僕たちは生まれた瞬間から学びはじめる。
それは、生き物として生きる術を身につける本能的な学びだ。
食べること、排泄、他者との関係などを、親からの伝授や兄弟友達との遊びなどから学んでいく。
その後、学校で将来に備えて様々な学びが始まる。
なにのために学ぶのか、ではなく、学ぶことを通じて未来を広げるのだ。
教師が足りない発展途上国では、学ぶ機会を失い、未来を閉ざされる子供も少なくない。
さて、学校を卒業すると始まるのが、今をより良く生きるための学びだよね。
学ぶことと、自分が成長することが同時におきて、学びに力がこもる時期だ。
自身の成長は、社会において「成果」となって認めらえる。
学習、成長、達成、成果の連鎖が学びを推し進める。
やがて、成長、達成、成果が減速すると、学びなおしが始まる。
キャリアプランが無い、新しいことに挑戦したいといった若年層の転職に学びなおしがあれば、役職定年など年齢的、環境的に訪れる強制的な学びなおしもある。
特に後者は、やがて訪れることがわかっているので、それに備えた学び行動も見られるようだ。
例えば、自分の定年後の受け皿を作る活動などがそれに当たると思う。
発注者となって、小さい会社やベンチャー企業などに仕事を出して恩を売ることや、実際に事業の成長に貢献し請われるなど様々あるよね。
「天下り」もその一種だろう。
この学びなおしに向けた学びには事業を成長させるインキュベーション機能がある。
個人的な動機の是非を問うより、果たしている社会的効果に目を向けたほうが良いのではないだろうか。
整理すると、僕たちには、「未来に備えた目的の薄い学び」「達成と成果に向けた実践的学び」「学びなおしに向けた学び」の3つの学びがあるのかもしれない。
そして、「学び成長し続ける人の学び」は、この3つの要素がバランスよく混在しているように思える。
役立つと思えないようなことで学び、成果をさらに出すために学び、若者や次世代を育てる学びをしているからね。
美味しい学び