紐解けばそれら構成員の大切さがわかるはずだ。

そして、優れた経営者は直感的にそれを知っていてパトロンとなって組織を結果的に救ってきた。

しかしガバナンスの名の下で権限移譲が進み認知能力の高い経営者が減り、正義仮面の現場で幅をきかせるにつれ日本の企業はどんどん衰退しているのではないだろうか。わざわざ欧米の企業の経営手法を導入しながら失敗を模倣していたのだ。DX推進も下手をすれば組織をやせ細らせることになりかねないと僕は危惧する。恐らくGAFAは彼らの物真似に飛びつく日本の姿を見てしめしめとほくそ笑んでいるに違いない。

工業化時代は人は手と足の存在で横暴な経営者は頭は家に置いてこいとか言っていた。

その後脱工業化が進むと、組織は生産性の信念によって、やる気と工夫が求められるつまり生産性を高めるために自立的に頭を使うように求められた。

しかし、工業化の名残で、人は能力によって構成されているという構成主義が幅をきかせたその象徴が職能制度だ。リスキリングとかスキル開発に飛び付くのも構成主義の遺物だね。

組織には役割と責任が割り振られ年功序列がそこに導入されたのだ。

職能制度と年功序列・マネジメント・リーダーシップ依存これが脱工業化社会の特徴だよね。

そして情報化社会の到来で年功序列が崩壊する中で、

マネジャーの希望者は減り。

組織は、役割と責任による生産性至上主義のための協働のメンタルモデルから、相互に関係しあう人間関係の共同体つまりネットワークモデル(新しい情報化コミュニティモデル)に変化したといえるだろう。

今後AIもそのネットワークの一部として普及することは間違いないだろう。

このネットワークモデルは巨大な認知リソースの疎通構造と言い換えることが出来るかもしれない。情報化コミュニティモデルにおいて人は情報では無い。

時に競合し協調しながら創発する、認知リソースを保有し相互に関係しながら存在する還元不能で、意図されない主体である。重要視すべきなのは、模倣可能な効率的な行動習慣ではなく、問題解決における他者との差異性なのである。







2022年10月13日木曜日

ポジティブな意味づけって必要?

 人気一位は自己肯定感を高めるセルフコーチング型手帳。今朝のあさイチは手帳特集でした、もうすぐ年明けですものね。手帳が売れる季節だそうで、人気ランキングを取り上げていました。その一位(まだ投票途中だそうですが)が冒頭のもので特徴としてはその日起きたネガティブな感情を生み出した出来事を取り出して、ポジティブに意味づけしなおしてみるというものでした。

意味づけをスマホのアプリでネガポ辞典というのが有ってネガな言葉をポジティブに捉え直すというもので、確か女子高生が発案しコンテストで入賞したものらしい。

久しぶりにDLしてインフォーメーションを見てみたら学校の教材や健康長寿プロジェクト、障碍者の就労支援などさまざまなところで活用されているらしい。素晴らしい発想だよね。

さてポジティブに意味づけするとは認知上ではどんなことを意味するのだろうか。

一つはメタ認知の改善だ、自分と自分を取り巻く環境が良い状態(行為行動が連鎖しやすい状態になるしそれによって自分と自分を取り巻く人々が幸福感を得やすくなる。世界が明るくなるのだ。

新しい経験への開放性が高まるので、認知リソースも活性化される、つまり、情報が知識化され世界がキラキラ輝いて見えるようになる。

世界を明るく輝くものにしようとする女子高生ならではの想いが生み出したアイデアだよね。しかし僕の世界の現実はそんなに明るくキラキラ輝くものじゃない。

でもそんな世界だからこそ際立って見えることもあるのだ、夜中の暗闇だからこそ、感覚を研ぎ澄ませて、周囲を察知するのである。暗闇だからこそよく眠れるのである。脳にはぼーっとする時間が重要だというのが今の定説にもなっている。

昼間キラキラしているのくらい夜ぐっすりと眠れることは大事なのだ。

だからネガティブさを忌み嫌う必要は全くないと僕は思う。それはきっと僕にとってはポジティブさと変わらず大切な心の働きに違いないのだ。ただ夜の暗闇と同じでネガティブさは動き出すための心の働きでは無いことに気づくべきかもしれないその時ではないのに動き出そうとすることを無理をするというんだよね。

自分の限界?現状?を知るためには時に無理も必要だけど無理を続けるのは良くないことだから、毎日ポジティブに意味づけする必要を僕はないと思っている。

ポジティブキラキラ幻想は無理を強いることを常としがちだ。ポジティブな意味づけ同様、ネガティブをそのままま受けとめる必要があるのだと思う。正しわざわざネガティブに意味づけする必要も無いだろう。とも思う




2022年10月12日水曜日

20年前の僕から届いた手紙。

パソコンの古いデータをサルベージしていたらこんなメモが出てきたタイムスタンプは2002年3月24日、僕が家業を離れて会社に就職するまでのギャップイヤーに作ったメモである。でもこのめもまるで20年の時を経て今の僕に語り掛けているようなメモであり驚いた。 当時の僕は何ら健康に不安も無く健常な社会人であった。春山さんは難病を抱えながらいくつもの事業を立ち上げた名経営者である

