2018年11月30日金曜日

もう「まんぷく 」? 新規事業の造り方

NHK朝の連続ドラマ中で、今、主人公たちは新規事業に取り組んでいる。

そして、志と高いモチベーションを持って取り組むメンバーと汗みどろで既存事業を守るメンバーの気持ちの対立が描かれていた。

「ドラマだからね」を差し引いて考えて、同じ組織の中でもやることが異なると対立関係になりやすい。

それは、ものの見方が異なるからで、致しかたない側面があるよね。

ドラマでは対立を乗り越えて・・・的な展開だけど、実際の組織では、対立がそのまま放置されることも少なくないだろう。

それは、乗り越えるにはかなり労力がかかり、それでも難しいことなのでもう割り切ってそのままになっているってことだね。

さらに進んだ考え方は、「交わらせない」でしょう。

下手に接点がある方が対立しやすいから、接点も消してしまう、そっちの方が組織効率は良さそうだ。

で、ね。どうするの方に食指が動きます。

つまり、「まんぷく」的な絵に描いたよな解決話に僕はもう「まんぷく」なのです。


お腹いっぱい

2018年11月29日木曜日

情報収集の蟻地獄に豊かな世界は待っているのだろうか

部分を通じて全体の理解が可能と考える。

これは「還元主義」と呼ばれるアプローチだ。

僕には、全世界の情報をすべてデジタル化しようとするGoogleの戦略にも「還元主義」的な発想が潜んでいるように思えるのだけど、どうなのだろうか。

さて、人間は機械学習と違って、全情報スキャンをしなくても一定の判断をすることができる。

自然と「還元主義」的なアプローチを取っているのだよね。

ただ、そこにはバイアスがあって、正しく実態を再現できないから、出来るだけ多くの情報を集めて学習させようと言うのが、現在の人工知能と呼ばれる機械学習の状況だろう。

僕たちが間違うのは情報が足りなかったからだ、と考えるのだ。

そして情報収集地獄が待っている。

そこには、「情報から全体の性質や振る舞いが理解できる」との考えがあるから蟻地獄のように深みに嵌るのだよね。

でも、ひょっとしたら僕たち生き物が誕生して38億年間かけて身につけた、より少ない情報で間違いや失敗をおかしながら複雑で豊かな世界や社会を築く力をさらに発揮した方が良いのかもしれない。

ビルに数多くのセンサーを埋め込み、行動情報を集めなくても僕たちは新たな価値を創造できるのではないだろうか。

僕が挑むのはそっちだ。


複雑で豊かな世界を築く


2018年11月28日水曜日

リスクに目を向けすぎるとつまらない人になってしまう理由

世の中にはリスクが溢れている。

僕たちのような高度な文明社会を築いていない生き物はより多くのリスクに晒されていると言って良いだろう。

逆に、リスクフルな環境で生き延びることが求められるのだ。

一方で、文明が発展すればするほど、リスクを回避する方法が考えられていくのかもしれない。

洪水を防ぐために堤防を作ったり、交通事故を防ぐために信号が設置されたりするようにね。

一方で、車の通らない道に信号を設置するようなことがあったとしたら、それは過剰にリスクを捉えていると言えるのではないだろうか。

周囲を見渡すと、リスクへの過剰な備えは決して少なくない。


さて、僕たちの脳は、リスクもチャンスを同じ部位で生み出しているそうだから、リスクの捉われると、きっとチャンスが見えなくなる。


チャンスばかり見てリスクを見ないことも大きな問題だとは思うけど、リスクに目を向けすぎると、日常生活の中で行き詰まることがあったときですら光明が見えない「つまらない人」になることでしょう。


リスクリスマス?





2018年11月27日火曜日

成長に必要な4つのキーワード

予測不能な不確実な時代において、「これまで通り」が通用しなくなる。

そうなると、新しいやり方や向き合い方を短時間で身につけなくてはならない。

例えば、消費税が10%になり、でも、キャッシュレス決済であれば、2%分がポイントで還元されるとなると、「自分は現金主義だ」などと言っているのはナンセンスなことだ。

