2018年10月31日水曜日

速さで勝ち抜く、深さで勝ち残る 相反する戦略の行方

今日、会社で「あるべき人材像」の議論をしていて、とても面白いことに気づいた。

それは、行動指針を討議していたときなのだけど、応答の良さと思考の深さの相反性だ。

例えば、会議を行なっている際に、レスポンス良く発言をすることは「応答の良さ」だよね。

会議でなくても、飲食店などに行ってオーダーをしたいときの「応答の良さ」はその店の評価ポイントになる。

一方、よく考えて自分の考えをまとめるには時間が掛かる。

相反性があるのは当たり前なのだけど、結構、両立させようとしてはいないだろうか。

もちろん、両立させる方法が無い訳では無い。


「応答の良さ」が、「思考の浅さ」であるとも言えないけど、思考が深くなれば即答は減る。

こう考えると、スピードを求める場合、あーでもない、こーでもないと考えていては始まらない。

だから、誰でも行き着く結論に素早く到達することが大切になる。

それが「論理的思考」だよね。

スピードに思考の深さを伴うには、決まった答えにたどり着く方法が決まっていれば良いのだ。

でも、思考の深さが他とは異なる結論に至るものであれば、「論理的思考」は適切じゃ無い。

Think different.

これは、アップルが倒産寸前から立ち直る時のメッセージだ。

誰でも行き着く同じ答えではなく、誰もが行き着かない異なる答えを出すことで、今日のアップルは唯一無二のポジションを得たのかもしれない。

勝ち残りを賭けて、誰よりも早く、誰もがたどり着く答えに到達しようとするのか、誰もたどり着けない答えを考え抜いて勝つのか。

この2つの選択も相反していることを忘れてはいけないのだろう。


速いわ







2018年10月30日火曜日

生み出す苦労がハッピー でもそれを強いるとブラック

僕たちは何かを生み出すとき、思いつき、考え、取り組み、形にして、世に問う。

生み出したものが世の中に受け入れられると、多くの場合、関わった人たちはハッピーになれる。

だから、何かを生み出すことはよいことだ。

一方、ハッピーになりたくて何かを生み出さなければならないとなると、かなりアンハッピーになる。

なぜなら、思いつきほど、世の中では軽んじられるものだからね。

それが無ければ始まらないのに軽んじられる、これはちょっと不条理だ。

例えば、仕事だと提案から始まるわけだけど、多くの場合、提案にお金を払う顧客はいない。

もちろん、提案自体が世に問うものでもあってそこには少なからず時間と労力が注ぎ込まれているのだけど、仕事のきっかけという観点で言えば「無料」だよね。

だから、多くの場合、形になったものを世に問うことに皆、注力する。

その方が活動に対する見返りがあって合理的だもの。

でもね。生み出し、形にするのって楽しいんだよね。

そしてそれは見返りがなくても楽しめる人がやることなんだ。


生み出す





2018年10月29日月曜日

パーソナルよりソーシャルを意識して行動を変える

僕はこのところ参加しているSNSであまり、発信ができていなかった。

自らの発信というより、他者の発信にコメントをつけていなかったのだ。

理由は明快で、時間が無い。

でも、時間が無いから出来ないとのいい訳ほど陳腐だよね。

肝心なのは、自分の時間だけ大切にしていたことだ。

SNSのコメントだとちょっとわかりにくいけど、これをコミュニケーションに置き換えるとわかり易いかもしれない。

他者の投稿とは、会話の入り口だ。

もちろん、一方的な入り口だから応える必要は無い。

応えて欲しく無い人もいるだろう。

でも、入り口があるのだから見ているだけでは意味が生まれないよね。

日本のネット社会の90%以上はROM(Read Only Member)と言って傍観するだけでそこに社会(ソーシャル)関係は極めて薄い。

フェイスブックにおいて自ら積極的に情報発信を行っている日本人はわずか5.5%で、米国(45.7%)、ドイツ(25.9%)、英国(34.9%)と比較すると大きな差が付いている。

バーチャルだけどコミュニティが機能するには、弱い結びつきとストラクチュアル・ホールを媒介するブローカーが必要である。

で、ね。時間が無いことを言い訳にせず、ソーシャルを考えて見ようよ思うのだよね。



ソーシャルへ


2018年10月28日日曜日

冒険から学ぶこと やってみる、あきらめないストーリーがつぎを生む

僕は今日、犬を連れて電車に乗り、表参道まで行って来た。

先週、祖師ヶ谷大蔵まで行けたので、今回はその途中で楽勝のはずだ。

しかし、キャリアに入れた犬が途中で騒いだらどうしようとか、排泄してしまったどうしようとか「もしも」を考えると気が気でない。

一方で、そんな事ばかり気にしていたら、僕の犬はずっと家の近所しか行けなくなるので、その時はその時と考えて出掛けた。

先週に引き続きの電車だけど、やはり電車は緊張する。

周りの人に迷惑を掛けずに過ごすのは容易くないよね。

で、無事に表参道について、今回の目的地にたどり着いたら時間になっても店が開かない。

そう、ハプニングだ。

周囲をぶらぶらして時間をおいてまた店に行っても、まだ開いていない。

犬のことも考えて帰りかけたのだけど、今一度思い止まって店に行ったら開いていて、目的を果たすことができた。

時と場合によるのだろうけど、やはりあきらめずに目的を果たすと達成感が得られるよね。

他愛もない小さな小さな冒険だったけど、気持ちを作って挑み、ハプニングにもめげず目的を果たす、のストーリーはそこにもあった。

そんなストーリーがもたらしてくれるのは次の挑戦でしょう。

こうやって僕たちは拡張していくのだ。

さて、つぎ何しよう。


開いてないなんて・・・

2018年10月27日土曜日

僕の「夢」 それは、日々うまれる日々死んでいくものではない

僕は10数年間前に一度、僕の夢って何だろうと考えたことがある。

お金?大きな家?