以下プロフィールを転載する

954年2月13日、兵庫県に生まれる。24歳で進行性筋ジストロフィーを発症し、数年の後に首から下の運動機能を喪失。1988年、全国初となる福祉のデパート「ハンディ・コープ」を開業し注目を集める。1991年、ハンディネットワーク インターナショナル(HNI)を設立して介護・医療のオリジナル商品開発・販売を始める。

以降、幅広いネットワークと、体験を通した独自の視点と着眼で、大手医療法人の総合経営企画・コンサルティング、企業や自治体のプロジェクトに数多く参画。「医療をコアとした地域ゾーン開発」「医療と提携した地域複合サービス」をキーワードに医療の生き残り策を具現化する独自の経営企画手法は、全国の医療関係者から高い評価を得た。

2003年には米国ビジネスウィーク誌にて『アジアの星 25人』に選出。2005年、オリックス不動産株式会社と共同出資のもと、高齢者住宅運営会社のオリックス・リビング株式会社(現グッドタイムリビング株式会社)を設立。公益財団法人国家基本問題研究所評議員、ハワイシニアライフ協会名誉理事を歴任。2014年2月23日、進行性筋ジストロフィーによる呼吸不全のため60歳で死去。

以上株式会社ハンディネットワーク インターナショナルHPより

当時の僕は春山さんのそんな姿に大きな勇気をいただいていたのだ。そして20年後僕は脳卒中を罹患し後遺症で障害を負った。

いまの僕の心持は、できなくなったことを嘆くのではなく出来ることを丁寧にやって人生に向き合っていこうというもので、メモの中に出てくる失くした機能を嘆かず残っている機能を120%活用すれば絶対にうまくいくという信念。はまさに今の僕に届けられた言葉だ。

僕は20年後の僕にお手紙を書いていたんだね。

確かに今の僕には以前は見えていなかったものが見えている。それは春山さんではないけどビジネスアイデアになった。あとは僕に残された機能や資源機会を120%活かしていけば必ず上手く行くその信念を持てと20年前に僕は今の僕に伝えたかったのである。





タイトル:春山満の着眼点

メモ:サービスを受ける顧客がお金を払って頭を下げる福祉や介護の世界はおかしい。

野心があり、笑顔をわすれず(笑顔を失くしたらノーチャンスだという処世術)、失くした機能を嘆かず残っている機能を120%活用すれば絶対にうまくいくという信念。

無くしたことによって見えてくるという問題の本質を理解するプロセスとして重要な方法を証明している。(通常は悲しみの中に隠されてしまうことが多い。)

このような事は今の世の中に氾濫している。たとえば行政、役所、官僚。彼らはただ働きのボランティアではないのにサービスする精神や態度になっていない。また、パソコンだって使いにくいのに初心者に売り込んでいる。サービスの本質は誰のためのベネフィットなのかということ。購買した人にとって主たる目的である機能を発揮できないサービスは機能不全といわざるを得ない。

顧客のどのような問題点にたいしてサービスを求めているのか。本当の問題は何か。それは誰の問題なのか。など多角的に問題点を分析する。

問題の解決にどのような方向性が提案できるか。演繹的、帰納的、創造的、など多角的な分析が必要。

解決策はより具体的に工程管理されるもので顧客の同意を得ながら進める。理想に埋没したり顧客の心情をないがしろにしてはいけない。

問題の解決は新たな問題の発生点である。


2022年10月11日火曜日

正義仮面のひけ目

 昨日はプーチンに関するニュースが多かった。重要な拠点の橋を爆破されたプーチンはテロだと騒ぎ報復の攻撃を行った。

しかしそもそも、ウクライナに軍事侵攻を行って大量のウクライナ市民を虐殺したプーチンこそが極悪テロリストだ、しかも最近は部下をスケープゴートにして責任逃れをしまくる最低の指導者に成り下がっている。テロリストが反撃を食らってテロだと騒ぐ。なんとも滑稽な話である。さらに恥の上塗りのようにテロには反撃が許される的な主張は、自分が起こした侵攻というテロの分が悪くなり、負け戦になることを自ら感じ取っているようにも思える要するに自分自身への言い訳だよね。プーチンを支持するロシア国民にとっても恥ずかしいことだろう。

でも、最近のプーチンには言い訳が目立つように思える、言い訳をすると言うことは自分の行為や判断にどこかひけ目を感じているのだ、自分の行為や判断に自信がある人は、それらを言い訳したりしないものだ、プーチンも侵攻当初は強気一辺倒で行為を正当化する屁理屈はあったけど言い訳がましいことは無かった。強いロシアの男を演じるプーチンにとってそれはやっちゃいけないことだったのだろうね。

国際社会の指導者たちはそのことを気づかせるためにやっきになっていたのだけど、ここにきて、自分でやっと気づき始めたのかもしれない人ってひけ目があるとそのことをつい口にするものだ。