さて、より賢く生きることが「成長」であるとしたら、自分の可能性を信じ、挑むことは欠かせないよね。

では、何に挑み賢さをレベルアップしていくのかと言えば、まずは社会性と人間性ではないだろうか。

社会性とは関係構築と役割遂行であり、人間性とは、自己確立(リーダーシップ)と探究心だね。

そして知識や知恵の習得といった学習性、体力を維持したり鍛錬することで発揮する身体性が加わる。

僕はこの、社会性、人間性、学習性、身体性の4つが成長に必要なキーワードだと考えている。

どれか1つだけでなく4つが要るよね。


4つ





2018年11月25日日曜日

「巻き込み力」で忘れてはならないこと

僕は映画を観ている時、登場する役者の人種が気になってしまう。

例えば、火星に取り残された「オデッセイ」では、中国人が重要な役割を果たしている。

「スターウォーズ」の最新作でもそうだった。

おそらく興行に関わっているのだろう。

映画のマーケティングを考えたら、配役は興行に大きく影響する要素だろう。

だから、大きな興行収入になる国の人を用いることは合理的だよね。


ある場所で何かを達成しようとした時、その土地の人に大切な役割を担ってもらうことは良いアイデアだ。

周囲の協力が得やすいからね。

これは会社でも同じだ。

仕事には他者を巻き込むことが欠かせない。

そして巻き込むのに必要なのはコミュニケーション能力だけではない。

共感、共有、共体験、そして文化といったコンテクスト無しに他者を巻き込むことは困難だ。

僕たちはそれをよく知っているのだけど、時に忘れてしまうから気をつけよう。

特に身近な人に対してね。


ひらひら





2018年11月24日土曜日

「壁」があるから生きている 自分の「壁」をデザインしよう

僕が今、一番重要視している概念は「壁」だ。

他に、「距離」と「時間」もあるのだけど、この2つの概念は、アインシュタインが「相対的」なものと解き明かしてしまったので、「壁」に勝ることはない。

じゃあ、僕が言う「壁」は何なのかというと、「細胞壁」のように生命を象徴する存在だ。

僕が今、生き物でいられるのも、「細胞壁」があるからだよね。

さて、「壁」が作り出すものは「内」と「外」の概念である。

この「内」と「外」が分離されることで、僕は崩壊することなく、秩序ある毎日を送れる。

そして、相似的に、僕たちは身の回りに有形、無形の「壁」を作って秩序を生み出しているのだ。

万里の長城とかベルリンの壁とかもそうだし、会社とか町内会とかの組織もそうだね。

言うなれば、僕たちは「内」と「外」で説明をつけることができるってこと。

で、ね。「細胞壁」のような物理的な壁を改めてデザインすることはできないけど、概念によって生み出される「壁」には色々デザインを施すことが出来るよね。

例えば、僕と他人の間にある「壁」のようにね。


壁のデザイン



2018年11月23日金曜日

「デザイン」は誰が守るもの?誰が変えるもの?

僕は自分のブログのタイトルに「デザインと創発」とつけている。

その意は、創発が起きるようなデザインをすることはできるのだろうかという自問から生まれた。

一方で、「デザイン」とは何かという問いもある。

僕は、「デザインとは夢を実現するためのプロセスである」という定義が好きでこれを用いているけど、そのプロセスには静的と動的の2種類がありそうだ。

静的なプロセスとは、デザインは設計図として変更しないもので、動的なプロセスは逐次変更されるものだ。

この静的、動的には、そもそも、デザインを誰が描くのかが深く関わっているように思える。

デザインを生成するルール、ということだね。

このルールが厳しい場合、そこにはディシプリン(厳格な規律)が存在し、緩い場合は無い。

例えば、僕が参加している自画持参、がちゃトークという対話のデザインでは、冒頭でデザインを行った慶應大学加藤教授と法政大学長岡教授がプロセスの実践者だ。

ところが、両名の参加が減ると共に、ディシプリンが弱まったことは間違いないだろう。

静的なデザインが、デザインを生成するルールの緩みと共に変化しはじめたのだ。

今後、デザインを生成するルールが明確になり夢を実現するプロセスへ復帰するのか、それとも、デザイン自体が消失するのかはわからないけど、僕がこのブログを書き続けるうちは、そのデザインを生成するプロセスの変化を見届けて行こうと思う。