これは僕の夢じゃなく誰かの夢だ。

結局その時はちゃんとした答えに辿り着くことができずにここまで来ている。

まあ、いい歳にもなっているので、「誰かの夢」でなく「本当の自分の夢」を見つけたいと思ったのだけど、案外これが難しかった。

でも、この数週間、僕の「夢」でなく、「夢」について考えている中で何となく答えを見た気がするのだよね。

今朝の締め後ブログでも書いたけど、「夢」とは日々生まれ、日々死んでいく思考や想いとは異なり、最後まで死なないもの、そう、「生命」のようなものに違いない。

「生命」は誰かの設計や命令であるものでなく、恐らく、当人だけの死なないものだ。

「夢」もそのようなもので、僕たちが日頃自分の「生命」を意識しないように「夢」も意識するものでなないのかもしれない。

さて、僕の「夢」だけど、これまでずっと生きて来た中で大事にしていたことは、「自分の力で公正に生き抜くこと」だ。

「公正」とは「自分事」に等しい。

言い方を替えると「自分の人生を誰彼のせいにすることなく、差別される意識を持つことなく生き抜ける個人の力」が僕のテーマなのだ。

これは恐らく、障害を持って生まれた長兄と、その長兄の行く末をずっと心配していた親の影響を受けているのだろう。

昨今、中央省庁の障害者雇用水増しが問題になっているけど、こんな問題は氷山の一角だよね。

でも、障害を持った兄はそんな理不尽な社会でも生き抜かなければならない。


環境や制度がどうであれ、人は自らの人生を生きるものだ。

自己責任なんて他責な言い方でなく、「生命」としての自分を見つめたいのだ。


長兄は若くして病気で亡くなり、水増しなど知らずに済んだけど、それで問題が無くなった訳でもない。


相続の比率に関しても、親権の問題に関しても僕がいつも相手に対して考えていたのは、「自分の人生を公正に生き抜くこと」だった。

そのために、言い分を控えたことは数限りない。

でも、それは僕の夢なのだ。


今、仲間と新し事業を創造しているのだけど、この僕の夢はそこにも色濃く影響しているに違いないのだろう。


夢 = 生命



創造性が死ぬ瞬間 日々生まれ、日々死んでいくもの、そうでないもの

先日、ミーティングを行っている時に参加者の一人が放った言葉が場の創発を止めた。

その人の発言は実証的、論理的でもっともなものなのだけど「やらない、ダメな理由」を述べていたからね。

創造的態度とは、「新しいことは良いことだ」の新奇性に対する絶対的な肯定で、実証的、論理的思考は、創造的でなく合理的な態度だ。

でも、振り返って見れば、自分もそう言う合理的な態度をとることが少なくない。

経験がなく本当はあまりやりたくないことに創造的態度で臨むのはかなりしんどい。

そこには僕の夢が無いからね。

で、ね。ハッと気がつくのが僕の「夢」と誰かの「夢」の違いだよね。

要するに、僕の「夢」であればやりたいことだけど、誰かの「夢」であればやる、やらないの判断が生まれるって言うことだ。

さらには、「夢」にまで至らぬものは、僕の中でもやる、やらないの判断が生まれている。

ひょっとしたら、アイデアや想いって日々生まれて、そして日々死んでいくもので、そうでないものが「夢」なのかもしれない。

だから、創造性が死なないために僕たちは、お互いの「夢」を紡ぐ必要があるのだろう。


夢みる瞳






2018年10月26日金曜日

僕の経験と僕の意味 チームワークで求められることと得られることの違い

僕たちは日々、経験を積んでいる。
その経験は僕たちに新たな「意味」を与えてくれる。
しかし、「意味」は絶対的なものでない。
同じ経験を積んで、同じ意味を積むわけじゃない。

社会人生活を始めると、仲間と一緒に同じことをする機会が圧倒的に増える。

だからチームワークとか協働が重要視されるわけだよね。

僕が知っているだけでも、多くの企業が採用の際にチームワークを重視している。

一方、他者の役に立ちたいと考える若者は多いけど、チームワークが上手かと言えばそうでもない。

皆でワークショップやイベントを行っていても、指示待ちで目配せ気配りができない学生や若手社員が少なからず居るものだ。

ゲスト感覚なのだろう。

ゲストはサービスを受ける身なので、他人を評価するのが得意で主体的、自発的にチームワークを推進することは少ないかもしれないね。

さて、「意味」は次の行動を引き出すための人それぞの道しるべだ。

だから、自ら動いてその行動に「意味」を与えることがとても大切だと僕は思う。

ゲスト感覚でいることは、その大切な機会を失くすことに等しいのだろう。

結局は、行動を起こし、経験をいかに「意味」にするかは個人のテーマなんだよね。


間に合う?