しかし怖いのはそこで開き直る人が一定数居る。

正しくないことをやっていると自覚しながらも正義の仮面を被ってより攻撃を強める人だ、国際社会じゃなくてもどこの会社にも居るでしょ?そういう人、

デイケアの高齢者にだって居るよ、正義老人。

プーチンの報復論はまさにこの正義老人だ。

悪の親玉が何を正義ぶっているんだと傍から見れば思うのだけど、

こういう人には実は何を言っても通じない。

だって自分がザ正義なのだからね。

まあその権力を振りかざして一時的には思い通りに展開するかもしれないけど、

人生は良いこと半分悪いこと半分だから必ずそのしっぺ返しが来る。

歴史では、謀反裏切り反乱が起こるのが常だけどね。権力者は権力の座からひきずり降ろされて大衆の眼前で惨い最期を遂げるのが常だ。惨めで可哀そうだけど誰も同情しない自業自得だからね。

このウクライナ侵略戦争はそもそも、権力の座のためには弾圧も抑圧も辞さない権力者プーチンをロシア国民がどう止められるのかが焦点だったけど、敗走を重ね、ロシア国民のプライドを傷つけながら、総動員とかスケープゴートとかで責任逃れの延命をはかる無様な指導者をロシア国民がどう見届けたいのかにかかっていることは今も変わらないのだろうね。








2022年10月10日月曜日

最後の晩餐何食べる?

 自慢じゃないけど僕が住んでいる場所には美味しいものがたくさんある。ぼくはきっとその1割も食べたことが無いけどねそして今僕がお世話になっているデイケアはなんと銀座だと言っても限りなく築地に近い、そうそこも美食の宝庫なのである。

僕はデイケアで夕飯を食べて帰ってくるデイケアとは介護の負担を減らす目的も強いからね。

しかしデイケアで提供されるのはどこかの事業者が作っているお弁当だ、残念ながら美食とは言えない。限られた予算の中で施設も精一杯努力されているのはよくわかるのだけど、僕がたまに食べる地元のお弁当と比べるもないくらい美味しくないのだ、まあ僕はお腹は空いているし育ちざかりだからいつもあっという間に完食しちゃうけどね。空腹はなによりの美食なのである。(笑)でもふと考えたら、デイケアに来ている高齢者90歳過ぎまで頑張って生きてきて、あと何食という限られた食事の中で、美味しいものに囲まれているのに美味しくないものを食べるのってちょっと可哀そうな気がする。僕もね~築地と言えば寿司だ上手い寿司食いてぇ~まあデイケアの費用って結局介護保険から出ていたりするから行政は認めないだろうけどね。コロナで困っている飲食店もきっと多いことと思われるこのご時世、地域コミュニティ全体のエコシステムをデザインする人って居ないのかね、ひょっとしたらこれが最後の晩餐かもしれないとしたら介護食のお弁当を食べたい?







2022年10月9日日曜日

適性という偏見とリスキリング学習せよという人間性の侵害

 僕は長年人と組織に関する仕事をしてきた、その中で常に人を軸に問題をみるのか仕事軸に人を見るのかという問いに晒されてきた。

人ベース仕事ベースというやつだね

人ベースでいえばその人のかりたいことや動機があることをさせるべきであるという立場だ。

その方がいい結果が出るよねと言うのがポジティブ心理学の根底にある価値観だと僕は思う。

そこだけ切り離れてモチベーションマとかコミットメントとかロイヤリティをいかに高めるかなんていう不自然な展開にもなってくる。

ポジティブ心理学とかウェルビーイングを掲げるサービスは都合のいいところだけを切り取った実はとても胡散臭いフェイクニュースみたいなものなのである。

さて人ベースで出てくるのが適性という概念である。この概念もアブダクションの賜物で、ハイパフォーマーはきっと仕事で成果を出しやすい性格特性があるに違いないと言う因果の類推アブダクションから生まれてくる概念だけど、

実は本当に普遍的なそういうものがあるのかは確認のしようがない。

僕が知っている情報で唯一これは適性だなと思ったのは、踏切遮断機の上げ下げをする担当者の話で、仕事中に余計な事を考えがちな、発散系の人じゃない方が事故が起きないという話だけだ。

単純な仕事に集中力を持続できる性格特性、これは確かに向き不向きとその結果(事故の有無)の関係性が明確に実証出来る。から適性と考えて良いでしょう。

一方で、予測不能な社会のにおける仕事はそんなに単純なものではないから、性格特性と結果の因果を実証することは単純に出来ない。僕はその普遍解にではなく個別解として因果を実証する仕事をずっとしていたので、どうすれば実証できるのかはもちろん知っている。だから、適性は単なる概念じゃないと断言できるし人材の採用において適性のある人を見抜く仕組みを作る仕事をする自信はある。

しかし、性格特性にはもうひとつやっかいな概念があって、生得的で不変なものという概念だ。これは養老孟司さんによれば文明はかわらないものを志向するという、例えば我々が知識だと誤解している情報は基本的に記述されたものを指す、つまり、いつ見ても誰が見ても同じということが文明の基盤だと僕たちは信じているんだよね。