クリスマスのデザイン


脳が体を操るように・・・ 脳中心主義に用心しよう

たまたま、テレビから流れたCMで、

「脳が体を操るように、AIが・・・」

というフレーズが聞こえてきた。

その瞬間、『ああ、人工知能のコンテクストには脳中心主義があるのだな』と思い浮かんだ。

脳中心主義とは、「ペンフィールドのホムンクルス」といった、脳の機能が身体の他の部分を制御している考え方だよね。

手を失っても生きていられるけど、頭を失ったら生きていられない事実も、脳中心主義を後押ししているのかもしれない。

で、ね。制御機能が生命の本質かというと、どうもそうでもないらしいよね。

身体の各部分は、それぞれが環境との間にいい関係を結び、それを脳がサポートしている。

脳はそんなに器用に手足を動かしてはいないのだ。

要するに、脳は身体の一部であって、生命の営みの命令者ではないってことだ。

脳の機能が高度になると、高度な社会を構築できるけど、脳が命令者でないことは僕たちが作り出す社会にも映し出されているのだろう。

僕たちは自律的な思考、行動を通じて社会を構成しているのであって、政府や会社の手足として操られているわけではないよね。

そして操ろうとすると大きな悲劇が待っていることは歴史が実証している。


素晴らしい身体

2018年11月22日木曜日

強みを活かし弱みを克服するというシンプルな成長

多くの人前で話をすることは、決して低いハードルでは無い。

決められた時間で、伝えたい内容を気後れすることなく話すことはさらに難しい。

僕もこれまで、セミナーや研修などで何回となく話をしてきたけど、自然な状態で場に望むことができるようになったのはここ最近だ。

さて、今日初めて研修で登壇したメンバーが居る。

そのメンバーは、初めてにも関わらずおよそ1時間のパートをやり切った。

さらには場にうまく溶け込んで良い雰囲気も作り出していた。

その姿を見て、もちろん本人の努力あってなのだけど、やはり、得意なこととして強みを持っているのだろうと思った。

なぜなら、同じような場でも、尻込みしたり、必要以上にナーバスになったりする人も決して珍しく無いからね。

そういう人は、苦手なこととして克服をしなければならない。

「機会を活かす」観点においては、同じでも、経験の意味づけは大きく異なる。

でも、今までに無い機会を活かせれば、それは「成長」だ。

未経験を経験に変えることに、意味があるからね。


「初めて」を乗り越える







2018年11月21日水曜日

ドッグランにも学びが一杯?

僕は週末の晴れた日に犬をドッグランに連れて行く。

運動不足の解消もあるけど、やはり、リード(引き綱)なしで犬が走り回る姿は見ていて楽しい。

さて、ドッグランにも学びはある。

どんな学びかというと、一言でいうと「人間社会の縮図」だね。

例えば、小型犬(7Kg以下)と全犬種の2つのエリアがあるのだけど、小型犬の方は、大人しい犬が多く、全犬種の方は体の大小に関わらず攻撃的な犬が多いように思える。

つまり、無制限に犬を入れる人にはそれなりの意図があるってこと。

自分の犬の気の強さを知っている人は、小型犬エリアの平和を乱すことに気が引けるのかもしれない。

つまり、そういった人間の思惑が反映されているので、平和なエリアと騒がしいエリアに自然と分かれる。

人間社会でも、自然とそういったグルーピング、住み分けが起きるのだろうけど、学校のように住み分けを無視して1つのエリアに強制すると、間違いなく、気の強い犬は気の弱い犬を追いかけ回し攻撃することになる。

まあ、そこそこ強い犬になって欲しい思いもあって内弁慶の僕の犬を何回か全犬種エリアに入れたけど、やはりストレスは掛かるみたいで、飼い主の思いでエリアを選んではいけないことを学んだ次第である。


人をマネジメンする立場になると、こうなって欲しい、こうあって欲しいという思いからメンバーに接することが少ない無いけど、のびのびと力を発揮してもらうには、無理強いいは禁物だよね。


平和だ



2018年11月20日火曜日

人と組織の仕事 昔と今は何が違うのか

昨日、会社の新しいメンバーに研修を行った。

会社の事業領域である「HR」と顧客の課題に関するレクチャーだ。


さて、僕が社員に事業領域の歴史的変遷を話すとき、だいたいテイラーシステムから話を始める。

このテイラーシステムは、科学的管理手法と呼ばれるけど人間を機械扱いしているなど、今ではあまり評判が良くない。

仕事=作業であり、職場=作業場って感じだね。

作業場には、材料や用具、機械が準備されていてその場に居ないと作業は出来ない。

だから、作業場に居る時間と作業結果の量、質に密接な関係があって労務管理が発生する。

「無駄口叩かず、手を動かせや、ゴルァ!」となるわけだね。


でもって、今は、パソコンがあればどこでも仕事が出来てしまう。

仕事=思考となり、職場=価値創造のラボ&コミュニティ的なものになった。

「手ばかり動かして居ないで、課題を探索して人に会い、行動して解決しまた考えよう」なのだ。

作業場は、整理整頓されていることが大事だけど、ラボ&コミュニティであれば対話と混沌が大事になる。

用具や機械が揃って居るところでなく、人や情報が溢れて居るところから仕事が生まれるのだね。

そして、機械にも細かな癖があるけど、人や情報は癖だらけだから、パーソナリティ特性から多様性を理解すること、分析スキル含む情報リテラシーをもつことは、仕事の前提なのである。

人と関わるうえで、メンタルの安定性とストレス耐性も保有しなければならない。

もちろん、混沌の中でも自社への貢献を忘れないマインドセットも必要だ。

で、ね。「HR」の事業領域にある今の課題は、人と情報の多様性に向き合い新たな価値を創造して事業に貢献する人材の採用と育成、成長および活躍の場づくりってことなのだよね。