2018年10月25日木曜日

人生100年学び、成長を続けるために必要なこと

「相手のシュートへの反応ではなく、自分から攻めてシュートコースをなくしていくという考え。今までの自分にはなかった概念」と、34歳にしてなお学び、成長を続ける。この日も3失点こそしたが、果敢にシュートモーションに入った相手選手に接近し、幾多のピンチを救った。

上記はサッカーの試合で韓国のチームに勝利した日本のチームのゴールキーパーのことを取り上げた記事だ。

実は、そのキーパーは元韓国代表でもある。

自分の母国のチームと戦い、パフォーマンスを発揮する、しかも、サッカー選手としては、年齢が高いにも関わらず学び、成長を続けていると記事では紹介されている。

その選手がどのような経緯で日本に来たのか僕は知らないけど、新天地を求め、そこで貪欲に成長しようとする姿はまさに「成長」に相応しいよね。


僕も40歳で今の会社に就職したときは、新天地でゼロからの出発だった。

それまでの仕事での経験や知識はまったく活かせない仕事だったからね。

そこで、自腹でセミナーを受講して、勉強したり、色々な人に出会ったりしたっけ。

一つ一つの仕事も初心者の立場を忘れることなく取り組んでいた記憶がある。

さて、その中で一番しんどかったのは仕事のスキル学習よりもピープルマネジメントで、自分が思った通りに人は動かないことを学び、まず自分が変わることに向き合いはじめる瞬間だったかもしれない。

で、ね。スキル学習は一度覚えてしまえば使いまわしができるけど、ピープルマネジメントはどうもそういうものではないよね。

日々、変化する人に接することすべてが新しい学びの場であるともいえるのだろう。

人生100年時代の学び、というけど、学び、成長を続けるのであれば、毎日が新天地であって、その際たるものは自分以外の人々と関わり新しさを発見することなのかもしれない。