そういった不変神話が生み出すのがパーソナリティという生得的不変性だ、でも僕たち人間は生物学者福岡伸一先生が言うように動的平衡な存在で、なんとか平衡を保っているけど日々動的に入れ替わっているのである。

だから生得的な性格特性は一生不変だなんて有り得ないのである。しかし養老孟司さんの指摘通りの情報化社会では「本当の自分」という無敵の理論が生まれるのです。中世 の 日本 文学 に 代表 さ れる 思想 という のは、 人間 は 移り変わる もの だ、 という 考え方 だっ た の です。この 考え方 が 情報 化 が 進む こと で 消え て しまっ た。おそらく時を同じくして、パーソナリティとは不変だという考え方が強まったのでしょう。心理学の研究ではパーソナリティが変化することはすでに実証されているにも関わらず、まだ、パーソナリティは不変であるというのが1つの学術的ディスプリンであると考える人も残念ながら少なくありませんしかし、そこから生まれる適性という概念は実証されない限り偏見でしかないのです。

実証主義に基づかない普遍的な適性という概念は明らかに偏見だと言えるでしょう。

養老孟司. 死の壁(新潮新書) 「壁」シリーズ (p.22). 新潮社. Kindle 版. 

一方で、給料をもらっているのだから、好き嫌い得手不得手ではなく、やるべいことをしっかりとやるべきだというのが極端な仕事ベースの発想で、苦手な事であっても出来るように学習するのが当然だと、いうのが経営や上司の論理ですがこれは学習には苦痛が伴うものであるというEHシャインの考察を借りれば人事権や評価権を濫用した人間性の侵害行為であると言わざるを得ません、シャインは苦痛が伴う中で学習に取り組むのは生存不安が学習不安を上回った時だと朝鮮戦争の強制収容所で行われた教化(思想再教育)の研究で至った結論です。つまり学習させるという行為には常に心理的圧力が存在しているのです。僕は教育の専門家ではありませんから間違っているかもしれませんが、社会に出るもしくは出てからの社会と言う環境とコヒーレントな学習には、観察学習状況学習問題解決学習があると考えています、言い換えると徒弟制度、環境適応そして環境変革ですね。見習う、うまくやる(もっと上手にやる)そして良くする(もっと良くする)ことによって発生する知識の創発とそれによる学習者の行動の変容です。だからどのように学ぶかはいかに生きていくのかという人間性の目的とともにあるわけです。

だから最近よく言われるリスキリングという言葉も私は大変危うさを感じていますカントが言う人間性を目的ではなく手段化した発想だからです技術信奉主義から来るスキル発想が人の手段化を駆り立てているのです。

実証無き適性で採用を効率化しようとする企業やリスキリングに飛び付く企業の経営者は今一度足元を確かめるべきでしょう。

                                    光明に飛び付くなかれ




2022年10月8日土曜日

僕のニュースの楽しみ方村上春樹さんノーベル文学賞受賞ならず(残念でした)

 村上春樹さんは今年もノーベル文学賞が取れなかったらしい。

熱心なファンは毎年、今年こそと期待をかけているようなのでがっかりした人も多いのではないだろうか。

僕は良く知らないのだけどノーベル文学賞は20年ごとに国の順番が回ってくるものらしい。

日本人が文学賞を受賞したのは、1968年の川端康成氏、94年の大江健三郎氏だからそろそろ順番も来るし国際的な文学賞を数多く受賞し、

村上春樹氏(73)は今年5月、フランスの「チノ・デルドゥカ世界文学賞」に選ばれ国際的な評価も高いので。

ノーベル文学賞の有力候補と目されていたのだそうだ。

そこで村上春樹さんの名言として取り上げられている一連の文言をテキストマイニングしてみた、

ノーベル賞作家の大江健三郎さんの名言と比較すると、

大江さんは日本の歴史などに向き合って悲惨さなどを語っているのに対して

村上さんは「負ける」「傷つく」「退屈」「孤独」など」あまり日本という国に言及するような言葉は無いようだ。

もちろん名言として切り取った人の嗜好にも左右されてしまう話なのだけど。

今、ネット上に切り取られた言葉で比較をすると

村上春樹さんの文学は、人間のアンニュイなムードを文学で表現しているのに対して

大江健三郎さんは日本という国の背負ってきた現実を文学を通して掘り起こしているのかもしれない。

ほんとうにひょっとしたらという思いつきなのだけど。、表現としての文学の評価よりも日本という国への言及に違いが国際的な賞としての評価が違ってくるのだろうか言い換えると表現力ではなくテーマ性の問題はあるのだろうか?