昔と今






2018年11月18日日曜日

飲んだら乗るな、乗るなら飲むな。飲んだらハピネスパーソン、モラリストなら飲むな

僕が映画を観る時のスタイルは3パターンだ。

  1. 映画館で観る
  2. 家で素面で観る
  3. 家で酔っ払って観る
さて、昨日、WOWOWで「グレーテストショー」を放送していた。

その時間、越境オープンラボでお勉強していたので録画して、家に帰ってから観た。

これは、スタイルの2つ目だ。

正直、その時は皆の評判ほど面白いとは思えなかった。

「また観るかなぁ・・・」とね。

で、ね。今日、昼間、家でパスタを作りながらワインを飲んだ観たらかなりいい感じだ。

違いは何かといえば、2と3の違いなのだけど、脳科学的に考えれば、制御がかかっているか、いないかの違いだ。

実は、脳のMRIで分析すると僕の脳はかなり「制御」の領域が大きいらしい。

つまり、素面の僕は、かなり我慢しているってことだね。

それが、アルコールによって外れることで、大したことのない映画が面白い映画に変わる。

不思議だよね。

制御いる僕は、物語から意味を見出そうとしている。

一方、制御が外れた僕は、踊りが楽しいとか幸福を感じている。

そして、幸福な時の方が学びを感じてしまう。

つまり、僕が幸福を感じるためには制御を外す必要があるようなのだけど、お酒を飲みながら仕事するわけにもいかないし、どうしたものやら。


ああ、幸せ





実践共同体の固有性と非再現性を考える

僕は昨晩、法政大学石山ゼミの越境オープンラボに参加した。

越境のコアにある概念「実践共同体」の同室型(石山)社内有志の会について、ゼミ生の金澤さん、わるだ組大川さん、ちゑや繁さんから話を聞き、5つのテーマに別れて対話を行った。

冒頭、越境オープンラボがゆるいラボであることの説明が効いたのか、はたまた「越境」の核心には「ゆるさ」があるということなのか、それぞれのテーマでも「ゆるさ」が対話の中心にあったらしい。

さて、わるだ組は富士ゼロックス、ちゑやはリクルート・エージェントと大企業の中の有志の会で組織内運動としては大規模だ。

そして、企業経営を支える活動となったことも共通する特徴だね。

僕が入ったのは、組織開発という会社が組織活動を改善するために介入する取り組みにおける課題とこの社内有志の会についての対話だったのだけど、仕事を楽しくしよう、良くしようという有志の想いを会社の介入にどう取り込むのか奥深いものだった。

そういえば、僕も会社に15年前に入社したとき、割と近い入社年度の仲間に会社を良くするために何か出来ないか呼びかけたことがあったなぁ。

早速、「君は何をやっているんだ」と当時のメンバーや経営陣から冷たい視線で問い詰められ、『ああ、この会社ではこういうことはダメだ』と強く思ったことを思い出すね。

そして会社ではなく、自分のスキルだけを磨こうと心に決めた瞬間があった。

その後、紆余曲折があって経営陣に加わり今に至るのだけど、会社を良くしよう、仕事を楽しくしようという思いは経営、社員双方に対立関係で捉える意識、思考があると紛争になりがちなのでしょう。

さて、ラボに参加して、「実践共同体」とは何なのか一層モヤモヤした。

僕は、テーマへの関心、熱意、持続的交流といえば、ついイリヤ・プリゴジの「散逸構造」を思い起こしてしまう。

組織や組織の中で起こる問題、課題、そして社員有志の会といった運動も、「複雑系」として捉えると初期条件やアトラクターなど、その固有性や非再現性を前提に議論すべきではないだろうか。


固有で再現出来ないのが生命




2018年11月16日金曜日

自信の無さが出る杭を打つハイコンテクストカルチャーの闇

昨晩の法政大学長岡ゼミのカフェゼミでハイコンテクストとイノベーションに付いての話があった。

ワークプレイスが単純作業を行う場所から、課題解決、課題探求を行う場所に変化する中で、日本に置いて新しい働き方を実現するにはいかにローコンテクストカルチャーを生み出せるかが鍵になっている。

それは、「明日からこの働き方ね」とルールが決まればその通りに動けることを指している。

一方で、イノベーションのためには「近接性(Proximity)」が重要で、ハイコンテクストカルチャーは有利であるのだけど、日本では、イノベーションが起きないところに問題がある。

だいたいそんな感じの話だったと思う。

その理由は、「創造性に対する自信の無さ」ではないかとコクヨ山下さんは長岡さんとの対談の中で語っていた。

例えば、外国の人と話をすると、大したことではなくても自信たっぷりに語るけど、日本人はすごいことでも自信がなくそれがイノベーションを阻害している、というのだ。

で、ね。「自信」が肝心だとすると思い出されるのが、植松製作所社長植松務さんのTEDでのスピーチの一節だよね。


こんな言葉で未来を諦めさせられてしまった人たちは自信を失ってしまうんです。

でも、人間は生きてくためにはどうしても自信が必要なんです。

だから、自信を無くしてしまった人の中にはお金で自信を買うようになって身を飾るようになったり、また、それを自慢しなければいけなくなったり、そのために、ひとを見下さなければいけなくなってしまったり、また、他の人ががんばったら困るから努力を邪魔するようになってしまう人もいるんです。