今宵満月

2018年10月24日水曜日

小さな行動が良い考えを生む

思考は主に「脳」が司る。

一方で、行動は主に「身体」が司る。

脳波を測定すると、思考よりも先に行動の準備が始めるらしく、それが僕たちに自由意志はないと神経科学の根拠になっているそうだ。

「身体」をより上手く動かす仕組みが「脳」であって、その「脳」が生み出すのが思考っていう順番なんだよね。

であれば、行動は「身体」を動かしている状態だから、行動が思考の源だと言えるのかもしれない。

でも、僕たちはどこか「思考」が「行動」を生むと考えている。

だから、「よく考えて行動しよう」となるのだけど、本当は「行動してから考えよう」なのだ。


散歩をすると良い考えが浮かぶことは知られている。

毎朝、社員全員が掃除をして事業を伸ばしている会社もある。

そう、小さな行動が良い思考を生み新たなより大きな行動となる、そんな経験を誰でも持っているよね。

僕たちの主役は主役ではなく、僕たちの全てが主役だって言うことを忘れてはいけないのだ。


行動が経験を生む



2018年10月22日月曜日

月曜日の憂鬱は、朝8時会議の「早さ」でなく「速さ」が無いこと

昔に比べればパソコンの性能も大きく上がった。

通販の荷物が届くのもうんと早くなった。

そうなったらなったで、大量データ処理にエクセルが微動だにしなくなったり、ネットで発注した商品が届かなかったりするとストレスを感じるようになる。

慣れは怖いよね。

昔から、新しくて速いパソコンを買っても3日経てば速さを感じなくなるといわれていたけど、今日の僕の気分は3日でもいいから速いパソコンが欲しかった。

大量のデータや高度な解析処理をするときスペックに「これくらいでいい」はないよね。

なぜなら、何回も試行錯誤があるからだ。

さて、色々な必要性から、ネット通販で急ぎ商品を購入することがある。

ところが意を決して通販サイトを覗くと「欠品で納品は11月中旬」とか出ていたりする。

僕のネット通販ポロシーは翌日配達送料無料が基本線なので、ひと月先なんてあり得ない。

結局、即納できるサイトに行って買い物をする。

で、ね。スローライフもいいけれど、やはりIoTはスピード必須であって欲しいよね。


モウ、嫌
このアイスは美味しいです



2018年10月21日日曜日

冒険とは我慢に挑むこと 今日ぼくたちは冒険をした

犬を飼い始めると最初に悩むのが大概、無駄吠えや噛みつきだ。

悩む人が本やネットでしつけの情報に触れると多くの場合は「犬は吠える動物です」「犬は噛み付く動物です」と最初に書いてある。

つまり、そういう動物を飼ったのだから、悩むのではなく、慣れるのか対処法を身につけることが肝心である、と言うことだね。

さて、僕は、今日、僕の犬と冒険をした。

電車に割と長く乗って出掛けただけなのだけど、都会の冒険なんてそんなものかもしれない。

しっかりと調教を受けた盲導犬以外に、犬に電車の乗り方などわかるはずものない。

ゆえに長時間電車に乗るとなるとかなりドキドキする。

まずは、「吠え」。

「吠え」には、威嚇や要求など様々あるけど、悩みの冒頭に出てくるくらい、人の生活にとって「吠え」は日常的でないからね。

実際、今日の移動でも何回か吠えた。

1回は、横に座っていたアジア系外国籍の方は驚いて、席を移動してしまった。

隣に犬がいると思っていなかったので尚更だったかもしれない。

今日は、大事に至らなかったけど、もし「吠え」が酷く迷惑をかけるようになると電車には乗っていられない。

ハラハラ、ドキドキだ。

でも、よく観察していると僕の犬は理由があって吠えているようだ。

それは、車内放送や子供、女性の話し声など大きな音に対して反応している。

つまり、「吠え」させている原因は、人の側にあるのだよね。

こうなってくると、僕たちが日頃、迷惑だと感じているけど我慢していることってたくさんあることに気づく。

犬は我慢しないだけだ。

幸いにも、今回の冒険は目的を達することが出来た。

だから、きっとまた冒険する。

でもその冒険とは、「人の我慢」に対する冒険なのかもしれない。


我慢して入っている


でも良いこと(おやつ)もあるのだ

2018年10月20日土曜日

テンキはいつもハレ キャリアブレイクを考える

今夜は、法政大学石山教授の「越境オープンラボ」第4回目に参加した。

テーマは、「キャリアブランクでなくキャリアブレイク」。

予測不能な社会環境の中で考えるキャリア理論だった。

細かく整理すると、当人にとって予測できることと、予測出来ないことがあって、その出来ないことがどんどん増える中で何を考える必要があるのかと言う事だね。

で、ね。キーワードになるのは、肯定感とか効力感とか転機などだね。

どれも、ポジティブなワードだ。

ものすごく抽象化してしまえば、ポジティブに捉えることでキャリアが好転するということなのかもしれない。

そして、僕はもう少し、意識的なことよりも生命本質に備わっている力、脳中心主義よりも身体性に注目したいと思った。


さあ踊ろう



30年と言う年月を考える

一昨日、昨日のブログ、たまたま15年、20年と年数がタイトルになっていた。

そこで今日は、30年で考えて見たいと思う。

最近僕の周りで30年に因むことと言えば、社会人4年目に派遣された外部研修の30周年記念パーティだ。

当時26歳だった僕が56歳になったのだから、ああ、30年経ったのだ。

この研修には銀行を中心に様々な企業から若手を中心にして派遣されていて3ヶ月間の合宿と2回の企業実習でその絆を培った。


僕は最年少組だったけど、最年長で参加されていた方が先日、亡くなられたそうだ。

研修後も親身に話を聞いて頂いた。

驚きと共に本当に残念です。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。


26歳だった僕の30年後は56歳だけど、40歳であれば70歳になる。

30年は時の隔たりをさらに際立たせるよね。

そう考えると、30年と言う節目には大きな意味があるように思えてくる。

小さい頃、1歳の違いが圧倒的だったように、結果の差がくっきりと現われるからね。


僕は41歳で今の仕事に就いたので30年経つと71歳。

その時、30年前の僕とどんな対話をするだろう。

まだ、たくさん時間があるのでいろんなことを学び挑んでみることにする。


この犬と一緒に30年目を迎えよう

2018年10月19日金曜日

20年以上ではじめて と言うくらい続けるために

糸井重里さんは、ほぼ日刊イトイ新聞で「今日のダーリン」と言うコラムを連載している。

毎日更新していて、きっと忙しいだろうにすごいなぁと思っていたら、今日のコラムは、書くのを忘れていたことが綴られていた。

その慌てぶりは、

 「お、送るのを忘れててた。いますぐ送ります」
 ということで済むのだけれど、今回はまったくちがう。
 だって、書いてないんだもーん、まるっきり。
 20年以上やっていて、こんなことははじめてだ。

といった感じ。

「て」が余計なくらい動揺している。

でも、20年以上ではじめてなら仕方ないでしょう。

え?20年。

危うく見落とすところだったけど、20年以上毎日書いているらしい。

それで今回が「はじめて」ってそっちの方がすごいなぁ。

僕が70歳になるまで続けたら少しは近づけるのかしらん。

「継続は力なり」と言うけど仙人が霞を食べるように糸井さんは日常を食べて毎日コラムを書いているに違いない。

でなければそんなに続かないはずだ。

で、ね。僕もまだブログを書き続けるつもりなので、日常を食べられるようになろうと思うよね。


ヒマチーも長く続く

2018年10月18日木曜日

15年経って色あせたものを最近よく目にする

僕は今の会社に勤める前に「組織」をデータで考えることは出来ないかと考えていた。

サーバに様々な人に関するデータを集めて「組織」の状態を可視化すれば役立つと思ったのだね。

それから15年経ったけど、最近そんな時代になってきたようである。

アンケートやログデータ、履歴データなどを使って組織の状態を逐次モニタリングする。

僕は15年前、コンビニがPOSデータで商品棚を戦略的に活用するように、組織の中で人を戦略的に活用しようと考えていたのかもしれないけど、人と組織の実態に触れ、色々考えるにつれて実はその考えは萎んでしまった。

それは、「生命」を考え始めたことに関係があるのかもしれない。

僕の直感は、最後に残るデータ化できないものが「生命」ではないか、と言う考え方に妙に反応してしまう。

ちょっとロマンチストなのだろうね。

で、ね。生命的なもの、創発や組織などは部分のデータを集めても再現することはできないと思うのだよね。

だからデータを集めるより意味をみつけることの方が今は興味深いのだ。


生命




2018年10月17日水曜日

得意なことは当たり前 苦手なことで人は成長するのかな

僕は今日、会社の仲間と植松努さん(株式会社植松電機 代表取締役)のTEDを試聴していた。

励ましと気づきに溢れる素晴らしいスピーチだった。

詳細は動画を見た方が良いのだけど、僕なりの気づきを4つほどあげて見たい。


  1. 小さい頃の出来事、人との関わりが今日の在り様に大きく関わっている
  2. ネガティブな経験を乗り越える術を備えている
  3. 多様な経験を通じて多様な成長を遂げている
  4. その成長が成果を生んでいる