何かのご縁があってこのブログを読んでお怒りの方へ・ごめんなさい、個人ブログなので好き勝手を許してください。と僕は素直に謝ります。

僕は文学論評家でも文学の専門家でもないしそもそも愛好者でもないから全く的外れなことを言っているに違いない。からね。

今回の考察はあくまでもネット上に展開されている名言と言われるテキスト情報を分析してその結果を考察した自説に過ぎない。

ニュースに唆されて興味本位で手を動かしたに過ぎないでも、そんな僕でも気づけるような違いを発見できるのは楽しい。僕なりのニュースの楽しみ方なのである。


村上春樹さん名言


大江健三郎さん名言





2022年10月7日金曜日

名言分析松岡修造さん井上ひさしさん編熱くなれよ! 熱い 血燃やしてけよ!難しいことを面白く

 昨日の名言分析が以外に面白かったので引き続きやってみた。次の名言は松岡修造さん

熱い男と言われ人気のある松岡修造さんはどんなことを言っているのだろうか分析したら当然だけど。稲盛和夫さん本田宗一郎さんとはまったく異なる結果になった。心の稲盛、技術の本田だとしたら松岡さんは不思議の松岡といったところだろう。

彼のトレードマークみたいな熱血というのもあったのだけどイワナーダシとか竹ー台風とかまったく意味が推測出来ないワードが散見されるもう分析結果を見ただけでは何が何だかわからない。そこらへんは、稲盛さん本田さんの分析と決定的に違う部分だ。

そこで、分析元の言葉に立ち返ってみよう、

意味不明なワードは以下のように使われていた。

諦め、褒め、熱くあたりは皆さんおなじみの修造節だね。

真面目な言葉を並べてもっともなことを伝えるのではなく。なにそれ?とおもわせておいて、大事だと思うことを伝えていく、面白いけど深いと思わせるのが彼の狙いなんだろうね

井上ひさしさんの言葉に井上ひさしの言葉「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」がありますがひょっとしたら松岡修造さんはいいところ行っているのかもしれませんね。そこで井上ひさしさんの名言も分析してみたのですが、戦争とか説教とか演劇といった言葉が出てきました。

きっと表現者として、その対象である人間の業の深さに難しさを感じていたのでしょうね。そんな深刻でないところが松岡修造さんの良さなのだと思います。

イワナーダシ

てみろよ!!イワナはなあ、余計な味付けいらねえんだよ。自分に中身がある。 ダシ が凄いついてるんだよ。イワナ見習って生きろ!!中身で勝負だ!!これから!!ダシ

ダシが凄いついてるんだよ。イワナ見習って生きろ!!中身で勝負だ!!これから!! ダシ のある人間になれ!!⏎松岡修造の名言⏎諦めんなよ!諦めんなよ、お前!!

竹ー台風

修造の名言⏎悩みん坊、万歳!⏎松岡修造の名言⏎三日坊主OK!⏎松岡修造の名言⏎みんな!! 竹 になろうよ。竹ってさあ台風が来てもしなやかじゃない。台風負けないんだよ。

、万歳!⏎松岡修造の名言⏎三日坊主OK!⏎松岡修造の名言⏎みんな!!竹になろうよ。 竹 ってさあ台風が来てもしなやかじゃない。台風負けないんだよ。雪が来てもね

もね。おもいっきりそれを跳ね除ける!!力強さがあるんだよ。そう、みんな!!! 竹 になろう!!!バンブー!!!⏎松岡修造の名言⏎過去のことを思っちゃダメだよ

諦め

ぞ!!⏎松岡修造の名言⏎言い訳してるんじゃないですか?できないこと、無理だって、 諦め てるんじゃないですか?駄目だ駄目だ!あきらめちゃだめだ!できる!できる!絶対にできる

生きろ!!中身で勝負だ!!これから!!ダシのある人間になれ!!⏎松岡修造の名言⏎ 諦め んなよ!諦めんなよ、お前!!どうしてそこでやめるんだ、そこで!!もう少し頑張っ

勝負だ!!これから!!ダシのある人間になれ!!⏎松岡修造の名言⏎諦めんなよ! 諦め んなよ、お前!!どうしてそこでやめるんだ、そこで!!もう少し頑張ってみろよ!ダメ

、お前!!どうしてそこでやめるんだ、そこで!!もう少し頑張ってみろよ!ダメダメダメ! 諦め たら!周りのこと思えよ、応援してる人たちのこと思ってみろって!あともうちょっと

褒める

の名言⏎苦しいか?修造!笑え!⏎松岡修造の名言⏎人の弱点を見つける天才よりも、人を 褒める 天才がいい。⏎松岡修造の名言⏎褒め言葉よりも苦言に感謝。⏎松岡修造の名言⏎何を言われ

松岡修造の名言⏎人の弱点を見つける天才よりも、人を褒める天才がいい。⏎松岡修造の名言⏎ 褒め 言葉よりも苦言に感謝。⏎松岡修造の名言⏎何を言われてもイライラしなーい。⏎松岡修造

熱く

松岡修造の名言⏎これは終わりではなく、新しい修造の始まり。⏎松岡修造の名言⏎もっと熱くなれよ! 熱い 血燃やしてけよ!!人間熱くなったときがホントの自分に出会えるんだ!!⏎松岡修造