こういう人がみなさんの身のまわりにも、もしかしたらいるかもしれません。
でもその人たちは自信をなくしてしまったかわいそうな人たちなんです。

その人たちが自分の自信を守りたくって、しょうがなく他のひとの自信を奪ってしまってるのかもしれません。


僕たち日本のハイコンテクストカルチャーにはひょっとしたら、自信の無さによる負の連鎖が暗黙知化されているのかもしれない。

自分の自信の無さが他者の出る杭を打ち、自信を無くさせる。

それは本当の自分の個性、姿を知らずに他者との比較に目を向けているからではないだろうか。


ぐられこ、ぐられこ


2018年11月15日木曜日

人と環境の接点にあるワークプレイスを考えるカフェゼミ

創造性を喚起するワークプレイスのデザイン、それが今日お邪魔したカフェゼミのテーマだった。

キーノートで、コクヨの山下正太郎さんが世界の先端にある様々なワークプレイスを紹介してくれた。

多くの話の中で、僕が感じたキーワードは「見出す」だ。


時代、環境、資源、目的、効果、効率、実験、情報などなど、ワークプレイスを取り巻く環境は常に変化している。

例えば、ABW(Active Based Working)という、ワークプレイスのデザインコンセプトは個人の効率優先の1.0からチームを最優先にする3.0にバージョンアップしているらしい。

そこには、人生100年時代のマルチステージ化(学生生活、一社で社会人生活、そして引退という3ステージから)への変化や、限られた人口で社会のパフォーマンスを上げる必然性など、多くの事情が絡んでいる。

また、個人の効率を優先しすぎると組織の意味が薄れてしまうなど、高次元で社会性を発揮しながら、個人のパフォーマンスを引き上げることへの挑戦が続いている。

つまり、変化を「見出す」ことと、変化に向き合うワークプレイスを「見出す」が連動して動的に進化しているのだ。

一方で、イノベーションやスタートアップの苗床としてワークプレイスが果たす役割にも大きな期待が掛かっている。

ワークプレイス自体が新たな価値を「見出す」主体となるのだ。

状況や変化に適応したワークプレイスと、新たな価値の苗床となるワークプレイス。

どうやらその2つは同じワークプレイスであっても作り方も見た目も大きく異なっているらしい。

で、ね。それが今日のカフェゼミで僕が「見出した」ことだよね。


こっちにおいで





2018年11月14日水曜日

創造的コラボレーションの場に学ぶ、組織のあり方

明日は、法政大学長岡ゼミのカフェゼミだ。

長岡ゼミは、大学のゼミでありながら、「創造的なコラボレーション」の場として、越境学習を実践し、ゼミの門戸を社会人に開いている。

さて、僕は今、会社で人事制度作りのプロジェクトに参画している。

ミッションやあるべき人材像の策定、等級制度などなど、検討は多岐に渡るのだけど、その中の一つ、「組織のあり方」に僕はこの「創造的なコラボレーションの場」を推奨している。

とかくハイコンテクストに陥って、上意下達、従属と他責、不満を溜めがちな産業組織において、一人一人が主体者として「職場創り」を行うことは理想的だと思えるからだ。

自作自演とアマチュアリズムの精神によって、若者が志を持って事業を興し為していくDNAを大事にする僕の会社が老化することを防ぐこともできるだろう。

ということで明日は、これまでと違う気づきを得るための参加になりそうだね。


自作自演



2018年11月13日火曜日

グローバルスタンダードとローカルルールの間に横たわる溝の正体

最近、ずっと嵌ってしまっているのだけど、事業を行うにあたり、グローバルスタンダードとローカルルールの間に横たわる溝は深いよね。

仕事の仕方とはいえ、作法から始まって、そもそもの考え方が違うからね。

それでも、考え方であれば、理解できなくない。

問題は、作法や考え方の違いにフォーカスが合わないってことだろう。

もう少しわかりやすく言うとそれは自分の手元にだけ焦点があっていて遠くが見えない「老眼鏡」だ。

それが双方向で起きるとなると、もはや考え方の違いとは言えない。

見えていない世界の考え方は教科書的知識でしか無いから、実際はもはや想像するしか無いのだろうけど、勘の悪い人は不信、不安で歩を止めてしまう。

見えないから信じられないし、不安になる気持ちはわからなくも無いけど、それだとずっとローカルルールから抜け出すことは出来ない。

この溝を埋めるにはお互いの世界を見るしか無いのだけど、見えないから埋まらない、というパラドックスが潜んでいるのだろう。


美味しいものを食べたいな



2018年11月12日月曜日

顔のほころびから何かを予感する直感を磨こう

心が緩む瞬間って顔もほころびるよね。

だから、僕たちは他人の顔をじっと見ている。

マーケティングでは顔ばかり観てちょっとした表情の変化を捉えようとするインタビューもある。

上手な写真家は、顔がほころびる瞬間を見逃さない。

逆に捉えると、顔がほころびて心が開く瞬間は貴重だってことだよね。

おそらく、人が本当に心を開くことって、全体を1としたらかなり少ないのではないかな。

多くの場合、無意識の思惑や社会的能力としての「愛想笑い」であって、心は閉ざされているのだろう。

旅館の中居さんはニコニコしているけど、サービスが決して温かく感じられない。

そんな時、その中居さんの心は開いていない。


心が開くと解放力だけでなく、受容力も高まるから新しいことや学びが始まる予感があるけど、予感がしない場合は本当に開いたとは言えないのだろう。


ほころんだ









2018年11月11日日曜日

社員旅行のコンテクストを決めるのはだれ?