まずはライフストーリーとしてとても良い経験の棚卸しと振り返りを行なっているのがわかる。

もちろん、TEDに備えてしっかりと準備をしたのだろうけど、振り返って経験を意味づけすることの大切さが強く伝わるよね。

その振り返りの中で出てくる人々は、ポジティブな教訓を与える人とネガティブな教訓を与える人に別れていたのだけど、ネガティブな教訓はポジティブな教訓を強化する役割を担っていた。

人とのつながりから機会を生み、失敗から深いリフレクションを行い、目的を問うてセルフモニタリングと次の行動を起こし、事業の中では社会への貢献においてしっかりと役割を果たす。

これらが時に連鎖して、時にランダムに内面を広げ、高めているのだ。

なので、17名の会社で宇宙開発事業を手がけている。

僕が思うに、植松さんは会社の代表取締役がとても適しているだろう。

研究者、スタンドプレイヤー、コミュニティマネジャー、どれもちょっとイメージに合わない。

自分を過信することなく、中途半端を善しとする謙虚な植松さん、今後の活躍で社会がどう変わるのか、とても楽しみなのだ。


これは苦手じゃないみたい


2018年10月16日火曜日

「考え抜く」にはどのくらい「抜け」ば良いのだろう

”すごーく考えて考え抜いたのに辿り着いた気づきはごく当たり前のことだった”

僕はよくこんな経験をしている。

その度に「考えが足りないなぁ」と自己嫌悪するのだけど、実はAI(機械学習)でも同じような結果に至ることがあるらしい。

膨大なビッグデータとハイスペックなサーバをフル回転させたのに、出て来た結論が世の中の「定見」だったのはある意味とてもまともな結論で喜ばしいことなのだろうけど、意外性への期待には反するよね。