松岡修造さん左上にイワナ、竹出現

松岡修造さん

いのうえひさしさん名言右上に引用した言葉が出てきた

いのうえひさしの言葉2


2022年10月6日木曜日

稲盛和夫vs本田宗一郎

 

他人と比較をしていると幸福にはなれない。これは真理であるしかし、比較と言うのは違いを知るためのとても有効な方法でもある。
不思議なもので、他人を見ると、欠点(違和感)が目につきやすいのに自分と比較をするときは他社の長所と自分の短所を比較しはじめるものだけどこれって僕だけなのだろうか?そこで他人同士を比較したらどうだろうか?
ふとそう思って、最近亡くなった稲盛和夫氏と本田宗一郎氏を比較してみた。
お二人とも名経営者として名を馳せた方である。
日本をいや世界に名だたる企業を一代にして築いた実績は輝かしく数々の名言を残されている、そこで今回はその名言でお二人を僭越ながら比較してみようという試みだ。
方法はネットで情報を集めてテキストマインイングによる統計処理での比較だ、
その結果わかりやすい違いが見えてきた。
注目ポイントは「人生」の周りにどんな言葉が出てくるかである。稲盛氏は「心」「才能」「運命」であった一方本田氏は「技術」「企業」「個性」であった。同じ経営者だとして事業を生み出すのはその着眼点であることが良くわかる。結果となった

稲盛和夫

本田宗一郎

2022年10月5日水曜日

脳卒中後に自分の物語りを生きるうえでおすすめの本や人(編集済み)


 中学時代の同級生から本の告知があった。

どうやら妹さんの本らしい。

妹さんの旦那さんが47歳で脳卒中(ぼくと同じ脳出血)を患い後遺症で失語症になったその日々の色々を書いていたブログを編集したものらしい。

ふんだんに漫画で描かれていて大変読みやすい本である。

今健康な人も是非ご一読をお勧めします。

まず、僕達は失語症と言う後遺症をほとんど知らない。僕は脳卒中を罹患してリハビリもやっているので一応失語症は知っていた

しかし僕には失語の後遺症が出なかった。

身体の後遺症左半身の片麻痺は出て、身体障がい者一級なのであ~る。(自慢か~い)

それでも、失語症の実際はわからない著者の米谷瑞恵さんは、旦那さんの後遺症を機になんと、学校に通って言語聴覚士(セラピスト)の国家資格まで取得されたそうで、

専門家としての正しい知識もほんとうに素晴らしい。

僕もこれまでブログで何回か脳卒中とかリハビリについてかいているけど、僕本人の体験や、聞いた情報がほとんどでちゃんと勉強した知識では無いだから時に間違ったことも書いているだろう、

しかし米谷さんは専門家として正しい情報を載せていらっしゃるので安心して読むことが出来る。そして病気の専門知識だけでなく脳卒中の後遺症を抱えての生活に関しては後遺症の種類は違えど非常に共感する部分が多かった。しかも後遺症に関して、深刻になり過ぎず時にはユーモラスな表現で描写していて、読んでいて気持ちがふっと軽くなるのだ。この感覚実は後遺症を抱えて障がい者として生きる上でとても大事だと実感している。僕たち中途障がい者出来ることを丁寧に日々生きていくしかない。出来ていたことが出来なくなったと嘆いていても出来るようになるわけじゃないからね。その感覚がとても上手に描き出されている。

例えば脳卒中で倒れて入院するとそれまでの仕事のことがとても気になる。そしてメールなどでやりとりをするのだけどその文面はぐちゃぐちゃになる。

米谷さんの場合はこんな感じご注意に触れるので削除しました。

僕も、脳卒中後最初に送ったメールを見たらこんな感じだった。

僕は昨日デイケア(通所リハビリ)で読み返して一人笑ってしまった。まさに迷惑をかけるメールである、何故か僕は自分の代わりに熊肉(クマロース)を売っている釣り船屋かなやまるさんを紹介しようとしている。もちろん、そんな熊肉屋も釣り船屋もこの世には実在しない(笑)

○○様

 6月1/5日に脳卒中でたあれて現在も入院治療中です

現状てまは案件に対応させていただく事は困難ですのでもし○○さんがよろしけれはクマロースマインドのかなやまるさんをご紹介申し上げます。案件に対応するこわけいけんももおたからも充分におとちの方ご紹介が必要であれはわご一報くださいませ。ご迷惑をおかけいたします吉田


なぜこうなるのか、それは米谷さんの本を読んでいただければご理解いただけることと思います。本人はちゃんとしたメールを送っているつもりなのだ。

それから宅急便を送る描写もあるのだけど、僕もリハビリ病院で洗濯物を自宅に送るとき。丁目番地マンション名部屋番号を全て省略してしまい、看護師さんを走り回らせた経験がある。ちなみに僕には失語症は無く、waisという知能検査で高次脳機能も問題ないと言われていたのであるけどね、やはりどこか抜けてとんちんかんなことするんだよね。