先週末の金曜から土曜に掛けて僕は、会社の研修旅行に参加した。

この研修旅行は、社員にとって日頃触れることが少ない一流のものと接する機会を得ようと企画されている。

2013年の初回は小樽の宿で、素晴らしい体験が待っていた。

その後、6回目となった今年は、残念ながら宿が良くなかった。

宿自体は非常に格が高かったのだけど、部屋は修学旅行並に狭くて素敵ではなかった。

実は、以前もこれに似て、宿がダメだったことがあったのだけど、宿が良い時と悪い時の違いは何かというと、旅行代理店を使っているか、いないかであるように思える。

宿が良かった時は、自分たちで宿を手配したのだけど、ダメな時は代理店を使っている。

つい便利なので大手代理店に頼むのだけど、僕たちの研修のコンセプトが理解されているとはどうも思えない。

そして、きっと「社員旅行ならこのクラス」という暗黙のナレッジがあるように思える。

しかし、もう一度この宿に来たいと思えないレベルでも社員旅行ならが致し方ない、とは流石に考えていないだろう。

ひょっとすると、部屋は宿の提案なのかもしれない。


結局、今回は「大切なコンテクストは自分たちで作らなければだめである」という教訓を学ぶ研修だったのかもしれないね。


また来る?(きっと来ない)







僕たちの中の3つの学び 学び成長し続ける人の学びとは

僕たちは生まれた瞬間から学びはじめる。

それは、生き物として生きる術を身につける本能的な学びだ。

食べること、排泄、他者との関係などを、親からの伝授や兄弟友達との遊びなどから学んでいく。

その後、学校で将来に備えて様々な学びが始まる。

なにのために学ぶのか、ではなく、学ぶことを通じて未来を広げるのだ。

教師が足りない発展途上国では、学ぶ機会を失い、未来を閉ざされる子供も少なくない。

さて、学校を卒業すると始まるのが、今をより良く生きるための学びだよね。

学ぶことと、自分が成長することが同時におきて、学びに力がこもる時期だ。

自身の成長は、社会において「成果」となって認めらえる。

学習、成長、達成、成果の連鎖が学びを推し進める。

やがて、成長、達成、成果が減速すると、学びなおしが始まる。

キャリアプランが無い、新しいことに挑戦したいといった若年層の転職に学びなおしがあれば、役職定年など年齢的、環境的に訪れる強制的な学びなおしもある。

特に後者は、やがて訪れることがわかっているので、それに備えた学び行動も見られるようだ。

例えば、自分の定年後の受け皿を作る活動などがそれに当たると思う。

発注者となって、小さい会社やベンチャー企業などに仕事を出して恩を売ることや、実際に事業の成長に貢献し請われるなど様々あるよね。

「天下り」もその一種だろう。

この学びなおしに向けた学びには事業を成長させるインキュベーション機能がある。

個人的な動機の是非を問うより、果たしている社会的効果に目を向けたほうが良いのではないだろうか。


整理すると、僕たちには、「未来に備えた目的の薄い学び」「達成と成果に向けた実践的学び」「学びなおしに向けた学び」の3つの学びがあるのかもしれない。

そして、「学び成長し続ける人の学び」は、この3つの要素がバランスよく混在しているように思える。

役立つと思えないようなことで学び、成果をさらに出すために学び、若者や次世代を育てる学びをしているからね。


美味しい学び



2018年11月9日金曜日

自分の世界を描くこと

僕たちが描く世界は上書きされた世界だ。

僕たちの先祖が大切に想い、語り継いできた世界に僕たちの絵を施しているとも言えるよね。

だから書き損じてしまったり、前に描かれた絵が邪魔になることもある。

もはや、この文明社会において、真っ白なキャンバスから描き始めることなど、不可能なのだろう。

それで苦しむことも少なくない。


でも、僕が描く僕の未来は誰かの上書きであっ欲しくない。

だから、先祖代々描かれた世界を横目にしながら真っ白なキャンバスに僕の未来を描くことは許されているよね。

誰に許されているかって?

もちろん、僕たちの「世界」からね。


今日の世界に








銃とレジ袋 規制によって解決するコト、しないコト 

アメリカで銃乱射による事件が日常化している。

銃の所持か禁止されている日本からみれば、事件の予防には銃規制が一番効果的に思えるけど、アメリカ人の銃に対する思いや思惑はどうも僕たちとはだいぶ違うようだ。

先日、「女神の見えざる手」という映画を見たのだけど、この映画で扱われていた「銃規制法案」も映画の主題ではなく、映画を盛り上げるための素材であった。

さて、僕たちはそもそも何か問題が起こると規制によって解決しようとする思考が強いように思える。

例えば、僕が今、日々向き合っている企業のガバナンスに関しても、あれやこれやと規程がとても多い。

昔の銀行時代を思い起こすほどだ。

それだけでなく、自動車や自転車、喫煙、ゴミ出しなどなど、毎年どのくらいの規制が増えているのだろうか。

近いうちにレジ袋も規制の対象になるらしい。


「規制」は僕たちの社会性の象徴でもある。

社会性とは「我慢」することから始まるからね。

つまり、社会が高度になるほど「規制」は増えるのかもしれないってことだね。

一方、社会性が高まると個性や個人の権利は「利己的」に映るのかもしれない。

本来「利己的」であることで守られてきたは僕たちの遺伝的な「生命力」だ。(「利己的な遺伝子」リチャード・ドーキンス 1976)