土を掘って宝石を見つけようとしたのに、見つかったのが普通の石だったら残念だけど、そもそも、宝石に出会う確率は圧倒的に低い。

見つかる方が稀であれば、そんなことでいちいち落ち込んでいたら宝石を見つけることはできないよね。

さて、ビッグデータの話は置いておいたとしても、考え抜いた結果がありきたりになるのことは珍しくない。

でも、練りに練った企画書を見返すと全く新しくもないし面白くもなかった経験を積み重ねると不思議に光る企画が生まれてくるものだ。

要は、「考え抜いた」と思ってもそれはまだまだ足りていない、と言うことなのかもしれないね。


考え抜いて動けません














2018年10月15日月曜日

人は皆、適応の仕方が違う。もちろん成長もね

僕たちは色んな状況に適応しながら生きている。

多くの場合、その際に顔色を変えることもない。

その能力には驚かされるばかりだ。

僕はひょっとしたら今日、そんな人の力をデータを通じて垣間見たのかもしれない。

自らの内面をしなやかに変えながら環境に適応する能力をね。

僕が見たのは、三人三様、皆違う適応の仕方だ。

ある者は物事をポジティブに捉え、ある者はリーダーシップを発揮し、ある者は心を動かした。

ほぼ同じ体験をしているのに、だ。

いやー、ほんとすごいね。


僕たちは同じ体験をすることで仲間意識を高めるけど、同じ体験は別々の成長を促している。

きっとそう言うことなのだ。


成長もね



2018年10月14日日曜日

好きこそ物の上手なれ 価値の生みかた

僕たちが仕事をするとき、そこには仕事をするのに必要な「原価」と事業が成長するために必要な「価格」と仕事の結果が世に果たす「価値」が生み出されている。

原価を割ると、直接的に仕事は損失となる。

価格には原価に利益が乗っている。

この2つはとてもはっきりしているので分かりやすい。

一方、一番掴みづらいのが生み出す「価値」だよね。

これは、仕事の結果を受け取る人が決めるものだからだ。

つまり、仕事をする人がいくら想定しても受け手が感じなければ「価値」は生み出していない。

例えば、今日行った地元のカフェはイギリス風のメニュー、食器、装飾がとても素敵な場を作り上げていた。

仕入れや人件費、家賃などが原価で、その提供を受けるとき対価として支払うのが価格だね。

そしてその場の雰囲気と、僕が初めてオーナーさんと話をしてネットワークに接点がある事に気づいた「つながり」の経験は「価格」以上の満足感を与えてくれた。

それが「価値」だ。

では、その「価値」がどこから生み出されたのかといえば、「イギリス好き」から派生した人的ネットワークなんだよね。

僕には「イギリス好きつながり」のネットワークはないけれど、本当に好きでお店をやっていて「つながり」が僕のところまで届くのだろう。

本質の「価値」とは、「本当に好き」ってことなのかもしれない。


おいで、 UK

2018年10月13日土曜日

テクノロジーに弱いのだからHRテックはやめなさい

AI(人工知能)がもてはやされる中、金融だけでなく人事の領域でもテクノロジーを活用しようと言う機運が高まっている。

でも、そんな中で注目すべきニュースが流れた。

焦点:アマゾンがAI採用打ち切り、「女性差別」の欠陥露呈で

詳細はニュースを見ればわかるけど、ポイントはAIに知能は無いってことだ。

「差別はいけないよね」なんて考えてくれない。

そこにあるのは人の手で作られたデータとデータ分析の数式だけで、「このデータには、そもそも差別的傾向が内包されています」と決して理解できないのだ。

だから、テクノロジーを理解している人にとってアマゾンの判断はある意味当たり前で、それも含めて進化のワンステップと言う事である。

僕は、次のステップは、いかに汚されたデータでなく、クリーンなデータを揃えるのかへのアプローチと、汚されていることを素早く算出するアルゴリズム開発だと思う。

さて、僕は日本のHRテックで次のステップを聞いた事がない。

人事の現場ではAI(人工知能)と言って憚らないし、機械学習とは何者なのか理解している人にほとんど出会わない。

たまに技術系出身の人事担当者に出会うのだけど、それらの人の中には機械学習の限界性を知っていて会社の取り組みに冷ややかな人が少なくない。


テクノロジーを用いて前に進むためには、テクノロジーへの貢献が必要だよね。

テクノロジーへの貢献とは、試行錯誤、技術の本質を知りその本質を変える方法に知恵を尽くすと言う事だ。(エンジニアである必要はない)

だから、技術の本質を知らない人は貢献する事ができない。

多くの人は、テクノロジーに貢献するのでなく、テクノロジーの貢献にタダ乗り(フリーライド)している。

僕も、iPhoneはテクノロジーの貢献にタダ乗りしている。

それは価値を消費する消費者だからであって、テクノロジーを用いて価値を生み出す立場であれば、ちょっと違うねってことでしょう。


価値を生み出すのが仕事でしょ?



2018年10月12日金曜日

選択肢が増えれば選ぶ手間は増えるよね

僕たちの周りには多くの選択肢が溢れている。

朝、何を着て出かけるのかから始まり、今日の昼に何を食べるか、今度の休みは何をするのか、どんな会社に勤めるのかなどなど挙げていたらキリがないよね。

悩み始めると時間ばかり経っていく。

嘘か本当か知らないけど、スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツなどはその手間を惜しんでいつも同じ服装をしていると言う話も聞いたことがある。

さて、選択肢が多いと手間が掛かる、つまり時間が掛かるのであれば、選択肢が少なければ時間は掛からないことになるよね。

ファストフードなどは、選択肢を狭くして効率を上げているね。

就活などでもきっとそうで、内定をたくさん貰える学生は、承諾までに時間がかかる。

で、ね。僕たちは無意識に選択肢を減らす努力もしているよね。

それは口コミ、評判であったり条件付けであったりするけどね。

選択肢を増やすビジネスがあれば、選択肢を減らすビジネスもあるってことなのかもしれない。


「多いと楽しい」と「少ないと早い」、どっちかな

2018年10月10日水曜日

僕たちのジレンマ 稼ぎと居心地

社会学的に言うと、人は、経済性と社会性の2軸に捕らわれている。

これをもうちょっとわかりやすく言うと「稼ぎ」と「居心地」だ。

今を生き抜くためには、食べ物と居場所が必要ってことである。

でも、この2軸は結構、葛藤が生じる。

「稼ぎ」のために「居心地」を犠牲にするとかね。

で、ね。2軸をコンフリクトの原泉とみなすのではなく、新たな価値の創造と捉えるために「学び」があるのだろうね。

居心地の悪さを、学びは機会とすることができる。

内省を通じて意味の本質に向き合うとき、自然と内省が始まるけど、もっと日常的な出来事を記録化する必要があるよね。


ブルーオーシャン

2018年10月9日火曜日

大学教育は裏返ったパンツ?

京都大学の溝上元教授がこの夏に転身されたらしい。

溝上氏は大学教育に見切りをつけて高校教育に力を注ぐ決意をされたそうだ。

事の経緯に関する情報があちこちから流れてきて、「ああ、そうなんだ」と思う。

以前、大学生研究フォーラムで話を聴いた時は強い印象に残っていたので転身の決断にもあまり違和感はない。


さて、「日本の大学が人材を育てられない理由がわかってきた」とのブログ(とは言っても、このブログで溝上氏はゲストなのでうまく用いられているだけにも思える)を読んで僕が思ったのは、裏返ったパンツである。

実は最近、家人からパンツが裏返っていると何度か指摘されている。

まあ、誰に見せるものでもないから良いのだけど、それなりにちと恥ずかしい。

だもので、つい「そんなこと言わなくても良いのではないか」とか「そもそも、畳み方がおかしいのだ」とか誰かのせいにしてしまう。

でも、先日、ちゃんと考えて、きっとパンツを脱いだ時の脱ぎ方が悪い(裏返っている)ので、そうなるのだと思った。

つまり、真の原因は僕のパンツの脱ぎ方なのだ。

この仮説の裏付けには、靴下が丸まって洗濯される事件も一役買っている。

では、なぜこの裏返ったパンツと大学教育が繋がったのかといえば、もし、大学教育が就職の踏み台でしかないのだとしたら、それはパンツが裏返った状態と似ているように思えたからだ。

パンツは表でも裏でも機能はかわらない。

大学では学究の場が表で就職の踏み台が裏だね。

パンツの裏は恥ずかしいけど、「男おいどん」みたいに表と裏を数週間履き分けているわけじゃないから汚くもない。

パンツは表を履くものという「当たり前」ではないだけだ。

昨今の大学生は、確かに勉強をしないかもしれないけど、エコロジーに詳しく、コミュニティを大切にし、環境にも人にもやさしい。


勉強第一の教育者からしてみれば、そんな大学生は「裏返し」の状態に思えているのかもしれない。

だからと言って「裏返し」はだめだ、とは言えないでしょ?