でも、そういう時に優しく接してくれる家族や病院の方に本当にに救われるのだ。

何でも普通に出来ると自分を信じさせたいのかネット通販とか変な事にもてを出した。オリジナルTシャツを病院からオーダーしたのだ。

それがこれ


この時妻を驚かせ喜ばせようと妻のお気に入りの写真オリジナルパーカーもオーダーしたのだけど届いたパーカーはXSサイズ。。しかも無理に着てくれた妻がその際当時使っていた眼鏡を脱ぎ着で壊してしまうという事件まであって酷く落ち込んだ。
しかし妻は優しく笑っていてくれた。
これ本当に助かった。
本の中にも楽天的という表現があったけど、楽天的にとらえるだけで世界は突然障がい者の見方になってくれるのだ。
結局障害を負うということはどういうことなのか、なぜそうなるのかということを正しく知って受け止めてそのうえで毎日できることを丁寧に過ごしていくザッツオールなのである。
そういった心境に至るうえで僕がお勧めするのはこの米谷さんのこうみえても失語症ですの他に星野源さんのよみがえる変態、塩見三省さんの 歌うように伝えたい
西川吾平さん7本指のピアニスト
である脳卒中になってしまった人も、今は元気な人も是非一度目を通すと良いと思います。

この本はなってしまった人にとても役立つ情報満載です。
ある、



 

2022年10月4日火曜日

トレンド重層分析の必要性

 新型コロナウイルスは僕たちの日常を取り巻く環境を大きく変化させたその環境に適応するように僕たちは情報化社会をさらに進展させた。

主に対面接触の機会をネット上に実現することになった。

呼応するように様々な手続きのデジタル化が行われていて、それらは総称してDXデジタルトランスフォーメーションというトレンドになっている。

その状況は情報技術により、

業務の最適化を推し進め業務効率を高めて生産性の向上に生かそうという経営戦略と言えるだろう。

経営戦略の主題は最適化と差別化である、

DXはベンダーのセールストークは別として差別化を実現することは難しい。他社と同じものを導入しても違いは生まれないからね。

ネット情報のITのトレンドから見えてくる経営課題は売上拡大 コスト削減 採用・人事 セキュリティ・インフラであった.

情報社会における差別化はイノベーションという言葉によって人に担保されることが多い。技術は普及とともの同質化均質化するものだから先行による差別的優位性は持続的では無い。優位性があるかどうかは別として、差別性の源泉は結局人の固有性に根ざしたものだからである。一方で最適化効率化とは固有性を排することが目的だ。

要するに、DXで他社並みにはなれても、他社との違いは生み出せないのは自明なのだ。

情報化社会における差別化戦略はサービスの利用でなく情報や技術の活用の中にある。

その差別化戦略の中核にある人事における課題は採用の効率化 社員の労働状況の管理 マニュアル・教材提供による社員教育 社員のエンゲージメントを高めたい人材育成・活用だった。とやはり最適化に向けたものであった

そこでHRのトレンド情報もネットで集めて分析してみた以下その結果である。

共起ネットワーク
多次元尺度


例えば、経営における統計の重要性は今更言うまでもないが。統計とは、データという数値情報を加工する技術(計算式)である。数字や計算式は人によって変わってしまうことは無い客観的なものだから差異は生まれない一方、差別性は統計を読み解くことから生まれる。

そこには、もちろんバイアスもあるのだけど、一方で知識の創発が重要だ。

一方こちらは筆者がかつて消費者分析で作成したソーシャルトレンドのマップである。そこには、反産業社会的主義、環境の中で本来的な在り方を模索する消費者の姿が見えていた。

就業者と消費者が同一であるとすれば、産業は人をいかに効率的に活かすかがテーマであるのに対して、知識を生み出す人はもっと人としての自然な在り方を尊重すべきだと日々の暮らしで想っているのかもしれないね。僕はかつてより資源ととらえる観点に尊厳への意識が薄いのではないかと考えていたのだけど、昔から言われているこのギャップはコロナ後の社会でもあまり変わっていないのかもしれない。

この分析自体は妥当性が疑わしいけど、企業が生産の担い手だとすれば、生産と消費を繋いでいる人をそれぞれの立場から生産者としての人と消費者としての人要するに生活者としての人を統合的に分析することってあまりできていないかもしれないという気づきはあった。
結論
工業化社会以上に情報化社会では企業の同質化均質化が進む。一方で差別化の源泉である人に関しては生活者としての尊厳への意識があまり見当たらない。トレンド情報の分析からそんな現状が僕には透けて見えた。(確証バイアスが見せる幻覚か?)



2022年10月3日月曜日

メタ知のための個人年表という歴史の見える化

 久しぶりにスケッチブックを開いた。子のスケッチブックはグラフィックレコーディングを姫さんに習ってから愛用しているものだけど、脳卒中手術後のリハビリ病院ではMacbookAir と任天堂DSそしてNIKON1J5と一緒に僕の心を救ってくれた宝物である。

その中には僕が入院中に書いた個人年表がある。

最近ちょっと新しいことにチャレンジしかけるなかで過去の整理(振り返り期)を確認したくなったのだ、

いずれは私小説という形で自分の一生を小説に書いてみたいとおもっているのだけど、

やはりそこまでには時間も係る。

文字データにすればテキストマイニングもできるのでぜひやりたいことなのであるけどね。

個人年表はそこまで情報としては充実していないけど、要点は表記されているのでメタ知としては十分だ。

年表には何年何月という表記が入るけどこれがじつはとても重要だ、

頭のなかにある記憶では案外正確な年月日は無いものだからね。

時系列に出来事を並べることはなんとなくできるけど、

年月日に沿って正しく配置することは難しいものである。

例えば旅行でも、あそこらへんに行ったなぁという記憶はあるけど何年何月何日とまで思い出すのは難しいでしょ?