この利己性と社会性のバランスの狭間に、銃もレジ袋も揺れて動いているのかもしれないね。


レジ袋萌えな犬



2018年11月8日木曜日

成長することで消え去るものを探してみよう

僕たちは「成長」することで新たな能力を獲得するだけでなく、何かを失っていくのかもしれない。

例えば、子供の無邪気さは、やがて自意識を獲得し分別を覚えることで消えていく。

子供の無邪気な感性を抱いている大人って本当に少ない。

同様なことはきっと少なくないのだろう。

身体的特徴では、蒙古斑などが思い浮かぶね。


僕はいま、「成長」について考えることが多いのだけど、学習にも獲得と棄却があるように、成長にもできるようになることと消え去っていくことがあるに違いない。

「昔はあんな無茶が出来たけど、今はとても出来ないよぁ」なんて思いつくことは、僕たちが「なにか」を失ったことに気づいた瞬間かもしれないね。


成長で消え去るものは?

2018年11月7日水曜日

世界が変わる実感 僕たちの生命の時間戦略を変えること

僕たちは、「辛い」とか「嫌だな」と感じている経験から意味を見い出すことが苦手だ。

だから、避ける。

でも、数年して、あの時の「辛さ」が実はとても大切な経験だったのだと気づくことがある。

そして、そういう気づきをする人は間違いなく、成長し続けている。


「辛さ」「嫌さ」は。僕たち生命が生み出す「ネガティブフィードバック」だよね。

要するに「君子危うきに近寄らず」の生存戦略が発動されているのだろう。


ただ、僕たちには、時間とともに「辛さ」「嫌さ」が薄れていくプログラムも施されている。

これは、一度の経験で世界を固定しない「生命の力」だと思う。

その力によって僕たちは新たな困難を乗り越えていく。

かつてネガティブで回避の対象であったものがチャレンジの対象に変わるってことだよね。


さて、「時間とともに薄れる」能力を強化することは出来ないのだろうか。

つまり、時が経つことで自然と「辛さ」「嫌さ」が薄れるのを待つのでなく、積極的にポジティブに意味づけろことが出来たら何がおこるのだろう。


僕は、そこには、「幸せ」が待っているのだと思うよ。

だって、「辛い」こと、「嫌な」ことが自分のとって大切な出来事なのだと素早く気づければ、何かを避けたり、諦めることがなくなり、新しい経験の領域は確実に増えるもの。

実際に、そういう場面に出会うとほんと、世界が変わる(変わっていく)実感があるのだよ。


世界を変える方法


2018年11月6日火曜日

探し物は何ですか、見つけにくものですか、鞄の中も、机の中も・・・

僕は身の回りのモノにあまりこだわりは無いのだけど、愛着があるモノがいくつかある。

その1つは傘。

前の仕事で傘を扱っていたからぞんざいにできないのだ。

三つ折りと呼ばれる折りたたみの傘も雨で濡れたからぐしゃっ丸めて、なんてもっての外である。

さて、万年筆も愛着があるモノの1つだ、

僕は、かつて中学に進学した時にお祝いで素晴らしい万年筆を何本か頂いたのだけど、雑に扱ってしまい本当に勿体無いことをした。

そんな反省もあって、ちょっと前にそれほど高く無いけどちゃんとした万年筆を購入ようと決意し入手したその万年筆は、ネットで話題になっていて、日本では販売していないモノだ。

そこで並行輸入品を入手したのだけど、Namiki Falconという、会社名と一部被る万年筆だ。


実はこの万年筆を先日無くした。

と思っていた。

バッグに挿していたけど見当たらなくなったのだ。

予兆として、何回か引っ掛かって落ちかけたこともあったので、最初に思い浮かんだのはどこかで落としたことだった。

そこで、思い当たるお店に行ってみたけど見つからない。

そして、寄る年波のおかげでどこかにしまい忘れた可能性も少なくないけど、ほぼ諦めていた。



ところが、この万年筆、三つ折りの傘にコバンザメのようにくっついていたのだ。

僕には、双方に気持ちがあるような、本当に不思議な印象だった。


で、ね。傘も万年筆も愛おしさが倍増したよね。


なんで???