消費社会ではなくリサイクルを推進し、競争ではなく平和なコミュニティ作りに勤しんだのは、紛れもなく僕たち大人だ。

まあ、そんな簡単な喩えで済むことではないことはわかるけど、大学では遅いから高校以外にも「まなざし」があるように思えるのだよね。


貴乃花も転身




2018年10月8日月曜日

小さな一歩で世界を変える 僕のできる最善を惜しまずに尽くすこと

今日の午後、僕は犬と一緒に銀座を散歩した。

銀座まで歩いたこともあるけれど、暑くなってからは行き帰りは自転車になった。

幸いなことに僕の犬は自転車が好きだ。

だから、小さいカゴにちょこんと座って暴れたり、飛び出したりすることもない。

一方、休日の銀座は相変わらず多くの人出で賑わっていたので、散歩の多くは抱っこだったけどね。

さて、僕はシェアサイクルを利用している。

所有するほど使わないし、出先に自転車置き場なんてほとんどないから、シェアサイクルを使った方が気兼ねしない。

実は、先日カフェゼミの「マイプロ」で僕が立てた目標は「心地よいシェアエコノミーの実現」だった。

これは、シェアサイクルを利用していて感じることなのだけど、電源入れっぱなし、スタンドを立てない、モードを変えて”0表示”など、気分が悪くなる使い方も少なくない。

また、シェアサイクルではなく犬の散歩でもフンを拾わない飼い主がいる。

カフェゼミでは度々「公共私」の概念が教示されるけど、公と共のマナーで気になることが少なくないのだ。

電車でのリュック、バスの中で大声での会話などもそうだけど、実は僕もきっと多くのマナー違反をおかしているのだと思う。

で、ね。他人のマナーの悪さを声高に叫ぶより、自分ができることで世界が変わると信じようと思うのだよね。

気分が悪くならない(感じなくなる)ことはできないけど、カフェゼミ(マイプロ)やマザーテレサの言葉でも何度も「気づく」のはいつもそこなのだから。


まずは自分の犬を愛しましょ







2018年10月7日日曜日

「場づくり」のシンプルな整理

「場」には僕たちをアフォードし、行為を引き出すチカラがある。

だから、僕たちからどんな行為を引き出すのかは「場づくり」に掛かっているのだよね。

一方で、「場に集う」とき、主人としてなのか、客人としてなのかによって意味は大きく異なるだろう。

主人であれば「場づくり」を担い、客人であれば「場」を味わうのが役割だ。

「場」には色々な「場」があるけど、「学びの場」において「学ぶ行為」を引き出すためには主客一体である方が効果的であるように僕は感じている。

でも「学びの場」と言いながら一方的な「場づくり」も少ないないよね。

例えば、「話しすぎ」。

話し上手な人、熱い思いを語る人の話は、聞いていてとても楽しいのだけど、その人以外から「ひたすら聞く」行為を引き出すことは間違いない。

それで質問が出なかったり、ピントがずれたりするのは当たり前なのかもしれない。

「学びの場」に集う者の積極的関与が必要であれば、関与を引き出す「場づくり」をしなくてはならない。

僕は「何を話すか」よりも大切なことなのだと思う。


今日は暑かった




2018年10月6日土曜日

「問い」は価値を生む商売道具?それとも他者とつながる道具

幼稚な問いにピントの外れた問い。

僕の印象に残る今日のキーワードは「問い」だ。

「問い」には自らに問うもの、他者に問うものがある。

また「問う」側と「問われる」側がある。

冒頭の「問い」は、他者から問われるものに対する、「問い」そのものへの「応え」だね。

さて、日頃自らに深い問いを行っている人は、他者の問いを軽んじる傾向があるよね。

自分が認めた「問い」以外はNGなのだ。

一方、役割で「問い」を起こす人の中には、人との関わりを第一に考える人たちも居る。

そういう人にとっての「問い」とは人とつながったり、他者と協働して役割を果たすための「問い」だからそんなに深いわけじゃない。

そもそも、人を刺すために「問う」のではない。

で、ね。そういう人たちは、深い「問い」じゃないからと言ってその人たちを否定することはないよね。

ノーベル賞受賞だったり、大学の教授だったり、ある意味、「問い」が好きでそれを社会的価値に変える人々にとっては軽い「問い」は死活問題かもしれないけどね。


ひっ、ひっ、ひっ





自画持参 がちゃトークの始まりはいつも雨?