だから時間をみつけて個人年表を作っておくことはお勧めなのである

自分の物語りの一歩手前自分の歴史が作れるからね


さあ今日はスケッチブックを開いて自分の歴史を振り返ろう。





2022年10月2日日曜日

受け取る人から贈る人になろうとおもうけど、受け取ることで生きられている自分が居る

 NHKの朝ドラちむどんどんが9月末で終わって新しいシリーズが始まった。ちむどんどんは朝ドラファンからの批判も多く、僕もその一人だった、ツイッターには#ちむどんどん反省会というタグが立ち僕も何回も投稿していた。楽しく観ている人もいるのだからと、反省し一度止めたりもした。けど今度はネガな意見を取り上げたネットニュースが多いと書いていたらどうやらそれはぼくの履歴がAIによってよびよせているものらしいという意見も頂いた。

最終週に関しては反省会タグに僕は復活した。だって1視聴者として、何も楽しく観ている人に予定調和する必要も無いと気づいたからね。

楽しく観るひとがいるなら、いらいらしながら観る僕が居たっていいでしょう。それをSNSで発信したってね、楽しく観る人は楽しいと発信すればいいのだ、困るのは楽しく観ている人もいるんだよという意見。

それはドラマじゃなくて僕の投稿に対する意見だよね。そもそもネガな投稿事態に対するネガな感情は僕の中にもあるものだからその意見は受け止め共感しつつも僕がどういう態度をとるべきなのかは悩ましいところだ。批判と言う態度を批判するのはよいけど、だから批判を止めるというのはある意味モノ言わなくなる危険な態度にも思えるだって何かを感じている自分の心を無視するわけだからね、僕の鬱々とした思いはきっと僕を内側から腐らせるものだ。僕が前向きに生きるためには内側を腐らせてはいけない。

そもそも、僕は会社の卒業と脳卒中という病気をほぼ同時に迎えたその人生の転機でありピンチの時期にずっと朝ドラを観ていた。

おかえりモネ、カムカムエブリバディそしてちむどんどんとね、病気前の健常な朝絶対安瀬nベッドで迎えた朝リハビリ病院で迎えた食後の朝そして退院し自宅で朝ごはんを食べる朝とずっとそこには朝ドラがあったのだ。

だから、朝ドラに笑ったり涙したり、励まされたりしてきた、エンタメとして観ていただけじゃなくて常にその時の自分のメンタルを投影して観ていたのだ。筋金入りなのだよ。だからいらいらするときだってある、そして今回のちむどんどんは僕のイライラを倍増させるドラマだった。おかえりモネでは病室に閉じ込められていた僕の心に青空が広がり、カムカムでは瞼にに素敵な家族の絵が浮かんだものだ。でもちむどんどんは、突然死、借金、詐欺、やくざ、そしてそれらの繰り返しとイライラする要素ばかりが詰め込まれていたもしかしたら脚本家もコロナとかでいらいらMAXだったのかもしれない。でも、プロの脚本家であれば視聴者に届けたいプレゼントを盛り込むものだろう、全く心にギフトが届かないそれが僕の不満の全てである。

さて明日からは新しいシリーズ、どんなギフトが心に届くのか楽しみなのである。





2022年10月1日土曜日

リハビリという学び直しの正体

昨日は脳の話だったから今日は身体。

僕たちは身体を考えるとき、僕達は身体に高い能力を保有していると考えがちだ。

しかし実際は、僕達の能力を引き出しているのは環境なのである。

陸上競技を見ればよくわかるけど、闘技場や用具の進化によって記録が伸びてきたことがわかる。

競技者の能力向上も、優秀なコーチや科学的なトレーニングなど環境の力が大きい。

身体が資本だとすると環境は資産である。僕たちは資産を身体(脳も含め)というリソースで認知し活用することで様々な運動を高度に行う知識を身体に蓄積していくのだ。その資産を活かす知識の集合体それが僕らの身体である。

流れ図に書くと

①環境資産→②身体(認知リソース)→③身体(知識創発)知→④身体環境に適応した運動ということになる。

紺k際僕が脳卒中で認知リソース(感覚、視野)②に影響が出たその結果④が上手くできなくなったのである例えば病院内のような平坦な場所では歩けるのだけど屋外では上手く歩行が出来ない①がかわると④が上手く行かないその原因は脳卒中による②であることは明白だ。

だからリハビリでは残された認知リソースを使って④ができるようになる訓練を行うのだ。