2018年11月4日日曜日

曖昧な言葉の責任が問われる時

セールストークと言うのがある。

営業が、受け手に興味関心を持ってもらうために、良いところを並び立てて説明することだ。

何かを売り込む時には必ずやるものだし、そもそも、商品カタログには満載されているのではないだろうか。

さて、営業が上手くいき、購買に繋がるとその後に出てくるのが「不満」だ。

セールストークの度が過ぎると、「不満」も激しさを増す。

最悪なのは、「出来ない」ことを「出来る」と言ってしまうことだけど、これはもう「嘘」で犯罪だから論外。

でも、その手前に、「概ね出来る(だろう)」がある。

営業は「わからない」「出来ない」と言ってしまうとそれまでなので、「出来る可能性」に言及するのだ。

この希望的観測がもたらす悲劇は計り知れない。

ユーザーになれば、「出来ない」ことはすぐにわかるから、当然、クレームになる。

営業の希望的観測に確たる根拠がない場合、「出来ない」は解決出来ない。

曖昧な言葉のは、最悪の事態となる可能性を孕んでいるのだ。


売り手と買い手の認識がずれることは珍しくない。

だから、悪意はなくても「出来る」が「出来ない」になる場合もある。

その時の一番大切なのは、真摯に解決に望む組織的対応だよね。

それが出来ない場合、希望的観測を言ってはならない。

その見極めをするのは経営者の責任だ。


複雑で不確実な時代の中で、曖昧な言葉を無くすことは出来ない。

埋めこまれた希望的観測は排除出来ないものだろう。

もし、経営者自身がそこに希望的観測を持ってしまったらもはや経営の責任を果たすことは出来ないだろう。

他人任せも同様だね。


経営者は獅子たれ



2018年11月3日土曜日

問題を生み出す人と問題を解決する人 どっちがいいの?

世の中には、問題を生み出すのが得意な人と、問題を解決するのが得意な人が居る。

もうちょっと細かく分けると、意識・無意識の違いもある。

例えば、無意識で問題を生み出すのが得意な人は「問題を起こす人」と言うのに近いかもしれない。

また、無意識で問題を解決するのが得意な人は、時に「おせっかい」と呼ばれたりもするよね。

さて、問題を生み出すのが得意な人は、新たな問題への気づきを生む。

でも、生み出した問題をどうするのだろうか。

一方、問題を解決するのが得意な人は、とても役立つ。

でも、問題をどうやって見い出すのだろうか。

補完関係になれば良いように思えるけど、本当にそうだろうか。

僕は、この2つは、一人の中に共に無ければいけないものではないかと思うのだ。

なぜなら、いずれか一方だけでは、片手落ちだもの。


つまり、問題は「生み出して解決するもの」だ。

で、ね。そのためには、広い心と高い視座が必要だよね。

自分にはどっちが欠けているのかを知ることから始まって、不得意なことに向き合う、より高い視座で解決への道筋を描き(デザインする)行動を起こし経験すること。

僕が知る限りでは、こんなプロセスが「広い心をと高い視座」を生み出すようだ。


どっちが「どっち?」



事業における性善説と性悪説 盛り上がらない社会を作り出しているのはだれ?

性善説と性悪説というのがあるよね。

性善説は、信じることからはじまり、性悪説は疑うことからはじまる。

さて、企業のような組織で「挑戦」を促すためには「安心・安全」が大切だと言われている。

「安心・安全」とは失敗しても大丈夫、むしろ失敗から学ぼうということだ。

例えば、かつてトヨタはアメリカに工場進出した後、ミスの報告に感謝の気持ちを持って現場に望んだそうだけど、失敗から学ぶためには隠蔽されない環境作りが大切だよね、

挑戦はミスよりもさらにプロアクティブなことだから、どうせダメ、とか言ってしまったら最後、誰も挑戦なんかしなくなる。

さて、日本の企業ガバナンスはどうやら性悪説らしい。

「きっと悪いことをしているに違いない」ってこと。

そんな企業で「挑戦」は生まれるわけないよね。

社会もしかり、ではないだろうか。

ガバナンスの背景には投資家保護があるのだけど、結局は、投資家がリスクを取りたくないだけなのかもしれないね。


滑り落ちるリスクよりも挑戦が大事


2018年11月1日木曜日

割りの良し悪しで仕事を考える人の一方に割り切らない人も居る

経済性の観点で仕事を捉えると、「割りが良い、悪い」の尺度が出現する。

「割りが良い」仕事とは、少ない労力で大きな身入りがあるもので、「割りが悪い」仕事はその逆だ。

労多くして益少なし、だね。

経済性で言えば、仕事は、労が減り、益が増える方向に向かうことが望ましい。

一方、創造性の観点で仕事を捉えると、「世の中に無い、有る」の尺度が出現するのではないかな。

さて、経済性と創造性を組み合わせると、「1.世の中に有って割りが良い」「2.世の中に有って割りが悪い」「3.世の中に無くて割りが良い」「4.世の中に無くて割りが悪い」と4つの仕事が見えてくるね。

「新しいものを生み出すこと」とは大概4で、そこから3に行くとそれがイノベーションになる。

1を良し、2を悪しとするのは現実志向、4と3を考えるのは未来志向だろう。

さて、議論の場ではこの2つの志向が対立しやすい。

で、ね。現実志向と未来志向は対立するものではないはずだよね。

それが対立するのは、心がどちらかに捉われているからかもしれない。


経済性に向かうのか、創造性に向かうのか