昨晩は自画持参、二日連続で法政大学長岡教授の「場」に顔を出すことになった。

がちゃトークのテーマは「雨」。

僕は少し遅れて行ったのだけどテーマは早く決まったようだった。

最初のお題は「旅先でずっと雨だったら何をして過ごしますか?」。

今回、僕もスピーチしたのだけど、そのお題は「晴耕雨読、雨の日に何したい?」だった。

次のお題は「あなたは雨男?」だし、最後は「雨の日の思い出」と、やはり雨と行動の間いある関係性を皆、気になるようだね。

つまり、僕たちは雨によって行動が変わるはずだとどこかで考えているのだ。

行動が変わるということは習慣が生まれたり意識が変わったりする。

で、ね。何して過ごす、何したい?、いつも雨?、何があった?と、降雨現象イコール行動情報、要は雨は何かのきっかけなんだよね。

昔、「始まりはいつも雨」というヒット曲があったけど、良いところに目をつけているのかもしれない。



がちゃトークの始まりは雨


雨でも仲良くね


雨で一休み


グラレコなう

2018年10月5日金曜日

長く、広く続くのには理由がある カフェゼミで「マイプロ」

昨晩は、法政大学長岡ゼミのカフェゼミに参加した。

丸ノ内のTIP*Sという中小機構が運営する場で行われたカフェゼミは「マイプロジェクト」のワークショップ(トライアル)だった。

カフェゼミは、「創造的なコラボレーションのデザイン」をテーマとした大学のゼミに、僕たちもゼミ生として参加する。

「マイプロジェクト」は、自分たちが少し変われば社会は変わるという実感をもつための場で、ファシリテーションを行われたビジネス・ブレークスルー大学須子准教授のゼミではマイプロジェクトを行うとその後、多くの学生が休学して何かを始めるのだそうだ(そして戻ってくる)。

一人一人が「私」を主語にして、振り返りと目標を設定、そして実行し、また振り返り・・・と進めていくことで成長し、コミュニティを生み、イノベーションを起こす、と、カフェゼミのタイトルでもあった、まさに「ジブンゴトから始めるソーシャルデザイン」だ。

いつものカフェゼミには無い、大人の放課後(飲みながらの対話)もあって半径1メートルの世界がもう変わったように感じられた。


さて、僕はこのところずっと「パーソナリティ特性」と向き合っている。

そして、経験は僕たちの内面に非常に重要であることだけでなく、与える影響はパーソナリティ特性に関係があることを見ている。

すごく単純化して、「マイプロ」を繋がり振り返り踏み出す、それらを繰り返し続ける活動であるとすると、それぞれの場面において、パーソナリティ特性により力の発揮の具合や学ぶ中身は恐らく違うはずだよね。

その様子は受け取る人のパーソナリティ特性によって更に変わってくる。

良く学んだ印象、学びがいまいちな印象などが生まれるのだ。

これは「マイプロ」に限らず、多くの学びにおいて生じる現象だ。


「マイプロ」のファシリテーションにはかなり寛容さがあって、そこにも配慮があるのだろうと思った。

それが長く広く続いている理由の一つなのかもしれない。


カフェゼミ、次回も楽しみです





2018年10月4日木曜日

 今日のカフェゼミは「マイプロ」

もう、24時をまわってしまうので、今日のブログはグラレコにて、補足は明日ということにします。


カフェゼミ、放課後もありました

2018年10月3日水曜日

「近づく経験」と「挑む経験」の境界にあるのは居心地

僕たちは何気に日々、経験を積んでいる。

意図して積む経験もあれば、偶然積む経験もある。

偶然は一旦、置いておくとして意図した経験の中には「近づく経験」と「挑む経験」があるように思える。

「近づく経験」とは、自身にフィット感があり、好むもので、快適な経験だよね。

例えば、常連にしているカフェに行くのは「近づく経験」の代表例だと思う。

一方で、ちょっと居心地が悪そうな、だけどものは試しで入るカフェは「挑む経験」だろう。

で、ね。「挑んだ経験」によって自分の新たな一面が生み出されるかもしれない。

「あ、こういう感じもいいな」という発見によって、僕たちは自分を書き換えて行くのだよね。

これはカフェ選びだけでなく、学びでもそうだし、仕事だってそうだろう。

「近づく経験」ははじめに僕ありき、だ。

そして「挑む経験」ははじめに経験ありき、だ。

この境界はかなり曖昧な気もするけど、案外、居心地で測るとわかりやすいのかもしれない。


採用面接で、応募者が会社の雰囲気を気にするのは居心地志向で「挑むこと」はあまり望めないと感じるのもそんなことなのだろうね。


これは台風が通り過ぎた後の偶然の経験



2018年10月1日月曜日

ほわほわとがちがち あなたの好きなのはどっち?

僕の犬はジャックラッセルテリアという犬種だ。

この犬種は、映画で言えば、「アーティスト」や「マスク」に出てくるである。

また、糸井重里さんの飼っていたブイヨンちゃんも有名だよね。

この犬種、イギリスで巣穴を狩るために作られたものでもある。

狩猟犬の特性として、些細な音に敏感で狩るまで諦めない執着心が植えつけられている。

賢く学び、運動量に長け、結果として初めて犬を飼う人には不向きな犬なのだ。

そんな犬種なのだけど、色々な犬種を掛け合わせた結果、DNAは入り乱れて、様々な見てくれになる。

その一つが、毛並みだ。

ある個体は、ブロークンという、長短織り交ぜほわほわした身なりになる一方、スムースというがちがちな身なりになる子もいる。

それは、生まれてから一定期間立たないと確認できない。

で、ね。飼い主はその容姿に一喜一憂捨のだけど、それは単に好き嫌いの問題であって、その子の本質ではないよね。

そんなことは人間でも頻発している。

本質ではなく、好き嫌いで見ているということ。

でもそれはその人の「たまたま」なのにね。


がちがち系?